「まあまあ聞いてくださいよパルスィ。そして見てくださいよこの指輪。綺麗でしょう? この前こいしが急にくれたんですけどね、なんでも地上のお友達と一緒に作った手作りなんですって。この宝石みたいなのだっていっぱい時間をかけて少しずつ削り出したそうですよ。綺麗でしょう? 綺麗ですよねそう思ってますよね羨ましいって気持ちがビンビン伝わってきてますよ」
さっきからこの調子でしゃべりまくる古明地さとりに向けて送ってやりたいものは、あの女の右手にはめられた大粒の宝石付きの指輪への賞賛ではなく、それを送った妹への労いの言葉でもなく、熱湯たっぷりのぶぶ漬けである。以前本当に出したら一口で食べてくれたのでもう出さないことにしている。
私はさとりを無視して窓を開け放った。それにしてもいい風の吹く日だ。窓から入り込んでくるのは、目が覚めるような爽やかなそよ風。澱みきった室内の空気が続々と逃げていく。
暦の上では、地上で雪が降り始めた頃だろうか。橋の上を通っていくこいしの格好も最近はだいぶ厚着になってきている。このまえはマフラーを家に忘れたからと、私がしているものを剥ぎ取ってさっさと出かけていってしまった。数日後、私の下に戻ってきた時には黒白ストライプ柄のマフラーは不格好な手袋へと姿を変えていた。プレゼントされた。額に入れて壁に飾っている。
さとりが指輪についてのノロケ話をしている間に軽く部屋の掃除を済ませてから、私はコーヒーを五杯飲み、その内の一杯にアルコールを混ぜてみた。一口飲んで二度とやらないと誓いながら、椅子でうっとりしているさとりの正面にドスンと立った。
「……で」
「あげませんよ?」
「そんなことを私がいつ言った!」
「さっきから、欲しいな、ってずっと思ってます」
「思ってたけど!」
「あげませーん」
「嫌がらせにきたの、あんたは!?」
指を目立つように伸ばしながら、満面の笑みで万歳するさとり。
振り上がろうとする左足を懸命に堪えながら、私は部屋の隅に向かって息を吐き捨てた。
「……で?」
「あげませんよ?」
「何回もやらないよ!」
「他に何かあるんですか」
「それはこっちの台詞! まさか、本当に妹からのプレゼントを見せびらかしに来ただけなわけじゃあないでしょうね」
「ほとんどそうですけどね。さすがはパルスィ、よくわかってます」
「その鞄。」私は目線をさとりの足元に向けた。「分かりたくなんてないけど」
「お願いがあって来たのですよ」
私はさとりの向かいに座った。さとりはゆっくりと指輪を外し、入れ物に入れて、自分の胸ポケットに仕舞った。それから身をかがめて、椅子の下に置いてあった手提げの鞄を開く。「これです」と差し出されたのはぼやけた色遣いの絵本だった。表紙には、赤と白の毛皮のような服を纏い、自分ほどの大きさの袋を背負った大柄な男性と、複雑な角の形をした鹿が描かれていた。受け取って撫でてみると毛羽立ったような絵の具が固体化したような不思議な感触がした。
「見たところ、ただの本みたいだけど」
「はい、その本自体に問題はありません。もっと単純なお話で、描かれている人物が問題なんです。彼の名前はサンタ・クロース。クリスマスとかいう誰かの誕生日らしき日に隣に書かれているトナカイという動物に乗って子供たちにプレゼントを渡して回る人物だそうです。ちなみにそのトナカイという鹿に似た動物は空を飛べるそうです、興味深い……」
「どっちが」
「どちらもです、考えても見てくださいよパルスィ。一晩のうちにこのサンタという人物は、世界中の子供たちにプレゼントを配るのだそうです。そんなことが物理的に可能なんでしょうか。可能であるとしても、彼が普通の人間だとは考えられません」
「そりゃあ普通の人間じゃあないんでしょうよ。というか、作り話の人物でしょ? 現実味もくそもないでしょうに」
「夢のないことを言うんですね」
「夢も希望もなくなった妖怪が、私よ」
私はページをめくり、流し読みしてみた。
クリスマスの夜。
皆が寝静まり、星がきらめく。
鈴の音と共に現れる真っ白な老人。
煙突からの侵入。
プレゼントを置き、眠る子供を撫でながら「メリー・クリスマス」
煙突に戻ろうとする老人。
ママにキスをする。
「ふぅん……」と息を吐き、私は本を閉じた。
「作り話にしたってひどいわ。やってることはあれだけど、完全に泥棒じゃない」
「あなたがそうい言うことはわかっていました。ですけどね、なんでもこのお話は地上で大人気なのだそうです。……確かに夢のある話ですからね。ある決まった日にやってくるプレゼントだなんて」
「だけど、現実にそうなるわけじゃあないんでしょう? 子供に希望と絶望の両方を与えるだけの話なんてタチが悪すぎるわ」
「そこですよ」
さとりは急に指を立てて、真剣そうな表情になった。
「そこなんですよパルスィ。このお話の裏にあるのはね、プレゼントになるものを実際に販売している人たちの商売戦略です。『子供に夢を与えよう、しかし大人たちよ、子供に絶望なんて与えられないだろう?』というね。そのおかげでクリスマスという季節に子供の両親は地獄を見るのだとか。これは聖夜などではありません。戦争です」
阿漕な商売と、子供の無邪気さは相性がいい。その無邪気を利用するかどうかは道徳的な問題だ。そして道徳は、欲望の前では何の役にも立たないものだと決まっている。
「おお、こわ……」
私は本をさとりに投げ返して、自分の身体を抱いた。
「で、このクリスマスとかがなんだって?」
このイベントがどうであれ、私たちには直接の関係はないはずだった。なぜならば、ここは旧都。忌み嫌われたり自分からやってきたり放り込まれたりした変わり者が集まる街だ。上に比べれば幾らか時代に取り残された感があるうえに、鬼という種族は伝統を重んじる。旨い酒が絡めば話は違うが、こういったイベント事をわざわざ取り入れていく輩ではない。酒を飲む言い訳なんて、この街には幾らでも転がっているのだ。
となれば、考えられるのはさとり自身がこのイベントに興味を持ってしまったということだ。その場合はいよいよ非常にまずいことになってくる。何故かこういったケースでいつも酷い目にあうのは私の役目だ。我侭になど付き合わなければいいのだと心は理解しているが身体の方はそのように動いてくれず、またさとりもそれを知っていて同じような無茶を繰り返す。だからとは言わないが、私は信じたい。いくらさとりがブレーキの壊れた好奇心の牛車だとしても、わざわざ地獄を楽しむような趣味はないはずだと。
「失礼ですね。これでも、この地獄で一番偉いひとですよ? 此処に住む皆が楽しく暮らせるよう日々考えているのですよ?」
「日々考えてる有能な指導者はね、こんな街の片隅で指輪の自慢なんてしないのよ。冗談言ってないでさっさと要件を言いなさいな」
「わかりました、わかりましたよ」
さとりは面白くなさそうに肩をすくめた。
それから手のひらを擦り合わせながら、私のほうを照れくさそうに見た。
足元に向かってさとりは言った。
「そのね、こいしがね……」
「よしわかった」
私たちは一緒に出かけることにした。
1
道中聞いた情報によれば、あの本はまさしくこいしの部屋の、しかも一番目立つベッドの上にあったものだという。確信犯である。妹からの可愛いおねだりですねとさとりは騒いでいたけれど──実際可愛いおねだりだが、それを知った途端にさとりの右手に輝いていた指輪がどこか打算的なものに思えてきてしまう。馬鹿な、そんなことはない。私は嘲笑と一緒に、そんな考えを地底のゴツゴツとした天井に向かって吐き出した。真っ白な吐息が一瞬だけ浮かび上がって消える。
「着いたよ」
私は案内役だった。
こいしへ贈るプレゼント、それを買う店を選んで欲しいとさとりは言った。続けて鞄から出てきたのは鮮やかな色合いのチラシだった。それも本と一緒にこいしの部屋にあったものらしく、子供向けの玩具が紙面一杯に並んでいた。
「旧都で一番大きい玩具店。少し問題もあるけどここならそれなりの品揃えもあるでしょうし、こいしの気に入るものだってあるでしょうよ」
「そうでしょうか……」
さとりは手元のチラシと、目の前の店舗を見比べながら言う。
「そんなこと言っても、此処くらいしか知らないのだから仕方がないじゃない」
「貴方の顔の広さを疑っているわけではありませんけれど。でもあの子の感性って他の子と違うみたいだし、普通に買ってあげたプレゼントで喜んでくれるかどうか……」
「それじゃあ手作りでもするの? ちなみにそのクリスマスってのはいつよ」
「今日」
「きょう!?」
なんということだ。私は天を仰いだ。
「だって聞いてくださいよパルスィ。私がこの本を見つけたのは一週間前なんですよ?」
「一週間いったいあんたは何してたのよ!」
「それはもう、クリスマスという行事について調べに調べを重ねてですね」
「ああ、もういいわかった。いいから中に入りなさい」
「待ってください、それだけじゃあないんですよ? 他にもいろいろと準備をしていたら……」
「わかった! わかったから!」私はさとりの言葉を無理矢理に遮る。背後に回り込んで店の中へ押し込んだ。
「いいから、ね? もう手作りでどうこうできる時間も無いなら」
「むう、はい……」
さとりは店の引き戸を開けた。
店の中を見るなり、さとりは感嘆するような声を出した。初めて私がこの店を見つけた時とほとんど同じ反応で、私は口元を緩ませた。
そこは、店舗というよりは物置に近い。陳列などという言葉はおよそふさわしくなく、只々商品を詰め込んでいるだけだ。決して低くない天井の、その頂点まで雑多な箱が積み重ねられていて、そこから目当ての品を探し出すことは難しい。微かに通路らしきものは作られているのだが、一歩踏み外せばそびえ立つ山が崩れ、さとりみたいな小柄な者の脱出はまず不可能だろう。まとめると、此処で商品を手に入れるためにはまずゴミ山のような中から目当てのものを見つけ出し、山を崩さないように手に取り、店の最奥で待つ店主の下までたどり着かなければならない。何度も整理するようにという要望は寄せられているが、無精髭の店主は黙したまま商品にうもれ、日々そろばんを弾いているのみである。サービス精神の欠片もない。
だけれど私には、さとりがこの場所を気に入るという確証があった。
「すごいですよパルスィ、いろんなものがいろいろあります!」
「そう、気に入ってもらえてなにより。だけど気をつけてよ、生き埋めになったら助けてなんてあげられないからね」
「わかってますって」と軽く言いながら、さとりは鼻息荒く奥へと進んでいく。身体が小さなものだから商品の隙間を縫うようにどんどん私から距離を離していく。ただし、第三の目から伸びたコードのようなものが山に触れていっているようで、さとりの歩いた跡の山が微妙に不安定になっている。ただでさえ危ういバランスで成り立っていた店は、さとりによってタガが外れてしまいそうだった。
私はそれを見ながら肩を落とした。間違いなく、人の話を聞かないときの古明地さとりだった。こうなることは予想出来たはずだろう水橋パルスィ、手を打っておくべきではなかったのか。仕方がないのだ、こんなにあっさりとさとりのストッパーが外れるなんて思ってなかったのだから。妹のプレゼントのことでただでさえ興奮状態だったということを計算に入れていない私のミスだ。
「目的、忘れてないでしょうね」
「忘れるはずがないでしょう、あ、見てくださいよこれ。ビー玉打ち出せるやつですよ、本で見たことありますけど、人間はこれを使って犯罪を犯すのだそうです。怖いですね、玩具で障害事件だなんて。でもちゃんと箱に書いてあるんですね、人に向かって遊ばないでくださいって。人間のこういう用心深さには感心させられます。……あらこれも珍しい」
「言ってるそばから! ああもう!」
私は抜き足でさとりに近づく。ただでさえ狭い通路が、さとりのおかげで崩壊の一歩手前まで迫っている。しかしさとりは気にもしない様子で箱を手にとっては眺め、適当な場所に戻していく。冷たい汗が頬をなぞるのがわかった。そんなことを続ければ、大惨事になるに違いなかった。現に、さとりの真上に突き出したオセロ盤のパッケージに異常な角度がつき始めている。私は足を止めて、音を立てずに、さとりに精一杯の念を起こった。
──ダメだって、崩れるから!
しかし、さとりは目を輝かせながらこちらを向いた。
「はい、何か思いましたか?」
「だから、さとりストップ! ストップ!」
「いやですね、ちゃんとこいしへのプレゼントは探してますよ」
「そういうのじゃなくて。とにかくそこを動かないで、今そっちに行くから!」
「大丈夫です、問題ありません」
「どっからその自信がでてくるのよ!」
その時、遂に山が限界を迎えた。さとりが次の箱を手に取った拍子、コードが背後の山に触れた。それが引き金になった。さとりの背後から、大小5つほどの箱が降り注ぐ。私は残った距離を無理矢理に詰めてさとりの方向へ手を伸ばした。頭上にかざした手に、何個かの箱がぶつかり痺れるような感覚が走った。腕をなぎ払って、その勢いで一気に身体を寄せた。さとりの身体を無理矢理に押し縮めてそこに覆いかぶさるようになり、連鎖的に起こる雪崩をひたすらに耐える。立ち上る埃の匂いに息が詰まりそうだった。
結局、雪崩が収まるまで十秒はかかって、その間ずっと私は痛みに耐え、むせ返りそうになるのをなんとか堪えた。
「げほ、だいじょうぶ?」
「ええ、ええ。驚きました、急に崩れてくるなんて」
「散々注意したわ」
「ごめんなさい、聞いてませんでした」
「あんたねえ……」
「痛く、なかったです?」
「こう見えてもね、あんたよりは頑丈にできてる。しかし困ったわね、結局なんにも見つからないどころか、面倒なことになりそうな」
私がため息をさとりに吹きかけていると、店の奥から物音がした。
店主がやってきたのかとかばう体勢のまま音のした方へ意識を向ける。
叱られるのは仕方がない。さとりの不注意が主な原因だが、私の方にも少なからず非はある。
しかし現れたのは無精髭の鬼ではなく、真っ黒な少女だった。
「……あーあ、やっちゃった」
その子はさとりよりも面倒くさそうなものを背中に生やしていた。細長く歪な形をした赤青二色の羽だ。しかし彼女はそれを巧みに動かし、ときに身体を捻り、商品という名のがれきの山の上を、まるでそこが平野であるかのような身のこなしでこちらへ向かってくる。しかし、その姿は指針を失った私たちにとっては後光が指しているようだった。
「こんなに派手にやらかすなんて、お前らモグリだな……って、うげ」
私たちの姿を見ると、封獣ぬえは露骨に嫌そうな顔をした。
2
「こいしへのプレゼントだぁ?」
姿を見るなり逃げ出そうとしたぬえを、私たちは逃がしはしなかった。くるりと反転した背中から伸びた羽を、私は手を思い切り伸ばして(本当に伸びたと錯覚するほどだった)掴んだ。そのまますかさず拘束し、私たちの前に座らせた。ぬえは両手を挙げて逃亡の意思がないことを表すとがれきの上に登り、面倒だとぼやきながら重く息を吐いた。あぐらをかいて頬杖をついた。よほど体重が軽いのかまたは何かのコツがあるのか、尻に敷かれた箱たちが形を崩す様子はない。しかし、なんだか見下されているような気がして私は面白くなかった。
「そうよ、いつも一緒に遊んでるあんたなら心当たりとかあるんじゃあないの? こいしの欲しがりそうなものとか」
「なんでそんなことを私に聞くのさ」
「こいしの友達じゃない」
「それを言ったらあんたらはこいしの姉ちゃんじゃんか。それとも何? 妹の欲しがってるもののひとつもわかんないの? うっわー、だっせー」
「ほ、放っておいて。いいから、教えなさいよ」
「いやー、教えてあげてもいいけどさー。こっちもタダでってわけにはいかないかなー」
「なんでよ! 減るものでもないじゃない!」
私は声を荒げて言った。行ってしまってから後悔した。
……いけない、ぬえみたいな天邪鬼にはこうした交渉は逆効果だ。
彼女は正面から会話しない。こちらが激昂して前にでるほどにせせら笑いながら遠ざかっていくタイプだ。
「あんまり大声出さないでよ、また雪崩が起きちゃうじゃない。おっちゃんが昼寝から起きてくる前にこれ、片付けないと怒られるのは私なんだからさあ」
「そうですよパルスィ、お店の人に迷惑かけちゃだめです」
「ちょっと、さとりまで!」
「お、いいこと言うじゃないのこいしの姉ちゃん。そうそう、お店の商品は大切にしないと」
いよいよ味方がいなくなったようで、私は何故此処にいるのかわからなくなった。ぽん、と肩に手を置かれて、私は後ろに控えていたさとりに向き返った。「私に任せてくださいな」と囁かれる。「あー」と短く呻いて、私は頷きながら後ろへ下がった。ぬえの表情が一気に曇る。さとりはひとつ、咳払いをしてから言った。
「さてぬえちゃん、確かに私たちは妹の欲しいものひとつ理解して上げられないダメなお姉ちゃんです。だけどね、私はお金持ちなんですよ。その気になればこのお店の商品を全部、こいしに買い与えることだってできるんです」表情は見えないが、さとりの肩が静かに揺れた。「……困るでしょう? このお店は貴方にとって宝の山です。遊び道具や遊び相手をたくさん得た、大事なお店です。可愛らしいですね、自分の正体を不明にして街の子供たちに混じって遊んでいたなんて」
「おい、バカ、それ以上言うんじゃない」
「商品がなくなればお店はなくなります。奥で眠っているおじさんにだって一生不自由ない暮らしを約束しましょう。もともと、そこまで熱心に商売をしようとする人では無いようですし、簡単に懐柔できるはずです。……さて」
ぬえの表情があっという間に青ざめていった。
さとりのいうことはおよそ現実的じゃない解決手段だった。
しかし、それでもさとりならやりかねないのだった。
彼女に取って、妹は世の中の何よりも大事なのだから。
しかし、ぬえの弱みにも意外性があるものだと私は感心していた。
彼女は村紗たちと生活を共にしているが、街中で姿を見かけたことは無い。もともとも子供らしい性格なのは知っていたが、まさか本当に子供に混じって遊んでいただなんて。村紗のやつに今度教えてやろうと思った。さとりがこっちを見て笑った。
「それとも、こういうのはどうでしょう。街中に貴方のしてきたことを公表します。子供に混じって駒を回し、面子を叩きつけ、おにごっこでちょっぴりズルをしていたことを。……大丈夫ですよ、そんなことで貴方のことを嫌いになるようなひとはこの街にはいません。だから喜ぶべきではないでしょうか、これからは、貴方は貴方のままで子供達とワイワイ楽しく遊べるんですから。さあ──」
「ああ、もう分かった! 降参!」
しばらく歯ぎしりしていた鵺だったが、遂に腕を投げ出してがれきの山に倒れ込んだ。
「……ね?」とさとりがまたこちらに笑いかけた。何が「ね?」だ。悪魔。
「だけどさあ、私にもはっきりとなんてわかんないよ。確かに一緒に遊ぶけど、こいしの事をよく知ってるなんて言えないし。……というかさ、あいつのことを理解してる奴なんて居ないんじゃないかな」
「承知してますよ。だから心当たりでいいんです。今のところ私たちが持っているキーワードは『玩具』と『クリスマス』。これだけですから」
「うーん……」
しばらくぬえはその場で唸った。
自分の頬を指でぐりぐりと押しながら、空いた手をなにやら動かす。
そうして、たどたどしく言った。
「そういえば……この前なんだか不思議な遊びに付き合わされたような」
「どんなのですか」
「こうさ、鏡の前にこいしが立つわけよ」ぬえは立ち上がって、両足を肩幅に開いた。「私に正体不明の種を付けさせて、それでこう……」空中を見て何かを思い出すように、両手をキレよく動かす。「バッバッバッってさ。なんかよく分からない踊りだかポーズだかをとるのさ。それから鏡を見てにやけながらうっとりしてんの。私には、こいしが自分自身をどう見てるかわからないから意味不明な遊びだったけどね。私はなんにも楽しくないし。あれ、なんだったのかな」
「ほう……」
さとりはその話を聞くと俯いて、唇を撫でながら何かをつぶやいた。
「なるほど、こいしは何かに変わりたがっている……いいえ、『変身』したがっている。どこかで読んだ覚えがあります。あのくらいの歳の子は、将来への自分への変身願望が芽生えやすいのだと。だけどこいしはまだまだずっと子供ですからね、その願望を遊びの一環として無意識に行ってしまったのでしょう。ぬえちゃん、この店にそういったおもちゃは置いてませんか?」
「あるにはあるけど……」
ぬえは視線を横に流してがれきを見た。
その中に、ということなのだろう。となれば結局はこの場を片付ける必要があるようだ。
私は肩を落とした。その時、また店の奥から物音がした。続いて「こらぁ!」という怒鳴り声。
現れたのは、はっきりとした無精髭が印象的な初老の鬼だった。今度こそ、彼がこの店の主に違いない。
「お前はまた、店のモン使って勝手に遊んでたのか!」
ぬえ以上にスムーズな動作でどんどんこちらに近づいてくる。もうほとんどがれきを掻き分けているようだった。彼の視線は気まずそうにしているぬえの一点に向けられていた。
「き、今日は違うんだっておっちゃん! 今日はこの二人が勝手にやってただけで」
「嘘つけ、いっつも好き勝手しやがって。今日という今日は全部片付けるまで返さないからな!」
「そんな! ねえ、あんたら助けてよ!」
「ひとさまを巻き込むんじゃあねえ、こっちこい!」
ぬえは首根っこを掴まれて、猫のように捕獲された。ジタバタともがいているが、鬼の力に勝てるはずがない。
私は心中で合掌した。
「あ、待ってください」
さとりが止めた。
余計なことを言わなきゃいいのに。
店主はぬえを担いだままでこちらへ向き直った。
表情から激昂は鳴りを潜め、柔らかい表情を浮かべていた。
彼は紛いなりにも客商売をしているのだ。
「……あ、さとりさまいらっしゃい。どうしましたこんなむさ苦しい所へ」
「妹へのプレゼントを探しに来たんです。それと、その子の言ってることは間違ってませんので、あまり厳しくしてあげないでもらえますか? 片付けはきちんとやりますから」
「むう、本当ですかね。こいつ、相当な悪ガキですよ?」
「だけど、妹へのプレゼントを一緒に選んでくれました。そこでお聞きしたいのですが、変身遊びができるようなおもちゃは置いてませんか?」
「ああ、それならこの前入荷したばかりのがあるよ。いやぁさとりさまは運がいい。いっつもすぐに品切れになっちまってあんまり手に入らないんですよ」
そう言うと、腰を低くして店の奥へと消えていく。私たちは顔を見合わせた。さとりは満足そうに笑った。
しばらく待つと、店主は箱を片手に戻ってきた。それは彼にとっては脇に挟み込めるような大きさだが、さとりには抱え込まなければならないほどの大きさがあった。箱を持つ反対の腕のなかでぬえは死体のように動かなかった。
「随分と、大きいんですね」
「最近のはみんなこんなもんです。まったく、子供も贅沢になった。……これでいいんですかい?」
「はい。考えられる範囲で、一番それが近そうですから」
「はいよ毎度あり!」
そして箱は案の定、私に渡される。
「とりあえず、これで当初の目的は達成できたわけね」
「はい、ありがとうございました。これで妹にプレゼントを渡せますね」
「そうね」
「よかった……」とさとりは嬉しそうに笑った。
普段が不機嫌そうな顔つきなものだから、こういう表情をするとこいつも随分と幼い印象を受ける。
世界で一番大切な、妹への贈り物だ。
私にとっても、その気持ちはわからないものじゃない。
「……じゃあ、帰りましょうか」
私はぬえに再び合掌して、店の出口に向かって歩き出した。それにしても歩きにくい。入ってきた時に比べると高さの威圧感はないが、崩れ去った山々が悲壮感を漂わせている。両手が塞がってしまっているから、尚更困難な道のりに見えているのだろう。
そのとき、「あ」と後ろから声がした。さとりの声だった。
「待ってください。その箱は私が持ちますから」
「大丈夫よ、これくらい持っていくって」
「いいえ、そうじゃなくて。私はこれから帰ってご馳走の準備とかプレゼントの包装とかしないといけないので」
「したらいいじゃない。なんなら手伝うけど」
私は腰だけを回して後ろを向いた。
さとりの後ろで、ぬえが涙目になりながらこちらを見ていた。
面倒事はみんな私の役目だった。
「お願いしますね」
「はいはい」
さとりは箱を抱えて店を出る。私はそれを見送った。
ため息をつく。私は自嘲した。
……仕方が無い、と思った。
自業自得とはいえ、さとりにとってあのプレゼントは大事なものだからだ。世界で一番大切な妹への贈り物だからだ。何よりもそれを優先するのは当たり前だ。事実、私にとってもこいしは他の誰よりも愛くるしい存在だと自負している。珍しく贈り物をされたものだから舞い上がっているというのもあるのだろう。こいしが頑張って作ってくれたものをプレゼントされたのなら、同じ状態になる自信がある。あの子のためならば何でもしてやろうというさとりの姿勢にもどうこう言うつもりもないし、むしろ自分自身そう思っているかもしれない。
だけど、私の心の中で何かが引っ掛かっていた。
少し考えて、それはとても贅沢な感情なのではないかと思った。
しかし、自覚してしまえばなんて事はない、当たり前の感情だった。そこで私はひとつの事を思いついた。思いついたが、まずは店の片付けをしなければならない。手始めに、足元に散らばった四十個ほどの何かのスイッチを拾い集めることにする。
3
数時間後。
ペット達もほとんどが寝静まった頃に、私は腰を抑えながら地霊殿にたどり着いた。あれからは激しい戦いだった。商品の元々の位置なんて誰も覚えてないから整理がつかないことに加えて、「せっかく人数がいるなら年越しの大掃除だ!」と言い出した時に咄嗟に止められなかったのは致命的だった。おかげで一旦全部の商品を表に出し、分別して、安定するように積み重ねていくという羽目になった。陳列棚を新設しようという考えを心の奥に閉まっておかなければ、今頃も作業は続いていたに違いない。霊魂を吐きながら家路に向かうぬえに、私は何もいうことができないままだった。それから急いで用事を済ませ、一直線にここまで来たが、この時間ならばもう夕食は終わっているだろう。
私は閑散としたロビーとリビングを素通りし、こいしの部屋へ向かって長く薄暗い廊下を歩いた。一定の間隔で備えられたランタンが道を照らしている。部屋の前には、予想通りにさとりが立っていた。格好はいつもの服ではなく、本で見たサンタの格好だった。髭じじいではなくさとりが着ると、思った以上に足元の露出が多い服だった。先ほど買ったプレゼントは真っ白な風呂敷に包まれて床に置かれている。準備とはこれらのことだったのだろうか。プレゼントよりも優先して用意したのだと考えたら、そのせいでさっきまで自分があんな苦労をしたのだと考えたら、フツフツと今更に怒りが湧き上がってきた。
さとりはそわそわと落ち着かない様子で、中の様子を伺いたがっているようだった。
私は後ろに立って、さとりの肩に手を置いた。
「よくも置いてけぼりにしてくれたわね……」
「ひゃあ!」さとりの身体がバネのように跳ねた。
「あ、ばか、静かにしなさい!」
「え、あ、貴方でしたか。遅かったですね」
「誰かさんに押し付けられたおかげでね。……それで、こいしは?」
「ちゃんと帰ってきてくれました。ご飯も一緒に食べて、部屋の中に。やはりこのタイミングでこの行動、間違いはないでしょう」
私はドアノブに手をかけて、音を立てないように少しだけ開いた。
部屋の中は廊下以上に薄暗く、明かりはベッドの傍の机の上に置いてあるロウソクだけだった。それも残り少なくなっている。ベッドには、真っ白な掛布団が小さな山を築いていて、よく見ると僅かに揺れていた。
「……ちゃんと、眠ってますよね? ね?」
「眠ってるんじゃあないの? 何を心配してるのよ」
「だって、起きてたら気まずいじゃないですか。万が一のためにサンタ衣装は作りましたけど、誤魔化しきれる自信がありません」
「なんてつまんない心配してるんだか。そんなの、ちょっと行って枕元に置くだけじゃない。朝ごはんまでそうしてるつもり?」
私は静かにドアを開けた。後ろでさとりが小さく声を出したのが聞こえた。気にせずにドアの隙間に身体を滑り込ませて、さとりが後に続けるようにドアを開いた。廊下の明かりが部屋の中に差し込んでくる。私は目線でさとりを急かした。さとりは袋を背負うと、小走りで部屋へ入ってきた。ドアを閉めて部屋が暗くなると、深く息を吐く音が聞こえた。続けて、唾を飲み込む音。
「さあ、ここからが問題ですよ……」
さとりは唇を舐めて小声で言う。目的地まであと数歩、急げば三秒あれば十分な距離だった。さとりが一歩を踏み出すと、ロウソクの炎が真っ赤な服を来た背中と、むき出しになった腿を映し出した。さとりは深呼吸を繰り返しながら、一歩一歩踏みしめるようにベッドへと近づいていく。私はこれ以上何も言わないことにした。あとは、さとり自身がやらなければいけないことだ。
その時、ベッドの上で動きがあった。寝返りでもうったのか、布団の山が大きく動いた。頭まですっぽりと被っているおかげで目を覚ましたのかはわからない。私がさとりのほうへ視線を戻すと、この世の終りのような表情でこちらを見て固まっていた。口元だけが気色悪いほどに素早く動き、「私はサンタ私はサンタ私はサンタ……」とうわ言のように繰り返している。「うぅん……」と天使のような声がベッドの中から聞こえるとそれは一層激しくなり、額に汗が張り付いているのがはっきりと分かった。
「ど、どうしよう……」
そんな言葉が込められた視線がこちらへ突き刺さる。私は声を出さずに「早く置いちゃいなさい」と答えた。さとりはまだ迷っているようだった。私がもう一度急ぐように思うと、さとりは意を決してプレゼント入りの袋をベッドの傍に寄せた。手を離した途端、さとりの表情が緩んだ。
そして、身体が崩れ落ちそうになった。
私は慌てて、しかし静かにそれを受け止めた。受け止めた背中は服越しでも汗がにじみ出ているのがわかった。
全く自立してくれないさとりの身体を引きずるようにして、私たちは部屋を出た。
廊下にでて、さとりは久しぶりに呼吸をした。
過呼吸に見えるほどに身体を使って呼吸をした。
「お疲れ様」
「へへ……お姉ちゃんらしいこと、してあげられたでしょうか」
「サンタの真似事がお姉ちゃんらしいかっていうと……まあ、そうね。そういうことにしておきましょうか」
「よかったぁ」
私が言ってやると、表情が一気に綻ぶ。
廊下の明かりに照らされたさとりの身体は、吹き出した汗でどこか煽情的に見えた。染まった頬も首元も、来ている服より赤く染まっていた。体重を預けられたまま立っていることもないので、私はさとりを受け止めたままで壁に背を預けた。さとりは力無く上に倒れ込んでくる。向かい合う体勢で受け止める。いい加減に緊張から解放されてもいい頃だろうに、未だに呼吸も安定しなかった。
「……こんなにドキドキしたのは、生まれて初めてかもしれませんね」
「あんたの人生、意外と刺激が少ないのね」
「これ以上に心臓に悪いものが、他にあるんですか?」
「いや、わかんないけど」
ここしかなかった。
言いながら、私は自分の上着に右手を突っ込んでそれを取り出した。
右手にはこいしに貰った指輪がはめてあったので、私はさとりの左手を持ち上げて、それを握らせた。
「……え?」
さとりは何がなんだか解らない、といった声を出す。
「プレゼント」
と、私は言った。顔を真っ直ぐに見れないことくらいは勘弁して欲しい。
「せっかくだからね、あげるわ。時間がなくてやっぱり既製品だけど」
「え、その、どうして」
「妹のために頑張ったあんたへのご褒美、そう思っておきなさい」
私は嘘をついた。
さとりは混乱に混乱が重なって何を言っていいのか分からないようだった。
我ながら唐突すぎると思ったが、こういうタイミングでもないとさとりに隠し事なんてできない。心を読まれるまでコンマ五秒もかからないのだから、不意打ちするためにも状況が重要になってくる。
しかし、奇妙なものだとも思った。さとりの意識がこいしへのみ向けられていたから隠せたことだが、元はといえばこんなことをしているのも、さとりの意識がこいしの方にしか向けられていなかったからだからだ。
でもまあ、私のこの感情は、そういうものなのだろうと納得しておくことにした。
実に、橋姫らしい感情だ。
「どうしたのよ、せっかくなのに貰ってくれないの?」
「だってわたし、こいしのでいっぱいいっぱいになっちゃって、お返しも何も用意してなくて……」
さとりは俯いて顔を隠してしまう。
私が頬に触れてみると、火が着いたように熱くなっていた。
これがどっちのせいなのか分からないけれど、こっちのせいでいて欲しかった。
返しがないことなんてわかってた。だから私がこうしているのだ。
「いらないわそんなの。少しだけ、こっちを向いてくれたら」
私はさとりの顔を上げさせて、小さく開いた唇にキスをした。
どうしようもない。無性にしたくなったのだ。
さっきからこの調子でしゃべりまくる古明地さとりに向けて送ってやりたいものは、あの女の右手にはめられた大粒の宝石付きの指輪への賞賛ではなく、それを送った妹への労いの言葉でもなく、熱湯たっぷりのぶぶ漬けである。以前本当に出したら一口で食べてくれたのでもう出さないことにしている。
私はさとりを無視して窓を開け放った。それにしてもいい風の吹く日だ。窓から入り込んでくるのは、目が覚めるような爽やかなそよ風。澱みきった室内の空気が続々と逃げていく。
暦の上では、地上で雪が降り始めた頃だろうか。橋の上を通っていくこいしの格好も最近はだいぶ厚着になってきている。このまえはマフラーを家に忘れたからと、私がしているものを剥ぎ取ってさっさと出かけていってしまった。数日後、私の下に戻ってきた時には黒白ストライプ柄のマフラーは不格好な手袋へと姿を変えていた。プレゼントされた。額に入れて壁に飾っている。
さとりが指輪についてのノロケ話をしている間に軽く部屋の掃除を済ませてから、私はコーヒーを五杯飲み、その内の一杯にアルコールを混ぜてみた。一口飲んで二度とやらないと誓いながら、椅子でうっとりしているさとりの正面にドスンと立った。
「……で」
「あげませんよ?」
「そんなことを私がいつ言った!」
「さっきから、欲しいな、ってずっと思ってます」
「思ってたけど!」
「あげませーん」
「嫌がらせにきたの、あんたは!?」
指を目立つように伸ばしながら、満面の笑みで万歳するさとり。
振り上がろうとする左足を懸命に堪えながら、私は部屋の隅に向かって息を吐き捨てた。
「……で?」
「あげませんよ?」
「何回もやらないよ!」
「他に何かあるんですか」
「それはこっちの台詞! まさか、本当に妹からのプレゼントを見せびらかしに来ただけなわけじゃあないでしょうね」
「ほとんどそうですけどね。さすがはパルスィ、よくわかってます」
「その鞄。」私は目線をさとりの足元に向けた。「分かりたくなんてないけど」
「お願いがあって来たのですよ」
私はさとりの向かいに座った。さとりはゆっくりと指輪を外し、入れ物に入れて、自分の胸ポケットに仕舞った。それから身をかがめて、椅子の下に置いてあった手提げの鞄を開く。「これです」と差し出されたのはぼやけた色遣いの絵本だった。表紙には、赤と白の毛皮のような服を纏い、自分ほどの大きさの袋を背負った大柄な男性と、複雑な角の形をした鹿が描かれていた。受け取って撫でてみると毛羽立ったような絵の具が固体化したような不思議な感触がした。
「見たところ、ただの本みたいだけど」
「はい、その本自体に問題はありません。もっと単純なお話で、描かれている人物が問題なんです。彼の名前はサンタ・クロース。クリスマスとかいう誰かの誕生日らしき日に隣に書かれているトナカイという動物に乗って子供たちにプレゼントを渡して回る人物だそうです。ちなみにそのトナカイという鹿に似た動物は空を飛べるそうです、興味深い……」
「どっちが」
「どちらもです、考えても見てくださいよパルスィ。一晩のうちにこのサンタという人物は、世界中の子供たちにプレゼントを配るのだそうです。そんなことが物理的に可能なんでしょうか。可能であるとしても、彼が普通の人間だとは考えられません」
「そりゃあ普通の人間じゃあないんでしょうよ。というか、作り話の人物でしょ? 現実味もくそもないでしょうに」
「夢のないことを言うんですね」
「夢も希望もなくなった妖怪が、私よ」
私はページをめくり、流し読みしてみた。
クリスマスの夜。
皆が寝静まり、星がきらめく。
鈴の音と共に現れる真っ白な老人。
煙突からの侵入。
プレゼントを置き、眠る子供を撫でながら「メリー・クリスマス」
煙突に戻ろうとする老人。
ママにキスをする。
「ふぅん……」と息を吐き、私は本を閉じた。
「作り話にしたってひどいわ。やってることはあれだけど、完全に泥棒じゃない」
「あなたがそうい言うことはわかっていました。ですけどね、なんでもこのお話は地上で大人気なのだそうです。……確かに夢のある話ですからね。ある決まった日にやってくるプレゼントだなんて」
「だけど、現実にそうなるわけじゃあないんでしょう? 子供に希望と絶望の両方を与えるだけの話なんてタチが悪すぎるわ」
「そこですよ」
さとりは急に指を立てて、真剣そうな表情になった。
「そこなんですよパルスィ。このお話の裏にあるのはね、プレゼントになるものを実際に販売している人たちの商売戦略です。『子供に夢を与えよう、しかし大人たちよ、子供に絶望なんて与えられないだろう?』というね。そのおかげでクリスマスという季節に子供の両親は地獄を見るのだとか。これは聖夜などではありません。戦争です」
阿漕な商売と、子供の無邪気さは相性がいい。その無邪気を利用するかどうかは道徳的な問題だ。そして道徳は、欲望の前では何の役にも立たないものだと決まっている。
「おお、こわ……」
私は本をさとりに投げ返して、自分の身体を抱いた。
「で、このクリスマスとかがなんだって?」
このイベントがどうであれ、私たちには直接の関係はないはずだった。なぜならば、ここは旧都。忌み嫌われたり自分からやってきたり放り込まれたりした変わり者が集まる街だ。上に比べれば幾らか時代に取り残された感があるうえに、鬼という種族は伝統を重んじる。旨い酒が絡めば話は違うが、こういったイベント事をわざわざ取り入れていく輩ではない。酒を飲む言い訳なんて、この街には幾らでも転がっているのだ。
となれば、考えられるのはさとり自身がこのイベントに興味を持ってしまったということだ。その場合はいよいよ非常にまずいことになってくる。何故かこういったケースでいつも酷い目にあうのは私の役目だ。我侭になど付き合わなければいいのだと心は理解しているが身体の方はそのように動いてくれず、またさとりもそれを知っていて同じような無茶を繰り返す。だからとは言わないが、私は信じたい。いくらさとりがブレーキの壊れた好奇心の牛車だとしても、わざわざ地獄を楽しむような趣味はないはずだと。
「失礼ですね。これでも、この地獄で一番偉いひとですよ? 此処に住む皆が楽しく暮らせるよう日々考えているのですよ?」
「日々考えてる有能な指導者はね、こんな街の片隅で指輪の自慢なんてしないのよ。冗談言ってないでさっさと要件を言いなさいな」
「わかりました、わかりましたよ」
さとりは面白くなさそうに肩をすくめた。
それから手のひらを擦り合わせながら、私のほうを照れくさそうに見た。
足元に向かってさとりは言った。
「そのね、こいしがね……」
「よしわかった」
私たちは一緒に出かけることにした。
1
道中聞いた情報によれば、あの本はまさしくこいしの部屋の、しかも一番目立つベッドの上にあったものだという。確信犯である。妹からの可愛いおねだりですねとさとりは騒いでいたけれど──実際可愛いおねだりだが、それを知った途端にさとりの右手に輝いていた指輪がどこか打算的なものに思えてきてしまう。馬鹿な、そんなことはない。私は嘲笑と一緒に、そんな考えを地底のゴツゴツとした天井に向かって吐き出した。真っ白な吐息が一瞬だけ浮かび上がって消える。
「着いたよ」
私は案内役だった。
こいしへ贈るプレゼント、それを買う店を選んで欲しいとさとりは言った。続けて鞄から出てきたのは鮮やかな色合いのチラシだった。それも本と一緒にこいしの部屋にあったものらしく、子供向けの玩具が紙面一杯に並んでいた。
「旧都で一番大きい玩具店。少し問題もあるけどここならそれなりの品揃えもあるでしょうし、こいしの気に入るものだってあるでしょうよ」
「そうでしょうか……」
さとりは手元のチラシと、目の前の店舗を見比べながら言う。
「そんなこと言っても、此処くらいしか知らないのだから仕方がないじゃない」
「貴方の顔の広さを疑っているわけではありませんけれど。でもあの子の感性って他の子と違うみたいだし、普通に買ってあげたプレゼントで喜んでくれるかどうか……」
「それじゃあ手作りでもするの? ちなみにそのクリスマスってのはいつよ」
「今日」
「きょう!?」
なんということだ。私は天を仰いだ。
「だって聞いてくださいよパルスィ。私がこの本を見つけたのは一週間前なんですよ?」
「一週間いったいあんたは何してたのよ!」
「それはもう、クリスマスという行事について調べに調べを重ねてですね」
「ああ、もういいわかった。いいから中に入りなさい」
「待ってください、それだけじゃあないんですよ? 他にもいろいろと準備をしていたら……」
「わかった! わかったから!」私はさとりの言葉を無理矢理に遮る。背後に回り込んで店の中へ押し込んだ。
「いいから、ね? もう手作りでどうこうできる時間も無いなら」
「むう、はい……」
さとりは店の引き戸を開けた。
店の中を見るなり、さとりは感嘆するような声を出した。初めて私がこの店を見つけた時とほとんど同じ反応で、私は口元を緩ませた。
そこは、店舗というよりは物置に近い。陳列などという言葉はおよそふさわしくなく、只々商品を詰め込んでいるだけだ。決して低くない天井の、その頂点まで雑多な箱が積み重ねられていて、そこから目当ての品を探し出すことは難しい。微かに通路らしきものは作られているのだが、一歩踏み外せばそびえ立つ山が崩れ、さとりみたいな小柄な者の脱出はまず不可能だろう。まとめると、此処で商品を手に入れるためにはまずゴミ山のような中から目当てのものを見つけ出し、山を崩さないように手に取り、店の最奥で待つ店主の下までたどり着かなければならない。何度も整理するようにという要望は寄せられているが、無精髭の店主は黙したまま商品にうもれ、日々そろばんを弾いているのみである。サービス精神の欠片もない。
だけれど私には、さとりがこの場所を気に入るという確証があった。
「すごいですよパルスィ、いろんなものがいろいろあります!」
「そう、気に入ってもらえてなにより。だけど気をつけてよ、生き埋めになったら助けてなんてあげられないからね」
「わかってますって」と軽く言いながら、さとりは鼻息荒く奥へと進んでいく。身体が小さなものだから商品の隙間を縫うようにどんどん私から距離を離していく。ただし、第三の目から伸びたコードのようなものが山に触れていっているようで、さとりの歩いた跡の山が微妙に不安定になっている。ただでさえ危ういバランスで成り立っていた店は、さとりによってタガが外れてしまいそうだった。
私はそれを見ながら肩を落とした。間違いなく、人の話を聞かないときの古明地さとりだった。こうなることは予想出来たはずだろう水橋パルスィ、手を打っておくべきではなかったのか。仕方がないのだ、こんなにあっさりとさとりのストッパーが外れるなんて思ってなかったのだから。妹のプレゼントのことでただでさえ興奮状態だったということを計算に入れていない私のミスだ。
「目的、忘れてないでしょうね」
「忘れるはずがないでしょう、あ、見てくださいよこれ。ビー玉打ち出せるやつですよ、本で見たことありますけど、人間はこれを使って犯罪を犯すのだそうです。怖いですね、玩具で障害事件だなんて。でもちゃんと箱に書いてあるんですね、人に向かって遊ばないでくださいって。人間のこういう用心深さには感心させられます。……あらこれも珍しい」
「言ってるそばから! ああもう!」
私は抜き足でさとりに近づく。ただでさえ狭い通路が、さとりのおかげで崩壊の一歩手前まで迫っている。しかしさとりは気にもしない様子で箱を手にとっては眺め、適当な場所に戻していく。冷たい汗が頬をなぞるのがわかった。そんなことを続ければ、大惨事になるに違いなかった。現に、さとりの真上に突き出したオセロ盤のパッケージに異常な角度がつき始めている。私は足を止めて、音を立てずに、さとりに精一杯の念を起こった。
──ダメだって、崩れるから!
しかし、さとりは目を輝かせながらこちらを向いた。
「はい、何か思いましたか?」
「だから、さとりストップ! ストップ!」
「いやですね、ちゃんとこいしへのプレゼントは探してますよ」
「そういうのじゃなくて。とにかくそこを動かないで、今そっちに行くから!」
「大丈夫です、問題ありません」
「どっからその自信がでてくるのよ!」
その時、遂に山が限界を迎えた。さとりが次の箱を手に取った拍子、コードが背後の山に触れた。それが引き金になった。さとりの背後から、大小5つほどの箱が降り注ぐ。私は残った距離を無理矢理に詰めてさとりの方向へ手を伸ばした。頭上にかざした手に、何個かの箱がぶつかり痺れるような感覚が走った。腕をなぎ払って、その勢いで一気に身体を寄せた。さとりの身体を無理矢理に押し縮めてそこに覆いかぶさるようになり、連鎖的に起こる雪崩をひたすらに耐える。立ち上る埃の匂いに息が詰まりそうだった。
結局、雪崩が収まるまで十秒はかかって、その間ずっと私は痛みに耐え、むせ返りそうになるのをなんとか堪えた。
「げほ、だいじょうぶ?」
「ええ、ええ。驚きました、急に崩れてくるなんて」
「散々注意したわ」
「ごめんなさい、聞いてませんでした」
「あんたねえ……」
「痛く、なかったです?」
「こう見えてもね、あんたよりは頑丈にできてる。しかし困ったわね、結局なんにも見つからないどころか、面倒なことになりそうな」
私がため息をさとりに吹きかけていると、店の奥から物音がした。
店主がやってきたのかとかばう体勢のまま音のした方へ意識を向ける。
叱られるのは仕方がない。さとりの不注意が主な原因だが、私の方にも少なからず非はある。
しかし現れたのは無精髭の鬼ではなく、真っ黒な少女だった。
「……あーあ、やっちゃった」
その子はさとりよりも面倒くさそうなものを背中に生やしていた。細長く歪な形をした赤青二色の羽だ。しかし彼女はそれを巧みに動かし、ときに身体を捻り、商品という名のがれきの山の上を、まるでそこが平野であるかのような身のこなしでこちらへ向かってくる。しかし、その姿は指針を失った私たちにとっては後光が指しているようだった。
「こんなに派手にやらかすなんて、お前らモグリだな……って、うげ」
私たちの姿を見ると、封獣ぬえは露骨に嫌そうな顔をした。
2
「こいしへのプレゼントだぁ?」
姿を見るなり逃げ出そうとしたぬえを、私たちは逃がしはしなかった。くるりと反転した背中から伸びた羽を、私は手を思い切り伸ばして(本当に伸びたと錯覚するほどだった)掴んだ。そのまますかさず拘束し、私たちの前に座らせた。ぬえは両手を挙げて逃亡の意思がないことを表すとがれきの上に登り、面倒だとぼやきながら重く息を吐いた。あぐらをかいて頬杖をついた。よほど体重が軽いのかまたは何かのコツがあるのか、尻に敷かれた箱たちが形を崩す様子はない。しかし、なんだか見下されているような気がして私は面白くなかった。
「そうよ、いつも一緒に遊んでるあんたなら心当たりとかあるんじゃあないの? こいしの欲しがりそうなものとか」
「なんでそんなことを私に聞くのさ」
「こいしの友達じゃない」
「それを言ったらあんたらはこいしの姉ちゃんじゃんか。それとも何? 妹の欲しがってるもののひとつもわかんないの? うっわー、だっせー」
「ほ、放っておいて。いいから、教えなさいよ」
「いやー、教えてあげてもいいけどさー。こっちもタダでってわけにはいかないかなー」
「なんでよ! 減るものでもないじゃない!」
私は声を荒げて言った。行ってしまってから後悔した。
……いけない、ぬえみたいな天邪鬼にはこうした交渉は逆効果だ。
彼女は正面から会話しない。こちらが激昂して前にでるほどにせせら笑いながら遠ざかっていくタイプだ。
「あんまり大声出さないでよ、また雪崩が起きちゃうじゃない。おっちゃんが昼寝から起きてくる前にこれ、片付けないと怒られるのは私なんだからさあ」
「そうですよパルスィ、お店の人に迷惑かけちゃだめです」
「ちょっと、さとりまで!」
「お、いいこと言うじゃないのこいしの姉ちゃん。そうそう、お店の商品は大切にしないと」
いよいよ味方がいなくなったようで、私は何故此処にいるのかわからなくなった。ぽん、と肩に手を置かれて、私は後ろに控えていたさとりに向き返った。「私に任せてくださいな」と囁かれる。「あー」と短く呻いて、私は頷きながら後ろへ下がった。ぬえの表情が一気に曇る。さとりはひとつ、咳払いをしてから言った。
「さてぬえちゃん、確かに私たちは妹の欲しいものひとつ理解して上げられないダメなお姉ちゃんです。だけどね、私はお金持ちなんですよ。その気になればこのお店の商品を全部、こいしに買い与えることだってできるんです」表情は見えないが、さとりの肩が静かに揺れた。「……困るでしょう? このお店は貴方にとって宝の山です。遊び道具や遊び相手をたくさん得た、大事なお店です。可愛らしいですね、自分の正体を不明にして街の子供たちに混じって遊んでいたなんて」
「おい、バカ、それ以上言うんじゃない」
「商品がなくなればお店はなくなります。奥で眠っているおじさんにだって一生不自由ない暮らしを約束しましょう。もともと、そこまで熱心に商売をしようとする人では無いようですし、簡単に懐柔できるはずです。……さて」
ぬえの表情があっという間に青ざめていった。
さとりのいうことはおよそ現実的じゃない解決手段だった。
しかし、それでもさとりならやりかねないのだった。
彼女に取って、妹は世の中の何よりも大事なのだから。
しかし、ぬえの弱みにも意外性があるものだと私は感心していた。
彼女は村紗たちと生活を共にしているが、街中で姿を見かけたことは無い。もともとも子供らしい性格なのは知っていたが、まさか本当に子供に混じって遊んでいただなんて。村紗のやつに今度教えてやろうと思った。さとりがこっちを見て笑った。
「それとも、こういうのはどうでしょう。街中に貴方のしてきたことを公表します。子供に混じって駒を回し、面子を叩きつけ、おにごっこでちょっぴりズルをしていたことを。……大丈夫ですよ、そんなことで貴方のことを嫌いになるようなひとはこの街にはいません。だから喜ぶべきではないでしょうか、これからは、貴方は貴方のままで子供達とワイワイ楽しく遊べるんですから。さあ──」
「ああ、もう分かった! 降参!」
しばらく歯ぎしりしていた鵺だったが、遂に腕を投げ出してがれきの山に倒れ込んだ。
「……ね?」とさとりがまたこちらに笑いかけた。何が「ね?」だ。悪魔。
「だけどさあ、私にもはっきりとなんてわかんないよ。確かに一緒に遊ぶけど、こいしの事をよく知ってるなんて言えないし。……というかさ、あいつのことを理解してる奴なんて居ないんじゃないかな」
「承知してますよ。だから心当たりでいいんです。今のところ私たちが持っているキーワードは『玩具』と『クリスマス』。これだけですから」
「うーん……」
しばらくぬえはその場で唸った。
自分の頬を指でぐりぐりと押しながら、空いた手をなにやら動かす。
そうして、たどたどしく言った。
「そういえば……この前なんだか不思議な遊びに付き合わされたような」
「どんなのですか」
「こうさ、鏡の前にこいしが立つわけよ」ぬえは立ち上がって、両足を肩幅に開いた。「私に正体不明の種を付けさせて、それでこう……」空中を見て何かを思い出すように、両手をキレよく動かす。「バッバッバッってさ。なんかよく分からない踊りだかポーズだかをとるのさ。それから鏡を見てにやけながらうっとりしてんの。私には、こいしが自分自身をどう見てるかわからないから意味不明な遊びだったけどね。私はなんにも楽しくないし。あれ、なんだったのかな」
「ほう……」
さとりはその話を聞くと俯いて、唇を撫でながら何かをつぶやいた。
「なるほど、こいしは何かに変わりたがっている……いいえ、『変身』したがっている。どこかで読んだ覚えがあります。あのくらいの歳の子は、将来への自分への変身願望が芽生えやすいのだと。だけどこいしはまだまだずっと子供ですからね、その願望を遊びの一環として無意識に行ってしまったのでしょう。ぬえちゃん、この店にそういったおもちゃは置いてませんか?」
「あるにはあるけど……」
ぬえは視線を横に流してがれきを見た。
その中に、ということなのだろう。となれば結局はこの場を片付ける必要があるようだ。
私は肩を落とした。その時、また店の奥から物音がした。続いて「こらぁ!」という怒鳴り声。
現れたのは、はっきりとした無精髭が印象的な初老の鬼だった。今度こそ、彼がこの店の主に違いない。
「お前はまた、店のモン使って勝手に遊んでたのか!」
ぬえ以上にスムーズな動作でどんどんこちらに近づいてくる。もうほとんどがれきを掻き分けているようだった。彼の視線は気まずそうにしているぬえの一点に向けられていた。
「き、今日は違うんだっておっちゃん! 今日はこの二人が勝手にやってただけで」
「嘘つけ、いっつも好き勝手しやがって。今日という今日は全部片付けるまで返さないからな!」
「そんな! ねえ、あんたら助けてよ!」
「ひとさまを巻き込むんじゃあねえ、こっちこい!」
ぬえは首根っこを掴まれて、猫のように捕獲された。ジタバタともがいているが、鬼の力に勝てるはずがない。
私は心中で合掌した。
「あ、待ってください」
さとりが止めた。
余計なことを言わなきゃいいのに。
店主はぬえを担いだままでこちらへ向き直った。
表情から激昂は鳴りを潜め、柔らかい表情を浮かべていた。
彼は紛いなりにも客商売をしているのだ。
「……あ、さとりさまいらっしゃい。どうしましたこんなむさ苦しい所へ」
「妹へのプレゼントを探しに来たんです。それと、その子の言ってることは間違ってませんので、あまり厳しくしてあげないでもらえますか? 片付けはきちんとやりますから」
「むう、本当ですかね。こいつ、相当な悪ガキですよ?」
「だけど、妹へのプレゼントを一緒に選んでくれました。そこでお聞きしたいのですが、変身遊びができるようなおもちゃは置いてませんか?」
「ああ、それならこの前入荷したばかりのがあるよ。いやぁさとりさまは運がいい。いっつもすぐに品切れになっちまってあんまり手に入らないんですよ」
そう言うと、腰を低くして店の奥へと消えていく。私たちは顔を見合わせた。さとりは満足そうに笑った。
しばらく待つと、店主は箱を片手に戻ってきた。それは彼にとっては脇に挟み込めるような大きさだが、さとりには抱え込まなければならないほどの大きさがあった。箱を持つ反対の腕のなかでぬえは死体のように動かなかった。
「随分と、大きいんですね」
「最近のはみんなこんなもんです。まったく、子供も贅沢になった。……これでいいんですかい?」
「はい。考えられる範囲で、一番それが近そうですから」
「はいよ毎度あり!」
そして箱は案の定、私に渡される。
「とりあえず、これで当初の目的は達成できたわけね」
「はい、ありがとうございました。これで妹にプレゼントを渡せますね」
「そうね」
「よかった……」とさとりは嬉しそうに笑った。
普段が不機嫌そうな顔つきなものだから、こういう表情をするとこいつも随分と幼い印象を受ける。
世界で一番大切な、妹への贈り物だ。
私にとっても、その気持ちはわからないものじゃない。
「……じゃあ、帰りましょうか」
私はぬえに再び合掌して、店の出口に向かって歩き出した。それにしても歩きにくい。入ってきた時に比べると高さの威圧感はないが、崩れ去った山々が悲壮感を漂わせている。両手が塞がってしまっているから、尚更困難な道のりに見えているのだろう。
そのとき、「あ」と後ろから声がした。さとりの声だった。
「待ってください。その箱は私が持ちますから」
「大丈夫よ、これくらい持っていくって」
「いいえ、そうじゃなくて。私はこれから帰ってご馳走の準備とかプレゼントの包装とかしないといけないので」
「したらいいじゃない。なんなら手伝うけど」
私は腰だけを回して後ろを向いた。
さとりの後ろで、ぬえが涙目になりながらこちらを見ていた。
面倒事はみんな私の役目だった。
「お願いしますね」
「はいはい」
さとりは箱を抱えて店を出る。私はそれを見送った。
ため息をつく。私は自嘲した。
……仕方が無い、と思った。
自業自得とはいえ、さとりにとってあのプレゼントは大事なものだからだ。世界で一番大切な妹への贈り物だからだ。何よりもそれを優先するのは当たり前だ。事実、私にとってもこいしは他の誰よりも愛くるしい存在だと自負している。珍しく贈り物をされたものだから舞い上がっているというのもあるのだろう。こいしが頑張って作ってくれたものをプレゼントされたのなら、同じ状態になる自信がある。あの子のためならば何でもしてやろうというさとりの姿勢にもどうこう言うつもりもないし、むしろ自分自身そう思っているかもしれない。
だけど、私の心の中で何かが引っ掛かっていた。
少し考えて、それはとても贅沢な感情なのではないかと思った。
しかし、自覚してしまえばなんて事はない、当たり前の感情だった。そこで私はひとつの事を思いついた。思いついたが、まずは店の片付けをしなければならない。手始めに、足元に散らばった四十個ほどの何かのスイッチを拾い集めることにする。
3
数時間後。
ペット達もほとんどが寝静まった頃に、私は腰を抑えながら地霊殿にたどり着いた。あれからは激しい戦いだった。商品の元々の位置なんて誰も覚えてないから整理がつかないことに加えて、「せっかく人数がいるなら年越しの大掃除だ!」と言い出した時に咄嗟に止められなかったのは致命的だった。おかげで一旦全部の商品を表に出し、分別して、安定するように積み重ねていくという羽目になった。陳列棚を新設しようという考えを心の奥に閉まっておかなければ、今頃も作業は続いていたに違いない。霊魂を吐きながら家路に向かうぬえに、私は何もいうことができないままだった。それから急いで用事を済ませ、一直線にここまで来たが、この時間ならばもう夕食は終わっているだろう。
私は閑散としたロビーとリビングを素通りし、こいしの部屋へ向かって長く薄暗い廊下を歩いた。一定の間隔で備えられたランタンが道を照らしている。部屋の前には、予想通りにさとりが立っていた。格好はいつもの服ではなく、本で見たサンタの格好だった。髭じじいではなくさとりが着ると、思った以上に足元の露出が多い服だった。先ほど買ったプレゼントは真っ白な風呂敷に包まれて床に置かれている。準備とはこれらのことだったのだろうか。プレゼントよりも優先して用意したのだと考えたら、そのせいでさっきまで自分があんな苦労をしたのだと考えたら、フツフツと今更に怒りが湧き上がってきた。
さとりはそわそわと落ち着かない様子で、中の様子を伺いたがっているようだった。
私は後ろに立って、さとりの肩に手を置いた。
「よくも置いてけぼりにしてくれたわね……」
「ひゃあ!」さとりの身体がバネのように跳ねた。
「あ、ばか、静かにしなさい!」
「え、あ、貴方でしたか。遅かったですね」
「誰かさんに押し付けられたおかげでね。……それで、こいしは?」
「ちゃんと帰ってきてくれました。ご飯も一緒に食べて、部屋の中に。やはりこのタイミングでこの行動、間違いはないでしょう」
私はドアノブに手をかけて、音を立てないように少しだけ開いた。
部屋の中は廊下以上に薄暗く、明かりはベッドの傍の机の上に置いてあるロウソクだけだった。それも残り少なくなっている。ベッドには、真っ白な掛布団が小さな山を築いていて、よく見ると僅かに揺れていた。
「……ちゃんと、眠ってますよね? ね?」
「眠ってるんじゃあないの? 何を心配してるのよ」
「だって、起きてたら気まずいじゃないですか。万が一のためにサンタ衣装は作りましたけど、誤魔化しきれる自信がありません」
「なんてつまんない心配してるんだか。そんなの、ちょっと行って枕元に置くだけじゃない。朝ごはんまでそうしてるつもり?」
私は静かにドアを開けた。後ろでさとりが小さく声を出したのが聞こえた。気にせずにドアの隙間に身体を滑り込ませて、さとりが後に続けるようにドアを開いた。廊下の明かりが部屋の中に差し込んでくる。私は目線でさとりを急かした。さとりは袋を背負うと、小走りで部屋へ入ってきた。ドアを閉めて部屋が暗くなると、深く息を吐く音が聞こえた。続けて、唾を飲み込む音。
「さあ、ここからが問題ですよ……」
さとりは唇を舐めて小声で言う。目的地まであと数歩、急げば三秒あれば十分な距離だった。さとりが一歩を踏み出すと、ロウソクの炎が真っ赤な服を来た背中と、むき出しになった腿を映し出した。さとりは深呼吸を繰り返しながら、一歩一歩踏みしめるようにベッドへと近づいていく。私はこれ以上何も言わないことにした。あとは、さとり自身がやらなければいけないことだ。
その時、ベッドの上で動きがあった。寝返りでもうったのか、布団の山が大きく動いた。頭まですっぽりと被っているおかげで目を覚ましたのかはわからない。私がさとりのほうへ視線を戻すと、この世の終りのような表情でこちらを見て固まっていた。口元だけが気色悪いほどに素早く動き、「私はサンタ私はサンタ私はサンタ……」とうわ言のように繰り返している。「うぅん……」と天使のような声がベッドの中から聞こえるとそれは一層激しくなり、額に汗が張り付いているのがはっきりと分かった。
「ど、どうしよう……」
そんな言葉が込められた視線がこちらへ突き刺さる。私は声を出さずに「早く置いちゃいなさい」と答えた。さとりはまだ迷っているようだった。私がもう一度急ぐように思うと、さとりは意を決してプレゼント入りの袋をベッドの傍に寄せた。手を離した途端、さとりの表情が緩んだ。
そして、身体が崩れ落ちそうになった。
私は慌てて、しかし静かにそれを受け止めた。受け止めた背中は服越しでも汗がにじみ出ているのがわかった。
全く自立してくれないさとりの身体を引きずるようにして、私たちは部屋を出た。
廊下にでて、さとりは久しぶりに呼吸をした。
過呼吸に見えるほどに身体を使って呼吸をした。
「お疲れ様」
「へへ……お姉ちゃんらしいこと、してあげられたでしょうか」
「サンタの真似事がお姉ちゃんらしいかっていうと……まあ、そうね。そういうことにしておきましょうか」
「よかったぁ」
私が言ってやると、表情が一気に綻ぶ。
廊下の明かりに照らされたさとりの身体は、吹き出した汗でどこか煽情的に見えた。染まった頬も首元も、来ている服より赤く染まっていた。体重を預けられたまま立っていることもないので、私はさとりを受け止めたままで壁に背を預けた。さとりは力無く上に倒れ込んでくる。向かい合う体勢で受け止める。いい加減に緊張から解放されてもいい頃だろうに、未だに呼吸も安定しなかった。
「……こんなにドキドキしたのは、生まれて初めてかもしれませんね」
「あんたの人生、意外と刺激が少ないのね」
「これ以上に心臓に悪いものが、他にあるんですか?」
「いや、わかんないけど」
ここしかなかった。
言いながら、私は自分の上着に右手を突っ込んでそれを取り出した。
右手にはこいしに貰った指輪がはめてあったので、私はさとりの左手を持ち上げて、それを握らせた。
「……え?」
さとりは何がなんだか解らない、といった声を出す。
「プレゼント」
と、私は言った。顔を真っ直ぐに見れないことくらいは勘弁して欲しい。
「せっかくだからね、あげるわ。時間がなくてやっぱり既製品だけど」
「え、その、どうして」
「妹のために頑張ったあんたへのご褒美、そう思っておきなさい」
私は嘘をついた。
さとりは混乱に混乱が重なって何を言っていいのか分からないようだった。
我ながら唐突すぎると思ったが、こういうタイミングでもないとさとりに隠し事なんてできない。心を読まれるまでコンマ五秒もかからないのだから、不意打ちするためにも状況が重要になってくる。
しかし、奇妙なものだとも思った。さとりの意識がこいしへのみ向けられていたから隠せたことだが、元はといえばこんなことをしているのも、さとりの意識がこいしの方にしか向けられていなかったからだからだ。
でもまあ、私のこの感情は、そういうものなのだろうと納得しておくことにした。
実に、橋姫らしい感情だ。
「どうしたのよ、せっかくなのに貰ってくれないの?」
「だってわたし、こいしのでいっぱいいっぱいになっちゃって、お返しも何も用意してなくて……」
さとりは俯いて顔を隠してしまう。
私が頬に触れてみると、火が着いたように熱くなっていた。
これがどっちのせいなのか分からないけれど、こっちのせいでいて欲しかった。
返しがないことなんてわかってた。だから私がこうしているのだ。
「いらないわそんなの。少しだけ、こっちを向いてくれたら」
私はさとりの顔を上げさせて、小さく開いた唇にキスをした。
どうしようもない。無性にしたくなったのだ。
今回のパルスィはかっこよく決まりましたね!
珍しく
さとパル…?と疑問に思っていたら、ラストが最高に甘々のさとパルだった…!
あと、玩具屋の話あたりでいくつか誤字がありましたよ。
パート3の地霊殿のシーンで、「一定の感覚で備えられたランカンが……」とありますが
感覚→間隔の誤字
「ランカン」は「ランタン」の間違いでしょうか?
こども向けクリスマスの時間が終わったら、次は大人であばんちゅーるなクリスマスの時間ッスね!ね!!NE!!!
感想に書きたいことがサンタさんの袋の中身みたいに詰まっていまして、以下に連ねたく思います。
まず淡々としたパルスィの一人称ですね、これが私の心に直撃です。「夢も希望もなくなった妖怪が、私よ」
という台詞は、決して茶化した訳じゃない心のうちが透けて見えるようで、怖いのが半分、切なくなるのが
半分でした。ところが、こいしが関わってくると「よしわかった」と即答、おーいってツッコミを入れたく
なるような、ちょっとしたユーモアが散りばめられていて、飽きることがなかったです。
一方のさとりは、タグにも書かれている通り重度のシスコンっぷりw こいしのために一生懸命になるさとりの
姿は、例えば「世界で一番大切な妹への贈り物だからだ」とか「だってわたし、こいしのでいっぱいいっぱいに……」
とか、そういった描写に云い表されておりますが、それだけ妹のことを気にかけるようになるだけの“過去”という
ものが感じられます。
明るさを損なわないためにも、暗い過去の描写は差し控えられたのだとは思いますが、だからこそ滲み出る切なさって
好いですよね! しかもパルスィは、そうした二人のことを理解してやっている。そのために、地の文にもほのかな
優しさのようなものが感じられて、淡々ではあるけれども、決して冷淡ではない、氏の地底に対する姿勢というものが
感じられました。ホワイトクリスマスに相応しい流れであったと思います。
今回の話の焦点はさとパルなので、長々と書くことは出来ないのですが、ぬえちゃんももんのすげえ可愛かった!
原作の天の邪鬼っぽさを残しながらも、また飄々とした態度を取りながらも、「自分の正体を不明にして街の子供たちに
混じって遊んでいた」なんてクリーンヒットです。ホームランです。こりゃ私にとってのクリスマスプレゼントですね。
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さとパルの話ではありますが、事態の中心にいたのは常にこいし。これはおそらく氏のイメージする地底でありますとか、
さとパルという組み合わせでありますとか、そういったものがこいし抜きには決して語れない性質のものだからでしょう。
あえて主人公であるパルスィを物語の中心に据えて、一人称の視点はさとりかこいしにして、姉妹が共にパルスィのために
それぞれに行動するという話も面白そうです。パルスィがいちばん客観的な立場であるからこそ主人公にも据えやすいとは
思いますが、逆転の発想でパルスィというキャラクターを“外側”から描くのもアリなんじゃないかなぁ、と思うのです。
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後書きの続きがどうなったのか恐ろしいですねw さとパルもぬえちゃんも含めて、楽しんで読ませて頂きました。
クリスマスはさとパル記念日、二人に幸あれ。投稿して頂き、ありがとうございます。また読ませて下さい!
う~ん、百合スマス
多分、大人から見たら全部同じに見えるんでしょうねw