マッチを擦る。
手のひらに収まる小さな炎が、くわえたタバコの先端を焦がす。
マッチの先の着火剤は硫黄とカリウムでできているらしい。
あたしはずっとリンだと思っていた。
リン、リン、リン。
そういやこのタバコも、燐にもらったものだ。
◆
「まったく、おとなしくしてて欲しいもんだよ」
「まあまあ」
プカー、とタバコの煙を吐きながら、あたしは燐をなだめた。
ここは地霊殿の応接間。
高そうなガラスのテーブルを挟み、燐と向き合って座っている。
普段は閻魔とか八雲とかしか使わない場所だが、今日は特別に使わせてもらっていた。
「ま、おつかいの件は了解したよ、後はこのヤマメさんに任せなさいな」
「……サンキュー」
というのも他の会議室が軒並み修繕中だからだ、どっかのバカがショットガン振り回して暴れたせいなのだが。
「じゃあ、これ資料だから」
そう言って燐は書類の束を机に乗せた。
茶封筒に入ったそれは、結構な量がある。
「立つんじゃね?」
立ててみた。
だめだ、倒れる。
「……あれ? 燐、これなんだ?」
「うん? どれ?」
燐からの『おつかい』とは関係なさそうな資料が、封筒から飛び出してきた。
誰かの顔写真と特徴が書いてある。
「あー、ゴメン、これ違う資料混じってるわ」
いっけねー、と頭をかく燐を尻目に、資料を見てみる。
「誰これ」
「新入りさ、橋の下に住み着いてる家なき子なんだよ、きっと聞くも涙語るも涙のドラマがあったに違いないね」
「ふーん」
燐は資料の束をまとめなおすと、片方を封筒に詰めなおした。
あたしはだいぶ薄くなったそれをざっと見返すと、自分のカバンに詰め込んだ。
「そっちはいいの?」
「うん、すぐどうこうなる訳でもないしね、ここの連中にやらせるよ」
「そうかい」
じっと燐の目を見つめてみる。
猫の妖怪だからだろうか、薄く細められた瞳からはうまく感情が読み取れない。
「後これ、プレゼント」
資料をしまったバッグの中から、燐が1冊の雑誌を取り出した。
「お、ジャンプ」
週間少年ジャンプだった。
言わずと知れた外の世界の漫画雑誌。
この手の本や雑誌は稀に幻想入りする。
だが地底にまで流れ着くのは本当に珍しく、渡されたこのジャンプも売るところに売れば結構な値がつくものなのだ。
「2003年19号か、持ってるやつじゃ一番新しいかも」
無論、連番ではなく飛び飛びでだけど。
それでも、こういうものはうれしい。
「悪いね、そんなものしかあげらんなくてさ」
タバコの灰が落ちないように気をつけながら、ぺらぺらとページをめくってみる。
お、こち亀まだやってんじゃん。
「あー、その漫画息長いよねー、今でもやってんのかな?」
「20年くらいやってる気がする……ああ!?」
思わず大声が出た、しかし、これは。
「ど、どした? 落丁でもあった?」
「……ジョジョが終わった」
「あー、みたいだね、あたいあんまり読んでないけど」
なんてことだ、第何部完とかじゃなくて『ジョジョ』が終わるなんて。
「そんな気を落とさないでさ、きっとそのうち新作が出るよ」
そうだといいんだけど。
もらったジャンプをカバンにしまうと、くわえていたタバコを灰皿に押し付ける。
「ま、いっちょ頑張りますか、ジャンプありがとね」
「頼んだよ、策士ヤマメ(笑)」
「なに笑ってんだ殺すぞ」
こんどのおつかいは、時間がかかりそうだ。
◆
星熊勇儀について、あたしはどれくらい知っているのだろう。
本人に寄りかかりながら、そんなことを考えてみる。
鬼、超強い、でも頭は悪い、かわいい物に目がない、部屋がぬいぐるみに溢れている。
豪快、曲がったこと嫌い、弱者の心理を理解できない。
自分にできることは他人にもできると思っている。
お酒大好き、ケンカ大好き、どっちも断つと禁断症状が出る。
そして酔うと暴れる。
あれ? 結構ひどいヤツじゃね?
「どうしたヤマメ、飲まないのか?」
「飲みすぎたんだよ」
今日は勇儀行きつけの居酒屋に2人で来ていた。
4人がけのテーブルに、わざわざ隣り合って座っている。
つくね串を頬張りながら、勇儀のほうを見ないで話す。
「ねえ勇儀、あたしらって会ってどれくらい経つっけ」
「んー、3ヶ月くらい?」
「そっか、もうそんなに経つんだ」
食べかけの串を置き、おしぼりで口をぬぐう。
勇儀にしなだれかかったまま、目を閉じた。
そんなあたしの肩に、勇儀は手を回す。
「どうした、今日は甘えん坊だな」
「うるさいよ、ちょっち仕事でトラブっただけ」
「そんなときは飲んで忘れりゃあいい、酒は人生の良き友だ」
「へいへい」
すでに結構飲んでいたけれど、追加で頼んだ麦酒をあおった。
それからまたしばらく2人で飲んで、その日はお開きとなった。
「ふー飲んだ飲んだ」
店を出て、近くのちょっと開けた場所で風に当たる。
地底の風は年中無休で生ぬるい、それでも火照った体には心地いい。
「じゃあ、私は帰るよ、またなヤマメ」
「……勇儀」
立ち去ろうとする勇儀の服の袖を掴む。
「今度は、いつ会える?」
我ながらここまで弱々しい声が出せるものかと、少し感心してしまった。
「……いつでもさ」
そう言って勇儀はウインクして見せた。
その瞳からは、強い喜びとあたしへの愛情らしきものが読み取れた。
◆
今日は橋に行ってみた。
地底で何の形容詞もなく『橋』といえば、この橋を指す。
地上と地底を結ぶ道にある、この大きな橋だ。
いつ、誰が架けたのかは分からない。
その気になれば空だって飛べる妖怪たちには、そもそもこんなもの必要ない。
それでも、ここには橋が架けられている。
そして誰かが渡るのをいつまでも待っている。
なんだか妙に切ない気分になってしまったが、気を取り直して目的の人物を探す。
燐が間違えて持ってきた資料にあった、あの娘をだ。
あれから何ヶ月も過ぎてしまったが、まだここにいるのだろうか。
もっと早来ればよかった。
「お、いたいた」
程なくして、橋の下でうずくまる女性を見つけた。
髪は伸び放題、体も服も汚れ放題。
本当にここに住んでいるらしい。
辺りにはそこらで拾ったと思われる道具が散乱している。
どれもこれもがガラクタとしか思えないが、それでも彼女にとっては生命線なのだろう。
この女が普段どんな生活を送っているのか興味がないわけではなかったが、今はその好奇心はしまっておこう。
「やあ、こんなところで寝てたら風邪引いちまうよ」
ここらは地上にも近い。
寒いとまでは言わないが、お世辞にも暖かいとは言えない場所だ。
「……」
女はだんまりだ。
「聞こえないのかな? お嬢さん」
ちょん、と肩をつついてみる。
すると彼女は、心底気だるそうに顔を上げた。
「……何?」
「スペースコブラさ」
「は?」
彼女の顔は見るに耐えないほど痩せこけていて、今にも死んでしまいそうだった。
「冴羽 獠でも可だよ」
思い切り眉をひそませながら、彼女はこちらを覗いてくる。
疑心、迷惑、後悔、ひとかけらの期待。
そんな心情が読み取れた。
「さえばさんが何の用?」
ここは、多少強引でもいいだろう。
そうでもしなければ、きっとコレは動かない。
「趣味で人助けをしてるんだ、頼むからあたしに助けられてくれ」
「……意味が分からないわ」
そう言ってまたうずくまる。
「あたしの趣味に付き合ってくれれば、おいしい食事と暖かい風呂を用意しよう」
ピク、と反応した。
「それとも永遠にここでうずくまっていたいなら、話は別だけどね」
「……」
「女の子なんだ、体を冷やすのはよくない」
「……」
「そして君が望むなら、寝床を、仕事を、生活を、近い雑貨屋を、安い総菜屋を、うまいラーメン屋を、何だって紹介しよう」
「……なにそれ」
「当たり前の幸福が欲しくないかい? そこそこの人生が欲しくないかい?」
「……」
「あたしの名前は黒谷ヤマメ、君の名前を教えておくれ」
「……水橋、パルスィ」
そしてあたしは、パルスィの手をとった。
◆
まず、パルスィを家に連れ込み、食事を振舞った。
1人暮らしの女なんだ、料理くらいできるさ。
地底で取れる作物なんてたかが知れてるけれど、香辛料の栽培に成功してからはだいぶマシになった。
人間の製法丸パクリだ。
「うぐっ」
「あー、ほらほらがっつくから」
パルスィはものすごい勢いで料理を食べる。
きっとろくなものを食べてなかったのだろう。
コップに水を注ぎながら、あたしは自分用の皿を向こうに押しやる。
「ありがとう」
「どういたしまして」
腹が膨れて眠くなったのか、目をしばしばさせながら視線をふらふらとさせていた。
「待て、寝るなら風呂入ってからにしてくれ」
「食べてすぐ入るのは体に悪いらしいわ」
「今日くらい平気さ」
そう言って立ち上がる。
入浴用のタオルなどが入った袋を用意して、パルスィに席を立つように促す。
「近場に銭湯があるんだよ、ここらにゃ温泉がたくさんあるんだ」
「そうなの」
家から10分ほどのところに、その銭湯はある。
割とこじんまりとした所だが、ちゃんとサウナも付いている。
そして何より料金が安い。
あたしは2人分の料金を払い、パルスィを奥の脱衣所に案内した。
そして家なき子の泥まみれの服をコインランドリーに突っ込む。
ゴウンゴウンとやかましい音を立てながら、服が洗われていく。
泥がつまりはしないだろうか。
まあ大丈夫だろう。
湯船に入る前に、きちんと体を洗う。
いったい何日風呂に入っていないのだろうか、パルスィの体はそれはもうひどい有様だった。
今日他に客がいなくて本当によかったと思う。
背中を流してあげながら思う、なんて色気のない入浴シーンだと。
「よーし、綺麗になった」
「そう?」
都合4回ほど石鹸を付け直しながら、体を隅々まで洗う。
頬はこけ、肋骨が浮き出て見えるほどやせた体は、見ていて少し痛々しい。
髪は自分で洗うというので本人に任せ、あたしも自分の体を流した。
「先サウナ入ってくるよ」
「あ、うん、わかったわ」
浴場の一角にある3畳ほどの小部屋に入る。
壁にかけてある温度計は92度を指していた。
他の人がどうしてるのかは知らないが、洗い場で軽く体を流す→サウナ→体を洗う→湯船というのがあたしの流儀だ。
サウナ室に備え付けの砂時計をひっくり返し、存分に熱を堪能する。
毛穴が開いていく感覚は、ちょっと気持ちいい。
老廃物が、出ていく感じ。
砂時計を2回ほどひっくり返したころ、パルスィがサウナ室にやってきた。
「何ここ、暑いわね」
「サウナは初めてかい?」
「ええ、まあ、そうね」
言いながら、ちょこんとあたしの隣に腰掛けた。
「汗をかくのはいいことだよ、でも体が乾いちゃだめさ」
風呂から出たら、冷たいものでも飲もう。
「どれくらいいる気?」
「もう10分くらいかな、なに、話でもしてればすぐだよ」
はい、とパルスィに砂時計を手渡す。
砂がまた落ちきった。
「そう、付き合うわ」
そう言ってパルスィは、砂時計をひっくり返して椅子に置いた。
「風呂上りはコレだよね、コーヒー牛乳」
「こんなの初めて飲んだ」
「うまいべ」
「甘くておいしいわ」
「だろー?」
空になったビンを番台のおっさんに返し、銭湯を出る。
ここのコインランドリーには乾燥機が付いているので、お湯から出るころには乾いているのだ。
地味に便利なのだ。
「湯冷めしないうちに帰ろうか」
太陽が見えないので分かりづらいが、地上ではもうすっかり日が暮れているころだろう。
「……泊まってっていいのよね」
「もちろん」
「ありがとう」
問題はベッドが1つしかないことだけども。
まあ大丈夫だろう、セミダブルの大きいやつだし。
「と思ったけどちょっと狭いね」
「……床で寝るわ」
「冗談だよ」
「今までどうしてたのよ」
「あたしが寝袋で寝てた」
「……そう」
そこで会話は途切れた。
2人して天井を眺める。
パルスィは今日のことをどう思っているのだろう。
どこまであたしを信じてくれるのだろう。
ただ『ラッキー』くらいにしか感じていないのか、それとも世間に舞い戻るチャンスだと思ってくれているのだろうか。
パルスィの目を見ようとしたが、暗くてよくわからなかった。
「ねえ」
天井を見ながら、パルスィがつぶやく。
「なんで、こんなに良くしてくれるの? 気まぐれ?」
微かに声が震えていた。
ああよかった。
それはつまり、大丈夫ってことだ。
「……言わなかったっけ、趣味だよ」
「他人を飼うのが?」
「そこまで悪趣味じゃないよ、魚をあげるのは最初だけ」
後は釣り方を、教えてあげよう。
「よく、偽善だって言われるよ」
「そんなことはないわ」
「本当?」
「今まで、何人にこうしてきたか知らないけれど、少なくともその人たちはそうは思ってないわ」
たぶんだけど、とパルスィは付け加えた。
「それに偽善って自己満足って意味じゃないし」
「そうなの?」
「善行の振りした悪行を言うのよ、この後私を見世物にして商売しようってんなら、正しい意味になるけれど」
「へー、知らんかったよ、でもどっちかって言うなら見世物小屋より違う意味のお風呂屋さんの方が……」
「勘弁してください」
そういってパルスィは初めて笑った。
というかこういう冗談好きなのか。
そっちのほうがよっぽど悪趣味じゃないか。
◆
今日は勇儀と飲みに行った。
本当に、会うたび会うたび酒が絡むやつだ。
「あー? もういっぺん言ってみろコラ!」
「勇儀止めなって!」
「ヒィ……!」
ちょいと深酒が過ぎたみたいだ。
勇儀は街道をふらふらと歩きながら、そこらにいる見知らぬ妖怪に因縁をつけて回っている。
「んだよ、お前まで」
「そりゃ止めるよ、ほら」
勇儀を促し、その場を後にする。
後ろを振り返ると、さっきの妖怪が脱兎のごとく逃げ出していた。
勇儀は、結構な頻度でこういうことをする。
飲んで酔って絡んで。
そこだけ聞けばただの迷惑なおっさんだけれど。
鬼がそれをやると、取り返しの付かない破壊を振りまくことにもなりうる。
壊して壊して、自分でも何が気に食わないのか分からないままに、物を壊さずにはいられない。
勇儀だけじゃない。
全ての妖怪は、破壊と変質を求める。
あたしだって、人のことは言えないのだろう。
逆に作ることは苦手だ。
創造行為なんてのは人間の特権みたいなもんだから。
河童や天狗だって、人間の真似事するのが精一杯。
漫画雑誌1冊すら、あたしらには作れない。
「だから勇儀、あんま壊さないでくれよ、お前が壊したところを直せるやつがいないんだ」
「……またその話か」
勇儀はうんざりしたようにため息をつく。
酔いは醒めてくれたんだろうか。
また暴れださないように、勇儀の右手を握った。
「なんだよヤマメ」
「べーつに」
やっぱり手だけじゃ足りなそうだったから、腕ごとからませることにした。
その日、あたしは勇儀の家に泊まることになった。
パルスィには出かけに言ってあるので問題はない。
あの子はあれから自力で職を見つけ、立派に社会復帰を果たしている。
もと人間だと聞いたときは驚いたけど、それはつまりあたしらと違って物を創ることが得意ということ。
それを見込まれて、先月から旧都の大衆食堂で働いている。
既存のレパートリーに無い、新しい料理の開発をしているらしかった。
それはともかく、勇儀の家。
来るのは2回目だ。
あたしんちみたいなアパートの1室とかではなく、ちゃんとした一軒家。
何なんだろうこの待遇の差は。
地上にはもっとでかい『屋敷』レベルの住居も持っているという。
何なんだろうこの待遇の差は(2回目)。
「ちょっと小腹減った、なんか作ってくれ」
「あたしは嫁かなんかか」
「おねがーい」
「……お勝手どこだっけ」
「あっち」
勇儀が指さす方には小さいながらもちゃんとした台所がある。
カセットコンロとしみったれた流ししかないウチとは大違いだ。
「結構きれいにしてんじゃん」
「あんまり料理しないからな」
「……なあ、冷蔵庫に酒しかないんだけど」
「あんまり料理しないからな」
「……材料買ってくる」
「うーい」
あの様子じゃ『あんまり』じゃなくて『まったく』しないのだろう。
いくらなんでも『レシピ通りに食材を加工する』ことくらいできるだろうに。
食材を買い、勇儀の家に戻る。
途中すれ違った知り合いに挨拶したりしながら、足早に道を行く。
そしたら、パルスィにばったりと出くわした。
「あれ? パルちゃんやっほ」
「パルちゃんはやめてって言ってるでしょう?」
「なんでー? かわいいじゃん」
「もう」
そういえばパルスィの職場はこの辺りだったっけ、仕事帰りなのだろうか。
「こんな時間までお仕事?」
「まあね、もうすぐ新メニューができそうなのよ」
「へー、どんなの?」
「白身魚でエビチリっぽいのできないかなって」
「えびちり?」
「中国の料理よ、完成したら作ってあげるわ、もどきだけど」
「楽しみにしてるよ」
「うん」
パルスィはだいぶ明るくなった、きっと仕事場でもうまくやっているだろう。
それじゃあ、と先に行こうとすると、ねぇ、と呼び止められる。
「明日は、帰ってくるのよね」
「うん、帰るよ」
「……私、明日給料日なの、初給料」
「……」
「プレゼント、用意しておくから」
「楽しみにしてるよ」
「うん」
それじゃあ、と今度こそパルスィと分かれる。
あんまり待たせると勇儀がまた文句を言うだろう。
「たーだいま」
買ってきた食材を台所のテーブルにおいて、勇儀を探す。
どこ行った?
「おーい、勇儀ー、寝ちゃったー?」
その予想は大当たりだったらしい。
居間のソファの上にでかい図体が転がっていた。
手足を盛大にはみ出させながら、ぐーぐーといびきまでかいていやがる。
「まったく」
勝手なヤツだった。
しょうがないので2階の寝室から毛布を持ってきてかけてやる。
食材は朝飯にするとして、どうすっかな、帰ろうかな。
「ま、いっか」
2階に戻り、ベッドを借りることにした。
勇儀の匂いがした。
最後にシーツを洗ったのはいつなのだろう。
気にしてもしょうがない、寝ちまおう。
明日は仕事も休みだ。
数分後、見慣れない天井も見ながらうとうとしていると、部屋に誰かが入ってきた。
そりゃまあ、勇儀だろうけども。
「あ、ゴメン、ベッド借りてる」
「……ヤマメ」
「ん?」
鬼が、舌なめずりをした。
そして、あたしに、覆いかぶさるように。
あたしの両手は勇儀の片手で掴まれるだけで、何もできなくなる。
押さえつけ、体重をかけ、片手であたしの頬をさする。
ほとんど無理やりに、あたしの唇をふさぐ。
角が当たらないように顔を傾けながら、器用にしゃぶりつかれる。
あたしの都合なんかお構いなしに、鬼の舌が口内に進入してきた。
「……はぁ」
ひとしきり堪能して満足したのか、勇儀が顔を離した。
「いいだろ」
勇儀はそんなことを言う。
ほとんど断定口調で、だ。
抵抗できないようにしておいて、いいだろも何も無いだろう。
鬼にあるまじき濁った目で、高みから見下ろしてくる。
あたしは、その目を、凝視した。
「劣情、背徳心、支配欲と破滅願望が入り混じってるな、友達を犯すなんてシチュエーションに酔ってるのかい?」
ビク、と鬼が怯んだ。
ぎょっとしたように、体が固まる。
「案外安っぽいんだな、怯えるあたしを壊したかったかい? 積み上げた信用を無にしたかったかい?」
勤めて無機質にあたしは言う。
淡々と、粛々と、飄々と。
「……あ、いや」
勇儀は目をそらす。
無駄だよ、もう遅い。
「怖がれば満足か? 喜べば万々歳か? 何期待してるんだアホ、この後どうするかもわかんねーんだろ」
「うぐっ」
勇儀の体がぐらりと揺れる、危うく角が刺さりそうになったが、ぎりぎりで避けられた。
「場数が違うんだよ生娘が、忘れてやるからさっさとどけ、もっとキツイのをぶち込まれたくなかったらな」
ピクピクと痙攣する勇儀を引き剥がし、ベッドから降りる。
勇儀はまだ苦しそうにもがいていたが、放って置いても大丈夫だろう。
インフルエンザウィルスを口腔感染させてやった。
なに、お前ならすぐ治るさ。
「あーあ、結局床で寝んのか」
床ずれしなきゃいいけれど。
◆
旧街道を首輪をつけて散歩するんなら許してやる。
翌日、土下座して謝る勇儀にあたしはそう言い放った。
驚愕は一瞬、すぐに絶望、羞恥、え? マジでやるの? といった感情に切り替わった。
「本気で謝りたいと思うのならどこででも謝れるはずだ、たとえそれが衆人環視のもと、屈辱的な格好ででも」
そう、ジャンプだけではない、あたしはヤングマガジンも愛読している。
「……やらせていただきます」
「うむ」
了承されてしまった。
どうかパルスィと鉢合わせしませんように。
その光景は、まああれだ、勇儀の尊厳にかかわるので、割愛させてもらうとしよう。
◆
その日の夜、パルスィは少し遅くに帰ってきた。
あたしは今日は休みだったが、パルスィの勤める食堂は基本的に年中無休で、休む曜日が違う。
しかも数十年ぶりの新メニューに、客が殺到しているらしい。
そもそもパルスィはそんなに料理ができるわけではなかったのに、1ヶ月で新メニューを開発するまでにいたったのには驚きを隠せない。
きっと、ものすごく頑張ったのだろう。
あたしの見ていないところで、必死に戦ったのだろう。
それを思うと目頭が熱くなる。
作ってもらったエビチリもどきを2人で囲みながら、あたしは感極まったように言う。
「すっごくおいしいよ」
「……本当?」
「うん、最高だよ」
「ありがとう」
パルスィは俯いてしまう。
それをニヤニヤと眺めながら食べるこの『ウオチリ』(食堂の店長命名)は、何にも変えがたいほどに尊いものに思える。
あたしらが100年かかってできなかったことを、彼女はやり遂げたのだ。
この価値が分かる妖怪は少ないだろう。
だがそれも今だけだ、いつかきっと今日という日が祝福される時が来るだろう。
「大げさなのよ」
「そんなこと無いさ」
顔をウオチリ以上に赤くしたパルスィは自分の分をかっ込むと、そそくさと皿を片付けてしまう。
「やれやれだ」
「うるさいわ」
モグモグと料理を味わっていると皿を片付けたパルスィが戻ってきた。
そして正面からあたしを眺める。
「どったの?」
「……ねぇ」
「うん」
「私、ここを出て行こうと思うの」
「うん」
「うんって」
「あたしは最初っからそのつもりだしね、まあちょっと早いとは思ったけど」
「そうね、もうひと月ふた月はいさせて欲しいわ」
「うん、いいよ」
「……そっか」
パルスィはちょっとさびしそうな顔をする。
目なんか見なくても丸分かりだ。
「やだよ行かないでパルスィ、ずっと一緒にここに住もうよ」
プッ、と吹き出された。
やっぱジョークの趣味悪いな。
「やめてよ、分かってるから」
「いつでも遊びに来るといいよ」
「週一で来るわ」
「そう言ってみんな来なくなるんだよねー」
「……そういえば、見たこと無いわね、あなたが趣味で助けた他の人、あれ嘘だったの?」
「死んじゃった」
「え? 全員?」
「うん、みんな」
「……そうなの」
「事故だったり殺人だったりいろいろ、地底って結構治安悪いし」
「……ごめんなさい」
謝ることはないさ、と言い、席を立つ。
食器を流しにある桶に沈めて、時間を置く。
そうすると汚れが簡単に落ちるのだ。
食後のお茶を入れてもらい、また2人でテーブルに着く。
「ねえヤマメ」
「久々に名前呼ばれた気がするよ」
「渡したい物があるの」
無視だった。
「たいしたものじゃないんだけど」
そう言ってパルスィが取り出したのは、1冊の本。
本。
本だ。
「これ、まさか外の?」
「こういうの、好きなんでしょ?」
「う、うわー! ありがとうパルスィ!」
タイトルを見る。
『夜は短し歩けよ乙女』とあった。
表紙には綺麗なイラストが書かれている。
小説らしい。
「ホントにいいの? 高かっただろうに」
「ええ、それにね」
「うん」
「その気になったら、本くらい私が『創って』あげるわよ、ま、面白いかどうかは……」
気がついたら席を立ち、パルスィを抱きしめていた。
「ちょ、ちょっと」
「ありがとう、ありがとうパルスィ」
妖怪が創った料理を食し、妖怪の創った本を読む。
最高だ。
それこそが、あたしたちの真の望み。
「絶対読ませてよ! 楽しみにしてるからね!」
「き、期待されても困るわ」
「きっと超絶面白いに決まってるじゃん!」
「ハードルをあげないで頂戴、創らないわよ」
「わー! やっぱ今の無し! 今の無し!」
慌てて撤回する。
その手のひら返しっぷりが面白かったのか、ケラケラと笑われた。
ホントにこいつは。
椅子を2つ並べて、隣り合わせに座る。
そして1冊の本を2人で読む。
読むスピードが全然違うから、ページをめくるのはパルスィだ。
ぺらりぺらりとページがめくられるたび、この世界の誰かが創造した物語が情景となって脳裏に描かれていく。
1文字たりとも見落とすものか。
パルスィ、君は今どれほどの奇跡を前にしているのか分かるかい?
1時間ほどそうしていると、ふいにパルスィが口を開いた。
「この『偽電気ブラン』ってお酒はおいしいのかしら」
「うーんどうだろうねー、甘いらしいし、パルスィは好きなんじゃない?」
「だったらいいわね」
そしてまた読み始める。
しかし、パルスィは疲れてしまったのかあたしに寄りかかってうとうとし始めた。
こりゃダメだな、と思い、本を閉じる。
パタン、という音に反応したのか、パルスィは顔を上げた。
「あ、ごめんなさい」
「いいってことよ、また今度続き読もう」
「うん」
本棚に向かう。
本棚には漫画雑誌を始め、文庫本やハードカバー、ファッション誌、参考書、『ジョジョ』の単行本、などなどが節操無く並んでいる。
連番なんてほとんど無い。
『こち亀』なんてひどいもんだ。
「あなたの宝物よね」
「うん」
小説で固めてある一角にパルスィにもらった本をしまった。
本当に大切な、あたしの宝物。
そして、とパルスィを見る。
「何かしら?」
何も言わずに、頭をなでた。
「むぅ、なによ」
「パルスィ」
「うん」
「会って欲しい人がいるんだ」
◆
翌月、あたしが休みの日。
パルスィに休みを取ってもらった。
勇儀はまああれだ、一応建築業のはずなのだが、ほとんど仕事はしていない。
「会うだけでずいぶん時間かかっちゃったな」
「ごめんなさい、私、なかなかお休みもらえなくて」
「あー、あの店長には後で蹴りを入れておこう、そうしよう」
いいアイディアだった。
「そうね、お願いしようかしら」
「止めようよそこは」
そんな無駄口を叩いている間に、勇儀の住む家にやってきた。
勇儀の方にはもう話してある。
呼び鈴を鳴らし、部屋に入る。
鍵はかかってなかった。
「無用心ね」
「鬼が何に用心するのさ」
「それもそうね」
目的の人物は、居間にいた。
こいつ、すでに飲んでやがる。
「まーたお前は新しい女作ったのか」
「馬鹿言ってんじゃねーよ」
「あ、始めまして」
パルスィも若干引いてる気がする。
「おおー、どこのお姫様だ?」
「橋の下にある王国かな」
「やめてください、そこは滅亡しました」
「はっはっは、そうかそうか、お前もこいつに拾われた口か」
「……はい」
恥ずかしそうにパルスィは言う。
それがパルスィと勇儀の出会いだった。
そう言うと大層な感じがするが、実際はどうってことは無い。
ただ3人でだべって騒いでウオチリ食べて酒飲んで帰っただけだ。
それだけで、十分だった。
でもそれは、きっとかけがえの無いもの。
今はこの喜びを、共に分かち合おうと思う。
しかしまあ、せっかく分かち合っていたんだけれども、酒盛りが始まってからはひどいもんだった。
勇儀がもう絡む絡む。
まあ意外と言うかなんと言うか、パルスィはそういうのは平気だったらしい。
いいんだけどさ。
勇儀の家から帰る途中、パルスィに感想を聞いてみた。
生活能力無さそうな人だと言われた。
見る目はあるようだ。
「ヤマメ」
「うん?」
「帰ったら、またあの本読もう」
「うん、いいよ」
「ありがとう」
すっかり夜も更けてしまったが、パルスィにお茶を用意してもらい、並んで座る。
この本を読むのも何度目だろう。
読むときはいつも、パルスィと2人で読む。
読みづらいに決まってるけれど、それでも隣り合わせに座って読む。
前の続きから、いっしょに。
「ねえヤマメ」
「うん?」
しばらく本を読み進めたところで、パルスィが口を開いた。
何か言いづらいことがあるとき、パルスィはいつもこうする。
「いい部屋が見つかったの」
「うん」
「ここよりちょっと狭いけど、私の収入でも住める所」
「よかったじゃん」
そこで一瞬、パルスィの言葉が詰まる。
「来週、出て行こうと思う」
「そっか」
パルスィのほうを見る。
向こうをこっちを見る。
止めて欲しい、らしかった。
何でもいいから止めて欲しい。
惰性でもいいから、ここにいさせてと。
それでもあたしは、何も言わない。
「ヤマメ」
「うん?」
「好きです」
「ありがとう」
パルスィは泣いていた。
あたしに頭を押し付けて。
あたしがどう答えるか知っているから。
まだ言わないでとせがむように、か細い腕でぎゅうと抱きしめられた。
「……」
「パルスィ」
「……うん」
「ゴメンよ、あたし、女に興味はないんだよ」
「知ってた」
それが普通だと、彼女は言った。
私は男が怖いだけ、と。
振られて、裏切られて、捨てられて。
男を信じられないと。
それをどうこう言うつもりはないさ。
「ゴメンな、ほかにいい女見つけてくれ」
「うん」
パルスィはそう言って本を閉じ、立ち上がる。
座ったあたしを見下ろすように、泣きはらした顔のまま。
「私を振ったこと、後悔させてあげるわ」
「……」
「私を選んでくれた人を、これでもかってほど幸せにしてみせる」
「うん」
「性別なんて気にしないでもらっとけばよかったって、言わせてあげるわ」
「楽しみに、しているよ」
それだけ言ってパルスィはベッドに向かった。
もう、遅い時間だった。
しかしまあ、強くなったもんだ。
◆
最近はよく3人で遊ぶようになった。
パルスィとあたしの休みがかぶる日に限定されてしまうけど。
勇儀はまあ、勇儀なので会ったばかりの人とでも平気で話せる。
しかし、パルスィの方も勇儀相手に物怖じせずにいられるようだ。
さり気に根性あるよね、この子。
そろそろいい頃合かもしれない。
「あ! ゴメン、あたし今日約束してたんだ!」
「そうなの?」
「うんうん、地霊殿の人に仕事頼まれてたんだよ」
地霊殿かー、と勇儀が感心したように言う。
「お前結構顔広いよな」
「ごめんね、2人ともまた今度!」
「ええ、また」
「おう」
2人への挨拶もそこそこにパルスィの新居を後にした。
そうだな、旧都でもぶらぶらしてこようか。
よく行く喫茶店で読書をしていると、見知った顔に出くわした。
「よお、ヤマメ」
「やあ、みとり」
相席いいかい? と尋ねるみとりに、やなこった、と返す。
そして当然のように向かいに座られる。
「調子はどうよ」
みとりは言う。
「ぼちぼちでんな」
あたしは返す。
そういえばこいつが地底に来たのはいつだったか。
スネに傷を持つものばかりに旧地獄だが、こいつに関する話は聞かない。
大方天狗に逆らったとかそんな理由だろうけど。
「なあ」
しばらくお互いの顔を見つめながら、あたしはコーヒーを啜った。
沈黙を破ったのはみとりだった。
「お前も、今おつかい頼まれてんだろ」
「うん、手こずってるよ」
「燐も人使い荒いよな」
それだけ言って黙り込んでしまった。
何か言いかけて、思いとどまったのだろう。
よくわからないが、まあ、詮索するようなことでもないか。
「コーヒーお待ちのお客様ー」
「あ、はーい」
みとりが注文していたコーヒーを受け取る。
それを一口啜っては窓の外を眺めている。
何だというのだ、かまって欲しいのか。
「ヤマメ」
「うん?」
「私ちょっと地上行ってくるからさ、お土産何がいい?」
「……本か、お茶葉」
「わかった」
残っていたコーヒーをぐいと飲み干し、みとりは席を立った。
支払いはしとく、と伝票ももって行かれてしまった。
「なんだったんだ?」
まあ、コーヒー代が浮いたからいいけれど。
◆
喫茶店を出た後、一応地霊殿に寄ることにした。
広いエントランスを抜けて当ても無くうろつく。
目的の人物はすぐ見つかった。
「やあ燐、忙しそうだね」
直ったばかりの会議室で、書類の束と格闘している火車の隣に腰掛けた。
座ったパイプ椅子は足の部分が欠けているようで、ちょっと重心を動かしただけでがこがこと揺れた。
よく見ると壁や天井に銃弾の痕があったり、机が傷だらけだったりとひどい有様だ。
新調した方がいいんじゃなかろうか。
「あたいが忙しい内は地霊殿は大丈夫ってことさ」
何かの報告書らしきものを読み終え、燐はぐいっと伸びをする。
そしてめんどくさそうに肩をグルグルと回した。
「こってるね」
「サンキュー」
燐の後ろに回り、肩を揉む。
この肩には地霊殿の、ひいては地底中の妖怪の生活がかかっている。
新入りの調査からトラブル解決、発電所の維持に地上との政治的なやり取り。
その全てが燐の指揮下で行われる。
さとりは基本的に仕事しない。
「あー、気持ちいいー」
というより全ての仕事を把握できるような人材がいないのだ。
彼女がいなくなってしまったら、地底はいったいどうなってしまうのだろうか。
「ウチも本格的にパソコン導入しようかなー、でもなー、山がうるせーんだよねー」
「山って近代化には積極的なんじゃなかったっけ?」
「あいつらも一枚岩じゃないんだよ、神様連中はイケイケドンドンのバブリーな考えなんだけど、天狗の親玉は保守派なのさ」
「燐は?」
「あたいも天狗と同意見、あんま急激に物事変えんのはよくないよ、でもパソコンは欲しい」
かつて地底に原子力発電所を建設しようという試みがあった。
しかしそれは『開発した人間ですら使いこなせないものなど我々には荷が重い』という天狗と地霊殿の共通見解により白紙に戻った。
守矢もさすがにそこまでのごり押しはできないらしい。
替わりとして出てきたプランが地熱発電所だ。
比較的安全に、そして単純なシステムで安定した電気を生産できる。
案外こっちが本命だったのかもしれないが、真相は闇の中だ。
燐とさとりと軍神と大天狗が入り乱れる会議になんて絶対出たくないし。
「ヤマメの方はどう? おつかい順調?」
「うん、やっとこさ良さげなの見つけたよ」
「そっか、よかった」
「ゴメンね、遅くなって」
燐は多忙の身だ。
だからたまにあたしやみとりなどにちょっとしたおつかいを頼むことがある。
燐にのしかかる重圧を考えれば、この程度のことは苦労のうちにも入らない。
あたしもみとりも嬉々としてそれをこなしている。
でもそれも、今回は具合が悪かった。
「ねえ燐」
「んー?」
「今、みとりになんか頼んでる?」
「あー、頼んでるよ、ちょっと厄介なヤツ」
だからか、と思った。
「でもあいつにしかできないことでね、やってもらうことにしたんだ」
「そっか」
今日中に終わらせる仕事が山ほどある。
そう言って燐はまた書類の山を切り崩しにかかった。
手伝いたかったが、やんわりと断られてしまった。
あんまり邪魔しても悪いと思い、あたしはその場を後にする。
やることもないし、自宅に帰ることにした。
途中で贔屓にしている惣菜屋により、ついでに雑貨屋で生活品の補充を済ませる。
気がつけば夕餉にちょうどいい時間だ。
麦酒で1杯、といきたかったが、今日はそんな気分にはなれなかった。
パルスィたちはどうだろうか、うまくいっているだろうか。
それだけが、気がかりだった。
◆
あたしの気がかりとは裏腹に、2人は仲良くやっているようだった。
人づての情報を頼りに2人のその後を盗み見る。
パルスィは休みの度に足しげく勇儀亭に通い、勇儀もそれを快く迎える。
勇儀はきっとああいうのが好きなんだろう、まんざらでもなさそうだった。
あたしとしても仲人役を努めた甲斐があったというものだ。
この間2人で温泉旅行にも行ったらしい。
勇儀の手癖が悪いのか、パルスィの誘い方が良いのかは分からないが、どちらにしても展開が早い。
周囲からの評判も『くっつくべきものがくっついた』というものであった。
パルスィの勤める食堂の店長だけが残念そうな顔をしていたのが印象的だったが、概ねうまくいっているのだろう。
あんた女房いるだろうに。
さて、脇役はここらで退場して、後は若い2人に任せましょうかね。
黒谷ヤマメはクールに去るぜ。
◆
「パルスィって綺麗だよね」
「やだ勇儀さんったら」
「なんで恋人いないの?」
「さっきまでいると思ってたわ」
「いやつまり、あれだ、私じゃだめかなって意味で」
「さっきまで脈なしだと思ってたわ」
◆
その次の日、パルスィは倒れた。
高熱とめまいが体を襲い、起き上がることもままならない。
今は勇儀が付きっ切りで看病をしているようだ。
あたしも何度かお見舞いに行ったが、パルスィは辛そうにうめくだけだった。
そのまた数日後、パルスィは勇儀の家に引っ越した。
勤めていた食堂を休業し、本格的に治療に専念するという。
地底に医者なんていない。
いるのはバッタモンの薬を売りつける薬剤師もどきだけだ。
「ごめんなさい」
「言うなパルスィ、今は自分の体のことだけ考えろ」
少しだけ体調が戻ったのだろう。
立って歩けるくらいには回復していた。
しかし、数日するとまた動けなくなるほど衰弱してしまう。
そんな生活が続いた。
健気にもパルスィは起きていられる時間で料理の開発に勤しみ、勇儀は勇儀で以前とはうって変わって精力的に働くようになった。
おかげで旧都の修復が進む進む。
世は全てことも無し。
あたしは燐へおつかいの報告をすべく、地霊殿へと向かった。
◆
また応接間に通された。
会議室直ったんじゃなかったのだろうか。
「会議室使用中でね」
「ふーん」
まあこっちの椅子の方が座り心地良いし、まったく問題はない。
「おつかい、終わったって?」
「うん」
星熊勇儀を黙らせろ。
それが燐から受けたおつかいだった。
飲んで暴れて暴れて飲んで。
酔って壊して壊して酔って。
ここは咎人の住まう場所。
みんな静かに暮らしたいのに。
『ガキ大将』の存在を憂いた燐が、あいつをおとなしくさせたいと思うのは当然のことだろう。
しかし燐は多忙の身、あたしにお鉢が回ってきた。
「しかしまあ、あのツラで百合子ちゃんだったとはね」
「あたしもびっくりしたよ、しかも悲劇のヒロインが好物と来た」
勇儀は弱いものを好む。
自分を頼るものを好む。
強すぎる鬼は、足手まといを欲するのだ。
勇儀の好みの女が見つかるまで5人も6人も紹介する羽目になったが。
「ヤマメが自分でやればよかったんじゃないの?」
「やめてよ気持ち悪い」
女同士とか考えたくも無い。
BLは好きだけど。
「で、その、何だっけ、勇儀の嫁さん」
「パルスィ?」
「そうそう、その子どうなったの? ヤマメがやったんでしょ?」
ああ、病気のことか。
「そうだよ、感染させた」
土蜘蛛の力を持ってすれば、ちょろいもんだ。
「生かさず殺さず衰弱するヤツ、いい感じに足引っ張ってくれてるよ」
「二次感染は?」
「ほぼゼロだよ、あれは感染能力低いからね、寝食でも共にしない限りうつらない」
逆に言うと、うつすの大変だった。
「勇儀は?」
「抵抗力高いやつには効かないよ、インフルエンザを1晩で治すようなやつにはね」
逆に1度発症すると生涯治らないんだけど。
そこはまあ、尊い犠牲ってやつかな。
「ふむ、あれの性格からして見捨てたりはしないか、実際生活のためにまじめに働きだしたみたいだしね」
あごに手を当て燐がうなる。
「……」
しばらく沈黙した後、1度うなづく。
「うん、いいね、よくやったよヤマメ」
「えへへ」
OKがでたらしい。
あたしもやっと安心した。
そして燐は糸目を大きく見開く。
相も変わらず、燐からだけは何の感情も読み取れない。
心を隠すのが、うますぎる。
「ヤマメ」
「……はい」
「おいで」
撫でてあげよう、と燐がとろける様な声色で言う。
あたしは熱病に浮かされた様にふらふらと近づくと、燐のそばにひざまずく。
リボンを取った、撫でやすいように。
そして、燐による慈悲を待つ。
「ありがとうヤマメ、あたい助かっちゃった」
「……」
燐の指先が髪に触れる。
手櫛で髪を梳くように、やさしくやさしく撫でられる。
身を焦がす喜悦に、体が震えてしまう。
「ヤマメは頼りになるね、また頼んでいい?」
「もちろんです」
頬が緩む。
地霊殿の要にして旧地獄の大黒柱。
大儀に殉ずる火焔猫燐に、認められている。
あたしは今どれだけ情けない顔をしているのだろう。
こうして撫でられているだけで、何か途方も無く大きなものに抱かれているような、そんな安心感に包まれる。
勇儀よ、パルスィよ。
お前たちはこの栄光を味わうことは一生できまい。
愛だの恋だのとくだらない。
男も女も関係ない。
本当に価値のあるものは、そんなことではないのだ。
されるがままになるあたしを見て、燐は心底にうれしそうな顔をしている。
ああ、燐。
あなたの前に立ちふさがるものは、残らずこの土蜘蛛が侵します。
了
手のひらに収まる小さな炎が、くわえたタバコの先端を焦がす。
マッチの先の着火剤は硫黄とカリウムでできているらしい。
あたしはずっとリンだと思っていた。
リン、リン、リン。
そういやこのタバコも、燐にもらったものだ。
◆
「まったく、おとなしくしてて欲しいもんだよ」
「まあまあ」
プカー、とタバコの煙を吐きながら、あたしは燐をなだめた。
ここは地霊殿の応接間。
高そうなガラスのテーブルを挟み、燐と向き合って座っている。
普段は閻魔とか八雲とかしか使わない場所だが、今日は特別に使わせてもらっていた。
「ま、おつかいの件は了解したよ、後はこのヤマメさんに任せなさいな」
「……サンキュー」
というのも他の会議室が軒並み修繕中だからだ、どっかのバカがショットガン振り回して暴れたせいなのだが。
「じゃあ、これ資料だから」
そう言って燐は書類の束を机に乗せた。
茶封筒に入ったそれは、結構な量がある。
「立つんじゃね?」
立ててみた。
だめだ、倒れる。
「……あれ? 燐、これなんだ?」
「うん? どれ?」
燐からの『おつかい』とは関係なさそうな資料が、封筒から飛び出してきた。
誰かの顔写真と特徴が書いてある。
「あー、ゴメン、これ違う資料混じってるわ」
いっけねー、と頭をかく燐を尻目に、資料を見てみる。
「誰これ」
「新入りさ、橋の下に住み着いてる家なき子なんだよ、きっと聞くも涙語るも涙のドラマがあったに違いないね」
「ふーん」
燐は資料の束をまとめなおすと、片方を封筒に詰めなおした。
あたしはだいぶ薄くなったそれをざっと見返すと、自分のカバンに詰め込んだ。
「そっちはいいの?」
「うん、すぐどうこうなる訳でもないしね、ここの連中にやらせるよ」
「そうかい」
じっと燐の目を見つめてみる。
猫の妖怪だからだろうか、薄く細められた瞳からはうまく感情が読み取れない。
「後これ、プレゼント」
資料をしまったバッグの中から、燐が1冊の雑誌を取り出した。
「お、ジャンプ」
週間少年ジャンプだった。
言わずと知れた外の世界の漫画雑誌。
この手の本や雑誌は稀に幻想入りする。
だが地底にまで流れ着くのは本当に珍しく、渡されたこのジャンプも売るところに売れば結構な値がつくものなのだ。
「2003年19号か、持ってるやつじゃ一番新しいかも」
無論、連番ではなく飛び飛びでだけど。
それでも、こういうものはうれしい。
「悪いね、そんなものしかあげらんなくてさ」
タバコの灰が落ちないように気をつけながら、ぺらぺらとページをめくってみる。
お、こち亀まだやってんじゃん。
「あー、その漫画息長いよねー、今でもやってんのかな?」
「20年くらいやってる気がする……ああ!?」
思わず大声が出た、しかし、これは。
「ど、どした? 落丁でもあった?」
「……ジョジョが終わった」
「あー、みたいだね、あたいあんまり読んでないけど」
なんてことだ、第何部完とかじゃなくて『ジョジョ』が終わるなんて。
「そんな気を落とさないでさ、きっとそのうち新作が出るよ」
そうだといいんだけど。
もらったジャンプをカバンにしまうと、くわえていたタバコを灰皿に押し付ける。
「ま、いっちょ頑張りますか、ジャンプありがとね」
「頼んだよ、策士ヤマメ(笑)」
「なに笑ってんだ殺すぞ」
こんどのおつかいは、時間がかかりそうだ。
◆
星熊勇儀について、あたしはどれくらい知っているのだろう。
本人に寄りかかりながら、そんなことを考えてみる。
鬼、超強い、でも頭は悪い、かわいい物に目がない、部屋がぬいぐるみに溢れている。
豪快、曲がったこと嫌い、弱者の心理を理解できない。
自分にできることは他人にもできると思っている。
お酒大好き、ケンカ大好き、どっちも断つと禁断症状が出る。
そして酔うと暴れる。
あれ? 結構ひどいヤツじゃね?
「どうしたヤマメ、飲まないのか?」
「飲みすぎたんだよ」
今日は勇儀行きつけの居酒屋に2人で来ていた。
4人がけのテーブルに、わざわざ隣り合って座っている。
つくね串を頬張りながら、勇儀のほうを見ないで話す。
「ねえ勇儀、あたしらって会ってどれくらい経つっけ」
「んー、3ヶ月くらい?」
「そっか、もうそんなに経つんだ」
食べかけの串を置き、おしぼりで口をぬぐう。
勇儀にしなだれかかったまま、目を閉じた。
そんなあたしの肩に、勇儀は手を回す。
「どうした、今日は甘えん坊だな」
「うるさいよ、ちょっち仕事でトラブっただけ」
「そんなときは飲んで忘れりゃあいい、酒は人生の良き友だ」
「へいへい」
すでに結構飲んでいたけれど、追加で頼んだ麦酒をあおった。
それからまたしばらく2人で飲んで、その日はお開きとなった。
「ふー飲んだ飲んだ」
店を出て、近くのちょっと開けた場所で風に当たる。
地底の風は年中無休で生ぬるい、それでも火照った体には心地いい。
「じゃあ、私は帰るよ、またなヤマメ」
「……勇儀」
立ち去ろうとする勇儀の服の袖を掴む。
「今度は、いつ会える?」
我ながらここまで弱々しい声が出せるものかと、少し感心してしまった。
「……いつでもさ」
そう言って勇儀はウインクして見せた。
その瞳からは、強い喜びとあたしへの愛情らしきものが読み取れた。
◆
今日は橋に行ってみた。
地底で何の形容詞もなく『橋』といえば、この橋を指す。
地上と地底を結ぶ道にある、この大きな橋だ。
いつ、誰が架けたのかは分からない。
その気になれば空だって飛べる妖怪たちには、そもそもこんなもの必要ない。
それでも、ここには橋が架けられている。
そして誰かが渡るのをいつまでも待っている。
なんだか妙に切ない気分になってしまったが、気を取り直して目的の人物を探す。
燐が間違えて持ってきた資料にあった、あの娘をだ。
あれから何ヶ月も過ぎてしまったが、まだここにいるのだろうか。
もっと早来ればよかった。
「お、いたいた」
程なくして、橋の下でうずくまる女性を見つけた。
髪は伸び放題、体も服も汚れ放題。
本当にここに住んでいるらしい。
辺りにはそこらで拾ったと思われる道具が散乱している。
どれもこれもがガラクタとしか思えないが、それでも彼女にとっては生命線なのだろう。
この女が普段どんな生活を送っているのか興味がないわけではなかったが、今はその好奇心はしまっておこう。
「やあ、こんなところで寝てたら風邪引いちまうよ」
ここらは地上にも近い。
寒いとまでは言わないが、お世辞にも暖かいとは言えない場所だ。
「……」
女はだんまりだ。
「聞こえないのかな? お嬢さん」
ちょん、と肩をつついてみる。
すると彼女は、心底気だるそうに顔を上げた。
「……何?」
「スペースコブラさ」
「は?」
彼女の顔は見るに耐えないほど痩せこけていて、今にも死んでしまいそうだった。
「冴羽 獠でも可だよ」
思い切り眉をひそませながら、彼女はこちらを覗いてくる。
疑心、迷惑、後悔、ひとかけらの期待。
そんな心情が読み取れた。
「さえばさんが何の用?」
ここは、多少強引でもいいだろう。
そうでもしなければ、きっとコレは動かない。
「趣味で人助けをしてるんだ、頼むからあたしに助けられてくれ」
「……意味が分からないわ」
そう言ってまたうずくまる。
「あたしの趣味に付き合ってくれれば、おいしい食事と暖かい風呂を用意しよう」
ピク、と反応した。
「それとも永遠にここでうずくまっていたいなら、話は別だけどね」
「……」
「女の子なんだ、体を冷やすのはよくない」
「……」
「そして君が望むなら、寝床を、仕事を、生活を、近い雑貨屋を、安い総菜屋を、うまいラーメン屋を、何だって紹介しよう」
「……なにそれ」
「当たり前の幸福が欲しくないかい? そこそこの人生が欲しくないかい?」
「……」
「あたしの名前は黒谷ヤマメ、君の名前を教えておくれ」
「……水橋、パルスィ」
そしてあたしは、パルスィの手をとった。
◆
まず、パルスィを家に連れ込み、食事を振舞った。
1人暮らしの女なんだ、料理くらいできるさ。
地底で取れる作物なんてたかが知れてるけれど、香辛料の栽培に成功してからはだいぶマシになった。
人間の製法丸パクリだ。
「うぐっ」
「あー、ほらほらがっつくから」
パルスィはものすごい勢いで料理を食べる。
きっとろくなものを食べてなかったのだろう。
コップに水を注ぎながら、あたしは自分用の皿を向こうに押しやる。
「ありがとう」
「どういたしまして」
腹が膨れて眠くなったのか、目をしばしばさせながら視線をふらふらとさせていた。
「待て、寝るなら風呂入ってからにしてくれ」
「食べてすぐ入るのは体に悪いらしいわ」
「今日くらい平気さ」
そう言って立ち上がる。
入浴用のタオルなどが入った袋を用意して、パルスィに席を立つように促す。
「近場に銭湯があるんだよ、ここらにゃ温泉がたくさんあるんだ」
「そうなの」
家から10分ほどのところに、その銭湯はある。
割とこじんまりとした所だが、ちゃんとサウナも付いている。
そして何より料金が安い。
あたしは2人分の料金を払い、パルスィを奥の脱衣所に案内した。
そして家なき子の泥まみれの服をコインランドリーに突っ込む。
ゴウンゴウンとやかましい音を立てながら、服が洗われていく。
泥がつまりはしないだろうか。
まあ大丈夫だろう。
湯船に入る前に、きちんと体を洗う。
いったい何日風呂に入っていないのだろうか、パルスィの体はそれはもうひどい有様だった。
今日他に客がいなくて本当によかったと思う。
背中を流してあげながら思う、なんて色気のない入浴シーンだと。
「よーし、綺麗になった」
「そう?」
都合4回ほど石鹸を付け直しながら、体を隅々まで洗う。
頬はこけ、肋骨が浮き出て見えるほどやせた体は、見ていて少し痛々しい。
髪は自分で洗うというので本人に任せ、あたしも自分の体を流した。
「先サウナ入ってくるよ」
「あ、うん、わかったわ」
浴場の一角にある3畳ほどの小部屋に入る。
壁にかけてある温度計は92度を指していた。
他の人がどうしてるのかは知らないが、洗い場で軽く体を流す→サウナ→体を洗う→湯船というのがあたしの流儀だ。
サウナ室に備え付けの砂時計をひっくり返し、存分に熱を堪能する。
毛穴が開いていく感覚は、ちょっと気持ちいい。
老廃物が、出ていく感じ。
砂時計を2回ほどひっくり返したころ、パルスィがサウナ室にやってきた。
「何ここ、暑いわね」
「サウナは初めてかい?」
「ええ、まあ、そうね」
言いながら、ちょこんとあたしの隣に腰掛けた。
「汗をかくのはいいことだよ、でも体が乾いちゃだめさ」
風呂から出たら、冷たいものでも飲もう。
「どれくらいいる気?」
「もう10分くらいかな、なに、話でもしてればすぐだよ」
はい、とパルスィに砂時計を手渡す。
砂がまた落ちきった。
「そう、付き合うわ」
そう言ってパルスィは、砂時計をひっくり返して椅子に置いた。
「風呂上りはコレだよね、コーヒー牛乳」
「こんなの初めて飲んだ」
「うまいべ」
「甘くておいしいわ」
「だろー?」
空になったビンを番台のおっさんに返し、銭湯を出る。
ここのコインランドリーには乾燥機が付いているので、お湯から出るころには乾いているのだ。
地味に便利なのだ。
「湯冷めしないうちに帰ろうか」
太陽が見えないので分かりづらいが、地上ではもうすっかり日が暮れているころだろう。
「……泊まってっていいのよね」
「もちろん」
「ありがとう」
問題はベッドが1つしかないことだけども。
まあ大丈夫だろう、セミダブルの大きいやつだし。
「と思ったけどちょっと狭いね」
「……床で寝るわ」
「冗談だよ」
「今までどうしてたのよ」
「あたしが寝袋で寝てた」
「……そう」
そこで会話は途切れた。
2人して天井を眺める。
パルスィは今日のことをどう思っているのだろう。
どこまであたしを信じてくれるのだろう。
ただ『ラッキー』くらいにしか感じていないのか、それとも世間に舞い戻るチャンスだと思ってくれているのだろうか。
パルスィの目を見ようとしたが、暗くてよくわからなかった。
「ねえ」
天井を見ながら、パルスィがつぶやく。
「なんで、こんなに良くしてくれるの? 気まぐれ?」
微かに声が震えていた。
ああよかった。
それはつまり、大丈夫ってことだ。
「……言わなかったっけ、趣味だよ」
「他人を飼うのが?」
「そこまで悪趣味じゃないよ、魚をあげるのは最初だけ」
後は釣り方を、教えてあげよう。
「よく、偽善だって言われるよ」
「そんなことはないわ」
「本当?」
「今まで、何人にこうしてきたか知らないけれど、少なくともその人たちはそうは思ってないわ」
たぶんだけど、とパルスィは付け加えた。
「それに偽善って自己満足って意味じゃないし」
「そうなの?」
「善行の振りした悪行を言うのよ、この後私を見世物にして商売しようってんなら、正しい意味になるけれど」
「へー、知らんかったよ、でもどっちかって言うなら見世物小屋より違う意味のお風呂屋さんの方が……」
「勘弁してください」
そういってパルスィは初めて笑った。
というかこういう冗談好きなのか。
そっちのほうがよっぽど悪趣味じゃないか。
◆
今日は勇儀と飲みに行った。
本当に、会うたび会うたび酒が絡むやつだ。
「あー? もういっぺん言ってみろコラ!」
「勇儀止めなって!」
「ヒィ……!」
ちょいと深酒が過ぎたみたいだ。
勇儀は街道をふらふらと歩きながら、そこらにいる見知らぬ妖怪に因縁をつけて回っている。
「んだよ、お前まで」
「そりゃ止めるよ、ほら」
勇儀を促し、その場を後にする。
後ろを振り返ると、さっきの妖怪が脱兎のごとく逃げ出していた。
勇儀は、結構な頻度でこういうことをする。
飲んで酔って絡んで。
そこだけ聞けばただの迷惑なおっさんだけれど。
鬼がそれをやると、取り返しの付かない破壊を振りまくことにもなりうる。
壊して壊して、自分でも何が気に食わないのか分からないままに、物を壊さずにはいられない。
勇儀だけじゃない。
全ての妖怪は、破壊と変質を求める。
あたしだって、人のことは言えないのだろう。
逆に作ることは苦手だ。
創造行為なんてのは人間の特権みたいなもんだから。
河童や天狗だって、人間の真似事するのが精一杯。
漫画雑誌1冊すら、あたしらには作れない。
「だから勇儀、あんま壊さないでくれよ、お前が壊したところを直せるやつがいないんだ」
「……またその話か」
勇儀はうんざりしたようにため息をつく。
酔いは醒めてくれたんだろうか。
また暴れださないように、勇儀の右手を握った。
「なんだよヤマメ」
「べーつに」
やっぱり手だけじゃ足りなそうだったから、腕ごとからませることにした。
その日、あたしは勇儀の家に泊まることになった。
パルスィには出かけに言ってあるので問題はない。
あの子はあれから自力で職を見つけ、立派に社会復帰を果たしている。
もと人間だと聞いたときは驚いたけど、それはつまりあたしらと違って物を創ることが得意ということ。
それを見込まれて、先月から旧都の大衆食堂で働いている。
既存のレパートリーに無い、新しい料理の開発をしているらしかった。
それはともかく、勇儀の家。
来るのは2回目だ。
あたしんちみたいなアパートの1室とかではなく、ちゃんとした一軒家。
何なんだろうこの待遇の差は。
地上にはもっとでかい『屋敷』レベルの住居も持っているという。
何なんだろうこの待遇の差は(2回目)。
「ちょっと小腹減った、なんか作ってくれ」
「あたしは嫁かなんかか」
「おねがーい」
「……お勝手どこだっけ」
「あっち」
勇儀が指さす方には小さいながらもちゃんとした台所がある。
カセットコンロとしみったれた流ししかないウチとは大違いだ。
「結構きれいにしてんじゃん」
「あんまり料理しないからな」
「……なあ、冷蔵庫に酒しかないんだけど」
「あんまり料理しないからな」
「……材料買ってくる」
「うーい」
あの様子じゃ『あんまり』じゃなくて『まったく』しないのだろう。
いくらなんでも『レシピ通りに食材を加工する』ことくらいできるだろうに。
食材を買い、勇儀の家に戻る。
途中すれ違った知り合いに挨拶したりしながら、足早に道を行く。
そしたら、パルスィにばったりと出くわした。
「あれ? パルちゃんやっほ」
「パルちゃんはやめてって言ってるでしょう?」
「なんでー? かわいいじゃん」
「もう」
そういえばパルスィの職場はこの辺りだったっけ、仕事帰りなのだろうか。
「こんな時間までお仕事?」
「まあね、もうすぐ新メニューができそうなのよ」
「へー、どんなの?」
「白身魚でエビチリっぽいのできないかなって」
「えびちり?」
「中国の料理よ、完成したら作ってあげるわ、もどきだけど」
「楽しみにしてるよ」
「うん」
パルスィはだいぶ明るくなった、きっと仕事場でもうまくやっているだろう。
それじゃあ、と先に行こうとすると、ねぇ、と呼び止められる。
「明日は、帰ってくるのよね」
「うん、帰るよ」
「……私、明日給料日なの、初給料」
「……」
「プレゼント、用意しておくから」
「楽しみにしてるよ」
「うん」
それじゃあ、と今度こそパルスィと分かれる。
あんまり待たせると勇儀がまた文句を言うだろう。
「たーだいま」
買ってきた食材を台所のテーブルにおいて、勇儀を探す。
どこ行った?
「おーい、勇儀ー、寝ちゃったー?」
その予想は大当たりだったらしい。
居間のソファの上にでかい図体が転がっていた。
手足を盛大にはみ出させながら、ぐーぐーといびきまでかいていやがる。
「まったく」
勝手なヤツだった。
しょうがないので2階の寝室から毛布を持ってきてかけてやる。
食材は朝飯にするとして、どうすっかな、帰ろうかな。
「ま、いっか」
2階に戻り、ベッドを借りることにした。
勇儀の匂いがした。
最後にシーツを洗ったのはいつなのだろう。
気にしてもしょうがない、寝ちまおう。
明日は仕事も休みだ。
数分後、見慣れない天井も見ながらうとうとしていると、部屋に誰かが入ってきた。
そりゃまあ、勇儀だろうけども。
「あ、ゴメン、ベッド借りてる」
「……ヤマメ」
「ん?」
鬼が、舌なめずりをした。
そして、あたしに、覆いかぶさるように。
あたしの両手は勇儀の片手で掴まれるだけで、何もできなくなる。
押さえつけ、体重をかけ、片手であたしの頬をさする。
ほとんど無理やりに、あたしの唇をふさぐ。
角が当たらないように顔を傾けながら、器用にしゃぶりつかれる。
あたしの都合なんかお構いなしに、鬼の舌が口内に進入してきた。
「……はぁ」
ひとしきり堪能して満足したのか、勇儀が顔を離した。
「いいだろ」
勇儀はそんなことを言う。
ほとんど断定口調で、だ。
抵抗できないようにしておいて、いいだろも何も無いだろう。
鬼にあるまじき濁った目で、高みから見下ろしてくる。
あたしは、その目を、凝視した。
「劣情、背徳心、支配欲と破滅願望が入り混じってるな、友達を犯すなんてシチュエーションに酔ってるのかい?」
ビク、と鬼が怯んだ。
ぎょっとしたように、体が固まる。
「案外安っぽいんだな、怯えるあたしを壊したかったかい? 積み上げた信用を無にしたかったかい?」
勤めて無機質にあたしは言う。
淡々と、粛々と、飄々と。
「……あ、いや」
勇儀は目をそらす。
無駄だよ、もう遅い。
「怖がれば満足か? 喜べば万々歳か? 何期待してるんだアホ、この後どうするかもわかんねーんだろ」
「うぐっ」
勇儀の体がぐらりと揺れる、危うく角が刺さりそうになったが、ぎりぎりで避けられた。
「場数が違うんだよ生娘が、忘れてやるからさっさとどけ、もっとキツイのをぶち込まれたくなかったらな」
ピクピクと痙攣する勇儀を引き剥がし、ベッドから降りる。
勇儀はまだ苦しそうにもがいていたが、放って置いても大丈夫だろう。
インフルエンザウィルスを口腔感染させてやった。
なに、お前ならすぐ治るさ。
「あーあ、結局床で寝んのか」
床ずれしなきゃいいけれど。
◆
旧街道を首輪をつけて散歩するんなら許してやる。
翌日、土下座して謝る勇儀にあたしはそう言い放った。
驚愕は一瞬、すぐに絶望、羞恥、え? マジでやるの? といった感情に切り替わった。
「本気で謝りたいと思うのならどこででも謝れるはずだ、たとえそれが衆人環視のもと、屈辱的な格好ででも」
そう、ジャンプだけではない、あたしはヤングマガジンも愛読している。
「……やらせていただきます」
「うむ」
了承されてしまった。
どうかパルスィと鉢合わせしませんように。
その光景は、まああれだ、勇儀の尊厳にかかわるので、割愛させてもらうとしよう。
◆
その日の夜、パルスィは少し遅くに帰ってきた。
あたしは今日は休みだったが、パルスィの勤める食堂は基本的に年中無休で、休む曜日が違う。
しかも数十年ぶりの新メニューに、客が殺到しているらしい。
そもそもパルスィはそんなに料理ができるわけではなかったのに、1ヶ月で新メニューを開発するまでにいたったのには驚きを隠せない。
きっと、ものすごく頑張ったのだろう。
あたしの見ていないところで、必死に戦ったのだろう。
それを思うと目頭が熱くなる。
作ってもらったエビチリもどきを2人で囲みながら、あたしは感極まったように言う。
「すっごくおいしいよ」
「……本当?」
「うん、最高だよ」
「ありがとう」
パルスィは俯いてしまう。
それをニヤニヤと眺めながら食べるこの『ウオチリ』(食堂の店長命名)は、何にも変えがたいほどに尊いものに思える。
あたしらが100年かかってできなかったことを、彼女はやり遂げたのだ。
この価値が分かる妖怪は少ないだろう。
だがそれも今だけだ、いつかきっと今日という日が祝福される時が来るだろう。
「大げさなのよ」
「そんなこと無いさ」
顔をウオチリ以上に赤くしたパルスィは自分の分をかっ込むと、そそくさと皿を片付けてしまう。
「やれやれだ」
「うるさいわ」
モグモグと料理を味わっていると皿を片付けたパルスィが戻ってきた。
そして正面からあたしを眺める。
「どったの?」
「……ねぇ」
「うん」
「私、ここを出て行こうと思うの」
「うん」
「うんって」
「あたしは最初っからそのつもりだしね、まあちょっと早いとは思ったけど」
「そうね、もうひと月ふた月はいさせて欲しいわ」
「うん、いいよ」
「……そっか」
パルスィはちょっとさびしそうな顔をする。
目なんか見なくても丸分かりだ。
「やだよ行かないでパルスィ、ずっと一緒にここに住もうよ」
プッ、と吹き出された。
やっぱジョークの趣味悪いな。
「やめてよ、分かってるから」
「いつでも遊びに来るといいよ」
「週一で来るわ」
「そう言ってみんな来なくなるんだよねー」
「……そういえば、見たこと無いわね、あなたが趣味で助けた他の人、あれ嘘だったの?」
「死んじゃった」
「え? 全員?」
「うん、みんな」
「……そうなの」
「事故だったり殺人だったりいろいろ、地底って結構治安悪いし」
「……ごめんなさい」
謝ることはないさ、と言い、席を立つ。
食器を流しにある桶に沈めて、時間を置く。
そうすると汚れが簡単に落ちるのだ。
食後のお茶を入れてもらい、また2人でテーブルに着く。
「ねえヤマメ」
「久々に名前呼ばれた気がするよ」
「渡したい物があるの」
無視だった。
「たいしたものじゃないんだけど」
そう言ってパルスィが取り出したのは、1冊の本。
本。
本だ。
「これ、まさか外の?」
「こういうの、好きなんでしょ?」
「う、うわー! ありがとうパルスィ!」
タイトルを見る。
『夜は短し歩けよ乙女』とあった。
表紙には綺麗なイラストが書かれている。
小説らしい。
「ホントにいいの? 高かっただろうに」
「ええ、それにね」
「うん」
「その気になったら、本くらい私が『創って』あげるわよ、ま、面白いかどうかは……」
気がついたら席を立ち、パルスィを抱きしめていた。
「ちょ、ちょっと」
「ありがとう、ありがとうパルスィ」
妖怪が創った料理を食し、妖怪の創った本を読む。
最高だ。
それこそが、あたしたちの真の望み。
「絶対読ませてよ! 楽しみにしてるからね!」
「き、期待されても困るわ」
「きっと超絶面白いに決まってるじゃん!」
「ハードルをあげないで頂戴、創らないわよ」
「わー! やっぱ今の無し! 今の無し!」
慌てて撤回する。
その手のひら返しっぷりが面白かったのか、ケラケラと笑われた。
ホントにこいつは。
椅子を2つ並べて、隣り合わせに座る。
そして1冊の本を2人で読む。
読むスピードが全然違うから、ページをめくるのはパルスィだ。
ぺらりぺらりとページがめくられるたび、この世界の誰かが創造した物語が情景となって脳裏に描かれていく。
1文字たりとも見落とすものか。
パルスィ、君は今どれほどの奇跡を前にしているのか分かるかい?
1時間ほどそうしていると、ふいにパルスィが口を開いた。
「この『偽電気ブラン』ってお酒はおいしいのかしら」
「うーんどうだろうねー、甘いらしいし、パルスィは好きなんじゃない?」
「だったらいいわね」
そしてまた読み始める。
しかし、パルスィは疲れてしまったのかあたしに寄りかかってうとうとし始めた。
こりゃダメだな、と思い、本を閉じる。
パタン、という音に反応したのか、パルスィは顔を上げた。
「あ、ごめんなさい」
「いいってことよ、また今度続き読もう」
「うん」
本棚に向かう。
本棚には漫画雑誌を始め、文庫本やハードカバー、ファッション誌、参考書、『ジョジョ』の単行本、などなどが節操無く並んでいる。
連番なんてほとんど無い。
『こち亀』なんてひどいもんだ。
「あなたの宝物よね」
「うん」
小説で固めてある一角にパルスィにもらった本をしまった。
本当に大切な、あたしの宝物。
そして、とパルスィを見る。
「何かしら?」
何も言わずに、頭をなでた。
「むぅ、なによ」
「パルスィ」
「うん」
「会って欲しい人がいるんだ」
◆
翌月、あたしが休みの日。
パルスィに休みを取ってもらった。
勇儀はまああれだ、一応建築業のはずなのだが、ほとんど仕事はしていない。
「会うだけでずいぶん時間かかっちゃったな」
「ごめんなさい、私、なかなかお休みもらえなくて」
「あー、あの店長には後で蹴りを入れておこう、そうしよう」
いいアイディアだった。
「そうね、お願いしようかしら」
「止めようよそこは」
そんな無駄口を叩いている間に、勇儀の住む家にやってきた。
勇儀の方にはもう話してある。
呼び鈴を鳴らし、部屋に入る。
鍵はかかってなかった。
「無用心ね」
「鬼が何に用心するのさ」
「それもそうね」
目的の人物は、居間にいた。
こいつ、すでに飲んでやがる。
「まーたお前は新しい女作ったのか」
「馬鹿言ってんじゃねーよ」
「あ、始めまして」
パルスィも若干引いてる気がする。
「おおー、どこのお姫様だ?」
「橋の下にある王国かな」
「やめてください、そこは滅亡しました」
「はっはっは、そうかそうか、お前もこいつに拾われた口か」
「……はい」
恥ずかしそうにパルスィは言う。
それがパルスィと勇儀の出会いだった。
そう言うと大層な感じがするが、実際はどうってことは無い。
ただ3人でだべって騒いでウオチリ食べて酒飲んで帰っただけだ。
それだけで、十分だった。
でもそれは、きっとかけがえの無いもの。
今はこの喜びを、共に分かち合おうと思う。
しかしまあ、せっかく分かち合っていたんだけれども、酒盛りが始まってからはひどいもんだった。
勇儀がもう絡む絡む。
まあ意外と言うかなんと言うか、パルスィはそういうのは平気だったらしい。
いいんだけどさ。
勇儀の家から帰る途中、パルスィに感想を聞いてみた。
生活能力無さそうな人だと言われた。
見る目はあるようだ。
「ヤマメ」
「うん?」
「帰ったら、またあの本読もう」
「うん、いいよ」
「ありがとう」
すっかり夜も更けてしまったが、パルスィにお茶を用意してもらい、並んで座る。
この本を読むのも何度目だろう。
読むときはいつも、パルスィと2人で読む。
読みづらいに決まってるけれど、それでも隣り合わせに座って読む。
前の続きから、いっしょに。
「ねえヤマメ」
「うん?」
しばらく本を読み進めたところで、パルスィが口を開いた。
何か言いづらいことがあるとき、パルスィはいつもこうする。
「いい部屋が見つかったの」
「うん」
「ここよりちょっと狭いけど、私の収入でも住める所」
「よかったじゃん」
そこで一瞬、パルスィの言葉が詰まる。
「来週、出て行こうと思う」
「そっか」
パルスィのほうを見る。
向こうをこっちを見る。
止めて欲しい、らしかった。
何でもいいから止めて欲しい。
惰性でもいいから、ここにいさせてと。
それでもあたしは、何も言わない。
「ヤマメ」
「うん?」
「好きです」
「ありがとう」
パルスィは泣いていた。
あたしに頭を押し付けて。
あたしがどう答えるか知っているから。
まだ言わないでとせがむように、か細い腕でぎゅうと抱きしめられた。
「……」
「パルスィ」
「……うん」
「ゴメンよ、あたし、女に興味はないんだよ」
「知ってた」
それが普通だと、彼女は言った。
私は男が怖いだけ、と。
振られて、裏切られて、捨てられて。
男を信じられないと。
それをどうこう言うつもりはないさ。
「ゴメンな、ほかにいい女見つけてくれ」
「うん」
パルスィはそう言って本を閉じ、立ち上がる。
座ったあたしを見下ろすように、泣きはらした顔のまま。
「私を振ったこと、後悔させてあげるわ」
「……」
「私を選んでくれた人を、これでもかってほど幸せにしてみせる」
「うん」
「性別なんて気にしないでもらっとけばよかったって、言わせてあげるわ」
「楽しみに、しているよ」
それだけ言ってパルスィはベッドに向かった。
もう、遅い時間だった。
しかしまあ、強くなったもんだ。
◆
最近はよく3人で遊ぶようになった。
パルスィとあたしの休みがかぶる日に限定されてしまうけど。
勇儀はまあ、勇儀なので会ったばかりの人とでも平気で話せる。
しかし、パルスィの方も勇儀相手に物怖じせずにいられるようだ。
さり気に根性あるよね、この子。
そろそろいい頃合かもしれない。
「あ! ゴメン、あたし今日約束してたんだ!」
「そうなの?」
「うんうん、地霊殿の人に仕事頼まれてたんだよ」
地霊殿かー、と勇儀が感心したように言う。
「お前結構顔広いよな」
「ごめんね、2人ともまた今度!」
「ええ、また」
「おう」
2人への挨拶もそこそこにパルスィの新居を後にした。
そうだな、旧都でもぶらぶらしてこようか。
よく行く喫茶店で読書をしていると、見知った顔に出くわした。
「よお、ヤマメ」
「やあ、みとり」
相席いいかい? と尋ねるみとりに、やなこった、と返す。
そして当然のように向かいに座られる。
「調子はどうよ」
みとりは言う。
「ぼちぼちでんな」
あたしは返す。
そういえばこいつが地底に来たのはいつだったか。
スネに傷を持つものばかりに旧地獄だが、こいつに関する話は聞かない。
大方天狗に逆らったとかそんな理由だろうけど。
「なあ」
しばらくお互いの顔を見つめながら、あたしはコーヒーを啜った。
沈黙を破ったのはみとりだった。
「お前も、今おつかい頼まれてんだろ」
「うん、手こずってるよ」
「燐も人使い荒いよな」
それだけ言って黙り込んでしまった。
何か言いかけて、思いとどまったのだろう。
よくわからないが、まあ、詮索するようなことでもないか。
「コーヒーお待ちのお客様ー」
「あ、はーい」
みとりが注文していたコーヒーを受け取る。
それを一口啜っては窓の外を眺めている。
何だというのだ、かまって欲しいのか。
「ヤマメ」
「うん?」
「私ちょっと地上行ってくるからさ、お土産何がいい?」
「……本か、お茶葉」
「わかった」
残っていたコーヒーをぐいと飲み干し、みとりは席を立った。
支払いはしとく、と伝票ももって行かれてしまった。
「なんだったんだ?」
まあ、コーヒー代が浮いたからいいけれど。
◆
喫茶店を出た後、一応地霊殿に寄ることにした。
広いエントランスを抜けて当ても無くうろつく。
目的の人物はすぐ見つかった。
「やあ燐、忙しそうだね」
直ったばかりの会議室で、書類の束と格闘している火車の隣に腰掛けた。
座ったパイプ椅子は足の部分が欠けているようで、ちょっと重心を動かしただけでがこがこと揺れた。
よく見ると壁や天井に銃弾の痕があったり、机が傷だらけだったりとひどい有様だ。
新調した方がいいんじゃなかろうか。
「あたいが忙しい内は地霊殿は大丈夫ってことさ」
何かの報告書らしきものを読み終え、燐はぐいっと伸びをする。
そしてめんどくさそうに肩をグルグルと回した。
「こってるね」
「サンキュー」
燐の後ろに回り、肩を揉む。
この肩には地霊殿の、ひいては地底中の妖怪の生活がかかっている。
新入りの調査からトラブル解決、発電所の維持に地上との政治的なやり取り。
その全てが燐の指揮下で行われる。
さとりは基本的に仕事しない。
「あー、気持ちいいー」
というより全ての仕事を把握できるような人材がいないのだ。
彼女がいなくなってしまったら、地底はいったいどうなってしまうのだろうか。
「ウチも本格的にパソコン導入しようかなー、でもなー、山がうるせーんだよねー」
「山って近代化には積極的なんじゃなかったっけ?」
「あいつらも一枚岩じゃないんだよ、神様連中はイケイケドンドンのバブリーな考えなんだけど、天狗の親玉は保守派なのさ」
「燐は?」
「あたいも天狗と同意見、あんま急激に物事変えんのはよくないよ、でもパソコンは欲しい」
かつて地底に原子力発電所を建設しようという試みがあった。
しかしそれは『開発した人間ですら使いこなせないものなど我々には荷が重い』という天狗と地霊殿の共通見解により白紙に戻った。
守矢もさすがにそこまでのごり押しはできないらしい。
替わりとして出てきたプランが地熱発電所だ。
比較的安全に、そして単純なシステムで安定した電気を生産できる。
案外こっちが本命だったのかもしれないが、真相は闇の中だ。
燐とさとりと軍神と大天狗が入り乱れる会議になんて絶対出たくないし。
「ヤマメの方はどう? おつかい順調?」
「うん、やっとこさ良さげなの見つけたよ」
「そっか、よかった」
「ゴメンね、遅くなって」
燐は多忙の身だ。
だからたまにあたしやみとりなどにちょっとしたおつかいを頼むことがある。
燐にのしかかる重圧を考えれば、この程度のことは苦労のうちにも入らない。
あたしもみとりも嬉々としてそれをこなしている。
でもそれも、今回は具合が悪かった。
「ねえ燐」
「んー?」
「今、みとりになんか頼んでる?」
「あー、頼んでるよ、ちょっと厄介なヤツ」
だからか、と思った。
「でもあいつにしかできないことでね、やってもらうことにしたんだ」
「そっか」
今日中に終わらせる仕事が山ほどある。
そう言って燐はまた書類の山を切り崩しにかかった。
手伝いたかったが、やんわりと断られてしまった。
あんまり邪魔しても悪いと思い、あたしはその場を後にする。
やることもないし、自宅に帰ることにした。
途中で贔屓にしている惣菜屋により、ついでに雑貨屋で生活品の補充を済ませる。
気がつけば夕餉にちょうどいい時間だ。
麦酒で1杯、といきたかったが、今日はそんな気分にはなれなかった。
パルスィたちはどうだろうか、うまくいっているだろうか。
それだけが、気がかりだった。
◆
あたしの気がかりとは裏腹に、2人は仲良くやっているようだった。
人づての情報を頼りに2人のその後を盗み見る。
パルスィは休みの度に足しげく勇儀亭に通い、勇儀もそれを快く迎える。
勇儀はきっとああいうのが好きなんだろう、まんざらでもなさそうだった。
あたしとしても仲人役を努めた甲斐があったというものだ。
この間2人で温泉旅行にも行ったらしい。
勇儀の手癖が悪いのか、パルスィの誘い方が良いのかは分からないが、どちらにしても展開が早い。
周囲からの評判も『くっつくべきものがくっついた』というものであった。
パルスィの勤める食堂の店長だけが残念そうな顔をしていたのが印象的だったが、概ねうまくいっているのだろう。
あんた女房いるだろうに。
さて、脇役はここらで退場して、後は若い2人に任せましょうかね。
黒谷ヤマメはクールに去るぜ。
◆
「パルスィって綺麗だよね」
「やだ勇儀さんったら」
「なんで恋人いないの?」
「さっきまでいると思ってたわ」
「いやつまり、あれだ、私じゃだめかなって意味で」
「さっきまで脈なしだと思ってたわ」
◆
その次の日、パルスィは倒れた。
高熱とめまいが体を襲い、起き上がることもままならない。
今は勇儀が付きっ切りで看病をしているようだ。
あたしも何度かお見舞いに行ったが、パルスィは辛そうにうめくだけだった。
そのまた数日後、パルスィは勇儀の家に引っ越した。
勤めていた食堂を休業し、本格的に治療に専念するという。
地底に医者なんていない。
いるのはバッタモンの薬を売りつける薬剤師もどきだけだ。
「ごめんなさい」
「言うなパルスィ、今は自分の体のことだけ考えろ」
少しだけ体調が戻ったのだろう。
立って歩けるくらいには回復していた。
しかし、数日するとまた動けなくなるほど衰弱してしまう。
そんな生活が続いた。
健気にもパルスィは起きていられる時間で料理の開発に勤しみ、勇儀は勇儀で以前とはうって変わって精力的に働くようになった。
おかげで旧都の修復が進む進む。
世は全てことも無し。
あたしは燐へおつかいの報告をすべく、地霊殿へと向かった。
◆
また応接間に通された。
会議室直ったんじゃなかったのだろうか。
「会議室使用中でね」
「ふーん」
まあこっちの椅子の方が座り心地良いし、まったく問題はない。
「おつかい、終わったって?」
「うん」
星熊勇儀を黙らせろ。
それが燐から受けたおつかいだった。
飲んで暴れて暴れて飲んで。
酔って壊して壊して酔って。
ここは咎人の住まう場所。
みんな静かに暮らしたいのに。
『ガキ大将』の存在を憂いた燐が、あいつをおとなしくさせたいと思うのは当然のことだろう。
しかし燐は多忙の身、あたしにお鉢が回ってきた。
「しかしまあ、あのツラで百合子ちゃんだったとはね」
「あたしもびっくりしたよ、しかも悲劇のヒロインが好物と来た」
勇儀は弱いものを好む。
自分を頼るものを好む。
強すぎる鬼は、足手まといを欲するのだ。
勇儀の好みの女が見つかるまで5人も6人も紹介する羽目になったが。
「ヤマメが自分でやればよかったんじゃないの?」
「やめてよ気持ち悪い」
女同士とか考えたくも無い。
BLは好きだけど。
「で、その、何だっけ、勇儀の嫁さん」
「パルスィ?」
「そうそう、その子どうなったの? ヤマメがやったんでしょ?」
ああ、病気のことか。
「そうだよ、感染させた」
土蜘蛛の力を持ってすれば、ちょろいもんだ。
「生かさず殺さず衰弱するヤツ、いい感じに足引っ張ってくれてるよ」
「二次感染は?」
「ほぼゼロだよ、あれは感染能力低いからね、寝食でも共にしない限りうつらない」
逆に言うと、うつすの大変だった。
「勇儀は?」
「抵抗力高いやつには効かないよ、インフルエンザを1晩で治すようなやつにはね」
逆に1度発症すると生涯治らないんだけど。
そこはまあ、尊い犠牲ってやつかな。
「ふむ、あれの性格からして見捨てたりはしないか、実際生活のためにまじめに働きだしたみたいだしね」
あごに手を当て燐がうなる。
「……」
しばらく沈黙した後、1度うなづく。
「うん、いいね、よくやったよヤマメ」
「えへへ」
OKがでたらしい。
あたしもやっと安心した。
そして燐は糸目を大きく見開く。
相も変わらず、燐からだけは何の感情も読み取れない。
心を隠すのが、うますぎる。
「ヤマメ」
「……はい」
「おいで」
撫でてあげよう、と燐がとろける様な声色で言う。
あたしは熱病に浮かされた様にふらふらと近づくと、燐のそばにひざまずく。
リボンを取った、撫でやすいように。
そして、燐による慈悲を待つ。
「ありがとうヤマメ、あたい助かっちゃった」
「……」
燐の指先が髪に触れる。
手櫛で髪を梳くように、やさしくやさしく撫でられる。
身を焦がす喜悦に、体が震えてしまう。
「ヤマメは頼りになるね、また頼んでいい?」
「もちろんです」
頬が緩む。
地霊殿の要にして旧地獄の大黒柱。
大儀に殉ずる火焔猫燐に、認められている。
あたしは今どれだけ情けない顔をしているのだろう。
こうして撫でられているだけで、何か途方も無く大きなものに抱かれているような、そんな安心感に包まれる。
勇儀よ、パルスィよ。
お前たちはこの栄光を味わうことは一生できまい。
愛だの恋だのとくだらない。
男も女も関係ない。
本当に価値のあるものは、そんなことではないのだ。
されるがままになるあたしを見て、燐は心底にうれしそうな顔をしている。
ああ、燐。
あなたの前に立ちふさがるものは、残らずこの土蜘蛛が侵します。
了
初めて
みとりのお使いや、その他の伏線が明かされる日が来るのだろうか…?
ただ、最初と最後で燐に対するヤマメの態度が大分違ったのに違和感があったかな、と思いました。
見事に色々と騙されました。面白かったです。
随所でニヤリとしてしまいます。
あと利根川ネタも笑いました。
各キャラクターに対するヤマメの観察が鋭く、出来る女であるにも関わらず、
燐に溶ろかされる最後は非常に鮮烈な印象があって良かったです。
これは妄想の類ですが、きっと燐はさとりに溶かされているのだと思います。
そうして連鎖していく世界観を想像しました。
地底はドロドロしていて女々しい感じが良く似合うと思いました。
せてもらいました。
ただ、作者が名前を出して喋るスレで電気羊氏も指摘してらした事なのですが、この長さ
だとこのレイアウトは凄く読みづらいです。
南条氏は読みやすいようにとの配慮で一行ずつ空行を挟んで書いていると仰っていまが、
それが仇となって、どこまで読んだかすぐに見失ってしまうレイアウトとなってしまって
います。
均等な空行を止めて、文章の区切りごとに多めの空行を設けたり、改行の場所を工夫する
などで読みやすくしたほうが得策だと思われます。他の方の作品を参考にしてください。
作品自体は良いのに少し勿体ないです。
なかなか読まされる文でした
最後がちょっと唐突だとも思ったけど、それは些細な問題だな。
基本退廃的はずなのにどこか明るいのが地底の人々の魅力ですよねー
勇儀姐さんとパルスィが不憫な感じも致しましたが、真実さえ知らなければ甲斐甲斐しい夫婦に見えますね……。
…しかし、お燐はホントにヤマメちゃんが大事な子と見ているのか、ただ狡猾に利用しているだけの駒なのか、お燐のみぞ知るってところが…ワクワク。
読んでて楽しかったです。
アタイもパルスィお手製のウオチリ食べたい!!
ヤマメちゃんも、まぁ女エージェントみたいなイメージが元からあって、すごくしっくりきましたね。
ほんと、停滞による温さだけじゃなく、最後にちらつかせるえげつなさが、実に地底妖怪らしくて素敵だ。
この文章の雰囲気はすごくいい
なんという!
どストライクでした!
雰囲気といい、キャラといい、世界観といい
独特で、魅力に溢れていたと思います。
ただ欲を言えば、もっと見ていたかったです。
なんとなくボリューム不足というか、いや、物語はきれいにまとまっているので、もう少し内容を濃いめにしてもよかったと言うか……。
はい。そうですよね。次回作を見ればいいんですよね。
早速行ってきます!
素晴らしい作品をありがとうございました!
FUKENZENな関係性が、如何にも地底らしい。一見プラトニックそうな勇パル夫妻も、一皮剥けば業がふかそうである。
すぅ、と読み終われました。面白かったです。
ヤマメの得体の知れなさ、それに脱帽しました。めちゃくちゃ良かったです。
程度や質は違えどヤマメと勇儀とパルスィのそれぞれに強さと弱さ(もろさの方が適切でしょうか?)があって魅力的でした。