Coolier - 新生・東方創想話

こころ日和、こいしDays

2014/07/11 21:53:29
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「ごきげんよう」
「いらっしゃいませ! こんにちは!」
 大きな声で挨拶を返してくる、彼女、山彦妖怪の人懐っこい笑みに、来訪者も口許に笑みを浮かべる。
 その大きな声が、ここの呼び鈴となっているのか、少ししてから、
「いらっしゃいませ。豊聡耳神子さま」
「お世話になります。聖白蓮さま」
「まあ。他人行儀な呼び方」
「そちらこそ」
 にっこり、お互いに笑って、一礼する。
 他者に対して礼を失することなく、誠実に接する。
 それは、彼女たちのポリシーの一つなのだろう。
「今日は茶の湯への招待を頂き、感謝します。
 他の者達も、もう少しで到着します」
「ご一緒ではないのですね」
「布都が、『よき茶にはよき茶菓子が必要』と。里で、何をおみやげにするか迷っていて」
「そうですか」
「このままでは待ち合わせの時間に遅れてしまいそうでしたので、取り急ぎ、私だけが」
「なるほど。
 すみません。お気遣いをさせてしまって」
「お構いなく。彼女は、自分が食べたいものがたくさんあって、目移りしているだけですから」
「まあ、うふふ。
 さあ、それでは、どうぞこちらへ」
「それでは失礼します」
 自分に笑顔を向けてくる山彦妖怪に笑顔を返してから、彼女、豊聡耳神子は、ここ、命蓮寺の住職、聖白蓮の後について歩いていく。
「この前、素敵な庵を作ったんです」
「ほほう?」
「いつも通りの茶室もいいものですが、少し見栄を張りたくなってしまって」
「なるほど。いいことです」
「金箔を貼り付けるのもいいですが、あれの真に素晴らしいところは、その前の姿だと聞き及んでおります」
「もう一つ、兄弟の方も、そうですね。
 もっとも、あちらは予算的な都合もあったそうですが」
「それならば、特にめかしこむ必要もなく、ありのままの庵がいいのではないか、と。
 三日三晩ほど協議の結果」
「……そ、そうですか」
 そんなもの多数決でいいんじゃないか、と神子は思ったのだが、口には出さなかった。
 白蓮の機嫌を損ねるかもしれないという危惧もあったが、余計なことを言ってそれを――今、左手側に見えている、小さな建物がそれだろう――を傷つけてしまうのも悪いと思ったのだ。
「……ん?」
「あら」
 失礼、と神子が足を止めた。
 右手側、少しだけ開いた障子の向こうをちらりと見る。
「……おや」
「ああ、彼女ですか」
 そこは普段、客間として使われているらしい。
 部屋の中に布団が敷かれ、その上で、丸まって、一人の少女がすやすやと寝息を立てている。
「先日、人里でばったりと。
 せっかくですので、うちに連れてきて、晩御飯などを食べさせてあげたんです」
「……それからずっと寝てるんですか?」
「つい先ほどまで、響子やぬえと遊んでいたようですが」
「遊び疲れてるのですか」
 その視線の先にて目を覚ます気配もなく、すやすや寝ているのは秦こころという新米妖怪である。
 起こしては悪いと、神子は障子を、音を立てずに閉めて、
「迷惑をかけてしまっているようで」
「いいえ」
「というか、普段、こころは一体どこで生活をしているのやら」
「あら、把握してないのですか?」
「私は彼女の造物主であっても、彼女はもう、一個の独立した妖です。
 そんなところにまでかまけてしまっては、親ばかもいいところだ」
「なるほど。確かに」
 二人はまた、寺の廊下を歩いていく。
「けれど、確かに、こころさんがどこで生活をしているのかは、私も知らなくて」
「そうなんですか。
 私はてっきり、彼女はこちらの厄介になっていると思っていたのですが」
「いいえ。
 確かに、寝食を共にすることはありますが、それ以外のことまでは」
「ふぅむ……?」
 ――まさか、野宿生活?
 頭の中で、ぱちぱちと、燃える焚き火を見つめながら焼き魚もぐもぐ頬張っているこころを想像する。
 割と違和感がない。
 というか、何でだろう、妙にその生活を満喫しているこころの姿が想像できるのは。
「……彼女はたくましく育っていそうだ」
「……は?」
 ぽつりつぶやく神子に、白蓮が首をかしげたのは、その時だった。


「お邪魔しました」
「別に帰らなくてもいいのに。今日はみんなでお鍋の予定だったのよ?」
「けど、わたし、ここの家の子じゃないですから」
「生真面目ね。
 ま、いいか。またいらっしゃい」
「はい」
 それからしばらく後。
 目を覚ましたこころは、寺の住人の一人、雲居一輪にぺこりと頭を下げて、命蓮寺を後にする。
 寺の入り口を潜り抜け、延びる道をまっすぐ歩き、
「こころちゃん、みー、へぶっ!」
「ひょい」
 唐突に、右手側の森の中から現れた少女の突進をひらりとかわす。
 少女――古明地こいしは、木立に顔面から激突し、ずりずりと地面に倒れ伏す。
「いきなり飛びついてくるのはやめて。危ないから」
「あいたたた……。
 ぷ~……! よけなくてもいいのに!」
「よけなかったら、わたしが、そこの木に頭をぶつけていたわ」
「大丈夫だよ!」
「……何が大丈夫なのかしら」
 それは『木にぶつかってもこころなら大丈夫』なのか『木にぶつかることなんてないから大丈夫』なのか。
 一瞬で何通りもの意味が解釈できる、こいしの無責任な返答に、こころの頬に汗一筋。
「こころちゃん、ここで何してるの?」
「命蓮寺でご飯とお布団を頂いたの」
「そうなんだ」
「そうよ」
「じゃあ、今日はうちでご飯とお布団しよう!」
「やだ」
「どうして?」
「やだから」
「何で?」
「何ででも」
「ケチ」
「ケチじゃない」
「ぷ~」
「ふてくされても知らない」
「じゃ、行こう!」
「どうしてそうなるの」
「何ででも」
「だが断る」
「とうっ」
「むっ」
「ていっ」
「なんとぉっ」
 何やらよくわからないやり取りの果てに、取っ組み合いの勝負が始まる。
 ――勝負は、こころの一瞬の隙をついて、彼女の足を縛り付けることに成功したこいしの勝利であった。
「えーっと、これで、こいしちゃんの37回目くらいの勝利?」
「36よ。勝手に増やさないで」
「じゃ、こいしちゃんが勝ったんだから、今日は、こころちゃんのおうちはこいしちゃんのところにけってーい!」
「おろして」
「やだ」
「頭に血が上る」
「じゃあ、後でぐるぐる回してあげる」
「あなたは遠心力というものを知らないのかしら」
「こころちゃん」
「何?」
「こうもりみたい」
「スカートが垂れ下がってるだけよ」
「れっつごー」
「だからおろして」
 コードで両足縛られて、身動きできず、じたばたするこころを、意気揚々と肩に担いで、こいしは退散していく。
 スカートが盛大にまくれ上がり、ぱんつ丸出しで暴れるこころが解放されるのはもう少し後のこと。


「……何かもう……。
 ……本当にごめんなさいね。いつもいつも」
「いえ、さとりさんは悪くありません。悪いのは古明地こいしです」
 さて、連れてこられました地霊殿。
 そこの主、古明地さとりの執務室で、相変わらず、こいしによって宙吊りにされたままのこころは頭を下げてくるさとりに答える。
 とりあえず、こいしには、さとりから拳骨がプレゼントされた。
 それでようやく解放されたこころは、ふぅ、と息をつく。
「こいし。どうして嫌がる人を無理やり連れてくるの」
「嫌がってなんてないよ。ね?」
「嫌がってはいません。
 ただ、お断りしただけです」
「ほら!」
「……こいつは」
 ――相変わらず、我が妹ながら、話の論点がかみ合わないどころか360度明後日の方向に突っ走る会話である。
 さとりの心労を慮ってか、こころは、「あの、でも、えっと、今日はお世話になります」とぺこりん頭を下げる。
「だけど、ねぇ……。
 ……そういえば、こころちゃん。あなた、普段はどこで生活をしているの?」
「色々です」
「色々?」
「はい。
 わたし、舞を舞って生計を立てています」
「ああ。話は聞いているわ」
 ちょうどその時、執務室のドアが開いて、こころよりも小柄な、まだまだ子供な女の子が一人、よいしょよいしょ、と両手に持ったお盆を運んでやってくる。
 そのお盆のサイズすら彼女には大きくて、よたよたふらふらする彼女から、こころはお盆をひょいと取り上げる。
 彼女はぺこぺこ何度も頭を下げて、ぴゃっとその場から逃げ去っていってしまった。
「……彼女は?」
「うちのペットの子です。最近、人型に変化できるようになったの。
 まだまだ人見知りをする子で、恥ずかしがりなの」
 しかし、『さとり様のお手伝いをする!』と頑として聞かないため、『お客様が来たときのお茶汲み』をしてもらっているのだそうな。
 こころは両手に持ったお盆を、テーブルの上に置く。
「確か……そう。こころちゃんの生活の話。
 舞、大人気だそうね」
「よくわかりません」
「そう?」
「はい。
 色んな人に顔と名前は知られるようになりました。
 だから、人里の中を歩いていると、『お、こころちゃん! うちで飯食ってくかい!』とよく声をかけられます」
「そう」
 そう呼ばれて、ひょこひょこと、声をかけてきてくれた人の店に入って、ご飯を食べて、そしてまた、どこかへふらふら去っていく――それが、『秦こころ』の生活である。
「宿はどうしているの?」
「幻想郷はいいところです。
 妖怪の人にも知り合いが出来て、この前、家を建ててもらいました。
 ……家といっても、小さな小屋なんですけれど」
「この前、見に行ってきたよ! すごいよ! 部屋は一つしかないんだけど、すっごくきれいなの!」
「へぇ。よかったわね」
「はい。助かります」
 紅茶の入ったティーカップを手にとって、それを一口。
 それから、角砂糖を二つ、中に放り込み、かき混ぜてから、さらに一口。
『なかなか変わったお茶の飲み方ね』とさとりはそれを眺めつつ、自分の分のお菓子を平らげて、他人のそれに手を伸ばす妹の手をぴしゃりとはたく。
「こら」
「てへへ」
 ぺろりと舌を出すこいしは、角砂糖10個以上を放り込み、何だかどろっとした物体になっている紅茶を口にする。
「普通に暮らしているようで何よりです。
 わたしは、うちに遊びに来るこころちゃんしか知らないから。
 あなたがどんな生活をしているか、実はちょっと興味があったの」
「はい」
「今日は、こころちゃん、泊まっていくって!」
「……ったく。
 泊まらせようとしてる、の間違いでしょう」
「そうだよ?」
「……悪びれもなく」
 何を突然、と小首をかしげて言ってのけるこの妹は、絶対に、将来、大成する――さとりはこの時、改めて、それを確信した。
 しかし、
「ですけれど、いつもいつも、ご飯とお布団を頂くのも悪いです」
「そんなことないわ。
 こいしの友人なのだもの。おもてなししないと」
「違います」
「へっ?」
「古明地こいしはわたしのライバルです。友達なんかじゃありません」
「えー!? こころちゃん、こいしちゃんのお友達でしょ!」
「違うわ」
「違わない!」
「違う」
「違わないもん!」
「違うったら違う」
「違わないったら違わない!」
 二人、ほっぺた膨らましてにらみ合う。
 ばちばちと火花を散らすその間に、さとりは、『はいはい』と割って入った。
「まぁ、それはともかくとして。
 お客様をもてなすのは当然なのよ」
「……けれど、悪いです」
 迷惑をかけてばかりで、としゅんとなるこころ。
 なおどうでもいいが、表情は全く変わらず、その頭のお面だけがころころと表情を入れ替えているため、かなり異様な光景である。
「こころちゃんは礼儀正しいわね」
「だよね!」
「あなたは少し、他人の恩に対して礼を返しなさい」
 ぺちん、とおでこをはたかれて、こいしは悲鳴を上げる。
 全くもう、と肩をすくめて、さとり。
 ――と、
「さとり様。ちょっといいですか?」
「はい」
 ドアが開いて、背の高い(もちろん、この三人から見て)女――火焔猫燐が現れる。
 なぜか、浴衣姿で。
「えっと……温泉の方に、団体さま、ご到着です……」
「……わかりました。今、行きます」
 はぁ、とため息をついた後、さとりは席から腰を浮かした。
 それについていくこいし。そして、
「あの、それじゃ、お手伝いします」
 当然のように、こころも立ち上がる。
 さとりは彼女を肩越しにちらりと見て、「じゃあ、悪いのだけど、いつもみたいにお願いね」と、微妙な笑顔で微笑むのだった。

 旧都の一角、表の大通りに面した一等地に建つ、超がつくど和風温泉旅館『ちれいでん』。
 古明地さとりの妹、古明地こいしが、勝手に計画書作って勝手に人集めて勝手に宣伝した結果、開業した、幻想郷の皆々様に親しまれる温泉旅館である。
「つくづく思うのですが、この旅館は利益が出ているのでしょうか」
「すごい出てる」
「……そ、そうなんですか」
 従業員用の着替え室。
 そこで、こころは、燐から旅館の衣装を渡されている。
 旅館の衣装――それは、浴衣。和風の温泉旅館に勤める仲居さんがファンキーな格好をしていては示しがつかないのは当然である。
 だが、その浴衣というものが、一体誰がデザインしたのか、超がつくミニスカ浴衣なのである。
「もう何つーか、地霊殿って、誰のせいとは言わないけど誰かのせいで赤字経営上等だったのが、これのおかげで黒字転換、お金も余って閻魔さまに『もう少し旅館業に力を入れてはどうでしょうか』とか言われる始末なくらいには儲かってる」
「……そうなんですね」
「……こいし様の経営力っていうか、アイディア力と行動力には誰も勝てないよ」
 ははは、と何かを諦めたような目で語り、笑う燐。色々苦労しているようだ。
 ともあれ、こころは衣装を着替えた後、彼女と一緒にお客様お出迎えのお仕事へ。
「いらっしゃいませ。ようこそ『ちれいでん』へ」
「なっ……!?」
 ぺこりん、頭を下げるこころを見て、新たにやってきた男性客が目を見開き、足を止める。
「何……だと……!」
 何か驚いているらしい。
「こんな……こんな、ロリかわいらしい少女が新たに雇われたというのか……!
 もうすでに3……いや、4……いやもっとか……。
 ともあれ、何度通っても飽きない『ちれいでん』……! また、次回も来なくてはいけないな……!」
 どうやら、彼は紳士であるようだった。
 こころの丁寧な接客に、いたく感激しているようである。その紳士的な振る舞いを見てもよくわかるくらいの紳士だ。
 ちなみにこころは、そんな彼から向けられる感情の波動に『……よくわからない感情』と内心でつぶやいていた。
 ――ここ、『ちれいでん』はお客様が非常に多く訪れる温泉旅館である。
 どれくらいかというと、宿泊プランは、向こう半年先まで予約でぎっしり。当日の日帰り入浴も、時間をミスると旅館に入る際に整理券を渡されて『書いてある時刻になるまでお待ちください』と言われるほど。
 その原因は、温泉と旅館の質に、もちろん起因しているのだが、
「こころちゃん、こころちゃん!」
「とうっ」
「へぶっ」
 突撃してくるこいしをひらりと回避するこころ。
 床の上をずざーっと滑っていって、むくっと起き上がるこいしは、『よけないでよ』とぷんすか怒る。
「よけるわ」
「ケチ」
「ケチじゃない」
「それより見て見て、こんなのもらっちゃった!」
「アクセサリ?」
「うん! きれいだね!」
「そうね」
 と、こんな具合に、『看板娘』が多数、来場する客のハートをげっとするからである。
 わしづかみでぐわしと。
「今日もお客さんで一杯!」
「相変わらずね」
「お姉ちゃんが、『もう慢性的な人手不足でどうしようもない』って嘆いてた」
「でしょうね」
「だから最近、求人票作ってるの」
「あなた何やってるの」
 こんなの、とこいしが取り出す『求人票』。
 体裁ばっちり見た目も完璧、文字もきれいで美しく、応募してくるものが労働条件に対して持つであろう疑問全てにお答えする、『理想的』な書面である。
「これをね、今度、地底の職業斡旋所に持っていくんだ」
「それ、勝手にやってるでしょ」
「ううん。ちゃんとお姉ちゃんの判子も」
 と、取り出される書類。
 これまた体裁も見事な『書面』である。
 そこの捺印欄にはさとりの判子がばっちり押されている。
 押されているのだが、さとりはそれを理解していない。なぜなら、こいしが、さとりの元に山となって届く書類の山に、いつも勝手に紛れ込ませているからである。
「お姉ちゃん、お仕事忙しいから」
 基本的に、姉の押す判子は『目くら判』であることを、彼女は見抜いているのだ。
 見抜いていて、それをうまく利用しているのである。
 悪知恵が働くというか、ある意味、賢いというか。
「さあ、こころちゃんも頑張ろう!
 あ、これ、こころちゃんの労働契約書」
「わたし、サインとかした覚えないんだけど」
「けど、これ、こころちゃんのサイン」
「……いつ書いたっけ」
 またもやどこからともなく取り出される書類には、こころの文字と筆跡で、サインが書かれている。
 恐らく、こいしが何やら勝手に暗躍したのだろうが、見事なまでにこころもそれを覚えていない。
 こいし曰く、『めんどくさいことになるから書類は必要だよね』ということらしい。
「明日はお給料だよ!」
「……」
 お給料が支払われるくらいに、自分は長くここで働いているんだな、とこころは思う。
 こいしの笑顔に釈然としないものは覚えつつも、体が動いてしまうのは、何でだろう、と。
 何となく考えるこころだった。

 こころはぱたぱた、旅館の中を走り回る。
 旅館の正式スタッフの面々より仕事の量は少ないものの、時間はあっという間に過ぎていく。
「おう、こころちゃん。お手伝い、ありがとうな」
「いえ。また何かありましたら」
「うんうん。
 いやぁ、こころちゃんはいい子だなぁ」
「そうだなぁ。
 俺っちも、こんなかわいくていい子が娘だったらなぁ」
「何言ってんだ。お前んとこの娘さん、大層な美人さんになったじゃないか。今度、嫁に行くんだろう? めでたいなぁ」
「いいや! 俺は、あんな弱っちそうな野郎を娘の旦那として認めるわけにゃあいかねぇ!」
「お前さん、そいつぁ、親ばかってもんだよ。
 娘さんの花嫁姿、綺麗だろうさ。笑顔で送り出してやんな。きっと喜ぶさ」
 何だかしんみりとしたやり取りの繰り広げられる、温泉の裏手、ボイラー室。
 そこに『地獄の業火の種火』を運んできたこころの前で、そこで働くスタッフである強面の鬼たちが昭和の長屋な感じの会話をしていたりする。
「あの、それでは、わたしはこれで」
「おう。ありがとさん。
 あとで、美味しいお菓子をやるからな」
 そんな彼らに、誠実かつ真面目な仕事ぶりのこころは人気である。
 そのかわいらしい見た目も、それに起因しているのだろう。ここで働く鬼たちは、皆、見た目とは裏腹に人情味あふれる、いい奴らばかりなのだ。
「えっと、次は……」
 片手に、渡された『お仕事リスト』を眺めながら、こころ。
 今日の仕事は色々。次は、宴会場の設営だ。
「急ごう」
 館内に入って時計を見る。
 夕食時まで、あと1時間。ぱたぱた、足音を立てて走っていく。
「あの、すいません。遅れました」
「おう、こころちゃん! いいところに助っ人に来てくれた!」
「この座布団、あっちに並べてくれ!」
 ちれいでんのスタッフは、男衆は、さとりの友人である星熊勇儀によって都合された鬼たち。女性陣は、同じく、さとりの友人である黒谷ヤマメが選抜した、見た目も人の受けもいい美人さん。
 彼ら彼女らは、みんな、こころに優しいいい人ばかり。
「よいしょ」
「あっ、こころちゃん。そこの座布団、それじゃないよ」
「座布団なんてどれも同じでしょう」
「今日は、そこ、地上の商家の人たちが宴会で使うの。そこ、その商家の偉い人の席だから、こっちの座布団」
「……そう」
「人間って、体裁を取り繕うんだよ」
 片手に何やら書類を持って、こいしがぱたぱた、宴会場を駆け回っている。
 彼女の指示を受けて、旅館のスタッフは『こいつぁいけねぇ!』という顔をして、慌てて設備を変えたりして、大わらわだ。
 どうやら、こいしが、この旅館の運営をうまいこと回しているという噂は事実であったらしい。
「人は見た目によらないわ」
 こいしに旅館の運営など絶対無理、やってるのはさとりさん、と思っていたこころにとって、それは驚きの事実であった。
 ちなみにさとりは、現在、表でやってくるお客様のお出迎えである。
「あ、こころちゃん」
「今度は何?」
「これから時間ってある?」
「?
 ……別に、これが終われば、わたしはご飯を食べてお風呂に入って寝るだけだから、時間はあるけれど」
「余興で舞を一つ、舞ってもらうことって出来る?」
「何を企んでいるのかしら?」
「最近、旅館にね、『こころちゃんの舞を見てみたい』っていうリクエストが多く来るの」
『ちれいでん』の臨時スタッフとして、何だか勝手に認識されているこころ。こいしがよく彼女を拉致ってくるからなのだが、こころのその見た目と、誠実な働きぶりから、彼女に好感を持っている客やスタッフも数多い。
 そんな彼らに、一つ、舞を見せてあげてくれないか。
 こいしの問いかけに、「いいわよ」とこころは答える。
「あなたの個人的な話なら無視するところだったけど、そういう話なら引き受けるわ」
「そう。ありがと。
 えっと、代金なんだけど、舞の時間は15分くらいで、3万くらいでいいかな?」
「別にお金なんていらない」
「ダメだよ、こころちゃん。
 お仕事を引き受ける時は、ちゃんとお金を取らないと。お金を払ってもらえない場合は引き受けちゃダメ。
 正当な相場を維持するためには、物事には対価が必要となることを、ちゃんと意識しないと」
「……あなたにまともなお説教をされるとは思わなかったわ」
 なぜか、腰に手を当てて怒るこいしに、こころの頬に汗一筋。
 とりあえず、こいしは、割といい経営者であるらしい。かなり意外ではあるが。

 さて、『ちれいでん』名物の、宴会場での夕食が始まる。
 もちろん、この会場ではなく、部屋食も選べるのが『ちれいでん』のいいところである。
 やってきている客の間を、忙しく、給仕の女性が駆け回る。
 その中には、なぜかさとりやこいしも混じっていたりする。ちなみに、どちらも、客の受けはいいようだ。
「人がたくさんいます」
「そりゃねぇ。
 何か、これを目当てに部屋食から切り替えた客もいるそうじゃないか」
「期待されてるんだね。頑張りなよ」
 この『ちれいでん』の協力者で、何のかんの、経営を心配して足を運んでくる星熊勇儀と黒谷ヤマメに送り出される形で、こころはとてとて、会場に作られた上座へと上がっていく。
『それでは、本日のメインイベント、秦こころちゃんによる、華麗なる和楽と幽玄の舞、どうぞご覧ください!』
 なぜか、マイクパフォーマンスはこいしであった。
 とにかく多才な彼女を眺めて、はぁ、とため息を一つついた後、まずはぺこりと客に向かって頭を下げる。
 客はぱちぱち、まばらに拍手をして、彼女を一瞥する。
 その視線をこころに固定させるものや、それをすぐに外してしまうものなど様々だ。
 こころは一度、大きく息を吸ってから、ゆっくりと、両手を顔の高さにまで挙げて構えを取った。
 ゆったりと、どこかから音楽が流れてくる。
 和楽器の独特のリズムに合わせて、彼女の足が左に流れ、左手をそちらへ伸ばして体を伸ばす。
 左足が床につくと同時に体を半回転させ、右手と右足を大きく伸ばして、体を大きく見せる。
 だん! と強い足音。
 右足が床につくと、今度は首だけを背後に向けて、客を見る。
 彼らの視線を確認してから、その首の動きに従うように両手を回し、体を正面に向ける。
 次は体を右へ流し、左手を起点に体をゆったりと回転させて、右手を頭上から、天を切るように縦に一閃し、すぐに右手側へと跳ね上げる。
 ゆぅらり、ゆらり。
 足の動きはゆったりと優雅なのに対して、両手の動きは鋭く、激しい。
「はぁ……こりゃ大したもんだ」
「確かに。
 あたしは、あーいう、和製の踊りは苦手だな」
「あなた達、そこで大きな体を縮めてないで、ちゃんと会場に下りたらどうなの?」
「……それもそうか。
 ヤマメ、あっちいこう」
「うん。
 パルスィ、キスメ。行くよ」
『はいなの』
「私は別に……」
「何だ、ノリの悪い奴だな。
 ほら、ついてこい、ついてこい」
「……ったく。わかったわよ。痛いから離して」
 上座の裏手から、こころの舞を眺めていた一同。
 勇儀の後ろに隠れる形で佇んでいた水橋パルスィと、ヤマメの足下で、『ふれーふれー』と、お手製の旗を振っていたキスメ。
 彼女たちも、勇儀とヤマメと一緒に、会場へと歩いていく。
「……すごいわね。人の心を奪ってしまったわ」
「こころちゃんだもん」
「どうして、あなたが威張るの」
 えへん、と胸を張るこいしに、さとりは苦笑する。
 人々の視線は、いつしか、全て、こころの方へ。
 舞が始まった頃は、まだざわついていた室内も、今はしんと静まり返っている。
 響くのは、楽器の音色だけ。
 どこか儚く、遠く響く和太鼓の音色。澄んだように、割れて響く笛の音色。場に残り、場を咲く三味線の音。
 それらを混ぜ込んだ、こころの舞に、人の心は奪われる。
「やっぱり、こころちゃんの踊りは見てて綺麗だね」
「そうね。まるで、此の世のものではないみたい」
「舞って、そもそも、人間が神様を宿すための儀式でしょ?
 半分、此の世じゃなくて彼の世っていうのは、皮肉かな」
「どこで覚えたの、そんな知識」
「えへへ~」
 舞の時間は15分。
 とん、という太鼓の音が切れたとき、こころの両足は地面につき、流れていた両手は体の前にそろっている。
 そうして、ぺこりん、と頭を下げる彼女に、一斉に拍手と歓声が投げかけられる。
「こころちゃん、お見事!」
 上座に上がったこいしが、ぱふ、とこころに飛びついた。
 こころは「鬱陶しいから離しなさい」と、そのまま相手の勢いを利用して背負い投げをかます。
 しかし、こいしはくるくる宙を回転して、すたっ、と床に着地。
「むふふ、甘いよ、こころちゃん! 投げに対して受身は必須!」
「相変わらず手ごわいわね、古明地こいし」
「やめなさい、あなた達」
 そのまま、ほったらかしておくと、いつもの小競り合い(というか、じゃれあい)を始めそうだったので、さとりがそこに割って入った。
 そうして、「それでは、食と酒の宴、引き続き、お楽しみください」と『旅館の女将』として客に笑顔を送って、二人を引きずって退場していく。
「あれくらい見事な舞を舞うのに、どれくらいの時間と修練が必要なのかね」
「う~ん……どうだろうねぇ」
「かなりなものだと思うわ。
 少なくとも、私は出来ない」
「パルスィがそういうんだ。間違いないんだろうな」
『すごいの』
「そうだねぇ。
 あたしも、もーちょい、ダンスとか真面目にやってみっかな」
 こころの舞に拍手を送っていた4人は、そう言って、『さあ、酒だ酒だ!』とその場で車座になった。
 もちろん、パルスィは「お猪口一杯までよ」と勇儀をにらみ、キスメにはヤマメが「キスメにお酒はまだ早いからね」とジュースを手渡している。
 そして、
「勇儀さん!」
「おっ、こいし。お疲れさん。駆けつけ三杯!」
「やめなさい。あなたは」
 顔なじみの姿を見かけ、やってくるこいしに勇儀がお猪口ではなく、巨大な杯を差し出した。
 パルスィがその手をはたいて、それをやめさせる。
「こんにちは……あ、いえ、こんばんは」
 そのこいしに引っ張ってこられたこころが、一同に向かって頭を下げる。
「おっ。今日の宴の主役が来たじゃないか」
「さっきの舞、見事だったよ。
 さあさあ、こっちこっち。座って座って」
「あの、でも、わたしはまだ、えっと、お仕事が……」
「こころちゃんも早く~」
「……あなた何してるの、古明地こいし」
 ちゃっかりと、空けられたスペースに座って、こいしはパルスィからジュースを受け取っている(というか、こっそりと掠め取ったようだ)。
 顔を引きつらせつつも(お面)、こころは渋々、その隣に腰を下ろした。
「どうだい。あんた。酒はいける口かい?」
「えっと……少しだけ、なら」
「よーしよし。それならいい! ほれ、駆けつけ三杯だ!」
「……多いです」
 こいしに差し出された杯が、そのままこころに突き出される。
 パルスィがやはり、「やめなさい」と勇儀をたしなめる。
 こころは顔を引きつらせて、微妙な視線を、隣のヤマメに向ける。
「そんならあたしが飲もうかな~」
「おー、飲め飲め!」
 巨大杯を受け取り、ぐびぐびと、その中身を飲み干すヤマメ。
 やんややんやと勇儀がそれを囃し立てる。
「こころちゃんも、お酒、あんまり飲めないんだ?」
「そうね。苦手」
「そっか~。むっふっふ~」
「……何」
「こいしちゃんはお酒も飲める子!
 こころちゃんに大勝利!」
 ぶいっ、と笑顔で突き出すそのVサインにこころの闘志に火がついた。
「勇儀さん、駆けつけ三杯ください」
「お、本当かい? いいねいいねぇ! そのノリと意気込み、あたしは気に入ったよ!」
「ちょっと、あなた。鬼が飲む酒は尋常じゃないわよ、やめておきなさい」
「いいえ、大丈夫です。
 わたしは頑張れば出来る子なんです。古明地こいしに負けてられません」
 ヤマメが勇儀に杯を返し、勇儀はそれになみなみと酒を注いで、こころに手渡す。
 こころは杯に口をつけると、んぐんぐと喉を鳴らして、酒を飲み干していく。
「おー、おー、おー! いいね、いいねぇ! わっはっは!
 いいよ、あんた! 酒席を盛り上げるのに充分だ! わっはっは!」
 気をよくした勇儀が拍手をしてはしゃぎ、こころをたきつける。
 ヤマメが「あんまり無理しないでね」と、にこやかに笑い、こちらもぐびぐびと酒を飲み干していく。
『ヤマメちゃん、お酒強いの』
 キスメはこいしと一緒にジュースである。
 パルスィは、はぁ、とため息をついた。
「……ぷはっ。
 もう一杯。あと二杯で駆けつけ三杯です」
「そうとも、そうとも! よーし、いけいけ、ぐっといけ! こいつはうまい酒だよ!」
「……さとり。二日酔いの薬、用意しといた方がいいわよ」
「……そのようですね」
「勇儀さん、こいしちゃんにも!」
「あなたはダメ」
「ちぇー」
 通りがかったさとりが顔を引きつらせる光景が、そこにある。
 こころが巨大杯の中身をぐいぐい飲み干し、勇儀が囃し立て、ヤマメがそれを煽る。
 最悪の、飲兵衛による宴会である。
 彼女たちに悪気はないのだが、だから余計にたちが悪い。
 それを煽ろうとするこいしは、一応、さとりの言うことは守って大人しくしているようだが――、
「……こころちゃんは、本当に、負けず嫌いね」
 さとりの目の前で、二杯目の杯を飲み干したこころは「もう一杯! ……ひっく」と、顔を真っ赤にしている。
 こりゃ大変なことになるな、とさとりはどこぞの吸血鬼のように、目の前の少女の運命を予測していたのだった。


「……頭痛いです……気持ち悪いです……死にそうです……」
「もう。こころちゃん、調子に乗るから」
「勇儀さんのお酒を飲んだらダメよ」
 それから、およそ1時間。
 こころは勇儀に囃し立てられるまま、杯傾けまくり、ついにダウンした。
 早くも二日酔いの症状を発症して、歩けないほどのダメージを受けた彼女は、さとりとこいしに担がれての退場である。
 もちろん、勇儀はパルスィに、思いっきり怒られた。
「勇儀さんに酒で勝てる人なんて、そうそういないのよ」
「……いるんですね」
 従業員用の部屋に通されたこころは、部屋に敷かれた布団の上に横たわり、頭にぺんと冷たいシートを張られる。
 ほわ~、とその顔をとろけさせ、布団にもぞもぞ潜るこころ。
 こいしは「お水持って来るね!」と席を外している。
「まぁ、ね」
「参考までに」
「こいし」
「え?」
「勇儀さんが二日酔いでふらふらになるくらいにまで飲み倒されていたわ」
「……どうやって」
「……さあ? 二人でガロン単位で酒を飲んでいたのは覚えているけれど」
「……負けられません」
 ぼっと、こころの目に火が点る。
 とにかく、何だかんだとこいしをライバル視しているこころである。
 この話はしない方がよかったか、とさとりはため息をつく。
「こころちゃん、お水持ってきたよ~」
「……負けないわ」
「え?」
 こいしから水を受け取り、それを飲み干すこころ。
 ついでに、さとりから、「これ、二日酔いの薬よ」と丸薬を二つ手渡され、「お代わり」と差し出された水で、それを飲み込む。
「二日酔いは寝て治すしかないから。
 ゆっくりしてね」
「そのお薬、よく効くから、すぐに治るよ!」
「ご迷惑をおかけします」
「それじゃ」
「また明日ね!」
 さとりは笑顔で、こいしはぶんぶん手を振りながら、部屋を後にする。
 ぱたんとドアが閉じられて、部屋はしんと静まり返る。
 部屋の明かりもすっと消え――音に反応しているのだろうか――、部屋は暗闇に包まれる。
 そうこうしていると、酒が回っているためか、うとうとと、こころの目許もとろけていく。
 ――古明地こいしにだけは、絶対に負けない!
 なぜか、その決意だけを新たにして、こころは眠りにつくのだった。

「こ~ころちゃんっ」
「……何」
「おはよ。よく眠れた?」
「……一応」
「頭、大丈夫?」
「……まだ痛い」
「そっか」
 一応、病人――果たして、二日酔いを『病気』と呼ぶかは不明であるが――のこころには、普段のように飛びついたりはしないらしい。
 翌朝、やってきたこいしは、「これ、朝ご飯だよ」とお膳をこころの前に置いた。
 ご飯に梅干、味噌汁、焼き魚。基本的な『旅館の朝ご飯』だ。
「食べられる?」
「……気持ち悪くはない」
「薬、効いたでしょ」
「うん」
「あれね。永遠亭のお医者さんにもらってるんだよ。
 うちは何か、翌日、二日酔いになる人がなぜか多いの」
 その『なぜか』の理由は、間違いなく、ここにやってくる『鬼』たちのせいなのだろうと、こころは思った。
 思えば、羽目を外して――というか、身の程をわきまえずに、あんなに大量に酒を飲んだから、こんな目にあっているのだ。
 悪いのは自分であるからして、目の前の相手には、何もいえないのだが。
「……まだ5時ね」
「そうだね。そろそろ目が覚めるかな~、って思って」
「……これ、もしかして、あなたが作ったの?」
「そうだよ?」
「……料理、出来たんだ」
「こう見えて、お姉ちゃんと一緒に、キッチンに立ってます」
 えへん、と胸張るこいし。
 恐らく、その時間の大半は、横で見ているか邪魔しているかなんだろうなぁ、とこころは思った。
 ともあれ、渡された朝ご飯に手を伸ばして、もぐもぐ、口にする。
「美味しい?」
 わくわくそわそわした表情を浮かべて、こいしが尋ねてくる。
「……美味しい」
「やったぁ!」
 素直に、そこは答えるこころである。
 彼女はこいしをライバル視してはいるが、意地悪をしたりはしない。邪険にすることはあるが。
「あなた、料理がまともに出来るのね」
「何となく見よう見た目」
「……」
「お姉ちゃんはお料理上手!」
 それを横で見ているだけで、その技術を奪ってしまう古明地こいしという娘。
 何かもうこいつ何でもありなんじゃないかとすら思えてしまう。
「……何?」
「え?」
「どうして、じっと見てるの」
「何となく」
「食べづらいからあっち行って」
「やだ」
「あっち行って」
「やだ」
「あっち行ってちょうだい」
「絶対やだ」
 ため息一つついて、こころは手元のおわんと箸を戻す。
 そうして、「人を小動物みたいに見るのはやめてちょうだい」と文句を言った。
 こいしは、何が嬉しいのか、にこにこ笑いながら、「早く食べないと冷めちゃうよ?」と一言。
 こころはこいしに背中を向けて、食事を始める。
「こころちゃん」
「何?」
「食べ終わったら、ちょっとお外行こう」
「いいけれど」
「二日酔いも治るよ」
「そうかしら」
 実際、二日酔いは、薬のおかげでだいぶ治まっている。
 とはいえ、本調子でないのも事実だ。
 この状態で、たとえば、昨日のような舞を舞えと言われても、絶対に無理、と断言できるだろう。
 ともあれ、手早く食事を終えた後、こころはこいしから「はい、昨日の薬」と二日酔いの薬を追加で渡される。
 それを、これまたどこかからこいしが出した水で飲み込んで、
「いこ」
 と、手を引かれる。
「この時間は、まだ誰も起きてない……あ、厨房は起きてるか。朝ご飯作らないといけないから」
「朝ご飯、確か、7時からだったわね」
「うん。
 うちは、ご飯にも力を入れています」
 曰く、『温泉に来たら、楽しむのは食事とお風呂』なのだそうな。
 だから、その両方に力を入れる。どちらかではダメなのだとか。
 そんな説明を受けながら、こいしに手を引かれて、こころは建物の外へ。
「ん~……」
 大きく伸びをして、こいしがこころに振り返る。
「こころちゃん」
「何?」
「はい! お給料!」
 笑顔で、こいしが差し出してきたのは『お給料袋』と書かれた袋が一つ。
 こころは『別にいらない』というのだが、こいしは『そういうのは絶対にダメ』と押し付けてくる。
「……いらないのに」
「ダメだよ、こころちゃん。
 労働には対価が発生するんだから。払ってもらうのが当たり前で、こいしちゃん達は、払うのが当たり前なの。
 給料不払い、ダメ、絶対!」
 やはり、こいしは、いい経営者であるらしい。
 そういう態度で接してもらえれば、働く側としては安心するだろうなと思いつつ、こころは袋の口を開ける。
 ――と。
「わぷっ」
 いきなり、袋の口がぽんと弾け、紙ふぶきと白い粉が噴出してきた。
「……古明地こいし」
「なぁに?」
 けらけらと、おなかを抱えて笑っているこいしが、目元に浮かんだ涙を服の袖でぬぐいながら尋ねてくる。
「……これはわたしに対する挑発と受け取ったわ」
「え~? そんなことないよ~。
 いつものいたずら! 引っかかった、引っかかった!」
「……よろしい。ならば勝負よ」
 こいしがこの手のいたずらを仕掛けてくるような輩だと言うことは、こころはよくわかっている。
 しかし、だからといって、やられたことをさらっと受け流すほど、こころは心が広くない。
 どこからともなく得物を取り出そうとするこころを制して、「冗談、冗談」とこいしは『今度こそ、本物のお給料袋』を取り出してきた。
「……」
「今度は大丈夫だよ」
「あなたが開けてみて」
「従業員さんに渡すお給料だもん。こいしちゃんが開けたら意味ないよ」
「わたし、あなたのところの従業員になった覚え、ないんだけど」
「けど労働契約書」
「……ほんとにいつ書いたっけ」
 取り出される書類と、そこに書かれているサインは本物である。
 書面として証拠が残っているのだから、うろ覚えな記憶を元に反論することは出来ない。
 渋々、こころはこいしから給料袋を受け取った。
 そして、じっくりがっちり、給料袋に怪しいところがないかをチェックしてから、封を切った。
「……一杯入ってる」
「うん」
「お金なんてどうすればいいのかしら」
「預かってくれるところに渡しておくといいよ」
「そんな人に知り合い……」
「おばあちゃん!」
 と、言われて頭の中にぽんと浮かぶ好々爺の笑顔。
 確かに彼女は金銭にうるさい。噂ではあるが、今、身を寄せている寺の金庫番もしていると聞く。
「……そうね。聞いてみる」
「うん」
「……ありがとう」
「どういたしまして」
 にぱっと笑うこいし。
 そうして、「楽しい?」と尋ねてきた。
「何? 突然」
「うちのお手伝いとかしてみて。楽しい?」
「……」
「楽しくないなら、次からは、誘うのやめるよ?」
「……別に」
 つと視線をそらして、『楽しくないわけじゃない』と、曖昧な返事をする。
 その、そらした彼女の顔をじっと覗きこみ、何を感じたのか、こいしはまたにこっと笑う。
「そっか」
 踊るような足取りで、彼女は踵を返す。
『少し散歩してくるなり、お布団戻るなり、温泉入るなりしてリフレッシュしてきてね』と言って。
 一人、残されたこころは、はぁ、とため息をつく。
「彼女は一体、わたしに何をするつもりなのか」
 全くわからない相手だ、と独りごちる。
 だから、厄介であり、めんどくさくもあり、同時に、何となく付き合っていることを容認してしまう存在なのだが。
「……二日酔いの時の運動とかお風呂は厳禁」
 飲み薬のおかげで、だいぶ、状態は改善しているものの、まだまだ本調子とは程遠い。
 とりあえずお布団に戻ろう、と彼女もそこから離れようとする。
 ――と、
「……?」
 一瞬、ふわっと風が舞った。
 閉ざされた空間である地底で、果たして風が舞うことなどあるのかどうか、こころは知らない。
 しかし、今のは確かに『風』だった。
「……何だろう?」
 気のせいなのか。
 自分ひとりしかそこにいないから、それを証明するものもなく。
 ただの自然現象なのか。
 自分ひとりの感覚であるから、それを説明できるはずもなく。
「変なの」
 結局、結論はつかずに、部屋の中へと舞い戻る。
 不思議なこともあるものだと、頭の中で、勝手に今の状態に答えを出して。


「うむ、よかろう」
 そして、その日の午後。
『ちれいでん』の勤務時間は終わり、こころは地上へと戻ってくる。
 そうして、命蓮寺へとやってきた彼女は、持っていたお給料袋を、そこの妖怪――二ッ岩マミゾウへと手渡した。
 事情を説明すると、マミゾウはそれを預かることを快諾してくれる。
「それにしても、ずいぶんな量じゃのぅ」
 袋を開けることはなく、その、ぱんぱんに膨らんだ給料袋を見て、ほっほっほ、と彼女は笑う。
「お願いします」
「うむ。
 この金が必要になった時は、いつでも、声をかけてくるがいい。
 わしが『ざいてく』で運用して殖やしておいてやるからの」
「……ざいてく?」
「冗談じゃ」
 その意味をわかっていないこころが首をかしげ、自分の冗談がまるで通じなかったオチに、マミゾウは苦笑する。
「働くというのは、色々、めんどくさいのぅ。
 しかし、お前は、いいところを見つけたものだ。のんびりと、金稼ぎに腐心するがいい」
「言葉の意味がよくわかりません」
「わしも、何を言っているかわからんわい」
 変なことを言う人だと思いつつ、こころは彼女にお金の管理を依頼して、ぺこりと頭を下げて、部屋を辞する。
 そうして、寺の正面に回ると、白蓮に声をかけられた。
「ごめんなさい、こころちゃん。
 実は、今日、人里で小さなお祭りがあるの。そこで、あなたに舞を舞ってもらいたいのだけど、出来るかしら?」
「……」
 白蓮は笑顔だが、ちょっとだけ困っているのか、眉毛の形がちょっぴりハの字になっている。
 こころは考える。
 白蓮はいい人。そして、面倒を見てもらっている人。恩義がある人。恩は受けたら返さねば。
 しかし、自分は今、二日酔い。薬で抑えているから症状は出ていない。動いたら出るかな? 大丈夫かな?
 う~ん、とちょっぴり悩んだ後、「わかりました」と彼女は首を縦に振る。
「いいの?」
「はい。いつもお世話になっているお礼です」
「そう。ありがとう。
 じゃあ、申し訳ないのですが、よろしくお願いします」
「任せてください」
 えへんとこころは胸を張る。
 その頼もしい姿に、白蓮は笑顔を深くすると、『それじゃ、お祭りの準備のお手伝いもあるから。今から会場に行きましょう』と、こころの手を引いて、命蓮寺を後にする。
 まだまだ、自分の生き方がわからないこころ。
 そんな彼女を導くのは、周囲の、『よき隣人』なのだろう。
 彼女自身もそれを理解しているのか、『とりあえず、誘われること、言われることは、あまり断らないでおこうかな』と思っている。
 そのうちに、自分の『行き先』も見えてくるはずなのだ。
 ――そうなったらいいな、と。
 何となく、無意識のうちに、思う彼女であったという。



 ――なお、こころの二日酔いはやっぱり治っておらず、10分の舞の後、くるくるばたんきゅ~、となり、永遠亭に担ぎ込まれたことを付け加えておこう。
 その際、彼女は決意した。
『お酒は飲みすぎ注意なんだ』と。
小さな子達が、仲良くしてればそれでいいじゃない。
haruka
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コメント



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可愛らしくて良かったです
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良い関係性じゃあないですかぃ
4.90絶望を司る程度の能力削除
面白かったです。こころ可愛いですねぇ!
6.90大根屋削除
こいしちゃんが良妻すぎる(笑) 控えめじゃなく、元気なくらいがちょうどいい
ぜひ嫁に来てほしい (ぉ
7.100名前が無い程度の能力削除
かわいい(確信)
この二人もどこぞの仙人さま方のようにちぐはぐな友情を育んでいるようで何よりです
10.100名前が無い程度の能力削除
野宿生活こころちゃん…
うん、ありだな
15.90名前が無い程度の能力削除
お料理できるこいしちゃんとか最高すぎです。
23.90ばかのひ削除
こころちゃんもこいしちゃんも可愛いのでもうどうしていいのかわかりません