「いい、てゐ」と、わたしは今日何度目かになる念押しを懲りもせずに繰り返す。 「絶対に、先方に失礼があっちゃ駄目なんだからね?」
「わかってるって」てゐは面倒臭そうに答えると、両手を頭の後ろで組んだ。 「わたしってそんなに信用ないかねえ」
「それ、ジョークで言ってるわけ?」
「なにがさ」
「あんたの口から信用なんて言葉が出るとは思わなかったから」
「何をおっしゃいます兎さん」てゐはニヤリと笑った。 「信用が第一、という点では詐欺師も商売人も一緒だウサ」
本格的に帰りたくなってきた。わたしは溜息をつくと、今日の商品であるお師匠様特製の(固形から液状のものまで様々な)薬品の瓶が入った木箱を一旦地面に下ろすと、立ち止まって少し休憩することにした。結構重いんだこれ。
季節は冬。ここは霧の湖近くの森の淵で、まだ昼までは時間があるというのに、あたりには濃密な霧が立ち込めていた。この時期になると、妖精も(一部の冬の精を除いて)あまり姿を見せず、花もなんだか元気がない、憂鬱な雰囲気があたりを支配している。わたしは緩んでいたマフラーをもう一度きつく首に巻きつけると、隣に座り込んで木箱の中の瓶を物色している妖怪兎に目をやった。
今日は午前のうちに紅魔館を訪問して、前に頼まれていた薬品の受け渡しと、お師匠様が新しく開発した商品の紹介をする予定だった。そしていつも通り、それはわたし一人の仕事であるはずだった。だったんだけど……
永遠亭を出てちょっとしてから、後ろからてゐが追いついてきて、「わたしも行く」と言い出したのだ。その満面の笑みの胡散臭さといえば、某スキマ妖怪に匹敵するんじゃないかと思うくらい。あの笑顔の下に何も隠していないと信じられる人がいたら、その人はこの世のたいていのものは信じることができるだろう。信じたあとで泣きを見るのだ。そして今回の場合、それはきっとわたしなんだ。はあ。
なんで、と訊いてみると、なんでもいいじゃん、ただ行きたいだけ、という返事がきた。そんな返答をする奴のどこを信用すればいいのか。
なんで昨日の段階で言わなかったの、と訊くと、あんたのお師匠様には知られたくなかったから、あ、これくれぐれも内緒にしといてね、という返事がきた。もう駄目だ。そもそも信用される気あるのか、てゐに? いや、信用される気はあるのだろう。ただし、わたしをあとで騙すための信用に違いない。
そもそもお師匠様こと八意永琳の目を逃れようとすること自体が物凄く怪しいのだ。
でも、これでもてゐは永遠亭のメンバーだから、その不利益になることはいくらなんでもしないだろう(薬の瓶を片っ端からぶっ壊す、みたいな)。そんなに事を大きくすればいくらわたしでも隠し通すことは無理だ。だから天性の悪戯好きであるてゐが標的にするのはただ一人、わたしを置いて他にいない。
はあ、とわたしはこれまた今日何度目かになる溜息をつく。何が起こることやら、見当もつかない。せめててゐが最後の良心を見せて、紅魔館のお嬢様やメイド長に失礼を働かないことを願うのみだ。
「そんな溜息ばかりついてると、幸せが逃げてくよ」と、てゐがまだ木箱の中を覗きながら言った。
誰のせいだと思ってるのよ、とは口にしなかった。わたしは肩をすくめると、てゐから目を離して、霧で霞んで見えない紅魔館の方を見た。
わたし一人が迷惑を被る程度のことならば、それは別に構わない。これまで何度もそれに耐えてきたし。それらの所業を、輝夜様やお師匠様に報告したことはない。その理由はまず第一に、報告する必要もないほど小さくて他愛の無い悪戯だったし、第二に、その悪戯こそがてゐのわたしへの親しみの表現なのだと信じたいからだった。
この二番目の理由にはなんの根拠もない。事実てゐは自分よりも目上である輝夜様とお師匠様には悪戯をしないが、他の者には均等に悪戯をする(自分の部下の兎たちから、紅白の巫女や白黒の魔法使いまで)。無論わたしに対してもそうだ。嘘つき兎、悪戯兎という言葉はそれだけでてゐを指す、というのが彼女を知る全員の意見だった。だから、このわたしに対する悪戯や嘘だけがなにも特別なわけではないのだ。
(わかってはいるんだけどね……)
それでも、わたしたちは永遠亭の中ではもっとも近い位置にいるのだ。月の民である二人の下に仕え、他の兎たちの行動を統制する。わたしがお師匠様から受けた命令をてゐに伝え、てゐはそれを部下の妖怪兎たちに実行させる。わたしとてゐの間に壁があっては、永遠亭の運営に多少の滞りが生じるかもしれない。それならば、お互いに信用し合うことが必要だ。仲が悪いよりも、良い方が断然いいに違いない。
それに、わたしよりもずっと長く生きているてゐ自身のことについても興味はある。どうやって妖怪になり、いつ、どこで、どんな経緯があってお師匠様たちに仕えるようになったのか? まだ詳しくは聞かされてはいないけれど、興味は尽きない。もっと仲良くなりたい、友達と呼べるような間柄になれたら、と思う。
(なのに、なんでこんなに憂鬱なのかな)
と考えたが、答えはすぐに見つかった。つまり、さっきのてゐの言い方だと彼女は、完全にわたしが悪戯を受け入れてしまっている、わたしならお師匠様にも黙っていてくれる、というあまり有難くない信用をしているようだったからだ。その関係は、友達と呼べるのだろうか。もしこの考えが当たっているならば、それはそれで少し傷つく。
かといって、それをてゐに確かめてみる気にはなれない。あっさり肯定されたら精神的にキツいし、否定されたとしても、完全にはそれを信じきれないだろうという自分への予感もある。何も聞かないのが、一番無難なのだ。
「そろそろ行こうか」とわたしが言うと、てゐは元気よく立ちあがって、ワンピースの裾についた土をパンパンと払い、わたしに向かってニッと笑った。ああ、よくないことを考えている時の仕草だ。
こうして、大きな不安と憂鬱を抱えたまま、紅魔館へ乗り込むことになった。
門番の紅美鈴にも既に来訪の意図は知らされていたらしく、彼女はにこにこと快くわたしたちを通してくれた。
「荷物を運びましょうか?」美鈴が素晴らしい親切心を発揮してくれたけれど、わたしは「あ、いいです」と言って断った。
「運んでもらえばよかったのに」門から玄関ポーチまでの花壇に両側を挟まれた道を、ぴょんぴょんと跳ねるように歩きながら、やや息を切らせつつてゐは言った。
「いや、わたしの仕事だからね」わたしは答えて、せわしなく動き回るてゐを目で追った。「今さらだけど、ワンピース一枚で寒くないの?」
「んー、そう言われればちょっと寒いかもね」てゐは動きを止めて、自分の格好を見おろした。防寒に適しているとは言えないピンクのワンピースの胸元で、にんじん型のペンダントが揺れている。
「マフラー貸そうか?」わたしは自分の青いマフラーに手をかけた。輝夜様が暇つぶしに編んでくれたものだ。なかなか暖かくて、肌触りも心地良い。
「いや、跳ねてれば平気さ」てゐは紅魔館の入口の、紅い大きな両開きの扉に目を向けた。「それに、もうすぐ中だしね」
玄関ポーチまで行くと、扉が開いて、メイド長の十六夜咲夜が顔をのぞかせた。
「いらっしゃい」彼女は来客用と思われる優雅な笑みをわたしたちに向けた。これはこれで胡散臭い。 「あれ、あなたもいるのね。鈴仙だけだと思ってたけど」後半はてゐに向けられた言葉だった。
「この子は助手です」わたしは不審を抱かれないように平然を装って答えた。
「へえ。実験でもやる気? まあいいわ。寒いから、早く入ってね」
咲夜が扉を大きく開け、わたしたちは紅魔館の中に足を踏み入れた。
この紅魔館は全体的に紅い。まず屋根が紅い(壁は白いが)。内装も使えるところには深紅を使っているようで、普通の人間の目には非常によろしくないだろう。もっとも、わたしたち兎の眼も赤いので、そんなに気になることではない。
が、今日はいつもと様子が違った。ホールに入った途端、わたしはその異変に気づいた。一言で言うと、滅茶苦茶だった。シャンデリアは床に落ち、施されたガラスの装飾は粉々に砕け散っていた。床や壁の至るところに怪物みたいなものの爪で抉られたような傷があり、この場所で凄まじい何かが暴れたことを物語っていた。
「うわっ、派手にやったね~」てゐが感心したように言った。「もしかして、噂の妹様ってやつ?」
わたしもその「妹様」の噂は聞いたことがあった。情緒不安定なせいで地下に閉じ込められ、当主であるレミリアに外へ出してもらえないらしい。あくまでも噂だから、どこまで本当かはわからないけれど。
「あなたには関係ないわ」咲夜は表情を変えずに言った。友好モードとは程遠い。でも、このメイドは初めて会った時からこんな感じなので、別段気にすることでもない。
たくさんの妖精メイドたちが忙しそうに後片付けをしている。この惨状から立ち直るのには手間がかかりそうだ。わたしたちはホールからさっさと立ち去り、紅魔館の奥へ続く廊下へ入った。
「お嬢様はどこに?」わたしはマフラーを外しながら尋ねた。中は少々暑かった。暖炉とは別に、何かの暖房器具があるのだろう。魔法かもしれない。
「応接室よ。今日はそこでプレゼンなりなんなりをやってもらいます。お嬢様は就寝前で、少し機嫌悪いから、くれぐれも失礼のないように」
咲夜はちらりと振り返っててゐを見た。心配事は同じらしい。てゐはそんなことどこ吹く風といったふうに、両手をお尻のあたりで組んで、あたりをきょろきょろ見回しながら歩いている。
「夜に伺ってもよかったのに」わたしはてゐから目を離し、そう言った。
「ええ、でも、決めたのはお嬢様ですからね」咲夜の返答はそっけなかった。お前が決めることじゃない、と言いたいのかもしれない。てゐはべーっ、と舌を出してわたしを見た。わたしはしーっ、と口に人差し指をあててウィンクした。
「お連れしました」咲夜は応接室のドアをノックし、開けてから礼儀正しくそう言った。ご主人様向けモードになったらしい。こういう時の咲夜は一番瀟洒だ。
「お疲れさん」気のない返事が聞こえた。咲夜に続いて、わたしとてゐも室内に入る。
応接室は、紅魔館の他の場所と比べて比較的まともだった。ぴっちりと窓を覆ったカーテンだけは紅いが、キャビネットや床は落ち着いた茶色だし、ふかふかのソファは曇天みたいな灰色だ。二つのソファに挟まれている四角いテーブルは黒光りする石で出来ていて、レミリアは向こう側のソファ、テーブルの上には紅茶のポットとティーカップ、それと角砂糖の入った瓶が置いてある。
わたしたちがソファに座り、咲夜が部屋から出ていくと、レミリアはまず両腕を上にあげて大きな欠伸をした。実に子供っぽい。
「ふわあ……眠い眠い。やっぱり夜にした方が良かったよ」レミリアは目をこすると、少し威圧的な声で 「今度から夜にしてくれないかしら」と言った。
わたしは、時間を指定したのはそっちだろ、と思ったが、もちろん言わなかった。大体先月も同じことで文句を言ったのに、変更しなかったレミリアが悪い。
「時間を指定したのはそっちでしょ」と、てゐ。
……って、うわ!
「ちょっ、てゐ!」わたしは焦って横を向いた。 「あんた——」
「ふん、言うじゃない」レミリアは鼻を鳴らした。別段気を悪くしているという様子でもない。 「それで、何を持ってきてくれたのかしら?」
「この前あんたが鈴仙に頼んだやつだよ」てゐがさばさばした口調で答える。 「ほら鈴仙、売り込み売り込み」
「え、あ、うん」会話に気を取られていたわたしは、てゐに促されて我に返り、隣の木箱の蓋を 開けて中を漁った。
わたしが今日必要な薬品の瓶を揃える間に、てゐとレミリアは話をしていた。
「前渡した胡蝶夢丸はどうだった?」
「あれ? つまらないからパチェに全部あげちゃったわ。確かに面白い夢は見たけど、それだけだもん。蝶になる夢なんて、くそくらえだわ」と、レミリアは咲夜が聞いたら確実に顔をしかめそうな言葉を吐いた。
「そんならナイトメアタイプなんかどう? いい感じの悪夢が見られるよ」
「どんな悪夢よ」
「それは人によって違うからねえ。まあわたしらの場合は、自分の耳がとれちゃったりとかかな」
「あら、取り外し可能だと思ってたわ」レミリアは憎まれ口を叩く。 「まあ、普通の夢よりはマシだわね。お幾ら?」
「ナイトメアはちょっと作るのに手間がかかってね。値段は普通タイプよりは3割増し。でもま、特別に2割増しにしとこうかね」てゐがすらりと言った。
嘘だ。本当はナイトメアタイプは普通タイプよりも1割増しなだけだ。
「ふうん。気前がいいのね」
「まあね。お得意様だからね」てゐはレミリアに片目をつむって見せた。今後ともなにとぞよろしく、という意味らしい。
レミリアは目を閉じてうつむき、腕を組み、考えるような仕草をした。その間にわたしはてゐを見たが、てゐはこちらに見向きもしなかった。
やがてレミリアは片目を開け、「じゃあ一瓶もらっとこう。あ、それでそっちの準備はできたわけ?」とわたしを見ながら言った。
わたしはてゐの堂々とした商売人顔に内心舌を巻きながら、今日渡す商品をテーブルの上に置いた。ついでにナイトメアタイプを木箱から取り出して、ラベルを見ると、きちんと値段の部分にお師匠様が設定したものよりも高い数字が並んでいた。たぶん、さっき森の淵でガサゴソ漁っていた時に張り替えたのだろう。
「ええと、これが頼まれてた妖怪用の精神安定剤ね。一回二錠で、一日二回、なるべく食後に服用すること。昼と夜だけで充分一日持ちますから。用量を守れば、大体一カ月分はある計算よ。それと、人間や妖精には絶対に服用させないで。命に関わるからね。成分が知りたければ、ここのラベルで確認して」
その精神安定剤は乳白色の瓶に入っており、中は見えないけれど白いカプセル型の薬がぎっしり詰められている。その側面に貼ってある紙がラベルというもので、そこにお師匠様が設定した値段や、材料などが書いてある。
「わかってるわ。ようするに、うざったい人間や役に立たない妖精メイドを殺したかったらそれをガブガブ飲ませりゃいいんでしょ?」レミリアが悪戯っぽく言った。冗談であってほしい。
「それからこれが妖精用の風邪薬。今月は多めにってことだったので、3瓶あるけれど、全部中身は同じ。これは毎月渡してるから、特に説明はいらないわね。粉末状で、少し苦いから、ジュースやなんかと一緒に飲ませるといいわ」
「なんだか最近妖精たちに風邪が流行ってるのよね」
「仮病じゃない?」と、てゐ。
「さあ、まあどっちでもいいけどね。うちはほとんど咲夜に任せきりだし。そうだ、飲ませた相手が嘘をついてるかがわかる薬はないのかしら?」
「なんだいそりゃ。嘘発見機じゃあるまいし」てゐが笑う。
「ないわね。自白剤みたいなのは前にお師匠様が作ってたけど、副作用が強すぎるっていうんで制作は中止になったわ。ここじゃ、そんなもの必要ないしね」ここ、というのは幻想郷のことだ。月にいた時は色々と戦争やらごたごたがあったせいで、そういうのはよく出回っていたけれど。
「ふーん。つまんないの。意外と常識人ね、あんたの師匠って」
それについてはなんとも言い難い。
「で、これがさっき言ってた胡蝶夢丸ナイトメアタイプ。一回二錠から四錠、寝る直前に飲むこと。増やせば増やすほど、悪夢の色合いが濃くなるから気をつけて。間違っても5錠以上は服用しないこと」わたしは説明を続ける。
ナイトメアタイプは、見た目は普通の胡蝶夢丸と変わらない黒い丸薬だけれど、効果は正反対だ。区別ができるように、ナイトメアタイプは黒い瓶、普通タイプは黄色の瓶に入っている。
「もし服用したら?」
「まだ試したことがないからわからないわ。悪くしたらショック死かも」
「そもそもそれ、需要あるわけ?」
「あまり……ないわね」
「なんのために作ったんだか」レミリアは右手をソファの背に回して、脚を組んでやや横柄に構えた。
「厄払いだってさ」てゐがわたしの代わりに答えた。 「悪夢を見とけば、現実の方ではいいことが起きるんだって」
「じゃあ、普通タイプは夢で面白いものを見ちゃうから、現実はつまらなくなるんじゃない?」
「人形劇を見たり、本を読んだりした後で、現実が急に悪くなることなんてある?」てゐは少し身を乗り出して、楽しそうに笑った。 「ないよね。つまりこの二種類を交互に服用すれば、良い幻想を見られるし、ついでに現実の方の厄介払いもできる。いいことづくめってわけさ。あ、ついでに普通タイプも持ってきてあるから、両方買ったら? 前のはあげちゃったんでしょ?」
「無茶苦茶だな」レミリアがてゐのあまりの強引さに思わず苦笑した。わたしも似たような表情をしていたと思う。 「もういいよ。今日はそれくらいで」
「じゃあ、そちらには精神安定剤を1瓶と、風邪薬を3瓶、それに胡蝶夢丸ナイトメアを1瓶でいいのね?」わたしは確認する。
「それと、普通タイプも1瓶。まったく、そっちの口車にわざわざ乗ってあげるんだから、効かなかったら文句言うわよ」レミリアは再び欠伸をすると、タイミングよく咲夜が部屋に入ってきた。
「まいどー」耳をぴょこぴょこさせながら、てゐが言った。それで今日の商談はお開きとなった。
「いやあ、儲けた儲けた」紅魔館からの帰り道、てゐはにこにこ顔でスキップしながら、機嫌の好さそうな声で言った。「浮いたお金でさ、村で美味しいもの食べて帰ろうよ」
わたしは頷くしかなかった。てゐの悪戯がバレないために、お師匠様にはナイトメアタイプは普通の値段で売れたと報告しなければならない。なのに今、仕事用のお財布に入っているのは、明らかに少し多めなのだ。その分きっちり使い切らないといけない。
村に入ると、てゐはすぐさま良さそうなお店を見つけ出した。お団子と温かいお茶を出してくれる甘味処で、わたしは餡団子を五本、みたらし団子を五本、それに緑茶を二杯買った。それでちょうどぴったり使い切った。天気が良く、風も吹いていなかったので、わたしとてゐはお店の外の赤い布が敷いてある長椅子に座って、道行く人たちを眺めながら味わうことにした。お昼の少し前で、段々人通りも多くなっていく時間帯だ。
わたしは頻繁にこの村に商用で訪れているので、特に奇異の目を向けられることもない。てゐは鼻歌まじりに団子にかぶりつき、お茶をすすって飲み始めた。わたしも串に手を伸ばす。
「なんだかなあ」わたしは目の前のみたらし団子をちょっと振った。
「どったの? ぼやぼやしてると、わたしが食べちゃうよ」
「うーん。でもこれ、騙して手に入れたお金で買ったんだよねえ」
「いいじゃん。わたしとあんたで稼いだお金さ。楽しまなきゃ損だよ」
「そんなもんかな……」わたしはお団子を口に運んだ。あまじょっぱいタレの味が口の中に広がる。「あ、美味しい」
「でしょ」てゐは嬉しそうに言った。 「まま、じゃんじゃん食べなよ」
わたしとてゐは、しばらくお茶と団子を楽しんだ。道行く人の中には、いつもわたしから薬を買っている人もいて、たまに立ち止まってわたしに挨拶をしていった。その度にわたしは曖昧に微笑んで、手を振り返した。こういうのは、なんだか苦手だ。
「あのナイトメアタイプだけどさ」お茶を飲み干してから、わたしは気になっていたことを訊いてみた。「もし元の値段がバレたらどうするわけ?」
「ん?」
「たとえば、もし紅魔館の誰かが、咲夜でもレミリアでもいいけど、どこか他の場所でナイトメアタイプの値段を目にしちゃったら? 他の場所ではもっと安い値段で売ってるわけだから、ちょっとまずいんじゃない?」
「何言ってんだい」からからとてゐは笑った。「来月からは、値下げしたって言って、元の値段で売るんだよ。そうすりゃ、最初でああいう風に割引して、二回目で高くなると思ったら、ところがどっこい安くなるわけ。これで印象悪くなるわけがない。で、もし元の値段がバレた場合は、あんたたちが買ったのは、値下げする前だったんだって言うのさ」
「強引だなあ」わたしは溜息をついた。
「心配しなくてもバレないって。ラベルに書いてあることが嘘だなんてなかなか意識できないしね。ナイトメアは、一部の妖怪とか物好きにしか売ってないんでしょ? 新聞に値段書いてあるわけでもないんだ。大丈夫大丈夫」
わたしはもうそれ以上訊くのはやめにした。どっちにしろ、ここまでしてしまった以上はもう何も出来ない。商談の場でてゐの嘘を指摘し、謝まることもできたけれど、それは結局は永遠亭の不利益になったかもしれない。たとえ嘘をついたとしても、これまで以上に紅魔館と友好な関係を築ければそれでいい。まだ少し心が痛むけれど、わたし一人が我慢すればいいだけのことだ。
行く前はあれだけ心配したのに、終わってみればいつもより商品が多く売れていた。予想したような大混乱もない。むしろよかったのかもしれない。あとは今日てゐが一緒に行ったことがお師匠様にわからないように、うまく立ち回るだけ。そう割り切ることにして、わたしはてゐに「帰ろうか」と声をかけた。
夜。お師匠様への報告も無事に終わり、てゐとお師匠様、そして輝夜様と一緒の夕食も済んだ後、わたしは早めに布団に入って眠ることにした。どこかへ売りに行くことは、自分では意識せずとも体に緊張を強いるようだ。まだ慣れていないらしい。そんなこんなで、障子の向こうから透けてくる青い光を目に入れて、月にいる二人の姉妹の姿を思い浮かべようとした頃には、わたしは眠りに落ちていた。
でも、この夜は深くは眠れなかった。今日の出来事に対する罪悪感がぐるぐる巡って、浅い睡眠とどんよりした目覚めを繰り返す。頭の中には、これまで何度か自分を悩ませたことのある考えが幾つも現れては消え、また現われては、焦燥感に拍車をかける。
(わたしはこの永遠亭にとって、本当に必要なのかな)
今日の出来事は、わたしがあまり必要ではないということを証明したのではないか?
商売に関しては、わたしよりもてゐの方がよっぽど上手くやっていた。事実、いつもよりも売り上げは伸びた。わたしだけではこうは行かなかったろう。
お師匠様はわたしを褒めてくれたけれど、それはわたしの業績じゃない。てゐの業績だ。
わたしは月から逃げてきた兎だ。もう二度と月には帰れないし、ここにかくまってもらっている以上、永遠亭の役には立ちたい。
でも……
現状では、地位的にわたしがてゐの一つ上にいて、わたしはてゐに命令を下して実行させるのが役目だ。
しかしそもそも、この永遠亭は、わたしがここに来る前も普通に運営していたのだ。気の遠くなるような長い間、ずっと。
輝夜様と、お師匠様と、てゐと、その部下の兎たちで。
わたしは、そこに割って入る価値があったのか?
部屋の外で足音がした。
わたしは目を開いて、耳を澄ませる。
パタパタと、誰かが裸足で駆けていく音。ついでに鼻歌も聞こえてくる。てゐだ。どうしたのだろう、こんな時間に?
わたしはそっと立ち上がって、障子の隙間から外を覗く。廊下の反対側のガラス戸の向こうに、水に沈んだかのように青い中庭が見える。視線を横に移すと、ピンクのワンピースとぴょこぴょこ揺れる耳が目に入った。
お師匠様に仕事でよく呼び出される関係上、わたしの部屋は研究室の近くにある。ててて、と小走りにてゐが向かっているのはその方向だ。
てゐが曲がり角の向こうへ消える。わたしはひやりとした廊下に足を踏み入れ、音を立てないようにその後を追った。
お師匠様の部屋の前まで行くと、扉が少し開いていて、二人の声が聞こえてきた。
「なんでこんな時間にしたのよ」少し不機嫌そうな声で言ったのはお師匠様。
「なかなかタイミングがつかめなくて」てゐは言い訳をしている様子。
「まあいいわ。それで、あの子の様子は?」
「まだ商売慣れしてないみたいね。少しぎこちなかったな」
「いつもより売れていたみたいだけど」
「それはわたしがいたから」
「そう。他に気づいたことは?」
「商売慣れもそうだけど、まだこの幻想郷自体に馴染んでいない感じかな。力を抜くべきとこは適当に抜いて、何事も前向きに楽しむ、っていうのにもしっくりいかないみたい。結構適当でも世の中は回っていくのにね」
「月で色々あったのよ」
「そんなの知らないよ」
「まあでも、馴染んでいないと言えば、私と姫もそうね。永遠亭は長く隠れすぎた。これからはもっと外に対して開いていかなければならない。外の守りに徹しすぎて、中身はいつの間にか腐っている。そんな話を聞いたことはないかしら?」
「なにそれ。果物の話?」
「どっちにしても、あの子にはもっと慣れてもらわなくちゃね。竹林の外の世界との交渉役が、今一番必要なんだから」
「自分で言い出して自分で納得してんだから世話ないね。わざわざわたしに確かめさせる必要あったわけ?」
「率直に言って、あまりないわね」
「あらら」
「うふふ。この目で見なければ納得できない、というのは想像力のない者が言うセリフ。私が今回それをあえてしたのは、ナイトメアタイプの被験者がもっと欲しかったから。あの子だけじゃ売れるかどうか不安だったんでね」
「きちっと売れたよ。レミリアが飲むんだってさ」
「そう。吸血鬼にはとびきり怖い奴をお見舞いしてあげなきゃね」
「なにしたのよ」
「成分を濃い目に。必然的に悪夢も濃い目になる」
「あんた鬼かい」
「少なくとも彼女は吸血『鬼』よ」
「ああ、話がかみ合わない。寝ていいかねもう」
「ちょっと待って、この薬の効果を試してみたかったのよ。ちょっと飲んでみてくれない?」
「え、ちょっ、遠慮しと」
「くなんて言わないわよね。あの子は優しいから言わなかったけれど、今日のお団子を食べた費用、どっから手に入れたのかしら?」
「み、道に落ち」
「はーい口開けて」
「ひー」
「ふふふ。相変わらずあの二人は面白いわねえ」
わたしの後ろで誰かが囁いた。
振り返ると、夜着姿の輝夜様が、緩やかに微笑みながら立っていた。複雑な思いをしながら二人の話を聴いていたわたしは、心底驚いて悲鳴を上げそうになった。
「しっ。静かに。ここじゃなんだから、私の部屋に行きましょう」
なんだかよくわからないままに、輝夜様は片目をつぶって、するすると流れるように歩きはじめた。わたしはてゐの(悲痛な)悲鳴とお師匠様の(嬉しい)悲鳴を背に、その後を追った。
輝夜様の寝室は研究室からそれほど離れていない。その部屋は、月の都のお城の一室のように、決してきらびやかではないけれど、慎ましさの中にも穏やかな輝きの光る装飾がなされている。広くもなく、狭くもない。とても居心地の良い空間で、実はこの部屋の主にもそのようなところがある。
「まあ、座りなさいな」
明かりもつけずに、輝夜様はそう言って近くにあるふわふわの座布団に腰を下ろした。彼女の手作りだ。
「あのマフラーの具合はどうかしら」輝夜様がおっとりと言った。わたしはさっきの会話に思いを巡らせていて、なんのことかすぐにはわからなかった。
「マフラー……ああ、ええ、その、とても暖かいです。感触も柔らかいし」
「そう。編み物って難しいけれど、出来てみるとなかなかいいものね。人を怒らせるのは簡単だけど、本気で喜ばせるのは、なかなか難しい」
「そうですね」わたしはうなずいたけれど、会話がどこに向かうのかわかりかねて、ちょっと混乱した。「あの」
「なに?」輝夜様がくい、と首を傾ける。その様が、恐ろしく魅力的だ。
「怒りますか?」
「え?」
「盗み聴きしてたこと」
輝夜様はきょとんとした。それから、ゆっくりと可笑しそうな顔になって、数秒後に笑いだした。時々わたしは、輝夜様は一人だけ違う時間軸に生きているんじゃないか、と思うときがある。
「お、怒るわけないじゃない。そんなの気にしてるの? ならわたしも途中からあなたと一緒に聴いていたんだから、一緒に怒られないとね」
どうやらわたしはまったく的外れなことを言ってしまったらしい。少し顔が熱くなった。
「永琳が言っていたことを聞いたでしょう? 外が固くなっていると、いつの間にか中身はふやふやになって、駄目になってしまう。永琳は永遠亭のこと全体を言っていたみたいだけれど、それは個人のレベルでも同じこと。貴女も、もう少し外を柔らかくしてた方がいいわね」輝夜様が優しい目でわたしを見た。「ね、笑えるでしょう?」
わたしはぎこちなく笑った。
「うーん、ちょっと違うな」輝夜様はすこし困ったな、という顔をした。
「あの」わたしは思い切って訊いてみることにした。「わたしはこの永遠亭にとって、本当に必要なのでしょうか?」
「必要ではないわね」
あまりに鋭く返答が来たので、わたしは面喰って輝夜様を見た。
「考えてもみて」輝夜様は相変わらずの柔らかな視線をわたしに向けている。「私はこの永遠亭で何をしてる? 数百年引きこもって、暇つぶしのものが何かないかを探していた。時々妹紅と戦って、不毛な殺しあいをした。食事を作るわけでもなければ、誰の手助けをするわけでもない。つまりね」
輝夜様は悪戯っぽく笑った。
「ここはそういう場所なのよ」
そこでようやく、輝夜様の言いたいことがわかった。わたしはすっとお腹の力が抜けて、口元が緩むのを感じた。口から自然に息が漏れる。
「そう、それよそれ!」と、永遠のお姫様が嬉しそうに笑った。そして「永遠にするには、もったいないくらいの笑顔だわ」と言って、静かに目を閉じた。
わたしはとてもいい気持ちだった。そして、わたしがこんなにも幸せを感じているなんて、絶対にてゐには教えてやらないつもりだった。騙された相手も幸福にするような嘘をつきたい、というてゐがいつかどこかで言っていた願望を、わざわざ叶えてあげる必要はないでしょう?
数日後、わたしはお師匠様に命じられて、薬の効果を確かめるために、紅魔館に出向いた。
「ああ、いらっしゃい」と言って扉を開けたのは、にこにこ顔のレミリアだった。
ちなみに言っておくと、今は真昼。吸血鬼ならばとっくに眠りについている時間である。驚いて訊いてみると、わざわざわたしのためにこの時間まで起きていてくれたのだという。なんだろう。なんだかすごく気味が悪い。
「まったくもう」前と同じ応接室のソファに腰を下ろしながら、レミリアは機嫌良さそうに言った。「ねえ、あれはわざとなわけ?」
「え? なんのこと?」わたしは首を傾げた。
「瓶の中身を入れ替えたのは」
わたしの思考が一瞬止まった。
レミリアはその後、自分がなんでこんなに機嫌がいいかを話してくれた。
わたしたちから薬を買ったあの朝、レミリアは精神安定剤を妹に処方するように言いつけ、自分はそそくさと薬を飲んで眠ることにしたのだという。
妹のフランドールは、最近とくに情緒が不安定だったらしく、わたしたちが訪問した日にも派手に暴れて大変だった(その爪痕はわたしたちも見た)。レミリアとも喧嘩をしていて、半ば姉に対する当てつけのつもりで、規定量以上の錠剤5つを飲み込んだ。もうどうにでもなれ、と叫んだらしい。
その後フランドールはなぜか恐ろしい夢を見た。それは言葉にできないほどの悪夢であったらしく、目を覚ました時には、涙と恐怖で一杯で、思わず部屋を飛び出した。恐怖になんか慣れていない。初めて芽生えた感情にどうしていいかわからなかった彼女は、真っ先に姉であるレミリアの部屋へ向かった。
時刻は真昼。そんな時間に叩き起こされたら、レミリアだって黙ってはおかない。子供のように怒鳴り散らして、不機嫌になるだろう。しかしその時なぜか、彼女の精神はとても安定していた。レミリアは泣きじゃくる妹に優しく声をかけ、肩を叩いてやり、胡蝶夢丸の普通タイプの瓶を出して言った。「これを飲んで、手を繋いで寝ましょう。いい夢が見られるわ」そしてまさしくその通りになった。それ以来フランは情緒不安定になることもなく、姉と楽しくお喋りをしているという。そう、わたしはその時初めて妹様を見たのだ。金髪で、無邪気な目の、可愛らしい女の子だった。
わたしはテーブルの上に置いてある胡蝶夢丸ナイトメアタイプの瓶に手をのばし、ふたをとって中を見た。白い錠剤が入っていた。
まさか。そんなことまで予測していたなんて、ありえない。意図的か、無意識か。
どこかでてゐが、ウサウサと笑った気がした。
(Trickster Inaba Tei . This story must have been Happy End.)
ふるまいがかっこいいキャラってのは気持がいいですな
キャラ崩壊等無理やりな感じが全くせず、
とても自然な感じで読めました。
願わくば、シアワセウサギにも幸せが訪れるといいのですがw
永遠亭がいい感じだと思っていたら、最後の最後で持っていかれちまったぜ
これは凄い
無意識に幸せにするてゐが格好良いです
後半感動
叶わんな、まったく。
読後感、とても気分が良いです。
惚れてまうやろー!!
いいオチでした。100点くれてやるっ!
てゐかっこいい
てゐの深みというか、人格的な底しれなさは、八雲や八意氏につながるところがあると思う。
てゐの底知れなさがかっこいい・・・