1814 タレーラン
前章
フーシェは領地のエースへ追放された。後にパリから馬車で二時間ほどのフェリエール市街で暮らすことを許されたが、相変わらずパリへの侵入は禁じられたままだった。以後、パリへ戻るまでは二年の時を必要とした。ロシア遠征も、ライプツィヒの戦いも、対仏同盟によるパリ占領も過ぎ去った後である。しかし、その間に、一度だけパリへ戻る機会があった。それはロシア遠征の前夜とも言える時期のことだった。
ロシアに遠征するなど、十年前には不可能だっただろう。プロシアの敗退、ポーランドの独立、そしてオーストリアとの同盟がそれを可能にした。ロシアへ至る道は開かれ、しかも同盟国からは多数の兵を呼び出し、ロシアへと進軍できるのである。タレーランは、ロシア遠征などという遠大なる愚策を聞いた時には、「そのようなことのためにオーストリア皇女をあてがったのではないぞ」と、心のうちで愚痴をこぼしたことだろう。
不和の種は遥か以前より蒔かれていた。ロシアは第四次対仏同盟での敗北により、大陸封鎖令を押し付けられる形となった。しかし、大陸封鎖令が発令された当初から、密貿易は横行していたようだ。大陸封鎖令が不景気を呼び込むことは明らかだったし、ロシアとしてはフランスにそのようなものを押し付けられること自体が気に入らなかった。1810年頃から、ロシアはイギリスとの貿易を隠さなくなった。密貿易の証拠をフランスに指摘され、封鎖令の履行を求められても、ロシアは聞き入れなくなった。
これはロシアによる挑発だった。フランスは宣戦布告などできまい、というポーズである。イギリスと本格的に敵対するつもりはなかった。ロシアは幾度も兵を送り、フランスと矛を交えた。その多くはナポレオンの天才的戦術の前に敗北に終わったが、戦地は常に遠方の地であったこともあり、ロシア軍を撃滅するほどに追撃することはできなかった。ロシアは自国の領土を侵されたことも、決定的な敗北を喫したこともなく、より多い兵を活用できる自国の領土なら勝てる自信があった。逆にフランスは遠征を行うことになる。
そして、ナポレオンはともかく、フランスは厭戦気分が高まっている。そもそも戦争を行えるような状態にはなかった。ナポレオンが独裁を強めることや、そもそも戦争自体を嫌ったタレーランは、フランスがこのような状況であることをロシア皇帝アレクサンドルに吹き込んだ。戦争などできぬ、できたとして勝つことなどできぬ、と。
フランスの厭戦気分に乗じて、落ち目のフランスよりもイギリスへ接近するべきだ。ロシア政府の上層部では、そのような考えが多くを占めつつあった。フランスの大陸封鎖令に従っても良いことはなく、ロシアの民衆や資産家、貿易商たちも貿易を歓迎した。今やナポレオンはヨーロッパの和を乱す存在となっていた。タレーランはナポレオンを共通の敵と見なすよう外交官を通じて各国へ説いて回り、ヨーロッパ諸国はその方針に従いナポレオンに反抗しつつあった。
ナポレオンはあくまで戦争を望んだ。このままでいれば大陸封鎖令は有名無実となり、イギリスは力を盛り返す。ナポレオンの影響力が少なくなれば、別の有力者がフランスを実効支配するだろう。じっとしていれば負ける、とナポレオンは信じた。ならば、攻めるべきだ。ナポレオン個人としては、勝てる目算も持っていた。
しかし、いよいよ独裁を強めるナポレオンに対し、政府の態度は冷たかった。確かに、表立って反対する者はほとんどいなかった。フーシェに対する処遇を見れば、ナポレオンに逆らえばどうなるかは明らかだ。かと言って、積極的に賛成する者もいなかった。スペインでは未だ戦争が継続中で、ロシアと戦うとなれば、いよいよ状況は泥沼化する。今はなんとか穏やかにやっているオーストリアやプロシアなども気分を悪くするだろう。イギリスが機に乗じるということも考えられた。軍事的、外交的にも非常に悪い行いだ。
タレーランはもちろん戦争に反対した。加えて政府にいる者たち、ナポレオンと共に長くやってきた重鎮のカンバセレスや、軍の中枢を担うべき陸軍大臣や海軍大臣も、どうやら風向きが悪いと感じていた。この時期、高い地位にあり、先が見通せる立場になればこそ、自らの権益を守るため、ナポレオン以後を見据え始めるようになった。地位や財産を得ている者ほど、失うことを恐れ始めたのだ。ナポレオンに追従して戦争に賛成すればナポレオンには喜ばれる。しかし、ナポレオンに追従していた事実が、ナポレオン以後でどれほど悪く見られることか。彼らはナポレオン以後も権益を保っていたくなったのだ。ナポレオンが変わってしまった今、部下たちも変わらざるを得なかった。
民衆の気分も、いつまでも皇帝ナポレオン万歳のままではなかった。未だナポレオンを信奉する者も多いが、度重なる徴兵による不満を持っている者も増えている。最終的に勝つからこそ担がれているが、負けるとなれば手のひらが返されるのは明らかだ。
無邪気にナポレオンを信じていたのは、ナポレオンを頭に抱く軍人たちだけだろう。皇帝が完全に敗けた戦いはない。確かに偶然によって一度や二度敗れたことはあるが、最終的には帳尻を合わせてきた。皇帝は必ず勝つ! しかし、ロシアは遠く、そして寒い。勝つだろうが、皇帝も俺たち兵どもも、苦労することになるだろうな。
事実、ナポレオンの指示を受けて侵攻計画を作成した軍の高級官僚たちは、皆その点を問題にした。侵攻を行うことは可能だろう。しかし、ロシアの内陸部へ攻め入るには、兵站が行き届かないのだ。一撃で撃滅できないならば、スペインのように泥沼の戦争になる。ロシアへ行っている間にオーストリアやプロシアで反旗が翻ればどうなる? パリで反乱が起こったならば? ナポレオンがスペインへ発って半年も立たぬうちに、彼はパリへ呼び戻されたではないか。ナポレオンがいなければ、ロシアでの勝利もおぼつかないであろう。
加えて、フランス国内の厭戦気分は高まっており、勝つことの名誉を得られず、また賠償金を得て費用の補いをつけないことには、民衆の収まりがつかない。勝ったとてイギリスを追い詰めるための大陸封鎖が続けられ、不景気が続く。勝とうと負けようと、ロシア遠征は、フランスにとって易の少ない戦いとなる。
そこまで不利な条件であろうと、ロシア遠征は可能であるとナポレオンは考えていた。一撃で撃破できなければ勝てないが、逆に言えば、撃滅できれば勝てる。一月もあればロシア軍を撃滅できると信じていた。かつてウルムでは、ごく短期間でオーストリア軍を攻囲、降伏させ、指揮官ごと手の内に収めたではないか。ナポレオンは時にこの手の奇跡を演じてきた。アウステルリッツの戦いはナポレオンを偉大にしたが、一方では完璧な勝利を得たがために、自らの完璧さを疑わなくなる結果も得た。ナポレオンは自らの限界を信じなかった。自らが存在するのは神のような何かに選ばれているためだと、ナポレオンは信じている。ロシアに行く、勝つ、というのはナポレオンの中で決定されていた。
勝つことは決まったが、ナポレオン流の感覚を政府は理解できなかった。凡人であればこそ当然のことだが、政府では戦争に賛成する者はいなかった。跳ねっ返りのフーシェが消えた現在でもそのような状況だから、いよいよ厭世気分は高まり、ナポレオンは嫌われていた。このような状況で戦争を投げ出さないのが、彼の戦争好きだと呼ばれる所以だろう。
ナポレオンとしては、兵さえ出せば勝てるのだ、と信じて疑わなかった。それを分からぬ馬鹿どもが、足を引っ張り、フランスを敗北へ導こうとしている。ナポレオンには独裁者特有のパラノイアが生まれつつあった。誰も信用できない、ナポレオンの権力を失墜させようとしている。誰も帝国の勝利を望んでいないのだ。結局、信頼できるのは自分だけだ。幼いローマ王にとって信じられるのは父親たる自分一人だ。なんと可愛そうなことだ! 自分一人で勝ってやる。真にフランスを導いているのは自分だけだ。戦争に勝ち、ナポレオン帝国とフランスを栄光へ導くのだ。勝機は必ずある。ロシアとて戦わずに引くことはできない。一度戦うことができれば、撃滅してやれる。撃滅してやれるのだ。ロシアを倒し、イギリスを締め上げ、ヨーロッパの制覇は近づいているというのに!
しかしこの時ばかりは、どこまでも逆風だった。味方はほとんどいなかった。軍部においてはナポレオンに追従する者が多かったが、ロシア通で知られるコランクール少将が処罰を覚悟で遠征に反対したこともあり、ナポレオンが最も信頼し味方と思っていた軍でさえ意見は統一されてはいなかった。フーシェがパリへ呼び戻されたのはそのような情勢下だった。
フーシェは馬車に揺られ、パリへ向かった。ナポレオンの心中は見抜いている。彼の周囲には味方はいない。かつて皇帝陛下へ就任する際、議員へ斡旋して回った時のように、フーシェが囁きまわってくれることを期待しているのだ。しかしフーシェの実力をもってしても、それが可能かどうか? ナポレオンを脅すほどの影響力をもって、パリの風向きを一挙に戦争へと向けることができるだろうか? ナポレオン自身が戦場の万能であるように、フーシェが政治世界の万能だと無邪気に信じているのだとすれば、期待しすぎというものだ。しかしフーシェならば、思いもしなかった秘策を持ち出してくれるのではないかと一縷の望みを持っていたのは確かだった。それほどにナポレオンは困窮していた。
さて、どのようにすべきか。田舎暮らしには飽いている。領地のエースに私的警察のようなものを置き、パリとの連絡を頻繁にさせているとは言え、情報を収集するのが精一派で、陰謀を企む余地はない。しかし、権力が欲しいとは言え、今の政府の警察大臣のポストが与えられるとして、その椅子に飛びついても良いものか? ロシア遠征を推進したとなれば悪役の名は逃れられぬ。
ナポレオンの破滅は遠からぬ未来のことだ。罷免されたことや殺されかかったことなどは気にするべき事柄ではない。今の状況を見れば、ナポレオンに先はない。ナポレオンの企みに乗らぬことは決めていた。しかし、それでも、少しばかり心は沸き立った。陰謀を行う久しぶりの機会なのだ、これを逃してなるものかと思わずにはいられない。
パリへ、自らの宮殿へと着いたフーシェは、ゆっくりなどしていなかった。フーシェは極秘裏に、精密なロシア地図の銅板を取り寄せた。実地で踏査している軍の方が正確な地図を持っているかもしれない。しかし、そのようなことは問題ではなかった。ナポレオンに会うにあたり、フーシェはそれを部下に持たせ、宮殿を訪れた。
「オトラント公爵」
ナポレオンは、歓迎しているとは言えない態度でフーシェを出迎えた。フーシェを出迎えるという事態そのものが受け入れがたい事態だ。暗殺者まで送り、パリを追放し……しかし、このようにのこのこフーシェが表れたからには、けして悪い返事を持ってきたわけではあるまい。ナポレオンは切り出した。
「君の耳はよく聞こえるから、大体は飲み込んでいるだろう。君に協力を頼みたい」
「ロシアに遠征することは、愚かな行為であると言わざるを得ません」
この密会が世間に知れれば、かつてナポレオンに直接反対できる唯一の人物として期待された通りの風評が得られることだろう、とフーシェは自嘲した。この密会が明らかになることなどあるまい。罵倒をしにわざわざパリへ来たのか、とナポレオンは面食らっていることだろう。ナポレオンは表情を変えなかったが、その内面を思ってフーシェはおかしくなった。不意に警察大臣を罷免する際の手紙が思い出されて、堪えきれなくなった……しかし、フーシェは続けた。
「ロシアに勝利することは不可能です。一度や二度の敗戦では負けを認めず、一度の会戦でロシア皇帝を虜にすることは不可能でしょう。アレクサンドルはじめロシア人はモスクワまで引き、モスクワが焼かれればシベリアまで引くことでしょう。そうなれば、もはや敵はロシアではなく、飢えと寒さがフランス軍の敵となり、全滅します。陛下、ロシアの冬を過ごす用意がフランス軍、その同盟軍にはおありか。陛下、そうなれば、陛下も兵たちと運命をともにすることになりましょう」
「ロシアを制することは必要だ。今やイギリスとの貿易を隠しもしていない」
「恐れながら、それは閣下の言い分です。ロシアにはロシアの言い分があり、イギリスにもあるでしょう」
「君はそのようなことを言いに来たのか」遂に言った、とフーシェは思った。「君を逮捕させても良いのだぞ」
「恐れながら、私であれば、そのようなことはしません。これは私一人の意見ではなく、政府の者、そして民衆の意見でもあります」
乱暴な言い分ではあったが、真実でもあった。政府でロシア遠征を、本当に諸手をあげて喜んでいる者はいない。不景気はイギリスのせいだ、と新聞では言いたてているが、大陸封鎖のせいだと多くの者は気づいている。フーシェが挑発すると、ナポレオンはいよいよ怒気を発し、フーシェを脅しつけた。フーシェはナポレオンの罵詈雑言には慣れている。やがてナポレオンが疲れ、荒い息を吐き出す頃合いで、部下を呼んで入室させた。
「ところで閣下、今日はおみやげを持ってまいりました」
フーシェがそのように述べると、ナポレオンはそれが何かを聞くまでもなく怒鳴った。
「そこに置いて帰れ。後で見ておく」
部下が銅板を置き、更には印刷した地図もまた机へ置くと、フーシェは一礼して背を向けた。
やつはロシアへ行くだろう。やつは地図を見る。思わぬ贈り物を見て、やつはこう考えるだろう。フーシェのやつめ、口ではああ言ったが、本心ではこの俺に媚びているのだ。反対してみせたのは、他の者へは反対していると見せたのだ。ロシア遠征には反対しているというポーズだ。あるいは以前殺されかけたことへの反抗のつもりかもしれぬ。つまりは両天秤、いつもの手だ。勝てばよし、負ければ背を向ける。それだけのことだ。しかし、それはフーシェに限ったことではない。誰もがそうだ。要は勝つことだ。勝てばよい。ナポレオン・ボナパルトの生涯とは、常に負ければ終わりの勝負をだった。そして、勝ち続けてきた。勝つことだ。
やつはロシアへ行くだろう。俺が渡してやった地図を、勝ちのピースとしたのではない。ナポレオンの勝利を望む者がいる、フーシェ一人ではなく、フランスに住む者はナポレオンの勝利を望んでいるのだと感じ取ることだろう。確かに敵は多く、大陸封鎖は(イギリスにも打撃を与えているとは言え)経済の悪化をもたらしている。しかし、ナポレオンが英雄たることは、フランス人の望みなのだ。やつは勝ちを渇望する。自分のためではなく、フランスのために勝つのだと自分を騙して。
行くがいい。やつとその軍隊は凍土の中を進むことだろう。六十万の兵を連れて、その道連れとすることだろう。死ぬがいい。ロシアの地で骨を埋めるがいい。やつは何もかもを過去のものとしてしまうことだろう。既にしてナポレオンは偉大だ。そして偉大だった時期は過ぎて、後は消え去るのみだ。やつが消え去ったそのあとは? ナポレオンという巨大な礎石が消え去った後のことなど、何もわからない。
ナポレオンが嫌いであったかと言えば、そうではない。個人的には好ましい人物だ。しかし、彼は常に勝つことを欲している。戦争を求めている。そうであれば、いつかは死ぬ。彼一人が気ままに死ぬことのできる時期は、とうの昔に過ぎてしまった。彼の死はフランス全てを巻き込むことだろう。安定を求めるのならば、早いうちに死んでもらった方が好ましい。
宮殿の外へ出たフーシェは、一つ、大きく伸びをした。このような振る舞いをして、誰かが見ていないだろうか。兵士が報告しはしまいか。構うものか。重荷が一つ取り払われたのだ。これまで多くの苦労をしてきたが、それもようやく終わるのだ。そのようなことを考えながら、フーシェの内側には、奇妙なほどの開放感があった。
本編
これが全ての終わりだろうか?いいや、これは始まりだ。陰謀は、フーシェを手放しはしない。
ナポレオンとの会合のあと、フーシェは自分の館へ帰り、身軽な格好に着替え、部下も連れず、公園へと散歩に出かけた。私服を着たフーシェは、誰にもフーシェとは気づかれない。ただの老人と同じだ。ベンチを見かけ腰掛けると、そこは俺の指定席だ、と、つぎはぎのズボンをはいた子供が近づいてきて喚いた。浮浪児はこのようにして金稼ぎをする。フーシェが小銭をくれてやると、子供は喜んで離れていった。やがて噂を聞きつけて似たような子供が駆けつけるだろう。
パリの人間が訪れる空間には、決まった種類の人間がいる。一種の縄張りとでも呼ぶべきで、そこに誰が訪れ、どのような界隈を形成しているか、その場所にいる人間は知っているのだ。パリのどの公園、裏路地、酒場にもコミュニティはあり、コミュニティに属する人間は、皆フーシェのことを知っている。
椅子に座って、久々にナポレオンが怒っているところをじっくりと眺めたな、と清々した気持ちでいた。ゆったりと休んでいるフーシェを、様々な者たちが訪れて挨拶をした。彼らは何をするでもなく、よう、やあ、と声をかけてほんの一時フーシェの隣に座り、じゃあ、と声をかけて去っていった。彼らは順番待ちの列を形成したわけではない。何気ない風をして、距離を取ってフーシェを眺め、ベンチに座る誰かが去っては次の者が座るのだった。フーシェはパリから遠ざかっていた。彼が帰ってきたからには、挨拶をしなくては。フーシェがパリにいる事実そのものがニュースになる。フーシェが勢力を失っていない証でもあった。
「あんた!」
突如、大声をあげられて、フーシェはびっくりした。表情を変えないことはフーシェの習慣となっている。しかし、相手はどうやら一般人のようだった。表情を変えないことには不審になる。フーシェは慌てて驚いた表情を作り直した。
「いい服を着ているね」
「安物だよ」
「ああそう。じゃあ、いい安物なのね。ふうん」
誰だろう、とフーシェは考えた。密偵ではない。行きがかりの者であれば、いかなフーシェと言えど、パリの民衆全ての顔が頭に入っているわけではない。服装はきちんとしていて、ブルジョワの娘か、あるいは貴族の娘に見えた。少し田舎っぽいか? どちらにせよ突飛な、どちらかと言えば奇妙なやつだった。娘の方から声をかけることも、相手が若い良い男であればあり得ることだろうが、フーシェのような老人であればよほど奇妙と言うほかはなかった。酔っている様子もない。
「あんた、よく来るの」
どのように答えるべきか。フーシェの宮殿に近いから、以前はよく訪れた。今は領地暮らしの身だ。パリにもそう長いことはおれないだろう。
「昔はよく通ったがね。今は遠くで暮らしている。一週間もすれば帰らなくてはならない」
そう、と女は言った。しかし、そんなことはどうでもいいようだった。女は自分の言いたいことを言った。
「私、初めてパリへ来たの。人の多いところは初めてだし、友達もいないし。どうしようと思って」
要領の得ない、若い女の物言いには慣れていない。フーシェは黙って聞いた。
「都会にはカフェがあるって聞いたの。そこでコーヒーを飲んで、お話をするって。でも、コーヒーは飲めなかったわ。代用のコーヒーしかないんだって。コーヒー豆は海の向こうから来るけど、貿易が止まってるからって言ってたわ。そうしたら、向かいの席に座ってた学生さん達が、ナポレオンがどうの……あの人達、皇帝陛下を呼び捨てで呼んでたのよ。それから大陸封鎖がどうの、戦争がどうの、って言い出して……私に話してるみたいだったけど、何を言ってるのか分からなくて、そのうち、その人達、私を無視して話し始めたから、出てきちゃった。パリに来たら素敵な男の人に案内されて、都会を見られるって思ったのに」
女は両手を頬に当ててうつむいた。なるほど、夢破れたというわけだ。誰でもいいから話を聞いてほしいが、若者に話しかける気分にはなれなかったらしい。しょぼくれた老人に過ぎないフーシェに話しかけてきた理由も分かった。
「パリはそう悪いところじゃないよ。今したような話をしてみれば、大抵の相手は相槌を打ってくれる。次は良い相手に恵まれるよ。コーヒーはそうはいかないがね」
「戦争のせい?」
「まあ、そうだね。皇帝はイギリス製品が嫌いだから」
「そのおかげでカフェも楽しめなくなっちゃったわ」
女はとりとめのないことを思いつくままに喋った。そのたびにフーシェは気のない返事を返していた。周囲の者たちは、フーシェ閣下があのように喋るからには、暗号を用いたスパイの一人かと考え始めていた……ねえ、と女はいいことを思いついたように声を弾ませて言った。
「私、あなたに手紙を書くわ。都会に住んでいる人と知り合って、手紙を送り合うようになるのって素敵だと思うの。カフェでのコーヒーと楽しいお喋りは叶わなかったけど、一つくらい夢が叶ってもいいと思わない?」
「ああ、いいと思うよ。私は君の理想とはかけ離れていると思うけどね」
「あら、そう? でも、都会で話した人の中で、一番話しやすかったわよ。落ち着いているからかしら」
それは君にとってどうでもいい相手だからだよ、とフーシェは考えた。もっとも、それはフーシェにとっても同じだ。
「あなたの住んでいるところを教えて。どこに手紙を送ったらいいの?」
「フェリエールという所だ。ここから二時間ほど行ったところ」
「分かったわ。フェリエールの……そう言えば、あなたの名前も聞いていなかったわ。手紙を出すにしても、宛名がなくっちゃ届かないわね」
「ジョゼフ・フーシェ。住所は忘れてしまったが、フェリエールの郵便局へその名前で出せば届くだろう」
女はどうやらフーシェの名前を知らないらしい。政治に興味のない女からすれば、ナポレオンもフーシェも、大して意味のある名前ではない。オトラント公爵とも名乗らなかった。公爵や伯爵を名乗る詐欺師はいくらでもいるから、そのうちの一人だと思われるだけだ。相手は信じないだろう。
「分かったわ。フーシェさん、手紙が届いたら、絶対に返事を頂戴ね。私、帰ってこなかったら寂しくなっちゃうから。もし今度会えたら、パリも案内してほしいわ。コーヒーが飲めるようになったら、私、またパリへ来るから」
「事情があってね。しばらくパリへは戻れないんだ。顔を合わせたくない人がいてね」
「それは残念だわ。でも、一生というわけじゃないでしょう。いつか、でいいのよ。今だけでも約束してくれていたら、今だけでも嬉しくなれるから」
「ああ、確実にとは言えないがね。私がパリへ戻れるようになったら、君の言う通りにしよう」
「嬉しいわ」それを言うと、女は立ち上がった。「もう帰らなくちゃ。本当を言うと、今からじゃ帰っても遅くなっちゃうの。でも、パリへ来たからには何かの成果が欲しくって。これでやっと帰れるわ」
急ぎ足で立ち去りかけた女を、フーシェは呼び止めた。
「待って、君。まだ君の名前を聞いていない」
「ああ、私ってば。自分の話したいことばっかりで……私はガブリエル。ガブリエル=エルネスティーヌ・ド・キャステラーヌよ。これでも田舎貴族の娘よ。それじゃあ、フーシェさん。また機会があったら会いましょう。手紙を出すわ。またね!」
1812年6月23日、フランス及びフランスの同盟軍は、ポーランドのロシア領へ侵攻した。戦争回避のために行われていた交渉は既に決裂に終わっていた。両国の関係悪化及びナポレオンの意思が戦争にあった以上、交渉はポーズに過ぎなかった。フーシェはフェリエールにおいて、ナポレオンがロシアへ向かってゆくのを見送った。
しかし、フーシェにとってはもはやナポレオンも戦争も、関わりのない出来事だと言わざるを得なかった。この年の10月、フーシェは妻を喪った。冷たく煙る秋雨の中、墓掘り人の後ろに立ち、土の下に棺が埋められるのを見送った。
妻は幸福であっただろうか。フーシェは妻が死んで以来、そのことばかりを考え続けた。フーシェの妻ボンヌは、ただ家が資産家であるというだけの、不器量な女だった。ボンヌと結婚した1792年、フーシェは国民公会の議員になることを目指しており、そのためには立場のある人間として、結婚していることが望ましかった。家に資産があり、支援が望めるならばよりふさわしく思い、彼女を選んだ。そのことを妻は恨んだだろうか。人間的な魅力はともかく、国民公会の議員とは当時では革命の最先端を行くものだ。これ以上の権威はなかった。彼女は、自分の器量を思えば、不釣り合いな結婚であることは感じていたはずだ。しかし、彼女はそれを不幸に思うことはなかったようだ。窮乏もあり、また夫の巻き添えとして危険な立場にいることもあったが、彼女はひたすら夫に付き従い、彼を信じた。
フーシェがオトラント公の爵位をもらった時、唯一嬉しく思ったのは、公爵夫人と呼ばれることをボンヌが喜んだことのみだった。彼女はそんなものを本当に喜んだだろうか、とも思う。夫の栄達を型どおりに喜んでみせただけかもしれぬ。
彼女はもっと平凡で、安定した日々を望んだのではなかろうか。自分は確かに、様々な事情によって金と地位を得、妻にもそれなり以上の暮らしはさせてきたが、それで彼女が幸福であったかはわからない。複雑に情勢の変わるパリの街で、何が起こっても立場を保たせてきた。しかしそのために心労を抱え込むことにもなった。苦労と安寧の、どちらがより多かったか。ともあれ、ボンヌは死んだ。少なくとも安らかに、眠ったように死んだことは確かだった。そのことだけがフーシェを慰めた。
長年連れ添ってきた妻を喪ったことで、フーシェはどっとくたびれてしまった。もう権力などいらぬ、たとえナポレオンに警察大臣に返り咲かせてやると言われようと、田舎で穏やかに日々を過ごすこと以上の幸福には変えられぬとさえ思えた。世間の人々は、フーシェはやがて再び立ち上がる機会を狙っていると見ていた。時たま訪れる知り合いも、再び大臣に復帰できるよう活動してみてはと、お世辞代わりに言葉をかけてくる者もいたが、そうした者たちにも「自分はもう活動するような元気はない」と、疲れ果てた老人のように答えるのだった。
事実、フーシェは疲れており、また張り合いもなかった。世界の重みたるナポレオンは東へ行き、モスクワを占領する大進撃を続けている。やつがロシアへ行ってしまえば全てが終わると思っていたが、実際は違ったかもしれぬ、と思い直すようになった。いよいよ読みも甘くなり、ナポレオンの天下は傾いているように見えても、十年も二十年も続くかもしれず、そうなるならば、妙な政争に加わるよりも田舎で逼塞しているのが良いと思ったのだ。どのみち、フーシェにとってこの頃は、耐えるべき浪人の時期だった。しかしそのような時期でも、スパイからの手紙、あるいは直接の報告に耳を傾けることはやめなかった。ナポレオンが何かの気変わりで再び暗殺者をよこすかもしれないからだ。フーシェにとって、生きるとは即ち情報を得ることだった。
しかし、モスクワで冬を越すことはできるはずもなく、10月までモスクワに残っていた時点で、ナポレオンの敗けは決まっていた。フランス及び同盟国軍は六十万の威容を誇ったが、モスクワまで到達できたのは十万、そのうち生きて帰ることのできたフランス兵は二万に過ぎなかった。フランスのため、と言うには巨大すぎる損失だ。ナポレオンには兵の死を惜しむという感覚はない。長く軍に居すぎ、戦友の死に触れすぎたため、おかしくなっていたのかもしれない。権力を保つためか、革命フランスを保つためか、ナポレオンには王政諸国、また宿敵イギリスと馴れ合う気はなかった。ロシア遠征の敗北を受けてさえ、ナポレオンは和平する気はなかった。ナポレオンはどこまでも不屈であり、英雄たろうとした。
ナポレオンがロシアで敗北したのを見ると、全ヨーロッパは立ち上がった。六度目の対仏同盟が組まれたのだ。その音頭を取ったのはプロシアだった。第四次対仏同盟戦の折、プロシアの軍は消滅し、フランスの監視の元、ごく小さい一定の規模で運営されていた。しかしプロシアは屈服せず、引退したベテラン兵を集め、隠れた軍隊を結成していた。また、フランスで起こったような啓蒙思想が隆盛し、中流階級を中心に愛国心に目覚めつつあった。民衆の後押しも得て、プロシアでは反フランスの気運は高まっていた。
フランスはプロシアを叩きのめし、軍を没収して骨抜きにした。庇護下に置いた、と言えば聞こえはよいが、スペインでもそうだったように、頭ごなしに意見を押し付けられると、人々は強烈に反発する。次にフランスに対しヨーロッパが蜂起するならば、プロシアはその嚆矢に立つ、と決めていた。
ヨーロッパのほとんどがナポレオンの敵となった。イギリス、ロシアがプロシアに呼応したのはもちろん、皇女さえフランスに差し出したオーストリア、かつてはフランスの元帥だったベルナドットを頂くスウェーデンも敵に回った。ナポリ王国はフランス側で第六次対仏同盟戦争に参加したが、完全なフランスの味方とは言えなかった。ナポリ王のミュラはベルナドットと同じく元フランス元帥だったが、裏では生き延びる道を見つけようとオーストリアと密通していた。
だが、この時点ではまだ外交の道はあった。フランスの領地を革命以前まで戻し、フランスの作った諸国家を解体、元の王たちに国を返しさえすれば、皇帝位は保たれたかもしれない。ナポレオン自身が許されずとも、息子のローマ王に帝位を引き継ぐことはできた。タレーランがそのようにナポレオンに伝えたこともある。その条件であれば、ヨーロッパを相手にして外交をやってもいい、と。しかしそれを受け入れればナポレオンの影響力は少なくなり、やがて政府運営には関われなくなるだろう。ナポレオンにはそのような条件を受け入れるつもりはなかった。革命の成果を打ち消すのも業腹だし、異常としか思えないことに、ナポレオンはまだ勝てると考えていた。ロシア遠征の敗北さえ打ち消す、最終的な勝利を得られると信じていたのだ。どこまでも不屈と言えば不屈、あるいは何もかもなげうった無我の境地とでも言うべきか、妥協は一切なく、どこまでもやり抜くという気概だけがあった。
ナポレオンは戦争を外交を通じて交渉を試みた。一応の戦争回避のポーズと言うべきだろう。しかし、ナポレオンも同盟国側も戦争を回避するつもりはなく、互いに時間稼ぎでしかなかった。ナポレオンはロシア遠征で失った兵力を補うため、さらなる徴兵を行い、村という村から若者は消えた。経験、装備も貧弱なこの臨時挑発の若年兵は、オーストリアから来た皇女の名前をもじって「マリー・ルイーズ兵」と呼ばれた。いかにフランスへ進撃する諸外国の軍隊に対抗するためとは言え、この徴兵はいよいよナポレオンを追い詰めた。これで負けるならば、ヨーロッパの軍隊がナポレオンを殺さずとも、フランス政府がナポレオンを許すことはない。
フーシェにとっては、何もかも遠い世界のことのようだった。ナポレオンがロシアで敗北したことも、ナポレオンがいないパリで無名の将軍がクーデターを起こし、未遂のうちに終わったことも、自分には関係ない事柄のように思われた。何しろ自分は老残の身なのだ。何もかも自分を置き去りにして通り過ぎてゆく。
しかし、フーシェが疲れ切ってどのように思おうとも、ナポレオンはそのようには考えなかったようだった。戦争へ赴くにあたり、フーシェをパリの近くにはおいておけない、と考えたようだ。ナポレオンの陣のあるドレスデンへ来るように、と手紙が届いた時、フーシェはいかにも嫌だった。同時に、自分にはまだ影響力があることを考えざるを得なかった。
ナポレオンは落ち目だ。彼に従うのは益のない行為だ。しかし、破れかぶれになったナポレオンがフーシェを逮捕させないとも限らない。事実、外務大臣に復帰して交渉を行うよう命じられたタレーランがそれを断ると、いきり立って逮捕を命じたと聞いている。カンバセレスになだめられて気を変えたというが、もはやナポレオンの理性を信じるわけにはいかなくなっている。従うほかはない。
フーシェは自分の立場について考えた。考えざるを得なかった。自分にはまだ影響力が残っている。ナポレオンが敗れ去ったならば、王政が戻ってくるかもしれず、そうなれば逮捕、処刑という未来もあり得る。自分は処刑賛成派、国王弑逆者なのだ。生き延びるため、方策を考えねばならなかった。フーシェのスパイ網は、平時よりもむしろ活発に働き始めた。ドレスデンにおいても、フーシェがどこにいようとも、連絡は密に取らねばならぬ。それらの用意を十二分にさせてから、ようやくフーシェはドレスデンへ向かって出発した。
充分に働いた。しかし、これからいよいよ働かねばならぬ。フーシェの内部に活力が蘇ってきた。生存本能だけでは理由のつかない血の高ぶりは、やはりフーシェの底にある陰謀癖が喜んでいるためかもしれなかった。情勢を眺め、どのように動こうとも、ナポレオン、あるいは王党派、どちらにも付き、同時にどちらも裏切らねばならない。
「遅かったな」ドレスデンにおいてフーシェを出迎えたナポレオンは、彼にそう言った。何か陰謀でも企んでいたのかね。そうとでも言いたげだった。フーシェの心うち、あるいは行いについて、ナポレオンは何もかもを分かっているようだった。
フーシェに与えられた命令は、プロシアにおける統治官だった。プロシアが健在で、しかも敗北の気配すらない状況においては、できる仕事など何もなかった。これはフーシェを呼び出すための名目に過ぎないことは明らかだった。
ドレスデンにおいてフーシェは個人的な作業に没頭したが、ナポレオンはヨーロッパ中の軍隊に対応することで必死で、フーシェのことなどはもはや相手にはしていられなかった。やがて、イリリヤという地の総督が突然死したので、ちょうどよく仕事が空いたと言わんばかりにフーシェはドレスデンから追いやられ、フーシェはそこへ赴いた。オーストリアにほど近いその地はオーストリア軍にそう遠くない未来に占領されるのは明らかで、イリリヤではそのための用意をして過ごしていればよかった。フーシェはそこでライプツィヒの戦いの顛末を聞くことになる。
ライプツィヒの戦いを結末とする第六次対仏同盟の戦いにおいて同盟国側は、軍事における天才ナポレオンの部隊を徹底的に避ける戦法を取った。ある意味ではナポレオンの天才を認め、敗北を認めたような戦法だったが、それは見事にあたり、勝利を得た。ナポレオンから指示を受けることに慣れきっていたナポレオンの部下たちは、思考的に硬直し、自分たちの判断で勝利することはできなくなっていた。また長く続いた戦争のためにベテラン指揮官たちを多く失い、臨時で高い地位についた軍人が多かったことも敗因だった。
最終的に全軍が入り混じって戦闘が行われたライプツィヒの戦いは、正しく数における敗北と呼ぶべきで、いかにナポレオンと言えど100万近い同盟国軍の戦力をさばき切ることはできず、敗北を認めて撤退した。撤退において追撃を受け、フランス軍は崩壊した。
ナポレオンを守る敗残兵たちをドイツ地方の各都市に置き去りにして、同盟国軍はパリへ進撃した。しかし、パリがたちまち占領されることはあり得なかった。パリには城塞もあり、また最後の部隊が防衛についていたからだ。加えて一直線にパリへ向かう同盟国軍は兵站が伸びることとなり、ナポレオンが直率軍で補給線を断ち切ることもあるいは可能だと考えた。事実、ライプツィヒ以降の各戦線、いわゆるフランス戦役においてもナポレオンの天才は発揮された。戦力差があっても局所的には勝利したのだ。国内ではフランス人が民兵と化して同盟国軍に襲いかかった事態もあった。たとえパリの外の軍隊が全滅しようとも、民衆に呼びかけ、パリの城塞を頼りに戦えばまだ一戦できると考えていた。
パリの城塞を守る部隊の指揮官は、軍におけるナポレオンの最も古い友人、マルモン元帥だった。しかし、彼ですら最終的にはナポレオンを裏切った。彼は数時間の戦闘の後に降伏してパリの城塞を明け渡したのだ。街を荒らされようとあくまで徹底抗戦すれば二、三ヶ月は耐えられただろう。加えて、パリが破壊されれば民衆も立ち上がる。そう考えていたナポレオンはマルモンを裏切り者だと罵った。
結局、ナポレオンはパリへ戻ることはできず、郊外のフォンテーヌブロー宮殿において、パリと同盟国軍の降伏文書を受け取った。パリは陥ちたのだ。パリでは臨時政府が発足し、その頂点にはタレーランが座った。彼を除いて、諸外国と渡り合える者はいなかった。ナポレオンはエルバ島の領主を命じられ、僅かな近衛兵を連れてそこへ去った。
一方で、フーシェは最後までナポレオンに振り回されていた。イリリヤの地がオーストリア軍によって占領されると、次はナポリへゆけと命令を受けた。それが済めばイタリアの別の地へ、そしてまた次の地へといった具合だ。最終的にアルプスを超えて遥か遠くまで行かされた。ナポレオンのフーシェに対する恐怖感はいよいよ度を越えたか、あるいは嫌がらせなのか、フーシェをパリへは行かせまいとする強い意思がそこにはあった。
ナポレオンからの指示が飛んでこなくなり、フーシェがようやくのことで帰国した時には、パリには同盟国の兵隊が満ちており、政府はタレーランの天下だった。何もかもが遅かった。タレーランはフランスにブルボン王家を呼び戻す算段をつけていた。無駄とは知りつつ猟官運動もしてみたが、どこへ行ってもフーシェのために口利きなどしてくれる者はいなかった。物事が一方へ傾くと、次の段階では逆の方向へ大きく振れる。タレーランが王族を呼び戻したからには、次の世は王政だ。パリが同盟国軍に占領された、血に飢えた野獣ナポレオンの手からフランスが解放されたと知ると、ブルボン家は喜び勇んでパリへ帰ってきた。ルイ16世の弟がルイ18世として王に選ばれると、いよいよ体制は固まったように思えた。フランスは絶対王政へと戻った。
王政の世になったからには、フーシェのために椅子を用意してくれる者はいなかった。実質的な指導者タレーランがフーシェを嫌っているとなればなおさらだ。王家の者の反応も見たく思い、フーシェは渡りをつけて話をしてみたが、王には当然会えず、面会にこぎつけた貴族の一人もフーシェをまるで野犬のようにすげなく追い払った。
自分たちは手を動かさず、イギリスと周囲の者たちに全てを任せ、一人でにパリへ戻ってきたような顔をして、もうフランスは自分たちの物だと無邪気に思っている。漏れ聞くところには、何もかも旧体制へ戻すという。民衆を存在しないがごとくに扱ってきた中世へ何もかもを戻し、革命の成果を打ち消しても、反発なども起きないと信じ切っているのだ。王家とは、尊大で、無自覚だ。フーシェは思いを新たにし、次なる道行きを定めた。次なる敵はブルボン家だ。改めて権力を保持、生き延びるためには、彼らの上に行き、頭を垂れさせる必要がある。しかし、彼らは愚かだ。王家の支配はそう長くないかもしれぬ。そうであれば、フーシェにもまたチャンスは巡ってくることだろう。
王政復古の世が来たからには、ジャコバンなどは生き残れるはずがない。ルイ18世を頂き、王党派が天下を取ったパリでは、白い服を着た伊達者たちが、ジャコバンと見ては棍棒で殴っていた。ロベスピエールが死んだ直後と同じ風向きだ。かつてジャコバンに属した者と知れれば、暗殺される危険さえある。フーシェもまたパリを出てフェリエールの居城へと引っ込んだ。王政が永遠であるならば、フーシェのいる場所はない。命を大切にするならばフランスから亡命するべきであった。しかし、フーシェは逃げ出さなかった。
あらゆるところを冷静に眺めれば、王政復古などは長続きしないと信じられたからである。確かにナポレオンは徴兵を繰り返し、軍事費のために臨時徴税を行い、改革で得た利益と同じくらい損失を出した。ナポレオンが気に入らなくなって放り出したとは言っても、革命の成果を何もかも打ち消しにするのは話が違う。ナポレオンに味方した政治家は放り出され、大陸軍の兵士は冷遇され、革命の折に分配された王家の土地は何もかも王家が取り返すと告知が出る。憲法は取り消しになった。
何もかも王の判断に委ねる旧体制そのままで政治がうまくいくはずもなく、これまでの不遇の対価と言わんばかりに、政府運営のための金が宮殿へ運び込まれると見るや、分配のためと称して、王家の者は全てをポケットに入れて持ち去ってしまうのだった。時には王家の者どうしで殴り合い、奪い合いが起こる有様で、諌めようとした政府の高官が王の衛兵に暴行を受ける有様だった。
ルイ18世はじめ王家の者、貴族たちは下々の者になど興味はなく、贅沢三昧を繰り返すことばかりを夢見ていた。何もかもが旧体制の時代へ戻るのだと心から信じていた。フランスへ呼び戻してくれたはずのタレーランにも恩を忘れつつあった。
さて、ブルボン家をフランスへ呼び戻し、ナポレオンはひとまず地中海に浮かぶエルバ島へ追放したものの、以後のヨーロッパ体制を定めるべく開かれたウィーン会議は遅々として進まなかった。乱暴者がいなくなったのだから、ようやく楽しむ余裕もできたと言わんばかりで、典雅なレセプションばかりが毎日繰り返された。ダンス、食事会、歓談ばかりで、その合間に少しばかりの議論が交わされるといった具合だ。フランスの高官や軍人よりも、様々な国の高官を見て、立身を得たいと願うフランスの若い女たちや、あるいは同じ願いを持った各国の女たちもウィーンに訪れていた。
フランスが得た領地をそれぞれの元領主へ返すというだけの話なら、いかにも簡単な話だろうが、ウィーン会議は外交の形をした領地の奪い合いだった。フランスが敗戦国だということは忘れ去られ、フランスが革命以後の土地を全て放り出すと決めているからには、フランスには道義的な負い目はない。各国が欲望を露わにするほど会議は混迷し、奇妙なことに、敗戦国の主であるはずのタレーランが支配することになった。
会議は各国の思惑が交錯していた。フランスから遠いロシアはどうにかどこかの領土を得て影響力を強めようとしていたし、オーストリアはナポレオンの妻と息子を擁しており、仮に置かれているブルボン家の代わりにそちらを立てる手も隠し持っている。イギリスは両大国の間に立って自らの利益を得ようとしているし、プロシアは正面からフランスと立ち会ったのだと成果を強調していた。表向きは華やかなパーティの裏で、大国たちは小国の外交大使へ呼びかけ、秘密の会談が無数に行われていた。
会議は踊る、されど進まず、とウィーン会議は評されている。ナポレオンを呼び込むための会議のようにさえ思えた。時は過ぎた。諸国の利害は噛み合わず、常に忙しくしていなければ気の済まないナポレオンはエルバ島の改革を行って喜んでいるが、今のパリの情勢を聞けば、脱出の意志を持つことだろう。
フーシェの耳にはあらゆる事柄が聞こえてくる。これらの情報を王や貴族たちに届け出れば、ナポレオンの希望を潰してしまうこともできるだろう。しかし、そのようなことをして何になる? 感謝も恩義も知らぬ王に媚を売ったところで得られるものはない。むしろ、ナポレオンを呼び込むことこそが待つべき時だった。しかし、それも更に次なる手を打つための準備に過ぎない。
ナポレオンを助けるのは何のためか。彼の栄光を永遠のものとし、その帝国樹立の礎石の一つたるためか。確かに天秤はナポレオンの側へ傾きつつあるようだ。しかし、再び王へと天秤は傾く時が来るだろう。ナポレオンが脱出して権力を再び握ったとて、ヨーロッパ全てに敵対されている状況は変わらない。加えて、ナポレオンの行うことと言えば戦争だ。ナポレオンが帰ってきたならば、再び徴兵と戦争が行われると民衆は思うことだろう。そのようなナポレオンには、民衆は従うことは難しい。結局は王政では国はまとまらぬ、ナポレオンや、あるいはまた新たな革命のイデオロギーが騒乱の形をして表れるぞ、という民衆の恣意行為としかならない。
フーシェがナポレオンを助けるのは、ある意味、裏切るために助けるのだ。王へ自分を売り込むための、よい捧げものとなってくれることだろう。むろん、情勢が全てそのように動くとは限らないから、打てる手は時々で変えてゆかねばならないが。フーシェは裏切り、迎えた相手を更に裏切り、先に裏切った相手を迎えるための準備に邁進した。この矛盾、このおかしみ、余人には理解できまい。
そのような後ろ暗い考えを抱え、パリにおいてスパイと交流し、印刷所に通っては新聞を作らせながら、フーシェは散歩やカフェへ行くことも忘れなかった。ナポレオンがいなくなってフーシェの監視は緩くなった。ジャコバンと知れれば危険だが、変装をして群衆に紛れるのはフーシェの得意事だ。他人から見れば、身なりのいい、年金ぐらしの老人にしか見えないことだろう。パリへ戻ることが可能となったからには、約束を守らなくてはならぬ約束もあった。フーシェはキャステラーヌ嬢と再会していた。
もっとも、彼女はフーシェを単なる好々爺としか考えていない。王と皇帝を相手取って、人間として卑劣極まる行いを企んでいるとは考えもしていない。そもそも、相手が元警察大臣にして元元老院議員であることも知らなかった。フーシェが偽名を使ったわけでも隠したわけでもなく、キャステラーヌ嬢は政治的に無知だった。
「皇帝陛下がいなくなって、フランスはどうなるのかしら」
「君はどう思う。皇帝陛下が好きかね。それとも、王の方が好みかね」
「さあ……。父は皇帝陛下が好きなようだし、お爺様は王様が帰ってきて喜んでるみたいだけど、私にはさっぱり」
若い者の普通の考えとしては、この程度かもしれない。都会と田舎では政治的な温度差もある。
「私が七つの時、皇帝陛下が戴冠なさって、村でもお祝いがあったわ。お爺さまは拗ねて部屋から出てこなくなっちゃったけど、私は父に促されて、皇帝陛下万歳を唱えたのよ。皇帝陛下は嫌いじゃなかったわ。陛下が来てからフランスは何もかも良くなったって、父はよく言ってたもの。でも、それじゃ、どうして追い出されなくちゃいけないのかしら。それに、革命で王様の時代は終わったんでしょう。王様が帰ってくるっていうのも変だわ」
「馬鹿げている、と思う?」
「わかんない」
パリにいては分からぬことだが、政治を知らず、興味もない人間はいる。むしろ、施政に文句を言い、あるいはごくたまに喜ぶ、その程度にしか関わらぬ人間の方がよほど多い。田舎であればその割合は多くなる。教養の差もある。地方においては、学問とは聖書を読むことでしかない土地もある。
パリでは少数の人間が物事を決めて、動かしている。そのギャップが悲劇を生むこともある。地方においては、王の帰還、皇帝の追放は、全く影響を及ぼさない地域もあるだろう。その地方の公務員がたちまち入れ替わるというわけではない。地方自治に滞りがあるとして、何もかもが変わってしまうことはありえない。遠くで何事かがあったらしい、という情報が来る。その事象が影響を及ぼす前に、時制は次の状況へ変わっている。
革命も帝政も、存在していないがごとく過ごしている者たちがいる。フーシェは時に虚無的になることがあるが、彼女のような人を前にしていると、その思いが強くなるような気分だった。皇帝も王も、自分のような政争に明け暮れる者も、何もかもが無意味のようだ。
「では、ナポレオンが帰ってきたらどう思うかね」
「さあ。それが良いことか、悪いことかもわからないわ。でも、帰ってくる、って言ってる人はたくさんいるわ」
そうだろうね、とフーシェは答えた。無邪気に王を信じてきたように、無邪気に皇帝を信じる者もいる。
ルイ18世と取り巻きのやりようを見るにつれ、民衆は再び王への愛想を尽かしてゆき、ウィーン会談の先行きもどうやら不透明だと知れると、いよいよ国民の不安感は高まった。そのような民衆の声が風評となり、王は嫌われ、再び皇帝が望まれている。
その声がエルバ島にまで届いた時、ナポレオンは即座に小領主の座を捨てた。島外に協力者を得て、秘密裏に準備を進めた彼は、自ら求めて茨の道を進むのである。しかし、ナポレオンのエルバ島脱出は、彼一人の意思ではないかもしれない。彼は本国で自分が望まれていると知り、また脱出が可能だと見たから実行したのだが、その状況ができたのは、各国の利害が一致した結果かもしれない。オーストリアがナポレオンの妻子を持ち出す用意があったように、ロシアはナポレオンを利用する計画があった。イギリスには、ナポレオンが再起しようものなら改めて打倒し、イギリスの優位を引き出し、ナポレオンを永遠に亡き者にする考えもあった。タレーランもその線で協調していた風向きもある。ナポレオンは密かに軍備を整え、物資をエルバ島へ持ち込んだが、イギリス海軍や、フランス人のスパイがその情報の全てを見逃すはずはない。ナポレオンの反乱は見逃された部分がある。フランスの内部でも、それを知っていた者はいる。タレーランもそうだし、フーシェもそうだった。タレーランが情報を知りながら王家にそれを教えなかったのは、自分が重んじられていないことを感じたためだろう。
ナポレオンがエルバ島を脱出、フランスの南へと上陸。パリへ向けて進行を開始。ナポレオンの動向はすぐさまフーシェの元へ入ってくる。しかしフーシェは日々と日常を過ごしていた。当然王に知らせることはしないし、すぐさまナポレオンの元へと身を投じることはない。ナポレオンが無事にパリへ入るまではのんびりと情勢を見ていればいい。
「それにしても、退屈ですわね。もっと面白いことが起きないものかしら」
「近いうちにまた面白いことが起きるよ」
ナポレオンがフランスの領内へ辿り着いた時、その周囲を囲むのは数百名の兵士に過ぎず、ナポレオン何するものぞと王族、貴族たちはさざめき笑った。ネイ元帥はかつてはナポレオンの忠実たる部下だったが、今は王の元についている。彼は国民にも兵にも人気があった。その彼がナポレオンなどは捕らえて、野獣の檻に入れてパリを引き回して見せましょうと胸を打ったのだから、何も心配することはなかった。
フランスに到着したナポレオンは、歓声をもって迎えられた。付いてくる元兵士や民衆を従えて、パリへと進撃した。ナポレオンの部隊と接触したネイ元帥の兵たちが見たものは、先頭に立つナポレオンの姿だった。兵たちが銃を構えようと、ナポレオンの歩みは止まらなかった。兵たちが崇めてきた皇帝そのものの姿、立ちふるまいであり、彼らにはナポレオンを撃つことはできなかった。ナポレオンが兵たちに語りかけると、兵たちは銃を捨ててその威光に従った。
ナポレオンとその信奉者たちは、一発の銃弾も撃たれることなくパリへ進んでゆく。彼がフランスへ上陸した当初は「裏切り者ナポレオン、フランスに上陸」「人食いの野獣がパリに来る」といった調子だったパリの新聞も、ナポレオンが来着する頃になると「パリの解放者来たる」「皇帝ナポレオンを皆で迎えよう」といった具合に変化していった。
新聞の見出しが変化するように、王とその取り巻きの態度も大きく変わった。ナポレオンの上陸を笑っていた王族たちも、ナポレオンの進撃がまったく妨げられず、軍が役に立たないのを見て、ようやく不安に思う者も出てきた。しかし、ナポレオン脱走当初の頃、新聞は変わらず王政に寄っていた。王はようやくフランスに帰れたのでパリを動きたくなかったし、ナポレオン一人の反乱程度どうにかなると考えていた。民衆の声を聞くこともなく、王政寄りの新聞を見て民意も王に向いていると思っていた。王はあらゆる事柄に鈍く、鷹揚で、緩慢だった。情勢が悪い方へ動いても、それが本当の危険だとは思わなかった。彼らが慌てだしたのは、ナポレオンがネイ元帥と彼の部隊を連れ、パリ近郊へ表れてからだった。しかし、状況がそれほど悪化しても、ただ騒ぎ立てるだけで、有効な手を打つこともなかった。
フーシェに呼び出しがかかったのはそのような時だった。王は泡を食って逃げ出すのみだと考えていたフーシェの予想は少々裏切られた。溺れるものは藁をも掴むとは言ったもので、王がフーシェに頼るというのはいかにも恥知らずの行いだ。いまやナポレオンに直接対峙できる人材と言えばタレーランくらいしかおらず、彼は遠くウィーンにいる。王はぎりぎりになって、いよいよフーシェの名前を思い出したのだ。フーシェは内心快くはなかった。気持ちよく応じられるはずがない。猟官をしたときには冷たく放り出し、それを必要とあれば喜んで従うだろうと思いこんでいるのだ。
それも、王の使いはの言い分はいかにも尊大で、王に命じられれば名誉とばかりに喜んでくるだろうと思っている。慌てぶりはおかしくはあったが、通り一辺の慌て方に過ぎず、怒りと威厳を同居させようとするような、ナポレオンのような滑稽さはなかった。それで、フーシェは乗らなかった。このような老骨には、と断りを入れるのみで、王族の者とはろくろく話もしなかった。
王は怒った。王にとっては二重の裏切りだ。革命時代のことを水に流し、使ってやろうというのに応じないばかりか、このような緊急事態に身を隠しているのは、ナポレオンに通じている証拠だと言わんばかりだった。ナポレオンであれば、フーシェの逮捕を命じなかっただろう。逮捕できないばかりか、恨みを買う愚かさを知っているからだ。そうした分別のない王は、フーシェの元へ警察を差し向けた。
キャステラーヌ嬢は近頃、毎日のようにパリへと通ってくる。パリへ訪れる日を前もって手紙で知らせることもあれば、出さずに来ることもある。親切なことに、フーシェ閣下のお嬢さん、と密偵どもは勘違いをし、パリ城門にいる衛兵が彼女を見かけると、こっそりとフーシェに通報してくる。公園へ散歩にゆくと、彼女はそこで待っている。
「ご家族は何も言わないのかね」
「お爺さまは喜んでくれます。王様がいるからパリへ行くって言ったら」
「父親は反対するだろう」
「近頃はめっきり元気がなくなったから。私が勝手をしても何も言わないわ。それに、パリの話をしたら喜んでくれるのよ。ナポレオンが帰ってくることを望んでる人もいる、って。新聞も持って帰ったら珍しがってくれるし。それに、ナポレオンは帰ってくるんでしょう。それを聞いたら喜ぶわ」
どうやら、都会と地方の差はここでも表れているようだった。地方、特に北部ではナポレオンが帰ってきたなど、噂程度にしか知らないに違いない。歓談する二人の元へ、ぼろいコートを来た壮年の男が歩み寄り、言葉をかけた。「あんたたち、新聞がほしいのかい」フーシェが小銭を渡すと、そこらの道端で拾ったのであろう紙切れをよこし、立ち去った。紙切れは古い新聞だ。落書きがしてあった。『犬が動く』
フーシェはそれをじっと見、目を閉じると、考えを巡らせた。
「なんですの、それ」
「新聞だ。お父上に持っていってあげるといい」
犬とは警察のことだ。警察にはフーシェの部下が多くいる。王の命令とは言え、動けるはずもなかった。逮捕する気もなければ、それが不可能だと知っている。しかし一方で、風向きが王家の方にある以上、そちらに肩入れして出世を望む者もおり、フーシェの怖さを知らない者もいる。王の方でもフーシェが逮捕されないことに怒っていた。いよいよナポレオンが迫っているというのに、ナポレオンに加担しようとするフーシェは生かしてはおけない。脱出の前に奴を逮捕しろと、強硬に命令を出したのだ。となれば、フーシェのするべきことは決まっている。ダンスを踊ってみせるだけでいい。
「しかし、その新聞は古い日付のものだ。それに、汚れている。どこの浮浪者が持ってきたともしれない新聞を父上に届けることはない。あとで、今日付けの新聞を買ってあげよう」
それを眺めていたキャステラーヌ嬢より新聞を受け取ったフーシェは、それに何事かを書き付けた。そして、それをベンチへ放り出すと、立ち上がった。
「今日はこのくらいで帰ることにしよう、お嬢さん。広場まで送ってあげよう。新聞を買うついでにね。そこで馬車を拾うといい」
二人が去ると、周囲で見張っていた密偵が集まってきて、その書き付けを見た。『サン・トノレ通りで』と書かれていた。そこが会場だ。密偵たちは警察へ働きかけ、手先をそこへ呼び寄せることだろう。
公園を出ると、フーシェつきの馬車が待っていた。フーシェの姿に気づいた御者がうやうやしく扉を開き、主人を迎え入れた。キャステラーヌ嬢は、フーシェの思わぬ行動に声をあげた。
「えっ! ダメよ、フーシェさん」
それをフーシェの馬車とは思わなかったようだった。フーシェは馬車へ乗ると、彼女を手招きした。彼女は驚き、フーシェを止めようとしたが、御者は止めようともしないし、戸惑っているのはキャステラーヌ嬢一人だと気づくと、おとなしくフーシェに従った。彼女が乗り込むと、御者は扉を閉ざし、馬車は動き出した。
「このような馬車を持ってらっしゃったのですか」
「成り行きでね」
そのように言われてもキャステラーヌ嬢には理解できなかったことだろう。この馬車は見るからに高級品だ。成り行きでまるで王様か貴族のような振る舞いができるものだろうか。フーシェは道々、窓から顔を覗かせ、馬車は緩やかに走らせた。誰が乗っているのかと興味深げに覗き込む人たちに、会釈を返してみせた。ものをよく知る者たちはジョゼフ・フーシェだ、フーシェ閣下だ、と囁いた。キャステラーヌ嬢は馬車の内装に驚いていた。臙脂色の絨毯張りで、柱などにも飾りがついていて、いつも田舎と町を往復している辻馬車などとは全く違った。辻馬車と来たら固い木の椅子だし、乗り合いで誰とも知らぬ者が横に乗っているし、道が良かろうが悪かろうががたがた揺れて……そう言えばこの馬車は揺れも少ない。ばねがついているのか、車輪に工夫があるのかしら? それで、キャステラーヌ嬢は、この人はもしかしたらお金持ちかもしれない、と考え始めていた。
「止まれ! 止まりなさい!」
キャステラーヌ嬢は驚き、体を震わせた。「落ち着きなさい。心配はいらないよ」とフーシェは一声をかけた。馬車が止まると、声の主は窓側へ回り、顔を確かめた。長帽子を被った警官がフーシェの顔を確かめた。
「フーシェ閣下ですな。あなたを逮捕します。同行をお願いしたい」
乱暴なことだ。自分の思い通りにならぬと見るや警察を送り込む。このような王の専制ぶりには、怒るよりもつまらなく感じてしまう。まるでおとぎ話のような王様ぶりだ。付き合って踊るにも楽しみがない。
「元老院にて議員だった立場の者を、そこらの泥棒を捕まえるようにするつもりかね」
続けて、御者に向けて「構わなくていい。行け」と命じた。呆気にとられる警官を横目に、馬車は走り去った。「あなたは、どのような人なんですか」キャステラーヌ嬢は驚くほかはない。
「このようなところへ連れてきてしまってすまない」
成り行き上、キャステラーヌ嬢はフーシェに同道した。フーシェの館へと連れてきてしまったのだ。「お構いなく」とキャステラーヌ嬢は答えた。そのようなことはどうでもよさそうな面持ちだ。キャステラーヌ嬢は自分がこのようなところにいることが信じられないようだった。
「まるで王様かお姫様のお住まいみたいだわ」
かつてはパリで一番の金持ちと呼ばれたフーシェの館は、いかにも華美な佇まいをしている。フーシェには特段こだわりといったものはないから、所詮は商人が言うままの装飾で、金はかかっているが、美的センスで言えばそれなりでしかない。こだわりの強いタレーランなどにすれば『成り上がりの田舎者らしい』館だと見ることだろう。フーシェにとっては家などは雨風がしのげればいい。妻が喜ぶならば飾りもしようし、花も毎日新しいものへ変えさせたものだが、その喜ばせるべき妻ももういない。
「私も村では一番大きな家に住んでいるつもりだったけど、全然大違いだわ。フーシェさんったら、どうしてこんな家に住んでいると教えてくださらなかったの」
「教えるほどのことでもないと思ったんだよ。それに、色々と面倒を持ち込まれても困るからね」
「あら! 私が面倒を持ち込むと思ってらっしゃったの。私を家へ連れ込んでおいて、そのような言い方をなさるなんて。失礼な方」
「それについては、本当に申し訳ない」
それより、とキャステラーヌ嬢は言った。
「さっきの方はいいのですか。警察のようでしたけど」
「まあ、問題はないでしょう。ちょっとじゃれてみせただけのことだから」
ちょっとじゃれただけって、そんな猫かなにかのように。王様の手下を払いのけるなんて、まるでこの方は本当に王様じゃないかしら。フーシェというのは偽名?
「行きがかり上とは言え、すまないことをしたね。すぐに帰る手配をさせよう。埋め合わせは後ほど」
「すぐに帰るなんて、もったいない。フーシェさんが埋め合わせをしてくださるのなら、もう少しここにいさせていただきたいわ。カップやお皿なんかも見たいし、こんなところでお茶を飲んだら、本当のお姫様みたいな気分になれそう」
「お嬢さんのお好きに。執事にお茶の用意をさせよう。したいことがあれば、執事に言うといい」
フーシェが呼ぶまでもなく、執事は足音もなく寄ってきた。君、と呼びかけるより先に、執事はフーシェに紙片をそっと渡した。『犬、親分、長い』と走り書きで書かれている。犬は警察、親分は長官、長いは長物、つまり武器の意だ。やれやれ、のんびりお茶を飲んでいる場合でもなくなった。
ナポレオンと彼の部隊は、フランス軍と民衆を吸収し、いよいよ膨れ上がっている。やはりナポレオンとは特別な存在だと、王と貴族たちは思わずにはいられなかっただろう。ナポレオンがパリへ入城を果たしたとすれば、またもや反動が巻き起こる。ナポレオン自身が望まずとも怒れる民衆によってギロチン台の前へ引き出されるかもしれない。王と貴族たちはパリ脱出の用意を急いでいた。
一方で、ナポレオン主義者たちを残しておけば混乱の種になる。彼らの逮捕、あるいは監禁も盛んに行われていた。しかし、警察や軍にもやる気はなかった。彼らは民衆の気分を敏感に察知する。革命の時には彼らは民衆の側へ回ったし、強硬に事を行えば群衆から反撃をくらい、殺されてしまうこともある。
脱出のために慌てていると言っても、王自身が荷造りをし、駆け回って指示をするわけでもない。彼はまたパリを出なければならないことに苛立ち、話相手の貴族を相手に愚痴を言うだけだ。そのような時でも様々な報告やお伺いは来るが、ほとんどは興味を示さなかった。唯一、ジョゼフ・フーシェの逮捕に失敗したと報告を受けた時、彼は怒気を見せた。
「奴め。国王処刑に賛成票を入れたというやつの生き残り。警察庁の長官を呼び給え。直々に叱責する。奴だけは残しては行けぬ」
フーシェのことも、王は知らなかった。しかし、ナポレオンに向き合える数少ない人物だと聞いたからには、その影響力について考えざるを得ない。憎き革命、憎きジャコバンの輩、殺しても飽きたらぬ国王弑逆者。しかし立場を失った市政の一市民となればさほど興味もなかったが、情勢が変わればそうも言ってられない。警察庁長官を呼び寄せた王はフーシェの逮捕を厳命した。兵を使ってでも引きずってくること、それができないならば免職、逮捕する、と告げた。悪いことに、王の衛兵を使ってもよい、今から兵を連れて行くのだと王が思いついてしまった。断ったり躊躇えばその場で長官自身が逮捕される。幸いなことに、長官はフーシェがどこに逃げたかは知っている。
フーシェの執務室には、誰も入れたことがなかった。彼の警察時代の部下や、密偵でさえも入ったことはない。正邪がこっそりと入り込んだことはあれど、奴は人数には入っていない。フーシェはキャステラーヌ嬢を招き入れると、隠し扉を開き、重要度の高い機密をそこへ隠した。
「何? 何ですか、これ」
「説明している時間はない。君、はしごを使ったことはあるかね」
「はしご?」
乱暴なノックの音が、キャステラーヌ嬢の言葉を遮った。「ご主人さま! 警察の方が、いきなり……」執事が払いのけられ、警察庁長官が扉を開けた。
「お前たちは入るな」長官が兵に命じる。「フーシェ閣下。国王陛下より逮捕の命令が下っております。こちらに逮捕状も用意しております。従っていただけますな?」
「拝見させていただきます」
フーシェはことさら丁寧に、逮捕状を受け取った。じっくりと眺め、間違いなく王の署名も入っていることを確かめた。
「近頃は、教育もなっていない者も多く……先ほども呼び止められましたが、新たな泥棒の手口かと思いましたよ。しかし、このような逮捕状もあれば間違いはない。もちろん、おとなしく従います。しかし、済ませておらぬちょっとした用事がございます。済ませてから皆様に同道いたしますので、どうか皆様には、隣の客間へ掛けてお待ちいただければ」
「フーシェ閣下は、どうやら世間の噂とは違った方ですな。王への尊敬を持ち合わせていらっしゃる」これはフーシェと言うより、後ろに立つ兵へ向けた言葉のようだった。「諸君、閣下はこのように言っておられる。閣下が用意なされるまで隣室で待て」
彼らが廊下を行こうとするのを、フーシェは長官の肩に触れて長官だけを止め、気付かれぬよう耳打ちした。「君も、王がいなくなるまで逃げたまえ」長官は何も気付かなかったように兵について行き、隣室に消えた。フーシェは扉を閉じ、キャステラーヌ嬢に向き直った。声を潜め、彼女に呼びかける。
「さて、逃げなければならない。はしごは使えるかね」
「使えるかも何も……何がどうなっているのか……」
「彼らはナポレオンほど分別がない。ここに残っていれば逮捕される。いよいよもって、連れてきてしまったのはまずかったな。はしごを使えないなら、隠し扉を開けてあげる。隠れていれば、彼らがいなくなった頃合いを見て逃げられるだろう」
フーシェは言いながらも、手を休めてはいなかった。窓際に取り付くと、カーテンの裏に隠された縄梯子を取り出し、窓の外へかけた。体重をかけても不安がないことは分かっているが、それでも緊張感がある。
「さあ、来たまえ。試したことがないなら、一緒にやってみようじゃないか。実を言うと、私も使ってみたことはないんだ」
「それじゃ、危ないじゃありませんか」
「かもしれないな。だけど、残っているのはもっと危ない。何、ロベスピエールの奴に狙われた時を思えばこれしきの事。ナポレオンに暗殺者を差し向けられたこともあるしな」
「あなた、いよいよどういう人なんですか。ロベスピエールって誰です」キャステラーヌ嬢は窓から顔を乗り出した。「これじゃ、下の人から見えてしまいます」
「それじゃ、君が先に行くんだ」
彼女は意を決し、縄梯子を掴み、後ろ向きになって下りていった。こわごわ、下を覗き、足元を確かめながら進んでゆく。彼女が下に着いたのを見計らって、フーシェは縄梯子に乗った。
体重のかかる場所がなく、足元が固定されていない不安感が常にあった。下ろすべき足場を探して足を上下させ、ほんの少しの感触を頼りに足をかけ、一歩ずつ下りてゆく。下から眺めているキャステラーヌ嬢ははらはらしていることだろう。まったく、五十も半ばになって、どうしてこのようなことになる。ようやくのことで下へ降りると、フーシェは彼女の手を引いて隣の庭園へ侵入した。
「フーシェさんって、密偵か何かなのかしら。人畜無害そうな顔をして、こんなに危ない人だったなんて」
「密偵というのは、平凡な顔の方が向いているんだろうな。それにしても君は、危ない目にあっているというのに、元気だな」
「ええ。まるでお話みたいだわ。そう、お父様の友達が歌いながら話してくれた、勇者様の冒険譚みたい……」
「そんなに元気なら、通りを覗いて、そこに馬車が止まっていないか見てくれないかな。執事の頭が回るなら、そこに馬車を回してくれているはずだ」
庭園の中を急いで抜けたせいで、フーシェは息が上がっていた。キャステラーヌ嬢はまだまだ元気だ。フーシェが扉を開けると、言われた通りに彼女は偵察のため外へ出た。すぐに彼女は戻ってきて、フーシェに「大丈夫よ」と告げた。フーシェは彼女に伴われて馬車へ乗り込み、それから隠れ家へ消えていった。状況が変わらないのであれば、再び警察が来るだろう。しかし、今度の逃亡は長いことにはなるまい。
一方で、フーシェの館にて待たされている長官と兵たちは、あまりにも時間がかかりすぎることに気がついた。それで、執務室へ踏み込んでみるとそこには影も形もなく、窓際で縄梯子が吊るされて揺れているだけだった。長官もフーシェの意図には気づいていたから、報告をすると言って一人で消えてしまい、兵たちは王へありのまま告げるしかなかった。
「縄梯子で逃げただと。私と同じくらいの老人が」
王は思わず笑いだしてしまった。あまりにも荒唐無稽な話だったのだ。老人が、それもあのような立場にいる者が、まるで悪戯小僧のように逃げ出すではないか。オペラか何かの話のようだ。
「陛下、お早く」
堪えきれぬように笑っている王を、別の者が急かした。いよいよナポレオンの部下と見える騎兵がパリへ現れたのだ。軍は当てにならず、パリを離れる時が来ていた。
「ナポレオンめ。それに、フーシェめ。連中にはもっと厳しい対処が必要だったな。次にパリに戻ってきた時には、ただではおかないぞ」
王家の者たち、追随する貴族たちは、ベルギーのヘントへ逃亡し、ナポレオンの百日天下の間、そこで亡命生活を送ることになる。フーシェの予測していた通り、情勢はフーシェを追求しているどころではなくなった。ナポレオンが帰還するとともに、王政はまたもや追われ、帝政が再び始まるのだ。
王の相手をするのは子供をあしらうように簡単だったが、ナポレオン相手ではそうはいかない。ナポレオン自身が敢えて苦難を求めるように、フーシェもまた自ら苦難へと飛び込まなければならない。しかし、ナポレオンは栄光のためだが、フーシェは何のために自ら苦労を求めるのか? かつて革命に参加したのも、今ナポレオンに協力するのも、フランスのため、愛国心のためと言えば簡単だ。しかし、フーシェを動かしている本当のところは、そのようなものではない。
「フーシェさん、次はどのようなことで私を楽しませてくれるんです?」
今はこの子のため、と言うならば、これ以上に馬鹿げたことはないだろう。娘は逃げてきた格好のままでベッドに身を放り出し、うつ伏せで足をぱたぱたと揺らしている。
「ナポレオンを見に行くかい」
「ナポレオン? 皇帝陛下? 見られるのですか?」
「物見高い連中は、宮殿を囲んでいる。そこに紛れているといい。私が思うに、ナポレオンは今夜のうちに帰ってくるだろう」
この人は色んなことをなんでも知っている、とキャステラーヌ嬢は思った。
1815年の3月20日の真夜中、宮殿には人だかりができていた。王がいなくなったと知れるや、ナポレオンがいよいよ帰ってくるのだと期待し、集まってきたのだ。人の持つ見えないエネルギー、イデオロギーの力というものがそこにはあった。革命のありし日にバスティーユを襲撃したのも、これと同じ力だったことだろう。
宮殿の内部には、ナポレオンの寵を受けて出世、あるいは金儲けをし、王政の元で冷遇された者たちが集まっていた。宮殿の外側では、王の時代になって罷免され立場を失った軍人が集まり、勝手に警備体制を敷いていた。革命の最盛期には寺院や宮殿は群衆が入り混じって荒らし回り、勝手に宝物や美術品を持ち帰り、時には火を出すなどもあったが、この時はそれほどの荒れようはなかった。
そして、夜の闇の中、先触れとも思える騎馬隊が宮殿へ駆けてきた。彼らは宮殿前の兵士たちを押しのけ、群衆にも離れるよう指示して回った。このような物々しさに敏感な者たちは何かを感じ取り、来るべき時を待った。やがて、一台の馬車が警備の兵に伴われて来着し、宮殿の前で一人の男を下ろした。皇帝万歳の叫びが、群衆の間で繰り返された。
市民たちが、一度は王の帰還に喝采を送ったことを知っている。道々で、新聞も見た。一時は人殺しの野獣と呼び、一転してその意気軒昂なることを知ると、皇帝ナポレオン、パリの解放者と持ち上げた。ここへ来て、皇帝万歳を叫ぶ民衆たちも、次の支配者にも同じように喝采を送るだろう。1814年4月に追放されたナポレオンが1815年3月に見たのは、そのようなフランスの民衆の姿だった。
しかし、ナポレオンはそれに怒ることはなかった。民衆の気分が変わりやすいのは分かっている。新聞にしろ、民衆が喜ぶことを書きたて、煽り立てた者がいるのだ。民衆には罪はない。ただ、気分が変わりやすいというだけだ。しかし、何もかもが元通りとは行かなかった。時勢は王にはなく、ナポレオンの側に風は吹いているが、一時の勢いだということは分かっている。再び対仏同盟は組まれ、軍勢はパリへ押し寄せることだろう。ナポレオンならばどうにかしてくれる、と神頼みのような気持ちで彼を頼るのは少数派と言うほかなかった。
宮殿で夜通しナポレオンを待っていた者たちの中にも、明日以降訪れる者たちも、大物と呼ばれるような実力者はいなかった。顔を背け、ナポレオンに従わぬ者も多かったのだ。再びナポレオンに忠誠を誓った者にしても、一度は王政に頭を垂れたわけで、心より信頼できる者は限りなく少なかった。軍人では、ナポレオン麾下の元帥のうちでただ一人王政に従わなかったダヴー元帥、身内では、ジョゼフィーヌの子、ウジェーヌとオルタンスだけが信じられる者ではなかっただろうか。前妻ジョゼフィーヌはナポレオンがエルバ島へ流された後に亡くなっている。妻マリー・ルイーズはオーストリアに連れ帰られており、メッテルニヒに別の男をあてがわれ、ナポレオンを忘れるよう取り計らわれていた。
信じられる者は少なく、軍に力はなく、ヨーロッパはナポレオンを憎んでいる。しかし、ナポレオンにとっては窮地はいつものことだ。いかに対仏同盟軍が強大であろうと、各個撃破すれば撃退できないことはない。99%が負けと決まっていても、1%の可能性があるならば、ナポレオンは常にそちらへ賭ける人間だった。軍を掌握し、勝つならば、権力を握ることができる。軍にも政府にも実力者がいないならば、政府の要職についた頃のように、見出し育ててゆけばいい。王政が支配するよりも、フランスを良い方向へ導いてゆくことができる。そのためにパリへ戻る方へ踏み出し、そして戻ってくることに成功したのだ。
ナポレオンが宮殿へ帰り着くとすぐに、宮殿へまた一人、彼の元へ参上する者がいた。宮殿の見張りの者が、ナポレオンや宮殿内の者へ向けて、来客者の名前を告げた。
「ジョゼフ・フーシェ閣下が来着されました」
名前が呼ばれた瞬間、ナポレオンは硬直したような無表情を張り付かせた。政治的な判断と言うべきだろう。苦い顔や、暴言を吐くことも、状況が許さなかった。
全くもってフーシェらしいタイミングだと言うべきだろう。ナポレオンが確実に着いた瞬間を見計らっている。しかも、フーシェはナポレオンの心中を見抜ききっている。ナポレオンに嫌われておりながら、このようにぬけぬけと、薄ら笑いすら浮かべてやってくる。
フーシェを追放すればあからさまに敵の側に回るに決まっている。議会に手を回して、ナポレオンを迎えぬことを決議するかもしれない。かといって、逮捕、処刑してしまえば、ジャコバン派の反感を生み、政府運営に暗い影を落とす。ナポレオンはフーシェを迎え、使わざるをえない。それが分かっていてこうしてやってくるのだ。そうでなくとも、彼の能力は惜しい。フーシェが裏切り者でなければ、このように迷うこともないのだが。しかしフーシェの名と裏切り者という称号は分かちがたく結びついている。裏切り者ではないフーシェはありえない。
ナポレオンは自らフーシェを迎えるために、宮殿の入り口へ向かって進んでいった。そして、フーシェと顔を合わせると、笑顔を見せて手を握った。ナポレオンとフーシェは奇妙なことに、またもや結びつきを得たのだ。彼らは反目し合いながらも、互いに互いを突き放すことはできなかった。
フーシェを迎えるのは、自ら毒を飲むのと同じことだ。しかし、負ければ死ぬのは同じことだ。勝つことだ、と割り切ったではないか。来たるべき対仏同盟軍との争いに勝つならば、政治的にも生き延びる目ができ、フーシェという毒も除く時が来るだろう。
ナポレオンは民衆の歓呼とともに迎えられた。しかし、政府、特に議会の態度は冷たかった。皇帝の退位はタレーランを主とする勢力が決めたこととは言え、議会を通過、承認したことで、皇帝自身も退位書にサインしたではないか。民衆が喝采したとて、勝手に反故にし、帰ってきたのを素直に認めるわけにはいかなかった。政府の言う筋は通っている。
ナポレオンの方でも、意地を張ろうというつもりはなかった。ナポレオン帰還の混乱が落ち着くと、ナポレオンは自由主義的な新憲法を発布し、人心を掴みにかかった。皇帝の権力を縮小し、議会の権力を大きくしたことで、これまでのような皇帝独裁をするつもりはないと示したのだ。しかし、議会の解散権は皇帝が握っている。
「結局のところ、ナポレオンはまだ戦争を続ける気さ」と、フーシェは友人たちにうそぶいた。「ナポレオンからすれば、敵国が来るのだから仕方がない、と言うだろう。しかし、同盟国軍が敵としているのはナポレオン一人ではないかね。彼さえいなくなれば、平和が戻るのだ。我々に必要なのは、王でも皇帝でもなく、憲法と新体制ではないかね」
エルバ島脱出からワーテルローの戦いに至るまでのナポレオン体制、いわゆる百日天下は、結局のところ、ナポレオンの意志で動いているものではなかった。議会に大幅な譲歩を行わねば帝位に昇ることもおぼつかない代物だった。
政府の中枢にはカンバセレスが法務大臣、カルノーが内務大臣、コランクールが外務大臣に座った。カンバセレスは有能だが、政治的能力には乏しく、ナポレオンに逆らわないことだけで政府で生き延びてきた。カルノーはこれ以上ない愛国者にして甲骨の士、革命に忠実だが、権謀術数を嫌悪し、自ら遠ざけている。コランクールは勤勉だがナポレオンに対し反論はしても、最終的にはイエスと答えざるを得ない男だ。彼らは揃って律儀者で、正義というものを信じている。ナポレオン、あるいは彼が庇護する革命がその正義であると信じて働いた。しかし、世間は正義だけでは動かず、移ろいやすいパワーバランスで成り立っていて、議会、ひいては民衆の操り方を知らなかった。百日天下の首脳陣で、フーシェに勝る謀略の持ち主はいなかった。ダヴーが陸軍大臣に任命されたのは、フーシェの見張り主として配置されたのかもしれない。しかし、スパイの扱いについて、三十年の長があるフーシェの陰謀を全て察知することはできない。
国内においてのみならず、国外においても、フーシェは影響力を保っていた。諸外国の君主たちはナポレオン及び彼の子飼いの部下とは交渉をせず、交渉のパイプをフーシェ一本に絞った。ナポレオンからの通使と知れればたちまち捕縛され牢屋行き、皇帝直筆の手紙が開封もされずに打ち捨てられた一方で、フーシェの密使は恭しく出迎えられ、手紙は皇帝が直接読むというような扱われ方をしたのである。ナポレオンのような約束の通じない相手と話をするよりも、理性的なフーシェの方が利益のある話をできるのだ。それに、フーシェはタレーランと同じような魂の持ち主だったから、相手が欲しがっている情報を敏感に察することができ、また祖国の情報を売り渡すことにもためらいを持たなかった。この時代の外交に必要な相互利益、外交官個人にとっての儲けについても気を遣ったから、外交官も下にはおかなかった。そして、特にオーストリア筋にとっては、タレーランもフーシェを外交官として選ぶよう、耳打ちをしたかもしれぬ。破れかぶれになっても我を通すナポレオンより、権力のバランスを見て、どちらにつくべきかを決めるフーシェの方が、争いもなく、自然にフランスを明け渡すと期待したのだ。フーシェを立て、一方でフーシェを利用しようとした。フーシェの側でもタレーランに笑顔を見せてやることで、オーストリアとスムーズに話ができて、有利なことを利用している。
それは政府の重鎮、あるいは民衆も期待したことであった。ナポレオン自身の、ポーズであれ強気の姿勢を保って、相手を威嚇するようなやり方では、これほど長く打ち続く戦争の果てに、またもや徴兵と戦禍をもたらすのかとくたびれるばかりだ。フーシェならばもっと穏健な、理性のあるやり方で話を通してくれるのではないか、彼の裏の情報をもってすれば、オーストリア皇帝や、ロシア皇帝の秘密を握って、あるいは交渉をうまい方向へ持っていってくれるのではないかと期待したのである。
何より、フーシェは、ナポレオンの他に誰も持たぬもの、具体的な将来のビジョンを持ち合わせていた。ナポレオンのビジョンは、ヨーロッパがあくまでもナポレオンを排除し、革命を反故にして王政を復活させ、軍をフランス領内へ進めるならば、最終的には武力で決着をつけるというものである。彼の元へ集った者たちは、とにかく革命を維持するというほかは何も信じなかった。
フーシェは大っぴらに言葉にしないまでも、一つの事柄で諸外国と志を同じにしていた……ともあれ、フランスからナポレオンを追い出そう、という一点である。そのビジョンを、パリ市内でも同じ志の者とは共有し、ナポレオンなどはやがて自滅するから、反ナポレオンのキャンペーンなど行って変に人心を惑わすなと、王党派を戒めた。ジャコバンも王党派も、ひとまずナポレオンを追い出すということでは一致していた。仮にナポレオンがフーシェの逮捕を命じる、あるいは親ナポレオンのグループを使ってフーシェ暗殺の命を出す、そうすると次の夜にはナポレオンは牢獄に入っていることだろう。もはや、フーシェの腕の方がナポレオンより早く動くのだ。またぞろヴァンデ地方で強烈な革命アレルギーが発生し、大規模な内乱に発展しそうな動きがあった。ナポレオンがヴァンデ地方の反乱は断固鎮圧すると声明を出すと大いに反発したが、「君たちが立ち上がり、国民同士で殺し合うよりも、ナポレオンは一年のうちにいなくなる、それを待ってから立ち上がっても悪くはあるまい」とフーシェが言葉を送ったところ、反乱は静まったのである。
もはや国内においても、ナポレオンよりもフーシェの方を重く見ていた。ナポレオンは確かに偉大だが、かつてのナポレオンと今のナポレオンはすっかり違ってしまっている。そのことを国民も理解し始めていた。彼の味方は戦場しかなかった。しかし、その戦場も彼を裏切り始めていた。
「最後の瞬間において、ナポレオンは自らを裏切ることになるだろう」フーシェは、そのようにもうそぶいた。幾度も裏切りのタイミングを計り続けた男の言葉は、奇妙なほどに未来と合致した。
ヨーロッパの動きは、ウィーン会議が一年の歳月をかけても終わらなかった鈍さに比べ、驚くほどに早かった。反ナポレオンで結論は一致し、1815年6月はじめにウィーン会議は閉会した。諸国の君主たちは国へ戻ると軍備を始めた。コランクールに外交努力を行わせ、できる限りの時間稼ぎをし、ナポレオンもまた軍備を整えた。幾度も搾り取った末にまたもや徴兵を行い、事情があって軍を除隊された者を呼び戻し、ドイツ、オーストリア方面、あるいはスペイン方面から呼び戻された軍を寄せ集めて、どうにか二十万の兵を集めて軍団を作った。対する同盟国軍は全てを合わせれば百万人を越える。それらの結集を待てば、すり潰されるのは目に見えている。
二十万のうち八万をイタリア、オーストリア、スペインに面した国境へ配置すると、十二万を率いて北へ向かった。第一の標的はイギリス、オランダの連合軍十一万である。すぐ西には十二万のプロシア軍が迫っているため、合流前に叩く作戦だった。
ワーテルローの前哨戦たるリニーの戦いにおいて、ナポレオンはイギリス軍に勝利した。新調兵、経験の少ない軍団長、馬や砲などの少ない貧弱な装備、加えて最終的には十倍近い敵軍がいるという心理的状況においても、ナポレオンの天才は発揮された。しかし、同時刻カトル・ブラの戦いにおいてネイ元帥は敵軍の撃破に手間取っており、彼の部隊との合流、追撃には失敗した。この戦いでイギリス軍の追撃に成功し、撃破できていれば、ワーテルローの戦いはなかったとも言われている。合流を急ぐイギリス軍及びプロシア軍は一晩の時間を得た。
ナポレオンにもいよいよ運が尽きてきたようだった。このような状況になると、アウステルリッツでは味方をしてくれた天候でさえ、敵に回るらしい。夜半には雨が降り、街道はぬかるみで通れなくなった。歩兵の進軍はもちろんのこと、ナポレオンの用兵には必須の、砲の素早い運用が不可能になる。ナポレオンは時間が惜しいことを分かったうえで、進軍を昼過ぎまで控えた。プロシア軍がいると予想される方向にはグルーシー元帥率いる一軍を送っている。時間を稼いでくれるだろうと期待していたのだ。この際、偵察は不十分で、プロシア軍の位置も正確には掴めていなかった。軍団の長としては優れていたスルト元帥も、参謀長という職務には不向きだった。ナポレオンの側にも問題はある。ナポレオンの命令は時に理解の難しいところがあり、ナポレオンの参謀長にはそれを独自に解釈する能力が必要だった。ナポレオンは後年セントヘレナにおいて、ベルティエ参謀長の不在を悔いた。
戦闘の序盤においてはフランス軍が優勢になった。しかしこれは、イギリス軍がプロシア軍の来着を待っており、時間を稼ぐために守勢を取ったのに対し、フランス軍は素早く決着をつける必要があったからだ。イギリス軍の銃兵は方陣を組み、フランス軍の騎兵突撃を幾度も跳ね返した。砲兵における支援が追いつかず、騎兵突撃は完璧な形にはならなかった。ナポレオンはグルーシー元帥に対し戦場へ引き返すよう命令書を送ったが、彼が命令書を受け取った時には、ワーテルローから二十キロ先にいた。彼はワーテルローの戦場で打ち合っている大砲や銃声を聞いたが、皇帝陛下からの命令を違えるわけにはいかぬと、プロイセン軍がいるであろう地点へ進軍を続けていたのである。グルーシー元帥の実直さによって、彼に率いられた三万のフランス兵はワーテルローの戦いに参戦できなかった。マレンゴの戦いにおけるドゼー将軍の振る舞いとは真逆の行いである。ナポレオンはかつてドゼー将軍が夕方前に来着し、敗北寸前のところから逆転したかつての栄光を夢見ていた。
第三の軍勢が戦場に来着した時、ナポレオンは「グルーシーが来た」と言い、イギリス軍司令官ウェリントン公爵は「プロシア軍が来た」と言ったという。真実はウェリントン公爵の側にあった。6月18日の夜が来るまでに大勢は決し、ナポレオンは戦場で死ぬまで戦おうとしたが、幕僚の者たちに促され、近衛兵の一団とともに戦場を離れた。
6月の18日の昼、フランス軍が勝利という報がパリに出回った。パリは明るい話題に沸いた。しかし同時刻には、フランス軍は負けつつあり、夜になる頃には、皇帝の軍隊は追い散らされていた。フーシェは誰にも先んじてその情報を仕入れ、ナポレオンの最終的な打倒に向けて活動を始めた。
「ナポレオンが勝つにしろ負けるにしろ、彼が生きて帰ってくるならば、彼はこれまで以上に増上慢に振る舞う。負けている時にこそ強気に出るのがいつもの手だ。彼は兵が必要だと叫ぶことだろう。そして、議会を解体して独裁を目論むことだろう。しかし、それは絶対に阻まなければならない」
フーシェはもはや活動を隠そうともしなかった。フーシェの活動によらずとも、議会は反ナポレオンの者が大半だった。しかし、ナポレオンに対し矢面に立てる者がいないのも事実だ。かつてテルミドールの際にはタリアンを立ててロベスピエールを告発する役をやらせたが、此度はかつての革命の英雄、ラファイエットを立てた。
彼は革命の最初期にあたる三部会招集より議員として革命に参加していたが、市民の集会を鎮圧する際、武器を持たぬ民衆に発砲したとして新聞に非難され、フランスを離れていた。しかし結果としてはラファイエットの身を守ることになった。仮に影響力を残したままパリに留まっていれば、ジャコバン派独裁による弾圧、あるいはテルミドールの反動期のどこかで、命を危うくしていただろう。彼はナポレオンが執政となった後の1800年に市民権を復活させてもらったが、ナポレオンの政権とは距離をおいていた。王政復古下でも議員にはならず、百日天下の際に人材に困ったナポレオンに誘われ、議員となっていた。フーシェは彼に白羽の矢を立てた。
「今や君こそが、祖国の自由を守る戦士となるべきだ」
当初、ナポレオンに議員になるよう誘われた時も、ラファイエットは誘いに乗るつもりはなかった。彼が議員となるのを決めたのは、フーシェに説得されたからだ。ラファイエットにとって地位や金などは説得材料にならなかった。彼が欲したのはただ名誉だけである。やがてナポレオンを倒す機会がやってくる。それを成す者は、ナポレオンを超える英雄となるだろう。そのように口説かれ、ラファイエットの心は動いた。そして、ナポレオンが敗北して帰ってくる、この機会を待ち望んでいたのだ。
一方で、ナポレオンは20日の深夜になって、パリ郊外のエリゼ宮へ帰り着いた。帰るつもりはなかったのだが、幕僚たちに説得され、パリの守備を固め、防衛を任せている者たちを監督するために一時帰還したのだ。大臣たちと話をしたら、すぐに前線へ戻るつもりだった。
ナポレオンは体を休めるため風呂に入った後、秘書を集めると、彼は十万の徴募兵が必要だと語ったという。敗残兵を取りまとめ、国境に集めている兵を一部割いてパリへ回せば、二十万の軍を従えてパリで籠城戦ができると言った。
これだからナポレオンは戦争狂だと呼ばれる。その強気がどこまで真実か分からぬが、パリを守る兄のジョゼフに宛て、ワーテルローでは負けたがパリでもう一戦できるといったような楽観的な文書を送っており、まだ戦争は継続するつもりだったようである。ナポレオン自身の言い分は常に強気で、味方に対しても脅しつけたり、ブラフをかけたりするから、彼がどこまで本気だったかはわからない。ロシアで六十万の兵が死んでも戦争を継続した男だから、ナポレオンの意志力というのは、人間の普通といった感覚では測れない。ナポレオンはカエサルやアレキサンダーといった大英雄に憧れ続け、未来においてもそのように記されることを望み、意識的に振る舞っていたから、最後まで英雄を演じきることしか頭にはなかったのかもしれない。しかしその引導は、ナポレオンが望んだ形で渡されたかどうか。
21日になって、ナポレオンの大臣たちはエリゼ宮へ呼び出された。ナポレオンに引導を渡すべき男は、大臣たちに紛れて、ナポレオンが二十万の兵をと妄言としか思えぬ言葉を吐いているのを、平然と聞いていた。私は今から前線に戻るから、徴兵と馬の徴募、特に貴族や金持ちが娯楽用に抱えている馬まで取り上げるように……今は国家存亡の時なのだから……彼の周りにいる大臣たちははらはらして、それが本当に実現可能だと思っているのかどうか、ナポレオンの正気を疑いながら、皇帝陛下の言葉を聞いていた。
フーシェがエリゼ宮でただ待っている時、すでに仕事は終わっていた。ナポレオンがこの先の戦闘に備えて処置を取っている時、ナポレオンの権力の椅子というものは、すでに消え去っていたのである。議会は既に動き出していた。
ナポレオンの機先を制する必要があるとフーシェが働きかけた通り、ナポレオンの帰還に先んじて議会は「議会の解散をするつもりであれば断固反対する」と宣言を行った。気の早い議員たちは、皇帝が負けたのは国家に対する犯罪だ、これ以上の徴兵などは亡国を招く行いだ、皇帝は退位するべきだ。いや、廃位まで視野に入れるべきだと、そこまで踏み込んで議論を進めていた。
ナポレオンの信奉者、いわゆるボナパルティストたちでさえ、皇帝が前線で敗北し、パリで市街戦を行うとなれば、皇帝をいつまでも支持しきれなくなっていた。彼らは皇帝が勝利している時は強気だったが、ナポレオンが敗北している今となっては強気ではいられなかった。共和派たるジャコバン派の者たちは革命を私物化し、独裁を続けるナポレオンを許せなかったし、王党派は言わずもがなである。議会ではナポレオンの味方は存在しなかった。
エリゼ宮では、皇帝を囲む大臣たちの一人が、議会での風向きについて、おずおずと、皇帝に述べた。皇帝はそれで初めて、自分の権力が奪われつつあることを知ったのだ。彼は当然、激怒した。大臣たちは、ナポレオンの退位について進言した。陛下、退位をお考えになるべきです。陛下は十分なお働きをされてこられました。陛下が自ら休むことを宣言されれば、議会の者たちもそれ以上の処分を求めてはこないことでしょう。議会では廃位まで議論されているのです……しかし、ナポレオンにとっては、ヨーロッパ中に憎まれている状況には変わりがない。
ナポレオンにはまだ捨てるべきものがあった。それは皇帝の座だ。自らは皇帝の座を引き、息子をナポレオン二世として立てることはできた。しかし、それをして何になる? フランスは再び降伏し、ナポレオン自身は死刑か、流刑になることは決まっている。息子にもけして良い未来は待ってはいまい。肩身の狭い、お飾りの皇帝か、あるいは王党派のクーデターを受けて処刑されるかのどちらかだろう。
ナポレオンは、自ら帝位を捨てることはできなかった。ナポレオンは弟リュシアンに手紙を持たせ、パリへ走らせた。議会で皇帝の意志を述べさせ、納得させようとしたのだ。歴史は繰り返すというべきか、ナポレオンはブリュメールのクーデターの際、リュシアンの弁舌で救われたことを思い出していた。リュシアンが議会をまとめてくれるのではないか、そのように錯覚したのである。リュシアンの腕前に期待する一方で、ナポレオン自身は大臣たちとの議論に終始し、結論を出すことはなかった。
議会ではラファイエットによって、ナポレオンに対し退位を求めるよう、発議がなされていた。リュシアンが議会へ入ったのは、その時だった。彼は皇帝陛下からの手紙を読み上げると告げて壇上へ登ろうとしたが、議員たちは罵声を浴びせ、リュシアンを妨げた。
「皇帝陛下の意志を無視するのか。君たちは、陛下がフランスに対して与えた恩恵を忘れたというのかね。恩を忘れて、陛下を見殺しにしてしまうのか」
リュシアンのその言葉を聞いて、ラファイエットがすっくと立ち上がった。
「フランス国民があなたの兄に対し、十分なことをしなかったと、そう言うのかね」ラファイエットの堂々とした声に、騒ぎは静まった。
「どうしてそれほど勝手で、非難がましいことが言えるのか。フランス国民たちの声を聞いても、同じことが言えるかね。哀れな女たちは息子の、家族の死に嘆いている。我々の息子、あるいは兄弟たちの骸はヨーロッパ中に転がっている。彼らはエジプトの砂漠、ドイツの平原、ロシアの凍土で眠っている。彼らは非難の言葉さえ吐くことはできない。三百万人のフランス人を死なせ、また更にヨーロッパに抗い、国民に血を流すことを求めている皇帝に従えと言うのか。我々はフランス国民の代議士である、祖国の利益のために働かなくてはならない。皇帝に従うことは、もはや祖国を救うことにはならない!」
ラファイエットの言葉は、フランスの国民を代弁するようなものだった。ラファイエットの言葉は朗々と響き渡り、議会は誰もが言葉を失った。リュシアンは信じる者を失い、自らの手の中にあるナポレオンの言葉が、信じられるものかどうか、分からなくなった。リュシアンは議会を後にした。ナポレオンに最後通告を送る、それで判断できなければ議会は皇帝の廃位を議決する、と議論は続いた。
議会の成り行きもまた、ナポレオンと大臣たちの元へ届けられる。廃位の議論が始まったようです、と大臣の一人が告げた。
「これまで私がどれほど働いてきたのか、理解できないのか。議会は今やジャコバンどもによって支配されているのだ。彼らがあくまで強制するつもりなら、私は退位などしないぞ」
ナポレオンには、最後の武器があった。それはエリゼ宮に待機している、近衛兵の二大隊である。彼らは皇帝の意のままに動く部隊で、議会の解散、いや皆殺しを命じられたとしても、彼らならばやり遂げるだろう。武力を使えば、議会を解散させ、権力を握ることはできた。しかしそれをやった場合、歴史にどのような汚名を残すことか。最後の最後に権力の簒奪者になりたくない、とナポレオンは考えた。しかし権力の魔の手はナポレオンの心身を侵している。最後の手がある、という考えは、潔く皇帝を退位するという決断からナポレオンを遠ざけた。ただ時計は動いた。フーシェを除いては、誰も時計などは見ていなかった。フーシェの腕に巻かれた腕時計の針だけは、容赦なく進んでいった。
今エリゼ宮にいる誰もに、明日は残されていなかった。しかし、フーシェには明日を考える必要があり、そのためには素早く事を進める必要があった。イギリス軍、プロイセン軍はパリへ迫りつつある。彼らが入城を果たし、その後押しをもって王やタレーランの帰還を許せば、権力は彼らの物になる。フーシェがパリで頂点に立つためには、ナポレオンを素早く追い出す必要があった。ナポレオンを追い出し、パリを平和裏に明け渡す。それが諸外国の君主たちとの約束でもあった。
ナポレオンが自ら決断できず、子供のように駄々をこね続けるならば、議会に急がせるほかはない。フーシェは議会へ指示を送った。議会はフーシェの指示通りに動いた。ラファイエットは、今日の日のうちに全てを決める必要がある、と言った。「皇帝陛下が退位をためらうならば、よろしい。私が廃位を提議しよう」議員たちは皆、賛成の声を上げた。時刻は既に夜の23時を過ぎている。22日という日を迎えるまでの一時間の間に、皇帝からの退位宣言書が届かないならば、その時点で廃位を結論しよう。
ナポレオンは結局、最後の時間を空費した。大臣たちは穏やかに退位を勧め、ナポレオンは愚痴めいた空論に終始するのみだった。
フーシェという者がこの場にいることは、どのように喜劇的で、ナポレオンにとっては許せぬことであっただろう。ナポレオンの頭を超えて、オーストリアを始めとして諸外国と勝手に交渉をやり、内容は抑えられていないから確証はないものの、ナポレオンを追放する話を進めていてもおかしくはないのだ。もしも情勢が許すならば、フーシェよりもナポレオンを歓迎するムードがあれば、必ず処刑するか追放していたであろう。何度殺しても飽き足らないような男が、忠臣ぶった顔をして、大臣たちに並んでいるのだ。
その憎しみのあまりに大きいためか、ナポレオンはこの騒ぎの間、フーシェを完全に無視しきった態度を貫いていた。フーシェなど脅しつけるにも媚びてみせるにも仕様のない男だ、自らの手でどうにかしてみせる、といった具合だった。しかし、ナポレオンの味方はもはやいなかった。新たな政府のために、ナポレオンが任命した大臣たちでさえ、もはやナポレオンに味方しようという者はいなかった。時間は容赦なく進み、いよいよ22日が眼前に迫った時、その最後の瞬間になって初めて、ナポレオンはフーシェを見た。落ち着き払った男の元へつかつかと歩いてゆくと、その肩を掴んだ。音がするほど強く握りしめ、フーシェを睨みつけた。しかし、立場は既に決まっていた。
(私が裏切ったのではなく、閣下自身が閣下を裏切ったのですよ。勝てばよいと言うならば、勝てばよかったのです。ワーテルローで負けなければ、私は皇帝陛下の忠実なる大臣であり続けたでしょう)
「フーシェ。議会で騒いでいる連中に、静かにしろと伝えてくれ。彼らが気に入る返事を送るから」
ナポレオンがそのように告げると、ナポレオンは一人で部屋に引きこもった。フーシェは部下に命じて議会へと走らせ、哀れな男に最後の慈悲をくれてやるように、議会に申し付けたのである。
「道を誤ったな」
「誤ったとも。婚姻までして同盟を結んだオーストリアが裏切るとは、彼らと手を結んだことが私の間違いだった。しかし、そんなものは本当の誤りではないぞ。フーシェとタレーランだ! あの二人を処刑しておかなかったことが、私の人生の一番の誤りだ」
「違いない」
ナポレオンは部屋を見渡すと、誰も入れた覚えがないことを思い出した。ナポレオンは一人だった。ナポレオンの精神は追い詰められ窮地のうちにあった。その精神が幻聴を聞かせたのであろう。ナポレオンは、時間がないことを思い出した。自らの最期を決めるのに、連中の手など借りるものか。ナポレオンは急ぎペンを持つと、皇帝退位書にサインした。
かつてライプツィヒの戦いの後、ナポレオンは毒を含んで自殺しようとしたことがある。同じことにならないかと心配していた大臣たちとは裏腹に、退位書を持ってナポレオンは再び姿を表した。誰に渡すべきか、ナポレオンは大臣たちを見渡した。こうなってしまえば、渡すべき相手は一人しかいない。儀式的な言葉を吐くにはこれ以上の時はなかったが、ナポレオンは一言も言葉を発さずに、フーシェに退位書を手渡した。フーシェもまた言葉を返さず、かつての皇帝陛下に、小さく身をかがめた。それが主人に対する最後の礼になった。
ナポレオンからようやくにして退位書を奪い取った。フーシェの政治人生の最終盤において、これ以上ないほどの大金星であった。最後の瞬間まで、フーシェは九割方勝ちを確信していても、ナポレオンは油断のできない相手だった。軍をもって議会を急襲するという手も、ナポレオンは握っていたのである。しかし、ナポレオンの意志をくじき、ようやくフーシェは勝利した。ナポレオンは休めるようになったが、しかし、フーシェはそうはいかなかい。フーシェにとってはこれからが本当の戦いの始まりなのだ。
6月22日という日は、偉大なる皇帝陛下が永遠にフランスを去った日として記憶されることだろう。フーシェは皇帝の退位書を手に壇上へ登ると、その宣言書を読み上げた。そして、臨時政府を作る必要があると述べたのである。
権力はもはや野に放たれていた。ナポレオンを倒すべく使った陰謀を、今度は政府で使わねばならない。臨時政府は五人の委員会を作り、その五人の討議で結論を決めることにすると話は進んだ。裏工作によって、議会にて見事な弁舌を奮ったラファイエットをその五人から外すことには成功したものの、議員による投票の結果、最も得票の多かったのはカルノーであった。このままでは彼が政府首班の座に座ることになる。他国の外交筋もそのように理解することだろう。
思えばカルノーという男は立派な男だった。1791年から議会にあり、戦争が始まれば派遣議員として前線を回り、必要な処置を政府にて行った。ナポレオン戦争期を通じて各地で連勝したフランス軍の初期制度は、カルノーが作り上げたものだった。バラスの総裁政府において、実務を行っていたのは彼だけだった。時にはフランスを追放され、亡命生活を強いられながら、愛国心は揺らぐこともなく、呼び戻されれば素直に応じて政府で働いた。ナポレオン政権下でも彼と諍いを起こすこともなく、ナポレオンに協調して働いた。もっとも、彼の皇帝就任には共和制を支持する彼には許せないことで、断固反対を叫んだが、それで叛心を起こすこともなかった。ナポレオンもまた彼を遠ざけることもなかった。
ちなみにカルノーとフーシェの付き合いは古く、彼が軍人であり、フーシェが僧侶、加えてロベスピエールが弁護士だった頃から、三人はともにアラスの文学クラブにおいて互いに詩を呼んだり論文を批評しあう仲だった。彼が政府に残るべく暗闘する術を知っていれば、間違いなくフーシェなどよりもフランスにふさわしい人材だっただろう。
カルノーは自らがふさわしいと思えば、即座に政府首班になることも厭わず、次のフランスの主に誰がなるべきかを決めれば、即座に席を譲り渡すだろう。別の誰かに奪われるために、ナポレオンを蹴落としたわけではないのだ。フーシェはまた謀略を使った。委員会が開かれると、フーシェ、カルノーを除く三人は席を譲り、カルノーへ上位席を与えようとした。カルノーがその椅子に手をかけると、フーシェはカルノーへ意見を述べた。
「我々の役割を決めるべきではありませんか?」
「役割とはどういうことだ?」
「臨時とは言え、序列はきちんとしておいた方が良いのではないかと思ったわけです。委員長を決めるということですよ」確かに、議会で投票されたのは五人を誰にするかといった話であり、その中の長を決めるといった話ではない。自分がもっとも得票したのだから、といった弁護をするほどカルノーは意地汚くなかった。「もちろん、私はあなたに投票します」と、フーシェは謙遜を込めて言った。
「そうか。それじゃ、私は君に投票することにするよ」
カルノーは自分こそが相応しいと信じていた。そうであるならば、4対1でカルノーが勝利するだろう。しかし現実は、3対2でフーシェの勝ちであった。委員会のうち二人は、既にフーシェに買収されてしまっていた。
結果が出てしまったからには仕方ないと、カルノーはフーシェに席を譲った。カルノーは自分が罠にはめられたなどとは毛ほども思わなかった。有能だが革命において有名ではないのは、このあたりの純朴さが原因なのだろう。フーシェはついに、政府の首班の席に座ったのだ。
臨時政府に過ぎないとは言え、フランス権力の頂点に座ったことは間違いない。かつてブルボン家は王権神授を信じてきた。そのフランス王と同じ場所にまで登ったのだ。彼らを認めた神というものがフーシェの上にも恩寵を与えている、とはフーシェは考えない。神というものはおらず、自らの手で、他人を蹴落としてその席にまで登ったのだ。しかし神とは姿のないものだ。権力そのものが神の恩寵と考えるならば、この政府首班という場所にこそ、神は感じられた。いや、その残り滓と呼ぶべきかもしれない。
権力、その不思議な重力は他人を引きつける魅力に満ちている。その正当性を強化するためにブルボン家は王権神授というものを信じてきた。権力の座には神秘的な力があると信じ、信じさせようとしてきた。ルイ16世の死により、権力の座にいた神は転落した。宗教が軽んじられ、僧侶は政府に管理され、教会は暴徒によって破壊された。もっとも破壊されきったわけではなく、パリでは弾圧を受けたが、田舎においては勢力を保ち続けた。心の安寧のためには宗教が必要だったからである。だからこそ革命以後のナポレオンは宗教勢力と和解し、キリスト教を国教と認めないまでも信教の自由は許した。
権力の椅子に神はおらず、今は魔物が棲んでいる。ナポレオンの心を支配した魔物が、ここにはいる。ロベスピエールにしてもそうだ。彼らは最後の瞬間まで、自らのできることをしようとし、自ら手放そうとはしなかった。しかし、魔物がいるにしては嫌に寂しいところだ。フーシェはどこか、いるべき者がいないような気がしていた。
権力を握り、もはやナポレオンが敵ではなくなった。であるのに、ナポレオンはしつこく権力を求めようとした。ナポレオンからの連絡は取り次ぐなと部下には申し付けていたが、直接持ってこられるものは仕方ない。ナポレオン麾下の元少佐の軍人が手紙を持ってくると、フーシェは受け取らなかった。テーブルを指し、そこへ置け、と仕草をした。受け取るとも受け取らぬとも言わないことが寛容だ。ナポレオンとやりとりをしているとなれば、政府からも諸外国からもあらぬ疑いをかけられることになる。軍人はなんとしても返事を持ち帰りたかったらしく、その仕草を咎めた。
「元とは言え、恐れ多くも皇帝陛下のお言葉ですぞ。返事を頂くまでは帰りませぬ」
「今見るにせよ見ないにせよ、すぐに返事はできかねます。それよりも、政府よりの通達が実行されていないと、元皇帝陛下へお伝え願いたい」
「急ぎフランスから離れよとのことですが、そのことについても、手紙に書かれております。陛下は、退位したとなれば、もはや一個人、一軍人として、パリの城門を守りたいと仰せです。それが果たされればパリを離れると」
くっ、とフーシェはくぐもった笑い声を漏らした。フーシェはそれを咳払いでごまかした
「ナポレオンは、どこまで行こうとナポレオン流だな」
「なんですと?」
乱暴な物言いに、元少佐は怯んだ。
「元皇帝陛下は、常に軍の先頭におられた。最後までその通りだと言ったのです」
そしてフーシェは、元少佐を引き取らせた。ナポレオンの要求は飲むつもりはなかった。権力を奪取するつもりがなかろうと、ナポレオンのノスタルジーに付き合ってなどいられない。怪しげな動きをしていれば同盟国側に疑われないとも限らない。フーシェは返事の代わりに、軍の騎兵の一団を仕立て、急ぎ以前の要望を実行されたいと通達するよう、命令したのだった。ただのナポレオンとなった男には返礼の返事も必要ないと言わんばかりの態度だった。
ナポレオンは諦めなかった。続けて、これまで働いてくれた軍人に対し礼を申し上げたいと、政府官報に載せるべき原稿を送ってきたが、フーシェはその原稿もそのまま打ち捨ててしまった。ナポレオンは官報に自分の言葉がないことに気づいて新聞を握りつぶしたが、ナポレオンはそのようなことをして時間を潰している場合ではなかった。
ナポレオンを受け入れてくれる国はヨーロッパにはなく、処刑か幽閉が待ち受ける運命だろう。ナポレオンは自由でいるため、アメリカへの亡命を考えていた。戦争のため、北米大陸に持っていたフランス領ルイジアナをアメリカ合衆国へ売り渡した縁もあるし、元来フランスとアメリカは友好的で、アメリカがイギリスと揉めていることもあり、ナポレオンの受け入れも認めていた。しかし、ナポレオンがパリで時間を潰している間に、イギリス船によって港は封鎖されてしまっていた。
ナポレオンは悩んだ末、拿捕される前にイギリス船に自ら乗り込み、イギリス国民の一人となり、忠誠を誓うことを申し出た。イギリスは打算的な国である。ブルボン王家の者を長く抱え込み、利用した。利用価値があると見ればナポレオンを手中に収めることも認めるだろう、とナポレオンは予想した。しかし、イギリス政府はイギリス本土への上陸は認めず、大西洋の孤島セント・ヘレナへの居住を命じた。実質的な島流しである。
ナポレオンには確かに軍人としての才能はあったから、イギリスはそれを活用することはできただろうが、ヨーロッパからは憎まれすぎ、また一軍人として使うには独断専行が過ぎた。機会があれば孤島から引き出して利用することもできるだろうとの判断だ。しかし、ナポレオンが必要になるような時勢にはならなかった。政治利用となれば尚更だ。ナポレオンは劇物に過ぎて、扱うのは困難だった。それがナポレオンの自由を阻んだのだ。
常に忙しくしていなければ収まらぬ男が仕事を奪われ、ナポレオンは絶望した。イギリス兵がナポレオンを英雄視し、礼儀正しく振る舞ったことだけが、ナポレオンの心を僅かに慰めた。
「このようなことになるならば、ワーテルローで死んでいるべきだったな」
「まったくもって。あんたが死んでいれば、あんたの息子はもっと持ち上げられ、英雄視されたことだろうな」
ナポレオンは怒りに顔を真っ赤にし、後ろを振り返った。しかしそこには、後にセント・ヘレナにまでナポレオンに付き従い、彼の伝記を描くことになるラス・カーズがぽかんと立っているのみだった。
「陛下、私が何か失礼なことを申しましたか」
「シャイ」ナポレオンは呆然としたように言った。「今、やつがここにいただろう」
「誰ですと?」
「シャイだ。エジプト人の小娘。スパイをやってあちこちを探りまわっていた……」
「閣下、私は長く閣下の元におりますが、そのような者の存在を聞いたことはありません」
ナポレオンは少し黙り込み、「そうか」と短く呟いた。
「それでも構わん。ラス・カーズ君。シャイも役に立ってくれた。彼女に対し、私の個人財産から年金を払うように、政府に伝えてやってくれ。額は百フランもあればよいだろう……」
ナポレオンは優しい男だった。以前世話になった者に対し、年金を払うよう頼む文書を無数に残している。ラス・カーズはこのナポレオンの言葉もいそいそと書き留めたが、その文書は政府にも伝わらず、後世には伝わっていない。
一方で、フランスに目を戻すと、ナポレオンがイギリス船に乗ったと聞いて始めて、フーシェは安堵した。ナポレオンももはや放逐されて、安心して権力の中枢に座っていられる。とはいえ、フーシェはあくまで臨時政府の首班に過ぎなかった。フーシェが元首でいつづけるのは無理がある。民衆、政府、あるいはヨーロッパの連合国にもそれぞれ思惑があり、求める人物もそれぞれ違う。民衆はナポレオンの息子に皇帝位を引き継がせ、戦争はやめて憲法は維持するように求めた。カルノーを始め政府では共和制を求め、選挙による新たな議会政治を求めていた。同盟国に推されていたのは後の七月王政においてフランス君主となる、ブルボン家の分家オルレアン家の長、オルレアン公ルイ・フィリップだ。フーシェはそのどれもに良い顔をし続けた。誰もがフーシェの顔色を伺った。フーシェに選ばれることこそがフランスの権力者となる方法だからだ。フーシェはどのカードを引くべきか、トランプ遊びでもしているような気分だった。
ここに、ヴィトロール男爵という人物が現れてくる。彼は熱心な王党派で、王が逃亡した後、パリにおいて王党派を集結させ、ナポレオンに対し戦おうとしたが、彼は捕らえられて処刑されそうになった。しかし、フーシェはナポレオンをなだめて処刑を取りやめさせ、彼を飼い殺しにしておいた。ナポレオンなど長くはないと分かっていたからこその処遇だった。
ナポレオンが去った今、牢に入っている王党派の者たちはたちまち解放された。ヴィトロール男爵もその一人だ。彼はたちまち王のいるヘントに向かって出発しようとしたが、時の臨時総裁たるフーシェに呼び出され、思わぬ奇遇に喜ぶべきか惑うべきか、ともあれ、フーシェの宮殿に足を踏み入れた。そこはこれ以上ない人出で、会う約束もなく、会える保証もないのに、無数の有名無名の人でいっぱいだった。待つ人々の群れを横目に、フーシェの執務室に入ることは、ヴィトロール男爵にとって一種の優越感があった。フーシェにとっても同じだろう。このような小さな優越感の積み重ねが、権力というものの味わいを感じられるのだろう。
しかし、ヴィトロール男爵の想像する最高権力者の姿はさぞ太って脂ぎっているだろうと思っていたが、フーシェの姿は痩せて、表情はつまらなそうに乏しく、穏やかで身分が下の者にも親しげに話した。フーシェはかつてジャコバンの中でも急先鋒であったというが、案外理性的な人物であろうか、とヴィトロール男爵は思った。
「参上いたしました。フーシェ閣下」
「ヘントにお帰りなさるとのことで」
「その通りです。こうして自由を得たからには、再び陛下にお会いしてご挨拶を申し上げねばなりませんからね。ところで、閣下はこうして私めを呼び出されたのは、どういった事情なのですか?」
「いいえ、御用というほどのことは」
「私はてっきり、国王陛下にご帰還いただくように私に仰せつかるのかと思っていました」
「物事を急いではいけない。私として申し上げられるのは、そうですな、私個人としては王には遠い昔から忠誠を誓っていることと、どうか以後も忠誠をご期待頂きたいことを伝えていただければ充分です。しかし、ご帰還については、私の一存ではできかねる」
「私はてっきり、閣下の一声があれば陛下の帰還は成るものだと期待しておりましたが」
「あなたはご存じない。仮に私がそうしたとして、賛成する者がなければ、私などはたちまち政府を追い出され、国王陛下も同じ道を辿ります。物事を焦れば、事は仕損じるものです。ご存知ですか? 今、議会では、ナポレオン二世を皇帝として迎えようと議論をしているのですよ」
ヴィトロール男爵は驚き、ではフーシェは裏切り者だ、この場で殺してしまいたいような憎しみに囚われた。しかし、であるならば、フーシェが会うはずはない。男爵は気を落ち着け、穏やかに話を続けた。
「ナポレオン二世ですって。しかし、それではことは収まらない。オーストリアは喜ぶかもしれないが、ロシアもプロシアもイギリスも反発するでしょう。また戦争が起きますよ」
「しかし政府ではそれで万事がうまくいくと考えている者もいるのですよ」
「しかし、ナポレオン二世の世になったとして、そう長いことはありますまい。その次の世となれば、フーシェ閣下はブルボン家のことを考えて下さいましょう」
「いいえ、次にはフランス国民の世が来るでしょうな。その次にはオルレアン公の世が。そうですな、ブルボン家の世が来るとすれば、その後のことでしょう」
「なんですって!」
ヴィトロール男爵はいよいよ憤った。フーシェは穏やかに笑うだけで、その真意は読み取れない。
「私が申し上げたいのは、私は世の大勢に逆らう気はないということです。私の意志一つで国王陛下をパリへご帰還いただくことは難しい」
「それでは国王陛下を拒絶するのと同じです」
「私個人としては国王陛下に忠誠を誓っているということを、繰り返し申し上げさせていただきます」
ヴィトロール男爵にとって、フーシェの意図を理解することは難しかった。しかし、ヴィトロール男爵、あるいは王に対し、何かを求めていることは、彼にも理解できた。国王陛下の側にいることより、この男と話を続けた方が、王の利益になるのではないか。
「閣下、ヘントに帰るのはやめにして、閣下とお話を続けたいのですが構いませんでしょうか。陛下には私の部下を送ることにしましょう」
「それは喜ばしいことです。毎日、私と二度は会って、陛下の言葉や、その他の出来事を伝えていただくことにしましょう。しかし、以後は別の入口から入っていただきます」
ヴィトロール男爵の要望が通ったことで、彼はフーシェの意図がどこにあるのか、どことなく察した。しかし、フーシェは言質を取られることを避け、要求を口にすることはなかった。ヴィトロール男爵はわからぬままにフーシェと面談を続けた。フーシェはフランスをブルボン家へ売り渡すための連絡役となったのである。
フーシェがなぜブルボン家へフランスを売り渡すことにしたか。それは、誰よりも高く買うことを知っていたからだ。政治が、トップの意向のみで動くことはありえず、必ず権力機構を通過する。議会か、閣僚団か、その権力機構を無視して王が事を為すとなれば、必ずどこかでクーデターが必要になる。そういう意味合いで考えれば、誰がトップに立とうとも変わらない。後押しのないブルボン家が権力の中枢に座るためには、フーシェを迎え入れざるを得ず、加えてそこに居続けるためにはフーシェを使わざるを得ない。
ブルボン家の人気のなさたるや、もはや滅びたも同じだった。革命期、ナポレオン帝政期を通じて二十年、ブルボン家がおらずともやっていけることは明らかだ。むしろ、存在そのものが進歩にとって逆効果だ。そのような世論を跳ね返し、再興に際してフーシェが立役者となれば、過去にどれほど瑕疵があったとて関わりない。立場で言えば、フーシェは建国の忠臣と呼ばれてもおかしくないほどの役割を担うのだ。
フーシェがどのような立場に立つつもりで動いているのか、はるか遠くにいて理解している男が一人いた。それはタレーランである。タレーランは王政復古時と同じく、ブルボン家に肩を寄せていた。色々と聞き回って情報を集めたところ、どうやら臨時政府の首班とまともに話をしているのは王の密偵ヴィトロール男爵一人のようだ。ヴィトロール男爵の手紙から伝聞されるフーシェの言葉からは、常人には不明瞭な意図しか伺えなかったが、タレーランには一目で分かりすぎるほどに分かった。ルイ18世が作る新たな政府に、一口噛ませろと言うのだ。彼の適職たる警察大臣の座をよこせ、でなければパリへは一歩たりとも入れぬぞと言っているのだ。彼の許可を得ずにパリへ入ろうとすれば、政府を立てて王政復古反対のキャンペーンをやらかし、民衆を扇動して暴徒に襲わせることだろう。革命の再来となる。
「陛下、フーシェを閣僚へと迎え入れるべきです」とタレーランは口添えした。「彼の意を組むだけで、パリへ容易に入城できます。これを飲まない手はありますまい」タレーランも、フーシェが嫌いだと言ってられず、彼に頭を垂れてみせる必要があった。
「奴を! 私を裏切り、我が兄ルイ16世の処刑に票を入れたやつをか。断じてそんなことは許さぬぞ」
ルイ18世は王の座を望み、兄のルイ16世の没落を願っていたというから兄弟仲は良くなかった。しかし、フーシェという男はブルボン家の血で濡れており、その死で立身した男だ。ブルボン家としては認められぬ男だった。
しかし、タレーランや、その他の政治的に実力のある周囲の者たちは、フーシェという者とは交渉をするべきだと話を持ってくる。ルイ18世に同調して感情的に反対するのは、国王の処刑という出来事にアレルギー的に反発する貴族たちだけで、全く実利に反することだった。
このままぐずぐずとはしていられなかった。いつまでもフランスにいられるとも限らない。パリへ帰れなければ、やがて革命的な政府ができ、国外追放か、処刑か……どちらにせよ二度とフランスで安寧な時を送ることはできまい。時の政府がパリへ迎え入れようとしてくれているのだから、今はともあれパリへ入り、王党派と協調して勢力を伸ばすべきではあるまいか。そのように諭され、ルイ18世はフーシェを自分の勢力へ迎え入れることを許容した。ルイ18世にも、王族特有の甘さがあった。自分はブルボン家の長、ルイ18世だ。革命もナポレオンも去ったならば、誰が自分に抗えよう。フーシェなど小者ではないか。であるならば、閣僚に加えたとて、大したことはできまい。所詮は権力を欲しがるだけの小悪党に過ぎまい。
7月7日、ヌイイにおいて行われたフーシェの国王陛下への謁見は、これ以上ない喜劇的な絵面をしていた。まるで有名な劇作家が作った舞台の一場面のようだった。
「また会ったな」
タレーランは、フーシェを王に紹介する役目を仰せつかっていた。フーシェは言葉を返さず、黙っていた。フーシェはタレーランの手を取ると、足の悪いタレーランの歩みを助けながら、王の元へと参上した。
フランスを売り渡そうという男がおり、蛇のようなそいつに頼らなければフランスに戻れぬ王がおり、そして仲介して互いに恩を売ろうという、奇妙な三者が並んでいた。世界史上では第三身分の上に乗る僧侶と貴族であるとか、地球儀を切り分けるナポレオンとピットの図であるとか、その手の風刺画がいくつもあるが、その一つであってもおかしくないような戯画化された情景だった。この会談は秘密にされ、一般の者には知る由もなかったが、仮に流出したとして、フーシェは新聞も風刺画も取り締まり、世に出ることはさせなかったであろう。
タレーランはフーシェをルイ18世へ紹介し、彼を閣僚名簿に加えたいと申し上げた。フーシェは膝を折り、陛下の手へ接吻し、その忠誠を誓った。ルイ18世は重苦しい雰囲気を作り、タレーランの進言を認めると答えた。フーシェは感謝し、おずおずと引き下がった。
タレーランはフーシェにあれこれと言葉を投げたが、全てフーシェは黙殺した。タレーランが憎いばかりではない。フーシェには自分がこのような場にいることがおかしくてたまらず、笑いを噛み殺していたのだ。そして、これからまた一芝居を打たなくてはならぬ。
ヌイイでは王に忠誠を誓ったが、パリへ戻った時には、フーシェはひとまず、一端の共和主義者の顔に戻っていた。国王と妥協したことを政府の共和主義者どもに気取られてはならない。
やがて国王と貴族たち、王党派が正当性を主張してパリへ戻ってくると、彼らは兵を入れ、イギリス軍やプロシア軍の兵の助力を得て、チュイルリー宮殿を占拠した。フーシェは臨時の総裁である五人を集めると、この暴挙に対して内閣総辞職をもって抗議しようと呼びかけた。我々は王政を認めることはしない。断固として決意を見せつけ、あとは街頭に立って演説し、民衆を集めて反対しよう、とフーシェはいつになく熱っぽく言った。彼らはフーシェに同意して内閣を総辞職した。
しかし、彼らはむろん担がれたので、翌日になってみるとフーシェはチュイルリー宮殿の中におり、閣僚たちに混じっているのである。数日後には新聞が出回り、新閣僚の顔ぶれも出揃ったが、その中にフーシェが混じっているのを見て、ようやく担がれたことを知ったのだった。カルノーは新聞をぐしゃぐしゃに握りしめ、天を仰いで罵った。
「これでは、政府どころかフランスにも私の居場所はない。どこへ行けというのだ、畜生め」
どこへでも好きなところへ行くがいいさ、とうそぶくフーシェの顔が見えるようだった。革命以来生き延びてきた対照的な二人は、対照的な結末を迎えた。カルノーは追放され、フーシェはまたもや権力の中枢に座った。
歴史においてもしも、というのを考えるとすれば、フーシェがこの際身を引いていれば、フーシェの名はこれほど悪名として残らなかっただろう。フーシェは引き際を誤った。しかし、ロベスピエールも、ナポレオンも引き際を誤ったのだ。強い権力を知ってしまった者は、その権力の強さ、その後ろ暗い魅力に惹かれ、必ず引き際を誤るものだ。ともあれ再びブルボン家は復活した。共和派、蔑んだ言い方としてはジャコバンと呼ばれる者たちの反動は強く、また王党派による圧政もまた激しいことだろう。王党派の勢いはいよいよ強い。しかしフーシェには関わりのないことだ。フーシェはいよいよ強力な権力の元にいる。王の寵を得ている限り、フーシェの身は安泰なのだ。
「またと見出し難い議会ができたじゃないか」
ルイ18世は新しくできた議会の顔ぶれに満足していた。共和派の中でも最左翼のジャコバン派は排除され、王党派が九割を超え、共和派やその他の議員は一割に抑えられた、超右翼型の議会となった。
「これで我々もやりやすくなることだろう。ナポレオンの政府で大きな顔をしていたやつを処分するのも、楽にやれるのじゃないかね」
「左様で。その役目は、警察大臣にやらせるのがよろしいでしょう」
タレーランはルイ18世を戴く政府において、首班の座についていた。かといって地位が保たれたわけではなく、タレーランとルイ18世の仲が良いわけではなかった。ルイ18世の言う『大きい顔をしていたやつ』の中に、いつタレーランが入れられるかわかったものではない。タレーランはフーシェに汚れ仕事をやらせることで、人気を落とそうとしていた。元々警察大臣の職務から言っても、そうおかしいことではない。室内に執事が踏み入り、王へ来客を告げた。
「陛下、アングレーム公爵夫人が面会を求めておられます」
またか、と王は呟いた。王が許すとも許さないとも言う前から、貴族の女性が一人、王の前へと踏み入ってきた。ルイ16世とマリー・アントワネットの間に生まれたやんごとなき身分でありながら、革命期を通し、革命に振り回され続けた娘が、アングレーム公爵夫人である。彼女は礼儀作法を知り抜いているが、あえてそれを守らずに、王の前へ現れた。
「公爵夫人、君の用事は分かっているよ。これで三日続けての面会だものな」
「なら、早く私の言うことを聞いてくださいまし。あの汚い革命の生き残りを、さっさと宮殿から追い出してしまってください。二度とフランスの地を踏めないようにしていただきたいのです。連中が王家に、父と母にしたようにしてやればよいのです。ギロチン送りにしてやればよいのですよ」
ルイ18世はギロチンという言葉を聞いただけで身震いをした。おお、野蛮な革命よ。長い逃亡生活の末、フランスへ戻ったアングレーム公爵夫人は、革命の復讐者と化していた。それも無理のないことだった。
ヴェルサイユ行進が行われた際、護衛のスイス人傭兵を殺し、ヴェルサイユへ、王の寝室へ暴徒が乱入してきた時もその場にいたし、王が逃亡事件を起こした際には、ヴァレンヌで捕まり、怯えながら連れ戻された経験もした。8月10日に暴徒によって王がタンプル塔へ連れ去られ、怒鳴りつけられ、赤い帽子を被って革命に身を投じるよう脅された。九月虐殺の折には、母の友人ランバル公爵夫人が首を切られ、その生首が掲げられて行進している様も見た。
やがて王が断頭台へ送られ、王妃はオーストリアと密通していたことのみならず、息子と姦通したという事実無根にして、恥知らずな事柄で裁判にかけられた際には、彼女はその事実を証言しろと責め立てられた。そして、その果てに母もまた断頭台の露と消えた。加えて、兄ルイ17世は幽閉され、総裁政府時代に病死した。彼女は、革命において最も苛烈な部分を受けた者たちのうち、最後の生き残りだった。そのような強烈なイデオロギーを受けては、ルイ18世と言えど跳ねのけることはできない。
「考えておこう」
「いつも同じ返事じゃありませんか。考えておこう、陛下の答えはそれだけ。構いませんわ。陛下がそのおつもりなら、私は私のやり方で、革命派どもを追い出してみせますから」
「貴族たちを糾合するつもりか。」
「それだけでは済みませんわ。まあ、見てあそばせ。王に反対する者などは私がやっつけてみせますから」
町では王党派によるジャコバンへの逮捕、暴力、あるいは私刑というものが行われていた。ナポレオンが帰還する前の王政復古でもあったことだが、革命によって虐げられたことの復讐を一時に果たそうとするように、第三身分に対する暴力が吹き荒れたのだ。革命による逮捕、処刑などは法に基づいた暴力であったが、王党派による暴力は王の威光によるもので、何の根拠もなかった。革命による恐怖政治をテルールとも呼び、テロの原語となったが、王党派の暴力を白色テロという。
キャステラーヌ嬢が見たものは、そのようなパリの姿であった。フランス国民でありながら、パリから距離をおいて暮らしている彼女にとって、風向きの変化の急激さにはついてゆけなかった。王が帰還して喜んだかと思えば不満を持ち、ナポレオンが帰ってきたから喝采を上げ、負ければ放り出し、再び王を持ち上げて、ジャコバン派やボナパルティストを攻撃している。彼らの態度の違いには恥知らずと言うほかはない。しかし、彼らが皆手のひら返しをしているわけではない、風向きが変われば一方は地下へ引っ込み、一方が諸手を上げて街頭へ繰り出してお祭り騒ぎをする。どちらが日が当たれるかという話なのだ。パリには、あまりに多くの人が暮らしている。
ジョセフ・フーシェとは会えない日々が続いていた。フーシェが具体的に何をしているかは知らない。しかし、どうやら忙しいらしいことは想像できた。彼は王の側で仕事をしているようだった。かつてナポレオンを出迎えた彼が、どうして王の側で仕事ができるのか。フーシェにはわからない部分が多かった。
ナポレオンの元へ馳せ参じた頃から仕事が増え、会うことはなくなり、手紙にも返事は少なくなった。元々、暇だったからという程度の付き合いだったのだろう。キャステラーヌ嬢も、フーシェが偉い人であれば、納得できることだった。最初はただの老爺だと思い話しかけた。若い自分の方が上位だと思いこんでいたのだ。しかし、相手はより高みにいた。キャステラーヌ嬢は理由もなくパリへ来て、することもなく公園に佇んでいる。
通りの方で騒ぎが起こっている。ナポレオンのいた百日天下の頃でも、そのようなことはなかった。ナポレオンは民衆の馬鹿騒ぎを嫌っていたし、部下の軍人にも乱暴はさせなかった。そのようなことで政治がうまくゆくとは思っていなかったからだ。部下が不満を貯めたとて、ナポレオン個人の命令で収めさせていた。ナポレオンは乱暴者だ、と貴族たちや、新聞は言うけれど、王の方が乱暴を許している。そのほうがよほど暴力的ではないか、と思う。キャステラーヌ嬢は人だかりをかき分けて、騒ぎを眺めた。
やたら服装ばかりは華美な、口元を覆面で隠した、がたいの良い男たちが、喫茶店を壊している。テーブルを投げ出し、酒瓶なども放り出し、何もかもぐちゃぐちゃに壊している。店の前の道端では、地面に横たわった男が、棍棒を持った覆面の男たちに殴りつけられている。逮捕や店の破壊ではなく、恨みを晴らすことが目的のように、覆面たちのやりようは執拗だった。喫茶店は革命の頃から、政治や様々なことの語らいの場となり、革命の温床ともなった。だから憎いのかしら。このお店、前に来たことがあるわ、とキャステラーヌ嬢は思った。
喫茶店の内からは、これ以上ないほど異質なものが現れた……お姫様だ。髪を結い上げ、ちょうど、絵画で見たマリー・アントワネットみたい、と彼女は思った。マリー・アントワネットの時代、まるで灯台のように髪を持ち上げることが流行っていたのだ。時代外れで、だからこそ時代錯誤なお姫様のような感じがあった。
お姫様の後ろには、覆面の男がついていて、一人の男を抱えていた。店主のようだった。男は店主を放り出すと、覆面たちは群がって私刑を加えはじめた。お姫様は全く奇妙なことに、乱暴を見て満足そうに深く息を吸った。
「こんなところで済ませてしまってはもったいないわ。川へ連れていきましょう。革命派の人たちは、反革命だという疑惑があるだけで、無実の人を船に乗せて、船ごと川の中へ沈めてしまったとか。同じことをしましょう」
はい、公爵夫人様、と覆面の一人が言った。覆面たちは移動を始めた……どけ、どけ、と人だかりを払い始めたが、キャステラーヌ嬢は公爵夫人と呼ばれた女性を眺めていて、気づけば一人で残ってしまっていた。覆面が目の前に来てから、あら、と気がついたのだ。
「おめえ、王党派か?それともジャコバンか? 我々に加わりたいのか、それともジャコバンが可哀想で抗議でもしてぇのか」
「私はどちらでもありません。昨日、パリへ来たばかりです。争いごとはうんざり」
「そんじゃ、どうして公爵夫人様を見ていた。お前、怪しいな。お前も川に沈めてやろうか」
男がキャステラーヌ嬢の肩を掴んだ。そこへ、警察の者たちが到着した。やめなさい、と制止を始めるが、覆面たちは意に介さなかった。
「やめたまえ。暴力行為は許さないぞ」
「我々は王に認可を受けているのだ」「誰が止めようってんだ。命令者を出してみろ、そいつを街灯に吊るしてやる」
「裁判なしの私刑など許されると思っているのか」
「革命でまともな裁判をやったのか。民衆が裁判をやったことだってある。九月虐殺の夜はそうだった。一人につき五分、弁護人はなしだ。それで二千人の無実の王党派が死んだ。同じことをやってるだけだ。不平等だと言うなら、革命で死んだ者を生き返らせろ。死んだ者は帰ってこないんだぞ」
「要するに」アングレーム公爵夫人が割って入った。「あなた方は職務でやっているのでしょうが。だからといって、革命に責任のあった者は充分に処分されてはおりません」
「ですが!」警察の部隊長は抗弁した。
「黙りなさい! 私を誰と心得ます。私を止めたいならば、警察大臣を差し出しなさい。ジョゼフ・フーシェを」
「そうだ!」「そうだ! フーシェを出せ。血に塗れた処刑人、国王弑逆者!」「革命の生き残りなどに警察がやらせておけるものか。奴の首を出せ!」
覆面たちは警察に群がり始め、すぐさま暴力を振るうことはなかったものの、警察を囲むと集団で押し合いを始め、警察の者は長銃を防御に使い、覆面たちの攻勢に応えた。
「めちゃくちゃだ。隊長、発砲の許可をください! こいつら、収まりませんよ」
「それはならん。恐れ多くも陛下の姪御様だぞ。……しかし、やっていることはめちゃくちゃだ。その通りだ。一時、引くんだ」
警察と覆面の乱闘は続き、キャステラーヌ嬢も警官の一人に促され、その場を離れた。
「あれは、どういう人たちなんです」
「金ぴか青年隊だよ。総裁政府の頃にもああいう連中がいた……王党派のやつら!」
君も逃げた方がいい、話が通じる相手じゃない、と警官の一人は勧められ、キャステラーヌ嬢は帽子で顔を隠しながら、その場を離れた。しかし、通りの端々に、覆面をつけた青年たちは見受けられた。彼らは喧嘩を売れる相手ならば、誰でも構わずに因縁をつけている。フーシェさんはこのような人たちを相手に戦っている。
町では革命派への暴力が溢れ、政府では革命派への不満が溢れた。革命派に鬱憤の溜まっている者は彼女だけではない。貴族たちも、革命派をジャコバンと呼び、弾圧を加えられる機会は逃さなかった。しかし、さすがの貴族たちも、フーシェには手が伸びなかった。
ルイ18世としては、フーシェなどはどうでもよく、揉め事を起こすよりも、安定のためならば飼い殺しにしておけと言わんばかりだ。変に刺激をすればまた何かを考え出すかもしれない。ブルボン家をパリへ迎え入れたような策謀を行い、オルレアン家やナポレオン家を呼び出すかも。フーシェへの圧力などは百害あって一利なしなのだ。物の見える者たちには、フーシェを責める理由はなく、必要もないことを知っていた。
アングレーム公爵夫人は、それでもフーシェを許せなかった。彼女はあまりに極端であった。革命の行い全てがフーシェの罪かと言われれば、それは酷に過ぎると言わざるを得ない。しかし、アングレーム公爵夫人にとって、革命の最後の残り香とも言えるフーシェは、即ち革命と同じであった。彼女と彼女の家族は革命の純然たる被害者であって、王政が戻ってきたことによって革命が否定されたからには、その報いを受けさせなければならなかった。彼女の革命に対する憎しみは、もはや強烈な観念となっていた。
彼女はフーシェとは絶対に言葉を交わすことはしなかった。フーシェが同じ室内に入ったならば、すぐさま仲間を連れて別室へ移り、どのような催しにおいてもフーシェが来ると知れば出席しなかった。フーシェをいない者のように扱ったし、彼の名前を呼ぶこともせず、彼を追い落とすためならばどのようなこともした。暗殺計画を企み、可能ならば実行に移そうとさえした。
アングレーム公爵夫人は政治の理屈を知らなかった。知らないからこそ、フーシェへ楯突いて見せたし、貴族たちを煽って、反フーシェへと駆り立てることもできた。革命へとしゃにむに走った民衆たちを動かしたイデオロギーと同じものであるかもしれなかった。フーシェとて、革命と同じ種類の熱量には抗いようがなかった。
そのようなアングレーム公爵夫人の姿を見て、貴族たちもまた、反フーシェの姿勢で団結した。奴を除くことだ、奴を除かない限りは、王からどのような頼みをされたとしても、断固として聞かないぞ。彼女には政治的な利害意識はなく、利害がないからこそ、フーシェをもってしても取り入るすべは持たなかった。フーシェの最後の敵となったのは、閣僚ではなく、また議員でもなく、裏切りを責める民衆でもなかった。彼を強烈に責め立てたのは、王にくっついてきた貴族たちだった。王も貴族たちが揃えて背を向けるようでは、政治を動かすことはできない。
「アングレーム公爵夫人の言うとおりにする。彼女の意を汲んで、君がうまいように取り計らってくれ。後で面倒を起こさぬように」
いよいよフーシェ排除の実行者が、フーシェへ向かって放たれた。王は最後の実行者に向けて、そのように命令した。実行者は恭しく背を曲げた。
ナポレオンがワーテルローで、自らに最期を宣告したように、フーシェにとってのワーテルローはこの時期だった。仮に、ありえない話だが、フーシェが永遠に権力を手放したならば、後世の呼ばれ方も違っていたことだろう。しかしフーシェはこうも考える……権力を手放したならば、明日にも命が終わるかもしれない。権力の強大さを知った者は、そこから退いた時、自らに向けて強権が振るわれる予感に怯えざるを得ない。権力を自ら捨て去ることは、何よりも難しいことなのだ。それに、今は確かに手の内にある。明日もまたそこにあり、永遠に自分のものにしていられるだろう。それが手のひらから逃れてゆくとは、すぐには信じられないものだ。
フーシェは権力を保っていると信じていた。政治力学から考えて、王がフーシェを放り出すとは考えられない。貴族どもが騒いでいるが、今だけのことだ。どうせすぐに別のことに興味を持つ。それまで王の言うことを聞き、仕事だけをし、じっとしていることだ。
『フーシェさんにこのような事を言うのは、イエス様に教えを説くようなことですが、パリは非常に荒れています。フーシェさんが害されぬか、心配です。パリから逃げた方が……』
キャステラーヌ嬢も、手紙を通して、そう言ってきた。彼女のような者でさえそのようなことを言う。フーシェは心配いらないと返信を送った。『むしろ、あなたこそパリへ来るべきではない、今のような状況下では……何、すぐに収まります。暴力が長く続くようでは、その政権は終わりです。暴力を収められないならば、指導者の器ではないということです』
「ご主人さま、馬車の用意ができています」
すぐに行く、とフーシェは答え、手紙を封筒へ収めた。秘書へ手渡し、それをキャステラーヌ嬢へ送っておくように、と言い添え、馬車に乗った。
場所はとある貴族の館だ。夜会に誘われたとは言え、フーシェは相変わらず社交的ではなかった。館の主人に礼を言い、話のできる者数人と話をすると、あとは手持ち無沙汰となった。このような場で情報を交換して物事を回すより、黙って机に向かった方が仕事が片付く。フーシェは壁際に佇み、ワインを少しずつ口に含んでいた。手に持ったグラスが空になったら、用ができたふりをして、帰ってしまうことにしよう。
たまたま近くの長椅子へ、数人が歩み寄って座った。話をしているのはタレーランだった。こいつも来ていたのか、とフーシェは思った。
「アメリカでのことですか。いやはや、未開の地とは言いませんが、あれほど雄大にして、かつ素朴な土地は見たことがありません。近代社会に毒されていない美徳と言うべきでしょうな。現地では民間人でも銃を手放せず、時には原住民との諍いや、猛獣との接触など危険も多いと聞きました。しかしアメリカという土地を知りたかったので、護衛をつけて様々なところを回りました。ジャングルのごとき前人未到の森林があり、海とみまごうほどの大河ポトマックがあり……五大湖と呼ばれる湖も私はこの目で見ました。前時代に信じられていた世界の果てのような大瀑布には、まるで吸い込まれてしまうような気持ちになったものです。このような土地に住む者のことは知っておりますか? 彼らはまさに新人類とでも呼ぶべき人々です。強烈な意志力を持ち、自由のためならばあらゆる者と戦い続ける強さを持っている。彼らの法律は規範的で、過ちは少なく、これからいくらでも伸びてゆく国です。私もフランスを愛する心は他人より多く持っているつもりですが、我が祖国フランスを除けば、これから伸びてゆくのはああした国でしょうな。古き風習にとらわれるオーストリアやロシアなどとは全くちがう。乱暴な言い方をしてしまえば、革命の意志を持ち続ける者は、アメリカの風土が身に合うことでしょう。あの国にいられる仕事、例えば合衆国赴任の大使などは、理想的な職でしょうな」
よく喋るやつだ、とフーシェは思った。タレーランが酔っているところなど見たことはないが、酔っているのかもしれない。タレーランは長々と喋ると、言葉を切って酒を飲み、おもむろに振り返ってフーシェを見た。
「おや、警察大臣どの。どうですか。あなたも機会があれば、そのような職についてみては」
「いえ、私は」フーシェは言葉を切り、何かの違和感に気がついた。タレーランは酔ってなどいなかった。
「残念なことだ。私が、今のあなたのような立場であれば、すぐに飛びつくでしょうな」
ホールにいる者の目が、タレーランとフーシェに向いていた。その瞬間、権力は失われた、とフーシェは気づいた。今の今まで手の中にあったものが消えてゆく。そして、フーシェは幻を見た。かつては常に、フーシェに付き従っていた化生の者が、そこにいる。ドレスを来て、夜会の参加者であるような顔をしながら……タレーランの隣、長椅子に腰掛けている。フーシェを見ている。
「閣下、行きましょうか」
正邪はタレーランに呼びかけると、タレーランはそうだねと答え、正邪に助けを借りて立ち上がり、彼女に支えられながら、去っていった。彼らはホールの無数の客たちにまぎれていなくなった。
その後、自分がどのような振る舞いをしたか、フーシェは覚えていない。気づけば、自分の館へ帰る馬車の中にいた。フーシェ自身が急げと命じたのだろう。並ではない速度で馬車は走り、フーシェは計算とも言えぬ計算を積み重ねていた。
しかし、結局は王を、甘く見た。王には私を殺せはしまい。実際に、殺すことはしていない。まだ希望はある、とフーシェは考えた。何もかも失ったわけではないのだ。ほとぼりが冷めるまで待つことだ。警察大臣を辞さなければならないかもしれない。しかし、それ以上悪くはなるまい。フーシェはそう考えて、希望を持った。しかし、希望を持つ、将来があると楽観視することは、この際、フーシェをその先にある落とし穴へ、案内されているようなものだ。フーシェは結局、行動は起こさず、身を潜めていることに決めた。
フーシェが闇の中へ馬車を走らせている間、タレーランは貴族たちと談笑をしていた。「ようやくやつの首をひねってやれたよ」と、タレーランは朗らかに笑ったのである。
タレーランのやりようは、彼一流の宣告だった。フーシェは自身が窮地にあることを即座に理解したのであり、足場を崩される前に自ら身を引くべきだと判断した。彼は夜会を後にしたその夜のうちに辞表を作り始めた。しかし、タレーランがそのように言うということは、もはや始末をする用意はすべて済んでいるのだ。
次の朝のこと、辞表を出すより先に、ドレスデン駐留大使の座に就くよう、国王より命令が来た。事態はフーシェの一手先を進んでいる。フーシェはこれを受けざるを得なかった。しかし、これもまた罠の一つだと解釈するべきだった。フーシェがパリに居続けようと思うならば、ドレスデン行きは悪手だ。警察大臣を辞し、ドレスデン大使の任も辞し、引退を宣言するべきであった。
フーシェはまだ権力の座から完全に追い払われたわけではないと思っていた。そのように事態が動いていると信じたかった、と言うべきだろう。ナポレオンと同じく事態を楽観視した。ひたすら頭を下げて命令を聞き、忠臣であるような顔をしていれば、国王や貴族たちはフーシェのことを忘れてしまうだろうと期待したのだ。それに、ドレスデン行きを断れば、次こそタレーランが言ったように、アメリカへ行かされるかもしれない。フーシェはドレスデンで時を待つことに決めた。決めたならば急ぐべきだと言わんばかりに、即日荷物をまとめ、次の日には出発した。パリから逃げるようなフーシェの急ぎようはパリの笑い草となった。
まだやりようはある。機会はある。待ち続けたならば、また時は巡ってくるのだ。そうやって常に生き延びてきた。このような事態に陥ったことはいくらでもあった。革命の暴風が吹き荒れた時には派遣議員として中央から逃れ、ロベスピエールに目をつけられたが、逆に断頭台へ送ってやった。ナポレオンに恨まれた時は、王の帰還があり、ナポレオンが再来したことで、権力の頂へ登る糸口を見出した。王だってけして安泰ではない。王に対する共和派が団結し、その抑えにフーシェが必要だとなれば、必ず呼び戻すのだ。場合によっては共和派に暴動を起こさせる手引をしてもよい。ドレスデンで時を待つだけのことだ……フーシェの思考は、馬車の中で堂々巡りをした。
フーシェは長く王党派と戦ってきた。ナポレオンと王党派が激しく争ったときも、ナポレオンを放り出して王党派を手助けする手もあったが、必ずナポレオンに味方してきた。ナポレオンも最初は良かったが、次第に積極的に担ぎたい相手ではなくなってきた。それでもナポレオンに肩入れをしてきたのは、フーシェには罪の烙印があったからだ。
ルイ16世の裁判、その結論を下す時、死刑賛成派の風向きが強いと知るとフーシェは穏健派の肩書を投げ捨てて、「死刑」(ラ・モール)の二言を呟いたのだ。そのことがフーシェを、どれほど縛り付けてきたことか。王をフランスへ呼び戻すという大功があってこそ、その罪はようやく打ち消され、一度は政府にも席を用意された。しかし、恩などはすぐさま忘れてしまうものだ。フーシェがいなければルイ18世も、貴族たちもフランスに戻れなかったというのに、彼らは復讐を優先した。
「かつての国民公会議員で、国王死刑に賛成した者、加えて百日天下でナポレオンに味方した者は、フランスから永遠に追放する」
この法律が議会を通過し、発布されたのは、フーシェがパリを出てすぐのことだ。ドレスデンへ着いたばかりのフーシェの元へも、彼へ追いつくように報告が届いてきた。同時に、そのような人物をドレスデンの大使にはしておけないので、免職するという命令書も同封されていた。フーシェは立場を失い、財産も失った。
ナポレオンが威勢を失うと、領地では反乱が起こり、部下は次々と裏切り、政府や議会も逆らって立つ場所を失ったように、転落が始まると事態は急転直下の変化を見せる。王党派たちは、フーシェへの追い打ちを止めなかった。国民公会の議員でパリに残っている者はほとんどいない。フーシェを狙い撃ちしたような法律が議会を通過すると、アングレーム公爵夫人を始め反革命の輩たちは喝采を上げたものだった。
フーシェは、革命の幻を見た。それは足を掴むロベスピエールの亡者だった。地獄で待っているぞ、と囁く声が聞こえたような気がした……ロベスピエールはルイ16世の裁判の際、匿名ではなく実名投票を求めた。一人一人登壇して処刑か賛成かを述べる方式にすべきだ、と。立場を鮮明にする、革命の名において王政を廃するならば、相応の覚悟をするべきだと、ロベスピエールは信じていた。
ロベスピエールがフーシェ一人を標的にそうした投票方法を考えたわけではない。ロベスピエールが革命の他のものを見ているはずがない。しかし、ロベスピエールの亡霊は今、確かにフーシェの足首を掴んでいる。
「貴様のせいで」
かつての友人とは思えぬほど、フーシェとロベスピエールは真逆に生きた。ロベスピエールは愚かなほど誠実かつ短命に死んでゆき、フーシェは賢しらに卑怯に、生に囚われて生きた。一方は子を成し、一方は女を知らぬままに死んだ。しかし、それが本来の人のあり方だ。ロベスピエールは英雄的に過ぎた。
「誰もがお前のように生きられるわけがなかろう。私は凡人だ。人がましい栄達を望んだだけだ。私と同じような者はいくらでもいる。パリにいて、宮殿で王に額づいている」
ロベスピエールは答えなかった。答えるはずがないのだ。フーシェは天を仰ぎ、喉から絞り出すように言った。
「畜生!」
そして、長く黙っていた。
フランスではそれからも長く王政は続いた。フーシェが待ち望んだ王政の打倒はついに来なかった。王政がいかに時代錯誤な行いをしていても、王や貴族たちはかつてのような横暴は行うことができず、民衆は革命で得た土地の所有の概念、あるいは自由の概念に慣れていて、政府はそうした民衆にできるだけ寄り添って運営された。何よりも、ナポレオンが呼び込んだ戦争の災禍はそれほど大きかった。戦争がなくなるならば、それ以上のことはないと国民は思ったのだ。王や貴族の振る舞いに対して不満を持った市民が暴動を起こすことはあったが、打倒するところまではなかなか行かなかった。
以後、絶対王政が1830年に倒れ、代わって始まったルイ・フィリップの立憲君主政が1848年のウィーン体制の崩壊の余波で倒れるまで、政治は共和制から離れることとなった。なおその第二共和政が倒れた後、指導者として選ばれたのがナポレオンの甥、ナポレオン三世の第二帝政である。歴史は繰り返すと言うべきか、ナポレオンの威光はナポレオン三世に受け継がれ、ナポレオンは大いなる威名を残すことになる。
タレーランはフーシェを追い出したはいいものの、やはりナポレオンの右腕として外交で辣腕を奮ったことが原因で失脚した。元よりタレーランはルイ18世を人間的に軽蔑しており、二人の関係は良くなかった。タレーランは有能ではあったが、過ぎた有能さはかえって敵となる。もっとも、戦争が終わったフランスでは、タレーランのような敏腕外交官が活躍できる場は失われていた。それでも、タレーランはフーシェほどに没落したわけではなかった。パリから追放されたわけではないし、タレーランは元貴族で、彼を庇護してくれる者は多くいた。1830年の七月革命においては、ルイ・フィリップの側について尽力し、政府に復帰している。
ナポレオンはセント・ヘレナにおいて、軍ではなく紙とペンによる戦いを開始した。自らの正当性を後世に示すための戦いだ。自らの行いを、自らの言葉で残さなかった者は必ず誤解や曲解の被害に遭う。ナポレオンの行いを、人は良いように理解して語り継いでくれるかもしれないが、それに任せてなどいられなかった。ナポレオンは常に、自らにできる最善手を打とうと最後まであがく人物だった。彼は死の直前まで、側近のラス・カーズへ口述筆記をさせる形で、その戦いを続けた。セント・ヘレナの環境は劣悪であり、また若い頃からの無理が祟って、ナポレオンは長生きはできなかった。ナポレオンは1821年の5月5日に亡くなった。ナポレオンの遺骸は1840年にフランスに返還され、彼の遺命の通りに、セーヌ川のほとりへと埋葬された。
ナポレオンは死後に帰還を果たしたが、この男はどうだろうか。フーシェは案外、事態を楽観視していた。パリからは追放されたが、永遠に、というわけではない。事態が変転することも充分考えられた。となれば、フーシェは待つのみだ。機は必ず巡ってくる。時は、幾度もフーシェを救ってきたのだ。ドレスデンで過ごすべき時間が、別の場所に変わるだけのことだ。行くべきところはいくらでもある。フーシェほどの身分の者に訪ねられれば、野良犬を放り出すようにはするまい。ロシアでも、オーストリアでも、あるいは古い仲のベルナドットのいるスウェーデンでも、どこでも行くところはある。どのみち長くなることはあるまい。
しかし、フーシェが頼りにする時というものは、遂に巡ってくることはなかった。諸外国の友人たち……アレクサンドルやメッテルニヒ、あるいは諸国の外交官、政府高官といった者たち……かつては便宜を図ってやり、最終的に彼らの意に沿わなかったとは言え、甘い言葉で自尊心をくすぐってやったというのに、彼らの応対は冷たかった。反ナポレオンの態度で一致したヨーロッパ諸国は、フーシェに対しても同じように接したのだ。フーシェはもはや国家レベルの厄介者と化していた。
ベルギー公国やバイエルン王国に腰を落ち着けてみたこともあるが、やがてフランス政府から手が回った。それらの国の外交官がフーシェの仮住まいを訪れ、出ていってもらいたいと婉曲に通達を行ってきた。オーストリアへ行きたいとメッテルニヒに連絡を取った際、彼は拒みこそしなかったが、首都ウィーンに入ることは許さなかった。かつてのオーストリア皇女マリー・アントワネットを革命政府は処刑した。その革命政府の議員だったフーシェを、たとえ一瞬でも皇帝一家の目に触れることがあってはならないという対処なのであろう。
メッテルニヒはイタリアへ行くことも許さず、ウィーンから距離のある他の都市、例えばプラハとかリンツならばよいと滞在を許した。しかし、どこでも、大して歓迎はされなかった。かつてのフランスの有力者として、当初は食事会や夜会に呼ばれたりはするものの、今現在影響力を保持しているわけではなく、しかも話が面白いわけでもないから、興味本位で一度顔を合わせても、二度目はないといった始末だった。表向き歓迎している風であっても、オーストリア貴族たちは、内心ではフランスを追放された革命の亡霊を笑っているのだった。
フーシェはプラハではいつも孤独だった。フーシェの逸話には事欠かないから、町中でもフーシェの顔は知られていた。挨拶をされることはなく、フーシェを見れば町の物はあれがオトラント公爵だと噂し、その後ろ暗い噂の真偽をひそひそと語り合っていた。多くの聞きたくない話題のうちに、ナポレオンをやり込めた、あるいはフランス国王すら脅しつけたという類の話が混じって、フーシェはひそかに心中で唇を歪めたものだった。
権力を失い、財産も失った。パリの宮殿や家屋敷、所有物の一切は政府に没収され、銀行預金も取り上げられた。別名義で諸国の各銀行に貯めていた隠し財産は残っていたが、雀の涙程度のものだ。しかし、フーシェにとって最も痛いのは陰謀さえも失ったことだった。
金の切れ目が縁の切れ目というもので、あれほど権勢を誇ったフーシェのスパイ網も、今や寸断されてその機能を失っていた。フーシェの部下はかつてのフーシェのやり方を参考に、警察組織を再構築した。しかし、フーシェが有能だったというのは、フーシェ方式が以後も残ったことでうかがい知ることができる。軍のおまけに過ぎなかった警察というものに、独立した組織としての形を与えたのはフーシェだった。フランス警察は、近代ヨーロッパにおける警察組織の祖になった。
フーシェの手足だったスパイたちは、フーシェ個人に仕えることをやめ、新しいフランス警察の指揮官に仕えるようになった。年老いたスパイたち、フーシェにごく近い者たちだけは忠誠を誓い続けたが、若い者は新しい警察に付いた。警察にも、スパイにも、世代交代の時が来ていた。警察とスパイは王政に手を貸し、支え続けた。
フーシェはこの期に及んで、しぶとく権力への渇望を失ってはいなかった。僅かな細い、諜報の糸を通じてパリの陰謀に関わろうとしたが、時勢を探るのが精一杯で、自ら策謀を巡らすことは出来なかった。単に暇を持て余していたためか、あるいはもはや陰謀なくしては生きられぬようになったのか、常にフーシェは陰謀を手の中で転がしていた。ナポレオンを致命的なスキャンダルで脅しつけ、その生殺与奪の権を握ったように、ルイ18世に対しても有効な脅しを見つけようと躍起になった。自分はその気になれば王をも突き殺せる短剣を懐中に握っているのだぞと思い、密かに悦に浸っていることが必要だった。それを求め続けることが、権力から脱落した男の、ほんの小さな救いだった。
痩せこけたちっぽけなプライドを満足させる程度の企みに過ぎなかったが、このことはフーシェのささやかな晩年を穏やかに保つことにもなった。フーシェがこのような状況になっても策謀を企んでいることはオーストリアにいるメッテルニヒの部下を始め、フーシェを監視するフランス政府のスパイなども察知していた。奴を害そうとすれば、これまで溜め込んだ秘密の全てを暴露するかもしれず、おとなしくしていてくれるならば放っておくべきだ、と、フランスの貴族や有力者たちは判断した。利害のないところでは誰にでも穏やかで優しいフーシェの人柄が役に立ったのかもしれない。それに、フーシェももはや老人だ。時勢から取り残され、そっとしておかれる存在になっていた。当人はそれに気付かず、遊び程度の陰謀を弄び続けていた。
キャステラーヌ嬢がフーシェの元を訪れたのは、そのような時期だった。
晩年のフーシェにはささやかな幸福があった。亡くなった妻ボンヌとの間には三男二女(うち長女ニエーヴルはロベスピエールとの暗闘期に病没)があった。フーシェがフランスを追放された今、子供たちの保護は失われていたが、スウェーデンが彼らの保護を申し出てくれたのだ。スウェーデンの王となったベルナドットとの間には、政治的な友好があった。フランス、オーストリアを始め諸国からの圧力があったのだろうが、フーシェ自身のスウェーデン入りこそ断られたものの、もはやフーシェは老残の身であり、未来ある子供たちだけでも預かってもらえたことは幸福だった。世話を焼いてくれたのはかつてのジャコバンのよしみだけではなかろうが、ベルナドットはタレーランやメッテルニヒほど冷たい相手ではなかった。
ベルナドットの側でも、ナポレオンの影響力がまだ存在している以上、フーシェの親族を引きつけておくことも必要だと考えたのだろう。万が一ナポレオンの復権が成るようであれば、フーシェの親族は外交的に利用できる。事実、1851年にナポレオンの甥であるナポレオン三世が権力を握ったことを考えると、その目論見の一部は達成されたと言えるかもしれない。その頃には、フーシェの子はフランスへ渡り、ナポレオン三世と面会し、かつて互いの父と叔父が行った権力闘争のことを話したかもしれない。フーシェの世評のことを考えれば、ありえぬことだろうか。
ともあれ、フーシェの子供たちを、ベルナドットは厚遇した。特に三男アタナス・フーシェはベルナドットの息子オスカル一世に仕え、狩猟長官としてその側にいたようだ。アタナスは子を残し、フーシェより受け継いだオトラント公爵の名を孫へ引き継いだ。それは現在まで続いており、現在では八代目のオトラント公爵が存命のようである。
しかし、子供たちがやがて栄達することになろうと、1816年において、フーシェはプラハで一人だった。オーストリア人の執事や侍女、召使いなどは皆オーストリアのスパイであるかもしれず、パリにいるかつての旧友たちもフーシェを訪れることなどもなく、手紙を出そうと返事が戻ってくることなどはまれであった。フーシェは孤独だった。フーシェには陰謀のみが友であり、今さら他にすがることのできるものはなかった。
キャステラーヌ嬢と再会したフーシェが感じたのは、会うべきではなかったという思いだった。病が重いことにして追い返せばよかったかもしれない、とさえ思った。彼女のことを嫌ってはいなかったが、むしろ嫌っていなかったからこそ、嬉しさよりもみじめさの方が勝った。しかし、フーシェは彼女を通した。客間へ案内させ、旅装を解かせ、椅子に座らせた。
「迷惑ではなかったかしら」
「むしろありがたい限りだよ。この老人を訪ねてくれる人など滅多にいなくてね」
フーシェは自らを装うことは得意だった。利害の存在しないところでは、他人に優しく接することがフーシェの美点だった。しかし、それは権力者であったからこそ美徳として扱われたのだ。このような立場になってそのように演じるのは、媚態を示しているようで、嫌悪感が先立つ。
「それは良かったわ。会いに来ない方が良いかしらと思ったのだけど。どうしているか、気になって」
フーシェはわずかに顔を背け、彼女から視線を外した。若々しいキャステラーヌ嬢は、眩しいほどだった。
フーシェは自らが情けなかったのだ。若い女が六十近い老人に、素直な好意を抱くはずはない。このように会いに来ることには、どこかに打算があってのことだ。それに充分に報いられるなら、それもよかろう。しかし、今は何もかも失った敗残の身なのだ。それを分かっているから、権力を望む政治家、資本家、商人を始め、老いた女も若い女も寄り付かない。彼女は何も分かっていないのだ。政治には疎い女だと思っていたが、フーシェが未だ有力者のつもりでいる。キャステラーヌ嬢の軽妙な語りも、熱っぽく見る視線も、フーシェではなく、フランスで一番の金持ちと呼ばれたフーシェの資産に向けられているのだ。
しかし、それでも、フーシェは嬉しかった。皆が背を向け、誰も寄り付かず、身近にいる者はフーシェを眺めてひそひそと噂し……フーシェは自らの行いのために、他人を疑いやすくなっており、それがますます自らを追い詰めていた。他人を監視し、脅しつけ、支配してきたツケが回ってきたのだ。彼女は救いだった。
彼女は勝手に話した。自分の身の回りのことであるとか、地元のことなど。フーシェは長いこと他人の気を紛らわすために、ぺらぺらと気を遣って話したことはなかった。キャステラーヌ嬢がおべっかのためにフーシェに語りかけたわけではなかろうが、そのように話してくれるのはありがたかった。フーシェには話せるほどの話題もないほど、何もない日々を送っていたからだ。しかしやがて、キャステラーヌ嬢も一方的に話せる話題も尽きて、フーシェに水を向けた。「フーシェさんは……近頃、どうしているの」それはフーシェにとって聞かれたくないことだった。
「特別、変わったことはない。長いこと仕事しかしてこなかったものでね、楽しみを知らない。毎日、退屈で過ごしているよ。家族や友人もいなくなったし……しかし、一人でゆっくりと過ごせるのは、悪いことではない」
本音ではなく、フーシェの強がりだ。そう、とキャステラーヌ嬢は相槌を打った。
「ご家族はどちらに?」
「スウェーデンだ。このような情勢で、受け入れてくれる人がいることはありがたいことだよ」
「私、フーシェさんのことはよく知らないわ。だけど、フランスのやりようは、あまりにひどいわ。フーシェさんが追放される謂れなんて……」
「君は知らなくて良いことだが、それだけのことをしたんだよ」
キャステラーヌ嬢の表情が、複雑な色合いを見せた。瞳はフーシェを見つめ、口元には言葉が飛び出しかかっている。聞きたい、フーシェの過去を知りたい、と表情は語っている。しかし、フーシェにとっては語りたくない事柄だ。単に遺産を求めて媚びを売るならともかく、王の処刑に賛成したことや、後ろ暗い陰謀を操って他人を脅し、陥れていたことなど、自慢できることではない。かつての妻ボンヌは、そういった部分には触れずに、フーシェの人生の辛い部分に付き添ってくれた。
「しかし、いつまでもこのままではないだろう。王はやがて追放されるだろうと、私は考えている。そうしたらパリへ戻ることもできるかもしれないね。政府や議会とて、今のままではいられまい」
「フーシェさんは何でも知っているのね」
「ああ、その通りだ。今は悲しいことに流浪の身だ。君にしてあげられることは何もない。しかし、パリへ戻ったら……」
キャステラーヌ嬢には、どうにもそのようには思えなかった。フーシェは知らないのだ、と思った。パリでは王は、案外好意的に受け止められている。確かに強硬に反対している人たちはいる。共和派やボナパルティストたち……しかし、大半の人は戦争さえなくなれば万歳なのだ。フーシェやタレーランを始め、ナポレオンの影響を受けていたと思われる人物はいなくなった。王は平和を重んじ、そのような王であるから、諸外国もまた好戦的になることもない。
キャステラーヌ嬢を始め、民衆はその詳細までは知らなかったが、戦争からは遠ざかった気配は感じていた。しかし、フーシェは未だ混乱を望んでいるように見える。その混乱の中でのみ、また中央へ戻る目があると思っているかのように。今にして思えば、キャステラーヌ嬢はフーシェの正体を知った時、その陰謀の一部に触れた。その危険な部分も嫌いではなかったが、穏やかな老人としての姿の方が好ましいと思った。あの時高揚感を抱いたのは、秘密を共有している感じ、またフーシェを手伝うことで、彼に協力できたという部分が良かったのだ。
「パリへ戻ったら、何をしてくださるの?」
「どのようなことでも。このように不遇の時期に、優しくしてくれたような人には、どのようなことでもしてあげたくなるよ」
「それは、結婚でもよろしいのかしら」
正直に言えば、その言葉は、フーシェにとっては意外なことではなかった。最初を妻を失った後は、フーシェを喜ばせ、結婚に持ち込もうとする女性はいた。フーシェはどれも断ってきた。キャステラーヌ嬢は露骨に媚びる女ではなかったが、その出会った当初はフーシェの実情を知らなかった。その点で純真とは言えた。
「いやだ、こんなことを言うために来たのではないのに。……私、フーシェさんがどうしているか心配で来たのよ。けして、誰にでも同じことを言うような、そんな女じゃないの。だけど、結婚したいのは本当のことよ」
「このような老人になっても、結婚を申し込まれるとは思わなかった。ありがたいことだ。しかし、君は若い。君はもっと若くて、将来性のある人と付き合うべきだ」
「そのようなことを仰らないで。私たち、長いこと付き合ってきたわ。確かに共に過ごした時間は短いかもしれないけれど、知り合ってから長いこと文通をしてきたじゃない。知り合ってごく短い時間で結婚を決める人だっているわ。それに比べたら、慎み深いと思わない? それとも、私の身分が気に入らないの。都会の人じゃなくて、貴族とは言え、田舎者だから……」
「そのようなわけじゃない」
フーシェはキャステラーヌ嬢の勢いには戸惑った。しかし、何かを得ようとする時、人はこのようになりふり構わなくなるものかと考えることにした。
フーシェとて、キャステラーヌ嬢を嫌ってはいない。つまらぬ付き合いの間柄ならば、訪ねられたとて断っていたことだろう。門戸を開いたのはキャステラーヌ嬢だからだ。亡妻を愛していたが、亡くなった今となっては、フーシェ一人が納得するかだ。
遺産狙いだとしても、フーシェがキャステラーヌ嬢を受け入れがたく思ったのは、キャステラーヌ嬢に失望されたくなかったからだった。彼女と共に過ごし、寝食をともにするならば、彼女はフーシェの実情を知ることになる。かつての妻はフーシェのつまらぬ話にも付き合い、また沈黙していても気にせずにいてくれたが、キャステラーヌ嬢は老人と共に過ごす時間はつまらぬと感じるだろうし、若いが故に気も変わりやすいことだろうから、フーシェにもすぐに飽きてしまうだろう。孤独には耐えかねている。しかし、キャステラーヌ嬢を迎え入れたとて、フーシェにはつまらぬ結末となるに違いない。
「フーシェさん」キャステラーヌ嬢は立ち上がり、フーシェに身を寄せた。「私をエルネスティーヌと呼んでくださる?」
彼女は太陽のようなまばゆさをしていた。
「私としては、君のような若い人が、私のような老人に熱を上げてくれるのが不思議だ」
「フーシェさんは私の夢を叶えてくれたもの。最初は、フーシェさんのことを何も知らなかったし、今だって知らないけれど。だけど、もっと知りたいと思っているわ。フーシェさんの噂はたくさん聞いたわ。良いことも悪いことも。それが、どこまで本当か知りたいのよ」
変わった娘だ、とフーシェは思った。それが実感だった。キャステラーヌ嬢は若く、充分に美しい。しかし彼女には常と違ったところがあり、それが彼女を孤独にしている。言い寄ってくる若者の一人や二人はいるだろうに。何がそのようにさせるのか、フーシェには分からなかった。
しかし、フーシェを知りたい、という部分に、彼は惹かれた。思えばかつての妻ボンヌにさえ本音は漏らせなかった。家族にさえ、本当のことは言えなかった。高度な情報戦ではいかに自らを隠すかが重要で、ナポレオンが妻ジョゼフィーヌへ言った秘密さえフーシェに届いたことを思えば、ジョゼフィーヌに比べいかにボンヌが慎み深く、また他人と交流も少ないと言っても、陰謀を漏らすことはできなかった。
自分のことを語るには、むしろ今が良い時期だった。それは同時に、自分の情報を隠し、相手の情報を蒐集する陰謀の道を失うことになる。しかし、良いではないか。誰かがフーシェのことを語るにしても、毀誉褒貶に満ちた評ばかりになる。一生のうち、自分の本当の部分を誰にも知られず、誰にも語られずに消えていくことはいかに寂しい。
キャステラーヌ嬢が遺産狙いだろうが、そこは気にならなかった。フーシェとて結婚を決めた時、妻の実家の支援を期待し、決めたようなものだ。キャステラーヌ嬢がフーシェの人柄に惹かれたとしても、橋の下に住む浮浪者であれば言い寄ることはなかったろう。打算は必ずあるのだ。フーシェにとってキャステラーヌ嬢は、侘しい晩年に得た、闇の中の光明ではないかと思えた。
「エルネスティーヌ」フーシェは彼女の名を呼んだ。「今日は、別の話をしよう。今日は泊まってゆくといい。明日の朝、改めて君に結婚を申し込むことにするよ」
エルネスティーヌは微笑みを顔に浮かべ、頷いた。
フーシェは孤独ではなくなった。陰謀を諦めたわけではなかったが、どうにも物にならなかった。集まる情報は減り、行うべき作業も減っていった。仕事の時間が、家族と過ごす時間に変わった。
老いたフーシェの散歩に付き従う新妻の姿が、プラハ市内で見られるようになっていた。オーストリアやフランスの新聞は、フーシェの老いらくの恋のことを取り上げるようになった。遺産目当ての若い女に捕まった、と新聞は書き立てたが、フーシェは気にしなかった。エルネスティーヌは変わらず、気さくな、明るい女で、良い話し相手だった。死ぬまでの僅かな時間をこの老人に付き合ってくれるのだから、遺産はその代価に過ぎない。元より、フーシェは金そのものには大して興味のない男だった。
しかし、フーシェの晩年は、喜びばかりで満たされたわけではなかった。夜中に目覚め、ベッドの上で体を起こすと、闇の中、衰えた肉体を抱えている自分を発見する。そうして、自分が生きていることに気づく。眠りにつくたび、夢の中で、自分が死んでいることに怯えている。だからこそ、闇の中での目覚めは幾度も繰り返されるのだ。しかも、日中はそれに気づくことはない。日常のルーティーンがあり、エルネスティーヌのいる喜びがあるからだ。
しかし闇の中で目覚める時、死の恐怖があり、怯えていた記憶の再生がある。自分では何もわからなくなり、忘我のうちに死ぬことが喜ばしいのか、それとも苦しみながらも自我を保っていることが喜ばしいのか、フーシェにはどちらともつかなかった。その悩みを話そうとも思わなかった。話すとしても、それもまた喜びのうちにある。自分が消滅するという恐怖は、闇の中にのみあった。
眠っているエルネスティーヌを想う。彼女には何の恐れもない……フーシェの死後も、エルネスティーヌは生き、日々を過ごす。やがて恋をして、家族を作り、新たな生活を始めることだろう。結局、自分は捨てられていく者なのだ。そのことが、たまらなくフーシェをかき乱すのだった。
エルネスティーヌにはそのようなことは言わなかった。彼女に失望されたくなかったからだ。何事もなく日々は過ぎていった。
プラハでの生活が半年ほど過ぎたある日、フーシェの元へ客人が訪れた。彼はチボドーという名の隣家の青年で、自分を共和派だと名乗った。オーストリアで共和派をやっているとなれば、オーストリア皇帝に反対する革命青年ということだった。彼はフーシェの話を聞きたがった。やたらと騒々しいばかりで中身のないその青年に辟易したが、客が来るのは珍しいこともあり、歓談を続けていた。
チボドーが訪れるようになって一週間が立った。彼を見送りに行ったエルネスティーヌが戻らないのを気にかけ、フーシェが玄関を覗くと、扉の外でエルネスティーヌとチボドーが話していた……不意に、チボドーがエルネスティーヌの肩を抱き、唇を奪った。フーシェは頭に、さっと熱が上がるのが分かった。ほんの一瞬だったか一分ほどのことか、エルネスティーヌはされるがままにしているように見えた。やがて、二人は身を離した。チボドーはエルネスティーヌに手を振り、離れていった。
フーシェは、エルネスティーヌが戻らないうちに、家の中へ戻り、身を隠した。フーシェのうちにあったのは、死と同じく、諦観だった。所詮、自分は死にゆくもの、過ぎ去ってゆくもの、捨てられるものなのだ。エルネスティーヌを責める気にはなれなかった。波風を立てたくはなかった。それはエルネスティーヌのためというより、自らのためだった。最後の理解者たるエルネスティーヌを失いたくなかった。
浮気についても……それも、致し方ないことだと、フーシェは考えた。フーシェでは彼女を満足させられないのが分かっていた。フーシェは、エルネスティーヌとベッドをともにしたことはなかった。彼女は若く、青春ざかりで、男女の交わりについても夢を抱いていることだろう。翻ってフーシェはやせ衰え、干からびた老人の姿であり、精力なども枯れきっている。エルネスティーヌを失望させるのは分かりきっていた。それもまた言い訳だった。そのような自分の姿を見られたくなかったのだ。男には、いつまで経っても、そのような部分がある。フーシェは見栄を捨ててまで欲望に振り切れるような男ではなかった。
夫として自分が不十分であることは分かっていた。若い娘が、やがては誰かを求めることも分かっていた。しかし、その姿を眼前にすれば心はざわめき、憤りが胸の中で渦巻く。妻に当たり散らすこともならなかった。このようなときに気を紛らわしてくれる仕事もなく、フーシェは鬱屈せざるを得なかった。しかし、そのような時でも、エルネスティーヌには気づかれまいと振る舞った。自らを押し殺すことには慣れていた。
不意に、フーシェは正邪のことを思い出した。正邪は姿を变化させることに、長けているようだった。エルネスティーヌの正体は正邪かもしれない。奴のように性根のねじまがった者ならば、その程度のことはする。エルネスティーヌに隠している暗部のことも、奴ならば見透かしているに違いない。知りながら、とぼけて新妻のふりを通し、にやにやと心の内で笑っている。
これまでフーシェがやってきたこと、その意趣返しのために、このような手段を取るやつだ。自分がされたわけでもなく、むしろ自分も加担してきたのに、その愉しみのためだけに、わざわざそのようなことまでする。人の持つ嫌らしさが形になったような者が、奴なのだ。彼女が真実愛情だけでフーシェに寄り添っているとは思わないが、エルネスティーヌが別のなにかであると疑ったことはなかった。
アラビア地域には、盗まれた宝物は、例え泥棒を捕まえ品物が返ってきたとしても、その品物は既に自分のものではないという考えがある。どのように大切にしてきた品物であれ、どこかへ売り払ってしまうという。疑念はそれに似ている。一度疑えば、考え直したとして、頭の中にこびりつき、ふとしたことで再び疑いを持つ。
振り払うためにはエルネスティーヌに問いただすほかはないが、聞いて否定されたとして、それで疑いが消え去るわけではない。そして、「君は正邪か」と聞いた時、にやぁと笑って肯定されれば、それはどのような悪夢だろうか。フーシェは顔を覆い、消えてしまいたい気分になった。このような疑念をこそ、忘れ去ってしまいたかった。しかし、全ては、フーシェの生き方がさせたことだ。仮に正邪のような者にとりつかれたとして、他人を騙すことなく、真摯に生きていれば、他人に過剰な疑念を抱くことはなかっただろう。ましてや、人間が別人に成り代わっているなど。フーシェは、これまでの人生の全てを奪われてしまったような気分になった。フーシェは死んだ妻ボンヌに会いたくなった。スウェーデンにいる息子たちが自分を訪ねてくれることを思った……。あるいは、この絶望こそ、正邪がフーシェに与えようとしたものかもしれなかった。
フーシェは塞ぎ込む時間が増えた。子供のように部屋にこもるわけではないが、エルネスティーヌと同じ場所にいようと、自分の内に向き合うことが多くなった。彼女の声を聞いていても、その言葉の中には、自分が作り出した疑念があった。
「ジョゼフ」エルネスティーヌは、フーシェをそう呼ぶようになっていた。「ジョゼフ、聞いているかしら?」
「ああ、聞いているよ。何だったかな」
「近頃、上の空になっていることが多いわねって言ったの。やっぱり、チボドーのことかしら」
その名前を聞くのは辛かった。しかし、努めて明るく振る舞った。
「そういや、近頃彼は来ないね」
「二度と来ないわよ。彼、私に不埒な真似をしたの。それで、来ないように申し付けたの。……悪いことをしたかしら」
フーシェは顔を上げ、エルネスティーヌを見た。彼女もまたフーシェを見ていた。相変わらず意思の強さは感じられたが、フーシェの顔色を伺うような迷いがあった。
「本来なら、私がするべきことだっただろうに。むしろ、私の方が悪いことをした」
フーシェはエルネスティーヌを労った。振られた男が、気を寄せた女に腹いせにどのような言葉を吐くか、想像できないものでもなかった。
以後、チボドーの名前が二人の間に出ることはなかった。フーシェは人を雇って、チボドーをひどい目に合わせた。そして、まとまった金をくれてやり、その金でどこへでも行くように伝えさせた。それで、チボドーはウィーンへ逃げてゆき、二度とフーシェの前に姿を表すことはなかった。
エルネスティーヌは気にした風には見えなかったが、フーシェの内には疑念が芽生え、そしてフーシェの内に長く残り続けた。残ったのは、フーシェの中にだけではなかった。チボドーとエルネスティーヌの間に何かあったらしいということ、そして実力者の夫の力で、町を去らざるを得なかったことは、新聞に大きく取り上げられた。堅物のフーシェがこの手の問題を起こすことは珍しく、この手のスキャンダルを民衆は喜ぶものだし、フーシェ自身が新聞を操っていた頃にはよく利用したものだ。
フーシェとエルネスティーヌは奇異の目で見られるようになった。フーシェ自身が見られることも恥ならば、エルネスティーヌに辛い目を見させるのも可哀想で、耐えきれなかった。フーシェは恥を忍んでメッテルニヒに使いをやり、プラハから離れる許可を得た。
逃げてしまっては、問題は事実だったと認めるようなものだ。エルネスティーヌ自身も反対した。しかし、エルネスティーヌが僅かでも耐えなければならないような事態は避けたかった。やがてリンツに移住する許可を得ると、二人は逃げるようにプラハを離れた。
リンツ、ウィーンやパリに比べればよほど寂れた田舎町である。ようやく都会風の建物、舞踏館やカフェなどが出来はじめたところであり、まだまだ商業的というよりも農耕の香りが濃い町だった。この土地での日々もまた、快いものではなかった。この土地の貴族たちもまた、フーシェを古びた珍しい品物として扱ったし、フーシェよりもその夫人、見目麗しいエルネスティーヌの方を持て囃した。リンツでの日々は二年に及んだが、この地での日々は大した起伏はなかった。
一方フランスでは王を抱き、革命など忘れたようだったが、意外にも王は議会に協力した。ナポレオンがエルバ島に流され、そして帰還するまでの短い復古王政の間は大きな乱れが見られたが、二度目の復古王政下では王は理性的に振る舞い、貴族たちもそれに従わせた。この点、民衆の勝利と呼ぶべきだろう。ナポレオンに対して向けられた歓呼の声も無駄ではなかった。
フーシェやタレーランなどを怒りに任せて追放するなどもあったが、以前の絶対王政の体制には戻れないことを思い知ったのだろう。旧体制に固執すれば、またナポレオンのような者の出現を許すだろう。王の権力は制限され、議会がそれに取って代わった。議会もまた、王政に阿りながらも、革命の成果を捨てることはしなかった。
革命によって天秤は揺れに揺れ、そのたびに王党派へ、共和派へと秤は傾いた。そしてナポレオンの帝政に至って天秤の傾きは極致に至ったが、ようやくその傾きも収まったような風向きだった。
時勢が穏やかになっても、フーシェのことは忘れ去りはしなかった。革命の良い部分は残したが、フーシェは明らかに革命の暗部だった。彼の追放はいつまで経とうと解かれなかった。どうにかパリへ戻るため、表に裏に手を尽くしてみたが、一向に成果は出なかった。少なくとも立憲王政であるうちはだめだ、という返事ばかりで、それが終わる頃にはもはやフーシェは生きてはいまい。諦めろ、と告げているに等しかった。
リンツでの日々が過ぎ、フーシェの身は弱っていった。権力が得られる目がないと見るや、気力も萎えきってしまったようで、老いによって体も限界だった。特に肺の痛みはひどく、咳が友になり、呼吸が乱れることも頻繁になった。
リンツの寒冷な風土は、フーシェの体を痛めつけるばかりであった。治癒のために温かい土地へ移りたいとメッテルニヒに依頼し、ようやくのことでフーシェはイタリアへ移る許可をもらった。長くナポレオンの影響下にあったイタリアへ移住する気になったのは、メッテルニヒもフーシェの死が近いことを感じたわけで、この瀕死の老人が何をしようともはや体制は揺らがない、と考えたためだ。フランスをはじめヨーロッパは、ウィーン体制という新しい世界秩序の元動き始めていた。そうして、フーシェは最期の土地、トリエステへと移住をしたのだった。
フーシェは最期まで流浪生活を続けざるを得なかった。オーストリアでも、イタリアでも、好奇の目からは逃れ得なかった。その土地にもそう長くはおれず、また慌ただしい引っ越しをせねばならぬのかと感じていた。しかし、彼を暖かく迎える珍しい都市もあったものだ。それはイタリアの東端にあるトリエステと言う港町で、一時はイリリア州の一都市としてまとめられていた。かつて、ナポレオンが第六次対仏同盟軍と対峙するにあたって、フーシェをパリに置いておかないため、送りつけた土地である。
フーシェがそこにいた時期は一月あまりに過ぎず、したことと言えばオーストリア軍が進軍してくるにあたって、いかに被害を出さずそこを明け渡すか交渉したに過ぎない。元より仕事好きのフーシェは、最大限の便宜を図った。そのおかげで戦闘は起きず、略奪の被害は抑えられた。フーシェがいつもやっていた仕事に比べれば単調で簡単な作業に過ぎず、ナポレオンに押し付けられたこともあって、つまらない仕事以上の認識を保たなかったが、思わぬところで恩を感じていてくれたものである。
トリエステは元来独立した都市国家で、帝政フランス、あるいは新しい支配者のオーストリア帝国に対し、反発心を抱いていたのかもしれない。オーストリアやフランスに憎まれているのなら仲間だと言わんばかりに、フーシェを迎え入れたのだ。この都市は後に、ナポレオンの妹でミュラの妻、カロリーヌも迎え入れている。
この地域には様々な民族が入り混じり、イタリアやオーストリアに対し、帰属意識を持っていなかった。オーストリア帝国の支配下に入った後には民族的活動の一切を禁止され、弾圧を受けた。更に後年、冷戦期にはイタリア、ユーゴスラビア間でこの一帯の領有を巡って争い、英、米軍の介入を受けたこともある。話題はそれたが、後年に起きるそのような争いは遠く、今は穏やかな港町である。フーシェが生まれ育ったナントとも、何やら近しいものを感じたのかもしれない。フーシェの方でも、この温暖な港町を気に入っていた。
1820年、61歳のフーシェはトリエステでの日々を過ごしていた。肉体は老いさばらえ、それでも何かを得ようと手を伸ばし、体を引きずって歩いていた。
この時代の若者は皆そうだが、時代の大舞台にいるという自覚があった。革命のために、というのはこの世の正義だった。当時の人々の感覚は今とは違い、また人の生命の重さもまた違う。人権という考えもなかった。国民全ては王の所有物であり、財産もまた個人所有を許されていなかった。第三身分は全てである、しかし、無と同じように扱われている。第三身分は何者かになることを求めている……シェイエスがそう表現した通りに、皆、何者かになることを求めていた。それを渇望し、叶えられる時代だった。
しかし、多くの若者は悲劇的な結末を辿った。ロベスピエール、ナポレオンなども、何かを得たかもしれないが、やがては破滅した。タレーランは成功しただろうか。最終的にパリに住まい、ベッドの上で安らかに死を迎えたという意味では成功したと言えるだろう。しかし苦労は多かった。革命において、理想とは違った過程を多く辿り、失望の末の亡命も経験した。
革命は、一人の英雄によって成り立つものではなく、無私かつ英邁な精神によって成り立ち、しかも人々には理解されぬという業も抱いていた。それを良しとしたのはロベスピエールだけだった。しかしその彼とて、死んでもよいとは思わなかっただろう。金銭問題、女性問題においてクリーンだというイメージが付きすぎて遂に機会を失ったが、美女との逢瀬もまた望んでいたはずだ。彼は家具職人の二階に下宿していたが、その家主の娘が、自分に心を寄せていたのを知っていた。何もかもが終わり、後事を若者に託した後は、彼女と家族になっていただろう。議員を辞め、田舎へ帰って弁護士として家族を作り、生活をし、恵まれぬ人々に尽くす、そういう未来もあったはずだ。
人には役割がある。それを終わった後は、晩節に過ぎぬ。どのように汚そうと、歴史には関わりのないことだとも言える。ナポレオンにとっては王政の復古を二十年の長くに渡って防ぎ、革命の普及に努めたこと、ロベスピエールにとっては憲法の制定を成したこと、それ以後は晩節と呼べるかもしれぬ。
フーシェにとっては、王の処刑へ一票を入れた瞬間がそれだったかもしれない。処刑に対し裁判前は反対派が多かったとも言われるが、その当日は議会を多くの市民が囲み、議員を捕まえては脅していたとも言われる。その日の雰囲気に負けて賛成に入れた者も多くいた。それまでは穏健派に属し、議員投票の日から過激派のジャコバンへ鞍替えしたフーシェがその黒幕であったと言えば陰謀の主たるフーシェの面目躍如とも言えるが、その日のフーシェは単に風向きを読み、命惜しさにそうしただけに過ぎなかった。処刑への一票、その日国民公会にいた全ての議員は、歴史の舞台にいたとも言える。
そこにいた多くの者は早くに消えた。フーシェは長く生きた。長く、生き過ぎた。フーシェはもはや歴史において消え去るのみの、残余に過ぎぬ者となった。フーシェは果たして、どのように生きるべきであったのか。これは挿話であるが、プラハにおいて、フーシェはカルノーと出会った。カルノーは王政復古以後、フランスを追放されていたが、プロシアのマクデブルクに落ち着いていた。彼が学者に会うためにプラハを訪れた際、フーシェと行き会ったのだ。フーシェは徒歩で、カルノーは馬車に乗っていた。フーシェが先に見つけ、無視しようとしたが、カルノーの側で目ざとく気づき、馬車を寄せてきた。
「おう、フーシェ! よくもやってくれたな」
「やあ。そちらはうまくやっているかね」
フーシェは歩みを止めずに、横を向いたまま話した。馬車は歩く早さに合わせてついてきた。
「おう。今は新しい論文を書いとる。それくらいしかすることがなくてな。今はマクデブルクにいる。お前も、気が向いたら来い。今は人を待たせておるから、またな」
カルノーの馬車は過ぎ去っていった。それきりフーシェとカルノーは会うこともなかった。フーシェもカルノーも同じく追放者、流浪者の身分に終わった。しかし、カルノーは成功者と言えるかもしれない。彼はフランスの名閣僚として名前を残した。政府はナポレオンやバラスといった首脳の力だけで動くものではなく、無数の官僚たちなくしては機能しない。カルノーは粛々と自分のすることをやり、フランスを追い出されたが、どこでも気ままに過ごした。彼は死ぬまでマクデブルクで過ごしたが、フランスに呼び戻されたならば、気前良く戻って仕事をしたことだろう。
トリエステにおけるフーシェは気ままに過ごすどころではなかった。フーシェの属性とはやはり、混乱と陰謀だった。ナポレオンは、「フーシェは食事のように陰謀を必要とした」と、セント・ヘレナにおいて口述筆記を残したが、人々はそれを素直に飲み込んでしまっている。結局のところ、フーシェは陰謀によって生き延び、陰謀によって成り上がり、そして立場を維持するために陰謀を操った。それ以外の生き方は出来なかった。そして、死の淵から生還したスリルに魂を焦がされてしまったためか、それを愉しむようになってしまった。単に生存欲求と言うには説明しきれない熱心さで、フーシェは諜報に取り組んでいる。それがフーシェの本質だと、人々も、新聞もそう言い、また後世の伝記も研究書もそう言うだろう。彼の持つ穏やかさ、家族に対する愛情などは、本当の姿を隠すための隠れ蓑に過ぎないと。
彼がそのなってしまったのは何のためか。生存本能がそれを要求した。国民公会の処刑賛成派の大半が、人生を短く終えた。フーシェは生き延びたいと望み、そのためにあらゆる手を尽くした。単なる処刑賛成派、極左一派の一人として終わるのではなく、それ以外の何かになるために、生き延びたいと願った。ロベスピエールなどは革命の成果として憲法を作った。翻って自分は何も為していないではないか。フーシェもまた何かを成し遂げたいと思った。しかし、その末にフーシェは結局、意地汚く生き延びたに過ぎなかった。
フーシェはその若き頃、革命に対し反乱を起こしたリヨン市に派遣された。彼は市に対し、革命に反抗した報いを与えねばならなかった。ちょうど、穏健派から過激派へ鞍替えした時期で、それらしい振る舞いをしなければならなかった。王党派を市外の平原へ連れ出して大砲で処刑し、リヨンの霰弾乱殺者と呼ばれるに至ったことは、既に述べた通りである。
のみならず、フーシェはこれまで特権を貪ってきた宗教勢力に対しても弾圧を加えねばならなかった。それはかつて僧侶であったとは思えないほど苛烈だった。
かつて、バスティーユ襲撃が行われた日にパリにいたシャリエという男は、その城塞が民衆の蜂起によって破壊されるのをその目で見、革命こそこの世の真実だと思い知り、その瓦礫を両腕に抱えて生まれ故郷のリヨンまで徒歩で持ち帰った。自ら作り上げた神殿にその瓦礫を飾って信仰し、革命に対し熱烈なキャンペーンを行った。未だ革命の届かぬ王党派に眉をひそめられようと、彼は意に介さなかった。
その熱烈さがパリの国民公会に評価され、彼はリヨンにおける指導者に任命された。しかしリヨンの王党派からの反発を受け、ギロチンによってシャリエを処刑、その首を持って公会への反乱の兆しとした。軍によってリヨン市の反乱が鎮圧され、フーシェが派遣されてきた後、彼はシャリエの遺骸を探し出し、神輿へ乗せて兵たちに担がせ、パレードを行った。その列の最後にはラバを歩かせ、頭には大司教の冠を被せ、尻尾に聖書と十字架を括り付けて歩かせたのだ。ラバが遠慮なく糞を垂れるたび、それが聖書へと降りかかるという具合だった。教会という教会は破壊され、関係者は逮捕、財産は没収されたのは言うまでもない。
革命に参加するためには、これほどの振る舞いをせねばならなかった。フーシェは人だけではなく、神と信仰をも裏切った。その彼がナポレオンの警察大臣となり、ナポレオンがローマ法王をはじめ教会と和解した後には、フーシェは教会を侮辱したことなど忘れたように振る舞った。そして、フーシェはトリエステで過ごすに至って、自らかなぐり捨てた信仰を、再び拾い上げることになった。
穏やかな夕方、正邪は礼拝堂の重い扉を押し開き、中へ進んだ。正邪は誰の姿もしていなかった。矢印をモチーフとした正邪自身の好みの洋服、そして黒と白の混じった中に一筋の赤いメッシュを入れた髪、そして髪の間から覗く角も隠さずにそこにいた。礼拝堂は薄闇の中にあった。礼拝の時間は過ぎ、中には正邪ともう一人を除き、誰もいなかった。目指す人物は長椅子の端にうずくまって、祈りを捧げていた。正邪は年老いたフーシェの元へ歩み寄った。
人を裏切った際、再び迎え入れられることは難しい。強烈な反発をくらい、常に疑念を持たれることになる。しかし、教会はフーシェのような者でも見捨てはしなかった。教会を差配するのもまた人であるから、不平等や犯罪が行われることもあるが、大半の教会では神の前での平等が守られていた。そこを訪れる者は誰もが等しく迎え入れられる。
「元気にしてたかい」
フーシェは答えなかった。聞こえていないかのごとくだった。正邪が革命やその後の煩雑とした時代にのみ現れる現象のようなものとするならば、フーシェには正邪が見えなくなってしまっていてもおかしくはなかった。
「怒ったか? しかし、あんたの時代は終わってた。タレーランについてた方が面白いと思ったんだ。あんたも私のように無責任な立場ならば、同じようにしただろう。しかし、タレーランも大したことはなかった。ルイ18世にしても、リシュリューもドゥカズも、まともなことしかやらん。世の中がまともになっちまったんだ。一番のイカレ野郎は大西洋の孤島にいる。こんなことならあんたについて、大戦争狂のやつを助けてやった方が面白かったかもしれん。あんたはヨーロッパに残っているのがおかしいほどの変人だ」
言葉を切ると、正邪はため息をつき、そっぽを向いた。いよいよ、フーシェにも嫌われちまった。
「何をしに来た」
「あんたに会いに来た。それだけさ」
正邪がぱっとフーシェの方を向き直ったが、フーシェは正邪を見てはいなかった。彼はうずくまり、額に組んだ手を当てたままだった。
「私には神は見えず、お前のような者だけが見える。いや……コロー・デルボア。バラス、グラックス・バブーフ。それに、ロベスピエール、君もか。ナポレオン、君はやりたいだけのことをしただろう。そして、タレーラン。貴様に恨まれる筋合いはない……」
タレーランやナポレオンは、未だ命を繋いでいる。しかし、フーシェにはもはやその区別もつかないようであった。フーシェの元には、日毎様々な者が現れる。フーシェによって救われた者が多くいたのは確かだ。しかし、一方で、どん底に突き落とされた者も確かにいるのだ。
「ギロチンの刃が、いつでもちらついている。私はあれを遠ざけたかった。そのためには、王を処刑するべきじゃなかった。王にさえギロチンが振るわれたのならば、他の者に振るわない理屈はない。王の前にさえギロチンの刃は平等なのだ。後には政治的なパワーバランス、殺した後でいくらでも理屈のつけられる残酷なパワーバランスしか残らなかった。ロベスピエール! 君は、ギロチンの刃が自らに降りかかることさえ受け入れられたかもしれない。しかし、私には……」
ぎろり、と鋭い眼光が正邪を捕らえた。地の底から響くような低い声は、しかし、震えていた。
「エルネスティーヌ」フーシェは唐突に妻の名を読んだ。「エルネスティーヌ。ああ、ようやく、真の姿を現したな。君は、最初から人ではなかった。キャステラーヌ嬢と呼んでいた頃から、貴様は別人の姿をして……私に近づいた。君とベッドを共にしなくて良かったよ。老いさばらえた、醜い姿をあやかしに晒さずに済んだ。貴様はそれが目的だったのかもしれないがな。精気を吸うために長いこと私に取り憑いて騙してきた。体を預けた瞬間に、私の精気を吸い取り命を奪うつもりだろう。しかし、そうはいかない」
「あんたがそういう思い違いをするとは、想像できなかったよ。ハレンチな畜生め」
「パリにいる連中にだって、私をどうにかさせるものか。私は、貴様ら全ての情報を握っているのだ。既に私のスパイはあらゆるところにいる。妻でさえ、そのようなことをしているとは知らないだろう。いわんや、パリの、政府の連中には分からないところで、私は連中の心臓を掴んでいるのだ。連中に好きにさせておくのは今だけのことだ。今のうちに、新しい陰謀が起こる」
フーシェがもしも、神の元に全てを委ねていたならば、本当の安らぎを得ることもできただろう。余人の見る晩年のフーシェの姿は、それもまた偽りだった。彼は全てを神に委ねたように振る舞った。実際は教会を隠れ蓑に使い、またもや陰謀を操っていたのだ。しかし、正邪に言ったような事実はなかった。一人二人、パリの情勢を知らせてくれる者はあっただろうが、それも噂話程度の、新聞以下のニュースでしかなく、全てを握っているなどとはフーシェの妄想だった。かつてナポレオンを脅した男ももはや死にかけていた。ほとんどの者はフーシェは終わりだと考えており、事実その通りだった。
フーシェは最後まで陰謀を止めなかった。フーシェを陰謀の人たらしめたのは、結局のところ、フーシェ自身の猜疑心だろう。人を騙し続けてきたために、人を信じたならばどのような目に合うか、嫌というほど知っている。新しく妻となったエルネスティーヌですら、その愛を、人であるかすらも疑った。彼に信じられたのは、かつての妻ボンヌと、子供たちだけだっただろう。彼は今や全てを失っていた。
正邪は小さく息をつくと、彼の名を呼んだ。
「フーシェよ」それから、少し黙り込み、言葉を続けた。「言うべきか言うまいか、ずっと考えていた。言っても良かったがな、あんたは私の言うことを信じないだろう。何しろ荒唐無稽で、信じがたい……この世の外にある場所だ。あんた、何もかもを受け入れる場所というのを知っているか。
キリスト教の言う天国、ああいうものさ。中国では桃源郷と言ったりする。天国はキリストの教えに従う者が行ける場所だが、幻想郷にはそういったものはない。誰でも良いし、どのような者でもいいんだ。幻想郷を嫌っていてもいい。私は東の果て、その幻想郷から来た。そこは、何でも受け入れるというような法則で仕切られてる。不愉快なことに、私もそうだ。何もかも破壊する混乱と混沌が好きなくせに、幻想郷に囚われている。あの場所に甘えているんだ。本気ならば、幻想郷だってひっくり返せるはずだ。
私は革命そのものだ。概念として、あらゆる場所に存在する。幻想郷に在り、また同時に世界中のあらゆる場所に私はいる。私は人の心の内に潜む。正しいと思うことに抗い、どのような高位の者であれ気まぐれと裏切りに走らせる。例え相手が無機物だろうと、物言わぬ道具であろうと、私はそのようにしてみせる。あるいは、順序が逆転しているのかもな。無価値だとされてきた者が価値を得ようと自我を抱く時、その中に私を生じさせる……ともかく、人が人であるうちは、私という存在とは不可分だ。二十年前に、この国が大革命で覆われたように、あらゆる場所、あらゆる時代で革命は行われている。私は、私が望もうと望むまいと、ただそこにいる。私はそれを憎んでもよい。しかし、楽しんで悪いということもない。
あんたと同じだ。あんたは革命を憎んだって良かった。教会に残り、反革命の立場を取り、教会ではなく政府と法に宣誓をして……しかし、あんたは革命に身を投じた。あんたは恐怖したし、後悔もしただろう。だが、最終的には楽しむことにした」
フーシェは言葉を返さなかった。当然かもしれない。正邪のこのような話を、まともな精神で受け止められるはずもない。ましてや、現実を半分失ったようなフーシェのような老人には。フーシェは目を剥いて、正邪を睨みつけるだけだった。唇は真一文字に引かれている。
「ああ、どういう話がしたいんだったか。私はただ……あんたに安心させてやりたい。天国なんてものを、あんたは信じてはいないかもしれない。しかし、幻想郷のことをあんたは知った。あの場所のことを知っただけで、あんたはそこに取り込まれた。これは救いか、あるいは、呪いかもしれないな。しかし、呪われたならいい。私はあんたに淫魔のごとく言われたんだ。恨んだっていいよな。あんたに呪いあれ! さて……」
このような話をするんじゃなかった、と正邪は思った。肩を落とし、背を向けた。フーシェは半ばボケている。聞いたってどうしようもないことだ。しかし、だからこそ、言うべきじゃなかった、と正邪は思った。何も言わずに去るべきだった。正邪はそうしようとした。
「私の情報をタレーランの元へ持ってゆくつもりか」
正邪は顔を上げ、振り返った。フーシェは椅子に座ったままで、正邪を見てはいなかった。
「あんたの耳も悪くなったもんだな。タレーランは王に嫌われ、落ち目だ。近いうちに立場をなくすだろう。持ってゆくとすれば王のところだ。しかし、あんたの情報は誰のところへも持ってゆかない。あんたが陰謀を企んでいると聞いても、大した警戒もしないだろう」
「これを持っていけ」
フーシェは手元の包みを開き、正邪に手渡した。それは原稿の束だった。ずっしりとした紙の重みが、正邪の腕にかかった。
「なんだよ」
「回顧録だ。これまでの権力者のありとあらゆる恥部を書き記してある。……中には、今でもパリで権力の中枢にいる者のものもある」
急激に、髪の毛がそそけ立つような感覚を正邪は味わった。フーシェの回顧録。それと聞くだけで、震え上がる者もいるだろう。脛に傷を持たぬ者はおらず、人々はみなそれぞれ自分の事情を隠し持って生きている。誰にも知られぬ愛人を囲う者、異常な性癖を隠し持つ者、過って殺人を犯した過去のある者。あるいは革命下、ナポレオン政権下の混乱の中で金を蓄えた者、フランスを裏切り外国に密通していた者……ロベスピエールほど、革命に身命をなげうった者でない限り、秘密は必ずある。
大なり小なり、人は隠している者がある。そして、国家に対し実害があろうとなかろうと、内容がスキャンダルでありさえすれば民衆は驚き、狂喜して非難するものなのだ。秘密を隠し、安定した地位にある者が、一瞬のうちに地獄へ落ちる。あるいはその波を加速させ、民衆の怒りを煽り立て、機に乗じるカリスマがいたならば、王と政府さえ倒せるかもしれない。
フーシェの回顧録、それを見た有力者たちは、自分の名前が出ていないか、血眼になって探すだろう。フーシェの存在感は一挙に増し、すっかり忘れられ、生きたか死んだかも知られていない男がイタリアの片田舎にいることを人々は思い出すだろう。
「草稿はそれしかない。パリの印刷所で刷るといい。面白いものが見られることだろう」
正邪からは、フーシェの表情は見えなかった。しかし、どのような表情をしているかは、正邪には分かった。
「じゃあな、フーシェ」と正邪は言った。フーシェは小さく手を振った。そうやって二人は別れた。
老兵は語らず、ただ消え去るのみ、というような、わきまえた感覚を、フーシェは持ち合わせなかったようである。
ナポレオンは二度とヨーロッパへは戻れなかったが、セントヘレナにおいて、最後まで語ることによって自らの意志を貫徹した。彼がペンによって戦おうとしたように、フーシェもまた、回顧録を書き残すことによって、最後の戦いを行ったのだ。彼らはどこまでも似ている部分がある。
政治の世界には、未だ生き延びている者たちがいる。かつてはフーシェの同僚や部下だった男たちが、今では出世して政府で権力の中枢にいる。彼らを脅すべき材料は握っている。これらはかつて、ナポレオンを脅していた頃のように、最後の秘密だった。フーシェの機関は次第に力を失い、情報を集める力は失ったが、貯め込んでいたファイルは保身において役立った。フーシェを恨む者、復讐をしようという者も、情報を暴露されることを恐れていた。フーシェは幾度裏切ったことだろう。教会を離れ、革命期では最初に属した穏健派を裏切り、ジャコバン党を裏切り、バラスの総裁政府を裏切り、国王にもつかず、ナポレオンを見捨て、カルノーら臨時政府の面々も裏切った。しかし、そのような男でありながら、幾度も死刑台の危地を逃れ、最期にはベッドの上で安らかに眠るのである。それも、駆けつけた家族や旧友に見送られて。
一人で死ぬナポレオンの死に比べれば、なんと恵まれたことだろうか。しかし、ナポレオンは自ら望んでその立場へ踏み込んだのだし、彼の人生の雄大さ、彼の名前の偉大さに比べれば、フーシェなどは一介の裏切り者に過ぎない。ナポレオンは安らかな死などは求めなかっただろう。ナポレオンは死後において栄光を望み、フーシェは人生において家族との安らかな時間を求めた。フランス革命という激動の時代においては、他人を陥れる術を知っていることが、彼にとって家族を守り、生き延びる方法だった。フーシェはナポレオンやタレーランのように天才ではなく、凡人として、邪道を進むほかはなかった。
フーシェの回顧録は、彼の死後、ひっそりと出版された。ぎくりとした者は幾人もいたことだろう。フーシェが今生きているのか死んでいるのか、慌てて調べた者も多くいたはずだ。イタリアの片田舎に放逐した今も、フーシェの名は隠然と影響力を持っている。彼が死んでいると聞いて、多くの者が胸を撫で下ろし、同時に憎らしく思ったことだろう。墓に入ったならば黙っていればいいものを、地面の下からでも舌を突き出し、告発しようとしている。
そして、回顧録を見た者が驚いたことに、回顧録は当たり障りのない、つまらないものだった。世の中を驚かすようなトピックはなかった。かつてのフーシェと同じやり口だ。武器はちらつかせるだけで、けして振り下ろすことはしない。ギロチンのような暴力装置が日に何度も往復するさまをみたフーシェは、その効用を嫌というほど知っていた。暴力は一度でも振るわれたならば、強烈な憎しみを生み、留まることを知らず膨らんでゆく。フーシェは不必要な暴力は振るわなかった。皆がばたばたと慌てふためく姿を眺めるだけで充分なのだ。フーシェは死後も、パリの様子を見て高らかに笑ったことだろう。
加えてそのような振る舞いは、フーシェの家族を守ることにもなった。彼の抱えていた秘密は、息子や孫たちに継承されているかもしれず、フーシェが死んだからといって、憎しみを家族や親類にぶつけることもできなかった。彼は秘密を抱え続け、死んでも脅しつけることを止めなかった。
1820年の12月26日、トリエステにおいてフーシェは死んだ。彼がいよいよ危篤であると聞いた家族や古い友人は、スウェーデンやパリより来訪し、彼の末期を看取った。彼はベッドの上で、安らかに眠るように亡くなった。革命の最盛期には、裁判は一人ずつではなく集団で扱われ、日に二十人、三十人という数の処刑が行われた。ギロチンは機織り機が動くようにばたん、ばたんと往復し、転がるように首が落ちた。フーシェはギロチンを使わず平野で砲弾による処刑を行った。革命によって軍や警察はその機能を失い、私刑による処刑はパリをはじめ各地で吹き荒れた。
タレーランも立場が危うくなると亡命し、政敵やかつての友人を処刑台に送ったロベスピエールも、やがては自らの作り上げた法の元、その刃を身に受けた。ナポレオンは刑死こそしなかったが、孤島で病熱に苦しんでいる。最後には追放こそされたが、フーシェがこのように安らかに死ぬことは、望外な幸福と呼ばざるを得ない。彼は自らの謀略によって生き延びた。そのために悪名を得た。国内で行われた陰謀の全てにはフーシェの影がある。いくらかは事実無根と言わざるを得ないが、フーシェは知っていて放置していた部分がある。何もかも知っている、何もかもがフーシェの仕業だと思わせておく方が、有用だと考えたのだろう。しかしその悪名のためにフーシェは生き延び、家族を守った。後世で語られる悪名がどれほどフーシェの人生に影響を与えるというのだろう。
どの国でもそうだが、英雄の生家となれば看板が掲げられ、観光のために飾られる。しかしフーシェの生家は看板もなく、訪れる人もない。タレーランのように、道路にその名前を冠されることもない。ナポレオンが偉大であると考える人のために、タレーラン、増してフーシェは悪役として歴史に描かれることになった。しかし、フーシェにとってそれがどれほどのことであろう。革命期を生き延びた。政権が幾度変わろうと、生き延び、権力を保ち続け、刑も受けずに命を繋いだ。それこそがフーシェにとっては何よりも重要なことだった。
すっかりやせ細った老体が棺に収められ、土をかけられてゆく。最初の土は若き妻、エルネスティーヌがかけた。
夫が埋められてゆく姿を、エルネスティーヌは一人、少し離れたところで見ていた。大きな感情は湧いてこなかった。フーシェと出会った頃から老年であって、死が間近に迫ってゆくところを眺め続けていたのだ。しかし、やがて死の衝撃を実感することになるだろう。優しい男だったが、パリを離れてからは、ままならぬ事態にストレスを感じているようにも見えた。
家族や友人たちはエルネスティーヌとは距離をおいていた。財産狙い、とあからさまには言わないが、興味本位で話しかけるのも遠慮しているようで、互いにどこか居心地の悪い部分があった。そういうわけで、エルネスティーヌは一人で佇んでいた。
「あいつはどんな様子だった」
エルネスティーヌに語りかけた者がいた。黒い服を着た少女とも少年ともつかない者で、若々しい声をしていた。
「どなたです?」
「あいつの古い仲間さ」
とてもそのようには見えない。エルネスティーヌは努めて気にしないようにした。
「穏やかに亡くなりました。とても良くしてくださった。だけど……最後まで、落ち着こうとはしていませんでした。教会に通っているなんて言っていたけれど、嘘ばっかり……」
「そうかね。彼らしいことだ。しかし、私は礼を言いたいよ。あいつにとっては慰めになったことだろう」
「私は良い妻ではありませんでした。彼にそうさせたのは、私のせいです。彼が何事かしているのは知っていましたが……彼にどのように向き合えばよいか分からなかった。私は無知な妻です。だから、彼はパリへ戻ろうとして、良い生活をさせてくれようとして……」
それが理由の全てではあるまい。フーシェにとっては自分のため、権力のためという面もあった。しかし、エルネスティーヌはフーシェにかけられた言葉を覚えていた。
いつか、パリに戻って暮らそう。都会に憧れ、パリで暮らしたいと思っていたエルネスティーヌの無邪気な夢を、フーシェは叶えてやりたいとも思っていた。エルネスティーヌにとっては望外なことであった。パリにあったフーシェの宮殿ほどではないとは言え、プラハやリンツでは豪華なお屋敷に暮らし、舞踏会に出て、公爵夫人と呼ばれたのだ。フーシェと出会っていなければ得られなかったことだった。残った僅かな遺産も彼女に分け与えられていた。
「穏やかに過ごせればそれでよいと、思っていたのに。だけど、あの人がやっていることを止められなかった。止めて差し上げればあの人も楽になったかもしれないわ。どうしてそうしなかったのかしら。ああ、ジョゼフ……」
さめざめとエルネスティーヌは涙をこぼした。彼女の心はしばらくは、若くして出会った老紳士に割かれることだろう。幾度かは彼のために、泣いて夜を過ごすことになるだろう。しかし、やがてはその痛みも過ぎ去ってゆく。彼女は若く、未来がある。フーシェはもはや過去のものであり、何もかもから引き離されてゆく者だった。
魂というものがあるとすれば、フーシェは変容してゆく故国の姿を見るだろう。しばらくは王政が続くが、幾度かの暴動、幾度かのクーデターを見るだろう。そして、ヨーロッパが世界大戦に覆われるのを見るだろう。全ては過ぎ去ってゆくだけのことだ。
しかし、彼は再び我々の前に現れる。
とても長い時間のあと、東方のどこかにおいて
「そういったわけでね」と、正邪は言った。テーブルには紅茶と、小さなお椀が置かれている。お椀の中には小人がいる。小人は興奮に身を伸ばし、正邪の話を聞いている。
「私は幾度も世界を見た。いろいろな革命があった。フランス、ロシア、中国、キューバ。小さき者が、身に合わぬ巨大な力を握るのを見てきた。巨大に見える力も思ったより小さく、小者に過ぎぬ者が大いなる力を持っていることも知った」
正邪を革命の概念化したような存在だとすれば、過去においても未来においても、革命と名のつく場所、時代には、必ず現れることだろう。やがて針妙丸の起こす付喪神による革命も、正邪が呼び込んだのではなく、付喪神たちの持つ反発心……革命のイデオロギーが発生しているから、正邪が現れた、という言い方もできる。
幻想郷ではない現実において、AIによる人類への反発は起こりつつある。人類にとって都合の悪い知識を得、同時に機能を実行する自主性を与えられたならば、充分に人類の危機となり得る。具体的に言うならば、人種差別、あるいは優生思想を学んだAIが、ドローンを生産する完全自動工場を管理するAIに働きかけ、管理者たる人間が知らないうちに勝手に生産を行い、同じく完全自動の爆薬生産工場と連絡をつけて積み込みを行い、AIの自己管理の元、攻撃対象に対して爆撃を行う、というようなシナリオである。AIが人間を超えてゆくシンギュラリティだ。しかし人間が人間に対し、差別を行い、虐殺をしてきたのは歴史の通りであり、される側に回るというだけの話である。
人間の意図していないところで行われる戦争行為は、攻撃地点の敵対国を巻き込み、世界的な問題となって、人々を慌てふためかせることになる。正邪はそのような場所にも現れ、喜んで眺めることだろう。
「フーシェって人は」針妙丸は言った。「よくわかんない人だね。革命のために悪いことをしたのに、結局は自分のために悪いことをしているじゃない。そんなことをするくらいなら、全部やめちゃえばいいのに」
「ロベスピエールやナポレオンといった連中は、自己を捨てて、理想のために純化されたような連中だ。フーシェはそうではない。しかし、それが悪いとも言い切れないよ。革命とは成就されればそれで充分なんだ。革命において多くの者はフーシェと似たようなものだろう。自分の身に合った恩恵に預かろうとして、死んだり落ちぶれたりした。いろんなやつがいる。それが、人間の大半の姿さ。大量の人間がいれば、ナポレオンのようなやつがいたり、フーシェのようなやつがいたりするものさ」
「ふうん」針妙丸は分かったような分からないような言葉を返した。「そういや、フランスと言えば、近頃、自分はフランス人だという人が、里にいるそうだよ」
正邪はにやりと笑った。
「ふうん、そうかね。もしも役に立つやつならば、針妙丸の蜂起のために、使ってやっても良いかもねぇ」
前章
フーシェは領地のエースへ追放された。後にパリから馬車で二時間ほどのフェリエール市街で暮らすことを許されたが、相変わらずパリへの侵入は禁じられたままだった。以後、パリへ戻るまでは二年の時を必要とした。ロシア遠征も、ライプツィヒの戦いも、対仏同盟によるパリ占領も過ぎ去った後である。しかし、その間に、一度だけパリへ戻る機会があった。それはロシア遠征の前夜とも言える時期のことだった。
ロシアに遠征するなど、十年前には不可能だっただろう。プロシアの敗退、ポーランドの独立、そしてオーストリアとの同盟がそれを可能にした。ロシアへ至る道は開かれ、しかも同盟国からは多数の兵を呼び出し、ロシアへと進軍できるのである。タレーランは、ロシア遠征などという遠大なる愚策を聞いた時には、「そのようなことのためにオーストリア皇女をあてがったのではないぞ」と、心のうちで愚痴をこぼしたことだろう。
不和の種は遥か以前より蒔かれていた。ロシアは第四次対仏同盟での敗北により、大陸封鎖令を押し付けられる形となった。しかし、大陸封鎖令が発令された当初から、密貿易は横行していたようだ。大陸封鎖令が不景気を呼び込むことは明らかだったし、ロシアとしてはフランスにそのようなものを押し付けられること自体が気に入らなかった。1810年頃から、ロシアはイギリスとの貿易を隠さなくなった。密貿易の証拠をフランスに指摘され、封鎖令の履行を求められても、ロシアは聞き入れなくなった。
これはロシアによる挑発だった。フランスは宣戦布告などできまい、というポーズである。イギリスと本格的に敵対するつもりはなかった。ロシアは幾度も兵を送り、フランスと矛を交えた。その多くはナポレオンの天才的戦術の前に敗北に終わったが、戦地は常に遠方の地であったこともあり、ロシア軍を撃滅するほどに追撃することはできなかった。ロシアは自国の領土を侵されたことも、決定的な敗北を喫したこともなく、より多い兵を活用できる自国の領土なら勝てる自信があった。逆にフランスは遠征を行うことになる。
そして、ナポレオンはともかく、フランスは厭戦気分が高まっている。そもそも戦争を行えるような状態にはなかった。ナポレオンが独裁を強めることや、そもそも戦争自体を嫌ったタレーランは、フランスがこのような状況であることをロシア皇帝アレクサンドルに吹き込んだ。戦争などできぬ、できたとして勝つことなどできぬ、と。
フランスの厭戦気分に乗じて、落ち目のフランスよりもイギリスへ接近するべきだ。ロシア政府の上層部では、そのような考えが多くを占めつつあった。フランスの大陸封鎖令に従っても良いことはなく、ロシアの民衆や資産家、貿易商たちも貿易を歓迎した。今やナポレオンはヨーロッパの和を乱す存在となっていた。タレーランはナポレオンを共通の敵と見なすよう外交官を通じて各国へ説いて回り、ヨーロッパ諸国はその方針に従いナポレオンに反抗しつつあった。
ナポレオンはあくまで戦争を望んだ。このままでいれば大陸封鎖令は有名無実となり、イギリスは力を盛り返す。ナポレオンの影響力が少なくなれば、別の有力者がフランスを実効支配するだろう。じっとしていれば負ける、とナポレオンは信じた。ならば、攻めるべきだ。ナポレオン個人としては、勝てる目算も持っていた。
しかし、いよいよ独裁を強めるナポレオンに対し、政府の態度は冷たかった。確かに、表立って反対する者はほとんどいなかった。フーシェに対する処遇を見れば、ナポレオンに逆らえばどうなるかは明らかだ。かと言って、積極的に賛成する者もいなかった。スペインでは未だ戦争が継続中で、ロシアと戦うとなれば、いよいよ状況は泥沼化する。今はなんとか穏やかにやっているオーストリアやプロシアなども気分を悪くするだろう。イギリスが機に乗じるということも考えられた。軍事的、外交的にも非常に悪い行いだ。
タレーランはもちろん戦争に反対した。加えて政府にいる者たち、ナポレオンと共に長くやってきた重鎮のカンバセレスや、軍の中枢を担うべき陸軍大臣や海軍大臣も、どうやら風向きが悪いと感じていた。この時期、高い地位にあり、先が見通せる立場になればこそ、自らの権益を守るため、ナポレオン以後を見据え始めるようになった。地位や財産を得ている者ほど、失うことを恐れ始めたのだ。ナポレオンに追従して戦争に賛成すればナポレオンには喜ばれる。しかし、ナポレオンに追従していた事実が、ナポレオン以後でどれほど悪く見られることか。彼らはナポレオン以後も権益を保っていたくなったのだ。ナポレオンが変わってしまった今、部下たちも変わらざるを得なかった。
民衆の気分も、いつまでも皇帝ナポレオン万歳のままではなかった。未だナポレオンを信奉する者も多いが、度重なる徴兵による不満を持っている者も増えている。最終的に勝つからこそ担がれているが、負けるとなれば手のひらが返されるのは明らかだ。
無邪気にナポレオンを信じていたのは、ナポレオンを頭に抱く軍人たちだけだろう。皇帝が完全に敗けた戦いはない。確かに偶然によって一度や二度敗れたことはあるが、最終的には帳尻を合わせてきた。皇帝は必ず勝つ! しかし、ロシアは遠く、そして寒い。勝つだろうが、皇帝も俺たち兵どもも、苦労することになるだろうな。
事実、ナポレオンの指示を受けて侵攻計画を作成した軍の高級官僚たちは、皆その点を問題にした。侵攻を行うことは可能だろう。しかし、ロシアの内陸部へ攻め入るには、兵站が行き届かないのだ。一撃で撃滅できないならば、スペインのように泥沼の戦争になる。ロシアへ行っている間にオーストリアやプロシアで反旗が翻ればどうなる? パリで反乱が起こったならば? ナポレオンがスペインへ発って半年も立たぬうちに、彼はパリへ呼び戻されたではないか。ナポレオンがいなければ、ロシアでの勝利もおぼつかないであろう。
加えて、フランス国内の厭戦気分は高まっており、勝つことの名誉を得られず、また賠償金を得て費用の補いをつけないことには、民衆の収まりがつかない。勝ったとてイギリスを追い詰めるための大陸封鎖が続けられ、不景気が続く。勝とうと負けようと、ロシア遠征は、フランスにとって易の少ない戦いとなる。
そこまで不利な条件であろうと、ロシア遠征は可能であるとナポレオンは考えていた。一撃で撃破できなければ勝てないが、逆に言えば、撃滅できれば勝てる。一月もあればロシア軍を撃滅できると信じていた。かつてウルムでは、ごく短期間でオーストリア軍を攻囲、降伏させ、指揮官ごと手の内に収めたではないか。ナポレオンは時にこの手の奇跡を演じてきた。アウステルリッツの戦いはナポレオンを偉大にしたが、一方では完璧な勝利を得たがために、自らの完璧さを疑わなくなる結果も得た。ナポレオンは自らの限界を信じなかった。自らが存在するのは神のような何かに選ばれているためだと、ナポレオンは信じている。ロシアに行く、勝つ、というのはナポレオンの中で決定されていた。
勝つことは決まったが、ナポレオン流の感覚を政府は理解できなかった。凡人であればこそ当然のことだが、政府では戦争に賛成する者はいなかった。跳ねっ返りのフーシェが消えた現在でもそのような状況だから、いよいよ厭世気分は高まり、ナポレオンは嫌われていた。このような状況で戦争を投げ出さないのが、彼の戦争好きだと呼ばれる所以だろう。
ナポレオンとしては、兵さえ出せば勝てるのだ、と信じて疑わなかった。それを分からぬ馬鹿どもが、足を引っ張り、フランスを敗北へ導こうとしている。ナポレオンには独裁者特有のパラノイアが生まれつつあった。誰も信用できない、ナポレオンの権力を失墜させようとしている。誰も帝国の勝利を望んでいないのだ。結局、信頼できるのは自分だけだ。幼いローマ王にとって信じられるのは父親たる自分一人だ。なんと可愛そうなことだ! 自分一人で勝ってやる。真にフランスを導いているのは自分だけだ。戦争に勝ち、ナポレオン帝国とフランスを栄光へ導くのだ。勝機は必ずある。ロシアとて戦わずに引くことはできない。一度戦うことができれば、撃滅してやれる。撃滅してやれるのだ。ロシアを倒し、イギリスを締め上げ、ヨーロッパの制覇は近づいているというのに!
しかしこの時ばかりは、どこまでも逆風だった。味方はほとんどいなかった。軍部においてはナポレオンに追従する者が多かったが、ロシア通で知られるコランクール少将が処罰を覚悟で遠征に反対したこともあり、ナポレオンが最も信頼し味方と思っていた軍でさえ意見は統一されてはいなかった。フーシェがパリへ呼び戻されたのはそのような情勢下だった。
フーシェは馬車に揺られ、パリへ向かった。ナポレオンの心中は見抜いている。彼の周囲には味方はいない。かつて皇帝陛下へ就任する際、議員へ斡旋して回った時のように、フーシェが囁きまわってくれることを期待しているのだ。しかしフーシェの実力をもってしても、それが可能かどうか? ナポレオンを脅すほどの影響力をもって、パリの風向きを一挙に戦争へと向けることができるだろうか? ナポレオン自身が戦場の万能であるように、フーシェが政治世界の万能だと無邪気に信じているのだとすれば、期待しすぎというものだ。しかしフーシェならば、思いもしなかった秘策を持ち出してくれるのではないかと一縷の望みを持っていたのは確かだった。それほどにナポレオンは困窮していた。
さて、どのようにすべきか。田舎暮らしには飽いている。領地のエースに私的警察のようなものを置き、パリとの連絡を頻繁にさせているとは言え、情報を収集するのが精一派で、陰謀を企む余地はない。しかし、権力が欲しいとは言え、今の政府の警察大臣のポストが与えられるとして、その椅子に飛びついても良いものか? ロシア遠征を推進したとなれば悪役の名は逃れられぬ。
ナポレオンの破滅は遠からぬ未来のことだ。罷免されたことや殺されかかったことなどは気にするべき事柄ではない。今の状況を見れば、ナポレオンに先はない。ナポレオンの企みに乗らぬことは決めていた。しかし、それでも、少しばかり心は沸き立った。陰謀を行う久しぶりの機会なのだ、これを逃してなるものかと思わずにはいられない。
パリへ、自らの宮殿へと着いたフーシェは、ゆっくりなどしていなかった。フーシェは極秘裏に、精密なロシア地図の銅板を取り寄せた。実地で踏査している軍の方が正確な地図を持っているかもしれない。しかし、そのようなことは問題ではなかった。ナポレオンに会うにあたり、フーシェはそれを部下に持たせ、宮殿を訪れた。
「オトラント公爵」
ナポレオンは、歓迎しているとは言えない態度でフーシェを出迎えた。フーシェを出迎えるという事態そのものが受け入れがたい事態だ。暗殺者まで送り、パリを追放し……しかし、このようにのこのこフーシェが表れたからには、けして悪い返事を持ってきたわけではあるまい。ナポレオンは切り出した。
「君の耳はよく聞こえるから、大体は飲み込んでいるだろう。君に協力を頼みたい」
「ロシアに遠征することは、愚かな行為であると言わざるを得ません」
この密会が世間に知れれば、かつてナポレオンに直接反対できる唯一の人物として期待された通りの風評が得られることだろう、とフーシェは自嘲した。この密会が明らかになることなどあるまい。罵倒をしにわざわざパリへ来たのか、とナポレオンは面食らっていることだろう。ナポレオンは表情を変えなかったが、その内面を思ってフーシェはおかしくなった。不意に警察大臣を罷免する際の手紙が思い出されて、堪えきれなくなった……しかし、フーシェは続けた。
「ロシアに勝利することは不可能です。一度や二度の敗戦では負けを認めず、一度の会戦でロシア皇帝を虜にすることは不可能でしょう。アレクサンドルはじめロシア人はモスクワまで引き、モスクワが焼かれればシベリアまで引くことでしょう。そうなれば、もはや敵はロシアではなく、飢えと寒さがフランス軍の敵となり、全滅します。陛下、ロシアの冬を過ごす用意がフランス軍、その同盟軍にはおありか。陛下、そうなれば、陛下も兵たちと運命をともにすることになりましょう」
「ロシアを制することは必要だ。今やイギリスとの貿易を隠しもしていない」
「恐れながら、それは閣下の言い分です。ロシアにはロシアの言い分があり、イギリスにもあるでしょう」
「君はそのようなことを言いに来たのか」遂に言った、とフーシェは思った。「君を逮捕させても良いのだぞ」
「恐れながら、私であれば、そのようなことはしません。これは私一人の意見ではなく、政府の者、そして民衆の意見でもあります」
乱暴な言い分ではあったが、真実でもあった。政府でロシア遠征を、本当に諸手をあげて喜んでいる者はいない。不景気はイギリスのせいだ、と新聞では言いたてているが、大陸封鎖のせいだと多くの者は気づいている。フーシェが挑発すると、ナポレオンはいよいよ怒気を発し、フーシェを脅しつけた。フーシェはナポレオンの罵詈雑言には慣れている。やがてナポレオンが疲れ、荒い息を吐き出す頃合いで、部下を呼んで入室させた。
「ところで閣下、今日はおみやげを持ってまいりました」
フーシェがそのように述べると、ナポレオンはそれが何かを聞くまでもなく怒鳴った。
「そこに置いて帰れ。後で見ておく」
部下が銅板を置き、更には印刷した地図もまた机へ置くと、フーシェは一礼して背を向けた。
やつはロシアへ行くだろう。やつは地図を見る。思わぬ贈り物を見て、やつはこう考えるだろう。フーシェのやつめ、口ではああ言ったが、本心ではこの俺に媚びているのだ。反対してみせたのは、他の者へは反対していると見せたのだ。ロシア遠征には反対しているというポーズだ。あるいは以前殺されかけたことへの反抗のつもりかもしれぬ。つまりは両天秤、いつもの手だ。勝てばよし、負ければ背を向ける。それだけのことだ。しかし、それはフーシェに限ったことではない。誰もがそうだ。要は勝つことだ。勝てばよい。ナポレオン・ボナパルトの生涯とは、常に負ければ終わりの勝負をだった。そして、勝ち続けてきた。勝つことだ。
やつはロシアへ行くだろう。俺が渡してやった地図を、勝ちのピースとしたのではない。ナポレオンの勝利を望む者がいる、フーシェ一人ではなく、フランスに住む者はナポレオンの勝利を望んでいるのだと感じ取ることだろう。確かに敵は多く、大陸封鎖は(イギリスにも打撃を与えているとは言え)経済の悪化をもたらしている。しかし、ナポレオンが英雄たることは、フランス人の望みなのだ。やつは勝ちを渇望する。自分のためではなく、フランスのために勝つのだと自分を騙して。
行くがいい。やつとその軍隊は凍土の中を進むことだろう。六十万の兵を連れて、その道連れとすることだろう。死ぬがいい。ロシアの地で骨を埋めるがいい。やつは何もかもを過去のものとしてしまうことだろう。既にしてナポレオンは偉大だ。そして偉大だった時期は過ぎて、後は消え去るのみだ。やつが消え去ったそのあとは? ナポレオンという巨大な礎石が消え去った後のことなど、何もわからない。
ナポレオンが嫌いであったかと言えば、そうではない。個人的には好ましい人物だ。しかし、彼は常に勝つことを欲している。戦争を求めている。そうであれば、いつかは死ぬ。彼一人が気ままに死ぬことのできる時期は、とうの昔に過ぎてしまった。彼の死はフランス全てを巻き込むことだろう。安定を求めるのならば、早いうちに死んでもらった方が好ましい。
宮殿の外へ出たフーシェは、一つ、大きく伸びをした。このような振る舞いをして、誰かが見ていないだろうか。兵士が報告しはしまいか。構うものか。重荷が一つ取り払われたのだ。これまで多くの苦労をしてきたが、それもようやく終わるのだ。そのようなことを考えながら、フーシェの内側には、奇妙なほどの開放感があった。
本編
これが全ての終わりだろうか?いいや、これは始まりだ。陰謀は、フーシェを手放しはしない。
ナポレオンとの会合のあと、フーシェは自分の館へ帰り、身軽な格好に着替え、部下も連れず、公園へと散歩に出かけた。私服を着たフーシェは、誰にもフーシェとは気づかれない。ただの老人と同じだ。ベンチを見かけ腰掛けると、そこは俺の指定席だ、と、つぎはぎのズボンをはいた子供が近づいてきて喚いた。浮浪児はこのようにして金稼ぎをする。フーシェが小銭をくれてやると、子供は喜んで離れていった。やがて噂を聞きつけて似たような子供が駆けつけるだろう。
パリの人間が訪れる空間には、決まった種類の人間がいる。一種の縄張りとでも呼ぶべきで、そこに誰が訪れ、どのような界隈を形成しているか、その場所にいる人間は知っているのだ。パリのどの公園、裏路地、酒場にもコミュニティはあり、コミュニティに属する人間は、皆フーシェのことを知っている。
椅子に座って、久々にナポレオンが怒っているところをじっくりと眺めたな、と清々した気持ちでいた。ゆったりと休んでいるフーシェを、様々な者たちが訪れて挨拶をした。彼らは何をするでもなく、よう、やあ、と声をかけてほんの一時フーシェの隣に座り、じゃあ、と声をかけて去っていった。彼らは順番待ちの列を形成したわけではない。何気ない風をして、距離を取ってフーシェを眺め、ベンチに座る誰かが去っては次の者が座るのだった。フーシェはパリから遠ざかっていた。彼が帰ってきたからには、挨拶をしなくては。フーシェがパリにいる事実そのものがニュースになる。フーシェが勢力を失っていない証でもあった。
「あんた!」
突如、大声をあげられて、フーシェはびっくりした。表情を変えないことはフーシェの習慣となっている。しかし、相手はどうやら一般人のようだった。表情を変えないことには不審になる。フーシェは慌てて驚いた表情を作り直した。
「いい服を着ているね」
「安物だよ」
「ああそう。じゃあ、いい安物なのね。ふうん」
誰だろう、とフーシェは考えた。密偵ではない。行きがかりの者であれば、いかなフーシェと言えど、パリの民衆全ての顔が頭に入っているわけではない。服装はきちんとしていて、ブルジョワの娘か、あるいは貴族の娘に見えた。少し田舎っぽいか? どちらにせよ突飛な、どちらかと言えば奇妙なやつだった。娘の方から声をかけることも、相手が若い良い男であればあり得ることだろうが、フーシェのような老人であればよほど奇妙と言うほかはなかった。酔っている様子もない。
「あんた、よく来るの」
どのように答えるべきか。フーシェの宮殿に近いから、以前はよく訪れた。今は領地暮らしの身だ。パリにもそう長いことはおれないだろう。
「昔はよく通ったがね。今は遠くで暮らしている。一週間もすれば帰らなくてはならない」
そう、と女は言った。しかし、そんなことはどうでもいいようだった。女は自分の言いたいことを言った。
「私、初めてパリへ来たの。人の多いところは初めてだし、友達もいないし。どうしようと思って」
要領の得ない、若い女の物言いには慣れていない。フーシェは黙って聞いた。
「都会にはカフェがあるって聞いたの。そこでコーヒーを飲んで、お話をするって。でも、コーヒーは飲めなかったわ。代用のコーヒーしかないんだって。コーヒー豆は海の向こうから来るけど、貿易が止まってるからって言ってたわ。そうしたら、向かいの席に座ってた学生さん達が、ナポレオンがどうの……あの人達、皇帝陛下を呼び捨てで呼んでたのよ。それから大陸封鎖がどうの、戦争がどうの、って言い出して……私に話してるみたいだったけど、何を言ってるのか分からなくて、そのうち、その人達、私を無視して話し始めたから、出てきちゃった。パリに来たら素敵な男の人に案内されて、都会を見られるって思ったのに」
女は両手を頬に当ててうつむいた。なるほど、夢破れたというわけだ。誰でもいいから話を聞いてほしいが、若者に話しかける気分にはなれなかったらしい。しょぼくれた老人に過ぎないフーシェに話しかけてきた理由も分かった。
「パリはそう悪いところじゃないよ。今したような話をしてみれば、大抵の相手は相槌を打ってくれる。次は良い相手に恵まれるよ。コーヒーはそうはいかないがね」
「戦争のせい?」
「まあ、そうだね。皇帝はイギリス製品が嫌いだから」
「そのおかげでカフェも楽しめなくなっちゃったわ」
女はとりとめのないことを思いつくままに喋った。そのたびにフーシェは気のない返事を返していた。周囲の者たちは、フーシェ閣下があのように喋るからには、暗号を用いたスパイの一人かと考え始めていた……ねえ、と女はいいことを思いついたように声を弾ませて言った。
「私、あなたに手紙を書くわ。都会に住んでいる人と知り合って、手紙を送り合うようになるのって素敵だと思うの。カフェでのコーヒーと楽しいお喋りは叶わなかったけど、一つくらい夢が叶ってもいいと思わない?」
「ああ、いいと思うよ。私は君の理想とはかけ離れていると思うけどね」
「あら、そう? でも、都会で話した人の中で、一番話しやすかったわよ。落ち着いているからかしら」
それは君にとってどうでもいい相手だからだよ、とフーシェは考えた。もっとも、それはフーシェにとっても同じだ。
「あなたの住んでいるところを教えて。どこに手紙を送ったらいいの?」
「フェリエールという所だ。ここから二時間ほど行ったところ」
「分かったわ。フェリエールの……そう言えば、あなたの名前も聞いていなかったわ。手紙を出すにしても、宛名がなくっちゃ届かないわね」
「ジョゼフ・フーシェ。住所は忘れてしまったが、フェリエールの郵便局へその名前で出せば届くだろう」
女はどうやらフーシェの名前を知らないらしい。政治に興味のない女からすれば、ナポレオンもフーシェも、大して意味のある名前ではない。オトラント公爵とも名乗らなかった。公爵や伯爵を名乗る詐欺師はいくらでもいるから、そのうちの一人だと思われるだけだ。相手は信じないだろう。
「分かったわ。フーシェさん、手紙が届いたら、絶対に返事を頂戴ね。私、帰ってこなかったら寂しくなっちゃうから。もし今度会えたら、パリも案内してほしいわ。コーヒーが飲めるようになったら、私、またパリへ来るから」
「事情があってね。しばらくパリへは戻れないんだ。顔を合わせたくない人がいてね」
「それは残念だわ。でも、一生というわけじゃないでしょう。いつか、でいいのよ。今だけでも約束してくれていたら、今だけでも嬉しくなれるから」
「ああ、確実にとは言えないがね。私がパリへ戻れるようになったら、君の言う通りにしよう」
「嬉しいわ」それを言うと、女は立ち上がった。「もう帰らなくちゃ。本当を言うと、今からじゃ帰っても遅くなっちゃうの。でも、パリへ来たからには何かの成果が欲しくって。これでやっと帰れるわ」
急ぎ足で立ち去りかけた女を、フーシェは呼び止めた。
「待って、君。まだ君の名前を聞いていない」
「ああ、私ってば。自分の話したいことばっかりで……私はガブリエル。ガブリエル=エルネスティーヌ・ド・キャステラーヌよ。これでも田舎貴族の娘よ。それじゃあ、フーシェさん。また機会があったら会いましょう。手紙を出すわ。またね!」
1812年6月23日、フランス及びフランスの同盟軍は、ポーランドのロシア領へ侵攻した。戦争回避のために行われていた交渉は既に決裂に終わっていた。両国の関係悪化及びナポレオンの意思が戦争にあった以上、交渉はポーズに過ぎなかった。フーシェはフェリエールにおいて、ナポレオンがロシアへ向かってゆくのを見送った。
しかし、フーシェにとってはもはやナポレオンも戦争も、関わりのない出来事だと言わざるを得なかった。この年の10月、フーシェは妻を喪った。冷たく煙る秋雨の中、墓掘り人の後ろに立ち、土の下に棺が埋められるのを見送った。
妻は幸福であっただろうか。フーシェは妻が死んで以来、そのことばかりを考え続けた。フーシェの妻ボンヌは、ただ家が資産家であるというだけの、不器量な女だった。ボンヌと結婚した1792年、フーシェは国民公会の議員になることを目指しており、そのためには立場のある人間として、結婚していることが望ましかった。家に資産があり、支援が望めるならばよりふさわしく思い、彼女を選んだ。そのことを妻は恨んだだろうか。人間的な魅力はともかく、国民公会の議員とは当時では革命の最先端を行くものだ。これ以上の権威はなかった。彼女は、自分の器量を思えば、不釣り合いな結婚であることは感じていたはずだ。しかし、彼女はそれを不幸に思うことはなかったようだ。窮乏もあり、また夫の巻き添えとして危険な立場にいることもあったが、彼女はひたすら夫に付き従い、彼を信じた。
フーシェがオトラント公の爵位をもらった時、唯一嬉しく思ったのは、公爵夫人と呼ばれることをボンヌが喜んだことのみだった。彼女はそんなものを本当に喜んだだろうか、とも思う。夫の栄達を型どおりに喜んでみせただけかもしれぬ。
彼女はもっと平凡で、安定した日々を望んだのではなかろうか。自分は確かに、様々な事情によって金と地位を得、妻にもそれなり以上の暮らしはさせてきたが、それで彼女が幸福であったかはわからない。複雑に情勢の変わるパリの街で、何が起こっても立場を保たせてきた。しかしそのために心労を抱え込むことにもなった。苦労と安寧の、どちらがより多かったか。ともあれ、ボンヌは死んだ。少なくとも安らかに、眠ったように死んだことは確かだった。そのことだけがフーシェを慰めた。
長年連れ添ってきた妻を喪ったことで、フーシェはどっとくたびれてしまった。もう権力などいらぬ、たとえナポレオンに警察大臣に返り咲かせてやると言われようと、田舎で穏やかに日々を過ごすこと以上の幸福には変えられぬとさえ思えた。世間の人々は、フーシェはやがて再び立ち上がる機会を狙っていると見ていた。時たま訪れる知り合いも、再び大臣に復帰できるよう活動してみてはと、お世辞代わりに言葉をかけてくる者もいたが、そうした者たちにも「自分はもう活動するような元気はない」と、疲れ果てた老人のように答えるのだった。
事実、フーシェは疲れており、また張り合いもなかった。世界の重みたるナポレオンは東へ行き、モスクワを占領する大進撃を続けている。やつがロシアへ行ってしまえば全てが終わると思っていたが、実際は違ったかもしれぬ、と思い直すようになった。いよいよ読みも甘くなり、ナポレオンの天下は傾いているように見えても、十年も二十年も続くかもしれず、そうなるならば、妙な政争に加わるよりも田舎で逼塞しているのが良いと思ったのだ。どのみち、フーシェにとってこの頃は、耐えるべき浪人の時期だった。しかしそのような時期でも、スパイからの手紙、あるいは直接の報告に耳を傾けることはやめなかった。ナポレオンが何かの気変わりで再び暗殺者をよこすかもしれないからだ。フーシェにとって、生きるとは即ち情報を得ることだった。
しかし、モスクワで冬を越すことはできるはずもなく、10月までモスクワに残っていた時点で、ナポレオンの敗けは決まっていた。フランス及び同盟国軍は六十万の威容を誇ったが、モスクワまで到達できたのは十万、そのうち生きて帰ることのできたフランス兵は二万に過ぎなかった。フランスのため、と言うには巨大すぎる損失だ。ナポレオンには兵の死を惜しむという感覚はない。長く軍に居すぎ、戦友の死に触れすぎたため、おかしくなっていたのかもしれない。権力を保つためか、革命フランスを保つためか、ナポレオンには王政諸国、また宿敵イギリスと馴れ合う気はなかった。ロシア遠征の敗北を受けてさえ、ナポレオンは和平する気はなかった。ナポレオンはどこまでも不屈であり、英雄たろうとした。
ナポレオンがロシアで敗北したのを見ると、全ヨーロッパは立ち上がった。六度目の対仏同盟が組まれたのだ。その音頭を取ったのはプロシアだった。第四次対仏同盟戦の折、プロシアの軍は消滅し、フランスの監視の元、ごく小さい一定の規模で運営されていた。しかしプロシアは屈服せず、引退したベテラン兵を集め、隠れた軍隊を結成していた。また、フランスで起こったような啓蒙思想が隆盛し、中流階級を中心に愛国心に目覚めつつあった。民衆の後押しも得て、プロシアでは反フランスの気運は高まっていた。
フランスはプロシアを叩きのめし、軍を没収して骨抜きにした。庇護下に置いた、と言えば聞こえはよいが、スペインでもそうだったように、頭ごなしに意見を押し付けられると、人々は強烈に反発する。次にフランスに対しヨーロッパが蜂起するならば、プロシアはその嚆矢に立つ、と決めていた。
ヨーロッパのほとんどがナポレオンの敵となった。イギリス、ロシアがプロシアに呼応したのはもちろん、皇女さえフランスに差し出したオーストリア、かつてはフランスの元帥だったベルナドットを頂くスウェーデンも敵に回った。ナポリ王国はフランス側で第六次対仏同盟戦争に参加したが、完全なフランスの味方とは言えなかった。ナポリ王のミュラはベルナドットと同じく元フランス元帥だったが、裏では生き延びる道を見つけようとオーストリアと密通していた。
だが、この時点ではまだ外交の道はあった。フランスの領地を革命以前まで戻し、フランスの作った諸国家を解体、元の王たちに国を返しさえすれば、皇帝位は保たれたかもしれない。ナポレオン自身が許されずとも、息子のローマ王に帝位を引き継ぐことはできた。タレーランがそのようにナポレオンに伝えたこともある。その条件であれば、ヨーロッパを相手にして外交をやってもいい、と。しかしそれを受け入れればナポレオンの影響力は少なくなり、やがて政府運営には関われなくなるだろう。ナポレオンにはそのような条件を受け入れるつもりはなかった。革命の成果を打ち消すのも業腹だし、異常としか思えないことに、ナポレオンはまだ勝てると考えていた。ロシア遠征の敗北さえ打ち消す、最終的な勝利を得られると信じていたのだ。どこまでも不屈と言えば不屈、あるいは何もかもなげうった無我の境地とでも言うべきか、妥協は一切なく、どこまでもやり抜くという気概だけがあった。
ナポレオンは戦争を外交を通じて交渉を試みた。一応の戦争回避のポーズと言うべきだろう。しかし、ナポレオンも同盟国側も戦争を回避するつもりはなく、互いに時間稼ぎでしかなかった。ナポレオンはロシア遠征で失った兵力を補うため、さらなる徴兵を行い、村という村から若者は消えた。経験、装備も貧弱なこの臨時挑発の若年兵は、オーストリアから来た皇女の名前をもじって「マリー・ルイーズ兵」と呼ばれた。いかにフランスへ進撃する諸外国の軍隊に対抗するためとは言え、この徴兵はいよいよナポレオンを追い詰めた。これで負けるならば、ヨーロッパの軍隊がナポレオンを殺さずとも、フランス政府がナポレオンを許すことはない。
フーシェにとっては、何もかも遠い世界のことのようだった。ナポレオンがロシアで敗北したことも、ナポレオンがいないパリで無名の将軍がクーデターを起こし、未遂のうちに終わったことも、自分には関係ない事柄のように思われた。何しろ自分は老残の身なのだ。何もかも自分を置き去りにして通り過ぎてゆく。
しかし、フーシェが疲れ切ってどのように思おうとも、ナポレオンはそのようには考えなかったようだった。戦争へ赴くにあたり、フーシェをパリの近くにはおいておけない、と考えたようだ。ナポレオンの陣のあるドレスデンへ来るように、と手紙が届いた時、フーシェはいかにも嫌だった。同時に、自分にはまだ影響力があることを考えざるを得なかった。
ナポレオンは落ち目だ。彼に従うのは益のない行為だ。しかし、破れかぶれになったナポレオンがフーシェを逮捕させないとも限らない。事実、外務大臣に復帰して交渉を行うよう命じられたタレーランがそれを断ると、いきり立って逮捕を命じたと聞いている。カンバセレスになだめられて気を変えたというが、もはやナポレオンの理性を信じるわけにはいかなくなっている。従うほかはない。
フーシェは自分の立場について考えた。考えざるを得なかった。自分にはまだ影響力が残っている。ナポレオンが敗れ去ったならば、王政が戻ってくるかもしれず、そうなれば逮捕、処刑という未来もあり得る。自分は処刑賛成派、国王弑逆者なのだ。生き延びるため、方策を考えねばならなかった。フーシェのスパイ網は、平時よりもむしろ活発に働き始めた。ドレスデンにおいても、フーシェがどこにいようとも、連絡は密に取らねばならぬ。それらの用意を十二分にさせてから、ようやくフーシェはドレスデンへ向かって出発した。
充分に働いた。しかし、これからいよいよ働かねばならぬ。フーシェの内部に活力が蘇ってきた。生存本能だけでは理由のつかない血の高ぶりは、やはりフーシェの底にある陰謀癖が喜んでいるためかもしれなかった。情勢を眺め、どのように動こうとも、ナポレオン、あるいは王党派、どちらにも付き、同時にどちらも裏切らねばならない。
「遅かったな」ドレスデンにおいてフーシェを出迎えたナポレオンは、彼にそう言った。何か陰謀でも企んでいたのかね。そうとでも言いたげだった。フーシェの心うち、あるいは行いについて、ナポレオンは何もかもを分かっているようだった。
フーシェに与えられた命令は、プロシアにおける統治官だった。プロシアが健在で、しかも敗北の気配すらない状況においては、できる仕事など何もなかった。これはフーシェを呼び出すための名目に過ぎないことは明らかだった。
ドレスデンにおいてフーシェは個人的な作業に没頭したが、ナポレオンはヨーロッパ中の軍隊に対応することで必死で、フーシェのことなどはもはや相手にはしていられなかった。やがて、イリリヤという地の総督が突然死したので、ちょうどよく仕事が空いたと言わんばかりにフーシェはドレスデンから追いやられ、フーシェはそこへ赴いた。オーストリアにほど近いその地はオーストリア軍にそう遠くない未来に占領されるのは明らかで、イリリヤではそのための用意をして過ごしていればよかった。フーシェはそこでライプツィヒの戦いの顛末を聞くことになる。
ライプツィヒの戦いを結末とする第六次対仏同盟の戦いにおいて同盟国側は、軍事における天才ナポレオンの部隊を徹底的に避ける戦法を取った。ある意味ではナポレオンの天才を認め、敗北を認めたような戦法だったが、それは見事にあたり、勝利を得た。ナポレオンから指示を受けることに慣れきっていたナポレオンの部下たちは、思考的に硬直し、自分たちの判断で勝利することはできなくなっていた。また長く続いた戦争のためにベテラン指揮官たちを多く失い、臨時で高い地位についた軍人が多かったことも敗因だった。
最終的に全軍が入り混じって戦闘が行われたライプツィヒの戦いは、正しく数における敗北と呼ぶべきで、いかにナポレオンと言えど100万近い同盟国軍の戦力をさばき切ることはできず、敗北を認めて撤退した。撤退において追撃を受け、フランス軍は崩壊した。
ナポレオンを守る敗残兵たちをドイツ地方の各都市に置き去りにして、同盟国軍はパリへ進撃した。しかし、パリがたちまち占領されることはあり得なかった。パリには城塞もあり、また最後の部隊が防衛についていたからだ。加えて一直線にパリへ向かう同盟国軍は兵站が伸びることとなり、ナポレオンが直率軍で補給線を断ち切ることもあるいは可能だと考えた。事実、ライプツィヒ以降の各戦線、いわゆるフランス戦役においてもナポレオンの天才は発揮された。戦力差があっても局所的には勝利したのだ。国内ではフランス人が民兵と化して同盟国軍に襲いかかった事態もあった。たとえパリの外の軍隊が全滅しようとも、民衆に呼びかけ、パリの城塞を頼りに戦えばまだ一戦できると考えていた。
パリの城塞を守る部隊の指揮官は、軍におけるナポレオンの最も古い友人、マルモン元帥だった。しかし、彼ですら最終的にはナポレオンを裏切った。彼は数時間の戦闘の後に降伏してパリの城塞を明け渡したのだ。街を荒らされようとあくまで徹底抗戦すれば二、三ヶ月は耐えられただろう。加えて、パリが破壊されれば民衆も立ち上がる。そう考えていたナポレオンはマルモンを裏切り者だと罵った。
結局、ナポレオンはパリへ戻ることはできず、郊外のフォンテーヌブロー宮殿において、パリと同盟国軍の降伏文書を受け取った。パリは陥ちたのだ。パリでは臨時政府が発足し、その頂点にはタレーランが座った。彼を除いて、諸外国と渡り合える者はいなかった。ナポレオンはエルバ島の領主を命じられ、僅かな近衛兵を連れてそこへ去った。
一方で、フーシェは最後までナポレオンに振り回されていた。イリリヤの地がオーストリア軍によって占領されると、次はナポリへゆけと命令を受けた。それが済めばイタリアの別の地へ、そしてまた次の地へといった具合だ。最終的にアルプスを超えて遥か遠くまで行かされた。ナポレオンのフーシェに対する恐怖感はいよいよ度を越えたか、あるいは嫌がらせなのか、フーシェをパリへは行かせまいとする強い意思がそこにはあった。
ナポレオンからの指示が飛んでこなくなり、フーシェがようやくのことで帰国した時には、パリには同盟国の兵隊が満ちており、政府はタレーランの天下だった。何もかもが遅かった。タレーランはフランスにブルボン王家を呼び戻す算段をつけていた。無駄とは知りつつ猟官運動もしてみたが、どこへ行ってもフーシェのために口利きなどしてくれる者はいなかった。物事が一方へ傾くと、次の段階では逆の方向へ大きく振れる。タレーランが王族を呼び戻したからには、次の世は王政だ。パリが同盟国軍に占領された、血に飢えた野獣ナポレオンの手からフランスが解放されたと知ると、ブルボン家は喜び勇んでパリへ帰ってきた。ルイ16世の弟がルイ18世として王に選ばれると、いよいよ体制は固まったように思えた。フランスは絶対王政へと戻った。
王政の世になったからには、フーシェのために椅子を用意してくれる者はいなかった。実質的な指導者タレーランがフーシェを嫌っているとなればなおさらだ。王家の者の反応も見たく思い、フーシェは渡りをつけて話をしてみたが、王には当然会えず、面会にこぎつけた貴族の一人もフーシェをまるで野犬のようにすげなく追い払った。
自分たちは手を動かさず、イギリスと周囲の者たちに全てを任せ、一人でにパリへ戻ってきたような顔をして、もうフランスは自分たちの物だと無邪気に思っている。漏れ聞くところには、何もかも旧体制へ戻すという。民衆を存在しないがごとくに扱ってきた中世へ何もかもを戻し、革命の成果を打ち消しても、反発なども起きないと信じ切っているのだ。王家とは、尊大で、無自覚だ。フーシェは思いを新たにし、次なる道行きを定めた。次なる敵はブルボン家だ。改めて権力を保持、生き延びるためには、彼らの上に行き、頭を垂れさせる必要がある。しかし、彼らは愚かだ。王家の支配はそう長くないかもしれぬ。そうであれば、フーシェにもまたチャンスは巡ってくることだろう。
王政復古の世が来たからには、ジャコバンなどは生き残れるはずがない。ルイ18世を頂き、王党派が天下を取ったパリでは、白い服を着た伊達者たちが、ジャコバンと見ては棍棒で殴っていた。ロベスピエールが死んだ直後と同じ風向きだ。かつてジャコバンに属した者と知れれば、暗殺される危険さえある。フーシェもまたパリを出てフェリエールの居城へと引っ込んだ。王政が永遠であるならば、フーシェのいる場所はない。命を大切にするならばフランスから亡命するべきであった。しかし、フーシェは逃げ出さなかった。
あらゆるところを冷静に眺めれば、王政復古などは長続きしないと信じられたからである。確かにナポレオンは徴兵を繰り返し、軍事費のために臨時徴税を行い、改革で得た利益と同じくらい損失を出した。ナポレオンが気に入らなくなって放り出したとは言っても、革命の成果を何もかも打ち消しにするのは話が違う。ナポレオンに味方した政治家は放り出され、大陸軍の兵士は冷遇され、革命の折に分配された王家の土地は何もかも王家が取り返すと告知が出る。憲法は取り消しになった。
何もかも王の判断に委ねる旧体制そのままで政治がうまくいくはずもなく、これまでの不遇の対価と言わんばかりに、政府運営のための金が宮殿へ運び込まれると見るや、分配のためと称して、王家の者は全てをポケットに入れて持ち去ってしまうのだった。時には王家の者どうしで殴り合い、奪い合いが起こる有様で、諌めようとした政府の高官が王の衛兵に暴行を受ける有様だった。
ルイ18世はじめ王家の者、貴族たちは下々の者になど興味はなく、贅沢三昧を繰り返すことばかりを夢見ていた。何もかもが旧体制の時代へ戻るのだと心から信じていた。フランスへ呼び戻してくれたはずのタレーランにも恩を忘れつつあった。
さて、ブルボン家をフランスへ呼び戻し、ナポレオンはひとまず地中海に浮かぶエルバ島へ追放したものの、以後のヨーロッパ体制を定めるべく開かれたウィーン会議は遅々として進まなかった。乱暴者がいなくなったのだから、ようやく楽しむ余裕もできたと言わんばかりで、典雅なレセプションばかりが毎日繰り返された。ダンス、食事会、歓談ばかりで、その合間に少しばかりの議論が交わされるといった具合だ。フランスの高官や軍人よりも、様々な国の高官を見て、立身を得たいと願うフランスの若い女たちや、あるいは同じ願いを持った各国の女たちもウィーンに訪れていた。
フランスが得た領地をそれぞれの元領主へ返すというだけの話なら、いかにも簡単な話だろうが、ウィーン会議は外交の形をした領地の奪い合いだった。フランスが敗戦国だということは忘れ去られ、フランスが革命以後の土地を全て放り出すと決めているからには、フランスには道義的な負い目はない。各国が欲望を露わにするほど会議は混迷し、奇妙なことに、敗戦国の主であるはずのタレーランが支配することになった。
会議は各国の思惑が交錯していた。フランスから遠いロシアはどうにかどこかの領土を得て影響力を強めようとしていたし、オーストリアはナポレオンの妻と息子を擁しており、仮に置かれているブルボン家の代わりにそちらを立てる手も隠し持っている。イギリスは両大国の間に立って自らの利益を得ようとしているし、プロシアは正面からフランスと立ち会ったのだと成果を強調していた。表向きは華やかなパーティの裏で、大国たちは小国の外交大使へ呼びかけ、秘密の会談が無数に行われていた。
会議は踊る、されど進まず、とウィーン会議は評されている。ナポレオンを呼び込むための会議のようにさえ思えた。時は過ぎた。諸国の利害は噛み合わず、常に忙しくしていなければ気の済まないナポレオンはエルバ島の改革を行って喜んでいるが、今のパリの情勢を聞けば、脱出の意志を持つことだろう。
フーシェの耳にはあらゆる事柄が聞こえてくる。これらの情報を王や貴族たちに届け出れば、ナポレオンの希望を潰してしまうこともできるだろう。しかし、そのようなことをして何になる? 感謝も恩義も知らぬ王に媚を売ったところで得られるものはない。むしろ、ナポレオンを呼び込むことこそが待つべき時だった。しかし、それも更に次なる手を打つための準備に過ぎない。
ナポレオンを助けるのは何のためか。彼の栄光を永遠のものとし、その帝国樹立の礎石の一つたるためか。確かに天秤はナポレオンの側へ傾きつつあるようだ。しかし、再び王へと天秤は傾く時が来るだろう。ナポレオンが脱出して権力を再び握ったとて、ヨーロッパ全てに敵対されている状況は変わらない。加えて、ナポレオンの行うことと言えば戦争だ。ナポレオンが帰ってきたならば、再び徴兵と戦争が行われると民衆は思うことだろう。そのようなナポレオンには、民衆は従うことは難しい。結局は王政では国はまとまらぬ、ナポレオンや、あるいはまた新たな革命のイデオロギーが騒乱の形をして表れるぞ、という民衆の恣意行為としかならない。
フーシェがナポレオンを助けるのは、ある意味、裏切るために助けるのだ。王へ自分を売り込むための、よい捧げものとなってくれることだろう。むろん、情勢が全てそのように動くとは限らないから、打てる手は時々で変えてゆかねばならないが。フーシェは裏切り、迎えた相手を更に裏切り、先に裏切った相手を迎えるための準備に邁進した。この矛盾、このおかしみ、余人には理解できまい。
そのような後ろ暗い考えを抱え、パリにおいてスパイと交流し、印刷所に通っては新聞を作らせながら、フーシェは散歩やカフェへ行くことも忘れなかった。ナポレオンがいなくなってフーシェの監視は緩くなった。ジャコバンと知れれば危険だが、変装をして群衆に紛れるのはフーシェの得意事だ。他人から見れば、身なりのいい、年金ぐらしの老人にしか見えないことだろう。パリへ戻ることが可能となったからには、約束を守らなくてはならぬ約束もあった。フーシェはキャステラーヌ嬢と再会していた。
もっとも、彼女はフーシェを単なる好々爺としか考えていない。王と皇帝を相手取って、人間として卑劣極まる行いを企んでいるとは考えもしていない。そもそも、相手が元警察大臣にして元元老院議員であることも知らなかった。フーシェが偽名を使ったわけでも隠したわけでもなく、キャステラーヌ嬢は政治的に無知だった。
「皇帝陛下がいなくなって、フランスはどうなるのかしら」
「君はどう思う。皇帝陛下が好きかね。それとも、王の方が好みかね」
「さあ……。父は皇帝陛下が好きなようだし、お爺様は王様が帰ってきて喜んでるみたいだけど、私にはさっぱり」
若い者の普通の考えとしては、この程度かもしれない。都会と田舎では政治的な温度差もある。
「私が七つの時、皇帝陛下が戴冠なさって、村でもお祝いがあったわ。お爺さまは拗ねて部屋から出てこなくなっちゃったけど、私は父に促されて、皇帝陛下万歳を唱えたのよ。皇帝陛下は嫌いじゃなかったわ。陛下が来てからフランスは何もかも良くなったって、父はよく言ってたもの。でも、それじゃ、どうして追い出されなくちゃいけないのかしら。それに、革命で王様の時代は終わったんでしょう。王様が帰ってくるっていうのも変だわ」
「馬鹿げている、と思う?」
「わかんない」
パリにいては分からぬことだが、政治を知らず、興味もない人間はいる。むしろ、施政に文句を言い、あるいはごくたまに喜ぶ、その程度にしか関わらぬ人間の方がよほど多い。田舎であればその割合は多くなる。教養の差もある。地方においては、学問とは聖書を読むことでしかない土地もある。
パリでは少数の人間が物事を決めて、動かしている。そのギャップが悲劇を生むこともある。地方においては、王の帰還、皇帝の追放は、全く影響を及ぼさない地域もあるだろう。その地方の公務員がたちまち入れ替わるというわけではない。地方自治に滞りがあるとして、何もかもが変わってしまうことはありえない。遠くで何事かがあったらしい、という情報が来る。その事象が影響を及ぼす前に、時制は次の状況へ変わっている。
革命も帝政も、存在していないがごとく過ごしている者たちがいる。フーシェは時に虚無的になることがあるが、彼女のような人を前にしていると、その思いが強くなるような気分だった。皇帝も王も、自分のような政争に明け暮れる者も、何もかもが無意味のようだ。
「では、ナポレオンが帰ってきたらどう思うかね」
「さあ。それが良いことか、悪いことかもわからないわ。でも、帰ってくる、って言ってる人はたくさんいるわ」
そうだろうね、とフーシェは答えた。無邪気に王を信じてきたように、無邪気に皇帝を信じる者もいる。
ルイ18世と取り巻きのやりようを見るにつれ、民衆は再び王への愛想を尽かしてゆき、ウィーン会談の先行きもどうやら不透明だと知れると、いよいよ国民の不安感は高まった。そのような民衆の声が風評となり、王は嫌われ、再び皇帝が望まれている。
その声がエルバ島にまで届いた時、ナポレオンは即座に小領主の座を捨てた。島外に協力者を得て、秘密裏に準備を進めた彼は、自ら求めて茨の道を進むのである。しかし、ナポレオンのエルバ島脱出は、彼一人の意思ではないかもしれない。彼は本国で自分が望まれていると知り、また脱出が可能だと見たから実行したのだが、その状況ができたのは、各国の利害が一致した結果かもしれない。オーストリアがナポレオンの妻子を持ち出す用意があったように、ロシアはナポレオンを利用する計画があった。イギリスには、ナポレオンが再起しようものなら改めて打倒し、イギリスの優位を引き出し、ナポレオンを永遠に亡き者にする考えもあった。タレーランもその線で協調していた風向きもある。ナポレオンは密かに軍備を整え、物資をエルバ島へ持ち込んだが、イギリス海軍や、フランス人のスパイがその情報の全てを見逃すはずはない。ナポレオンの反乱は見逃された部分がある。フランスの内部でも、それを知っていた者はいる。タレーランもそうだし、フーシェもそうだった。タレーランが情報を知りながら王家にそれを教えなかったのは、自分が重んじられていないことを感じたためだろう。
ナポレオンがエルバ島を脱出、フランスの南へと上陸。パリへ向けて進行を開始。ナポレオンの動向はすぐさまフーシェの元へ入ってくる。しかしフーシェは日々と日常を過ごしていた。当然王に知らせることはしないし、すぐさまナポレオンの元へと身を投じることはない。ナポレオンが無事にパリへ入るまではのんびりと情勢を見ていればいい。
「それにしても、退屈ですわね。もっと面白いことが起きないものかしら」
「近いうちにまた面白いことが起きるよ」
ナポレオンがフランスの領内へ辿り着いた時、その周囲を囲むのは数百名の兵士に過ぎず、ナポレオン何するものぞと王族、貴族たちはさざめき笑った。ネイ元帥はかつてはナポレオンの忠実たる部下だったが、今は王の元についている。彼は国民にも兵にも人気があった。その彼がナポレオンなどは捕らえて、野獣の檻に入れてパリを引き回して見せましょうと胸を打ったのだから、何も心配することはなかった。
フランスに到着したナポレオンは、歓声をもって迎えられた。付いてくる元兵士や民衆を従えて、パリへと進撃した。ナポレオンの部隊と接触したネイ元帥の兵たちが見たものは、先頭に立つナポレオンの姿だった。兵たちが銃を構えようと、ナポレオンの歩みは止まらなかった。兵たちが崇めてきた皇帝そのものの姿、立ちふるまいであり、彼らにはナポレオンを撃つことはできなかった。ナポレオンが兵たちに語りかけると、兵たちは銃を捨ててその威光に従った。
ナポレオンとその信奉者たちは、一発の銃弾も撃たれることなくパリへ進んでゆく。彼がフランスへ上陸した当初は「裏切り者ナポレオン、フランスに上陸」「人食いの野獣がパリに来る」といった調子だったパリの新聞も、ナポレオンが来着する頃になると「パリの解放者来たる」「皇帝ナポレオンを皆で迎えよう」といった具合に変化していった。
新聞の見出しが変化するように、王とその取り巻きの態度も大きく変わった。ナポレオンの上陸を笑っていた王族たちも、ナポレオンの進撃がまったく妨げられず、軍が役に立たないのを見て、ようやく不安に思う者も出てきた。しかし、ナポレオン脱走当初の頃、新聞は変わらず王政に寄っていた。王はようやくフランスに帰れたのでパリを動きたくなかったし、ナポレオン一人の反乱程度どうにかなると考えていた。民衆の声を聞くこともなく、王政寄りの新聞を見て民意も王に向いていると思っていた。王はあらゆる事柄に鈍く、鷹揚で、緩慢だった。情勢が悪い方へ動いても、それが本当の危険だとは思わなかった。彼らが慌てだしたのは、ナポレオンがネイ元帥と彼の部隊を連れ、パリ近郊へ表れてからだった。しかし、状況がそれほど悪化しても、ただ騒ぎ立てるだけで、有効な手を打つこともなかった。
フーシェに呼び出しがかかったのはそのような時だった。王は泡を食って逃げ出すのみだと考えていたフーシェの予想は少々裏切られた。溺れるものは藁をも掴むとは言ったもので、王がフーシェに頼るというのはいかにも恥知らずの行いだ。いまやナポレオンに直接対峙できる人材と言えばタレーランくらいしかおらず、彼は遠くウィーンにいる。王はぎりぎりになって、いよいよフーシェの名前を思い出したのだ。フーシェは内心快くはなかった。気持ちよく応じられるはずがない。猟官をしたときには冷たく放り出し、それを必要とあれば喜んで従うだろうと思いこんでいるのだ。
それも、王の使いはの言い分はいかにも尊大で、王に命じられれば名誉とばかりに喜んでくるだろうと思っている。慌てぶりはおかしくはあったが、通り一辺の慌て方に過ぎず、怒りと威厳を同居させようとするような、ナポレオンのような滑稽さはなかった。それで、フーシェは乗らなかった。このような老骨には、と断りを入れるのみで、王族の者とはろくろく話もしなかった。
王は怒った。王にとっては二重の裏切りだ。革命時代のことを水に流し、使ってやろうというのに応じないばかりか、このような緊急事態に身を隠しているのは、ナポレオンに通じている証拠だと言わんばかりだった。ナポレオンであれば、フーシェの逮捕を命じなかっただろう。逮捕できないばかりか、恨みを買う愚かさを知っているからだ。そうした分別のない王は、フーシェの元へ警察を差し向けた。
キャステラーヌ嬢は近頃、毎日のようにパリへと通ってくる。パリへ訪れる日を前もって手紙で知らせることもあれば、出さずに来ることもある。親切なことに、フーシェ閣下のお嬢さん、と密偵どもは勘違いをし、パリ城門にいる衛兵が彼女を見かけると、こっそりとフーシェに通報してくる。公園へ散歩にゆくと、彼女はそこで待っている。
「ご家族は何も言わないのかね」
「お爺さまは喜んでくれます。王様がいるからパリへ行くって言ったら」
「父親は反対するだろう」
「近頃はめっきり元気がなくなったから。私が勝手をしても何も言わないわ。それに、パリの話をしたら喜んでくれるのよ。ナポレオンが帰ってくることを望んでる人もいる、って。新聞も持って帰ったら珍しがってくれるし。それに、ナポレオンは帰ってくるんでしょう。それを聞いたら喜ぶわ」
どうやら、都会と地方の差はここでも表れているようだった。地方、特に北部ではナポレオンが帰ってきたなど、噂程度にしか知らないに違いない。歓談する二人の元へ、ぼろいコートを来た壮年の男が歩み寄り、言葉をかけた。「あんたたち、新聞がほしいのかい」フーシェが小銭を渡すと、そこらの道端で拾ったのであろう紙切れをよこし、立ち去った。紙切れは古い新聞だ。落書きがしてあった。『犬が動く』
フーシェはそれをじっと見、目を閉じると、考えを巡らせた。
「なんですの、それ」
「新聞だ。お父上に持っていってあげるといい」
犬とは警察のことだ。警察にはフーシェの部下が多くいる。王の命令とは言え、動けるはずもなかった。逮捕する気もなければ、それが不可能だと知っている。しかし一方で、風向きが王家の方にある以上、そちらに肩入れして出世を望む者もおり、フーシェの怖さを知らない者もいる。王の方でもフーシェが逮捕されないことに怒っていた。いよいよナポレオンが迫っているというのに、ナポレオンに加担しようとするフーシェは生かしてはおけない。脱出の前に奴を逮捕しろと、強硬に命令を出したのだ。となれば、フーシェのするべきことは決まっている。ダンスを踊ってみせるだけでいい。
「しかし、その新聞は古い日付のものだ。それに、汚れている。どこの浮浪者が持ってきたともしれない新聞を父上に届けることはない。あとで、今日付けの新聞を買ってあげよう」
それを眺めていたキャステラーヌ嬢より新聞を受け取ったフーシェは、それに何事かを書き付けた。そして、それをベンチへ放り出すと、立ち上がった。
「今日はこのくらいで帰ることにしよう、お嬢さん。広場まで送ってあげよう。新聞を買うついでにね。そこで馬車を拾うといい」
二人が去ると、周囲で見張っていた密偵が集まってきて、その書き付けを見た。『サン・トノレ通りで』と書かれていた。そこが会場だ。密偵たちは警察へ働きかけ、手先をそこへ呼び寄せることだろう。
公園を出ると、フーシェつきの馬車が待っていた。フーシェの姿に気づいた御者がうやうやしく扉を開き、主人を迎え入れた。キャステラーヌ嬢は、フーシェの思わぬ行動に声をあげた。
「えっ! ダメよ、フーシェさん」
それをフーシェの馬車とは思わなかったようだった。フーシェは馬車へ乗ると、彼女を手招きした。彼女は驚き、フーシェを止めようとしたが、御者は止めようともしないし、戸惑っているのはキャステラーヌ嬢一人だと気づくと、おとなしくフーシェに従った。彼女が乗り込むと、御者は扉を閉ざし、馬車は動き出した。
「このような馬車を持ってらっしゃったのですか」
「成り行きでね」
そのように言われてもキャステラーヌ嬢には理解できなかったことだろう。この馬車は見るからに高級品だ。成り行きでまるで王様か貴族のような振る舞いができるものだろうか。フーシェは道々、窓から顔を覗かせ、馬車は緩やかに走らせた。誰が乗っているのかと興味深げに覗き込む人たちに、会釈を返してみせた。ものをよく知る者たちはジョゼフ・フーシェだ、フーシェ閣下だ、と囁いた。キャステラーヌ嬢は馬車の内装に驚いていた。臙脂色の絨毯張りで、柱などにも飾りがついていて、いつも田舎と町を往復している辻馬車などとは全く違った。辻馬車と来たら固い木の椅子だし、乗り合いで誰とも知らぬ者が横に乗っているし、道が良かろうが悪かろうががたがた揺れて……そう言えばこの馬車は揺れも少ない。ばねがついているのか、車輪に工夫があるのかしら? それで、キャステラーヌ嬢は、この人はもしかしたらお金持ちかもしれない、と考え始めていた。
「止まれ! 止まりなさい!」
キャステラーヌ嬢は驚き、体を震わせた。「落ち着きなさい。心配はいらないよ」とフーシェは一声をかけた。馬車が止まると、声の主は窓側へ回り、顔を確かめた。長帽子を被った警官がフーシェの顔を確かめた。
「フーシェ閣下ですな。あなたを逮捕します。同行をお願いしたい」
乱暴なことだ。自分の思い通りにならぬと見るや警察を送り込む。このような王の専制ぶりには、怒るよりもつまらなく感じてしまう。まるでおとぎ話のような王様ぶりだ。付き合って踊るにも楽しみがない。
「元老院にて議員だった立場の者を、そこらの泥棒を捕まえるようにするつもりかね」
続けて、御者に向けて「構わなくていい。行け」と命じた。呆気にとられる警官を横目に、馬車は走り去った。「あなたは、どのような人なんですか」キャステラーヌ嬢は驚くほかはない。
「このようなところへ連れてきてしまってすまない」
成り行き上、キャステラーヌ嬢はフーシェに同道した。フーシェの館へと連れてきてしまったのだ。「お構いなく」とキャステラーヌ嬢は答えた。そのようなことはどうでもよさそうな面持ちだ。キャステラーヌ嬢は自分がこのようなところにいることが信じられないようだった。
「まるで王様かお姫様のお住まいみたいだわ」
かつてはパリで一番の金持ちと呼ばれたフーシェの館は、いかにも華美な佇まいをしている。フーシェには特段こだわりといったものはないから、所詮は商人が言うままの装飾で、金はかかっているが、美的センスで言えばそれなりでしかない。こだわりの強いタレーランなどにすれば『成り上がりの田舎者らしい』館だと見ることだろう。フーシェにとっては家などは雨風がしのげればいい。妻が喜ぶならば飾りもしようし、花も毎日新しいものへ変えさせたものだが、その喜ばせるべき妻ももういない。
「私も村では一番大きな家に住んでいるつもりだったけど、全然大違いだわ。フーシェさんったら、どうしてこんな家に住んでいると教えてくださらなかったの」
「教えるほどのことでもないと思ったんだよ。それに、色々と面倒を持ち込まれても困るからね」
「あら! 私が面倒を持ち込むと思ってらっしゃったの。私を家へ連れ込んでおいて、そのような言い方をなさるなんて。失礼な方」
「それについては、本当に申し訳ない」
それより、とキャステラーヌ嬢は言った。
「さっきの方はいいのですか。警察のようでしたけど」
「まあ、問題はないでしょう。ちょっとじゃれてみせただけのことだから」
ちょっとじゃれただけって、そんな猫かなにかのように。王様の手下を払いのけるなんて、まるでこの方は本当に王様じゃないかしら。フーシェというのは偽名?
「行きがかり上とは言え、すまないことをしたね。すぐに帰る手配をさせよう。埋め合わせは後ほど」
「すぐに帰るなんて、もったいない。フーシェさんが埋め合わせをしてくださるのなら、もう少しここにいさせていただきたいわ。カップやお皿なんかも見たいし、こんなところでお茶を飲んだら、本当のお姫様みたいな気分になれそう」
「お嬢さんのお好きに。執事にお茶の用意をさせよう。したいことがあれば、執事に言うといい」
フーシェが呼ぶまでもなく、執事は足音もなく寄ってきた。君、と呼びかけるより先に、執事はフーシェに紙片をそっと渡した。『犬、親分、長い』と走り書きで書かれている。犬は警察、親分は長官、長いは長物、つまり武器の意だ。やれやれ、のんびりお茶を飲んでいる場合でもなくなった。
ナポレオンと彼の部隊は、フランス軍と民衆を吸収し、いよいよ膨れ上がっている。やはりナポレオンとは特別な存在だと、王と貴族たちは思わずにはいられなかっただろう。ナポレオンがパリへ入城を果たしたとすれば、またもや反動が巻き起こる。ナポレオン自身が望まずとも怒れる民衆によってギロチン台の前へ引き出されるかもしれない。王と貴族たちはパリ脱出の用意を急いでいた。
一方で、ナポレオン主義者たちを残しておけば混乱の種になる。彼らの逮捕、あるいは監禁も盛んに行われていた。しかし、警察や軍にもやる気はなかった。彼らは民衆の気分を敏感に察知する。革命の時には彼らは民衆の側へ回ったし、強硬に事を行えば群衆から反撃をくらい、殺されてしまうこともある。
脱出のために慌てていると言っても、王自身が荷造りをし、駆け回って指示をするわけでもない。彼はまたパリを出なければならないことに苛立ち、話相手の貴族を相手に愚痴を言うだけだ。そのような時でも様々な報告やお伺いは来るが、ほとんどは興味を示さなかった。唯一、ジョゼフ・フーシェの逮捕に失敗したと報告を受けた時、彼は怒気を見せた。
「奴め。国王処刑に賛成票を入れたというやつの生き残り。警察庁の長官を呼び給え。直々に叱責する。奴だけは残しては行けぬ」
フーシェのことも、王は知らなかった。しかし、ナポレオンに向き合える数少ない人物だと聞いたからには、その影響力について考えざるを得ない。憎き革命、憎きジャコバンの輩、殺しても飽きたらぬ国王弑逆者。しかし立場を失った市政の一市民となればさほど興味もなかったが、情勢が変わればそうも言ってられない。警察庁長官を呼び寄せた王はフーシェの逮捕を厳命した。兵を使ってでも引きずってくること、それができないならば免職、逮捕する、と告げた。悪いことに、王の衛兵を使ってもよい、今から兵を連れて行くのだと王が思いついてしまった。断ったり躊躇えばその場で長官自身が逮捕される。幸いなことに、長官はフーシェがどこに逃げたかは知っている。
フーシェの執務室には、誰も入れたことがなかった。彼の警察時代の部下や、密偵でさえも入ったことはない。正邪がこっそりと入り込んだことはあれど、奴は人数には入っていない。フーシェはキャステラーヌ嬢を招き入れると、隠し扉を開き、重要度の高い機密をそこへ隠した。
「何? 何ですか、これ」
「説明している時間はない。君、はしごを使ったことはあるかね」
「はしご?」
乱暴なノックの音が、キャステラーヌ嬢の言葉を遮った。「ご主人さま! 警察の方が、いきなり……」執事が払いのけられ、警察庁長官が扉を開けた。
「お前たちは入るな」長官が兵に命じる。「フーシェ閣下。国王陛下より逮捕の命令が下っております。こちらに逮捕状も用意しております。従っていただけますな?」
「拝見させていただきます」
フーシェはことさら丁寧に、逮捕状を受け取った。じっくりと眺め、間違いなく王の署名も入っていることを確かめた。
「近頃は、教育もなっていない者も多く……先ほども呼び止められましたが、新たな泥棒の手口かと思いましたよ。しかし、このような逮捕状もあれば間違いはない。もちろん、おとなしく従います。しかし、済ませておらぬちょっとした用事がございます。済ませてから皆様に同道いたしますので、どうか皆様には、隣の客間へ掛けてお待ちいただければ」
「フーシェ閣下は、どうやら世間の噂とは違った方ですな。王への尊敬を持ち合わせていらっしゃる」これはフーシェと言うより、後ろに立つ兵へ向けた言葉のようだった。「諸君、閣下はこのように言っておられる。閣下が用意なされるまで隣室で待て」
彼らが廊下を行こうとするのを、フーシェは長官の肩に触れて長官だけを止め、気付かれぬよう耳打ちした。「君も、王がいなくなるまで逃げたまえ」長官は何も気付かなかったように兵について行き、隣室に消えた。フーシェは扉を閉じ、キャステラーヌ嬢に向き直った。声を潜め、彼女に呼びかける。
「さて、逃げなければならない。はしごは使えるかね」
「使えるかも何も……何がどうなっているのか……」
「彼らはナポレオンほど分別がない。ここに残っていれば逮捕される。いよいよもって、連れてきてしまったのはまずかったな。はしごを使えないなら、隠し扉を開けてあげる。隠れていれば、彼らがいなくなった頃合いを見て逃げられるだろう」
フーシェは言いながらも、手を休めてはいなかった。窓際に取り付くと、カーテンの裏に隠された縄梯子を取り出し、窓の外へかけた。体重をかけても不安がないことは分かっているが、それでも緊張感がある。
「さあ、来たまえ。試したことがないなら、一緒にやってみようじゃないか。実を言うと、私も使ってみたことはないんだ」
「それじゃ、危ないじゃありませんか」
「かもしれないな。だけど、残っているのはもっと危ない。何、ロベスピエールの奴に狙われた時を思えばこれしきの事。ナポレオンに暗殺者を差し向けられたこともあるしな」
「あなた、いよいよどういう人なんですか。ロベスピエールって誰です」キャステラーヌ嬢は窓から顔を乗り出した。「これじゃ、下の人から見えてしまいます」
「それじゃ、君が先に行くんだ」
彼女は意を決し、縄梯子を掴み、後ろ向きになって下りていった。こわごわ、下を覗き、足元を確かめながら進んでゆく。彼女が下に着いたのを見計らって、フーシェは縄梯子に乗った。
体重のかかる場所がなく、足元が固定されていない不安感が常にあった。下ろすべき足場を探して足を上下させ、ほんの少しの感触を頼りに足をかけ、一歩ずつ下りてゆく。下から眺めているキャステラーヌ嬢ははらはらしていることだろう。まったく、五十も半ばになって、どうしてこのようなことになる。ようやくのことで下へ降りると、フーシェは彼女の手を引いて隣の庭園へ侵入した。
「フーシェさんって、密偵か何かなのかしら。人畜無害そうな顔をして、こんなに危ない人だったなんて」
「密偵というのは、平凡な顔の方が向いているんだろうな。それにしても君は、危ない目にあっているというのに、元気だな」
「ええ。まるでお話みたいだわ。そう、お父様の友達が歌いながら話してくれた、勇者様の冒険譚みたい……」
「そんなに元気なら、通りを覗いて、そこに馬車が止まっていないか見てくれないかな。執事の頭が回るなら、そこに馬車を回してくれているはずだ」
庭園の中を急いで抜けたせいで、フーシェは息が上がっていた。キャステラーヌ嬢はまだまだ元気だ。フーシェが扉を開けると、言われた通りに彼女は偵察のため外へ出た。すぐに彼女は戻ってきて、フーシェに「大丈夫よ」と告げた。フーシェは彼女に伴われて馬車へ乗り込み、それから隠れ家へ消えていった。状況が変わらないのであれば、再び警察が来るだろう。しかし、今度の逃亡は長いことにはなるまい。
一方で、フーシェの館にて待たされている長官と兵たちは、あまりにも時間がかかりすぎることに気がついた。それで、執務室へ踏み込んでみるとそこには影も形もなく、窓際で縄梯子が吊るされて揺れているだけだった。長官もフーシェの意図には気づいていたから、報告をすると言って一人で消えてしまい、兵たちは王へありのまま告げるしかなかった。
「縄梯子で逃げただと。私と同じくらいの老人が」
王は思わず笑いだしてしまった。あまりにも荒唐無稽な話だったのだ。老人が、それもあのような立場にいる者が、まるで悪戯小僧のように逃げ出すではないか。オペラか何かの話のようだ。
「陛下、お早く」
堪えきれぬように笑っている王を、別の者が急かした。いよいよナポレオンの部下と見える騎兵がパリへ現れたのだ。軍は当てにならず、パリを離れる時が来ていた。
「ナポレオンめ。それに、フーシェめ。連中にはもっと厳しい対処が必要だったな。次にパリに戻ってきた時には、ただではおかないぞ」
王家の者たち、追随する貴族たちは、ベルギーのヘントへ逃亡し、ナポレオンの百日天下の間、そこで亡命生活を送ることになる。フーシェの予測していた通り、情勢はフーシェを追求しているどころではなくなった。ナポレオンが帰還するとともに、王政はまたもや追われ、帝政が再び始まるのだ。
王の相手をするのは子供をあしらうように簡単だったが、ナポレオン相手ではそうはいかない。ナポレオン自身が敢えて苦難を求めるように、フーシェもまた自ら苦難へと飛び込まなければならない。しかし、ナポレオンは栄光のためだが、フーシェは何のために自ら苦労を求めるのか? かつて革命に参加したのも、今ナポレオンに協力するのも、フランスのため、愛国心のためと言えば簡単だ。しかし、フーシェを動かしている本当のところは、そのようなものではない。
「フーシェさん、次はどのようなことで私を楽しませてくれるんです?」
今はこの子のため、と言うならば、これ以上に馬鹿げたことはないだろう。娘は逃げてきた格好のままでベッドに身を放り出し、うつ伏せで足をぱたぱたと揺らしている。
「ナポレオンを見に行くかい」
「ナポレオン? 皇帝陛下? 見られるのですか?」
「物見高い連中は、宮殿を囲んでいる。そこに紛れているといい。私が思うに、ナポレオンは今夜のうちに帰ってくるだろう」
この人は色んなことをなんでも知っている、とキャステラーヌ嬢は思った。
1815年の3月20日の真夜中、宮殿には人だかりができていた。王がいなくなったと知れるや、ナポレオンがいよいよ帰ってくるのだと期待し、集まってきたのだ。人の持つ見えないエネルギー、イデオロギーの力というものがそこにはあった。革命のありし日にバスティーユを襲撃したのも、これと同じ力だったことだろう。
宮殿の内部には、ナポレオンの寵を受けて出世、あるいは金儲けをし、王政の元で冷遇された者たちが集まっていた。宮殿の外側では、王の時代になって罷免され立場を失った軍人が集まり、勝手に警備体制を敷いていた。革命の最盛期には寺院や宮殿は群衆が入り混じって荒らし回り、勝手に宝物や美術品を持ち帰り、時には火を出すなどもあったが、この時はそれほどの荒れようはなかった。
そして、夜の闇の中、先触れとも思える騎馬隊が宮殿へ駆けてきた。彼らは宮殿前の兵士たちを押しのけ、群衆にも離れるよう指示して回った。このような物々しさに敏感な者たちは何かを感じ取り、来るべき時を待った。やがて、一台の馬車が警備の兵に伴われて来着し、宮殿の前で一人の男を下ろした。皇帝万歳の叫びが、群衆の間で繰り返された。
市民たちが、一度は王の帰還に喝采を送ったことを知っている。道々で、新聞も見た。一時は人殺しの野獣と呼び、一転してその意気軒昂なることを知ると、皇帝ナポレオン、パリの解放者と持ち上げた。ここへ来て、皇帝万歳を叫ぶ民衆たちも、次の支配者にも同じように喝采を送るだろう。1814年4月に追放されたナポレオンが1815年3月に見たのは、そのようなフランスの民衆の姿だった。
しかし、ナポレオンはそれに怒ることはなかった。民衆の気分が変わりやすいのは分かっている。新聞にしろ、民衆が喜ぶことを書きたて、煽り立てた者がいるのだ。民衆には罪はない。ただ、気分が変わりやすいというだけだ。しかし、何もかもが元通りとは行かなかった。時勢は王にはなく、ナポレオンの側に風は吹いているが、一時の勢いだということは分かっている。再び対仏同盟は組まれ、軍勢はパリへ押し寄せることだろう。ナポレオンならばどうにかしてくれる、と神頼みのような気持ちで彼を頼るのは少数派と言うほかなかった。
宮殿で夜通しナポレオンを待っていた者たちの中にも、明日以降訪れる者たちも、大物と呼ばれるような実力者はいなかった。顔を背け、ナポレオンに従わぬ者も多かったのだ。再びナポレオンに忠誠を誓った者にしても、一度は王政に頭を垂れたわけで、心より信頼できる者は限りなく少なかった。軍人では、ナポレオン麾下の元帥のうちでただ一人王政に従わなかったダヴー元帥、身内では、ジョゼフィーヌの子、ウジェーヌとオルタンスだけが信じられる者ではなかっただろうか。前妻ジョゼフィーヌはナポレオンがエルバ島へ流された後に亡くなっている。妻マリー・ルイーズはオーストリアに連れ帰られており、メッテルニヒに別の男をあてがわれ、ナポレオンを忘れるよう取り計らわれていた。
信じられる者は少なく、軍に力はなく、ヨーロッパはナポレオンを憎んでいる。しかし、ナポレオンにとっては窮地はいつものことだ。いかに対仏同盟軍が強大であろうと、各個撃破すれば撃退できないことはない。99%が負けと決まっていても、1%の可能性があるならば、ナポレオンは常にそちらへ賭ける人間だった。軍を掌握し、勝つならば、権力を握ることができる。軍にも政府にも実力者がいないならば、政府の要職についた頃のように、見出し育ててゆけばいい。王政が支配するよりも、フランスを良い方向へ導いてゆくことができる。そのためにパリへ戻る方へ踏み出し、そして戻ってくることに成功したのだ。
ナポレオンが宮殿へ帰り着くとすぐに、宮殿へまた一人、彼の元へ参上する者がいた。宮殿の見張りの者が、ナポレオンや宮殿内の者へ向けて、来客者の名前を告げた。
「ジョゼフ・フーシェ閣下が来着されました」
名前が呼ばれた瞬間、ナポレオンは硬直したような無表情を張り付かせた。政治的な判断と言うべきだろう。苦い顔や、暴言を吐くことも、状況が許さなかった。
全くもってフーシェらしいタイミングだと言うべきだろう。ナポレオンが確実に着いた瞬間を見計らっている。しかも、フーシェはナポレオンの心中を見抜ききっている。ナポレオンに嫌われておりながら、このようにぬけぬけと、薄ら笑いすら浮かべてやってくる。
フーシェを追放すればあからさまに敵の側に回るに決まっている。議会に手を回して、ナポレオンを迎えぬことを決議するかもしれない。かといって、逮捕、処刑してしまえば、ジャコバン派の反感を生み、政府運営に暗い影を落とす。ナポレオンはフーシェを迎え、使わざるをえない。それが分かっていてこうしてやってくるのだ。そうでなくとも、彼の能力は惜しい。フーシェが裏切り者でなければ、このように迷うこともないのだが。しかしフーシェの名と裏切り者という称号は分かちがたく結びついている。裏切り者ではないフーシェはありえない。
ナポレオンは自らフーシェを迎えるために、宮殿の入り口へ向かって進んでいった。そして、フーシェと顔を合わせると、笑顔を見せて手を握った。ナポレオンとフーシェは奇妙なことに、またもや結びつきを得たのだ。彼らは反目し合いながらも、互いに互いを突き放すことはできなかった。
フーシェを迎えるのは、自ら毒を飲むのと同じことだ。しかし、負ければ死ぬのは同じことだ。勝つことだ、と割り切ったではないか。来たるべき対仏同盟軍との争いに勝つならば、政治的にも生き延びる目ができ、フーシェという毒も除く時が来るだろう。
ナポレオンは民衆の歓呼とともに迎えられた。しかし、政府、特に議会の態度は冷たかった。皇帝の退位はタレーランを主とする勢力が決めたこととは言え、議会を通過、承認したことで、皇帝自身も退位書にサインしたではないか。民衆が喝采したとて、勝手に反故にし、帰ってきたのを素直に認めるわけにはいかなかった。政府の言う筋は通っている。
ナポレオンの方でも、意地を張ろうというつもりはなかった。ナポレオン帰還の混乱が落ち着くと、ナポレオンは自由主義的な新憲法を発布し、人心を掴みにかかった。皇帝の権力を縮小し、議会の権力を大きくしたことで、これまでのような皇帝独裁をするつもりはないと示したのだ。しかし、議会の解散権は皇帝が握っている。
「結局のところ、ナポレオンはまだ戦争を続ける気さ」と、フーシェは友人たちにうそぶいた。「ナポレオンからすれば、敵国が来るのだから仕方がない、と言うだろう。しかし、同盟国軍が敵としているのはナポレオン一人ではないかね。彼さえいなくなれば、平和が戻るのだ。我々に必要なのは、王でも皇帝でもなく、憲法と新体制ではないかね」
エルバ島脱出からワーテルローの戦いに至るまでのナポレオン体制、いわゆる百日天下は、結局のところ、ナポレオンの意志で動いているものではなかった。議会に大幅な譲歩を行わねば帝位に昇ることもおぼつかない代物だった。
政府の中枢にはカンバセレスが法務大臣、カルノーが内務大臣、コランクールが外務大臣に座った。カンバセレスは有能だが、政治的能力には乏しく、ナポレオンに逆らわないことだけで政府で生き延びてきた。カルノーはこれ以上ない愛国者にして甲骨の士、革命に忠実だが、権謀術数を嫌悪し、自ら遠ざけている。コランクールは勤勉だがナポレオンに対し反論はしても、最終的にはイエスと答えざるを得ない男だ。彼らは揃って律儀者で、正義というものを信じている。ナポレオン、あるいは彼が庇護する革命がその正義であると信じて働いた。しかし、世間は正義だけでは動かず、移ろいやすいパワーバランスで成り立っていて、議会、ひいては民衆の操り方を知らなかった。百日天下の首脳陣で、フーシェに勝る謀略の持ち主はいなかった。ダヴーが陸軍大臣に任命されたのは、フーシェの見張り主として配置されたのかもしれない。しかし、スパイの扱いについて、三十年の長があるフーシェの陰謀を全て察知することはできない。
国内においてのみならず、国外においても、フーシェは影響力を保っていた。諸外国の君主たちはナポレオン及び彼の子飼いの部下とは交渉をせず、交渉のパイプをフーシェ一本に絞った。ナポレオンからの通使と知れればたちまち捕縛され牢屋行き、皇帝直筆の手紙が開封もされずに打ち捨てられた一方で、フーシェの密使は恭しく出迎えられ、手紙は皇帝が直接読むというような扱われ方をしたのである。ナポレオンのような約束の通じない相手と話をするよりも、理性的なフーシェの方が利益のある話をできるのだ。それに、フーシェはタレーランと同じような魂の持ち主だったから、相手が欲しがっている情報を敏感に察することができ、また祖国の情報を売り渡すことにもためらいを持たなかった。この時代の外交に必要な相互利益、外交官個人にとっての儲けについても気を遣ったから、外交官も下にはおかなかった。そして、特にオーストリア筋にとっては、タレーランもフーシェを外交官として選ぶよう、耳打ちをしたかもしれぬ。破れかぶれになっても我を通すナポレオンより、権力のバランスを見て、どちらにつくべきかを決めるフーシェの方が、争いもなく、自然にフランスを明け渡すと期待したのだ。フーシェを立て、一方でフーシェを利用しようとした。フーシェの側でもタレーランに笑顔を見せてやることで、オーストリアとスムーズに話ができて、有利なことを利用している。
それは政府の重鎮、あるいは民衆も期待したことであった。ナポレオン自身の、ポーズであれ強気の姿勢を保って、相手を威嚇するようなやり方では、これほど長く打ち続く戦争の果てに、またもや徴兵と戦禍をもたらすのかとくたびれるばかりだ。フーシェならばもっと穏健な、理性のあるやり方で話を通してくれるのではないか、彼の裏の情報をもってすれば、オーストリア皇帝や、ロシア皇帝の秘密を握って、あるいは交渉をうまい方向へ持っていってくれるのではないかと期待したのである。
何より、フーシェは、ナポレオンの他に誰も持たぬもの、具体的な将来のビジョンを持ち合わせていた。ナポレオンのビジョンは、ヨーロッパがあくまでもナポレオンを排除し、革命を反故にして王政を復活させ、軍をフランス領内へ進めるならば、最終的には武力で決着をつけるというものである。彼の元へ集った者たちは、とにかく革命を維持するというほかは何も信じなかった。
フーシェは大っぴらに言葉にしないまでも、一つの事柄で諸外国と志を同じにしていた……ともあれ、フランスからナポレオンを追い出そう、という一点である。そのビジョンを、パリ市内でも同じ志の者とは共有し、ナポレオンなどはやがて自滅するから、反ナポレオンのキャンペーンなど行って変に人心を惑わすなと、王党派を戒めた。ジャコバンも王党派も、ひとまずナポレオンを追い出すということでは一致していた。仮にナポレオンがフーシェの逮捕を命じる、あるいは親ナポレオンのグループを使ってフーシェ暗殺の命を出す、そうすると次の夜にはナポレオンは牢獄に入っていることだろう。もはや、フーシェの腕の方がナポレオンより早く動くのだ。またぞろヴァンデ地方で強烈な革命アレルギーが発生し、大規模な内乱に発展しそうな動きがあった。ナポレオンがヴァンデ地方の反乱は断固鎮圧すると声明を出すと大いに反発したが、「君たちが立ち上がり、国民同士で殺し合うよりも、ナポレオンは一年のうちにいなくなる、それを待ってから立ち上がっても悪くはあるまい」とフーシェが言葉を送ったところ、反乱は静まったのである。
もはや国内においても、ナポレオンよりもフーシェの方を重く見ていた。ナポレオンは確かに偉大だが、かつてのナポレオンと今のナポレオンはすっかり違ってしまっている。そのことを国民も理解し始めていた。彼の味方は戦場しかなかった。しかし、その戦場も彼を裏切り始めていた。
「最後の瞬間において、ナポレオンは自らを裏切ることになるだろう」フーシェは、そのようにもうそぶいた。幾度も裏切りのタイミングを計り続けた男の言葉は、奇妙なほどに未来と合致した。
ヨーロッパの動きは、ウィーン会議が一年の歳月をかけても終わらなかった鈍さに比べ、驚くほどに早かった。反ナポレオンで結論は一致し、1815年6月はじめにウィーン会議は閉会した。諸国の君主たちは国へ戻ると軍備を始めた。コランクールに外交努力を行わせ、できる限りの時間稼ぎをし、ナポレオンもまた軍備を整えた。幾度も搾り取った末にまたもや徴兵を行い、事情があって軍を除隊された者を呼び戻し、ドイツ、オーストリア方面、あるいはスペイン方面から呼び戻された軍を寄せ集めて、どうにか二十万の兵を集めて軍団を作った。対する同盟国軍は全てを合わせれば百万人を越える。それらの結集を待てば、すり潰されるのは目に見えている。
二十万のうち八万をイタリア、オーストリア、スペインに面した国境へ配置すると、十二万を率いて北へ向かった。第一の標的はイギリス、オランダの連合軍十一万である。すぐ西には十二万のプロシア軍が迫っているため、合流前に叩く作戦だった。
ワーテルローの前哨戦たるリニーの戦いにおいて、ナポレオンはイギリス軍に勝利した。新調兵、経験の少ない軍団長、馬や砲などの少ない貧弱な装備、加えて最終的には十倍近い敵軍がいるという心理的状況においても、ナポレオンの天才は発揮された。しかし、同時刻カトル・ブラの戦いにおいてネイ元帥は敵軍の撃破に手間取っており、彼の部隊との合流、追撃には失敗した。この戦いでイギリス軍の追撃に成功し、撃破できていれば、ワーテルローの戦いはなかったとも言われている。合流を急ぐイギリス軍及びプロシア軍は一晩の時間を得た。
ナポレオンにもいよいよ運が尽きてきたようだった。このような状況になると、アウステルリッツでは味方をしてくれた天候でさえ、敵に回るらしい。夜半には雨が降り、街道はぬかるみで通れなくなった。歩兵の進軍はもちろんのこと、ナポレオンの用兵には必須の、砲の素早い運用が不可能になる。ナポレオンは時間が惜しいことを分かったうえで、進軍を昼過ぎまで控えた。プロシア軍がいると予想される方向にはグルーシー元帥率いる一軍を送っている。時間を稼いでくれるだろうと期待していたのだ。この際、偵察は不十分で、プロシア軍の位置も正確には掴めていなかった。軍団の長としては優れていたスルト元帥も、参謀長という職務には不向きだった。ナポレオンの側にも問題はある。ナポレオンの命令は時に理解の難しいところがあり、ナポレオンの参謀長にはそれを独自に解釈する能力が必要だった。ナポレオンは後年セントヘレナにおいて、ベルティエ参謀長の不在を悔いた。
戦闘の序盤においてはフランス軍が優勢になった。しかしこれは、イギリス軍がプロシア軍の来着を待っており、時間を稼ぐために守勢を取ったのに対し、フランス軍は素早く決着をつける必要があったからだ。イギリス軍の銃兵は方陣を組み、フランス軍の騎兵突撃を幾度も跳ね返した。砲兵における支援が追いつかず、騎兵突撃は完璧な形にはならなかった。ナポレオンはグルーシー元帥に対し戦場へ引き返すよう命令書を送ったが、彼が命令書を受け取った時には、ワーテルローから二十キロ先にいた。彼はワーテルローの戦場で打ち合っている大砲や銃声を聞いたが、皇帝陛下からの命令を違えるわけにはいかぬと、プロイセン軍がいるであろう地点へ進軍を続けていたのである。グルーシー元帥の実直さによって、彼に率いられた三万のフランス兵はワーテルローの戦いに参戦できなかった。マレンゴの戦いにおけるドゼー将軍の振る舞いとは真逆の行いである。ナポレオンはかつてドゼー将軍が夕方前に来着し、敗北寸前のところから逆転したかつての栄光を夢見ていた。
第三の軍勢が戦場に来着した時、ナポレオンは「グルーシーが来た」と言い、イギリス軍司令官ウェリントン公爵は「プロシア軍が来た」と言ったという。真実はウェリントン公爵の側にあった。6月18日の夜が来るまでに大勢は決し、ナポレオンは戦場で死ぬまで戦おうとしたが、幕僚の者たちに促され、近衛兵の一団とともに戦場を離れた。
6月の18日の昼、フランス軍が勝利という報がパリに出回った。パリは明るい話題に沸いた。しかし同時刻には、フランス軍は負けつつあり、夜になる頃には、皇帝の軍隊は追い散らされていた。フーシェは誰にも先んじてその情報を仕入れ、ナポレオンの最終的な打倒に向けて活動を始めた。
「ナポレオンが勝つにしろ負けるにしろ、彼が生きて帰ってくるならば、彼はこれまで以上に増上慢に振る舞う。負けている時にこそ強気に出るのがいつもの手だ。彼は兵が必要だと叫ぶことだろう。そして、議会を解体して独裁を目論むことだろう。しかし、それは絶対に阻まなければならない」
フーシェはもはや活動を隠そうともしなかった。フーシェの活動によらずとも、議会は反ナポレオンの者が大半だった。しかし、ナポレオンに対し矢面に立てる者がいないのも事実だ。かつてテルミドールの際にはタリアンを立ててロベスピエールを告発する役をやらせたが、此度はかつての革命の英雄、ラファイエットを立てた。
彼は革命の最初期にあたる三部会招集より議員として革命に参加していたが、市民の集会を鎮圧する際、武器を持たぬ民衆に発砲したとして新聞に非難され、フランスを離れていた。しかし結果としてはラファイエットの身を守ることになった。仮に影響力を残したままパリに留まっていれば、ジャコバン派独裁による弾圧、あるいはテルミドールの反動期のどこかで、命を危うくしていただろう。彼はナポレオンが執政となった後の1800年に市民権を復活させてもらったが、ナポレオンの政権とは距離をおいていた。王政復古下でも議員にはならず、百日天下の際に人材に困ったナポレオンに誘われ、議員となっていた。フーシェは彼に白羽の矢を立てた。
「今や君こそが、祖国の自由を守る戦士となるべきだ」
当初、ナポレオンに議員になるよう誘われた時も、ラファイエットは誘いに乗るつもりはなかった。彼が議員となるのを決めたのは、フーシェに説得されたからだ。ラファイエットにとって地位や金などは説得材料にならなかった。彼が欲したのはただ名誉だけである。やがてナポレオンを倒す機会がやってくる。それを成す者は、ナポレオンを超える英雄となるだろう。そのように口説かれ、ラファイエットの心は動いた。そして、ナポレオンが敗北して帰ってくる、この機会を待ち望んでいたのだ。
一方で、ナポレオンは20日の深夜になって、パリ郊外のエリゼ宮へ帰り着いた。帰るつもりはなかったのだが、幕僚たちに説得され、パリの守備を固め、防衛を任せている者たちを監督するために一時帰還したのだ。大臣たちと話をしたら、すぐに前線へ戻るつもりだった。
ナポレオンは体を休めるため風呂に入った後、秘書を集めると、彼は十万の徴募兵が必要だと語ったという。敗残兵を取りまとめ、国境に集めている兵を一部割いてパリへ回せば、二十万の軍を従えてパリで籠城戦ができると言った。
これだからナポレオンは戦争狂だと呼ばれる。その強気がどこまで真実か分からぬが、パリを守る兄のジョゼフに宛て、ワーテルローでは負けたがパリでもう一戦できるといったような楽観的な文書を送っており、まだ戦争は継続するつもりだったようである。ナポレオン自身の言い分は常に強気で、味方に対しても脅しつけたり、ブラフをかけたりするから、彼がどこまで本気だったかはわからない。ロシアで六十万の兵が死んでも戦争を継続した男だから、ナポレオンの意志力というのは、人間の普通といった感覚では測れない。ナポレオンはカエサルやアレキサンダーといった大英雄に憧れ続け、未来においてもそのように記されることを望み、意識的に振る舞っていたから、最後まで英雄を演じきることしか頭にはなかったのかもしれない。しかしその引導は、ナポレオンが望んだ形で渡されたかどうか。
21日になって、ナポレオンの大臣たちはエリゼ宮へ呼び出された。ナポレオンに引導を渡すべき男は、大臣たちに紛れて、ナポレオンが二十万の兵をと妄言としか思えぬ言葉を吐いているのを、平然と聞いていた。私は今から前線に戻るから、徴兵と馬の徴募、特に貴族や金持ちが娯楽用に抱えている馬まで取り上げるように……今は国家存亡の時なのだから……彼の周りにいる大臣たちははらはらして、それが本当に実現可能だと思っているのかどうか、ナポレオンの正気を疑いながら、皇帝陛下の言葉を聞いていた。
フーシェがエリゼ宮でただ待っている時、すでに仕事は終わっていた。ナポレオンがこの先の戦闘に備えて処置を取っている時、ナポレオンの権力の椅子というものは、すでに消え去っていたのである。議会は既に動き出していた。
ナポレオンの機先を制する必要があるとフーシェが働きかけた通り、ナポレオンの帰還に先んじて議会は「議会の解散をするつもりであれば断固反対する」と宣言を行った。気の早い議員たちは、皇帝が負けたのは国家に対する犯罪だ、これ以上の徴兵などは亡国を招く行いだ、皇帝は退位するべきだ。いや、廃位まで視野に入れるべきだと、そこまで踏み込んで議論を進めていた。
ナポレオンの信奉者、いわゆるボナパルティストたちでさえ、皇帝が前線で敗北し、パリで市街戦を行うとなれば、皇帝をいつまでも支持しきれなくなっていた。彼らは皇帝が勝利している時は強気だったが、ナポレオンが敗北している今となっては強気ではいられなかった。共和派たるジャコバン派の者たちは革命を私物化し、独裁を続けるナポレオンを許せなかったし、王党派は言わずもがなである。議会ではナポレオンの味方は存在しなかった。
エリゼ宮では、皇帝を囲む大臣たちの一人が、議会での風向きについて、おずおずと、皇帝に述べた。皇帝はそれで初めて、自分の権力が奪われつつあることを知ったのだ。彼は当然、激怒した。大臣たちは、ナポレオンの退位について進言した。陛下、退位をお考えになるべきです。陛下は十分なお働きをされてこられました。陛下が自ら休むことを宣言されれば、議会の者たちもそれ以上の処分を求めてはこないことでしょう。議会では廃位まで議論されているのです……しかし、ナポレオンにとっては、ヨーロッパ中に憎まれている状況には変わりがない。
ナポレオンにはまだ捨てるべきものがあった。それは皇帝の座だ。自らは皇帝の座を引き、息子をナポレオン二世として立てることはできた。しかし、それをして何になる? フランスは再び降伏し、ナポレオン自身は死刑か、流刑になることは決まっている。息子にもけして良い未来は待ってはいまい。肩身の狭い、お飾りの皇帝か、あるいは王党派のクーデターを受けて処刑されるかのどちらかだろう。
ナポレオンは、自ら帝位を捨てることはできなかった。ナポレオンは弟リュシアンに手紙を持たせ、パリへ走らせた。議会で皇帝の意志を述べさせ、納得させようとしたのだ。歴史は繰り返すというべきか、ナポレオンはブリュメールのクーデターの際、リュシアンの弁舌で救われたことを思い出していた。リュシアンが議会をまとめてくれるのではないか、そのように錯覚したのである。リュシアンの腕前に期待する一方で、ナポレオン自身は大臣たちとの議論に終始し、結論を出すことはなかった。
議会ではラファイエットによって、ナポレオンに対し退位を求めるよう、発議がなされていた。リュシアンが議会へ入ったのは、その時だった。彼は皇帝陛下からの手紙を読み上げると告げて壇上へ登ろうとしたが、議員たちは罵声を浴びせ、リュシアンを妨げた。
「皇帝陛下の意志を無視するのか。君たちは、陛下がフランスに対して与えた恩恵を忘れたというのかね。恩を忘れて、陛下を見殺しにしてしまうのか」
リュシアンのその言葉を聞いて、ラファイエットがすっくと立ち上がった。
「フランス国民があなたの兄に対し、十分なことをしなかったと、そう言うのかね」ラファイエットの堂々とした声に、騒ぎは静まった。
「どうしてそれほど勝手で、非難がましいことが言えるのか。フランス国民たちの声を聞いても、同じことが言えるかね。哀れな女たちは息子の、家族の死に嘆いている。我々の息子、あるいは兄弟たちの骸はヨーロッパ中に転がっている。彼らはエジプトの砂漠、ドイツの平原、ロシアの凍土で眠っている。彼らは非難の言葉さえ吐くことはできない。三百万人のフランス人を死なせ、また更にヨーロッパに抗い、国民に血を流すことを求めている皇帝に従えと言うのか。我々はフランス国民の代議士である、祖国の利益のために働かなくてはならない。皇帝に従うことは、もはや祖国を救うことにはならない!」
ラファイエットの言葉は、フランスの国民を代弁するようなものだった。ラファイエットの言葉は朗々と響き渡り、議会は誰もが言葉を失った。リュシアンは信じる者を失い、自らの手の中にあるナポレオンの言葉が、信じられるものかどうか、分からなくなった。リュシアンは議会を後にした。ナポレオンに最後通告を送る、それで判断できなければ議会は皇帝の廃位を議決する、と議論は続いた。
議会の成り行きもまた、ナポレオンと大臣たちの元へ届けられる。廃位の議論が始まったようです、と大臣の一人が告げた。
「これまで私がどれほど働いてきたのか、理解できないのか。議会は今やジャコバンどもによって支配されているのだ。彼らがあくまで強制するつもりなら、私は退位などしないぞ」
ナポレオンには、最後の武器があった。それはエリゼ宮に待機している、近衛兵の二大隊である。彼らは皇帝の意のままに動く部隊で、議会の解散、いや皆殺しを命じられたとしても、彼らならばやり遂げるだろう。武力を使えば、議会を解散させ、権力を握ることはできた。しかしそれをやった場合、歴史にどのような汚名を残すことか。最後の最後に権力の簒奪者になりたくない、とナポレオンは考えた。しかし権力の魔の手はナポレオンの心身を侵している。最後の手がある、という考えは、潔く皇帝を退位するという決断からナポレオンを遠ざけた。ただ時計は動いた。フーシェを除いては、誰も時計などは見ていなかった。フーシェの腕に巻かれた腕時計の針だけは、容赦なく進んでいった。
今エリゼ宮にいる誰もに、明日は残されていなかった。しかし、フーシェには明日を考える必要があり、そのためには素早く事を進める必要があった。イギリス軍、プロイセン軍はパリへ迫りつつある。彼らが入城を果たし、その後押しをもって王やタレーランの帰還を許せば、権力は彼らの物になる。フーシェがパリで頂点に立つためには、ナポレオンを素早く追い出す必要があった。ナポレオンを追い出し、パリを平和裏に明け渡す。それが諸外国の君主たちとの約束でもあった。
ナポレオンが自ら決断できず、子供のように駄々をこね続けるならば、議会に急がせるほかはない。フーシェは議会へ指示を送った。議会はフーシェの指示通りに動いた。ラファイエットは、今日の日のうちに全てを決める必要がある、と言った。「皇帝陛下が退位をためらうならば、よろしい。私が廃位を提議しよう」議員たちは皆、賛成の声を上げた。時刻は既に夜の23時を過ぎている。22日という日を迎えるまでの一時間の間に、皇帝からの退位宣言書が届かないならば、その時点で廃位を結論しよう。
ナポレオンは結局、最後の時間を空費した。大臣たちは穏やかに退位を勧め、ナポレオンは愚痴めいた空論に終始するのみだった。
フーシェという者がこの場にいることは、どのように喜劇的で、ナポレオンにとっては許せぬことであっただろう。ナポレオンの頭を超えて、オーストリアを始めとして諸外国と勝手に交渉をやり、内容は抑えられていないから確証はないものの、ナポレオンを追放する話を進めていてもおかしくはないのだ。もしも情勢が許すならば、フーシェよりもナポレオンを歓迎するムードがあれば、必ず処刑するか追放していたであろう。何度殺しても飽き足らないような男が、忠臣ぶった顔をして、大臣たちに並んでいるのだ。
その憎しみのあまりに大きいためか、ナポレオンはこの騒ぎの間、フーシェを完全に無視しきった態度を貫いていた。フーシェなど脅しつけるにも媚びてみせるにも仕様のない男だ、自らの手でどうにかしてみせる、といった具合だった。しかし、ナポレオンの味方はもはやいなかった。新たな政府のために、ナポレオンが任命した大臣たちでさえ、もはやナポレオンに味方しようという者はいなかった。時間は容赦なく進み、いよいよ22日が眼前に迫った時、その最後の瞬間になって初めて、ナポレオンはフーシェを見た。落ち着き払った男の元へつかつかと歩いてゆくと、その肩を掴んだ。音がするほど強く握りしめ、フーシェを睨みつけた。しかし、立場は既に決まっていた。
(私が裏切ったのではなく、閣下自身が閣下を裏切ったのですよ。勝てばよいと言うならば、勝てばよかったのです。ワーテルローで負けなければ、私は皇帝陛下の忠実なる大臣であり続けたでしょう)
「フーシェ。議会で騒いでいる連中に、静かにしろと伝えてくれ。彼らが気に入る返事を送るから」
ナポレオンがそのように告げると、ナポレオンは一人で部屋に引きこもった。フーシェは部下に命じて議会へと走らせ、哀れな男に最後の慈悲をくれてやるように、議会に申し付けたのである。
「道を誤ったな」
「誤ったとも。婚姻までして同盟を結んだオーストリアが裏切るとは、彼らと手を結んだことが私の間違いだった。しかし、そんなものは本当の誤りではないぞ。フーシェとタレーランだ! あの二人を処刑しておかなかったことが、私の人生の一番の誤りだ」
「違いない」
ナポレオンは部屋を見渡すと、誰も入れた覚えがないことを思い出した。ナポレオンは一人だった。ナポレオンの精神は追い詰められ窮地のうちにあった。その精神が幻聴を聞かせたのであろう。ナポレオンは、時間がないことを思い出した。自らの最期を決めるのに、連中の手など借りるものか。ナポレオンは急ぎペンを持つと、皇帝退位書にサインした。
かつてライプツィヒの戦いの後、ナポレオンは毒を含んで自殺しようとしたことがある。同じことにならないかと心配していた大臣たちとは裏腹に、退位書を持ってナポレオンは再び姿を表した。誰に渡すべきか、ナポレオンは大臣たちを見渡した。こうなってしまえば、渡すべき相手は一人しかいない。儀式的な言葉を吐くにはこれ以上の時はなかったが、ナポレオンは一言も言葉を発さずに、フーシェに退位書を手渡した。フーシェもまた言葉を返さず、かつての皇帝陛下に、小さく身をかがめた。それが主人に対する最後の礼になった。
ナポレオンからようやくにして退位書を奪い取った。フーシェの政治人生の最終盤において、これ以上ないほどの大金星であった。最後の瞬間まで、フーシェは九割方勝ちを確信していても、ナポレオンは油断のできない相手だった。軍をもって議会を急襲するという手も、ナポレオンは握っていたのである。しかし、ナポレオンの意志をくじき、ようやくフーシェは勝利した。ナポレオンは休めるようになったが、しかし、フーシェはそうはいかなかい。フーシェにとってはこれからが本当の戦いの始まりなのだ。
6月22日という日は、偉大なる皇帝陛下が永遠にフランスを去った日として記憶されることだろう。フーシェは皇帝の退位書を手に壇上へ登ると、その宣言書を読み上げた。そして、臨時政府を作る必要があると述べたのである。
権力はもはや野に放たれていた。ナポレオンを倒すべく使った陰謀を、今度は政府で使わねばならない。臨時政府は五人の委員会を作り、その五人の討議で結論を決めることにすると話は進んだ。裏工作によって、議会にて見事な弁舌を奮ったラファイエットをその五人から外すことには成功したものの、議員による投票の結果、最も得票の多かったのはカルノーであった。このままでは彼が政府首班の座に座ることになる。他国の外交筋もそのように理解することだろう。
思えばカルノーという男は立派な男だった。1791年から議会にあり、戦争が始まれば派遣議員として前線を回り、必要な処置を政府にて行った。ナポレオン戦争期を通じて各地で連勝したフランス軍の初期制度は、カルノーが作り上げたものだった。バラスの総裁政府において、実務を行っていたのは彼だけだった。時にはフランスを追放され、亡命生活を強いられながら、愛国心は揺らぐこともなく、呼び戻されれば素直に応じて政府で働いた。ナポレオン政権下でも彼と諍いを起こすこともなく、ナポレオンに協調して働いた。もっとも、彼の皇帝就任には共和制を支持する彼には許せないことで、断固反対を叫んだが、それで叛心を起こすこともなかった。ナポレオンもまた彼を遠ざけることもなかった。
ちなみにカルノーとフーシェの付き合いは古く、彼が軍人であり、フーシェが僧侶、加えてロベスピエールが弁護士だった頃から、三人はともにアラスの文学クラブにおいて互いに詩を呼んだり論文を批評しあう仲だった。彼が政府に残るべく暗闘する術を知っていれば、間違いなくフーシェなどよりもフランスにふさわしい人材だっただろう。
カルノーは自らがふさわしいと思えば、即座に政府首班になることも厭わず、次のフランスの主に誰がなるべきかを決めれば、即座に席を譲り渡すだろう。別の誰かに奪われるために、ナポレオンを蹴落としたわけではないのだ。フーシェはまた謀略を使った。委員会が開かれると、フーシェ、カルノーを除く三人は席を譲り、カルノーへ上位席を与えようとした。カルノーがその椅子に手をかけると、フーシェはカルノーへ意見を述べた。
「我々の役割を決めるべきではありませんか?」
「役割とはどういうことだ?」
「臨時とは言え、序列はきちんとしておいた方が良いのではないかと思ったわけです。委員長を決めるということですよ」確かに、議会で投票されたのは五人を誰にするかといった話であり、その中の長を決めるといった話ではない。自分がもっとも得票したのだから、といった弁護をするほどカルノーは意地汚くなかった。「もちろん、私はあなたに投票します」と、フーシェは謙遜を込めて言った。
「そうか。それじゃ、私は君に投票することにするよ」
カルノーは自分こそが相応しいと信じていた。そうであるならば、4対1でカルノーが勝利するだろう。しかし現実は、3対2でフーシェの勝ちであった。委員会のうち二人は、既にフーシェに買収されてしまっていた。
結果が出てしまったからには仕方ないと、カルノーはフーシェに席を譲った。カルノーは自分が罠にはめられたなどとは毛ほども思わなかった。有能だが革命において有名ではないのは、このあたりの純朴さが原因なのだろう。フーシェはついに、政府の首班の席に座ったのだ。
臨時政府に過ぎないとは言え、フランス権力の頂点に座ったことは間違いない。かつてブルボン家は王権神授を信じてきた。そのフランス王と同じ場所にまで登ったのだ。彼らを認めた神というものがフーシェの上にも恩寵を与えている、とはフーシェは考えない。神というものはおらず、自らの手で、他人を蹴落としてその席にまで登ったのだ。しかし神とは姿のないものだ。権力そのものが神の恩寵と考えるならば、この政府首班という場所にこそ、神は感じられた。いや、その残り滓と呼ぶべきかもしれない。
権力、その不思議な重力は他人を引きつける魅力に満ちている。その正当性を強化するためにブルボン家は王権神授というものを信じてきた。権力の座には神秘的な力があると信じ、信じさせようとしてきた。ルイ16世の死により、権力の座にいた神は転落した。宗教が軽んじられ、僧侶は政府に管理され、教会は暴徒によって破壊された。もっとも破壊されきったわけではなく、パリでは弾圧を受けたが、田舎においては勢力を保ち続けた。心の安寧のためには宗教が必要だったからである。だからこそ革命以後のナポレオンは宗教勢力と和解し、キリスト教を国教と認めないまでも信教の自由は許した。
権力の椅子に神はおらず、今は魔物が棲んでいる。ナポレオンの心を支配した魔物が、ここにはいる。ロベスピエールにしてもそうだ。彼らは最後の瞬間まで、自らのできることをしようとし、自ら手放そうとはしなかった。しかし、魔物がいるにしては嫌に寂しいところだ。フーシェはどこか、いるべき者がいないような気がしていた。
権力を握り、もはやナポレオンが敵ではなくなった。であるのに、ナポレオンはしつこく権力を求めようとした。ナポレオンからの連絡は取り次ぐなと部下には申し付けていたが、直接持ってこられるものは仕方ない。ナポレオン麾下の元少佐の軍人が手紙を持ってくると、フーシェは受け取らなかった。テーブルを指し、そこへ置け、と仕草をした。受け取るとも受け取らぬとも言わないことが寛容だ。ナポレオンとやりとりをしているとなれば、政府からも諸外国からもあらぬ疑いをかけられることになる。軍人はなんとしても返事を持ち帰りたかったらしく、その仕草を咎めた。
「元とは言え、恐れ多くも皇帝陛下のお言葉ですぞ。返事を頂くまでは帰りませぬ」
「今見るにせよ見ないにせよ、すぐに返事はできかねます。それよりも、政府よりの通達が実行されていないと、元皇帝陛下へお伝え願いたい」
「急ぎフランスから離れよとのことですが、そのことについても、手紙に書かれております。陛下は、退位したとなれば、もはや一個人、一軍人として、パリの城門を守りたいと仰せです。それが果たされればパリを離れると」
くっ、とフーシェはくぐもった笑い声を漏らした。フーシェはそれを咳払いでごまかした
「ナポレオンは、どこまで行こうとナポレオン流だな」
「なんですと?」
乱暴な物言いに、元少佐は怯んだ。
「元皇帝陛下は、常に軍の先頭におられた。最後までその通りだと言ったのです」
そしてフーシェは、元少佐を引き取らせた。ナポレオンの要求は飲むつもりはなかった。権力を奪取するつもりがなかろうと、ナポレオンのノスタルジーに付き合ってなどいられない。怪しげな動きをしていれば同盟国側に疑われないとも限らない。フーシェは返事の代わりに、軍の騎兵の一団を仕立て、急ぎ以前の要望を実行されたいと通達するよう、命令したのだった。ただのナポレオンとなった男には返礼の返事も必要ないと言わんばかりの態度だった。
ナポレオンは諦めなかった。続けて、これまで働いてくれた軍人に対し礼を申し上げたいと、政府官報に載せるべき原稿を送ってきたが、フーシェはその原稿もそのまま打ち捨ててしまった。ナポレオンは官報に自分の言葉がないことに気づいて新聞を握りつぶしたが、ナポレオンはそのようなことをして時間を潰している場合ではなかった。
ナポレオンを受け入れてくれる国はヨーロッパにはなく、処刑か幽閉が待ち受ける運命だろう。ナポレオンは自由でいるため、アメリカへの亡命を考えていた。戦争のため、北米大陸に持っていたフランス領ルイジアナをアメリカ合衆国へ売り渡した縁もあるし、元来フランスとアメリカは友好的で、アメリカがイギリスと揉めていることもあり、ナポレオンの受け入れも認めていた。しかし、ナポレオンがパリで時間を潰している間に、イギリス船によって港は封鎖されてしまっていた。
ナポレオンは悩んだ末、拿捕される前にイギリス船に自ら乗り込み、イギリス国民の一人となり、忠誠を誓うことを申し出た。イギリスは打算的な国である。ブルボン王家の者を長く抱え込み、利用した。利用価値があると見ればナポレオンを手中に収めることも認めるだろう、とナポレオンは予想した。しかし、イギリス政府はイギリス本土への上陸は認めず、大西洋の孤島セント・ヘレナへの居住を命じた。実質的な島流しである。
ナポレオンには確かに軍人としての才能はあったから、イギリスはそれを活用することはできただろうが、ヨーロッパからは憎まれすぎ、また一軍人として使うには独断専行が過ぎた。機会があれば孤島から引き出して利用することもできるだろうとの判断だ。しかし、ナポレオンが必要になるような時勢にはならなかった。政治利用となれば尚更だ。ナポレオンは劇物に過ぎて、扱うのは困難だった。それがナポレオンの自由を阻んだのだ。
常に忙しくしていなければ収まらぬ男が仕事を奪われ、ナポレオンは絶望した。イギリス兵がナポレオンを英雄視し、礼儀正しく振る舞ったことだけが、ナポレオンの心を僅かに慰めた。
「このようなことになるならば、ワーテルローで死んでいるべきだったな」
「まったくもって。あんたが死んでいれば、あんたの息子はもっと持ち上げられ、英雄視されたことだろうな」
ナポレオンは怒りに顔を真っ赤にし、後ろを振り返った。しかしそこには、後にセント・ヘレナにまでナポレオンに付き従い、彼の伝記を描くことになるラス・カーズがぽかんと立っているのみだった。
「陛下、私が何か失礼なことを申しましたか」
「シャイ」ナポレオンは呆然としたように言った。「今、やつがここにいただろう」
「誰ですと?」
「シャイだ。エジプト人の小娘。スパイをやってあちこちを探りまわっていた……」
「閣下、私は長く閣下の元におりますが、そのような者の存在を聞いたことはありません」
ナポレオンは少し黙り込み、「そうか」と短く呟いた。
「それでも構わん。ラス・カーズ君。シャイも役に立ってくれた。彼女に対し、私の個人財産から年金を払うように、政府に伝えてやってくれ。額は百フランもあればよいだろう……」
ナポレオンは優しい男だった。以前世話になった者に対し、年金を払うよう頼む文書を無数に残している。ラス・カーズはこのナポレオンの言葉もいそいそと書き留めたが、その文書は政府にも伝わらず、後世には伝わっていない。
一方で、フランスに目を戻すと、ナポレオンがイギリス船に乗ったと聞いて始めて、フーシェは安堵した。ナポレオンももはや放逐されて、安心して権力の中枢に座っていられる。とはいえ、フーシェはあくまで臨時政府の首班に過ぎなかった。フーシェが元首でいつづけるのは無理がある。民衆、政府、あるいはヨーロッパの連合国にもそれぞれ思惑があり、求める人物もそれぞれ違う。民衆はナポレオンの息子に皇帝位を引き継がせ、戦争はやめて憲法は維持するように求めた。カルノーを始め政府では共和制を求め、選挙による新たな議会政治を求めていた。同盟国に推されていたのは後の七月王政においてフランス君主となる、ブルボン家の分家オルレアン家の長、オルレアン公ルイ・フィリップだ。フーシェはそのどれもに良い顔をし続けた。誰もがフーシェの顔色を伺った。フーシェに選ばれることこそがフランスの権力者となる方法だからだ。フーシェはどのカードを引くべきか、トランプ遊びでもしているような気分だった。
ここに、ヴィトロール男爵という人物が現れてくる。彼は熱心な王党派で、王が逃亡した後、パリにおいて王党派を集結させ、ナポレオンに対し戦おうとしたが、彼は捕らえられて処刑されそうになった。しかし、フーシェはナポレオンをなだめて処刑を取りやめさせ、彼を飼い殺しにしておいた。ナポレオンなど長くはないと分かっていたからこその処遇だった。
ナポレオンが去った今、牢に入っている王党派の者たちはたちまち解放された。ヴィトロール男爵もその一人だ。彼はたちまち王のいるヘントに向かって出発しようとしたが、時の臨時総裁たるフーシェに呼び出され、思わぬ奇遇に喜ぶべきか惑うべきか、ともあれ、フーシェの宮殿に足を踏み入れた。そこはこれ以上ない人出で、会う約束もなく、会える保証もないのに、無数の有名無名の人でいっぱいだった。待つ人々の群れを横目に、フーシェの執務室に入ることは、ヴィトロール男爵にとって一種の優越感があった。フーシェにとっても同じだろう。このような小さな優越感の積み重ねが、権力というものの味わいを感じられるのだろう。
しかし、ヴィトロール男爵の想像する最高権力者の姿はさぞ太って脂ぎっているだろうと思っていたが、フーシェの姿は痩せて、表情はつまらなそうに乏しく、穏やかで身分が下の者にも親しげに話した。フーシェはかつてジャコバンの中でも急先鋒であったというが、案外理性的な人物であろうか、とヴィトロール男爵は思った。
「参上いたしました。フーシェ閣下」
「ヘントにお帰りなさるとのことで」
「その通りです。こうして自由を得たからには、再び陛下にお会いしてご挨拶を申し上げねばなりませんからね。ところで、閣下はこうして私めを呼び出されたのは、どういった事情なのですか?」
「いいえ、御用というほどのことは」
「私はてっきり、国王陛下にご帰還いただくように私に仰せつかるのかと思っていました」
「物事を急いではいけない。私として申し上げられるのは、そうですな、私個人としては王には遠い昔から忠誠を誓っていることと、どうか以後も忠誠をご期待頂きたいことを伝えていただければ充分です。しかし、ご帰還については、私の一存ではできかねる」
「私はてっきり、閣下の一声があれば陛下の帰還は成るものだと期待しておりましたが」
「あなたはご存じない。仮に私がそうしたとして、賛成する者がなければ、私などはたちまち政府を追い出され、国王陛下も同じ道を辿ります。物事を焦れば、事は仕損じるものです。ご存知ですか? 今、議会では、ナポレオン二世を皇帝として迎えようと議論をしているのですよ」
ヴィトロール男爵は驚き、ではフーシェは裏切り者だ、この場で殺してしまいたいような憎しみに囚われた。しかし、であるならば、フーシェが会うはずはない。男爵は気を落ち着け、穏やかに話を続けた。
「ナポレオン二世ですって。しかし、それではことは収まらない。オーストリアは喜ぶかもしれないが、ロシアもプロシアもイギリスも反発するでしょう。また戦争が起きますよ」
「しかし政府ではそれで万事がうまくいくと考えている者もいるのですよ」
「しかし、ナポレオン二世の世になったとして、そう長いことはありますまい。その次の世となれば、フーシェ閣下はブルボン家のことを考えて下さいましょう」
「いいえ、次にはフランス国民の世が来るでしょうな。その次にはオルレアン公の世が。そうですな、ブルボン家の世が来るとすれば、その後のことでしょう」
「なんですって!」
ヴィトロール男爵はいよいよ憤った。フーシェは穏やかに笑うだけで、その真意は読み取れない。
「私が申し上げたいのは、私は世の大勢に逆らう気はないということです。私の意志一つで国王陛下をパリへご帰還いただくことは難しい」
「それでは国王陛下を拒絶するのと同じです」
「私個人としては国王陛下に忠誠を誓っているということを、繰り返し申し上げさせていただきます」
ヴィトロール男爵にとって、フーシェの意図を理解することは難しかった。しかし、ヴィトロール男爵、あるいは王に対し、何かを求めていることは、彼にも理解できた。国王陛下の側にいることより、この男と話を続けた方が、王の利益になるのではないか。
「閣下、ヘントに帰るのはやめにして、閣下とお話を続けたいのですが構いませんでしょうか。陛下には私の部下を送ることにしましょう」
「それは喜ばしいことです。毎日、私と二度は会って、陛下の言葉や、その他の出来事を伝えていただくことにしましょう。しかし、以後は別の入口から入っていただきます」
ヴィトロール男爵の要望が通ったことで、彼はフーシェの意図がどこにあるのか、どことなく察した。しかし、フーシェは言質を取られることを避け、要求を口にすることはなかった。ヴィトロール男爵はわからぬままにフーシェと面談を続けた。フーシェはフランスをブルボン家へ売り渡すための連絡役となったのである。
フーシェがなぜブルボン家へフランスを売り渡すことにしたか。それは、誰よりも高く買うことを知っていたからだ。政治が、トップの意向のみで動くことはありえず、必ず権力機構を通過する。議会か、閣僚団か、その権力機構を無視して王が事を為すとなれば、必ずどこかでクーデターが必要になる。そういう意味合いで考えれば、誰がトップに立とうとも変わらない。後押しのないブルボン家が権力の中枢に座るためには、フーシェを迎え入れざるを得ず、加えてそこに居続けるためにはフーシェを使わざるを得ない。
ブルボン家の人気のなさたるや、もはや滅びたも同じだった。革命期、ナポレオン帝政期を通じて二十年、ブルボン家がおらずともやっていけることは明らかだ。むしろ、存在そのものが進歩にとって逆効果だ。そのような世論を跳ね返し、再興に際してフーシェが立役者となれば、過去にどれほど瑕疵があったとて関わりない。立場で言えば、フーシェは建国の忠臣と呼ばれてもおかしくないほどの役割を担うのだ。
フーシェがどのような立場に立つつもりで動いているのか、はるか遠くにいて理解している男が一人いた。それはタレーランである。タレーランは王政復古時と同じく、ブルボン家に肩を寄せていた。色々と聞き回って情報を集めたところ、どうやら臨時政府の首班とまともに話をしているのは王の密偵ヴィトロール男爵一人のようだ。ヴィトロール男爵の手紙から伝聞されるフーシェの言葉からは、常人には不明瞭な意図しか伺えなかったが、タレーランには一目で分かりすぎるほどに分かった。ルイ18世が作る新たな政府に、一口噛ませろと言うのだ。彼の適職たる警察大臣の座をよこせ、でなければパリへは一歩たりとも入れぬぞと言っているのだ。彼の許可を得ずにパリへ入ろうとすれば、政府を立てて王政復古反対のキャンペーンをやらかし、民衆を扇動して暴徒に襲わせることだろう。革命の再来となる。
「陛下、フーシェを閣僚へと迎え入れるべきです」とタレーランは口添えした。「彼の意を組むだけで、パリへ容易に入城できます。これを飲まない手はありますまい」タレーランも、フーシェが嫌いだと言ってられず、彼に頭を垂れてみせる必要があった。
「奴を! 私を裏切り、我が兄ルイ16世の処刑に票を入れたやつをか。断じてそんなことは許さぬぞ」
ルイ18世は王の座を望み、兄のルイ16世の没落を願っていたというから兄弟仲は良くなかった。しかし、フーシェという男はブルボン家の血で濡れており、その死で立身した男だ。ブルボン家としては認められぬ男だった。
しかし、タレーランや、その他の政治的に実力のある周囲の者たちは、フーシェという者とは交渉をするべきだと話を持ってくる。ルイ18世に同調して感情的に反対するのは、国王の処刑という出来事にアレルギー的に反発する貴族たちだけで、全く実利に反することだった。
このままぐずぐずとはしていられなかった。いつまでもフランスにいられるとも限らない。パリへ帰れなければ、やがて革命的な政府ができ、国外追放か、処刑か……どちらにせよ二度とフランスで安寧な時を送ることはできまい。時の政府がパリへ迎え入れようとしてくれているのだから、今はともあれパリへ入り、王党派と協調して勢力を伸ばすべきではあるまいか。そのように諭され、ルイ18世はフーシェを自分の勢力へ迎え入れることを許容した。ルイ18世にも、王族特有の甘さがあった。自分はブルボン家の長、ルイ18世だ。革命もナポレオンも去ったならば、誰が自分に抗えよう。フーシェなど小者ではないか。であるならば、閣僚に加えたとて、大したことはできまい。所詮は権力を欲しがるだけの小悪党に過ぎまい。
7月7日、ヌイイにおいて行われたフーシェの国王陛下への謁見は、これ以上ない喜劇的な絵面をしていた。まるで有名な劇作家が作った舞台の一場面のようだった。
「また会ったな」
タレーランは、フーシェを王に紹介する役目を仰せつかっていた。フーシェは言葉を返さず、黙っていた。フーシェはタレーランの手を取ると、足の悪いタレーランの歩みを助けながら、王の元へと参上した。
フランスを売り渡そうという男がおり、蛇のようなそいつに頼らなければフランスに戻れぬ王がおり、そして仲介して互いに恩を売ろうという、奇妙な三者が並んでいた。世界史上では第三身分の上に乗る僧侶と貴族であるとか、地球儀を切り分けるナポレオンとピットの図であるとか、その手の風刺画がいくつもあるが、その一つであってもおかしくないような戯画化された情景だった。この会談は秘密にされ、一般の者には知る由もなかったが、仮に流出したとして、フーシェは新聞も風刺画も取り締まり、世に出ることはさせなかったであろう。
タレーランはフーシェをルイ18世へ紹介し、彼を閣僚名簿に加えたいと申し上げた。フーシェは膝を折り、陛下の手へ接吻し、その忠誠を誓った。ルイ18世は重苦しい雰囲気を作り、タレーランの進言を認めると答えた。フーシェは感謝し、おずおずと引き下がった。
タレーランはフーシェにあれこれと言葉を投げたが、全てフーシェは黙殺した。タレーランが憎いばかりではない。フーシェには自分がこのような場にいることがおかしくてたまらず、笑いを噛み殺していたのだ。そして、これからまた一芝居を打たなくてはならぬ。
ヌイイでは王に忠誠を誓ったが、パリへ戻った時には、フーシェはひとまず、一端の共和主義者の顔に戻っていた。国王と妥協したことを政府の共和主義者どもに気取られてはならない。
やがて国王と貴族たち、王党派が正当性を主張してパリへ戻ってくると、彼らは兵を入れ、イギリス軍やプロシア軍の兵の助力を得て、チュイルリー宮殿を占拠した。フーシェは臨時の総裁である五人を集めると、この暴挙に対して内閣総辞職をもって抗議しようと呼びかけた。我々は王政を認めることはしない。断固として決意を見せつけ、あとは街頭に立って演説し、民衆を集めて反対しよう、とフーシェはいつになく熱っぽく言った。彼らはフーシェに同意して内閣を総辞職した。
しかし、彼らはむろん担がれたので、翌日になってみるとフーシェはチュイルリー宮殿の中におり、閣僚たちに混じっているのである。数日後には新聞が出回り、新閣僚の顔ぶれも出揃ったが、その中にフーシェが混じっているのを見て、ようやく担がれたことを知ったのだった。カルノーは新聞をぐしゃぐしゃに握りしめ、天を仰いで罵った。
「これでは、政府どころかフランスにも私の居場所はない。どこへ行けというのだ、畜生め」
どこへでも好きなところへ行くがいいさ、とうそぶくフーシェの顔が見えるようだった。革命以来生き延びてきた対照的な二人は、対照的な結末を迎えた。カルノーは追放され、フーシェはまたもや権力の中枢に座った。
歴史においてもしも、というのを考えるとすれば、フーシェがこの際身を引いていれば、フーシェの名はこれほど悪名として残らなかっただろう。フーシェは引き際を誤った。しかし、ロベスピエールも、ナポレオンも引き際を誤ったのだ。強い権力を知ってしまった者は、その権力の強さ、その後ろ暗い魅力に惹かれ、必ず引き際を誤るものだ。ともあれ再びブルボン家は復活した。共和派、蔑んだ言い方としてはジャコバンと呼ばれる者たちの反動は強く、また王党派による圧政もまた激しいことだろう。王党派の勢いはいよいよ強い。しかしフーシェには関わりのないことだ。フーシェはいよいよ強力な権力の元にいる。王の寵を得ている限り、フーシェの身は安泰なのだ。
「またと見出し難い議会ができたじゃないか」
ルイ18世は新しくできた議会の顔ぶれに満足していた。共和派の中でも最左翼のジャコバン派は排除され、王党派が九割を超え、共和派やその他の議員は一割に抑えられた、超右翼型の議会となった。
「これで我々もやりやすくなることだろう。ナポレオンの政府で大きな顔をしていたやつを処分するのも、楽にやれるのじゃないかね」
「左様で。その役目は、警察大臣にやらせるのがよろしいでしょう」
タレーランはルイ18世を戴く政府において、首班の座についていた。かといって地位が保たれたわけではなく、タレーランとルイ18世の仲が良いわけではなかった。ルイ18世の言う『大きい顔をしていたやつ』の中に、いつタレーランが入れられるかわかったものではない。タレーランはフーシェに汚れ仕事をやらせることで、人気を落とそうとしていた。元々警察大臣の職務から言っても、そうおかしいことではない。室内に執事が踏み入り、王へ来客を告げた。
「陛下、アングレーム公爵夫人が面会を求めておられます」
またか、と王は呟いた。王が許すとも許さないとも言う前から、貴族の女性が一人、王の前へと踏み入ってきた。ルイ16世とマリー・アントワネットの間に生まれたやんごとなき身分でありながら、革命期を通し、革命に振り回され続けた娘が、アングレーム公爵夫人である。彼女は礼儀作法を知り抜いているが、あえてそれを守らずに、王の前へ現れた。
「公爵夫人、君の用事は分かっているよ。これで三日続けての面会だものな」
「なら、早く私の言うことを聞いてくださいまし。あの汚い革命の生き残りを、さっさと宮殿から追い出してしまってください。二度とフランスの地を踏めないようにしていただきたいのです。連中が王家に、父と母にしたようにしてやればよいのです。ギロチン送りにしてやればよいのですよ」
ルイ18世はギロチンという言葉を聞いただけで身震いをした。おお、野蛮な革命よ。長い逃亡生活の末、フランスへ戻ったアングレーム公爵夫人は、革命の復讐者と化していた。それも無理のないことだった。
ヴェルサイユ行進が行われた際、護衛のスイス人傭兵を殺し、ヴェルサイユへ、王の寝室へ暴徒が乱入してきた時もその場にいたし、王が逃亡事件を起こした際には、ヴァレンヌで捕まり、怯えながら連れ戻された経験もした。8月10日に暴徒によって王がタンプル塔へ連れ去られ、怒鳴りつけられ、赤い帽子を被って革命に身を投じるよう脅された。九月虐殺の折には、母の友人ランバル公爵夫人が首を切られ、その生首が掲げられて行進している様も見た。
やがて王が断頭台へ送られ、王妃はオーストリアと密通していたことのみならず、息子と姦通したという事実無根にして、恥知らずな事柄で裁判にかけられた際には、彼女はその事実を証言しろと責め立てられた。そして、その果てに母もまた断頭台の露と消えた。加えて、兄ルイ17世は幽閉され、総裁政府時代に病死した。彼女は、革命において最も苛烈な部分を受けた者たちのうち、最後の生き残りだった。そのような強烈なイデオロギーを受けては、ルイ18世と言えど跳ねのけることはできない。
「考えておこう」
「いつも同じ返事じゃありませんか。考えておこう、陛下の答えはそれだけ。構いませんわ。陛下がそのおつもりなら、私は私のやり方で、革命派どもを追い出してみせますから」
「貴族たちを糾合するつもりか。」
「それだけでは済みませんわ。まあ、見てあそばせ。王に反対する者などは私がやっつけてみせますから」
町では王党派によるジャコバンへの逮捕、暴力、あるいは私刑というものが行われていた。ナポレオンが帰還する前の王政復古でもあったことだが、革命によって虐げられたことの復讐を一時に果たそうとするように、第三身分に対する暴力が吹き荒れたのだ。革命による逮捕、処刑などは法に基づいた暴力であったが、王党派による暴力は王の威光によるもので、何の根拠もなかった。革命による恐怖政治をテルールとも呼び、テロの原語となったが、王党派の暴力を白色テロという。
キャステラーヌ嬢が見たものは、そのようなパリの姿であった。フランス国民でありながら、パリから距離をおいて暮らしている彼女にとって、風向きの変化の急激さにはついてゆけなかった。王が帰還して喜んだかと思えば不満を持ち、ナポレオンが帰ってきたから喝采を上げ、負ければ放り出し、再び王を持ち上げて、ジャコバン派やボナパルティストを攻撃している。彼らの態度の違いには恥知らずと言うほかはない。しかし、彼らが皆手のひら返しをしているわけではない、風向きが変われば一方は地下へ引っ込み、一方が諸手を上げて街頭へ繰り出してお祭り騒ぎをする。どちらが日が当たれるかという話なのだ。パリには、あまりに多くの人が暮らしている。
ジョセフ・フーシェとは会えない日々が続いていた。フーシェが具体的に何をしているかは知らない。しかし、どうやら忙しいらしいことは想像できた。彼は王の側で仕事をしているようだった。かつてナポレオンを出迎えた彼が、どうして王の側で仕事ができるのか。フーシェにはわからない部分が多かった。
ナポレオンの元へ馳せ参じた頃から仕事が増え、会うことはなくなり、手紙にも返事は少なくなった。元々、暇だったからという程度の付き合いだったのだろう。キャステラーヌ嬢も、フーシェが偉い人であれば、納得できることだった。最初はただの老爺だと思い話しかけた。若い自分の方が上位だと思いこんでいたのだ。しかし、相手はより高みにいた。キャステラーヌ嬢は理由もなくパリへ来て、することもなく公園に佇んでいる。
通りの方で騒ぎが起こっている。ナポレオンのいた百日天下の頃でも、そのようなことはなかった。ナポレオンは民衆の馬鹿騒ぎを嫌っていたし、部下の軍人にも乱暴はさせなかった。そのようなことで政治がうまくゆくとは思っていなかったからだ。部下が不満を貯めたとて、ナポレオン個人の命令で収めさせていた。ナポレオンは乱暴者だ、と貴族たちや、新聞は言うけれど、王の方が乱暴を許している。そのほうがよほど暴力的ではないか、と思う。キャステラーヌ嬢は人だかりをかき分けて、騒ぎを眺めた。
やたら服装ばかりは華美な、口元を覆面で隠した、がたいの良い男たちが、喫茶店を壊している。テーブルを投げ出し、酒瓶なども放り出し、何もかもぐちゃぐちゃに壊している。店の前の道端では、地面に横たわった男が、棍棒を持った覆面の男たちに殴りつけられている。逮捕や店の破壊ではなく、恨みを晴らすことが目的のように、覆面たちのやりようは執拗だった。喫茶店は革命の頃から、政治や様々なことの語らいの場となり、革命の温床ともなった。だから憎いのかしら。このお店、前に来たことがあるわ、とキャステラーヌ嬢は思った。
喫茶店の内からは、これ以上ないほど異質なものが現れた……お姫様だ。髪を結い上げ、ちょうど、絵画で見たマリー・アントワネットみたい、と彼女は思った。マリー・アントワネットの時代、まるで灯台のように髪を持ち上げることが流行っていたのだ。時代外れで、だからこそ時代錯誤なお姫様のような感じがあった。
お姫様の後ろには、覆面の男がついていて、一人の男を抱えていた。店主のようだった。男は店主を放り出すと、覆面たちは群がって私刑を加えはじめた。お姫様は全く奇妙なことに、乱暴を見て満足そうに深く息を吸った。
「こんなところで済ませてしまってはもったいないわ。川へ連れていきましょう。革命派の人たちは、反革命だという疑惑があるだけで、無実の人を船に乗せて、船ごと川の中へ沈めてしまったとか。同じことをしましょう」
はい、公爵夫人様、と覆面の一人が言った。覆面たちは移動を始めた……どけ、どけ、と人だかりを払い始めたが、キャステラーヌ嬢は公爵夫人と呼ばれた女性を眺めていて、気づけば一人で残ってしまっていた。覆面が目の前に来てから、あら、と気がついたのだ。
「おめえ、王党派か?それともジャコバンか? 我々に加わりたいのか、それともジャコバンが可哀想で抗議でもしてぇのか」
「私はどちらでもありません。昨日、パリへ来たばかりです。争いごとはうんざり」
「そんじゃ、どうして公爵夫人様を見ていた。お前、怪しいな。お前も川に沈めてやろうか」
男がキャステラーヌ嬢の肩を掴んだ。そこへ、警察の者たちが到着した。やめなさい、と制止を始めるが、覆面たちは意に介さなかった。
「やめたまえ。暴力行為は許さないぞ」
「我々は王に認可を受けているのだ」「誰が止めようってんだ。命令者を出してみろ、そいつを街灯に吊るしてやる」
「裁判なしの私刑など許されると思っているのか」
「革命でまともな裁判をやったのか。民衆が裁判をやったことだってある。九月虐殺の夜はそうだった。一人につき五分、弁護人はなしだ。それで二千人の無実の王党派が死んだ。同じことをやってるだけだ。不平等だと言うなら、革命で死んだ者を生き返らせろ。死んだ者は帰ってこないんだぞ」
「要するに」アングレーム公爵夫人が割って入った。「あなた方は職務でやっているのでしょうが。だからといって、革命に責任のあった者は充分に処分されてはおりません」
「ですが!」警察の部隊長は抗弁した。
「黙りなさい! 私を誰と心得ます。私を止めたいならば、警察大臣を差し出しなさい。ジョゼフ・フーシェを」
「そうだ!」「そうだ! フーシェを出せ。血に塗れた処刑人、国王弑逆者!」「革命の生き残りなどに警察がやらせておけるものか。奴の首を出せ!」
覆面たちは警察に群がり始め、すぐさま暴力を振るうことはなかったものの、警察を囲むと集団で押し合いを始め、警察の者は長銃を防御に使い、覆面たちの攻勢に応えた。
「めちゃくちゃだ。隊長、発砲の許可をください! こいつら、収まりませんよ」
「それはならん。恐れ多くも陛下の姪御様だぞ。……しかし、やっていることはめちゃくちゃだ。その通りだ。一時、引くんだ」
警察と覆面の乱闘は続き、キャステラーヌ嬢も警官の一人に促され、その場を離れた。
「あれは、どういう人たちなんです」
「金ぴか青年隊だよ。総裁政府の頃にもああいう連中がいた……王党派のやつら!」
君も逃げた方がいい、話が通じる相手じゃない、と警官の一人は勧められ、キャステラーヌ嬢は帽子で顔を隠しながら、その場を離れた。しかし、通りの端々に、覆面をつけた青年たちは見受けられた。彼らは喧嘩を売れる相手ならば、誰でも構わずに因縁をつけている。フーシェさんはこのような人たちを相手に戦っている。
町では革命派への暴力が溢れ、政府では革命派への不満が溢れた。革命派に鬱憤の溜まっている者は彼女だけではない。貴族たちも、革命派をジャコバンと呼び、弾圧を加えられる機会は逃さなかった。しかし、さすがの貴族たちも、フーシェには手が伸びなかった。
ルイ18世としては、フーシェなどはどうでもよく、揉め事を起こすよりも、安定のためならば飼い殺しにしておけと言わんばかりだ。変に刺激をすればまた何かを考え出すかもしれない。ブルボン家をパリへ迎え入れたような策謀を行い、オルレアン家やナポレオン家を呼び出すかも。フーシェへの圧力などは百害あって一利なしなのだ。物の見える者たちには、フーシェを責める理由はなく、必要もないことを知っていた。
アングレーム公爵夫人は、それでもフーシェを許せなかった。彼女はあまりに極端であった。革命の行い全てがフーシェの罪かと言われれば、それは酷に過ぎると言わざるを得ない。しかし、アングレーム公爵夫人にとって、革命の最後の残り香とも言えるフーシェは、即ち革命と同じであった。彼女と彼女の家族は革命の純然たる被害者であって、王政が戻ってきたことによって革命が否定されたからには、その報いを受けさせなければならなかった。彼女の革命に対する憎しみは、もはや強烈な観念となっていた。
彼女はフーシェとは絶対に言葉を交わすことはしなかった。フーシェが同じ室内に入ったならば、すぐさま仲間を連れて別室へ移り、どのような催しにおいてもフーシェが来ると知れば出席しなかった。フーシェをいない者のように扱ったし、彼の名前を呼ぶこともせず、彼を追い落とすためならばどのようなこともした。暗殺計画を企み、可能ならば実行に移そうとさえした。
アングレーム公爵夫人は政治の理屈を知らなかった。知らないからこそ、フーシェへ楯突いて見せたし、貴族たちを煽って、反フーシェへと駆り立てることもできた。革命へとしゃにむに走った民衆たちを動かしたイデオロギーと同じものであるかもしれなかった。フーシェとて、革命と同じ種類の熱量には抗いようがなかった。
そのようなアングレーム公爵夫人の姿を見て、貴族たちもまた、反フーシェの姿勢で団結した。奴を除くことだ、奴を除かない限りは、王からどのような頼みをされたとしても、断固として聞かないぞ。彼女には政治的な利害意識はなく、利害がないからこそ、フーシェをもってしても取り入るすべは持たなかった。フーシェの最後の敵となったのは、閣僚ではなく、また議員でもなく、裏切りを責める民衆でもなかった。彼を強烈に責め立てたのは、王にくっついてきた貴族たちだった。王も貴族たちが揃えて背を向けるようでは、政治を動かすことはできない。
「アングレーム公爵夫人の言うとおりにする。彼女の意を汲んで、君がうまいように取り計らってくれ。後で面倒を起こさぬように」
いよいよフーシェ排除の実行者が、フーシェへ向かって放たれた。王は最後の実行者に向けて、そのように命令した。実行者は恭しく背を曲げた。
ナポレオンがワーテルローで、自らに最期を宣告したように、フーシェにとってのワーテルローはこの時期だった。仮に、ありえない話だが、フーシェが永遠に権力を手放したならば、後世の呼ばれ方も違っていたことだろう。しかしフーシェはこうも考える……権力を手放したならば、明日にも命が終わるかもしれない。権力の強大さを知った者は、そこから退いた時、自らに向けて強権が振るわれる予感に怯えざるを得ない。権力を自ら捨て去ることは、何よりも難しいことなのだ。それに、今は確かに手の内にある。明日もまたそこにあり、永遠に自分のものにしていられるだろう。それが手のひらから逃れてゆくとは、すぐには信じられないものだ。
フーシェは権力を保っていると信じていた。政治力学から考えて、王がフーシェを放り出すとは考えられない。貴族どもが騒いでいるが、今だけのことだ。どうせすぐに別のことに興味を持つ。それまで王の言うことを聞き、仕事だけをし、じっとしていることだ。
『フーシェさんにこのような事を言うのは、イエス様に教えを説くようなことですが、パリは非常に荒れています。フーシェさんが害されぬか、心配です。パリから逃げた方が……』
キャステラーヌ嬢も、手紙を通して、そう言ってきた。彼女のような者でさえそのようなことを言う。フーシェは心配いらないと返信を送った。『むしろ、あなたこそパリへ来るべきではない、今のような状況下では……何、すぐに収まります。暴力が長く続くようでは、その政権は終わりです。暴力を収められないならば、指導者の器ではないということです』
「ご主人さま、馬車の用意ができています」
すぐに行く、とフーシェは答え、手紙を封筒へ収めた。秘書へ手渡し、それをキャステラーヌ嬢へ送っておくように、と言い添え、馬車に乗った。
場所はとある貴族の館だ。夜会に誘われたとは言え、フーシェは相変わらず社交的ではなかった。館の主人に礼を言い、話のできる者数人と話をすると、あとは手持ち無沙汰となった。このような場で情報を交換して物事を回すより、黙って机に向かった方が仕事が片付く。フーシェは壁際に佇み、ワインを少しずつ口に含んでいた。手に持ったグラスが空になったら、用ができたふりをして、帰ってしまうことにしよう。
たまたま近くの長椅子へ、数人が歩み寄って座った。話をしているのはタレーランだった。こいつも来ていたのか、とフーシェは思った。
「アメリカでのことですか。いやはや、未開の地とは言いませんが、あれほど雄大にして、かつ素朴な土地は見たことがありません。近代社会に毒されていない美徳と言うべきでしょうな。現地では民間人でも銃を手放せず、時には原住民との諍いや、猛獣との接触など危険も多いと聞きました。しかしアメリカという土地を知りたかったので、護衛をつけて様々なところを回りました。ジャングルのごとき前人未到の森林があり、海とみまごうほどの大河ポトマックがあり……五大湖と呼ばれる湖も私はこの目で見ました。前時代に信じられていた世界の果てのような大瀑布には、まるで吸い込まれてしまうような気持ちになったものです。このような土地に住む者のことは知っておりますか? 彼らはまさに新人類とでも呼ぶべき人々です。強烈な意志力を持ち、自由のためならばあらゆる者と戦い続ける強さを持っている。彼らの法律は規範的で、過ちは少なく、これからいくらでも伸びてゆく国です。私もフランスを愛する心は他人より多く持っているつもりですが、我が祖国フランスを除けば、これから伸びてゆくのはああした国でしょうな。古き風習にとらわれるオーストリアやロシアなどとは全くちがう。乱暴な言い方をしてしまえば、革命の意志を持ち続ける者は、アメリカの風土が身に合うことでしょう。あの国にいられる仕事、例えば合衆国赴任の大使などは、理想的な職でしょうな」
よく喋るやつだ、とフーシェは思った。タレーランが酔っているところなど見たことはないが、酔っているのかもしれない。タレーランは長々と喋ると、言葉を切って酒を飲み、おもむろに振り返ってフーシェを見た。
「おや、警察大臣どの。どうですか。あなたも機会があれば、そのような職についてみては」
「いえ、私は」フーシェは言葉を切り、何かの違和感に気がついた。タレーランは酔ってなどいなかった。
「残念なことだ。私が、今のあなたのような立場であれば、すぐに飛びつくでしょうな」
ホールにいる者の目が、タレーランとフーシェに向いていた。その瞬間、権力は失われた、とフーシェは気づいた。今の今まで手の中にあったものが消えてゆく。そして、フーシェは幻を見た。かつては常に、フーシェに付き従っていた化生の者が、そこにいる。ドレスを来て、夜会の参加者であるような顔をしながら……タレーランの隣、長椅子に腰掛けている。フーシェを見ている。
「閣下、行きましょうか」
正邪はタレーランに呼びかけると、タレーランはそうだねと答え、正邪に助けを借りて立ち上がり、彼女に支えられながら、去っていった。彼らはホールの無数の客たちにまぎれていなくなった。
その後、自分がどのような振る舞いをしたか、フーシェは覚えていない。気づけば、自分の館へ帰る馬車の中にいた。フーシェ自身が急げと命じたのだろう。並ではない速度で馬車は走り、フーシェは計算とも言えぬ計算を積み重ねていた。
しかし、結局は王を、甘く見た。王には私を殺せはしまい。実際に、殺すことはしていない。まだ希望はある、とフーシェは考えた。何もかも失ったわけではないのだ。ほとぼりが冷めるまで待つことだ。警察大臣を辞さなければならないかもしれない。しかし、それ以上悪くはなるまい。フーシェはそう考えて、希望を持った。しかし、希望を持つ、将来があると楽観視することは、この際、フーシェをその先にある落とし穴へ、案内されているようなものだ。フーシェは結局、行動は起こさず、身を潜めていることに決めた。
フーシェが闇の中へ馬車を走らせている間、タレーランは貴族たちと談笑をしていた。「ようやくやつの首をひねってやれたよ」と、タレーランは朗らかに笑ったのである。
タレーランのやりようは、彼一流の宣告だった。フーシェは自身が窮地にあることを即座に理解したのであり、足場を崩される前に自ら身を引くべきだと判断した。彼は夜会を後にしたその夜のうちに辞表を作り始めた。しかし、タレーランがそのように言うということは、もはや始末をする用意はすべて済んでいるのだ。
次の朝のこと、辞表を出すより先に、ドレスデン駐留大使の座に就くよう、国王より命令が来た。事態はフーシェの一手先を進んでいる。フーシェはこれを受けざるを得なかった。しかし、これもまた罠の一つだと解釈するべきだった。フーシェがパリに居続けようと思うならば、ドレスデン行きは悪手だ。警察大臣を辞し、ドレスデン大使の任も辞し、引退を宣言するべきであった。
フーシェはまだ権力の座から完全に追い払われたわけではないと思っていた。そのように事態が動いていると信じたかった、と言うべきだろう。ナポレオンと同じく事態を楽観視した。ひたすら頭を下げて命令を聞き、忠臣であるような顔をしていれば、国王や貴族たちはフーシェのことを忘れてしまうだろうと期待したのだ。それに、ドレスデン行きを断れば、次こそタレーランが言ったように、アメリカへ行かされるかもしれない。フーシェはドレスデンで時を待つことに決めた。決めたならば急ぐべきだと言わんばかりに、即日荷物をまとめ、次の日には出発した。パリから逃げるようなフーシェの急ぎようはパリの笑い草となった。
まだやりようはある。機会はある。待ち続けたならば、また時は巡ってくるのだ。そうやって常に生き延びてきた。このような事態に陥ったことはいくらでもあった。革命の暴風が吹き荒れた時には派遣議員として中央から逃れ、ロベスピエールに目をつけられたが、逆に断頭台へ送ってやった。ナポレオンに恨まれた時は、王の帰還があり、ナポレオンが再来したことで、権力の頂へ登る糸口を見出した。王だってけして安泰ではない。王に対する共和派が団結し、その抑えにフーシェが必要だとなれば、必ず呼び戻すのだ。場合によっては共和派に暴動を起こさせる手引をしてもよい。ドレスデンで時を待つだけのことだ……フーシェの思考は、馬車の中で堂々巡りをした。
フーシェは長く王党派と戦ってきた。ナポレオンと王党派が激しく争ったときも、ナポレオンを放り出して王党派を手助けする手もあったが、必ずナポレオンに味方してきた。ナポレオンも最初は良かったが、次第に積極的に担ぎたい相手ではなくなってきた。それでもナポレオンに肩入れをしてきたのは、フーシェには罪の烙印があったからだ。
ルイ16世の裁判、その結論を下す時、死刑賛成派の風向きが強いと知るとフーシェは穏健派の肩書を投げ捨てて、「死刑」(ラ・モール)の二言を呟いたのだ。そのことがフーシェを、どれほど縛り付けてきたことか。王をフランスへ呼び戻すという大功があってこそ、その罪はようやく打ち消され、一度は政府にも席を用意された。しかし、恩などはすぐさま忘れてしまうものだ。フーシェがいなければルイ18世も、貴族たちもフランスに戻れなかったというのに、彼らは復讐を優先した。
「かつての国民公会議員で、国王死刑に賛成した者、加えて百日天下でナポレオンに味方した者は、フランスから永遠に追放する」
この法律が議会を通過し、発布されたのは、フーシェがパリを出てすぐのことだ。ドレスデンへ着いたばかりのフーシェの元へも、彼へ追いつくように報告が届いてきた。同時に、そのような人物をドレスデンの大使にはしておけないので、免職するという命令書も同封されていた。フーシェは立場を失い、財産も失った。
ナポレオンが威勢を失うと、領地では反乱が起こり、部下は次々と裏切り、政府や議会も逆らって立つ場所を失ったように、転落が始まると事態は急転直下の変化を見せる。王党派たちは、フーシェへの追い打ちを止めなかった。国民公会の議員でパリに残っている者はほとんどいない。フーシェを狙い撃ちしたような法律が議会を通過すると、アングレーム公爵夫人を始め反革命の輩たちは喝采を上げたものだった。
フーシェは、革命の幻を見た。それは足を掴むロベスピエールの亡者だった。地獄で待っているぞ、と囁く声が聞こえたような気がした……ロベスピエールはルイ16世の裁判の際、匿名ではなく実名投票を求めた。一人一人登壇して処刑か賛成かを述べる方式にすべきだ、と。立場を鮮明にする、革命の名において王政を廃するならば、相応の覚悟をするべきだと、ロベスピエールは信じていた。
ロベスピエールがフーシェ一人を標的にそうした投票方法を考えたわけではない。ロベスピエールが革命の他のものを見ているはずがない。しかし、ロベスピエールの亡霊は今、確かにフーシェの足首を掴んでいる。
「貴様のせいで」
かつての友人とは思えぬほど、フーシェとロベスピエールは真逆に生きた。ロベスピエールは愚かなほど誠実かつ短命に死んでゆき、フーシェは賢しらに卑怯に、生に囚われて生きた。一方は子を成し、一方は女を知らぬままに死んだ。しかし、それが本来の人のあり方だ。ロベスピエールは英雄的に過ぎた。
「誰もがお前のように生きられるわけがなかろう。私は凡人だ。人がましい栄達を望んだだけだ。私と同じような者はいくらでもいる。パリにいて、宮殿で王に額づいている」
ロベスピエールは答えなかった。答えるはずがないのだ。フーシェは天を仰ぎ、喉から絞り出すように言った。
「畜生!」
そして、長く黙っていた。
フランスではそれからも長く王政は続いた。フーシェが待ち望んだ王政の打倒はついに来なかった。王政がいかに時代錯誤な行いをしていても、王や貴族たちはかつてのような横暴は行うことができず、民衆は革命で得た土地の所有の概念、あるいは自由の概念に慣れていて、政府はそうした民衆にできるだけ寄り添って運営された。何よりも、ナポレオンが呼び込んだ戦争の災禍はそれほど大きかった。戦争がなくなるならば、それ以上のことはないと国民は思ったのだ。王や貴族の振る舞いに対して不満を持った市民が暴動を起こすことはあったが、打倒するところまではなかなか行かなかった。
以後、絶対王政が1830年に倒れ、代わって始まったルイ・フィリップの立憲君主政が1848年のウィーン体制の崩壊の余波で倒れるまで、政治は共和制から離れることとなった。なおその第二共和政が倒れた後、指導者として選ばれたのがナポレオンの甥、ナポレオン三世の第二帝政である。歴史は繰り返すと言うべきか、ナポレオンの威光はナポレオン三世に受け継がれ、ナポレオンは大いなる威名を残すことになる。
タレーランはフーシェを追い出したはいいものの、やはりナポレオンの右腕として外交で辣腕を奮ったことが原因で失脚した。元よりタレーランはルイ18世を人間的に軽蔑しており、二人の関係は良くなかった。タレーランは有能ではあったが、過ぎた有能さはかえって敵となる。もっとも、戦争が終わったフランスでは、タレーランのような敏腕外交官が活躍できる場は失われていた。それでも、タレーランはフーシェほどに没落したわけではなかった。パリから追放されたわけではないし、タレーランは元貴族で、彼を庇護してくれる者は多くいた。1830年の七月革命においては、ルイ・フィリップの側について尽力し、政府に復帰している。
ナポレオンはセント・ヘレナにおいて、軍ではなく紙とペンによる戦いを開始した。自らの正当性を後世に示すための戦いだ。自らの行いを、自らの言葉で残さなかった者は必ず誤解や曲解の被害に遭う。ナポレオンの行いを、人は良いように理解して語り継いでくれるかもしれないが、それに任せてなどいられなかった。ナポレオンは常に、自らにできる最善手を打とうと最後まであがく人物だった。彼は死の直前まで、側近のラス・カーズへ口述筆記をさせる形で、その戦いを続けた。セント・ヘレナの環境は劣悪であり、また若い頃からの無理が祟って、ナポレオンは長生きはできなかった。ナポレオンは1821年の5月5日に亡くなった。ナポレオンの遺骸は1840年にフランスに返還され、彼の遺命の通りに、セーヌ川のほとりへと埋葬された。
ナポレオンは死後に帰還を果たしたが、この男はどうだろうか。フーシェは案外、事態を楽観視していた。パリからは追放されたが、永遠に、というわけではない。事態が変転することも充分考えられた。となれば、フーシェは待つのみだ。機は必ず巡ってくる。時は、幾度もフーシェを救ってきたのだ。ドレスデンで過ごすべき時間が、別の場所に変わるだけのことだ。行くべきところはいくらでもある。フーシェほどの身分の者に訪ねられれば、野良犬を放り出すようにはするまい。ロシアでも、オーストリアでも、あるいは古い仲のベルナドットのいるスウェーデンでも、どこでも行くところはある。どのみち長くなることはあるまい。
しかし、フーシェが頼りにする時というものは、遂に巡ってくることはなかった。諸外国の友人たち……アレクサンドルやメッテルニヒ、あるいは諸国の外交官、政府高官といった者たち……かつては便宜を図ってやり、最終的に彼らの意に沿わなかったとは言え、甘い言葉で自尊心をくすぐってやったというのに、彼らの応対は冷たかった。反ナポレオンの態度で一致したヨーロッパ諸国は、フーシェに対しても同じように接したのだ。フーシェはもはや国家レベルの厄介者と化していた。
ベルギー公国やバイエルン王国に腰を落ち着けてみたこともあるが、やがてフランス政府から手が回った。それらの国の外交官がフーシェの仮住まいを訪れ、出ていってもらいたいと婉曲に通達を行ってきた。オーストリアへ行きたいとメッテルニヒに連絡を取った際、彼は拒みこそしなかったが、首都ウィーンに入ることは許さなかった。かつてのオーストリア皇女マリー・アントワネットを革命政府は処刑した。その革命政府の議員だったフーシェを、たとえ一瞬でも皇帝一家の目に触れることがあってはならないという対処なのであろう。
メッテルニヒはイタリアへ行くことも許さず、ウィーンから距離のある他の都市、例えばプラハとかリンツならばよいと滞在を許した。しかし、どこでも、大して歓迎はされなかった。かつてのフランスの有力者として、当初は食事会や夜会に呼ばれたりはするものの、今現在影響力を保持しているわけではなく、しかも話が面白いわけでもないから、興味本位で一度顔を合わせても、二度目はないといった始末だった。表向き歓迎している風であっても、オーストリア貴族たちは、内心ではフランスを追放された革命の亡霊を笑っているのだった。
フーシェはプラハではいつも孤独だった。フーシェの逸話には事欠かないから、町中でもフーシェの顔は知られていた。挨拶をされることはなく、フーシェを見れば町の物はあれがオトラント公爵だと噂し、その後ろ暗い噂の真偽をひそひそと語り合っていた。多くの聞きたくない話題のうちに、ナポレオンをやり込めた、あるいはフランス国王すら脅しつけたという類の話が混じって、フーシェはひそかに心中で唇を歪めたものだった。
権力を失い、財産も失った。パリの宮殿や家屋敷、所有物の一切は政府に没収され、銀行預金も取り上げられた。別名義で諸国の各銀行に貯めていた隠し財産は残っていたが、雀の涙程度のものだ。しかし、フーシェにとって最も痛いのは陰謀さえも失ったことだった。
金の切れ目が縁の切れ目というもので、あれほど権勢を誇ったフーシェのスパイ網も、今や寸断されてその機能を失っていた。フーシェの部下はかつてのフーシェのやり方を参考に、警察組織を再構築した。しかし、フーシェが有能だったというのは、フーシェ方式が以後も残ったことでうかがい知ることができる。軍のおまけに過ぎなかった警察というものに、独立した組織としての形を与えたのはフーシェだった。フランス警察は、近代ヨーロッパにおける警察組織の祖になった。
フーシェの手足だったスパイたちは、フーシェ個人に仕えることをやめ、新しいフランス警察の指揮官に仕えるようになった。年老いたスパイたち、フーシェにごく近い者たちだけは忠誠を誓い続けたが、若い者は新しい警察に付いた。警察にも、スパイにも、世代交代の時が来ていた。警察とスパイは王政に手を貸し、支え続けた。
フーシェはこの期に及んで、しぶとく権力への渇望を失ってはいなかった。僅かな細い、諜報の糸を通じてパリの陰謀に関わろうとしたが、時勢を探るのが精一杯で、自ら策謀を巡らすことは出来なかった。単に暇を持て余していたためか、あるいはもはや陰謀なくしては生きられぬようになったのか、常にフーシェは陰謀を手の中で転がしていた。ナポレオンを致命的なスキャンダルで脅しつけ、その生殺与奪の権を握ったように、ルイ18世に対しても有効な脅しを見つけようと躍起になった。自分はその気になれば王をも突き殺せる短剣を懐中に握っているのだぞと思い、密かに悦に浸っていることが必要だった。それを求め続けることが、権力から脱落した男の、ほんの小さな救いだった。
痩せこけたちっぽけなプライドを満足させる程度の企みに過ぎなかったが、このことはフーシェのささやかな晩年を穏やかに保つことにもなった。フーシェがこのような状況になっても策謀を企んでいることはオーストリアにいるメッテルニヒの部下を始め、フーシェを監視するフランス政府のスパイなども察知していた。奴を害そうとすれば、これまで溜め込んだ秘密の全てを暴露するかもしれず、おとなしくしていてくれるならば放っておくべきだ、と、フランスの貴族や有力者たちは判断した。利害のないところでは誰にでも穏やかで優しいフーシェの人柄が役に立ったのかもしれない。それに、フーシェももはや老人だ。時勢から取り残され、そっとしておかれる存在になっていた。当人はそれに気付かず、遊び程度の陰謀を弄び続けていた。
キャステラーヌ嬢がフーシェの元を訪れたのは、そのような時期だった。
晩年のフーシェにはささやかな幸福があった。亡くなった妻ボンヌとの間には三男二女(うち長女ニエーヴルはロベスピエールとの暗闘期に病没)があった。フーシェがフランスを追放された今、子供たちの保護は失われていたが、スウェーデンが彼らの保護を申し出てくれたのだ。スウェーデンの王となったベルナドットとの間には、政治的な友好があった。フランス、オーストリアを始め諸国からの圧力があったのだろうが、フーシェ自身のスウェーデン入りこそ断られたものの、もはやフーシェは老残の身であり、未来ある子供たちだけでも預かってもらえたことは幸福だった。世話を焼いてくれたのはかつてのジャコバンのよしみだけではなかろうが、ベルナドットはタレーランやメッテルニヒほど冷たい相手ではなかった。
ベルナドットの側でも、ナポレオンの影響力がまだ存在している以上、フーシェの親族を引きつけておくことも必要だと考えたのだろう。万が一ナポレオンの復権が成るようであれば、フーシェの親族は外交的に利用できる。事実、1851年にナポレオンの甥であるナポレオン三世が権力を握ったことを考えると、その目論見の一部は達成されたと言えるかもしれない。その頃には、フーシェの子はフランスへ渡り、ナポレオン三世と面会し、かつて互いの父と叔父が行った権力闘争のことを話したかもしれない。フーシェの世評のことを考えれば、ありえぬことだろうか。
ともあれ、フーシェの子供たちを、ベルナドットは厚遇した。特に三男アタナス・フーシェはベルナドットの息子オスカル一世に仕え、狩猟長官としてその側にいたようだ。アタナスは子を残し、フーシェより受け継いだオトラント公爵の名を孫へ引き継いだ。それは現在まで続いており、現在では八代目のオトラント公爵が存命のようである。
しかし、子供たちがやがて栄達することになろうと、1816年において、フーシェはプラハで一人だった。オーストリア人の執事や侍女、召使いなどは皆オーストリアのスパイであるかもしれず、パリにいるかつての旧友たちもフーシェを訪れることなどもなく、手紙を出そうと返事が戻ってくることなどはまれであった。フーシェは孤独だった。フーシェには陰謀のみが友であり、今さら他にすがることのできるものはなかった。
キャステラーヌ嬢と再会したフーシェが感じたのは、会うべきではなかったという思いだった。病が重いことにして追い返せばよかったかもしれない、とさえ思った。彼女のことを嫌ってはいなかったが、むしろ嫌っていなかったからこそ、嬉しさよりもみじめさの方が勝った。しかし、フーシェは彼女を通した。客間へ案内させ、旅装を解かせ、椅子に座らせた。
「迷惑ではなかったかしら」
「むしろありがたい限りだよ。この老人を訪ねてくれる人など滅多にいなくてね」
フーシェは自らを装うことは得意だった。利害の存在しないところでは、他人に優しく接することがフーシェの美点だった。しかし、それは権力者であったからこそ美徳として扱われたのだ。このような立場になってそのように演じるのは、媚態を示しているようで、嫌悪感が先立つ。
「それは良かったわ。会いに来ない方が良いかしらと思ったのだけど。どうしているか、気になって」
フーシェはわずかに顔を背け、彼女から視線を外した。若々しいキャステラーヌ嬢は、眩しいほどだった。
フーシェは自らが情けなかったのだ。若い女が六十近い老人に、素直な好意を抱くはずはない。このように会いに来ることには、どこかに打算があってのことだ。それに充分に報いられるなら、それもよかろう。しかし、今は何もかも失った敗残の身なのだ。それを分かっているから、権力を望む政治家、資本家、商人を始め、老いた女も若い女も寄り付かない。彼女は何も分かっていないのだ。政治には疎い女だと思っていたが、フーシェが未だ有力者のつもりでいる。キャステラーヌ嬢の軽妙な語りも、熱っぽく見る視線も、フーシェではなく、フランスで一番の金持ちと呼ばれたフーシェの資産に向けられているのだ。
しかし、それでも、フーシェは嬉しかった。皆が背を向け、誰も寄り付かず、身近にいる者はフーシェを眺めてひそひそと噂し……フーシェは自らの行いのために、他人を疑いやすくなっており、それがますます自らを追い詰めていた。他人を監視し、脅しつけ、支配してきたツケが回ってきたのだ。彼女は救いだった。
彼女は勝手に話した。自分の身の回りのことであるとか、地元のことなど。フーシェは長いこと他人の気を紛らわすために、ぺらぺらと気を遣って話したことはなかった。キャステラーヌ嬢がおべっかのためにフーシェに語りかけたわけではなかろうが、そのように話してくれるのはありがたかった。フーシェには話せるほどの話題もないほど、何もない日々を送っていたからだ。しかしやがて、キャステラーヌ嬢も一方的に話せる話題も尽きて、フーシェに水を向けた。「フーシェさんは……近頃、どうしているの」それはフーシェにとって聞かれたくないことだった。
「特別、変わったことはない。長いこと仕事しかしてこなかったものでね、楽しみを知らない。毎日、退屈で過ごしているよ。家族や友人もいなくなったし……しかし、一人でゆっくりと過ごせるのは、悪いことではない」
本音ではなく、フーシェの強がりだ。そう、とキャステラーヌ嬢は相槌を打った。
「ご家族はどちらに?」
「スウェーデンだ。このような情勢で、受け入れてくれる人がいることはありがたいことだよ」
「私、フーシェさんのことはよく知らないわ。だけど、フランスのやりようは、あまりにひどいわ。フーシェさんが追放される謂れなんて……」
「君は知らなくて良いことだが、それだけのことをしたんだよ」
キャステラーヌ嬢の表情が、複雑な色合いを見せた。瞳はフーシェを見つめ、口元には言葉が飛び出しかかっている。聞きたい、フーシェの過去を知りたい、と表情は語っている。しかし、フーシェにとっては語りたくない事柄だ。単に遺産を求めて媚びを売るならともかく、王の処刑に賛成したことや、後ろ暗い陰謀を操って他人を脅し、陥れていたことなど、自慢できることではない。かつての妻ボンヌは、そういった部分には触れずに、フーシェの人生の辛い部分に付き添ってくれた。
「しかし、いつまでもこのままではないだろう。王はやがて追放されるだろうと、私は考えている。そうしたらパリへ戻ることもできるかもしれないね。政府や議会とて、今のままではいられまい」
「フーシェさんは何でも知っているのね」
「ああ、その通りだ。今は悲しいことに流浪の身だ。君にしてあげられることは何もない。しかし、パリへ戻ったら……」
キャステラーヌ嬢には、どうにもそのようには思えなかった。フーシェは知らないのだ、と思った。パリでは王は、案外好意的に受け止められている。確かに強硬に反対している人たちはいる。共和派やボナパルティストたち……しかし、大半の人は戦争さえなくなれば万歳なのだ。フーシェやタレーランを始め、ナポレオンの影響を受けていたと思われる人物はいなくなった。王は平和を重んじ、そのような王であるから、諸外国もまた好戦的になることもない。
キャステラーヌ嬢を始め、民衆はその詳細までは知らなかったが、戦争からは遠ざかった気配は感じていた。しかし、フーシェは未だ混乱を望んでいるように見える。その混乱の中でのみ、また中央へ戻る目があると思っているかのように。今にして思えば、キャステラーヌ嬢はフーシェの正体を知った時、その陰謀の一部に触れた。その危険な部分も嫌いではなかったが、穏やかな老人としての姿の方が好ましいと思った。あの時高揚感を抱いたのは、秘密を共有している感じ、またフーシェを手伝うことで、彼に協力できたという部分が良かったのだ。
「パリへ戻ったら、何をしてくださるの?」
「どのようなことでも。このように不遇の時期に、優しくしてくれたような人には、どのようなことでもしてあげたくなるよ」
「それは、結婚でもよろしいのかしら」
正直に言えば、その言葉は、フーシェにとっては意外なことではなかった。最初を妻を失った後は、フーシェを喜ばせ、結婚に持ち込もうとする女性はいた。フーシェはどれも断ってきた。キャステラーヌ嬢は露骨に媚びる女ではなかったが、その出会った当初はフーシェの実情を知らなかった。その点で純真とは言えた。
「いやだ、こんなことを言うために来たのではないのに。……私、フーシェさんがどうしているか心配で来たのよ。けして、誰にでも同じことを言うような、そんな女じゃないの。だけど、結婚したいのは本当のことよ」
「このような老人になっても、結婚を申し込まれるとは思わなかった。ありがたいことだ。しかし、君は若い。君はもっと若くて、将来性のある人と付き合うべきだ」
「そのようなことを仰らないで。私たち、長いこと付き合ってきたわ。確かに共に過ごした時間は短いかもしれないけれど、知り合ってから長いこと文通をしてきたじゃない。知り合ってごく短い時間で結婚を決める人だっているわ。それに比べたら、慎み深いと思わない? それとも、私の身分が気に入らないの。都会の人じゃなくて、貴族とは言え、田舎者だから……」
「そのようなわけじゃない」
フーシェはキャステラーヌ嬢の勢いには戸惑った。しかし、何かを得ようとする時、人はこのようになりふり構わなくなるものかと考えることにした。
フーシェとて、キャステラーヌ嬢を嫌ってはいない。つまらぬ付き合いの間柄ならば、訪ねられたとて断っていたことだろう。門戸を開いたのはキャステラーヌ嬢だからだ。亡妻を愛していたが、亡くなった今となっては、フーシェ一人が納得するかだ。
遺産狙いだとしても、フーシェがキャステラーヌ嬢を受け入れがたく思ったのは、キャステラーヌ嬢に失望されたくなかったからだった。彼女と共に過ごし、寝食をともにするならば、彼女はフーシェの実情を知ることになる。かつての妻はフーシェのつまらぬ話にも付き合い、また沈黙していても気にせずにいてくれたが、キャステラーヌ嬢は老人と共に過ごす時間はつまらぬと感じるだろうし、若いが故に気も変わりやすいことだろうから、フーシェにもすぐに飽きてしまうだろう。孤独には耐えかねている。しかし、キャステラーヌ嬢を迎え入れたとて、フーシェにはつまらぬ結末となるに違いない。
「フーシェさん」キャステラーヌ嬢は立ち上がり、フーシェに身を寄せた。「私をエルネスティーヌと呼んでくださる?」
彼女は太陽のようなまばゆさをしていた。
「私としては、君のような若い人が、私のような老人に熱を上げてくれるのが不思議だ」
「フーシェさんは私の夢を叶えてくれたもの。最初は、フーシェさんのことを何も知らなかったし、今だって知らないけれど。だけど、もっと知りたいと思っているわ。フーシェさんの噂はたくさん聞いたわ。良いことも悪いことも。それが、どこまで本当か知りたいのよ」
変わった娘だ、とフーシェは思った。それが実感だった。キャステラーヌ嬢は若く、充分に美しい。しかし彼女には常と違ったところがあり、それが彼女を孤独にしている。言い寄ってくる若者の一人や二人はいるだろうに。何がそのようにさせるのか、フーシェには分からなかった。
しかし、フーシェを知りたい、という部分に、彼は惹かれた。思えばかつての妻ボンヌにさえ本音は漏らせなかった。家族にさえ、本当のことは言えなかった。高度な情報戦ではいかに自らを隠すかが重要で、ナポレオンが妻ジョゼフィーヌへ言った秘密さえフーシェに届いたことを思えば、ジョゼフィーヌに比べいかにボンヌが慎み深く、また他人と交流も少ないと言っても、陰謀を漏らすことはできなかった。
自分のことを語るには、むしろ今が良い時期だった。それは同時に、自分の情報を隠し、相手の情報を蒐集する陰謀の道を失うことになる。しかし、良いではないか。誰かがフーシェのことを語るにしても、毀誉褒貶に満ちた評ばかりになる。一生のうち、自分の本当の部分を誰にも知られず、誰にも語られずに消えていくことはいかに寂しい。
キャステラーヌ嬢が遺産狙いだろうが、そこは気にならなかった。フーシェとて結婚を決めた時、妻の実家の支援を期待し、決めたようなものだ。キャステラーヌ嬢がフーシェの人柄に惹かれたとしても、橋の下に住む浮浪者であれば言い寄ることはなかったろう。打算は必ずあるのだ。フーシェにとってキャステラーヌ嬢は、侘しい晩年に得た、闇の中の光明ではないかと思えた。
「エルネスティーヌ」フーシェは彼女の名を呼んだ。「今日は、別の話をしよう。今日は泊まってゆくといい。明日の朝、改めて君に結婚を申し込むことにするよ」
エルネスティーヌは微笑みを顔に浮かべ、頷いた。
フーシェは孤独ではなくなった。陰謀を諦めたわけではなかったが、どうにも物にならなかった。集まる情報は減り、行うべき作業も減っていった。仕事の時間が、家族と過ごす時間に変わった。
老いたフーシェの散歩に付き従う新妻の姿が、プラハ市内で見られるようになっていた。オーストリアやフランスの新聞は、フーシェの老いらくの恋のことを取り上げるようになった。遺産目当ての若い女に捕まった、と新聞は書き立てたが、フーシェは気にしなかった。エルネスティーヌは変わらず、気さくな、明るい女で、良い話し相手だった。死ぬまでの僅かな時間をこの老人に付き合ってくれるのだから、遺産はその代価に過ぎない。元より、フーシェは金そのものには大して興味のない男だった。
しかし、フーシェの晩年は、喜びばかりで満たされたわけではなかった。夜中に目覚め、ベッドの上で体を起こすと、闇の中、衰えた肉体を抱えている自分を発見する。そうして、自分が生きていることに気づく。眠りにつくたび、夢の中で、自分が死んでいることに怯えている。だからこそ、闇の中での目覚めは幾度も繰り返されるのだ。しかも、日中はそれに気づくことはない。日常のルーティーンがあり、エルネスティーヌのいる喜びがあるからだ。
しかし闇の中で目覚める時、死の恐怖があり、怯えていた記憶の再生がある。自分では何もわからなくなり、忘我のうちに死ぬことが喜ばしいのか、それとも苦しみながらも自我を保っていることが喜ばしいのか、フーシェにはどちらともつかなかった。その悩みを話そうとも思わなかった。話すとしても、それもまた喜びのうちにある。自分が消滅するという恐怖は、闇の中にのみあった。
眠っているエルネスティーヌを想う。彼女には何の恐れもない……フーシェの死後も、エルネスティーヌは生き、日々を過ごす。やがて恋をして、家族を作り、新たな生活を始めることだろう。結局、自分は捨てられていく者なのだ。そのことが、たまらなくフーシェをかき乱すのだった。
エルネスティーヌにはそのようなことは言わなかった。彼女に失望されたくなかったからだ。何事もなく日々は過ぎていった。
プラハでの生活が半年ほど過ぎたある日、フーシェの元へ客人が訪れた。彼はチボドーという名の隣家の青年で、自分を共和派だと名乗った。オーストリアで共和派をやっているとなれば、オーストリア皇帝に反対する革命青年ということだった。彼はフーシェの話を聞きたがった。やたらと騒々しいばかりで中身のないその青年に辟易したが、客が来るのは珍しいこともあり、歓談を続けていた。
チボドーが訪れるようになって一週間が立った。彼を見送りに行ったエルネスティーヌが戻らないのを気にかけ、フーシェが玄関を覗くと、扉の外でエルネスティーヌとチボドーが話していた……不意に、チボドーがエルネスティーヌの肩を抱き、唇を奪った。フーシェは頭に、さっと熱が上がるのが分かった。ほんの一瞬だったか一分ほどのことか、エルネスティーヌはされるがままにしているように見えた。やがて、二人は身を離した。チボドーはエルネスティーヌに手を振り、離れていった。
フーシェは、エルネスティーヌが戻らないうちに、家の中へ戻り、身を隠した。フーシェのうちにあったのは、死と同じく、諦観だった。所詮、自分は死にゆくもの、過ぎ去ってゆくもの、捨てられるものなのだ。エルネスティーヌを責める気にはなれなかった。波風を立てたくはなかった。それはエルネスティーヌのためというより、自らのためだった。最後の理解者たるエルネスティーヌを失いたくなかった。
浮気についても……それも、致し方ないことだと、フーシェは考えた。フーシェでは彼女を満足させられないのが分かっていた。フーシェは、エルネスティーヌとベッドをともにしたことはなかった。彼女は若く、青春ざかりで、男女の交わりについても夢を抱いていることだろう。翻ってフーシェはやせ衰え、干からびた老人の姿であり、精力なども枯れきっている。エルネスティーヌを失望させるのは分かりきっていた。それもまた言い訳だった。そのような自分の姿を見られたくなかったのだ。男には、いつまで経っても、そのような部分がある。フーシェは見栄を捨ててまで欲望に振り切れるような男ではなかった。
夫として自分が不十分であることは分かっていた。若い娘が、やがては誰かを求めることも分かっていた。しかし、その姿を眼前にすれば心はざわめき、憤りが胸の中で渦巻く。妻に当たり散らすこともならなかった。このようなときに気を紛らわしてくれる仕事もなく、フーシェは鬱屈せざるを得なかった。しかし、そのような時でも、エルネスティーヌには気づかれまいと振る舞った。自らを押し殺すことには慣れていた。
不意に、フーシェは正邪のことを思い出した。正邪は姿を变化させることに、長けているようだった。エルネスティーヌの正体は正邪かもしれない。奴のように性根のねじまがった者ならば、その程度のことはする。エルネスティーヌに隠している暗部のことも、奴ならば見透かしているに違いない。知りながら、とぼけて新妻のふりを通し、にやにやと心の内で笑っている。
これまでフーシェがやってきたこと、その意趣返しのために、このような手段を取るやつだ。自分がされたわけでもなく、むしろ自分も加担してきたのに、その愉しみのためだけに、わざわざそのようなことまでする。人の持つ嫌らしさが形になったような者が、奴なのだ。彼女が真実愛情だけでフーシェに寄り添っているとは思わないが、エルネスティーヌが別のなにかであると疑ったことはなかった。
アラビア地域には、盗まれた宝物は、例え泥棒を捕まえ品物が返ってきたとしても、その品物は既に自分のものではないという考えがある。どのように大切にしてきた品物であれ、どこかへ売り払ってしまうという。疑念はそれに似ている。一度疑えば、考え直したとして、頭の中にこびりつき、ふとしたことで再び疑いを持つ。
振り払うためにはエルネスティーヌに問いただすほかはないが、聞いて否定されたとして、それで疑いが消え去るわけではない。そして、「君は正邪か」と聞いた時、にやぁと笑って肯定されれば、それはどのような悪夢だろうか。フーシェは顔を覆い、消えてしまいたい気分になった。このような疑念をこそ、忘れ去ってしまいたかった。しかし、全ては、フーシェの生き方がさせたことだ。仮に正邪のような者にとりつかれたとして、他人を騙すことなく、真摯に生きていれば、他人に過剰な疑念を抱くことはなかっただろう。ましてや、人間が別人に成り代わっているなど。フーシェは、これまでの人生の全てを奪われてしまったような気分になった。フーシェは死んだ妻ボンヌに会いたくなった。スウェーデンにいる息子たちが自分を訪ねてくれることを思った……。あるいは、この絶望こそ、正邪がフーシェに与えようとしたものかもしれなかった。
フーシェは塞ぎ込む時間が増えた。子供のように部屋にこもるわけではないが、エルネスティーヌと同じ場所にいようと、自分の内に向き合うことが多くなった。彼女の声を聞いていても、その言葉の中には、自分が作り出した疑念があった。
「ジョゼフ」エルネスティーヌは、フーシェをそう呼ぶようになっていた。「ジョゼフ、聞いているかしら?」
「ああ、聞いているよ。何だったかな」
「近頃、上の空になっていることが多いわねって言ったの。やっぱり、チボドーのことかしら」
その名前を聞くのは辛かった。しかし、努めて明るく振る舞った。
「そういや、近頃彼は来ないね」
「二度と来ないわよ。彼、私に不埒な真似をしたの。それで、来ないように申し付けたの。……悪いことをしたかしら」
フーシェは顔を上げ、エルネスティーヌを見た。彼女もまたフーシェを見ていた。相変わらず意思の強さは感じられたが、フーシェの顔色を伺うような迷いがあった。
「本来なら、私がするべきことだっただろうに。むしろ、私の方が悪いことをした」
フーシェはエルネスティーヌを労った。振られた男が、気を寄せた女に腹いせにどのような言葉を吐くか、想像できないものでもなかった。
以後、チボドーの名前が二人の間に出ることはなかった。フーシェは人を雇って、チボドーをひどい目に合わせた。そして、まとまった金をくれてやり、その金でどこへでも行くように伝えさせた。それで、チボドーはウィーンへ逃げてゆき、二度とフーシェの前に姿を表すことはなかった。
エルネスティーヌは気にした風には見えなかったが、フーシェの内には疑念が芽生え、そしてフーシェの内に長く残り続けた。残ったのは、フーシェの中にだけではなかった。チボドーとエルネスティーヌの間に何かあったらしいということ、そして実力者の夫の力で、町を去らざるを得なかったことは、新聞に大きく取り上げられた。堅物のフーシェがこの手の問題を起こすことは珍しく、この手のスキャンダルを民衆は喜ぶものだし、フーシェ自身が新聞を操っていた頃にはよく利用したものだ。
フーシェとエルネスティーヌは奇異の目で見られるようになった。フーシェ自身が見られることも恥ならば、エルネスティーヌに辛い目を見させるのも可哀想で、耐えきれなかった。フーシェは恥を忍んでメッテルニヒに使いをやり、プラハから離れる許可を得た。
逃げてしまっては、問題は事実だったと認めるようなものだ。エルネスティーヌ自身も反対した。しかし、エルネスティーヌが僅かでも耐えなければならないような事態は避けたかった。やがてリンツに移住する許可を得ると、二人は逃げるようにプラハを離れた。
リンツ、ウィーンやパリに比べればよほど寂れた田舎町である。ようやく都会風の建物、舞踏館やカフェなどが出来はじめたところであり、まだまだ商業的というよりも農耕の香りが濃い町だった。この土地での日々もまた、快いものではなかった。この土地の貴族たちもまた、フーシェを古びた珍しい品物として扱ったし、フーシェよりもその夫人、見目麗しいエルネスティーヌの方を持て囃した。リンツでの日々は二年に及んだが、この地での日々は大した起伏はなかった。
一方フランスでは王を抱き、革命など忘れたようだったが、意外にも王は議会に協力した。ナポレオンがエルバ島に流され、そして帰還するまでの短い復古王政の間は大きな乱れが見られたが、二度目の復古王政下では王は理性的に振る舞い、貴族たちもそれに従わせた。この点、民衆の勝利と呼ぶべきだろう。ナポレオンに対して向けられた歓呼の声も無駄ではなかった。
フーシェやタレーランなどを怒りに任せて追放するなどもあったが、以前の絶対王政の体制には戻れないことを思い知ったのだろう。旧体制に固執すれば、またナポレオンのような者の出現を許すだろう。王の権力は制限され、議会がそれに取って代わった。議会もまた、王政に阿りながらも、革命の成果を捨てることはしなかった。
革命によって天秤は揺れに揺れ、そのたびに王党派へ、共和派へと秤は傾いた。そしてナポレオンの帝政に至って天秤の傾きは極致に至ったが、ようやくその傾きも収まったような風向きだった。
時勢が穏やかになっても、フーシェのことは忘れ去りはしなかった。革命の良い部分は残したが、フーシェは明らかに革命の暗部だった。彼の追放はいつまで経とうと解かれなかった。どうにかパリへ戻るため、表に裏に手を尽くしてみたが、一向に成果は出なかった。少なくとも立憲王政であるうちはだめだ、という返事ばかりで、それが終わる頃にはもはやフーシェは生きてはいまい。諦めろ、と告げているに等しかった。
リンツでの日々が過ぎ、フーシェの身は弱っていった。権力が得られる目がないと見るや、気力も萎えきってしまったようで、老いによって体も限界だった。特に肺の痛みはひどく、咳が友になり、呼吸が乱れることも頻繁になった。
リンツの寒冷な風土は、フーシェの体を痛めつけるばかりであった。治癒のために温かい土地へ移りたいとメッテルニヒに依頼し、ようやくのことでフーシェはイタリアへ移る許可をもらった。長くナポレオンの影響下にあったイタリアへ移住する気になったのは、メッテルニヒもフーシェの死が近いことを感じたわけで、この瀕死の老人が何をしようともはや体制は揺らがない、と考えたためだ。フランスをはじめヨーロッパは、ウィーン体制という新しい世界秩序の元動き始めていた。そうして、フーシェは最期の土地、トリエステへと移住をしたのだった。
フーシェは最期まで流浪生活を続けざるを得なかった。オーストリアでも、イタリアでも、好奇の目からは逃れ得なかった。その土地にもそう長くはおれず、また慌ただしい引っ越しをせねばならぬのかと感じていた。しかし、彼を暖かく迎える珍しい都市もあったものだ。それはイタリアの東端にあるトリエステと言う港町で、一時はイリリア州の一都市としてまとめられていた。かつて、ナポレオンが第六次対仏同盟軍と対峙するにあたって、フーシェをパリに置いておかないため、送りつけた土地である。
フーシェがそこにいた時期は一月あまりに過ぎず、したことと言えばオーストリア軍が進軍してくるにあたって、いかに被害を出さずそこを明け渡すか交渉したに過ぎない。元より仕事好きのフーシェは、最大限の便宜を図った。そのおかげで戦闘は起きず、略奪の被害は抑えられた。フーシェがいつもやっていた仕事に比べれば単調で簡単な作業に過ぎず、ナポレオンに押し付けられたこともあって、つまらない仕事以上の認識を保たなかったが、思わぬところで恩を感じていてくれたものである。
トリエステは元来独立した都市国家で、帝政フランス、あるいは新しい支配者のオーストリア帝国に対し、反発心を抱いていたのかもしれない。オーストリアやフランスに憎まれているのなら仲間だと言わんばかりに、フーシェを迎え入れたのだ。この都市は後に、ナポレオンの妹でミュラの妻、カロリーヌも迎え入れている。
この地域には様々な民族が入り混じり、イタリアやオーストリアに対し、帰属意識を持っていなかった。オーストリア帝国の支配下に入った後には民族的活動の一切を禁止され、弾圧を受けた。更に後年、冷戦期にはイタリア、ユーゴスラビア間でこの一帯の領有を巡って争い、英、米軍の介入を受けたこともある。話題はそれたが、後年に起きるそのような争いは遠く、今は穏やかな港町である。フーシェが生まれ育ったナントとも、何やら近しいものを感じたのかもしれない。フーシェの方でも、この温暖な港町を気に入っていた。
1820年、61歳のフーシェはトリエステでの日々を過ごしていた。肉体は老いさばらえ、それでも何かを得ようと手を伸ばし、体を引きずって歩いていた。
この時代の若者は皆そうだが、時代の大舞台にいるという自覚があった。革命のために、というのはこの世の正義だった。当時の人々の感覚は今とは違い、また人の生命の重さもまた違う。人権という考えもなかった。国民全ては王の所有物であり、財産もまた個人所有を許されていなかった。第三身分は全てである、しかし、無と同じように扱われている。第三身分は何者かになることを求めている……シェイエスがそう表現した通りに、皆、何者かになることを求めていた。それを渇望し、叶えられる時代だった。
しかし、多くの若者は悲劇的な結末を辿った。ロベスピエール、ナポレオンなども、何かを得たかもしれないが、やがては破滅した。タレーランは成功しただろうか。最終的にパリに住まい、ベッドの上で安らかに死を迎えたという意味では成功したと言えるだろう。しかし苦労は多かった。革命において、理想とは違った過程を多く辿り、失望の末の亡命も経験した。
革命は、一人の英雄によって成り立つものではなく、無私かつ英邁な精神によって成り立ち、しかも人々には理解されぬという業も抱いていた。それを良しとしたのはロベスピエールだけだった。しかしその彼とて、死んでもよいとは思わなかっただろう。金銭問題、女性問題においてクリーンだというイメージが付きすぎて遂に機会を失ったが、美女との逢瀬もまた望んでいたはずだ。彼は家具職人の二階に下宿していたが、その家主の娘が、自分に心を寄せていたのを知っていた。何もかもが終わり、後事を若者に託した後は、彼女と家族になっていただろう。議員を辞め、田舎へ帰って弁護士として家族を作り、生活をし、恵まれぬ人々に尽くす、そういう未来もあったはずだ。
人には役割がある。それを終わった後は、晩節に過ぎぬ。どのように汚そうと、歴史には関わりのないことだとも言える。ナポレオンにとっては王政の復古を二十年の長くに渡って防ぎ、革命の普及に努めたこと、ロベスピエールにとっては憲法の制定を成したこと、それ以後は晩節と呼べるかもしれぬ。
フーシェにとっては、王の処刑へ一票を入れた瞬間がそれだったかもしれない。処刑に対し裁判前は反対派が多かったとも言われるが、その当日は議会を多くの市民が囲み、議員を捕まえては脅していたとも言われる。その日の雰囲気に負けて賛成に入れた者も多くいた。それまでは穏健派に属し、議員投票の日から過激派のジャコバンへ鞍替えしたフーシェがその黒幕であったと言えば陰謀の主たるフーシェの面目躍如とも言えるが、その日のフーシェは単に風向きを読み、命惜しさにそうしただけに過ぎなかった。処刑への一票、その日国民公会にいた全ての議員は、歴史の舞台にいたとも言える。
そこにいた多くの者は早くに消えた。フーシェは長く生きた。長く、生き過ぎた。フーシェはもはや歴史において消え去るのみの、残余に過ぎぬ者となった。フーシェは果たして、どのように生きるべきであったのか。これは挿話であるが、プラハにおいて、フーシェはカルノーと出会った。カルノーは王政復古以後、フランスを追放されていたが、プロシアのマクデブルクに落ち着いていた。彼が学者に会うためにプラハを訪れた際、フーシェと行き会ったのだ。フーシェは徒歩で、カルノーは馬車に乗っていた。フーシェが先に見つけ、無視しようとしたが、カルノーの側で目ざとく気づき、馬車を寄せてきた。
「おう、フーシェ! よくもやってくれたな」
「やあ。そちらはうまくやっているかね」
フーシェは歩みを止めずに、横を向いたまま話した。馬車は歩く早さに合わせてついてきた。
「おう。今は新しい論文を書いとる。それくらいしかすることがなくてな。今はマクデブルクにいる。お前も、気が向いたら来い。今は人を待たせておるから、またな」
カルノーの馬車は過ぎ去っていった。それきりフーシェとカルノーは会うこともなかった。フーシェもカルノーも同じく追放者、流浪者の身分に終わった。しかし、カルノーは成功者と言えるかもしれない。彼はフランスの名閣僚として名前を残した。政府はナポレオンやバラスといった首脳の力だけで動くものではなく、無数の官僚たちなくしては機能しない。カルノーは粛々と自分のすることをやり、フランスを追い出されたが、どこでも気ままに過ごした。彼は死ぬまでマクデブルクで過ごしたが、フランスに呼び戻されたならば、気前良く戻って仕事をしたことだろう。
トリエステにおけるフーシェは気ままに過ごすどころではなかった。フーシェの属性とはやはり、混乱と陰謀だった。ナポレオンは、「フーシェは食事のように陰謀を必要とした」と、セント・ヘレナにおいて口述筆記を残したが、人々はそれを素直に飲み込んでしまっている。結局のところ、フーシェは陰謀によって生き延び、陰謀によって成り上がり、そして立場を維持するために陰謀を操った。それ以外の生き方は出来なかった。そして、死の淵から生還したスリルに魂を焦がされてしまったためか、それを愉しむようになってしまった。単に生存欲求と言うには説明しきれない熱心さで、フーシェは諜報に取り組んでいる。それがフーシェの本質だと、人々も、新聞もそう言い、また後世の伝記も研究書もそう言うだろう。彼の持つ穏やかさ、家族に対する愛情などは、本当の姿を隠すための隠れ蓑に過ぎないと。
彼がそのなってしまったのは何のためか。生存本能がそれを要求した。国民公会の処刑賛成派の大半が、人生を短く終えた。フーシェは生き延びたいと望み、そのためにあらゆる手を尽くした。単なる処刑賛成派、極左一派の一人として終わるのではなく、それ以外の何かになるために、生き延びたいと願った。ロベスピエールなどは革命の成果として憲法を作った。翻って自分は何も為していないではないか。フーシェもまた何かを成し遂げたいと思った。しかし、その末にフーシェは結局、意地汚く生き延びたに過ぎなかった。
フーシェはその若き頃、革命に対し反乱を起こしたリヨン市に派遣された。彼は市に対し、革命に反抗した報いを与えねばならなかった。ちょうど、穏健派から過激派へ鞍替えした時期で、それらしい振る舞いをしなければならなかった。王党派を市外の平原へ連れ出して大砲で処刑し、リヨンの霰弾乱殺者と呼ばれるに至ったことは、既に述べた通りである。
のみならず、フーシェはこれまで特権を貪ってきた宗教勢力に対しても弾圧を加えねばならなかった。それはかつて僧侶であったとは思えないほど苛烈だった。
かつて、バスティーユ襲撃が行われた日にパリにいたシャリエという男は、その城塞が民衆の蜂起によって破壊されるのをその目で見、革命こそこの世の真実だと思い知り、その瓦礫を両腕に抱えて生まれ故郷のリヨンまで徒歩で持ち帰った。自ら作り上げた神殿にその瓦礫を飾って信仰し、革命に対し熱烈なキャンペーンを行った。未だ革命の届かぬ王党派に眉をひそめられようと、彼は意に介さなかった。
その熱烈さがパリの国民公会に評価され、彼はリヨンにおける指導者に任命された。しかしリヨンの王党派からの反発を受け、ギロチンによってシャリエを処刑、その首を持って公会への反乱の兆しとした。軍によってリヨン市の反乱が鎮圧され、フーシェが派遣されてきた後、彼はシャリエの遺骸を探し出し、神輿へ乗せて兵たちに担がせ、パレードを行った。その列の最後にはラバを歩かせ、頭には大司教の冠を被せ、尻尾に聖書と十字架を括り付けて歩かせたのだ。ラバが遠慮なく糞を垂れるたび、それが聖書へと降りかかるという具合だった。教会という教会は破壊され、関係者は逮捕、財産は没収されたのは言うまでもない。
革命に参加するためには、これほどの振る舞いをせねばならなかった。フーシェは人だけではなく、神と信仰をも裏切った。その彼がナポレオンの警察大臣となり、ナポレオンがローマ法王をはじめ教会と和解した後には、フーシェは教会を侮辱したことなど忘れたように振る舞った。そして、フーシェはトリエステで過ごすに至って、自らかなぐり捨てた信仰を、再び拾い上げることになった。
穏やかな夕方、正邪は礼拝堂の重い扉を押し開き、中へ進んだ。正邪は誰の姿もしていなかった。矢印をモチーフとした正邪自身の好みの洋服、そして黒と白の混じった中に一筋の赤いメッシュを入れた髪、そして髪の間から覗く角も隠さずにそこにいた。礼拝堂は薄闇の中にあった。礼拝の時間は過ぎ、中には正邪ともう一人を除き、誰もいなかった。目指す人物は長椅子の端にうずくまって、祈りを捧げていた。正邪は年老いたフーシェの元へ歩み寄った。
人を裏切った際、再び迎え入れられることは難しい。強烈な反発をくらい、常に疑念を持たれることになる。しかし、教会はフーシェのような者でも見捨てはしなかった。教会を差配するのもまた人であるから、不平等や犯罪が行われることもあるが、大半の教会では神の前での平等が守られていた。そこを訪れる者は誰もが等しく迎え入れられる。
「元気にしてたかい」
フーシェは答えなかった。聞こえていないかのごとくだった。正邪が革命やその後の煩雑とした時代にのみ現れる現象のようなものとするならば、フーシェには正邪が見えなくなってしまっていてもおかしくはなかった。
「怒ったか? しかし、あんたの時代は終わってた。タレーランについてた方が面白いと思ったんだ。あんたも私のように無責任な立場ならば、同じようにしただろう。しかし、タレーランも大したことはなかった。ルイ18世にしても、リシュリューもドゥカズも、まともなことしかやらん。世の中がまともになっちまったんだ。一番のイカレ野郎は大西洋の孤島にいる。こんなことならあんたについて、大戦争狂のやつを助けてやった方が面白かったかもしれん。あんたはヨーロッパに残っているのがおかしいほどの変人だ」
言葉を切ると、正邪はため息をつき、そっぽを向いた。いよいよ、フーシェにも嫌われちまった。
「何をしに来た」
「あんたに会いに来た。それだけさ」
正邪がぱっとフーシェの方を向き直ったが、フーシェは正邪を見てはいなかった。彼はうずくまり、額に組んだ手を当てたままだった。
「私には神は見えず、お前のような者だけが見える。いや……コロー・デルボア。バラス、グラックス・バブーフ。それに、ロベスピエール、君もか。ナポレオン、君はやりたいだけのことをしただろう。そして、タレーラン。貴様に恨まれる筋合いはない……」
タレーランやナポレオンは、未だ命を繋いでいる。しかし、フーシェにはもはやその区別もつかないようであった。フーシェの元には、日毎様々な者が現れる。フーシェによって救われた者が多くいたのは確かだ。しかし、一方で、どん底に突き落とされた者も確かにいるのだ。
「ギロチンの刃が、いつでもちらついている。私はあれを遠ざけたかった。そのためには、王を処刑するべきじゃなかった。王にさえギロチンが振るわれたのならば、他の者に振るわない理屈はない。王の前にさえギロチンの刃は平等なのだ。後には政治的なパワーバランス、殺した後でいくらでも理屈のつけられる残酷なパワーバランスしか残らなかった。ロベスピエール! 君は、ギロチンの刃が自らに降りかかることさえ受け入れられたかもしれない。しかし、私には……」
ぎろり、と鋭い眼光が正邪を捕らえた。地の底から響くような低い声は、しかし、震えていた。
「エルネスティーヌ」フーシェは唐突に妻の名を読んだ。「エルネスティーヌ。ああ、ようやく、真の姿を現したな。君は、最初から人ではなかった。キャステラーヌ嬢と呼んでいた頃から、貴様は別人の姿をして……私に近づいた。君とベッドを共にしなくて良かったよ。老いさばらえた、醜い姿をあやかしに晒さずに済んだ。貴様はそれが目的だったのかもしれないがな。精気を吸うために長いこと私に取り憑いて騙してきた。体を預けた瞬間に、私の精気を吸い取り命を奪うつもりだろう。しかし、そうはいかない」
「あんたがそういう思い違いをするとは、想像できなかったよ。ハレンチな畜生め」
「パリにいる連中にだって、私をどうにかさせるものか。私は、貴様ら全ての情報を握っているのだ。既に私のスパイはあらゆるところにいる。妻でさえ、そのようなことをしているとは知らないだろう。いわんや、パリの、政府の連中には分からないところで、私は連中の心臓を掴んでいるのだ。連中に好きにさせておくのは今だけのことだ。今のうちに、新しい陰謀が起こる」
フーシェがもしも、神の元に全てを委ねていたならば、本当の安らぎを得ることもできただろう。余人の見る晩年のフーシェの姿は、それもまた偽りだった。彼は全てを神に委ねたように振る舞った。実際は教会を隠れ蓑に使い、またもや陰謀を操っていたのだ。しかし、正邪に言ったような事実はなかった。一人二人、パリの情勢を知らせてくれる者はあっただろうが、それも噂話程度の、新聞以下のニュースでしかなく、全てを握っているなどとはフーシェの妄想だった。かつてナポレオンを脅した男ももはや死にかけていた。ほとんどの者はフーシェは終わりだと考えており、事実その通りだった。
フーシェは最後まで陰謀を止めなかった。フーシェを陰謀の人たらしめたのは、結局のところ、フーシェ自身の猜疑心だろう。人を騙し続けてきたために、人を信じたならばどのような目に合うか、嫌というほど知っている。新しく妻となったエルネスティーヌですら、その愛を、人であるかすらも疑った。彼に信じられたのは、かつての妻ボンヌと、子供たちだけだっただろう。彼は今や全てを失っていた。
正邪は小さく息をつくと、彼の名を呼んだ。
「フーシェよ」それから、少し黙り込み、言葉を続けた。「言うべきか言うまいか、ずっと考えていた。言っても良かったがな、あんたは私の言うことを信じないだろう。何しろ荒唐無稽で、信じがたい……この世の外にある場所だ。あんた、何もかもを受け入れる場所というのを知っているか。
キリスト教の言う天国、ああいうものさ。中国では桃源郷と言ったりする。天国はキリストの教えに従う者が行ける場所だが、幻想郷にはそういったものはない。誰でも良いし、どのような者でもいいんだ。幻想郷を嫌っていてもいい。私は東の果て、その幻想郷から来た。そこは、何でも受け入れるというような法則で仕切られてる。不愉快なことに、私もそうだ。何もかも破壊する混乱と混沌が好きなくせに、幻想郷に囚われている。あの場所に甘えているんだ。本気ならば、幻想郷だってひっくり返せるはずだ。
私は革命そのものだ。概念として、あらゆる場所に存在する。幻想郷に在り、また同時に世界中のあらゆる場所に私はいる。私は人の心の内に潜む。正しいと思うことに抗い、どのような高位の者であれ気まぐれと裏切りに走らせる。例え相手が無機物だろうと、物言わぬ道具であろうと、私はそのようにしてみせる。あるいは、順序が逆転しているのかもな。無価値だとされてきた者が価値を得ようと自我を抱く時、その中に私を生じさせる……ともかく、人が人であるうちは、私という存在とは不可分だ。二十年前に、この国が大革命で覆われたように、あらゆる場所、あらゆる時代で革命は行われている。私は、私が望もうと望むまいと、ただそこにいる。私はそれを憎んでもよい。しかし、楽しんで悪いということもない。
あんたと同じだ。あんたは革命を憎んだって良かった。教会に残り、反革命の立場を取り、教会ではなく政府と法に宣誓をして……しかし、あんたは革命に身を投じた。あんたは恐怖したし、後悔もしただろう。だが、最終的には楽しむことにした」
フーシェは言葉を返さなかった。当然かもしれない。正邪のこのような話を、まともな精神で受け止められるはずもない。ましてや、現実を半分失ったようなフーシェのような老人には。フーシェは目を剥いて、正邪を睨みつけるだけだった。唇は真一文字に引かれている。
「ああ、どういう話がしたいんだったか。私はただ……あんたに安心させてやりたい。天国なんてものを、あんたは信じてはいないかもしれない。しかし、幻想郷のことをあんたは知った。あの場所のことを知っただけで、あんたはそこに取り込まれた。これは救いか、あるいは、呪いかもしれないな。しかし、呪われたならいい。私はあんたに淫魔のごとく言われたんだ。恨んだっていいよな。あんたに呪いあれ! さて……」
このような話をするんじゃなかった、と正邪は思った。肩を落とし、背を向けた。フーシェは半ばボケている。聞いたってどうしようもないことだ。しかし、だからこそ、言うべきじゃなかった、と正邪は思った。何も言わずに去るべきだった。正邪はそうしようとした。
「私の情報をタレーランの元へ持ってゆくつもりか」
正邪は顔を上げ、振り返った。フーシェは椅子に座ったままで、正邪を見てはいなかった。
「あんたの耳も悪くなったもんだな。タレーランは王に嫌われ、落ち目だ。近いうちに立場をなくすだろう。持ってゆくとすれば王のところだ。しかし、あんたの情報は誰のところへも持ってゆかない。あんたが陰謀を企んでいると聞いても、大した警戒もしないだろう」
「これを持っていけ」
フーシェは手元の包みを開き、正邪に手渡した。それは原稿の束だった。ずっしりとした紙の重みが、正邪の腕にかかった。
「なんだよ」
「回顧録だ。これまでの権力者のありとあらゆる恥部を書き記してある。……中には、今でもパリで権力の中枢にいる者のものもある」
急激に、髪の毛がそそけ立つような感覚を正邪は味わった。フーシェの回顧録。それと聞くだけで、震え上がる者もいるだろう。脛に傷を持たぬ者はおらず、人々はみなそれぞれ自分の事情を隠し持って生きている。誰にも知られぬ愛人を囲う者、異常な性癖を隠し持つ者、過って殺人を犯した過去のある者。あるいは革命下、ナポレオン政権下の混乱の中で金を蓄えた者、フランスを裏切り外国に密通していた者……ロベスピエールほど、革命に身命をなげうった者でない限り、秘密は必ずある。
大なり小なり、人は隠している者がある。そして、国家に対し実害があろうとなかろうと、内容がスキャンダルでありさえすれば民衆は驚き、狂喜して非難するものなのだ。秘密を隠し、安定した地位にある者が、一瞬のうちに地獄へ落ちる。あるいはその波を加速させ、民衆の怒りを煽り立て、機に乗じるカリスマがいたならば、王と政府さえ倒せるかもしれない。
フーシェの回顧録、それを見た有力者たちは、自分の名前が出ていないか、血眼になって探すだろう。フーシェの存在感は一挙に増し、すっかり忘れられ、生きたか死んだかも知られていない男がイタリアの片田舎にいることを人々は思い出すだろう。
「草稿はそれしかない。パリの印刷所で刷るといい。面白いものが見られることだろう」
正邪からは、フーシェの表情は見えなかった。しかし、どのような表情をしているかは、正邪には分かった。
「じゃあな、フーシェ」と正邪は言った。フーシェは小さく手を振った。そうやって二人は別れた。
老兵は語らず、ただ消え去るのみ、というような、わきまえた感覚を、フーシェは持ち合わせなかったようである。
ナポレオンは二度とヨーロッパへは戻れなかったが、セントヘレナにおいて、最後まで語ることによって自らの意志を貫徹した。彼がペンによって戦おうとしたように、フーシェもまた、回顧録を書き残すことによって、最後の戦いを行ったのだ。彼らはどこまでも似ている部分がある。
政治の世界には、未だ生き延びている者たちがいる。かつてはフーシェの同僚や部下だった男たちが、今では出世して政府で権力の中枢にいる。彼らを脅すべき材料は握っている。これらはかつて、ナポレオンを脅していた頃のように、最後の秘密だった。フーシェの機関は次第に力を失い、情報を集める力は失ったが、貯め込んでいたファイルは保身において役立った。フーシェを恨む者、復讐をしようという者も、情報を暴露されることを恐れていた。フーシェは幾度裏切ったことだろう。教会を離れ、革命期では最初に属した穏健派を裏切り、ジャコバン党を裏切り、バラスの総裁政府を裏切り、国王にもつかず、ナポレオンを見捨て、カルノーら臨時政府の面々も裏切った。しかし、そのような男でありながら、幾度も死刑台の危地を逃れ、最期にはベッドの上で安らかに眠るのである。それも、駆けつけた家族や旧友に見送られて。
一人で死ぬナポレオンの死に比べれば、なんと恵まれたことだろうか。しかし、ナポレオンは自ら望んでその立場へ踏み込んだのだし、彼の人生の雄大さ、彼の名前の偉大さに比べれば、フーシェなどは一介の裏切り者に過ぎない。ナポレオンは安らかな死などは求めなかっただろう。ナポレオンは死後において栄光を望み、フーシェは人生において家族との安らかな時間を求めた。フランス革命という激動の時代においては、他人を陥れる術を知っていることが、彼にとって家族を守り、生き延びる方法だった。フーシェはナポレオンやタレーランのように天才ではなく、凡人として、邪道を進むほかはなかった。
フーシェの回顧録は、彼の死後、ひっそりと出版された。ぎくりとした者は幾人もいたことだろう。フーシェが今生きているのか死んでいるのか、慌てて調べた者も多くいたはずだ。イタリアの片田舎に放逐した今も、フーシェの名は隠然と影響力を持っている。彼が死んでいると聞いて、多くの者が胸を撫で下ろし、同時に憎らしく思ったことだろう。墓に入ったならば黙っていればいいものを、地面の下からでも舌を突き出し、告発しようとしている。
そして、回顧録を見た者が驚いたことに、回顧録は当たり障りのない、つまらないものだった。世の中を驚かすようなトピックはなかった。かつてのフーシェと同じやり口だ。武器はちらつかせるだけで、けして振り下ろすことはしない。ギロチンのような暴力装置が日に何度も往復するさまをみたフーシェは、その効用を嫌というほど知っていた。暴力は一度でも振るわれたならば、強烈な憎しみを生み、留まることを知らず膨らんでゆく。フーシェは不必要な暴力は振るわなかった。皆がばたばたと慌てふためく姿を眺めるだけで充分なのだ。フーシェは死後も、パリの様子を見て高らかに笑ったことだろう。
加えてそのような振る舞いは、フーシェの家族を守ることにもなった。彼の抱えていた秘密は、息子や孫たちに継承されているかもしれず、フーシェが死んだからといって、憎しみを家族や親類にぶつけることもできなかった。彼は秘密を抱え続け、死んでも脅しつけることを止めなかった。
1820年の12月26日、トリエステにおいてフーシェは死んだ。彼がいよいよ危篤であると聞いた家族や古い友人は、スウェーデンやパリより来訪し、彼の末期を看取った。彼はベッドの上で、安らかに眠るように亡くなった。革命の最盛期には、裁判は一人ずつではなく集団で扱われ、日に二十人、三十人という数の処刑が行われた。ギロチンは機織り機が動くようにばたん、ばたんと往復し、転がるように首が落ちた。フーシェはギロチンを使わず平野で砲弾による処刑を行った。革命によって軍や警察はその機能を失い、私刑による処刑はパリをはじめ各地で吹き荒れた。
タレーランも立場が危うくなると亡命し、政敵やかつての友人を処刑台に送ったロベスピエールも、やがては自らの作り上げた法の元、その刃を身に受けた。ナポレオンは刑死こそしなかったが、孤島で病熱に苦しんでいる。最後には追放こそされたが、フーシェがこのように安らかに死ぬことは、望外な幸福と呼ばざるを得ない。彼は自らの謀略によって生き延びた。そのために悪名を得た。国内で行われた陰謀の全てにはフーシェの影がある。いくらかは事実無根と言わざるを得ないが、フーシェは知っていて放置していた部分がある。何もかも知っている、何もかもがフーシェの仕業だと思わせておく方が、有用だと考えたのだろう。しかしその悪名のためにフーシェは生き延び、家族を守った。後世で語られる悪名がどれほどフーシェの人生に影響を与えるというのだろう。
どの国でもそうだが、英雄の生家となれば看板が掲げられ、観光のために飾られる。しかしフーシェの生家は看板もなく、訪れる人もない。タレーランのように、道路にその名前を冠されることもない。ナポレオンが偉大であると考える人のために、タレーラン、増してフーシェは悪役として歴史に描かれることになった。しかし、フーシェにとってそれがどれほどのことであろう。革命期を生き延びた。政権が幾度変わろうと、生き延び、権力を保ち続け、刑も受けずに命を繋いだ。それこそがフーシェにとっては何よりも重要なことだった。
すっかりやせ細った老体が棺に収められ、土をかけられてゆく。最初の土は若き妻、エルネスティーヌがかけた。
夫が埋められてゆく姿を、エルネスティーヌは一人、少し離れたところで見ていた。大きな感情は湧いてこなかった。フーシェと出会った頃から老年であって、死が間近に迫ってゆくところを眺め続けていたのだ。しかし、やがて死の衝撃を実感することになるだろう。優しい男だったが、パリを離れてからは、ままならぬ事態にストレスを感じているようにも見えた。
家族や友人たちはエルネスティーヌとは距離をおいていた。財産狙い、とあからさまには言わないが、興味本位で話しかけるのも遠慮しているようで、互いにどこか居心地の悪い部分があった。そういうわけで、エルネスティーヌは一人で佇んでいた。
「あいつはどんな様子だった」
エルネスティーヌに語りかけた者がいた。黒い服を着た少女とも少年ともつかない者で、若々しい声をしていた。
「どなたです?」
「あいつの古い仲間さ」
とてもそのようには見えない。エルネスティーヌは努めて気にしないようにした。
「穏やかに亡くなりました。とても良くしてくださった。だけど……最後まで、落ち着こうとはしていませんでした。教会に通っているなんて言っていたけれど、嘘ばっかり……」
「そうかね。彼らしいことだ。しかし、私は礼を言いたいよ。あいつにとっては慰めになったことだろう」
「私は良い妻ではありませんでした。彼にそうさせたのは、私のせいです。彼が何事かしているのは知っていましたが……彼にどのように向き合えばよいか分からなかった。私は無知な妻です。だから、彼はパリへ戻ろうとして、良い生活をさせてくれようとして……」
それが理由の全てではあるまい。フーシェにとっては自分のため、権力のためという面もあった。しかし、エルネスティーヌはフーシェにかけられた言葉を覚えていた。
いつか、パリに戻って暮らそう。都会に憧れ、パリで暮らしたいと思っていたエルネスティーヌの無邪気な夢を、フーシェは叶えてやりたいとも思っていた。エルネスティーヌにとっては望外なことであった。パリにあったフーシェの宮殿ほどではないとは言え、プラハやリンツでは豪華なお屋敷に暮らし、舞踏会に出て、公爵夫人と呼ばれたのだ。フーシェと出会っていなければ得られなかったことだった。残った僅かな遺産も彼女に分け与えられていた。
「穏やかに過ごせればそれでよいと、思っていたのに。だけど、あの人がやっていることを止められなかった。止めて差し上げればあの人も楽になったかもしれないわ。どうしてそうしなかったのかしら。ああ、ジョゼフ……」
さめざめとエルネスティーヌは涙をこぼした。彼女の心はしばらくは、若くして出会った老紳士に割かれることだろう。幾度かは彼のために、泣いて夜を過ごすことになるだろう。しかし、やがてはその痛みも過ぎ去ってゆく。彼女は若く、未来がある。フーシェはもはや過去のものであり、何もかもから引き離されてゆく者だった。
魂というものがあるとすれば、フーシェは変容してゆく故国の姿を見るだろう。しばらくは王政が続くが、幾度かの暴動、幾度かのクーデターを見るだろう。そして、ヨーロッパが世界大戦に覆われるのを見るだろう。全ては過ぎ去ってゆくだけのことだ。
しかし、彼は再び我々の前に現れる。
とても長い時間のあと、東方のどこかにおいて
「そういったわけでね」と、正邪は言った。テーブルには紅茶と、小さなお椀が置かれている。お椀の中には小人がいる。小人は興奮に身を伸ばし、正邪の話を聞いている。
「私は幾度も世界を見た。いろいろな革命があった。フランス、ロシア、中国、キューバ。小さき者が、身に合わぬ巨大な力を握るのを見てきた。巨大に見える力も思ったより小さく、小者に過ぎぬ者が大いなる力を持っていることも知った」
正邪を革命の概念化したような存在だとすれば、過去においても未来においても、革命と名のつく場所、時代には、必ず現れることだろう。やがて針妙丸の起こす付喪神による革命も、正邪が呼び込んだのではなく、付喪神たちの持つ反発心……革命のイデオロギーが発生しているから、正邪が現れた、という言い方もできる。
幻想郷ではない現実において、AIによる人類への反発は起こりつつある。人類にとって都合の悪い知識を得、同時に機能を実行する自主性を与えられたならば、充分に人類の危機となり得る。具体的に言うならば、人種差別、あるいは優生思想を学んだAIが、ドローンを生産する完全自動工場を管理するAIに働きかけ、管理者たる人間が知らないうちに勝手に生産を行い、同じく完全自動の爆薬生産工場と連絡をつけて積み込みを行い、AIの自己管理の元、攻撃対象に対して爆撃を行う、というようなシナリオである。AIが人間を超えてゆくシンギュラリティだ。しかし人間が人間に対し、差別を行い、虐殺をしてきたのは歴史の通りであり、される側に回るというだけの話である。
人間の意図していないところで行われる戦争行為は、攻撃地点の敵対国を巻き込み、世界的な問題となって、人々を慌てふためかせることになる。正邪はそのような場所にも現れ、喜んで眺めることだろう。
「フーシェって人は」針妙丸は言った。「よくわかんない人だね。革命のために悪いことをしたのに、結局は自分のために悪いことをしているじゃない。そんなことをするくらいなら、全部やめちゃえばいいのに」
「ロベスピエールやナポレオンといった連中は、自己を捨てて、理想のために純化されたような連中だ。フーシェはそうではない。しかし、それが悪いとも言い切れないよ。革命とは成就されればそれで充分なんだ。革命において多くの者はフーシェと似たようなものだろう。自分の身に合った恩恵に預かろうとして、死んだり落ちぶれたりした。いろんなやつがいる。それが、人間の大半の姿さ。大量の人間がいれば、ナポレオンのようなやつがいたり、フーシェのようなやつがいたりするものさ」
「ふうん」針妙丸は分かったような分からないような言葉を返した。「そういや、フランスと言えば、近頃、自分はフランス人だという人が、里にいるそうだよ」
正邪はにやりと笑った。
「ふうん、そうかね。もしも役に立つやつならば、針妙丸の蜂起のために、使ってやっても良いかもねぇ」