「~~♪ ~♪」
白玉楼の庭に鼻歌が響く。
上機嫌そうに庭の木の剪定を行っている妖夢によるものだ。
「あら? 随分とご機嫌みたいね」
と、横槍を入れる主・幽々子は……今は居ない。 人里へと遊びに出ている。
主が居ない事で機嫌を良くするとは不遜な話ではあるが、今回この主従の場合――
「妖夢ー。 ちょっと人里まで行ってくるわね。」
幽々子が思いつきで何かを言う事は珍しくない。
しかしこれは少し毛色の違う事であった。
大抵は暇つぶしなどで妖夢に何かを用意するようになどと指示を出す所なのだが……
「お出かけ、ですか……お一人で?」
「そうよー」
自ら、それも妖夢を伴わずというのは珍しい事だった。
主に対して明け透けに物を言う事の多い妖夢であったが、意図を問うべきか一瞬迷っている間に主が続けた。
「ほら、私が居るとあれしろこれしろってお願いして仕事を中断させてばかりでしょう?
だからたまには気兼ねなくやっていられるようにと思ってねー」
「成程」
妖夢にとっても合点の行く答えだ。 しかし……
「そうおっしゃいますが、私と一緒にお買いものに行くと口うるさいからという事の方が大きいのでは? お茶請けのお菓子がなくなって、この際だから好みの物をたっぷりと買って来ようという魂胆なのではありませんか?」
人里へ出る、と言えば買い物である事が多く、菓子の類も含め食料品が主な対象となる。
そして妖夢が一人で行く事が多く、たまに幽々子と二人……幽々子一人でという事は殆どない事だった。
妖夢の言う通り、幽々子は嗜好品を買いたがるのだ。
亡霊たる幽々子にとっては食事は生きるために必要な事ではないため、好き勝手に食べたい物を食べていたとて問題は無いのだが、まがりなりにも亡霊の管理を行う白玉楼の主が年がら年中お菓子だけ食べてます、では示しがつかないし、噂を聞きつけた閻魔様にこってりとお説教をされる羽目になりかねない。
「大丈夫よー。 一週間お菓子だけしか食べないような量を買い込んで来たりはしないわ。」
どっさりと買ってきて閻魔様、とまではいかないが鬼のような形相をした妖夢に怒られた前例があるだけに、指摘がそのまま図星ではなかったようだ。
「飽くまで常識的な範囲で済ませるのでしたら……」
「うんうん、そうするわ。」
終始ニコニコとしている幽々子、その様子につられて妖夢も引き止めずに送り出したい気持ちが起こってきた。
「解りました。 それでは行ってらっしゃいませ。」
「ええ、でもね、妖夢。 気兼ねなく、というのは建前であり本音よ。 お仕事も休憩も、うるさい主の留守の間思うがままにゆっくりとして頂戴ね」
と、こんな具合にお墨付きで羽を伸ばしているのだ。
見送ってからしばらくは、敢えて一人で出るという事に某か、「自分に言えば止められるような狙いがある」のではないかという意識が残ったが
言われるがままに自分のペースで過ごし、中断する事なくいられる気楽さにすっかりくつろいでいた。
夕餉の頃に幽々子は帰ってきた。
食べ物、やはりお菓子が多い大きな荷物を抱えてこそいるがいつぞやに比べれば大人しい量だ。
「おかえりなさいませ、幽々子様」
恭しく出迎える妖夢。
「ただいま、妖夢。 早速だけど買ってきたものをしまっておいてもらえるかしら?」
「かしこまりまし……た?」
大きな荷物をおろした幽々子と、面を上げた妖夢の視線が合い、妖夢が固まった。
「……幽々子様、その御髪はどうされたのですか?」
幽々子のウェーブのかかった桃色の髪、出かけて行った昼過ぎまでは変わらなかったそれが、今は癖一つ無いストレートになっていた。
「香霖堂へも行ってきたのよ。」
とりあえずはその一言で事足りた。
外界から流れ着いた、幻想郷では見かけないガラクタから名品まで節操無く並んだあの店で何かを見つけ、使用したのだろう。
まず追及も説明もそこまで、妖夢は指示通りに食料品をしまい、その後夕餉を終え、改めて何があったのかを訊ねた。
「元々は妖夢が怪しんだ通り、お菓子を買いに、というつもりだったの。 それでね、せっかくの機会だから香霖堂なら人里でも見かけないような珍しいお菓子でもあるんじゃないかしら、って」
「確かに珍しさなら香霖堂に勝る場所はありませんね。 ですが……」
妖夢が言葉を続けるより先に、幽々子が大げさに肩を落とし落胆のポーズをとった。
「あそこ道具屋だものね……」
香霖堂は古道具を扱う店だ。 基本的にはよくわからない何かに用いるためのものを置いている。
一人で買い物に出た解放感でついそれをも忘れてしまっていた……とも思いにくく、もののついでに寄ってみてあれば儲けもの程度の気持ちで行ったが案の定なかったのだろう、妖夢はそう判断した。
「で、話はこれの事になるのだけど」
まっすぐになった髪を弄んで続ける。
「変わった意匠の入れ物があって手に取って見ていたら「それは癖のある髪を矯正する薬剤だ」って」
香霖堂の店主・霖之助の真似をして言ってみせたが、似てはいなかった。
「収穫なし、とあっては残念だからとそれを購入してご使用に?」
幽々子は首を横に振る。
「いいえ、そうも思ったのだけど、なんでも……「薬剤の類は古くなると効果が無くなったり変質してしまったりする事がある。 御多分に漏れずそれも外から来て、僕が拾ったものだ。 古すぎておかしくなってはいないという保証はない」……ですって」
再び真似をしてみせるものの、本人よりもやや言い方に嫌味を含んでいる。
何か意地の悪い事でもされたのだろうか、と妖夢は思うが、疑問をとりあえず横に置いて続けた。
「はぁ……するともしや、購入だけして使えるかどうか確かめに永遠亭まで?」
「そう。 なんだか意地になっちゃって。 永琳に話してみたら鈴仙を呼びつけて、調べてくれたわ。」
幽々子は悪びれずに言うが、いつもの自分のように永遠亭の二人が気まぐれに付き合う事になったのか、と、思うと妖夢は慣れた事と言えど少しいたたまれない気持ちになった。
何かお礼でもしに行かなければならないだろうか、妖夢の思いをよそに幽々子は続ける。
「結果は、古くて駄目になってる、ですって。」
つまり霖之助の真似の嫌味さを大げさにしたのは、使い物にならないものをつかまされた腹いせのようだ。
「あれ? その薬剤が使えなかったのなら一体どうして……?」
「永琳がね、鈴仙の練習のお題を持ってきてくれたお礼にって同じ効果の薬を作ってくれたのよ。
私を頼ったのに鈴仙にやらせたお詫びの意味も、って言ってたけど、私としては解りさえすれば永琳でも鈴仙でもよかったからこっちもありがたかったわね。」
一応形としては貸し借り無しの結果に落ち着いているようだ。
しかし妖夢の脳裏に一瞬、白玉楼の一室で談笑する幽々子と永琳の姿、そして永遠亭へと出向く事になる自分のイメージがよぎった。
主の気まぐれの埋め合わせに動くことになるのは概ねいつもの事なのでそれは然程考えずに、言葉を続ける。
「流石は月の頭脳と称される八意様の薬、その効果は覿面ですね」
幽々子は「同じ効果の薬」と言った。
如何に外界の技術がこの幻想郷より先んじているとはいえ、そのまま再現ではこれ程……
「ゆるふわゆゆこさまがしゃっきりゆゆこさまに」
「ゆるふわ?」
「いえ! なんでもありません! ただそのまま同じ効果を再現したというよりも……
ついでに、より強く効果が表れるようにしたのでは、と気になりまして」
妖夢の懸念も自然な事。
それ程に、幽々子の髪は元々ウェーブのかかる質であったと言っても信じられないという程に、見事な直毛になっていた。
「そうよ、これから私は月の技術によってもうゆるふわゆゆこさまじゃないの、しゃっきりゆゆこさまなのよ」
立ち上がり、拳をあげて宣言する幽々子。 しっかりと聞かれていた。
二重の意味でショックを受ける妖夢がうつむいて返す言葉を見つけられずにいると、幽々子は一つ咳払いをして座り、続けた。
「……なんて事はないわ。 安心して頂戴。 元々この薬はしばらくすると元に戻るものらしいの。 質を上げて効果とその維持される時間を強めたらしいけれど、いずれは元のゆるふわゆゆこさまに戻るわよ」
最大級の笑みを浮かべながらそう言う。
「あ、あの……ゆゆこさま……?」
「なにかしら?」
うつむく妖夢、笑みを崩さぬ幽々子。
「お願いですから「ゆるふわゆゆこさま」と「しゃっきりゆゆこさま」は忘れていただけませんか?」
「いいえ、しばらくはこれで行くわよ。 かわいらしくていい表現だわ」
思わず口をついて出た言葉のせいでしばらくからかわれ続ける事が決定し、すっかり恥じ入ってしまっている妖夢。
視線がこちらを向いていないのを良い事に幽々子はやりすぎたかしらと内心呟き軽く息をつくと
「ちょっと待っててね」
とだけ言い残して部屋を出て行った。
一方残された妖夢は一人まんじりとして主が戻るのを待つ事となる。
随分と長く感じる少しの時間の経過の後、戻った幽々子は2つずつのお茶と小皿に切り分けた羊羹――片方はごく普通にお茶請けといったサイズだが、もう片方はそれにはやけに大きい――の乗った盆を手にしていた。
「ほーら、さっき買ってきた羊羹よ」
それを見て慌てて居住まいを正して妖夢が言う。
「も、申し訳ありません幽々子様! 命じて下されば私が用意したものを!」
幽々子は意に介さず卓袱台にお茶と羊羹を置く。 勿論羊羹は妖夢が小さく、幽々子が大きい。
「いいのよ、からかったお詫びに、ね? ……でも、貴女は恥ずかしいようだけど私はすっかり気に入ったのよ。 もし良ければ、使っていきたいわね。 ……飽きるまで」
「は、はい……でしたら、お使い下さい。 ……飽きるまで」
優しい語調で言う幽々子に対して、妖夢のそれは少し強めだった。
幽々子は飽きっぽい。 存外に早く飽きるかもしれないという期待と、飽きたらもうそれでからかうのはやめて下さいという気持ちの表れだろうか。
ともあれ「ゆるふわゆゆこさま」と「しゃっきりゆゆこさま」のフレーズについてはお茶と羊羹の登場で一件落着となった。
少しの沈黙……お茶を啜る音が部屋に響き、不意に妖夢が口を開いた。
「それにしても、まっすぐになっただけで随分と印象が変わりますね」
「そうねー……香霖堂まで行ったのにそこでは得るもの無しに帰るだなんて、って余計に手間をかけちゃったけれど、意外と私も気に入ってるわ」
扇子で口元を隠して意味深な表情を浮かべて見せる幽々子。
「あ、それいつもの髪型よりもお似合いですよ。 なんだかこう、主としての凄みが増しているというか」
「あら? それじゃあ本当にずっとこれで行こうかしら。」
と、今度は屈託のない笑みを浮かべる。
「え? いや、それはちょっと……私は、凄みがあるよりも普段通りの柔らかい印象の幽々子様の方が」
困惑を含んだ声音の妖夢。
「うふふ、冗談よ」
「ならいいんですけど……そういえば山の神社の早苗が幽々子様の御髪を見て何か……今のように真っ直ぐであれば何のようだと評した事もありましたよね」
守矢神社の巫女にして現人神の東風谷早苗、この幻想郷に二柱の神と居着くようになったのが比較的近い時期で、外界の知識が豊富であるため往々にして誰も解らない例えで一人納得していたりする事がある。
「あったわねぇ……えーっと……名前が出てこないわね。 ネギトロ味みたいな名前の人を呼ぶ発言があるんだったかしら?」
そしてその外界の知識に基づく事を聞きだそうとすると、解らない言葉で止め処無く熱く話す事が多いため、いまいち記憶に残りづらい。
「また幽々子様は食べ物の部分だけを拾い取って……私もよく覚えてないですね」
そう言って妖夢は唸り出してしまう。 特に思い出せる事がないようだ。
「あ、そうそう、あの子が真似してた発言を思い出したわ」
「どんな内容でしたっけ?」
身を乗り出す妖夢、幽々子は喉の具合を整えるように咳払いしてから、先程のように扇子で口元を隠して表情を作り……
「こんなところで朽ち果てる己の身を呪うがいい!」
……数秒間の沈黙。
「えっ……と、それってなんだか……」
妖夢が額を押さえる。
「? どうしたの?」
「幽々子様ご自身の言葉としても凄く当てはまりそうな気がしません?」
妖夢の指摘を受けてそういえば、といった表情を浮かべる幽々子。
幽々子は「死を操る程度の能力」を持っている。 相手にそれを放つ前にこの台詞を言えば……
「……そうね、違和感無いわねこれ。 物真似として良いかと思ったのだけど……」
と、今度は幽々子が唸り出した。
「? どうしました? 考え込んでしまって」
「……決めたわ、妖夢。 明日はちょっと紅魔館まで行ってきて頂戴。 これから文をしたためるからそれを持って、ね」
翌日、妖夢は幽々子の用意した手紙と、手土産にと持たされた昨日の羊羹――幾つか購入してあったうちの未開封を丸ごと2本――を携え紅魔館へ向かった。
手紙の内容については妖夢は聞かされていないため知らないが、受け取った際の感触からは枚数の多いものではない。
また、図書館の主・パチュリーへ渡すようにと指示されている。 恐らくは何か、本を借りようとしているのだろう。
……と、考えていたのだが、ふと妖夢は腑に落ちないと気付いた。
てっきり昨日の話の台詞、早苗の語っていた人物の詳細を知ろうとして外界の本を当たろうとしているのかと思ったのだが
早苗はそれが本で見聞できるものだと言っていただろうか?
「本で読んだ」と聞いた覚えが全くない。 内容については主従共に碌に覚えていない体たらくであったが、媒体くらいは馴染みがあれば覚えているはずだ。
新聞、瓦版、講談……ここで見聞き出来るようないずれでもない外界の何か、故に全く覚えが無いのでは。
(とすると幽々子様は別の何かを知るために本を借りようとしている……?)
いずれにせよ、役目を果たせば解る事だろう。
紅魔館に到着し、門番・美鈴と少しの会話を経て中へと通してもらう。
羊羹は念のためにと隠し、見せないようにした。
白玉楼では必要が無いのに食べる事を楽しむ幽々子、それに妖夢の2名のみで残るは幽霊が居るばかり。
それに対してここ紅魔館はレミリア・フランドール・咲夜・パチュリー・美鈴、それにパチュリーの元で司書のように或いは従者のようにそばに居る小悪魔、更にはメイド妖精達……
2本の羊羹は、その振舞われ方如何によってはあまりに少なすぎる。
美鈴は咲夜とは違い失敗も多く、罰を受ける事も多いようで、もしかしたら口にする事は出来ないかもしれない。
ならば最初から知らない方が良いだろうと妖夢なりに妙な気遣いをした結果であった。
こんな場面でこんな風に気が回るだなんて、食べ物にうるさい主が居るからだろうか、と思ってしまい複雑な気持ちになる妖夢だった。
「珍しいお客さんね」
そう言いはするが図書館の主パチュリーは然したる感慨も無い様子だった。
「ええ、今日は幽々子様の使いとして参りました。 これをお渡しするようにと言付かっております」
妖夢が差し出した手紙と羊羹を受け取るパチュリー。
何事かと訝しむ様子だったが、手紙を開けて一瞥するなりすぐ様普段通りに――それでも愛想は良くないが――戻った。
「どうやらそう堅苦しくなる必要もないみたいよ」
確かに、昨日のやり取りからここでパチュリーも余所行きの態度で接してくるような事態があっては空恐ろしくなるというもの。
「まー……あの亡霊姫の事だから何か回りくどい事は考えてるのかも知れないわね」
言いながら視線は書架を巡っている。
「あれ取って頂戴」
あまりに無造作に言ったので一瞬自分に言ったのかと思った妖夢だったが、少し離れた位置で何か作業していた小悪魔がすっと飛んで行くと、小さい本をごそごそと……
……多い。 20冊は優に超えている。
「ちょっと多いけど、貴女なら持って帰るのも苦にはならないでしょう」
「借りて行っていいんですか?」
この図書館に来ては「死ぬまで借りてくぜ」と本を「借りて」行く白黒魔法使い・魔理沙に手を焼いている、とは妖夢も知っている。
「半分幽霊と亡霊と、貴女達が「死ぬまで借りる」だなんて言い出しはしないわよね」
魔理沙の事を考えた事が読まれたようだ。
「読み終えてちゃんと返してくれれば問題無いわよ、それに……」
「それに?」
「亡霊姫お墨付きのお茶菓子らしいわね、今日のティータイムは良い時間になるわ」
無愛想なパチュリーの口の端が、少し上がった。
パチュリーの言からすると重要な要件ではなかったようだが、それでも幽々子の命で出向いた事には違いない。
幾つか紅魔館には誘惑――主に美鈴や咲夜との世間話――があったものの全て振り払い道草を食わずまっすぐに白玉楼へと帰還した。
「ただいま戻りました、幽々子様」
「おかえりなさーい」
幽々子の機嫌はよさそうだ。
「貸してもらえたのねー。 うちでは貸出はしてないって言われるかもしれないと思ってたけど」
出かける際には羊羹包んでいた風呂敷、代わりに今は借り受けた本を包んでいた。
風呂敷を開く、先程はどういった本であるかじっくり見られなかったが……
「これは……」
刀を携えた派手な色合いの優男、それに女性の絵が大きく描かれている。
「剣客……浪漫?」
一体幽々子はこの本で何を知ろうというのか、主の答えを求めるように視線を上げると、妖夢の手から本を取り上げて言った。
「妖夢は「漫画」を見るのは初めてだったかしら?」
「そういうものが外にあり、こちらでも人気のあるものと知っている程度ですので……」
妖夢はどことなくばつが悪そうにしている。
陰に陽に見聞を広める事を奨励しているため、知っていても触れてみようとしなかったという事に罪悪感があるのだろう。
「いい機会ね、ほら」
と、開いて見せる。
「……成程、話には聞いていましたがこれは……文字だけよりも、読みやすいですね」
「そうそう、気軽に読めるのがいいわね……で」
ぱたりと閉じて、風呂敷の上に重なった本の頂上に乗せる。
「さて問題、私の目的は何でしょう」
妖夢に褒められて気に入ったのか、またも開いた扇子で口元を隠し意味深な表情を見せる……が、すぐさま補足した
「あ、大した事じゃないわよ。 だからお遊び程度に気楽に答えてね」
「はぁ……」
思わず生返事をしてしまう。
昨日物真似をして、いまいち真似っぽくない事を残念がっていた時に紅魔館行きを決めた……
要件は「漫画を借りる事」であり、借り受けた漫画は「剣客が登場する話」……
目的は大した事ではない……
「うーん……?」
妖夢は幽々子の考えを推測するのが苦手だ。
まだ方々の経験が浅い事や性格もあって基本的に真っ直ぐに物事をとらえる。
それに対して幽々子は「大した事じゃない」などと言いながら何か企んでいたり、逆に思わせぶりな言動をしていながら実は然程考えていなかったりと、妖夢からすれば掴み所がない。
今回も実は何か大層な目論見が……
「うふふ、考え込んでしまうようでは今回ははずれねきっと。 昨日の物真似が不発だったから、もっと物真似らしくなれるのはないかと探してみたくなっただけ」
無かった。
「そうでしたか、本当にただの遊びの一環、と」
「そういうこと。 しゃっきりゆゆこさまな内に似合いすぎという程ではなく似合ってる何かを見つけて楽しんでみたいというわけ」
不意に飛び出した「しゃっきりゆゆこさま」に顔から火が出そうになった妖夢だが、なんとかこらえて返す言葉を探す。
「……って、ただ遊びのためであるなら、わざわざ時間をかけて文をしたためずとも私に伝言をさせた方が楽だったのでは?」
「ああ、それはね……一応、もっともらしい事を書いて誤魔化しておいたのよ」
誤魔化す必要があるだろうかと妖夢は内心首をかしげる。
合点が行っていない様子を見て幽々子は続けた。
「ほら、しばらく前に一人でお菓子をたっぷり買ってきたら妖夢すごく怒ったじゃない」
「あれは……その、立場も弁えず過ぎた事であったと反省もしています」
妖夢は申し訳なさそうにしているが、幽々子の表情は明るい。
「その時のお説教の中で、白玉楼の主としての自覚をもっと持って下さいって言ってたわよね」
「……はい」
「だからちょっとそれらしく建前を作ってみたのよ。 「妖夢に刀を振るう者の生き方を色々と知ってもらいたいけれど口で伝えるだけでは伝わりづらい。 何か仕事の傍ら、休憩中の片手間などに見られる手軽な本を見繕って貸してほしい。 お代は羊羹2本で」……といった具合に」
それを聞いて借りてきた本に視線を落とす。
見事だ、と、妖夢は素直に思った。
以前自分の言った、主としての自覚を持てという発言。 それを内外に示しながら目的を……?
「あの……今、一つ、思ったのですが……」
「なーに?」
幽々子は妖夢が気付いた点を知ってか知らずか、どこか得意げな顔をしている。
「男性しか登場しないようなお話のものを提示されたら一番大事な目的が確実に果たされなかったという事になりますよね。 私は思惑を知らないわけですから、紹介されればこれのように素直に受け取ってきてましたし」
「あ」
詰めが甘かったようだ。
「……まぁ、結果良ければすべてよし、よ。 せっかく借りてきたのだから読みましょ」
流石の幽々子もいたたまれないかのように誤魔化そうとしている。
「結果が良いとも限らないですよね。 幽々子様が演じてみせるに適した人物が登場しないかもしれませんし」
「うう、ようむがいぢめるわ……」
着物の袖で涙をぬぐうようなしぐさを見せる幽々子。
袖に隠れた口元にはかすかな笑み。
もし「今回の自分の目的」にはそぐわないものだったとしても、常日頃思っている「妖夢の見聞を広める事」の役には立つ。
そう、「パチュリーが妖夢のために本を見繕って貸してくれた」時点で、幽々子が断腸の思いで差し出した羊羹2本は見合う働きをもたらしていたのだ。
感心するだけに終わらず問題があったと指摘する妖夢に内心喜ぶ幽々子だった。
「あのパチュリーが機嫌良さそうに微笑んでいたくらいですから、羊羹懐柔作戦は上手く行ったようですよ。 もしかしたらあと1つ2つくらい、こういった形で全巻貸し出してくれるかもしれません」
風呂敷に重ねて置いたままだったのを一冊一冊並べる妖夢。
「それよりもこれ、随分な量ですがこれ全部で一つのお話しなんですよね」
その数全28巻。
「ええ、そうね」
「でしたら建前上は私のためですが実際は幽々子様の遊びのため、どうぞお先にご覧ください」
「そうさせてもらうわー。 じゃ、とりあえず1冊読み終わったら呼ぶわね」
幽々子は漫画というものを既に知っていたが、妖夢は実際触れるのは初めてだ。
それ故に妖夢が読んでいる際には読み進め方が解らなくなる事がちらほらあった。
不慣れな事もありコマ割りのどこへ視線を送っていけばいいか解らなくなるのだ。
その場合は逐次、幽々子がこう読めば話がつながる、と指でなぞった。
また、元々の「読む」行為の速度の差もあって互いに好きに読んでいては読破の差が開くようだった。
程無く気付いてペースを緩める幽々子、それと共に一つ悟る。
佳境の場面で妖夢の声がかかる事があった、形も重みも違うが、妖夢を呼びつけて何かを指示する行為が即ち同じ意味を持つ事が有り得る。
(昨日は……)
ちらっと妖夢の顔を盗み見る。
今はつまづく事なく読み進めているようだ。
初めて読む漫画に熱中しているせいか、おそらく無意識に表情がころころ変わっている。
思わず思考を止めて見入ってしまった。
(昨日は、思いの外機嫌がよかったわね)
買い物から戻って、この髪に気付くまでは所作も軽かった。 主の留守の間を楽しんでいたのだろう。
(たまには何もさせない方がいいかしら)
自室に居れどもただ黙して命じず……
だがもし何も命じる事がなければかえって心配をさせたり、事によっては力不足故に何もさせなくなったのだ、などと受け取ったりもするだろう。
落ち込む妖夢が容易に想像出来る。
いっその事永遠亭のてゐのようにふてぶてしく……
「ぷっ」
「何か笑える場面でも?」
「え、ええ……ちょっと悪玉の尻すぼみ具合がね」
うさ耳を装着した妖夢が白玉楼の庭に落とし穴を仕掛けたせいだなどとは言えようはずもない。
その後しばらく、幸運を扱う程度の能力・魂魄てゐ夢を追い払う事に苦心する幽々子だった。
……
「この師範の娘は……」
「いえ、それだとむしろ幽々子様はこっち……」
「妖夢師範に怒られ目をまわす幽々斎ね……」
「お医者様は……」
「うーん、永琳を差し置いてといった感が……」
「言動は結構いい線だと……」
「鍋屋の店員は……」
「流石に若すぎるわね……」
「じゃあ女将さんで?」
「うーん、惜しいわね、ちょっと人柄が……」
「成長した氷精……!」
(むしろ生真面目さを減らしてその分奔放さを足しつつ恋を覚えた妖夢?)
「あ、この敵方の女性……」
「何をおっしゃってるんですかはしたない!」
「えー……一番やれそうな気が」
「駄・目・で・す!」
……
「妖夢、大変な事に気付いたわ」
「どうされました?」
どれくらい過ぎただろう、外は既に暗い。
部屋は明るくしてあるため読むに不足は無いが、いつ・どちらが――或いは住民の幽霊が?――用意したかも覚えていない。
「ごはんを食べてないわ!!」
漫画の楽しさもさる事ながら「どのキャラクターなら今の幽々子が演じられるか」を議論するのも面白く、つい時が過ぎるのを忘れてしまったようだ。
あわただしく部屋を出ていく妖夢、すぐに戻ると……
「すっかり熱中しまいましたね、夕餉の用意が出来たと声をかけられても生返事を返すばかりでいてしまったようで」
「そう……悪い事しちゃったわね、とりあえず頂きましょう」
熱を帯びた議論も流石に食事中は中断となった。
黙々と箸を動かすが、二人共どこか上の空といった様子。
漫画の内容を反芻していたり、或いは幽々子の演じる事が出来る登場人物とは?
と、二人共頭の中はそればかり。
冷めてはいるが熱い食事の時間が終わると、幽々子はすっかり読書部屋と化した自室へと戻った。
程なくして妖夢がお茶を携えて入ってくる。
両名共に考え込んでいる様子で挨拶の言葉すらない。
幽々子、妖夢、それぞれお茶を少しすすって……妖夢が口を開いた。
「私としては、主人公のこの方が最も適していると思います」
「奇遇ね、私もそう思い始めていたのよ」
しかし問題がある。 主人公は男性なのだ。
作中では女性と勘違いされる事こそあるものの……
「ちょっと存在感がありすぎるんですよね、そこが問題で」
何がと言いはしないが妖夢の視線が妬ましげかつ少し低い。
「とはいえ結局一番やれそう、とはっきりはしているのだから……まずは、やってみましょ」
幽々子は立ち上がると、ついて来るようにと目で妖夢に促した。
向かった先は妖夢の祖父・妖忌の部屋。
かつて幽々子に仕えていたが、今は行方知れずとなっている。
「勝手に入って漁るだなんてよくないけど、勝手に居なくなった罰という事で」
入る間際にぽつりと幽々子が呟いた。 妖夢に向けてではないだろう。
その言葉がやけに切なく感じられて妖夢の目頭が思わず熱く……
スタァン!!
なりかけた所で襖が物凄い勢いで開かれた。
そこで、察する。 感傷に浸ったというよりは……
「もしかして、幽々子様……今の、言い訳ですか?」
流石に妖夢の視線もやや冷たい。
勢いよく進まないと踏ん切りがつかなかったといった所か。
「だって妖忌ったら妖夢の1.3倍くらい正論にして2倍くらいしつこくして4倍くらい凄みを持たせたみたいなお説教をしてくるのよ? 無断で部屋に入ったなんて知られたらこってり絞られるわよ。 映姫様程じゃないけど」
確かに厳しくはあったが、そんなに怯える程だったろうか。
多分祖父としての妖忌と護衛兼庭師としての妖忌は違ったという事か……
(それに加えて、幽々子様は私を真面目だって言うけど……)
主は自由で適当でゆるふわで。
(うん、怒られる。 凄く)
妙に力強く納得する妖夢。
「妖夢だって一緒に入ってきたんだから同罪よ。 一蓮托生よ」
まさかそのためについてくるようにと示したのだろうか。
そういえば示されるままについてきて・入っているが、言葉では一切指示されていない。
もし仮に「幽々子様に指示されました」と言っても「私は何も言っていない」が紛れも無く真実となる。
とても白々しく言い逃れに使える事ではないが、嘘ではない。
「……なんというか、抜け目ないですねぇ」
拝借してきた妖忌の服、妖夢には大きすぎて着られない。
しかし幽々子ならという事なのかと妖夢は思ったが、やはり大きい。
「まぁ、ちょっとやってみてしっくり来る形になりそうだったら本格的に用意すればいいのよ」
髪を後ろで束ねて、楼観剣を鞘にしまったまま腰の辺りで持ち……
「では、失礼して」
頬に墨で×字を描いてみる。
……
「やっぱり、ちょっと、無理がありますよね……」
似合いそうかどうかをはかる以前に、サイズが合わないだらしなさが際立ち過ぎている。
「うーん、ちゃんと合った大きさの服を用意するしかないかしらね」
これでは立ってるだけが精一杯であろう、作中の構えや動きを真似てみるなど出来そうもない。
「そうねー……」
視線を宙に巡らす幽々子。
「妖夢、貴女としてはこれ、やってみるべきだと思う?」
「正直に申しまして、見てみたいです。 凄く」
目を輝かせる妖夢を見て、幽々子の腹は決まった。
「じゃ、明日は魔法の森ね。 今度は私も一緒に」
そして翌日。
今度は手紙はなし、羊羹は1本、幽々子付き。
衣装が云々という話で魔法の森と来たら、人形を操る魔法使い・アリスを訪ねるとしか思えない。
が……
「何故里で仕立てるのでなく、アリスの所なんですか?」
アリスは服飾も出来るが普段は人形に対してであって、人に向けて服を用意しているわけではない。
それでも質の良し悪しでいえば良いものを作る腕の持ち主であろう。
しかし敢えてアリスという必要性は妖夢には解らなかった。
「1回じゃ済まないかもしれないし、それなら最初から腕の良い職人に頼んでおいた方が得よ
ただ、もう一つ気がかりはあるわね……」
「?」
疑問符を浮かべる妖夢の顔から視線を逸らし、空を見る幽々子。
「天狗は嗅ぎつけてくるでしょうけれど……その勘はこちらの都合よく働いてくれるかしら」
「?」
余計に解らなくなってしまった。
例えば今回男物の服の作成をアリスに依頼したと天狗の新聞記者・文に知られ、記事にされたら……
「白玉楼の主の意外な趣味! 鴨居の向こうの男装の麗人!」
……それ自体は意に介さないような気がする。
いや、むしろ……?
「うーん、服の製作依頼を嗅ぎ付けられたとしても、記事にはされないのでは?」
「あら? どうして?」
幽々子は興味深い、といった様子だ。
妖夢の見解を聞いてみたいと、見て解る程に主張している。
「多分……まだ面白くないんですよ」
「と言うと?」
「幽々子様が男性の服装を着てみる趣味を持った、と、記事にすれば話題性は大きいですが……」
「うんうん」
思いついた事を整理するように、妖夢は一拍置いて続ける
「今騒ぎ立てても幽々子様次第ですぐに沈静してしまうから、でしょうか。
今のところはまだ、そういう趣味に目覚めて日頃からやっている、或いはやろうとしているのではないと否定をすれば
それが事実であるとするようにも出来ますよね」
これからどうしていくのかと言えば……まだ飽きてはいない事だし、紅魔館で本を借り、アリスに作中人物の服の作成を依頼をまた行うと見るのが自然だろう。
それについ今しがた「1回じゃ済まないかもしれない」と幽々子は言っている。
「つまり……
もし仮に文が今の私達の状況を知ったとすれば……
いきなり突撃取材で記事を作って報じて、幽々子様が面倒くさがってこの遊びをやめてしまうよりも……」
「2度3度繰り返すようで、後戻りしたくない程のめりこんだ頃に来た方が、話題性はもっと大きいし、その話題の熱はすぐには冷めずに維持される」
妖夢の言葉を継いだ幽々子は、よくできましたと言わんばかりの表情を浮かべていた。
「のめりこむおつもりですか」
「とりあえずゆるふわゆゆこさまに戻るまではね」
流石に少し慣れてきたので、算を乱す程には至らずに受け止めることが出来た。
「では、幽々子様……「こちらの都合の良い」文の動き方とは一体……?」
「今は秘密よ」
「あら、いらっしゃい。 珍しいわね、貴女達が揃ってくるなんて」
アリスは突然の訪問も快く出迎えてくれた。
家の中は片付き整っている。
魔法の研究中であれば物が散らばり人形がせわしなく動いていたりするが……
「丁度暇してた所なのかしら?」
「まぁね……とりあえず、座っててくれるかしら」
「あ、ちょっと待って。 今日はお土産があるのよー」
幽々子の目配せで、妖夢が羊羹を取り出す。
「最近幽々子様お気に入りの羊羹です」
受け取って、アリスは目を瞬かせる。
「……丑の刻参りでもするの?」
「貴女、私達をどんな目で見てるのよ……」
アリスの妙な発想に幽々子は呆れたように言う。
「いやまぁ、冗談よ冗談。 妖夢に女の子らしい遊びでも……」
「いいえ、違うの」
もう一度幽々子の目配せ。 今度は持ってきた漫画の1巻を取り出す。
「……? それは……紅魔館で借りてきたの?」
受け取り、パラパラと眺める。
「ふぅん、人を斬らない剣士、ねぇ……」
「パチュリーに頼んで、妖夢向けにって見繕ってもらったの」
そういえばそうだった、胸の内で呟く妖夢。
こちらにお鉢が回っていたら最初から目的を素直に言っていただろうと肝を冷やす。
「つまり、このキャラクター達の人形……あ、違うのね」
アリスの言葉の途中で幽々子は首を横に振った。
「人形じゃないわ。 服よ」
「服かー……え!? 服ぅ? 貴女達のサイズでよね……? なんでそんなのを」
余程想定外だったのか素っ頓狂な声をあげるアリス。
「ふふ……私を見て何か違うと思わない?」
と、そこからは至って素直な話の流れとなった。
これまでの事を隠さず正直に語ったのだ。
てっきり何か上手く誘導していく形を取るのかと思っていた妖夢は少し拍子抜けした。
「要するに、言うなれば実物大にして本人が行うお人形遊びみたいなものね」
「ええ、そういう事よ」
合点が行ってすっきりしたようでアリスの表情は晴れやかだ。
「暇してたし、いいものもらっちゃったし……わかったわ、受けるわよその依頼」
アリスがすっと腕を動かすと、間もなく採寸用具を持った人形が部屋に入ってきた。
「ま、羊羹1つじゃちょっと不足ね……出来上がったら届けに行くから、どんなものか見せてもらおうかしら」
魔法の森を訪ねたのは朝だったが……
「出来たわよー」
夕方にはもう届けに来た。
「は、早ッ!?」
出迎えた妖夢が驚きの声をあげる。
てっきり途中の段階で何がしかの不足が出て幽々子に確認をしに来たのかと思っていた。
「暇潰しには丁度良かったし、話聞いたら私も見てみたくなっちゃってね。 急いだわよー?
急ぎすぎたからちょっと時間潰してから来たってくらいよ。 でも、手を抜いたりなんかはしてないから安心して」
「す、凄い……」
何がそこまでアリスに火をつけたのだろう。
気にはなったが、それよりもまずは……
「とりあえず、幽々子様に試して頂きましょう」
普段なら着付けなどは妖夢が行う所だが
「貴女は幽々子の変身を楽しみに待ってなさい」
と、アリスに制されて別室で待つ事になった。
アリスの説明が聞こえる。
「資料にと置いてってもらった漫画を参考にしたんだけど、色は幾つかあったようだから……目立つ色では扱いにくいでしょうと思ってね、指定もなかったから一応藍色を選んでおいたわ。 ……このでっかいのはサラシを強めに巻いて幾分か誤魔化すわ。 キツいけど我慢してね。 それと……これはサービスよ。 貴女の髪の長さじゃあれを再現するには足りないから……こうしてくっつければ、っと……ほら、長くなった。 それと傷は……落書きじゃ難だし、ちょっと化粧で…………よし、これでいいわね。」
程なくして襖が開かれた。
「妖夢殿、どうでござるか」
などと口調を真似てみせる幽々子。
「幽々子様……!」
昨日とはうってかわって様になった姿に妖夢は感無量といった様子だ。
「しっかりしたものを用意してもらうと随分違うわねー。 間に合わせでなんとかしようとしても土台無理だった、と」
ぽん、と、うつむいたままの妖夢が幽々子の肩に手を置く。
「どうしたの?」
「幽々子様……」
顔をあげる妖夢。 なにやらとてつもなく良い笑顔で……
「ちょっと庭に出て現世斬りましょうか」
「うわぁい」
思わず妙な声が出た。
「え? 現世斬るって……」
「大丈夫ですって、ちょっと現世斬のあの勢い使って 飛天○剣流・九○龍閃! って叫んで頂くだけですから!」
「あ、そういう事ね、でも急にそんな事言われても」
「いけますよ、おじいちゃんと私とで剣をお教えして……それにおじいちゃんは昔言ってました! 最後は修行を信じて出来るという気持ちで挑む事が大事って! 気合があればなんでも出来るって!」
「いやちょっと蛇足がついてないかしら、むしろ言ってたかしら」
「もうやってくれたら特別に魂魄流検定みょん段差し上げますから!」
「軽いわね魂魄流! いえそんな流派名乗ってた!? しかもみょん段って!」
喧騒を背に、アリスは座布団に正座して用意してあったお茶をすする。
「……受けてよかったわね」
満足げにニヤリと笑みを浮かべ、騒ぐ主従を眺め続けた。
結局本当に九○龍閃もどきを披露する羽目になった。
妖夢の喜びようたるや凄まじく、アリスの手を取りお礼を言って涙を流す程であった。。
騒ぎ過ぎたせいかひとしきり堪能した後どっと疲れが来たようだったので先に寝るよう促して、それを機にアリスも帰って行った。
「いいもの見させてもらったわ、とりあえず次回は無料でやってあげる」
感極まった妖夢の言動とそれに振り回される幽々子の構図がよほど楽しかったらしい。
夕方頃から始めていたが、普段着に戻り片づけを終えてもまだ三日月が低い空に見える。
先程までの騒ぎもおさまりすっかり静かになった白玉楼の縁側で一人、御猪口を傾け星空を見やり物思いにふける幽々子。
(まさかあんなに気に入るなんてねぇ)
パチュリーへの依頼の中で「刀を振るう者」という表現をした。「剣士」を避けて。
こう記しておけばおそらく侍や武士といった類が登場するものが選ばれ、妖夢にも馴染みやすいかと思っての事だった。
果たして狙い通りに剣客が主人公の話だったが、真似てみて妖夢があれ程喜ぶのは予想外だ。
(考えてみれば……納得はいくけれど)
親近感のわきやすいであろう舞台設定や人物
幼い頃から自分との主従関係の中で育ってきた妖夢からすれば、主人公を見て「こういう人が身近にいたら」といった気持を抱いたかもしれない。
父として? 兄として? 作中のように居候として?
いずれにせよ意味合いは似通っていると見える、それを主であると共に家族同然の自分が演じたとあれば……
(なんだか、昔を思い出す目をしてたわね)
妖忌につれられた幼い日の妖夢、自分の主でゆくゆくはお前の主でもあると紹介された時に憧れの人が目の前に、といった様子で目を輝かせていた。
(……あら?)
ふと、気付く。
小言や説教ばかりで苦手意識すら持っていた。 不甲斐ない主という扱いを受けているように思いつつ、自覚もあったが……
(妖夢には良く言ってくれてたのね)
妖忌や妖夢の事を考え、懐かしみ、それを肴に呑んでいたら少し量が過ぎたようで遅めの起床だった。
妖夢は既に朝の仕事を終えたようで庭で剣を振るっている。
……が、妙だ。
昨日の今日とあっては龍○閃シリーズ辺りを見よう見まねで練習して楽しそうにしていそうなものだが、ただ素振りをしているだけの上に、自分が見てすら雑念が入っている……というよりも雑念の塊が剣を振ってるようにすら見える。
昨日は幽々子様に無礼を働いてしまった、と落ち込んでいるのだろうか。
「妖夢ー♪」
気にする事はないとばかりに笑顔で話しかける。
「あ、幽々子様」
手を止めた妖夢に抱き着き、撫でる。
しかし妖夢の様子は変わらず暗い。
「どうしたの?」
「……お願いがございます、幽々子様」
「え? 次はあの「こんなところで朽ち果てる己の身を呪うがいい」の人を?」
「はい」
予想外の所で何か悩んでいたらしい。
「早苗に見せてあげよう、って事……よね。 でもどうしてそんな思いつめた様子で?」
「実はですね……」
昨日は早くに寝た事もあってとても晴れやかな気持ちで早起きし、上機嫌で過ごしていた。
幽々子とあの漫画についてまた語らいたいと考えたり、龍○閃シリーズを会得して自らの技に組み込めるようにしようかと考えたり、更には主従間のみならず友人達とも語らいたいと考えた。
しかしあれは外界のもの。 紅魔館の図書館で借りる事が出来たが他は……
香霖堂……は、おそらくない。
図書館とかぶる上に道具でもない、見つけたとしても敢えて並べるものでもないだろう。
他に誰かが持っている、あるいは触れる機会があるとしたら?
……ないのではなかろうか。
図書館でなら読める、読めるが、あそこは広く蔵書が多い。 多すぎる。
自分達のように目的を持ってあれにたどり着くのでもなければ、
ただぼんやり大量の蔵書からあれを手に取り読むという事もないだろう。
つまり、よそで語らい盛り上がる事は――なんとか皆に広める事が出来れば別だが現状では――実質的に不可能。
可能性があるとすれば現代の外界を知っている早苗……
「そこで、気付いたんです」
早苗の誰もついて来られない話は……
「好きなものの事で誰かと話したいけど、誰も知らなくて寂しい思いをしてるんじゃないか、って……」
二人で漫画を読み、のめりこみ、幽々子の衣装をこさえて物真似で大いに盛り上がった。
だが、もしこれを一人でやっていたら? 誰とも話す事が出来ず、ただ自分の内に抱えているだけだったら?
もどかしさに身を焦がす思いに襲われるだろう、すっきりしないあまり斬ってしまうかもしれない、いろいろと。
妖夢の思いを聞いた幽々子は、目を閉じる。
少しの間何か考えていたようだが、やがて目を開き、言った。
「そうね、貴女のその気遣い、現人神に届けましょう」
……と、言ったにも関わらず、幽々子は出かけるとは言い出さなかった。
妖夢にはとりあえず待機という事で普段通りにと指示を出したが、
本人も自室に居たり出てきてうろうろしたりつまみ食いをしていたり、どう見ても暇な時の行動をしている。
しばらくは言われた通りに過ごしていたが、やがて妖夢も痺れを切らし、何をしようとしているのかを問おうとした。
が、丁度そのタイミングで
「幽々子様ー?」
いない。 いつの間にか幽々子がいない。
つい先程までは何度も――敢えて鉢合わせるように狙っているのかともちらりと思った程――見かけていたというのに。
ひとしきり探して、実は一人でこっそり何かをしに出かけたのかと思い始めた頃。
「出かけるわよ、妖夢」
いきなり後ろから話しかけられた。
「ゆ、幽々子様!? 一体どちらへ……!」
「紅魔館」
どこに行っていたのかという疑問を敢えて無視したのか、悪戯っぽい笑みを浮かべて答えた。
もう紅魔館が見えている程に移動してきた所で、先程の幽々子の行動の背景が語られた。
「そうでしたか、紫様に教えて頂いたのですね」
暇そうにしていた事も、急にいなくなった事も、急に現れた事も、急に行先を決めた事も全てそれで納得できた。
外の事を知っている者となると限られるが、直接出ていく事すら出来る紫であればこれ以上なく頼りになる。
訪ねるのが面倒だったので、境界を操る程度の能力で呼び出すようにと何か合図を送っていて、実際呼ばれるまでの間暇だったのだろう。
「そこまで調べてくれるんだから、ついでに外からちょっと拝借してくれればいいのにねー」
「うーん、あんまり直接干渉してはいけないんでしょうか」
「ちょっとくらいいいわよねー」
不満を言うが、妖夢に言っても仕方ない。
「……なんだか、迷ってるみたいだったのよね」
「迷ってる? 紫様が?」
頷く幽々子。
「そうなのよ。 事情を知ってて渋ったみたい。 結局はこうして紅魔館へ行けばいいという所までは手伝ってくれたけど……「これきりにして別の遊びを見つけなさい」……ですって」
妖夢にはわけがわからなかった。
幽々子もその意を知ってか知らずか不満げだ。
あの妖怪の賢者には一体何が見えたのだろう。
紫の懸念、否が応にも不安が鎌首をもたげる。
が、それをかき消すように
「こんにちわ、幽々子様、妖夢さん」
眼前に迫った紅魔館、門番・美鈴から声がかかった。
「こんにちわー。 うん、貴女のさわやかさは悩みを吹き飛ばすわね」
急に妙な褒め方をされて美鈴は首をかしげる。
「お褒めに預かり光栄です!」
しかし快活にお礼を言う。
「どうせ私はうじうじしてますよー」
妖夢がいじけたような仕草を見せる。
「あら? 貴女だって私からすればさわやかよ。 隣の芝生は青いって言うじゃない。 妖夢にはしない褒め方を美鈴にしたように、しばらく交換でもしたら美鈴にしない褒め方を妖夢にするわ」
「交換だなんて縁起でもない事言わないでください!」
いきなり始まった主従漫才を美鈴は楽しそうに聞いている。
「妖夢さんは幽々子様から離れたくないんですね」
ともすれば紅魔館で働くという事を毛嫌いしているとも受け取れてしまうような力強い否定を、美鈴は好意的に解釈した。
「そうそう、親離れ出来ない子供みたい」
などと言って幽々子は笑ってみせる。
「おふざけが過ぎます。 親というよりもやんちゃ盛りなままの姉です」
「あらあら、若く見てくれてうれしいわ」
ささやかに抵抗してみせる妖夢だがあっさり流される。
ふてくされたようにそっぽを向いてしまった。
困ったように笑みを浮かべる美鈴。
「幽々子様髪型変えました?」
話題を変えるように切り出した。
「ええ、ゆる ごほん! ……香霖堂で癖のある髪を矯正する薬、ってものを見つけてね」
いじけた妖夢の力強い視線に圧倒されて「ゆるふわゆゆこさま」はお披露目されなかった。
「へぇ……よくお似合いですねぇ。 あまりに自然で気が付くのがちょっと遅れました」
「それはどうも」
と、妖夢に褒められた例の表情を作ってみせる。
「おおー……」
似合っている、という事か。 感嘆の声を漏らすばかりだ。
「……今日のご用件はお嬢様に?」
「いいえ? 図書館へ」
「わかりました。 それなら恐らく心配はいりませんが、もしお嬢様とお会いしても……その……」
言いにくそうに言葉を濁す美鈴
「どうか、今の仕草はお嬢様の前ではお控え下さい。 さっきの話じゃないですが隣の芝生が青く見えてこだわりだして、咲夜さんが苦労するかもしれませんので」
門をくぐり、館内へ向かう途中……
「ねぇ……妖夢」
「なんですか?」
妖夢の機嫌はまだ悪そうだ、が、幽々子は構わず続ける。
「美鈴は多分、貴女に届けてもらった羊羹を食べられてないわよね」
「え?」
その言葉に不機嫌など吹き飛んだように、思わず門の方を見やる妖夢。
「だってあの娘がお礼を言わないんですもの。 ……隠して通ったのは正解だったみたいね」
「羊羹有難う、とてもおいしかったわ。 上の連中に知らせずに全部頂いてしまう程に」
パチュリーの第一声が幽々子の予想を裏付けた。
美鈴が何らかの罰を受け、本館での出来事から遠ざかっている間に皆が食べていたのかと思えばそうではなかったようだ。
「あれを貴女が全部……?」
意外だという意識を隠さぬ声音で幽々子が問う。
「頭を使うには甘いものを摂るといいのよ」
「じゃあ私も暗躍しようとするならたくさん甘いものを食べないとね」
太鼓判を得たと言いたげに得意そうに妖夢を見やる幽々子。
「というのは冗談。 貴女は亡霊、私は魔女、在りようは違うけれどどちらも食事は必要ない。 おいしかったから小悪魔と、あと押しかけてきた魔理沙とで食べてしまったのは本当だけど」
それを聞いて幽々子は肩を落とした。
「うう、援護射撃を得たと思ったら狙われたのはこちらだった気分だわ」
「世の中そう甘くは無いという事ですね」
逆に妖夢が得意げな顔をしてそういう。
と、そこへ……
「白玉の者達は挨拶すらしない不作法者なのか?」
明らかに怒気を含んだ幼い声が響いた。
紅魔館の主・レミリアだ。 従者・咲夜を伴い不機嫌そうに歩み寄ってくる。
妖夢はその不機嫌の理由をはかりかねて慌てるが、咲夜の凛々しさを見てなんとか平静を装う。
「大した要件でもありませんわ。 故に、ご多忙であるスカーレット嬢を煩わす事もない、と」
対して幽々子の表情はにこやかだ。
こう来られると例の凄味の効いた表情を見せる所だろうが、先程の美鈴の言葉もあって我慢しているらしい。
「ここへ来て私の顔も見ずに帰る事は無礼に値しないとでも?」
「紅魔館、白玉楼……更にはこの幻想郷に住まう輩達……その繋がりには上も下もなく、かつてこの国が大陸にとった礼のようにお伺いを立てご機嫌をとる必要などないわ」
一触即発、といった空気。
妖夢としては逃げたいくらいだ。 何故咲夜は涼しい顔をしていられるのだろう。
助け舟はと――内心の焦りを悟られぬよう極力小さく――辺りを見回すと、蚊帳の外では小悪魔が慌てふためき、パチュリーが我関せずと本に視線を落としていた。
おもむろに幽々子が咲夜に向けて手招きしてみせる。
レミリアの前へ出て主へ一礼し、幽々子に近づく。
幽々子が耳を貸せ、といった手振りを見せると顔を寄せた咲夜へ何か囁いた。
咲夜は頷く。 そして逆に幽々子の耳元で何か囁く。
再び幽々子から咲夜へ耳打ち。
そして幽々子に一礼してレミリアの元へ戻り、何か耳元で囁いた。
怒りもどこへやら、一瞬にして赤面するレミリア。
「というわけだから、余所行きの主面なんてやめましょ。 杯を交わした仲だしね。 お詫びと言っては難だけど面白い遊びを紹介するわ」
……
「成程、コスプレという奴ね」
昨日の件を――妖夢の舞い上がり様は端折って――話すと、まずパチュリーが声を発した。
「物語の登場人物の衣服などを再現し、作中における台詞や行動を真似て楽しむ遊び」
レミリアと咲夜に向けて、補足する。
「実はそれが目的で本を借りたの?」
「いいえ、違うわよ。 飽くまで妖夢のため。
そのコスプレというのをする事になったのはおまけよ。 私ならこれが出来るんじゃないか、ってね」
と、返却のために持ってきた漫画1巻の表紙を指差す。
「和装で刀を持った男性……確かに」
幽々子に少し長く視線を置く咲夜。
「パチェ、私には何が似合うかしら?」
レミリアは早速試してみたいらしい、どことなく楽しそうだ。
「レミィに、ねぇ……ちょっと探してくるわ」
席を立ち、書架の奥へと飛んでいく。
「あ、だったらついでに探してもらいたいものがあるのよー」
幽々子がその後を追っていった。
咲夜が微かに視線を向けた。
「では、お嬢様、その「コスプレ」に使えそうなアクセサリーを幾つか見繕って参ります」
「ええ、行ってらっしゃい」
立ち上がり、一礼。 直後、咲夜の姿が消えた。
時間を止めて移動したのだろう。
……そして残される紅魔館の主と白玉楼の従者。
(な、なんだか気まずい……)
もう静まってはいるようだが先程はかなり怒っていた。
今にして思えば「挨拶をしない」「顔を見せずに帰る」といったフレーズがあった。
(もしや先日私がここにだけ現れて帰って行った事も原因の一つ……?)
そう思うと責められそうな気がしてくる。
「……まぁ、その……退屈でいる事も多いのよ」
ぽつりと、呟くようにレミリアが言った。
妖夢が顔を向けると、ぷいっとそっぽを向いてしまう。
「来たのなら、少しくらい話でもしていきなさい。 用がないとばかりに素通りされては……寂しいものなのよ」
やけにしおらしい。 先程咲夜が何か言ったからだろうか。
「……幽々子様の命で来たのだからと、帰路を急ぎすぎました。 その節は、申し訳ありません」
頭を下げる妖夢。
「解ってくれればいいわ。 うーむ……逆に咲夜を白玉楼に使いに出す時は少しゆっくりしてくるようにと命じておこうか……」
照れくさいのか、レミリアはそっぽを向いたままそう言った。
幽々子とパチュリーが戻ってくると、幽々子は既に本を携えていた。
「見つけてもらったわよー」
「有難うございます、パチュリー」
妖夢にお礼にパチュリーはこくりと頷く。
「じゃ、次行くわよ」
「え? もうですか?」
紅魔館の面々がどうするのか、これから楽しくなる所だというのに。
妖夢としては居座って参加するだろうと思っていたので意外であった。
「そうよ、折角だしゆっくりしていきなさいよ」
レミリアも不満げにそう言う。 が、幽々子は首を横に振った。
「貴女達がどんな格好に変身するのかを今知ってしまっては勿体無いもの」
「む、それもそうね」
意外とあっさり引き下がった。
「じゃあ今度は「コスプレ」をお互い披露しよう。 幽々子、あんた自分でやるだけじゃなく妖夢にもなんか用意してやんなさい」
「え、わ、私もですか?」
「勿論よ。 パチュリーが幾つか見つけてくれたから後で選びましょ」
館を出る間際、手提げ袋を持った咲夜に声をかけられた。
「おや? もうお帰りですか」
「ええ、貴女達が何の格好をするかこれから決めるでしょう? それを知らずにいるために早めの退散をとね」
ふと妖夢は思った。
図書館を退出するのに時間を止めて移動したのなら、小物集めもそのまま時間を止めて済ませれば、あたかも一瞬で済ませたように戻って来られたのではないだろうか。
「そうですか、またいらして下さいね」
「次はお互い「コスプレ」を披露しよう、ですって。 楽しみにしてるわねー」
時間を止めて移動したらしく、扉の前に先周りした咲夜がドアノブに手をかける。
「それでは、お気をつけてお帰りを」
扉を開き、横に控える咲夜。
「ええ、有難う」
掌を挙げながらそれに応えた。
「こちらこそ」
ぴたり、と幽々子が止まる。
急な事でその背中にぶつかってしまった妖夢。
「やっぱり、聞いてた?」
「はい、私の目の黒いうちはこの紅魔館で隠し事は出来ぬとお思い下さい」
レミリアの怒りを静めた際のやり取りといい、館を出る間際のやり取りといい、妖夢には解らない事が多すぎた。
それを正直に話すと、幽々子は説明を始める。
「まずレミリアが怒ってたのはー……」
何から話すか考えたのか幽々子の発言は一拍途切れ、そこに妖夢は敢えて割り込んだ。
「怒ってた事自体は、私のせいでもあると思います。 幽々子様がパチュリーの後を追ってから咲夜も席を外して二人だけになったんですよ。 そうしたら、来たのなら少しくらい話でもしていきなさい、無視されると寂しいのよ……って」
「あら、あの子そんな事言ったのねー」
嬉しそうに幽々子は笑う。
「そういう事なのよ。 挨拶をしないのかーとか、顔を見せずに帰るのかーとか言ってたじゃない?」
「ええ、それがあったから、前回本を借りに来た時に図書館だけ行って帰ったのがまずかったのかなと思ったんです」
「要するに、あの子は私達を友達だと思ってくれてるわけ」
正直言って意外だった。
幽々子に対してはそう見てもいるだろうとは思っていたが、紅魔館の主・白玉楼の従者と立場に隔たりがある自分へもとは。
威厳に満ちた態度を維持しようと頑張っているレミリア、故に立場の差は常にある壁という意識があった。
「ただちょっと問題があったのは、出てきた時のあの態度」
「紅魔館の主だぞーって感じが凄かったですねぇ」
見た目が幼いせいか、レミリアは主である事を・紅魔館を背負っている立場なのだという事を振りかざす節がある。
そうでないといけないという意味もあるのだろうとは、妖夢も思う。
自分の主たる幽々子が主らしくない振る舞いばかりとそばで見てよく知っている。
それを外部の誰かが知って、すなわち「白玉楼」が大した事ないと舐めてかかられるわけにはいかない。
レミリアはそこの苦労がこちらよりも大きいのは明らかだ、故に尊大に振る舞い続けなければならないのだろう。
そこまで思い至り、気付いた。
だからレミリアは「立場の差は常にある壁」と自分が思うような振る舞いをしながらも、友達と思ってくれていたのだ。
「だから私も「白玉楼の主」をやらないといけなかったの」
なんとなく解った気がした。
「公的な立場で出てきた以上、合わせておかないと、あそこで下手に出れば「白玉楼は紅魔館より下の立場である」という意味になりかねない……」
幽々子は嬉しそうな表情を浮かべる。
「ご名答、だけど……勿論私だってあの子を友達だと思ってるから、そういう立場で話してるとこじれちゃうのよね、それで咲夜に助けを求めたのよ。 やり取りはこんな感じね……」
「来たんだったら会いに来てくれないと寂しい、って怒ってるんでしょ?」
「ええ、先日も妖夢が無視したってふてくされてました」
「じゃ、寂しがってるって事はしっかり伝わっちゃってるって教えてあげて」
「あー……」
あの赤面は、偉そうにしてて実の所「寂しい」という理由なのが恥ずかしかったのだ。
そう理解すると納得出来た。
「なんだか……偉い肩書きを持ってしまうと大変なんですね……」
「そうね、それが邪魔で上手く付き合えない事だってあるかもしれないわね……じゃ、次、出てくる時のアレ」
「隠し事はさせないって言ってましたけど……何かして、見破られたんですよね?」
門での美鈴とのやり取りは世間話程度、館に入ってからはすぐ図書館へ向かい、少し話していたらすぐにレミリアが現れた。
面白い遊びこと「コスプレ」のくだりは出来事を話しただけで特に裏もない。
「パチュリーの後を追った時に、何かを?」
「そうなんだけど……私、何か怪しかったかしら?」
「うーん……」
常日頃から怪しい、とも思ったが言葉を飲み込む。
「あ、もしかして……追いかける必要がないと思ったのでは? 幽々子様が追いかけたのを少し見てましたから」
「成程ねぇ。 別に後ろめたい事じゃなかったのだけど」
それどころかお礼を言われていた。
「何をしたんですか?」
「本当は今回で同好の士を増やそうというつもりはなかったんだけど、レミリアが来たし、紫にやめるように言われてるし、ここで言っておいてしまおうと方針を切り替えたの。 さっき美鈴が咲夜に苦労かけないように、って心配してたじゃない? 予定外に咲夜の負担になる件を持ち込んじゃった事だし少しは軽減させようと狙って……美鈴が咲夜の働きぶりを心配していたから、なるべく衣装の用意が楽に済むものにしておいてあげてとね」
「それでお礼を言われるのって、私はなんだか申し訳ないですね……幽々子様が紹介しなかったら咲夜の負担もそもそもないんですから」
釈然としない様子の妖夢。
「それもそうだけど、でもこれは誰も損しないわよ? 私達は共通の遊びを出来る相手を得る、あの子達は良い退屈しのぎを得る。 それに咲夜の事だからレミリアを着飾らせる、それも普段見られない姿だって出来る大義名分だなんて喉から手が出る程欲しい所でしょう」
「ああ……そういえば確かに」
美鈴との話の中で聞いた事があった。
レミリアのドレスアップに関して咲夜は、流浪人幽々子を目の当たりにした妖夢程ではないが舞い上がる事があると。
幽々子も妖夢が話して知っている事だ。
後日の美鈴と話す機会に「あれは冗談ですよ」と不自然なタイミングかつ物凄くぎこちないしゃべり方で訂正されたので、言ってはいけない事実だったらしい。
「そういえば、広めちゃってよかったんですか? 紫様にはやめるように言われたのに」
「んー、ああ言った後だからこっちの事には目を光らせてるだろうし、本当にまずかったら止めに来ると思ってね」
しかし止められる事はなかった。
少なくとも紅魔館の面々に紹介する分には問題無い様子。
「……一体何を危惧しているのでしょうか」
「私としては単なる良い退屈しのぎだと思うのだけど……」
幽々子も実は解っていなかったようだ。
向かった先は魔法の森・アリスの家。
「いらっしゃい。 もう次のネタが決まったの?」
「ええ、今回は2人分でね」
応接間に通され、そこで借り受けた本や資料を広げる。
「まず私はこれ」
「……前回はキャラクターの恰好や雰囲気が貴女に結構近いと言えたけど、これはちょっと遠くない?」
言われてみればそうとも思える、と、妖夢は納得した。
見た目に関して言えばせいぜい髪型くらい、件の人物は厳格とも冷徹とも受け取れる近寄りがたさがあるように見える。
対して幽々子は妖夢をして「ゆるふわ」などといわしめたように緩い。
少しくらいなら例の仕草のような演技でごまかせるだろうか、早苗の目は厳しそうに思えて妖夢は一抹の不安を覚えた。
「私や妖夢の希望でというよりは、人に見せるのが目的なのよー」
「ふーん」
次いで妖夢向け、だが……
「実は妖夢の方はまだ決めてはいないの。 折角だからアリス、貴女も一緒に決めてみない?」
「構わないのなら横槍を入れさせてもらうわ」
「決まりね」
幾つかの本と、走り書きのメモ。
挙げられていた案は……
1.異様に長い刀を手にした長い銀髪の男性
2.刺突剣を構えた中性的な女性
3.冒険者然とした服装の少女
パチュリーの簡単な補足説明メモには……
1.人々が憧れる存在であったが、自らの生い立ちを知って以降凶行に走った悪玉
2.妖魔と呼ばれる種族の乗る馬車に轢かれて命を失ったが血を与えられて半人半妖として復活した少女
3.3代に渡り歴史の裏で繰り広げられる戦いの最後の主人公、最初の主人公である祖父と共に敵に立ち向かう
とあった。
「流石はパチュリー、いいとこもってくるわね。 しかも妖夢向けは漫画じゃなくて資料集……用意する私としては全身像が解りやすくてありがたいわ」
アリスが感嘆の声をあげる。
「妖夢はどれがいい?」
「……迷いますね、2番か3番にやや惹かれていますが」
「アリスはどう思う?」
「……そうね、妖夢の場合は普段とかけ離れている程楽しめそうな気がするわ。 となると私のおすすめは……3番ね」
迷う2つの片方の背を押された事で、妖夢の選択は半ば決まったが……
「幽々子様はどうなんです?」
「私? 私が見たいのは貴女がやりたいと思えるものよ」
「……では、3番でお願いします」
「これね、解ったわ。 明日の朝には届けられると思うから期待してて頂戴」
アリスは事も無げにそう言った。
夜、白玉楼の幽々子の部屋にて。
明日は守矢神社に出向く事になるだろう。
それまでに件の人物について知っておく必要がある。
幸いにもというべきか、今回借り受けた漫画は3冊だけだった。
然程時間をかけずに2人共一通り読む事は出来た。
だが……
「幽々子様……妙ですよね」
「ええ……」
出てきていないのだ、あの「こんなところで朽ち果てる己の身を呪うがいい」という台詞が。
「紫もパチュリーも間違えるはずがないというのに」
幽々子は頭の中でここまでの情報を整理する。
台詞は早苗が言っていたものだ、それを自分がなんとか思い出した。
どうすればその人物の登場する物語を手に取る事が出来るかは紫を頼った。
その際には「こんなところで朽ち果てる己の身を呪うがいい」という台詞を放った人物であると伝えている。
紫は渋りこそしたものの結局は協力してくれた。 直接外へ出向いて調べ、人物名と、主人公に敵対する一派の棟梁であるという役割を特定したのだ。
更に、剣客の漫画よりも古い年代に漫画があったようだから紅魔館に行けば同様に借りられるだろうとも教えてくれた。
パチュリーにはその人物が悪玉の棟梁として登場する漫画を出してほしいと頼んでいる。
「引っかかる所があるとすれば……」
宙に視線をやり、指をくるりと回す。
「アリスが、私とは似てないと評した事かしらねぇ」
早苗は髪がストレートであれば似ているというような評価をしていたはずだが、実物を目の当たりにして見比べても然程と思えない。
アリスの言に納得した妖夢もそう思った。
「どこかで……違う人物に当たってしまうような情報のズレがあった……?」
しかしそれも不自然と言えば不自然だ。
「材料が具体的なのよね」
探すに際して唯一の情報は台詞だが、うろ覚えなものでなく始まりから終わりまでを思い出せている。
紫もパチュリーも「2つ3つそれらしいものが見つかった」などとは言わず明らかにこれだと断定していた。
「つまり違う人物にたどり着いているのだとも考えづらい」
ちらりと妖夢を見やる。
何か考えを述べろという意味に受け取ったのか慌てた素振りを見せた。
「あ……えーっと……」
あわよくば何か得られはしないかとすぐに否定はしなかったが、特に何もなさそうだ。
だが制止の言を告げるより先に、妖夢が言葉をつづけた。
「人物が正解だと考える方が自然であるなら、実はこの3冊が全てではない、という事は考えられますか?」
「全てではない……」
「はい……ほら、ここのあらすじに、「倒されていたはずが生きていた」ってありますよね。 えっと、ですから……そう、私達が春雪異変を起こして、後に神霊が湧いた際には幽々子様が亥の一番に疑われたのと逆で……このお話の前に一歩二歩引いた目立たない役柄か何かで登場して、次にこれで悪の親玉として立ちふさがった、と」
「成程ねぇ」
紫とパチュリーを信じているからこそ、受け取ったものが全てと思っていた。
確かに、そういう事であったとしたら「悪玉の棟梁として登場する漫画」と言ってしまえばこれだけしか渡されないし、「悪玉の面々の一部として登場する漫画」があっても知る由もない。
「有難う、妖夢。 おかげで解ったわ」
にこりと笑って見せる幽々子。
「お役にたてましたか?」
「ええ、十分すぎる程に……さて、そうなると別の問題がー……」
ぐでーっとだらしなく畳に倒れ伏す。
「もっと厄介な事でも?」
「完全に的外れな方向へ行ってしまってたなら諦めもついたけど、正解に近い不完全の精度を上げるにはもうあまり時間を割いてられないからー……」
時間がない……今までそんな素振りはあっただろうかと妖夢は考えるが、さしあたって浮かぶ事はなかった。
「ゆるふわゆゆこさまがしゃっきりゆゆこさまになって1日、漫画にのめりこんで1日、初めてコスプレをして1日、同好の士を作って1日……4日間遊び通しよ、明日でなんとか現人神を感動させて一件落着、戯れは終わりじゃーってお仕事に戻らないとー」
ごろごろと畳の上を転がって妖夢に迫る。
「って完全に遊んでたんですか!?」
のそのそ上半身を起こして正座している妖夢に絡み付いてくる。
「まさかー、急ぐ案件はちゃんと合間合間に片付けてたわよ? 期日に余裕のある件をほっといて溜めちゃってるからー……明日もなんだかんだで1日出かけたりしてたら、2日くらいはこもりっきりで片付けないといけなさそうね」
「で、何やってるんですかゆゆこさ、まっ!?」
引きずり倒された。 しかし抱き寄せられる形だったためどこかをぶつけるような事はない。
「働きたくないでござるよ妖夢殿」
「5休2勤なんて三途の渡しすらやってなさそうな予定にしておいて何言ってるんですか……それより答えになってないです」
頭をわしゃわしゃと撫でる。
「憂鬱だから妖夢分を補給していたの」
「そんな栄養素みたいに」
「まぁ……そうね、心の栄養には違いないわ」
そういうと、解放した。
「で、その心の栄養が必要な程の事なんですか?」
すっかりめちゃくちゃにされてしまった髪を軽く手櫛で整える。
「間食みたいなものよ。 必要不要の話ではなく、そういう気分だったからというだけ」
一瞬納得しかけてすぐにハッとした顔を浮かべる妖夢。
「いやそれってやっぱり後に控えたお勤めが嫌で気晴らしをしたって事であって、必要だったから、ですよね?」
「細かい事はいいの」
……
そんな具合に翌日の方針を何も決める事なく朝を迎えた。
幽々子曰く「いずれにせよアリスの到着を待って、後は紅魔館に寄って確認するか、直接守矢神社まで行ってしまうかしかないのだから」との事だ。
「溜まった仕事を片付けた後じっくり確認をしてから、という選択は……」
「紫の制止があるから急いでおきたいのよ。 その理由は私も正直言って解ってないけど」
その「紫の制止」をされるような遊びをあっさり紅魔館の面々に紹介していた割に妙に従順だ。
「じゃあ今回を最後に本当にやめるんですか?」
妖夢としては残念だというのが正直な気持ちだった。
自分の分も用意してもらっているし、主の普段と違う格好を見るのも楽しい。 出来る事ならもっと色々と試したい。
「とりあえず用意した衣装は処分せず取っておいて……後日紫の意図を確認して、それ次第ってところかしら」
「……幽々子様も想像のつかない理由、ですか……」
あの紫がやめろと言う場合……
と、考えようとした所で玄関の方から声が聞こえた。
「アリスが来たようですね」
「あら、これから妖夢探偵の推理が披露される所だったのに。 じゃ、行くとしましょうか」
「はーいお待たせー。 今回も中々の出来よ」
「有難う、アリス」
ご丁寧にリボンで飾った箱にしまった完成品を幽々子、妖夢にそれぞれ渡すアリス。
「で、早速なんだけど……アリスはこの後何か予定はある?」
「いいえ? 相変わらず暇だけど?」
幽々子の衣装は早苗に見せるためのものであると告げ、ご対面に立ち会うかどうかを問う。
「へぇ、すると先日の妖夢みたいなとこを見られるかもしれない、ってわけね」
からかうような笑いと共に妖夢を見やる。
恥ずかしくなって妖夢をうつむいてしまった。
「それを見逃す手はないわ。 是非とも同行させて頂戴」
妖夢の衣装の方は一旦白玉楼に置いて、後でのお披露目となった。
そして移動を始めてすぐ……
「紅魔館には寄っていくんですか?」
どちらへ行くとも言っていない事が気になり、妖夢が訊ねた。
「紅魔館?」
アリスが疑問符を浮かべる。
「実は……」
昨日の一件を――動ける期限が迫っている事も含めて――説明した。
「シリーズものの一部分だったみたいってわけね……」
「紅魔館に寄れば足りない分の確認も出来そうだけど……」
アリスは首を振った。 腕組をしながら言葉を続ける。
「いえ、それは私は反対ね。 覚えてる部分とは違うながらも、そのキャラクターの事は多少知れたわけでしょ?」
「そうね」
「何も1から10までを演じてみせる必要はないわ。 しかも時間がないなら知識の補強をしようにも付け焼刃にしかならない。 その出なかった台詞を確認するのに時間がかからないとも限らないし、 紅魔館での確認作業に時間を割きすぎてたら早苗側に何か用事でもあって今日会うのはもう無理でした、だなんて事になるのもありうるかもしれない」
アリスの提案は今日で当面の目的を済ませるという意味においては合理的だ。
「まぁどっちにしたってね、ちょっとやそっと調べたくらいでマニアと肩並べて話そうったって無理よ」
「そんな事……やってみないと解りませんよ」
突き放すような言い方をするアリスに、自分達なりに精一杯早苗と話が出来るように頑張っているつもりなのを否定された気がして語気を強めてしまう妖夢。
「極端な例えをすれば……そうねぇ……妖夢、例えばよ? ちょっと剣の道をかじり出した素人に毛の生えたような奴が、「上段からの切り下ろしなんて二刀流の小太刀で弾いてしまえば余裕の雑魚」とか得意気に語ってたらどう?」
「そんな簡単なものじゃないですよ」
「そ、何言ってんだかって思うでしょ? 今の貴女達が早苗と同じ位置で話せるとは間違っても思わない方がいいわ」
解るような気もするが、何か違うようにも思えて妖夢は納得しきれなかった。
「じゃ、このまま守矢神社へ向かいましょ」
幽々子がそう結論づけたのなら、妖夢は釈然とせずとも従う他ない。
実際に早苗に対して演じて見せるのは自分ではないのだから、現状で足ると判断したのであれば大丈夫なのだろう。
そんな事を思い、無理矢理納得したふりをした。
守矢神社に到着すると、早苗が境内を掃除していた。
とりあえずお披露目するという目的は叶いそうだと3名に安堵の空気が漂う。
「こんにちは。 ……?」
挨拶の後に二の句が継げずにいる早苗。
面子の珍しさに混乱したのだろう。
「こんにちは。 今居るのは貴女だけかしら?」
「神奈子様と諏訪子様に御用ですか? 中で暇を持て余してとろけていらっしゃいますよ」
「そう、有難う」
早苗は現人神にしてここ守矢神社の巫女であり、そして守矢神社に祀られるは神奈子と諏訪子。
その神たる神奈子が……
「おー、よく来たね、丁度暇してたとこなんだ。 歓迎しよう」
フランクに出迎える。
促されるままに居間へと入り、来客を迎えず居間でだらしなくとろけたままの諏訪子共々ちゃぶ台を囲む。
「……相変わらず神様の威厳を全力で投げ捨ててるわねぇ」
「信仰してくれたら格好付けて見せてやるさ」
見も蓋も無い。 と、妖夢は思う。
しかしこういった様を以前幽々子は、ここに馴染むための手法であり、馴染んだ証でもあると語っていた。
昨日の幽々子・レミリアのやり取りのように公的立場で振舞うべきか否かの違いという事か。
実際、信仰される神としての顔で振舞う時はいかにも力と威厳に溢れている。
「珍しい組み合わせで来て、どうしたの~?」
やはりとろけたままで諏訪子が問う。
「ふふ……暇を持て余した貴女達に笑顔のお届け物よ」
「ほう……一風変わった人形劇で笑かしてくれるのかい?」
「いいえ、笑顔を見せるのは御宅の早苗。 もっとも、私が上手くやれればの話なんだけど」
と、扇子で口元を隠す例の表情を作った。
事情を説明した。
幽々子が髪型を変えた際に早苗の発言を思い出した事。
それをきっかけにアリスに衣装を用意してもらってコスプレをしてみた事。
妖夢が早苗の気持ちを推察し、きっと抱いているであろう寂しさを軽減させたいと思った事。
「というわけで私をこれみたいだって言ってた事があったから、実際にその格好をしてみようってわけ」
と、借りてきた本に登場している例の人物を指差す。
神奈子と諏訪子は互いに顔を見合わせた。
「いやはや、あんたの事だから悪戯でもしてからかうのかと思えば」
「うちの早苗にそんな事してくれようだなんて」
「ああ、なんとも嬉しい話だね。 もうこの場で一献とっておきを振舞いたいくらいだ」
「それは是非とも頂きたい所だけど、流石にこの大仕事の前に一杯、というわけにはいかないわね。 軍神の貴女なら首を取る前の一杯も余裕綽綽でしょうけれど」
神奈子は快活に笑い、諏訪子も満足げな笑顔を浮かべている。
と、ここで少し顔を伏せ、扇子を口元を隠しながらやや上目遣いに二柱の神を見やる。
「先程も言った通り不安はあるの。 好事家が下す評価は往々にして手厳しいでしょう?
早苗からすればこの程度で件の人物の姿をしようなど、と、かえって憤慨する事も有り得ない話ではないわ」
来る途中のアリスの発言を受けての事のようだ。
妖夢は納得しきれなかったが、幽々子は汲むべきと判断したらしい。
「あー、心配はいらないさ。 例え物足りないって思われたとしても私らが後でフォローする」
「難なら私のご利益でそれっぽくしようかー?」
「いえ、それは遠慮しておくわ。 見違えるようにしてもらったら私が演じる意味がないもの」
「ま、細かい事は気にせずにあんたのいつもの茶目っ気でやりたいようにやってくれればいいさ」
「早苗ーお客さんだよー」
と、諏訪子から声がかかって内心首をかしげた。
先程幽々子・妖夢・アリスと珍しい組み合わせの来客があったが、神奈子・諏訪子への用と言って入っていった。
それ以降は誰も訪れていない。
常識に囚われず360度全方位どこからでも訪ねてくる白黒魔法使い辺りが裏からこっそり入りでもしていたのだろうか。
そして何故か拝殿の方へと先導する諏訪子。
入るよう促される。
外からは死角の位置に誰かがこちらに背を向け正座している。
ここでは見慣れない服装……誰だろう
やや離れて置かれた座布団に腰を下ろす。
その音で早苗が来た事を察知してか、ゆっくりとこちらを向いた。
「え……?」
「お前には確かにニュータイプの要素を感じる……共に戦おう、ネオジオンの為に!」
「……な、何やってんですか幽々子さん」
バレた。 いともあっさり。
「……あ、あら? 全然似てなかったのかしら……」
「いやだって格好こそハマーン様でも顔も声もまんまじゃないですか」
眼を瞬かせる幽々子。
「……外の世界の「コスプレ」って、顔も声も弄るものなの?」
「いえ、そこまではしませんけど。 それはそうとなんでそんな……」
「流石は早苗ねー、ちょっと真似たくらいじゃすぐ見破るのね」
と、諏訪子を先頭に外から様子を窺っていた一同が入って来た。
「私のためにそこまでしてくれるだなんて……感動しました!」
背景を聞いた早苗は目を輝かせてそう言った。
「お礼なら妖夢とアリスにね。 ひとえに妖夢が貴女を気にかけ、アリスが衣装を作ってくれたから実現した事だし」
早苗は笑顔で妖夢・アリスそれぞれ手を取りぶんぶんと過剰な程上下に振る握手をする。
「ありがとうございます!」
妖夢もアリスも少し照れくさそうだ。
「早苗も喜んでくれた事だし、さっきの言葉通り、どうだい?」
と、神奈子はいつのまにやら持っていた酒を見せながら言う。
「そうね、頂いていきましょうか」
拝殿での一幕は、ちゃぶ台のある居間では締まらないとの諏訪子の提案だったが
これから酒盛りとあって今度は居間へと移動した。
急な事だったので宴会という程のものではなく、ありあわせの酒肴とでささやかに開始する。
程なくして席の並びの関係もあり、神奈子・諏訪子・幽々子、アリス・早苗・妖夢で話題のグループが分かれた。
「いやぁすぐに気付きはしましたけど正面向いた一瞬はびっくりしましたね」
「前に髪が真っ直ぐだったら~って言ってましたけど、見た目に関してだけ言えば予想通りでしたか」
「んー、見た目が似てる、っていうか……やっぱり衣装の力ですよ」
人形を作っている身として思う所があるのかアリスがうんうんと頷いている。
「姿が違えば印象は全然違うからね」
「成程……」
髪型が違うだけでも印象は違った。 それよりも解り易い服装の影響はより大きいという事か
「おっと、杯が空ですね、どうぞ」
横から酒の瓶がのびてくる。
「あ、ご丁寧にどうも」
早苗もアリスも右側にいるのに左から……違和感を覚えた妖夢が左側を見やると
「って、何当たり前のように参加してるんですか!」
天狗の新聞記者・文がいつのまにやら宴席に紛れ込んでいた。
「そろそろ熟した頃かと思いましてお話を伺いに。 あ、勿論参加許可は頂いておりますよ?」
すっかり保護者会話をしていた主組の方を見やると、気付いた神奈子がとてもいい笑顔で親指を立てた。
……
「ほうほうゆるふわからしゃっきりに……」
「ええ、永琳の薬で……」
(あ、文には言ってほしくなかった……!)
「ふむ、普段と違う姿になったからいっその事更にと……」
「そう、そのために紅魔館へ……」
(あれ? 正直に言っちゃうんだ……)
「白玉楼に謎の剣士! いいですねぇ……」
「あの時の妖夢は凄かったわ……」
(そ、それ以上は……)
「紅魔館にも流行の兆し……」
「内部で流行るのは確実と……」
(咲夜の秘密がバレないといいけど……)
「守矢神社に現れる宇宙軍の首領……」
「残念! ゆゆこさんでしたー!」
(すぐバレるとは思わなかったなぁ……)
……
「ふむ」
手帳に走らせていたペンが止まる。
ぱたりと閉じてポケットにしまい……
「ご協力有難うございます。 これはいい記事が書けますよ」
幽々子・妖夢にそれぞれぺこりと頭を下げ……
「神奈子様も諏訪子様も、宴席に参加する事をお許し頂き有難うございます」
神奈子・諏訪子に向き直りまたぺこりと頭を下げる。
「ん? もう帰るのかい?」
「ええ、名残惜しいですがこれ程のネタ、早く記事を作らねばと魂がうずいておりますので」
縁側まで歩いて一旦振り向き
「では、ご馳走様でした。 お先に失礼致します」
ふわりと飛んで外に出ると、幻想郷最速を名乗る速力フルスロットルで飛び去って行った。
流石に縁側から最大加速すると大変な事になるかもしれないので自重したようだ。
文が出て行って少し経ってから。
ちょっとの酒肴だけではやはり足りなかったという事になり、少しお腹に溜まるものを用意すると席を立った早苗。
この人数分を一人でやらせるわけには、と、妖夢が続き、保護者会話に入る気になれなかったアリスも後に続いて3人で厨房に立った。
「妖夢さん、今回の件は本当に有難うございます」
不意に、早苗がしんみりとそう言った。
「幽々子様の計らいが、たまたま私に気付かせたんです。 それにさっきの繰り返しになっちゃいますけどアリスの助けもなければ実現しなかった事です」
「アリスさんも、有難うございます」
向き直り、深々と頭を下げる。
「私は面白そうだから乗っただけ、お礼を言われる程じゃないわ」
視線が泳ぎ気味だ、照れているらしい。
「妖夢さんの思われた通り、こっちでは全然話せる相手がいなかった事なので……熱く話せる程ではないとはいえども、そのお気遣い、凄く嬉しかったです」
感謝の言葉の中でさらっと、まだ足元にも及ばないと釘を刺されてしまった。
アリスの忠告は早苗の発言によっても裏付けられる形となった。
「うーん、今回私達は本・漫画を探しましたけどそのお話を見るためにはどうす」
「ストーップ!」
より詳しくなるためにはどうすればいいのかと問いかけようとした所を、アリスがやたらと力強く制止した。
「そんな話を今したら間違いなく早苗が食いついて話に熱が入りすぎて料理がおろそかになるわ。 まずはちゃんと作って、持っていって、それをいただきながらその話をしましょ。 お腹をすかせた食べ盛り3人に怒られちゃうわよ?」
調理を済ませて居間まで運ぶ際……
早苗が前を歩いて後ろに妖夢・アリスが続く位置。
こっそりとアリスが妖夢を忠告した。
「一緒に話せるようになりたい、は、結構な事だけど……覚悟しておきなさい、絶対にとんでもなく長い話になるから。 あと、私は助け舟出さないからね。 例のおかっぱ頭の人のお話、私が見たのは設定集だから殆ど知らないし」
……
アリスの忠告通り、早苗のガン○ムトークは俄か知識で突っ込んだ妖夢が困る程に、申し訳なくなる程に、止め処なく続いた。
……
白玉楼に戻ってから。
アリスが用意してくれた妖夢向け衣装を試す気力もない程に消耗してしまった妖夢。
珍しく畳みにぐったり横になっていた。
「……お疲れ様」
流石の幽々子も、困ったような笑いを浮かべてそうとしか言えなかった。
「うう……私が愚かでした。 天の構えからの切り下ろしを小太刀でどころか、示現流の一の太刀を匕首で捌こうとしていたようです……」
「しかも龍巣閃を思わせるような高速乱撃というわけね」
ぐったりしたままごそごそとポケットを漁ると紙片を取り出した。
「ですが、なんとか件の物語の題名を教えて頂きました」
「へぇ、どれどれ……?」
紙片を開き、中身を見る幽々子。
「……ど、どれだけあるというの……ガ○ダム!! ちょっと機動○士量産されすぎじゃないの……?」
「本筋だけでも6つあって、更に派生が大量にあるそうですね。 ……そこに書いた分が全てではないそうです。 しかもこれで比較的古めの部分の一区切り、といった感じらしいんです」
頭痛がしてきたかのような仕草を見せながら紙片をちゃぶ台に置く幽々子。
「アリスの制止も尤もだわ……それにしても、よくこれをちゃんと書き留めておけたわね」
「が、がんばりました」
真面目さと、早苗へ向いた優しさが為せた技か。
「……で、どうするの? 流石にこれ全部追いかけるなんて……」
「ええ、無理だろうと早苗も言っていました。 ですので、もし何かこれを話題の種に盛り上がろうというのであれば、どれか一つに狙いをつけて知る方がいいと」
「どれにするかは決めてるの?」
「はい、私達が見たのはこの本筋の3つ目だったそうなので、1つ目のものを当たろうかと。 より古ければ紅魔館で借りられる可能性も高いでしょうから」
「成程ね」
……そして
翌日・翌々日と幽々子は仕事でこもりきり。
妖夢は翌日朝紅魔館へ出向いて借りた書籍を読み漁り、主従揃って碌に出かけずにいた。
「うー……ん」
守矢神社での一件から3日後の朝。
「はー……疲れたわ。 凄く疲れたわ。 見立て通りに2日で片付けたわよ。 もう一生分働いた気分」
「そんな突っ込み所しかない発言はおやめ下さい」
ねぎらう事なく突き刺さる妖夢の突っ込み。
「ようむがつめたいー」
「半分幽霊ですからね……なんて冗談はともかく、文々。新聞が出来上がっていたようですよ。 それも私達の事の後にも動きがあったようで」
「へぇー、紅魔館の面々が何かしたのかしら?」
白玉楼に謎の剣士来襲!!
過日、白玉楼にて悲鳴があがり、たまたま居合わせた記者が緊急取材に向かうとそこには謎の剣士の姿があった。
駆けつけた時には既に技を繰り出したのであろう残心を見せるその姿。
構えはあたかも白玉楼の庭師兼剣術指南役・魂魄妖夢氏の技を模倣したかのようであった。
これがその様を捕らえた衝撃の写真である。
長い束ねた髪と頬の十字傷、その姿は幕末の世を騒がせた伝説の人斬り・緋村抜刀斎氏その人。
その正体は実は白玉楼の主・西行寺幽々子氏。 これは幽々子氏による姿の模倣なのだ。
幽々子氏曰く外界で一部の紳士淑女を熱くさせる遊び「コスプレ」なるものをしたとの事だった。
※「コスプレ」は他者の姿を借り、その立ち居振る舞いを真似する事を楽しむ遊び
なお、緋村抜刀斎氏は外界の物語に登場する架空の人物であり、実在の人物・団体・事件などとは一切関係ありません。
「あらー? あの時のも見られてたのね」
庭に出て現世斬の動きで九○龍閃を再現させられた時の写真がばっちり載っていた。
とはいえ隠し撮りだったため、既にやや暗くなってきた頃合だった事もあってその写り具合は不鮮明だ。
謎の人物であるかのように演出するにはかえってそれが良いのだろう。
守矢神社に宇宙を股にかける軍の首魁が訪問! 現人神がスカウトされる!?
朝の静謐な空気が支配する守矢神社に謎の女性の姿。
彼女は守矢神社の巫女にして現人神の東風谷早苗氏と面会すると高らかに宣言した。
「お前には確かにニュータイプの要素を感じる……共に戦おう、ネオジオンの為に!」
彼女は小惑星アクシズに拠る組織ネオ・ジオンを率いるハマーン・カーン氏。
宇宙における戦いを有利に進めるべく、東風谷早苗氏の力が必要とスカウトにやってきた……!?
しかしその正体はまたも白玉楼の主・西行寺幽々子氏。
早苗氏が外界の物語である「機動戦士ガンダム」シリーズに熱を上げているという情報を掴み
早苗氏を喜ばせたいという白玉楼の庭師兼剣術指南役・魂魄妖夢氏のたっての希望によりこの面会が実現したのだ。
これには早苗氏も感動し、守矢神社の二柱の神・八坂神奈子氏、洩矢諏訪子氏、衣装提供のアリス・マーガトロイド氏の6名で宴会が開かれた。
※なお、ハマーン・カーン氏は外界の物語に登場する架空の人物であり、実在の人物・団体・事件などとは一切関係ありません。
「ちゃんと妖夢の気遣いも記されてるわねー」
ニコニコしながら妖夢を撫でる幽々子。
「な、なんだかちょっと恥ずかしいですね……と、この2つは私達の事ですが……2日間の間にもう2つ、新しい情報が出ています」
博麗神社についにパトロンが!? 良家の跡取り娘の訪問!
博麗神社に珍しい訪問者があった。
三千院家の一人娘・三千院ナギ氏を名乗る美少女。
そしてそのメイド・マリア氏。
困惑する博麗神社の巫女・博麗霊夢氏にナギ氏はこう語った。
「うちに住み着いてくれたら三食昼寝つきの生活を保証するわ」
文々。新聞を欠かさず購読されているお方はお気づきであろう。
西行寺幽々子氏に端を発したコスプレ遊び、その新たな参加者だ。
今回の正体は紅魔館の主レミリア・スカーレット氏と従者の十六夜咲夜氏。
正体を告げると霊夢氏の表情は困惑からいかにもくだらないといったものに変貌し
「みかんの皮やるから黙って帰れ」
と、けんもほろろであった。
「へぇ、あの子達も様になってるわねぇ」
「み、みかんの皮……」
あんまりな物言いをしている様が記事になっているが、レミリアが霊夢になついて紅魔館に住まわせようと誘いをかけた事があると美鈴から聞いている。
妙な手段をとってまでまた誘ってきた事をくだらないと見たのだろう。
謎の美少女を博麗神社近辺の空に発見!
記者が博麗神社近辺にて取材をしていた所、上空に謎の美少女を発見。
白のワンピースに帽子といった出で立ちでいかにも清楚で控えめといった姿だった。
二重の意味で幻想郷ではなかなか見かけないタイプである。
彼女はしばらく逡巡するように上空でうろうろした後、やがて神社から離れるように移動していった。
この美少女の正体は一体! 続報にご期待頂きたい。
「……誰でしょう、これ」
「博麗神社の辺りなら、魔理沙じゃない? 見せたいけど恥ずかしくて結局帰っちゃったって所かしらね」
「ああ、成程……」
昼過ぎ頃に、妖夢の消耗具合・幽々子の多忙で棚上げとなっていた妖夢の衣装のお披露目が行われた。
妖夢の髪の量では再現に足りないので、アリス特製のウィッグで量を増やす。
「どうでしょうか……」
「いいじゃない妖夢、凄く似合ってるわ!」
幽々子の方も流浪人姿をしている。
この組み合わせでいれば流行り始めた兆しのあるコスプレを知らない者が見れば白玉楼の主従とは気付かないかもしれない。
「パチュリーのメモによると……」
3つのキャラクター案と簡単な解説を記したメモには、演技指導も少しだけついていた。
「ここで毎日ボーッとしてるだけなんて、青春の無駄遣いよ。 パチュリーワンポイントアドバイス、だるそうに言うとGOOD」
台詞と共に、デフォルメされたパチュリーの顔からのびた吹き出しによるアドバイスつき。
「え、あ……演技を、私もですか、そうですよね」
格好だけするつもりでいたようで、演技をと迫られて恥ずかしがる妖夢。
「まだ抵抗があるなら無理にやる事はないわ。 楽しんでやらないと損だもの」
「は、はい……すみません」
肩を落としてみせる妖夢。
不意に、外の方へ視線を向けた。
「……何か、騒がしいですね。 見て参ります」
然程かからずに妖夢は戻ってきた。
しかし……
「妖夢……!? どうしたの!?」
すっかりぼろぼろになっていた。
体中に軽い怪我、衣装もところどころ切れていたり色が擦れていたり、これでは使い物になりそうにない。
「霊夢が、変装を広めた黒幕を出せと……酷く怒っていて……間もなくここへも。 私では止められませんでした」
怒った霊夢が相手では万全の状態の妖夢でも多少の抵抗が精一杯だろう。
ましてや今はコスプレ姿で刀も持たずに出て行った。
「……貴女が気に病む事なんてないわ」
「……うう、アリスが用意してくれた衣装が……」
止められなかった悔しさと、衣装が使い物にならなくなった悲しさとで涙を流す妖夢。
寒気が、した。
顔を上げる。 うっすらと笑みを浮かべる幽々子。
「幽々子……様……?」
「妖夢、楼観剣を……」
圧倒された妖夢は言われるがままに楼観剣を差し出す。
「あ、あの、幽々子様……?」
「大丈夫よ……」
ただならぬ様子の幽々子に遅れて外に出ると、上空で霊夢と対峙していた。
泣き崩れる自分を見て幽々子は本気で怒ったようだ。
発せられる気は普段の主は決して見せないものだった。
怒りのあまり霊夢を能力で亡き者にする気なのではとも一瞬思ったが、背を見送る所で気がついた。
先程の感覚は恐ろしさの中に懐かしさが――覚えがあった。
祖父が、妖忌が技を見せる際に発した剣気に圧倒された、それと同じだ。
「貴女は妖夢の心を踏みにじった。 許せるものではないわ。 ぶち壊しにしたお遊びでもって弾幕を叩きこんであげる! 貴女が泣くまでどころか泣いたってやめないわよ!」
幽々子は飽くまで剣技――を用いた弾幕――で勝負する気であって、霊夢を亡き者にしようと思ったわけではない。
だから「大丈夫」なのだろう。
だが、博麗の巫女には敵わない。
弾幕は次々と破られていき、最後に放った現世斬と九頭龍閃のコラボレーションも虚しく、刹那亜空穴で身をかわし、技の踏み込みの終了地点に設置された常置陣で捕縛され、陰陽鬼神玉を叩き込まれ、幽々子は撃墜された。
奇しくも必殺技同士の組み合わせを、必殺技のコンビネーションで制された形となった。
「普段通りにかかってきたって勝てないのに、借り物の技を使ったって通用するわけないじゃないの。 さて……やっぱりこっちよりもあっちに話つけないと駄目かしらね……」
用は済んだとばかりに、霊夢は飛び去っていった。
「幽々子様! 大丈夫ですか!?」
庭の植え込みに身を預けて目を回す幽々子。
「いたたたた……うーん、ごめんね妖夢、仇は取れなかったわ」
「いえ、そんな……私の事など。 それよりお怪我は?」
「まぁ、弾幕遊びの常というか、貴女みたいに少しだけね。 心配する程の事じゃないわよ」
「そうですか、よかった……」
すっかり毒気が抜けて普段通りの幽々子だ。
安堵は身の無事を聞いてだけのものではなかった。
「しかし一体どうしたんでしょう、霊夢があんな風に襲い掛かってくるなんて……」
「紫の懸念もあったし、あの子の勘が何か危険を囁いたんじゃないかしら」
「そういえば結局その部分は考えず終いでしたね」
「今日はこんな事になっちゃったしゆっくり休んで、明日にでも紫の所へ行きましょうか」
翌朝、早速文々。新聞の号外が幻想郷の空に舞った。
博麗の巫女ご乱心!? 次々になぎ倒されるコスプレイヤー達!
※記事の末項に妖怪の賢者・紫氏より重要告知あり、各位熟読されたし
※「コスプレイヤー」とは「コスプレ」を嗜む者の指す呼び名の事
先日の謎の美少女が博麗神社に現れた。
博麗神社の巫女・博麗霊夢氏のファンだと称するその美少女は霊夢氏の活躍を聞きたいとねだる。
当の霊夢氏は突然見知らぬ少女にそのような事を言われて困惑するばかりであった。
その様を見て美少女は見た目に反してはしたない笑いをもらす。
美少女の正体は白黒の魔法使い・霧雨魔理沙氏だったのだ!
「いやー、霊夢の顔ったら傑作だったなぁ。 どうだ霊夢、お前もコスプレやってみないか? 面白いぞこれ」
すっかり普段の顔を隠す事なく魔理沙氏は振舞っていたが、霊夢氏の様子がおかしい。
「……だー!! 鬱陶しい!! ちょっと黒幕ぶちのめしてくるわ!!」
記者は、すぐ様出て行こうとする霊夢氏に交渉し、密着取材に成功した。
以下にその進撃を記す。
第一の被害者 さいきょーのれいぶん? ないんぼーる?
まず紅魔館へと向かった霊夢氏。
道中に鉢合わせて勝負を挑んで来た氷精・チルノ氏を軽く捻って更に進むとチルノ氏は変身を遂げて再度立ちふさがった!
「デストローイ」
「……」
「ナインボー」
「……何やってんのあんた」
「ふふふ……さいきょーのれいぶんになったあたいが相手だ! 修正してやる!」
流行のコスプレに乗ったつもりなのだろうか、⑨と書かれたダンボール箱をかぶっての登場。
あまりにお粗末としか言いようがなく、残念ながら記者も何を模しているのか解らず終いだった。
当然の事ながらパワーアップを遂げているわけでもなく、再度軽く捻られて「⑨ バカ」と自らが修正される羽目になった。
第二の被害者 華麗な足技を誇る美女警官
紅魔館の危機に門番・紅美鈴氏がその防衛にあたった。
騒ぎを聞きつけて霊夢氏と軽く交戦するも、敗色濃厚と見て引き返すかつての異変と同じ展開。
しかし今回の彼女は一味違った。
今日の美鈴氏は神脚美技とも評される美女警官「春麗」の姿で霊夢氏に挑んだのだ。
「今日はいつもとちょっと違いますよー?」
「そんな真似事なんかして何が違うってのよ」
「いつもあまり見せない足技で攻めます!」
「あまり、ねぇ。 そうでもないと思うんだけど」
足技の封印を解いた(?)美鈴氏の健闘も虚しく、然程の苦戦の様子もなく霊夢氏は勝利を収めた。
第三の被害者 スペルカードキャプター
紅魔館図書館へ進入した霊夢氏。
妖精や小悪魔の防衛を蹴散らしながら奥へ進んでいく。
ここでも他と同様にコスプレをした主がいた。
クロウカード回収に奔走する「カードキャプター桜」に扮したスペルカードキャプターパチュリー氏の登場だ。
「私の書斎で暴れない、と、前に言ったわよね」
「あんたが珍妙な本で変な姿を広めているんでしょう? やめさせなさい」
「ああ、その事ね。 別に私が広めているわけじゃない。 求められて本を見せているだけ」
「じゃあぶちのめして見せるのをやめさせるわ」
元々が魔法使いであるパチュリー氏、一応コスプレしているキャラクターの真似もしているようであったものの正直普段と大差なく
機嫌を損ねた霊夢氏に一蹴されるのであった。
パチュリー氏から衣装提供が魔法の森のアリス氏によるものと聞き出した霊夢氏は一路森へと向かう。
第四の被害者 半人半妖の少女
途中アリス氏の傑作と思われる巨大人形に行く手を阻まれるも、然したる苦戦もなく撃破。
ここでもやはりアリス氏はコスプレをしての登場。 半人半妖の少女「アセルス」の服装だ。
(後の確認によると依頼に持ち込まれた資料のうち使わなかった分で、暇を持て余してたまたま自分用に試作して着てみていた所だったそうだ)
「霊夢? 機嫌が悪いようだけどどうしたの?」
「皆に変な格好をさせるのをやめさせてもらうわ」
「変な格好? ああ、コスプレ……何か問題でも?」
「勧誘が鬱陶しい! それと……いえ、なんでもないわ。 兎に角やめなさい!」
アリス氏のコスプレは剣技を使用する事が多いキャラクターだそうだが、アリス氏の場合自ら剣を振るう事はしない。
そのため元々使用していた剣を持たせた人形を多めに配する事で妥協としていた様子。
アリス氏を撃破した霊夢氏はコスプレの発端が西行寺幽々子氏と聞いて白玉楼へと向かった。
第五の被害者 偉大な祖父と共に戦う冒険者の少女・不殺の流浪人
妖精の攻撃をかわし・撃破しながら進む霊夢氏。
その騒ぎを聞きつけた魂魄妖夢氏が冒険者の少女「ジニー・ナイツ」に扮して登場。
押っ取り刀で駆けつけたようで、しかしその字面には反して刀は持たず、キャラクター小物の杖しか持っておらず然程の抵抗も出来ずに敗北。
霊夢氏は悠々と白玉楼へ。
現れた幽々子氏は先日の人斬り「緋村抜刀斎」の姿で楼観剣を持って現れた。
「貴女が今回の黒幕ね」
「黒幕? いいえ、そんなのは知った事ではないわ」
「コスプレとやら、やめてもらうわよ」
「貴女は妖夢の心を踏みにじった。 許せるものではないわ。 ぶち壊しにしたお遊びでもって弾幕を叩きこんであげる! 貴女が泣くまでどころか泣いたってやめないわよ!」」
これまでの面々は遊びの延長であるかのようであったが幽々子氏の技は凄まじかった。
弾幕勝負の前のやり取りからすると恐らく、妖夢氏のコスプレ衣装がぼろぼろになっていたのを見て怒ったのではないだろうか。
しかし怒っているのは霊夢氏も同様であり、怒った博麗の巫女の凄まじさは皆様もご承知の通りであろう。
妖夢氏と緋村抜刀斎の技を組み合わせた幽々子氏の奮闘も霊夢氏には通用せず、撃墜となった。
第六の被害者 謎の美少女こと霧雨魔理沙
と、ここまでで今回のコスプレの関係者は一通り打ち倒した。
結局の所普段の異変と違い「黒幕を倒せば終わる」ものではないと霊夢氏は思い至ったらしい。
そこでアリス氏に目をつけた。
「本を読む行為そのものにまでケチをつけるわけにはいかないんだから、衣装の供給をやめてもらうしかないわよね」
密着取材をしていた記者に意見を求めるような口ぶりであった。 因みに私は同意を示した。
アリス氏の家に到着すると、そこには先程神社で置き去りにした魔理沙氏がいた。
弾幕勝負でのアリス氏の軽症を治療しつつ、戦場となった家の近辺の掃除を手伝っていた模様。
「霊夢! なんだってこんな酷い事してるんだ!」
「魔理沙……私はアリスに頼み事をしに来たの」
「頼み事だって? 問答無用とばかりにぶちのめしておいて何言ってるんだ」
「邪魔するなら、あんただって容赦しないわよ?」
「やっぱりまだやる気なんじゃないか。 そんなに暴れたいなら相手になってやる」
魔理沙氏もなにがしかのコスプレをしているようではあったものの、別段いつもと変わった攻撃はなく、いたっていつもの魔理沙氏のものだった。
となればお互いに手の内は知っていて一進一体の攻防となった。
「む、ずるいぞ霊夢!」
「何がよ」
「なんか変だと思ったらお前射命丸と一緒じゃないか! それ地霊殿の時の陰陽玉だろ!」
「あー、そういえばそうね、密着取材させろとかって」
「そっちがそういう事するなら私にだって考えがある。 アリス!」
霊夢氏に私がついていると気付いた魔理沙氏、アリス氏に促して人形を用意させた。
「よーし! ありがとなアリス! こっからが本番だ!」
更に続く勝負は熾烈を極めた。
しかし長引くにつれ魔理沙氏の……正しくは人形を通じてサポートするアリス氏の攻撃が緩くなっていた。
それに気付いた魔理沙氏。
「こいつで最後だ! 行くぜ相棒!」
一気に勝負を決めにかかった。
「なんかこう言うの不本意なんだけど。 行くわよ、相棒」
熱い魔理沙氏の呼びかけに対して霊夢氏は本当に不本意といった様子であった。
これには然しもの私も少なからずショックであると言わざるを得ない。
そして軍配は、霊夢氏にあがった。
以上が霊夢氏の進撃の全容である。
勝負がついたタイミングを見計らったかのように、スキマ妖怪・紫氏が現れた。
「はいそこまで。 霊夢、気はすんだ?」
「あー……そうね、あんまり魔理沙が頑張るもんだからつい勝負に熱中して目的を忘れてたわ。」
「ならいいわ。 さて、このままじゃ収拾がつかないでしょう? だから、私から提案」
紫氏の提案はこうだ。
1つ、コスプレは日常的には行わず、宴会の際の座興としてのみ用いる事。
1つ、抵抗を感じる者が座に在る場合は行わぬ事。
1つ、能動的に同好の士を増やそうと持ちかけぬ事。 知らぬ者が知る者へ求める事は認める。
「これなら、霊夢も鬱陶しくはないでしょ?」
「そうね、その程度だったら問題ないと思うわ」
「はい決定」
紫氏は居合わせた私に上記の提案の周知を求めた。
なお、上記の提案に違反した者は発見次第ぶちのめして良いと妖怪の賢者から博麗の巫女へ書面が渡されている。
気をつけよう。 博麗の巫女に次にぶちのめされるのはこれを読むあなたかもしれない。
「紫がおいしいとこ持っていってる!?」
「まだどこかに行くような口ぶりをしていたと思えば、アリスは2度も襲撃されていたんですね、災難な……」
紫が登場している以上、例の今回限りでやめるようにという心配はもう済んだ事だろう。
霊夢に酷い目に遭わされた事から恐らく手遅れだったようだ。
「なんだか……大体片付いてる感じですね、この件」
「そうね、でもまだ解らない事はあるわ。 紫に訊きに行きましょ」
そう幽々子が言って立ち上がろうとした瞬間、妖夢の視界が暗転した。
「!?」
次の瞬間、前方で紫が何食わぬ顔でお茶をすすっていた。
顔を動かさず視線だけで辺りを見ると、どうやら主従共に紫の住処にスキマの力で呼び出されたらしい。
「昨日は災難だったわね」
意地の悪い笑みを浮かべる紫。
「ええ、本当に災難だったわ。 私以外が妖夢を泣かせちゃいけないというのに」
どう突っ込んでいいのか解らないが、突っ込める場面でもないので黙るしかない妖夢だった。
「で、訊きたい事があるそうね」
「結局、なんで貴女が止めたのかが解らないのよー」
あっけらかんとして幽々子は言う。
「例のコスプレ、あれはいわば自らを否定し他人になりすます行為。 人間を筆頭として、それ以外でも貴女達や、他にも多くの者にとってはただの遊びで良い退屈しのぎでしかない……でも、存在の仕方の弱い、力の無い妖怪がのめりこみすぎたら? もしかしたら、ただの遊びのために存在が消えてしまうかもしれない。 そして厄介な事にここ幻想郷は娯楽が少ない。 自分以外の何かになるだなんて刺激的な行為、かなりの規模で流行る事になるわ、おそらくね」
ただの遊びと思っていたら意外と大事だった。
妖夢が幽々子の方を窺うと……ばつが悪そうにしている。
全く気付いてなかったようだ。 そんな主を尻目に妖夢が問う。
「それ程の事だというのに、どうして早苗の件を手伝い、紅魔館での紹介を見過ごしたんですか?」
「守矢神社の面々は比較的新参者でしょう? しかも博麗ののっとり未遂・地獄烏への力の譲渡、間接的にはその後命蓮寺の件にも関わって色々事を起こしている。 それでも彼女達は既に馴染んできてはいるけれど、古株の貴女達との仲が深まるのは歓迎すべき事。 それに幽々子が可愛がってる貴女の気持ちを無碍に扱いたくはないじゃない?」
真面目な顔で話していたが、最後のくだりは妖夢に優しく微笑みかけて言った。
「だから貴女達が白玉楼にこもってる間に、丁度幽々子が紹介して乗り気になってた紅魔館の面々……はほっといてもやるとして、それに加えて魔理沙、彼女達が霊夢にコスプレを見せに行ったら、私の心配を博麗の勘で何か察してくれないかと思ったんだけど……」
深く、ため息をついた。
「いきなり発端と流行の発信元を全員ぶちのめしに行く程、とは思わなかったわ……鋭すぎるのも考え物かしらね」
「魔理沙が霊夢にコスプレを見せに行くように、って、何かしたんですか?」
「ああ、それは簡単よ。 幽々子がしたように、質の高い衣装を使ってやろうとすればアリスを頼る可能性が高いからという事でアリスの所へ行って、さも訳知り顔といった風情でコスプレを広めるつもりはあるのか訊きながら、「コスプレだという事にして魔理沙に女の子らしい格好をさせるチャンスじゃないかしら?」って焚き付けただけ。 アリスは別に広めようって気はなかったようね、頼まれたら対価次第で用意するかもしれないって程度で」
新聞の号外からすると魔理沙も何か演技をしていたようだが……
(じゃあもしかしてその大人しい美少女って)
アリスの趣味なのだろうか。 何か、秘密を知ってしまったような罪悪感を抱く妖夢だった。
話が逸れたと見てか、幽々子が復活した。
「おかげで解ってスッキリしたわ。 紫にも面倒かけちゃって悪かったわね」
「こっちも楽しんでたから、お互い様って所ね」
幽々子と妖夢をスキマで送り出した後……
「ま、半分は魔理沙を取られたような気持ちがあったんでしょうね。 勘と入り混じって、魔理沙を取られたと思って怒ってるようにしか思えず、そんな自分が不可解でもっと怒った、と」
お茶をすすって、紫はゆっくりと大きく息をついた。
「鋭い事よりも、素直じゃないって事の方が考え物かしら」
白玉楼の庭に鼻歌が響く。
上機嫌そうに庭の木の剪定を行っている妖夢によるものだ。
「あら? 随分とご機嫌みたいね」
と、横槍を入れる主・幽々子は……今は居ない。 人里へと遊びに出ている。
主が居ない事で機嫌を良くするとは不遜な話ではあるが、今回この主従の場合――
「妖夢ー。 ちょっと人里まで行ってくるわね。」
幽々子が思いつきで何かを言う事は珍しくない。
しかしこれは少し毛色の違う事であった。
大抵は暇つぶしなどで妖夢に何かを用意するようになどと指示を出す所なのだが……
「お出かけ、ですか……お一人で?」
「そうよー」
自ら、それも妖夢を伴わずというのは珍しい事だった。
主に対して明け透けに物を言う事の多い妖夢であったが、意図を問うべきか一瞬迷っている間に主が続けた。
「ほら、私が居るとあれしろこれしろってお願いして仕事を中断させてばかりでしょう?
だからたまには気兼ねなくやっていられるようにと思ってねー」
「成程」
妖夢にとっても合点の行く答えだ。 しかし……
「そうおっしゃいますが、私と一緒にお買いものに行くと口うるさいからという事の方が大きいのでは? お茶請けのお菓子がなくなって、この際だから好みの物をたっぷりと買って来ようという魂胆なのではありませんか?」
人里へ出る、と言えば買い物である事が多く、菓子の類も含め食料品が主な対象となる。
そして妖夢が一人で行く事が多く、たまに幽々子と二人……幽々子一人でという事は殆どない事だった。
妖夢の言う通り、幽々子は嗜好品を買いたがるのだ。
亡霊たる幽々子にとっては食事は生きるために必要な事ではないため、好き勝手に食べたい物を食べていたとて問題は無いのだが、まがりなりにも亡霊の管理を行う白玉楼の主が年がら年中お菓子だけ食べてます、では示しがつかないし、噂を聞きつけた閻魔様にこってりとお説教をされる羽目になりかねない。
「大丈夫よー。 一週間お菓子だけしか食べないような量を買い込んで来たりはしないわ。」
どっさりと買ってきて閻魔様、とまではいかないが鬼のような形相をした妖夢に怒られた前例があるだけに、指摘がそのまま図星ではなかったようだ。
「飽くまで常識的な範囲で済ませるのでしたら……」
「うんうん、そうするわ。」
終始ニコニコとしている幽々子、その様子につられて妖夢も引き止めずに送り出したい気持ちが起こってきた。
「解りました。 それでは行ってらっしゃいませ。」
「ええ、でもね、妖夢。 気兼ねなく、というのは建前であり本音よ。 お仕事も休憩も、うるさい主の留守の間思うがままにゆっくりとして頂戴ね」
と、こんな具合にお墨付きで羽を伸ばしているのだ。
見送ってからしばらくは、敢えて一人で出るという事に某か、「自分に言えば止められるような狙いがある」のではないかという意識が残ったが
言われるがままに自分のペースで過ごし、中断する事なくいられる気楽さにすっかりくつろいでいた。
夕餉の頃に幽々子は帰ってきた。
食べ物、やはりお菓子が多い大きな荷物を抱えてこそいるがいつぞやに比べれば大人しい量だ。
「おかえりなさいませ、幽々子様」
恭しく出迎える妖夢。
「ただいま、妖夢。 早速だけど買ってきたものをしまっておいてもらえるかしら?」
「かしこまりまし……た?」
大きな荷物をおろした幽々子と、面を上げた妖夢の視線が合い、妖夢が固まった。
「……幽々子様、その御髪はどうされたのですか?」
幽々子のウェーブのかかった桃色の髪、出かけて行った昼過ぎまでは変わらなかったそれが、今は癖一つ無いストレートになっていた。
「香霖堂へも行ってきたのよ。」
とりあえずはその一言で事足りた。
外界から流れ着いた、幻想郷では見かけないガラクタから名品まで節操無く並んだあの店で何かを見つけ、使用したのだろう。
まず追及も説明もそこまで、妖夢は指示通りに食料品をしまい、その後夕餉を終え、改めて何があったのかを訊ねた。
「元々は妖夢が怪しんだ通り、お菓子を買いに、というつもりだったの。 それでね、せっかくの機会だから香霖堂なら人里でも見かけないような珍しいお菓子でもあるんじゃないかしら、って」
「確かに珍しさなら香霖堂に勝る場所はありませんね。 ですが……」
妖夢が言葉を続けるより先に、幽々子が大げさに肩を落とし落胆のポーズをとった。
「あそこ道具屋だものね……」
香霖堂は古道具を扱う店だ。 基本的にはよくわからない何かに用いるためのものを置いている。
一人で買い物に出た解放感でついそれをも忘れてしまっていた……とも思いにくく、もののついでに寄ってみてあれば儲けもの程度の気持ちで行ったが案の定なかったのだろう、妖夢はそう判断した。
「で、話はこれの事になるのだけど」
まっすぐになった髪を弄んで続ける。
「変わった意匠の入れ物があって手に取って見ていたら「それは癖のある髪を矯正する薬剤だ」って」
香霖堂の店主・霖之助の真似をして言ってみせたが、似てはいなかった。
「収穫なし、とあっては残念だからとそれを購入してご使用に?」
幽々子は首を横に振る。
「いいえ、そうも思ったのだけど、なんでも……「薬剤の類は古くなると効果が無くなったり変質してしまったりする事がある。 御多分に漏れずそれも外から来て、僕が拾ったものだ。 古すぎておかしくなってはいないという保証はない」……ですって」
再び真似をしてみせるものの、本人よりもやや言い方に嫌味を含んでいる。
何か意地の悪い事でもされたのだろうか、と妖夢は思うが、疑問をとりあえず横に置いて続けた。
「はぁ……するともしや、購入だけして使えるかどうか確かめに永遠亭まで?」
「そう。 なんだか意地になっちゃって。 永琳に話してみたら鈴仙を呼びつけて、調べてくれたわ。」
幽々子は悪びれずに言うが、いつもの自分のように永遠亭の二人が気まぐれに付き合う事になったのか、と、思うと妖夢は慣れた事と言えど少しいたたまれない気持ちになった。
何かお礼でもしに行かなければならないだろうか、妖夢の思いをよそに幽々子は続ける。
「結果は、古くて駄目になってる、ですって。」
つまり霖之助の真似の嫌味さを大げさにしたのは、使い物にならないものをつかまされた腹いせのようだ。
「あれ? その薬剤が使えなかったのなら一体どうして……?」
「永琳がね、鈴仙の練習のお題を持ってきてくれたお礼にって同じ効果の薬を作ってくれたのよ。
私を頼ったのに鈴仙にやらせたお詫びの意味も、って言ってたけど、私としては解りさえすれば永琳でも鈴仙でもよかったからこっちもありがたかったわね。」
一応形としては貸し借り無しの結果に落ち着いているようだ。
しかし妖夢の脳裏に一瞬、白玉楼の一室で談笑する幽々子と永琳の姿、そして永遠亭へと出向く事になる自分のイメージがよぎった。
主の気まぐれの埋め合わせに動くことになるのは概ねいつもの事なのでそれは然程考えずに、言葉を続ける。
「流石は月の頭脳と称される八意様の薬、その効果は覿面ですね」
幽々子は「同じ効果の薬」と言った。
如何に外界の技術がこの幻想郷より先んじているとはいえ、そのまま再現ではこれ程……
「ゆるふわゆゆこさまがしゃっきりゆゆこさまに」
「ゆるふわ?」
「いえ! なんでもありません! ただそのまま同じ効果を再現したというよりも……
ついでに、より強く効果が表れるようにしたのでは、と気になりまして」
妖夢の懸念も自然な事。
それ程に、幽々子の髪は元々ウェーブのかかる質であったと言っても信じられないという程に、見事な直毛になっていた。
「そうよ、これから私は月の技術によってもうゆるふわゆゆこさまじゃないの、しゃっきりゆゆこさまなのよ」
立ち上がり、拳をあげて宣言する幽々子。 しっかりと聞かれていた。
二重の意味でショックを受ける妖夢がうつむいて返す言葉を見つけられずにいると、幽々子は一つ咳払いをして座り、続けた。
「……なんて事はないわ。 安心して頂戴。 元々この薬はしばらくすると元に戻るものらしいの。 質を上げて効果とその維持される時間を強めたらしいけれど、いずれは元のゆるふわゆゆこさまに戻るわよ」
最大級の笑みを浮かべながらそう言う。
「あ、あの……ゆゆこさま……?」
「なにかしら?」
うつむく妖夢、笑みを崩さぬ幽々子。
「お願いですから「ゆるふわゆゆこさま」と「しゃっきりゆゆこさま」は忘れていただけませんか?」
「いいえ、しばらくはこれで行くわよ。 かわいらしくていい表現だわ」
思わず口をついて出た言葉のせいでしばらくからかわれ続ける事が決定し、すっかり恥じ入ってしまっている妖夢。
視線がこちらを向いていないのを良い事に幽々子はやりすぎたかしらと内心呟き軽く息をつくと
「ちょっと待っててね」
とだけ言い残して部屋を出て行った。
一方残された妖夢は一人まんじりとして主が戻るのを待つ事となる。
随分と長く感じる少しの時間の経過の後、戻った幽々子は2つずつのお茶と小皿に切り分けた羊羹――片方はごく普通にお茶請けといったサイズだが、もう片方はそれにはやけに大きい――の乗った盆を手にしていた。
「ほーら、さっき買ってきた羊羹よ」
それを見て慌てて居住まいを正して妖夢が言う。
「も、申し訳ありません幽々子様! 命じて下されば私が用意したものを!」
幽々子は意に介さず卓袱台にお茶と羊羹を置く。 勿論羊羹は妖夢が小さく、幽々子が大きい。
「いいのよ、からかったお詫びに、ね? ……でも、貴女は恥ずかしいようだけど私はすっかり気に入ったのよ。 もし良ければ、使っていきたいわね。 ……飽きるまで」
「は、はい……でしたら、お使い下さい。 ……飽きるまで」
優しい語調で言う幽々子に対して、妖夢のそれは少し強めだった。
幽々子は飽きっぽい。 存外に早く飽きるかもしれないという期待と、飽きたらもうそれでからかうのはやめて下さいという気持ちの表れだろうか。
ともあれ「ゆるふわゆゆこさま」と「しゃっきりゆゆこさま」のフレーズについてはお茶と羊羹の登場で一件落着となった。
少しの沈黙……お茶を啜る音が部屋に響き、不意に妖夢が口を開いた。
「それにしても、まっすぐになっただけで随分と印象が変わりますね」
「そうねー……香霖堂まで行ったのにそこでは得るもの無しに帰るだなんて、って余計に手間をかけちゃったけれど、意外と私も気に入ってるわ」
扇子で口元を隠して意味深な表情を浮かべて見せる幽々子。
「あ、それいつもの髪型よりもお似合いですよ。 なんだかこう、主としての凄みが増しているというか」
「あら? それじゃあ本当にずっとこれで行こうかしら。」
と、今度は屈託のない笑みを浮かべる。
「え? いや、それはちょっと……私は、凄みがあるよりも普段通りの柔らかい印象の幽々子様の方が」
困惑を含んだ声音の妖夢。
「うふふ、冗談よ」
「ならいいんですけど……そういえば山の神社の早苗が幽々子様の御髪を見て何か……今のように真っ直ぐであれば何のようだと評した事もありましたよね」
守矢神社の巫女にして現人神の東風谷早苗、この幻想郷に二柱の神と居着くようになったのが比較的近い時期で、外界の知識が豊富であるため往々にして誰も解らない例えで一人納得していたりする事がある。
「あったわねぇ……えーっと……名前が出てこないわね。 ネギトロ味みたいな名前の人を呼ぶ発言があるんだったかしら?」
そしてその外界の知識に基づく事を聞きだそうとすると、解らない言葉で止め処無く熱く話す事が多いため、いまいち記憶に残りづらい。
「また幽々子様は食べ物の部分だけを拾い取って……私もよく覚えてないですね」
そう言って妖夢は唸り出してしまう。 特に思い出せる事がないようだ。
「あ、そうそう、あの子が真似してた発言を思い出したわ」
「どんな内容でしたっけ?」
身を乗り出す妖夢、幽々子は喉の具合を整えるように咳払いしてから、先程のように扇子で口元を隠して表情を作り……
「こんなところで朽ち果てる己の身を呪うがいい!」
……数秒間の沈黙。
「えっ……と、それってなんだか……」
妖夢が額を押さえる。
「? どうしたの?」
「幽々子様ご自身の言葉としても凄く当てはまりそうな気がしません?」
妖夢の指摘を受けてそういえば、といった表情を浮かべる幽々子。
幽々子は「死を操る程度の能力」を持っている。 相手にそれを放つ前にこの台詞を言えば……
「……そうね、違和感無いわねこれ。 物真似として良いかと思ったのだけど……」
と、今度は幽々子が唸り出した。
「? どうしました? 考え込んでしまって」
「……決めたわ、妖夢。 明日はちょっと紅魔館まで行ってきて頂戴。 これから文をしたためるからそれを持って、ね」
翌日、妖夢は幽々子の用意した手紙と、手土産にと持たされた昨日の羊羹――幾つか購入してあったうちの未開封を丸ごと2本――を携え紅魔館へ向かった。
手紙の内容については妖夢は聞かされていないため知らないが、受け取った際の感触からは枚数の多いものではない。
また、図書館の主・パチュリーへ渡すようにと指示されている。 恐らくは何か、本を借りようとしているのだろう。
……と、考えていたのだが、ふと妖夢は腑に落ちないと気付いた。
てっきり昨日の話の台詞、早苗の語っていた人物の詳細を知ろうとして外界の本を当たろうとしているのかと思ったのだが
早苗はそれが本で見聞できるものだと言っていただろうか?
「本で読んだ」と聞いた覚えが全くない。 内容については主従共に碌に覚えていない体たらくであったが、媒体くらいは馴染みがあれば覚えているはずだ。
新聞、瓦版、講談……ここで見聞き出来るようないずれでもない外界の何か、故に全く覚えが無いのでは。
(とすると幽々子様は別の何かを知るために本を借りようとしている……?)
いずれにせよ、役目を果たせば解る事だろう。
紅魔館に到着し、門番・美鈴と少しの会話を経て中へと通してもらう。
羊羹は念のためにと隠し、見せないようにした。
白玉楼では必要が無いのに食べる事を楽しむ幽々子、それに妖夢の2名のみで残るは幽霊が居るばかり。
それに対してここ紅魔館はレミリア・フランドール・咲夜・パチュリー・美鈴、それにパチュリーの元で司書のように或いは従者のようにそばに居る小悪魔、更にはメイド妖精達……
2本の羊羹は、その振舞われ方如何によってはあまりに少なすぎる。
美鈴は咲夜とは違い失敗も多く、罰を受ける事も多いようで、もしかしたら口にする事は出来ないかもしれない。
ならば最初から知らない方が良いだろうと妖夢なりに妙な気遣いをした結果であった。
こんな場面でこんな風に気が回るだなんて、食べ物にうるさい主が居るからだろうか、と思ってしまい複雑な気持ちになる妖夢だった。
「珍しいお客さんね」
そう言いはするが図書館の主パチュリーは然したる感慨も無い様子だった。
「ええ、今日は幽々子様の使いとして参りました。 これをお渡しするようにと言付かっております」
妖夢が差し出した手紙と羊羹を受け取るパチュリー。
何事かと訝しむ様子だったが、手紙を開けて一瞥するなりすぐ様普段通りに――それでも愛想は良くないが――戻った。
「どうやらそう堅苦しくなる必要もないみたいよ」
確かに、昨日のやり取りからここでパチュリーも余所行きの態度で接してくるような事態があっては空恐ろしくなるというもの。
「まー……あの亡霊姫の事だから何か回りくどい事は考えてるのかも知れないわね」
言いながら視線は書架を巡っている。
「あれ取って頂戴」
あまりに無造作に言ったので一瞬自分に言ったのかと思った妖夢だったが、少し離れた位置で何か作業していた小悪魔がすっと飛んで行くと、小さい本をごそごそと……
……多い。 20冊は優に超えている。
「ちょっと多いけど、貴女なら持って帰るのも苦にはならないでしょう」
「借りて行っていいんですか?」
この図書館に来ては「死ぬまで借りてくぜ」と本を「借りて」行く白黒魔法使い・魔理沙に手を焼いている、とは妖夢も知っている。
「半分幽霊と亡霊と、貴女達が「死ぬまで借りる」だなんて言い出しはしないわよね」
魔理沙の事を考えた事が読まれたようだ。
「読み終えてちゃんと返してくれれば問題無いわよ、それに……」
「それに?」
「亡霊姫お墨付きのお茶菓子らしいわね、今日のティータイムは良い時間になるわ」
無愛想なパチュリーの口の端が、少し上がった。
パチュリーの言からすると重要な要件ではなかったようだが、それでも幽々子の命で出向いた事には違いない。
幾つか紅魔館には誘惑――主に美鈴や咲夜との世間話――があったものの全て振り払い道草を食わずまっすぐに白玉楼へと帰還した。
「ただいま戻りました、幽々子様」
「おかえりなさーい」
幽々子の機嫌はよさそうだ。
「貸してもらえたのねー。 うちでは貸出はしてないって言われるかもしれないと思ってたけど」
出かける際には羊羹包んでいた風呂敷、代わりに今は借り受けた本を包んでいた。
風呂敷を開く、先程はどういった本であるかじっくり見られなかったが……
「これは……」
刀を携えた派手な色合いの優男、それに女性の絵が大きく描かれている。
「剣客……浪漫?」
一体幽々子はこの本で何を知ろうというのか、主の答えを求めるように視線を上げると、妖夢の手から本を取り上げて言った。
「妖夢は「漫画」を見るのは初めてだったかしら?」
「そういうものが外にあり、こちらでも人気のあるものと知っている程度ですので……」
妖夢はどことなくばつが悪そうにしている。
陰に陽に見聞を広める事を奨励しているため、知っていても触れてみようとしなかったという事に罪悪感があるのだろう。
「いい機会ね、ほら」
と、開いて見せる。
「……成程、話には聞いていましたがこれは……文字だけよりも、読みやすいですね」
「そうそう、気軽に読めるのがいいわね……で」
ぱたりと閉じて、風呂敷の上に重なった本の頂上に乗せる。
「さて問題、私の目的は何でしょう」
妖夢に褒められて気に入ったのか、またも開いた扇子で口元を隠し意味深な表情を見せる……が、すぐさま補足した
「あ、大した事じゃないわよ。 だからお遊び程度に気楽に答えてね」
「はぁ……」
思わず生返事をしてしまう。
昨日物真似をして、いまいち真似っぽくない事を残念がっていた時に紅魔館行きを決めた……
要件は「漫画を借りる事」であり、借り受けた漫画は「剣客が登場する話」……
目的は大した事ではない……
「うーん……?」
妖夢は幽々子の考えを推測するのが苦手だ。
まだ方々の経験が浅い事や性格もあって基本的に真っ直ぐに物事をとらえる。
それに対して幽々子は「大した事じゃない」などと言いながら何か企んでいたり、逆に思わせぶりな言動をしていながら実は然程考えていなかったりと、妖夢からすれば掴み所がない。
今回も実は何か大層な目論見が……
「うふふ、考え込んでしまうようでは今回ははずれねきっと。 昨日の物真似が不発だったから、もっと物真似らしくなれるのはないかと探してみたくなっただけ」
無かった。
「そうでしたか、本当にただの遊びの一環、と」
「そういうこと。 しゃっきりゆゆこさまな内に似合いすぎという程ではなく似合ってる何かを見つけて楽しんでみたいというわけ」
不意に飛び出した「しゃっきりゆゆこさま」に顔から火が出そうになった妖夢だが、なんとかこらえて返す言葉を探す。
「……って、ただ遊びのためであるなら、わざわざ時間をかけて文をしたためずとも私に伝言をさせた方が楽だったのでは?」
「ああ、それはね……一応、もっともらしい事を書いて誤魔化しておいたのよ」
誤魔化す必要があるだろうかと妖夢は内心首をかしげる。
合点が行っていない様子を見て幽々子は続けた。
「ほら、しばらく前に一人でお菓子をたっぷり買ってきたら妖夢すごく怒ったじゃない」
「あれは……その、立場も弁えず過ぎた事であったと反省もしています」
妖夢は申し訳なさそうにしているが、幽々子の表情は明るい。
「その時のお説教の中で、白玉楼の主としての自覚をもっと持って下さいって言ってたわよね」
「……はい」
「だからちょっとそれらしく建前を作ってみたのよ。 「妖夢に刀を振るう者の生き方を色々と知ってもらいたいけれど口で伝えるだけでは伝わりづらい。 何か仕事の傍ら、休憩中の片手間などに見られる手軽な本を見繕って貸してほしい。 お代は羊羹2本で」……といった具合に」
それを聞いて借りてきた本に視線を落とす。
見事だ、と、妖夢は素直に思った。
以前自分の言った、主としての自覚を持てという発言。 それを内外に示しながら目的を……?
「あの……今、一つ、思ったのですが……」
「なーに?」
幽々子は妖夢が気付いた点を知ってか知らずか、どこか得意げな顔をしている。
「男性しか登場しないようなお話のものを提示されたら一番大事な目的が確実に果たされなかったという事になりますよね。 私は思惑を知らないわけですから、紹介されればこれのように素直に受け取ってきてましたし」
「あ」
詰めが甘かったようだ。
「……まぁ、結果良ければすべてよし、よ。 せっかく借りてきたのだから読みましょ」
流石の幽々子もいたたまれないかのように誤魔化そうとしている。
「結果が良いとも限らないですよね。 幽々子様が演じてみせるに適した人物が登場しないかもしれませんし」
「うう、ようむがいぢめるわ……」
着物の袖で涙をぬぐうようなしぐさを見せる幽々子。
袖に隠れた口元にはかすかな笑み。
もし「今回の自分の目的」にはそぐわないものだったとしても、常日頃思っている「妖夢の見聞を広める事」の役には立つ。
そう、「パチュリーが妖夢のために本を見繕って貸してくれた」時点で、幽々子が断腸の思いで差し出した羊羹2本は見合う働きをもたらしていたのだ。
感心するだけに終わらず問題があったと指摘する妖夢に内心喜ぶ幽々子だった。
「あのパチュリーが機嫌良さそうに微笑んでいたくらいですから、羊羹懐柔作戦は上手く行ったようですよ。 もしかしたらあと1つ2つくらい、こういった形で全巻貸し出してくれるかもしれません」
風呂敷に重ねて置いたままだったのを一冊一冊並べる妖夢。
「それよりもこれ、随分な量ですがこれ全部で一つのお話しなんですよね」
その数全28巻。
「ええ、そうね」
「でしたら建前上は私のためですが実際は幽々子様の遊びのため、どうぞお先にご覧ください」
「そうさせてもらうわー。 じゃ、とりあえず1冊読み終わったら呼ぶわね」
幽々子は漫画というものを既に知っていたが、妖夢は実際触れるのは初めてだ。
それ故に妖夢が読んでいる際には読み進め方が解らなくなる事がちらほらあった。
不慣れな事もありコマ割りのどこへ視線を送っていけばいいか解らなくなるのだ。
その場合は逐次、幽々子がこう読めば話がつながる、と指でなぞった。
また、元々の「読む」行為の速度の差もあって互いに好きに読んでいては読破の差が開くようだった。
程無く気付いてペースを緩める幽々子、それと共に一つ悟る。
佳境の場面で妖夢の声がかかる事があった、形も重みも違うが、妖夢を呼びつけて何かを指示する行為が即ち同じ意味を持つ事が有り得る。
(昨日は……)
ちらっと妖夢の顔を盗み見る。
今はつまづく事なく読み進めているようだ。
初めて読む漫画に熱中しているせいか、おそらく無意識に表情がころころ変わっている。
思わず思考を止めて見入ってしまった。
(昨日は、思いの外機嫌がよかったわね)
買い物から戻って、この髪に気付くまでは所作も軽かった。 主の留守の間を楽しんでいたのだろう。
(たまには何もさせない方がいいかしら)
自室に居れどもただ黙して命じず……
だがもし何も命じる事がなければかえって心配をさせたり、事によっては力不足故に何もさせなくなったのだ、などと受け取ったりもするだろう。
落ち込む妖夢が容易に想像出来る。
いっその事永遠亭のてゐのようにふてぶてしく……
「ぷっ」
「何か笑える場面でも?」
「え、ええ……ちょっと悪玉の尻すぼみ具合がね」
うさ耳を装着した妖夢が白玉楼の庭に落とし穴を仕掛けたせいだなどとは言えようはずもない。
その後しばらく、幸運を扱う程度の能力・魂魄てゐ夢を追い払う事に苦心する幽々子だった。
……
「この師範の娘は……」
「いえ、それだとむしろ幽々子様はこっち……」
「妖夢師範に怒られ目をまわす幽々斎ね……」
「お医者様は……」
「うーん、永琳を差し置いてといった感が……」
「言動は結構いい線だと……」
「鍋屋の店員は……」
「流石に若すぎるわね……」
「じゃあ女将さんで?」
「うーん、惜しいわね、ちょっと人柄が……」
「成長した氷精……!」
(むしろ生真面目さを減らしてその分奔放さを足しつつ恋を覚えた妖夢?)
「あ、この敵方の女性……」
「何をおっしゃってるんですかはしたない!」
「えー……一番やれそうな気が」
「駄・目・で・す!」
……
「妖夢、大変な事に気付いたわ」
「どうされました?」
どれくらい過ぎただろう、外は既に暗い。
部屋は明るくしてあるため読むに不足は無いが、いつ・どちらが――或いは住民の幽霊が?――用意したかも覚えていない。
「ごはんを食べてないわ!!」
漫画の楽しさもさる事ながら「どのキャラクターなら今の幽々子が演じられるか」を議論するのも面白く、つい時が過ぎるのを忘れてしまったようだ。
あわただしく部屋を出ていく妖夢、すぐに戻ると……
「すっかり熱中しまいましたね、夕餉の用意が出来たと声をかけられても生返事を返すばかりでいてしまったようで」
「そう……悪い事しちゃったわね、とりあえず頂きましょう」
熱を帯びた議論も流石に食事中は中断となった。
黙々と箸を動かすが、二人共どこか上の空といった様子。
漫画の内容を反芻していたり、或いは幽々子の演じる事が出来る登場人物とは?
と、二人共頭の中はそればかり。
冷めてはいるが熱い食事の時間が終わると、幽々子はすっかり読書部屋と化した自室へと戻った。
程なくして妖夢がお茶を携えて入ってくる。
両名共に考え込んでいる様子で挨拶の言葉すらない。
幽々子、妖夢、それぞれお茶を少しすすって……妖夢が口を開いた。
「私としては、主人公のこの方が最も適していると思います」
「奇遇ね、私もそう思い始めていたのよ」
しかし問題がある。 主人公は男性なのだ。
作中では女性と勘違いされる事こそあるものの……
「ちょっと存在感がありすぎるんですよね、そこが問題で」
何がと言いはしないが妖夢の視線が妬ましげかつ少し低い。
「とはいえ結局一番やれそう、とはっきりはしているのだから……まずは、やってみましょ」
幽々子は立ち上がると、ついて来るようにと目で妖夢に促した。
向かった先は妖夢の祖父・妖忌の部屋。
かつて幽々子に仕えていたが、今は行方知れずとなっている。
「勝手に入って漁るだなんてよくないけど、勝手に居なくなった罰という事で」
入る間際にぽつりと幽々子が呟いた。 妖夢に向けてではないだろう。
その言葉がやけに切なく感じられて妖夢の目頭が思わず熱く……
スタァン!!
なりかけた所で襖が物凄い勢いで開かれた。
そこで、察する。 感傷に浸ったというよりは……
「もしかして、幽々子様……今の、言い訳ですか?」
流石に妖夢の視線もやや冷たい。
勢いよく進まないと踏ん切りがつかなかったといった所か。
「だって妖忌ったら妖夢の1.3倍くらい正論にして2倍くらいしつこくして4倍くらい凄みを持たせたみたいなお説教をしてくるのよ? 無断で部屋に入ったなんて知られたらこってり絞られるわよ。 映姫様程じゃないけど」
確かに厳しくはあったが、そんなに怯える程だったろうか。
多分祖父としての妖忌と護衛兼庭師としての妖忌は違ったという事か……
(それに加えて、幽々子様は私を真面目だって言うけど……)
主は自由で適当でゆるふわで。
(うん、怒られる。 凄く)
妙に力強く納得する妖夢。
「妖夢だって一緒に入ってきたんだから同罪よ。 一蓮托生よ」
まさかそのためについてくるようにと示したのだろうか。
そういえば示されるままについてきて・入っているが、言葉では一切指示されていない。
もし仮に「幽々子様に指示されました」と言っても「私は何も言っていない」が紛れも無く真実となる。
とても白々しく言い逃れに使える事ではないが、嘘ではない。
「……なんというか、抜け目ないですねぇ」
拝借してきた妖忌の服、妖夢には大きすぎて着られない。
しかし幽々子ならという事なのかと妖夢は思ったが、やはり大きい。
「まぁ、ちょっとやってみてしっくり来る形になりそうだったら本格的に用意すればいいのよ」
髪を後ろで束ねて、楼観剣を鞘にしまったまま腰の辺りで持ち……
「では、失礼して」
頬に墨で×字を描いてみる。
……
「やっぱり、ちょっと、無理がありますよね……」
似合いそうかどうかをはかる以前に、サイズが合わないだらしなさが際立ち過ぎている。
「うーん、ちゃんと合った大きさの服を用意するしかないかしらね」
これでは立ってるだけが精一杯であろう、作中の構えや動きを真似てみるなど出来そうもない。
「そうねー……」
視線を宙に巡らす幽々子。
「妖夢、貴女としてはこれ、やってみるべきだと思う?」
「正直に申しまして、見てみたいです。 凄く」
目を輝かせる妖夢を見て、幽々子の腹は決まった。
「じゃ、明日は魔法の森ね。 今度は私も一緒に」
そして翌日。
今度は手紙はなし、羊羹は1本、幽々子付き。
衣装が云々という話で魔法の森と来たら、人形を操る魔法使い・アリスを訪ねるとしか思えない。
が……
「何故里で仕立てるのでなく、アリスの所なんですか?」
アリスは服飾も出来るが普段は人形に対してであって、人に向けて服を用意しているわけではない。
それでも質の良し悪しでいえば良いものを作る腕の持ち主であろう。
しかし敢えてアリスという必要性は妖夢には解らなかった。
「1回じゃ済まないかもしれないし、それなら最初から腕の良い職人に頼んでおいた方が得よ
ただ、もう一つ気がかりはあるわね……」
「?」
疑問符を浮かべる妖夢の顔から視線を逸らし、空を見る幽々子。
「天狗は嗅ぎつけてくるでしょうけれど……その勘はこちらの都合よく働いてくれるかしら」
「?」
余計に解らなくなってしまった。
例えば今回男物の服の作成をアリスに依頼したと天狗の新聞記者・文に知られ、記事にされたら……
「白玉楼の主の意外な趣味! 鴨居の向こうの男装の麗人!」
……それ自体は意に介さないような気がする。
いや、むしろ……?
「うーん、服の製作依頼を嗅ぎ付けられたとしても、記事にはされないのでは?」
「あら? どうして?」
幽々子は興味深い、といった様子だ。
妖夢の見解を聞いてみたいと、見て解る程に主張している。
「多分……まだ面白くないんですよ」
「と言うと?」
「幽々子様が男性の服装を着てみる趣味を持った、と、記事にすれば話題性は大きいですが……」
「うんうん」
思いついた事を整理するように、妖夢は一拍置いて続ける
「今騒ぎ立てても幽々子様次第ですぐに沈静してしまうから、でしょうか。
今のところはまだ、そういう趣味に目覚めて日頃からやっている、或いはやろうとしているのではないと否定をすれば
それが事実であるとするようにも出来ますよね」
これからどうしていくのかと言えば……まだ飽きてはいない事だし、紅魔館で本を借り、アリスに作中人物の服の作成を依頼をまた行うと見るのが自然だろう。
それについ今しがた「1回じゃ済まないかもしれない」と幽々子は言っている。
「つまり……
もし仮に文が今の私達の状況を知ったとすれば……
いきなり突撃取材で記事を作って報じて、幽々子様が面倒くさがってこの遊びをやめてしまうよりも……」
「2度3度繰り返すようで、後戻りしたくない程のめりこんだ頃に来た方が、話題性はもっと大きいし、その話題の熱はすぐには冷めずに維持される」
妖夢の言葉を継いだ幽々子は、よくできましたと言わんばかりの表情を浮かべていた。
「のめりこむおつもりですか」
「とりあえずゆるふわゆゆこさまに戻るまではね」
流石に少し慣れてきたので、算を乱す程には至らずに受け止めることが出来た。
「では、幽々子様……「こちらの都合の良い」文の動き方とは一体……?」
「今は秘密よ」
「あら、いらっしゃい。 珍しいわね、貴女達が揃ってくるなんて」
アリスは突然の訪問も快く出迎えてくれた。
家の中は片付き整っている。
魔法の研究中であれば物が散らばり人形がせわしなく動いていたりするが……
「丁度暇してた所なのかしら?」
「まぁね……とりあえず、座っててくれるかしら」
「あ、ちょっと待って。 今日はお土産があるのよー」
幽々子の目配せで、妖夢が羊羹を取り出す。
「最近幽々子様お気に入りの羊羹です」
受け取って、アリスは目を瞬かせる。
「……丑の刻参りでもするの?」
「貴女、私達をどんな目で見てるのよ……」
アリスの妙な発想に幽々子は呆れたように言う。
「いやまぁ、冗談よ冗談。 妖夢に女の子らしい遊びでも……」
「いいえ、違うの」
もう一度幽々子の目配せ。 今度は持ってきた漫画の1巻を取り出す。
「……? それは……紅魔館で借りてきたの?」
受け取り、パラパラと眺める。
「ふぅん、人を斬らない剣士、ねぇ……」
「パチュリーに頼んで、妖夢向けにって見繕ってもらったの」
そういえばそうだった、胸の内で呟く妖夢。
こちらにお鉢が回っていたら最初から目的を素直に言っていただろうと肝を冷やす。
「つまり、このキャラクター達の人形……あ、違うのね」
アリスの言葉の途中で幽々子は首を横に振った。
「人形じゃないわ。 服よ」
「服かー……え!? 服ぅ? 貴女達のサイズでよね……? なんでそんなのを」
余程想定外だったのか素っ頓狂な声をあげるアリス。
「ふふ……私を見て何か違うと思わない?」
と、そこからは至って素直な話の流れとなった。
これまでの事を隠さず正直に語ったのだ。
てっきり何か上手く誘導していく形を取るのかと思っていた妖夢は少し拍子抜けした。
「要するに、言うなれば実物大にして本人が行うお人形遊びみたいなものね」
「ええ、そういう事よ」
合点が行ってすっきりしたようでアリスの表情は晴れやかだ。
「暇してたし、いいものもらっちゃったし……わかったわ、受けるわよその依頼」
アリスがすっと腕を動かすと、間もなく採寸用具を持った人形が部屋に入ってきた。
「ま、羊羹1つじゃちょっと不足ね……出来上がったら届けに行くから、どんなものか見せてもらおうかしら」
魔法の森を訪ねたのは朝だったが……
「出来たわよー」
夕方にはもう届けに来た。
「は、早ッ!?」
出迎えた妖夢が驚きの声をあげる。
てっきり途中の段階で何がしかの不足が出て幽々子に確認をしに来たのかと思っていた。
「暇潰しには丁度良かったし、話聞いたら私も見てみたくなっちゃってね。 急いだわよー?
急ぎすぎたからちょっと時間潰してから来たってくらいよ。 でも、手を抜いたりなんかはしてないから安心して」
「す、凄い……」
何がそこまでアリスに火をつけたのだろう。
気にはなったが、それよりもまずは……
「とりあえず、幽々子様に試して頂きましょう」
普段なら着付けなどは妖夢が行う所だが
「貴女は幽々子の変身を楽しみに待ってなさい」
と、アリスに制されて別室で待つ事になった。
アリスの説明が聞こえる。
「資料にと置いてってもらった漫画を参考にしたんだけど、色は幾つかあったようだから……目立つ色では扱いにくいでしょうと思ってね、指定もなかったから一応藍色を選んでおいたわ。 ……このでっかいのはサラシを強めに巻いて幾分か誤魔化すわ。 キツいけど我慢してね。 それと……これはサービスよ。 貴女の髪の長さじゃあれを再現するには足りないから……こうしてくっつければ、っと……ほら、長くなった。 それと傷は……落書きじゃ難だし、ちょっと化粧で…………よし、これでいいわね。」
程なくして襖が開かれた。
「妖夢殿、どうでござるか」
などと口調を真似てみせる幽々子。
「幽々子様……!」
昨日とはうってかわって様になった姿に妖夢は感無量といった様子だ。
「しっかりしたものを用意してもらうと随分違うわねー。 間に合わせでなんとかしようとしても土台無理だった、と」
ぽん、と、うつむいたままの妖夢が幽々子の肩に手を置く。
「どうしたの?」
「幽々子様……」
顔をあげる妖夢。 なにやらとてつもなく良い笑顔で……
「ちょっと庭に出て現世斬りましょうか」
「うわぁい」
思わず妙な声が出た。
「え? 現世斬るって……」
「大丈夫ですって、ちょっと現世斬のあの勢い使って 飛天○剣流・九○龍閃! って叫んで頂くだけですから!」
「あ、そういう事ね、でも急にそんな事言われても」
「いけますよ、おじいちゃんと私とで剣をお教えして……それにおじいちゃんは昔言ってました! 最後は修行を信じて出来るという気持ちで挑む事が大事って! 気合があればなんでも出来るって!」
「いやちょっと蛇足がついてないかしら、むしろ言ってたかしら」
「もうやってくれたら特別に魂魄流検定みょん段差し上げますから!」
「軽いわね魂魄流! いえそんな流派名乗ってた!? しかもみょん段って!」
喧騒を背に、アリスは座布団に正座して用意してあったお茶をすする。
「……受けてよかったわね」
満足げにニヤリと笑みを浮かべ、騒ぐ主従を眺め続けた。
結局本当に九○龍閃もどきを披露する羽目になった。
妖夢の喜びようたるや凄まじく、アリスの手を取りお礼を言って涙を流す程であった。。
騒ぎ過ぎたせいかひとしきり堪能した後どっと疲れが来たようだったので先に寝るよう促して、それを機にアリスも帰って行った。
「いいもの見させてもらったわ、とりあえず次回は無料でやってあげる」
感極まった妖夢の言動とそれに振り回される幽々子の構図がよほど楽しかったらしい。
夕方頃から始めていたが、普段着に戻り片づけを終えてもまだ三日月が低い空に見える。
先程までの騒ぎもおさまりすっかり静かになった白玉楼の縁側で一人、御猪口を傾け星空を見やり物思いにふける幽々子。
(まさかあんなに気に入るなんてねぇ)
パチュリーへの依頼の中で「刀を振るう者」という表現をした。「剣士」を避けて。
こう記しておけばおそらく侍や武士といった類が登場するものが選ばれ、妖夢にも馴染みやすいかと思っての事だった。
果たして狙い通りに剣客が主人公の話だったが、真似てみて妖夢があれ程喜ぶのは予想外だ。
(考えてみれば……納得はいくけれど)
親近感のわきやすいであろう舞台設定や人物
幼い頃から自分との主従関係の中で育ってきた妖夢からすれば、主人公を見て「こういう人が身近にいたら」といった気持を抱いたかもしれない。
父として? 兄として? 作中のように居候として?
いずれにせよ意味合いは似通っていると見える、それを主であると共に家族同然の自分が演じたとあれば……
(なんだか、昔を思い出す目をしてたわね)
妖忌につれられた幼い日の妖夢、自分の主でゆくゆくはお前の主でもあると紹介された時に憧れの人が目の前に、といった様子で目を輝かせていた。
(……あら?)
ふと、気付く。
小言や説教ばかりで苦手意識すら持っていた。 不甲斐ない主という扱いを受けているように思いつつ、自覚もあったが……
(妖夢には良く言ってくれてたのね)
妖忌や妖夢の事を考え、懐かしみ、それを肴に呑んでいたら少し量が過ぎたようで遅めの起床だった。
妖夢は既に朝の仕事を終えたようで庭で剣を振るっている。
……が、妙だ。
昨日の今日とあっては龍○閃シリーズ辺りを見よう見まねで練習して楽しそうにしていそうなものだが、ただ素振りをしているだけの上に、自分が見てすら雑念が入っている……というよりも雑念の塊が剣を振ってるようにすら見える。
昨日は幽々子様に無礼を働いてしまった、と落ち込んでいるのだろうか。
「妖夢ー♪」
気にする事はないとばかりに笑顔で話しかける。
「あ、幽々子様」
手を止めた妖夢に抱き着き、撫でる。
しかし妖夢の様子は変わらず暗い。
「どうしたの?」
「……お願いがございます、幽々子様」
「え? 次はあの「こんなところで朽ち果てる己の身を呪うがいい」の人を?」
「はい」
予想外の所で何か悩んでいたらしい。
「早苗に見せてあげよう、って事……よね。 でもどうしてそんな思いつめた様子で?」
「実はですね……」
昨日は早くに寝た事もあってとても晴れやかな気持ちで早起きし、上機嫌で過ごしていた。
幽々子とあの漫画についてまた語らいたいと考えたり、龍○閃シリーズを会得して自らの技に組み込めるようにしようかと考えたり、更には主従間のみならず友人達とも語らいたいと考えた。
しかしあれは外界のもの。 紅魔館の図書館で借りる事が出来たが他は……
香霖堂……は、おそらくない。
図書館とかぶる上に道具でもない、見つけたとしても敢えて並べるものでもないだろう。
他に誰かが持っている、あるいは触れる機会があるとしたら?
……ないのではなかろうか。
図書館でなら読める、読めるが、あそこは広く蔵書が多い。 多すぎる。
自分達のように目的を持ってあれにたどり着くのでもなければ、
ただぼんやり大量の蔵書からあれを手に取り読むという事もないだろう。
つまり、よそで語らい盛り上がる事は――なんとか皆に広める事が出来れば別だが現状では――実質的に不可能。
可能性があるとすれば現代の外界を知っている早苗……
「そこで、気付いたんです」
早苗の誰もついて来られない話は……
「好きなものの事で誰かと話したいけど、誰も知らなくて寂しい思いをしてるんじゃないか、って……」
二人で漫画を読み、のめりこみ、幽々子の衣装をこさえて物真似で大いに盛り上がった。
だが、もしこれを一人でやっていたら? 誰とも話す事が出来ず、ただ自分の内に抱えているだけだったら?
もどかしさに身を焦がす思いに襲われるだろう、すっきりしないあまり斬ってしまうかもしれない、いろいろと。
妖夢の思いを聞いた幽々子は、目を閉じる。
少しの間何か考えていたようだが、やがて目を開き、言った。
「そうね、貴女のその気遣い、現人神に届けましょう」
……と、言ったにも関わらず、幽々子は出かけるとは言い出さなかった。
妖夢にはとりあえず待機という事で普段通りにと指示を出したが、
本人も自室に居たり出てきてうろうろしたりつまみ食いをしていたり、どう見ても暇な時の行動をしている。
しばらくは言われた通りに過ごしていたが、やがて妖夢も痺れを切らし、何をしようとしているのかを問おうとした。
が、丁度そのタイミングで
「幽々子様ー?」
いない。 いつの間にか幽々子がいない。
つい先程までは何度も――敢えて鉢合わせるように狙っているのかともちらりと思った程――見かけていたというのに。
ひとしきり探して、実は一人でこっそり何かをしに出かけたのかと思い始めた頃。
「出かけるわよ、妖夢」
いきなり後ろから話しかけられた。
「ゆ、幽々子様!? 一体どちらへ……!」
「紅魔館」
どこに行っていたのかという疑問を敢えて無視したのか、悪戯っぽい笑みを浮かべて答えた。
もう紅魔館が見えている程に移動してきた所で、先程の幽々子の行動の背景が語られた。
「そうでしたか、紫様に教えて頂いたのですね」
暇そうにしていた事も、急にいなくなった事も、急に現れた事も、急に行先を決めた事も全てそれで納得できた。
外の事を知っている者となると限られるが、直接出ていく事すら出来る紫であればこれ以上なく頼りになる。
訪ねるのが面倒だったので、境界を操る程度の能力で呼び出すようにと何か合図を送っていて、実際呼ばれるまでの間暇だったのだろう。
「そこまで調べてくれるんだから、ついでに外からちょっと拝借してくれればいいのにねー」
「うーん、あんまり直接干渉してはいけないんでしょうか」
「ちょっとくらいいいわよねー」
不満を言うが、妖夢に言っても仕方ない。
「……なんだか、迷ってるみたいだったのよね」
「迷ってる? 紫様が?」
頷く幽々子。
「そうなのよ。 事情を知ってて渋ったみたい。 結局はこうして紅魔館へ行けばいいという所までは手伝ってくれたけど……「これきりにして別の遊びを見つけなさい」……ですって」
妖夢にはわけがわからなかった。
幽々子もその意を知ってか知らずか不満げだ。
あの妖怪の賢者には一体何が見えたのだろう。
紫の懸念、否が応にも不安が鎌首をもたげる。
が、それをかき消すように
「こんにちわ、幽々子様、妖夢さん」
眼前に迫った紅魔館、門番・美鈴から声がかかった。
「こんにちわー。 うん、貴女のさわやかさは悩みを吹き飛ばすわね」
急に妙な褒め方をされて美鈴は首をかしげる。
「お褒めに預かり光栄です!」
しかし快活にお礼を言う。
「どうせ私はうじうじしてますよー」
妖夢がいじけたような仕草を見せる。
「あら? 貴女だって私からすればさわやかよ。 隣の芝生は青いって言うじゃない。 妖夢にはしない褒め方を美鈴にしたように、しばらく交換でもしたら美鈴にしない褒め方を妖夢にするわ」
「交換だなんて縁起でもない事言わないでください!」
いきなり始まった主従漫才を美鈴は楽しそうに聞いている。
「妖夢さんは幽々子様から離れたくないんですね」
ともすれば紅魔館で働くという事を毛嫌いしているとも受け取れてしまうような力強い否定を、美鈴は好意的に解釈した。
「そうそう、親離れ出来ない子供みたい」
などと言って幽々子は笑ってみせる。
「おふざけが過ぎます。 親というよりもやんちゃ盛りなままの姉です」
「あらあら、若く見てくれてうれしいわ」
ささやかに抵抗してみせる妖夢だがあっさり流される。
ふてくされたようにそっぽを向いてしまった。
困ったように笑みを浮かべる美鈴。
「幽々子様髪型変えました?」
話題を変えるように切り出した。
「ええ、ゆる ごほん! ……香霖堂で癖のある髪を矯正する薬、ってものを見つけてね」
いじけた妖夢の力強い視線に圧倒されて「ゆるふわゆゆこさま」はお披露目されなかった。
「へぇ……よくお似合いですねぇ。 あまりに自然で気が付くのがちょっと遅れました」
「それはどうも」
と、妖夢に褒められた例の表情を作ってみせる。
「おおー……」
似合っている、という事か。 感嘆の声を漏らすばかりだ。
「……今日のご用件はお嬢様に?」
「いいえ? 図書館へ」
「わかりました。 それなら恐らく心配はいりませんが、もしお嬢様とお会いしても……その……」
言いにくそうに言葉を濁す美鈴
「どうか、今の仕草はお嬢様の前ではお控え下さい。 さっきの話じゃないですが隣の芝生が青く見えてこだわりだして、咲夜さんが苦労するかもしれませんので」
門をくぐり、館内へ向かう途中……
「ねぇ……妖夢」
「なんですか?」
妖夢の機嫌はまだ悪そうだ、が、幽々子は構わず続ける。
「美鈴は多分、貴女に届けてもらった羊羹を食べられてないわよね」
「え?」
その言葉に不機嫌など吹き飛んだように、思わず門の方を見やる妖夢。
「だってあの娘がお礼を言わないんですもの。 ……隠して通ったのは正解だったみたいね」
「羊羹有難う、とてもおいしかったわ。 上の連中に知らせずに全部頂いてしまう程に」
パチュリーの第一声が幽々子の予想を裏付けた。
美鈴が何らかの罰を受け、本館での出来事から遠ざかっている間に皆が食べていたのかと思えばそうではなかったようだ。
「あれを貴女が全部……?」
意外だという意識を隠さぬ声音で幽々子が問う。
「頭を使うには甘いものを摂るといいのよ」
「じゃあ私も暗躍しようとするならたくさん甘いものを食べないとね」
太鼓判を得たと言いたげに得意そうに妖夢を見やる幽々子。
「というのは冗談。 貴女は亡霊、私は魔女、在りようは違うけれどどちらも食事は必要ない。 おいしかったから小悪魔と、あと押しかけてきた魔理沙とで食べてしまったのは本当だけど」
それを聞いて幽々子は肩を落とした。
「うう、援護射撃を得たと思ったら狙われたのはこちらだった気分だわ」
「世の中そう甘くは無いという事ですね」
逆に妖夢が得意げな顔をしてそういう。
と、そこへ……
「白玉の者達は挨拶すらしない不作法者なのか?」
明らかに怒気を含んだ幼い声が響いた。
紅魔館の主・レミリアだ。 従者・咲夜を伴い不機嫌そうに歩み寄ってくる。
妖夢はその不機嫌の理由をはかりかねて慌てるが、咲夜の凛々しさを見てなんとか平静を装う。
「大した要件でもありませんわ。 故に、ご多忙であるスカーレット嬢を煩わす事もない、と」
対して幽々子の表情はにこやかだ。
こう来られると例の凄味の効いた表情を見せる所だろうが、先程の美鈴の言葉もあって我慢しているらしい。
「ここへ来て私の顔も見ずに帰る事は無礼に値しないとでも?」
「紅魔館、白玉楼……更にはこの幻想郷に住まう輩達……その繋がりには上も下もなく、かつてこの国が大陸にとった礼のようにお伺いを立てご機嫌をとる必要などないわ」
一触即発、といった空気。
妖夢としては逃げたいくらいだ。 何故咲夜は涼しい顔をしていられるのだろう。
助け舟はと――内心の焦りを悟られぬよう極力小さく――辺りを見回すと、蚊帳の外では小悪魔が慌てふためき、パチュリーが我関せずと本に視線を落としていた。
おもむろに幽々子が咲夜に向けて手招きしてみせる。
レミリアの前へ出て主へ一礼し、幽々子に近づく。
幽々子が耳を貸せ、といった手振りを見せると顔を寄せた咲夜へ何か囁いた。
咲夜は頷く。 そして逆に幽々子の耳元で何か囁く。
再び幽々子から咲夜へ耳打ち。
そして幽々子に一礼してレミリアの元へ戻り、何か耳元で囁いた。
怒りもどこへやら、一瞬にして赤面するレミリア。
「というわけだから、余所行きの主面なんてやめましょ。 杯を交わした仲だしね。 お詫びと言っては難だけど面白い遊びを紹介するわ」
……
「成程、コスプレという奴ね」
昨日の件を――妖夢の舞い上がり様は端折って――話すと、まずパチュリーが声を発した。
「物語の登場人物の衣服などを再現し、作中における台詞や行動を真似て楽しむ遊び」
レミリアと咲夜に向けて、補足する。
「実はそれが目的で本を借りたの?」
「いいえ、違うわよ。 飽くまで妖夢のため。
そのコスプレというのをする事になったのはおまけよ。 私ならこれが出来るんじゃないか、ってね」
と、返却のために持ってきた漫画1巻の表紙を指差す。
「和装で刀を持った男性……確かに」
幽々子に少し長く視線を置く咲夜。
「パチェ、私には何が似合うかしら?」
レミリアは早速試してみたいらしい、どことなく楽しそうだ。
「レミィに、ねぇ……ちょっと探してくるわ」
席を立ち、書架の奥へと飛んでいく。
「あ、だったらついでに探してもらいたいものがあるのよー」
幽々子がその後を追っていった。
咲夜が微かに視線を向けた。
「では、お嬢様、その「コスプレ」に使えそうなアクセサリーを幾つか見繕って参ります」
「ええ、行ってらっしゃい」
立ち上がり、一礼。 直後、咲夜の姿が消えた。
時間を止めて移動したのだろう。
……そして残される紅魔館の主と白玉楼の従者。
(な、なんだか気まずい……)
もう静まってはいるようだが先程はかなり怒っていた。
今にして思えば「挨拶をしない」「顔を見せずに帰る」といったフレーズがあった。
(もしや先日私がここにだけ現れて帰って行った事も原因の一つ……?)
そう思うと責められそうな気がしてくる。
「……まぁ、その……退屈でいる事も多いのよ」
ぽつりと、呟くようにレミリアが言った。
妖夢が顔を向けると、ぷいっとそっぽを向いてしまう。
「来たのなら、少しくらい話でもしていきなさい。 用がないとばかりに素通りされては……寂しいものなのよ」
やけにしおらしい。 先程咲夜が何か言ったからだろうか。
「……幽々子様の命で来たのだからと、帰路を急ぎすぎました。 その節は、申し訳ありません」
頭を下げる妖夢。
「解ってくれればいいわ。 うーむ……逆に咲夜を白玉楼に使いに出す時は少しゆっくりしてくるようにと命じておこうか……」
照れくさいのか、レミリアはそっぽを向いたままそう言った。
幽々子とパチュリーが戻ってくると、幽々子は既に本を携えていた。
「見つけてもらったわよー」
「有難うございます、パチュリー」
妖夢にお礼にパチュリーはこくりと頷く。
「じゃ、次行くわよ」
「え? もうですか?」
紅魔館の面々がどうするのか、これから楽しくなる所だというのに。
妖夢としては居座って参加するだろうと思っていたので意外であった。
「そうよ、折角だしゆっくりしていきなさいよ」
レミリアも不満げにそう言う。 が、幽々子は首を横に振った。
「貴女達がどんな格好に変身するのかを今知ってしまっては勿体無いもの」
「む、それもそうね」
意外とあっさり引き下がった。
「じゃあ今度は「コスプレ」をお互い披露しよう。 幽々子、あんた自分でやるだけじゃなく妖夢にもなんか用意してやんなさい」
「え、わ、私もですか?」
「勿論よ。 パチュリーが幾つか見つけてくれたから後で選びましょ」
館を出る間際、手提げ袋を持った咲夜に声をかけられた。
「おや? もうお帰りですか」
「ええ、貴女達が何の格好をするかこれから決めるでしょう? それを知らずにいるために早めの退散をとね」
ふと妖夢は思った。
図書館を退出するのに時間を止めて移動したのなら、小物集めもそのまま時間を止めて済ませれば、あたかも一瞬で済ませたように戻って来られたのではないだろうか。
「そうですか、またいらして下さいね」
「次はお互い「コスプレ」を披露しよう、ですって。 楽しみにしてるわねー」
時間を止めて移動したらしく、扉の前に先周りした咲夜がドアノブに手をかける。
「それでは、お気をつけてお帰りを」
扉を開き、横に控える咲夜。
「ええ、有難う」
掌を挙げながらそれに応えた。
「こちらこそ」
ぴたり、と幽々子が止まる。
急な事でその背中にぶつかってしまった妖夢。
「やっぱり、聞いてた?」
「はい、私の目の黒いうちはこの紅魔館で隠し事は出来ぬとお思い下さい」
レミリアの怒りを静めた際のやり取りといい、館を出る間際のやり取りといい、妖夢には解らない事が多すぎた。
それを正直に話すと、幽々子は説明を始める。
「まずレミリアが怒ってたのはー……」
何から話すか考えたのか幽々子の発言は一拍途切れ、そこに妖夢は敢えて割り込んだ。
「怒ってた事自体は、私のせいでもあると思います。 幽々子様がパチュリーの後を追ってから咲夜も席を外して二人だけになったんですよ。 そうしたら、来たのなら少しくらい話でもしていきなさい、無視されると寂しいのよ……って」
「あら、あの子そんな事言ったのねー」
嬉しそうに幽々子は笑う。
「そういう事なのよ。 挨拶をしないのかーとか、顔を見せずに帰るのかーとか言ってたじゃない?」
「ええ、それがあったから、前回本を借りに来た時に図書館だけ行って帰ったのがまずかったのかなと思ったんです」
「要するに、あの子は私達を友達だと思ってくれてるわけ」
正直言って意外だった。
幽々子に対してはそう見てもいるだろうとは思っていたが、紅魔館の主・白玉楼の従者と立場に隔たりがある自分へもとは。
威厳に満ちた態度を維持しようと頑張っているレミリア、故に立場の差は常にある壁という意識があった。
「ただちょっと問題があったのは、出てきた時のあの態度」
「紅魔館の主だぞーって感じが凄かったですねぇ」
見た目が幼いせいか、レミリアは主である事を・紅魔館を背負っている立場なのだという事を振りかざす節がある。
そうでないといけないという意味もあるのだろうとは、妖夢も思う。
自分の主たる幽々子が主らしくない振る舞いばかりとそばで見てよく知っている。
それを外部の誰かが知って、すなわち「白玉楼」が大した事ないと舐めてかかられるわけにはいかない。
レミリアはそこの苦労がこちらよりも大きいのは明らかだ、故に尊大に振る舞い続けなければならないのだろう。
そこまで思い至り、気付いた。
だからレミリアは「立場の差は常にある壁」と自分が思うような振る舞いをしながらも、友達と思ってくれていたのだ。
「だから私も「白玉楼の主」をやらないといけなかったの」
なんとなく解った気がした。
「公的な立場で出てきた以上、合わせておかないと、あそこで下手に出れば「白玉楼は紅魔館より下の立場である」という意味になりかねない……」
幽々子は嬉しそうな表情を浮かべる。
「ご名答、だけど……勿論私だってあの子を友達だと思ってるから、そういう立場で話してるとこじれちゃうのよね、それで咲夜に助けを求めたのよ。 やり取りはこんな感じね……」
「来たんだったら会いに来てくれないと寂しい、って怒ってるんでしょ?」
「ええ、先日も妖夢が無視したってふてくされてました」
「じゃ、寂しがってるって事はしっかり伝わっちゃってるって教えてあげて」
「あー……」
あの赤面は、偉そうにしてて実の所「寂しい」という理由なのが恥ずかしかったのだ。
そう理解すると納得出来た。
「なんだか……偉い肩書きを持ってしまうと大変なんですね……」
「そうね、それが邪魔で上手く付き合えない事だってあるかもしれないわね……じゃ、次、出てくる時のアレ」
「隠し事はさせないって言ってましたけど……何かして、見破られたんですよね?」
門での美鈴とのやり取りは世間話程度、館に入ってからはすぐ図書館へ向かい、少し話していたらすぐにレミリアが現れた。
面白い遊びこと「コスプレ」のくだりは出来事を話しただけで特に裏もない。
「パチュリーの後を追った時に、何かを?」
「そうなんだけど……私、何か怪しかったかしら?」
「うーん……」
常日頃から怪しい、とも思ったが言葉を飲み込む。
「あ、もしかして……追いかける必要がないと思ったのでは? 幽々子様が追いかけたのを少し見てましたから」
「成程ねぇ。 別に後ろめたい事じゃなかったのだけど」
それどころかお礼を言われていた。
「何をしたんですか?」
「本当は今回で同好の士を増やそうというつもりはなかったんだけど、レミリアが来たし、紫にやめるように言われてるし、ここで言っておいてしまおうと方針を切り替えたの。 さっき美鈴が咲夜に苦労かけないように、って心配してたじゃない? 予定外に咲夜の負担になる件を持ち込んじゃった事だし少しは軽減させようと狙って……美鈴が咲夜の働きぶりを心配していたから、なるべく衣装の用意が楽に済むものにしておいてあげてとね」
「それでお礼を言われるのって、私はなんだか申し訳ないですね……幽々子様が紹介しなかったら咲夜の負担もそもそもないんですから」
釈然としない様子の妖夢。
「それもそうだけど、でもこれは誰も損しないわよ? 私達は共通の遊びを出来る相手を得る、あの子達は良い退屈しのぎを得る。 それに咲夜の事だからレミリアを着飾らせる、それも普段見られない姿だって出来る大義名分だなんて喉から手が出る程欲しい所でしょう」
「ああ……そういえば確かに」
美鈴との話の中で聞いた事があった。
レミリアのドレスアップに関して咲夜は、流浪人幽々子を目の当たりにした妖夢程ではないが舞い上がる事があると。
幽々子も妖夢が話して知っている事だ。
後日の美鈴と話す機会に「あれは冗談ですよ」と不自然なタイミングかつ物凄くぎこちないしゃべり方で訂正されたので、言ってはいけない事実だったらしい。
「そういえば、広めちゃってよかったんですか? 紫様にはやめるように言われたのに」
「んー、ああ言った後だからこっちの事には目を光らせてるだろうし、本当にまずかったら止めに来ると思ってね」
しかし止められる事はなかった。
少なくとも紅魔館の面々に紹介する分には問題無い様子。
「……一体何を危惧しているのでしょうか」
「私としては単なる良い退屈しのぎだと思うのだけど……」
幽々子も実は解っていなかったようだ。
向かった先は魔法の森・アリスの家。
「いらっしゃい。 もう次のネタが決まったの?」
「ええ、今回は2人分でね」
応接間に通され、そこで借り受けた本や資料を広げる。
「まず私はこれ」
「……前回はキャラクターの恰好や雰囲気が貴女に結構近いと言えたけど、これはちょっと遠くない?」
言われてみればそうとも思える、と、妖夢は納得した。
見た目に関して言えばせいぜい髪型くらい、件の人物は厳格とも冷徹とも受け取れる近寄りがたさがあるように見える。
対して幽々子は妖夢をして「ゆるふわ」などといわしめたように緩い。
少しくらいなら例の仕草のような演技でごまかせるだろうか、早苗の目は厳しそうに思えて妖夢は一抹の不安を覚えた。
「私や妖夢の希望でというよりは、人に見せるのが目的なのよー」
「ふーん」
次いで妖夢向け、だが……
「実は妖夢の方はまだ決めてはいないの。 折角だからアリス、貴女も一緒に決めてみない?」
「構わないのなら横槍を入れさせてもらうわ」
「決まりね」
幾つかの本と、走り書きのメモ。
挙げられていた案は……
1.異様に長い刀を手にした長い銀髪の男性
2.刺突剣を構えた中性的な女性
3.冒険者然とした服装の少女
パチュリーの簡単な補足説明メモには……
1.人々が憧れる存在であったが、自らの生い立ちを知って以降凶行に走った悪玉
2.妖魔と呼ばれる種族の乗る馬車に轢かれて命を失ったが血を与えられて半人半妖として復活した少女
3.3代に渡り歴史の裏で繰り広げられる戦いの最後の主人公、最初の主人公である祖父と共に敵に立ち向かう
とあった。
「流石はパチュリー、いいとこもってくるわね。 しかも妖夢向けは漫画じゃなくて資料集……用意する私としては全身像が解りやすくてありがたいわ」
アリスが感嘆の声をあげる。
「妖夢はどれがいい?」
「……迷いますね、2番か3番にやや惹かれていますが」
「アリスはどう思う?」
「……そうね、妖夢の場合は普段とかけ離れている程楽しめそうな気がするわ。 となると私のおすすめは……3番ね」
迷う2つの片方の背を押された事で、妖夢の選択は半ば決まったが……
「幽々子様はどうなんです?」
「私? 私が見たいのは貴女がやりたいと思えるものよ」
「……では、3番でお願いします」
「これね、解ったわ。 明日の朝には届けられると思うから期待してて頂戴」
アリスは事も無げにそう言った。
夜、白玉楼の幽々子の部屋にて。
明日は守矢神社に出向く事になるだろう。
それまでに件の人物について知っておく必要がある。
幸いにもというべきか、今回借り受けた漫画は3冊だけだった。
然程時間をかけずに2人共一通り読む事は出来た。
だが……
「幽々子様……妙ですよね」
「ええ……」
出てきていないのだ、あの「こんなところで朽ち果てる己の身を呪うがいい」という台詞が。
「紫もパチュリーも間違えるはずがないというのに」
幽々子は頭の中でここまでの情報を整理する。
台詞は早苗が言っていたものだ、それを自分がなんとか思い出した。
どうすればその人物の登場する物語を手に取る事が出来るかは紫を頼った。
その際には「こんなところで朽ち果てる己の身を呪うがいい」という台詞を放った人物であると伝えている。
紫は渋りこそしたものの結局は協力してくれた。 直接外へ出向いて調べ、人物名と、主人公に敵対する一派の棟梁であるという役割を特定したのだ。
更に、剣客の漫画よりも古い年代に漫画があったようだから紅魔館に行けば同様に借りられるだろうとも教えてくれた。
パチュリーにはその人物が悪玉の棟梁として登場する漫画を出してほしいと頼んでいる。
「引っかかる所があるとすれば……」
宙に視線をやり、指をくるりと回す。
「アリスが、私とは似てないと評した事かしらねぇ」
早苗は髪がストレートであれば似ているというような評価をしていたはずだが、実物を目の当たりにして見比べても然程と思えない。
アリスの言に納得した妖夢もそう思った。
「どこかで……違う人物に当たってしまうような情報のズレがあった……?」
しかしそれも不自然と言えば不自然だ。
「材料が具体的なのよね」
探すに際して唯一の情報は台詞だが、うろ覚えなものでなく始まりから終わりまでを思い出せている。
紫もパチュリーも「2つ3つそれらしいものが見つかった」などとは言わず明らかにこれだと断定していた。
「つまり違う人物にたどり着いているのだとも考えづらい」
ちらりと妖夢を見やる。
何か考えを述べろという意味に受け取ったのか慌てた素振りを見せた。
「あ……えーっと……」
あわよくば何か得られはしないかとすぐに否定はしなかったが、特に何もなさそうだ。
だが制止の言を告げるより先に、妖夢が言葉をつづけた。
「人物が正解だと考える方が自然であるなら、実はこの3冊が全てではない、という事は考えられますか?」
「全てではない……」
「はい……ほら、ここのあらすじに、「倒されていたはずが生きていた」ってありますよね。 えっと、ですから……そう、私達が春雪異変を起こして、後に神霊が湧いた際には幽々子様が亥の一番に疑われたのと逆で……このお話の前に一歩二歩引いた目立たない役柄か何かで登場して、次にこれで悪の親玉として立ちふさがった、と」
「成程ねぇ」
紫とパチュリーを信じているからこそ、受け取ったものが全てと思っていた。
確かに、そういう事であったとしたら「悪玉の棟梁として登場する漫画」と言ってしまえばこれだけしか渡されないし、「悪玉の面々の一部として登場する漫画」があっても知る由もない。
「有難う、妖夢。 おかげで解ったわ」
にこりと笑って見せる幽々子。
「お役にたてましたか?」
「ええ、十分すぎる程に……さて、そうなると別の問題がー……」
ぐでーっとだらしなく畳に倒れ伏す。
「もっと厄介な事でも?」
「完全に的外れな方向へ行ってしまってたなら諦めもついたけど、正解に近い不完全の精度を上げるにはもうあまり時間を割いてられないからー……」
時間がない……今までそんな素振りはあっただろうかと妖夢は考えるが、さしあたって浮かぶ事はなかった。
「ゆるふわゆゆこさまがしゃっきりゆゆこさまになって1日、漫画にのめりこんで1日、初めてコスプレをして1日、同好の士を作って1日……4日間遊び通しよ、明日でなんとか現人神を感動させて一件落着、戯れは終わりじゃーってお仕事に戻らないとー」
ごろごろと畳の上を転がって妖夢に迫る。
「って完全に遊んでたんですか!?」
のそのそ上半身を起こして正座している妖夢に絡み付いてくる。
「まさかー、急ぐ案件はちゃんと合間合間に片付けてたわよ? 期日に余裕のある件をほっといて溜めちゃってるからー……明日もなんだかんだで1日出かけたりしてたら、2日くらいはこもりっきりで片付けないといけなさそうね」
「で、何やってるんですかゆゆこさ、まっ!?」
引きずり倒された。 しかし抱き寄せられる形だったためどこかをぶつけるような事はない。
「働きたくないでござるよ妖夢殿」
「5休2勤なんて三途の渡しすらやってなさそうな予定にしておいて何言ってるんですか……それより答えになってないです」
頭をわしゃわしゃと撫でる。
「憂鬱だから妖夢分を補給していたの」
「そんな栄養素みたいに」
「まぁ……そうね、心の栄養には違いないわ」
そういうと、解放した。
「で、その心の栄養が必要な程の事なんですか?」
すっかりめちゃくちゃにされてしまった髪を軽く手櫛で整える。
「間食みたいなものよ。 必要不要の話ではなく、そういう気分だったからというだけ」
一瞬納得しかけてすぐにハッとした顔を浮かべる妖夢。
「いやそれってやっぱり後に控えたお勤めが嫌で気晴らしをしたって事であって、必要だったから、ですよね?」
「細かい事はいいの」
……
そんな具合に翌日の方針を何も決める事なく朝を迎えた。
幽々子曰く「いずれにせよアリスの到着を待って、後は紅魔館に寄って確認するか、直接守矢神社まで行ってしまうかしかないのだから」との事だ。
「溜まった仕事を片付けた後じっくり確認をしてから、という選択は……」
「紫の制止があるから急いでおきたいのよ。 その理由は私も正直言って解ってないけど」
その「紫の制止」をされるような遊びをあっさり紅魔館の面々に紹介していた割に妙に従順だ。
「じゃあ今回を最後に本当にやめるんですか?」
妖夢としては残念だというのが正直な気持ちだった。
自分の分も用意してもらっているし、主の普段と違う格好を見るのも楽しい。 出来る事ならもっと色々と試したい。
「とりあえず用意した衣装は処分せず取っておいて……後日紫の意図を確認して、それ次第ってところかしら」
「……幽々子様も想像のつかない理由、ですか……」
あの紫がやめろと言う場合……
と、考えようとした所で玄関の方から声が聞こえた。
「アリスが来たようですね」
「あら、これから妖夢探偵の推理が披露される所だったのに。 じゃ、行くとしましょうか」
「はーいお待たせー。 今回も中々の出来よ」
「有難う、アリス」
ご丁寧にリボンで飾った箱にしまった完成品を幽々子、妖夢にそれぞれ渡すアリス。
「で、早速なんだけど……アリスはこの後何か予定はある?」
「いいえ? 相変わらず暇だけど?」
幽々子の衣装は早苗に見せるためのものであると告げ、ご対面に立ち会うかどうかを問う。
「へぇ、すると先日の妖夢みたいなとこを見られるかもしれない、ってわけね」
からかうような笑いと共に妖夢を見やる。
恥ずかしくなって妖夢をうつむいてしまった。
「それを見逃す手はないわ。 是非とも同行させて頂戴」
妖夢の衣装の方は一旦白玉楼に置いて、後でのお披露目となった。
そして移動を始めてすぐ……
「紅魔館には寄っていくんですか?」
どちらへ行くとも言っていない事が気になり、妖夢が訊ねた。
「紅魔館?」
アリスが疑問符を浮かべる。
「実は……」
昨日の一件を――動ける期限が迫っている事も含めて――説明した。
「シリーズものの一部分だったみたいってわけね……」
「紅魔館に寄れば足りない分の確認も出来そうだけど……」
アリスは首を振った。 腕組をしながら言葉を続ける。
「いえ、それは私は反対ね。 覚えてる部分とは違うながらも、そのキャラクターの事は多少知れたわけでしょ?」
「そうね」
「何も1から10までを演じてみせる必要はないわ。 しかも時間がないなら知識の補強をしようにも付け焼刃にしかならない。 その出なかった台詞を確認するのに時間がかからないとも限らないし、 紅魔館での確認作業に時間を割きすぎてたら早苗側に何か用事でもあって今日会うのはもう無理でした、だなんて事になるのもありうるかもしれない」
アリスの提案は今日で当面の目的を済ませるという意味においては合理的だ。
「まぁどっちにしたってね、ちょっとやそっと調べたくらいでマニアと肩並べて話そうったって無理よ」
「そんな事……やってみないと解りませんよ」
突き放すような言い方をするアリスに、自分達なりに精一杯早苗と話が出来るように頑張っているつもりなのを否定された気がして語気を強めてしまう妖夢。
「極端な例えをすれば……そうねぇ……妖夢、例えばよ? ちょっと剣の道をかじり出した素人に毛の生えたような奴が、「上段からの切り下ろしなんて二刀流の小太刀で弾いてしまえば余裕の雑魚」とか得意気に語ってたらどう?」
「そんな簡単なものじゃないですよ」
「そ、何言ってんだかって思うでしょ? 今の貴女達が早苗と同じ位置で話せるとは間違っても思わない方がいいわ」
解るような気もするが、何か違うようにも思えて妖夢は納得しきれなかった。
「じゃ、このまま守矢神社へ向かいましょ」
幽々子がそう結論づけたのなら、妖夢は釈然とせずとも従う他ない。
実際に早苗に対して演じて見せるのは自分ではないのだから、現状で足ると判断したのであれば大丈夫なのだろう。
そんな事を思い、無理矢理納得したふりをした。
守矢神社に到着すると、早苗が境内を掃除していた。
とりあえずお披露目するという目的は叶いそうだと3名に安堵の空気が漂う。
「こんにちは。 ……?」
挨拶の後に二の句が継げずにいる早苗。
面子の珍しさに混乱したのだろう。
「こんにちは。 今居るのは貴女だけかしら?」
「神奈子様と諏訪子様に御用ですか? 中で暇を持て余してとろけていらっしゃいますよ」
「そう、有難う」
早苗は現人神にしてここ守矢神社の巫女であり、そして守矢神社に祀られるは神奈子と諏訪子。
その神たる神奈子が……
「おー、よく来たね、丁度暇してたとこなんだ。 歓迎しよう」
フランクに出迎える。
促されるままに居間へと入り、来客を迎えず居間でだらしなくとろけたままの諏訪子共々ちゃぶ台を囲む。
「……相変わらず神様の威厳を全力で投げ捨ててるわねぇ」
「信仰してくれたら格好付けて見せてやるさ」
見も蓋も無い。 と、妖夢は思う。
しかしこういった様を以前幽々子は、ここに馴染むための手法であり、馴染んだ証でもあると語っていた。
昨日の幽々子・レミリアのやり取りのように公的立場で振舞うべきか否かの違いという事か。
実際、信仰される神としての顔で振舞う時はいかにも力と威厳に溢れている。
「珍しい組み合わせで来て、どうしたの~?」
やはりとろけたままで諏訪子が問う。
「ふふ……暇を持て余した貴女達に笑顔のお届け物よ」
「ほう……一風変わった人形劇で笑かしてくれるのかい?」
「いいえ、笑顔を見せるのは御宅の早苗。 もっとも、私が上手くやれればの話なんだけど」
と、扇子で口元を隠す例の表情を作った。
事情を説明した。
幽々子が髪型を変えた際に早苗の発言を思い出した事。
それをきっかけにアリスに衣装を用意してもらってコスプレをしてみた事。
妖夢が早苗の気持ちを推察し、きっと抱いているであろう寂しさを軽減させたいと思った事。
「というわけで私をこれみたいだって言ってた事があったから、実際にその格好をしてみようってわけ」
と、借りてきた本に登場している例の人物を指差す。
神奈子と諏訪子は互いに顔を見合わせた。
「いやはや、あんたの事だから悪戯でもしてからかうのかと思えば」
「うちの早苗にそんな事してくれようだなんて」
「ああ、なんとも嬉しい話だね。 もうこの場で一献とっておきを振舞いたいくらいだ」
「それは是非とも頂きたい所だけど、流石にこの大仕事の前に一杯、というわけにはいかないわね。 軍神の貴女なら首を取る前の一杯も余裕綽綽でしょうけれど」
神奈子は快活に笑い、諏訪子も満足げな笑顔を浮かべている。
と、ここで少し顔を伏せ、扇子を口元を隠しながらやや上目遣いに二柱の神を見やる。
「先程も言った通り不安はあるの。 好事家が下す評価は往々にして手厳しいでしょう?
早苗からすればこの程度で件の人物の姿をしようなど、と、かえって憤慨する事も有り得ない話ではないわ」
来る途中のアリスの発言を受けての事のようだ。
妖夢は納得しきれなかったが、幽々子は汲むべきと判断したらしい。
「あー、心配はいらないさ。 例え物足りないって思われたとしても私らが後でフォローする」
「難なら私のご利益でそれっぽくしようかー?」
「いえ、それは遠慮しておくわ。 見違えるようにしてもらったら私が演じる意味がないもの」
「ま、細かい事は気にせずにあんたのいつもの茶目っ気でやりたいようにやってくれればいいさ」
「早苗ーお客さんだよー」
と、諏訪子から声がかかって内心首をかしげた。
先程幽々子・妖夢・アリスと珍しい組み合わせの来客があったが、神奈子・諏訪子への用と言って入っていった。
それ以降は誰も訪れていない。
常識に囚われず360度全方位どこからでも訪ねてくる白黒魔法使い辺りが裏からこっそり入りでもしていたのだろうか。
そして何故か拝殿の方へと先導する諏訪子。
入るよう促される。
外からは死角の位置に誰かがこちらに背を向け正座している。
ここでは見慣れない服装……誰だろう
やや離れて置かれた座布団に腰を下ろす。
その音で早苗が来た事を察知してか、ゆっくりとこちらを向いた。
「え……?」
「お前には確かにニュータイプの要素を感じる……共に戦おう、ネオジオンの為に!」
「……な、何やってんですか幽々子さん」
バレた。 いともあっさり。
「……あ、あら? 全然似てなかったのかしら……」
「いやだって格好こそハマーン様でも顔も声もまんまじゃないですか」
眼を瞬かせる幽々子。
「……外の世界の「コスプレ」って、顔も声も弄るものなの?」
「いえ、そこまではしませんけど。 それはそうとなんでそんな……」
「流石は早苗ねー、ちょっと真似たくらいじゃすぐ見破るのね」
と、諏訪子を先頭に外から様子を窺っていた一同が入って来た。
「私のためにそこまでしてくれるだなんて……感動しました!」
背景を聞いた早苗は目を輝かせてそう言った。
「お礼なら妖夢とアリスにね。 ひとえに妖夢が貴女を気にかけ、アリスが衣装を作ってくれたから実現した事だし」
早苗は笑顔で妖夢・アリスそれぞれ手を取りぶんぶんと過剰な程上下に振る握手をする。
「ありがとうございます!」
妖夢もアリスも少し照れくさそうだ。
「早苗も喜んでくれた事だし、さっきの言葉通り、どうだい?」
と、神奈子はいつのまにやら持っていた酒を見せながら言う。
「そうね、頂いていきましょうか」
拝殿での一幕は、ちゃぶ台のある居間では締まらないとの諏訪子の提案だったが
これから酒盛りとあって今度は居間へと移動した。
急な事だったので宴会という程のものではなく、ありあわせの酒肴とでささやかに開始する。
程なくして席の並びの関係もあり、神奈子・諏訪子・幽々子、アリス・早苗・妖夢で話題のグループが分かれた。
「いやぁすぐに気付きはしましたけど正面向いた一瞬はびっくりしましたね」
「前に髪が真っ直ぐだったら~って言ってましたけど、見た目に関してだけ言えば予想通りでしたか」
「んー、見た目が似てる、っていうか……やっぱり衣装の力ですよ」
人形を作っている身として思う所があるのかアリスがうんうんと頷いている。
「姿が違えば印象は全然違うからね」
「成程……」
髪型が違うだけでも印象は違った。 それよりも解り易い服装の影響はより大きいという事か
「おっと、杯が空ですね、どうぞ」
横から酒の瓶がのびてくる。
「あ、ご丁寧にどうも」
早苗もアリスも右側にいるのに左から……違和感を覚えた妖夢が左側を見やると
「って、何当たり前のように参加してるんですか!」
天狗の新聞記者・文がいつのまにやら宴席に紛れ込んでいた。
「そろそろ熟した頃かと思いましてお話を伺いに。 あ、勿論参加許可は頂いておりますよ?」
すっかり保護者会話をしていた主組の方を見やると、気付いた神奈子がとてもいい笑顔で親指を立てた。
……
「ほうほうゆるふわからしゃっきりに……」
「ええ、永琳の薬で……」
(あ、文には言ってほしくなかった……!)
「ふむ、普段と違う姿になったからいっその事更にと……」
「そう、そのために紅魔館へ……」
(あれ? 正直に言っちゃうんだ……)
「白玉楼に謎の剣士! いいですねぇ……」
「あの時の妖夢は凄かったわ……」
(そ、それ以上は……)
「紅魔館にも流行の兆し……」
「内部で流行るのは確実と……」
(咲夜の秘密がバレないといいけど……)
「守矢神社に現れる宇宙軍の首領……」
「残念! ゆゆこさんでしたー!」
(すぐバレるとは思わなかったなぁ……)
……
「ふむ」
手帳に走らせていたペンが止まる。
ぱたりと閉じてポケットにしまい……
「ご協力有難うございます。 これはいい記事が書けますよ」
幽々子・妖夢にそれぞれぺこりと頭を下げ……
「神奈子様も諏訪子様も、宴席に参加する事をお許し頂き有難うございます」
神奈子・諏訪子に向き直りまたぺこりと頭を下げる。
「ん? もう帰るのかい?」
「ええ、名残惜しいですがこれ程のネタ、早く記事を作らねばと魂がうずいておりますので」
縁側まで歩いて一旦振り向き
「では、ご馳走様でした。 お先に失礼致します」
ふわりと飛んで外に出ると、幻想郷最速を名乗る速力フルスロットルで飛び去って行った。
流石に縁側から最大加速すると大変な事になるかもしれないので自重したようだ。
文が出て行って少し経ってから。
ちょっとの酒肴だけではやはり足りなかったという事になり、少しお腹に溜まるものを用意すると席を立った早苗。
この人数分を一人でやらせるわけには、と、妖夢が続き、保護者会話に入る気になれなかったアリスも後に続いて3人で厨房に立った。
「妖夢さん、今回の件は本当に有難うございます」
不意に、早苗がしんみりとそう言った。
「幽々子様の計らいが、たまたま私に気付かせたんです。 それにさっきの繰り返しになっちゃいますけどアリスの助けもなければ実現しなかった事です」
「アリスさんも、有難うございます」
向き直り、深々と頭を下げる。
「私は面白そうだから乗っただけ、お礼を言われる程じゃないわ」
視線が泳ぎ気味だ、照れているらしい。
「妖夢さんの思われた通り、こっちでは全然話せる相手がいなかった事なので……熱く話せる程ではないとはいえども、そのお気遣い、凄く嬉しかったです」
感謝の言葉の中でさらっと、まだ足元にも及ばないと釘を刺されてしまった。
アリスの忠告は早苗の発言によっても裏付けられる形となった。
「うーん、今回私達は本・漫画を探しましたけどそのお話を見るためにはどうす」
「ストーップ!」
より詳しくなるためにはどうすればいいのかと問いかけようとした所を、アリスがやたらと力強く制止した。
「そんな話を今したら間違いなく早苗が食いついて話に熱が入りすぎて料理がおろそかになるわ。 まずはちゃんと作って、持っていって、それをいただきながらその話をしましょ。 お腹をすかせた食べ盛り3人に怒られちゃうわよ?」
調理を済ませて居間まで運ぶ際……
早苗が前を歩いて後ろに妖夢・アリスが続く位置。
こっそりとアリスが妖夢を忠告した。
「一緒に話せるようになりたい、は、結構な事だけど……覚悟しておきなさい、絶対にとんでもなく長い話になるから。 あと、私は助け舟出さないからね。 例のおかっぱ頭の人のお話、私が見たのは設定集だから殆ど知らないし」
……
アリスの忠告通り、早苗のガン○ムトークは俄か知識で突っ込んだ妖夢が困る程に、申し訳なくなる程に、止め処なく続いた。
……
白玉楼に戻ってから。
アリスが用意してくれた妖夢向け衣装を試す気力もない程に消耗してしまった妖夢。
珍しく畳みにぐったり横になっていた。
「……お疲れ様」
流石の幽々子も、困ったような笑いを浮かべてそうとしか言えなかった。
「うう……私が愚かでした。 天の構えからの切り下ろしを小太刀でどころか、示現流の一の太刀を匕首で捌こうとしていたようです……」
「しかも龍巣閃を思わせるような高速乱撃というわけね」
ぐったりしたままごそごそとポケットを漁ると紙片を取り出した。
「ですが、なんとか件の物語の題名を教えて頂きました」
「へぇ、どれどれ……?」
紙片を開き、中身を見る幽々子。
「……ど、どれだけあるというの……ガ○ダム!! ちょっと機動○士量産されすぎじゃないの……?」
「本筋だけでも6つあって、更に派生が大量にあるそうですね。 ……そこに書いた分が全てではないそうです。 しかもこれで比較的古めの部分の一区切り、といった感じらしいんです」
頭痛がしてきたかのような仕草を見せながら紙片をちゃぶ台に置く幽々子。
「アリスの制止も尤もだわ……それにしても、よくこれをちゃんと書き留めておけたわね」
「が、がんばりました」
真面目さと、早苗へ向いた優しさが為せた技か。
「……で、どうするの? 流石にこれ全部追いかけるなんて……」
「ええ、無理だろうと早苗も言っていました。 ですので、もし何かこれを話題の種に盛り上がろうというのであれば、どれか一つに狙いをつけて知る方がいいと」
「どれにするかは決めてるの?」
「はい、私達が見たのはこの本筋の3つ目だったそうなので、1つ目のものを当たろうかと。 より古ければ紅魔館で借りられる可能性も高いでしょうから」
「成程ね」
……そして
翌日・翌々日と幽々子は仕事でこもりきり。
妖夢は翌日朝紅魔館へ出向いて借りた書籍を読み漁り、主従揃って碌に出かけずにいた。
「うー……ん」
守矢神社での一件から3日後の朝。
「はー……疲れたわ。 凄く疲れたわ。 見立て通りに2日で片付けたわよ。 もう一生分働いた気分」
「そんな突っ込み所しかない発言はおやめ下さい」
ねぎらう事なく突き刺さる妖夢の突っ込み。
「ようむがつめたいー」
「半分幽霊ですからね……なんて冗談はともかく、文々。新聞が出来上がっていたようですよ。 それも私達の事の後にも動きがあったようで」
「へぇー、紅魔館の面々が何かしたのかしら?」
白玉楼に謎の剣士来襲!!
過日、白玉楼にて悲鳴があがり、たまたま居合わせた記者が緊急取材に向かうとそこには謎の剣士の姿があった。
駆けつけた時には既に技を繰り出したのであろう残心を見せるその姿。
構えはあたかも白玉楼の庭師兼剣術指南役・魂魄妖夢氏の技を模倣したかのようであった。
これがその様を捕らえた衝撃の写真である。
長い束ねた髪と頬の十字傷、その姿は幕末の世を騒がせた伝説の人斬り・緋村抜刀斎氏その人。
その正体は実は白玉楼の主・西行寺幽々子氏。 これは幽々子氏による姿の模倣なのだ。
幽々子氏曰く外界で一部の紳士淑女を熱くさせる遊び「コスプレ」なるものをしたとの事だった。
※「コスプレ」は他者の姿を借り、その立ち居振る舞いを真似する事を楽しむ遊び
なお、緋村抜刀斎氏は外界の物語に登場する架空の人物であり、実在の人物・団体・事件などとは一切関係ありません。
「あらー? あの時のも見られてたのね」
庭に出て現世斬の動きで九○龍閃を再現させられた時の写真がばっちり載っていた。
とはいえ隠し撮りだったため、既にやや暗くなってきた頃合だった事もあってその写り具合は不鮮明だ。
謎の人物であるかのように演出するにはかえってそれが良いのだろう。
守矢神社に宇宙を股にかける軍の首魁が訪問! 現人神がスカウトされる!?
朝の静謐な空気が支配する守矢神社に謎の女性の姿。
彼女は守矢神社の巫女にして現人神の東風谷早苗氏と面会すると高らかに宣言した。
「お前には確かにニュータイプの要素を感じる……共に戦おう、ネオジオンの為に!」
彼女は小惑星アクシズに拠る組織ネオ・ジオンを率いるハマーン・カーン氏。
宇宙における戦いを有利に進めるべく、東風谷早苗氏の力が必要とスカウトにやってきた……!?
しかしその正体はまたも白玉楼の主・西行寺幽々子氏。
早苗氏が外界の物語である「機動戦士ガンダム」シリーズに熱を上げているという情報を掴み
早苗氏を喜ばせたいという白玉楼の庭師兼剣術指南役・魂魄妖夢氏のたっての希望によりこの面会が実現したのだ。
これには早苗氏も感動し、守矢神社の二柱の神・八坂神奈子氏、洩矢諏訪子氏、衣装提供のアリス・マーガトロイド氏の6名で宴会が開かれた。
※なお、ハマーン・カーン氏は外界の物語に登場する架空の人物であり、実在の人物・団体・事件などとは一切関係ありません。
「ちゃんと妖夢の気遣いも記されてるわねー」
ニコニコしながら妖夢を撫でる幽々子。
「な、なんだかちょっと恥ずかしいですね……と、この2つは私達の事ですが……2日間の間にもう2つ、新しい情報が出ています」
博麗神社についにパトロンが!? 良家の跡取り娘の訪問!
博麗神社に珍しい訪問者があった。
三千院家の一人娘・三千院ナギ氏を名乗る美少女。
そしてそのメイド・マリア氏。
困惑する博麗神社の巫女・博麗霊夢氏にナギ氏はこう語った。
「うちに住み着いてくれたら三食昼寝つきの生活を保証するわ」
文々。新聞を欠かさず購読されているお方はお気づきであろう。
西行寺幽々子氏に端を発したコスプレ遊び、その新たな参加者だ。
今回の正体は紅魔館の主レミリア・スカーレット氏と従者の十六夜咲夜氏。
正体を告げると霊夢氏の表情は困惑からいかにもくだらないといったものに変貌し
「みかんの皮やるから黙って帰れ」
と、けんもほろろであった。
「へぇ、あの子達も様になってるわねぇ」
「み、みかんの皮……」
あんまりな物言いをしている様が記事になっているが、レミリアが霊夢になついて紅魔館に住まわせようと誘いをかけた事があると美鈴から聞いている。
妙な手段をとってまでまた誘ってきた事をくだらないと見たのだろう。
謎の美少女を博麗神社近辺の空に発見!
記者が博麗神社近辺にて取材をしていた所、上空に謎の美少女を発見。
白のワンピースに帽子といった出で立ちでいかにも清楚で控えめといった姿だった。
二重の意味で幻想郷ではなかなか見かけないタイプである。
彼女はしばらく逡巡するように上空でうろうろした後、やがて神社から離れるように移動していった。
この美少女の正体は一体! 続報にご期待頂きたい。
「……誰でしょう、これ」
「博麗神社の辺りなら、魔理沙じゃない? 見せたいけど恥ずかしくて結局帰っちゃったって所かしらね」
「ああ、成程……」
昼過ぎ頃に、妖夢の消耗具合・幽々子の多忙で棚上げとなっていた妖夢の衣装のお披露目が行われた。
妖夢の髪の量では再現に足りないので、アリス特製のウィッグで量を増やす。
「どうでしょうか……」
「いいじゃない妖夢、凄く似合ってるわ!」
幽々子の方も流浪人姿をしている。
この組み合わせでいれば流行り始めた兆しのあるコスプレを知らない者が見れば白玉楼の主従とは気付かないかもしれない。
「パチュリーのメモによると……」
3つのキャラクター案と簡単な解説を記したメモには、演技指導も少しだけついていた。
「ここで毎日ボーッとしてるだけなんて、青春の無駄遣いよ。 パチュリーワンポイントアドバイス、だるそうに言うとGOOD」
台詞と共に、デフォルメされたパチュリーの顔からのびた吹き出しによるアドバイスつき。
「え、あ……演技を、私もですか、そうですよね」
格好だけするつもりでいたようで、演技をと迫られて恥ずかしがる妖夢。
「まだ抵抗があるなら無理にやる事はないわ。 楽しんでやらないと損だもの」
「は、はい……すみません」
肩を落としてみせる妖夢。
不意に、外の方へ視線を向けた。
「……何か、騒がしいですね。 見て参ります」
然程かからずに妖夢は戻ってきた。
しかし……
「妖夢……!? どうしたの!?」
すっかりぼろぼろになっていた。
体中に軽い怪我、衣装もところどころ切れていたり色が擦れていたり、これでは使い物になりそうにない。
「霊夢が、変装を広めた黒幕を出せと……酷く怒っていて……間もなくここへも。 私では止められませんでした」
怒った霊夢が相手では万全の状態の妖夢でも多少の抵抗が精一杯だろう。
ましてや今はコスプレ姿で刀も持たずに出て行った。
「……貴女が気に病む事なんてないわ」
「……うう、アリスが用意してくれた衣装が……」
止められなかった悔しさと、衣装が使い物にならなくなった悲しさとで涙を流す妖夢。
寒気が、した。
顔を上げる。 うっすらと笑みを浮かべる幽々子。
「幽々子……様……?」
「妖夢、楼観剣を……」
圧倒された妖夢は言われるがままに楼観剣を差し出す。
「あ、あの、幽々子様……?」
「大丈夫よ……」
ただならぬ様子の幽々子に遅れて外に出ると、上空で霊夢と対峙していた。
泣き崩れる自分を見て幽々子は本気で怒ったようだ。
発せられる気は普段の主は決して見せないものだった。
怒りのあまり霊夢を能力で亡き者にする気なのではとも一瞬思ったが、背を見送る所で気がついた。
先程の感覚は恐ろしさの中に懐かしさが――覚えがあった。
祖父が、妖忌が技を見せる際に発した剣気に圧倒された、それと同じだ。
「貴女は妖夢の心を踏みにじった。 許せるものではないわ。 ぶち壊しにしたお遊びでもって弾幕を叩きこんであげる! 貴女が泣くまでどころか泣いたってやめないわよ!」
幽々子は飽くまで剣技――を用いた弾幕――で勝負する気であって、霊夢を亡き者にしようと思ったわけではない。
だから「大丈夫」なのだろう。
だが、博麗の巫女には敵わない。
弾幕は次々と破られていき、最後に放った現世斬と九頭龍閃のコラボレーションも虚しく、刹那亜空穴で身をかわし、技の踏み込みの終了地点に設置された常置陣で捕縛され、陰陽鬼神玉を叩き込まれ、幽々子は撃墜された。
奇しくも必殺技同士の組み合わせを、必殺技のコンビネーションで制された形となった。
「普段通りにかかってきたって勝てないのに、借り物の技を使ったって通用するわけないじゃないの。 さて……やっぱりこっちよりもあっちに話つけないと駄目かしらね……」
用は済んだとばかりに、霊夢は飛び去っていった。
「幽々子様! 大丈夫ですか!?」
庭の植え込みに身を預けて目を回す幽々子。
「いたたたた……うーん、ごめんね妖夢、仇は取れなかったわ」
「いえ、そんな……私の事など。 それよりお怪我は?」
「まぁ、弾幕遊びの常というか、貴女みたいに少しだけね。 心配する程の事じゃないわよ」
「そうですか、よかった……」
すっかり毒気が抜けて普段通りの幽々子だ。
安堵は身の無事を聞いてだけのものではなかった。
「しかし一体どうしたんでしょう、霊夢があんな風に襲い掛かってくるなんて……」
「紫の懸念もあったし、あの子の勘が何か危険を囁いたんじゃないかしら」
「そういえば結局その部分は考えず終いでしたね」
「今日はこんな事になっちゃったしゆっくり休んで、明日にでも紫の所へ行きましょうか」
翌朝、早速文々。新聞の号外が幻想郷の空に舞った。
博麗の巫女ご乱心!? 次々になぎ倒されるコスプレイヤー達!
※記事の末項に妖怪の賢者・紫氏より重要告知あり、各位熟読されたし
※「コスプレイヤー」とは「コスプレ」を嗜む者の指す呼び名の事
先日の謎の美少女が博麗神社に現れた。
博麗神社の巫女・博麗霊夢氏のファンだと称するその美少女は霊夢氏の活躍を聞きたいとねだる。
当の霊夢氏は突然見知らぬ少女にそのような事を言われて困惑するばかりであった。
その様を見て美少女は見た目に反してはしたない笑いをもらす。
美少女の正体は白黒の魔法使い・霧雨魔理沙氏だったのだ!
「いやー、霊夢の顔ったら傑作だったなぁ。 どうだ霊夢、お前もコスプレやってみないか? 面白いぞこれ」
すっかり普段の顔を隠す事なく魔理沙氏は振舞っていたが、霊夢氏の様子がおかしい。
「……だー!! 鬱陶しい!! ちょっと黒幕ぶちのめしてくるわ!!」
記者は、すぐ様出て行こうとする霊夢氏に交渉し、密着取材に成功した。
以下にその進撃を記す。
第一の被害者 さいきょーのれいぶん? ないんぼーる?
まず紅魔館へと向かった霊夢氏。
道中に鉢合わせて勝負を挑んで来た氷精・チルノ氏を軽く捻って更に進むとチルノ氏は変身を遂げて再度立ちふさがった!
「デストローイ」
「……」
「ナインボー」
「……何やってんのあんた」
「ふふふ……さいきょーのれいぶんになったあたいが相手だ! 修正してやる!」
流行のコスプレに乗ったつもりなのだろうか、⑨と書かれたダンボール箱をかぶっての登場。
あまりにお粗末としか言いようがなく、残念ながら記者も何を模しているのか解らず終いだった。
当然の事ながらパワーアップを遂げているわけでもなく、再度軽く捻られて「⑨ バカ」と自らが修正される羽目になった。
第二の被害者 華麗な足技を誇る美女警官
紅魔館の危機に門番・紅美鈴氏がその防衛にあたった。
騒ぎを聞きつけて霊夢氏と軽く交戦するも、敗色濃厚と見て引き返すかつての異変と同じ展開。
しかし今回の彼女は一味違った。
今日の美鈴氏は神脚美技とも評される美女警官「春麗」の姿で霊夢氏に挑んだのだ。
「今日はいつもとちょっと違いますよー?」
「そんな真似事なんかして何が違うってのよ」
「いつもあまり見せない足技で攻めます!」
「あまり、ねぇ。 そうでもないと思うんだけど」
足技の封印を解いた(?)美鈴氏の健闘も虚しく、然程の苦戦の様子もなく霊夢氏は勝利を収めた。
第三の被害者 スペルカードキャプター
紅魔館図書館へ進入した霊夢氏。
妖精や小悪魔の防衛を蹴散らしながら奥へ進んでいく。
ここでも他と同様にコスプレをした主がいた。
クロウカード回収に奔走する「カードキャプター桜」に扮したスペルカードキャプターパチュリー氏の登場だ。
「私の書斎で暴れない、と、前に言ったわよね」
「あんたが珍妙な本で変な姿を広めているんでしょう? やめさせなさい」
「ああ、その事ね。 別に私が広めているわけじゃない。 求められて本を見せているだけ」
「じゃあぶちのめして見せるのをやめさせるわ」
元々が魔法使いであるパチュリー氏、一応コスプレしているキャラクターの真似もしているようであったものの正直普段と大差なく
機嫌を損ねた霊夢氏に一蹴されるのであった。
パチュリー氏から衣装提供が魔法の森のアリス氏によるものと聞き出した霊夢氏は一路森へと向かう。
第四の被害者 半人半妖の少女
途中アリス氏の傑作と思われる巨大人形に行く手を阻まれるも、然したる苦戦もなく撃破。
ここでもやはりアリス氏はコスプレをしての登場。 半人半妖の少女「アセルス」の服装だ。
(後の確認によると依頼に持ち込まれた資料のうち使わなかった分で、暇を持て余してたまたま自分用に試作して着てみていた所だったそうだ)
「霊夢? 機嫌が悪いようだけどどうしたの?」
「皆に変な格好をさせるのをやめさせてもらうわ」
「変な格好? ああ、コスプレ……何か問題でも?」
「勧誘が鬱陶しい! それと……いえ、なんでもないわ。 兎に角やめなさい!」
アリス氏のコスプレは剣技を使用する事が多いキャラクターだそうだが、アリス氏の場合自ら剣を振るう事はしない。
そのため元々使用していた剣を持たせた人形を多めに配する事で妥協としていた様子。
アリス氏を撃破した霊夢氏はコスプレの発端が西行寺幽々子氏と聞いて白玉楼へと向かった。
第五の被害者 偉大な祖父と共に戦う冒険者の少女・不殺の流浪人
妖精の攻撃をかわし・撃破しながら進む霊夢氏。
その騒ぎを聞きつけた魂魄妖夢氏が冒険者の少女「ジニー・ナイツ」に扮して登場。
押っ取り刀で駆けつけたようで、しかしその字面には反して刀は持たず、キャラクター小物の杖しか持っておらず然程の抵抗も出来ずに敗北。
霊夢氏は悠々と白玉楼へ。
現れた幽々子氏は先日の人斬り「緋村抜刀斎」の姿で楼観剣を持って現れた。
「貴女が今回の黒幕ね」
「黒幕? いいえ、そんなのは知った事ではないわ」
「コスプレとやら、やめてもらうわよ」
「貴女は妖夢の心を踏みにじった。 許せるものではないわ。 ぶち壊しにしたお遊びでもって弾幕を叩きこんであげる! 貴女が泣くまでどころか泣いたってやめないわよ!」」
これまでの面々は遊びの延長であるかのようであったが幽々子氏の技は凄まじかった。
弾幕勝負の前のやり取りからすると恐らく、妖夢氏のコスプレ衣装がぼろぼろになっていたのを見て怒ったのではないだろうか。
しかし怒っているのは霊夢氏も同様であり、怒った博麗の巫女の凄まじさは皆様もご承知の通りであろう。
妖夢氏と緋村抜刀斎の技を組み合わせた幽々子氏の奮闘も霊夢氏には通用せず、撃墜となった。
第六の被害者 謎の美少女こと霧雨魔理沙
と、ここまでで今回のコスプレの関係者は一通り打ち倒した。
結局の所普段の異変と違い「黒幕を倒せば終わる」ものではないと霊夢氏は思い至ったらしい。
そこでアリス氏に目をつけた。
「本を読む行為そのものにまでケチをつけるわけにはいかないんだから、衣装の供給をやめてもらうしかないわよね」
密着取材をしていた記者に意見を求めるような口ぶりであった。 因みに私は同意を示した。
アリス氏の家に到着すると、そこには先程神社で置き去りにした魔理沙氏がいた。
弾幕勝負でのアリス氏の軽症を治療しつつ、戦場となった家の近辺の掃除を手伝っていた模様。
「霊夢! なんだってこんな酷い事してるんだ!」
「魔理沙……私はアリスに頼み事をしに来たの」
「頼み事だって? 問答無用とばかりにぶちのめしておいて何言ってるんだ」
「邪魔するなら、あんただって容赦しないわよ?」
「やっぱりまだやる気なんじゃないか。 そんなに暴れたいなら相手になってやる」
魔理沙氏もなにがしかのコスプレをしているようではあったものの、別段いつもと変わった攻撃はなく、いたっていつもの魔理沙氏のものだった。
となればお互いに手の内は知っていて一進一体の攻防となった。
「む、ずるいぞ霊夢!」
「何がよ」
「なんか変だと思ったらお前射命丸と一緒じゃないか! それ地霊殿の時の陰陽玉だろ!」
「あー、そういえばそうね、密着取材させろとかって」
「そっちがそういう事するなら私にだって考えがある。 アリス!」
霊夢氏に私がついていると気付いた魔理沙氏、アリス氏に促して人形を用意させた。
「よーし! ありがとなアリス! こっからが本番だ!」
更に続く勝負は熾烈を極めた。
しかし長引くにつれ魔理沙氏の……正しくは人形を通じてサポートするアリス氏の攻撃が緩くなっていた。
それに気付いた魔理沙氏。
「こいつで最後だ! 行くぜ相棒!」
一気に勝負を決めにかかった。
「なんかこう言うの不本意なんだけど。 行くわよ、相棒」
熱い魔理沙氏の呼びかけに対して霊夢氏は本当に不本意といった様子であった。
これには然しもの私も少なからずショックであると言わざるを得ない。
そして軍配は、霊夢氏にあがった。
以上が霊夢氏の進撃の全容である。
勝負がついたタイミングを見計らったかのように、スキマ妖怪・紫氏が現れた。
「はいそこまで。 霊夢、気はすんだ?」
「あー……そうね、あんまり魔理沙が頑張るもんだからつい勝負に熱中して目的を忘れてたわ。」
「ならいいわ。 さて、このままじゃ収拾がつかないでしょう? だから、私から提案」
紫氏の提案はこうだ。
1つ、コスプレは日常的には行わず、宴会の際の座興としてのみ用いる事。
1つ、抵抗を感じる者が座に在る場合は行わぬ事。
1つ、能動的に同好の士を増やそうと持ちかけぬ事。 知らぬ者が知る者へ求める事は認める。
「これなら、霊夢も鬱陶しくはないでしょ?」
「そうね、その程度だったら問題ないと思うわ」
「はい決定」
紫氏は居合わせた私に上記の提案の周知を求めた。
なお、上記の提案に違反した者は発見次第ぶちのめして良いと妖怪の賢者から博麗の巫女へ書面が渡されている。
気をつけよう。 博麗の巫女に次にぶちのめされるのはこれを読むあなたかもしれない。
「紫がおいしいとこ持っていってる!?」
「まだどこかに行くような口ぶりをしていたと思えば、アリスは2度も襲撃されていたんですね、災難な……」
紫が登場している以上、例の今回限りでやめるようにという心配はもう済んだ事だろう。
霊夢に酷い目に遭わされた事から恐らく手遅れだったようだ。
「なんだか……大体片付いてる感じですね、この件」
「そうね、でもまだ解らない事はあるわ。 紫に訊きに行きましょ」
そう幽々子が言って立ち上がろうとした瞬間、妖夢の視界が暗転した。
「!?」
次の瞬間、前方で紫が何食わぬ顔でお茶をすすっていた。
顔を動かさず視線だけで辺りを見ると、どうやら主従共に紫の住処にスキマの力で呼び出されたらしい。
「昨日は災難だったわね」
意地の悪い笑みを浮かべる紫。
「ええ、本当に災難だったわ。 私以外が妖夢を泣かせちゃいけないというのに」
どう突っ込んでいいのか解らないが、突っ込める場面でもないので黙るしかない妖夢だった。
「で、訊きたい事があるそうね」
「結局、なんで貴女が止めたのかが解らないのよー」
あっけらかんとして幽々子は言う。
「例のコスプレ、あれはいわば自らを否定し他人になりすます行為。 人間を筆頭として、それ以外でも貴女達や、他にも多くの者にとってはただの遊びで良い退屈しのぎでしかない……でも、存在の仕方の弱い、力の無い妖怪がのめりこみすぎたら? もしかしたら、ただの遊びのために存在が消えてしまうかもしれない。 そして厄介な事にここ幻想郷は娯楽が少ない。 自分以外の何かになるだなんて刺激的な行為、かなりの規模で流行る事になるわ、おそらくね」
ただの遊びと思っていたら意外と大事だった。
妖夢が幽々子の方を窺うと……ばつが悪そうにしている。
全く気付いてなかったようだ。 そんな主を尻目に妖夢が問う。
「それ程の事だというのに、どうして早苗の件を手伝い、紅魔館での紹介を見過ごしたんですか?」
「守矢神社の面々は比較的新参者でしょう? しかも博麗ののっとり未遂・地獄烏への力の譲渡、間接的にはその後命蓮寺の件にも関わって色々事を起こしている。 それでも彼女達は既に馴染んできてはいるけれど、古株の貴女達との仲が深まるのは歓迎すべき事。 それに幽々子が可愛がってる貴女の気持ちを無碍に扱いたくはないじゃない?」
真面目な顔で話していたが、最後のくだりは妖夢に優しく微笑みかけて言った。
「だから貴女達が白玉楼にこもってる間に、丁度幽々子が紹介して乗り気になってた紅魔館の面々……はほっといてもやるとして、それに加えて魔理沙、彼女達が霊夢にコスプレを見せに行ったら、私の心配を博麗の勘で何か察してくれないかと思ったんだけど……」
深く、ため息をついた。
「いきなり発端と流行の発信元を全員ぶちのめしに行く程、とは思わなかったわ……鋭すぎるのも考え物かしらね」
「魔理沙が霊夢にコスプレを見せに行くように、って、何かしたんですか?」
「ああ、それは簡単よ。 幽々子がしたように、質の高い衣装を使ってやろうとすればアリスを頼る可能性が高いからという事でアリスの所へ行って、さも訳知り顔といった風情でコスプレを広めるつもりはあるのか訊きながら、「コスプレだという事にして魔理沙に女の子らしい格好をさせるチャンスじゃないかしら?」って焚き付けただけ。 アリスは別に広めようって気はなかったようね、頼まれたら対価次第で用意するかもしれないって程度で」
新聞の号外からすると魔理沙も何か演技をしていたようだが……
(じゃあもしかしてその大人しい美少女って)
アリスの趣味なのだろうか。 何か、秘密を知ってしまったような罪悪感を抱く妖夢だった。
話が逸れたと見てか、幽々子が復活した。
「おかげで解ってスッキリしたわ。 紫にも面倒かけちゃって悪かったわね」
「こっちも楽しんでたから、お互い様って所ね」
幽々子と妖夢をスキマで送り出した後……
「ま、半分は魔理沙を取られたような気持ちがあったんでしょうね。 勘と入り混じって、魔理沙を取られたと思って怒ってるようにしか思えず、そんな自分が不可解でもっと怒った、と」
お茶をすすって、紫はゆっくりと大きく息をついた。
「鋭い事よりも、素直じゃないって事の方が考え物かしら」
ただちょっと詰め込み気味かな。コスプレもそれにいたる経緯も、メリハリをつけて、
一番見せたいのはここ! みたいにはっきりしていれば、もっと面白かったかも。