Coolier - 新生・東方創想話

TxRIxPx ―出会―

2018/04/01 19:18:50
最終更新
サイズ
16.13KB
ページ数
1
閲覧数
2440
評価数
2/7
POINT
360
Rate
9.63

分類タグ

TxRIxPx シリーズ

出会
約束
隣人


TxRIxPx ―ヒツゼン―


 ――等価交換。
 この世はおおよそその言葉で廻っている。
 店で買い物をするのにお金を支払い、代金を払うのだってそう。
 何処かに勤めて時間と労力を割くことで、給料をもらうのだってそう。
 時折「割にあわない」と思うことがあるのは、払う側ともらう側、どちらかが価値を見誤っているから。多すぎず、少なすぎず。等価の交換が成立しなければ、必ず何処かに歪みが生じる。その歪みが少なければ、人生は豊かなのだろう。
 だからこそ『誰かに頼む』という行為は躊躇われる。頼むことによって、それと等しいだけのモノを失わなければならない。
 それでも頼んでしまうのは、何かを失っても叶えたいと願うから。
 そしてそのネガイが世界を動かし、今日も廻っている。
 すべては人の願い故。


 平日最後の夕暮れ時、街は思いの外静かだった。
 頭上で鳴く鴉の鳴き声も何処か遠くに聞こえる。そんな春の夕暮れ。頬を撫でる風は温かいんだか、冷たいんだか。長袖の白いワイシャツ、黒のロングスカートと春先だからといって軽装しなかったのは、正しい判断だと言える。
 赤いネクタイを揺らしながら、白と黒のコントラストに身を包んだ彼女は自宅からほど近い書店を目指していた。読み込んでいる小説の新刊が出たとのことだった。大学に入って一週間ほどが経っただろうこの時期。高校とは比べものにならないくらい空き時間があるため、本の消化もこれまでよりも速い。
 大学進学を機に東京から京都へやって来た彼女にとって、京都の街は魅力的だった。廃れてしまった東京と比べれば当然の話かも知れないが、こちらに来てから俄然暮らしが快適になった。読みたい本は書店に行けばすぐに手に入るし、街の情景も今と昔が入り交じって独特の雰囲気だし。
 それに――見えはしなが色々と感じるものがある。
 目的の書店についた彼女は、人気が薄くなった店内をお目当てのコーナーを目指して進む。人気のシリーズ故に大学の帰りに来てあるかどうか些か不安ではあったが、「今週の新刊コーナー」と書かれたところに確かに置いてあった。とりあえず一安心して本を手に取り、今度からは取り置きしておいてもらおうか――と考えながらカウンターへと向かう。
 今週は履修登録やら、オリエンテーションやらで気疲れが絶えない。自由に使える時間は全部読書に使って心を癒やさなければ。
 カウンターの店員に本を差し出し、代金を支払う。
 財布の中身が少し気になったが、文庫本一冊程度は許容範囲内だろう。上京してひとり暮らしの大学生が貧乏でないことのほうが珍しい。金欠に喘ぐのは目に見えているが、一冊本が買えるなら一日食事を抜いてもいいくらいだ。
 本を受け取った彼女が店を出ると、東の空にはすでに夜の帳が下り始めていた。街の中も喧騒が包みだし、活気に溢れていく。彼女はこの雰囲気、風の流れが好きになれない。どうしてこう静かでいられないか。どうもこの人生、静けさとは無縁らしい。
「十八時五十二分……二十、二十一……はぁ」
 仰ぐ空もどうもうるさくて。――これは速く家に帰らないと。
 帰路を走り始めた彼女の耳に、ポケットからこぼれ落ちた『モノ』の音は聞こえない。聞こえていないのだから、彼女は当然その『モノ』を落としたことに気づかない。
 そしてその『モノ』を白い手が拾い上げたことも。
 全ては街の喧騒の中に消えていく。何事もなかったかのように。
 捨てる神あれば――と言い始めたのは、はたして誰だったのだろうか。


 彼女がそれに気づいて走り出したのは、二十時をとうに過ぎた頃。
 それは大学生である彼女が一番無くしてはいけないモノ。それを取り戻さんと彼女は必死に歩いた道を戻っていた。落とした場所の見当はおおよそついている。そのモノは財布に入っていた。なら財布を開いた場所にしか落としようがない。となれば可能性は一つ。
 行き交う人々で賑わう繁華街を潜るように抜けて、つい先ほど文庫本を購入した書店の前まで戻ってくる。落としたモノは彼女にとっては非常に価値のあるモノ。だが他の誰かにとっては大して価値のないモノ。なら性格の悪い人に拾われていなければしかるべき場所、この場合、交番や書店に届けられているはず。
 恐らくあるだろう。という期待。
 もしなかったら。という不安。
 そんな心持ちのせいか、足を踏み入れた店内は二時間ほど前に訪れた場所とは、どうも違うように感じた。確かにこの時間帯に来たことはないのだから、この時間帯の店――という意味では初めて来たことになるのだが。
 ――いや。そんな変化の範疇じゃない。今さっき潜ったはずの自動ドア。だが今彼女が立っているのはどうみても何処かの家の玄関。それも古い日本家屋のような作りをしている。家屋の奥ではお香か何か炊いているのか、空気が煙い。
 ――というか、ここに居ては不味い。不法侵入じゃないか。
 それに長居している場合でもない。知らない玄関に踵を返して扉のドアノブに手をかける。――が、回らない。
「えっ、何これ。かっっったい!」
 ありったけの力を込めて回すも、びくともせず。手の痛みと疲労感だけが残った。
 なんだ、なんだ。今日は厄日か何かなのか。入学したての大学生、そこまで暇じゃないんだけれど。バイト探したりとか、シラバス読んだりとか。
 動かないドアノブの前で立ち尽くすこと、数分間。いや、本当はもっと短かったのだろうが、彼女にはそれほど長く感じた。走ってきた繁華街よりも、時間がゆっくりと流れている気がした。
「「いらっしゃいませ」」
 いつからそこに居たのか。奥へと通じる柱の陰から、声と共に人影が飛び出す。
 現れた影は二つ。一人は緑の、もう一人は薄紅色のワンピースを着た女の子。二人とも身長は同じくらい。重なった声が、玄関に広がって消える。
「「お客様、どうぞこちらへ」」
 彼女の両手を二人で掴み、建物の奥へと引っ張っていく
「ちょ、ちょっと! 分かったから靴脱がせて」
 彼女がそう言うと、女の子たちは渋々立ち止まる。しかし手は放さない。彼女は仕方なくかがとで靴を脱ぎ、まだ見える玄関へ蹴り飛ばした。人様の家で失礼極まりない行為だと重々承知だが、原因は女の子たちに方にあると弁解しよう。彼女はそう決めて引っ張る女の子たちに身を委ねた。
 歩く廊下は木製で、この店全体も玄関同様、代表的な日本家屋のように見える。廊下の隅に黒電話が置いてあったり、畳が敷いてある和室がメインだったりと、このご時世にかなりの懐古趣味だ。
「ねえ、ここは何処なの?」
「ついたよ」「つきました」
 無視か――立たされた蝶が描かれた襖の前。中に入れ、ということだろう。
 音がしないせいか、妙に胸がざわつく。彼女は自分を中心に静寂のざわめきが辺りに広がっていくのがわかった。そして感じ取っていた。その襖の向こうの何かを。
「……やっぱり帰るよ。探してる物もあるし、ここに入ってきたのも偶然だから」
「――この世に偶然はないわ」
 横にいる女の子たちではない、別の女性の声がした。
 そして襖が開く。それはまるで舞台の幕が上がるかのように。

「あるのは必然だけよ」

 部屋に充満した煙管の煙は、まるで夢と現実の境目を曖昧にするかのように。洋風のソファーに着物姿で横たわる女性の存在感は圧倒的で。染めなどではない純粋なブロンドヘヤーは腰の辺りまで伸びていた。着ている着物は鎖骨から胸元までがはだけたようなデザインになっていて、暗い赤の生地に白い華が描かれている。
 まるで興味のないような、遠くを見るような瞳を女性は彼女に向けた。小さい顔に収まった大きな瞳は、自然にそれに引き寄せられるようにできていて、女性の妖めいた紫色の瞳は、彼女の視線を掴んで放さない。薄い唇からもれる煙は、女性の纏うミステリアスな雰囲気を部屋に充満させた。
「必然って……?」
「【必然】必ずそうなること。それよりほかになりようのないこと。また、そのさま。……以上、コトバンク・デジタル大辞泉より」
「……?」
 首を傾げる彼女に、女性は煙管を吸って、大きく煙と共にため息をつく。
 その表情は怒っているのか、それとも迷惑がっているのか、はたまた無関心なのか。
「……なんなのか知りませんけど、客とかじゃないんで。知らないうちに玄関にいたっていうか……元々は落とした物を探しに本屋に行こうとして……用もないのに店内に居たのは謝りますけど」
「用ならあるでしょう?」
「いや、だからないですって」
「ミセに入れた……ということは用があるのよ。私に。でなければ結界を越えられない」
「は? 結界?」
「【結界】一定の場所をくぎり、その内側を聖域として外側から不浄なものが入らないようにすること。……以上コトバンク・葬儀――」
「それはもういい!」
 彼女が女性の言葉を遮ると、女性は小さく笑う。笑顔は見せなかった。鼻を鳴らす程度。
「どうしてこう今時の若い子って話を最後まで聞かないのかしらね。それにうるさいし。私がアナタぐらいの頃はもっとこう、お淑やかだったのに」
 あーあー。心にもないような言い方で嘆く女性。その姿に彼女は付き合いきれないとばかりにため息をこぼす。
 時間も落とし物もないというのに。こんな訳の分からないところにいてもしょうがない。
「とにかく帰ります。お邪魔しました」
 女性に踵を返して玄関に向かおうとした、その時。
 またも勝手に襖が動き、道は閉ざされる。
 恐る恐る彼女が振り返ると、女性は体を起こしていて、背もたれにその身を預けていた。
「アナタ、名前は?」
「宇佐見……蓮子ですけど」
「誕生日はいつ?」
「……七月七日」
「ふうん。アカの他人に本名と誕生日を偽りなく話すなんてね」
 煙管をもう一吹きして、女性は今度はわざとらしく、茶化すように笑う。
 彼女――宇佐見蓮子はその言い方に、眉間に皺が寄る。
「たかが名前と誕生日でしょ」
「それで十分なのよ。こちら側のモノにとっては。知らないなら、知らないままでもいいけど。そうね、片方だけでも隠した方がいいわ。特に誕生日。こちら側のモノは決して誕生日をアカの他人に話したりしない」
 こちら側。その言葉に蓮子の中の何かが反応する。
「それって――」
「私の名前? 紫よ。八雲紫」
「いや、聞いてないし。勝手に名乗ってるし」
「勿論偽名ね」
「その上偽名なのか……」
 蓮子のリアクションにくすくすと笑う紫は蓮子の後ろに立ちっぱなしになっている二人の女の子を手招いて、ソファーの両端に座らせた。二人はソファーに座ると同時に紫に甘えるように身体を委ねる。
「こっちの緑の方がマイ。ピンクの方がサトノ。可愛いでしょ」
 頭を撫でられた二人は嬉しそうに紫の腕に抱きつき、紫もその様子を微笑ましく見ている。蓮子からすれば聞いてもいない自己紹介(偽名)を聞かされた上に、何を見せられているのだろう……という状況。
「この子たちも色々あってね。友人から預かってるのよ」
「そうなんですか……って、そうじゃない。もう帰りますからね。お邪魔しました!」
 蓮子は踵を返し、閉じた襖を開けようと手をかける。引いてみるものの――開かない。玄関のドアノブ同様、力を込めてもびくともしない。何かの力で堅く閉じられてるよう。
「だからいったでしょ、必然だって」
「……」
「信じてない顔ね。いいわ。その帽子をこっちに」
 訝しむ蓮子の心情を感じ取った紫が指したのは、蓮子が被っていた黒いソフト帽。
 こっちにって言われても――蓮子は帽子を手に取りはしたが、渡すのには抵抗があった。これはこの世に二つとない、蓮子の大切なモノ。
「はやく」
 催促する声と目つきに耐えかね、蓮子は渋々帽子を紫に手渡した。蓮子が見守る中、紫は帽子を見て、触って、何かを確かめていた。
「良い帽子。この時代じゃない、もっと昔のモノ……物持ちはいいほう?」
「貰い物です。その……大切なモノで」
「ふうん。なら、これで十分ね」
 帽子をソファーの背もたれに引っかけ、サトノとマイに何かを持ってこさせた。
 ――水盆だった。
 紫は立ち上がると水盆の上に手に持った何かを浮かべ、唱えるようにいう。
「宇佐見蓮子……宇佐見蓮子……七月七日――住んでいるところは生まれた場所ではない。少し前から一人で暮らしてる。追い求めるモノとは真逆のモノを学んでいるが、それは追い求めるモノを知るため。胸にある大きな感情は憧れと好奇心」
 得たいのしれない何かが蓮子の胸に込み上げ、涼しくも鋭い空気が部屋の中に広がる。それは果たして不気味さなのか、高揚なのか。他人には分からないことを、紫は口にしていく。
 そして何かを確信したような瞳で、蓮子を見据えた。
「夜空を見ることで時と場所を知ることができる。それはアナタに流れる血筋の影響。随分と薄くなってしまったけれど、まだ残ってる。見えはしないけど、感じられる」
 目の前に立っている女性は不可思議を含んだ笑みを浮かべ、その瞳は蓮子は見つめて動かない。蓮子は確信する。目の前にいる女性は――未知だ。
「なんで……?」
「名前と誕生日。教えたでしょう?」
 まさか本当にそれだけで――脳裏に紫の言葉が蘇る。こちら側のモノなら、それで十分。
 紫は彼女自身がいう『こちら側のモノ』なのだろうか。それじゃサトノとマイも?
 じわじわと、染み渡るような。胸の奥が潤っていく。それは全身に広がって、視界も歪むような素敵な感覚。
 探し求めたモノが目の前にある。この人は知っている。私の知りたいこと。
「じゃ、これは貰うわね。マイ、サトノ。これ宝物庫にしまっておいてー」
 未知に酔いしれる蓮子の空気を叩き壊すかのようにあっけらかんと、紫は帽子をサトノとマイに手渡す。
「えっ、あっ、ちょっと!」
「はーい」「はい」
 蓮子の制止も虚しく、サトノとマイは帽子を二人で持って部屋から早足で去って行った。追いかけようと蓮子は二人の行った方へ駆け寄った。が、しかし部屋を出る瞬間、また襖が閉まり、その場尻餅をつく。
 その様子を笑いながら見ている紫を蓮子は睨みながらいう。
「返してください。アレは大切な帽子なんです」
「ダメよ。アレは対価だから」
「対価って……あっ、辞書のくだりはもういいですからね」
「ちっ……モノは等価交換でしょ。与えられたモノに、与えたモノに見合う代償、対価が必要なのよ。それがこの世の理」
 紫は煙管を置くと、どこからともなくトランプを取り出し、適当にカードを引く。
「持つべき手札の枚数は決まっている。カードを引けば捨てなければいけない。捨てたら引かなきゃいけない。そうしなければバランスなんて、簡単に崩れてしまうものなのよ」
「崩れたら、どうなるんですか?」
「酷いモノよ。一度崩れれば、バランスを取り戻すのは難しい。現世の軀は傷つき、星世の運は揺らぎ、来世の魂の道は危うくなる」
 紫の手から溢れ落ちるカードの一枚が、畳の上を滑るように蓮子の元へやってくる。
 それを拾いながら立ち上がり、蓮子は訝しげに紫を見つめる。
「それじゃ、対価を払えば帽子を返してくれますか?」
「だーめ。このミセでは対価の払い戻しは原則認めないわ。でも他のことなら何でも」
 不意に、蓮子の頬に紫の手が触れる。ひんやりとした白い手が、蓮子の顔を輪郭をなぞっていく。それを身動き一つとれずにいる蓮子だが、触れたことに驚いているのではない。
 ソファーに座る紫の右肘の先が消え、何もない空間から消えた右腕が出てきて自分を触っている。蓮子にはそう見えている。
「どんなネガイでも叶えて差し上げるわ。それ相応の対価を支払えば」
 ――アナタのネガイはなに?
 問われた蓮子が真っ先に思いついたこと。でも果たしてそんなことできるのだろうか。
「あるでしょ、ネガイ。感じるだけじゃ足りない。――見えるようになればいい」
「……確かに境界の向こう側を見てみたいって思ってますけど」
「それだけじゃないでしょ。知りたいと思っている。向こう側に行きたいと思っている」
「本当に、叶えられるんですか。そんなこと」
「ええ――アナタのネガイ、叶えましょう」
 いつの間にか元に戻っていた紫の右腕が煙管を手にとり、深く吸う。
「それでお代の話しだけど……そうね、働きなさい。このミセで」
「えっ、それってバイトってことですか?」
「だってアナタ、あの帽子以外対価になるもの持ってないじゃない。対価になりそうなモノといえば、アナタの瞳と血。でもそれを貰ったらネガイが叶わないでしょ? アナタが私に払えるモノがあるとすれば時間と労働力。それらが対価として達したとき、ネガイを叶えましょう」
「……やっぱりキャンセルとかは」
「うちにはそういうのないから」
「クーリング・オフの制度も関係なしですか……」
「うちはうち。他所は他所よ。これからよろしくね」
 ミステリアスな雰囲気を打ち消すように、紫はにっこり笑う。
 なんだかこうしてみると、さっきまでのやりとりが全部嘘のように思えてくる。未知を内包した彼女は、何時しか優しそうなお姉さんのように見え、気づけば部屋の中に充満していた煙も消え、空気も軽くなっていた。
 白昼夢でも見ていたかのように頭の中は熱っぽく、ぼんやりとした余韻が残ってる。
 そんな蓮子の目を覚ますかのように、パシッ――と手を合わせる。
「そうだ! こういうときはやっぱり歓迎会よね。今日は呑むわよ~。あっ、アナタ早速買い出し行ってきて。私シャンディーガフが呑みたいなー。あと、豚鍋も食べたいわね。よろしく!」
「そんないきなり……まあ明日休みですけど」
「マイー。サトノー。準備するから戻ってらっしゃい。あっ、合成のお酒なんて買ってきたら一発でクビにするからそのつもりでね」
「あーはいはい。行ってきますよ!」
 いきなりおさんどんか。まあ無茶な仕事よりはよっぽど楽なはずだろう。
 そう言い聞かせ、蓮子は紫に踵を返す。まだこの辺りにどんな店があるか頭に入っていなかった。速く買い物を始めないと、閉まってしまってはもともこもない。
「あっ、そうそう。コレ、持って行きなさい。帽子の対価の不足分」
 買い出し用のお金でも渡してくれるのかと思って振り返った蓮子だったが、次の瞬間には顔をしかめた。
 満面の笑みを浮かべる紫の白く細い指の先には――なくしたはずの蓮子の身分証明書。
「探してたでしょ?」
「アンタが持ってたのか!」
 今までの全てが胡散臭く感じ始めたが、それを振り切るように紫の手から身分証明書をかっさらい、蓮子は玄関に向かって歩き出す。蓮子は振り返らなかった。紫の笑い声が聞こえているうちは。
 散らかった靴を履き、玄関から店を出た。――扉は驚くほど簡単に開いた。
 ミセの敷地はそれなりあるようで、屋敷の縁側からつながる庭もあった。
 温かく、甘い香りのする風が吹いた。揺られる庭の桜の木々。ひらりひらりと風に舞う。落ち始める夕陽と合間見合って、何故が知るはずもない一昔前の光景のように見える。
 ゆっくりと時間が流れ、喧騒が遠い。
 ずっと立ち尽くしていたい――そう思いはしたが、蓮子はゆっくり歩き出す。
 春は出会いと別れの季節。
 科学世紀、最後の不思議が集まる霊都・京都。そこで結ばれた縁。紫は必然だと言ったが、蓮子には偶然のようにしか思えなかった。
 ミセの敷地から出て振り返れば、さも当然のようにミセは建っていて。代わりに本屋が無くなっていた。――これから本は何処で買えばいいんだ。
 見上げる空には茜色の太陽と白い月。星もちらほらと。
 急がないと――蓮子は足を速めた。
 
 ――まだ、奇譚の事始。
 各駅停車アナウンス
 現実→(はつ)ヒツゼン行きの当列車、ご利用ありがとうございます。
 四月一日、縁ある日に投稿できてよかったと一安心。
 てんのうみです。見て分かる通り、CLAMP様の『XXXHOLiC』のパロディー小説に挑戦しました。
 色々小ネタを挟みつつ、楽しくかけました。

 当駅の旅先ご案内について。
 当駅の旅先のご案内ではお客様のご希望に添えないルート取りであったり、線路上に地雷が設置してあり、人によって脱線事故を起こして無事では済まない方もいらっしゃいます。全て自己責任でお願いいたします。
 後書きで言うのはずるい? ――そうですね。ずるいです。
 
 そんな人生がいいんです。

 以上、お喋りな駅員の旅先案内アナウンスでした。
 本日はご利用ありがとうございました。 またのご利用をお待ちしております。
てんのうみ
[email protected]
簡易評価

点数のボタンをクリックしコメントなしで評価します。

コメント



0.190簡易評価
3.90仲村アペンド削除
紫のそばにいるのがいつもの二人ではないあたりが、より大きな世界観の広がりを感じさせて良いですね。良いパロディでした。
5.80大豆まめ削除
うむむ、色々と思わせぶりな設定が散りばめられていているのはわかるのですが、上手く飲み下せなかった感じです。でも雰囲気好き。
XXXHOLiC が分かればもっと腹落ち出来るのだろうか。
7.無評価Mankey削除
きっと書いていて楽しかっただろうことが伺えます
ただ内容的に、投稿先は、こちらよりも同日のエイプリルフール企画のほうが相応しかったような気がしますです