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聖へ
聖へ、まず第一に謝らせて貰います。ごめんなさい。
私にもどうしてこんな事になったのかは、よく分かりません。
私は唯、貴女の作ったメロンパンをお腹いっぱい食べられれば好かったんです。本当に、それだけだったんです。
それがどうして、泣きながらお寺を飛び出すような真似をする事になったのか、全然分かりません。
すいません。こんな文章じゃ意味も分かりませんね。
順を追って、最初から説明しましょう。きっと、そうすることで、ぐるぐるしてバターみたいになってる私の頭も、整理される気がします。
ことの起こりは、きっと、貴女も分かっているでしょう。貴女が急に、一人で食べるには超人的な量のメロンパンをこしらえて、『ああ、とら、いい所に居ました。美味しそうに焼けましたよ。どうぞ召し上がれ。』って、そう言って私のところに持ってきたのが始まりでした。
なんで貴女がメロンパンを作ったのか、何処で作り方を教わってきたかは私の知るところではありませんし、あれこれと推し量り、ここに書き記す事も無いでしょう。それについては当事者である貴女自身が知っている事ですし、別段、私が知るべき理由も無いという気がするので。
私は唯、貴女が私の為にメロンパンを作ってくれた事が嬉しかったんです。思えば貴女の手料理を食べる事自体、千年振りでした。味の方はというと、美味しかったです。意外にも。
ごめんなさい。こんな事を言うと、貴女は怒るかも知れません。私も正直、気が引けます。でも事実として、聖はあんまり料理が得意とは言えません。現在、お寺の炊事当番を一輪とナズーリンが二人で回している(金曜日の夜だけはムラサの担当ですね)事を顧みても、それは間違いないと思います。
本当は私も、貴女の事をどうこうは言えないです。私も千年前から、お箸以外の調理器具の扱いは上達してません。良い部下を持ちました。
話を戻しましょう。
私は嬉々として、貴女の作ったメロンパンを頬張っていました。美味しかったです。お世辞じゃないです。聖は僧侶なんかやめて、パン屋さんになればいい。本気でそう思いました。
ふわふわとしたメロンパンを咀嚼し、嚥下する度に、私はひしひしと、胸の奥からこみ上げるような幸せを感じていました。貴女の愛の篭ったメロンパンがあれば、ヒトの信仰も畏怖もいらない。この先、千年だって戦えると思いました。
そんな私の至福のひと時はしかし、彼女が、ナズーリンが来たことで唐突に終わりを迎えました。
聖、どうか誤解しないで下さい。彼女が悪さを働いたとか、そういう事では、決してないんです。彼女は何も、何一つとして間違ったことは言っていません。ですからきっと、悪かったのは私です。馬鹿だったんです。愚かだったんです。
ナズーリンは私のところに来て、両手にメロンパン、口からもメロンパンを生やしたその姿を見るや、無遠慮にもこんな事を言ってくれました。
『ご主人、間食は程々にしないと、太るよ?』って。私、憤慨しました。
だって、酷い暴言です。甘い物を前にして、ついつい限界以上に頑張っちゃうのは当たり前じゃないですか。ええ、分かってます。彼女の言ってることは紛れもない真実です。でも、酷いです。夢くらい見たかったんです。
だから、私は即座に言い訳を考えて、こう切り返したんです。
『仏は太りません。』って。今考えると少し、可笑しいですね。
ナズーリンもそう思ったみたいで、苦笑しながら言いました。
『偶像だって太る時はあっと言う間だよ。当然、仏だって例外じゃない。』って。ごもっともだと思いました。悔しいですけど。
でもでも、せっかく貴女が焼いてくれたメロンパンです。無駄には出来ないでしょう? 私、またすぐに新しい言い訳を考えたんです。
『栄養は全部、胸にいくからいいの。』って。
そしたらナズーリン、一体どうしたと思いますか? もう、本当に信じられません。あんまり書きたくないです。いやです。
ナズーリン、彼女、こともあろうに私の胸を鷲掴みにして、ええ、驚きましたとも。唖然としたとも言います。完全に予想外の行動でしたから。頭の中が真っ白になって、だくだくと、身体を巡る血の音だけが聞こえていました。
半ば放心状態の私の胸を乱暴に扱いながら、彼女はこう言ったんです。
『いいかいご主人、この際だからはっきり言わせて貰うけど、コレが、コレこそが、脂肪の、塊だよ。キミが千年かけて育て上げた、立派な、贅肉だ。』って。
聖、分かりますか? その時の私の気持ちが? 私、こんな辱めを受けたのは初めてなんじゃないかと思います。これは洒落にならんですよ本当。出逢ってかれこれ千年、今日、初めてナズーリンを■■■やりたくなりました。すみません。気にしないで下さい。筆が滑っただけです。
ともかく、そんな事を言われたものですから私、プッツンしちゃいまして、そこからは酷い罵り合いになりました。
私が、『おっぱいは子育てに必要な、大事なものです。』と言えば、ナズーリンは、『子育てなんかしたこと無いご主人がそんな事を言っても説得力がないね。第一、子育てに大きさは関係ない。』と応えます。ええ、分かってますとも、どうせ私は■■■■■■■■■■■。
止めましょう、こんな話。気が滅入るだけですもの。
ともかく、私とナズーリンは激しい口論を繰り広げていました。それがいけませんでした。
火の無いところに煙は立たない。なら、逆もまた然りです。烈火の如き勢いで犬も食わぬような話を続ける私達のところに彼女達が、ムラサとぬえの二人組が誘われて来たのは至極当然の流れでした。至極当然の流れでした。
というか聖、あの二人、どうにかして下さい。ホントお願いですから。
ムラサ一人でも何かと手が掛かるというのに、ぬえが来てからというもの、私は安心して日々を過ごせた記憶がありません。
ムラサは生来、というか死んで以来の船幽霊気質とでもいうのでしょうか? 人仏妖怪の見境無くからかい倒し、困らせてはニヤニヤ笑いで、私が何度叱り付けてもてんで平気の平左といった顔でいるので、参っちゃいます。彼女の悪戯の被害者が主に私であるのも相まって、いえ、ひっかかる私も浅はかだとは思いますけど、でも手口が巧妙かつ狡知で、その内容については由あってここに書くことは出来ませんが、人を餌にして私を釣り上げては放置するといった具合で、正直手に余ります。
ぬえはまた、彼女の場合は酷く幼稚で直接的な事ばかりしてきて、昼寝をしてる最中の私に髭を描くわ、尻尾を勝手に結ぶわ、いえ聖、誤解しないで下さい。仏滅だけです。何も毎日、貴女の留守を狙って惰眠を貪ってるなんて、そんな事は決して有りませんから、安心して下さい。
そんな二人が揃うと、これまた惨憺たるもので、正体不明の種を植え付けて■■■■に変形させた錨で■■■■■■してきたりする訳で、貴女達、今年で何歳になるんですかと言ってやりたくなります。いいえ、それより何より、二人とも何かというと貴女にべったりなのが癇に障ります。ああ生意気です。■■しい。
一輪にも二人の面倒を見てくれるよう、度々頼んでみるのですが、彼女はすっかり傍観を決め込んでしまっていて、『あー、雲山、お茶が美味しいねぇ、お茶請けに姐さんが一人こわい。』と言っているばかりで頼りになりません。というか彼女もどうにかして下さい。春ですか。そうですね。
すいません、脱線しました。何でしたっけ? そう、乳臭い二人が私とナズーリンの乳論争を嗅ぎ付けて来たんです。
不覚でした。
平時であれば、私が冷静であったなら、忍び寄る彼女達の存在に気付けたことでしょう。しかしながら、己の胸の存在意義を証明すべく躍起になっていた私に、そんな余裕はありませんでした。
私が二人の存在に気付いたのは、何時の間にやら私の背後に立っていた彼女達によってガッチリと、羽交い絞めにされた後でした。
ムラサは、『まったく、日も傾かないうちから乳だの子作りだの、春満開な会話を繰り広げていると思えば痴話喧嘩ですか。貴女達も仲のよろしいことで。それにしても、ふむ。寅丸、貴女、千年も会わない間にまた随分と熟んだものですね?』って、まるで果物を品定めするように右の胸を揉んできますし、ぬえはぬえで、『いいなー、しょーちゃんは。私もこれくらい盛ってあれば色々と面白いのに。うん、今度はこれで遊ぼうかな?』と、矢庭に不安を煽るような事を言って、左の胸を揉んできます。
念の為に言っておきますが私だって、好きで揉まれてた訳じゃありません。ただ、不意打ちだった上に相手は二人です。ナズーリンが獅子奮迅の働きで二人を引き剥がしてくれなければ、今頃は滅茶苦茶な目に遭っていた事でしょう。そうなっていたら割腹ものです。
二人から解放された私は、取り敢えず一発ずつ拳骨をくれてやってから、お説教を始めました。
『まったく、貴女達は何を考えているのです? 無防備な人間や人間以外に背後から抱きついて胸を揉んではいけないと、聖からそう教わっていないのかしら?』と、私はそう言って、彼女達の行いを戒めようとしました。
しかし、しかし嗚呼、何という事でしょう。彼女達は互いの顔を見合わせるとニヤリと笑い、口をそろえて言ってくれたじゃありませんか?
『教わってない。むしろ聖はいつも笑って許してくれる』ですって。私は耳を疑いました。
あの、聖? これは一体どういう事なんでしょうか? 彼女達の言葉をありのままに受け入れるなら、貴女は二人によって常日頃から■■■■■■■■乳を揉まれているという事になります。それはそれは由々しき事態です。
もしそれが事実だと仰るなら、私は絶対正義の名の下にムラサを冥土に送り、毘沙門天の旗の下、ぬえを二度と復活できぬよう厳重に封印しなければならないという事になりますが、如何したものでしょうか? 出来ればそうならぬことを祈っています。
結論の出ない事をここに書き綴っていても仕方がありませんね。話を進めます。
二人を追い払う事に成功した私は気を取り直し、メロンパンを胃袋に詰め込む作業に戻りました。既に焼きたての温かさは失われていましたが、それでも十分に美味しかったです。
ナズーリンが呆れたような目で私を見て、『そんなに美味しいものかな?』と訊ねてきましたが、答えるまでもありません。その問いにはメロンパンを食べる事で、返答の代わりとしました。やれやれと、彼女は諦めやら哀れみやらを込めた視線を注いで来ましたが、そんな事は瑣末な問題でした。むしろ問題だったのはその後です。
一個、二個とメロンパンを平らげていたところ、雲山を連れた一輪がやって来たんです。
彼女は現れるなり、私に向かって、『あら、お寅。またあの二人にイタズラされたんでしょう? 二人とも頭をさすりながら歩いていったわよ?』と、そう言いました。憎らしいくらい晴れやかな口調でした。
私が二人によって慰み者にされかけた経緯を恨み節で説明すると、彼女は呵呵大笑して、ええ、正直イラっとしました。その後、私の全身をまじまじと眺めてきたので、私は何だか、服の中に芋虫でも突っ込まれたような気分で、『何ですか一輪まで、気持ち悪い。』と、正直にそう言いました。
一輪は不審がる私の事など気にも留めずに、『いやぁ、改めて見れば大きくなったなって思って。』と言うので、私は、『貴女も殴られたいのね?』と尋ねました。彼女、私の脅しなど意に介さない様子で、朗らかな笑顔で言いました。
『違う違う。胸じゃなくて、いや、胸もそうだけど、全身。千年前はもっと、ずっと小さかったじゃない?』って、そう言われて私も、ハッとしました。
確かに千年前、皆と離れ離れになる以前の私は、今より小さな体つきでした。背丈なんかはナズーリンやムラサと同じか、もしかすると小さかったくらいで、一輪や聖と並ぶと子供みたいでしたからね。というか実際、子供だったと思うんです。
まだ年端も行かない子寅妖怪を言葉巧みに口説いた挙句、昇天させちゃうんですから、ほんと、聖の手練手管も大したものですね。
すみませんごめんなさい。怒らないで下さい。クシャクシャにしてボロ雑巾みたいにゴミ箱にポイするのは止めて下さい。もう少し、読んでやって下さい。
私が淡いセピア調の懐かしさ薫る記憶に浸っていたところ、視界の端でちらりと、一輪の手が動くのが見えました。
一輪が何の気なしに伸ばしてきた手、その先にはメロンパンがありました。ええ、私の、メロンパンです。
『一輪、馬鹿なことはお止めなさい。気でも触れましたか。』と、私はそう叫んで、一輪が伸ばしてきた手をピシャリとやりました。
一輪はというと、私の顔を見るや、きっと私、酷い剣幕だったんでしょう、呆気に取られたようになって、『なにさお寅、別に減るもんじゃなし、少しくらい、いいじゃない。』と、訳の分からない事を言ってきます。
私が、『減るに決まってるじゃない。次やったら、はっ倒しますよ。』と言ってすごみ、懐から鈷杵を抜いて振りかざすと、流石の一輪も一歩退きました。凶器ってすごいです。
一輪は、『ああ、分かった、分かったってば。なんだい、お寅のケチ。いいよ、せいぜいお腹一杯食べて、ぷにぷにしちゃいなさい。』って、そう吐き捨てて、いずこかへと去っていきました。何て言い草でしょう、失礼しちゃいます。
私とメロンパンの甘いひと時は続きます。
『メロンパン ああメロンパン メロンパン』って、そんな季語の無い俳句が浮かんできても違和感を感じないくらい、メロンパンな気分でした。
だって、甘いんです。止められないんです。もう、病みつきですよね。
胃の底から喉元まで全部にメロンパンをぎゅうぎゅうと押し込んで、メロンパンで窒息したかったんです。
本当に私は、貴女の作ったメロンパンだけあれば、それで好かったんです。きっとそれが、間違いだったんです。
その後は貴女の知る通りです。詳しく書く必要も無いでしょう。
私の元に貴女が来ました。
貴女は私の傍に座りました。
貴女は私の胸に手を当て、こう言ったんです。
『確かに、大きくなりましたね。それに昔よりずっと、人間らしいです。』って。
私は走り、お寺から逃げました。貴女から、逃げました。
両手いっぱいのメロンパンを抱えて、泣きながら。
だから、最初に言ったとおりです。なんでそうなったのか、私にもよく分からないんです。
少なくとも、貴女に触られたからじゃないと思います。というかそれはむしろ■■■です。
無我夢中で駆け抜けて、気付けば三途の河原まで来ていました。
いっぱい走ったせいか、空腹感に襲われて、私はまたメロンパンを頬張り始めました。
両手一杯のメロンパンはみるみるうちに減っていって、今では一個も残っていません。
全部、私のお腹の中です。一人で全部、平らげてしまいました。
ごめんなさい。嘘は善くないです。本当はちゃんと、分かってます。だから、泣いたんだと思います。
ごめんなさい。ちょっとだけ、胃もたれしそうな話になりそうです。
ごめんなさい。メロンパン、全部食べちゃいました。美味しかったです。
聖、最近の私、ちょっと変なんです。きっと何か、悪い病気にでもかかったんだと思います。
なんていうか、いつも心がふわふわしてて、とても落ち着かない感じなんです。
空を飛んでるのとは全然違って、自分は何もしてないのに勝手に浮いて、浮かれちゃって、風まかせに波まかせで、あっちふらふら、こっちふらふらしてる感じで、すごく楽しい気分になって、楽しいんですけど、でも、地に足が着いてないのが気になる事もあって、一度気にしだすともう、気が気じゃなくて、落ち着け、落ち着けって、何度も自分に言い聞かせるんですけど、なんでか余計にふらふらしちゃって、くたくたになってしまいます。
最近では読経中でもどこか上の空で、読み間違えなんて、しょっちゅうです。
私が粗相をすると、貴女は決まって、『とら、修行が足りませんよ、め!』って、そう言って私の頭を小突いて、そうされると私は何だか、しゅんとしてしまって、でも、不思議とどこか、嬉しいような気もして、酷くあべこべな感覚なんです。やらしいことを考えちゃってるって、そう思うんですけど、でも、どうにも抗い難くて、ついついわざと読み間違えてしまう事もあって、ですからその、聖、お願いですから、三度目から無言で殴るのは止めて欲しいです。
ごめんなさい。勝手なことを言ってるって、自分でも判ってるんです。どうすればいいんでしょう?
この間なんか、お使いに行った帰りにも、酷い目に遭いました。
外界からの品物をよく取り扱ってる骨董品屋さんがあったでしょう? 眼鏡が凛々しい店主さんの。あそこです。
ムラサが、『いい加減に海が恋しい。』などと言って、柄にも無くホームシックな空気を醸し出していたので、人里への買い物がてら、海の幸でも買って帰ろうと思ったんです。
そうしたら何故か、店主さんに向かって、『聖を下さい』って、そう言ってしまって、きっと、ひじきと間違えたんです。死ぬかと思いました。
店主さんのあくまで丁寧で優しい態度が逆に、『早く寺に帰れ』って、そう言っている気がして、当然、飛んで帰りました。
途中、空に浮かぶ綿雲の一つが貴女の顔によく似ていて、それが偶然、散歩をしていた雲山の一部だったりした訳で、もう雲山でもいいかって、訳の分からない思想に走りかけたりしながら、お寺まで引返しました。
寺に戻った後は、自室で昼寝をしていたムラサの穴という穴にひじきを突っ込んでやりました。海の夢が見れるだろうって思ったんです。悪いことをしたって、今では後悔してます。
なんだかんだ悶々としながら夜を迎えて、私は酷く疲れた気がして、ぐったりしてしまって、ああ、こんな時は聖に膝枕でもして貰って、耳掻きでもして貰えれば、どれだけ楽になるだろうって、そう思って、貴女のところへ行ってみるんですけど、そうすると大抵はムラサやら、ぬえやらが貴女にじゃれついている訳で、げんなりしちゃいます。蹴っ飛ばして、むちゃくちゃに暴れてやりたくなります。
でも私だって、そこまで子供じゃありませんし、結局、何も出来ずに自室に戻って、布団にもぐりこみます。無抵抗な布団をもふもふしたり、ばふばふしたり、ぎゅぅとしたりして、余計にぐったりしちゃいます。最悪です。
何だかもう、居ても立ってもいられなくなって、ごんごんと、床に頭を打ち付けたりして、そうすると少し、気が紛れたような風になるんですが、でも、すぐに後悔します。だって、おでこが痛いんですもの。
仕方が無いので、布団の下に常備してあるマタタビに手を伸ばします。あれはいいです。辛いことも苦しいことも忘れられます。
でも、へべれけになって、一人でごろごろしてる姿は皆には見せられません。ムラサ辺りが知ったら、何を言って茶化してくるか分かったものではありませんから。
そうして、私の一日は終わります。目が覚めれば朝です。患わしいです。
聖、たまには私で遊んで下さい。
違うんです。本当は分かってるんです。きっと、私が昔のようにじゃれついたって、貴女は優しく笑って、それで多分、可愛がってくれると思うんです。でも、なんか、嫌なんです。こんな、馬鹿みたいに大きなナリで、子供みたいに貴女に甘えるのはなんか、なんていうか、無理です。きっと、抱きついた勢いで貴女のことをぺちゃんこにしてしまいます。それはだめ、なんです。
ねぇ、何で私、こんなに大きくなってしまったんでしょう?
聖も、ムラサも、一輪も、ナズーリンだって、千年前から外見は変わっていないのに、どうして私だけこんな、めきめきと育ってしまったんでしょう?
理不尽です。横暴です。この調子で大きくなって、もう千年くらいしたら、廊下の天井に頭がつくんじゃないでしょうか? そんなのいやです。不便です。一万年後には、どうなるんでしょう? 奈良の大仏の真似事とか、勘弁して下さい。
ムラサは『熟んでる』って言いました。きっと、膿んでるんだと思います。膿んで、熟れ切って、さっさと落果してしまえばいいんです。地面に堕ちてぐちゃりと潰れて、きれいさっぱり無くなってしまえばいいんです。こんな、脂肪の塊。もう、やけくそです。本当に、変です。だって、傷んでます。もうずっと、胸の奥がぐちゃぐちゃと、痛んでるんです。
おかしいのはそれだけじゃないんです。最近、すごくお腹が空くんです。
毎日ちゃんと三食摂っているのに、足りないんです。満腹だなんて、思えません。掃除機みたいに何でも吸い込んじゃいます。私、実は寅じゃなくて、野槌だったんでしょうか? そんな訳ないですよね。
昔はこんなんじゃなかったんです。
貴女が封印される前は薄味の精進料理ばっかりで、正直、お肉が食べたいなって、そう思うことはあったんですけど、空腹感を抱くことなんて滅多にありませんでした。体が小さかったからでしょうか?
貴女が封印された後は、何ていうか、食欲自体、余り湧かなかったです。
ナズーリンは料理上手で、味付けも私の好みに合わせてくれて、とても美味しいんですけど、やっぱり何か物足りない気がして、それが申し訳なくて、時には自分でおたまと包丁を握ったりもしたんですが、自分の作った料理は全然美味しくありませんでした。はっきり言ってあれは、食材の皆さんに謝罪すべき代物でした。
自分なんかの料理を『美味しいよ。』って言って食べるナズーリンは舌が馬鹿なんじゃないかって思ったくらいです。ええ、馬鹿は私ですね。きっと彼女が優しいから、そう言ってくれたんだと思います。
何だか、食べ物の話をしていたらお腹が空いてきました。
困りました。メロンパンはもう全部、食べちゃいました。
勢い任せに走って来ましたけど、帰り道が分かりません。
長いこと廃寺に引き篭もっていたせいか、いまだに幻想郷の地理ってよく分からない部分が多いんですよね、私。
いつの間にやら、お日様にも愛想を尽かされたようで、お山の向こうに逃げて行かれます。夕日がとても、きれいです。
毘沙門天の宝塔も忘れてきてしまいましたし、打つ手なしです。まぁ、あっても役立ちそうにないです。今の私じゃきっと、宝塔もヘソを曲げて、行く先を照らしてなんかくれません。だって穢いです。うんざりです。正義なんて、口に出すのも憚られます。こんな気持ちのままじゃ帰れません。
ごめんなさい聖、本当は最初から分かってたんです。
貴女は私に一言だって、『一人で食べろ』なんて言ってません。
あのメロンパン、皆で食べるつもりで作ったんでしょう?
焼きあがったメロンパンを抱えて、皆が集まりそうな本堂に行ったら、そこに偶然、私が居た。だから私に渡した。それだけでしょう?
だから、ごめんなさい。美味しかったです。
足りないんです。すごくすごくお腹が空くんです。いっぱいいっぱい食べたかったんです。ナズーリンの分も一輪の分もムラサの分もぬえの分も全部全部欲しかったんです。独り占めしたかったんです。ごめんなさい聖。メロンパン、全部食べちゃいました。美味しかったって、今でもそう思います。今頃は私のお腹の中でどろどろに蕩け合って、きっと吐き出したところで元には戻りません。私に渡した貴女が悪いんです。ああ■■■食べたい。
駄目なんです。貴女が傍にいないと駄目なくせに、貴女が傍にいると、もっと駄目なんです。昔はこんなんじゃなかったんです。やれば出来る子だったんです。仏でだっていられたんです。それが今じゃ、寅か猫かも判らぬ有様です。せめて貴女の前ではしゃんと、ぴしっとしていなければと、そう思うんですが、貴女が近くにいるとどうにも、でれっとしてしまって、情け無いやら、面目無いやらで、いたたまれなくなります。尻尾は勝手に動いて落ち着いてくれませんし、それが、傍から見れば構って欲しがっているように見えるんじゃないかって、そう思うと、顔がかんかんに熱くなって、死にそうになります。いっそムラサのように全身が冷たければ好かったんです。
ごめんなさい。私、近いうちに代理の仕事、お休みを貰おうかなって思うんです。だって、もう無理です。今の私は貴女のように、皆に平等に接する事なんて出来ません。きっとそのうち、貴女がそう在ることすら我慢出来なくなりそうです。
判ってます。判り切ってます。一番どうにかしなきゃいけないのは、ムラサでもぬえでも一輪でもなく、私です。一番どうしようもないのが私です。助けて下さい。いえ、やっぱりいいです。遠慮します。どうせなら軽蔑して下さい。貴女はきっと、誰のことも蔑んだり、罵ったりはしないでしょう。だから、『だけ』ならいいんです。貴女の『だけ』なら、何でもいいです。
とら より
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「まったく、わざわざ三途の河原までやって来て、紙切れ相手に睨めっこして――ご主人、キミは一体、何がしたいんだい?」
そう言って私は、キミに声をかけた――――
私が河原に着いた時には既に、聖のメロンパンは――キミが持ち去ったメロンパンは全て食べられた後だった。
私は別にメロンパンが食べたかった訳じゃないので、三日後くらいにはキミの体重が増えているんじゃないかって、それが心配だった。
すぐに声をかけようかとも思ったけど、キミは座り込んで、何か一心不乱に文章を書き殴っていたので、しばらくは様子を見ることにした。
最初はスラスラと書けていた手紙もだんだんと筆が進まなくなって、ところどころに線を引くように墨を入れて、しまいには頭を抱えて考え込んで、ようやく書き上がったところで、声をかけた。
「まったく、わざわざ三途の河原までやって来て、紙切れ相手に睨めっこして――ご主人、キミは一体、何がしたいんだい?」
ビクリと肩を震わせて、発条の切れかけた機械人形みたいな、ぎこちない動きで私の方を向く。見上げたと言う方が正しいね。本当にすぐ真後ろに立って、キミの手紙を覗き込んでいたから。というか普通、気付くだろうに。キミは慌てて手紙を丸めて、乱暴に懐にしまってから、私に尋ねる。
「ナズーリン……ですか?」
「他の誰かに見えるのかい?」
うん、国語のテストなら0点だ。まぁいいじゃないか、ここは寺子屋じゃない。そもそも愚問だしね?
「どうして、ここに?」
「従者が家出した主人を迎えに出るのに理由なんていらないと思うけど?」
或いは迷子になった、かな?
行く当ても無いくせに勢いだけで飛び出すからそうなるんだ。今度から迷子札でも持たせようか?
「ですから――どうして私がここに居ると?」
「馬鹿だね、ご主人の事なんて目を瞑ってても捜し出せるよ」
うん、ちょっといいこと言った気がする。のに、キミときたら、ひとの言葉を聞いているのかいないのか――単に余裕が無いだけだろうね。
私の顔を見て――きっとイジワルい顔をしてたのかな? おずおずと訊いてきた。
「えと……その……あの……見ましたか?」
「何を?」
「何をって……だから……ああ、もう! 見ましたね!? 見たんですね!?」
「うん、見た。じっくりたっぷり一字一句逃さず目を通したと思う。酷いもんさ。それじゃ何回推敲したって恋文にはならないよ?」
「そんなつもりで書いたんじゃないです!!」
キミの顔が噴火した。
うん、知ってる。ちょっとからかいたくなっただけ。こっちは遠路遥々、お寺からキミを迎えに来たんだ。少しくらい、私の前でも赤っ恥をかいてくれたっていいじゃないか?
それに実際、どうにかした方がいいと思う。第一にキミ、ボケたらボケっぱなしじゃないか。
せめて、『大事なことなので二回言いました』くらいは書き添えておかないと、伝わるものも伝わらないよ?
キミの場合は素の可能性もあるから何とも言えないけど……
「まぁ……取り敢えず、ご主人がメロンパンの十個や二十個如きで発狂するほど苦悩出来る生真面目妖怪だってことは理解したよ?」
「馬鹿にしてるんですね?」
いやホント、そういうところは大したものだと思ってる。だって、甘い物を独り占めして、バレたら泣きながらトンズラって、なにそれ。
やってる事がまるで寺子屋の子供と変わらないじゃないか?
キミは知らないだろうけど……あの後聖は、皆で食べるにしても超人的な量のメロンパンを焼き上げて、私達に振舞ったんだ。
船長や一輪なんかはきっと今頃、メロンパン漬けにされていると思う。
私は太りたくなかったから、ご主人を捜しに行こうって、そう言ったんだけどね?
聖は、『とらなら大丈夫です。昔からしようのない子ですけど、ちゃんと悩んで、答えを出せる子のはずですから。』って、妙に格好いい台詞を吐いてた。当然私には、彼女の言葉の意図するところはよく判らなかった。
信用されているのか、突き放されているのかは判らないけど、少なくとも――アレは駄目だね。見込みが無い。脈ナシってやつだよ。どうすんのさ?
というかそもそも、私が見る限り聖に色恋沙汰なんか無理だよ。アレはそういうんじゃない。だって想像出来ない。
聖は間違いなく愛情に篤い人だけど、それは広く厚く、世界そのものに蓋をするような、茫漠としたもので、キミが彼女に感じているような感情とは別物だ。まったく、キミも厄介なのに惚れてくれたものさ。おかげで私まで厄介な事になってる。どうすんのさ? ホント。
まぁ、積もり募った想いは心の隅っこに除けておいてだね……
「あと『脂肪の塊』発言は素直に謝る。撤回する。まさかそんなに深刻に考えるとは思わなかったんだ」
「遅いです。責任取って引き取って下さい」
「さらりと無茶を言うない」
いや、ホラ、私だって女の子だしさ、見ての通りの断崖絶壁だろう? 要するに無いものねだりさ。お互いにね。
出来ることなら引き取ってるって。プリーズミー脂肪。だよ。
馬鹿げたことを考えてても仕方ないし、ちゃっちゃと本題に入ろうか。
「話は戻るけどご主人その手紙、ちゃんと聖に渡す気はあるのかな?」
「え? あぁ……えぇ~っと……」
まるで考えてもみなかったって、そんな風に間の抜けた顔をする。
まぁ、あれだけ支離滅裂な内容の手紙を平然と渡せたら、ある意味で尊敬に値する。
そもそもキミのソレは、手紙と読んでいいのかすら判らない。恋慕に恥情、食欲までがごちゃ混ぜで、てんで要領を得ないもの。消化不良の感情を文塊にして吐き出しただけ。結局のとこ、どうしたいのさ?
何にせよ、私なら絶対無理だよ。渡せない。黒歴史にして机の奥にでもしまい込むと思う。
まぁキミの場合、机にしまったところできっと、失くすんだろうね?
ふと思い出して机の中を見れば行方不明の黒歴史。あそこにも無い、ここにも無いって言いながら、部屋中ひっくり返して慌てふためくキミの顔が目に浮かぶ。少しは整理整頓ってものを覚えたらって、そう思う。
キミはいっつも、『必要な物の在り処くらい、自分で分かるようにしてます。』って、過去を振り返らない、自信満々な顔で言うけどさ……でもやっぱり、違うと思うんだよ。部屋に散らばってる物を手当たり次第にかき集めて、一ヶ所に固めて置くのは、なんか違う。唯の蒐集だよ、それは。
おまけにキミ、昔の衣服やら小物やら、とっくにお役御免な代物をいつまでも捨てられないで溜め込んで――押入れの中とか、大きい葛籠と小さい葛籠を足して二をかけたような有様じゃないか。そりゃあ失くし物が多いのも当然だよ。事実、キミが私に頼む探し物の大半はキミの部屋の中から出てくるし。
「そうですね……せっかく書いたんだし……いやでも……うぅ~ん……」
私がそんな事を考えてる間にも、キミはしどろもどろで答えあぐねて――本当にしようがないと思う――私は呆れて手を差し出す。
「まぁどちらにせよ、お寺に着いてからの話さ。ほら、帰ろう?」
「いやです。今日は帰りたくありません」
うん、場面が場面なら良い口説き文句だと思うよ?
子供みたいにほっぺた膨らませて言わなければ、それなりに様になったんじゃないかな?
本当に手がかかる。私も放っておけばいいのに……まぁ、惚れた方が負けともいうし、仕方ないか。理不尽なものだね?
「煮え切らないね。お寺に戻って、聖に抱きついて、『貴女のお嫁にして下さい』って、そう言ってキスの一つでもしてやればいいじゃないか? 五秒で終了。簡単だよ?」
「人の気も知らないで無茶言わないで下さい。というかそれ以前に、貴女には’でりかしー’ってものが無いんですか?」
「デリカシーはともかく……気持ちなら解ってるつもりだよ。何せ、私とご主人の仲だからね」
「……まぁ……なんだかんだで実質的には、一番長い付き合いですもんね……」
キミは本当に鈍感だと思う。
デリカシーが無いって、それはキミのせいだよ。多分。
私はこんなにはっきりと言ってるのに、キミったら、ちっとも聞いてくれないんだから。イヤになっちゃうよ。ホント。
同じだって――キミにとっての貴女は、私にとってのキミだって、そう言ってるのに――キミには伝わらない。聞いてくれない。つまんない。でもまぁ、仕方ない。私の方も言葉が足りてないしね。だって、真正面から伝えるのは無理だもの。
駄目だね、私も。自分じゃ出来もしないくせに、キミには偉そうな事を言ってさ。でも、助言するだけでも十分に聖人君子だと思うんだ。だって、言うなれば聖は、私の恋敵じゃないか。私がキミと彼女のことを応援してどうすんのさ?
うん、唯の意気地なしだね。自己嫌悪。穴掘りたい。
「はぁ、何だかね。ご主人を捜してたら気疲れしちゃったし……少し休ませて貰おうか……」
アテもなく、キミの横に腰を下ろした。
とぷり。と、お日様が山なみに落っこちて、頭上の空は蒼く染まっていく。
カァカァと煩い烏の声が遠のいて、ああ、一日が終わるんだって、思う。
「それにしても困ったね? どうやってご主人をお寺に連れ戻せばいいのかな? お前達、何かいい案はないかい?」
「本人のすぐ横に座って堂々と内緒話をするの、止めませんか?」
キミはそう言うけどね、私はダウジングをしながら――ジグザグ飛行でここまでやって来たものだから、くたくたなんだ。
いざとなったら、お寺から持ってきたマタタビの実をキミにくらわせて、引きずって帰ればいいやって、そう思ってバスケットの中を見れば……腹を空かせた小ネズミ達がきれいに平らげてた。うん、お前達、後でおしおき。そこに正座。
そういやキミ、一人マタタビがどーのこーの書いてたけど――そんなの皆知ってるよ。知らぬは本人ばかりなりってヤツ。
だってキミったら、酔っ払うと文字通り虎になっちゃって、人目も憚らずに聖に抱き付いては舐めたり頬擦りしたりで、見ちゃいらんない。なんていうか、でっかい子供。
ねぇ、辛い事も苦しい事も忘れちゃっていいけどさ、楽しい事くらいは覚えとこうよ? ホントに見ちゃいられない。
というか一体誰がマタタビで酔いつぶれたキミを部屋まで運ぶと思ってるんだい?
上司の肩を持つくらいは部下の務めとも思うけどね――さすがに全体重は荷が重い。
お日様もすっかり沈んだことだし、いい加減、帰って湯に浸かりたい。
「ご主人、私はお風呂に入りたい」
「同意です。が、帰りません」
私の独り言めいた会話には柔軟に応じてくれるくせに、キミも頑固だな。
「ご主人が意地を張らずに帰ってくれるなら――そうだね――私が背中を流してあげても構わないよ?」
「いえ、別に結構です」
つまんないの。なんだい、昔は一人じゃ髪も洗えなかったくせに、生意気じゃないか?
風呂を上がる前に十数えるつもりが、五秒で眠っちゃって、肩までどころか頭までお湯に浸かって、ズブ濡れのまま飛び出して来るくせに。
「私には夕餉の支度もあるんだけどね? 今なら注文も受付中だよ?」
体にバターと塩を塗りこんでお待ち下さいとか、そんなのでなければね。
「じゃあ私の事なんか置いて、帰ってあげて下さい」
つまんない。キミがいないと、卵かけご飯くらいしか作る気にならないんだけど?
茶碗いっぱいの白米。その上に真っ白な卵が乗っかって食卓の上に鎮座する光景をキミは知らないんだ。
キミが帰らないと、キミ以外の全員が心に深い傷を負うことになるんだよ?
うん、いい加減シビレを切らしそう。
「そうだね、キミのせいでメロンパンにもあり付けなかった事だし、かーえろっと」
「――――!」
酷いこと言ったって、口に出してから気付く。でもきっと、キミだって悪い。私の前で弱みなんか見せるから、そうなる。
やぁどうも、手紙の方では散々に褒めちぎって頂いて恐縮至極。感謝感激光栄の極み。でもお生憎様。私はきっと、悪い部下だ。
キミがしたことを誰も怒ってなんかいないって、そう教えてやれば、キミがこんな下らない事で悩んでる理由も無くなるっていうのに――私は黙って、知らんぷりだ。ヤな奴。
隣に座るキミを見れば、暮れなずむ空とお揃いの群青色。きっと私も。溜め息が出ちゃうね。
「…………」
「…………」
キミは何も言わない。きっと、私が話しかけない限り、ずっとそうしてるんだろうね?
立ち上がる。
草むらに腰掛けていたせいか、お尻の辺りがじっとりしてて、気持ち悪い。
群青色のキミを置いて、群青色の私は一歩、二歩と、お寺の方へ歩いて――くるりと振り返る。キミは相変わらず座り込んだまま。
私より一回り以上は大きいはずの背中が酷く小さく見えて――私はとてとてと、キミの方へ駆け寄って、その背中に被り付いた。
「……帰るんじゃなかったんですか?」
「んー、何となく。」
どんな気持ちだったのかなんて、知らないよ。そんなの。
細い首にするりと腕を回して、キュッと締めつける。
背中の丸みに沿ってくっついて、軽く体重を預ける。
髪と髪が触れ合う感触がして、耳元がくすぐったい。変な気分。
ヤな感じじゃなくて、でもなんだか、落ち着かない。
ほんの少し頭を動かすと擦れ合って、背筋がゾクリとする。
なんだか急に、乱暴したくなる。
「……ねぇ、ご主人?」
「……何です?」
「聖が復活して、嬉しかった?」
馬鹿なことを訊いてるって、判ってるのにね。答えなんて聞くまでも無い。
「……馬鹿なことを訊かないで下さい」
うん、ごめん。私は誰よりもキミがそれを願っていたのを知ってるつもり。
千年間、一日も欠かさず願い続けた再会だったんだろう? 夢に見続けて、焦がれ続けた瞬間だったんだろう?
だから私は面白くないし、嬉しくない。だって、キミが笑ってない。
「じゃあ何で今、ご主人はそんなに辛いんだろうね?」
「…………」
聖に会えて誰よりも嬉しいはずのキミが、誰よりも苦しそうにしてる。
苛苛するんだ。ムカムカするんだ。けちょんけちょんにしたくなる。
そう、例えばキミが――
『聞いて下さいナズーリン! 聖と一緒に買い物に行って来たんです。ふと覗いた小物屋に可愛い髪飾りがありまして……聖に頼んだら買ってくれたんです! 似合いますか? ああ!? だめですよぅぐりぐりしちゃぁ!!』とか――
『ナズーリン、どうすれば呼吸をするくらい自然な流れで聖と同衾できるか考えています。知恵をお借りしたいです。……え? 聖以外の全員の布団を捨ててしまえばいい? 貴女、天才ですね!』とか――
まぁ、若干のフィルターが動作してるのは認める。とにかく、そういう事を笑顔で言うくらい能天気だったら――私だって笑ってたと思うよ。
キミが思いっきり幸せなら、私だってきっと、笑える。だからどうか、笑っていて欲しいと思う。
そんな風に抱え込んで、悶々として、溜め息ばっかり吐いて。そりゃ幸せだって、逃げてくって。
キミが沈み込んでいるのを見ると、私までイヤな事ばっかり考えちゃうだろ?
お願いだから、こんな事なら聖が復活しなければ良かった。なんて、私に思わせないで欲しい。
ああ、うん、これはいけないや。私も仏門から足を洗った方がいいのかもね?
それとも、二人で竹林の薬師のところにでも行こうか?
無理無理、さじを投げられるに決まってる。だってこんなのは原因不明の熱病みたいなもので、真面目に取り合う医師がいたらそっちの方がどうかしてる。医者の不養生なんて笑えない。
本当に、どうしようもない奇病難病だよ、こいつは。症状ははっきりしてるのに出所が判らない。
そもそも理由があるとは限らない。むしろ無い方が多いと思う。
面倒なのは病人自身が、その症状ゆえに適当な理由をでっち上げて、自分を納得させてしまうことさ。末期だよ。キミも。私も。
ズブズブと泥沼に沈んで、気がつけば泥人形。人並みの知性すら失くして芋虫みたいにのたうち回ってはくたびれ三昧。ドジも愛狂なんて、冗談じゃない。
おまけに、こんな状況の元凶である彼女は泥沼の上でも笑って咲いているんだから遣り切れない。ごめん聖、分かってる。唯の八つ当たり。
死んじゃえ、私。
でもまぁ、キミの場合はちょっと勝手が違うのかもね?
卑怯なんだ、私は。キミが苦しんでる理由だってなんとなく解ってるくせに、わざとその心を抉るような真似をしてる。
せっかく心に真新しい傷が出来たんだから、溜め込んだ膿を全部出しちゃった方がいい。治療だよって……そう思って私は、自分を正当化した気になるんだ。
自分のこの、ずる賢さ、自他を誤魔化す手際のよさには本当に感心する。
賢いことが善い事とは限らないって、つくづくそう思い知らされて、吐き気がこみ上げる。それでいて吐くことは無い。
自分の中に沈殿している汚いものを全部、きれいさっぱり吐き出してしまえれば、どれだけ楽だろうかと思う。それを全て、キミが受け入れてくれるなんて――そんな幻想を信じられる程に私が愚かで純粋だったなら――こんなに心を傷める事は無いのかな? なんて――ああ本当に私は言い訳上手だ。小賢しい。
「ねぇご主人、お腹が空いてるんだろう?」
「メロンパンなら……沢山食べました」
「でも全然、足りない」
「…………」
キミがそう書いた。
「お寺に帰ればキミの好きなものが食べられるかもよ?」
「……どういう意味です?」
訊き返すキミの言葉に僅かな影が差して、私はぢくぢくと、胸が膿んで、爛れていくのを実感する。
良心が警鐘を鳴らしてる。この先の言葉を飲み込まなきゃって思う。だって、お互い傷付くだけだもの。反面で、それを期待しちゃうのはまぁ、やっぱり病気なんだろうね。
うん、もういいや、そういう事にしちゃえ。
「そのまんまの意味だよ。キミの好きな者が在るだけ。ねぇ、だってご主人? もし、もしもだよ――」
「……たら、ればの話など、するだけ無駄ですよ」
キミはきっと聞きたくないし、訊かれたくない。
でも、私にもよく解らないんだ。キミが何を思ってアレを書いたのか――
「聖がキミに、ヒトを喰らうことを許したなら――」
「聖が許す訳がありません」
認めたくなかったんだ。心の底に封じ込めたんだ。だから――書いて、消した。黒く塗り潰して蓋をした。
「キミは真っ先に――」 「だからナズーリン――」
だって、キミが書いたんだ。
「聖を「少し黙って下さい」――ッ!」
『貴女を食べたい』って――――
音が聞こえる。
衣擦れの音。地面と背中の擦れる音。乱暴。イヤだな。服に皺が寄っちゃう。
荒い息遣い。心臓の鼓動。どっちの?
そっと、瞳をこじ開ける。恐る恐る。
目に映ったのは、宵闇の空と――きんいろ。
まん丸い双眸から星の雫が落ちてきそうだった。
「ご主人、なんて顔してるんだい」
「知りません。自分じゃ分かりません」
真っ直ぐに、私の目を見る。きんいろの目。
何て言ったものかな? 泣きそうな顔? 怒ってる顔? 崩れそうな顔? とにかく――
「綺麗な顔」
どうかしてるね。
だって、仕様がないじゃないか。
ここ数百年はキミ、一度だってそんな顔をした事なかったじゃないか?
いつだって渇いた、諦めたような笑顔を浮かべるばっかりでさ、うんざりなんだ。そういうの。
「ナズーリン、私、怒ってるんですよ?」
「うん、知ってる。知っててキミの尻尾を踏んづけた。それで? 私を押し倒して、組み敷いて、ご主人は何がしたいのかな?」
「……知りません」
『貴女を食べたい』って――もしそう言われたら、私なら何て答えるんだろうね?
キミが書いた言葉、それの意味するところが劣情なのか食欲なのかはよく判らない。
多分、今のキミにとっては同一のものなんじゃないかと思う。
実際のところ私が心配してるのはそれが何かって事じゃない。キミ自身のこと。
今のキミは妖怪としての自分を著しく捻じ曲げてる。
ねぇご主人、キミは知ってるはずじゃないか? 自分がどういう妖怪か。
気付いてるんだろう? 千年間で自分の体が大きくなった、それが何を意味するのかを。
妖怪は精神性がものをいう生き物だ。心が体を成す。キミの姿はその心が妖怪として成熟したことを意味してる。
キミは元来、ヒトを喰らい、その畏怖を取り込んで生きる妖怪だ。それなのに――今のキミはソレを求めてない。他のものを食べて生きようとしてる。聖からの信仰と愛情だけで帳尻を合わせて生きていけるって、本気でそう信じてる。信じようとしてる。
別に笑う訳じゃないさ。可笑しいことじゃない。但しそうすると今度は、ぬきさしならない問題が待ち構えてる。
要は食性に関わらず、『食べる』という行為を経るってこと。
基本構造が大問題。
キミの中の妖怪は彼女を喰らえと命じる。貪欲に、容赦なく。
無機質で重く、冷たい、声ですらない衝動。抗い難い誘惑。
或いは――千年間、キミが聖と共に在ったなら――日に日に成長してゆく妖怪としての自分と折り合いをつける方法を学びながら歩いて来れたなら――そんな風に苦しまずに済んだ。それ以前に、聖に対して恋慕の情を感じるような事も無かったんだろうと思う。
でもそれこそ、たられば話だ。意味が無い。そんな歴史は与えられなかった。奪われてしまった。
だからきっと、キミは何も間違ってない。
間違っていたのは――千年前、あの頃のキミが右も左も判らない子供だったって――その事実だけだ。
初めてキミに逢ったとき、不敬にも私は思ってしまったんだ。『なんだ、まるで猫じゃないか。よく飼い慣らされてる。』って。
本物の毘沙門天様からは寅の妖怪だって聞いてたからさ、どんな厳つい妖怪が仏頂面してるのかと思ってたんだ。それがどうだい、蓋を開けてみれば私より背丈の小さい子寅のお出ましだ。なにそれ。
無邪気に笑って、聖の後を小走りについて回るキミは可愛かったけれど……とてもヒトを捕って食う妖怪には見えなかった。
遠慮なしに言えばキミは、首輪を嵌められ、餌付けされながら育った、牙を失くした哀しい虎だよ。
いや、違うね。それを願ったのは多分、キミ自身だ。少なくとも、今はそう。
キミは自分の中の妖怪を殺しながら生きてる。一人殺しては聖のため、二人殺しては聖のためってね。
そうやって、自分の牙をヤスリでガリガリ摩り下ろしながら弱っていくつもりなのかな?
そこまでして、自分を誤魔化しながら彼女の傍に居てどうするんだい?
きっと足りない。今のままじゃキミは飢えて死ぬ。千年間、まともに食事を摂らなかったツケが回ってるんだ。
いや、それも違うか。聖が復活するまでのキミは、何も求めていなかった。
食べるものが無いのが問題じゃない。心が飢えていないなら、無理に食べる必要なんてない。
求めて尚、手に入らない事が問題。心の飢渇は妖怪にとって致命的だ。
ねぇ、もう食べちゃいなよ?
信仰も愛も、全部丸ごと腹の中に飲み込んじゃえ。楽になるよ?
その後の事は知らない。どうでもいい。
第一、後の事なんて無い。きっと、そこには永遠に届かない。
キミが聖に獣の如く襲いかかったところで結果は見えてる。
片手であやされて、それだけ。お終いさ。
要するに私も、今に耐えられないだけ。
早く終わってしまえって、そう思う。
けど、まぁ――――
言える訳ないよね、そんな事。
「ご主人、すんごく重い。」
結局、口から出るのはどうでもいいようなことばっかりだ。
いつだって実際的な問題で手が一杯で、本音を漏らしてる余裕なんてありゃしない。
それにしてもキミはなんていうか、やっぱり、大きい。
押し倒されたのはまぁイヤじゃないっていうか、わりと大歓迎なんだけど、お腹の上にどかりと腰掛けるのはちょっと、いただけない。
私とキミでどれだけ階級差があると思ってるんだい?
正直、私が下っていうのは無理があると思う。困った。
「知りません。ぺちゃんこになってしまえばいいんです」
「そういうのは……聖に任せる。キミだってそっちの方がいいんじゃないの?」
「……ナズのいぢわる」
「ご主人キミ……ちょっと不器用すぎるよ」
ねぇ、きっと簡単なんだ。そのはずなんだ。手を伸ばせば届くはずじゃないか?
千年前、何も出来ずに離してしまった手を繋ぎ直したくて……キミはそのために聖の封印を解いたんじゃないのかい?
「仕方ないね。私が一つ、お手本を見せてあげよう」
「え――――?」
大丈夫、大丈夫、出来るって。簡単簡単。
だから、ほんのちょっとだけでいいんだ。『お星さまにお願い』ってヤツだよ。私に勇気をくれないかな?
キミの腕を掴んで、グイと引き寄せて――
「ちょ――――」
落っこちてきたキミをギュっと、思いっきり抱きしめて――
「キミのお嫁にして下さい」
そう言って――
「ナズ「――――――――」」
キス。五秒。
『ほら、簡単じゃないか?』って、あっけらかんに笑って言ってやるつもりだったんだけど、困ったな――――
五秒って意外と長い。
どうしようなんか、ぐるぐるしちゃう。
目の前はきんいろ。
近すぎて焦点は合わないけど――キミはきっと、驚いた顔。
千年間でキミは一回りも二回りも大きくなったけど――その瞳は変わってない。初めて逢ったあの頃と――
思い出すのは、声。
遠い、或いは近い、記憶の残響。
キミと私の、間違いだらけだった思い出――
『ねぇ聖殿、コレは一体全体、なんの冗談かな?』
『新しいご主人に向かってコレなんて……ナズちゃんてば、尻に敷くタイプでしょう?』
『巨大なお世話。あと初対面の相手に勝手な愛称を付けて呼ぶのはよしてくれないかな? 私はこの山で最も信頼される妖怪が毘沙門天の代理をする事になったと聞いたから――どんな気品と威厳を身にまとった偉妖かと思って来てみれば――』
『ひじりー、いよーって何ですか?』
『掛け声です。その一言で愛と勇気と根性が十倍になるんですよ?』
『いよーってすごいんですね!!』
『ええ、すごいんです!』
『ねぇ……なにこれ?』
初めて見たキミはとても、小さかった。
『ナズ! 起きて下さい! ナズってば!!』
『なんだいご主人、朝っぱらから……寝てる人とかの上に乗っちゃいけないって……聖に教わってないのかい?』
『ないです!』
『ハァ……で? ご用件は?』
『その……探し物を……』
『お断りだよ』
『そんなぁ……』
『私はキミの部下だが勤務時間は午前八時からと決まっているんだ。第一にキミ、この間だって鈷杵を失くしたと言って私に泣き付いて来たじゃないか?』
『この間は探してくれたのに……ナズのいけずぅ……』
『そう、そうだね。ダウジングの結果、件の鈷杵がキミの服から出てこなければ――考えてあげても良かったんだけどね?』
『えと……だからそれは……その……ごめんなさい……』
『…………』
『…………』
『……で?』
『……で?』
『今度は何を失くしたんだい?』
『……! ありがとうございます!!』
『いいよいいよ、探し物は何ですか? ご主人様?』
『髪飾りです! いつも枕元に置いてから寝るんですが……今朝、目が覚めた時にはもう……』
『目覚めた時にはもう頭の上に乗っかってたって訳だ。鏡も見ず私の所に来たのかい? このそそっかしんぼめ』
『!!』
千年前、キミはダメダメだった。
『まったく、何だってこんな子寅様に仏の代理が務まっているのやら……うりうり……』
『……うにー』
『ダメですよナズちゃん、昼寝中の子にちょっかい出しちゃ……それにこの子……妖怪にも人間にも大人気ですよ?』
『間違ってる。絶対なんか間違ってる。第一、聖はなんでこんなのを代理に選んだのさ?』
『そうですねぇ……ナズちゃん、とらには内緒よ?』
『何がさ?』
『神輿って分かります?』
『まぁ……人並みには』
『アレと似たようなものです。仏を仏たらしめるのは常に人の仕事であり、仏に求められるのは、それに応える気概だけです』
『そんなものかな……』
『そんなものですよ。案外』
『まぁそれでいいか……それはそうと聖、最近どうも、貴女に関して好からぬ噂を耳にする機会が増えてるんだけど?』
『そうでしょうね。色々と原因はあると思いますが……迎えるべくして迎えた状況なのでしょう……』
『どう収めるつもりさ?』
『彼等の安らかなるままに』
『……それで、私達が納得するとでも?』
『ですから、とらには内緒ですよ? 聞いたら何をしでかすか分かりませんから』
『解せないね。何も知らされずにその時を迎えれば……それこそどうなるか分かったものじゃないよ?』
『そうですね……二人には暫くの間、この寺から離れていて欲しいです。理由はこっちで適当に用意しますから……ナズちゃん、この子をお願いね?』
『……貴女は狡い。自分を一番に必要としてる者をないがしろにしてる。博愛は相手によっては薄っぺらな愛だって、解らない訳じゃないだろう?』
『……ナズちゃんは手厳しいですね』
『……聖が優しすぎるから、二人合わせれば丁度好いくらいだよ』
『それはそれは……残念です』
『……意地っ張り。後悔するよ、絶対。ご主人だって、悲しむ』
『でもホラ、獅子は我が子を千尋の谷に――』
『笑えない冗談だね。貴女は千尋の谷に身投げして、置き去りにした子の行く先を見守る義務すら放棄しようとしてる。それは優しさでも厳しさでもないよ』
『……白状するなら、これは私の我侭なのでしょうね。別れを告げたくないのです。何故か……今生の別れという気はしませんから』
『根拠は?』
『女の勘です』
『チョット、ふざけないでよ』
『しいて理由を挙げるなら……親子の愛情は千尋の谷よりは深いものでしょう? なら、いつかまた会えるに決まっています』
『……お手上げ。いいよ、好きにしなよ。せいぜい後の事は任された』
『御免なさいね? 貴女に押し付けてしまう形になってしまって……』
『それは……苦労のうちに入らないよ。私にとっては』
『にゃむー……』
千年前のキミはどうしようもなく、小さかった。
『放してくださいナズ! 山に帰るんです! もう仏なんて辞めて……妖怪らしく、平和に暮らすんです! だから――尻尾を放しなさい!!』
『どうどう、どうどう。そんなこと言ったってご主人キミ、人の襲い方もろくに知らないんじゃないの?』
『それくらい知ってます! なんですか馬鹿にして! がぉーってホラ! 簡単じゃないですか!!』
『ホラ見なよ、言わんこっちゃ無い。やっぱりダメじゃないか。そんなんじゃ襲った先の人間にお持ち帰りされて、逆に食いものにされるのがオチだって。ちょっと落ち着きなよ。キミは聖がいなくなって、やけっぱちになってるだけさ』
『イヤです! 聖もいないのにこんな事を続けて――何になるって言うんですか!? 第一、聖は私に何も言わずに行ってしまったんですよ!? 一言、相談してくれれば――なんだってしてあげられたのに!! 私は聖に信用されてなかったんです!!』
『……違うよ。聖はご主人のことを想って、敢えて何も言わなかったんだ。キミが毘沙門天でいることは聖が望んだことだよ』
『……聖の?』
『そう、何で彼女が何も言わずに去っていったのか――よく考えてみなよ? キミの今の立場を護りたかったんだよ。きっとね』
『…………』
『人外扱いされ、人間達の傍に居られなくなった自分の代わりに、どうしようもなく愚かで脆い人間達を見守ってやって欲しいって――彼女はキミに、寅丸星に、そう願ったんじゃないかな?』
『…………』
『彼女が己の身をなげうってまで託した願いを、ご主人――キミはそんなにあっさりと捨ててしまえるのかい?』
『…………』
『…………』
『……ナズ……』
『……うん?』
『私……少しだけ……頑張ってみます』
キミは少しだけ、大きくなった。
『ええと……右手に宝塔、左手に鉾、着付けは――ナズ、これで大丈夫ですかね? いつも聖にやって貰ってたんで自信が……』
『うん、ちょっと背丈と――あと威厳が大幅に足りてないことを除けば――完璧だね。完璧だよ』
『何か奥歯にひっかかりますが……えと……似合ってますか?』
『ああ、どこからどう見ても――雛人形にしか見えないね!』
『ナズのばか! 今に見てなさい! すぐに大きくなってやるぅ!!』
キミはまだまだ、小さかった。
『宝塔ってコレ……大事な物なんですよね? 封印のことを除いても……』
『うん、迷える者の行く手を照らし出し、邪なる者を退けると言われているね』
『なんていうかパッと見だと唯の……手乗り燈楼ってかんじですけど……』
『ていうか事実、普通の照明だよ』
『ええ!?』
『光っていうのはそれ自体が退魔の意味合いを持ってるからね……要するに方便だよ』
『ご都合主義ってヤツですかね?』
『‘大人の事情’ってヤツさ』
キミは多分、大きくなった。
『本堂にいないと思ったら……もう巳の刻に入ろうっていうのに布団に包まって、一体何をしてるんだい?』
『ある朝、目が覚めると、蓑虫になっていたんです』
『まだ冬には早いと思うけどね?』
『だってもう……無理です。』
『……私の勘によると今朝のご主人は夢見が悪かった。そんなとこだろう?』
『…………』
『失くしものが見つからない? 迷子にでもなってたのかな? それとも――聖が居た頃の夢でも見たかい?』
『……ナズーリン、ヒトはどこまで愚かで……身勝手なんでしょうね?』
『さぁ、人に依るんじゃないのかな?』
『自分の崇拝した者さえ――簡単に忘れていく。今に見てなさい、こうして三年も蓑虫でいれば――彼等はきっと、私の事だってすぐに忘れます。彼等が私を信じていようと――私は彼等を信じられません』
『それでもそんな人間達を彼女は――』
『彼女に……そう、彼等は……自分達が彼女に勝手な幻想を押し付け、勝手に幻滅し、挙句、彼女をどうしたか……そんな事すらとうの昔に忘れて安穏としています……うんざりです……』
『そりゃ人間ってのはそういう風に出来てる。ご主人とは生きてる時間が違いすぎるもの。彼等に言わせれば、何百年も引きずっていられるキミの方がどうかしてるんだろうさ。或いは――寿命のことを差し引いたとしてもね』
『……それでも私は――失くせません。手放せません。』
数百年、キミは随分と、大きくなった。
『船内に姿が見えないから何処に行ったかと思いきや……まったく、いざ聖を復活させに行こうって時に甲板で昼寝なんて、呑気なもんだね?』
『ここは春風が気持ち好いですから……果報は寝て待てとも言いますしね?』
『そういう台詞はやる事やってから吐くべきだと思うよ?』
『失礼ですね、こう見えても出来ることをやってるんです。まぁ待ってなさいナズーリン、今にネギがカモを咥えてやって来ますから……』
『また随分とあべこべだね』
『材料が揃う事には変わりないでしょう? なにせ仁徳のない、寂びた仏様の悪あがきですから……文句は言わないお約束です』
『そう……じゃあ、飛宝は揃いそうなのかい?』
『集まります。必ず。』
千年、キミは見違えるほど、大きくなった。
『ところでご主人、宝塔はちゃんと持ってるんだろうね?』
『え?』
『いや……え? じゃなくって……』
『いや! 大丈夫! 大丈夫ですって……ええと……確かこっちの袂に……あれ? じゃあこっちに……えぇ!? ならばっ……そんなぁっ!?』
『冗談でしょ……』
『こうなれば最終手段! 毘沙門流探し物術其の千三百七十四番 三点倒立!! 宝塔よ落ちてこーいっ!』
『…………』
『…………あの、ナズ?』
『あー、何かな? ご主人』
『助けてください。見ての通り、地に頭を付けてのお願いです』
『キミは本物のバカなのか』
千年、キミはダメなところはダメなままだったりした。
『ああ疲れた。巫女にはのされるわ、魔法使いには轢かれるわ……惨々だった』
『すいませんね……ホント。それで……どうでした?』
『ああ、すぐそこまで来てる。ご主人の言うとおり、カモを咥えていらっしゃったよ。問題はネギの方が超合金で出来てることだね。歯が立たない』
『何とかなりますよ。ここまで来てしまえば……どう転んでも結果は一つです。ムラサに感謝ですね?』
『ああ、船長はいい仕事をした』
『それに貴女も……ありがとうございます』
『……そりゃどーも。ご褒美に頭でも撫でてくれるのかい?』
『……なでなで……』
『子供扱いしないで欲しいな、まったく。』
『どうしろって言うんですか……』
『別に……このままでいいよ』
『ハァ…………』
『…………』
『…………』
『……ご主人、何を考え込んでるんだい?』
『……聖に会えたら……何て声をかけようかと思って……』
『さぁ? 思ったことを、思っただけ、吐き出せばいいんじゃないかな? どうせ、千年を埋める魔法の一言なんてありゃしないんだからさ』
『でしょうねぇ……彼女、怒ってないでしょうか?』
『怒る? 聖が? どうして?』
『だって……千年です』
『それは……キミのせいじゃない』
『それでも……千年です。人が変わるには十分な時間です』
『仮に聖が変わってしまっていたら……キミはどうするつもりだい?』
『分かりません。その時が来るまでは分からないままなんでしょう。だから――分からないままにしておくのが嫌になったって――それだけです』
『そう――うん? ああ、ネギが来た。ほら、宝塔。キミの行く手に光あれってね。どうせ振舞う相手もいない神徳なんだ、全部吐き出しちゃいなよ』
『それはどうも、帰って来る頃には唯の寅妖怪ですね』
『大して変わらないよ、きっとね』
キミは、今のキミになった。
何も知らず、聖に甘えていたキミを不覚にも可愛いと思った。
『ありがとう』と、そう言ったキミの笑顔は眩しかった。
呑気に寝こけるキミに悪戯するのは楽しかった。
放してと言ったキミを、放せなかった。
本当にお雛様に見えた。
からかわれて戸惑うキミを見るのも楽しかった。
失くしものばかりするくせに、自分からは捨てられないキミの傍に居ようと思った。
頼りになるのか、ならないのか、よく判らないキミ。どっちでも構わなかった。
ぎこちなく頭を撫でるキミの手が心地好かった。
別に仏じゃなくても傍に居たいって、そう思った。
きっと全部。好きだから。
善いところも、悪いところも、好きだから。それだけで片付いちゃう。
全部、好きが理由であって、好きの理由じゃない。
キミを好きな理由なんてきっと、無い。
始まりが何時だったかなんて、そんなの今更、分かるはずも無い。
きっとキミだって同じだ。聖に対する想いがいつ、親愛から恋慕にすり変わったのかなんて――訊ねたところでキミ、答えなんか持ってないだろう?
でも、その気持ちを意識し始めたのが何時かってことなら分かってる。きっと、二人同時。
聖の封印を解いたあの瞬間に、私達はろくでもない魔法に罹ったんだろうと思う。だって、あの時のキミと私は何か、変だったもの。
封印が解けるや否や、巫女を相手に弾幕ごっこを開始した聖の姿を目で追いながら、キミは茫然と立ち竦んで、私が声をかけてもウンともスンとも言わなかった。
一件落着して魔界から帰る途中の船内でも、キミの聖に対する態度は何処かぎこちなくて……聖の何気ない言葉に、キミは赤くなったり青くなったりで――私は、ころころ変わるキミの表情が堪らなく可笑しくて、同時に酷く、悔しかったのを覚えてる。
聖との再会はキミと私の千年間、その空虚さを余すところ無く暴き出した。
彼女の言葉一つで鮮やかに色めき立つ、今のキミはきっと、あの頃よりずっとずっと可愛い。
ねぇ、そんなの反則じゃないか?
キミは聖が変わってないかって、心配してたけど、それは見当違いだった。
結論から言うなら聖は――彼女は何も、変わってない。変わったのはキミの方で、キミはその事に気付かなかった。
それが今の、この惨状の、根本的な原因。
ホント、なんでキミはあんなに小さかったんだろうね?
おかげで私は、変に気取って、保護者面してキミに接してしまった。
一番最初のボタンを掛け違っちゃったんだ。気付かないままにボタンを掛け続けて――最後の最後に残った想いだけが、おさまりどころを失くしたまま、宙ぶらりんになってる。それを直すには全部のボタンを外して、最初から掛け直さないといけない。単純計算で、二千年。
絶対無理。頭がどうにかなっちゃう。
だから私は、余った穴に余ったボタンを何とか引っ掛けようとして、身を捩じらせてる。べそかきながら。ばかみたいだ。
仮にもう一度、あの頃をやり直せるとしたら――私は違う選択をしただろうか?
答えは否。だって、他にやりようなんて無かったもの。
あの頃のキミには聖に代わって支えてやる者が必要で、それが出来たのは私だけだった。だから――今のこの現実は私が望んだ結果のはずなんだ。きっと、何回やり直したって私は、同じ間違いを繰り返す。
ねぇ、さっきから私はキミに、『お寺に帰ろう』って、そう言ってるけど――私自身、それがどっちのお寺の事かは、よく分からないんだ。
もしかすると私が帰りたいのは、聖達が帰りを待つ方のお寺じゃないのかも知れない。
二人で千年を過ごしたあの、黴た廃寺。キミを連れて、あの頃に帰りたいって、時々はそう思う。だって、あそこには何もなかった。辛くなかったし、苦しくもなかった。キミはいつも、渇いた笑顔で、私はそんなキミの身の回りの世話をしたりして――それでも構わなかった。こんな痛々しい想いに気付いて、悩む必要なんて無かった。
嘘。
私はウソツキだ。口なんか開かなくても、嘘はつける。
いつもいつも自分を誤魔化して、騙して、そうやって傷つかないように、傷つかないようにって、上手く立ち回ろうとして、そんなんだから今、すっかりヤキが回ってこのザマじゃないか。遣り場のない淋しさだの、苦しさだのを溜め込んでは腐った皮肉に変えてる。
それだっていっそ、全部吐き出してしまえれば、どれだけ楽になるか知れない。それなのに私は、キミに嫌われたくないって、自分勝手にもなり切れずにいる。弱い。みっともない。あさはかだ。
ねぇ本当は、キミの事なんてきっと、これっぽっちも解ってなんかいないんだ。自分の事ばっかり。
キミを好きな自分が大好きなだけなんだ。
ニセモノの愛情。自己満足。笑ってよ。
本当、変なことばかり考えてる。病気。
いつかキミに語って聞かせた童話を覚えてるかな? 薄幸の少女と魔法使いと、王子様のお話。
柄じゃないって、そう思うし、そもそも大して興味も無かったんだけどね?
唯、外界に居た頃に偶々ネズミ友達からその話を聞いて、何となく印象に残ってたんだ。
うろ覚えなんだけど……今の状況をあの話に当て嵌めるとどうなるんだろうだろうね?
聖は魔法使いで、千年間苦しんだキミはお姫様? じゃあ私は王子様かい? それはいいね、採用。配役決定。
さぁ、狂った童話のハジマリハジマリ――――
あるお城に不幸な少女が住んでいました
少女は住み込みで掃除や炊事の仕事をしながら 希望の見えない日々を悲観に暮れて過ごしていました
少女は生まれつき とても美しい顔をしていましたが 身なりは貧相で 顔には暗い影を落とし 誰もその美しさに気付きません
そんな彼女の元に魔法使いが現れて 杖を一振りしました
するとどうでしょう? 少女は瞬く間に美しいドレスをまとったお姫様に早変わりしたではありませんか
彼女の雇い主であった王子様は目を丸くしてしまい ものも言えませんでした
少女は魔法使いに深く感謝して 勢い余って永遠の愛まで誓ってしまうのでした
立ち去る魔法使いに追いつこうと お姫様は無我夢中で駆け出しました
魔法使いは軽快な足取りでスタスタと歩いて行くので ガラスのくつではとても追いつけません
お姫様はせっかく貰ったガラスのくつを脱ぎ捨てて 魔法使いを追いかけます
王子様はそれを見て 捨てられたガラスのくつを拾い お姫様を追いかけます
魔法使いはスタスタと歩いていきます
お姫様は必死で走りますが 何故か追いつけません
王子様も必死で走りますが やっぱり追いつけません
息が切れ ドレスは破れ それでもお姫様は走ります
王子様もまた ガラスのくつを握り潰しながら走ります
走って走って走って走って それでも三人の距離は一向に縮まりません
お姫様は魔法使いに立ち止まって 振り向いて欲しいと思っています
王子様はお姫様に立ち止まって 振り向いて欲しいと思っています
魔法使いは立ち止まらず 振り向きもしないので 二人とも止まれません
どこまでもどこまでも 三人の追いかけっこは続きましたとさ
めでたし めでたし
ちょっと待ってよ、なにそれ。全然めでたくない。
これじゃ王子様はどうやったって骨折り損だ。
運良く魔法使いが立ち止まっても、王子様が追いつく頃にはきっと、二人は誓いの口付けの真っ最中。立つ瀬が無い。馬鹿げてる。
でもまぁ――それがお似合いなのかもね?
最初にお姫様を見つけたのは魔法使い。
お姫様の眼は正しい。
ずっとお姫様の傍に居たのに彼女の魅力に気付かなかった、間抜けな王子様。
ガラスのくつが無いとお姫様を探し出せない、愚昧な王子様。
敵う訳がない。当然の結果じゃないか?
ぐるぐるぐるぐる思考は廻る。吐き気がする。気が狂う。
どこの悪魔が造ったかも知れない恋の迷路の出口はキミの目の前。
抜け出せない。つかず離れず、迷宮入り。
――ていうかさっきから、五秒でありえない位いろんな事を考えちゃってるけど――なにこれ走馬灯? 死因は? キミ?
うん、多分キミはすっごい怒るだろうから――嫌われちゃうんだろうね?
イヤだなって、それなら死んだ方がマシだって……ああそうだね。これはもう死んでる。ご臨終。きっとずっと前から、私はキミに殺されてる。
一体全体、どうしてこんな事になったんだろうって――原因を辿ってみればやっぱり、彼女の顔が浮かぶ。聖のせい。絶対。
私とキミが悩んでるのも、変なことばっかり考えちゃうのも、全部全部、聖が悪い。
聖がメロンパンなんか作るからいけないんだ。
聖がキミに変なこと言うからいけないんだ。
聖が誰にでも優し過ぎるからいけないんだ。
聖がいるからいけないんだ。
そうさ、聖がいなければ良かったんだ。何も今々の話じゃない。
聖さえいなければ――キミは唯の、強くて気高い寅妖怪でいられたし、いつだってお腹一杯に人を食べて、きっとそれで満足だった。千年間も自分を責めずに済んだだろうし、今、そんなに無様に思い悩む事も無かった。
聖さえいなければ――キミは私と逢うことも無かった。
聖がいないと――キミと私は始まらないんだ。
もうホント、どうすればいいかわかんない。
「「――――」」
ようやく離れる。キミは何が起こったか分からないって、そんな顔をして……
「――……っっ!!」
じんわりと、その頬に朱が差す。
「……なっっ!!」
がばっと身を起こして――
「なにをするですかぁっっ!?!?」
赤面して、目線をあっちこっちフラフラさせて、上手く回らない口で訊いてくる。
ホラ、言わなきゃ、『ね? 簡単でしょ?』って。笑って、笑って――
「……ごめんなさい。」
違う違う。そうじゃないったら。
「ごめ……さい……」
やるだけやって謝るって、卑怯にも程がある。おまけに声にもなってない。絶対、笑えてない。
「嫌わ……ないで……ください……」
視界のキミが滲む。イヤだイヤだ。こんなの私じゃない。
「……ナズーリン?」
ホラ見ろ、キミだって困ってるじゃないか。分かってるよ、全然、らしくないって。
でも、しようがないじゃないか。どうにもならないんだから。
イヤなのに――訳の分からない熱に浮かされて、夢遊病みたいにフラフラして、キミの一挙手一投足に一喜一憂して、へとへとになるのは――キミと’おそろ’なんて、まっぴら御免なんだ。
そんな無様な姿を晒すくらいなら、知ったフリして、冷めたフリをして、理屈をこね回して、自分を無理矢理納得させて――恋なんてって冷笑してる――自分はそんな、ズル賢いヤツなんだって――そう思ってた方が、ずっとずっとラクなのに――
「……大好き、です……」
「……!!」
止めらんない。堰を切ったみたいに溢れ出て――どうにもならない。惨めだ。キミの前じゃ自分でいられない。
大丈夫、大丈夫だから。
こんなのは唯の発作みたいなもので、少し時間を置けば、いつもの私に戻るから――だからちょっとだけ、離れていて欲しい。
私の体はもう、私のいうことなんか聞いちゃくれないから、キミが私を振り払って欲しい。のに――
「傍に居て……下さい」
「……ナズ?」
全然ダメ。てんで天邪鬼。それとも、こっちが私の本音なのかな? どっちにしろ情けない。腕を伸ばして、すがりつく。
このままじゃダメになっちゃうって判ってるのに、離れられない。
その背中にガリガリと爪を立てて、キズモノにしたくなる。独占欲。どうしよう、醜い。
だって伝わるんだ。温もりも、感触も、心臓の音も――ぜんぜん伝わってくれない想いも――こうしてるだけで伝えられるんじゃないかって――そう思っちゃう。
本当に終わってる。末期。そうやってまた、理由をでっち上げてる。
分かってるのに――本当はキミが欲しいだけだって、そう言えたらいいのに――言えない。
「ねぇナズ……ちょっと落ち着いて下さい。もう怒ってないですから。ね?」
キミは私に気を遣って、無理に優しい声を出して、そんな風にされる権利なんて、私には無いのに――
「うぞだぁ……」
「嘘じゃないですって……」
嘘じゃない訳ないじゃないか。
「だって……だって私、キミに……酷いこと言った……酷いこと……した……色々……」
キミの顔がよく見えない。涙でボンヤリとふやけたキミの顔はなんでか、照れたような笑顔に見えた。
「えと……まぁ、確かにちょっと驚いてしまいましたけど……ホラ、女の子同士ですし……そんなに気にしてませんから……ね?」
「……気にして……ない?」
「ええ、大丈夫です」
「……ホントに?」
「嘘偽りなく!」
「ばかーーーーー!!!!」
ばりんて、キミの頭が弾けた。
違った。弾けたのは宝塔。私がキミの為に、お寺から持って来て、懐に入れてたヤツ。バラバラになっちゃった。
でも全然、気にはならなかった。
気にしてよ。ばか。
その後は本当に酷いものだった。私は逆ギレした挙句、わんわん泣いて、キミは怒りの鉾先すら見失ってあたふたして、結局、私が元に戻るまで頭を撫でてくれてた。
落ち着いてしまうとそれはそれで、お互い気まずい事この上なしってカンジで――そもそも野外で堂々と何してんだろう、とか――バスケットの中から小ネズミ達が見てた、とか――そんな事に気付いては二人して真っ赤になってた。
今は、二人で手を繋いで、満天の星空の下、家路を歩いてる。
私が吐き出した想いに対するキミの返答はまだ、貰ってない。キミ自身、どう答えたものか分からないでいるみたいで――そうやって戸惑ってくれるだけ、私にはまだ、望みがあるのかもって思う。不思議と、さっきまでの不安感は無い。
「ご主人」
「何です?」
「あの……さっきの……アレなんだけどね?」
「はい……ソレなんですけど……ええと……」
「うん、無理に答えなくていいよ。今は、いい」
「……そうですか?」
キミはあからさまにホッとしたような顔をして――
「……フフッ……」
「……何です?」
私は唐突に笑いがこみ上げてきて、そんな私を見て、キミは怪訝な顔をする。
それを見た私はますます愉快になってしまって――何なんだろうね? この余裕。
あっけらかんとしてて、少しだけ大胆になってる自分が分かる。
「ねぇ……いつかまた、同じ事をするから……その時までに返事を用意しておいてよ?」
「……善処します」
今度は泣き落としじゃなく、笑って言ってみせるから――その時までにはキミも、答えを見つけられたらいいなって――そう思えた。
うん。きっと、今の私はすごく気分が好いんだ。
キミが聖の事を好きだって事も、笑って許せちゃうくらい。聖を好きなキミでも大好きだって、そう言えるくらい、好い気分だよ?
よくよく考えれば、キミの問題は何一つ解決してない。それでも何とかなる気がした。
だって妖怪だもの、心が晴れてれば何だってどうにかなる。そうさ、心が体を成すっていうんなら、食事の方法だって心持ち一つで変えられる。
例えばそう――愛情の口移しとか?
うん、まだ熱が残ってるみたいだ。
キミにもお裾分けしなきゃね?
「あと……お寺に着いたらキミも、聖に同じようにすること!」
「それは……善処しかねます」
「情けないな……なんなら私が練習台になってあげようか?」
今度はキミが下になればいい。
「貴女に押し倒されてあげるほど、華奢じゃありません」
「果たしてそうかな?――――とうっ!」
「ちょっ! 不意打ちは卑怯ですって!……というか貴女、単にくっつきたかっただけじゃ……」
ハイ、ご名答。
「いいじゃないか、キミに乱暴されたせいで体中がだるいんだ。そういう事にしといて」
「どの口が言いますか……」
「嘘ばっかり吐く口。」
「そんなこと言ってると、いつか閻魔様に舌抜かれますよ?」
「じゃあ、ずっとチャックしてようか?」
「それじゃ何を考えてるか解らないですって……」
ご名答。
「だろう? 口にしないで伝わるものなんて、あんまり無いんだ」
「……そうですね。貴女の言うとおりです……」
「だからさ、先ずは口に出さなきゃ……『好き』って、言ってご覧よ?」
「……好き」
誰も今すぐ言えなんて言ってない。心臓に悪いから勘弁してよ。
でも何だか、すごく得した気になったので、乗っかることにした。
「OK。次、目的語をつけて」
「……聖が好き」
そんで墓穴を掘った。『貴女』って言ってくれれば好かったって……高望みだね。
悔しいからイジワルしちゃえ。
「……よく出来ました。次、大きな声で叫ぶ!」
「ええ!?」
「ホラ、ご主人の事だから、聖の前に立ってっていうのは酷だろう? だから――ここからお寺に届ければいい」
我ながら迷案。私なら絶対にお断りさ。キミはすごく困ったって顔をする。
「無茶を言わないで下さい……」
「大丈夫! 私の勘によると、それでキミは何かいろんなものが吹っ切れるという気がする」
「当てずっぽうでしょう……絶対。というか吹っ切れる以前に何か、大切なものを失う気がします」
多分、正解。
「失くしものなら任せなよ。後の事なんか、後でどうにでもなるって」
「楽天的ですね……まぁ……貴女の口車に乗せられてみますか……」
そう言って、キミは大きく息を吸い込んで――
「私は――私は聖の――」
輝く夜空に向かって、大きな声で――
「聖のメロンパンが好きーーーーーーー!!!!」
「なにそれ。」
その叫びは咆哮となって幻想郷に轟いた。
翌日から、命蓮寺のみやげ物コーナーにメロンパンが置かれる事になった。
当たり前の事だけど、ばか売れだった。
ナズ星が俺の正義
俺、悲恋とか嫌ですからね、ナズはこれから頑張るって信じちゃうよ!?
ってオイ、その後日談絶対いらねーだろww