「穣子。今、時代はバームクーヘンよ」
壁に背を預けて新聞を読んでいた静葉が、また急に突拍子もないことを言い出した。
外は今日も吹雪、吹雪、レティの世界だ。
囲炉裏の揺らめく火に照らされながら、静葉はジト目を送る穣子に話を続ける。
「穣子。あなたはバームクーヘンの作り方知ってるかしら」
「もちろんよ。ほらアレでしょ。なんか層を作って、うんぬんかんぬんって……」
「ええ、そうよ。それでどうやって、その層を作るかを知ってるかしら」
「あー。それはアレよね。なんか生地をぐるぐる回して塗って焼いてって……」
「ええ、そうよ。ねえ、凄いと思わない」
「なにが?」
「だってまるっきり木と同じじゃない」
「木?」
「木」
「……気でも狂った?」
「いえ。一寸の狂いもなく」
真顔で言い切った静葉に、再び冷たい視線をむける穣子。
静葉は続ける。
「いい穣子。バームクーヘンを作るということは、木を作るのとほぼ同じなのよ」
「……やっぱ気でも狂った?」
「私は正常よ。そんなことより、木は一年ごとに成長するのよ。そしてそれは層となっていく」
「あー……、まあ、そうね」
「バームクーヘンもそうでしょう。生地を塗っていっそういっそう成長していくのよ」
「まあ、言われてみれば……? まあ、あっちは成長するというより作るって感じだけど……」
「そのとおり。さあ、そういうわけで」
「いや、どういうわけよ?」
「穣子。バームクーヘンを作るわよ」
「え? やだめんどい」
「拒否権はないわ。我々は神のつとめとしてバームクーヘンを作らなければならないのよ」
「はあ……? なんでよ?」
「考えてみなさい。あなたは豊穣とイモの神でしょ」
「だから豊穣だけだっつーの! この枯葉組組長大魔神ササニシキ!」
「それならば、オニグルミや栗も豊穣の対象でしょう」
「えっ? ま、まぁそうね。どっちも秋だし……」
ツッコミにもまったく動じず、話を続けようとする静葉に穣子は「あ、これ何を言ってもダメなヤツだ」と悟り、思わず諦めのため息をつく。
静葉の話は更に続く。
「オニグルミや栗は木に実るでしょう」
「まあそうねえ。木の実っていうくらいだしねー」
「木は成長しなければ実を付けないでしょう」
「まあそうねえ。桃栗三年、柿八年、柚の大バカ十八年なんて言うしね」
「……その言葉、いつも思うけど柚に失礼だと思わない」
「まあそうねえ。さすがにちょっとヒドイと思うわね」
「柚こしょう、美味しいのに」
「あれ? 柚こしょうに、柚は入ってないんじゃなかったっけ?」
「違うわ。柚こしょうには、こしょうが入ってないのよ」
「あれ、そうだっけ? いっつもどっちかわかんなくなるのよねぇーーー」
などと言いながら穣子は懐から生のイモを取り出し、そのままかじり出す。
静葉は、ため息をついて告げる。
「……ほんとう、あなたはイモの子ね。話を戻すけど、木が成長するということは、幹が一年一年太くなっていく。……つまり層を作っていくということよ。さあ、あとは言わなくてもわかるわね」
「いや、ぜーんぜん?」
「……相変わらず察しが悪いわね。さすがはイモの子」
「よけーなおせわよ!? あと、そのイモの子って言うのやめて! 人をカズノコみたいに!」
「そんな高級食材あなたには不釣り合いだわ。せいぜいタケノコが関の山よ」
「タケノコなめんな! 美味しいでしょ! ……タケノコご飯とか!」
「タケノコは置いといて、いい穣子。実りを得るためには木の成長が必要不可欠でしょ。あなたがバームクーヘンを作るということは同時に木を作っていることになるのよ。すなわちそれは、実りと恵みを創造しているのと同じだわ」
「あー、まーたしかに食えるもんねー。バームクーヘン」
そう言って再びイモをかじる穣子に、静葉は憐れむような視線を送る。穣子は、思わずむっとしてたずねる。
「じゃあ、そーいう姉さんはどうなのよ!? 枯葉大明神とバームクーヘンにどういう関係があるってのよ?」
「大いにあるわ」
「へえ? 言ってみてよ」
「……紅葉というものは、儚くも美しい。ゆえに秋を象徴する存在でもあるわ」
「そーね。で、それとバームクーヘンが何の関係あるってのよ?」
「話は最後まで聞きなさい。まったく、せっかちイモなんだから」
「せっかちイモって何よ!?」
「せっかちイモはせっかちなイモのことよ。続けるわ。美しい紅葉を魅せるには、健全な木々の存在が必要不可欠。つまり一年一年、地に足を付けて自然の恵みを蓄え、成長を続けた木が、やがて燃え盛るような情熱的な紅葉を魅せてくれるのよ。バームクーヘンにも同じことが言えるわ。丹念に生地を塗り重ね、少しずつ大きく太くなっていき、やがて芸術品のような見事な層をみせてくれる。……そう、あたかも立派に育った大木の年輪のごとく。ゆえに紅葉とバームクーヘンには親和性、いえ、神話性があるのよ」
「はぁ……」
キョトンとしている様子の穣子に、静葉は不敵な笑みを浮かべて言い放つ。
「さあ、これでわかったわね。私たちにはバームクーヘンを作らなければならない使命があるということを。……そう、かつてイザナギとイザナミが、槍でこおろこおろと海をかき回して、オノゴロ島をつくったように、我々はハケで生地をぐうるぐうると塗り回して、バームクーヘンをつくる必要があるのよ」
「たかが、お菓子作りと神話を同系列に語るんじゃないわよ! 大げさな。……っつーか作んのはいいとして、道具とかはどうすんの? 家にそんなものないわよ!?」
「手抜かりなく。既に手配済みよ」
と、静葉がニヤリと笑みを浮かべると同時に、玄関の戸が勢いよく開き、威勢のいい声が響き渡る。
「へいおまち! 持ってきたよー!」
一瞬、なにか出前でも頼んだのかと思ったが、その声の主はにとりだ。
胸騒ぎを覚えた穣子が迎えに行くまでもなく、彼女はずかずかと土足で踏み込んでくる。
「うわでた!?」
「おいおい、人を妖怪みたいに言わないでくれよ?」
「まごうことなき妖怪でしょうが!?」
穣子のツッコミも気にせずにとりは、背負ってきたリュックから機械を取り出すとテキパキと組み立て始める。
後方で見守っていた静葉がにとりにたずねる。
「……ふむ。それが例のモノなのね」
「ああ、そうだよ。静葉さんに頼まれて作った特注のバームクーヘン製造機、その名も『年輪くん』さ!」
「ふむ。なるほど、バームクーヘンを木の年輪になぞらえたということね。いいネーミングだわ」
「まあね。それにバームクーヘンって、もともと外の世界で年輪のケーキって意味らしいからさ」
「なるほど。まさにシンプル・イズ・ストレートね。すばらしいわ」
などとやりとりしている二人を、穣子は傍からジト目で見ていたが、ふと次の質問をぶつける。
「ねえ。作る機械用意したのはいいとして、生地はどーすんのよ? 生地は。にとり、あんた用意してきたの?」
「いんやー?」
首を横に振るにとり。すると静葉が。
「手抜かりないわ。それも既に手配済みよ」
「は……?」
と、穣子が首をかしげた瞬間、再び玄関の戸が開く。
「静葉さーん! 用意してきましたよー!」
「その声は……!」
穣子が慌てて玄関に行くとそこには、満面の笑みを浮かべたミスティアの姿。
彼女のその手には、お菓子の生地がたーっぷり入った大きなバケツ。
「みすちー! あんた何してんのよ!?」
「い、いや、静葉さんがお菓子作りするから、とにかく生地をたくさん用意してって……」
「だからって、何もそんないっぱい持ってこなくても……」
思わず穣子が呆れていると、突然後ろから声が。
「大丈夫よ。余ったら穣子が飲み干してくれるから。そう。たゆたう混沌を鎮めるがごとくね」
「誰が飲むかっ!? ……ってか姉さん、いつの間に後ろに!?」
「今の間よ。それより、これで役者はそろったわね。それでは、いざはじめん。菓子産みの儀を」
こうして秋静葉の号令の元、ここに神儀という名のバームクーヘン作りが始まったのだった。唐突に。
●
外は相変わらずレティが猛威を振るっている。しかし家の中はそれとは明らかに違う何かが猛威を振るっていた。
「それじゃ始めましょう。聞いた話によると、バームクーヘンは現代の日本において、生まれの国であるドイッチュラントよりも多く食べられていると聞くわ。これには何かわけがあるはず。きっと作ればわかるでしょう。というわけで、ミスティア、さっそく生地を整えなさい。にとりは年輪くんを立ち上げるのよ」
「はーい!」
「さーいえっさー!」
静葉の的確(?)な指示に従って二人はコトを進めていく。その様子を穣子がぼうぜんとながめていると、静葉が告げる。
「穣子。ぼうっと突っ立ってないであなたも何かしなさい」
「何かって……。何を?」
「いくらでもあるでしょう。応援するとか祝詞をとなえるとか」
「そっか。そんじゃイモ焼くわ!」
「人の話聞いてたの」
「だって何かすればいいんでしょ? ならイモ焼くわ!」
「……好きにしなさい」
一人、穣子が囲炉裏でイモを焼き始める中、三人はバームクーヘンを作る手はずを整えていた。ところが……。
「大変よ! 静葉さん!」
「どうしたの。ミスティア」
「生地が凍っちゃってる!」
ミスティアの言うとおり、バケツの中で生地はカッチカチに凍っていた。レティのせいだ。
「大丈夫よ。囲炉裏を使って温めなさい」
「わかったわ!」
静葉の助言どおり、ミスティアは囲炉裏にバケツを置いて生地を温め始める。
その横で、穣子はベニアズマをキレイに並べて焼いていた。
「ちょっと!? こっちに来ないでよ! イモが潰れちゃうでしょ!?」
「そんなこと言われてもこのバケツ大きいので……」
「なんでそんな大っきいバケツなんか持ってきたのよ!? バケツというよりもうタルじゃないそれ!?」
「ちょうどいい大きさのバケツがなかったんですよ……。なので漬物用のやつを持ってきたんです」
「デカすぎるにも程があるわよ! とにかく! ここから先は進入禁止! 理屈も法律も通さない不可侵領域だからね!? 少しでもはみ出したら、熱々のイモミサイルで迎撃してやるんだから!」
と、言いながら穣子は囲炉裏の灰に、軍事境界線とばかりに線を描く。それもバケツのすぐギリギリの所に。
見かねた静葉が穣子に告げる。
「縄張り争いなんかしていないで仲良くしなさい。人類皆友達よ」
「人じゃなくて神だしー?」
「穣子。人だろうと神だろうと、この世に生きとし生けるもの皆、同じ輪の中にいるのよ。……そう、バームクーヘンのように」
ただのこじつけじゃないかと穣子は、レティのような冷たい視線を静葉に送るが、彼女は気づいてない様子。そのとき。
「静葉さん! セッティング終わったよ! これでいつでもバームクーヘン製造出来るよ!」
「でかしたわ。にとり」
にとりの持ってきた機械『年輪くん』の組み立てが終わったらしい。かわいい名前とは裏腹に、やたら四角くてゴツい機械だ。これを短時間で組み立てたにとりの技術力はやはり幻想随一と言えるのだが、悲しいかな、機械に疎い三人はそのすごさがまったくわからなかった。
「それで、にとり。この機械はどう使うのかしら」
「よくぞ聞いてくれた! この上にある注入口からバームクーヘンの生地を注ぎ込んで、この液晶に表示されるメニューに沿って選んでいけば、望み通りの形のバームクーヘンが作れるんだ! 老若男女、神人妖芋誰でも分け隔てなく簡単に操作できる、我ながら傑作バームクーヘン製造マシーンさ!」
と、胸を張ってにとりが言うと、静葉が怪訝そうな表情で
「違うわ。それは私の求めていたものじゃない」
と言い放ったので、思わずにとりは目を点にさせてしまう。
「ど、どゆこと……?」
「……にとり。私が求めていたのは、手回しで生地を回せるバームクーヘン製造機よ。伝えたはずだわ」
「え、でもどうせなら楽な方がいいかなって思って……」
「今すぐ作りかえなさい」
「ええっ!? そんな無茶な!?」
「その無茶をどうにかするのがあなたの仕事よ」
「えっ。わ、わかったよ。じゃあ、とりあえずいったん持ち帰って……」
「いえ。今ここで作りかえなさい」
「そ、それマジで言ってんの……?」
「私はいつでもいたって真面目よ」
こいつはとんでもねぇモンスタークライアント、略してモンクラ。いやむしろ文句ラーだと、にとりは内心毒付きながら渋々機械を解体し始める。
一部始終を横で見ていた穣子は、憐れそうすぎる眼差しをにとりに向けつつイモを焼き続けていた。
そのうちに焼けたイモの甘美な匂いが辺りに漂いはじめる。それを穣子が、味・匂い・音・手触りの五感を駆使して存分に味おうとしたそのときだ。
あきらかに芋とは違う、甘ったるくて胸焼けしそうな匂いが漂ってくる。
そう! バームクーヘンの生地が解けはじめたのだ!
「ちょっとちょっと! ミスティア! その生地の匂いなんとかしてよ!? せっかくのイモの香りが台無しじゃない!?」
「そんな無茶言わないでくださいよ!?」
「その無茶をどうにかするのがアンタの仕事――」
「なんかじゃありませんっ!!」
と、彼女が大声で言い放ったとき。
うっかり腕がバケツのフチに触れてしまい、境界線をわずかにはみ出てしまう。
「あーーーーっ! 軍事境界線超えたわね? 超えたわね!? 宣戦布告と見なすわよ!」
「いやいや!? これは事故で……! 決してわざとじゃ――」
「問答無用! 話してもわかんない! 食らえ! 熱々イモミサーイル!」
穣子はこんがり焼けたベニアズマをむんずと掴むと、ミスティアの頬に押しつける。
「いやぁーー!? あつい! あついっ!?」
たまらず悲鳴を上げるミスティア。
「あっちちちちちっ!?」
たまらず穣子も熱さのあまりにベニアズマを手放してしまう。
そのままベニアズマは、溶けた生地の中にどぶんと落ちてしまった。
「あーーーっ!? イモが生地の中に!?」
「あーーーっ!? 生地の中にイモが!?」
慌てふためく二人に静葉が言い放つ。
「もう、二人とも落ち着きなさい。たかがイモが一つ落ちたくらいで生地はどうもならないわよ。そう、混沌が何もかも受け入れるがごとくね」
「そんなこと言っても、私の貴重なイモが一つ犠牲になった事実は変わんないんだけど?」
と、穣子が本日三度目のジト目を送っていたそのときだ。
「静葉さーん!」
にとりの呼ぶ声に、静葉のみならず一同が思わず振り向くと、そこには先ほどのゴッツい姿とはうって変わって、コンロの真上にハンドルの付いた棒を乗っけただけのような貧相な機械が。
「さあ、どうだ! 静葉さんの要望通りに改良したぞ。手回し式のバームクーヘン製造機。その名も『裸の年輪くん』だ!」
「ふむ。なるほど。先ほどの年輪くんの外装を剥がして、中身をむき出しにしたから裸ってことなのね」
「その通り! 『裸族の年輪くん』と、どっちの名前にするか迷ったけどね!」
「……ふむ、そうね。確かに『裸族』だと、インパクトはあるけど元から裸が好きってニュアンスになる。その点『裸の』だとインパクトには欠けるけど、不本意ながらも裸になっている感が出ているので今回の場合は『裸の』の方が最適でしょうね」
「さすが静葉さん! いつもながらナイスな分析力!」
なにが、ナイスな分析力だ。そんなんどっちでもいいだろ。自分のわがままで周りを振り回しているのに。と、穣子は白けた眼差しで静葉を見やりながら、生地に落ちたイモを菜箸で救出すると、付いた生地を新聞で拭き取る。
「あーあ。こんな変わり果てた姿になっちゃって……」
と、イモに呟きながら口に放り込む。
……意外と美味かった。
「よし、それじゃ前準備は整ったわね。それではこれより、神なるバームクーヘン産みの儀に入るわよ」
◯
いよいよ宴もたけなわだ。
静葉の号令で、裸の年輪くんににとりが火を入れ、ミスティアが芯棒に油を塗る。
「では始めましょう」
静葉がハンドルを回し始めると、棒もゆっくりときりきり回り始める。
「さあ、穣子。あなたの出番よ」
「は……?」
「生地をハケでこの棒に塗りなさい」
「私なの……?」
「いいからはやくしなさい。油が乾いてしまうわ」
静葉に急かされ、穣子は渋々ハケで生地を棒に塗る。
「こんなんでいい? テキトーだけど」
「ええ。上出来よ。なかなか上手いじゃない」
「そ? そんじゃ私はこの辺で……」
と、穣子が横になろうとしたそのときだ。ハンドルを回しながら静葉が告げる。
「さあ穣子。次の生地を塗りなさい」
「はあ……!?」
「さあ早く」
「ちょっ待ってよ!? なんで私も参加させられてるのよ?」
不満そうな穣子に静葉は、フッと不敵な笑みを浮かべて告げる。
「……参加する意志のない者がこの場にいるはずないでしょう」
「いやいやいや!? 言ったでしょ。私は興味ないって。興味ないからイモ焼いてたのよ?」
「いえ、違うわね。あなたは興味あるのよ」
「はぁ?」
「興味ないならここを離れて自室に戻るなりなんなり、いくらでも出来たでしょう。ここにいたら巻き込まれてしまうことなんて火を見るより明らかだったはず」
「まぁそうだけど……。いや、だってほら部屋寒いし?」
「火鉢あるでしょ」
「まぁ……。そうだけど」
「穣子。まだ気づいてないのかしら。あなたは自分の意志でここに留まってるのよ」
「は……?」
「確かにあなたはずっとイヤイヤ言っている。でもそれならなぜここを離れないのかしら。イヤと言いながらもここを離れない。それはつまり……」
「「つまり……?」」
静葉の言葉にミスティアもにとりも固唾を飲む。
静葉はフッと笑みを浮かべて穣子に言い放つ。
「穣子。あなたの深層心理は、この神事に参加したがってるのよ」
「「な、な、なんだってー!?」」
ノリのいい二人はすかさず驚いた顔で反応する。
一方の穣子は腑に落ちない様子で首をかしげたままだ。
静葉は不敵な笑みを浮かべたまま更に話を続ける。
「深層心理が、己の表層的な意志と違うことはままあるわ。それこそそれが相反する意志となることも。ほら、よく言うでしょう。『イヤよイヤよも好きのうち』と。今のあなたはまさにこの状態になっているのよ。それは決してストックホルム症候群のような、イヤなことから目を背けるための単なる防衛反応などではなく、心の底から望んでいることなのよ」
「何でそう言い切れるのよ?」
「だって私は、あなたを虐待した覚えはないもの」
さらりと言い放った静葉に、まさに今の状況が精神的虐待のようなものじゃないかと穣子はジト目を送るが、やがてはぁとため息をついて告げた。
「……もう、わかったわ。一度こうなった姉さんを止めることはもう出来ないことはよーく、よぉーーーく知ってるから。仕方ないから私も手伝うわよ……」
「さすが私の妹ね。そう言ってくれると思ったわ。それじゃ神事を再開するわよ」
さて、ここから先は非常にスムーズだった。というのも料理が苦手な静葉と違い、普段から料理をしている穣子は、さすがに勘も良く、均等に生地を塗り進めていくことができた。
何より皆のベクトルが同じ方向を向いたのだ。障壁などもう何も無いに等しかった。
みるみるうちにそれらしい形になっていき、にとりとミスティアの二人が見守る中、ついにバームクーヘンは完成した。
いつの間にか外は、夜を越え、うっすらと明るくなり始めていた。
◎
そんなこんなで、ついぞ出来上がったバームクーヘン。
その形こそ少々いびつだが、そのいびつさが、逆に古木の自然な曲がり具合を思わせて、人工物とは思えない存在感を放っている。
ひとたび包丁を入れると、層の境目が黄金色に輝き、ほのかにバターの香ばしさが立ち上る。まるで土星の環のごとく、きれいな層が出来ており、なかなかの出来映えだった。
にとりとミスティアが片付けに勤しむ中、その、まごう事なき神(+妖怪二匹)が作り上げたバームクーヘンを白い紙に乗せて、静葉はしげしげと見つめる。
「穣子。見なさい。この素晴らしい環を。あなたがこのオーパーツを作り上げたのよ」
「オーパーツってそんな大げさな。ま、我ながらいい出来だと思うわよ。味はわかんないけどね? イモ落ちちゃったし……」
「いいのよ。それもまた予測不可能な事実であり、完成度を高めるエッセンスの一つ。このバームクーヘンは、均等化されたカオスそのものであり、その可能性は無限大なのよ」
「……私にはただのバームクーヘンにしか見えないけどね。これのどの辺が無限大なのよ? 味? 見た目? 別にねじれてないけど」
「よく見なさい。バームクーヘンは真ん中に穴があるでしょ。この穴に深い意味があるのよ」
「これに? 意味……?」
訝しそうな穣子に静葉は告げる。
「そうね。バームクーヘンをこの世界そのものに置き換えてみるとわかるわ。バームクーヘンの環の部分は目に見える世界、つまり地上を現している。そして真ん中の一見何も無いように見える部分。ここは目に見えない世界を現しているのよ。……目に見えない。そう、すなわち神霊たちの領域。この見えない部分こそ天の中心であり、創造神が御座すところなのよ」
「はぁ……。でも穴があるってそれって他のお菓子でも同じじゃん? それこそドーナツとか」
「甘いわ穣子。ドーナツは決してバームクーヘンには敵わないのよ」
「言い切ったわね!? なんでよ? どっちも穴開いてるし。どっちも美味しいし。……姉さん。今、全世界のドーナツ好きの人、敵に回したわよ!?」
「確かに穣子の言うとおり、ドーナツにも穴はあるし、確かにドーナツは美味しい。……でもドーナツにはあるものが足りない。バームクーヘンにはあってドーナツにないもの。そう、それは……。層よ」
「層って。いや、たしかにそうかもしれないけど……。そんな大した違いなの? それって」
「とんでもない。大きな違いよ。この層が何を意味してるかわかるかしら」
「うーん、味のアクセント的な?」
「違う。違うわ。さっき言ったこと思い出してみなさい」
「……えーと。バームクーヘンの穴は天の中心とかなんとか?」
「そうよ。そして、外側の層の部分が、目に見える世界と言ったでしょう」
「あーそうだったかも……?」
「穣子はマルチバースって知ってるかしら」
「知らないわね。マルチポットなら知ってる。調理に便利なのよね。あれ」
「マルチバースとは多元宇宙論とも言われてるわね。簡単に言うと、この世界は、いくつもの世界線が重なって作り上げられているという理論よ」
「あー。なんか外から来たマンガとかで聞いたことあるかも?」
「穣子。このバームクーヘンの断面を見なさい。この均一化された層の重なり。これがもし世界を現しているとするならば……。もうわかったわね。そう。バームクーヘンの層は世界線の重なり、すなわちマルチバースを現しているのよ」
「はぁー……」
思わず目が点となる穣子に、静葉は得意顔で話を続ける。ちなみににとりとミスティアもとっくに片付けを終わらせて二人の話を聞いていたが、神さま同士の小難しい話してるくらいにしか思っていなかった。
今日の夕食なにがいいかな。そうだ、バームクーヘンにしよう。
「ねえ、穣子。素晴らしいと思わないかしら。バームクーヘンが単に年輪だけでなく、まさかこの世界そのものを現しているだなんて」
「あのさ。姉さんは、バームクーヘンの神さまにでもなるつもりなの……?」
「……ふむ。それもやぶさかではないわね」
「マジで……!?」
「ええ。だってバームクーヘンが、この世界そのものを司る神の菓子とわかった以上、それを扱うのが話の筋と言えるでしょう。いっそこれを幻想郷中に信仰の証として広めましょうか。でもね、穣子……」
「何よ? 急に改まって……」
「この見事な円環を作り上げたのは誰でもなく……。あなたなのよ」
静葉の言葉に穣子はハッとする。
「……まあ、確かにそうね。このバームクーヘンを作ったのは私だわ……」
「そうよ。この素晴らしいまでに見事な円環がなければ、私はバームクーヘンの可能性についてここまで気づけなかったでしょう。つまり穣子。あなたもバームクーヘンの神を名乗る資格はあるのよ。そうだわ。いっそのこと二人で名乗りましょうか。二対の神として」
静葉の言葉に、それまで黙って聞いていたにとりが口を開く。
「おいおい待てよ! それを言うなら、この素晴らしいバームクーヘンを作るための機械を作った私も名乗る資格あるぞ? 静葉さんの無茶な要求にも応えたし!」
すると続けてミスティアも。
「そ、それならば、このバームクーヘンを作るための生地を用意した私だって……!」
二人の言葉を聞いていた静葉は、なるほどと言った具合に手をポンッと叩くと告げる。
「ふむ。ならばいっそ、ここは仲良く我々四人で一柱の神ということにしましょうか。三位一体ならぬ四位一体。ええ、これは新しいわ」
などと言いながら、静葉はおもむろに家の雨戸を開ける。外は今まさに朝日が昇ろうとしているところだった。
静葉は晴れ晴れとした表情で三人に告げた。
「さあ、見なさい。あの朝日こそ我々、バームクーヘン神の誕生に対する祝福よ。そして新たなる世界の夜明けの象徴でもあるのよ」
朝日を見上げた三人は、思わず言葉を失ってしまう。
橙色の光輪が山稜を縁取り、雲の隙間から柔らかく広がる様子は、完璧なまでにバームクーヘンの輪郭そのものだった。
それはまさに今、幻想郷に新たな神話が誕生した瞬間だった。
壁に背を預けて新聞を読んでいた静葉が、また急に突拍子もないことを言い出した。
外は今日も吹雪、吹雪、レティの世界だ。
囲炉裏の揺らめく火に照らされながら、静葉はジト目を送る穣子に話を続ける。
「穣子。あなたはバームクーヘンの作り方知ってるかしら」
「もちろんよ。ほらアレでしょ。なんか層を作って、うんぬんかんぬんって……」
「ええ、そうよ。それでどうやって、その層を作るかを知ってるかしら」
「あー。それはアレよね。なんか生地をぐるぐる回して塗って焼いてって……」
「ええ、そうよ。ねえ、凄いと思わない」
「なにが?」
「だってまるっきり木と同じじゃない」
「木?」
「木」
「……気でも狂った?」
「いえ。一寸の狂いもなく」
真顔で言い切った静葉に、再び冷たい視線をむける穣子。
静葉は続ける。
「いい穣子。バームクーヘンを作るということは、木を作るのとほぼ同じなのよ」
「……やっぱ気でも狂った?」
「私は正常よ。そんなことより、木は一年ごとに成長するのよ。そしてそれは層となっていく」
「あー……、まあ、そうね」
「バームクーヘンもそうでしょう。生地を塗っていっそういっそう成長していくのよ」
「まあ、言われてみれば……? まあ、あっちは成長するというより作るって感じだけど……」
「そのとおり。さあ、そういうわけで」
「いや、どういうわけよ?」
「穣子。バームクーヘンを作るわよ」
「え? やだめんどい」
「拒否権はないわ。我々は神のつとめとしてバームクーヘンを作らなければならないのよ」
「はあ……? なんでよ?」
「考えてみなさい。あなたは豊穣とイモの神でしょ」
「だから豊穣だけだっつーの! この枯葉組組長大魔神ササニシキ!」
「それならば、オニグルミや栗も豊穣の対象でしょう」
「えっ? ま、まぁそうね。どっちも秋だし……」
ツッコミにもまったく動じず、話を続けようとする静葉に穣子は「あ、これ何を言ってもダメなヤツだ」と悟り、思わず諦めのため息をつく。
静葉の話は更に続く。
「オニグルミや栗は木に実るでしょう」
「まあそうねえ。木の実っていうくらいだしねー」
「木は成長しなければ実を付けないでしょう」
「まあそうねえ。桃栗三年、柿八年、柚の大バカ十八年なんて言うしね」
「……その言葉、いつも思うけど柚に失礼だと思わない」
「まあそうねえ。さすがにちょっとヒドイと思うわね」
「柚こしょう、美味しいのに」
「あれ? 柚こしょうに、柚は入ってないんじゃなかったっけ?」
「違うわ。柚こしょうには、こしょうが入ってないのよ」
「あれ、そうだっけ? いっつもどっちかわかんなくなるのよねぇーーー」
などと言いながら穣子は懐から生のイモを取り出し、そのままかじり出す。
静葉は、ため息をついて告げる。
「……ほんとう、あなたはイモの子ね。話を戻すけど、木が成長するということは、幹が一年一年太くなっていく。……つまり層を作っていくということよ。さあ、あとは言わなくてもわかるわね」
「いや、ぜーんぜん?」
「……相変わらず察しが悪いわね。さすがはイモの子」
「よけーなおせわよ!? あと、そのイモの子って言うのやめて! 人をカズノコみたいに!」
「そんな高級食材あなたには不釣り合いだわ。せいぜいタケノコが関の山よ」
「タケノコなめんな! 美味しいでしょ! ……タケノコご飯とか!」
「タケノコは置いといて、いい穣子。実りを得るためには木の成長が必要不可欠でしょ。あなたがバームクーヘンを作るということは同時に木を作っていることになるのよ。すなわちそれは、実りと恵みを創造しているのと同じだわ」
「あー、まーたしかに食えるもんねー。バームクーヘン」
そう言って再びイモをかじる穣子に、静葉は憐れむような視線を送る。穣子は、思わずむっとしてたずねる。
「じゃあ、そーいう姉さんはどうなのよ!? 枯葉大明神とバームクーヘンにどういう関係があるってのよ?」
「大いにあるわ」
「へえ? 言ってみてよ」
「……紅葉というものは、儚くも美しい。ゆえに秋を象徴する存在でもあるわ」
「そーね。で、それとバームクーヘンが何の関係あるってのよ?」
「話は最後まで聞きなさい。まったく、せっかちイモなんだから」
「せっかちイモって何よ!?」
「せっかちイモはせっかちなイモのことよ。続けるわ。美しい紅葉を魅せるには、健全な木々の存在が必要不可欠。つまり一年一年、地に足を付けて自然の恵みを蓄え、成長を続けた木が、やがて燃え盛るような情熱的な紅葉を魅せてくれるのよ。バームクーヘンにも同じことが言えるわ。丹念に生地を塗り重ね、少しずつ大きく太くなっていき、やがて芸術品のような見事な層をみせてくれる。……そう、あたかも立派に育った大木の年輪のごとく。ゆえに紅葉とバームクーヘンには親和性、いえ、神話性があるのよ」
「はぁ……」
キョトンとしている様子の穣子に、静葉は不敵な笑みを浮かべて言い放つ。
「さあ、これでわかったわね。私たちにはバームクーヘンを作らなければならない使命があるということを。……そう、かつてイザナギとイザナミが、槍でこおろこおろと海をかき回して、オノゴロ島をつくったように、我々はハケで生地をぐうるぐうると塗り回して、バームクーヘンをつくる必要があるのよ」
「たかが、お菓子作りと神話を同系列に語るんじゃないわよ! 大げさな。……っつーか作んのはいいとして、道具とかはどうすんの? 家にそんなものないわよ!?」
「手抜かりなく。既に手配済みよ」
と、静葉がニヤリと笑みを浮かべると同時に、玄関の戸が勢いよく開き、威勢のいい声が響き渡る。
「へいおまち! 持ってきたよー!」
一瞬、なにか出前でも頼んだのかと思ったが、その声の主はにとりだ。
胸騒ぎを覚えた穣子が迎えに行くまでもなく、彼女はずかずかと土足で踏み込んでくる。
「うわでた!?」
「おいおい、人を妖怪みたいに言わないでくれよ?」
「まごうことなき妖怪でしょうが!?」
穣子のツッコミも気にせずにとりは、背負ってきたリュックから機械を取り出すとテキパキと組み立て始める。
後方で見守っていた静葉がにとりにたずねる。
「……ふむ。それが例のモノなのね」
「ああ、そうだよ。静葉さんに頼まれて作った特注のバームクーヘン製造機、その名も『年輪くん』さ!」
「ふむ。なるほど、バームクーヘンを木の年輪になぞらえたということね。いいネーミングだわ」
「まあね。それにバームクーヘンって、もともと外の世界で年輪のケーキって意味らしいからさ」
「なるほど。まさにシンプル・イズ・ストレートね。すばらしいわ」
などとやりとりしている二人を、穣子は傍からジト目で見ていたが、ふと次の質問をぶつける。
「ねえ。作る機械用意したのはいいとして、生地はどーすんのよ? 生地は。にとり、あんた用意してきたの?」
「いんやー?」
首を横に振るにとり。すると静葉が。
「手抜かりないわ。それも既に手配済みよ」
「は……?」
と、穣子が首をかしげた瞬間、再び玄関の戸が開く。
「静葉さーん! 用意してきましたよー!」
「その声は……!」
穣子が慌てて玄関に行くとそこには、満面の笑みを浮かべたミスティアの姿。
彼女のその手には、お菓子の生地がたーっぷり入った大きなバケツ。
「みすちー! あんた何してんのよ!?」
「い、いや、静葉さんがお菓子作りするから、とにかく生地をたくさん用意してって……」
「だからって、何もそんないっぱい持ってこなくても……」
思わず穣子が呆れていると、突然後ろから声が。
「大丈夫よ。余ったら穣子が飲み干してくれるから。そう。たゆたう混沌を鎮めるがごとくね」
「誰が飲むかっ!? ……ってか姉さん、いつの間に後ろに!?」
「今の間よ。それより、これで役者はそろったわね。それでは、いざはじめん。菓子産みの儀を」
こうして秋静葉の号令の元、ここに神儀という名のバームクーヘン作りが始まったのだった。唐突に。
●
外は相変わらずレティが猛威を振るっている。しかし家の中はそれとは明らかに違う何かが猛威を振るっていた。
「それじゃ始めましょう。聞いた話によると、バームクーヘンは現代の日本において、生まれの国であるドイッチュラントよりも多く食べられていると聞くわ。これには何かわけがあるはず。きっと作ればわかるでしょう。というわけで、ミスティア、さっそく生地を整えなさい。にとりは年輪くんを立ち上げるのよ」
「はーい!」
「さーいえっさー!」
静葉の的確(?)な指示に従って二人はコトを進めていく。その様子を穣子がぼうぜんとながめていると、静葉が告げる。
「穣子。ぼうっと突っ立ってないであなたも何かしなさい」
「何かって……。何を?」
「いくらでもあるでしょう。応援するとか祝詞をとなえるとか」
「そっか。そんじゃイモ焼くわ!」
「人の話聞いてたの」
「だって何かすればいいんでしょ? ならイモ焼くわ!」
「……好きにしなさい」
一人、穣子が囲炉裏でイモを焼き始める中、三人はバームクーヘンを作る手はずを整えていた。ところが……。
「大変よ! 静葉さん!」
「どうしたの。ミスティア」
「生地が凍っちゃってる!」
ミスティアの言うとおり、バケツの中で生地はカッチカチに凍っていた。レティのせいだ。
「大丈夫よ。囲炉裏を使って温めなさい」
「わかったわ!」
静葉の助言どおり、ミスティアは囲炉裏にバケツを置いて生地を温め始める。
その横で、穣子はベニアズマをキレイに並べて焼いていた。
「ちょっと!? こっちに来ないでよ! イモが潰れちゃうでしょ!?」
「そんなこと言われてもこのバケツ大きいので……」
「なんでそんな大っきいバケツなんか持ってきたのよ!? バケツというよりもうタルじゃないそれ!?」
「ちょうどいい大きさのバケツがなかったんですよ……。なので漬物用のやつを持ってきたんです」
「デカすぎるにも程があるわよ! とにかく! ここから先は進入禁止! 理屈も法律も通さない不可侵領域だからね!? 少しでもはみ出したら、熱々のイモミサイルで迎撃してやるんだから!」
と、言いながら穣子は囲炉裏の灰に、軍事境界線とばかりに線を描く。それもバケツのすぐギリギリの所に。
見かねた静葉が穣子に告げる。
「縄張り争いなんかしていないで仲良くしなさい。人類皆友達よ」
「人じゃなくて神だしー?」
「穣子。人だろうと神だろうと、この世に生きとし生けるもの皆、同じ輪の中にいるのよ。……そう、バームクーヘンのように」
ただのこじつけじゃないかと穣子は、レティのような冷たい視線を静葉に送るが、彼女は気づいてない様子。そのとき。
「静葉さん! セッティング終わったよ! これでいつでもバームクーヘン製造出来るよ!」
「でかしたわ。にとり」
にとりの持ってきた機械『年輪くん』の組み立てが終わったらしい。かわいい名前とは裏腹に、やたら四角くてゴツい機械だ。これを短時間で組み立てたにとりの技術力はやはり幻想随一と言えるのだが、悲しいかな、機械に疎い三人はそのすごさがまったくわからなかった。
「それで、にとり。この機械はどう使うのかしら」
「よくぞ聞いてくれた! この上にある注入口からバームクーヘンの生地を注ぎ込んで、この液晶に表示されるメニューに沿って選んでいけば、望み通りの形のバームクーヘンが作れるんだ! 老若男女、神人妖芋誰でも分け隔てなく簡単に操作できる、我ながら傑作バームクーヘン製造マシーンさ!」
と、胸を張ってにとりが言うと、静葉が怪訝そうな表情で
「違うわ。それは私の求めていたものじゃない」
と言い放ったので、思わずにとりは目を点にさせてしまう。
「ど、どゆこと……?」
「……にとり。私が求めていたのは、手回しで生地を回せるバームクーヘン製造機よ。伝えたはずだわ」
「え、でもどうせなら楽な方がいいかなって思って……」
「今すぐ作りかえなさい」
「ええっ!? そんな無茶な!?」
「その無茶をどうにかするのがあなたの仕事よ」
「えっ。わ、わかったよ。じゃあ、とりあえずいったん持ち帰って……」
「いえ。今ここで作りかえなさい」
「そ、それマジで言ってんの……?」
「私はいつでもいたって真面目よ」
こいつはとんでもねぇモンスタークライアント、略してモンクラ。いやむしろ文句ラーだと、にとりは内心毒付きながら渋々機械を解体し始める。
一部始終を横で見ていた穣子は、憐れそうすぎる眼差しをにとりに向けつつイモを焼き続けていた。
そのうちに焼けたイモの甘美な匂いが辺りに漂いはじめる。それを穣子が、味・匂い・音・手触りの五感を駆使して存分に味おうとしたそのときだ。
あきらかに芋とは違う、甘ったるくて胸焼けしそうな匂いが漂ってくる。
そう! バームクーヘンの生地が解けはじめたのだ!
「ちょっとちょっと! ミスティア! その生地の匂いなんとかしてよ!? せっかくのイモの香りが台無しじゃない!?」
「そんな無茶言わないでくださいよ!?」
「その無茶をどうにかするのがアンタの仕事――」
「なんかじゃありませんっ!!」
と、彼女が大声で言い放ったとき。
うっかり腕がバケツのフチに触れてしまい、境界線をわずかにはみ出てしまう。
「あーーーーっ! 軍事境界線超えたわね? 超えたわね!? 宣戦布告と見なすわよ!」
「いやいや!? これは事故で……! 決してわざとじゃ――」
「問答無用! 話してもわかんない! 食らえ! 熱々イモミサーイル!」
穣子はこんがり焼けたベニアズマをむんずと掴むと、ミスティアの頬に押しつける。
「いやぁーー!? あつい! あついっ!?」
たまらず悲鳴を上げるミスティア。
「あっちちちちちっ!?」
たまらず穣子も熱さのあまりにベニアズマを手放してしまう。
そのままベニアズマは、溶けた生地の中にどぶんと落ちてしまった。
「あーーーっ!? イモが生地の中に!?」
「あーーーっ!? 生地の中にイモが!?」
慌てふためく二人に静葉が言い放つ。
「もう、二人とも落ち着きなさい。たかがイモが一つ落ちたくらいで生地はどうもならないわよ。そう、混沌が何もかも受け入れるがごとくね」
「そんなこと言っても、私の貴重なイモが一つ犠牲になった事実は変わんないんだけど?」
と、穣子が本日三度目のジト目を送っていたそのときだ。
「静葉さーん!」
にとりの呼ぶ声に、静葉のみならず一同が思わず振り向くと、そこには先ほどのゴッツい姿とはうって変わって、コンロの真上にハンドルの付いた棒を乗っけただけのような貧相な機械が。
「さあ、どうだ! 静葉さんの要望通りに改良したぞ。手回し式のバームクーヘン製造機。その名も『裸の年輪くん』だ!」
「ふむ。なるほど。先ほどの年輪くんの外装を剥がして、中身をむき出しにしたから裸ってことなのね」
「その通り! 『裸族の年輪くん』と、どっちの名前にするか迷ったけどね!」
「……ふむ、そうね。確かに『裸族』だと、インパクトはあるけど元から裸が好きってニュアンスになる。その点『裸の』だとインパクトには欠けるけど、不本意ながらも裸になっている感が出ているので今回の場合は『裸の』の方が最適でしょうね」
「さすが静葉さん! いつもながらナイスな分析力!」
なにが、ナイスな分析力だ。そんなんどっちでもいいだろ。自分のわがままで周りを振り回しているのに。と、穣子は白けた眼差しで静葉を見やりながら、生地に落ちたイモを菜箸で救出すると、付いた生地を新聞で拭き取る。
「あーあ。こんな変わり果てた姿になっちゃって……」
と、イモに呟きながら口に放り込む。
……意外と美味かった。
「よし、それじゃ前準備は整ったわね。それではこれより、神なるバームクーヘン産みの儀に入るわよ」
◯
いよいよ宴もたけなわだ。
静葉の号令で、裸の年輪くんににとりが火を入れ、ミスティアが芯棒に油を塗る。
「では始めましょう」
静葉がハンドルを回し始めると、棒もゆっくりときりきり回り始める。
「さあ、穣子。あなたの出番よ」
「は……?」
「生地をハケでこの棒に塗りなさい」
「私なの……?」
「いいからはやくしなさい。油が乾いてしまうわ」
静葉に急かされ、穣子は渋々ハケで生地を棒に塗る。
「こんなんでいい? テキトーだけど」
「ええ。上出来よ。なかなか上手いじゃない」
「そ? そんじゃ私はこの辺で……」
と、穣子が横になろうとしたそのときだ。ハンドルを回しながら静葉が告げる。
「さあ穣子。次の生地を塗りなさい」
「はあ……!?」
「さあ早く」
「ちょっ待ってよ!? なんで私も参加させられてるのよ?」
不満そうな穣子に静葉は、フッと不敵な笑みを浮かべて告げる。
「……参加する意志のない者がこの場にいるはずないでしょう」
「いやいやいや!? 言ったでしょ。私は興味ないって。興味ないからイモ焼いてたのよ?」
「いえ、違うわね。あなたは興味あるのよ」
「はぁ?」
「興味ないならここを離れて自室に戻るなりなんなり、いくらでも出来たでしょう。ここにいたら巻き込まれてしまうことなんて火を見るより明らかだったはず」
「まぁそうだけど……。いや、だってほら部屋寒いし?」
「火鉢あるでしょ」
「まぁ……。そうだけど」
「穣子。まだ気づいてないのかしら。あなたは自分の意志でここに留まってるのよ」
「は……?」
「確かにあなたはずっとイヤイヤ言っている。でもそれならなぜここを離れないのかしら。イヤと言いながらもここを離れない。それはつまり……」
「「つまり……?」」
静葉の言葉にミスティアもにとりも固唾を飲む。
静葉はフッと笑みを浮かべて穣子に言い放つ。
「穣子。あなたの深層心理は、この神事に参加したがってるのよ」
「「な、な、なんだってー!?」」
ノリのいい二人はすかさず驚いた顔で反応する。
一方の穣子は腑に落ちない様子で首をかしげたままだ。
静葉は不敵な笑みを浮かべたまま更に話を続ける。
「深層心理が、己の表層的な意志と違うことはままあるわ。それこそそれが相反する意志となることも。ほら、よく言うでしょう。『イヤよイヤよも好きのうち』と。今のあなたはまさにこの状態になっているのよ。それは決してストックホルム症候群のような、イヤなことから目を背けるための単なる防衛反応などではなく、心の底から望んでいることなのよ」
「何でそう言い切れるのよ?」
「だって私は、あなたを虐待した覚えはないもの」
さらりと言い放った静葉に、まさに今の状況が精神的虐待のようなものじゃないかと穣子はジト目を送るが、やがてはぁとため息をついて告げた。
「……もう、わかったわ。一度こうなった姉さんを止めることはもう出来ないことはよーく、よぉーーーく知ってるから。仕方ないから私も手伝うわよ……」
「さすが私の妹ね。そう言ってくれると思ったわ。それじゃ神事を再開するわよ」
さて、ここから先は非常にスムーズだった。というのも料理が苦手な静葉と違い、普段から料理をしている穣子は、さすがに勘も良く、均等に生地を塗り進めていくことができた。
何より皆のベクトルが同じ方向を向いたのだ。障壁などもう何も無いに等しかった。
みるみるうちにそれらしい形になっていき、にとりとミスティアの二人が見守る中、ついにバームクーヘンは完成した。
いつの間にか外は、夜を越え、うっすらと明るくなり始めていた。
◎
そんなこんなで、ついぞ出来上がったバームクーヘン。
その形こそ少々いびつだが、そのいびつさが、逆に古木の自然な曲がり具合を思わせて、人工物とは思えない存在感を放っている。
ひとたび包丁を入れると、層の境目が黄金色に輝き、ほのかにバターの香ばしさが立ち上る。まるで土星の環のごとく、きれいな層が出来ており、なかなかの出来映えだった。
にとりとミスティアが片付けに勤しむ中、その、まごう事なき神(+妖怪二匹)が作り上げたバームクーヘンを白い紙に乗せて、静葉はしげしげと見つめる。
「穣子。見なさい。この素晴らしい環を。あなたがこのオーパーツを作り上げたのよ」
「オーパーツってそんな大げさな。ま、我ながらいい出来だと思うわよ。味はわかんないけどね? イモ落ちちゃったし……」
「いいのよ。それもまた予測不可能な事実であり、完成度を高めるエッセンスの一つ。このバームクーヘンは、均等化されたカオスそのものであり、その可能性は無限大なのよ」
「……私にはただのバームクーヘンにしか見えないけどね。これのどの辺が無限大なのよ? 味? 見た目? 別にねじれてないけど」
「よく見なさい。バームクーヘンは真ん中に穴があるでしょ。この穴に深い意味があるのよ」
「これに? 意味……?」
訝しそうな穣子に静葉は告げる。
「そうね。バームクーヘンをこの世界そのものに置き換えてみるとわかるわ。バームクーヘンの環の部分は目に見える世界、つまり地上を現している。そして真ん中の一見何も無いように見える部分。ここは目に見えない世界を現しているのよ。……目に見えない。そう、すなわち神霊たちの領域。この見えない部分こそ天の中心であり、創造神が御座すところなのよ」
「はぁ……。でも穴があるってそれって他のお菓子でも同じじゃん? それこそドーナツとか」
「甘いわ穣子。ドーナツは決してバームクーヘンには敵わないのよ」
「言い切ったわね!? なんでよ? どっちも穴開いてるし。どっちも美味しいし。……姉さん。今、全世界のドーナツ好きの人、敵に回したわよ!?」
「確かに穣子の言うとおり、ドーナツにも穴はあるし、確かにドーナツは美味しい。……でもドーナツにはあるものが足りない。バームクーヘンにはあってドーナツにないもの。そう、それは……。層よ」
「層って。いや、たしかにそうかもしれないけど……。そんな大した違いなの? それって」
「とんでもない。大きな違いよ。この層が何を意味してるかわかるかしら」
「うーん、味のアクセント的な?」
「違う。違うわ。さっき言ったこと思い出してみなさい」
「……えーと。バームクーヘンの穴は天の中心とかなんとか?」
「そうよ。そして、外側の層の部分が、目に見える世界と言ったでしょう」
「あーそうだったかも……?」
「穣子はマルチバースって知ってるかしら」
「知らないわね。マルチポットなら知ってる。調理に便利なのよね。あれ」
「マルチバースとは多元宇宙論とも言われてるわね。簡単に言うと、この世界は、いくつもの世界線が重なって作り上げられているという理論よ」
「あー。なんか外から来たマンガとかで聞いたことあるかも?」
「穣子。このバームクーヘンの断面を見なさい。この均一化された層の重なり。これがもし世界を現しているとするならば……。もうわかったわね。そう。バームクーヘンの層は世界線の重なり、すなわちマルチバースを現しているのよ」
「はぁー……」
思わず目が点となる穣子に、静葉は得意顔で話を続ける。ちなみににとりとミスティアもとっくに片付けを終わらせて二人の話を聞いていたが、神さま同士の小難しい話してるくらいにしか思っていなかった。
今日の夕食なにがいいかな。そうだ、バームクーヘンにしよう。
「ねえ、穣子。素晴らしいと思わないかしら。バームクーヘンが単に年輪だけでなく、まさかこの世界そのものを現しているだなんて」
「あのさ。姉さんは、バームクーヘンの神さまにでもなるつもりなの……?」
「……ふむ。それもやぶさかではないわね」
「マジで……!?」
「ええ。だってバームクーヘンが、この世界そのものを司る神の菓子とわかった以上、それを扱うのが話の筋と言えるでしょう。いっそこれを幻想郷中に信仰の証として広めましょうか。でもね、穣子……」
「何よ? 急に改まって……」
「この見事な円環を作り上げたのは誰でもなく……。あなたなのよ」
静葉の言葉に穣子はハッとする。
「……まあ、確かにそうね。このバームクーヘンを作ったのは私だわ……」
「そうよ。この素晴らしいまでに見事な円環がなければ、私はバームクーヘンの可能性についてここまで気づけなかったでしょう。つまり穣子。あなたもバームクーヘンの神を名乗る資格はあるのよ。そうだわ。いっそのこと二人で名乗りましょうか。二対の神として」
静葉の言葉に、それまで黙って聞いていたにとりが口を開く。
「おいおい待てよ! それを言うなら、この素晴らしいバームクーヘンを作るための機械を作った私も名乗る資格あるぞ? 静葉さんの無茶な要求にも応えたし!」
すると続けてミスティアも。
「そ、それならば、このバームクーヘンを作るための生地を用意した私だって……!」
二人の言葉を聞いていた静葉は、なるほどと言った具合に手をポンッと叩くと告げる。
「ふむ。ならばいっそ、ここは仲良く我々四人で一柱の神ということにしましょうか。三位一体ならぬ四位一体。ええ、これは新しいわ」
などと言いながら、静葉はおもむろに家の雨戸を開ける。外は今まさに朝日が昇ろうとしているところだった。
静葉は晴れ晴れとした表情で三人に告げた。
「さあ、見なさい。あの朝日こそ我々、バームクーヘン神の誕生に対する祝福よ。そして新たなる世界の夜明けの象徴でもあるのよ」
朝日を見上げた三人は、思わず言葉を失ってしまう。
橙色の光輪が山稜を縁取り、雲の隙間から柔らかく広がる様子は、完璧なまでにバームクーヘンの輪郭そのものだった。
それはまさに今、幻想郷に新たな神話が誕生した瞬間だった。
面白かったです
静葉に付き合わされている感は出しつつもなんだかんだでしっかり楽しんでいる穣子がよかったです。
静葉が急に変なこと言い出すのはいつもの事ですが今回は輪をかけて狂っていてよかったです
付き合わされたにとりとミスティアも楽しんでいたようで何よりです
年始から縁起が良いですね。ほんまか???