Coolier - 新生・東方創想話

495年の孤独

2013/08/25 12:27:57
最終更新
サイズ
398.57KB
ページ数
1
閲覧数
6190
評価数
17/36
POINT
2190
Rate
11.97

分類タグ

*残酷描写があります。
*俺設定強めです。

チャプターから飛べると思います。

0「情緒不安定な夜の花」
1「好き? 好き? 大好き?」
2「ぶきっちょな羽根、おおきな羽根」
3「薔薇食いの怪物」
4「赤い悪夢」
5「世界の終わりにあなたとふたりでいる夢」
6「まくろきかいぶつのささやき」
7「さかしま少女領域」
8「ラット・レース」
9「天使と怪物」
10「星空のオーヴァードライブ」
11「奈落」
12「The Show Must Go On(ショウは最後まで続けなければならないのです)」
13「登場、博麗の巫女」
14「レミリア・スカーレットの憂鬱」
15「レミリア・スカーレットの動揺」
16「もうひとつの赤い悪夢」
17「夢の終わり」
18「それから」





0「情緒不安定な夜の花」

 いつものように、フランは自分の分身たちと遊んでいた。
 地下室に作られた擬似的な幼稚園の校庭で、自分自身の姿をしたものと、かくれんぼをしたり、おにごっこをしたりしていた。隠れるほうも探すほうも自分だから、どこに隠れているのかすぐにわかるので、あまり面白くなかった。かといって、ぬいぐるみ遊びも、もう飽きてしまっていた。
 だから彼女は、最近お気に入りの遊びをすることにした。
 分身のひとりを目の前に座らせて、いつもの服を脱がし、代わりにふわふわの桃色のドレスを着せて、その金髪に水色のかつらを被せる。背中には、自分の、骨組みのような形をした羽根に、ダンボールで作ったコウモリみたいな羽根を貼り付けた。
 たわいもない工作だった。だけどこうして着飾った分身は、姉のレミリアに、驚くほど似ていた。
 フランは、そのことがとても嬉しかった。
 そして、自分自身は、古ぼけた狐のお面を被った。こうして「フランドール」が消え去った世界で分身と遊ぶと、まるで本当に姉と遊んでいるような気になった。
 でも、おねえさまだけじゃ、ちょっと物足りないな。
 おねえさまの側には、やっぱり咲夜がいないとね。
 フランは、別の分身に、メイド妖精から借りたメイド服を着せて、銀色のかつらをかぶせてみた。
 似てないだろうな、と思っていた。まず背丈が足りないし、顔つきがまるで違う。
 咲夜の顔は、私より、もっともっと、きれいだから。
 だけど、思ったよりも面影があることに、フランは驚いた。
 どこが似ているのだろう、と不思議に思ったけど、とにかくうれしかったので、さっそく「ごっこ」遊びをすることにした。
「低い声で、フランさま、って呼んでみて」
「フランさま」
「ちょっと違うなあ。ほら、咲夜は、もっと、氷みたいに落ち着いているじゃない。ほら、なんていうか、目だってお月様みたいにきれいで……」
 フランは、分身の目を見た。
 ……そうだ。目だ。
 わたしと咲夜は、目が似ているんだ。
 自分の目はガラスみたいで作り物っぽく見えて好きじゃなかったけど、こうやってみると、咲夜の目とそっくりだ。
 フランは、とてもうれしくなった。あの咲夜とおそろいの部分があるなんて。
「フランさま」
 メイド服を着た分身は、ちょっと低い声で言った。
 あは、とフランは笑う。本物にはぜんぜん届かないけど、ちょっと似てきた。
「もっと言って」
「フランさま」
「もっと」
「フランさま」
「もっと」
「何言わせてるんだ。死ねよ」
 声のほうを振り向くと、姉の姿をした分身が、苛立ちで眉をゆがめていた。
「ほんと気持ち悪いやつだな。こんな遊びの、どこが楽しいんだよ?」
 いつの間にか、ほかの分身も姉の姿をしている。
「そんなだからおまえはずっとひとりぼっちなんだ」
「おまえにはもう飽きたし、そろそろ外で遊ぶことにするよ」
「人間の巫女のほうがよっぽど楽しいからね」
 姉の姿をした分身たちは、こちらをみてあざわらっている。
 フランはしばらく呆然としたが、やっとの思いで、口を開いた。
「おねえさま。嘘でしょ?」
「嘘じゃないさ。前から嫌いだったんだよ。おまえがね」
「そのおかしな飛べない羽根もみにくいし、頭もおかしいしね」
「じゃあ咲夜、行くよ」
 姉の姿をした分身たちのあとを、メイド服を着た分身が続こうとする。
「ま、待って。待って。おねえさま。咲夜。わ、わたしをひとりにしないで」
「咲夜、おまえも言ってやりなよ。はっきりとさ。そうしないと、こいつ、頭がおかしいから勘違いしてつけあがるよ」
「そうですね」と、咲夜が口元をゆがめながら振り向く。
「姉に置いてかれそうになったから、今度は私にすり寄るんですか? 気持ち悪い」
 ぎゃははは、と、姉の姿の分身たちは一斉に笑い始めた。
 たまらず、フランは、両耳を抑えてへたりこんだ。
 やめて。そんなひどいことを言わないでよ。わたしをひとりぼっちにしないでよ。
 なんでみんなわたしをひとりにするの?
 わたしの頭がおかしいからなの?
「そうさ。頭がおかしいお前は死んだほうがいいんだ」
 耳をふさいでも聞こえてくるその声の方に顔を上げると、姉が、せせら笑っていた。
 その隣には咲夜が立っていて、同じく、フランを見て、笑っている。
 おねえさま。そんなにわたしをひとりぼっちにしたいの?
 自分は人間の巫女と遊んでいるくせに、咲夜まで離さないの?
 だったら。
 だったら、殺してやる。
 わたしをひとりにするのなら。
 誰かにとられるくらいなら。
 わたしが、殺してやる。
 

 1「好き? 好き? 大好き?」


 十六夜咲夜は料理が下手だった。
 トン汁を作れば、「豚だけではなく牛も鳥も入れたほうがいいのでは」と考え、味噌汁を作れば、「味噌だけでは貧相なので豚骨スープも入れたほうがベターでは」と考えるような発想の持ち主だった。主のために尽くしたいという思いから凝りに凝ったものを作るのだが、味覚というものがイカれていた。いや、もっとはっきり言えば、咲夜は、旨いものとまずいものの違いが理解できなかったのだ。料理とは栄養を効率よく摂取するための行為としか考えられなかったのだ。
 料理だけではなかった。掃除も実は苦手だった。いや、てきぱきと綺麗にするのだが、加減を知らず完璧を目指すので、例えば廊下を掃除させたりすると、「レミリア様が転倒しても雑菌が入らぬように徹底的に殺菌せねば」と白い防除服を着てマスクをし、背中に担いだタンクから殺虫剤をまき散らしたりした。
 客の接待も苦手だった。「いつ豹変してレミリア様に襲い掛かってくるかもしれない」と、レミリアと野球の話をしている近所の米屋のサブちゃんに冷たい目を光らせたりした。
 それでも咲夜は瀟洒で完璧なメイド長として通っていた。
 実は、裏で妖精たちがめっちゃがんばって掃除や料理をしていた。接客は元メイド長の美鈴が影でなんとなくフォローしていた。ただあの妖精たちが仕事をがんばってるとは誰も信じず、美鈴は居眠りばかりしている門番と認識されていたうえ、咲夜の見た目がなんとなく如才なくできそうに見えるので、瀟洒で通っていただけだった。
 咲夜は、しかしマジメな性格だった。だからそんな自分を不甲斐なく思っていた。
 メイド長を、美鈴から咲夜に変えようと言ったのはレミリアだった。そんなレミリアの期待を裏切ることはあってはならないと考えていた。
 ――今夜こそはイケてる料理を作りたい。レミリア様にひきつった顔をされるのはもうごめんだ。
 咲夜は、肉切り包丁を持ちながら、金属の解体台の上に転がっている猪肉の断面に視線を落とすと、ふふふふ、と笑う。
 脂ののりがわりといいじゃないの。
 幻想郷には外から様々なものが流れてくるので、金と手間さえあれば古今東西あらゆる食材が手に入る。例えば夏に冬ごもり前の太った猪がいたりするのである。
 咲夜は、肉を解体することが好きだ。これだけは自信があった。それに、形あるものが自分の手によってばらばらになり、きれいなお肉となるのをみると、なんだか気分がスカッとした。
 うひゃひゃひゃひゃとテンションあげながらイノシシの肉をみじん切りにしていると、ぞわ、と妙な視線を背中に感じた。
 振り向くと、いつの間にか美鈴がいた。
 美鈴の額には、何重もの包帯が巻かれていた。右目は眼帯がつけられ、首元にも包帯が覆っていた。
 明らかに体調は万全ではない。
 なのに美鈴は妙に熱っぽいうっとりとした目で、咲夜を見つめている。なんだか気持ち悪かった。わざわざ「居眠りしてました」と報告するので仕方なく叱るときも、美鈴はそんな目を向けていた。やっぱりなんだか気持ち悪かった。
「……ねえ美鈴、あんた寝てなくていいの?」
「い、いやあ。寝てばっかもヒマでして」
「だからって私が肉を切ってるのを見ててもつまらないと思うんだけど……」
「いやいやおもしろいですよ。特にその……怖い顔とか」
「怖い顔? イノシシの顔がバラバラになるのが怖いの?」
「ま、まあそんなとこです。しかしもう一頭まるごとバラバラにしちゃったんですか。相変わらずすごいなあ」
「……切るのは、好きなのよ」
 咲夜としては、むしろ切ることだけしていたかった。これだけは、昔から飽きるほどやり慣れているから。
「でも、一頭まるまる粉みじんにしなくてもいいんじゃないですかね」
「う、うっさいわね。いいじゃないの。どーせいつかは切るんだから」
「でもまあ、そこらへんが咲夜さんらしくていいんですけどね」
 そう言う美鈴はいつの間にか咲夜のすぐ後ろまでぴっとりと近づいている。
 ……なんでこいつ、いつも私にすり寄ってくるんだ?
「ちょっと。切るのに邪魔だから、そんなに近づかないでよ」
 じろり、とにらむと、美鈴はまたうっとりとしている。やっぱり気持ち悪い。
 咲夜は無視して別の具材を巨大な冷蔵庫から引っ張りだそうとすると、
「咲夜さん。シンプルでいいんですよ。咲夜さんはマジメだからなんでもやりすぎちゃうんですけど」
 ぐ、と咲夜は息が詰まった。
「わ、わかってるわよ。だからちょっと黙っててくれない? 今おいしい料理を作るためにめっちゃ集中してるんだから」
「また咲夜さんのことだから、ふつーにぼたん鍋にしちゃえばいいのにさらにいろいろ手間かけようと考えてるんでしょう」
「そ、そんなこと、考えてないわよ」
 考えていた。今夜は「ワイルド鍋」に挑戦しようとしてたのだ。冷蔵庫からイノシシとワニと水牛とクマとトラを取り出そうとしていたのだ。これらケダモノの肉をぶちこみ、しょうがとニラとニンニクをたっぷりきかせた濃厚八丁味噌スープでごった煮にすれば、おそらく今までの狩猟鍋の常識を覆すようなものすごい鍋となるはずだ、と考えていたのだ。うおお、想像するだけでゾクゾクする。絶対イケてるよこれ。咲夜は無表情だったが、心のなかでは大興奮だった。
 なのに。こいつはふつーのぼたん鍋を作れという。せっかく今度こそはレミリア様に喜んでいただけると思ったのに。
 ……いっそのこと、こいつをイノシシと一緒にバラバラにしようか。そうすれば余計なことを言うやつもいなくなるし、肉のレパートリーが増える。一石二鳥だ。
「さ、咲夜さん。もしかして、今物騒なことを考えてませんか」
「考えてないわ」
「いやいや絶対考えてますよ。目が超殺すモードでしたし。でもそんな冷酷な目もステキ……いや、じゃなくて」
「で、でも美鈴はふつーのぼたん鍋で我慢しろっていうじゃないの。それじゃ、レミリア様を満足させる食事なんてできないわ……」
「いやいやいやふつーに作ってふつーにおいしい料理でいいじゃないですか。レミリア様も胃もたれしちゃいますし」
「え? 胃もたれ? レミリア様が、胃もたれされてるの?」
 まさか……レミリア様が栄養失調を起こさないように、あらゆるビタミンやエネルギーを過剰に摂取できる程度の料理を心がけてるのに。それが裏目に出て、胃もたれを起こしているとは。
「いや……咲夜さんの料理、いつもこってりじゃないですか。そりゃ胃もたれしますよ」
「そ、そうなんだ……」
 そんなことも知らず、バカな私はレミリア様に胃もたれを強いていたとは。
「いや、そんなにマジでしょげないでくださいよ」
「やっぱり美鈴がメイド長のままでいいんじゃないのかな……」
「レミリア様だって咲夜さんが最初っから何でもこなせるとは思ってませんよ。あのひとの行動原理は面白そうかどうかですからね」
 確かに咲夜をメイド長にすると言ったとき、レミリアは言った。「美鈴がメイド長で咲夜が門番って、なんつーか妥当すぎるでしょ? それじゃ、面白くないじゃん」と。
 しかし、迷惑をかけまくってるのは事実なので、マジメな咲夜には非常につらかった。
「やっぱり私がいなくなったほうがうまくいくんじゃ……」
 咲夜が包丁の先を自分に向けたので、美鈴は慌ててその手を掴んで止めた。
「ま、待ってくださいよ。そう考えこむことじゃないんですから。今から直せばいいじゃないですか。わけわかんない料理にせずにふつーに作れば。ねっ?」
「……そう。私の料理って、よくわかんない料理なのね……。そんなものをレミリア様に食べさせていただなんて」
「ち、違いますって! 咲夜さん、頼むから落ち着いてください! ほ、包丁を離して! そんな病んだ目はやめて!」
「た、たいへんですメイド長!」
 ばあん、とドアが開いて、一匹のメイド妖精がやってきた。緑色の髪をサイドテールに結んだ、少し気弱そうな妖精である。ずいぶんあわてたようすであった。
「と、とんでもないことが……?」
 そこで妖精は、粉々に砕かれたイノシシの肉塊が散らばる解体台の前で、包丁を互いにつかみ合ってる美鈴と咲夜をみると、「ひいいっ?」と短い声をあげた。
「……どうしたの?」
 緑色の髪の妖精は、青ざめた顔をして突っ立ったまま、怯えた目で咲夜を見ている。
 またしても怖がらせてしまったらしい。どーして私はいつもこうなのだろうか、と咲夜は思う。
 遊ぶことしか脳みそを使わないよーな人生なめきってる妖精たちが、料理も掃除もテキパキこなす理由。
 それは、十六夜咲夜にびびっているからだった。
 目だろうか、と咲夜は思う。自分でも少し鋭すぎるし、悪そうだと思わなくもない。唇が薄すぎるのもよくないかもしれない。いかにも酷薄そうだ。
 いや、それよりも一番の難点は表情に乏しいところだろう。美鈴を嫌いだとか怖いとか言うやつを聞いたことがない。それはやっぱり美鈴が表情豊かでフランクだからだろう。まあ、門番としてそれはどうかと思うけど……主のために客をもてなす立場の私にとっては、やはり見習うべきだろう。
 咲夜は、自分の考えうる最大限にフレンドリーな笑みを浮かべながら、
「どうしたの?」と再び優しく問いかけた。
 すると妖精が「ひいいいっ」と叫びながら後ずさりしたので、咲夜はいたく傷ついた。
 ちくしょう。慣れないことするもんじゃなかった。
 もういいよと開き直ると、咲夜は、両腕を組み、妖精をじろりと見下しながら、
「あなた、何をビビってるの? この私がそんなに怖いのかしら?」
「そ。そんなことは……」
「私は優しいわよ。自分の仕事をきっちりやるひとにはね」
「そーですよ。咲夜さんはとても優しいんですから。こんなひとを平気で殺しそうな目をしてるけど」
 この門番あとでまじで殺すと思いつつ、
「あなた、見慣れないけど、どこの係かしら?」
「い、妹様のお湯浴みです」
 咲夜の視線が、止まった。
 ――そういえば、また世話係が変わったのね。
 でっかいお屋敷に住めるうえに仕事はお嬢様の風呂のお世話をするだけ。これだけ聞けば、妖精たちはほぼ二つ返事で承諾する。
 しかし、残念ながら世の中というのは、そんなに甘くない。報酬を得られる権利の裏側には、いつも代償を支払う義務がついてまわるものだ。
 紅魔館の「妹様」の湯浴みの世話係は、掃除係、図書館勤務、経理係など、さまざまな仕事のなかで、もっとも交替の激しい役職だった。
 そこで咲夜はようやく思い出してきた。この緑髪の妖精は、三日前に二匹まとめて面接をした奴の片割れだった。
 いまいち印象が薄かったのは、もう一匹の水色の髪の印象が強すぎたためだ。
 咲夜は、妹様の湯浴みの係になった妖精たちには、必ず自分が話をすることにしていた。
「はっきり言うけど、これから話すことをきちんと守らないと、簡単に一回休みになるから」
 残念ながら、こういうときに「凄みがきく」のは非常に便利である。咲夜がきつめの口調で言うだけで、へらへらしていた妖精たちの顔がたちまち恐怖でひきつる。人生遊ぶために生きているような妖精でも、これだけで真剣に聞くようになる。痛い思いをしたくないのはみんないっしょなのだ。
 緑髪の妖精も同じだった。今目の前で見せているようなかんじの表情のまま固まっていた。
 だが、水色の髪の妖精は違っていた。満面の笑みのまま、「わかった!」とうなずいたのだ。
 咲夜がひととおり説明したあとも、その水色は笑顔のまま胸を張って言った。
「わかった!」
「……そう。どうわかったのかしら?」
 妖精は、目をキラキラさせたまま言った。
「なんにもわかんないことがわかった!」
 咲夜はたじろいだ。わけがわからなかった。
 なんだこいつ……底抜けのバカなのか?
「ち、チルノちゃん、それじゃぜんぜんダメじゃないの」
 と、緑髪の妖精が突っ込むと、水色は、顔色ひとつ変えずに言った。
「だいじょうぶだよ! あたいはいままでなんにもわかんないまま生きてたからね! なにもわかんなくてもたのしいしね!」
 ……なるほど、こいつは底抜けのバカだ。
 しかし、突き抜けている。言うなればバカのプロフェッショナルだ。略してプロバカ。なんかプロバガンダみたいだ。革命家っぽくて少しかっこいいな。などと咲夜は極めてどうでもいいことを考えていたが、あくまで表情は瀟洒に崩さぬままであった。
 たぶん、レミリア様なら「むひひ」と笑いながら言うだろう。
「なんだか面白いやつじゃないの」と。

 ……というわけで、なんとなしに採用を決めてしまったのである。

 しかし今、目の前に、その水色の妖精はいなかった。
「あなた、プロバカ……あの水色の片割れはどうしたの?」と、咲夜が問うと、緑髪の妖精は、「あの、その、」としどろもどろに繰り返したあと、
「ち、チルノちゃんは、チルノちゃんは、い、妹様の部屋で、」
 咲夜は、自分の心臓の鼓動が速まるのをかんじた。
 ――冷静に考えれば、「そうなる」のは少し考えれば明白じゃないのか。注意深い妖精だって、運が悪ければ一週間も持たなかったのだ。
 そう思いながら、自分が思ったよりもショックを受けていることに気づいた。
 ――やれやれ。自分だって、おかしなやつだけど、ちょっとだけ面白いやつだと思っていたのだ。
 そんなやつほど、縁が薄い。逆につまらん奴やどうしようもない奴とばかり長く付き合うはめになる。おおむね人生とはそういうものだ。
 まあ、しかし妖精のことは忘れるしかない。どうせ妖精は一回休みでいつか生まれ変わるのだ。
 それよりも優先すべきは、妹様のことだ。
 状況は、恐らく目の前の妖精の様子からみて、かなり悪い。
 しかし自分にはお嬢様の料理も残っている。どうすればいい?
 ――そうだ。
 咲夜は、美鈴のほうを向いた。
「どうしました?」
 美鈴は、首を微妙に傾げ、にこにこしている。
 鼓膜がまだ再生し切れてないから、かぼそい妖精の声が聞こえていないのだ。
 ――美鈴は、こんな門番にあるまじきアホみたいな笑顔をしてても、かなり強い。当然妖怪だから人間の自分よりも身体能力は優れているし、紅魔館の時計台のてっぺんから飛び降りショーをやってもマンガ的に地上にめりこむ程度で済むくらいにはタフだ。
 しかし妹様は、「かなり強い」なんて常識の範疇じゃ、どうにもならないのだ。
 つい一週間前だった。妹様のもとに駆け付けた美鈴が、なんの気なしもなく、「壊された」のは。
 竹林の医者は、「手術というより、プラモデルを組み立てている気分だった」と言っていた。
 今こうやって歩いて話をしているのは、美鈴だからなのだ。他の妖怪では、死んでいる。ましては人間の自分では。
 咲夜は思案する。自分と美鈴。どちらがレミリア様にとって有益か。
 考えるまでもなかった。
 私がいなくなっても、不器用で耐用年数の短いメイド長が消えるだけだ。
「美鈴、料理をお願いできる?」と咲夜は言った。
「へ? いいんですか?」
「残念だけど今夜はあなたに譲るわ。ちょっと妹様のところに行ってくる」
 途端に、美鈴は真顔になった。
「まさか、また……フラン様が」
「分からないわ」
 美鈴は、まっすぐな目で咲夜を見ながら、
「私が行きます」と言った。
「そんな身体で行けるわけないじゃないの。それにね。悪いけど、私は、あなたより強い。本当は、私が門番のほうが適任なの。レミリア様が気まぐれを起こしたせいで、それがひっくり返っただけ。忘れないで」
「……確かに咲夜さんは強いです。だけど、人間なんですよ。もし、フラン様の力を受けたら……」
「昔の赤いひとはこう言ったわ。当たらなければどうということはないってね」
 そう言って向かおうとした咲夜の腕を、美鈴が掴んだ。
「……ちょっと。美鈴、まじでやめてくれる?」
「いざというときには、すぐに逃げてください。約束してください」
 咲夜はその顔をみて、本当に心配しているのか、と驚いた。
 ――何を考えているんだろう。私なんてたまたまこの館に転がり込んだ人間じゃないの。
 咲夜は、おかしくなって、あは、と笑った。
「……私が死んでも、あなたがまたメイド長に返り咲きすればいいだけの話」
 掴まれた腕が強くなった。
「ちょっと。痛いよ」
 咲夜が美鈴の顔をみると、ほとんど怒りの形相がそこにあった。
「咲夜さん」
「……冗談だって」
「……私、咲夜さんがたまに怖いのです」
「この顔は、生まれつきなのよ」
「そうじゃありません。ちょっと目を離すと、なんの前振りもなく消えてしまうような。そんな気がして、怖いのです」
「……悪いけど、今は急ぐのよ」
「咲夜さん。レミリア様のためにも、絶対に死なないでください」
 咲夜は、どうしてレミリアの名前が出るのか理解できなかった。
 そしてすぐ、おそらく美鈴が自分に無理をさせないために主の名前を出したのだろう、と推測した。
「……うん。わかっているわよ。だから美鈴は料理、ちゃんと作ってよ」
 ようやく手を離した美鈴は、咲夜が振り返るまで、不安げなまなざしをずっと向けていた。

 ――美鈴はいいやつだから。他人を心配しすぎるんだ。
 だけど結果として、大切なものを護り切れなかったら?
 世界が壊れてしまったら?
 レミリア様を護るためなら、私は死んでもかまわない。
 「世界」が壊れてしまえば、生きていてもしょうがないから。



 フランドール・スカーレットの部屋の扉は、魔道師であるパチュリー・ノーレッジが召喚した「精霊」が、結界を張り巡らしていた。
 その精霊は通称「賢者」と呼ばれている。パチュリーが言うには、「賢者」は元月人であり、地球よりも長く生きているそうだ。
 しかし今となってはその名に反して愚かで浅はかな生物である。見知らぬ者や、からかい甲斐のありそうな者がくると、からかって言うことを聞かないのだ。永く生きれば誰でも仙人や仏になれるというわけでない、というわけである。
 咲夜と緑色の妖精が地下に行ってみると、その結界の薄い膜が張られた扉の前で、水色の妖精があおむけになっていた。全身から、ぶすぶすと白い煙が立ち昇っている。
 咲夜は、拍子抜けて、手のナイフを落としそうになった。
「……妹様の部屋に入れなかったの?」
 妖精は、こくん、と頷いた。
「……あなたたちには、入り方を教えたはずだけど?」
「そ、そうなんですけど……」
 ――となると、「賢者」の悪ふざけか。
 咲夜は、壁に張り付いている「枯れ枝」のようなものを、にらみつけた。「賢者」は肺病を患っているような耳障りな笑い声をあげていた。だが、自分を睨んでいるのが咲夜であることを認識すると、たちまちガラスをひっかいたような悲鳴をあげた。
「あなた、まだ懲りてないのね。『賢者』さん」
 咲夜は、太もものガーターリングに仕込んだ銀のナイフを取り出すと、それで目の前の「空間」を切り裂いた。
 ぱっくりと開いた「空間」の向こう側は、咲夜だけの「個人的な部屋」が広がっている。その「部屋」には銀のナイフやベッドなどの実用的なもののほか、主への思いのたけをつづったポエム帳や、天狗から買った主のプライベートな写真や、なんとなく作ってしまった主とおそろいのふわふわドレスなど、誰にも見せたくないものまで詰まっていた。
 咲夜は「部屋」のなかから銀のナイフをしこたま取り出すと、「賢者」にその切っ先を向けた。
「またそのからだを魚の切り身みたいにしてほしいのかしら?」
「くぁwせdrftgyふじこlp!」
「賢者」は言葉にならない叫び声をあげて、ぶるぶると全身を震わせている。どうやら、「違う」と訴えているらしい。びびりかたから、嘘をついているようには見えなかった。
「……どうしてあの妖精は、ああなったの?」
「す、すみません。実は、チルノちゃんは珍しいものをみると、とりあえずぶつかってみたくなっちゃうんです」
 咲夜は、マンガみたいにずっこけそうになった。さんざんびびらせたくせに、結果がこれかよ。ちくしょう。
「……あのね。モタモタ言わずに、もうちょっと早く結論を言ってくれない?」
「で、でも最後まで話を……ひっ?」
 咲夜の顔を見た妖精の顔が恐怖で引きつった。
「す、すみませんすみません私が悪かったですなんでもしますから命だけは」
 ……別にそこまで睨んでないじゃないの。そんなにビビってしまうとこっちが悪いような気がしてくるのよ。
「……まあいいわ」
 そして、銀のナイフを再び「自分の部屋」に投げ入れた。
「……あなたの相棒の頭は飾りらしいからね。むしろ電気療法でよくなるかもね」
「大丈夫ですか……その。扉が壊れちゃったりしてないですか?」
「……あんたもうちょっと相棒の心配もしてやりなさいよ。扉は平気よ。『賢者』さん?」
「賢者」は、金切り声をあげると、枝のような腕でレバーを必死で巻き始めた。結界の薄い膜がじょじょに巻き上がっていく。
「ほら、全然平気よ」と咲夜はにっこり笑った。
 その笑みを見た緑色の妖精は、引きつった顔で、「そ、そうですね」と作り笑いを浮かべた。
 だから、なんで笑顔を向けてんのにびびるっつーの。そんなに私の笑顔は不気味なのか? 咲夜は本気で笑顔の練習をしようと思った。

 パチュリーが「賢者」を使役して張った結界は全部で十三枚だった。歩いておよそ十五歩の入り口の通路に、これが順繰りに張られている。二人が一枚の結界を通りすぎると、その結界は元通りに張られていく。そして、その結界が張られるのを待って、次の目の前の結界が解かれる。こうすることにより、常に少なくとも十二枚の結界が張られたままとなる。この結界の枚数は、パチュリーがここにやってきた百年前から次第に増えていったという。

 すべての結界を通過すると、二人はちょうど庭園ほどの大きさの空間にたどりついた。
 赤い薔薇の造花がいちめんに絡み付いている柵に囲まれたそれは、永遠に成長しない吸血鬼のための、たった一人だけの幼稚園だった。薔薇の文様を象られた銀の扉を開くと、中にはこじんまりとした校庭が広がっている。校庭の隅には、一人が遊ぶには十分すぎるほどの大きさの砂場もある。そして一番奥には、全面を赤く塗られた校舎があった。
「やっと入れました。これで妹様のお世話ができますね!」
 緑色の髪の妖精は、ようやく安堵したように微笑んだ。
 ……本当の恐怖は、これからだというのに。
「あなたたちに言わなかったっけ? 下手をすると、消滅するって」
「そ、それは、この結界のせいじゃないんですか?」
「何のためにこれほどの結界を張っているのか、分かる?」
「……中にお住まいのお嬢様をお守りするためじゃ」 
「違うわ。妹様を守っているわけじゃない。『妹様から、紅魔館を、この幻想郷を守るため』よ」
「え? で、でも、この結果は妹様が望んだと……聞きましたけど」
「そうよ。結界を張ってほしい、と訴えているのが、ほかならぬ妹様自身。意味がわかるかしら?」
「わ、わかりません。だって、どうして自分を封印してくれって」
「妹様は、自分自身を制御できないの」
 緑色から、表情が消えた。
 水色の妖精は、ある意味で幸運であったかも知れない。稲光程度ではびくともしない妖精たちが、ここから先の部屋で「消滅」したのは一度は二度ではないのだ。
 ――その校舎から、甲高い笑い声が聞こえてきた。
 まるで狂った怪鳥のような、異様な笑い声。
「どうやら。校舎の中にいるようね」
「さ、さっきの声が、妹様ですか?」
「そうよ。残念ながら、今日のご機嫌はあまり麗しくない、いや、麗しすぎるようね」

 校舎に入った途端、妖精が短い悲鳴をあげた。
 その入り口の下駄箱置き場の隅に、「あかぐろいもの」としか形容できないものが転がっていた。それは咲夜に、クランベリーソースをいっぱいにかけられた七面鳥を思い出させた。
 もはや原型をとどめていない肉塊からは、二本の枝のようなものが伸びている。枝には、血糊のべったりついた、色とりどりの宝石が実っていた。
 ――やれやれ。結果論だけど、私がここに来て正解だったようね。
「あ、あ、あれは、な、なんですか?」
「問題ないわ。あれは妹様の分身よ。ああやって妹様は『ひとりあそび』をしているのよ。あれはただ、遊び相手になっただけ」
 まあ、問題ないわけはないけどね、と咲夜はひとりごちる。分身の肉塊は鬼たちによってたかって殴られてもこうはならないほど損傷しているが、何より問題は、その露出した腹部が抉られたように消失していることだ。
 「あの力」を使ったということだ。今日の妹様も危険だということだ。
 悲鳴と絶叫がないまぜになった笑い声は、一番奥の部屋から聞こえてきた。
 妖精は、その部屋に入った途端に、「ひいいい」と叫ぶと、へたりこんでしまった。
 部屋にはいちめんに、首が千切れたくまとうさぎのぬいぐるみが転がっていた。壁や床のあちこちに、飛び散った血がこびりついていた。
 そしてその中央、もっとも真っ赤に染まっている場所に、この幼稚園の主である、フランドール・スカーレットがいた。
 彼女は、もう一人の自分に馬乗りになりながら、両腕で、抱きしめるような形で分身の上体を起こし、その首筋に噛り付いていた。彼女が首を勢いよくその牙で引きちぎるたびに、だらんと垂れ下がった分身の両腕が力なく揺れていた。日に当たらぬ白い顔は、今は返り血で真っ赤に染まり、幼さの残る瞳は、狂気じみた、ひずんだ光を宿し、その口は、まさに悪鬼のような笑みを浮かべ、真っ赤な唾液がむきだしの牙の上で躍っていた。あははは。あははは。と笑いながら。時折ヒステリックな絶叫をあげながら。時折悪夢にうなされるような悲鳴をあげながら。その行動は、分身の首が食い散らかされたリンゴのようになるまで、フラン自身が熟したリンゴのようになるまで続いた。そして彼女は最後に、自分の分身の頭部を鷲づかみにして。
 勢いよく引きちぎった。
 首から溢れ出る血を全身に浴びながら、フランは笑っていた。血は床を伝い、首がもげたぬいぐるみたちや、傍らに転がっている狐のお面をのみこんで、咲夜たちの足元まで到達した。床にへたりこんでいた緑色の妖精は、迫ってくる血を、怯えた瞳で見つめている。がたがたと揺れている内股から、透明の液体があふれでていて、スカートを濃い色に染めている。
 返り血で真っ赤になったフランの顔は、白い目だけが、らんらんと異様に光り輝いていた。
「死んでしまえばいいんだ。わたしをひとりにするやつは。みんな、死んでしまえばいいんだ!」
 ――咲夜は、何よりも、その分身の姿に、戦慄した。
 その羽根には、模造紙で作った黒い羽根がついていた。そして血みどろになった髪には、水色の毛糸で作ったかつらがずり落ちかけていた。
 その隣に転がっている残骸は、メイド服を着ていた。すぐ近くに転がっている頭部には、銀色のかつらが引っかかっていた。
 ――間違いない。自分の主に似たこの「怪物」は。主であり。世界そのものである。レミリア・スカーレットを模した分身を。解体しているのだ。
 フランは、自分の分身が完全に原型をなくすと、荒げていた息を静めた。
 そして、たった夢から覚めたような、きょとんとした顔をしていた。いや、事実、今覚めたのだ。自分がひとりぼっちにされるという悪夢から。姉が自分のもとを離れるという悪夢から。
 だから彼女は自分が抱きしめているものを、不思議そうな目で見つめた。その首が無くなったものを。模造紙で作った黒い羽根がついたそれを。
 自分の右手に、水色の髪をした首がぶらさがっているのを。
 たちまち、フランの顔がこわばる。その目の瞳孔がきゅっ、とせばまる。
「……おねえさま……?」
 フランは、震える手で、己が引きちぎった首を、ゆっくりとまわし、前面を自分の方へむける。
 ぐずぐずになった己の分身の顔は、彼女には、どう映っているのだろうか。
 それから、メイド服を着た分身の残骸に気付いた。
「……さくや……?」
 やがて彼女は、震える手で、自分が壊した分身の首を両腕で抱きしめた。
 あああああ、あああああ、とうめき声が、遊戯室内にひびいた。
「ご、ごめんなさい。ごめんなさい。ごめんなさい……」
 泣きじゃくるフランを、理解できない、といった表情で見つめている妖精の肩に、咲夜は、そっと手を置いた。
「大丈夫よ。いつものことだから。問題ないわ」
 自分で壊しておきながら、壊れてしまったことが哀しくて泣いてしまう。
 フランドール・スカーレットは、そういう吸血鬼だった。
 咲夜は太もものガーターリングに軽く触れて銀のナイフを確認すると、エプロンのポケットから懐中時計を取り出して握り締めた。
 そして、ゆっくりと、慎重に、フランに言葉をかけた。
「フラン様。問題ありません。それはレミリア様ではありません。それはあなたが産み出した分身。ただの、血と肉のかたまりです」
 フランは、機械人形のように緩慢な動きで、振り向いた。
 涙と血でぐしゃぐしゃになった顔は、しかし、不思議なくらいに表情が無かった。溢れる涙をためた瞳も、ひどくうつろだった。
 ――せめぎあっているのだ。フランの中で二つ、いや、無数の相反する心が。
「……さくや?」
 その瞳が咲夜に焦点をあわせた途端、怯えの色をみせた。胸に抱いた分身の首を隠すように裏に回しながら、ぶんぶんと首を振った。
「わ、わたし、こ、こんなつもりはなかったの。おねえさまを、さ、さくやを、こ、こ、こわしてしまう、こわしてしまうなんて……」
「大丈夫です。問題ありません。……何がありましたか?」
「おねえさまは……わたしから、わたしから。咲夜を連れて、離れていってしまったの。どうしてだろう?」
 フランの瞳が、あやしく揺らめいている。おどおどしている心と、凶暴で残忍な心が、瞳の中に共存している。
「どうしてだろう? 飽きたっていってたの。ひとりぼっちにしようとしたの。どうしてだろう?」
 ――フランの分身は、フランであって、フランではない。それは彼女の心の中に潜んでいた様々な感情の具現化であり、彼女の意思の手から離れて行動するのだ。
「ちょっとした気の迷いですよ。本物のレミリア様はどこにも行きません」
「……ほんとうに?」
「ええ。今だってご自分のお部屋でねっころがってマンガでも読みながら、くしゃみをしているはずですよ」
 フランは、その言葉を聞くと、ようやく、少しだけ微笑んだ。
「おねえさま、相変わらずマンガが好きなのね」
「学ランを着たおっさん顔の学生がひたすら殴りあうマンガとか、頭身がおかしい人間がゴールポストによじのぼったりコーナーポストに三角蹴りしたりするサッカーマンガとか、私には面白さが理解できないマンガをよくお読みになっています」
「うふふ、おねえさまらしいわ」
 彼女は無邪気な笑みを浮かべる。この彼女も、彼女だ。
 そして、自分から遠ざかる姉を「壊す」のも、紛れもない、彼女なのだ。
「大ちゃん、ここにいたんだね!」
 部屋の入り口から、いきなり能天気な声が響いてきた。妖精はその声を聞いて、ようやく我に返ったようにくるりと振り向いた。
「ち、チルノちゃん」
 チルノと呼ばれた水色の妖精は、サイドポニーの妖精を見て、にっかり笑っている。目の前の惨状が目に入らないのか、それとも意に介してないのか。咲夜は、きっとこいつは何にも考えてないから怖くもなんともないのだろう、と思った。
「大ちゃん、おなかすいたから、そろそろ帰ろうよ」
「えっ……で、でも、今からお仕事が……」
 大妖精の言葉をスルーして、チルノは、両手をばーんと広げながら、
「昨日、湖でこーんなにでっかいタニシを見たんだ! あれをたべたらきっとうまいよ!」
 何も言えずに固まっている大妖精に、咲夜は、はあ、とため息をついて、
「……今日はもう帰っていいわよ。あんた、替えのパンツ、ある?」
 大妖精は、咲夜の言葉に、自分のスカートのあたりを見て、かああ、と顔を真っ赤にした。
「更衣室にあるから、適当にサイズが合うの持っていきなさい」
 妖精は、うつむいたまま、小さくうなづいた。
「よし、じゃあ、帰ろう! じゃあね、白髪のひと!」
「……せめて、銀髪のお姉さんと言いなさい」
 チルノは、下半身をもじもじさせている大妖精の手をつかんだまま、満面の笑みで、手を振りながら去っていった。
 フランは首を傾げながら、
「あの妖精たちは、なんだったの?」
「……気にする必要はありません。それよりそろそろお湯浴みをいたしましょう。今日は料理を他の者に頼みましたので、私がお世話をさせていただきます。そんなびしょぬれでは、お召し物も取り替えないと風邪を引きますからね」
「……咲夜がしてくれるの? うれしいな」
 フランは、へたりこんだまま、その手を咲夜に差し出した。
 その目が、咲夜に訴えかけている。手を握って、起こしてほしがっているのだ。
 咲夜は、自分に向けられたフランの手をみた。その白く小さな手を。
 分身の血がべっとりとこびりついた手を。
 主に似せたものを壊した手を。
 ――咲夜は、そのまま後ろを向いた。
「……もう用意はできております。行きましょう」
「……うん」
 寂しげな声が背中から聞こえる。
 咲夜は、振り返らずに、浴場へと向かう。


 地下室の浴場は本館ほどではないにせよ、一人で入るには十分すぎるほどに広い。
 それは、フランの「羽根」のサイズに合わせているためだ。
 彼女の羽根は、異様な形状をしている。彼女の白くやわらかい肌に似つかわしくない、枯れ木のような羽根だった。そしてその枝の先には、極彩色に輝く宝石のようなものがついていた。それは、まるでフランの背中に寄生した菌類が、吸い取った養分で美しい実をつけているようにもみえた。
 咲夜は、泡だらけにしたフランの裸の背中をスポンジでごしごし洗っていた。
 泡から伸びるいびつな羽根が、気持ち良さそうにふるふると小刻みに動いている。
 ――洗うときに注意しなければならないのは、流水をかけないことは当然として、この羽根に絶対に触れてはならないことだ。それは物理的にも、話題としても。
 吸血鬼は夜の空を統べる種族である。しかし、フランは、空を飛ぶことができない。尋常ならざるその跳躍力を持って「飛ぶように跳ぶ」ことはできるだけだ。それは、生まれ持ったこの奇形の羽根のためだ。骨組みだけでできた羽根は、浮かぶ力を持たなかった。
 咲夜は知っている。吸血鬼は、誇り高い種族だ。自分たちこそが世界の頂点であると疑わない。
 だからこそ、劣った同族には非情である。無様な同族の存在を、きっと、許すことができない。
 空を飛ぶことができないという、吸血鬼にあるまじき劣等を持ったフランが、どのような仕打ちを受けたのかは、彼女の反応を見れば、おおよそ想像はついた。
 「羽根」に触れてしまえば、無邪気だった顔がたちまち豹変する。幼い少女の肉体にひそむ悪鬼が、たちまち目を覚ます。
 この警告を忘れてしまった妖精が「消滅」したことも、一度や二度ではなかった。
「ねえ。咲夜」
 突然声をかけられて、咲夜は、少し身構えた。
「最近、来るの? あの巫女」
「……あの腋出し巫女ですか?」
 咲夜は、どうしてフランが巫女のことを急に言い始めたのか不思議に思った。
「……ええ。来てますよ。主に食い物をせびりにですが」
「さ、咲夜、ちょっと顔が怖いよ」
「あんな巫女など、思い出したくもありませんからね」
 ――あの巫女のことを思い出すと、今でもはらわたが煮えくり返りそうになる。レミリア様が「日光を遮ればずっと遊べる」といつものように場当たり的な発想で霧を発生させたことは、確かに責められるとは思う。しかし問題は、あの巫女と魔法使いのできそこないのたった二人に、主のレミリアまでむざむざと突破されてしまったことだ。あんなのんきな貧乏巫女に! 
「……次に会ったらはんぺんにしておでんの具にしてやります」
「咲夜がそんなに熱くなる奴なんだね。その巫女は」
「熱くなんてなってませんよ。私はただ、事実を述べたまでです」
「――お姉さまも、あの巫女の話をしていたんだ」
 裸の背中を向けたまま、フランは言った。
「だけど、おねえさまは、咲夜とすこし違ったはなしをしていたんだ。あいつんちに行ったらお茶受けがバッタの佃煮だったとか。そのお茶も雑草で作ったらしく異様に苦かったとか。鬼からかっぱらった酒を『液体の米』と言って呑みまくって昼間からべろんべろんに酔っ払っていたとか。試しにおにぎりを持っていったら、すぐに社務所から飛び出してきて泣きながら抱きついてきたとか」
「……まあ、あの巫女ならありえる話ですね」
 咲夜は、内心苦々しげに思いながら言った。
 彼女がいちばん納得できないのが、主があの巫女に懐いてしまったことなのだ。
 まあ、あの方を理解するほうが無理かも知れない。明日の朝に「私、吸血鬼やめるから」とラジオ体操を中庭ではじめても違和感が無いくらいノリとフィーリングで動く永遠の五百歳児。
 だから巫女に食いついても、それはそれでおかしくはないのだが。のだが。
 それでも咲夜は思う。すごく思う。
 負けた奴に。それも巫女に懐くだなんて。そんなの吸血鬼じゃねーよ、と。
「なんだか、すごい勢いで、話してきたの。だから、ちょっと気になったの」
 まずい。妹様まで巫女色に染められてしまう。
「フラン様、そういうところは、レミリア様を見習う必要はありませんので。ああいった貧乏巫女は、残飯をあげるとクセがついてしまうのです。今度からは、狙うなら美鈴の弁当を狙えと言うつもりです」
「そんなに、おねえさまはあの巫女を、気にいっているんだね」
 いつのまにか、フランは背中を振り向き、咲夜を見つめていた。
 その大きな目には、感情が無かった。
 ――何を考えているのか。咲夜は、わからない。
 わからないことを、人間は恐怖する。
 咲夜は、今、フランに恐怖していることを自覚した。
「……まあ、あの方のことです。王様が乞食の生活に興味を持つようなもので、あまりの貧乏っぷりがものめずらしいのでしょう。どうせじきに飽きるはずです」
 フランは、裸の背中を見せたまま、咲夜をじっと見つめている。表情の失せた顔で。うつろな瞳で。
「咲夜は、私と話しているのが、嫌い?」
 唐突だった。
 心の中で一瞬逡巡する。そして、咲夜の口から出たのは。
「……私は従者です。好きとか嫌いという感覚では話していません。しかし、話しかけていただけるのは純粋に嬉しいです」
 その言葉が妥協の産物であると、咲夜は自覚している。
 フランは、しばらく咲夜を見つめていたが、やがて、少し微笑んだ。
「咲夜がうれしいのなら、私もうれしい」
 それは、ひどく脆そうな笑みだった。
 フランの精神は危うい綱渡りを常にしている。一歩間違えれば、この笑みがたちまちに崩れ、もう一面の顔がのぞく。
 最近の様子や、この不安定さをみるにつれ、「綱」は、大分危険な方向へ引っ張られているようだ。
 ……レミリア様に伝えておくべきか。
「咲夜、ちょ、ちょっと、くすぐったいよ」
「あ、すみません。変なところを触ってしまいましたか」
「おねえさまも言ってたけど、咲夜って……へんなところをさわりたがるよね」
「わ、私はからだのすみずみまで綺麗にしたいだけですよ」
 咲夜は、たわいもない談笑をしながら、冷静に彼女の危険性を推し量っている自分に、少し嫌悪感を抱いた。
 平然と騙せるほど、自分は突き放しているかもしれない。
 ――好きか、嫌いか、か。
 レミリア様の妹であり、そのレミリア様にとって危険な存在。
 不安定に揺れる瞳、こちらの心を伺っているときの瞳、凶暴さをむきだしにしたときの大きく開かれた瞳……咲夜は、そういったフランの目をみると、いつも指に棘が刺さったような感情をおぼえる。その感情が、どこから湧いてくるのか、彼女自身もわからない。
 ――もしかすると私は、この吸血鬼が「嫌い」なのかも知れない。
 
 
2「ぶきっちょな羽根、おおきな羽根」


「紅茶をお持ちしました」
 と、部屋に入ってきた咲夜がジョッキをどんとテーブルに置いてどぷどぷと紅茶を注ぎはじめたので、その目の前で座る館の主は「うえっ?」と目を丸くした。
「ちょっと待って? あんたどんだけ飲ませる気?」
「い、いや……レミリア様が多めにと仰ったものですから」
「ビールじゃないっての!」
「す、すみません」
 ぺこぺこ謝る咲夜に、「まあ、仕方ないわねえ」とつぶやきながら、レミリアは紅茶がなみなみ入ったジョッキをくゆらせた。湯気をあげる紅茶をだばんだばん波打たせながらも匂いを嗅いだ。目を閉じながら一口飲んで、むふーん、とうなった。八重歯のようなちんまい牙をのぞかせながら、にんまり笑った。
「味はイケてるじゃん。ほんのり甘くて私好みよ。糖尿病の人の血でも混ぜた?」
「そ、そんなイヤなものは入れませんよ」
「冗談よ、じょーだん。咲夜はマジメだなあ。もうちょっと肩の力を抜いていいんだよ」
「む、むう……」
 肩を力を抜くとはどういうことだろう、と思案しはじめた咲夜をみると、あわててレミリアは、
「ほ、ほら、昨日のぼたん鍋はイケてたじゃないの。肉がやたら多かったけど、ざっぱくに切った野菜とかが入ってて、適度な味噌が効いてて。ああいうのでいいのよああいうので。あれくらいの適度な気合いとテキトーさでさ。咲夜の料理ってたまに凝りに凝りすぎてて、なんだかわからない不思議な食べ物になっちゃったりするじゃん? これからはもっとああいう素材を活かす料理にしたほうがいいんじゃないのかな」
 いきなりどよーんと曇ってきた咲夜をみて、レミリアの顔が「あれ?」となった。
「なんか私、変なこと言ったっけ?」
「いや……いいのです。やっぱり……美鈴がメイド長のほうがいいんじゃないかと……」
「あれ? 作ったの美鈴だったの?」
「私の料理ってなんだかわからない不思議な食べ物ですよね……そうですよね……」
「い、いやいやそーじゃないって! ど、どうして咲夜じゃなくて美鈴だったの?」
 咲夜は、しばらく沈黙を置いてから、
「実は……フラン様のことで、ちょっとした騒動がありまして」
 レミリアは、とたんに真顔になった。
「また……妖精か何かを壊してしまったの?」
「いえ、今回は被害はゼロでしたが……その、よろしいでしょうか」
 レミリアが、テーブルに置いたジョッキから離そうとした指を、ぴくり、と止めた。
「フランが、どうかしたの?」
「……レミリア様。私は見ました。フラン様は……あなたに見立てた分身を壊していたのです。レミリア様の羽根をおもちゃで見立て、髪の色をかつらで変えていました。傍らにメイド服を着せた銀色の分身も置いていました。間違いありません」
 レミリアは、驚いたように、瞳を見開いていた。
「……咲夜に見立てた分身も、あの子は壊していたの?」
 咲夜は、どうしていきなり自分の分身の話をするのかがわからなかったが、
「……そうですね。私の分身も、壊れていました」
「……そっか。それは、あんまりよくないかもね」
 レミリアは、ジョッキをテーブルに置くと、座っているふかふかの椅子に腰を深々と落とした。そして、天井のあたりを見上げながら、
「……実は、霊夢あたりにお願いしたんだけどね。一度、あそこの神社で縁日を開いてくれないかってさ」
「……縁日?」
「昔ね。あの子とふたりで、人間のお祭りに忍び込んだことがあったのよ。あの子はシャイだから、あまり態度には出さなかったけど……すごくたのしんでいたわ。ああみえて、ほんとうはにぎやかなところが好きなのよ。あそこの神社だったらどうせ魑魅魍魎ばっかじゃない? だから、あの子だって気軽に参加できるし、外に出ようとするかな、って」
 咲夜は、しばらく無言のままだった。
 ――レミリア様は、彼女が地下にこもりっきりになっているから、ちょっと頭がおかしくなってきていると思っているのだ。
 違う。そんなものではないのだ。「あれ」は。
「……フラン様の処遇ですが。ご注進させていただきたいことが」
 レミリアが、じろり、と咲夜をにらむ。
 何かを察したのだ。
「……情緒の不安定さが以前より、さらに酷くなっております。妖精たちが『行方不明』になったのは、今月だけで三件。先日はあの美鈴までもが壊されました。みな怖がって地下室に行きたがりません」
 長い沈黙が、流れた。
「……で。咲夜はどうすべきだと」
 さらに長い沈黙。
「……フラン様は、完全に心の病に罹っています。自分で何を壊しているのかも理解できぬまま、衝動的な殺戮本能の赴くまま、壊してしまうのです。このままでは……いずれ紅魔館に、取り返しのつかない災厄を起こす危険性があります」
「……で?」
 咲夜は、一息置いて、
「いったん、この紅魔館から離れた場所で、ご静養させるのはいかがでしょうか。妖怪の山に、紅魔館所有の山林があります。空気も良く、見晴らしのいい場所です。あそこに静養所を作り、フラン様を――」
 ひゅん、と空気を切り裂く音がして、背後で、ばりん、と割れる音。
 自分の横を通過していったのがジョッキであることに、咲夜はすぐに気付いた。
「フランを……これ以上ひとりぼっちにするつもりなの!」
 椅子から立ち上がっているレミリアは、今にも咲夜に襲い掛かろうとせんばかりの、すさまじい怒気をはらんだ顔を向けていた。その右の拳から赤い瘴気のようなものが漂っており、まるで赤い槍を握っているようにもみえた。
「……一時のものです。また心が落ち着いた頃に、紅魔館へお連れすれば」
「咲夜、あなたそんなこと、考えてないよね。静養だって? はっきり言いなよ。隔離したいんでしょ。確かにあの子は力を制御できてないよ。だけどね、ほんとうは誰も傷つけたくないの。だから自分から閉じこもっているんだよ。咲夜も見たでしょ? 壊してしまったものをみて、フランはどうしていた? 泣いていたんじゃないの?」
「……」
「咲夜は、あの子を怖がっているだけだよ」
「……怖いですよ。私は、レミリア様が壊されるのではないかと思うと、怖くて仕方ないのです」
「なのに、フランはどうでもいいわけ? あの子も、自分が怖いのよ」
「……私にとって、レミリア様以外は、どうでもいいことですから」
 レミリアは、苦虫をかみつぶしたような顔をした。
「……咲夜。前に、私が死ねって言えば死ぬって言ったよね」
「はい。喜んで死にます」
 即答する咲夜にレミリアは少しぎょっとしつつも、
「じゃああなたに命じるわ。フランと、仲良くして。死ぬこともできるんだから、それくらいできるよね」
「仲良く……」
「咲夜とフランは、お互いちゃんと向き合えば、きっと仲良くなれる気がするの。ただ、ふたりとも不器用というか、仲良くなりかたを知らないから、すれ違ってばかりいるけどね。そうすれば、きっとフランも良くなる。あなたももっとよくなる。そんな気がするの」
 仲良くしてほしい。それは、以前にもレミリアから言われたことだった。
 しかし咲夜は、実は「仲良くなる」ということ自体がよくわからなかった。
 仲良くってなんだろう?
 丁重に扱うということだろうか。きっとそういうことだろう。
「……レミリア様に危害が及ばない範囲内で、そういたします」
 レミリアは、しばらく無言で、咲夜の瞳を見つめていた。それから、ため息をつくと、
「……わかった」
 レミリアは立ち上がった。
「どちらへ」
「フランのところ」
 あわてて咲夜も立ち上がった。
「レミリア様、私の話を聞いてました?」
 レミリアは、くるりと振り返った。咲夜を見る瞳は、ひどく冷たかった。
「フランは、私の妹。私の大切な家族なんだ。咲夜にどうこう言われる筋合いはない」
 咲夜は、その瞳の色に一瞬気圧されたが、
「……どうしても行くのであれば、私もお供します」
「それは、あなたが私の従者という立場だから?」
「……理由はどうとでも構いません。とにかく私はついていきます」
 レミリアは、皮肉じみた笑みを浮かべた。
「そのとおり。理由なんてものは、ほんとうはどうでもいいんだ。ほんとうに大切なものだったらね。そうじゃない?」
「……大切なもの」
「仲良くなる、ってのはね、お互いを大切なものだと思うことよ」
 咲夜はやはり、よくわからなかった。
 咲夜にとって「大切なもの」は、レミリアただひとりだった。
 ただ、レミリアの存在は、咲夜にとって「世界」と同義だった。「十六夜咲夜」が存在している理由そのものだった。
 それ以外に「大切なもの」があるとは、思えなかったのだ。 
 レミリアは、じっ、と、咲夜の顔を見つめていたが、もうひとつため息をつくと、何も言わず、扉に向かった。



 フランだけの幼稚園は、光ひとつないまっくら闇に閉ざされていた。明かりを灯しているはずのランプというランプがすべて粉々に壊されているのだ。
 咲夜は「空間」を切り裂き、「自分の部屋」に手を突っ込んで、ランタンを取り出した。
 ぼう、と灯りに照らされた幼稚園のなかを、咲夜とレミリアは進んでいく。
 遊戯室に入ったとき、奥のほうから、異音が、聞こえてきた。
 ぴちゃぴちゃ、ぴちゃぴちゃと、やわらかいものを咀嚼する音だった。
 二人が音の鳴るほうへ歩み寄ると、何かの影が、ランタンの光から逃げていくのがみえた。
「フランなの? そこにいるのは」
 影は、レミリアの声にびくり、と一瞬硬直したが、そのまま闇の奥へと走り去っていく。
 影が走り去っていった床には、何かを引きずったような血痕が、まっすぐに引かれていた。
 その血の筋を追っていくと、突き当たりの闇のなかから、荒い息が聞こえてきた。
 レミリアは、声をかけようとして、一度その言葉をのみこんでから、ひと呼吸おいて、
「ハロー、フラン」と、やさしく声をかけた。
 闇の奥の荒い息が、せきこんだ。
「……お、おねえさまなの?」
「どうして、逃げているの? それにここは……暗すぎるわ。こんなところにいたら気分が沈むばかりよ」
 闇の奥から、何度もせきこむ音がした。
「ご、ごめんなさいおねえさま。わたし、あたまが、うまく動かなくなってしまったの。風邪をひいてしまったのかもしれない。あたまのなかが熱いスープでいっぱいになっているみたいなの。じぶんでじぶんがわからないわ。なにをしゃべっているのかもわからないのよ。ごめんなさい。おねえさま。ごめんなさい。ごめんなさい」
「謝る必要はどこにもないわ。とにかく、明かりをつけましょう」
「やめて!」
「……どうして? これじゃ、あなたの姿もわからないわ」
「おねえさま、わ、わたしのこと、きらいにならないで。おねがいだから」
「嫌いになんかならないわよ……フラン、すこし、落ち着きなさい」
「ほ、本当に、きらいにならないんだね。どこかにいったりしないよね。わたしを忘れたり、しないよね」
「するわけないわ。フラン、そちらに行くわよ」
 レミリアが闇の中へ足を踏み入れる。
 咲夜は、レミリアに気づかれぬように「個人的な部屋」から銀のナイフを取り出すと、後に続いた。
 ランタンの揺れる灯りが、フランの姿を、映し出した。
 フランは、床に座り込んでいた。その背中に、ひとの形にもみえる何かが、かすかにみえた。
 フランの身体でなかば隠れていたが、咲夜はすぐにその正体を理解した。
 それは、肉塊と化した、フランの分身だった。
 分身には、首や手や足が無かった。背中の羽根も半ばからへし折られていた。
 そして、桃色のドレスを着させられていた。
 フランは、血まみれの胸に、両腕で覆い隠すように、丸いものを抱いていた。
 ……レミリアとお揃いの帽子をかぶった、自分の分身の首を。
 レミリアは、足を止めて、フランを見つめていた。妹が自分の姿を模したものをめちゃくちゃに壊しているのを目の当たりにして、さすがにその顔に驚きを隠せなかった。
 フランは、レミリアの顔を見つめたまま、震えるように、顔を横に振る。
「さ、さびしかったの。あそびたかっただけなの」
 べっとりと血で赤く塗られた口元には、ぎこちない笑みが張り付いていた。
 かなしいような、うれしいような、おびえているような、媚びているような……さまざまな感情がぐるぐると混在した瞳は、病的にぎらぎらと輝き、レミリアを、上目遣いで見つめていた。
「だけど、だんだん、頭のネジがおかしくなってきて……分身が本当におねえさまにみえてきて……おねえさまがはなれていく気がして……」
 充血した瞳に、涙がたまっていく。
「おねえさま。わたしを。きらいにならないで」
 レミリアは、しばらく無言だった。
 喉を鳴らす音がしてから、
「……きらいになんか、ならないわ」
「嘘よ」
 唐突に棘のある声色で叫ぶと。
 フランは、ゆらりと立ち上がった。
 その血まみれの頬を、涙が伝う。
「今、おねえさまは。みんなと同じ目で。わたしを見ている」
 フランの瞳に、凶暴な光が宿る。
 咲夜は、フランをとりまく空気が、ぐねり、とねじまがるのを感じた。
 紅魔館に来る前、人間の村に居た頃に、よく嗅いだものだった。吸血鬼を殺すための業を、人に向けていた頃に。悪魔以上の悪魔たちを相手にしていた頃に。すっぱく、なまあたたかい匂い――死体と血の匂いだった。
 咲夜は、銀のナイフを掴み、わずかに膝を曲げて、即座にレミリアの前に飛び出せる体勢を整えた。
 フランは、抱いていた生首をつかむと、それを自分と対面させる。
「これだけそっくりなのに。こんなに近いのに。ずっとずっと遠くにすんでいるみたい」
 生首が小刻みに震えてくる。みしみし、みしみし、と骨のきしむ嫌な音が耳を苛み、
 スイカみたいに、粉々に爆ぜた。
 飛び散った血肉を浴びるフランの顔には、表情が無かった。
「ねえ。どうすれば。わたしのそばに、おねえさまがいてくれるの?」
「……私はどこにもいかないわ。ここにいるじゃない」
「うそよ。おねえさまは、ここにいない。ずっとずっととおくにいきたがっているわ」
「いるわ! ここにいるわよ!」
 レミリアはフランに近づくと、その左手を取った。その左手は血で汚れていたが、レミリアは厭わずに握りしめた。
「ほら、ここにいるじゃない!」
 ――レミリアをみるフランの瞳は。
 まるですりきれたガラス玉のように、何も映しだしていなかった。
「……わかっている。わたしは。ばけもの。だから。だれも。わたしのそばには。いない。わたしを。よんでくれない。だれも。わたしのこえは。とどかない。わたしが。わからない。だれも。だれも。だれも。だれもだれもだれもだれも」
「フラン、やめなさい!」
「だから。だから。わたしは。ばけものらしく、」
 咲夜は、見逃さなかった。
 フランが、右拳を握ろうとしているのを。
 咲夜はエプロンドレスのポケットから懐中時計を取り出し、リューズを押した。ガラス板ごしに見えるぜんまい仕掛けが停止し。
 咲夜は「今の時間」の流れから「離脱」した。
 今、咲夜は、新たに生じた別の時間域の中で動いている。別の時間域とは、言い換えれば「今という時間」を無理やり広げて作った「時間のすきま」である。
 それは、「もともとの今」とは似て非なる「平行世界」に咲夜だけ移動する際に発生する「すきま」である。「すきま」の時間域は咲夜だけが所有しているため、結果的に時が停止した世界に咲夜だけが行動することとなるのである。
 全てが止まった世界で咲夜は走る。「すきま」の時間は、体感時間でおよそ三秒ほどだが、そのときの時間の流れや、平行世界への接続により、極端に短かったりすることもある。文字通り、時間は無い。
 二人の吸血鬼は、この世界の中で、塑像のように固まっている。
 レミリアは、フランの手をしっかりと握り、彼女の目をしっかり見据えている。
 フランは、俯いたまま、虚ろな瞳でじっとりと、レミリアの薄い胸のあたりを見上げ、右の拳を、握り締めようとしていた。
 それが意味するものは、ただひとつ。
 この吸血鬼は、レミリア様の心臓を潰そうとしているのだ。
 私の世界を、殺そうとしているのだ。
 咲夜の薄紫色の目が、充血するように赤く染まる。彼女はリューズをもう一度押した。懐中時計の針が異様な速さで、くるくるくるくると逆回転しはじめる。さらに咲夜は、「自分の時間」を引き伸ばしたのだ。
 咲夜が「自分の時間」を引き伸ばすことはほとんど無い。時間を止めるという行為は、常に「この世界」から「離脱」してしまう危険性をはらんでいるからだ。
 時間を止めたことにより、咲夜は新たに発生した時間のレールに「移動」することとなる。この移動の瞬間、咲夜をとりまく時間軸は不安定な状況となる。そのため、「縦の時間軸」だけを移動してしまい、あるときもう一人の「十六夜咲夜」にひょっこり出くわしたり、はたまた永遠に「すきま」に落ち込んでしまい、「理論上はどの時間にも存在しているはずだが現実として存在しない存在」となる可能性が存在するのである。
 ――しかし、起こってしまった時間までは戻せない。
 咲夜は、躊躇わなかった。「世界に危害を加えようとした者を殺す」ことだけを考えていた。
 咲夜は自分の「部屋」から無数の銀のナイフを取り出すと、フランの右手めがけて投擲する。一度、二度、三度。咲夜から離れたナイフは、フランを取り囲むように空で静止する。
 「すきま」の時間が終わり、咲夜が、もう一つの時間に「着地」した。
 フライパンの上でベーコンが焦げるような音が響いた。
 フランの右腕を、無数の銀のナイフが串刺しにしたのだった。
「うわああっ?」
 フランが悲鳴をあげて、うつぶせに倒れこむ。
 咲夜は、昔を思い出していた。吸血鬼の殺し方だけを教わって生きていた子供の頃を。
「やりかた」は、忘れたくても身体に染み付いている。
 フランは、広がる血だまりのなかで、右腕を押さえながら、身体を震わせている。
「……さくや。さくや、なのね」
「……」
「あ、ありがとう。も、もう少しで、おねえさまを。わたしは」
「……」
 フランの嗚咽が、闇のなかからもれはじめた。
「ご、ごめんなさい。ごめんなさい。ごめんなさい……」
 咲夜は「個人的な部屋」から白木の杭を取り出した。
 鉛筆のように削られ、鋭く尖った方を、フランに向けた。
 ――レミリア様を、私の世界を壊そうとするものは。
 誰であっても、赦せない。
 咲夜が投げようとしたその手が、何かに押さえ込まれた。
 振り向かずとも、誰なのかはわかった。
「……お気づきでしょう。フラン様は、今、あなたをこっぱみじんにしようとしたのですよ。レミリア様」
「……わかっている」
「なら、どうして邪魔をするのですか?」
「フランを殺そうとする奴は、許さないだけよ」
「……自分を殺そうとする妹をかばうだなんて、大した姉妹愛ですね」
「ふざけないで。咲夜でも、殺すわよ」
 咲夜が振り返ると、レミリアは、咲夜を見つめていた。
 その瞳は、どこまでも無慈悲な紅い月の色をしていた。
 ――本気なのだ。本気で、私を殺そうとしているのだ。
 咲夜は、喜悦で真っ赤な瞳を歪ませる。
 ――まったくうれしいじゃないか。
 咲夜が望むのは、心も肉体もレミリアの生ける奴隷になることであった。自分の血はレミリア様とまじりあって共存し続ける。生ける屍と化した抜け殻の自分は、人形のようにレミリアにかしずきながら永遠に存在し続けるのだ。咲夜は、自分がレミリアに血を吸われるさまを想像して、興奮を抑え切れなかった。具体的な行動としては、レミリアを見ながら「くふ、くふふふ」とおかしな含み笑いをしていた。
「レミリア様に殺されるのであれば、悦んで。私はあなたの下僕として、肉人形として永遠にお仕えします」
 レミリアは、自分を眺めながらおかしな笑みをもらしているメイド長の姿に、ドン引きしているようだった。こうみえて結構押しに弱いのだ。
「ま、前にも言ったじゃないの。あなたなんて絶対下僕にしないって!」
 顔をひきつらせて後ずさりしながら、レミリアは言った。
「何をしてもかまいません。飽きたら捨ててもいいのです。私は、レミリア様に使われて捨てられるのならそれで満足です」
「前から思っていたけどさ……咲夜、あなた頭がおかしいよ」
「狂っていなければ、吸血鬼殺しが吸血鬼に仕えません」
「ちょ、まじで近づかないでよ……こ、これ以上近づくと、本気で殺すわよ!」
 レミリアは、折りたたまれていた黒い羽根を、じょじょに広げはじめた。
 それは小さな彼女には似つかわしくないほど、異様に大きな羽根だった。
 ――咲夜は思い出していた。人間の里でこの吸血鬼とはじめて出会ったときのことを。
 後悔と自己嫌悪のなかを歩いていたときに。空の上からこちらを見下ろしていたレミリア・スカーレットの姿を。穢れた人間の世をあざ笑うかのように、ふわふわと舞い降りてきた生意気な悪魔の姿を。
 その悪魔の背中からは、大きな黒い羽根が、レモンのようにぽっかりと浮かんでいた満月の光を覆い隠していたのだ。
「ああ。おねえさまの、はね」
 フランが、ぶるぶる震えながら、ぼんやりとレミリアを眺めていた。いや、レミリアの羽根を、見つめていた。
「とてもきれい。とてもとてもきれい」
 彼女は、ぎこちなく手をのばした。のばした手は、空をつかんだ。何度も何度も、フランは空をつかんだ。
「どうしてわたしにはないのだろう? どうしてわたしは、おねえさまみたいになれず……できそこないで……ひとりになるように生まれてきてしまったんだろう?」
 そう言いながら、フランはぼろぼろと泣いていた。



 3「薔薇食いの怪物」

 
 医務室を開けると、消毒のにおいがした。
「そろそろよ。美鈴」
 ベッドに横たわった美鈴が、近づいてくる咲夜に笑いかけた。まるで障子紙のような顔色だった。
 いままで数えきれないほど咲夜が見てきたもの。死体の色だった。
 美鈴は、死にかけている。昨日まで、いつもと同じように笑っていた美鈴が。
 不条理だ、とは思わなかった。咲夜は骨の髄まで知っている。死は、いつだって、理不尽に、突然訪れるものだと。
「咲夜さん。突然こんなことになってしまって。すみません」
「……こちらこそ、ごめんなさい。なんだかんだと甘えてしまって。無理させてしまった」
 美鈴が、咲夜の手を握りながら、首を振った。
「……咲夜さんのせいではありません。それよりも……気をつけてください」
 握りしめる手が、強くなる。
「紅魔館全体に悪い気が……満ちています。伝染病が蔓延するときに似た、とても悪い気です」
「悪い……気?」
「これから……私のように急に体調を崩すものが多くなる可能性がありますし……もっと悪いことが起こる可能性も……」
 美鈴の顔が、苦痛でゆがんだ。
「美鈴。いいから。もうしゃべらないで」
 美鈴は、苦しげな息をゆっくりと整えながら、
「妹様のことは……パチュリー様を頼ってください。あの方は、あんな性格ですが……とても頼りになる方です」
「……わかった」
「さ、最後に……咲夜さん。私の望みを……聞いてくれますか?」
「……」
 咲夜は「吸血鬼殺し」をしていた頃、何度か仲間の末期の希望を聞いたことがあった。咲夜は何故死の床にあるものが自分に触れたり抱いたりするのか理解できなかったが、拒否することでもないと思っていたので、好きなようにさせてきた。
「……最後なんて言わないで。私にできることなら、なんでもやるから」
「で、では……私を、思い切り罵倒してください」
「……え?」
「心をエグるような言葉で蔑んでください! その冷たいおめめで見下してください! お願いします!」
 期待に目を輝かせている美鈴をみて、咲夜は率直に言った。
「……き、気持ち悪い……」
「あ、ありがとうございます!」
 恍惚の表情を浮かべながら美鈴は運ばれていった。
 やっぱり他人は理解できない、と咲夜は思った。



 きしむ門を開けると、ひんやりとした空気が咲夜の頬をなでた。
 目の前には、二重らせんの回廊がいつまでも続く塔がそびえ立っていた。
 回廊には本棚がずらりと並び、ぎっちりと書物が詰め込まれている。空間が無限に引き伸ばされたそれは、まさに地上と天を結ぶバベルの塔といったところである。
「ここは宇宙そのものなのよ」と、ここの主であるパチュリー・ノーレッジはうそぶくが、あながち、間違ってはいない。ここにはありとあらゆる知識が書物として眠っている。「宇宙の真理を表した数式」「人類の製造書」「惑星ソラリスの歩き方」「アメンボ語の翻訳辞典」「『仙人』資格試験の過去問題集」などのいかがわしい書物が、ひょっこりと「ドグラ・マグラ」「民明書房刊全集」「トレーン百科事典」「ネクロノミコン」などの隣に並んでいたりするのだ。
 ただし、億千万もの階段と本棚から目当ての本を見つけることができれば、の話だ。ちなみにパチュリー自身も自分でこの回廊を昇ることができない体たらくなので、管理は彼女に使役されている小悪魔に任されている。
 ――美鈴の言うとおり、まずは、ここを尋ねるべきだったのだろう。いまさらだけど。
 だが、今まで躊躇していたのには理由がある。咲夜はこの図書館が苦手なのだ。別に本が嫌い、というわけではない。はっきりいうと、ここの住人が苦手なのである。
 貸し出しカードが置いてある受付のテーブルのベルを鳴らすと、しばらくして、塔の上空から、小悪魔がぱたぱたと降りてきた。
 悪魔は、咲夜の顔をみると、「あれっ」と声を上げた。「あれあれあれー」と声を上げながら、嬉しそうにやってくる。
「咲夜さんじゃないですかー。めずらしいですねー」
 にっこり笑いながら、何故か握手を求めてきた。咲夜がおずおずと手を差し出すと、ぎゅっと握り締めて、ぶんぶんと振り回す。悪魔のくせに人なつっこいのである。大体がして、人間界に召還されたまま住み着いて、魔女のもとで司書まがいのことを嬉々としてこなしている悪魔なんて聞いたことがない。よほどテキトーな性格なのだろう。
「で、どうしたんですか?」
「少しお話したいことがあってね。パチュリー様はいる?」
「いつものように書斎にいて、研究に没頭してますよ。お飲み物はどうしましょう? おいしいアイリッシュコーヒーができますよ。外の世界から、いいウイスキーが手に入ったんです」
「悪いけど、二人で話したいことがあるのよ。……ていうかそれカクテルじゃないの。まだ昼よ」
「すごくおいしいですよ。外の寒さも吹っ飛びますって!」
 小悪魔は満面の笑顔で言い切った。
 咲夜は、おもわずたじろいでしまった。
 こいつのお酒の薦め上手っぷりは紅魔館では知れ渡っている。パーティとなると、人なつっこい笑顔をふりまきながら、「うわーいい飲みっぷりですねー。かっこいいー」とか「いやあまだまだいけますよー。ぜんぜん酔ってないじゃないですかー」とか言って容赦なく強いお酒を注いでくるのである。のせられやすいレミリアなどは、一度小悪魔に勧められるままテキーラや高粱酒を飲みまくったせいでべろんべろんになってしまった。しまいには咲夜に「だっこ」や「おっぱい」をせがんできた。咲夜がうへへへとレミリアを抱っこしていたら、盛大にゲロをぶちまけられたという苦い思い出がある。
「い、いや、私はまだ仕事が残っているから」
「アルコールが入ったほうが心も身体もほぐれますってー。パチュリー様とより親密なトークができますよ」
「べ、別に親密さは求めてないわよ!」
「そんな冷たいこと言ってー。二人っきりってことは、パチュリー様の隠れグラマーな肢体をあまさず堪能したいと思ってやってきたんですよね?」
「ひ、一言もそんな話してないじゃないの!」
「となると、豊胸の薬をもらいに?」
「違う! 何言ってるのよさっきから……」
「うーん確かに咲夜さんスレンダーでモデル体型だけど、レミリアお嬢様を誘惑するにはちょっと足りないですもんねー」
「れ、レミリア様を……ゆ、誘惑?」
「お嬢様はあのとおりお子様じゃないですか。お子様イコールおっぱい大好きですよ。これは真理ですからね」
 ……胸が大きくなれば、レミリア様は私を肉人形にしてくれたりするのだろうか? 
「ほ、ほんとうに、そんな薬があるの……?」
 小悪魔はにっこり笑った。
「あるわけないじゃないですかそんなふざけた薬。冗談ですって。あはは」
 咲夜はこの悪魔に殺意を覚えた。
「あはは、そんな目で見つめないでくださいよー。パチュリー様、最近どんどんおっきくなってるんですよ。ちょっと前までは手にすっぽりおさまったのに、今じゃこぼれ落ちそうなくらいなんです。もしかするとホントにそんな魔法を知ってるかもですよ」
「ちょ、ちょっと待って……なんでその、大きさとか、その、つかんだ具合とかが……生々しいというか、具体的なの?」
「パチュリー様っていつも研究して疲れるとそのまま突っ伏して寝ちゃうんですよ。で、パチュリー様を寝床まで運ぶときにこう、両手で揉んでるんです」
「え? なんで……その、揉んでるの?」
 彼女は、ほっこりとした笑顔で言った。
「揉みたいからです」
 ……よくこんなものを雇っているものだ、と咲夜はおもった。



 そして、「こんなもの」を雇っているのが、書斎の中で、本が積まれた机にかじりついている、寝巻き姿の少女であった。
 本人は「これは魔女の正装なのよ」だと否定するが、縦じまのだぼだぼのワンピースに紫のガウンという服装は、どうみても寝巻きである。
 変わっているのは服装だけではない。
 ノックしても返事が無いので仕方なくドアを開けても、返事どころかこちらを振り向こうともしない。
 研究に没頭すると、このように外界からのすべてを拒絶してしまうのだ。
 咲夜は、ため息をついた。
「パチュリー様。咲夜です。ちょっと話があるのですが。よろしいですか」
 それでも反応が無いので近づいてのぞいてみると、パチュリーはペンを握ったまま、机に突っ伏して眠っているようだった。飲みかけの紅茶もそのまま机に置いたまま。
 食事や睡眠や息をするのも忘れ、限界が来ると、そのまま死んだように机に突っ伏して眠ってしまうのだ。常に寝巻き姿だからどこで寝ても問題ないわけだ。
 しかし身体には問題は大ありで、パチュリーの喘息は治癒する見込みがまったくない。どうしてこんな変人が主の親友なのかわからないが、たぶん、変人だから親友になったのだろう。残念ながら。
「パチュリー様、根を詰めるのもいいのですが、せっかく覚えた魔法を唱えられるような身体づくりも必要だと思いますよ」
 すると「まりさあ。うへへ、うへへへへへ」と気味の悪い声がもれた。居眠りしたままのパチュリーが、よだれを垂らしながら、だらしない笑みを浮かべている。
 咲夜は、テーブルに広げられた書きかけのノートに目をやった。ノートの上に突っ伏しているパチュリーの顔を持ち上げて手に取ってみると、ノートの表に「スーパーカリスマ超すごい魔法使いパチュリーのぼうけん」と書いてあった。嫌な予感がしたが、咲夜はページをめくってみた。



 私、パチュリー・ノーレッジ。みんなから「パチュリーさんは生きる希望」「パチュリーさんを見てると目が孕む」と言われている超絶美少女魔法使いなの。
 いつもだったら学校には30分前には来ているんだけど、今朝はペットの小悪魔のSAN値が下がって、みそ汁を見ながら「ああ! ああ! 豆腐に! ワカメに!」とかわめきだしちゃって遅れてしまったわ。
「むーこのままでは遅刻してしまうわー」
 天は私に頭脳と美貌の二物を与えたけど、運動神経は与えてくれなかったわ。
 すると、まがり角で、向こうから白黒の少女がパンをくわえながら走ってきたの。
「だぜっ?」「むっきゅん!」
 額どうしでぶつかった私たちは、お互いに顔を見合わせたわ。
「誰なんだぜ……」
 私の端正で美しい顔をみると、白黒の少女ははっ、と息をのんだの。
 からみあう視線、見つめあうふたり……
 たちまち、フォーリン・ラブ。
「朝からみせつけやがるぜ」
「フンガー」
 ドアノブみたいなダサい帽子をかぶったチビと、ロボットみたいに無表情の白髪のっぽが私たちにからんできたわ。頭より身体が先に動くタイプの不良ね。
「咲夜、あいつらをタタミイワシみたいにしちまえ!」
「フンガー」
 どうやら白髪ののっぽは言語を介せないようで、うめき声をあげながら両手を振り上げて突進してきたの。
 仕方ないわ、私は本を持ち上げると、くるくると降りながら、秘密の呪文を唱えたわ。
「イア! イア! クトゥルフ・フタグーン!」
 のっぽは、顔はシマアジ、身体はミーアキャット、手足はバッタという、生まれてきたこと自体がかわいそうな生き物になったわ。
「あーんごめんなさいパチュリーさま。もう二度とあなたに逆らいません」
 ドアノブをかぶったチビはぼろぼろ泣いて土下座しまくってたわ。
 ああ、また今日もひとりの不良を改心させてしまったわ。天才すぎる自分の才能が怖い。
「その力は……」
 口をぱくぱくさせて、ぴょんぴょんと跳ねる哀れな生物をみながら、白黒の超絶美少女は言ったの。
「みんなに秘密にしてたんだけど、実は私、異形の神々からの啓示を受けてるの。この世を原初の混沌に塗りたくるのが私の使命なの」
「そうか。奇遇だぜ」
 白黒の少女の腕には、タコの模様があったわ。
「まさかあなたも……異形の神々から?」
「私はタコの化け物だったぜ」
 彼女の股間からはタコの触手が生えていたわ。
「名前は北斎っていうんだ。お前みたいな美少女を見ると勝手に襲ってしまうんだぜ」
「あーん。すごいわー」



 咲夜は、そこでノートを閉じた。
 ……なるほど。これは胸を揉むくらいの腹いせをしたくなる。
 よっぽど本気で胸を揉んでやろうと思ったが、さすがに品が無いな、と思い、代わりにパチュリーのナイトキャップとしかいいようのない帽子を、ぼこんと殴った。
「むぎゅっ?」
 我に帰ったパチュリーは頭を押さえながら後ろを振り返り、色の濃いくまがこびりついた目でじろりと睨んだ。
「……何するのよ」
「私を非難するより、まずよだれを拭いてください」
 パチュリーは、机まであふれている己のよだれに気づくと、慌てて服のそでで拭いて、こほん、と咳をついた。
「それよりも咲夜、あなた、ここにくるのが遅すぎるわよ」
「そうですね。もう少し前だったら、あなたが妄想世界で私を生まれてきたことがかわいそうな生物にする前だったかもしれませんね」
 パチュリーは、そこで自分のノートを咲夜が持っていることに気付いて「ぎょっ」と鳴いた。
「な、何するのよ! ひとのノートを覗くなんて最低!」
「いや、妄想のなかでひどい目にあわせるほうが最低じゃないですか……」
「も、妄想することの何が悪いのよ! 誰にも迷惑かけてないし! お金もかかってないし! 無害かつパーフェクトな娯楽じゃないの!」
「わ、わかりましたから、目の届かないところにしまっておいてくださいよ」
「イヤよ! せっかく書いたら読んでもらいたいもん」
「……ちょっと待ってください。これ、誰かに読ませているんですか」
「大丈夫よ。紅魔館なんて知らない遠くのひとたちだから」
 ……この女。どうしてくれようか。
「それよりも咲夜。あなた、妹様のことで聞きたくて来たんでしょ?」 
 寝巻き女は、咲夜の殺気を帯びた視線を無視して、積んである本の一冊をべしべし叩いた。
「この本の栞のところを読みなさい。ここにあなたが知りたいことが書いてあるから」
 いきなりわけのわからないことを言われて、咲夜はむむむ? と反応した。
「どういう意味ですか、それは」
「だから、この本を読みなさいって言ってるのよ。まったく、咲夜ったらせっかく用意してたのにレミィとか美鈴を頼ってばかりで私のところに全然来ないんだもの……」
 いや、用意してたなら待ってないで出してよ、と喉まで出かかったが、
「じゃなくて、どうして読まなければならないのかがわからないのですが」
「読めばわかるからいいのよ」
 だからこっちは読む理由を聞いてるっつーの。
 しかしこの寝巻き女のアレな点は今にはじまったことではない、と咲夜はあきらめて、栞がはさんである本を開けた。
 その書物の表紙には、「幻獣辞典(第5版)」とつづられていた。
 咲夜は、付箋のついているページをめくった。



「薔薇食いの怪物」

 この怪物はおそろしく巨大な「こうもり」である。その羽根は骨格と宝石のような瘤で形成されており、飛ぶことはできず、その四肢で這うように進む。その皮膚はどろどろとした粘性をしており、歩むたびに肉体の一部が欠落するが、おそるべき再生力により、次々と新たな肉がその下からあらわれる。その瞳は、生きるものすべての「薔薇のつぼみ」がみえる。この怪物は、右腕でその「つぼみ」をつみとってしまう。
 薔薇のつぼみがみえる吸血鬼の伝説は二つあり、ひとつはトランシルバニア地方に口伝として残る。その異能の血を求める一族に幼少から監禁され、幾多の子を産んだが、薔薇食いの力を持つ子は生まれず、やがて吸血鬼は物狂いとなって地下室で息絶えたという。
 もうひとつは日本の東海地方にて発見された「とある公爵の日誌」にある。その土地において、近隣の人間や妖怪が次々と無残な姿で発見されるという事件が起こった。遺体は無数の部位に千切られていた。その事件にある幼い少女の姿が浮かんだ。遺体はみなその少女と接触した者だったのだ。危害を加えようとした者だけではなく、親しくする者も同様であった。その幼き少女の背中には蝙蝠のような大きな羽根があった。幼き少女は吸血鬼だった。
 その噂はやがて吸血鬼の一族にまでおよんだ。吸血鬼の一族は伝説上の「薔薇食いの怪物」の異能を欲して日本に飛来し、その幼き吸血鬼を捕えて拷問した。その子細は「公爵の日誌」に記載されている。人間よりも致死耐性が高いため、太陽が百回昇るまで使用された地下室は、血で錆びた銀の枷、鉄の槌、のこぎり、猫の爪、内部に無数の釘が打ちつけられた樽、イバラ鞭、スコットランドの深靴、万力締めなど、「急ごしらえにも関わらず、あたかも拷問器具の博覧会のようであった」。また「白い石壁は、天井まで赤くなった。屠殺場のようななまぐさい臭気が常に漂っていた」。幼き吸血鬼は、怪物の在処について一切の口を閉ざしたままだった。やがて幼き吸血鬼の姿がすっかり変形し、肉のかたまりと化したころ、「薔薇食いの怪物」があらわれた。怪物は、吸血鬼たちをひとり残らず「花びらにしてしまった」。公爵の日誌の最後はこう記述されている。「私は知っている、あのおそろしく不恰好な羽根を持つ吸血鬼を。やはりあれは○○○(翻訳不能)の。誇り高い一族が滅びるのか、たったひとりの鬼子のために。運命の神は何故。私はこんな(この先は解読不能)」こうして闇の夜を支配してきた誇り高き眷属は姿を消した。




 咲夜は、読み終えたあとも、しばらく無言だった。
「……この薔薇食いの怪物が、妹様、だと?」
 パチュリーは、再びペンを持ってさっきの続きを書き始めていた。
「美鈴に確認したことはないけどね。まあ、美鈴のことだから聞いても言わないでしょうけど。レミィたちにとっては決して触れられたくない過去でしょうし」
 確かに「薔薇を食べる怪物」の羽根の描写や、「つぼみ」をつみとる能力は、フランを彷彿させる。幼い女吸血鬼という記述も、レミリアと思えなくもない。
 ――しかし、この怪物が本当に、フランドール・スカーレットだとすれば。
 咲夜は「吸血鬼殺し」になって最初に吸血鬼の恐ろしさを聞かされた。異常な身体能力を持つ、闇の眷属。その手にかかれば、人間をポテトチップスのようにばらばらに砕くことができる。噛みつかれれば、一瞬にして血という血は吸い取られ、そして生きる屍となり、吸血鬼の奴隷とされる。
 だが、咲夜がいた頃には、既に吸血鬼などどこにもいなかった。だからその比類なき殺戮能力を「人間」に向けざるを得なかったのだ。
 「吸血鬼殺し」という職業があったほど、闇夜を席巻し、人間を恐怖させていた彼等が、何故急に姿を消してしまったのか? それは、いまだに謎となっている。もともと食物連鎖の頂点に位置するゆえに彼等の生殖能力は弱いものの、千年を生きることができるその生命力をもってすれば、そう減ることはできないはずなのに。
「……これが。もし、フラン様だとすれば」
「495年間閉じこもっている理由としては、これ以上のものはないわね」
「……パチュリー様は、見たことがあるのですか。この『怪物』を」
「ないわ。だけど、『伝承』というのは大体にして尾ひれ背びれがついて、例えばただの白骨死体が蝿の王になったりするものなのよ。吸血鬼を一夜にして絶滅させたものを、異形の怪物と想像してもおかしくないじゃない?」
「……確かに。少なくともそれが幼い少女だなんて、想像もできないでしょうね」
「では、次の想像よ。ポイントとなる文章は『危害を加えようとした者だけではなく、親しくする者も同様であった。』ってところ。これが意味するものは、わかる? 憎悪? 怒り? 恐怖? 何に対して恐れている? 何に対して怒りを抱いている?」
「わ、わかりません」
「まあ咲夜は鈍感通り越して他人を丸太か何かとしか思ってないもんね」
「れ、レミリア様は丸太じゃありません!」
「……咲夜がレミィしか見てないのはよくわかってるわよ。妹様に話をもどすとね、彼女の問題行動のすべては、『ひとりぼっちが怖い』ってこと。レミィを誰かにとられることを、病的に恐れているの。皮肉なもんね。ひと一倍ひとりぼっちが怖いのに、結果としてその感情が……彼女をひとりぼっちにしているのだからね」
 パチュリーは、ペンから手を離すと、安楽椅子にもたれかかり、天井を見上げた。あおむけの体勢になるので、さっきまで本で隠れていた縦じまパジャマの胸元のあたりがぐっと強調される。うっかり、小悪魔が言っていた言葉を思い出してしまい、まじまじと見てしまったが、だぼだぼパジャマでは何もわからない。
「今考えると、私もけっこう危なかったわ」
「……パチュリー様も、フラン様に襲われたのですか?」
「いんや。最初会ったとき、尋ねられたの。『おねえさまのともだちなの?』ってね。ひどく無感情な目を私の胸元に向けながらね。きっと私の『薔薇のつぼみ』を見ていたのよ。私が『アブラムシとアリの関係を友達と言うならね』と答えると、『あなたは、お尻から甘いミツを出すの?』と聞いてきたけどね。それからは、二度と私の胸を見ることもなかったけどね」
「ほんとパチュリー様、まともじゃなくてよかったですね……」
「なにしれっと失礼なこと言ってんのよ。咲夜が来たときもけっこう心配したんだからね」
 フランとはじめて出会ったとき、レミリアやパチュリーや美鈴などの立ち合いのもとで行われた。そのときは不思議と思ったが、フランを知るにつれて、あれは警戒していたのだ、と理解した。
「でも、咲夜への反応は……だいぶ予想と違っていたわね。あんたも覚えているでしょ?」
 どんな反応だっただろうか? 咲夜は覚えていなかった。フランのことを認識したのは、「レミリアに危害を及ぼす可能性があるもの」とインプットしてからなのだ。
「……覚えてないのね。咲夜、あんたレミィ以外のこともたまには興味持ちなさいよ」
「……すみません」
「まあいいわ。最近妹様の様子がおかしい理由。これはね、『レミィを取ろうとするやつがいる』と妹様が思っているからよ。さて咲夜、あなたなら最近妹様と話す機会もあったでしょ? 普段はまず出てこない『他人』が話題に上がらなかった?」
 咲夜は、風呂場でのフランとの会話を思い返した。
 あのときに名前が挙がったのは、たった一人だけだ。
「博麗の、巫女」
「みょうちきりんだけどコシが強い、讃岐うどんみたいなやつ。もろレミィが好きそうなタイプね」
「……だけど、妹様は。そのレミリア様も……壊そうとしています」
 パチュリーは、顔色ひとつ変えず、退屈そうに口を開く。
「……妹様を狂わせるのが『ひとりぼっちにするやつを許さない』ってことと仮定すると……レミィだってそのなかに入るよね。博麗の巫女と手をつないでどっかに行こうとしているお姉さま。だったらそのお姉さまも許さない……っていうこと」
 咲夜は、どすくろいものが、自分の心を浸していく感覚にとらわれた。
「……まさか。そんなことをしたら、よりいっそう自分を追い詰めるだけじゃないの。ひとりぼっちになってしまうじゃないの」
「……正直、妹様の感情の暴走は、理解しがたい点があるわ。さっきも言ったけど、そのために妹様は地下に閉じこもっているようなものだしね。咲夜に勘違いしてほしくないのは、ほんとうにあの子は、それ以外は優しい子なのよ。だからこそ苦しむの。いっそのこと……いや、まあ、いいわ」
「……狂っている。それが狂っていると言うのです」
 どうして私は「あの怪物」の恐ろしさを、侮っていたのか。
 レミリア様を、私の世界を――消そうとする狂人が、すぐそばにいることを。
「まあ、通常の思考とはいいがたいわね。まるで……『その感情』だけが別の生き物みたいに勝手に動いているみたいに……」
 咲夜は、平静に話すパチュリーに怒りをおぼえた。
「……どうしてパチュリー様は、そんなにひとごとみたいに言えるんですか。レミリア様を殺そうとしている狂人が、この紅魔館にいるんですよ! 私は再度レミリア様を説得して……いや、説得なんて無用だ。とにかくすぐにでも『あれ』を隔離しなくては……」
「待ちなさい。今話したことはレミィだって、とっくに知っているわよ」
「……え?」
 パチュリーは、安楽椅子に深くもたれて、ため息をついた。
 空を見つめるその瞳には、少しだけ、苛立ちがみえた。
「……だけど、そうね。レミィに黙って隔離してしまうのもいいかも知れない。レミィは……あのおバカっちょなら、もしかすると……」

 ずうん、と地響きがして、テーブルの上の飲みかけの紅茶がからりん、とこぼれ落ちた。
 金だらいをがんがん叩く音が、部屋の外からやってくる。
 続いて、小悪魔の妙にうれしそうな声が聞こえた。
「どろぼーです! 皆さん、どろぼーがやってきましたよー!」
 途端に、パチュリーが飛び起きた。
「またやってきたわね……私の本を盗みに!」
 言いながら、彼女は着ている寝巻きの埃をはらい、ナイトキャップを脱いで、長い紫色の髪に櫛を入れながら、いそいそと図書館に向かっていった。トラブルというのが心底好きな小悪魔もうれしそうだが、何故か図書館の主もうれしそうである。しかし、咲夜にとってこの二人はもはや怪奇植物トリフィドレベルで理解できそうにもなかったので、気にするのをやめた。
 やれやれ、と咲夜は舌うちする。
 災厄というのはいつだって「こんなときに限って」というタイミングでまとめてやってくる。そんな法則を唱えたのは、確かミッフィーだったかミッキーだったか。
 それとも……これも美鈴の言う「悪い気」が起こしているのだろうか?
 ……さて。この忙しいときにレミリア様の紅魔館に土足で侵入するような輩は、どう料理してくれようか。
 咲夜は自分を平等主義者と思っている。人間だろうと動物だろうと妖怪だろうと、みんな平等に切り裂けば血肉が飛び、死ねば肉のかたまりだと考えているから。
 だから、殺した人間は料理すべきだ。牛や鶏と同様、こちらが生きるために殺したのだから。
 ……内臓を傷つけないように首をすっぱり切り裂いて殺し、逆さに吊り下げて血抜きをする。腹部から胸部にかけて一文字に切り、綺麗にはらわたを引き抜く。熱湯できちんと洗浄したあとで皮膚をぺろりと剥がせば、新鮮な生肉のできあがりだ。
 咲夜は、想像しながら、我知らず笑みを浮かべている自分に気づいた。
「吸血鬼殺し」だった頃、人間の世界に居た頃に、よく投げかけられた言葉を思い出す。
 ひとは自分を呼んだ。「化け物」と。
 人間の世界に居たころの記憶を思い出すことはない。いや、思い出したくないのだ。そこにある自分はたったふたつだけだ。
 何かを殺す自分と、何かに殺されようとする自分。
 この吸血鬼の館のメイドにならなければ……本当に狂っていただろうか? それとも、もともと狂っているのだろうか?
 ――まあ、そんなことはどうでもいい。今はただ、この、大切な世界を護ることだけを考えろ。
 咲夜は、懐中時計を持ち、銀のナイフをそっと確かめて、図書館へと向かった。


4「赤い悪夢」


 ――おねえさま。おねえさま。おねえさま。どこにいるの? どこにいるの?

 姉が消えてから一度も着替えていない薄汚れた衣服は、あちこちが破れ、衣類としての役割をほとんど損なっていた。姉が消えてから一度も洗っていない髪は、本来の艶を失い、絡み合ってかたまりとなっていた。その肌だけは、多量の返り血を浴びて、異様につやだっていた。そしてその瞳は、開いていたが、何も映し出していなかった。姉のにおいの前に立ちはだかる邪魔なものは、当然のように排除されるものであり、見る価値すらなかった。フランは、ただ姉だけを見ようとしていた。そして姉が見えない目など、要らないとさえ思っていた。
 だから、今までどれほどの吸血鬼を屠ったのか、覚えていなかった。ただひとつ確実なのは、彼女の前に現れたものは、残らず「花びら」と化していたことだった。
 フランは、姉のにおいがする、地下へと降りていった。
 そして、突き当たりの部屋を、鍵ごとへし折り、開けた。
 
 吸血鬼は、弱点さえ避ければ、そう死ぬことはない。
 吸血鬼たちは、十分すぎるほど、理解していた。
 そして、彼等は一片の容赦もしなかった。

 湿気を含んだ、むせかえるほどの血のにおいがまとわりついた。すべてが赤い部屋の床には、さまざまな「道具」が転がっていた。そして、そのすべてが鮮血に染まっていた。
 フランは見た。
 なかば解体された姉が、十字架の杭に、生物標本のように四肢を広げられた状態で磔られているのを。
 彼女をとりかこんでいる、血まみれの刃物や鈍器を持った吸血鬼どもが、いっせいに怯えた顔を向けたことを。
 ――それから先の記憶は、赤く塗りつぶされていた。
 ただ、気づくと、周囲には、姉以外、何も無くなっていたことは覚えていた。
 世界の終わりのような静けさのなかで、静かな風の音が、とても心地よかったことは覚えていた。
 ――そして、瀕死の姉の美しさを覚えていた。
 完全に壊れたら、もっと綺麗になるんだろうな、と思った。
 物言わぬ赤い薔薇のように。

 そして確信した。

 まっさきにそんなことを考える自分は。

 どうしようもなく狂っているのだと。
  


 フランは。そこで自分が夢を見ていることに気づいて、目が覚めた。まぶたがなかなか開かなかった。溢れた涙が、目やにになって固まっていたのだ。
 ようやく開いた視界には、いつものひとりぼっちの世界がみえた。
 身体を起こそうとして、自分の両手がうまく動かないことに気づいた。前に結ばれた両手に、鉄の手錠がかかっている。手錠には銀の鎖ががっちり巻いてあった。咲夜がつけた枷だった。
 ……久しぶりにあの夢を見たのも、この手錠のせいかも知れない。
 495年のうちに、何度見ただろうか?
 夢から覚めた今でも、あのときの姉の姿は、焼きついている。
 それからだ。自分は、外にいてはいけないのだと気づいたのは。
 フランは、恐ろしかった。自分が外にいると、またいつか、同じようなことが起こるのではないか? わたしの心には、ばけものが棲んでいる。突然暴れて、わたしの心を食ってしまう。そして、あざわらいながら、みんなのつぼみをつみとってしまう。真っ赤な花びらに変えてしまう。
 ――そして、そのせいで、おねえさまは、あんな、ひどい目に。
 だから、彼女は地下に閉じこもり続けることにした。
 彼女が望むものは、ささやかなものだった。
 たまに、レミリアがきてくれれば、それでよかったのだ。
 たまに、自分と笑ってくれればよかったのだ。
 そばにいてくれれば、それでよかったのだ。
 自分を忘れなければ、それでよかったのだ。
 ――だが、495年の孤独は、彼女の中に棲む醜いばけものを太らせていく。
 その、まくろきばけものは囁く。
 おまえは、それで本当に満足なの?
 それがお前の真実の心なの?
 ――黙れ。黙れ。わたしは満足なんだ。それ以上望むと、全てを壊してしまう。だからわたしはここにいるべきなんだ。ここにいて、おねえさまと笑いあえるときを待っているべきなんだ。だいじょうぶ、おねえさまはいつだってわたしのところに戻ってきてくれるから。ほら、いまにでもここにきて、くだらない話をしてくれるはずだ。
 ――あの子が、いつまでもおまえのそばにいてくれると思うの?
 ばけものは、嗤った。
 お前は呪われた力を受け継いだ怪物なんだよ。
 言っただろう? あの子は、レミリアは、お前とは違う。太陽にこがれた鬼子なんだ。
 もう、とっくに心は誰かのものさ。
 ほら、少し前にやってきた、あの巫女だよ。ああ、おまえ「だけ」は会えなかったものね。おまえがわかったのは、匂いだけだ。まるで闇に蠢く「もぐら」のように嗅覚が鋭敏になったおまえも、様々なものがこびりついた、野の花のような匂いを、たまに嗅ぐだろう?
 お前だって、ほんとうは、わかっているのだろう?
 太陽のもとで育った者を、この館に招きいれたことなど、無かっただろう?
 わざわざ太陽の日差しのなかを出て会いにいくなど、無かっただろう?
 あの子は、お前のお姉様は、それほど、ご執心なのさ。
 じゃあ、どうすればいいのかって?
 そんなこと、おまえだってわかっていただろう? 
 ずっとやってきたじゃないか。最もシンプルで、おまえが一番得意なことだよ。
 邪魔者は、壊してしまえばいいのさ。
 人間なんて、痛がりの、こわれものなんだ。おまえがたった一度、その拳を握り締めればいい。あっという間に消し飛んで骨も残らないだろうよ。
 何を躊躇する必要がある?
 そうしなければ、おまえは、永遠にひとりぼっちになるんだよ。
 永遠に、永遠に、永遠に、永遠に、永遠に、このまっくらで狭い世界で、たったひとりにね。
 ――だめだ、あの人間だけは、だめだ。そんなことをしたら、「ここ」にもいられなくなる。またおねえさまがひどい目にあってしまう。
 お姉さまお姉様と、お前はそういうけどね。
 そのお姉様は、お前にあの咲夜という人間をあてがって、それでお前とさよならするつもりじゃないか。
 なんだお前?
 まだ気づいていなかったのか?
 あはは、お前は、なんておめでたい奴なんだろう!
 なるほど、お前が咲夜に好意を寄せているのは事実らしい。
 それに、あの咲夜がお前と同じように影に棲むものであり、心がどこか壊れているのも事実だよ。もしかすると、出会い方が違えば、本当に友達になれたかもしれない。
 だけど今は。
 どうやってもお前にはなびくはずがないじゃないか。
 だって、あの咲夜は、お前のお姉さまにべったりじゃないか。あいつはお前のお姉さま以外の一切を認識すらしていない。お前も含めてそれ以外は……すべて石ころ程度のものとしか映らない。
 ひどいお姉様だよな。それを知りながら、ただひとり、お前を取り残して去ろうとしているのだから。
 あいつは、お前を、ひとりぼっちに、しようとしているのさ。
 なあ、どうする? いや、どうしたい、と思っている?
 ――ばけものは、さも可笑しいといったように、ほくそ笑んだ。
 私は知っているよ。お前が本当にしたかったこと。

 お姉様を、壊したいんだろう?

 お前をひとりぼっちにしようとするお姉様を、思い切り壊したいんだろう?

 本当は、ずっとそうしたかったんだろう? あの日、まるで遊びすぎて壊れてしまった玩具のような姉をみて、お前は興奮を覚えたじゃないか。私もおねえさまを壊したい、と思ったんじゃないか。
 自覚しろ。認識しろ。直視しろ。怪物。おまえは怪物なんだ。不吉な血なまぐさい風を運ぶモンスターなんだ。それは生まれつき持った業で……どう取り繕うとも決して消えない烙印なんだよ。
 破壊。それこそがお前の望みなんだ。そうだろう? 
 ――ばけものは嗤う。嗤い続ける。視界がまるで万華鏡の中のようにぐるぐるまわっている。吐き気が止まらない。ばけものが。わたしの心を食おうとしている。まっくろに。染めあげていく。わたしが。消えていく。食われてしまう。
 フランは、こらえきれず、壁に、へたりこんだ。
 ――あたまが。おかしくなる。たすけて。おねえさま。このままじゃ。くるってしまう。じぶんがまっくろな夜のなかに溶けてなくなってしまう。たすけて。たすけて。たすけて……おねえさま。
 ――そのとき。
 幻だろうか、とフランは思った。
 一人だけの世界の闇に、別の匂いが近づいてきた。
 月の光を浴びて、冷たい夜風に乗って薫る月見草のような、優しくて、クセがあって、少し哀しい、不思議なにおい。いつも、いつまでも嗅いでいたい、おかしな匂い。
「チャオ、フラン。元気?」
 レミリアがひょっこりと顔を出すのをみて、フランは、乱れた呼吸を整えながら、口元だけで笑う。
 ――二つの相反する心が、フランのなかを、ぐちゃぐちゃにかき回している。
「おねえさま、またヘンな言葉を使ってる」
「おっくれってるわねえ。この言葉遣いが今ぶっちぎりでナウいのよ」
「ひとりで来たの?」
「付き添いのメイドたちには、長いトイレって言っといたわ」
 レミリアは、フランの手錠を見ると、ため息をついた。
「咲夜のやつ、また頑丈にやったわね」
 レミリアは、ふん、と鼻を鳴らした。
「まあ、私にかかればこんなもの、大したもんじゃないわ」
 そう言って、レミリアは銀の鎖を掴んだ。
 吸血鬼にとって、銀に触れることは焼きごてに触れるようなものだ。レミリアのまっしろな手から、たちまちぶすぶすと白い煙があがった。皮膚が焼ける臭いが、地下室に充満していく。彼女の手が激しく痙攣している。吸血鬼といえども、人間と比べて痛覚が鈍いわけではない。むしろ、感覚が鋭敏なだけ、痛みも強く感じるのだ。おそらく、こらえきれぬほどの激痛が、レミリアの意思に反して触れることを拒否しているのだ。
「お、おねえさま、やめて! このままじゃ、おねえさまの手が黒こげになっちゃうよ!」
「妹を助けるのは。いつだって姉の役目なのよ」
 レミリアは額に玉のような汗を浮き上がらせながら、にっこり笑う。その肌は、痛みのショックで真っ白になっている。
 フランの心臓が、激しく脈打っている。
 どうして、いつもそうなの?
 どうして、そんなに優しいの?
 がちん、と音がして、銀の鎖が外れた。残った鉄の錠前をレミリアは掴み、まるでモチみたいにぐにゅうと引っ張って、二つに千切って捨てた。地面に落ちた錠前が、がちん、と音を鳴らした。
「やれやれ。熱くて死ぬかと思ったじゃないの」
 レミリアは、両手にふーふー息を吹きかけているふりをしている。
 その指の先端が燃えて、消し炭のようになっているのを、フランは見た。
 ――やめろ。考えることをやめろ。「あの夜」のことは忘れるんだ。お前は今、おねえさまのしてくれたことに対して、そんな顔を向けるつもりなの? 
 ――自分の心を直視するがいい。お前は今、別のことを考えているじゃないか。苦痛に耐える姉から、まるで萎れかけた薔薇に似た、むせ返るような甘美な匂いを嗅ぎ取っているんじゃないか。
 ――やめろ、やめろ、やめろ!
 ふたつの心のなかで揺れるフランを、ふわり、とあたたかいものがつつみこんだ。
 レミリアの心臓の鼓動が、フランの胸から伝わってきた。
 月見草に似たにおいが、むせかえるほどに、とろけそうなくらいに、フランを満たしていく。
「咲夜を、あまり責めないで。あいつはちょっと変わってるし、頑固というか……融通が利かないのよ。決してフランを憎んでいるわけじゃないのよ」
 レミリアはにっこり笑う。
「だから、今度、仲直りの場を作りましょう。今ね、博麗の巫女にお願いしてるの。今度、縁日を開いてよ、ってね。ねえフラン、おぼえている? ここに来るずっと前に行ったでしょ? あのあといろいろあって……結局フランと外に出るのが最後になっちゃったけどさ、でも、そろそろいいんじゃないか、って思うのよ。ここにはあっちみたいに悪い奴らもいないし……あなたのためにもいいんじゃないかってさ。そこで、咲夜と一緒に歩いてさ、楽しい気分になれば、きっとお互いうまくいくと思うのよ」
 ――まくろきものは、嗤っている。
 ――お前のために、だって? それはお前のためじゃないさ。姉の願望だよ。姉は、お前を「だし」にして、博麗の巫女に近づきたいだけなのさ。
 ――仲直りだって? 違うね。お前を咲夜に押し付けようとしているだけさ。
 ――お前を殺そうとしたあの咲夜と、仲良くしろって言ってるんだ。
 ――まだ嘘だと思っているのか? 聞いてみるがいいさ。今、地下室の闇夜に慣れた鋭敏なお前の鼻は、もう、「あの」においを嗅ぎ取っているのだろう?
 ――怖いのか? 曖昧なままでごまかしてきたものを直視するのが怖いのか? 今のこの姉との関係が壊れるのが怖いのか?
 ――だが、それは、いつか訪れる破滅なんだ。
 フランは、なんとか呼吸を整えながら。拳をぎゅっと握り締めて、レミリアに微笑みを作り、その事実を告げた。
「お姉さま。ちょうど、あの巫女がやってきたみたいよ」
 レミリアの顔がぱっ、と輝く。「霊夢がきたの?」
 ――霊夢って言うんだね。あの巫女は。
「そういえば、もうおゆはんの時じゃない。きっとまたご相伴に預かろうって魂胆ね」
「『いつも』おゆはんの時に来るの?」
「私たちの残飯をあさりに来るのよ。あまりに哀れなので、この前咲夜特製の『カレー鴨南蛮かき揚げソーキそば』を食べさせてやったら、涙を流しながらすすっていたわ」
 ――わたしといっしょにごはんを食べたのって、いつが最後だったっけ? もう、ずっとずっと前だから、忘れちゃった。
「ふふ、そうだね」
「あの神社、さらに賽銭が減ったらしくて、最近お地蔵様のお供え物を失敬しているらしいからね。まったく存在そのものがファンタジーと思わない?」
 ――そんな楽しそうな顔、わたしと話しているときには、見せてくれなかったよね。
 フランは、笑い顔を作った。
「たぶん。『いつも』お姉さまが、いるからよ」
「ちょっと! だからどうして私がいると賽銭が減るのよ。もっと増えてしかるべきじゃないの?」
 ――「いつも」いること。そこは否定しないんだね。
「ねえ。おねえさま。霊夢は、おねえさまの。友達なの?」
 レミリアは、ちょっとどぎまぎしながら、目をそらして、
「ち、違うわよ。……そんな人間と友達になんか、なるわけないじゃない」
 ――ああ、そうなんだね。その霊夢って人間と、友達になりたいって、思っているんだね。
 ほんとうに、好きなんだね。
「あ、でも、咲夜は別だからね。あいつは人間だけど、ちょっと、というかだいぶ変わってるから別腹よ。ぞんぶんに仲良くなりなさい!」
 ――そうやって。わたしと離れようとするんだ。
 そうだよね。私はずっとおねえさまの厄介な妹。わたしがいると、おねえさまの大切な霊夢も壊されちゃうものね。
 フランは、自分を見るレミリアの顔が、何か得体のしれないものを見る目になっていることに気付いた。
 姉との距離が、どんどん離れていくのがわかった。
「あは。あはははは。あはははは」
 誰かが近くで笑っている、とフランは思った。ひどく耳障りな、ガラスをひっかくようなひどい笑い声だ。誰だろう?
「なれないよ。なれるわけないじゃない」と、その耳障りな声が喋った。
「だって咲夜は、わたしが嫌いだもの。おねえさましか見ていないもの。ねえ、そんなこと、おねえさまもわかっているでしょ? ねえ、ほんとうはわかっているんでしょ? ねえ?」
 ――心が、落ちていく。抗おうとしても、一度堰を切った負の感情は、みるみるうちに心をまっくろに塗りつぶしていく。そしてその濁った精神の渦の中心で、けだもののような「フランドール」が、まわりを黒いペンキで黒く塗りつぶしていく。「それ」は、まるで闇夜に咲く奇怪な薔薇のように、赤い、赤い唇を開いて嗤う。
 ああ。おねえさま。わたしの憧れのもの、大好きなもの、大切なもの、失いたくないもの、いつもそばにあるもの、いつもいっしょのもの……わたしのもの、わたしだけのもの、誰にも渡したくないもの、わたしと永遠にいつまでも、どこにもいかないで、ひとりぼっちは、まっくらの森がみるみる近づいてくる、たった一人で泣いているのは誰? 何も見えない、聞こえるものはただ、風の音と、枝がこすりあう音、そのまんなかで、たった一人で泣いているのは誰? 冷たい風が頬を刺す、何もみえないまっくら闇がわたしを
「ああああああああああ。うあああああああ」
 白い腹を切り裂き、細い首を絞めろ、たおやかな腕を、足を、根元から引きちぎってしまえ、その美しい紅い目をえぐり、口に十字架を突き刺してしまえ、つぼみをつまむのは最後でいい、もっとめちゃくちゃに壊してしまえ、悲鳴と苦痛を薔薇色の血で美しく着飾るんだ、もっと美しく、もっと美しく、もっともっともっともっともっとやめろやめろやめろかんがえるなかんがえてはやめてやめろやめろわたしはくるっているんだくるっているわたしはくるっているくるっているたすけてたすけてたすけてきれいなおねえさまおねえさまわたしをわたしをわたしをひとりにひとりにしないでおねえさまおねえさまおねえさま
「フラン? フラン、大丈夫なの!」
 鈴の音のような声が響く。心がうずきはじめている。鈴が壊れたときの音を求めている。だめだ。今わたしに近づいては。それはわたしであってわたしじゃない。涙を流している自分に気づく。何のために涙を流しているのだろう? おねえさまの隣にいるのは誰? わたしの代わりにいるのは誰?
 
「――おねえさま。そこに、狐のお面があるかしら?」

 レミリアは、一瞬きょとんとしたが、床に転がっている使いふるした狐のお面を目にとめると、それを拾い上げた。
「ごめんなさい。それを、私にちょうだい」
「……これ、まだ持っていたの?」
「だって。おねえさまからもらった、たいせつなものだもの」
 ――祭りの囃子が耳を噛んで、やきそばソースの焦げるにおいが鼻をくすぐる。ずらりと並ぶ屋台、ちょうちんの赤い光。おねえさまが駆け出すと、からからと下駄が音をたてる。その桃色の浴衣の背中には、ふたつの羽根がうれしそうにぱたぱたはねている……。
「たった一度だけ行った、あのお祭りの日は。わたしは、ずっとわすれないもの」
 レミリアは、何も言わず、フランに手渡す。
 フランは、狐のお面をかぶる。がぼがぼの和紙が顔にあたる感触、ゴムひもが耳を引っ張る感覚、土くさいにおいが鼻孔をくすぐる。
 フランは、見せたくなかったのだ。
「……私もよ。フラン。たのしかったわね。人間にまぎれこんで夜の縁日を歩くだなんて、はじめてだったものね」
 自分の、陰惨に歪む顔を。溢れ出る涙を。
「うん。たのしかった。たのしかったよ。またいきたいね。いつかきっと、またいきたいよ」
 ――赤い悪夢が心を浸していく。真っ赤に染めあげていく。縁日の思い出も、おねえさまの姿も、すべてをかきけしていく。もうだめだ。もう。もう。もう。あああ、たすけておねえさま。逃げて。わたしはもうだめなんだ。逃げて。逃げて。わたしから逃げて。お願い。にげてにげてにげてたすけてたすけておねえさまおねえさま
「……フラン。いいのよ。私は、とっくにわかっているよ」
 レミリアは、微笑みながら。
「だって、私はあなたの姉だからね」
 レミリアの笑顔が、涙の泡のなかににじんでいく。
「……おねえさま。ごめんなさい。わ、わたしは。くるって、くるって、」
「……ごめんね。フランを、救えなくて」
 レミリアの笑顔が、さびしげに曇った。
 優しすぎる笑顔だと、フランは思った。
 そして理解した。
 自分は、やはり、存在してはいけないモンスターなんだと。
 こんな笑顔を向けられて、それでもなお……姉を壊したくてたまらないのだ。
 鋭い爪をむきだしにした手が、止まらないのだ。
 姉に、自由にしてもらった手が。
 
 なまあたたかく、やわらかいものをつらぬく、絶望的な感触。

 フランの腕の先から、しびれるようにつたわってきた。

 涙の泡のなかで、ぼんやりとうつるレミリアの笑顔は、すこしも変わらなかった。
 彼女は、フランの腕を、震える腕を、やさしく握り締めた。
 自分の胸元を貫いている腕を。
「……どうして。どうして、おねえさまは。そんなに。やさしいの?」
 首を振りながら、レミリアは口を開いた。
 しかし言葉の代わりに出たのは、血だった。
「は、はやく見捨てればよかったんだよ。わ、わたしにやさしくしたばっかりに、こんなことに……こんなことに」
 レミリアは、口元から落ちる血を拭うこともなく、ただ、笑っていた。
 やがて、レミリアのからだが力を失い、ず、とフランにもたれかかってきた。
 フランは、ぐったりと横たわろうとするそのからだを、震える手で、必死になって抱き留めようとして。
 その右手が、真っ赤に染まっていることに気付いた。
 姉の血で。染まっていた。
「あ、あ、あ、あ、あ」
 フランは、どうすればいいのかわからず、ただ、レミリアのからだを抱きしめながら、泣き崩れた。
 レミリアの顔が青白くなるにつれ、だんだんとその笑顔も、溶けて消えていく。
「あ、あああああああ。ああああああああ。ああああああ」
 ――ごめんなさい。あたまがおかしくて、ごめんなさい。やっぱりわたしなんて早く死んでおけばよかったのに。早く死んでおけば、こんなことにはならなかったのに。ごめんなさい。ごめんなさい。ごめんなさい。ごめんなさい……。
 フランは、自分の手が失わせつつあるものを、必死にかきよせるように抱きながら、泣き続けていた。


5「世界の終わりにあなたとふたりでいる夢」


「大ちゃん、ほらいそぐよ! うおおー! こんどこそ吸血鬼とあそぶぞ!」
「ね、ねえチルノちゃん、私たち、クビって言われた気がするんだけど……」
「くびってなに? ぐにぐにしてるお菓子のこと?」
「それはグミだよ……」
 水色の髪の妖精に手を引かれた大妖精は、ため息をついた。
 ――チルノちゃんは何にでも興味を持つ。一緒にいると、いつもとはまるで別世界にいるようで、ちっとも飽きないのだけど、怖いところにも平気で首を突っ込んでしまうので危険な目にあったことも一度や二度じゃなかった。そしてもっと恐ろしいことは、いつもチルノちゃんは危険だったことすらまったく気付いてないってことなのだ。
 大妖精にとって、あの屋敷の地下室の出来事は、トラウマものの恐ろしい体験だった。おしっこだってもらしてしまった。最悪だった。
 だから、「地下室に吸血鬼がいたじゃん? あいつっちへあそびにいこうよ!」といつものように軽いノリで誘われたときに、妖精は必死になって説得した。
「チルノちゃん、あの吸血鬼はホントに怖いんだよ。チルノちゃんなんて、あっという間に春先の雪だるまみたいにドロドロにされちゃうのよ!」
「……あたいよりつよいやつがいるってわけ?」
 チルノは、ぎらぎらと目を輝かせながら、不敵な笑いを浮かべていた。
「どうやら、最強はだれかってことを、そいつにもわからせないといけないようだね……」
 やばい。最強にこだわるチルノちゃんの心を逆に刺激してしまったらしい。
「ち、違うよチルノちゃん! 最強はチルノちゃんだけど、あの吸血鬼は……その、反則技を使ったりするのよ。パンツのなかにイボイボのついたメリケンサックとか忍ばせたり、いきなり目つぶしをしたりするのよ。だから……いくら最強のチルノちゃんでも危険なの」
「あたいはむてきだよ……どんなやつのちょうせんもうけるのさ」
「だ、だれも挑戦なんてしてないよ!」
「どうやら、ひさしぶりにたのしくなりそうだね……」
「別にそんな楽しみ必要ないよ! 目を覚ましてよ!」
 そういうわけで、まったく聞く耳を持たずに紅魔館に向かうチルノを見捨てるわけにもいかず、大妖精は、再びこの妹様がいる地下室に来てしまったのである。
 今度はチルノが扉に激突する前に「賢者」に声をかけることもできたし、「賢者」も、咲夜のあれが効いたのか、あっさりと扉を通過させてくれてしまった。
「うおお? 前にはじかれたのがうそみたいだよ! 大ちゃんすげえ!」
 チルノは「ほああっほああっ」と叫びながら、両手から氷をばかすか発生させている。
 大妖精のテンションは、逆に下がりっぱなしだった。
 今まで「森の魔法使いに『ねえぼっちってどんな気持ち? ねえどんな気持ち?』と数人で煽る」とか、「博麗神社の賽銭箱のなかをカメムシで埋めつくす」とか、いろんな危険なことをやってきたけど、今回はまじでやばいよ……。
 扉を抜けたとたん、さっそく彼女は「うひいっ」と立ち止まってしまった。
 「幼稚園」の校庭の真ん中で、狐のお面を後頭部につけた金髪の吸血鬼が立っていたのだ。
 彼女は、右腕を少し上にあげたまま、うつむいている。
 少し上げた左手から、何かをこぼしているようだった。
 吸血鬼の手首のあたりから、それは流れ落ちていた。
 真っ赤な血だった。
 彼女の手首は、何かに食いちぎられたようにざっくりと切れていた。血は、その傷口からあふれているのだった
 彼女は、まるで夢うつつのようなぼんやりとした目で、見下ろしている。
 彼女の足元には、人形のようなものが横たわっていた。
 それは、吸血鬼と同じような姿をしていた。ただ、あのドアノブみたいな帽子と、髪の色が違っていた。妖精が人形だと思ったのは、それがぴくりとも動かないからだ。しかしすぐに妖精は、それが以前にも見た、彼女自身の分身のようだ、と気づいた。
 動かないところをみると、もう壊してしまったのだろう。相変わらず物騒だよこのひと……。
 水道の蛇口をひねったように溢れ出る赤い血は、その人形のようなものの胸元に落ちて、そのドレスを赤く染めあげていた。
 自分の血を死んだ分身にひっかけるなんて、なんの意味があるかさっぱりだったが、とてつもなく危険な香りを大妖精は嗅ぎ取っていた。
「おっ! あれこそまさに吸血鬼!」
 そんなフランの姿を認めるや、チルノは飛び立とうとする。
「ま、待って!」
 妖精は、チルノのスカートのすそを踏んづけた。チルノは勢いあまって思いきり前のめりにぶっ倒れた。
「ひ、ひどいや大ちゃん! なんでこんなことするの?」
 額を押さえながら、涙目になったチルノが非難の声をあげた。
「ちょ、ちょっとチルノちゃん、声が大きいってば!」

「……が、たりないの」

 最初、それが誰の声なのかわからなかった。
 あまりに小さく、ぼんやりとしたつぶやきだったからだ。
「……もっと血がいる。もっと。もっと、もっと」
 うわごとのように繰り返していた。
 チルノは、吸血鬼の手首を見つめていた。
「……おまえ、けがしてるじゃんか」
 吸血鬼は、まったく反応しなかった。
「……血が」
 そして、右手を、自分の首筋に近づけて、かるく、握りしめた。
 瞬間、吸血鬼の首元が、爆発した。
 吸血鬼の首筋は、まるでスプーンでくりぬかれたアイスクリームのように、えぐれていた。
 あっけにとられる妖精たちの前で、吸血鬼は、無表情のまま、えぐれた首筋に触れて、べっとりついた血を、見た。
「……もっと、ださないと」
 そして、再び右手を、自分の首筋に近づけた。
「おい!」「ち、チルノちゃん?」
 妖精が止める間もなく、チルノは吸血鬼めがけて勢いよく飛んでいった。そしてその近くにやってくると、血にまみれた吸血鬼の右腕をがっしとつかんだ。
「自分で自分をきずつけてどーすんだよ! いくらあたいとたたかうのがこわいからって!」
 吸血鬼が、その目をはじめてチルノに向けた。
 恐ろしいほどうつろで、こちらの存在に対して無関心な、冷たい瞳だった。
「……おねえさまには、もっと血がひつようなの。わたしが、こわしてしまったから」
 おねえさま? 
 ……まさか、と妖精は、よこたわるものをみた。
 その背中の羽根は、金髪の吸血鬼と違い、骨組みだけじゃなくて、とても大きかった。
 ということは、まさか。あれは分身じゃなくて。本物の。本物のお嬢様。なの?
 大妖精は、わけがわからなかった。
 え? まさか、妹様がやったの? 自分のお姉さんを、あんなにしたの?
 妖精は、まっとうな性格だった。友達や家族は大切にするものだ。ほかのひとを傷つけてはいけない。それを当たり前のことだと思っていた。
 だから、この吸血鬼の行動はまるで理解できなかった。
 自分の価値観と相反するものを「異物」とみなすのは、妖精も人も一緒だった。
 妹様は、やっぱりおかしい。くるっているんだ。
 吸血鬼は、チルノを見つめている。 
「血が、ひつようなの」
 ハエか何か以上にはまるで考えていない無慈悲な瞳で、チルノの胸元を見つめていた。
 まるで、その心臓をつかもうとするかのように、右手を伸ばすと、てのひらを握りしめようとした。
 大妖精の直感が、全力で危険を知らせた。
 ――チルノちゃんが!
「うわっ?」
 大妖精は飛び出すと、そのままチルノのからだにぽーんとダイブした。ふたりはそのままの勢いで地面に転がる。
 大妖精はうまく受け身を取ったが、チルノは思い切り後頭部をぶっつけたらしい。あおむけになったチルノは後頭部をおさえながら、じわりと涙目になっている。
「……大ちゃん、あたいのこと、きらいになったの?」
「そ、そうじゃないよ! いまあいつが」
 言葉は、轟音でかき消された。
 ちょうどチルノが立っていたあたりに、煙がたちのぼっていた。
 吸血鬼は、その煙のなかに何もないことを、不思議そうにながめていた。
 ――こいつは。チルノちゃんを。爆発させようとしたんだ。
 何もしていない……いや、それどころか、ちょっとずれてるけど、気遣ってくれているチルノちゃんを。
 大妖精は、本当に、まっとうな性格だった。
 彼女は、すっくとたちあがり、吸血鬼の前まで歩み寄ると。
 その頬を、音が出るほど強く張った。
 吸血鬼は、呆然と、妖精を見ていた。
「どうしてこんなことをするのよ! チルノちゃんは何もしてないのよ! それどころか、あなたを心配しているのよ!」
 チルノも、押し黙るほどの声だった。
 吸血鬼は、張られた頬を押さえながら、大妖精を見つめていた。無表情な瞳で。
「何よ。やるならやりなさいよ! だけどね、こんなひどいことばかりするやつには絶対に負けないからね! こっちには最強のチルノちゃんもいるんだからね!」
「お、おう! あたいは地上最強の妖精! 地球なんてチョップでまっぷたつだ!」
 まっとうだったから、想像もしなかったのだ。
 他人を傷つけたくなくても傷つけてしまうものが、この世にはいることを。
 迷惑をかけたくなくてもかけてしまうものが、この世にはいることを。
 そして、そんな自分自身を、何よりも、誰よりも、憎んでいるものがいることを。
「……わかっていた」
 ――金髪の吸血鬼は。
 後頭部の狐のお面をひっくり返し、自分の顔に被せる。
「わたしは。この世界にいてはいけないことなんて。この世界にはいらないことなんて。ずっとむかしからわかっていた」
「……えっ?」
「ずっと世界の終わりを夢みていたんだ。すべてが消えて、めんどうなことがぜんぶなくなった世界で、おねえさまと二人きりで、お話をしている夢。ひどい夢。おかしい夢。だけど……私にとっては、何よりも、楽しい夢」
 ――まったく感情のこもっていない声で。
「だけど、おねえさまは、咲夜たちといっしょに、にぎやかなおまつりにいて……みんなで楽しそうにわらっているんだ。わたしは、ただひとり、それを眺めているだけ」
 ――彼女は、右手を高々とあげた。
 危険を察知した大妖精は、チルノの首をひんつかむと、わけがわからず「ぎょっ?」と鳴いているチルノをそのまま抱きしめて床に伏せた。暴れる彼女を自分のからだでおさえつけながら、大妖精は吸血鬼を薄目で確認する。
「こんなもの……でようとおもえば、いつでも、でれたんだ。ただ、わたしは……おねえさまがいるせかいをこわしたくなかったんだ」
 ――そのてのひらが、ひらいて。
「だけど。結局。わたしは。そのせかいを。自分で」
 ――ゆっくりと、とじた。
 瞬間、世界が、瓦解した。
 おそろしいほどの爆音と突風とまばゆい光が、一気呵成にやってきた。自分が今地面にいるのかも、立っているのか座っているのかも、縦なのか横なのかもわからない。台風と地震と爆弾が狭い部屋で一気にやってきたような感覚。
 大妖精は背中に衝撃を覚えた。
 視界が、暗転した。

 痛いほどの静寂に、耳が違和感を覚えて、大妖精は、意識を戻した。
 目を開けても暗い世界に、戸惑いながら、ようやく、自分の上に何かがかぶさっていることに気づいた。途端に、閉塞感をおぼえてあわててぐぐうと押してみると、思ったよりもやわらかい感触が跳ね返ってきた。不思議に思いながら思い切り押すと、ぐあらん、と音がして、光が差してきた。どうも、自分とやわらかいものの上には、瓦礫のようなものが覆いかぶさっていたらしい。
 大妖精は、記憶を思い返し。
 自分の上にのっかかっているやわらかいものがチルノだと、ようやく気づいた。
「――チルノちゃん!」
 チルノは、ぐったりとしたまま動かない。
 まさか。チルノちゃん。そんな。そんなの嫌だ!
「チルノちゃん! 目を覚ましてよ!」
 妖精は、ばちいんと思い切り頬をはたいた。「ぐぉ」と短い悲鳴をあげて、チルノは目を覚ました。
「よ、よかったチルノちゃん……」
 チルノは半べそになって、張られた頬を押さえていた。
「やっぱり大ちゃん、あたいのことが……」
「ち、ちがうって! てっきりさっきのことで――」
 大妖精は、そこで、周囲の様子が一変していることに気付いた。
 ただの、瓦礫の山だった。幼稚園も、薔薇の造花がからみついた柵も、吸血鬼が分身と遊んでいた校庭も、チルノが吹っ飛ばされた十三枚の結界の扉も、さっきまであった景色のいっさいが瓦解し、消失していた。
 ――これも、ぜんぶ、あいつがやったことなの?
 呆然とする妖精の隣で、チルノが「うおーうおー」と叫んでいる。
「すげえ、なんだか別の世界にとばされたみたいだ! かっこいい!」
 チルノは、ぐっと握りこぶしをつくった。
「よし、じゃあ、やろう!」
「えっ?」
「どっちがさいきょうなのかをきめるのさ! しゅもくはおまえにきめさせてやる! 缶けりがいいか? 鬼ごっこがいいか? ザリガニずもうでもいいぞ!」
 チルノは吸血鬼のいたほうをびしっと指差したが、
「……ってあれ? あいつどこにいっちゃったの?」
 金髪の吸血鬼がいたところは瓦礫の世界のちょうどまんなか、すりばち状にへこんでいたが、そこにはレミリアと思われる吸血鬼がよこたわっているだけだった。
「うおー! あたいにおそれをなしてにげたなー!」
「ちょ、ちょっと待って!」
 飛び立とうとするチルノのスカートを、妖精は再び踏んづけた。チルノはまたしてもすっこけて顔面を痛打した。
「……もういい。大ちゃんのきもちはあたいにはよくわかったから……」
「だ、だからちがうってば! あそこに倒れてる吸血鬼をほっておけないじゃないの」
「え、あれ、お人形じゃないの?」
 おそるおそる近寄ってみると、さっきの吸血鬼の血を浴びたせいで、全身が真っ赤に染まっており、人形のように動かない。顔色もまっしろだった。生きてるか死んでるかわからないが、調子は悪いことは違いない。
「し、死んじゃってるのかな」
「ひっくりかえしてみようか?」
「チルノちゃん、カナブンじゃないんだよ……」
「じゃ、どうしよっか?」
 大妖精は、正直に言うと今すぐ帰りたい気分だった。この地下室の妹様だけじゃない。この館はヘンなひとばかりだ。外敵から守るはずの門番は気さくな性格で誰だろうとウエルカム状態だし、図書館の魔道師は、たまにひとりで虚空を仰ぎながら薄笑いを浮かべてたりするし、主は姿を見せると唐突に「これから紅魔館杯カバディ大会を開催するわ!」とか意味不明のことを言い出したりするし、メイド長は何にもしなくても無表情のままこっちを殺してきそうな目で睨んでくるし……とにかくこれ以上いたらストレスで病気になってしまう。チルノちゃんには悪いが、ほんとクビになってよかったーと心底思っていた。
 ……だけど、あの吸血鬼が心配なのは確かだった。
「……とにかくメイド長に教えようよ」
 それだけやったら帰ろう。あたたかいコーンスープを飲んでぐっすり眠ろう。大妖精は、折れかけた心を無理やりふるいたたせるのだった。


6「まくろきかいぶつのささやき」


 ――いつか、こんなときが来るとおもっていた。そんなこと、最初からわかっていた。
 495年間、この地下室で、わたしは、ごまかしながら生きてきた。
 大切なものをこわさないように。
 大切なみんなの世界をこわさないように。
 だけど、結局それは、ごまかしていただけだ。
 あの妖精が言ったとおり、わたしは、だいすきな、だいすきな、だいすきなおねえさまさえも、むちゃくちゃにこわしたがる、頭のおかしなばけものなんだ。この世に存在してはいけないものなんだ。
 だから、わたしは、だれにも、ちかづいてはいけない。だれも、みてはいけない。だれも、すきになってはいけない。ただ、はやく。はやく死んでしまえ。咲夜も、おねえさまも、みんな、みんな、そうねがっているんだ。だから、はやく死んでしまえ。ひとりで死んでしまえ。
 フランは、姉と違い、うまく飛ぶことができなかった。
 だから今、彼女は地下室の壁を足で無理やり踏み抜き、壁と垂直方向の状態に突き刺さりながら、一歩一歩、歩いて登っていった。
 壁を踏み抜くたびに、彼女の足がきしむ。彼女の力に、足自身が耐え切れないのだ。
 フランは、足が折れようが砕けようが構わなかった。ただ、上まで登りきるまで持ちこたえてさえすれば、それでいいと思っていた。
 登っている途中で、下から、さっきの妖精たちが慌てた様子でふらふら飛んできて、そのまま通過していくのがみえた。
 たぶんあの妖精たちなら、おねえさまのことも、咲夜に教えてくれるだろう。
 これで、最後の心残りも消えた。
 あとは、死ぬだけだ。
 死に方はもう、決めている。
 おねえさまをとりこにした巫女。みんなが口にする博麗の巫女。
 太陽をいっぱい吸い込んだ、野花のような匂いのする人間。
 どうやらあいつは、どんな異変をも解決してくれるらしい。
 死ぬのには、ふさわしい相手だ。
 そう考える一方で、フランは、その野花を踏みにじり、散らしたときの光景を想像して、ふるえたつような悦びをかんじている自分も認めている。
 あの巫女を殺したら、おねえさまは、どんな顔をするのだろうか。
 もしかして、わたしを殺してくれるかな。
 だったら、うれしいな。


7「さかしま少女領域」


「あれえー」という声とともに金だらいが甲高い音を立てた。どうやら、小悪魔が床に墜落したらしい。
 パチュリーが書斎の扉を開いて図書館に入ると、小悪魔が折れたはたきをぶんぶん降って「パチュリーさまー」と呼びかけてきた。
 近づくと、小悪魔はにっこり笑って、
「すみませんパチュリーさま。またあの金髪の泥棒にやられちゃいました!」
 四つ葉のクローバーでも見つけたようにすごく嬉しそうであった。
「で、何を盗まれたの?」
「えーと、なんか鍵がかかってて表紙に宝石っぽいものがゴテゴテ貼ってあるよーなすごく高そうな本でした!」
 相変わらずぶん殴りたくなるステキな笑顔だが、パチュリーはぐっとこらえて手に持った鍵つきの本を見せた。
「それは、この本に似ていたかしら」
「おお、それですそれ! なんだ、もう一冊あったのですね」
 パチュリーは、今回ばかりはにんまりした。
 よし。狙い通り。
「いやーなんだか今夜のパチュリー様は違いますねえ。いつもならアトラスとかゴーレムとか召んできて私にバトルという名のイジメをするのに。もしかして、恋でもしました?」
 パチュリーが呪文を詠唱すると、タコを千匹くらい固めて作った山のような奇怪な「精霊」が出現した。その山の頂にある円錐状の頭部が「ギョー」と鳴いている。
「旧支配者じゃないですか。あはは、冗談きついですよー」
 小悪魔が這い寄る混沌に取り込まれてすごいことになっていると、応接室の扉が勢いよく開き、咲夜が姿を現した。
「賊はどこですか。パチュリー様?」
 右手にナイフを持ちながら、きょろきょろと鋭い視線をあたりに送っている。
 うわ。相変わらず血の気が多い奴ね……魔理沙が去ったあとで本当によかったわ。
「もう消えたわ。まあ、大したものは盗まれてないからそのまま放っておきましょう」
「そうはいきません。レミリア様の紅魔館に侵入した不埒な輩には、相応の罰を与えねば」
 むー……別にいいじゃんテキトーで。どうせたいした館じゃないし。などとパチュリーは思ったが、そんなことをいうと、火にガソリンを注ぐだけなので、口をつぐんでいた。
 パチュリーは、咲夜がわりと苦手である。なんというか、かもしだす犬チックなところがダメなのだ。主人であるレミリアに尽くそうとか、そういうオーラをびしびしと感じるたびに、自分が興味を持つものだけしかできないパチュリーは、ちょっと引いてしまうのである。
 ……しょうがないわねー。あとで一人でゆっくり見ようと思っていたのに。
「……咲夜。本を盗まれたわりに、ずいぶん私が落ち着いているようにみえないかしら?」
「そういえばそうですね。以前レミリア様がクッキーを食べながら本を読んでいるのを見ただけでレミリア様をバーベキューにしようとしたのに」
「ほ、本を読みながらクッキーを食べるなんて最低よ! クッキーのカスは本に挟まるし、ページをめくるたびに手についた油がこびりつくし! そうじゃなくてもあいつはいつも寝ながら読むせいでよだれがこびりついているわ、下敷きにされるもんで変な折れ目がついているわ……ああもう本当に本当にあのバカリアには我慢ならないわ!」
「ぱ、パチュリー様、レミリア様には私から注意しておきますので……とにかく、それだけパチュリー様が落ち着いているのには理由があるというわけですね」
「そうよ」
 パチュリーは一冊の本を取り出す。鍵付きの本であった。
「面白いグリモアールを発見してね。『怪奇骨董嘔吐箱』っていうんだけど、試しに仕掛けてみたわけ。これ、実は好きな女の子にバットで首を吹っ飛ばされた男の子の話がもとになっているの。女の子は首のもげた男の子を『個性的な顔やわー』と胸キュンして付き合うようになる。オルゴールの箱に入れられた首は、自分の身体と女の子がイチャイチャするのをひたすら眺めるだけ。男の子は自分自身の身体に嫉妬して、身体を『このどあほ。脳無し』と罵るんだけど、実は身体のほうも、言葉や表情で意思疎通が図れる顔に嫉妬していたの。やがて身体は首を絞め殺してしまい、男の子は自分に殺されたことでようやくひとつに戻れたわけだけど、その絞め殺される寸前に、首は、自分が嘔吐した汚物を眺めて、『もしかするとわしの吐き出したゲロもわしを憎んどるんかな』と考える……という内容なの」
「……なるほど」
「結論から言うと、このグリモアールは、その話の趣旨のとおり、実存と本質を操作するものなのよ」
「なるほど。よくわかりました」
 咲夜の顔には、「私には理解できないことがよくわかりました」と大きく書いてあった。
 やれやれ、とパチュリーは肩をすくめる。
 咲夜は理屈が理解できないというわけではない。もっと根本的な部分、「どうしてこのひとはこんなわけのわからぬ話を聞かせるのか」が理解できないのだ。つまり最初からパチュリーを「わけのわからぬひと」だと思っているのだ。当然わけのわからぬものがわけが分かる話をするとは思ってないわけだ。
 まあ、いつもの反応だ。みんなが自分に向ける、いつもの反応だ。
 いつものことだから、いつものようにパチュリーは咲夜の反応を受け流して説明することをやめた。
「……まあ、とにかくね。実存と本質を操れるのだからいろいろと面白いことができるんだけど、簡単なとこを教えてあげる。今、泥棒が盗んだ本とこの本とを『本質』は同一ということにしてあるわ。するとどうなると思う? 泥棒の本から見える光景がこの本からも見えるってわけよ」
 パチュリーが鍵を開けてページをめくると、いきなり金髪の少女の顔がどアップで出てきた。どうやら彼女は両手で抱えているらしい。そのため、彼女の顔を思い切り間近から見上げるかたちで映ったのだ。
 きりり、とした瞳と、自信ありげに固く結ばれた桜色の唇が、すぐ目の前にある形で映し出される。
 ぎょえー。ま、魔理沙のクチビルがこんなに近くにー。す、すばらしすぎる。うひー。
「ほう……これで盗人を四六時中監視することができるというわけですね。さすがパチュリー様」
「そうよ。四六時中いつでもこの本を通して見張ることができるのよ」
 うはー、魔法ってサイコー!
「しかし、どうしてこの本を盗人が狙うことを知っていたのですか?」
「トリックを仕掛けたのよ」
 咲夜が怪訝そうに眉をひそめるのを無視して、パチュリーは本の向こう側の魔理沙を眺めた。当然覗き見されているとは思っていない魔理沙は、ホウキにまたがりながら、しきりに揺れる前髪を指でつまんで枝毛を探していた。より目になって、けっこう真剣な表情である。
 魔理沙って、けっこ枝毛を気にするタイプだったのねー。すっとんきょうだけど、心には乙女がいるわけね。
 むひー、またひとつ、魔理沙のことを知ることができたわ。そしてこれから私しか知らない魔理沙、私だけの魔理沙がどんどん増えるのね……。えへへへへ。
「大ちゃん、なんでこの人、本を見ながらニヤニヤしているの? へんなひと?」
「ち、チルノちゃん、あまりストレートに言っちゃまずいことがあるのよ」
 パチュリーを指差す水色の妖精を、大妖精があせあせとたしなめている。
「……あんたらどっから湧いてきたのよ」
「そ、そんなハエみたいに言わないでくださいよ」
 次に咲夜が、じろりと二匹の方を見た。
「あんたたち、もうクビって言わなかったっけ?」
 緑色の妖精が、「ひい」と短く鳴いた。パチュリーのときとは、段違いのびびり方である。
「す、すみません。だから、こ、ころさないでください」
「大ちゃんをいじめる奴はゆるさない! あたいはおまえに『せんせんりだつ』するぞ!」
「いや私、何もしてないんだけど……だからあなた達、何しに来たのよ」
 しかし、妖精がびびるのも無理はなかった。咲夜のひと睨みは、どんな妖怪よりも恐ろしい。あまりに恐ろしすぎて頭のネジを外してしまうのか、咲夜にはメイド達や人間の里にコアなファンが存在するくらいである。
 やつらは「酷薄そうな笑みを浮かべながら肉切り包丁で豚を解体している咲夜さん」「お嬢様の後姿を追いながら、あやしい笑みを浮かべている咲夜さん」「お嬢様と仲良く話をしている米屋のサブちゃんを冷たく睨み付けている咲夜さん」などといった、天狗から購入したレアでプライベートな写真を互いに見せ合ったりしながら「ひとをブタのように平然と殺しそうな目がたまらない」「あの低血圧気味の声で罵られたい」「あのすらっとした足で漬け物のように踏まれたい」などとわけのわからぬ妄念を日夜語り合うのである。
 その筆頭である某門番いわく。「咲夜さんのあの冷たい目でにらまれると……なんかおかしくなっちゃうんです。ついポロッと『実は昼寝をしていました。むしろ夜も寝ていました。そして昼まで寝ていました』とか、やってないことまで言いたくなるんです。ああ、どんな冷徹な目で私を見下してくれるんだろう、今度はどんな冷たい言葉を吐きかけられるんだろう、とか想像するだけでぞくぞくしちゃうんです。咲夜さんの存在自体が罪なんです。だから……だから、私が門番をサボるのはぜんぶ咲夜さんが悪いんです!」
 そう主張する門番の目は、キラキラ輝きながらドブのように濁っていたという。
 大妖精は、そんな咲夜の視線を必死に耐えながら、
「れ、レミリア様が、妹様の部屋で、」
 咲夜の顔が、一気にこわばった。
 パチュリーは、やれやれ、と心のなかでつぶやき、目を閉じる。
 ――予想よりも。ずいぶん早い。
 もう少し早く動くべきだったのか? ……いや、どうせすべては気まぐれな運命の輪のなか。言うなれば、これは必然の偶然ってやつだ。
 そのとき、ぐらり、と足元がぐらついた。今夜何度目かの地震だった。棚がきしみ、本がぐあらぐあらと揺れる音が図書館全体から聞こえる。今度はかなり揺れが大きい。
 咲夜は、地震をいとわず、妖精を凝視していた。
「――レミリア様が、どうしたの?」
「れ、レミリア様が……倒れているんです」
 咲夜の瞳の色が、穏やかな青色から、炎のような赤に変わった。
 ――やれやれ。
「ちょっと待つのよ。咲夜」
 既に咲夜は、懐中時計を手に持ち、リューズを押す寸前だった。
「何を待つのです? 何のために待つのです?」咲夜の声は、苛立ちを抑えきれていなかった。
「時間を止めることはできるけど、遡ることはできない。今この十五秒を使ったために、レミリア様が死ぬかも知れないんですよ!」
「あなたは紅魔館のメイド長よ。あなたが真っ先に飛び出す前に、情報を確実に得て、的確な指示を出すのが使命じゃないの? 落ち着きなさい。問題は、レミィだけじゃない……もっととびっきりの異常事態が起こっているのよ。さっきの地震が何なのか、想像つかないの?」
 咲夜は、パチュリーの言葉に、はっ、と我に返った。
「……妹様が、外に出たと?」
「そのとおりよね。そこの妖精さん」
「は、はい。い、妹様は、地下室を吹っ飛ばしたあと、どこかへ消えてしまいました」
「では、次の想像よ。大好きなお姉さまを置いて、妹様は消えた。どうしてかしら?」
「……レミリア様に会えなくなるようなことをしてしまった」
 ほんとレミィのことになるととたんに鋭くなるわね、と思いながら、パチュリーはうなづく。
「レミィはね、妹様の、唯一のよりどころなのよ。それを妹様はなくしてしまった。少なくとも妹様は、なくしたと思っている。では次の想像。そんな彼女が望むことは、なに?」
 パチュリーは、一呼吸置いてから、自分で言った。
「たぶんね。妹様は、死ぬつもり。そのために、自分を閉じ込めた地下室から這い出したのよ。まるで成虫になると、餌を食べることもなく死んでいくカゲロウみたいに、ほかのことを何も考えずにね。
 では、最後の想像。カゲロウは、新たな生命のために飛ぶけど、死ぬために飛ぶ妹様が最後に求めるのは、誰だと思う?」
 ――死に必要なのは……「天敵」。
「博麗の、巫女」
「彼女は今、どこにいると思う?」
 パチュリーは、もう一度、魔理沙が映る本を咲夜に見せた。
 ――彼女は、すでに気づいていた。
 魔理沙のかぶるとんがり帽子のすみっちょに、赤いおもちゃみたいなお札がくっついているのを。
 だから、もとから答えは出ていたのだ。
 ――すべてを察したのだろう。咲夜は、きっ、と鋭い眼差しで妖精をにらんだ。
「そこの妖精。『食料庫』に行って、博麗の巫女を呼んできなさい。異変が、名指しでお呼びだとね」
「……へっ?」
 大妖精は、咲夜を見つめて固まっていた。「いや、でも私たち、もうクビって」
 咲夜は、にっこり笑った。
「クビはたった今撤回します」
「ていうか、妹様は巫女へ近づいているんですよね? それってめちゃくちゃ危険なところじゃないですか」
「だから、これは命令です」
「め、命令ってそんな。横暴です!」
「命令に従わないのですか?」
「そ、そーです。私たち、もう今日は疲れたんでこれで帰ろうかと」
 咲夜の瞳の色が、再び赤く染まった。
「逃げたら……殺す」
 その手には、数本のナイフが光っていた。
 大妖精が、ハトのような目で思考停止に陥っている間に、咲夜は、その場から消失した。時を止めながら移動したのだ。
「悪いけど、巫女のほうはお願いね。私は私で、やることがあるの」
 パチュリーが、ぽん、と大妖精の肩を叩いた。
 彼女は、我に返ると、へなへなぺったりへたりこんだ。頭を抱え込みながら、
「……どうしてこんなことになるの……? わたし、なにも悪いことしてないのに……」
 なるほど、これがレイプ目ってやつね。と、大妖精を見ながらパチュリーは思った。魔理沙のレイプ目か……も、妄想が広がるわー。
 ……なんて考えている場合じゃないわね。
 パチュリーは、ある嫌な、それも可能性の高い「想像」にとらわれていた。
 ――ずっと薄暗い地下室に住んでいるフランは、視力や肌が弱体化している代わりに、異常に鼻がきく。地下室にいながら、レミィが夕食に咲夜特製の「ペペロンチーニ風あんかけクリームカルボナーラたらこパスタ」を必死こいて食べたことまでわかるほどだ。
 しかし、フランとて「巫女のにおい」を完璧に把握しているのかは疑わしい。彼女は、巫女を実際に見ていない。ただ、その日に巫女が来たことを聞き、「今まで嗅いだことのないにおい」の主を巫女だと理解したに過ぎない。
 そして、前も今度も、「今まで嗅いだことのないにおい」はふたつ。
 ……すなわち、巫女と、黒白の魔法使い。
 今、巫女は間違いなく食料庫にいる。おにぎりのために幻想郷を売りかねない恐るべき貧乏巫女。彼女にとって何よりも最優先されるのは「空腹を満たす」ことなのだ。紅魔館に忍び込む理由は、他に考えられない。
 食料庫には、さまざまな「におい」が存在する。だから、巫女の「におい」がまぎれてしまう可能性が高い。
 ……であれば。妹様が向かう先は。もしかすると。
 パチュリーは、手に持った「怪奇骨董嘔吐箱」を開いた。
 アップで映る魔理沙の顔が、驚きに変わっていた。
 本を持ち上げて、ちょうど魔理沙の真向かいが見えるように角度を変える。
 魔理沙の前方には、大きな穴がぽっかり空いていた。いちめんに砂埃が舞い、まるで霧の中のようだった。
 そして砂埃が薄くなるにつれて、いびつな羽根を持つ少女のシルエットが浮かび上がってきた。
 ――見事に的中しちゃったってわけね。さすが私ね。
 ……なんてのんびりしている場合じゃないわ! このままじゃ、私の魔理沙が……! ああ、愛するふたりは運命という濁流に呑みこまれる運命なの? いや、絶体絶命のピンチを糧にふたりの愛が深まるのは王道……! 『パチュリー、お前のおかげで命を救われたんだぜ』『そんな。私は当然のことをしたまでです』『その謙虚な心に打たれたぜ。結婚してくれだぜ』
 パチュリーがひとりでうひーあひーと悶えていると、
「いやあ、ニャルさんの口の中でハンモックに揺られている夢を見ていたら、いつの間にか難破船で揺られている夢に変わってほんとびっくりしましたよー……おや、本の中に泥棒がいるじゃないですか。あれれ、その前にいるのは……妹様?」
 いつの間に這いよる混沌の拘束から脱出した小悪魔が、パチュリーの横で本をのぞきこんでいた。
 パチュリーは、その小悪魔の首ねっこの襟のあたりを掴んだ。
「……小悪魔。行くわよ」
「おお? 一杯ひっかけにですか?」
「違うわよ! ……泥棒のところによ」
「へっ? いやあ大丈夫ですよ。私たちまで行かずとも、妹様だけで泥棒猫の一人や二人、髪の毛も残さず消し飛ばしてくれますって」
 んなこたーわかってるっつーの、とパチュリーはつっこみたくなった。フランとまともに「遊び」はじめたら、誰も生きて帰れるわけがない。
「小悪魔。確かに妹様はあの泥棒をケシズミのようにしてくれるでしょうね」
 パチュリーは、あくまで平静を保ちながら言う。
「そう。あの泥棒が奪っていった私の本も含めてね」
 小悪魔は、はっ、と息をのんだ。
「まさかパチュリー様、盗まれた本のためにあえて戦場に赴くというのですか?」
「私の二つ名を、忘れたわけじゃないわよね? 本を見捨てる図書館は、ただの棚よ」
 小悪魔は、「うわはあああ~」と目をキラキラさせながらため息をついた。
「さすがパチュリー様! ご自分の矜持のために命を捨てる覚悟だなんて、かっこいいですー!」
「ここは何とか魔理沙を逃がすことに全力を尽くすのよ!」
 パチュリーは駆け出した。魔理沙、待ってて!


 二十秒後、床にへたりこんだまま、ぜいぜいと息を荒げている魔道師の姿があった。場合によっては不可能を可能とする奇跡のガソリンとなる愛といえども、はなから動かない自動車は動かせない。
「もうダメ……一歩も動けない……」
「まあ、やっぱり図書館は動かないもんですよねー。しょうがないから神様にでも祈りましょうか?」
「あんた悪魔でしょうが……。小悪魔、あんた私を抱っこしなさい」
 小悪魔は、悪魔的な笑みを浮かべながら、
「パチュリー様を抱っこ。望むところです」
 そう言って、さっそくパチュリーをお姫様抱っこした。そのときに、むに、と変なところをつかまれたのでパチュリーはびっくりした。
「ちょ、ちょっと! どこ掴んでるのよっ」
「抱っこのときにはここを掴むと安定するんですよ。ほら、ちょうど掴める位置にあるじゃないですか」
「そ、そうなんだ。で、でも、そ、そんなに強くつかまれると、ちょ、ちょっと……」
「いやー。だけどパチュリー様、最近ほんと肉付きがよくなってきましたねえ」
 パチュリーは気にしている体重のことに触れられたと思い、頬を赤らめながら、
「わ、わかってるわよっ。あんたの飛行能力じゃ、私を抱っこしてちゃ、とても間に合わないわ」
 だから、肉体は行けずとも、声くらいは魔理沙のもとへ駆けつけるしかない。
 パチュリーは薄く目を閉じて本に手を当てて、意識を集中させる。ある一点へと。
 

 ――パチュリー・ノーレッジは、ずっと昔から「自分はひとと違う」ことを認識していた。

 彼女は運動が苦手だった。だから、家のなかで、小説やマンガを読んだり、音楽を聴くのが好きだった。たくさんのものを読んで聴いた。
 だから、そのたくさんのなかから自分が好きなものというのは、みんなも好きだと当たり前のように思っていた。あまり知られてない小説でも、すごく面白いものがあるのだ。だからみんなに薦めた。それは、町のはずれにある小さなケーキ屋のシュークリームをみんなに薦めるのと、同じ感覚だった。
 みんなから返ってきた反応は、当惑だった。
 どう面白いの、と尋ねられると、彼女はとにかく読めば面白いのがわかるのだから、とにかく面白いから読んでみてと応えた。するとさっきの咲夜のように堂々巡りの会話が続いて相手はさらに当惑する。やがてそこまでして読みたいと思ってない相手は適当なあいずちを打ってその話題をスルーするのである。また今度借りるよ、と言ったきり、二度とその話題を口にしないのである。みんな、みんな、みんながそうだった。
 彼女は薦めることをやめた。
 そして思った。
 自分と他人は同じような姿をしているが、まるで分厚い壁を隔ててるように違うのだと。
 パチュリーは、好きなものを、自分だけで楽しむことにした。
 そうすれば、傷つかないですむからだ。
 ついでに成長するにつれて、他人の評価も信じないようになった。ひらたく説明すると、世間は自分の価値観をわかってくれないのに、世間の価値観を自分が理解できるのは不公平だと思ったのだ。彼女の理屈がおかしいのは一目瞭然だが、感情的な問題というのはややこしいものである。
 そんなこんなで、パチュリーは見事に世の中を斜めに見るさかしまな少女となってしまったのである。

 黒白の魔法使いの第一印象も、「自分とは違うひと」だった。
「図書館の本は公共物ですよー!」
「悪魔にモラルを問われる日がくるなんてなあ。人間生きてみるもんだよ」
「悪いことをすると、神罰がくだりますよ! 神様はとても怖いんですからね! 悪魔をおまんじゅうみたいに食べちゃったりするんですからね!」
「図書館は人間が作り出したんだ。本を借りるところだってことは、お前さんよりもよおく知ってるよ」
 すっとんきょうな顔をしてほうきにまたがってきた彼女は、小悪魔のはたきをひゅんひゅんかわしながら、図書館の本を次々と「借りて」いった。彼女の立ち去った後には、ひらひらと図書カードが舞っていた。床に落ちた図書カードには「霧雨魔理沙」と書いてあった。
 彼女が借りていった本には、黒魔術の参考書やグリモアールに混じって、パチュリーのお気にいりの小説が入っていた。
 ――あの本を持っていったのは、ページを何度もめくったせいで、本が膨らんでいたからだろう。なんだかわからないまま、価値のあるものだと思ったのだろう。価値? 実用的な価値なんてあるわけがない。だけどあれは、私のお気に入りの一冊なんだ。それだけだ。たぶんあいつはその本をぺらぺらとめくると、「なんじゃこりゃ」と思うだろう。そして一度も読まれぬまま、部屋のはじっこくらいに放置され、わすれた頃に「なんじゃこの古ぼったい本は」と古紙回収業者に二束三文の紙と交換されてしまうのだろう。私のところにいれば、これからも読んであげることができたのに。悔しい。役立たずだけど、不思議な瞬間を私に与えてくれたあの本がそんな悲惨な目にあうのが悔しい。そんな悲惨な目にあの本があうのが悲しい。悲しすぎる。
 外面には出さなかったが、パチュリーの心は悲嘆に暮れていた。
 だから、霧雨魔理沙が唐突に現れ、本を返しにきたときは驚いた。
「いやあ、お前さん、ヘンな本を持っているなあ。月とケンカしたり、星でパンをつくったりするだなんてふざけた話、はじめて読んだぜ」
 そうしゃべってきたときには、もっと驚いた。
「――あなた、その本を、読んだの?」
「本ってのは、読む以外に使い道があるのか?」
「な、ないわ」
 魔理沙は、むはは、と笑った。
「まあ当然だわな」
「な。何がおもしろいのよ」
「お前さんがおもしろいからだよ」
「お、おもしろいって、どういうことなのよ」
「おもしろいに理屈もナニもあるのかねえ。おもしろいからおもしろいんだよ」
 何を言っているのよ、と言おうとして、口をつぐんだ。
 あれ、このやりとり、どこか既視感がないか、と思ったのだ。
 ――そうだ。これは、私だ。おもしろいからおもしろいのだと話す、私そのものじゃないか。
「お前さんはまだまだヘンな本をたくさん持ってそうだな。あんなヘンテコで楽しい本を持ってるんだからな。この霧雨魔理沙様がまた借りにきてしんぜよう。むはは」
「つ、次にきたら……許さないわよ」
「ということは、今回は許してもらえるってことだな」
「な、何を……言ってるのよ!」
 黒白の魔法使いは「むはは」と笑って、ほうきに腰かけた。
「じゃあな。今夜の夢はちょっといつもと違うかもな」
 パチュリーは当然すぐにわかった。
 それが、お気に入りの物語に書かれた「ことば」だと。

 冷静に考えれば、まったくたわいもない理由だ。だけどそのたわいもない理由がパチュリーを孤独にしていたのだ。レミリアも、小悪魔も、やはり「自分とは違うもの」だった。本というものを読まない咲夜は論外だし、レミリアは年がら年中ひたすら登場人物がムダにケンカしているようなマンガを好んで小説は手に取るだけで眠るので話にならない。小悪魔は様々な書物を知っていたし読んでいたが、なんというか客観的にそれらを分析して「この本はこれ系の話ですね。とするとここの主人公のシークエンスがどうたらこうたら」とか体系づけて話すばかりで、面白いとか退屈だとかそういう話をしなかった。それは正しい接し方かもしれないが、そうではないのだ。悪い点も含めて許せる本もあれば、欠点はないが虫が好かない本もあるではないか。
 何故なら本は「誰か」のためにあるけど、その「誰か」が自分なのかどうかは、わからないからだ。これから出会うひとが、自分に合うひとかどうかわからないのと同じように。
 だから新たな本との出合いはドキドキする。パチュリーは、そのドキドキが好きだった。だけどそのドキドキを共有するひとは、彼女のまわりにいなかったのである。

 まったくたわいもない話だ。たかが、そのドキドキをわかちあえるひとが現れただけだ。
 だが、それだけでパチュリーは、救われてしまったのである。
 その夜のパチュリーの夢は、ちょっといつもと違っていた。
 黒白の魔法使いが登場したのである。

 ――魔理沙。

 パチュリーの心は一点に集中されたことで研ぎ澄まされた。そして本同様、肉体を離れ、魔理沙の持つ本と同化した。
 これこそが、「実存と本質」を自在に操作するこのグリモアールの本当の使用方法だった。パチュリー・ノーレッジの実存している肉体から「パチュリー・ノーレッジを定義づけている本質部分=パチュリーの魂」を抜き出して本に貼り付けてしまったのだ。
 パチュリーの面前では、おかしな羽根を生やした幼い吸血鬼の姿がみえる。495年の孤独にまみれて生きてきたものが。
 妹様の抱えてきた孤独に比べれば、私のなんぞたわいもないものだ、とパチュリーは思う。自分のまわりにひとはいた。ただその間に溝を感じていただけだ。フランの側には誰も存在しない。495年間もずっと、ずっとだ。彼女は、その長い長い長い長すぎる年月を、レミリアがいつまでも自分を見捨てないと思うことで正気をつなぎとめていたのだ。暗い地獄のなかで、つながっているのかどうかもわからない垂れ下がった細い糸を「これがある限り自分は天国に行ける」と信じることで、絶望の淵に落ち込むことを踏ん張って耐えていたのだ。
 ――魔理沙の前に現れたフランは、ひどい姿だった。首元は怪物に齧られたようにえぐれ、もとより赤かった彼女の服をより赤く染めていた。左腕は手首からざっくり切れて、あるべき手が存在しなかった。両足は膝小僧から下がずくずくにただれ、赤いブーツを履いたように真っ赤だった。何より悲惨なのは、彼女が、そういった己の状況の一切を省みずに、ただ魔理沙を、その湿った地下室のような眼差しで見つめている点だった。彼女にとって自分自身のからだはただ憎むべきものであり、壊れたところでなんら支障をきたさぬものであり、ただ望むことは、自分を壊してくれる天敵であったのだ。
 彼女が心底世の中を憎めるようであれば、逆にまだ救いがあったかも知れない。だが彼女が憎んでいたのは世界ではなく、自分自身だった。どこにも行き場のない孤独は、自滅に向かうだけしかなかった。
 ――いっそ狂気にまみれたほうが。
 しあわせ、かもしれない。もう二度と心を引き裂かれずにすむのだから。
 だけど悪いけど、私には私の守るものがある。壊されたくないものがあるのよ。
 だから、あなたには同情するけど、あなたの望むようにはさせない。
 あなたに魔理沙は壊させやしない。
 パチュリーは、そこで、自分がなんだかふよふよとした気持ちのいいものに抱かれているのに気づいた。
 そうか。魔理沙は今、この本を胸のあたりでぎゅっと抱きながら飛んでいるんだな。ということは、本と同化した私は今。

 むきゅう。
 
8「ラット・レース」

 魔理沙は、ほうきにまたがって紅魔館の回廊を飛びながら、ぶるる、と身震いしていた。
 なんだろうなあ……この気持ち悪い感覚は。
 お目当ての本もこうして無事借りることができたってのに、と胸に抱えた本を見る。
 まさか、この本に何かがとりついているってオチかねえ。
 この本を魔理沙が借りようと思ったいきさつはこうである。一週間前、いつものように本を借りようと図書館に行くと、主のパチュリーが「ついにねんがんのグリモアールをてにいれたぞ!」とどたばたジャンプしながら喜んでいた。すごく無理のある喜び方である。
 まあとにかく、魔理沙が一体それはどんな魔道書かいな、と聞くと、図書館の主は、もう体力を使い果たしたのか肩で息をしながら、「こ、これは今から千年後の未来に作成される予定の魔道書でね、この鍵を解けば、専門的なことはともかく、高エネルギー発生装置の出力をより高めることができるのよ」
「高エネルギー発生装置っていうと、どんなんだ」
「まあ、例えばあなたの持っているミニ八卦炉とかね」
「な、なんだと? ゆずってくれ! たのむ!」
「そういわれてもなー、これをてにいれるのはそうとうくろうしたしなー」
「ころしてでも うばいとる」
「な、なにをする きさまー!」
 と、いったことがあったのである。
 あんな露骨に「奪ってくださいサイン」を送っていたから、私が借りに来るのもわかっていたろーに。どうしてあっさり本を盗むことができたのやら。考えてみると腑に落ちないな。
 そこまで彼女は考えたのだが、結局のところ、結論としては「……まあ、いいか」だった。基本的にアバウトなのである。
 とにかくこの本を読めば、ミニ八卦炉がパワーアップするんだろ。あの食べ物以外はどーでもいいと思ってる霊夢だってビックリさせられるかもしんないぜ。ひひひ。
 その霊夢はというと、一緒に誰もいない門の上を抜けて紅魔館へ侵入していたのだが、「肉……油……米……」などと呟きながら食物庫へまっしぐらに飛び込んでいったっきり、まるっきり音沙汰がない。食いだめをしているのだろう、と魔理沙は思った。
 目の前で揺れている自分の髪に枝毛を見つけ、それを指で引っ張りながら、うーむキューティクルが痛んどるなあ、帰ってお風呂に入ってトリートメントしようっかな、どうでもいいけどキューティクルってなんかいい響きだよなあ、やっぱりキューキュー鳴いたりするのかしらん、などとつらつら思い、飛ぶスピードを上げようと、帽子を押さえて、ほうきをぺんぺん叩こうとしたときだった。
 すさまじい爆音とともに、目の前に砂柱があがった。
 魔理沙は迫り来る風圧をこらえ、帽子を深く被って砂埃を避けながら、一体全体何事なのかと前方をみやる。
 竜巻が発生したかのような前方には、さっきまであったはずの廊下が消滅していた。そこにはぽっかりと、クレーターのようなまっくろな穴ができていたのだ。
 そして、薄くなってくる砂埃の中から、背後の穴と比較して、ちんまりとしたシルエットが浮かんできた。
 骨組みのような羽根を背中につけた、金髪の少女だった。その小さな口には八重歯が生えている。
 ずいぶん暗そうな奴だな、と魔理沙はまず思った。漂白されたかのようにまっしろけな肌や、やわらかそうな金髪は、まるで陽の光を一度も浴びたことがないようにみえた。魔理沙のほうをじっと見つめている瞳は、まるで地下室のように、じっとりとしていた。
 そして、どうしてこんなひどいケガをしているのだろう、と思った。人間であれば失神するほどの傷を首や手首や足に負い、雪上の薔薇のように白い肌を赤く汚している。しかも異様なのは、彼女自身その傷を何とも思っていないようにみえることだ。まるで壊れかけた人形のように。
 ――この馬鹿でかいクレーターを発生させたのは、本当にこいつなのか?
 あの傷を考えると、もっと別の何かに襲われて逃げてきた少女とも考えられなくもない。
「……あなたが博麗の巫女なの?」
 魔理沙はそのひとことで、この馬鹿でかいクレーターをあけたのは彼女だと確信した。
 あの自称異変解決のプロを名指しで探したりする奴に、ろくなやつはいない。相当危険な能力の持ち主だと考えるしかない。こいつはまちがいなく最大級にやばいやつだ。
 ……そのわりには、どうしてこいつは、こんなに追い詰められているんだ? なんでこんなに必死な目でこっちを見つめているんだ?
「……ああ。私が人間の巫女、食べてもいい巫女の博麗霊夢だ」
「ふうん。巫女はいつも腋を出しているって聞いたけど、今日は出していないのね」
 なんだよ、知ってるじゃんか。
「……今夜は少し冷えるからな。年中腋を出しているのは貧乏で着たきり雀だったりする奴くらいだけだぜ」
「わたし、おねえさまから、そう聞いたんだけど」
 おねえさま?
 魔理沙は改めて少女を見た。そして、ドアノブみたいな帽子と、暗い相貌に、どこか見覚えがあるのに気づいた。
『むきゅう……』
「おわっ?」
 いきなり耳元に妙なうめき声が聞こえて、魔理沙は思わず抱きかかえている本をむぎゅっと強く抱いてしまった。
「な、なんだよこの……納豆みたいにねっとりしたキモい声は?」
『そ、そんなに強く抱きしめないで……あはんっ』
「その声はパチュリーか! 一体こりゃどうなっているんだ?」
『い、今は細かく説明してる暇はないけど……私の魂をこの本に吸い込んでもらったおかげで、私は本になっちゃったの』
「……まったくわからん」
『とにかく……とっとと逃げて。目の前の子と戦うなんて考えちゃダメよ。これはただの弾幕遊びじゃない。命そのものを賭けた遊びなんだから。賭けるコインはたったのいっこの、ね』
「……何者なんだ。あいつは」
『ここの館の主の、妹様』
 ……やはり、あの吸血鬼の妹だったのか。
 厄介なことになったなあ、と魔理沙は感じた。あの吸血鬼は恐ろしいやつだった。あの赤い霧が発生した夜。ターミネーターのように無表情で追いかけてくるメイド長をやっとこ振り切り、霊夢と二人であいつの部屋に入ると、あの吸血鬼はテーブルの上に乗って、両腕を激しく上下に振り、腰を左右にくねらせながら、「ドラえもん音頭」をアカペラで熱唱していたのだ。しかもおそるべきことにド音痴。もはや歌というのもおこがましい不協和音であった。
『歌うアホウに聞くアホウがきたわね!』
 額に玉のような汗を流しながら、吸血鬼はマイクをこっちに放り投げた。マイクは、魔理沙の前に転がり、ばよよん、と音を立てた。
 魔理沙は動けなかった。
 こいつ、今の状況を私たちに見られているのを知っていたのか? 切腹もんのこっ恥ずかしいひとりジャイアンリサイタルを、初対面のひとに見られてるのを知りながら歌い続けやがったのか?
 なんて……なんて、おそろしいやつだ。
 完全に吸血鬼にのまれていた魔理沙だったが、マイクを拾ったのは、霊夢だった。
『こちとら生死がかかっているのよ。とっとと終わらせて村の衆からお供え物をもらわないとマジで飢え死にするんだからね!』
 彼女は小指を立ててマイクを握り、すう、と息を吸うと、「イエロー・サブマリン音頭」を思い切り歌いだした。
 吸血鬼よりもやかましく、さらに超絶ド音痴だった。
『や、やるわね……人間』
 かくしてこの吸血鬼、レミリア・スカーレットは霊夢と分かりあい異変は解決したのであった。紅魔郷完。
 これではさすがに世間体的にアレなので、村人には激しい弾幕勝負の末吸血鬼を打ち負かしたことにした。霊夢は米をもらって無事に年を超すことができた。
 うーむ。あの姉と同じなら、私には手にあまる相手なんだが……どうもかなり、姉とは姿は似てるが中身は違うらしい。姉がシャレと冗談でできているとすれば、妹はシャレじゃすまない危険な爆弾でできてるようだ。
「具体的に。どうやばいんだ?」
『あいつにあなたの魔法は通じない。逆に、あいつはあなたを紙風船よりもたやすく『爆発』させることができる』
「なるほど。そりゃやばいな。戦ったときの勝率は?」
『五割の確率で、あなたは死ぬわね』
「ほう、勝敗は五分五分ってとこか」
『いや、残り五割は、あなたが再起不能になる』
「……つまりまともにやっちゃさっぱり勝てないってわけだな」
『だから逃げるしかないって言ってるじゃない』
 魔理沙は、小さな吸血鬼を見た。
 ……パチュリーの言葉を聞いた後も、魔理沙は、この少女に対する印象は、変わらなかった。
 恐ろしく必死で、切実に、すがりついてくるような、瞳。それでいて、こちらを怖がっているような、瞳。
「……ひどい目だねえ」
『えっ?』
「おい。吸血鬼。もし私が巫女だとするなら、何がしたい?」
 金髪の吸血鬼は、湿った瞳で魔理沙を見上げながら、
「……遊ぶの。どっちかが、死ぬまで」
 かすれた声で、そう呟いた。
「……別に死ぬまで遊ぶことはなかろうに」
「……そうしないと、いけないの。わたしは、ばけものだから。ばけものらしく、しないといけないの」
 ――何を言ってるんだ、こいつは?
「どうして、自分をばけものだと思うんだ?」
「わたしが、みんなを壊したくてしょうがないから」
 ――私「が」? 
 吸血鬼は、口元にかぼそい笑みを浮かべた。
「ばけものは、退治されるものだから。だから、死ぬまで遊びたいの」
「……まるで、自分が退治されるのを待っているみたいじゃねーか」
「そうよ。そのために、わたしはここまできたの」
 吸血鬼は、よろよろと足を進める。血まみれの素足の後ろに、血の跡がずるりと伸びていく。そして、右手をゆらりと上げて、魔理沙の方へと向けて、手を開いた。
 なんだ? なにをするつもりだ? 
 魔理沙には、この距離なら通常の弾幕であればかわせる自信があった。
 ――だが、何かがやばい。
『魔理沙っ! 横に飛んで!』
 魔理沙はパチュリーの声に反応して、ほうきを傾けると、横に飛んだ。
 同時に、すさまじい爆音が耳をつんざいた。
 ――何もない空間が予兆もなく急に爆発しただと? 
『これが妹様の能力。ありとあらゆるものを破壊する能力よ』
「ありとあらゆるものを、破壊する?」
『そう。繰り返すけど、『ありとあらゆるもの』よ。生物だけじゃない。たとえば月や太陽、空気や水、『紅魔館』『幻想郷』そのものですら、フランに『きゅっ』とさせられると、消失する。とってもシンプルでいて、最凶、最悪の能力よ』
 おいおいおい。そんなデタラメな能力、どーみても反則だろーが。こっちはただの人間なんだぜおい。
「……確かにおそろしいほどやばいやつだなあ。パチュリー、助かったぜ」
『そ、そんな……私たち、まだつきあってもいないし……』
「……何を言ってるんだ?」
『うひっ? な、なんでもないわ魔理沙』
「しっかりしてくれよ。お前さんが頼りなんだからな」
『た、頼ってくれていいのよ? うおお王道フラグが立ちまくりー!』
 悲鳴が、聞こえた。
 吸血鬼が、がくりと両膝をつき、前のめりのまま、ぶるぶると震えている。
「……死ね、死ね、死んでしまえ、はやく死んでしまえ。死んで死んで死んで……」
 震える右手を、手首から先がなくなった左手の上にかざすと。
 爆発が起こり、吸血鬼の左腕がすっ飛んだ。
 自分で吹き飛ばした左肩を抑えながら、吸血鬼は「ああああああ」と叫んでいた。
「痛い、痛い、まだ生きている、わたしはまだ生きている、どうしてまだ、はやく誰か私を、」
 吸血鬼は、そこで再度、叫び声をあげた。
 魔理沙は、自傷行為を行い、のたうちまわっているフランをみて、
「……どういうことだよ。これは」
『まずいわね。だいぶ、壊れてきているわ』
「壊れてきている?」
『妹様は、吸血鬼の持つ殺戮本能と、それを憎む心という、矛盾する心を持っているのよ。だから自分自身を一番恐れ……ずっと地下室に自分を縛り付けていたの。495年間、ずっとね』
 495年間という年月は、人間の魔理沙にとって、想像もできないほどの長い時間だった。
『今までなんとか均衡を保っていたそのふたつの心が、ついにバランスを崩してしまったのよ。彼女の心に巣食っていた破壊と暴力のばけものが膨れ上がり、彼女の精神を食いはじめている。そのばけものが彼女の心を食い終わったとき……彼女は完全に壊れてしまう』
「……どうなるっていうんだよ」
『……心を持たない、完璧な殺戮機械になるでしょうね』
 狂ったような笑い声が、きこえた。
 フランは、失った左腕を抑えながら床に倒れ伏していた。大きく開いた両の瞳は虚ろに輝き、そこからとめどなく涙が溢れていた。
「いたい。いたいよ。いたいよ。たすけておねえさま。たすけておねえさま。たすけて。死にたい。しにたい。死ね。はやく死ね。殺せ殺せ殺せ殺せ、何もかんがえられなくなるくらいのいたみで。あははははははは。あははははは。あ、あああああああ。ああああああ」
 ――495年間、495年間だ。あいつは、495年間も我慢してたんだってさ。我慢して、我慢して、我慢して、あげくのこの結末かね。救われないねえ。小説でいうなら、不幸で不幸で不幸で泣ける物語ってやつかね。ハンカチのご用意はお済みですかってね。
「――ふうん。なるほどね。ちなみにどうすれば、あいつは元に戻るんだ?」
『――魔理沙。妙な考えは起こさないで。妹様がこうなったのはしかたがないことなのよ。あなたは、たまたま今会っただけのこと。妹様からみれば、495年間のほんの一瞬にも満たない出会いよ。レミィですら変えられなかった運命を、あなたが何かしたことによって変えることができると思うの?』
「わかっている。逃げるさ」と魔理沙は言った。
『ほんとにわかってるの?』
「わかってるさ。自分は単なる部外者だからな。別に家族のゴタゴタを解決するような法律家でもないしね。まあ、単なる興味さね」
『…………』
 パチュリーは、ため息をついた。
『これ以上妹様の心を追い詰めず……つまり誰も殺させずにね、ばけものの力を発散させ続けて弱らせれば、あるいは……」
「ありがとよ。パチュリー、愛してるぜ」
 魔理沙は、ほうきの柄をぺん、と叩いた。魔理沙を乗せたほうきは、どびゅん、と勢いよく突進した。
 そして、フランの直前で、急停止した。
『ちょ! 何してんのよ魔理沙!』
 フランは呆気にとられた顔で、魔理沙を見上げている。
「すまんね。お前さんの思っているとおり、私はお目当ての巫女じゃないんだ。だけど、どうせあいつはこの館の食い物を食い尽くすまでやってこない。だから、それまで私とゲームをしようじゃないか。鬼ごっこ、知ってるだろ?」
 魔理沙はフランに手を伸ばすと、フランの頭を、なでなでした。
 フランは、「あ」と小さく声をあげて、目を丸くした。
 魔理沙は、「むはは」と笑った。
「これでお前さんが鬼だ。お前さんが私に触れたらお前さんの勝ち、逃げきれば私の勝ち。どうせヒマなんだろ? ヒマ人同士、遊ぼうじゃないか」
 吸血鬼は、濡らした顔に、少しだけ、笑みを浮かべた。
 だが、すぐに、元の固い表情に戻った。
「……今のわたしは、手加減ができないの。だから、だから、本気で逃げて。お願いだから」
 魔理沙はすぐに察知する。
 その言葉は、過信からではない。本気で、「逃げろ」と言っているんだ。
 やれやれ。これで死んだらまったくもって無駄死だ。誰にも褒められないどころかバカにされるだけだ。どーしていつもこうなんのかなあ。いつの間にやら異変を吸い寄せるようになってしまったのか。まったくもってわからん。
 でもまあ、こういうわけのわからないものこそが世の中なんだろうなあ。本当は理解できるものなんて一つもないんだ。みんな、わかったふりをしているだけでさ。
 魔理沙は、ほうきの柄をはさみこんでいる足に力を込める。片方の手で帽子を押さえ、もう片方の手で、胸にぶらさげているミニ八卦炉を握り締める。
『魔理沙のバカバカ! ウソつき!』
「ウソじゃないさ。別にあいつのためじゃない。私が納得できないだけなんだ。しみったれた物語の結末が嫌いなだけなんだ」
『……』
 しばらくして、ため息が聞こえてきた。
『……まあ、こうなるのは……わかっていたけどね』
「パチュリー、生きて帰ってきたら、ミニ八卦炉を強化してくれよな」
『露骨に死亡フラグを立てないでよ!』
「わはは。よし、いっちょ気張るかな」
 魔理沙は「嘔吐箱」をぐりぐりと胸のシャツの下に入れた。パチュリーが『むきゅう』と鳴いた。
『……ま、魔理沙って、思ったよりその……』
「おいパチュリー、しっかりしてくれよ! 死んだらマジで祟るぜ!」
 またがるほうきが、大量の星屑を撒き散らし、魔理沙はすさまじい速さで幼い吸血鬼のまわりをまわりはじめた。


9「天使と怪物」


 時を止めながら地下室にやってきた咲夜は、変わり果てた「幼稚園」の姿に息をのんだ。
 扉も、幼稚園も、校庭もそこには存在しない。ただ、瓦礫の山があるだけだった。
 ――あの分厚い十三枚の結界も、結局何の意味も無かったということね。
「……化け物め」
 咲夜が瓦礫に歩み寄ると、キーキーと鳴きついてくる枯れ枝があった。「賢者」である。
 彼女が睨みつけると、「賢者」は鳴くのをやめた。
「あなた。もう帰っていいわよ。月へでも未来へでも好きにしなさい」
「くぁwせdrftgyふじこlp!」
 「賢者」は、枝のような足をよたよたさせながら逃げるように去っていった。
 瓦礫の山を越えると、一箇所だけ、まったく瓦礫が無い部分があった。
 その空間に、何かが横たわっている。
 咲夜は、瓦礫の山を一気に駆け下りた。
 レミリアは、血だまりと化していた。胸のあたりからぐしょりと赤く濡れ、桃色だったドレスは、もとから赤だったかのようにすらみえた。
 咲夜は、震える手で、目を閉じているレミリアの横顔に触れた。
 氷のように冷たかった。
 唐突に、咲夜の視界に、薄い闇のカーテンが降りてきた。
 まっくろのカーテンで遮られた視界の向こうにうっすらみえる光景が、ゆらゆらと揺れている。
 呼吸ができず、咲夜はあえいだ。
 ――私は沈んだのか。まっくらな海の底に。
 咲夜は足元を蹴って浮かび上がろうとして、足元がおぼつかずにゆらりと転倒した。なにもかもが揺れて、なにもかもがわからない。なんだこれは。なんだこれは。どうして海の底に。そんな馬鹿な。
 夢をみているのだ。そうだ、夢だ。こんな嘘だろうこんなこと。嘘にきまっているこんなこと。
 私の世界が消えるなんて。すべてが消えるなんて。嘘だ。
 咲夜は、レミリアの前でへたりこんでいる自分に気づいた。
 レミリアの顔が、咲夜の間近にあった。つややかで、しろい頬が、とてもきれいだった。
 ――瞳を閉じただけで、ずいぶん変わるものだ。いつもせわしなくて、くだらないマンガばかり読んでて、どうしようもないことばかり思いついては「咲夜」「咲夜」って呼んで、なんだかわけのわからないことばかりさせようとする、あの吸血鬼っぽくない吸血鬼が、まるでかわいらしい人形みたいじゃないか。人形。人形。人形。
 人形のように。このまま。二度と。瞳を開けないのか。そんなこと。そんな馬鹿なこと。やっぱりこれは夢だ。夢だ。夢なんだ。夢に決まっている。
「うぐ」
 ねじきられるような痛みをかんじて、咲夜は胸を押える。破裂するような痛みだ。咲夜の周囲はまっくろに染まる。海の底まで達したのだ、と咲夜は思う。とすれば、これは水圧によって生じる痛みだろうか。
「ぐっ…………」
 痛みで、はやく目覚めればいい。夢から醒めればいい。
 咲夜はナイフを取り出すと、自分の左腕の手首のあたりに突き刺した。ずちちち、と筋肉が切れる感触がして、手首の反対側からナイフの先端が飛び出した。ナイフが沈み込んだ部分からは、たちまち血があふれだした。
 痛みはなかった。いや、心の痛みが強すぎて、腕の痛みがまるでわからなかった。しかし咲夜は、夢だから痛みはないのだ、と解釈した。
 だって、世界が消えたら、自分がここに存在しているわけないじゃないか?
 咲夜の手首がら溢れだした血が、レミリアの白い頬に、ぴとり、と落ちた。ぴとり、ぴとり、ぴとり。海の底に雨が降っているのだろうか、と咲夜は思った。まったくおかしな夢だ。おかしな夢。
 濡れてしまったレミリアの顔を、無意識のうちに、指の腹で拭う。咲夜の返り血を浴びたつるつるした肌は、モチみたいに咲夜の指を押し返してくる。その感触を味わっているうちに、咲夜は欲情してきた。普段は隠している、禁忌の欲。
 死の欲だった。自分の世界に蹂躙され、破壊される欲だった。
 わずかに開いたレミリアの口から、小さな牙がみえた。血を吸い、かわりに吸血鬼のエキストラクトを注入することで、吸われた者を物言わぬ所有物にしてしまう牙が。
 ……夢のなかなら。いいよね。
 咲夜は、自分の襟元を引きちぎった。首もとが露わになり、細い鎖骨までむきだしになった。
 ――これで私は、レミリア様の夢の中。永遠に。永遠に。
「ああ」と咲夜はため息をもらし、うつぶせのレミリアの上にまたがると、覆いかぶさるように屈みこんで、自分の首をレミリアの口元へと近づけていった。
「おいこら」
 ぐにゅう、と頬につっかい棒をされて、咲夜は下を見た。
 レミリアの瞳が開き、不審げな目で、咲夜を見つめていた。 
「あれ、レミリア様?」
「レミリア様じゃないわよ。ひとが寝ているすきに何しようとしたのよ。あー顔も血でベトベトじゃないの。何やってんのその手。血まみれじゃないの」
「ち、違うんですこれは。倒れているレミリア様をみていたらいつの間にか周りが海になっていたので、これは絶対夢だと思って、その、」
「なにわけのわからないことを言ってるのよ。咲夜って、夢の中でこんなことばかりしているの? 私を見る視線がちょっとやばいとはかんじてたけど、マジに変態だったのね。寝室にカギするの絶対わすれないようにしないとね」
「ち、違います。そうじゃなくて、その……」
「何が違うのよ。勝手に血を吸わせようとしてさ。この変態。変態メイド」
 変態メイド。咲夜は、またしても海の底に叩き込まれた。
 確かに私の行動は寝込みを襲うようなもののようにみえる。そういう輩を世間では俗に変態と称し蔑みの対象としている。だけど私は変態じゃない。私はただせめて夢のなかだけでもレミリア様とつながりたかっただけだ。殺してほしかっただけだ。どうしてレミリア様は私の血を吸ってくれないのか。拒絶するのか。私を拒絶するのか。変態だから拒絶するのか。いや。そうじゃない。昔から。私は昔から。
 昔から、私はみんなに拒絶されていたじゃないか。
 生まれたときからひとを殺すことしか知らなかった。もとは吸血鬼を殺すためだった「吸血鬼殺し」の異能は、吸血鬼がいなくなったため、人を殺すことに使用されていた。
 「吸血鬼殺し」は、普段は様々な形で村に溶け込んでいたけど、本性は人であることをやめた異形の集団だった。頭蓋のなかに三匹の殺人金魚を飼っている花屋の大男、匂いや音や感情を視覚として認識できる盲目の女医、いざというときには生きる水爆と化す、常に放射能を周囲に発散させている居酒屋の店主……村人は実体のつかめない「一族」を恐れ、そして忌み嫌っていた。
 すべての者を平等に殺した。大人も。子供も。金持ちも。貧乏人も。男も。女も。殺す理由は、それが「仕事」だからだ。大した理由もなくただ殺し、ただ殺されていく者を眺めていた。毎夜、人間の形をとどめていない、けだものに食い散らかされたような死体の山を作っていた。
 ――嫌われて当然だ。まともじゃないのは当然だ。
「……レミリア様も、私を、拒むのですね」
「はあ?」
「わかっています。確かに私の頭は狂っている。だから私は世界からはずれてしまったのです」
 咲夜はレミリアの肩を抑えて、お互いの息が届くくらいの近さでのぞきこんでいた。
「ちょ、ちょっと咲夜。落ち着きなさい」
「そんな私と永遠に過ごすだなんて嫌だから、レミリア様はいつまでも私を物言わぬ永遠の下僕にしないのでしょうね。こんな変態腐れメイドなんていりませんもんね。こんなナチュラルボーンにシリアルキラーなメイドなんていりませんもんね。わかります。わかります。わかります」
「おちつけこら」
 胸をはだけたまま顔を近づけてきた咲夜の頬を、ぶにゅう、とレミリアの腕が再びつっかえ棒した。
「嫌いだったら、あなたをメイド長なんてしないっての」
「じゃあどうして私の血を吸ってくれないのですか! きっと……きっと、ポンジュースくらいには濃厚なのに!」
 レミリアは、ため息をついた。
「……咲夜ってさ、ほんと、鈍いよね」
「ど、どういうことでしょうか」
「……ゾンビになってしまえば、あなたの感情や意思は無くなってしまうのよ」
「全然OKです。問題ありません」
「あなたが問題なくても、私は問題あるのよ!」
「へっ?」
 レミリアは、もう一度深いため息をついた。
「……もういいわ。ちょっと疲れちゃった」
 レミリアの胸元は、固まった血がこびりつき、破れた衣服の下からは、赤黒いものが露出している。レミリアがあまりに平静のままなのでわすれていたが、とんでもない重傷である。
「――すみません。すぐに傷の手当を!」
「いや……別にこの傷で疲れたわけじゃないから。とっとと自分のほうを手当てしなよ。これは命令」
 しぶしぶ咲夜が「部屋」から取ってきた包帯を手首に巻いていると、
「包帯巻き終わったらさ。飲み物でも持ってきてくれないかな」
「の、飲み物ですか? メッコールとかでよければすぐに……」
 レミリアは、「むひ」とほんのり笑って、言った。
「ジンライムよ。お月様みたいな形のライムを、キンキンに冷えたジンに浮かべたやつ」
 そのいたずらっぽい笑みに、そのことばに。
 咲夜は思い出す。月の光がまばゆい宵闇。「あのこと」があったあと……みんな、みんな、殺してしまったあと、たくさんの死体を作ってしまったあと……行き場を無くし、一人で川沿いを眺めていたときを。
 川の水面に揺れる月が、キラキラと輝いていたのを。
 その月が突然闇に消えて後ろを振り向くと、上空に、ふわふわ浮いているものをみたときを。
 レミリア・スカーレットとはじめて出会ったときを。
 月光を遮る大きな羽根を。月に照らされて輝く牙を。自分の「天敵」である吸血鬼だと瞬時に理解し、緊張でこわばる私に、「むひひ」と笑ったあの笑みを。まるで悦楽共犯者に向けるような、ひそやかな喜びに満ちた笑みを。
 穢い人間の世界のはるか上でふわふわ浮かんでいる、まるで漆黒の闇のなかで輝く天使のような姿を。
『今夜は十六夜ねえ。こんな夜は、あんな月の形に切ったライムを、すんごく冷えたジンに浮かべたいと思わない?』
 呆気に取られて何もいえないままの自分に、問いかけたことばを。

『ねえあなた、おいしいジンライムは作れるの?』

「……レミリア様」
 咲夜は、ずっと疑問にかんじていたことを口に出した。
「どうしてあの夜、私に声をかけたのですか? レミリア様は、私が吸血鬼殺しの一族だと知っていたのでしょう?」
 レミリアは、仰向けのまま咲夜の瞳を見つめて、「むふひ」と意味ありげに微笑んだまま、何も話さない。
「……それとも、その吸血鬼殺しを壊滅させたのが私だと、知っていたから?」
「まあ、知ってたけどね。だから、それでいいんじゃない?」
「嘘です。レミリア様は、ちっとも私たちなんて恐れていなかった」
「嘘だと思ってるなら最初から言わないでよ」
「それに、そんな理由なら、こんなどんくさくて『天敵』でもある私なんてメイド長には絶対しない。レミリア様、あなたは何かを隠している」
「隠してるわけじゃないけど。なんていうかな。言わぬが花って言葉、知らない?」
「知りません。私はどんくさいので、言ってもらわないとわかりません!」
 言い詰め寄る咲夜に、レミリアはたじたじとしながら、
「じゃあ言うけどさ。その理由は咲夜、あなたと同じよ。『天敵』のメイド長なんてうかうかやっているじゃない。そのことに理由なんてあるの?」
「そ、それは……私がお仕えしているのが、レミリア様だからです」
「それと一緒よ。私も、咲夜だから声をかけたのよ」
「……?」
 意味がわからないといった表情を浮かべている咲夜に、
「もう。ほんと咲夜って鈍いよねえ」
「す、すみません」
「……しょうがないわね。じゃあ、はっきり言うわ」
 レミリアは、ちょっと照れながら、
「私はね。咲夜。あなたを気に入ったのよ。だからメイド長にしたの。それだけよ。他になんか理由が必要なの?」

 その言葉を聞いて。
 じわじわと、その意味がわかってくるにつれて。
 咲夜の瞳から、涙が、あふれてきた。

 ――来る日も来る日も繰り返される死体作りの作業。利己的な理由で人殺しを依頼する人間ども。嬉々として人を殺す仲間の人間ども。助かろうとして親を、妻を、子を売ろうとする人間ども。穢い、穢い、穢い、穢い人間ども。そしていちばん穢いのは……そんな穢いやつらに生かされている私。この呪われた力で生きている、私。
 眺めていた川のせせらぎが、とても透明で美しかったのをおぼえている。それに比べて、川の水面に浮かぶ自分の姿は、ひどく穢かった。そんな穢い自分を映すはめになった川はたいそう苦しかろう、と思った。
 こんな穢い自分でも、あの川のなかでなら少しは美しくなるのだろうか、と思った。
 レミリア様が声をかけなかったなら、穢い私はこの世界に存在しなかった。
 そんな穢い私を、レミリア様は肯定してくれていたんだ。
 世界は、私の存在を肯定してくれたんだ。
 こんなに嬉しいことは、ない。
 レミリア様。私の天使様。私の世界そのもの。

 ……だけど。その天使様の隣には、いつも、同じような姿の「怪物」がいた。

 私の世界を壊そうとする「怪物」が。

 咲夜は、レミリアの胸元をみる。
 薄い胸のまんなかを、あかぐろい穴がぽっかり開いている。
「レミリア様」
 咲夜は、そこでわずかに呼吸を止めた。
「……レミリア様は、フラン様を愛しているのですね」
 レミリアも、しばらく咲夜の目を、じっとみていた。
「そうよ」
「フラン様は、あなたを愛しているのでしょうか?」
 レミリアは、何も言わなかった。
「……どうでしょうね」
「鈍い私にもわかります。間違いなくフラン様は、レミリア様を、誰よりも愛している」
「……咲夜。あなた、何が言いたいの?」
「その傷は。誰に負わされたものなのですか?」
 レミリアは、自分の胸に開いた傷に、咲夜の視線が向けられていることに気付いた。
「……たまたまよ。たまたま、こうなっちゃっただけ。そんなに深刻に考えることじゃないわ」
 ――「たまたま」だって? その「たまたま」で、私の世界は壊されるところだったんだ。
 いずれあいつは、レミリア様を、この紅魔館を、この幻想郷すらも壊すだろう。偶然に、気まぐれに、たまたま機嫌が悪いばっかりに。
 その前に殺す。こちらはずっと吸血鬼の殺し方だけを考えて生きてきたのだ。殺す。いかな「化け物」であろうとも殺す。肉片の一片に至るまでナイフで切り刻んで殺す。殺す。殺す。殺す。存在したことを後悔させながら殺す。殺す。殺す。殺す。殺す。
 フランドール・スカーレット。天使の皮を被った怪物。私の世界を壊そうとするもの。
 私の世界から殺してやる。
「咲夜。あなた。何を考えているの?」
「フランドール・スカーレットを。殺すことを」
 レミリアは、しばらく、何も言わなかった。
「……フランを殺すのなら、あなたを殺す、と言ったら?」
 愚問だった。
「甘んじてお受けしましょう。だけどその前に、『あれ』だけは殺す。『あれ』を愛しているあなたには殺せない。だから、レミリア様のかわりに、私が殺す」
「咲夜。フランと戦えば――あなた、死ぬわよ」
 レミリアの能力――運命を操る能力。
「私の運命の輪が、見えたのですか」
「……そうよ」
 咲夜はそれを、フランと咲夜を戦わせたくないための嘘だとは思わない。そんな安っぽい嘘はこの吸血鬼に似つかわしくない。
 咲夜は、迷わなかった。
「この命は、あのとき、レミリア様に出会わなければ、なかったものですから。だから、それをお返しするだけのことです」
「――誰が返していいって言ったのよ!」
 レミリアの声は、怒気をはらんでいた。
「どうしてそんなに鈍いのよ? どうしてあなたがいなくなって哀しむひとがいると思わないの?」
 ――親の顔は「おぼえて」いない。たったひとりで、夜の荒野を歩いているのが、おぼえている最初の記憶だった。はだしで冷たい地面を踏み続けているうちに、足指の感覚は無くなっていった。夜空には大きな月がぽっかり浮かんでいた。私は、たったひとりで、いくあてもなかった。月はとても大きくて、綺麗だった。だから私はあの月を目指していたんだ。あのときから、ずっと――
「……私には、もともとなにもありませんでした。それに、ここへ来たときに、すべてを捨てました。だから、かなしむひとなど、どこにもいません」
「いるわよ! ここに!」
 レミリアは、自分の胸に手を当てて、言った。
「こうまで言わないとわからないの? 私は、咲夜を、失いたくないのよ。だからもの言わぬ下僕になんてしたくないのよ。死なせたくないのよ!」
 ――狭い人間がつくった世界では、ちっぽけな人間同士がいがみあって、金や名声みたいなくだらないものをほしがって、バカみたいに殺し合っている。そんな地上の空にふよふよと漂いながら、いつもいつもくだらないことばかりしているこの幼い吸血鬼は、ぽっかり浮かんでいる月のようなものだった。あのときの川の水面に反射してキラキラと輝いていたものだった。
 人間は月のことを考えるが、月は人間のことを考えないものだと思っていた。
 ここで私が何もしなければ、今までのようにこの紅魔館で暮らせるのだろうか、と咲夜は一瞬思い、すぐにその考えを否定した。
 いい思いをしすぎたのだ。レミリア様のおかげで、たのしい日々を暮らすことができたからだ。気まぐれなお月様に話しかけられて、舞い上がってしまったのだ。
 こんないい日々が続くようなまぼろしを、一瞬信じてしまったのだ。
 ――ほんとうにほしいものは。手にいれようとすると、すぐに消えてしまう。
 だけど、それでいい。許されぬことを私はたくさんしてきたし、自分がまともな人間ではないことはよくわかっている。
 今この瞬間に私が存在すること自体が、奇跡だったのだ。たのしい日々があったことだけでも、できすぎじゃないか。
 
「そのことばだけで、私は満足です」

 咲夜は、時間を止めた。

 凍りついた時の流れのなかで、レミリアの顔が、絶望にゆがんでいた。
 たぶん、わかっていたのだろう。廻り始めた運命の輪が、止められないことを。
 ――あまり見たくなかったな。レミリア様のこういう顔は。
 自分は、死ぬのだろう。
 死ぬのは怖くない。穢れた自分の命を、世界のために使えるだなんて、こんなにしあわせなこともない。
「失礼します。レミリア様」
 咲夜は、聖変化したぶどう酒を取り出すと、ナイフでコルクを突き刺して抜き、自分の口に含んだ。
 そして、レミリアの口をふさぎ、彼女のなかへとぶどう酒を流し込んだ。
 聖変化したぶどう酒を摂取すると、吸血鬼は眠ってしまう。普段のレミリアでは効果は薄いだろうが、血が不足している今なら、効果があるだろう。
 許されるなら。
 もう一度だけ、レミリア様の笑った顔を見たいものだ。どんなものでも心底楽しそうに笑い飛ばす、あの満月のような笑顔を。
 咲夜は、レミリアの唇をハンカチで拭うと、飛んだ。
 
 
10「星空のオーヴァードライブ」
 

「うひいいいっ」
 魔理沙は、ほうきにしがみつきながら、フランの周りを全速力で飛び回っていた。もはや回廊は何もかもが崩れおちており、見上げれば、群青色の夜空に大きなまん丸の月が薄く浮かんでいるのがみえる。ただし魔理沙には「いいお月ですねえ」とお月見をする余裕はちっともない。脳みそへ響くパチュリーの声に従って動くことだけでいっぱいいっぱいだった。
 だけど、そのパチュリーもいっぱいいっぱいになってきた。
『え、えーと、上よ! ちょ、ちょっと待ってやっぱ下! じゃなくて左? あ、やっぱ右かも?』
 どっちなんだよちくしょう。
 と思考停止した瞬間、魔理沙のからだを爆風がさらった。
「おわあああっ」
 魔理沙は枯葉のように吹っ飛ばされ、瓦礫の山の上に墜落した。背中を痛打して、びっくりした肺から空気がせりあがり、咳き込んだ。
 いてえ。めちゃくちゃいてえ。しかも息が吸えん。苦しくてかなわん。
『ご、ごめんなさい魔理沙! 生きてる?』
「……お前さんまでテンパってどうすんだよ」
『で、でも問題ないわ魔理沙! 死んだらすぐに悪魔に魂を売って復活させてあげるからね』
 そのとき、
『パチュリー様の魂はなんとなくヘリウムガスより軽そうですねー』
 と、陽気な声が聞こえてきた。
『こ、この小悪魔……どうして私と魔理沙だけのプライベートな脳内電波にジャックインしてくるのよ』
『ほら、昔から言うじゃないですか。デビルイヤーは地獄耳って』
「ひ、人がやばい状態だってのにのんきな会話をしやがって」
『のんきじゃないわよ! 死んだあとのフォローを真剣に考えているじゃないの』
「死ぬの前提で話すのはやめてくれっての」
『うーん、残念ながら、パチュリー様の魂はたぶん100悪魔ジンバブエドルくらいです。たぶんレート変換手数料を差し引くとマイナスの価値ですね』
『……あんたこれ以上言うとニャルさんを呼んでくるわよ! 名状しがたきバールのようなものでしたたかに殴ってもらうからね!』
『いやあ大丈夫です。あのひととは友達になりましたんで。今度いっしょに外宇宙の深奥で、下劣な太鼓とか異形の神様の呆けた踊りとかを観にいってきます』
『ええっ? そ、それって、で、デートってやつなの?』
『ありていにいえば、そうですね。ふふ』
『こ、今度そのテクニックを教えてもらえるかしら……』
『パチュリー様なら、その肉体を利用すれば簡単ですよ』
『え、あまり運動には自信ないんだけど……』
『あはは。見せように使いようです。今度私が教えましょうか?』
『私はインドア派なんだから。あまりきついのはイヤだからね』
『大丈夫ですよ。インドアでできる運動ですし、私もやさしくしますから。ふふふふ』
 寝巻きの魔法使いは、こちらの状況を忘れて小悪魔とくっちゃべりはじめた。どうしようもないやつである。
 ――やはり頼るは、自分の身だけってわけか。
 魔理沙は胸元に手を突っ込んで、八卦炉を取り出した。「とっておき」をぶっぱなそうと思ったのである。
『魔理沙。それは、フランには効かないわ』
 ……まあね。
 ありとあらゆるものを壊すというのが本当であれば、これが通じるとは思えない。レーザーそのものを「きゅっ」とされたら消失してしまうのだ。フランドール・スカーレットの能力は攻防にわたりまったく隙がなかった。
 しかし、少しは注意をそらすことはできるかも知れない。というよりも、他に方法がないのだからしょうがない。
 おかしな羽根の吸血鬼は、右手を前にかかげながら、ずるずると血まみれの足をひきずりながら、こちらに近づいてくる。
 感情が失せた瞳で、こちらを見下ろしている。
 魔理沙は炉のなかへ魔力を注ぎ始めた。パチュリーなどの生粋の魔法使いに比べて魔力を生み出す能力が弱い魔理沙のために、香霖堂という近所のリサイクルショップのおっさんが貸してくれたものである。
 閉じ込められた魔力はせせこまい炉のなかでぎゅうぎゅうに凝縮され、すさまじい密度となっていく。
「おいしそうなにおいがする」
 フランが、魔理沙の持つ八卦炉を見ながら、つぶやいた。
 バレたか。まあ、当たり前だわな。
 吸血鬼は、せせら笑った。
「その水あめみたいなのを、私に、ぶつけるの? そんなもの、わたしにはきかないよ」
「やってみないとわからないさ」
 めいっぱい、めいっぱいだ。魔理沙は、はちきれる寸前まで魔力を溜め込むことにした。普通の敵であればそこまでする必要はないが、今回は相手が違う。ありったけをぶつけないと話にならないだろう。
 ――やってくれよ。相棒。
 口元に近づけると、魔理沙は炉に軽くくちずけをした。
 それが火種となった。
 ずどおん、という音速の壁をぶち破る音がした。
 「ありったけ」の魔力が一斉に解放され、エネルギーのかたまりがまばゆい光を放ちながらフランを包み込んだ。
 はじけとんだエネルギーは、夜の回廊を昼のように染め上げる。回廊が揺れ、落下した破片が魔理沙の帽子を叩く。前方から跳ね返ってきた爆風に、魔理沙は帽子を抑えた。
「――やったか?」
『またそんな露骨なフラグを立てて……』
 正直、魔理沙もフランが普通に突っ立ってる可能性もあるやもしれん、と思っていた。
 しかし、爆煙が薄れたときに、あの吸血鬼の姿は無かった。
「あれ?」
 拍子抜けしている魔理沙は、ふいに、逆の懸念を抱いた。さっきのマスタースパークは、普通なら、ケシつぶひとつ残さないくらいの威力がある。あれをまともに食らったとするなら……。
 目の前にうず高くできた瓦礫の山から、血まみれのはだしの足が突き出ていた。
「――おいおいおいおい」
 慌てて駆け寄り、瓦礫をかきわけようとして、思わぬ熱さで手を離してしまう。
 とびっきりのマスタースパークだ。ハンパな熱量じゃない。
 このなかにいるってことは……焼き芋状態ってわけかよ。畜生。
 魔理沙は必死になってほうきや手を使って、その足のまわりの瓦礫をどかすと、つかんで引っ張った。
 ずるりと足が抜けた。
 なかば焦げ、腿のあたりから千切れた足が。
「……パチュリー、これは、どうなってんだよ!」
『う、うそ……どうして消失させなかったの?』
 魔理沙は舌打ちし、八卦炉から小さな火力を放出させながら、瓦礫を少しづつ弾き飛ばして掘り進めると、しばらくして、ぐったりしたフランの姿を発見した。両足がつぶれ、あちこちの皮膚がただれた彼女は、白目をむき、口を半開きにしたまま、少しも動かなかった。すぐに魔理沙は背中に手をまわし、ちょうど羽根のあたりを抱きかかえた。その身体は恐ろしく熱かった。
『し……死んでる、の?』
 魔理沙は、衣服が焦げてむきだしになった小さな胸が、わずかに上下するのを確認した。
「いや……なんとか生きてるみたいだが……このままじゃ」

「……るな」

 小さな声が、聞こえた。
 魔理沙は、それが吸血鬼の声とは気づかなかった。
「さわるな。わたしの、はねに!」
『魔理沙! まずいわ、妹様の力が』
 パチュリーの声の前に、魔理沙は彼女の右手が、自分を狙っていることに気づいた。
 抱いていた手をはなすのと、魔理沙の目の前が爆発したのは同時だった。
「あ、あぶねえ……まだこんな力があるのかよ」
 床に転がったフランは、うつぶせのまま、荒い息を何度も吐いていた。
「あああああああぁぁぁあぁあああっ!」
 絶叫とともに、突然、左肩から、ずるり、と肉のかたまりが隆起してきた。ちぎれた両足からも、同じく肉のかたまりが盛り上がった。
『吸血鬼の持つ、再生の能力よ』
 あらわれた左腕は、もとのそれではなかった。黒い剛毛に覆われ、幼いからだに似合わぬ隆々とした筋肉で盛り上がった腕だった。その腕には、凧のような大きな翼が脇から生えており、指の先には、大鷲のような鋭い爪がついていた。千切れた右足の傷口からは無数のみみずのようなものがうねり、左足からは、ゴツゴツした鉱石のような皮膚に、無数の眼球が埋め込まれていた。
「おい……なんだかめちゃくちゃになってないか」
『……妹様は、自分の分身を作り出せるほどに再生能力が高い。だけど、どうやらその再生能力が暴走しはじめているようね』
 フランは、息を荒げながら、変わり果てた自分の腕を、愕然とした表情で見つめていた。
「う、うううううっ」
 彼女はうめきながら、四つんばいに這いずり、もたれかかるように窓のカーテンに手をかけて、引きちぎった。異形の肉体を隠すように、自分のからだに巻きつけた。
 そして、胸のあたりを右手で抑え、荒い息をあげながら、無言で見下ろす魔理沙を、見上げていた。
 フランは、苦しげに息をあえがせながら、自嘲の笑みを浮かべた。
「い、今、わ、わたしのこと、きもちわるいと思ったでしょ」
「……」
「わ、わたしのからだには、きもちわるいばけものがすんでいるの。そいつはきたない羽根を背中から生やして、まわりのひとを次々と消滅させてしまうの。そいつは飛べないくせに、手や足を勝手に生やしてきて、なかなか死なせないの」
「……」
「ね、ねえ。こんどは、ちゃんと、ころしてよ。ばけものを、ころしてよ」
『さっきの再生でさらに力を放出したためか、少し安定したようね……ただ、少し転べば再び爆発するわ。気をつけて』
「……そのばけものを、お前さんは、嫌いなのか?」
「嫌いよ。世界で一番、嫌いよ。吸血鬼のくせに飛べなくて、頭がおかしくて、おねえさまに迷惑ばかりかけて……おねえさまも、みんなも傷つけて。最低のばけものよ」
「わかった。じゃあ、死にな」
 魔理沙は、八卦炉を、フランに向けた。
 そのときの彼女の顔を見て――なんてひどい目だ、と思った。
 自分を殺そうとするものに、そんな、すがりつくような眼差しを向けるなよ。
 この世間知らずの吸血鬼は、この八卦炉が自分を救ってくれる神様だと本気で信じているんだ。ばけものの自分が死ねば、この世界がみんなハッピーになるって思っているんだ。

「――やめだ」

「えっ?」
「私は、お前を殺さないことにした」
「ど、どうしてよ」
「腹が立ったからだ。お前さんのバカさかげんにな」
 フランは、呆気にとられているようだった。
「本当に、死ねば救われるとでも思っているのか? そんなわけないだろーが。はっきり言ってやろうか。お前はただ、逃げたいだけだ。だけど逃げる方法が見つからなくて、こんな安易に死のうだなんて思っているだけだ。そうじゃないのか?」
 フランは、どうして魔理沙が自分を怒っているのか理解できていないのだ。嫌われものの自分が死ぬのだから別にいいではないか。どうして怒る必要があるのだろうか、と訝んでいるのだ。
 彼女はやがて、「よくわからないがこの魔法使いは自分を殺す気がないらしい」と理解したのか、じょじょにその顔を、苛立ちでゆがめはじめる。
「余計なことばかり言ってないで、さっさとわたしを殺せばいいだろ! そうしないと、お前もばけものに食われるんだぞ!」
「いやだね。悲劇のヒロインごっこにお付き合いするほど私はヒマじゃないんだ。死にたいなら他人にすり寄らずにひとりで勝手に死ねよ。バカ」
『ちょっと魔理沙、あまり刺激しちゃ……』
「うるさい! うるさいうるさいうるさい! はやくわたしを殺さないと、おまえを殺すぞ!」
「本当は、ひとりぼっちで死ぬのがイヤなんだろ?」
 フランは、目を見開いて、絶句した。
 しばらく視線を落とし、無言で、唇をわななかせていたが、きっ、と鋭い目で、再び魔理沙をにらみつけた。
「……だったら、だったら殺さずにいられないようにしてあげるよ!」
 フランは、突然跳躍すると、がばり、と魔理沙へと抱きついてきた。
「な、なんだっ?」
 いきなり首元に抱きつかれた魔理沙は、そのままよろめいて後ろに倒れた。
 魔理沙は、フランに首元を抱きつかれたまま、彼女に上からのしかかられるかたちになった。
 息遣いまで届くほど近くにいるフランの口元には、小さな笑みが浮かんでいた。
 次の瞬間、彼女の小さな唇が、魔理沙の口をふさいできた。突然のことに、口のなかへとなまあたたかいものが入ってくるのを、魔理沙は拒むことができなかった。自分の舌が、そのなまあたたかいものに絡めとられていく。おぞましいという感覚は無かった。それどころか、しびれるような快楽が背筋のあたりから押し寄せてきて、酩酊したように頭がぼおっと眩んでくるのだった。
 ……そして、甘噛み程度のちくりとした痛みが、舌に走った。
『う゛あ゛あああああっ』とパチュリーの悲鳴が聞こえて、魔理沙は、ようやく我に返った。
「く、くそっ」
 抱きついているフランの肩をつかみ、ぐいと押しのけた。フランはそのまましりもちをついたが、唇から舌をぺろりと出しながら、勝ち誇ったような笑みを浮かべていた。
「きれいな、におい」
『う゛あ゛あああああっ。まりさが、まりさがっ……うあ゛あああああっ』
 パチュリーは血の涙を流すような痛切な悲鳴を繰り返し、大変やかましい。
 小悪魔は、『さすが音に聞く吸血鬼のキッスは濃厚ですねえ。ふふふ』と、笑っている。
 魔理沙は口を拭うと、
「おい、これは一体何の真似だ!」
 どくん、と動悸が聞こえた。
 全身の血が沸騰したかのように熱くなり、やがて、幻聴のような、耳鳴りのような、ラッパのような、フルートのような、一様に形容しがたい音色が、まるで熱病にうなされた状態で聞くパイプオルガンのように、頭のなかで反響してくる。
「わたしの牙で噛まれたお前のなかには、今、わたしの寄生虫が入った。そいつらがお前の脳みそにたどり着いたとき、わたしの言葉しか聞かない肉人形になるんだ。助かりたいなら、寄生主のわたしを殺して解毒液を奪うしかないよ」
『ま、魔理沙の肉人形だって?』
 発狂したかに思えたパチュリーが、フランの言葉に反応した。
『……それって、魔理沙があれやこれやを好き勝手にもてあそばれちゃったりするってわけなの……? 口に無理やりたくわんを突っ込まれたり、ジャージに便所サンダルみたいな屈辱的な格好で散歩させられちゃったりして調教されちゃったりするの? ああ、なんて悲劇! いいのよ魔理沙、私はあなたがどんなによごれようとも、あなたのすべてを受け入れるから……』
『いやあ、思念だけの存在になったせいで妄想がダダ漏れでひどいですね』
「これでわたしを殺す気になったでしょ? 憎むようになったでしょ? さあ、殺しなさいよ」
 魔理沙は無言で立ち上がると、首を左右に振ってごきごきと鳴らすと、フランに近づいていく。
 仰向けのフランの上でまたがるように座り込むと、彼女の目の前で八卦炉を手に取った。
「そんなに死にたいのか」
「そうよ!」
「じゃあ、殺してやるから、口を開けな」
「……えっ?」
「からだの中からマスタースパークで焼き尽くすのさ。お前さんがいかに頑丈だろうとも、腹んなかはそうそう変わらないはずだろ? これなら確実にお前さんを殺せるわけだ。まあ、喉や内臓が焼けただれて死ぬのは地獄の苦しみらしいが、これから地獄に落ちるお前さんにはちょうどいいだろ?」
 フランの目が、不安げに揺れた。
「どうした? 早く口を開けろよ」
「……わ、わかった、よ」
 彼女は、おずおずと、小さな口を開けた。
「もっとちゃんと開けろよ。内臓までちゃんと焼けないだろうが」
「わ、わかっているよ……」
 あーん、と口を開けたフランは、目をぎゅっと閉じて、自分のからだを覆うカーテンを、胸のあたりで強く握り締めていた。その手が、ぶるぶる震えている。
 強がっていても、めっちゃ怖がっているのがミエミエじゃないか。バカだねほんと。
「――お前みたいなやつは、これでも食らいな!」
 魔理沙は、大きく開いたフランの口に、胸のポケットから取り出したおやつの大福もちを突っ込んだ。
「もごっ?」
「わははははは。お子様には、それで十分だよ」
 フランは、最初口の中に異物が突っ込まれたことにびびったようだが、すぐに「あ、これうまい」と思ったのか、口をもぐもぐさせて、ごくんとのみこむと、
「わ、わたしはお子様じゃない! 500年近くも生きているんだぞ!」
「それ、うまいだろ。つきたてのモチで作ったんだ」
「あ、うん」とフランは素直にうなづいた。それから、はっ、と気付いて、
「じゃなくて! 話をそらすな!」
「じゃあ聞くが、お前さんはその500年の間、何をやっていたんだ?」
「……地下にいたわ」
「地下で、何をしていたんだ?」
「……一人で遊んだり、分身たちと遊んでいたり、していたわ。……けんだまをしたり……ファミコンをやったり……いろいろと」
 魔理沙は、やれやれ、と肩をすくめた。
「ウーパールーパーって知っているか? 湖の底でまったり生きている動物でな、一生オタマジャクシみたいな幼体のまま変わらないんだ。お前さんはその類だな」
「だって、わたしは外に出てはいけないんだもの!」
「じゃあなんだ。ほんとは湖から出てサンショウウオとかになりたかったのかよ」
「サンショウウオにはなりたくないけど……私だって、暗い地下室で一人なんていたくなかった。いつもみんなと過ごしたかった。いつでもおねえさまと一緒にご飯を食べたり、お風呂に入ったり、よくわからない変な漫画の話をしながらベッドに眠ったりしたかった。
 だけど、外に出ればおねえさまや、みんなに迷惑がかかるのがわかっていた。わたしの頭はおかしいから、まちがったことをいつもしてしまうから」
「だから、ずっと湖の底にもぐりこんでいたってわけか?」
「……わたしが、まちがっていたと言いたいのね」
 フランは、視線を落とした。
「そんなこと、最初からわかっているよ。生まれてきたこと自体がまちがっていたんだ。現に今だって、わたしは……おねえさまにひどいことをしてしまった。もう、おねえさまに会うことなんて、できない。わたしは……もう、死ぬしかないんだ」
 魔理沙は再び大福をフランの口に突っ込んだ。フランは「あむ」と声をあげたが、今度は積極的にもぐもぐとモチを咀嚼していた。
「あのな。物を知らないバカのくせに、生まれてきたことがいいとか悪いとか、そんな面倒なことを考えてもしょうがねーだろーが。バカ」
 フランは、ごっくんとモチをのみこむと、
「バカじゃないって言ってるでしょ!」
「いーや、バカだ。まちがったことをしでかすのが怖いからって地下に閉じこもるだなんて発想がバカだ。そんなんじゃ後ろ向きな発想しか出てこねーだろが!」
 魔理沙は「ちょっとごめんよ」と言って、フランを両手で抱え込んだ。
「え? え?」
 わけがわからずに硬直しているフランを、そのままお姫様抱っこして持ち上げた。
「じゃあ、とりあえず空に行ってみるか」
「……えっ? だ、だめよっ。わ、わたしは外に出ちゃいけないんだから」
「天井を見ろよ。お前さんのせいですっかり壊れてとっくに外と変わらんだろーが。それに私がいる限り、お前さんの好きなようにはさせないよ」
 魔理沙はフランを抱えたまま、ほうきに腰かけて、一気に浮き上がった。



 頭上に星くずがきらめく夜空と、大きな月しかないくらいまで浮かび上がると、魔理沙はフランのほうを振り向いた。びゅうびゅう吹き荒れる向かい風にかき消されないように大きな声で、
「どうだい。気持ちいーだろがっ」
 金髪の髪が風にさらわれるのもかまわず、フランは、呆然と魔理沙を見つめていた。
「おいおい。私を見ててどーすんだよ。お前さんのためにせっかく夜空を散歩させてやってんだからさ」
 言われて、フランは慌てて下を眺めた。
 米粒みたいに小さくなった町を見て、驚いたように目を大きくした。
「紅魔館はどれなの?」
「湖が見えるか? あの隅っちょに赤い点が見えないか?」
「……すごい。あんなに小さくなっている」
「つまらんくらい素直な反応だね。もっと面白いことは言えないのかね」
「ご、ごめんなさい。面白いこと面白いこと……」
「たとえば高いところにきたら叫びたくなるとか」
「叫びたくなる? くおおおーっ、とか?」
「もうちょっと捻りのあるやつだな。『ピャミー』とか『ポリョーン』とか」
「そ、それはちょっと言いづらいよ」
「まあ、わざと言いずらそうなものにしたんだがな。むはは」
「な、なんでそんなこと言うの? やっぱり私のこと……嫌いだから?」
「やっぱりお前さんはバカだな」
「ど、どうせバカだよ。だから教えてよ」
「そんなこと、面白いからに決まってるじゃないか」
「そ、それが……面白いの?」
「そうさ。ためしにやってみな」
 フランの息を吸う音が聞こえて、
「ぴ、ぴゃみいいいいっ!」
「わはははははは」
『……魔理沙』
「お、面白い? これって、面白いの?」
「ああ。面白いな。お前さんはどうだい? 楽しいか?」
「……たのしいかもしれない」
「それはよかった。むはは」
『あなた、目が見えてないでしょ』
 ――やれやれ。相変わらずヘンな奴だけど、勘のいいやつだね。
 フランの牙から注入されたウイルスたちは、すさまじい勢いで彼女の身体を改竄していた。ウイルスにとって宿主は死んでもらっては困る存在である。猫背と腰痛が嘘のように治った。本の読みすぎで近視気味だった目が治った。なんだ超いい奴じゃないか。ゾンビ最高。
 というわけにもいかないのは、ウイルスにとっての至上命題が永遠に魔理沙の肉体を維持していくことであり、ウイルスたちは改竄していくうちに、やがて思い通りに宿主を改変するために最も邪魔なものの存在を知ることになるからである。
 それは宿主の意思……すなわち頭脳。
 今、魔理沙がまばたきするたび、夜の星や月などのすべての無機物が奇怪な肉塊になり、代わりにフランの姿が虹色に輝く鉱石となったり、フランの顔がどアップで映り、その白い頬のうぶ毛までしっかり見えたり、遥か遠くにいるように小さく見えたりした。どうやらウイルスたちが、魔理沙の「視覚」に関わる部位をいじくり、実験を行っているらしい。
 これが、魔理沙の「意思」や「感情」や「思考」に関わる部分にまで達したときに……「霧雨魔理沙」というものは消失することとなる。
 ――お前さんがた、もうちょっと待ってくれよ。私はこのすっとこどっこいに伝えたいことが残っているんだからな。
「――どうだよ。世界はいやんなるほどだだ広いと思わないか?」
「……うん」
「お前さんがいいやつか悪いやつかなんてものはな、この広い世界の、ちっぽけなたった一つの価値観だよ。ひとりで閉じこもってる地下室じゃ、そのたった一つの価値観がすべてになってしまうけど、ほんとは世の中にはいろんなやつがいて、いろんな考えがあるんだ」
「……でも、私がおねえさまにしたことは、まちがいなく、悪いことだよ。あんな優しいおねえさまに、あんな……ひどいことをするなんて」
「わかった。ひとつ、たとえ話をしよう。たとえばだ。お前さん、羽根がどうたらこうたら言ってたよな? 」
「……うん」
「どうしてそんなに嫌いなんだよ。それ」
「……このおかしな羽根のせいは、呪いなの」
「……呪い?」
「そう。この羽根のせいで、わたしはひとりぼっちでいることを運命づけられたの。この羽根のせいで、わたしはおねえさまと一緒に飛ぶこともできなかった。だから」
「それで嫌いになったのか」
「そうよ」
「私は好きだよ。その羽根」
「……えっ?」
「キラキラしてて、まるで虹の星くずみたいにすごく綺麗じゃないか」
「き、きれいなの? わたしの、この羽根が?」
「この広い世界には、いろんなやつがいて、いろんな考えがあるってことさ。だからそんなに」
「ほんとなの? ほんとにほんとに、あなたはきれいだと思うの?」
「ひつこいねえ。こんなこと嘘ついてどうすんだよ。ほんとにほんとだよ」
 魔理沙は、フランがどんな顔をしているのかまるでわからない。彼女は今、万華鏡のような世界で、昆虫みたいな足をした馬にまたがり、ベッドの上のメリーゴーランドを楽しんでいる気がしていた。ウイルスが、「認識」の部分をいじくりまわしているのだ。
「うふふ」とはにかんだ笑い声が、遠くで聞こえた。
「……なんだよ。ずいぶん嬉しそうじゃないか。さっきまで死ぬ死ぬって言ってたやつとは思えないね」
 ――自分の眼球を食べる牛の群れを眺めながら、バースデーケーキに刺さった錆びた釘を数えている気がした。
「そんなこといわれたの、はじめてだから。みんな怖がって、羽根の話なんてしなかったし」
「さっきみたいに怒ってりゃ、誰もしなくなるよ。お前さんは、自分の羽根の良し悪しすら聞こうとしなかったんだ。ほんとうは私みたいに綺麗だって思ってるひともたくさんいたかもしんないのに、その羽根を価値あるものだと思ってたかもしんないのにその機会を逃して、ただ、ただひとりで閉じこもってネガネガしてたんだ。まったくバカみたいだと思わないか?」
「……」
「おねえさまに会わす顔が無いんだったら、いい機会だ。いっそのこと外に出て、いろんな場所に行ってみなよ。お前さんの悩みなんてものは。たぶん、その羽根のようなものだぜ」
 ――顔にぶつかる風を、昔、父親と一緒に行ったお好み焼き屋の壁に掲げられていたトカゲの油絵の匂いと認識していた。
「――ねえ、あなたの名前をおしえて」
「名前――自分の名前、」
 魔理沙は「自分の名前」と聞いて、「熱砂のなかに沈んだこうもり傘」が脳裏をよぎった。
『魔理沙! 魔理沙! しっかりしてよ! 魔理沙ー!』
 パチュリーの声は「濡れた玉虫色の猿」としか認識されなかった。
 ウイルスに侵略された支離滅裂な思考の渦の中で、うっすらと魔理沙は自分が消えていくのを感じた。




 唇に、やさしいものが触れた。熱を帯びたやわらかいものが、魔理沙の舌にからみついてきた。あたたかいものが溢れてきて、口のなかを満たしていく。
 ――なんだろうな。ひどく、なつかしい気がする。
 ああ、もしかすると、お母さんのおっぱいってやつか。
 私は、死んだのかな。
 これが走馬灯ってやつかな。
 でも、まあ、わるくないかんじだ。
 人生の最後に、生まれたばかりのときの感覚を思い出すとは因果な話だ。やっぱ人間一度は死んでみるべきだな。口は、人間にとって最初の快楽の源泉ときくが、確かになかなかいいもんだ。
 そんなことをつらつら考えながら、魔理沙は、そのやわらかいものを、夢中になって吸っていた。

 

 目覚めると、ぼんやりした視界で、金髪の吸血鬼が、こちらをのぞきこんでいた。
 自分をみるその瞳が、妙にうるんでいる。一体何があったのだろうか、と魔理沙は首を傾げ、そういえば私はほうきから落ちて死んでしまったのだなあ、こいつも一緒に死んでしまったのかもしれん、と思った。
 むくり、と上半身を起こすと、目の前でぺったり座りをしていたフランは、驚いたように目を大きくした。
「悪かったなあ。まあ、地獄でも仲良くしてくれよ」
 すると、彼女はぷい、と顔をそむけた。どうやら嫌われたらしい。
 そりゃそうだ、自分のせいで死んでしまったんだから。償っても償いきれんぞ。
『いやあ、なかなかいいものを見させてもらいましたよー。パチュリー様なんて魂抜けちゃうくらい』
 小悪魔がふふふ、と笑った。ひとが墜落死するさまを「いいもの」と表現するとは、さすが悪魔だなあ、と魔理沙は思った。
 フランは、顔をそむけたままだった。
「おい、悪かったって言ってるじゃないか。こっち向けよなー」
 魔理沙は上半身を起き上がらせて、フランの肩をつかんだ。
 すると彼女のからだが、びくん、と電気が走ったように震えた。ずいぶん過剰な反応である。
「おい、まあその、お前さんも動揺しているのはわかるけどよ。でも、しょうがないじゃないか」
「……しょうがないですますの? あ、あんなに……すごいことして……」
「いや、だから、悪かったって言ってるじゃないか。まあ、お前さんとこうなっちまったのも何かの縁だ。長い旅路になると思うけどよ、よろしくな」
 フランは、ちら、とこちらを向いた。
「それって、ずっと一緒にいてくれるってこと?」
「地獄に道連れって言葉があるだろーが。私はお前さんを文字通り道連れにしちまったからな。責任は取るよ」
 フランは、少しだけ、にこり、と笑った。しかしすぐに、ぷい、と再びそっぽを向いてしまう。
「……お前さんお前さんってさっきからそればっかり」
「……うん?」
「わたしは、フランドール・スカーレットって名前があるのよ!」
 その横顔の白い頬が、今はりんごみたいに染まっていた。
「……ああ、そういえば、聞いてなかったなあ。名前。名前だね。フランドールさんね。いい名前だ。まるで名前みたいだ」
「……おしえてよ」
 フランは、そっぽを向きながら、口をとがらせて言う。
「ん?」
「あなたの名前も、おしえてよ」
 ちょっと恥ずかしそうにうわずった声で。
 なんだこいつ、もしかして名前で言われなかったり、私が名前を名乗らなかったりしたのが不満だったのか? 地下に閉じこもっていたとはいえ、さすがお嬢様だね。
 魔理沙はきょとんとしたが、むふふ、と笑った。
「田中ほしいも子だ」
「ほ、ほしいも子?」
「珍しい名前だろ? 古代アステカ語で『豊穣なる神の子』という意味らしいんだ」
 フランは、そこで、しばらくうつむいたまま、黙っていた。
 指と指をもじもじさせながら、意を決したようにこちらを向くと、
「じゃ、じゃあ、ほしいも子って呼んでいい?」
 おい、そこで納得してどうする。
 ほしいも子なんて名前あるわけないだろーが。まともに信じるなよ。ツッコめよそこは。
「……ひとのことを何でも鵜呑みにしちゃいけないよ」
 フランは、ふるふると首を横に振った。
「なんでも信用なんてしないよ。みんなわたしが怖いから、紙きれみたいなうすっぺらい嘘をよくついてきたのを知っているもの。でも、ほしいも子は、ちゃんと私と話をしてくれた。わたしのせいで死にそうになったのに、そんなことちっとも言わずに、たのしい話をしてくれた」
 フランは、まっすぐ魔理沙を見つめていた。
「ほしいも子だから、わたし、信じるの」
 魔理沙は、冗談を言ったことを、かなり後悔した。
 これは……いまさらほんとのことは言えない雰囲気だぞ。
 ……まあいいや。どうせ時間は果てなくあるんだ。おいおい話すことにしよう。
「とにかく……逝こうか。閻魔様も待ちくたびれちまう」
 フランは、何故かどぎまぎしていた。
「……え? さっそくどこかに連れて行ってくれるの?」
「うーん……まあ、私も素行があまりかんばしくないから、三途の川のあとで、針の山のあたりかなあ……どっかで蜘蛛の糸を見つけないとなあ」
「……うれしい」
 小さく、言った。
「……お前さん、ドMか?」
「だって……どこかへ出かけるなんて、400年ぶりだから」
「まあ、死出の旅は辛く険しいかも知れんがな……」
「いいよ。ほしいも子と一緒なら、どこでもいい」
「……あっそう。まあポジティブなことはいいけどね。じゃあ、逝こうか。フランドーさん」
「うん!」
『ちょっと待てーい!』
 パチュリーの甲高い声が脳裏に響き、魔理沙は「うひっ」と叫んでしまった。
「な、なんだよ……脳内に直接くるんだから気をつけてくれよ」
『偽名を使って女の子をひっかけるだなんて……天は許しても私は許さないわ! 成敗するから待ってなさい!』
「な、何を言ってるんだよ。ちょっとしたお遊び心じゃないか」
『こ、ここまでしておきながらただのお遊びだなんて! あなたは悪魔よ! この肉体の悪魔!』
 パチュリーの言うことがいつにもまして理解できない。何がなんだかさっぱりだ。
「っていうか、なんでパチュリーもいるんだ? お前さんもついでに喘息か何かで死んだのか?」
『何言ってるのよ。あんたは生きてるわよ。落下するあなたをフランが受け止めて、フランの、その、ウイルスの解毒剤のエキスを……あなたの口に入れたじゃない」
「解毒剤? なんだそりゃ」
『吸血鬼の唾液ですよ。あなたは、それを飲んだのです』
 魔理沙は、目をぱちぱちさせて視界をはっきりさせたあと、あらためてあたりを見回した。それがさっきと変わらず瓦礫まみれの紅魔館の通路のままであることに気付いた。
 ――吸血鬼の唾液?
 そこで自分が走馬灯だと思った夢を思い出した。
 なるほどねー。口のなかいっぱいに広がったあたたかいものは、こいつのあれか、唾液か。
 となると、がんばって吸っていたものはなんだったのだろうか、と思い、まあ、なんとなく想像がついて。

 ……失敗した、と思った。

「どうしたの、ほしいも子?」
「い、いや、別に……」
「早く行こうよ。また、空へ連れていってくれるんでしょ?」
「そ、そうだな……」
 確かに私は「一緒にいこう」と言ってしまった。それは誤解なんだが、誤解なんだが。
 フランのうれしそうな顔をみて、「まあ、いいか」と魔理沙は思った。
「さっき言った三途の川って、何か、お土産とかってあるの?」
「う、うーん……どうだろうな。賽の河原の積み石か、渡し舟の冥銭とかか?」
「……それを渡したら、おねえさまと仲直りできるかな?」
 フランは、少し不安げなまなざしで、そう言った。
「それとも、勝手に外に出たわたしを、もっと嫌いになるかな?」
 魔理沙は、しばらくその真剣な顔をじいっ、と見つめたあと、にい、と笑う。
「喜ぶと思うぜ。何せ三途の川はそう簡単に行けるとこじゃないからな。それにきっと、お前さんのお姉さまは、フランが外に出たことを歓迎すると思うぜ。優しいお姉さまなんだろ? だったらきっと、外に出ないフランを心配してたはずさ」
「……そうかな?」
「そうさ」
 フランは、魔理沙をしばらく見つめたあと、ちょっとうつむいて、微笑んだ。
「よし。じゃあ。行くか」
 そう言って、魔理沙は一気に立ち上がると、ううーん、と軽く伸びをした。ゾンビにさせられそうになったおかげでいつになく身体が軽い。
 そして、座ったまま魔理沙を見上げているフランに、手を伸ばす。
「こりゃあ今宵はどこまでも遠くに行けるぜ。お嬢様」
 フランは、ちょっと恥ずかしそうにしながら微笑むと、おずおずと右手を伸ばした。
 魔理沙は差し伸べられた細い腕をつかもうとして。

 つかみかけたフランの右腕が、直前ですっ飛ぶのを見た。


11「奈落」


 フランの二の腕の断面は、豆腐のように綺麗にすっぱりと切れており、黒くこげて、ぶすぶすと白い煙を上げていた。
 彼女自身も、何が起こったのか理解できなかったのだろう。床に落ちた自分の右腕を、しばらくただ、呆然と眺めていたが、
「――うあああああああっ!」
 腕をおさえながら叫ぶフランの向こう側に。幽鬼のように立つ影を、魔理沙はみとめた。
 影は、その両腕に、鈍く光るものをぶらさげていた。乱れた銀髪のすきまから、血のように赤い両の瞳が、ぎらぎらと光っていた。
「お迎えに参りました、フラン様」と、十六夜咲夜は言った。
「……さくや? な、何を言っているの……?」
「地獄の釜は。もう沸いています」
 銀髪の影が、腰の後ろに手をまわした次の「瞬間」。
 フランの全身を、ナイフが貫いていた。
 ドライアイスを水の中にぶちこんだような音がした。ナイフが突き刺さったフランの全身から、すさまじい量の白煙がのぼっている。
 白煙の中から、フランのすさまじい悲鳴が聞こえた。
 十六夜咲夜は、フランの絶叫を聞きながら、笑っていた。
「聖水で清めた銀のナイフだ。頑丈な吸血鬼といえども、なかなか堪えるはずだ」
「ど、どうして……」
「ご自分でも理解されているのでしょう? あなたは狂っている。このままでは、レミリア様があなたに殺されてしまう。だからあなたは、生きていてはいけないんだ」
 咲夜は、フランの身体を覆うカーテンをつかむと、引きちぎった。彼女の上半身が露わになり、異形と化した左腕がむきだしになった。
「なるほど、レミリア様の姿に似せていたが、その化けの皮もはがれかけてきたようだな。本来の化け物の姿になりかけているぞ」
「ち、ちがう……」
「何が違う? 私は知っていたんだ。あなたがレミリア様と同じようでまるで違う化け物だったとな。その証拠がその羽根だ。飛ぶこともできない、まがい物、イミテーション、偽物の羽根だ」
 床に這いながらその言葉を聞いていたフランの瞳が、光を失い、うつろに濁っていく。
「は、はね。わたしのはねは……やっぱり、にせものなの?」
「それを知っていたからあなたは、誰も羽根に触れさせなかったのだろう?」
 咲夜は、フランの左腕を思い切り踏みつけた。すると次の瞬間、左腕は切断された。
「ぁぁああああっ!」
 両腕が失われたフランはのたうちまわった。
「痛いですか? 痛いでしょう。だが、レミリア様はもっと痛かったのだ。今から私がそれを教えてやる!」
 ――だいぶテンパってやがるな、と魔理沙は思った。
 メイド長と出会うのは、あの霧のときと図書館ぐらいだが、ナイフを投げつけようが蹴りをかましてこようが顔は能面のようだった。しかし今は、まるで悪鬼が憑いたかのようだ。
「まあちょっと待てよメイド長さん。そいつだって別に悪いことをたくらんでるわけじゃないんだ。とにかく落ち着いて――」
 次の瞬間、魔理沙のブラウスの前がぱっくり開いた。ブラウスは、鋭利な刃物で、切り裂かれていた。
 メイド長の能力――時間を操る能力だった。
「この距離なら、いつでもお前の心臓をえぐりだすことができるのだ――黒白の魔法使い」
 魔理沙は、開いたブラウスを右手で押さえながら、笑った。
 正真正銘の強がりからくる笑みだった。
 ――あいつの言うとおり、今の私はイケスに放り込まれたカエルってところだ。やばいねこりゃ。
「別に悪いことを企んでないから、そのままにしろと言うのか? こちらは外に出るとひとを襲ってしまう『もの』を殺処分しようとしているんだ。部外者のお前が、『かわいそうだから殺すな』などと無責任に言う資格は無い」
 フランのうつろな瞳からは、とめどなく涙があふれ出していた。絶望で表情が消え失せた顔は、涙が血と混ざりあい、まるで血の涙を流しているようだった。
 ――たとえがひどすぎるぜ、メイド長さんよ。
 メイド長の言葉のなかに「フランドール」という存在は無視されていた。飼い主によって一方的にかわいがられ、かわいそうだなと思われながら処分される凶暴なペットのようなもの。自分の意思なんてどこにもないものだった。
「やれやれ。やっと魔理沙と合流できたのに、まためんどくさいやつがめんどくさいことになっちゃってるわね」
 その声は、廊下の反対方向から飛んできた。
 小悪魔にお姫様抱っこされたパチュリーだった。
 その背後には巨大な「もの」が、背を丸めながら、立っていた。上半身は爬虫類のような鱗を生やしており、顔があるべき部分には、イソギンチャクのような真っ赤な触手がうねっている。下半身は、黒山羊のような真っ黒な剛毛に覆われていた。
 魔理沙は、その「もの」を見ていると、頭の中に支離滅裂な言語が踊るのをかんじ、慌てて目を反らした。
 ――耐性のない人間が見たら、一発で発狂するぜ。パチュリーの奴、どんな怪物を呼びだしたんだよ。
「動かない図書館が動くだなんてね。珍しいこともあったものです」
 咲夜は、パチュリーと、その怪物の方を見つめながら、表情ひとつ変えずに言った。
 パチュリーは、よいっと小悪魔の手から降り、しましまのパジャマをぱんぱんと払うと、言った。
「質問をするわ、十六夜咲夜。これは、レミィの命令なの?」
「……パチュリー様もわかっているはずでしょう? 『これ』は、同族であるおそるべき吸血鬼どもを、たったひとりで絶滅させた怪物なんだ。だが、あの方には、『これ』を殺すことはできない。だから、誰かが殺さなければならない」
「……レミィは、あなたを殺すわよ」
「それでレミリア様が安全になるのなら、私は構わない」
「咲夜、あなた、間違っているわ」
「分かっています。だが、私はこうするしかない」
「強情ね。しかも、不器用ね。だから私は、あなたが苦手だったのよ」
「私もあなたが苦手でしたよ。異世界の怪物を喚びだす凄まじい力を持っているくせにそれを有効活用せず、役にも立たない小説ばかり読んだり書いたりしているところがね」
 パチュリーは、ぼーっとしている顔を、少し苛立たしげにゆがめた。

 次に魔理沙がまばたきをすると――視界に入ってきたのは、ひざまずき、肩を押さえながら、荒い息を吐いている咲夜だった。
 その赤い目に、驚きの色が混じっている。どうやら、またしても「時間」が飛んだらしい。

 パチュリーの背後に控えていた怪物は、いつの間にかパチュリーの前でゆらりと立っていた。その顔の触手からは黄緑色のよだれが絶えず垂れている。よだれが落ちた床からは、白煙が上がっていた。
 パチュリーは、相変わらず眠たげな顔で言った。
「生きるってことはね、ヒマつぶしをし続けることなのよ。だから小説こそが、私が私であるためのものなの。それ以外のものは、仕方なくやってるものなのよ」
「……どうでもいいもののわりには、おそろしいものじゃないか。『私の世界』に侵入してくるなんてね」
「こいつの親はね。多次元宇宙生物――いや、宇宙そのものといってもいいかしら。その血筋のおかげで、あなた同様に、時間の波でサーフィンできるってわけ。まあ、少し年が若すぎるのが玉に瑕ってやつだけどね」
「……なるほどね。やっぱりあなたは、苦手だ」
「悪いけど、今の私は容赦できない。レミィとは長いだけのただの腐れ縁だけどね……あいつが望まないことくらいはよくわかるからね」
「容赦できない。それは、私も同じだ」

 次の瞬間――咲夜の姿が消えた。
 次の瞬間――人間のものではない悲鳴が聞こえ、何かがぼとぼとと床に落ちた。
 あの怪物を構成していた肉片だった。
 そして――咲夜が、パチュリーの首元にナイフを突きつけていた。

 咲夜のあちこちを黄緑色の粘液が汚しており、彼女のエプロンドレスを焼いていた。むきだしになった彼女の皮膚はぶくぶくと煮だつように白煙が上がっていた。左手は奇妙にねじれ、紫色に染まり、だらりと力なく垂れていた。
 だが、真っ赤に染まった瞳は、らんらんと輝き、パチュリーを睨みつけていた。
 咲夜は、べっ、と何かを吐いた。鮮血が混じった黄緑色の液体が床にこびりつき、白煙を上げた。彼女は手の甲で口を拭うと、
「容赦しないのなら、私に気づかれぬうちにやればよかったものを」
「……やっぱり若すぎたみたいね」
「そういうところがね。勿体無いって言っているんです」
「あなただって、まだ私を殺していないのは何故? 容赦しないんじゃなかったの?」
「あなたが、レミリア様の親友だからですよ。だから、正々堂々と、その顔を見ながらきちんと殺したいだけだ」
「相変わらずくそ真面目ねえ」
「それに、こうなったらあなたは無力でしょう?」
 パチュリーは、そこでしばらく無言になると、やれやれ、とため息をついた。
「――小悪魔、下がって。あなたにはどうしようもないわ」
「嫌です」
 小悪魔が、咲夜に向けて果物ナイフを持っていた。ぶるぶる震える手で、引きつった笑みを浮かべながら。
「私はね、今までパチュリー様の魂を奪うために頑張ってきたんですよ。それを横取りされただなんて悪魔の名折れじゃないですか。パチュリー様の魂は私だけのものです。誰にも渡さない」
 次の瞬間――小悪魔のナイフは、床に落ちていた。
 それを握り締めた掌ごと。
 咲夜は、手にしたナイフをぶうん、と振り、べっとりついた緑色の液体を弾き飛ばした。
「……聖水を振りかけたナイフは、悪魔にも有効なんだ。小悪魔風情がでしゃばるなら、次は、無い」
 小悪魔は、緑色の液体を噴出している己の手首を見ながら、「あはは」と乾いた笑い声をあげた。
「ぜんぜんダメだなあ。私だって、悪魔なのになあ」
「……私の魂なんて、ジンバブエドルくらいの価値しかないんでしょう? そんなもの諦めて、とっとと魔界に帰りなさい」
 小悪魔は、ふふ、と笑った。長い髪に隠れた額から、汗が垂れおちた。
「……価値にはね、相対的価値と、主観的価値があるんですよ」
「……そんなだから、落ちこぼれるのよ」
「あはは。そうですね」
 笑いながら、素早く小悪魔は落ちた果物ナイフのほうを向いて腰を落とした。
 次の瞬間、小悪魔の身体はナイフでくし刺しになった。まるで「黒ひげ危機一髪」のように。
 小悪魔の甲高い悲鳴を聞きながら、パチュリーは、眉をしかめながら、目を閉じていた。
 咲夜は、さらに数本のナイフを両手に広げながら、
「パチュリー様、最後の要望をお聞きしましょう。どのようにして死にたいですか?」
「いっぱいのバラの花束と、愛するひとに抱かれながら、眠るように死にたいわね」
「……ナイフと私に抱かれながら、のたうちまわりながら死なせてもいいですか?」
「……もう、やめて」
 両腕を失い、血だまりのなかで、ぐったりと身体を折れたままのフランが、床を見つめながら、ぽつり、とつぶやいた。
「パチュリーは、もう何もしなくていいの。パチュリーは、おねえさまの友達なんだから。パチュリーがいなくなってしまったら、おねえさまがかなしんでしまうじゃない。だから、何もしないでいいの」
 フランは、赤い涙でぐしゃぐしゃになった顔を、咲夜に向けた。
 笑っていた。感情が一切こもっていない笑みだった。
「わたしが死ねばいいんだよね。消えればいいんだよね。咲夜。それでいいんだよね」
 フランは、血だまりのできた床に頭を擦り付けながら、何度も何度も呟いた。
「ごめんね。わたしのせいで、すごく怒ってるんだよね。ごめんね。ごめんね。ごめんね。ごめんね。ごめんね。ごめんね。ごめんね」
「……」
「だから、だから、パチュリーにはなにもしないで。パチュリーと咲夜が戦うだなんて。おねえさま、すごく、かなしむから」
 無言のままの咲夜に、魔理沙が言った。
「お前さんは、これが『たったひとつの冴えたやりかた』だと、本当に思っているのか?」
 咲夜は、軽く顔を横に振った。
「……私は、お前が思っているほど、まともじゃない」
 咲夜は、いつの間にか、片手ほどもある白銀の剣のようなものを携えていた。それは「個人的な部屋」から取り出した銀の十字架だった。レイピアのように先端が鋭く尖り、金属の塊といった無骨な姿のそれは、まさに「吸血鬼殺し」というべき業物だった。
「これが本当に正しいのか、なんてことも、わからない」
 咲夜は、「吸血鬼殺し」を両手で掴み、フランを見下ろす。
「だけど私は、こうするしかないんだ」
 ――やれやれ。本当に不器用なやつだね。
 魔理沙が一歩踏み出そうとしたとき、
「何も言わないで、何もしないで。ほしいも子」
 フランは、微笑んでいた。
 背筋が凍りつくほど、優しい笑みだった。
「いいのよ。わたしがいなくなれば、全部うまくいくんだから。ほら、ゲームであるじゃない。世界を悪くするモンスター。みんなを苦しめる悪い奴。そいつを倒せばみんなはしあわせになるし、みんなはわらってすごせるし、おねえさまはたのしくすごせるのよ」
「……言ったじゃないか。空に行くんだろ。私と一緒にさ」
「だましていたの。嘘をついていたの。だましててごめんね」
「……何もかも自分が悪ければいいだなんてふざけんなよ。私の気持ちはどうなるんだよ。私はね、お前さんがいなくなるのがいやなんだよ!」
「ごめんね。わたしがいるとみんなが不幸になるの。ごめんね。ごめんね。ごめんね」
 魔理沙は、フランの表情を見て。
 もう、終わりだ、と思った。
 その無表情な微笑みは、魔理沙に向けられたものではない。
 ただ、一切に対する拒絶の微笑みだった。
 ――結局、こいつの物語は、こんな終わりなのかよ。
 魔理沙は首を振ると、意を決したように、フランを見つめる。
「……何度も言うぜ、お前さんの羽根は、私にとっちゃ、それはきれいな羽根だったんだ。決してモンスターなんかじゃない。なによりきれいな羽根だったんだ」
 フランは、その言葉に、少しだけ、微笑みを崩した。しかしそれは一瞬であった。
「ありがとう」と、微笑みながら、彼女は言った。「さようなら」
「……おわりにしましょう。フラン様」
 咲夜はフランに近づき、「吸血鬼殺し」を振り上げた。

 「怪物」は、この瞬間を待っていたのかも知れない。

 自分の射程範囲に、この人間が近づいてくるのを。
 確実に、標的を殺せるときを。

 ぼふん、と気の抜けたような音がした。

 十字架ごと、咲夜の腕が消滅した。

 再び、ぼふん、と空気が抜けるような音が、こだました。
 咲夜の胸に、ぽっかりと空洞が開いていた。それはマンホールくらいの大きさで、あまりに綺麗に開いているために、魔理沙は、咲夜の身体が、ところてんのようにぐにゅうと押し出されたような、そんな滑稽な情景を思い描いた。
 現実と直視するには、あまりに非現実的すぎたのだ。
 魔理沙は、穴の向こうに、フランを見た。切り落とされたはずの右腕からは、つるのような植物が絡みつきながら伸びており、その先端には、バラに似た真っ赤な花が咲いていた。
 フランは、その花を咲夜に向けながら、笑っていた。心底うれしいといったような、無邪気な笑みだった。
 魔理沙は思った。もしかすると、自分がフランを、本気で殺そうとしていたのなら――今の咲夜のようになっていたのだろうか、と。
 咲夜は、愕然とした表情でフランを凝視していたが、やがて口から、ごぶり、と血を吐き出した。おびただしい血が、彼女のエプロンドレスを染めあげ、腿を伝い、足元の床へと広がっていく。だらだらと血が流れ落ちる彼女の足はがくがくと震え、彼女の身体は糸が切れたように、がくりと前のめりに崩れ落ちかけた。そこで踏みとどまろうとして、ナイフをつかんだ左手を振り上げた。
 真っ赤な花が咲いて、咲夜の左腕は消滅した。
 両腕を失った咲夜は、転倒した。
 フランの前にできたもうひとつの血だまりのなかで、咲夜はそれでも立ち上がろうとして、己の血で足をすべらせて、再び倒れた。
 うつ伏せになった咲夜は、ぶるぶると身体をふるわせていた。おそらく立ち上がろうとする意思はあるが、臓器を失った肉体がそれを実行できないのだろう。
 その顔は己の血を浴びて真っ赤に染まり、銀色の髪は赤い絵の具をかぶったように朱色になり、その瞳は、虚ろに濁りはじめていた。
 咲夜からは、濃厚な死の匂いが漂いはじめていた。
 ――その匂いに覚醒したのか。フランは、血まみれの咲夜が痙攣しながら横たわる姿を、呆然と見つめていた。
 そして、それを、己が行ったことだと理解したのだろう。
 そして、十六夜咲夜が人間だということも。
 妖精のように一回休みで終わるのではなく。
 妖怪のように身体は強靭ではない人間にとって。
 自分がつけた傷は、致命傷であることも。
 フランは、目をわななかせて、
「うああああああああああああっ!」
 死にゆく咲夜を凝視したまま、絶叫した。
 まっくろな、どろぬまの、奈落の底から上げているような、悲鳴だった。
「ああっ! ああっ! ああああああああっ! ああああああああっ!」
 身をよじらせ、虚空を見上げながら叫び続けた。
「あああああああっ! ああああああああああっ!」
 魔理沙は、フランが発狂したのではないか、と思った。永遠に、叫び続けるのではないか、と思った。
 ――彼女は本当に、誰も傷つけたくなかったんだ。
 それなら死んだほうがいいと思っていたんだ。
 お姉様の友達が争っているのを見るのも嫌なくらい、優しいんだ。
 なのに。大切なひとを、自分の手で、殺してしまった。
 どれほどの絶望なのか、魔理沙には想像すらつかなかった。少なくとも、ひとが狂うには十分すぎるほどだ、と思った。
 ――長い長い叫びは、やがて変わる。
「……あははは。あはははは。あはははは。あははははは」
 金切り声のような不協和音。悲鳴のような雑音。愛情も、憎悪も、悲しみも、絶望すらも消えうせた乾いた笑い声。痙攣する咲夜の前で、フランは、嗤いつづけていた。薔薇のつぼみのように真っ赤に充血した瞳から、血の涙を流しながら、嗤い続けていた。
 あはははははは。
 あはははははは。
 あはははははは。……
 ――その笑い声に惹かれるように。
 空から、黒いものが降りてきた。
 それは飛び交いながら、みるみる増殖し、月を覆い隠した。
 無数のコウモリだった。
 コウモリたちは、すべてを漆黒に染めながら、フランの周りをぐるぐる回り続ける。増殖し続けるコウモリたちはフランの肉体に張り付いていく。たちまちフランの姿は、咲夜とともに、コウモリのなかに埋もれてしまう。やがて……そのコウモリたちの間から、触手のようなものがめきめきと伸びていった。それは、無数の棘がついた蔓だった。次々と伸びていく蔓は、密集したコウモリたちの上に何重にも覆いかぶさっていく。コウモリたちは、さらに次々と引き寄せられるようにその上へ止まり、みるみる伸びていく蔓にあっという間にからめとられていく。蔓に縛られたコウモリたちは、まるでバターのように溶けていき、ずぶずぶとひとつのかたまりとなっていく。やがて、かたまりのあちこちから伸びる蔓からは色とりどりの粒が生まれた。それは、つぼみだった。つぼみは、みるみる大きく膨らんでいった。
 嗤い声のなかに、ノイズのようなひずんだ声が、魔理沙の中で反響する。

 ――わたしは、いきてはいけないばけもの。
 ――ひとりぼっちにならければならないもの。
 ――だけど。
 ――ひとりぼっちはいやだ。
 ――ひとりぼっちはいやだ。
 ――ひとりぼっちは、いやだ。
 ――だから。
 ――だからみんな。
 ――いっしょにしんで。
 ――いっしょにしんで。ねえ。おねがい……

 そして。
 魔理沙の目の前には、「まっくろなもの」としか形容できないものが、存在していた。
 それは底なしの闇そのものだった。それは奈落の穴そのものだった。
 その闇のあちこちには、星くずのように何かが輝いていた。けだもののようにらんらんと輝く無数の目だった。
 深海で揺れる海草のように、何かがうごめいていた。さまざまな生き物の手足だった。
 奈落の裂け目のように、ぽっかりと穴が開いていた。牙をむき、あざ笑うかのように大きく開いた、無数の口だった。
 宝石のような無数の色のものが、あちこちで咲いていた。薔薇の花だった。
 やがて、その闇のかたまりの背中から、ずるずると、枝のようなものが生えて、伸びていった。
 それは、フランドール・スカーレットの羽根だった。まがまがしいまでにいびつな羽根は次々と生えてきて、空を貫くがごとく、みるみる伸びていく。それはセミの幼生に寄生する冬虫夏草のように、フランドールのかたまりでできた闇から養分を吸い取り、成長しているようにみえた。そして羽根たちは、まがまがしく艶やかな彩りの果実をつけていく。青や赤や黄色に輝く果実はふくらみ、やがて、はじけて落ちた。その下の床には、ぐしゃぐしゃになった臓物のような、つぶれた果実が散らばっていた。
 魔理沙は、言葉を失っていた。
 幻想郷は、さまざまな妖怪変化が巣くっている。魔理沙も、さまざまなあやかしと出会ったことがある。
 しかし、「これ」に比べれば今まで出会った妖怪など毛色が変わった人間と変わらない。
 今目の前にあるものは、正真正銘の「化け物」だった。
「魔理沙」
 パチュリーの声に、ようやく我に返る。
「……パチュリー、これは、なんだ? 何が、起こっているんだ?」
「400年前に、吸血鬼たちをバラの花びらに変えてしまった、薔薇食いの怪物」
 パチュリーは、膝をついて小悪魔の上体を抱きかかえながら、ぽつりと言った。
「……なんだって?」
「フランドール・スカーレットの本性。『おそろしく異形のコウモリ』よ」
 あまりに異形すぎた。あまりに想像を超えていた。だから、「コウモリ」という生物の一種でくくることに違和感しか思えなかった。それは「化け物」としか表現できないものだった。
 その異形の、闇の中にある無数の口が、いっせいに開いた。
 そして、鳴いた。
 それは、鼓膜をつらぬかんばかりの凄まじい音圧だった。
 しかし魔理沙には、その凶暴さよりも、ひどく哀しい、悲痛な声だとかんじた。
 まるで、己が生まれてきたことを哀しんで悲鳴をあげる赤子のような泣き声だと、思った。


12「The Show Must Go On(ショウは最後まで続けなければならないのです)」


 耳を揺さぶるような声で、レミリアは目覚めた。
 口の中に残るぶどう酒を吐き出すと、よろよろと起き上がった。
 最悪の目覚めだった。
 自分の力が、めざとく、教えてくれたためだった。
 十六夜咲夜が、今、死んだことを。
 ――こんなことになることは、とっくにわかっていた。
 フランが、とりかえしのつかないことをしてしまって、こわれてしまう日が来ることを。
 ……いや。もっと、もっと、もっと最初から、「あの日」から、いつかこんな日がくることは、わかっていたんだ。
 吸血鬼たちをみなごろしにしたあの日……いや、もっと前、母親が消えてしまったときから。
 母は、とても、かなしいひとだった。物心ついたころには、母はすでに地下室でフランと一緒に閉じこもっていた。私は、地下室が嫌いだったので、美鈴と一緒に外で暮らしていた。フランも外で遊びたかったと思うけど、母がフランを手放さなかった。今になって考えると、母は、完全にくるっていた。外の世界を恨み、憎みすぎて、おかしくなっていたのだ。母は、外の世界が好きな私を「鬼子」と呼んでいた。優しいフランは、そんな母を見捨てず、ずっと地下室に住んでやっていた。だから、私はほとんど母親をおぼえていない。まだ、幻想郷に逃げてくる前、日本の東海地方の山奥に住んでいたときのころだ。
 母が忽然と消えた「あの日」のことも、何もわからない。
 いつものように夜に起きて、二人におはようを言うために地下室に行ってみたら、部屋にはフランしかいなかった。
 それから、フランは、だんだんとおかしくなっていった。
 そして……「あのこと」が起きてしまった。
 吸血鬼どもをみなごろしにしてしまったことで、フランは自分を恐れて、完全に地下に閉じこもってしまった。
 事の発端は、私だ。私が、あんなやつらに捕まったりしたからだ。
 私はあの子の母親代わりになろうとした。だけど、できなかった。できないどころか、逆に、あの子を追いつめてしまった。
 だんだん、だんだんとフランがこわれていくのを、わかっていながら、結局、何もできなかった。ただ、世界が終わるのを眺めていただけだった。
 だから、フランはこわれてしまった。
 だから、咲夜は、死んでしまった。
 そう。死んだのだ。永遠に、失ったのだ。
 もう二度と、ジョッキでつがれた紅茶を飲むことはないし、正体不明の肉料理を食べることはないし、私の客に殺気だった視線を送るのを慌ててやめさせることもしなくていいし、がんばって作った笑顔の気持ち悪さにドン引きすることもない。
 冷静なようでいて暑苦しくて、見た目が瀟洒なのにどこか抜けていて、真面目なようでおかしくて。
 どこか、フランと似たこわれかたをしている人間。
 あんなに最高にヘンな人間を、いま、私は、失った。
 殺したのは、私だ。
 何もできなかった私だ。
 レミリアは、壁にへたりこみ、そこで、動けなくなった。
 ……なんて情けないやつだ。なんて、どうしようもないやつだ。
「……ああ。ああ。ああ……」
 失いたくなければ、どうしてもっと死ぬ気で止めようとしなかったんだ?
「……ああ。ああ。……さくや……さくや……さくやぁ……」
 何が紅魔館の当主だ。何が運命を操る能力だ。咲夜ひとりの運命すら、変えられないなんて。
 レミリアは、この後悔が一生つきまとうことを理解した。そしてその拷問のような時の流れの苦痛から、いっそ死ねれば楽なのに、と思った。自分の頑丈すぎる肉体が呪わしいとも思った。しかし同時に、それがただの逃げであることを、レミリアは理解していた。何より、これでレミリアが死を選択してしまえば、咲夜の死を無駄に帰すこととなる。どんな思いをしても自分は生き続けなければならない。そう、これからどんな思いをしてでも。
 ――鼓膜を揺らす、すさまじい声が、した。
 地響きがして、瓦礫が、ぱらぱらとレミリアの肩に落ちる。
 レミリアは察知した。フランが再び「薔薇食いの怪物」と化したことを。
 今のフランは、並外れた再生能力と破壊本能を持つ混沌の渦そのものだ。レミリアは「あのとき」のことを覚えている。吸血鬼の拷問の果てに頭部が腫れて意識が混濁していたし、唯一残った左目も赤い曇りガラスを張ったような視界しか映し出さなかったが、それでもはっきり覚えている。
 名だたる吸血鬼どもが、まるでポップコーンのように弾け飛ぶさまを。おもちゃのように、手足がばらばらにされていくさまを。雑巾のようにねじられ、血しぶきのなかに消滅していくさまを。
 ……かわいそうなフラン。世の中には壊してはいけないものがたくさんあることを知っていながら、頭の中に悪いものが巣食っているために、どうしようもなくすべてのものを壊してしまう。そんな自分を恐れて、自ら地下牢に閉じこもってしまった、私のたった一人の妹。
 そんな妹に、私ができることは、もう、ただ、ひとつだけ。
 レミリアは、傍らに、狐のお面が落ちているのを見つけた。もともと紙細工でできたそれは、色あせていて、ところどころが茶色のしみでにじんでいる。
 ――なまぬるい風が吹いている夏の夜だった。人間のまちから聞こえてくる囃子の音にひかれて、危険かもと思いながら、フランとふたりでまちにやってくると、たくさんの浴衣姿の人間たちが、参道をうめつくしていた。参道にはたくさんの屋台が並んでいて、境内には山車があって、太鼓や笛の音色にあわせて、赤いちょうちんがゆらんゆらんと揺れていた。浴衣姿になった私はひとりではしゃいで、人間たちと一緒になって盆踊りに加わったり、リンゴあめを三ついっぺんに食べることに挑戦したり、金魚すくいの桶の中にこっそりおもちゃのアヒルを浮かべたりしていた。フランは、そんな私をじっと見てるばっかりだったけど、ときどきほかの子どもから「その羽根、どこで売ってるの?」と聞かれて、どぎまぎして、真っ赤になってうつむいていたりしていた。私が、ほら、フランも踊りなさいよ、楽しいわよ、と言うと、フランは、ううん、私、おねえさまを見てるだけでうれしいの、と微笑んでいた。じゃあ、何かほしいものはある? と聞くと、ずいぶん迷ったあと、お面が並べられた屋台を指差したんだ。どうしてそんなものがほしいの、と聞くと、フランは言った。
 あれを被れば。迷惑ばかりかける恥ずかしい私が、いなくなるから。

 何を言うのよ。あなたは世界一かわいいじゃない。だって、私にそっくりなんだから。

 もうひとりの私そのものなんだから。

 ――「しなければならない」ことを反芻する。私は、狂ってしまうかもしれない。いや、狂ったほうが楽だろう。これから私がやろうとしていることを考えるだけで狂いたくなる。今、見える運命はふたつ。「誰もいなくなった」世界で一生後悔しながら生き続けるのか。それとも最愛の妹に殺されるのか。永遠の地獄か破滅のふたつしか私の前には存在しないのだ。
「……だけど、だけど。逃げるわけにはいかないよね。咲夜」
 逃げていたから、私は咲夜を失ったのだ。
 私は、すべての「つけ」を精算しなければならないのだ。
 「お祭り」は、最後まで続けなければならないのだ。
「……待っててね、フラン。遊びましょう。今度こそ、いっしょに踊りましょう。世界が終わるまで。ずっと、ずっと」
 レミリアは、その狐のお面をつかんだ。
 「レミリア・スカーレット」が消えた。
 

13「登場、博麗の巫女」


 緑と青の両妖精が行ってみると、食料庫の分厚い扉の南京錠は砕かれていた。大妖精が、おそるおそるその扉を引くと、重々しい音とともに扉が開き、ひんやりと冷えた空気が、彼女の頬を撫でた。
 おっかなびっくり足を踏み入れてみると、整然とガラス瓶が陳列されている棚がずらりと並んでいた。
 瓶の中には何があるのだろう、とのぞいてみて、「うわ」と声をあげてしまった。
 蚊の目玉、ツバメの唾液、猿の脳、白いスズメバチの幼虫、孵化寸前の雛の茹で卵、妊婦の胎盤、蛆入りチーズ、セミの幼虫から生えたキノコ……それは妖精たちが見たこともないような得体の知れないものばかりだった。
 噂では紅魔館のメイド長は大変な頑張り屋で、食事に関しても味はどうあれ、凝りに凝った摩訶不思議な料理をお嬢様にお出ししているという。その食材もまた見たことないものばかりで、どうも「境界の隙間」から流れついた「外の世界」の食材を使っているという。
 ……「外の世界」は、こんなヘンなものまで食べなきゃならないほど食べ物が無いのかしら?
 時間を操れるメイド長が仕掛けを施してあるのか、瓶の中のウジはハエにならず、脳みそや卵も腐っておらず、新鮮そのものだ。それがまた気色悪かった。
 真っ赤な瓶が並んでいる棚もあった。それは血が入った瓶であった。瓶にはラベルが貼ってあり、「マルシャル・カントレル」「人見広介」「アンドレ・マルクイユ」「ジャン=バティスト・グルヌイエ」「ハンニバル・レクター」といった文字が並んでいる。それが何を意味するのか大妖精には理解できないししたくもなかった。理解できたのは、「ここは気持ち悪いところだ」ということだけだった。
 やっぱりあのメイド長とは、絶対友達になれそうもないよ……。
「すげえ! まるでお化け屋敷みたいだ! 今度肝試しをここでしようよ!」
 いつものようにはしゃぎまわるチルノに彼女がため息をつくと、突然、鼓膜をつんざくようなすさまじい声が響いた。
「ひいいいいっ?」
 天井がきしみをあげて、砂がこぼれおちている。
「い、いったいなんなのこれは……」
「うひー耳の奥がぶるぶるふるえてくすぐったいー!」
 チルノは耳を押さえながらぴょんぴょん跳ねて、氷をあちこちに飛ばしはじめた。
 その氷の一片が天井にぶつかり、崩れた天井の瓦礫が、妖精のまん前にどしんと落下した。
「ぎゃああ! チルノちゃんやめてよ! 天井が崩れる!」
「リアルブロック崩しならあたいにまかせろ!」
 何かをひらめいたのか、チルノは天井に氷をぶつけまくった。ぎゃああ、と大妖精は叫びながら、崩れ落ちてくる岩石たちをひらりひらりと間一髪でかわした。
 ぜいぜいと息を荒げている大妖精に、チルノは「おおおー」と感嘆の声をあげた。
「なるほど……そういう遊びだったんだ」
「違うよ!」
 もういやだ。このままじゃ本当に死んじゃう。はやくおうちに帰りたい……巫女はどこにいるの?
 と、棚の奥から、ぷうん、とふわふわ甘ったるいにおいがやってくることに気づいた。
 これは……お酒のにおい?
 においのするほうへ歩み寄ると、床にカップラーメンの袋や空瓶が転がっていた。
 そして、酒瓶を抱えながら、ぐてんと大の字になっている少女も転がっていた。
 半開きになった口からは、「くかー」といびきが聞こえてきた。
 まったくムダな腋の開き具合、紅白のおめでたい服装、どうしようもなくお気楽な寝顔。
 まさにそれは、博麗の巫女であった。
「巫女のお腹ってすごいねー。まるでカエルみたいだよ」
「うん……きっとたまにしか食べられないから、たくさん食い溜めできるようにできてるんだろうね」
 大妖精は、全身から力が抜けていくのがわかった。
 人んちにしのびこんで食って飲んで寝るだなんて……さすがというしかないわ。
 このまま帰りたくなったが、そうすると、あのメイド長にあとで何をされるかわからない。あの目、まるで一回休みどころか百回くらい人生を休みにしそうな目だったもの……。
 興味がわいたのだろう、チルノが巫女の腹をつんつんつついている。巫女はまったく起きる様子はない。だいたいさっきの咆哮と地震でも気づかないのだから、相当なものだ。チルノが巫女の頬をむにいと引っ張って、カップラーメンの残りをだらしなく開いた口に入れてみると、幸せそうな寝顔のままボリボリ食べてしまった。すごい生き物だと大妖精は思った。
「大ちゃん、どうしよう?」
「……なんとか起こすしかないよ。チルノちゃんは、左からおねがいね」
 妖精たちは巫女の左右にわかれて、まるだしの腋をこちょこちょくすぐりはじめた。
「むぎっ、へあっ、あふっ、むいっ、」
 みょうな声をあげながら身体をくねらせるが、それでもなかなか起きない。
「あふっあふっ」とあえいでいる巫女のバカ面を見ながら、大妖精は、どうして自分はこんな怖い目にあいながら巫女の腋をくすぐっているのだろうか、と思った。
 私が何か悪いことをしたのだろうか? 私はただ、チルノちゃんと一緒にちょっとこの館に入り込んだだけだ。この巫女みたいにひとんちのものをバクバク食って飲んで寝ることもしてないし、あの魔法使いみたいに本を盗んだりもしていない。恐ろしい吸血鬼から命からがら逃げて、それでもレミリア様が心配だから教えてやろうと思ってあのメイド長に話をしたら「逃げたら殺す」とか言われてこうなった。そうだ、私はちっとも悪いことしてないじゃないか。なのになんで私ひとりがこんなめに。くっそーなんでこんなめに。うおー腹が立ってきた。腹が立ってきたぞ。そうだ私は腹を立てなければならないんだ腹を立てるべきなんだ。
 うおお。うおお。
 巫女は、むにゃむにゃと口を開いた。
「なによう魔理沙……ひとがいい気分で眠ってるのに……」
 ぷちん、と大妖精の頭のなかで、何かがはじけた。
 彼女は立ち上がると、巫女の膨らんでいる腹をむぎゅうと踏んだ。
「うげほおっ?」
 巫女は咳き込みながら飛び起きると、
「な、何すんのよ! あやうくせっかく食べたものをリバースするところだったじゃないの……って、あれ?」
「うるさいこの馬鹿巫女……とっとと起きなさいよ!」
「な、なによあんた……妖精?」
「妖精だからなんだっていうのよ! あんた私がどんな思いであんたを起こそうとしたのかわかっているの?」
「い、いや、さっぱりわからないけど」
「そうよね、私の苦労なんてわからないわよね。ひとんちのものを食っちゃ寝て心底幸せそうな顔で眠りこけてるあんたにはね!」
 巫女は、はっ、と自分の状況に気づいたのか、抱えていた酒瓶を慌てて背中に隠した。
「こ、これは違うのよ……私は、私は……毒見、そう、毒見をしていたのよ!」
「……どうしてあなたがわざわざ紅魔館の食料庫にしのびこんで毒見をしないといけないのよ」
「い、異変のかおりがしたのよ! 紅魔館で毒入り酒事件が発生するかおりが……」
「……で、毒は入っていたの」
「ええ、入っていたわ……この酒を飲んだら止まらなくなってどんどん飲んでしまったもの。そいで……だんだん気持ちよくなってきて……いつのまにか眠ってしまったのよ……まさに悪魔の酒!」
「その酒の味はどうだったの」
「バツグンだった! ひとの酒で酔っぱらって寝るってすごくしあわせ……じゃなくて、そ、そういえばちょっと舌がシビれて頭がぼんやりするような感覚があった気がするわ」
「……それ、ただ酔っ払っただけでしょう」
「……あ、あんた妖精にしてはなかなか鋭い洞察力じゃないの」
「洞察も何もないわよ。……まあ、確かにあなたの言うとおり異変は起こってますけどね」
「で、でしょーっ? 私のカンをなめないでほしいわね! じゃあ、これから異変解決の旅に出るからこれで」
「どこに行くのよ! 食い逃げするつもり?」
「く、く、食い逃げだなんて、そんな人聞きの悪いことをっ」
 巫女は、その言葉にかなり動揺していた。
「私はちゃんと見たからね。あなたがその高そうなお酒をひとりで飲んじゃったこと」
 「ひいいいい」と巫女が悲鳴をあげた。
「ま、待って。待ってください妖精様。私、お金が無いんです。弁償しろって言われたら首を吊るしかないんです。後生だから、後生だからこのことは内緒にしてください!」
「わ、わかったからすがりつかないでよっ」
 ――ずしん、ずしん、と床が揺れた。そして、鳴き声が聞こえた。
 妖精の足をつかんだままの霊夢は、声の方向を振り向くと、そこで静止した。
 その横顔は、さっきまでのお馬鹿面ではなかった。
 彼女は、ウサギのように鼻をひくつかせると、眉を険しくひそめた。
「……聞こえたでしょう? とびっきりの異変が、この紅魔館で起こっているの」
「……異変の主は?」
「ここのお嬢様の、妹様」
「なるほどねー。で、そのお嬢様はどうしたの? あのわけのわからん吸血鬼は?」
「ケガをしている。妹様が、やったのよ」
 巫女は、口をへの字に曲げて、ため息をつきながら、つまらなさそうに頭のリボンをかいていた。
「なるほどね。確かに相当な異変ね」
「だから、そう言ってる」
 じゃないの、と言い掛けて、妖精は言葉をのみこんだ。
 博麗の巫女は、あぐらをかいたまま、逆さになって空中にふわふわ浮いている。
「な。なんで反対になっているの」
「ちょっと黙っていて」
 そのふざけた格好に似あわず、顔は真剣そのものだったので、大妖精は口をつぐんだ。
 ……それにしても、ヘンな浮き方だ。テキトーにふよふよ漂ってる風船みたい。
 妖精は聞いたことがある。巫女は、常に足元三ミリだけ浮き上がっているのだと。妖精のように羽根を使うわけでもなく、魔法使いのようにほうきを使うわけでもない。「ただ、浮き上がっている」のだと。
 巫女は、ふう、と一息つくと、空中を平泳ぎでもするように手足をばたばたさせて一回転した。その目に、疲労の色がみえた。額に、汗がにじんでいる。
「……あんた、さっき『とびっきりの異変』って言ってたけど、これがどれほどの異変なのか、分かっているの?……まあ、その顔じゃわかっていないわね」
 霊夢は、鼻っつらを袖で抑えながら、
「声がした方角の空気がね、まっくろに淀んでいるわ。どろどろの感情が渦巻いて、巨大な穢れが沈殿しているのよ。普通の人間は、近づくだけで瘴気にやられて魂が穢れて落ちてしまい、運命の輪がメチャクチャに狂ってしまうわ。あのヘンテコ吸血鬼の能力が運命を操るなら、妹の方はあるとあらゆる運命を狂わせて、破壊してしまうのよ」
「う、運命を破壊するって……ど、どうなってしまうの」
「縁(えにし)の糸がね、ぷっつりと切れてしまうのよ。その穢れは本人だけですまない。まるで伝染病のように、『彼』に連なるすべてのものが破滅するのよ。栄華を誇った家が一日のうちに破産したり、今まで幸せいっぱいだった家庭が崩壊したり、種族が根絶やしになったり、といったようなことが起こるのは、この縁の糸が切れたことによるの。そして、ありとあらゆるものの運命が壊されたら、どうなると思う? 存在したことすら残らぬまま失われた王国や文明と同じよ。この幻想郷自体が、あとかたもなく消滅してしまう」
「そ、そんな……おそろしいことを、あいつはやろうとしているの?」
「あいつ『が』? 違うわ。あいつ自身も、運命を破壊されてしまったのよ。あいつの中に棲みついた怪物にね」
「か、怪物? どういうことなの」
「あっちからはふたつの気がせめぎあっているのよ。おそろしく巨大な業を背負った気と、それに抗おうとしている気。たぶん、あいつは、自分の中にある怪物を知っている。だけど、あまりに怪物の業が深すぎて、どうしようもできずに、苦しみ続けているのよ」
「ど、どうしてそんなに苦しまないといけないの? 何か悪いことをしたの?」
「本人は関係ないわ。簡単に言えば、『そういう運命だった』のよ。業というのは本人が罪深いことをしたわけじゃない。ただ、そういった罪をたまたましょいかぶっただけ。生まれつき障害を持っているひとが、別に悪いことをしたわけじゃないのと一緒よ」
「た、たまたまって、たまたまでそんな苦しむだなんて、そんなのってないよ!」
「世の中なんてそんなものよ」と巫女は言った。
「この世を作った神様はね。すごくテキトーなやつなのよ。真面目に働きながら苦しんで苦しんで死んでいくひともいれば、遊び呆けて一生を終えるやつもいる。それはね、ただ、神様の振るサイコロの目ひとつで決まるのよ」
 妖精は、自分の右手を見つめた。フランを平手打ちしたときの言葉を思い出す。
『わたしがこの世界にはいらないことなんて。ずっとむかしからわかっていた』
 指先が、震えていた。
 どうして気づかなかったのだ。
 妹様は、あの子は、ひどいことをしてしまう自分を、憎んでいたんだ。
 なのに、わたしは……ただ、チルノちゃんを吹っ飛ばそうとしたから、あの子を拒絶してしまった。
 緑の妖精は、ほんとうに。まっとうな性格であった。
 ――悪いことをしたら、謝らないといけないんだ。
「どうしたのよ。そんなしけた顔して」
「わたし、あの子のところに、行く」
「……はあ? あんた、さっきまでの私の話、聞いてた? あんたら妖精はね、特に自然に近いからこそ、穢れの影響を受けやすいのよ。私は見たことがあるわ。樹木の妖精に歪められてしまった火の妖精や、腐り虫に侵された水の妖精をね。自分の身を自分で燃やし続けたり、体中の皮膚という皮膚が悪臭を発する長虫に食い破られていたわ」
 妖精は、自分がごくり、と唾を飲み込んだ。
「でも」と言った。
「わたし、何も知らずに、あの子に、ひどいことをしてしまったの。だから、謝らないといけないの」
「謝るって……そんな悠長なことが今のあいつに理解できると思っているの?」
「……それでも、わたしは、謝らないといけないの。あの子を、ひどく傷つけてしまったから。だから」
「ひとの話を聞けっての! あんた、見た目によらず強情ね」
「わかった」と、ふたりの会話を聞いていたチルノが言った。
「こいつはほっといて、あたいと行こうよ、大ちゃん」
「チルノちゃんは……いいよ。これは、私の問題だから」
「大丈夫だよ」とチルノは即答した。
「あたいは最強なんだから」
 チルノの目は、いつものように、いたずらっぽい光が宿り、少しの曇りも無かった。
 彼女は、その瞳の強さを、まぶしく思った。
 そして、こんなまぶしい光を、絶対に曇らせてはならないと思った。
「……今回だけは、ダメ。チルノちゃんはわかってないんだ。たぶん、博麗の巫女の言うとおり、あの子は、すごく危険だよ。チルノちゃんなんてわかりやすいから、きっとタニシの妖精とかよくわかんないのに変えられちゃうわ。だから、絶対に来ちゃダメ」
「大ちゃん」と、チルノは言った。
「あたいは、大ちゃんの、ともだちじゃないの?」
 チルノは、妖精の顔を見つめながら、にっこりと笑った。
「あたいは、大ちゃんを、ともだちだと思っているよ。だから、いつでもいっしょじゃないのさ。それにあいつ、なかなかおもしろそうなやつだったじゃん?」
 じわり、と妖精の目に、涙がにじんだ。
「わかった。ありがとう、チルノちゃん……私、もう何も怖くないよ。これが終わったらタニシパーティをしようね!」
 彼女がチルノの手を取って飛ぼうとするのを、
「おいこら」
 と巫女が襟首を掴んで止めた。
「……なに死亡フラグを立てながら行こうとすんのよ。異変ハンターの私に依頼するって頭はないわけ?」
「て、手伝ってくれるんですか?」
「手伝うんじゃないの。『依頼』って言ったじゃない!」
「い、依頼?」
 巫女は、にたあ、と笑う。
「そうよ! 異変を解決するかわりに報酬を私に払う。ギブアンドテイクっていう素晴らしい言葉があるじゃないの? 私が言うとおり、今回の異変はとびっきりな異変よ。だからそれに見合った報酬を、ね? ちょこっとあなたたちが私に支払えば、幻想郷最強のこの博麗の巫女が異変をちょちょいのちょいなで解決してくれるってわけ。どう? 悪い話じゃないでしょ?」
 巫女は、揉み手をしながら「うふふふ」と気持ち悪い笑みを浮かべていた。
「……いいです。私たちだけでやりますから」
「ちょ、ちょっと! なんなのその押し売りを見るような目は!」
「別に……ただ、誰も博麗神社にお参りにいかないのが、なんとなくわかった気がします」
 巫女は、うきいいい、と髪の毛をかきむしった。妖精がぎょっとして思わずあとずさりすると、巫女は、はあはあ、と息を切らしながら、こちらをじろり、とにらみつけた。その視線の鋭さに、ひい、と大妖精が悲鳴をあげると、
 その巫女の瞳から、じわり、と涙がにじんできた。
「わ、私だって……わたしだってねえ! 純粋に使命感のために異変を解決したいと思っているのよ! みんなからありがたがられて私もハッピーな気分でいたいわ! でも、でもね……ひもじいと、やっぱりつらいの。使命感じゃお腹は満たされないの。たまには雑草以外のお野菜を食べたいの。おイモじゃなくて米を食べたいの。イモ虫とかセミとかじゃなくてブタ肉とか食べたいのよー!」
 それは、まさに魂の叫びだった。
 妖精は、少しだけこの巫女に同情した。
 そして、冷静に考えてみれば、この博麗の巫女を味方につけたほうがいいだろう、とも思った。胡散臭いうえに頼り無さそうだけど、間違いなく幻想郷の異変を解決してきたのだ。
 でも、どれだけのものを要求されるのだろうか。
「な、なにしょげてんのよ」
「私たち……人間のお金なんてもってないです」
「……まあ、でしょうね。だったら物納でいいわ。この異変に見合ったものをくれるなら雇われてやるから」
 「異変に見合った報酬」って、どんなものだろうか? 妖精には、さっぱり検討もつかなかった。
「大ちゃん何やってんの? グズグズしてるヒマないんでしょ?」
「う、うー……そうだね。行こうか」
「ちょ、ちょっと待ってよ! どうしてそこまで考えておきながら諦めるのよ!」
「で、でも、報酬だなんて全然わからないし」
「なんでもいいわよ! 言ってみればいいじゃないの!」
 巫女は、ものすごく必死な顔だった。最近異変らしい異変が無かったので、かなり逼迫しているようだった。
 妖精は、うーんうーんとうなった末に言った。
「じゃ、じゃあ……た、タニシでどうですか?」
 巫女は、ふん、と鼻を鳴らした。
「腹いっぱい食わせてくれるのが条件だからね」


14「レミリア・スカーレットの憂鬱」


 その、哀しみの叫びのような鳴き声は、凄まじい音圧を生んだ。
 魔理沙はすぐに耳をふさいでいたが、そうしなければ鼓膜が破れていただろう。
 紅魔館が震え、砂上になった天井のかけらが、ぱらぱらと頭上から降ってきた。
 ようやく声がやむと、フランとこうもりの集合体であるその「闇」の表面にへばりついているたくさんの眼球は、いっせいに空を見上げた。まるで正の走光性を持つ原生動物のように、機械的な反応だった。
 続いて、闇のなかから、ずぶずぶと、みみずのようなつるが幾層にも絡み合いながら伸びていく。伸びるに伴い、つるの表面から何かがぼとぼとと落ちた。それはどこかの臓器の一部だったり、できそこないの腕や足だった。地面に落ちると、打ち上げられた魚のようにのたくり動いていた。
 つるは、根本から肉に覆われつつあった。その過程のなかで、できそこないの肉のかけらが、ぶちぶちと落下しているのだ。
 そして、出現したのは、巨大な「腕」だった。
 「腕」が、無数の眼球と同じ方向へゆっくりと上がっていくと、べりん、と、先端が花弁のように開いた。
「今度はなんだ……一体?」
「……狙いは、宵の明星ってところかしらね」
 パチュリーは、咲夜に切断された小悪魔の腕を脇に抱えながら彼女の胴体にくっつけて、切断面を包帯でぐるぐる巻きにしながら言った。ちょうどパチュリーのお尻のあたりにまわっている小悪魔の手が、ぴくぴくと動いている。まるでプラモデルのようなやつだなと魔理沙は思いながら、
「宵の明星?」
 魔理沙は、空を見上げた。
 破壊され、ぽっかり開いた紅魔館の天井から、青い闇夜の空が見えた。
 薄暗いカーテンのような空に、ぽつん、と輝く星が浮かんでいる。
 宵の明星……金星だった。
「今のフランは、感情や理性といったものが欠如している。残っているものは、ただ、目についたものを破壊する本能だけ」
「おい……その話が、宵の明星とどう関係があるって」
 魔理沙は、その二つを結びつけることができなかった。
 あまりに常識外れだからだ。
「まさか」と呟き、彼女は思わず空を見上げた。
 「腕」は、ゆっくりと上下しながら、やがて標的を定めるように小刻みに震えながら、その先端の花弁を、ぱっ、と散らした。
 すると、しばらくして、輝いていた一番星が、消滅した。
「……え?」
 雲によって一時的に見えなくなったんだ、と信じたかった。
 だけど、どこを探しても、雲ひとつない、群青色の空だった。
「あーあ。もう見れなくなっちゃったわね」
 ……冗談だろ?
 金星ってのは、とてもとても遠いところに存在するもので、大きさだって地球とそんなに変わらないくらいのものなんだぞ。
 それを、まるで手品みたいにあっさり消滅させるって。そんな馬鹿な力が存在してたまるものかよ。
 そんな力がもしあったのなら……そしてその力の主が、自分の力を制御できないのなら。
 この幻想郷なんて、あっという間に消滅だ。
 そより、と、風が髪をさらった。かと思うと、急に、身体がもってかれるような凄まじい突風が吹き荒れた。
 魔理沙は帽子を押えながら、さっきまで雲一つなかった空に、ちぎれるような雲がありえない速さで移動しているのを見た。
 ……金星が消滅した余波か?
 雲はみるみるうちに空にたまり、何もかもを漆黒に変える。
 ほたり、と鼻先に冷たいものが落ちてきた。とたんにバケツをひっくり返したような雨が落ちてきた。
「魔理沙!濡れちゃうから早くこっちに入ってきて!」
 パチュリーは、小悪魔が差している傘の下で叫んでいた。
「ダメですよー。これ二人用なんですから。私とパチュリー様でいっぱいです」と、全身包帯ぐるぐる巻きの小悪魔が言う。
「あんたが外に出ればいいのよ! 私は魔理沙と相合傘をするんだから」
「濡れそぼつ魔理沙さんもイイと思いますけどね。衣服とかスケスケになったり」
「ま、魔理沙がスケスケ……? す、捨てがたいわ……で、でも魔理沙と相合傘というシチュも……ああ、私はどうすればっ……」
「んなこと言ってる場合かよ。どーすりゃいいんだありゃ!」
 怪物は、ぐねりぐねり、とフランのできそこないをしたたらせながら、首を折り曲げて、紅魔館を見下ろす。
 そして、再び腕の先で散った花びらを咲かせはじめている。
 ……あれが散ったときが、紅魔館が消滅するときだ。
「魔理沙、残念だけど、もうゲームはおしまいね。相手はもはや、ゲームの碁盤ごと破壊しようとしているわ。こうなれば残されたたった一つの手段を使うしかないわ。逃げるのよ!」
「ばかやろ。逃げるって、逃げたらこの紅魔館は完全に消滅しちまうぜ。お前さんごとな」
「私を気遣ってくれてるのね! 感激だわ」
「あの、私、消滅したくないんで魔界に帰っていいですか?」と、小悪魔が言った。
「私たちは気にしないでいいわ。この本たちがいる図書館は、私そのものでもある。見捨てることは、自分自身の大切なものを捨てることになるわ。だから……私と小悪魔は、ここで魔法の結界を張って死守するわ! そして私はあなたの心に永遠に残る一点のキラ星になるの……ああ、なんて哀しい運命! はかない愛!」
「パチュリー様、私の話を聞いてますか?」
「パチュリー、残された選択肢はもういっこあるぜ」
「ダメよ魔理沙! あなたは逃げてちょうだい! だって、あなたのお腹には、私との新たな命が……」
「こりゃ完全にキマってますね。マンガの読みすぎって怖いなあ」
「……そ、それはな、やぶれかぶれってやつだ!」
 魔理沙は、胸元で揺れているミニ八卦炉をつかんだ。
 真ん中の炉の部分へと空気が吸い込まれ始める。炉の内部で八方に塞がれ、閉じ込められた空気は凝縮され、みるみる溜まっていく。ありえない密度の空気が、ショートケーキ大の大きさの炉に凝縮される。入れすぎた炉から、めきめきめき、と嫌な音が生じる。
 さっきの「ありったけ」以上だ。もう炉がぶっ壊れてもいい。めいっぱい、めいっぱいだ。
 魔理沙は、今まで試したことのないくらいの空気を凝縮させると、
「うりゃーっ! 死にさらせーーーーっ!」
 炉に軽くくちずけをして、一気に発火させた。
 ずどおん、という音速の壁をぶち破った音とともに一斉に解き放たれた空気は、火種に触れて一気に燃え上がった。
 どんな金属よりも密度のある物質と化した空気の塊がフランを直撃した。
 かに見えた。
 確かに魔理沙の渾身の一撃は、フランを直撃した。
 しかし、その凶器の空気のかたまりは、フランの目の前で、鉄板が弾かれるような音とともに空気がきらめいたと思うと、「消滅」してしまったのだ。
 魔理沙は、呆然とするしかなかった。何があったのか、理解できなかったのだ。
 ――馬鹿な。あれだけのエネルギーも、一瞬で消滅させることができるのかよ。
 これが、フランドールの、本気なのだ。
 ちっぽけな人間がどうあがこうが。かすり傷すら与えられない。絶対的な存在の違い。言うなれば、神と人間が違うように。決して近づけない差。
 怪物は、全身にびっしりこびりついた無数の眼球を、ゆっくりと立ち尽くす魔理沙へと向ける。土砂降りの雨に打たれた部分のあちこちから白い煙が噴出しており、腕や足のようなものが、波打つように蠢きながら、どろどろに溶けてしおれていく。それと同時に怪物の中からは、新たなフランの部品が浮かび上がるのだった。稲光に照らされた怪物の顔は、雨で溶けた皮膚が混じり、まるで無数の眼球たちが涙を流しているかのようであった。
 ――雨は防ぎきれていない。最大級のマスタースパークですら無傷なのに? ……そうか。落下する無数の雨すべてを捕捉するまでの力は無いんだ。つまり攻撃点は基本的に一点のみ。さっきの私みたいに、飛び回って捕捉されなければ何とかなることは変わらないのだ。ただ、こいつはあんだけ離れた金星も公転の位置を計算して狙い打ちできる。とすれば、こいつにダメージを与えるのは、そんな正確無比な狙撃もかいくぐれるほどの恐ろしい速さで飛び回り、一点に集中させずにかきまわしながら物理攻撃を与えるしか――
「魔理沙、逃げるのよ! 逃げてっ!」
 魔理沙が、目の前に迫り来る危機に気づいたときには、もう既に怪物の手の先のつぼみは、魔理沙を向きながら、開こうとしていた。
 魔理沙が死を覚悟した瞬間――寸前で、怪物は、一斉に別を振り向いた。
 巨大な巨大な羽根を持つ影が、崩れ落ちた通路の向こうに、立っていた。
「ニーハオ」
 そして、その小さな口元を、大きく弓なりにゆがめた。
「ごきげんよう人間。そして、我が妹。フランドール・スカーレット」
 ……やれやれ、と魔理沙は、ひとりごちる。
「よーやく保護者のお迎えがやってきたぜ」
「ふん。死にそうだったくせに、口だけは廻るじゃないの。普通の人間」
 雷光に照らされて、シルエットが浮かび上がる。
 背中に、自分の数倍の大きさの羽根を広げている、薄桃色のドレスをまとった少女が。
 レミリア・スカーレットだった。
「会いたかったわ。フラン。とても、とても会いたかった」
 フランだった怪物は無数の眼球をレミリアに向けると、高い声で、鳴いた。
「うれしいの? 私もうれしいわ。フラン」
 レミリアは、寂しげに笑った。
「今夜だけは、おもいきりあそぼうね。いやなことも、つらいことも、みんな、みんなわすれて」
 吸血鬼の顔から、笑みが消える。
「そして。これでつらいことも、ぜんぶおしまいにしよう」
 怪物が、手の平をレミリアに向けようとしたとき。既にレミリアはそこにはいなかった。まるで、あのメイド長みたいに時を止めたかのように。
 怪物が、無数の眼球をあちこちに向けている。捕捉できていないのだ。レミリアの姿を。
 気づくと、紅い吸血鬼は、怪物の目の前で飛び上がっていた。
 その右腕が、ぼんやりと紅く輝いていた。それはイチゴジャムのように真紅に輝き、槍のように鋭く尖っていた。
 怪物がすぐさま反応し、腕をレミリアに向けようとしたそのとき、レミリアの紅く輝く右拳の槍が怪物の胸に突き刺さった。
 いびつで耳障りな高音が響き、怪物の目の前を覆う膜のようなものが割れた。
 瞬間、再び、レミリアの拳が赤くきらめき、怪物の胸のなかへ吸い込まれていった。
 怪物の胸のあたりが風船のように急速に膨張しはじめ、限界まで達すると、焼き餅のように膨らんで、爆ぜた。
 フランのかたまりが、ポップコーンのように飛び散った。耳を揺さぶる悲鳴が響き、反動で後ろにのけぞる怪物の胸は大きく抉られ、周囲には、しおれかけた薔薇のような肉片が宙を舞う。
 怪物が、背にする紅魔館の壁によりかかり、破壊しながら崩れ落ちる一方で、レミリアは、音もなく、ふわり、と着地した。ドアノブみたいな帽子を、手で少し整えた。息一つ切れていなかった。
 ……もし、霊夢が、こいつと本気で戦っていたなら。
 魔理沙は、ごくり、と唾をのみこむ。
 恐ろしいことになっていたはずだ。
「はじまったばかりでごめんだけど。おわりにしましょう。フラン」
 その右手が、再び、ぼんやりと赤く輝きはじめた。


15「レミリア・スカーレットの動揺」
 

 二撃目の拳が怪物の肉体を貫いた。かなしい声をあげて、怪物は後ろによろめいていく。砕け散った肉片とともに、背中に生えている羽根の「果実」がぼとぼとと落ちていく。落ちた拍子に、「果実」は割れて、なかからどろりとした粘状の液体を吐き出していた。
 これで終われ。終わってくれ。
 雨に打たれた身体のあちこちが火傷のようにひりつくなか、レミリアは、ほとんど祈るように願った。
 一秒でも早く終わらせるんだ。
 なるべくフランの苦しみが長くなるまえに。
 これ以上傷つけることないように。
 怪物は、そこで倒れ伏すことはなく、踏みとどまった。しかし衝撃からは完全に立ち直っていないようで、ぽっかりと開いた胸からおびただしい体液をまきちらしながら、そのまくろきからだをゆらゆらと左右に揺らしている。表面の無数の眼球たちも、てんでばらばらの方向を向いていた。
「……くっ」
 ……そのまま斃れてくれればよかったのに!
 すぐさまレミリアが追撃をかけようとすると、地面で割れた羽根の色とりどりの果実から、次々と、ごぼごぼと大量の液体とともに「何か」があらわれた。
 果実から生まれたのは、自分と似た姿を持つもの……フランドール・スカーレットたちだった。
 それらは、不完全で曖昧だった。「部品」が不足し、「成熟」の時間も無いまま、ただ、本能的な増殖の意思によってこの世に産み落とされたものたちだった。
 未成熟のためか、大半は立ち上がろうとしたときに、半熟卵のようにぐずぐずに溶けてしまった。しかし、残りの彼女たちはそんな仲間たちを一顧だにせず、そのままレミリアに近づいていく。
 うつろにつぶやきながら。
「おねえさま。わたしが……じゃまだったよね。ごめんなさい。でも、わたし……さびしかったの」
「おねえさま。どこにいるの? なにも……みえないの。ここは……ひどく、くらくて、さむくて……」
「おねえさま。わたしを……ひとりにしないで。いっしょにあそんで。おにごっこや、かくれんぼや、にらめっこ、なんでもいいの。おねえさまのすきなものでいいの」
「おねえさま。おねえさま。わたしのおねえさま。わたしだけのおねえさま……」
 レミリアは立ち尽くしながら、激しく上下する胸を押さえ込むように左手で掴んだ。息がひどく荒かった。吐き気が止まらない。
「……フラン、やめて。もうやめて。わたしは、あなたを傷つけたくない」
 フランたちは、前かがみの状態で、それぞれの手に、自分たちの骨を持っていた。骨は、フランたちによってたちまち変化し、S字状にねじくれた、いびつな槍となった。
「おねえさま。おなじものをよういしたわ」
「だから。あそびましょう。おねえさま」
「ずっとずっと。あそびましょう。おねえさま」
 フランたちは、一斉にレミリアに飛び掛った。
 不完全な状態で生まれた彼女たちは、脱皮が早すぎた蝶のように脆かった。動くたびに自壊していくので、実際にレミリアまでたどり着いたものは、一割も満たなかっただろう。戦闘能力も皆無に等しかった。槍を振ろうとして、腕がずるりともげたり、跳躍したその着地の際の衝撃によって足が潰れたりした。
 しかし、それらは、すべてフランの姿をしていた。フランの声を持ち、意思を持っていた。
 レミリアにとっては、まさに地獄の光景だった。
 そのひとりが槍をふるった。レミリアは、反射的に拳の槍で応戦した。フランの形をしたものの胴体が、豆腐のようにぐちゃりと吹き飛んだ。
 彼女の足元に、フランの頭部が転がった。それは、うつろな目で、レミリアをじっと見つめていた。
「おねえさま。……いたいよ。いたいよ。おねえさま。どこにいるの? もう。なにも、みえない……」
 そこで、顔の頭皮がずるむけた。ふわふわの金髪や小さな唇もめくれあがった。急速に白く濁っていく、むきだしになった眼球は、どろどろに溶けて濁った水になるまで、ずっと、レミリアを見つめていた。
 ――何も考えるな。考えてはだめだ。これはちがう。フランじゃない。ただの、フランの姿をした人形なんだ。
 つぶれたフランの破片は、再びうごめき、また新たなフランとなって生まれる。ねずみ算的に増殖し続けるフランたちが、ゆっくりとレミリアに近づいていく。
 何も考えるな。
 ただ速く。一秒でも速く。自分の心のねじが狂ってしまう前に。
「うああああああああああああっ!」
 レミリアは突進していき、近づいてくるフランの姿をしたものを、手の槍でなぎ払っていく。たちまちレミリアの全身は飛び散ったフランの肉片で真っ赤に染まっていく。
 フランたちの後ろにいる怪物は、ようやく衝撃から立ち直りつつあるようで、眼球のいくつかでレミリアを捕捉している。このまましばらくすれば、再び「右腕」を使用可能となるだろう。逡巡している時間は無かった。
 フラン。私の、たったひとりの妹。
 今、眠らせてあげる。これ以上苦しまないように。
 レミリアは巨大な羽根を広げ、跳んだ。
 怪物の懐に一気に詰め寄ると、ぽっかり開いた胸めがけて、赤い槍をふりかぶった。

 そこで、手が止まった。

 抉られた胸の奥に、見覚えのある姿が、肉にうずまっていた。
「……咲夜……?」
 咲夜は、怪物の胸の奥で、かろうじで顔と上半身のみが露出していた。メイド服の胸元は引きちぎられたように破れており、はだけている。その露出した胸のあたりには、蔓のようなものがうごめき、ひしめきあっている。
 ――傷跡からフランの増殖細胞と同化しはじめている? であれば、もしかすると……咲夜は。

 ずぶり、と衝撃が背中から突き抜けた。
 
 レミリアは、自分の胸から、ねじくれた槍の先端が生えていることに、気づいた。
「やっとあたった。おねえさま」
 下方からフランのささやくような声がもれて。
 レミリアの身体に、次々と槍が突き刺さった。
 吸血鬼といえども、不死身ではない。血が無くなれば、エネルギーが身体に行き渡らなくなり、頭も、体も動けなくなる。フランに開けられた胸の穴も、完全に治癒したわけではない。
 羽根が、自分の体重を支え切れなくなり、レミリアは落下した。かろうじで背中から地面に落ちたが、その衝撃で息が詰まる。咳き込んだとたん、血の味が口に広がった。一瞬遠のく意識を奮い立たせ、立ち上がろうとした。
 いくつかの槍が突き刺さった両膝が、がくがくとふるえるばかりで、まるで動かない。
 せりあがってくるなまあたたかい血の味が、だんだんと麻痺していく。
 あふれ出る血で真っ赤に染まっていく自分のからだが、まるで夢のようで、現実味が薄れていく。
 急速に遠のいていく意識のなかで、自分の周りを、フランが取り囲んでいくのをかんじた。
 フランたちは、みな、微笑んでいた。無邪気に。
「とてもかわいいわ。おねえさま」
「ちまみれで。まるでにんぎょうみたいな目をしてて。魚みたいに口をぱくぱくさせていて」
「つぎはきかせてほしいの」
「おねえさまのくるしむこえを」
「とてもきれいなひめいを」
「そして。おねえさまも。わたしといっしょになるの」
「ずっとずっと。ずっとずっと、ずっとずっとずっとずっとずっと」
 フランたちは、ねじくれた槍の先端を、一斉にレミリアへ向けた。
 笑う瞳は、闇夜の中で、ガラス玉のように無機質に光っていた。
 ――結局、運命の選択肢は、「最愛の妹に殺される」ほうだったわけか。
 レミリアは、死ぬことに関しては、悔いはなかった。
 むしろこうなる運命を、心の奥では望んでいた。
 フランも咲夜もいない世界に居残りをさせられるのは、きっと耐えきれないから。
 ただ、気がかりなのは、ほんとうにひとりぼっちになってしまうフランのことだった。
 事が終わり、その事実にフランが直面したときのことを考えると、ほんとうにかわいそうだと思った。
「ダメよーーーーーーーっ!」
 空から、声が飛んできた。
「そのひとは、あなたのだいすきなおねえちゃんじゃないの! 傷つけちゃ、だめだよ!」
 横殴りの雨のなか、こちらに向かって飛んでいる大妖精が、雨に打たれながら、叫んでいた。
「すげー、あいつ分身の術使えるんだ! かっこいい!」
 大妖精と平行して飛んでいるチルノだった。
 大妖精はレミリアたち近くの上空で止まると、ホバリング飛行をしながら、
「ねえ。聞いて」と、フランたちに語り掛けた。
「さっき。わたし、あなたのこと、何にも知らずにひどいことを言ったよね」
「あたいにも忍術を教えろ!」
「だから。謝りたかったの。ごめんね」
「かえる忍法ならあたいにまかせろ!」
「ち、チルノちゃんちょっと黙っててくれないかな……?」
 フランたちは、きょとんとした顔で、妖精たちを見上げている。
 その顔が、やがて、残酷な笑みに変わった。
「蚊トンボが飛んできたわ」
「だれがあの蚊トンボを落とすのか、競争しましょう」
 フランたちが、ねじくれた槍を一斉につかんだ。
「え?」
 異様な雰囲気を悟ったのか、妖精の顔色が変わった。
「ど、どうして? まだ怒ってるの?」
「なんだよ、手裏剣じゃないの?」
 ばか。逃げるんだ、とレミリアは叫びたかった。
 今のフランは、そんなことは理解できない。逃げるんだ。早く。そうしないと、またフランが、壊してしまう。またひとつ、苦しんでしまう。
 ひゅん、と空気を切り裂く音とともに、フランたちの腕から、いっせいに槍が消失した。
 無数の槍が、レミリアの並外れた動体視力でも追いきれぬほどの凄まじい速度で二匹の妖精を刺し貫こうとした瞬間。
 妖精たちの周囲に、まるで散り際の桜の花びらのように、ばあっ、と白い札が舞い散った。
 札は槍に貫かれると千切れて四散する。瞬間、稲光のような輝きが走り、空間が割れると、妖精たちの目の前にまっくろな「隙間」が現れた。「隙間」のなかからは、きらめく星屑のような眼球がこちらを覗きこんでいた。大木のように太い腕が、その猛禽類のような爪を持つ手で「隙間」を内部からつかんでいた。犬歯がびっしり生えたけだものの口が、奈落の穴のようにあんぐりと開いていた。
 槍は「隙間」に吸い込まれていくと、すさまじい砕音とともに消失した。
 ――さまざまな異空間へと繋がる「隙間」は、「隙間妖怪」の能力。
 その能力を開く札を使う者は、たったひとりだけ。
 レミリアは、妖精のさらに上空から、へろへろと降りてきた「人間」を、確認する。
 「人間」は、手足をばたばたさせて妖精たちの前で制止すると、「ふふん」とふんぞりかえって腕組みをした。後ろ髪に結んだ赤いリボンが跳ねた。
「お姉さんのくせに妹にやられちゃうなんて、何やってんのよ」
「珍しいじゃないの。妖怪を助けるなんてね」
 霊夢は、ひひひ、と笑う。
「妖精たちに雇われたのよ。悔しかったらあなたも私を雇い返すがいいわ。言っとくけど、妖精の報酬以上じゃないとダメだからね」
「妖精の報酬って何よ」
「そ、そんなことを今言ってる場合じゃないですよ」と、緑髪の妖精が慌てて割って入ってきた。
「んなこたーわかってるわよ。ったく、だから言わんこっちゃないってのにね」
 霊夢は、すでに真剣なまなざしで、フランたちを見下ろしている。
「――わたしと、あそんでくれるの?」
 フランのひとりが見上げながら、言った。
「遊ぶ? 弾幕勝負のこと?」
 フランたちは、にっこり笑いながら、
「うれしいなあ。こんなにたくさんとあそぶのは、はじめて」
「あかとしろ、あかとしろ、あかとしろ、」
「うごいているにんげん、かたちのあるにんげん、ケーキやクッキーじゃないにんげん」
「おねえさま、おねえさま、おねえさま、」
「あかとしろ、あかとしろ、おねえさまをうばうやつ、」
「ひんじゃくなてあし、ひんそうなからだ、あんなやつが、あんなやつが、あんなやつが、」
「てあしをひきちぎれ、おなかをひきさいてしまえ、めだまをえぐりとってしまえ、」
「しね、しね、しね、しね、しね、しんでしまえ、しんでしまえ、しんでしまえ」
 霊夢は、ふん、と鼻を鳴らしながら、ゆっくりとフランたちの前に降りる。
「ルール無用の残虐ファイターってわけね」
 フランたちが、ゆっくりとした足取りで、霊夢を取り囲んでいく。
 霊夢は、ふいに一瞬、自分を囲もうとするものたちに、普段彼女があまり見せたことのない視線を向けた。
 憐れみの視線だった。
「……ずいぶん不安定で脆そうな心じゃないの。悪いけど、弱点をつかせてもらうわ」
 霊夢は目を閉じると、手に持った大幣を、ぶうん、と一振りした。彼女の目の前の空間がぱっくりと裂けて、一切すべてが存在しないような黒い黒い隙間が生じた。その隙間のなかから、異様な風体のものが、上体をかがめて「隙間」をくぐりぬけてあらわれた。まっくろなスーツを着ており、「にわとり」のような顔をしている。自分の掌にゼリー状のものを載せて、それをくちばしでついばんでいた。
 ついばんでいるのは、無数の眼球だった。
 隙間妖怪が隙間のなかに飼っている「ペット」は八百万匹。ここではないどこかに棲んでいたはずの怪物たちが「隙間」に落ち込み、この幻想郷へと召還されている。その中には、パチュリーが召喚する「旧支配者」レベルの精霊も存在していると、もっぱらの噂だった。
 くちばしを手のひらから離すと、「にわとり男」は言った。開いたくちばしに、眼球の残骸がこびりついている。
「食事中に呼びだすのは『あの方』くらいだと思っていたが。どうも違うらしい」
「紫じゃなくて私なのが不満なの?」
「私のことを紫様は『砂男』と呼びます。お嬢様」
「『眼球食い』の砂男?」
 いつのまにか魔理沙の隣にいるパチュリーが、ぽつりと呟いた。「にわとり男」は、巫女を見つめながら、返事の代わりに喉を鳴らした。
「あなたの眼球もすこぶる結構ですね。とても巫女とは思えないような、すっとんきょうな目が」
「ねえ、あんたから退治してほしいわけ?」
「褒め言葉ですよ。いずれにしても私は満足しています」
 砂男は、頭上の赤い鶏冠を銀色の櫛で撫でながら、たくさんのフランたちに目を向けた。
「とても美しい眼球たちだ。研ぎ澄まされた狂気に満ちている」
「気を抜くと、あんたが棲んでる悪夢ごと破壊されるわよ」
「心を持つものは、すべて夢の檻の中に居るのですよ」
 黒いスーツの鶏男は、いつの間にか霊夢の前に存在していた。レミリアがまばたきするたび、その怪物は二人となり三人となり、かと思えば自分の目の前に存在しては消失した。明らかに「この世界」とは違う世界の住人だった。
「ど、どうなっているの? 私には、あの変なニワトリ男がたくさんに見えたり、すぐに消えたりしているんだけど」
 霊夢の後ろに隠れている緑の妖精が、ごくり、と唾を飲み込んだ。
「あたい知ってる!」水色の妖精が手を挙げて叫んだ。「分身の術っていうんだよ! うわー忍者ばっかじゃん! 胸がドキドキする!」
「おい。あいつを知っているのか、パチュリー?」
 魔理沙の問いにパチュリーは、「うむ」とうなづく。
「あれは心に侵入する。そして、根源的で本質的な冒涜的恐怖を見せる……どんな勇気のある者ですら、逃れようのない恐怖をね。砂男に蹂躙された心は……やがて、粉々に破壊されてしまう」
 フランたちは、頭をおさえて苦しみはじめた。
「おねえさま、おねえさま、」
「こわい、こわいこわいこわいこわいよ」
「あがががっ。あがががががっ」
 あたりは、たちまち地面でのたうちまわるフランたちの悲鳴で満たされた。
 砂男は、フランのひとりに近づくと、恐怖で痙攣する顔を押さえ込み、その涙にゆがんだ彼女の瞳に、くちばしを近づけていった。
 妖精が「ひいいっ」と悲鳴を上げた。
 パチュリーはわずかに眉をひそめながら、
「……そして、砂男の好きなものは、眼球。朝でも昼でも夢から覚めても夢の中にいられるようにしてしまいたいためにね」
 霊夢は、うひょっと笑いながら、レミリアを見る。
「もう一度言うわ。私は異変解決のプロよ。かかわった以上、全力で異変をぶっつぶす。それが嫌なら、私を雇い返しなさい。言っておくけど、妖精からもらった報酬はタニシ一ヶ月分だからね。それよりもっといい報酬じゃないとイヤ」
「なにやってるのよーーーっ!」
 ばちいん、とすごい音とともに、霊夢が吹っ飛んだ。大妖精が霊夢の横顔を思い切り張っ倒したのだ。
「な、なにすんのよお……」
 地面に転がった霊夢は、真っ赤になったほっぺをおさえながら、半泣きになっている。
「こ、こんなのひどいよ! 私はあの子に謝りたくてお願いしたのに!」
「わ、私は異変解決を依頼されたのよ。だからえげつないかもしれないけど、最善の策をもって事に当たってるのに」
「えげつなさすぎるよ! あんな気持ち悪いニワトリ男なんて早くどっかにやってよ! そーしないと寄生虫入りのタニシを送り付けるからね!」
「き、寄生虫入りなんて……ひ、ひどい、ひどすぎる……」

「じゃあ、私があなたを雇うわ」

 霊夢が、お、と言う顔をして、振り向いた。レミリアの顔を見て、にやり、と笑う。
「あなたの依頼は何?」
「フランを……楽にしてやって」
 霊夢は、真顔に戻った。そして彼女が口を開く前に、
「ど、どうして?」
 大妖精が声を上げた。
「あの子は……レミリアさまの妹様でしょう?」
「……あの子は。もともと生きていてはいけない存在だったのよ。生きているだけで、みんなを傷つけて、何よりも、自分が傷ついていく。だったらいっそのこと――」
「でも、それではあの子がかわいそうです!」と、妖精は叫んだ。
「だって、悪くないのに、あの子だって苦しんでいるのに。なのにどうして殺されないといけないんですか? せめてレミリア様は、最後まであの子の味方をしてください。そうしないと、かわいそうです。あの子が、かわいそうです」
「……ほかのひとにはわからないわ。こうすることがフランにとって、残された最良のいい方法なの」
 妖精は、レミリアを、まっすぐ見つめていた。
「レミリア様。あなたは、嘘をついてます」
 と、言った。
「そんなひどい顔をして。そんなかなしい顔をして。最良だなんて、絶対に思ってません」
「……うるさいわね」
「レミリア様。ご自分の心は、だませません。ほんとうは、妹様を、あの子を救いたいんでしょう? じゃあ、最後まであきらめずに、そうすべきです。そうしないと、レミリア様も、絶対に後悔します。だから――」
「うるさいって言ってるじゃないの! 私だって、できればそうやっている! でも、結局できなかった。500年もの間、あの子が苦しむのを見ているだけしかできなかった。だからもう、これしかないのよ。これしか……」
「ずいぶん気負っているじゃない」
 にやにやしながら言う霊夢を、レミリアはにらみつけた。
「……くだらないことを妖精が言うからよ」
「……で。本当に、いいのね」
 霊夢は、再び真顔に戻っていた。
「……いいわ」
「……わかったわ。報酬は、追って請求するからね」
「って! なんでですか!」
 大妖精の鋭い裏拳が霊夢を見舞う――しかし、今度は彼女の拳を、がっしりと握り止めていた。
「あんたの言うとおり、妹が死んだらきっとあいつは後悔するでしょうね」と霊夢は言った。
「一生消えない記憶になるよ。死にたくなるかもしれない。いや、事実、死ぬかもしれないわね」
「だったら! だったらしなきゃいいじゃないの!」
「つまり、あいつには、それだけの覚悟があるってことよ」
 霊夢は、笑っていた。
 大妖精は、当惑の表情を浮かべた。
 なんで今笑うのか。理解できないのだ。
「だったら。しょうがないじゃないの」
 レミリアは。この霊夢という人間を、少し、怖いと思った。
 もしかするとこの巫女は。世界が滅びるその日にも、同じように笑うのかもしれない。
「ねえ。レミリア。そうでしょう?」
 ほんとヘンなやつだ、とレミリアは思う。
 でも、だからこそ、私はこの人間に惹かれる。この人間なら、託せる。
「……なるべくあの子を。傷つけないで。あの子が苦しんでいる姿は。耐えられない」
「まあ。それはわかってるわ」と、霊夢はばりばりと髪をかきながら、
「ちょっとやりすぎた。反省してる」
 ――こいつは、わざとえげつない姿を見せて、「今からお前の妹をこんな風にするけど、ほんとうにいいの?」と私に尋ねたのだ。
 咲夜もそうだったけど、人間という種族は、時々わからなくなる、とレミリアは思った。
 逆もしかり。合理的なようでいて、あっさりと非合理的な行動を取ったり。打算的と思えば、わりと情に厚かったり。
「じゃ、決まりね」と、霊夢はにやり、と笑う。
「砂男。残念だけど、眼球を食べるのはおしまいよ」
 一体のフランにまたがって、彼女の眼球をがっついていた砂男がふりむいた。
「それは確かに残念だ。本当に残念だ」
「食うのはあの本体よ。あなたなら、わかるでしょ? あいつの心が」
 ……なるほど。身体的な面では無敵だけど、心は無防備だとにらんだってわけか。
 だけど――今のフランに、「心」があるのだろうか? 
 砂男は、その何を考えてるのかわからない目を、目の前の怪物に向けた。
「……ふむ」
 自分の顎から垂れ下がった赤い肉髯を撫でながら、
「これは。お目にかかったことのない心だ」と、言った。
「どゆこと?」との霊夢の問いに、
「この心は今……現には存在しません。夢のなかを漂っているのです。また、それは二つでもあり、一つでもあるのです。……つまり、ふたつの心が、今、同じ夢を、見ているのです」


16「もうひとつの赤い悪夢」



 ――長い、長い、長い井戸の中に落ちているような、そんな気がする。


 かち、かち、かち、かち、かち……

 かち、かち、かち、かち、かち……

 かち、かち、かち、かち、かち……

 不愉快な時計の針の音が、聞こえる。

 視界はまっくらで、何も映らない。

 私は、どうなったんだ? 

 そうだ。私は、あの天使の姿をした怪物に、ころされたのだ。

 あいつめ、殺してやる。あいつを殺さなければ、天使が死んでしまう。世界が、ばらばらにこわれてしまう。

 かちり、と、歯車のかみ合う音がした。

 ばらばらな不協和音が、わたしを取り囲むように、四方から聞こえてきた。

 時計の、時報を知らせる音が、いっせいに鳴り響いたのだ。

 どくん、と心臓が、鳴った。

 がちゃり、とドアの開く音がして、
「時間になったね」
 奇妙につぶれた、しわがれた声が、した。
 再び、どくん、と心臓が鳴った。
 そんな馬鹿な。これは夢だ。わたしは、夢を見ているんだ。そうだ。夢。のはずなんだ。
 だって、あいつは。わたしが――
 異様なにおいが漂ってきた。腐った牛乳のような、すえたようなにおい。
 これは。このにおいは……
 たちまち、動悸が早くなった。
 身もだえしようとすると、ベッドがきしむ音がしたが、手足は動かない。拘束されているのだ。何も見えないのは、目隠しをされているからだ。
 がちゃがちゃがちゃ、と不規則な足音がした。ちゃぶちゃぶ、と、重い液体が揺れる音も。
 鼻をつく、アルコールのにおい。そして、生ごみのような、なまぐさい、におい。
「おまえのためにね。きょうは、ふたり、ころしたよ」
 ごつごつとしたものが、わたしのはだかの胸をなでる。強烈な生ごみのにおいが、鼻をつく。
 ――いやだ。いやだ。いやだ。いやだ。
 何かが胸のあたりを触れる。ごつごつしたものが、わたしの肌をなでまわす。なにか、どろどろしたものを塗り付けている。生ぐさいにおいはますます増し、耐えきれないほどになる。鼓動はどんどん早くなる。
 いやだ。いやだ。わたしは声をあげた。
 その開けた口に、なまぐさいものが突っ込まれた。
 強烈な臭気に、ほとんど条件反射的に、わたしは吐いた。
「がまんするんだよ」
 前かがみになったわたしは、首根っこをつかんで引き起こされた。わたしの喉から、かえるみたいなつぶれた声が出た。
「これでもっと、おまえはきれいになるんだから」と、しわがれた声が言った。
「ひとの命を吸うとね、きれいになれるんだよ」
 頭をおさえつけられ、髪を引っ張られた。ぐねぐねと髪を曲げられている感覚がする。
「さあて。そろそろ時間になった。おまえも自分の姿が気になっているだろう。なのに目隠しなんて、意地悪をしてしまったね」
 目をおさえつけていたいましめが外されると。
 目の前の鏡のなかに。ベッドにくくりつけられた、銀色の髪の少女が、こちらを見つめていた。
 真っ赤なものが塗り付けられたその顔は、うつろな目だけが白かった。その真ん中の瞳孔は、やはり血のように赤かった。
 はだかのからだにも、そのどろどろの真っ赤なものは塗り付けられていた。
 まるで死体だ、と思った。いや、実際そうだったかもしれない。ひとりでは何もできない、ただ、いいように死化粧をさせられる、死体なんだ。
 わたしは、銀色の髪を後ろで止めているかんざしに気付いた。
 銀でできたそれは、べっとりと血で濡れていた。
「おまえがほしがっていたかんざしだ」
 鏡の中の、銀色の少女の背中には、痩せた、土気色の肌をした男がいた。
「ほら、あの女が持っていたものだよ。お前に優しい言葉をかけて、だまそうとした女だ」
 わたしの視線に気づいて、うれしそうに言った。わたしを見るどんより黄色く濁った目は、ぎらぎらと異様に輝いていた。
 ――だますだなんて、あのひとはしていない。あのひとは、私にやさしく声をかけてくれただけだ。かんざしだって、とても綺麗で、あのひとにとても似合っていたから、ほめただけだ。そんなもの、ほしいだなんて思っていない。
「もうひとつ、きょうはおまえにプレゼントがあるんだ」
 男は、そのべっとりと赤く濡れた手を、こちらに近づけた。傷だらけのその手首には、たくさんの腕時計が並んで巻かれている。
 薄汚れた手のひらには、ぶよぶよしたものがこびりついた、ふたつの丸いものが転がっていた。
 眼球だった。
 白く濁りはじめていたけど、青い色の、眼球だった。
「そうさ。おまえに声をかけた、あの生意気そうな餓鬼だよ」と、男は言った。
「餓鬼のくせに、おまえに欲情してきたやつだ。ああいう色餓鬼は、死んで当然なんだ」
 ――あの子は、石蹴り遊びをしていて、たまたまわたしの足元に石を蹴ってしまっただけだ。
 その石には、黒いマジックで靴下を履いてるような模様の犬が描いてあって、わたしが不思議に思って拾い上げると、「『のらくろ』って言うんだ。知らないのか?」と言いながら、鼻をこすった。私が知らないって言うと、「じゃあ、今度貸してやるよ」と言ってくれた。
 わたしに笑ってくれた。
 それだけだった。
「あおおおおおおおおおあああああっ」
 わたしは犬のように叫んだ。叫び続けた。
「じゃあ。きょうは、もっときれいにしてあげよう。次にみえるときは、びっくりするくらいになるよ」
「近づかないでよ! このきちがい!」
 平手打ちが飛んできた。わたしのからだは横に飛ばされ、その拍子に手を縛りつけていた縄がちぎれたのか、そのままベッドから転げ落ちた。
 外れた目隠しから、あいつの姿がみえる。
 憎悪に満ちた目を、こちらに向けていた。
 その手には、切っ先をこちらに向けたナイフが光っていた。
「どうしておまえまで。わかってくれないんだ?」
 ――わかるわけない。おまえはくるっている。
「おまえならわかっているとおもっていた。おまえはわたしの子どもだからね」
 ――なりたくてなったわけじゃない。わたしは、おまえの人形じゃない。
「だからわたしは、おまえに罰を与えなければならない」
 あいつは、腕時計を見た。そのたくさんの腕時計をひとつひとつ確認するように、規則的に首を小刻みにずらして、何度も見ていた。
「もう、こんな時間だ。そろそろ素直に育つよう、教育しないといけない時間だ」
 ――わたしも殺す気なんだ。かあさんみたいに、殺す気なんだ。
 あいつが近づいてくる。「罰」を与えようとしている。わたしは必死に逃げようとするけど、足が何かにひっかかり、無様に倒れてしまう。
 いやだ。いやだ。いやだ。いやだ。

 かち、かち、かち、かち、かち……

 かち、かち、かち、かち、かち……

 時計の針の音が、ひどく、響く。
 ベッドしかないこの部屋の壁に、びっしりと掲げられている、無数の時計。この部屋でこの男の声以外に聞こえる、ただひとつの音。
 わたしがこんな目にあっているときでも、いつも、いつも、何も変わらず、何もしてくれず、ただ、時間を鳴らし続けている。
 当たり前の顔をして。
 こんなことが普通だって顔をして。
 わたしに近づいてくれるひとたちがどんどん消えてしまうのに、おまえだけはいつまでも消えない。
 いつまでもわたしを縛りつける。いつまでも。
 ……消えろ。消えてしまえ。役立たずな時間なんて。
 消えろ。消えろ。消えろ。消えろ。消えろ。消えろ。
 あいつが近づいてくる。生ごみみたいなにおいをさせて。
 ナイフをぎらつかせて。黄色く濁った目で、こちらを見下ろして。
 消えてしまえ。消えてしまえ。消えてしまえ。
 この世界ごと、ぜんぶ、ぜんぶ消えてしまえ!

 ふいに。

 時計の針の音が、消えた。

 いや、全ての音が消失した。

 そして、わたしにまたがろうとしているあいつも、凍りついたように動かなくなった。
 どうしてか、わたしはすぐに確信した。今、自分は、時間を止めたのだと。
 わたしにも何故かわからない。だけどその認識は、まるで水のようにわたしのなかに染みとおっていった。
 わたしは塑像のように動かないあいつからナイフを奪い取った。
 そして、首筋へ、一息で突き刺した。
 ナイフを引き抜いても、血は出なかった。
 再び針の音がしはじめると、あいつは、ひゅうひゅう、と喉を鳴らしていた。異変に気づいたのか、突然その顔がゆがみ、ごぼごぼごぼと喉を鳴らしながら膝を折った。首からは血が滝のようにあふれ出して、わたしの顔に垂れ落ちていく。そのうち苦しげにあえぎはじめた。たぶん喉から空気が漏れているのだろう。踏み潰された蛙のように喉をひいひいと鳴らしている。
 わたしはあおむけのまま、その姿を見つめている。
「とうさんは言ったよね。わたしは命を吸うと、きれいになるって」
 あいつは、虚ろな目で首筋を押さえながら、もう一方の手を、わたしに伸ばしてきた。
 痩せて荒れた手を震わせながら、何かを訴えるように、その口元を、わななかせていた。
 糸が切れたようにあいつのからだが弛緩すると、そのままわたしの上で突っ伏した。もたれかかってきたあいつの顔色が、みるみるうちに紫色に変わっていった。あいつの血が、わたしのからだに注がれていく。
「――よかったね。これで、わたしはもっときれいになるんでしょ?」
 だらんと垂れ下がったあいつの首が、ごぼごぼ、と音を立てた。
 血の泡を溜めながら、白目をむきながら、あいつは、笑っていた。
「やっぱり。おまえは、わたしと。いっしょだ」
 ――突然、鮮明な声で、そう言った。
「……ちがう。おまえはきちがいだ。わたしと、ちがう」
「おまえは。わたしとおなじなんだ」
 何を言っているのか。わたしにはわからない。
「おまえは、わたしを、殺したいから殺した。その機会があった。だから、たやすく殺した。たとえ父親でもな」
「……ちがう! おまえが父だなんて思っちゃいない。このきちがいが!」
「だが。そのきちがいの血は。おまえのなかにも入っているじゃないか。ひとごろしの血が」
 あいつは、嗤いはじめた。
「おまえは、怪物だ。父ですらなんの感慨もなく殺せる怪物だ。たぶん、誰だって殺せるだろうさ」
「違う」
「すぐにわかるさ。おまえの。これからの。」
 ごぼごぼ、と喉が鳴った。あいつは震える腕をぎこちなく持ち上げて、腕時計を見た。
「時間だ」と、あいつは言った。
 それが最後だった。
 もたれかかっていたあいつのからだが、急に重くなった気がして、横にどけた。
 わたしは足のいましめをナイフで切ると、わたしは家を出た。
 外は、まっくらだった。すずしい風は、無臭だった。
 すると急に、自分のからだに染みついた不快なにおいに気付いた。
 胃の奥からせりあがってくるものをかんじた。
「うげええええええっ」
 胃のものが無くなり、黄色い液体だけになっても、吐き続けた。
 吐くものが無くなり、落ち着くと、自分の置かれた立場に気付いた。
 行き先はどこにもなかった。わたしは、たったひとりだった。
 見上げると、木々のシルエットの向こうに、大きな月があった。満月だろうか。いや、少し欠けているようにみえる。だけどとても大きかった。あんなに月は大きかったのだろうか? 夜はいつも「あいつの時間」だったから、前に見たのがいつなのか覚えていないけども。
 月は、とても綺麗だった。じっ、と見ていると、吸い込まれそうなくらいだった。
 自分でも気づかないうちに、わたしは、その月がみえる方向へ歩み始めていた。はだしに地面はひどく冷たく、時折砂利が突き刺さったような刺激があった。だけどだんだんそれも気にならなくなった。わたしはひとりじゃない。あの月がついてくれている。そう思っていた――


 ………………

 …………

 ……

 遠くから自分の絶叫が聞こえてきて目覚めると、狭い牢獄だった。

 ――夢だったのか。

 嫌な夢だった。いまさら、「あの男」のことを思い出すだなんて。
 この牢獄と、この手足のいましめが、思い出させたのだろうか。
 部屋の格子窓から薄い光が漏れており、ささやくような会話が聞こえてくる。
 ――まったく気味の悪い子どもだよ。一言も口を聞かないんだ。それにあの赤い目……まるで動物みたいに感情が無いじゃないか。
 ――どういう奴なのか、わからずじまいか。
 ――家を持たない流れ者だよ。
 ――運が悪かったな。よりによって殺したのが、あの大地主の息子だからな。
 ――金がらみかね?
 ――発見されたときの彼女の姿を見てないのか? 何をされかかったのかは容易に分かるだろうよ。
 ――まあ、あの息子の性癖は聞いているがね。それにしても、本当にあの子ども一人の仕業なのか? 顔の皮をはがされて腹を引き裂かれ……自分のはらわたを噛みしめながら死んでたんだぞ。まともじゃない。
 ――噂を聞いたことがある。そいつが現れた村では、いつの間にか物や人が消える。みんなが見守るなか、高価な宝石や金が消えてしまう。さっきまでいたはずの人間が、なます斬りになって転がっている。逮捕しようにも、さっきまでいたはずの場所から忽然と姿を消してしまう……。そいつは異人の血が混じった少女で、仏蘭西人形のような顔と、真っ赤な瞳をしている……。
 ――そんなのは、ただの噂、ただの噂さ。そんな少女が現実にいてたまるものか。それにいずれにせよ、檻のなかじゃ、今さらどうにもできないだろうが。

 殺したあの男は、宿無しの少女は野良猫みたいなもので何をしてもいいと思っている、そんな男だった。

 いきなり後ろから口をふさがれ、抱えられて路地裏へ連れ込まれた。無理やり手で顔を横に向けられると、唇を吸われた。私のシャツをたくしあげると、自分のズボンのベルトを解こうとしながら、覆いかぶさろうとしてきた。私は時間を止めると、ナイフを取り出し、男の眉間に刺して、そのまままっすぐ下におろして切れ目をいれた。次に男の腹に刃を突き立てて、下腹部まで一文字に切り裂くと、傷口に手を突っ込んで、腸をつかんでひきずりだし、舌を出したままの男の口のなかに放り込んだ。
 時間が解けると、男が、血を噴水のようにまきちらし、声にならない声を上げながらのたうちまわった。
 男の血が地面にみるみるあふれていく。それは私の足元までやってくる。
 何も変わらず、私のまわりのものはみんなみんな死んでいく。違いは、あの男ではなく、自分が殺すようになったこと。
 ――私は、あの男と一緒なのだろうか。あの男と。
 男の血はどんどん増水していき、わたしの世界を赤く満たしていく。
 あっというまに足、腕、からだ、顔のあたりまで浸水していく。あっという間に私は血に飲み込まれる。私の視界は真っ赤に染まる。開いた口の中に侵入してくる血の味をかみ締めながら私は思った。この血は、あいつの血だ。私のなかにある血。
 ごぼり、と血の泡を吐き出した。息ができなかった。どちらが上なのか下なのかわからない。苦しさに首をかきむしった。
 ――私が殺した、あいつの血が。私を殺そうとしている。
 血の海の奥から、何かが近づいてくる。まっくろな何かが。それはみるみるみるみる膨れ上がる。やがてそれは目を開ける。たくさんの目。あの男のような、黄色く濁った目が。じっ、と見つめていた。
 私は、絶叫した。

 そして目が覚めたとき、この狭い牢の中に転がっていたのだ。

 幻だったのだ。
 人を殺すたびに見る、あいつの幻。
 呪いだ。あいつの呪い。死ぬときに、あいつが私にかけた呪い。
 私は、あいつの子なんだと。くるったあいつの血が混じっていると。
 ――私も狂うのかも知れない。それとも、もう狂っているのだろうか?
 遠くで、ガラスの割れた音が、聞こえた。
「おい、なんの騒ぎだ?」
「わからん。最近は魑魅魍魎どもが里まで降りてくるらしいからな。銃に弾を詰めておけよ」
「おいおい、村の中でぶっ放すつもりか?」
「保険だよ。どんな奴がいるかわから」

 男の声は、ドアが激しく開閉する音と、つぶれた声、何かがはじけて倒れる音にかき消された。

 ――ば、ばけものっ……!

 火薬の爆発音と、けだものじみた悲鳴が響いた。

「残念だったな」
 まるで分厚い壁ごしに聞くような、くぐもった不明瞭な声が。
「我々は、人間であり、ばけものである」
 ドアが開くと、ごろん、と床に血まみれの「何か」が転がっていた。あまりに形が変形しすぎてひき肉みたいだったけれど、それは「さっきまで人間だったもの」だった。
 そして、その死体のかたわらに、「ばけもの」たちが存在していた。
 私の三倍はある長身と、風船のように肥大した頭部を持つ大男や、老人のように皺くちゃの顔を持つ少年、熊のぬいぐるみを手に抱えた、肌から頭髪にいたるまで全身が漂白されたようにまっしろの、赤い瞳の少女……そしてその集団の中心に、黒いスーツを着て、サングラスをつけた、長い白髪の、車椅子の男がいた。スラックスの裾の先に存在しているはずの足首はどこにもなかった。杖を持つ手は、白い手袋で隠されており、顔の肌はセルロイドのように人工的な光沢をみせており、笑った口のなかからは、歯車の群れがのぞいていた。
「もう気づいているだろう。時を操る『ばけもの』よ」
 車椅子の男が話すたびに、きりきりきりと歯車が噛み合う音がした。
「お前は人間でありながらばけものだ。お前の存在はこの世の常ではない。お前は通常の世界では生きられない。だからお前は常に苦しんでいるのだ」
 車椅子の男が、手袋で覆われた手を差し出した。手袋の隙間からは、金属が鈍く輝いていた。
「我々は『吸血鬼殺し』だ。ここは人間であり、ばけものである者たちの……墓場だ」
「……私は、別に、何も望んでは、いない」
 きりきりきり、と男が嗤った。
「腐り虫は、清らかな川では棲めないのだよ」
「汚い……この世とあわない私は、汚れている」
「家畜に穿たれた焼印というわけだ。この世界にいる限り、いつでもどこでも我々は区別される」
「……どうすればいいの?」
「『歯車』になればいい」と車椅子の男は言った。
「お前はひとを殺してもいい。好きなだけ殺してもいい。それが『仕事』になるのだから。そしてその『仕事』をこなしていくうちに……いつの間にか、お前を取り巻く世界が変わっているだろうよ。オルゴールのねじを巻いて巻いて巻いたあとに、ようやく素晴らしい音楽は流れるものだからな」
「……その音楽が、気にいらなかったら?」
「音楽を聴くのはオルゴール自身ではない。他の誰かだ」と機械仕掛けの老人は言った。老人の瞳のなかで、まっしろなドレスを着た少女が踊っていた。
「お前に似つかわしいのは血の音楽だよ。私には分かる」
「……」
 私はとっくに理解していた。何も持たない自分に選択権はひとつだけだと。
 生か死を選択するだけだと。
 時を止めれば、老人を含めた数人を殺すことはできる。しかしそれで終わりだ。
 生きるのであれば、従うしかない。
 別に生きたい、と渇望したわけじゃない。私のまわりには死体しか存在しなかった。あのなかのひとりになるだけだった。
 ただ、私は、復讐したいと思っていた。
 呪われた血を持つ自分の運命を。私を疎外し続けるこの世界を。ナイフで切り裂いてやりたかった。
「教えてほしい。お前の名前を」と男は言った。
「私の名前、私の名前――」
 私の名前は――
 
 ――まどろみのなかで、「わたし」は自分の名前を思い出そうとした。だけど、ちっとも思い出せなかった。


 ………………

 …………

 ……

 むせかえる花のにおいで、私は目覚めた。
 たくさんの熱帯植物の花が、視界に映った。
 夜の、温室の中だった。ゆるいS字を描く一本の通路以外は、緑の葉と、色とりどりの花に覆われていた。
 ……知らない間に眠ってしまったのか。どうやら、ひどく疲れていたらしい。
 こうやって目が覚めた、ということは、発見もされなかったのだろう。ほんとうに、この温室は「聖域」扱いとなっているらしい。
 それにしても、ひどく昔の夢を見ていた気がする。
「枝はくっついたの?」
 すらり、と伸びたふたつの足が、いつの間にか目の前にあった。
 見上げると、こちらを見下ろしている金髪の少女が、いた。
 白いワンピースを着た彼女は、にっこり笑っていた。笑いながら、その大きな目は、まばたきもせず、異様なほどにまっすぐこちらを見つめていた。
 私は、添え木を接木テープで固定されている足を見せると、「まあまあ」と応えた。
「じゃあ、そのうち新しい芽が出るわ」
「……そう」
「私、知っているもの」と彼女はにっこり笑った。「花はね。みんなそうやって直るのよ」
 彼女は相変わらずだった。
 最初に出会ったときから、くるっていた。

 ――私の力は選りすぐりのばけものが集う「吸血鬼殺し」のなかでも別格だった。
 私は殺し続けた。殺すことは簡単だった。吸血鬼なき後の吸血鬼殺しの相手は、常に人間だったからだ。三百余回戦いそのすべてで敗れたけど、その間に負った傷は「爪きりで深爪をした親指」だけだった伝説の革命家も、一キロ先の、アリが運んでいる羽虫のその触覚のみを吹き飛ばすことができる凄腕のライフルの狙撃手も、強力な張り手で対戦相手の頭蓋骨や肋骨を外部へ弾き飛ばしてしまうために相撲界を追放された怪力力士も、みんな時間を止めた世界では、ただの人間でしかなかった。
 車椅子の男の言うとおり、私の周囲は変わった。今では私を小娘呼ばわりする者はいないし、気安くからだに触れようとする奴もいない。そして……かわりにあるものは、へつらいと、畏怖と、嫉妬と、憎悪の目だった。
 私は今でもひとりだった。だけど別にどうでもよかったのだ。私は、ずっとひとりだったから。

 今回の失敗の原因は、己の力の過信から、この屋敷が張っていた罠に気付かなかったことだった。

 夜間、誰もいないことを確認した後、塀を乗り越えたときに、一緒に居た「やもり」どもと私は針のようなものに貫かれた。
 時を止める間もなく針は私の腿を貫通し、私は塀の中へと落下した。
 塀の中は草木が生い茂っており、私はそれに埋もれるかたちとなった。
 無数の足音を聞き、私は再び時を止めた。私の、私だけの世界で、私は走り出そうとして、足に激痛を覚えた。やがて足の感覚がみるみる麻痺していった。毒が、仕込まれていたのだ。麻痺は、みるみる足から上半身までせりあがってきた。
 なんとか時間の針が動き出す前に、別の茂み――ひまわりが咲き誇る庭のなかに潜りこんだ。
 近づいてきた足音から、声がした。
「こちらに落下したように見えたが」
「『吸血鬼殺し』には時を止める女がいるらしい。信じられないかも知れないがな」
「用心するに越したことはないということか」
 声が近づいてくる。猶予の時は無い。
 私は時を止めると、茂みから出た。やはり、すでに数名のダークスーツの男たちが取り囲んでいる。足をひきずりながら、塑像のように固まっている男たちの間を抜けて、身を隠す場所を探した。
 前方に、大きなガラス張りの温室が視界に入った。広い屋敷の庭園のなかでも、ひときわ大きな温室だった。もうじき時計の針が動き出す。また「この世界」に支配されてしまう。麻痺が全身を覆い、もうろうとする意識の中で、ほとんど無意識のうちに、温室の扉を開けた。
 先客がいた。
 白いワンピースを着た金髪の少女……それが、彼女だった。
 彼女は、膝を抱えるようにして座りながら、私のほうを見上げていた。その細い腕にはじょうろを掴んでいた。
 ナイフを取り出そうとして、限界を迎えた。私はバランスを崩し、そのまま倒れこんだ。指一本も動かせなかった。
 ――彼女は誰かを呼ぶだろう。私は捕縛される。問題はその後だ。私の姿を見て隙を見せるような奴がいれば、まだ救いがある。一瞬の隙さえあれば、私の力でなんとでもなる。殺して殺して殺し尽くしてやる。
 だが、さっきの話し声からすると、あいつらは知っている。私が時を止められることを。であれば、その隙を見せる可能性は低い。
 私は殺される。そう、死ぬ。
 怖くはなかった。もともと私は死体だった。そして今もきっと、死体のままなのだ。
 うつぶせの私のそばに足音が近づいてきて、ごろり、と誰かの手が私をあおむけにした。
 突然、冷たいものを顔に浴びた。小便をかけられたときのことを思い出して、掻き消えようとする意識を引き絞り、目を開けた。
 ぼんやりする視界のなかで、ワンピースの少女が、こちらをのぞきこんでいた。
 その手には、水が滴るジョウロを持っていた。
 彼女はにっこりと微笑んだ。
「新しい仲間ね。風に飛ばされてきたのかしら?」
 足に、そっ、と草のようなものが触れたような気がした。
「枝が折れているのね。すぐに添え木をあててあげる」と彼女は言った。その声には、なんと言ったらいいのかわからない、不思議な抑揚があった。
 彼女は私の足に添え木をしてくれた。不思議な歌を口ずさみながら。やはり抑揚が独特で、メロディもほとんどでたらめにしか聞こえない。
 温室の外から、固い足音が近づいてきた。
「……後はここだけか。『お嬢様』はいるのか?」
「だろうな。となると、面倒なことになりそうだな……」
 男たちの陰が、温室の入り口に立つのをみとめた。
 すると、突然彼女の顔が豹変した。
 まるで猫のように飛び出すと、入り口を開けようとする男たちの前に立ちはだかった。
「開けるな! ここはおまえたち人間は入れないんだ。入ると、空気が汚れてしまうだろう!」
「わ、わかっております。しかし……」
「落ち着いてくださいお嬢様。我々は、見知らぬ人間がここにいないのかを確認に来たのです」
 彼女はひと呼吸置いたあと、
「ここに、人間は、いないわ」と言った。
「……承知しました。では、その旨をあなたの父上にお伝えいたします」
 彼女は、少しだけ怯えた目をした。
「……お父さんに、言うのね」
「それが我々の任務です。よろしいのですね?」
「……いいわ。だから、さっさと消えなさい!」
 男たちが立ち去ったあと、彼女は荒い息をしながらうつむくと、両手で顔を覆って、
「あああああああああ」
 長い、長いうめき声をあげた。
 いつまで続くのだろうか、そう思いはじめたころ――突然その声はやみ、彼女はくるりとこちらを振り向いた。
「ごめんね。空気が汚れて気持ち悪くなかった?」
 私は、すぐに言葉が出なかった。
「……私を助けてくれたの?」
「あなたは、まだ芽なの」と言った。
 私を見つめる瞳は、まるでビー玉のように透き通っていて、とても穏やかだった。
「花が咲くまで、しばらく綺麗でいないといけないの。だから、あんな汚い人間たちといてはいけないの。ああ、あなたはどんな色の花なのかしら。とてもたのしみ。とてもたのしみね」
 そう言って、笑っていた。



「あなたは、あまり水は要らないのね。サボテンとかと同じなのかな」
「……いや、私は口から水を入れるのよ。あなたと同じくね」
「私は水を飲まないわ。水は花のためだもの。私はいつだって牛乳を飲むの」
「……そう。私も牛乳がいいんだけど」
「ダメよ。根腐れしちゃう」
「私の根っこは丈夫なのよ。逆に水だけじゃ持たない」
「ふうん。あなたって変わっているのね」
「……あなたほどじゃないけどね」



 二週間ほどの間、私と彼女は、こんなやりとりをしながら、奇妙な生活を続けた。私が逃げ込んだ温室は彼女以外、誰も立ち入らなかった。私は他の人間に発見されることもなかった。彼女はひたすら温室のなかの植物に水をやり、剪定をし、添え木をし、慈しんでいた。
 いつも、ひとりだった。
 彼女はこの屋敷では厄介者なのかも知れない。権威のある家であればあるほど、親族に障害を持つ者の存在を隠したくなる。自分たちの血に瑕がつくと考えるから。
 私と、いっしょだった。



 大きな月が浮かぶ夜、温室に現れた彼女は、いつもと同じように笑っていたが、いつもと様子が違っていた。
 顔のあちこちが腫れており、ワンピースからのびた腕や足に擦り傷があった。目のまわりが腫れて、大きな瞳が真っ赤に充血していた。
「……どうしたの?」
 彼女は私の問いには答えず、
「……あなたは外から飛んできたと言ったよね」と言った。
 私は唐突の問いに戸惑いながら、
「……そう。この屋敷の外からね」
 月の光に照らされて、庭園の花たちが、昼とはまた違った顔で咲いていた。
「外は、もっとたくさんの花があるの?」
「……あるわ。この庭園の何百、何千倍も広いからね」
「ねえ、私を外に連れていって」
 唐突な言葉に、私はすぐに答えられなかった。
「あなたもわかっているでしょ? 私は、できそこないなの。だからずっと外に出してもらえないの。だけど私は知っている。あなただったら、私をたんぽぽの綿みたいに飛ばせるわ。だってあなたは外からふわふわ飛んで来たんだから。私だって飛ばせるわ。そうでしょ?」
 彼女の瞳は、月の光を反射して、ぎらぎらと輝いていた。
「……外は汚いわ。あなたが思っている以上にね」
「行きたい場所があるの。私はそこに行って、花になるの。あなたもなれるわ。とってもいい場所なのよ」
 その言葉には、異様な力強さがあった。彼女はでまかせで言っているんじゃない。本当に花になれると信じきっているのだ。
「……無理よ。この屋敷の壁は、いつだって監視されている。罠が、仕掛けられているの」
「知っているよ。屋敷の時計台には、大きな蜘蛛がいるの。壁にはその子の見えない糸が張ってあって、それを壊されると身の危険を感じたその子が起きて、毒液のついた針を吐くのよ」
 私は温室のガラスごしに時計台を見た。庭に咲くたくさんのひまわりの向こうに、天井が尖った洋風の塔がみえる。その壁には梯子のような取っ手がついていて、その昇った先には巨大な時計の文字盤がある。そのまわりに小さな穴が幾つも開いていた。よじのぼってきた侵入者は、あの小さな穴から飛び出す針で迎撃されてしまうというわけだ。
 それが。私を、やもりどもを捕らえた仕掛けというわけだ。
「私、あの子と友達だから。牢屋ごしによくお話をしているの。その間に糸を切ってしまえば大丈夫よ」
 私は知っている。
 その糸を切れば、何が起こるのかを。
 そして私は、そうすべきであることを。
「……わかったわ」と、私が言った。



 夜の空から小雨が降りはじめると、夜のしじまに、蛙の鳴き声がまじりはじめた。
 空は月が消え、星ひとつなく、吸い込まれそうなくらい真っ黒だった。
 雨がさらに強くなるかも知れない。私はつぶやいたけど、彼女は、一心不乱に高台を目指し、山道を歩き続けていた。
 蛙の鳴き声が、竹林のあちこちからこだましていた。野道には足元くらいまで雨をふくんだ雑草が生えていて、彼女が早足で歩くたびにばしゃばしゃと水がはじかれた。彼女のワンピースの裾は既に泥だらけだった。
 一体どこまで登るのだろう。次第に道は細くなり、もたれかかっている竹をどかしながら進まなければならなかった。彼女は竹がからだにぶつかるのを意に介さず、「ここよ。においがする。まだあるわ。もう少しよ」と呟きながら、ずぶ濡れになった髪を揺らして、登り続けていた。
 生い茂る竹林は唐突に消えて、四方を竹林に囲まれたちょっとした平地に出た。
 その真ん中に、こんもりとツルに覆われた朽ちた家があった。ツルには、数えきれないほどの青い花が咲いていた。
 薔薇だった。まるで青空みたいに透き通った青色の薔薇だった。
 ――いつの間にか、彼女の姿はどこにもなかった。
 大粒の雨を浴びながら、私は、青い薔薇に埋め尽くされたその家に歩み寄る。
 薔薇とツルに装飾された扉は年月にさらされて変色しており、上部の蝶番が外れており、開けっ放しになっていた。
 私は、誰かに押しのけられてできた薔薇の隙間から、まっくらな家に足を踏み入れた。たちまち、湿った空気がまとわりついてきた。薔薇の匂いはひどく強く、まるで腐った果実みたいなにおいが鼻をついた。
 密室の暗闇は、嫌なものを思い出させる。……私は、胸のあたりを抑えた。まだ、大丈夫だ。鼓動は、落ち着いている。
「すごいでしょ。この薔薇」
 暗闇の奥から、声がした。
「ここにある薔薇は、ぜんぶおかあさまが植えたものなの」
 あの、歌うように、独特の抑揚をつけた声であったが、何かが違っていた。
 まるでチューニングがわずかに狂ったラジオみたいに、何かが変調していた。
「……ここはね、わたしの、本当のおかあさまが、住んでいたの」
 私は、声のある方へ進む。一歩ごとに、腐りかけた床が沈む。
「おかあさまはね、わたしを産んでから、ずっとここで、暮らしていたの」
 ひとつの部屋が目の前にある。
「おかあさまは、すごくたくさんいやな思いをしたんだって。だから、誰とも会いたくなかったんだって」
 つるが絡みついた扉がある。
「おかあさまはいっていた。この世界は汚いって。醜いって」
 つるには、青い薔薇が咲いている。
「世界は、どんどん醜いものたちで汚れていくって」
 扉の向こうから、声は聞こえてくる。
「だから、世界を美しくするためには、世界を花でいっぱいにしないといけないって」
 私は、ごくり、と唾をのみこむと、
「わたしたちは……じゃないって。花なんだって」
 つるの奥にあるドアノブをつかみ、扉を開けた。
 締め切った部屋はまっくらだった。ベッドがほの白く見えて、その上に誰かが座っていた。
「晴れた夏の日の朝、おかあさまは、消えたわ。ここでね。花びらだけを残して、消えてしまったの」
 その影は立ち上がると、ぴたぴた、と湿った足音を立てて、こちらに近づいてきた。
 目が慣れるにつれ、影がはっきりとしはじめた。
 彼女は、何もまとっていなかった。ほっそりとしたからだを、そのまま私の前にさらけだしていた。
「花になってしまったのよ。わたしだけを残して。あんなに花だ花だって言ってたから」
 彼女の肌の上にはりついたしずくが、わずかな光で反射していた。
 痩せた彼女の肌は、どこまでもしろく、まるで現実のものではないみたいに透き通ってみえた。
 その背中に、羽根の骨組みのようなものがみえた。幻だろうか? 私にはわからない。
「おかあさまはきれいだったけど、弱かったの。だから、踏みにじられたのよ」
「やっぱりあいつらは、残酷で、汚い。汚いの」
「だから、わたしたちのような花は、摘み取られないうちに、逃げないといけないのよ」
「あなたもあぶないところだったわ。腐りかけていたのがわかったもの」
「でも、わたしは知っている。あなたが咲かせる夜の花は、とても綺麗だって」
「ねえ。見せて。あなたの夜を」
 私は後ずさりしようとして、腐った床に足が取られ、尻もちをついてしまう。
 立ち上がる間もなく、黒い影が覆いかぶさってきた。
「ねえ。どうすれば夜が咲くと思う?」
 真上から、よつんばいになった彼女が、のぞきこんでいる。上気した顔を、うれしそうにゆがめながら。
「『咲夜』の目って、とても綺麗。まるで透明なガラス玉みたい」
 
 そうだ。
 最初から、わかっていたじゃないか。
 結局、彼女とわたしは、似た者同士なんだって。 

「ねえ。かみあいっこ。しよう」
 
 だから、こんなものは、ただ、負け犬同士で、傷をなめあっているだけだ。ただ、花と花が、同じ風に吹かれてゆらゆら揺れているだけだ。今まで彼女と話していたことばは、鏡のように自己完結したものばかりで、およそ発展性も何もない不毛な内容だけじゃないか。おそろしいほどいびつなコミュニケーション。ばかばかしいくらい子どもじみたふれあい。
 そんなことは全部わかっている。
 だけど、私は、そんなものすらも、接したことがなかった。私のまわりには死しかなかった。死体は、何も言わない。何も、返さない。あの男がいなくなった世界は、ただ、私しかいなかった。そして私もまた、死体だった。
 だから、だから、こんな犬みたいなまじわりでも。他人にふれることができて。わたしは。
 わたしは。
 彼女のからだは、あたたかかった。彼女は逆に、私のからだを、とても冷たい、と笑った。
 彼女は狂っている? わたしがまともだと、誰が分かる? わたしはわからない。とっくにわたしは狂っているかも知れない。わたしにはわからない。いや。
 たくさんの否定を積み重なる。わたしはそこで止まってしまう。
「あなたは、どんな花なのかしら」
 彼女の抑揚に一瞬違和感をおぼえた。それが何なのか、わからない。
「……私は、花じゃないって言ってるでしょ」
「ハナジャナイっていう名の花なのね」
「……いいわよ。もう」
 
 だけどわたしは、もう。彼女を。

「ねえ。どうすれば花になれる?」
 彼女は、わたしにたずねる。
 だけど、わたしは。もう。
「もうじき。なれるよ」
 ものいわぬものに。彼女を。


 まっくろな窓の外が光り、雷鳴がとどろいた。
 雨粒が屋根をたたく音がした。その音は次第に大きくなっていった。
 つうん、と、まっかな死のにおいが鼻腔をくすぐった。
 彼女は、私の表情の変化に気付いたのか。「におい」を感じたのか。夢から覚めたような顔で、私を見つめたあと、何もまとわぬ姿のまま、はじけるように外へ飛び出した。
 
 
 外は、どしゃぶりの雨が降っていた。大きな雨粒でにじむ視界に、雷鳴がとどろくと、反射した裸の背中が視界に飛び込んできた。やはり、うっすらと羽根のようなものがみえる。蛇がのたくったような傷跡が残るその肌に、たくさんの雨が流れ伝い落ちている。白い煙のようなものが、裸の肩のあたりからたちのぼっている。皮膚の焼けたにおいがする。そのにおいが、どこからのぼってくるのかは、わからない。 
 彼女は立ちすくんだまま動かない。彼女が眺めているものを私は知っている。時が止まったように動けない理由も知っている。そう、知っている。
 彼女の背中がぐんにゃりとゆがんでいく。頭のなかがぐるぐるぐるぐるとまわっている。
 ――消える。消えてしまう。消えてしまう。
 吐きそうだった。たぶん私の口から出るものは、嫌な色をした、ぐちゃぐちゃの泥のようなものだ。その泥のようなものが自分のからだのなかにつまっている。そしてなにもかもが雨に溶けていく。消える。消える。消える。
 ――馬鹿なやつ。何を望んでいたっていうんだ? どうせ、こうなるのは知っていたのに。夢は夢なんだ。現実には起こり得ない夢。
 
 けたたましいサイレンが、遠くで鳴っている。
 ずっと下方に見える町が、赤く染まっていた。
 まるで、ショーウインドのなかのバースデーケーキみたいだった。ろうそくがたくさん立てられたそれは、わたしにとって遠い存在だった。まるで夢のようにろうそくの火はゆれていた。

「ねえ」
 彼女は、こちらを見ずに言った。
 その声は、なんの抑揚もなかった。
「何が燃えているの?」
 私は答えられなかった。
「知ってるんでしょ。あなたは」
 私は答えられなかった。
「さいしょから、全部知っていたんでしょ」
 私は答えられなかった。



「あなたの過去だよ」と、声がした。
 背後から、金属がぶつかりあう、耳障りな音がした。
 車椅子に座るオルゴールの男が、拍手をしていた。
「あなたにつながるすべてのものだよ」と、男は言った。「おめでとう」
 いつの間にかわたしと彼女の周囲に「やもり」たちがいた。雨に濡れた疣だらけのぬらぬらぬめる肌に返り血がこびりついていた。もう「仕事」は終わったのだ。吸血鬼殺しのなかでも、ひときわ下劣で愚鈍なやつらだけど、「蜘蛛の糸」を失ったあの屋敷に、直角の壁すらもたやすくよじのぼるこいつらを止める手立ては残っていなかったのだろう。
「わたしの庭も?」
「わたしの花たちも?」
「わたしのおとうさまも?」
「そうだ。すべては消えた。だが、悲しむことはない。あなたもすぐに消える。すべては土に還る。この雨のようにね」
 彼女は、今まで聞いたことのない声をあげた。
 それは悲鳴ともうめき声ともつかず、機械音ともけだものの鳴き声ともつかないものだった。
 彼女は、ゆっくりと、こちらを向いた。
 人間の顔ではなかった。彼女は、笑っていた。壊れた瞳で私を刺しながら、
「やっぱり知っていたのね」
「わたしをだましていたのね」
「わたしをうらぎったのね」
「あなたも、やっぱり、きたない人間だったのね」
 私は答えられなかった。
 光るものが空を舞うのがみえて、私は反射的にそれをつかんだ。
 それはナイフだった。
「仕事は最後までやり遂げなければならない」と車椅子の男は言った。
「目の前のものを掃除しろ。それがお前の仕事だ。お前の、存在理由だ」
 私は答えられなかった。
 私は答えられなかった。
 ぐるぐるぐるぐるぐるぐる、ぐるぐるぐるぐるぐるとすべてがまわる。視界にうつるものすべてがとけていく。私は何も答えられない。何も考えられない。わたしのあたまはきたない泥がいっぱいつまっている。それを吐き出さないと何も考えられない。
 気づくと、彼女は私の目の前にいた。
「ねえ。あなたはわたしにひどいことをしたの。わかるかしら?」
「わかるなら、そのナイフで死んで」
「あなただって、生きたくて生きているわけじゃないでしょ? わたしは知ってるよ。あなたはわたしをだましたけど、あなたはわたしだもの。ガラス玉みたいな目をしたわたしだもの」
「だから、わたしのために死んで。わたしもどうせ死ぬんでしょ? 死ぬのはこわくないんだ。だけど、やっぱり、ひとりは嫌なの。だから、いっしょに死んで」
 彼女の顔がどろどろに溶けていく。だけど壊れた瞳だけはそのまま、ずっと私を射抜いている。わたしのからだの中にある泥がせりあがってきている。
 彼女の手が私のナイフをつかみかけていた。
 反射的に、そのナイフを抜くと、彼女の首を切り裂いた。
 すっぱり切れた彼女の首からは、おびただしい血があふれてきた。ごぼごぼ、と彼女は血の咳を吐きながら、ゆっくりと両膝をついて、ごろり、と雨に濡れる地面に横たわった。
 彼女は、あおむけのまま、小刻みにからだを痙攣させながら、血の泡を口のまわりにためながら、じっと、私を見つめていた。
 すると、彼女が、けたけたと嗤いだした。
 彼女は、血だらけのからだを起こした。立ち上がるとき、彼女の顔が脱皮した蛇のようにずるりとむけた。
 あの男――父親の顔が現れた。
 彼女は、あいつだったのだ。
「やっぱり。あなたは。お前は。わたしと。いっしょだ」
「お前は生きているだけで周囲を破滅させる。お前の人生はどこをとっても死臭でむせかえるほどだ」
「お前は死を通じてしか他人と繋がることができない」
「だから、こんなたやすく殺せるのだ。まるで野のタンポポの花を摘み取るように、何の感慨もなく、親も、友も、殺せるのだ」
「だから殺した」
「だから殺した」
「殺すことで、やっとお前は安心できる。自分と繋がることができる気がする」
「だから殺した」
「だから殺した」
「お前は、怪物だ」
 ぬるり、となにかが頬を伝った。触れると、私の手には真っ赤な血が咲いた。いつのまにか、私の全身は真っ赤な血で塗られていた。
 彼女だけでなく、たくさんの血まみれの人間たちが、私をとりかこんでいた。首がざっくりと切れて落ちかかった子ども、歩くたびにその身の丈に似つかわしくない長いはらわたを脇腹から揺らしている少女、歯の無い血まみれの口を半開きにさせている男、切り裂かれたお腹から胎児を抱えている妊婦――私が、殺した人間たちだった。
 それらは、いっせいにつぶやいた。
 どうして私たちを殺したの。
 どうして私たちを殺したの。
 どうしてあなたは……生きていられるの?
「ぎゃはははははは」
 彼女が笑う。父親の顔を持つ彼女が笑い続ける。
「うおああああああああああっ」
 私は叫びながら、彼女の顔にナイフを刺した。すると、みるみるうちに彼女の顔はどろどろに溶けていった。やがて、むきだしになった彼女の頭蓋から、吐き気を催すほどの甘やかな匂いがたちこめてきた。溶けて空洞となった彼女の眼窩から、何かがのぞいた。青い薔薇だった。血に濡れた青い薔薇が、彼女の頭蓋のなかに咲いていた。
 彼女は――お父さんは、薔薇だったのか。物言わぬ、美しい花だったのか。
「そうだ。お前は。殺してはいけないものを殺した」
 血まみれの人間たちがつぶやく。
「お前は美しいものを汚した」
「醜い怪物のお前が」
「罪を贖うこともなく、何故生きている?」
 やつらは、ゆっくりと近づいてくる。
 私は次々とナイフで切り裂いた。切り裂いたからだから、どろどろとしたまっくろのものがふきだしてきた。どす黒い薔薇だった。薔薇の花びらは私のからだに付着すると、次々と「むかで」に変わった。「むかで」は私の腹にへばりつくと、そのまま腹のなかへ侵入してきた。ごりごりと嫌な咀嚼音が腹のなかから聞こえてきた。こみあげてきたむかつきに嘔吐すると、血のなかにたくさんの白いうじむしが混じっていた。私のなかは腐った肉でいっぱいだった。
 やっぱり私は花じゃなかったんだ。けがらわしいからだをもつ人間、いや――怪物だ。
「うああああおおおおおっ」
 まわりには、私の肉を食べようと死体どもが群がってくる。死ね。死ね。死ね。死んでしまえ。けだもののように私は叫びながら、近づいてくる死体どもめがけて駆けた。妊婦の膨らんだ腹をナイフで切り裂くと、なかからポップコーンのように薔薇がはじけでた。「ぎゃはははははは」と笑い声が聞こえる。ふとみると、妊婦も彼女だった。死ね。死ね。死ね。みんな。みんな死んでしまえ。私は近づいてきた腐った少女の額にナイフを刺そうとした。少女の顔がある部分には、青い薔薇の花が咲きほこっていた。
「ぎゃはははは」
「ぎゃはははは」
「ぎゃはははは」
 彼女の笑い声がぐるぐるぐるぐるぐるぐるぐるまわっている。みんなみんなわたしをわらっている。死ね。死ね。死ね。殺してやる。みんな殺してやる。殺してやる。殺してやる。殺してやる。ぐるぐるぐるぐるぐる。ぐるぐるぐるぐるぐるまわっている。まわって。ころして。わたしは。わたしは。わたしは。


 
 気づくと、世界は、静寂だった。
 わたしは、濡れた草のなかに倒れていた。
 雨は、止んでいた。
 どれくらいの時間が経ったのだろう?
 静寂をかきみだす耳障りな音がした。黒いものが飛んでいた。ハエだった。
 ハエは、草むらのあちこちで、馬糞のようなものにむらがっていた。
 「やもり」たちだった。
 まるで、屠殺場だった。その肉のかたまりは、ハエたちがびっしりとむらがって真っ黒になっていた。
 異臭をふくんだ風にのって、ほのかに、オルゴールの音色が聞こえた。ひどくゆっくりと、まのびしたメロディだった。
 音楽は、オルゴールの男が座る車椅子から流れていた。車椅子に座る男には、首から上が無かった。男の右腕のジャケットの袖は切り裂かれ、たくさんの歯車が組み込まれた機械の腕がむきだしになっていた。その歯車の一部がゆっくりと動き、腕の中央にある筒状のシリンダーを回転させていた。シリンダーに植えつけられたピンが、隣にある櫛歯を弾き、音楽を奏でているのだった。
 なんていう曲だっただろう? わたしにはわからない。
 死体のなかに、彼女もころがっていた。
 原型をとどめないくらい、めったざしになっていた。ガラス玉の瞳は、白く濁っていた。
 かわいそうなひとだ、とわたしはおもった。わたしみたいなあたまのおかしいひとにであわなければ、あわなければ、あわなければあわなければあわなければ吐き気が死。ガラス玉が汗むきだしに彼女の裸。のすえたにおい真っ赤に鎖骨。ふくらみかけた唇に血が臓物。の薔薇が瞳のなか血。血。血。血。血。
「ひ、ひひひひ。ひひひひ」
 だれ
 かがわらっている。
 ナイフが笑うと、こんなようにわら
 うのかも知れない。
「ひひひひひ。ひひひひひ」
 頭
 がかゆくなってきた。
 かきむしろうとすると、雑巾で拭いているようなぐにゅぐにゅした感触がするばかりで、かきむしれない。
 手をみると、真っ赤になっていて、指がみんなありえない方向に曲がっていた。
「ひひひひひひひひひ。ひひひひひひ」
 ナイフ
 はわらいつづけている。
 おとうさんはどこにいってしまったのだろう?
 おうちにかえりたいのに。
 いつのまにか、あたりはまっくらだった。
 なにも、みえない。
 そうだ。わたしは、かくれんぼをしていたんだ。
 だれも、わたしを、みつけてくれない。
 わたしは、ひとりで、じんじゃの、うらですわっている。
 もう、かえらないといけないんだ。
 ナイフが、いつまでもわらっている。
 こわい。こ
 わい。
 かえりみちは、どっちだろう?
 かえりたい。かえりたいよ。
 あたまがかゆい。ナイフがわらっている。
 あしもとに、ナイフがころがっていた。
 おひさまにあてたビー玉みたいに、ぴかぴかだった。
 口にふくんでしゃぶると、すずしいあじがするんだ。
 そうだよね。おとうさん。
 わたしはナイフをひろって、それを口にいれようと




「そんなやりかたで死ぬことはないわ。咲夜」
 声が、聞こえた。
 ちょうちょみたいにかろやかで、とてもきれいな声。
 そうだ。その声は、わたしの、わたしだけの、天使様の声だ。
 かえりみちを、おしえてくれたんだ。
「れみりあさま」
 おおきな月にてらされて、いつものドレスではなく、白いワンピース姿だった。雨に濡れてしまったのか、白い肌が透けてくっきりとみえる。しみひとつない、とてもきれいな肌。たぶんこの世で一番きれいなのだろう。やっぱり天使様だった。だから、それを伝えるべきだとおもった。
「あなたは、天使です」
「吸血鬼を捕まえて天使だなんて。おかしいわね」
「だって、天使だから」
「咲夜、どうしたの。少し、おかしいわ」
「きづいてしまったのです。わたしがどんなにけがらわしいものかって。わたしは、みんな、ころしてしまいました。わたしを、さがしてくれるひとは、いなくなってしまいました。そんなわたしを、あなたは、みつけてくれた。まっくらなこわいところから、すくいだしてくれた。あなたは、わたしの、天使です。わたしには、あなただけです。あなたは、わたしの、すべてなのです」
「――咲夜、もしわたしが、わたしのために、死んでほしいと言ったら、どうする?」
 死。
 それこそが。
 天使様に近づける。
 たったひとつの、わたしの、のぞみ。
「よろこんで」と、わたしは言った。
 レミリア様は、何故かすこしだけ、その美しい眉をしかめたようにみえた。
「じゃあ、死んで」
 レミリア様が、わたしの前にナイフを投げてよこした。
 拾おうとすると、指という指がへし折れていてうまく拾えなかった。だからわたしは手のひらにナイフを突き刺して、強引にナイフを握らせるしかなかった。
 ぶかっこうだけど、死ぬには、じゅうぶんだった。
 わたしは、ひといきに自分の胸に突き刺した。
 深々とナイフが突き刺さったわたしの胸からは、だけど、なにも、ながれなかった。わたしは花でも人間でもなく怪物だからだろうか?
 涙があふれてきた。
 せっかくレミリア様が死んでと言ってくれたのに。
「――本当に、おねえさまのことは。なんでも聞くんだね。咲夜」
 レミリアさまは、わたしの頬の涙をぬぐってくれた。
「だけど、わたしはわかっていたんだ。わたしとあなたと、ねっこが一緒だってね。だからあなたは、わたしをけぎらいしていた。だれだってみにくい自分は見たくないから。だけどほんとはね、わたしたち、友達になれるはずだったの。いや……そう、ほんとうの姉妹になれるはずだったの」
 レミリア様がふしぎなことを言っている。たぶん、レミリア様も、困っているのだろう。わたしが死んでくれないから。ほんとうにわたしはだめなやつなんだ。おとうさんもいっていた。おまえはこのわたしがいないとだめなんだって。やっぱりわたしは……ひとりじゃだめなんだ。
「レミリアさま、ごめんなさい。ごめんなさい。どうも私は、死ねないみたいです。たくさんのものを殺してきたのに。やっぱりわたし、かいぶつだったの。ごめんなさい。ごめんなさい。おとうさん」
「……いいのよ。ここはあなたとわたしだけの世界。咲夜、あなたはずっとここでわたしと一緒にいるの。ずっと、ずっとよ」
 レミリア様が、わたしのからだを抱いてくれた。いま、わたしとレミリア様をへだてているのは薄い下着一枚だけだった。その肌のやわらかい感触が、なにもわからないでいるわたしを安心させてくれた。レミリア様は、ほんとうにやさしい。
「ここでは、なんでもおもいどおりにできるよ。咲夜、あなたのためにわたしはおねえさまになってあげる。好きなこと、なんでもしてあげる。だから、ずっとここにいようね。もうわたしたち、ひとりぼっちにはならないよ。ずっとふたりっきり」
「……なんでも、おもいどおりに?」
 のぞみ。
 それは。
 さいしょから決まっている。
「レミリア様。わたしを、ころしてください。永遠に、いっしょにいさせてください」
「わかったわ」
 レミリア様が、ワンピースの肩ひもを外した。音もなく白い布は落ちて、まっしろな胸があらわになった。
「こっちきて」と、にっこりわらった。
「かみあいっこよ。あなたもすきでしょう?」
 これは夢なのだろうか。わたしにはわからない。わからないから、わたしは「これは夢でしょうか」とたずねてしまった。
 レミリアさまはにっこりとわらった。
「夢でもなんでも。いいじゃない」
 レミリアさまがそういうなら、わたしはなんだっていい。
 だけどわたしはこわかった。こわいのだ。
「でも。でも。わたしのきたない血をのむと、レミリアさまがよごれてしまいます。わたしは、とてもかなしいです。レミリアさまだけは、すこしもよごれないでいてほしいのです」
 レミリアさまは、なぜか、とてもかなしい目をした。だけどすぐに、またにっこりわらった。
「いいのよ。だって、わたしだって……」
 くびすじに、ちくり、としたいたみがあった。すぐにあたまがぼうっ、としてきて、わたしはねむくなってきた。やっと、れみりあさまが、ころしてくれた。ねむたくしてくれたんだ……。



 ――抱き合うふたりの姿を、ネコジャラシの草の間から、呆然と眺めている、ひとりの吸血鬼がいた。
 レミリア・スカーレットだった。



17「夢の終わり」


 現実か夢かもわからなかった。現実にしてはあまりに突飛すぎた。まるで映画のセットのなかに迷い込んでしまった気分だった。その映画の主演は、十六夜咲夜と、フランドール・スカーレット。
 レミリアは、雨に濡れたネコジャラシに触れると、ひんやりと冷たかった。指先には、水滴がついていた。
 夢ではなかった。
 じゃあ、これは一体なにが起こっているんだ?

 *****

「ふたりが同じ夢を見ている? それがなんだってのよ」
 霊夢が鶏男に説明を促しているときに、それは突然起こった。
 フランの周囲の空間のあちこちに、「ひび割れ」が生じ始めたのだ。
 何もない空間にできたひび割れに、レミリアはおっかなびっくり触れてみた。すると、「空間」は剥がれ落ち、いびつな形にできた隙間の向こうには――たくさんの花が咲き誇る夜の庭園が広がっていた。
 なんだ、これは?
 レミリアは、どこか、その庭園に見覚えがあった。
 間違いない。私はこの庭園を知っている。しかし……どこで見たのか、思い出せない。
「これは……まさか。いや、そんな馬鹿な」
 鶏頭が、顎から垂れ下がった赤い肉髯を、ぶるぶると震わせる。
「今度は一体なにがはじまったっていうのよ?」との霊夢の問いに、
「夢が完全に一つとなり……今度は夢が現実を食い始めている」と、答える。
「……咲夜が完全にフランに取り込まれた結果、空間と時空すらフランは破壊できるようになった、ってことなの?」
 パチュリーの問いを鶏頭は無視して、
「ありえない。こんなバカなことが。お嬢様。私は帰らせていただきます」
 鶏頭は、隙間のなかに帰ってしまった。
「ちょっと! 勝手に逃げないでよ! くーっ、こんなんだったらから揚げにしとくんだったわ!」
「ってことはどういうことだよ。私たちは、あいつの夢のなかに取り込まれるってことか?」
「フランの夢だって……?」
 ――ふいに、レミリアは思い出した。
 この庭園を。
 これは、子どもの頃、私たちが住んでいた屋敷の庭園じゃないか。
 物言わぬ花が好きな「あのひと」がひとりで作り上げていた世界じゃないか。どうしてこんなものが。
 その庭園には、ひとりの少女がたたずんでいた。
 白いワンピースを着た金髪の少女は、空に浮かぶ大きな月を、まぶしそうに見上げていた。
 レミリアはその少女を一目見て、すぐに気付いた。
「――フラン?」
 その顔はまるで別人のようだし、背中には羽根も生えていない。だけど、あの瞳は、あやうげで脆そうな瞳の色は、間違いなくフランだった。
 レミリアは、思わずそのひび割れに顔を突っ込んだ。すると、いびつな空間の隙間はたやすく割れ、そのままレミリアは――ひび割れの向こうの世界へと落ちてしまったのだ。

 *****

 そして、レミリアが落ちた先は庭園ではなく――濡れたネコジャラシの上だった。
 わけがわからない彼女がまわりを見渡すと、あちこちにぬいぐるみが転がっていた。どれもこれも、おなかや腕や頭が切り裂かれている。
 そして――咲夜とフランが抱き合っているのを見たのだった。
 両膝をついた咲夜は、フランの首に両腕をまわしたまま、ぐったりともたれかかっている。
 フランは、そんな咲夜の銀色の髪をやさしく撫でながら、
「……咲夜。これからはずっといっしょだよ。ずっと、ずっと」
 そう、つぶやいていた。
「咲夜、あなたが望むおねえさまって、どんなおねえさまなのかな。いつもどおりにマンガで笑い転げてるおねえさまでいいの? でも、わたし、知ってるんだよ。ほんとうはおねえさまの奴隷になって、はしたないことをしてほしかったんだってね。咲夜のことはぜんぶわかるのよ。だってここはわたしと咲夜の世界だもの」
 フランはうれしそうに咲夜の髪を撫でていた。だけどその瞳は、咲夜を見つめているようでいて、どこか遠くを見つめているようにうつろだった。
 今までにない異様な表情に、レミリアは戦慄した。
 フランは、ほんとうにこわれてしまったのではないのだろうか?
「ふ、フラン……?」
 レミリアが思わず声を出すと、フランがくるり、と振り向いた。
 そして、うふふ、と、いたずらっぽく笑った。
 もしかして、気づいていたの?
 フランは呆然とするレミリアを無視し、くったりしている咲夜を抱いて、ツルがからまった古い小屋の朽ちた扉の中へ消えていった。
「フラン!」
 レミリアはあわてて足をひきずりながら古い小屋に駆け寄ると、その扉を開けて、光がまったく見えない闇のなかへと足を踏み入れた。

 
 暗闇の通路は、歩けども歩けども行き止まりにならなかった。
 明らかに、小屋の大きさではなかった。
 身体のあちこちの傷をかばいながらたっぷり五分ほど進むと、ようやく向こう側がほのかに見えてきた。
 ランプの光だった。まっくらな通路はそれ以外には何も見えず、点々と並ぶランプの光だけがぼんやりと輝いていた。
 通路の突き当りにはひとつの部屋があった。その部屋の扉がわずかに開いており、光が漏れている。
 レミリアが慎重にその扉の隙間から覗き込むと、部屋のなかで、フランが誰かの背後に隠れるように立っていた。今の彼女よりも少しだけ背が低く、頭でっかちな体型をしていて、帽子の赤いリボンが大ぶりにみえる。
 ――これは、幼い頃のフラン?
 レミリアは思い出した。この陰気な、まるで牢獄のような地下室を。
 フランの前には、東洋風の学生服だか運動服なのかわからない不思議な衣装をまとった、とても見覚えのある背中がある。
 今、美鈴は、フランを背にして、険しい表情を浮かべながら、目の前の誰かと話をしている。
「――フランを、外に出すだって?」
 ひどく痛めつけられた喉から発せられたような、しゃがれた、それでいて神経質なかすれ声。
 「あのひと」だ。……私とフランの、母にあたるひと。
「美鈴、おまえもわかっているでしょう? この羽根を持つ者がいることを『あいつら』が嗅ぎ付けたら。東の島国だろうとも、本国のやつらはやってくる。吸血鬼にとって、太陽さえなければこの世界はとても小さいものなのだから」
 美鈴とフランに遮られて、母の姿は見えない。しかし、明らかに怒気をはらんだ声だった。
「……わかっていますが。しかし……だからといって、一生地下だけで過ごすというのは、あまりに」
 必死に話す美鈴の言葉をさえぎるように、
「おまえは知っているでしょう。私が、どんな仕打ちを受けたか」
 そこで、しばらく、母の、荒い息だけが聞こえた。
「外はね。穢いのよ。物言わぬ花だけじゃない。きれいな花だけじゃないの」
 美鈴は一瞬、憂いに満ちた目を向けたが、すぐに、にんまりと笑った。
「そのときは、またこの美鈴が救っちゃいますから。大丈夫ですよ」
「わかっているのよ。美鈴、あなた、もうあんな力、出せないでしょ。いくら身体が頑丈といっても、吸血鬼どもの攻撃をまともに受けて、身体の大部分を失って、ただですむはずがない」
 美鈴は、しばらく無言だったが、やがて、うふふ、と笑い、持ち上げた右腕で握りこぶしを作る。
「……要は、力の使いようですよ。この肉体のなかにある、気といわれる概念があるんですがね」
「いいよ。美鈴は、無理しないでいいよ」
 美鈴の後ろでじっと立っていたフランが、言った。
「私が。わるいやつ、みんな壊すから」
 そっけなく、無表情のまま。
「だからおかあさま。地下から出ましょう。私、おねえさまと一緒に夜の外を散歩したいの。あの、夜でもぴかぴか光っている人間のまちに行ったりしてみたいの」
 しばらく沈黙が流れた。
「おいで。フラン」
 フランは、じっ、と前を見つめたあと、おずおずと、前方に歩み寄る。
 立ったままのフランの髪を、痩せた腕が何度も撫でていた。
「偉い子ね。フランは」
「……」
「でもね。おまえは私とここにいるの。あの子は、ほら、羽根が違うでしょう? 私たちとは違うのよ。だから外に出てもいいのよ」
「……羽根が、おねえさまと違うのが、悪いの?」
「そう。私たちの羽根は、運命に呪われた証拠。運命に選択されたあの子とは、違う」
「……私は、おねえさまと、違う」
 頭を撫でられながら、フランは、無表情で、そうつぶやく。
 美鈴は、悲しげな目で、そんなふたりを見つめている。
 

「あの子はね、穢れた外にあこがれているの」
 美鈴が去っていったあとも、フランは立ったまま、痩せた腕に抱き寄せられていた。
「『あいつら』の穢れた血がたくさん入ってしまったのね。だから、穢れているの」
「……おねえさまが、穢れている?」
 フランは、ぎろり、と目を母に向ける。
「おねえさまは、あんなに輝いている。よごれてなんか、いない」
「そんなにあの子が、好きなの」
「好きよ。大好き。おねえさまからは、とてもいいにおいがする」
「あの子はね。いつか私たちから離れていくわ。夜に咲く花は、決して太陽に触れることはできないのよ」
 フランは、驚いたように目を見開く。
「……おねえさまが、いつか、離れる?」
「あなたには、みんなが胸にバラの花を咲かせてるのがみえるでしょう」
 フランは、みじろぎひとつしない。
「レミリアには、それは見えないわ」
「それが、呪い。私とフランだけに科せられた咎」
「生きとし生けるものすべてが花にみえる。きれいな花を、摘み取りたくなる」
「怪物なのよ。フラン。私たちはね」
「だから、きっとおまえは不幸になる。私みたいに、不幸になる」
「それが運命なのよ」
「だから。私たちはずっと一緒にいるべきなのよ。ここで、一緒にいるべきなの」
 フランは、しばらく押し黙ったあと、無表情のまま、
「おねえさまは、離さない」と、言った。
「おねえさまは、わたしだけのおねえさまだもの」
「不幸になってもいい。怪物だっていい。わたしは、おねえさまがいればいい」
「もし、おねえさまを奪ってしまうものがあれば……みんな壊してやる」
 突然。
 けたたましい嗤い声が、した。ひどく耳障りな、嘲笑だった。
「そう。みんな壊したくなるのさ。自分の愛するものまで、すべてね。ひとを好きになると、破滅させずにいられない怪物なんだ」
「ほら、おまえだって、あの子を壊したいんじゃないのか? あの子の苦しむ姿を、ほんとうは見たいのだろう? 胸の小さな薔薇を摘み取ってしまいたくなるのだろう?」
 フランは、怯えたような目で、
「ちがう」と、小さくつぶやく。
「私にはわかるよ。だって、おまえは私だから。おまえのことは、何よりもわかるんだ」
「ちがう。わたしは、おねえさまみたいに……」
 再び、嗤い声がはじけた。
「呪われた羽根を持つおまえが、あの子と似ているだって?」
「まだわからないのか? 私は、おまえなんだ。他人からみれば、私たちはそっくりだよ」
「ちがう。ちがう。ちがう!」
 フランは、抱き寄せようとする痩せた左腕を振り払った。
 左腕は、拒絶されたショックでわずかに震えたが、フランに向けて、再び伸びていく。
「お願い。フラン。私と一緒に死んで。離れないで」
 フランは、怒気をはらんだまなざしで、ある一点を見つめている。
「来るな。来るな。来るな!」

 フランは、右腕を伸ばして、何かを摘み取るように、握りしめた。

 一瞬、沈黙が流れ――

「フラン。おまえは。やっぱり怪物だよ」

 嗤い声がした。

 長い、長い沈黙が、流れた。

 ――レミリアは、たまらず、部屋の中に入った。

 牢獄のような部屋で立ちすくんでいるフランの目の前には、車椅子が置いてあって――その上には真っ赤な薔薇の花びらが散っていた。

 その花びらを見るフランは――まるで、恋こがれているような、恍惚とした表情を浮かべていた。

 ふいに、フランが振り向いた。
 レミリアと目が会うと、フランは目を見開いた。
 唇をわななかせると、
「ちがうの」
 と、言った。
「わ、わたしは……わたしは、」
 フランは後ろを振り向くと、さらに奥に続く扉を開けて、そのなかへ逃げていく。
「ま、待って、フラン!」
 レミリアは、フランのあとを追ってその扉に入った。



 扉の向こうは、部屋ではなかった。薄暗いランプの光に照らされたグランドが、広がっていた。
 呆気にとられたレミリアが後ろを振り向くと、いつのまにか、フランの「幼稚園」となっている。
 ――元に戻ってきたの? いや、でもこの幼稚園は、今と少し違う。
 レミリアは砂場のあたりで、誰かが犬と遊んでいるのをみた。
 ――私は知っている。あの犬を。あれは「ひとりでは寂しいでしょう」と、美鈴が人間の街で買ってきたチャウチャウだ。「それ、食べる犬でしょ」と言うと、美鈴は、「こうみえて、主人には忠実なんですよ。警戒心も強いですけどね」と言ったんだ。
「フランがどこに行ったのか、あなた知らない?」
 そして、その犬に向かって何かを話しているあの子供は――
「ううーじゃないわよ。わかる言葉で話しなさいよ」
 そう。あれは、今より少しだけ背が低いレミリア自身だった。
 なかなか自分の子どもの頃を見るのはこそばゆいものだ、と思っていると、その小さいレミリアはチャウチャウにお手をしようとして、思い切り手を噛まれた。ぎゃああっ、と悲鳴をあげて、噛まれた手をふーふーしている。
「ちくしょう! なにすんのよこの駄犬!」
 犬は、うううーと唸り声をあげている。明らかに警戒している。
「なにがううーよ!」
「ううううう」
「……わかったわ。あなたのいうとおりよ。対等な立場で戦ったうえで、わたしのすごさをそのしかめっつらにかみ締めさせてやるからね!」
 四つんばいになり、うううーと唸り声をあげる自分の姿をみながら、レミリアは我ながらバカじゃないかと思ったが、まあ過去のことだ。吸血鬼だってたまにはハメを外すものよ。と自分を納得させた。
 しかしそのまま犬と本気で取っ組み合いをはじめたときはちょっと不安になった。もしかすると自分はこんなアホにみえるのだろうか。
「い、犬のわりになかなかやるわね……」
 レミリアは、チャウチャウにのしかかられながらも、その口を両手で横にひっぱっている。
 吸血鬼とチャウチャウの本気のレスリングはそれからも続いた。そして奇跡というかなんというか、次第に犬の声が、ちょっと甘えるように変わってきていた。尻尾も振っている。
「くーん。くーん」
 レミリアに頭をこすりつけてくるチャウチャウをみて、おおおーとレミリアは心のなかで声をあげた。やっぱり私のカリスマ力はすごいわね……。
「ふっ……よ、ようやく私のカリスマに気づいたようね」
 子どものレミリアもそう言った。どうやら子供の頃には既に私は完成されていたようね、とレミリアは思った。

 事が起きたのは、突然だった。

 チャウチャウのからだが、くったりとレミリアにもたれかかってきた。レミリアはちょうどチャウチャウに組み伏せられるような状態になった。
「ちょ、ちょっと! あんた犬のくせに私に抱きつこうだなんて……」
 あわてながらレミリアが犬の四肢をつかむと、簡単に犬はごろんと転がり、そのまま地面に横たわった。
 だらんと舌は垂れたままで、半開きの眼は、白く濁っていた。
 彼女は、呆然としていたが、やがて「その」気配に気づくと、勢いよく振り向いた。
 右手を握り締めたフランが、ぼんやりと立っていた。
 何をしたのか、自分でもわかっていない顔だった。
 レミリアも、地べたにあおむけにまま、呆然とフランを見上げていた。
「……おねえさま。血が」
「……え?」
「血が。流れている」
 フランは、レミリアの破れたドレスの下から流れる血を見つめていた。
「おねえさまの血が、流れているよ」
 フランは近づこうとすると、レミリアはびくり、と身体を震わせた。
 フランの表情が、どんどん失せていった。
 フランは、見たのだ。
「姉」が自分に注いでいる目を。
 理解できない、得体の知れないものを見る目を。
 フランの顔がゆがむ。まるで、声もなく悲鳴を上げるように。
「――ごめんなさい。あたまがおかしくて、ごめんなさい」
 彼女は、そのまま「幼稚園」の中へ駆け出していった。
 過去のレミリアは、動かない。
 動けないのだ。
 名状しがたき恐怖に囚われていたのだ。
 妹のなかに巣食う「怪物」に。
「――フラン!」
たまらず、レミリアはフランを追って再び幼稚園の扉をくぐる。


 幼稚園の中は異様にだだ広かった。またしても、場面が切り替わったのだ。進んでいくと、やがてグランドは草木の生える茂みに変わり、やがてそれに木々が混じり、あたりは鬱蒼とした森と変わる。
 薄暗いけものみちを、枯れ枝を折り、堆積した腐葉土を踏みながら進んでいくと、やがて、あたりに、血なまぐさいにおいが充満しはじめた。
 レミリアは、あちこちに赤い切り株のようなものが転がっていることに気付いた。
 徹底的に破壊された死体だった。
 レミリアは、その切り株のような死体の着ている衣服におぼえがあった。
 白を基調とした上着に、紺のプリーツスカート。血にまみれていたが、おぼろげにおぼえていた。
 お祭りにまぎれた日に出会った人間の学生たちだった。
 陽気な連中で、盆踊りに混じってトランシルヴァニアでおぼえた奇怪な棒踊りで踊り狂っているレミリアのことを「超ファンキーな幼女」と大層気に入り、意気投合して、「今度の学園祭で一緒にダンスを踊ろう!」と言っていた連中だった。
 そのことを美鈴に話すと、困ったような笑顔で、「あまり目立たないでくださいね」と言っていた。
 美鈴に話したのだ。フランにも当然話した。フランの反応は……あまりおぼえていない。きっと、いつものように微笑んでいたはずだ。
 その後、彼女たちの学校で待ち合わせをしたりして何度か会ったりもしたのだけど、ある日を境に、ふっつりと現れなくなってしまった。それが大変悲しかったことをおぼえている。
 ……それが、まさか。
 レミリアは、その血みどろの切り株すべてに、作り物の羽根がつけられているのに気付いた。
 それが自分の羽根そっくりであることも。
 ――目の前の薄い闇の奥から、笑い声のような、悲鳴のような絶叫が、響いていた。
 救いを求めるような、悦びに打ち震えるような、怯えで泣き叫ぶような……異様な叫び声は、いつまでも、いつまでも、こだました。
 呼んでいるのだ。と、レミリアは感じた。
 だが、動けなかった。両足が、がくがく震えていた。まるで自分のものじゃないみたいだ、とレミリアは思った。
 まったく、身体は正直なもんだ。今、私は、怖くてしょうがない。だって、これから会おうとしているのは、私を自分のものにしたいと願うあまりに私の周囲を壊し、そして私をも壊してしまうことをずっと考えていて、それを実行する力を持つ怪物なのだから。
 だけどその怪物は、私と似た姿をした、世界でただひとつの妹なんだ。
 私を愛してくれて、いつも私のやることを笑ってみてくれている優しい子なんだ。
 進め。進むんだ。私はここまで来たんだろ? たとえそれが、破滅しかなくても。
 レミリアは、前を見やる。足のすくみが、ようやく止んだ。
 そして、悲鳴のもとへと歩み始める。
 


 暗闇のなかを進むと、フランの姿は無く、代わりに白いドアがあった。
 それは金属の棒でロックをかけるタイプのドアだった。白いペンキが塗られたドアのベニヤの一部がはがれかかり、ささくれ状になっている。
 レミリアは、そのロックを指で引っ張って解除すると、ゆっくりと開けた。
 ドアの向こうは、タイルの壁で敷き詰められた空間だった。彼女の触れているドアノブもふくめて、同じような衣装棚くらいの大きさの白い部屋が並んでいる。戸惑いながらレミリアが再びそのドアを開けると、そこは白い洋式便器があった。
 幻想郷にやってくる前の「向こう」でよく見かけたもの――公衆便所だった。
 公衆便所から外に出ると、あたりは闇夜だった。
 そのとき、夜の空に、チカチカまたたくまばゆい光が見えたと思うと、空いっぱいに広がっていった。
 見たのはもう百年ほど前になるだろうか? 覚えているのは、まるで子どもの頃に見た極彩色の夢のような景色だった。
「向こう」に居たころ、人間の街で見かけたもの。
 花火だった。
 ――ここは、フランと外で一緒に遊んだ、最後の場所。
 彼女の目の前には神社の鳥居があった。鳥居の前にはスクランブル交差点があり、その真ん中に神輿があった。せせこまい神輿いっぱいに半被を着た男が乗り、灰皿状の真鍮を、バチで叩いている。神社の境内はさまざまな屋台が並んでいて、浴衣姿のたくさんの人影でしきつめられている。
 しかし、ただひとつの音も、この世界には存在しなかった。
 レミリアは、そこにいる人間たちの顔が、現実と異なることに気づいていた。
 みんな、あるべき顔が花になっていた。ひまわり、沈丁花、紫陽花、山茶花……さまざまな花が浴衣の身体の上から咲いていた。境内を埋め尽くすたくさんの人影のために、そこはまるで花畑のようだった。ゆるい風にあわせて、神輿から、花びらが舞い落ちる。音の出ない真鍮を叩きながら揺れるからだにあわせて、花びらがこぼれ落ちている。
 ――ここは過去ではない。言うなれば、過去をフランが再構築した世界――フランの夢そのもの、なのか。
 レミリアは、人影をかきわけ、音のない神輿の間を通り、鳥居をくぐりぬける。
 花の顔をした人間たちですっかり花畑と化した神社の境内をまっすぐ進むと、ふいに、人影が無くなった。
 誰もいない社の門の前に、ひとり、「彼女」は立っていた。
 彼女は、薔薇の模様がはいった着物を羽織っていた。着物の帯はゆるんで胸元が大きく開いており、まっしろな肌があらわになっていた。彼女は右手に鎖を持っており、その鎖は地面に垂れて、彼女の後ろまで伸びている。
 彼女は、その顔を狐のお面で隠していた。そのお面の下から、赤い液体がもれだし、白い首元に垂れ落ちていた。
 孤島にただひとり取り残された鬼だ、とレミリアは思った。他人という存在から遠ざかり、自分がなにものかも忘れてしまったもの。
「ここにいたのね。フラン」と、レミリアは言った。
「ここまで来たのね。おねえさま」と、フランは言った。
 狐の仮面ごしのためにくぐもった声は、わずかにかすれていたが、とてもはしゃいでいた。まるで媚びすらかんじるほどに。
「うれしい。私、ここにおねえさまがいれば、まるっきりあの日みたいになると思っていたの」
「ここには音が、無いわ」
 彼女は、沈黙した。レミリアの周囲の空気が、一気に重くなった。
「うるさいのは、嫌いなの。わたし、花って、好きよ。何も言わないし、私から逃げないから」
「ここは、あなたが創ったの。フラン」
「そうよ。すごく、いいでしょ。まるで夢みたいにね」
「私には、ひどく寂しくみえるわ」
 狐のお面から、笑い声が響いた。
「寂しい。そうね。おねえさまには、そう思えるかもね」
「……みんな、あなたを待っているのよ。そんなお面なんてもう要らないわ。一緒に帰りましょう」
 あははは、と彼女は乾いた笑い声をあげながら、狐のお面を外した。
 そこにいるのは確かにフランドール・スカーレットだった。だが、もはやレミリアの知っているフランドール・スカーレットではなかった。彼女は眉や頬や口を赤く塗りたくっていた。そこに浮かび上がるように真っ白に輝く双眸は、まるで死んだように穏やかでいて、幾層にも屈折した光でぎらぎらと輝いていた。
 穏やかな狂気に彩られた瞳をレミリアに向けながら、フランは口元に、わずかに笑みを浮かべていた。
「おねえさま。いま、わたしを、怖いと思ったでしょ」
 レミリアは、すぐに返事ができなかった。
 フランは、そんな姉の姿をみて、微笑んでいる。
「わたしを待っているひとなんて、どこにもいないよ。わたしは帰らないわ。ずっとここにいるよ」
 レミリアは、ごくり、と喉を鳴らした。
「……フラン、ここは、ただの夢よ。幻なのよ。こんなところで、ずっとひとりでいるつもりなの?」
「ひとりじゃないよ」
 フランは、右手に持っていた鎖を引っ張ると、「咲夜」と言った。
「……はい」
 じゃらじゃらと鎖が地面を滑る音が響き――フランの背後から現れた咲夜を見て、レミリアは、ぎょっとした。
 咲夜は、四つんばいだった。ふちなし眼鏡をかけ、首に首輪をつけており、その銀髪にはお祭りで売ってるような、子供用のおもちゃの犬耳バンドがついていた。その瞳は、まるで今も夢から覚めていないかのように、どんより虚ろだった。
 ――これが、あの咲夜、なの? 
 あの冷たい瞳が、完全に……欲に濁りきっている。
「ほら、『お客さん』がいるから、挨拶して」
 咲夜は、四つん這いのまま、卑屈な笑みを浮かべる。
「はい。私は、十六夜咲夜です」
「咲夜は何なの?」
「私は犬です。レミリア様の犬です」と、咲夜は、レミリアのほうを向きながら言った。その空虚な瞳は、レミリアを見ているようで、何も見てはいないようだった。
「犬の望みはなんなの?」
「はい。レミリア様にころされることです」
「犬ころみたいにみじめに殺されてもいいの?」
「はい。レミリア様になら、なにをされてもいいです」と、咲夜はうれしそうに言った。まるで白痴のような笑顔だった。
「咲夜は、とてもきたないんだよね」
「はい。咲夜は、けがわらしい生き物です。だから、レミリア様のきれいな手がよごれないように……きれいなままでいてくれるように……蹴ったり、むちでぶったり、ナイフでさしたりしてください」
「おしりをぶたれるの、好きだもんね?」
 咲夜は、フランの言葉にうれしそうに頬を染める。
「またぶたれたいの?」
 そんな咲夜を見下ろしながら、フランはひどく残酷そうに笑う。
「やめて! これ以上、やめてよ!」とレミリアは叫んだ。
「フラン……これ以上咲夜を侮辱しないで。みじめな姿をさせないで。お願いだから」
 フランは、うふふ、と笑う。
「おねえさま、勘違いしないで。これは、咲夜が望んだものなの。ここはもともとわたしだけの世界だった。わたしがひとり遊びするところだった。そこに、咲夜がやってきてくれたの。わたしは言った。なんでも咲夜の好きなようにしてあげるってね。咲夜は選んだわ。それが、この姿なのよ。咲夜はね、おねえさまの犬になりたかったのよ。何も考えず、ただおねえさまに鳴いたり、甘えたり、命令に従うだけの犬になりたかったのよ」
「違う! 咲夜はそんな人間じゃない!」
「おねえさま。みんなね、ほんとうにしたいことはね、こっそり隠しているものよ。おねえさまも見たでしょ? 咲夜の、夢」
 フランの瞳が、あやしく輝く。
「咲夜は、とても疲れていたわ。誰にも頼らずに、ずっとひとりぼっちで生きてきたから。ほんとは、すがりつけるものをずっと望んでいたのね。そして、咲夜は見つけたわ。それが、おねえさまだったの。咲夜にとっておねえさまは絶対的な存在で、世界そのものだった。そんなおねえさまに、奴隷みたいに、犬みたいに、ただ、何も考えずにおねえさまにすがりついていたかったのよ。確かにぶざまかも知れないわ。だけど、人間がほんとにしたいことって、とてもぶざまなものなのよ」
 フランは、足元にすりよる咲夜の頬を撫でている。
「おねえさま。わたしは、咲夜と、もっと恥ずかしいことだってしたの。それってきっと、友達じゃないとできないことよ」
 レミリアは、乾いた喉を、ごくり、とならす。
「……どこで?」
「咲夜の夢のなかよ」
「……咲夜の夢?」
 フランは、とてもうれしそうに「あはっ」と笑った。
「おねえさま。咲夜はね、わたしとおなじだったの。心に怪物を飼ってて、ガラス玉みたいな目をしていたの。そして、まわりをみんな殺してしまったの。みんなみんな殺してしまったの。わたしみたいにね!」
「……」
「そこでね、わたしと咲夜はね、友達になれたの。いっしょにつながったの。だから、これからも、ずっとずっとここで、いっしょにいるの。だって、わたしは咲夜の望むおねえさまを演じることができるし……わたしもひとりぼっちじゃなくなるから」
「……フラン」
 レミリアの声に、フランの笑みが、消えた。
「あなた、わざと、咲夜がこうなるようにしたんじゃないの?」
 咲夜は強い人間だ。
 だけど。
 咲夜の夢というのが……咲夜が忘れたくても忘れられない出来事のことだとしたら。
 その夢を、もう一度、もっと深く抉るような過去として体験させられたとしたら。
 フランは、「あははは」と、声だけで笑った。ひどく、冷たい目で。
「友達になれる魔法を、ちょっとかけただけよ」
 そんなものが、友達になれる魔法なものか。
「……フラン、あなたは間違っている。この咲夜は咲夜じゃない。十六夜咲夜の姿をした、心の無い、からっぽの……ただの人形よ。友達でもなんでもないわ。あなたは、ぬいぐるみ遊びをしているだけ。違う?」
「もしその心があるせいで……わたしと友達にならないとしたら、そんなもの、いらないよ」
「だから、壊したの?」
「おねえさまにはわからないわ。わたしの気持ちはね」と、フランは言った。
「おねえさまには、いつだってまわりにたくさんのひとがいたもの。だけど、わたしにはおねえさましかいなかった。咲夜だって、わたしを憎んでいた。わたしを殺そうとした。憎まれて当然なのはわかっている。おねえさまを壊す夢ばかりみるわたしは狂っている。だから、ずっとひとりでいるしかないってこともわかっている」
 彼女の声は、わずかに震えていた。
「だけどね、ひとりで死ぬのは嫌なの。ひとりぼっちで死ぬのは、絶対に嫌なの」
 フランは、咲夜の顔を自分の胸に押し付ける。咲夜は、うれしそうに「れみりあさま」とつぶやいた。それを聞いたフランは、一瞬、ひどく暗い目をしたが、すぐに元の冷たい視線に戻った。
「わたしは、ここに咲夜がいてくれれば、それでいい。抜け殻だってなんだっていい。わたしはひとりじゃない。誰も傷つけることもない。わたしを恐れるひともいない。わたしは怯える必要はない。わたしは、ずっとずっと咲夜と遊んでいればいい。それだけでわたしはオーケーなの。何も心配する必要はないの。わたしは、いま、とても、しあわせ、なのよ!」
 フランの傍らで、咲夜が「おとうさん」と言った。うれしそうに、虚空を見ていた。
「……フラン。もういちど、ほんとうのことを聞かせて。あなたはほんとうに幸せなの? 壊れた人形みたいな咲夜は、あなたなんて見ていない。あなたと咲夜はいっしょにいるかも知れないけど……心はつながっていないわ。同じ方向を向いてはいるけど、まるで別々のものを見ているのよ」
「うるさい」とフランは言った。
 冷たい瞳が、無表情に、光っていた。
「だから、おねえさまには、わたしのことはわからないと言ったんだ。もうこれ以上話をしても無駄ね。帰ってちょうだい。ここは、わたしと咲夜の世界よ。邪魔をするなら、おねえさまだって容赦しないわ」
 レミリアは、じっ、とフランの胸元に顔をうずめている咲夜をみた。
「咲夜。私の顔を見なさい」
 やがて視線に気づいた彼女は、なんだろうこのひと、といった具合にきょとんとレミリアを眺めていた。
「寝ぼけてないで起きなさい。十六夜咲夜。もしこれ以上お寝坊するんだったら、あんたの秘密を天狗に全部ぶちまけるわよ。あんたたまに自分で作った『部屋』の入口を開けたまま中で昼寝してるでしょ。実はこっそり忍び込んで何があるのか全部知ってるんだからね。私とおそろいのドレスとかマジで爆笑したわよ。あと超恥ずかしい妄想まみれのポエムとかさ。実は一冊抜き取ったの、知ってた?」
 しばらくの沈黙。
「……え?」
「『レミリア様の血はきっと紅しょうがみたいな味がするだろう』とか、『レミリア様の歩く姿は喩えるなら落花生』とか、意味わかんなすぎて笑ったわよ。あんたのポエム力はある意味パチェ以上ね。これがあの外道天狗に渡ったら、どうなるんでしょうね。ふひひひ」
 ぼやけていた咲夜の瞳の焦点が、はっきりとレミリアを結んだ。
「ひ、ひいいいいいっ? れ、レミリア様、い、いつから、その」
 咲夜が立ち上がりかけたとき、フランが手に持つ鎖を思い切り横に引っ張った。
 鎖に繋がれた咲夜の首輪がそのまま引っ張られ、咲夜はつぶれた声をあげて、地べたに転がった。拍子に掛け落ちた眼鏡がコンクリートの上に転がる。
「……はっ……ぐっ……」
 息が詰まり、苦しげに咳き込んでいる咲夜を、フランは再び首輪を引っ張り上げて、無理やり自分の顔に近づけさせた。
「その天使は偽者だ。だまされるな」と、冷え切った目で咲夜にささやいた。
「に、にせも、の……?」
「おまえは、みんなを殺してしまったんだろう? 仲間も、友達も、お父さまも殺したんだ。そんなおまえのもとに、どうして天使が迎えにきてくれるだなんて思う? 天使なんて来てくれるはずがない。救いなんてあるはずがない。おまえは、ずっと、永遠に、しあわせになれない、怪物なんだ」
 大きく見開かれた咲夜の瞳が、怯えで震えていた。
「だからおまえは天使に殺してもらった。生きていてもしょうがないから殺してもらったんだ。そうだろう?」
「ご、ごめんなさい。おとうさん。ごめんなさい」
 何度も「ごめんなさい」を繰り返す咲夜は、まるで子どものようだった。
「殺せ」と、フランが咲夜の耳元で囁く。
「偽者の天使を殺せ。おまえはずっと殺しながら生きてきた。殺すことがおまえの存在理由なんだ。それに、おまえは、殺すのが大好きなんだろう?」
 咲夜の瞳から、涙があふれだした。
「こ、ころす」
「そうだ。わたしが許してやる。おまえに殺されたことを許してやる」
「ゆるしてくれるの。このわたしを、ゆるしてくれるの。おとうさん」
 咲夜の顔は、唾液と涙でぐしゃぐしゃになっていた。
「許してやる。わたしが、許してやる。死んでお前は許されたんだ。だから殺せ。みんな殺してしまえ」
「こ、ころす、ころす、ころす、ころす」
「そうだ。わたしと咲夜の間に入ろうとするやつは、みんな殺してしまえ!」
 咲夜は、ゆらりと立ち上がった。どんよりした瞳に、ぎらぎらした異様な光が宿っていた。だらんと垂れ下がった両手には、いつの間にかナイフが握られていた。
「ころすのは、すき。わたしの、たったひとつの、いきている意味」
「……いくら私がケガをしてるからって、こんな咲夜が勝てるとでも思っているの?」
 フランは、あはは、と笑った。
「おねえさま。ここをどこだと思っているの?」
 レミリアは、自分の足に、何かがしがみついているのに気づいた。フランから伸びた影が自分の足を押さえつけている。
「……?」
 無数の眼球がこびりついた影は、彼女の足をのぼり、全身に絡み付いてくる。
「ほら、もうつかまえちゃった」
 レミリアはふりほどこうとするが、絡みついた影はぎりぎりぎりと締め付けてくる。
「無理だよ。ここはね。私が世界なのよ。私が『絶対に振りほどけない』と思っているんだから、絶対に振りほどけないのよ」
「……フラン」
「おねえさまでもね。この私の世界を壊そうとするのは。絶対に許さないわ。さあ、咲夜。偽者の天使を殺せ! わたしから咲夜を連れ去ろうとするやつを、わたしをひとりぼっちにしようとするやつを、どこかに消してしまえ!」
 咲夜は、息を荒げながら、ゆっくりとレミリアに近づいてくる。
「ころす。ころす、ころす、ころす……」
 ぶつぶつつぶやきながら迫る咲夜の顔を、レミリアはじっと見つめていた。
「咲夜。私は紅魔館にいるやつなら、誰にだって殺されてもかまわないんだ。だから、あなたに殺されるのなら、しょうがないと思っているよ」
 そして、口元を薄くゆがめた。
「だけど、殺すならね。ちゃんと目を覚まして、私を見ながら、殺してよ」
 咲夜は、まるで叱られた子どものような顔で、レミリアの顔を見つめている。
「ねえ。今のあなたは十六夜咲夜なの? それとも、別の名前の誰かなの?」
「わ、わたしは。わたしは。わたしの、なまえは。」
「咲夜、何をしているの!」と、フランが叫ぶ。
「そう。あなたは十六夜咲夜。咲夜はなんのためにいるの?」
「わ、わたしは、れみりあ、さまの……えいえんの、じゅうしゃ」
「目をそらさないで。私の顔を、ちゃんと見て。誰かと間違えられたまま殺されたくないわ」
 咲夜は、苦しげに息を荒げたまま、弱々しくレミリアを見ている。
「さあ。私は誰? あなたの何? 答えてちょうだい」
「殺せ! 殺すのよ! 咲夜!」
 レミリアの前にきた咲夜は、ナイフを持つ手をぶるぶると震わせながら、
「うおおおああああああっ」
 レミリアの頭上に、その切っ先を振り上げた。
 咲夜は、必死の形相で、レミリアを見下ろしている。
 レミリアは、じっ、と、その顔を、見つめていた。
 そして、むひひ、と、笑った。

「ねえ咲夜。その頭の犬耳さ。案外似合ってんじゃん? 今度さー、宴会でもつけてくんない?」

 からん、と、音がした。
 咲夜のナイフが、地面に転がった。
 レミリアを見る咲夜の表情は、憑き物が取れたように、やわらいでいた。
「……レミリア、様」
「正解。じゃ、その犬耳、決定ってことで」

 レミリアは、気付いた。

 咲夜の背後でたたずむフランに。
 恐ろしく暗い双眸で、咲夜を見つめる視線に。
 レミリアが慌てて声を上げようとしたとき。
「……あなただったんですね」と、振り向きもせず、咲夜が言った。
「あの青い薔薇の小屋のなかの彼女も。『レミリア様』も。そうでしょう?」
 フランは、あはは、と露悪的に笑う。
「……そうよ。あなたはまんまと騙されたってわけ。怒ったかしら? 私を殺したくなったかしら?」
 咲夜は、フランの方を振り向かず、ただ、うつむいたまま、
「……いいえ。ただ。思っただけです。もしかすると、私たち、ほんとうに、友達に、なれたんじゃないかって。ただ、タイミングがずれて、悪すぎて、こうなってしまっただけで」
 フランの笑い声が、止んだ。
「たとえば……私がおねえさまの隣に座っていて。いつもみんなに囲まれて微笑んでいたら。私と、友達になっていたってこと?」
 そう言うと、あは、と、再び笑った。ひどく寂しげな笑い声だった。
「それって。私と咲夜は、永遠に友達になれない、ってことだよね」
 咲夜は、しばらく沈黙した後、
「……そうかも、しれませんね」
 フランは、泣き出しそうな顔をした。
 まるで声を上げずに助けの声をあげているような、そんな顔だとレミリアは思った。
「……そうね。いまさら。友達だなんて、なれないもんね」
 フランが、そんな顔を隠すように、狐のお面を被った。
「……そうですね」
 咲夜が、ゆっくりとフランのほうを振り返った。

 二人が互いめがけて地面を蹴ったのは、同時だった。
 
 次の瞬間、空中で爆発が起きたかと思うと、はじかれたように、咲夜のからだが落下してきた。地表に激突すると、そのまま跳ねるようにコンクリートの上を転がっていく。
 ふわり、とフランは着地すると、腕に刺さったナイフを引き抜いて、脇に放り棄てた。
「……時間軸すら、破壊できるようになったんですね」
 コンクリートに仰向けに転がる咲夜が、言った。
「フラン様、あなたは、ほんとうに、強い。あなたに勝てる者は、もうこの世に、どこにもいないのかもしれない」
「……」
「強すぎるから、あなたはまた、みなから恐れられてしまう。そうして、あなたはおひとりになった」
「……」
「私は、永遠に幸せになれない怪物かもしれない。ですが、あなたは強すぎるぶんだけ……もっと、悲しい怪物です」
 フランは、しばらく無言だった。狐のお面に隠された表情は、伺いしれない。
「……咲夜。わたしね、あなたのこと、大好きだったんだ」
 突然、そう言った。
 咲夜は、驚いたように、彼女の顔を凝視している。
「最初会ったとき。『はじめまして』って綺麗に会釈してくれたよね。わたしね、あなたの涼しげな顔をみて……とても、どきどきした。あとで気付いたんだ。目が。目の奥が。おなじ色をしているって。わたしたち、おなじ瞳をしているんだ、って。だから、咲夜となら、うまくいきそうな気がした。友達になれる気がしたんだ」
 闇のなか、フランの被る狐のお面は、彼女の表情を閉じ込めている。
「だけど、咲夜は、わたしが嫌いだった。しかたないよね。わたしは頭がおかしいんだから。嫌われて当然なんだから。だから」
 まばゆい光が差した。
 まっくらな空に、音もなく、まばゆい光が広がった。
 花火だった。
 逆行となり、狐のお面は影に隠れた。
 その下の首筋に、ひとすじ、光を反射するものが伝った。
「だから、ともだちになるには、嘘をつくしかなかったの。ごめんね」
「……フラン。やめて」
 レミリアの声は、かすれていた。
 理解していた。今のフランの感情を。狐のお面の下にある表情を。
「でもね。おねえさまの言うとおり。嘘は所詮、嘘。夢は……すぐに現実に引き戻されてしまう」
「フラン。お願いだから」
「そう。頭のおかしいわたしは、やっぱりひとりぼっちなんだ、ってね」
「やめて。やめて。フラン。それをしたら。咲夜を壊したら。フラン、あなた、ほんとうに、だめになってしまう。だから、」
 あははは、と、フランはひどく乾いた笑い声をあげたあと、
「おねえさま。わたしね。もうとっくにだめになってるんだよ」
 ふたたび、漆黒の空を、花火がきらめいた。何度も、何度も。
 フランは空をみあげると、「ああ」とため息をついた。
「おねえさま。花火よ。空いっぱいにひろがる、きれいな花よ。とてもきれいね。すごく、きれいね」
 それから、咲夜に向きなおると、狐のお面を外した。
 涙の筋が幾つもついたフランの顔は、穏やかな笑みを浮かべていた。
「きっと、咲夜も綺麗な花になるよ。あの花火みたいにね」
 そして、ゆっくりと、右手を広げた。
「やめて! やめて! フラン!」

 ――ふいに、空から飛んできたものが、フランの右手に絡みつき、閉じようとした彼女の手をふさいだ。それは、札だった。
 飛んできた方向をみやると、夜の空の一部が、ぱっくりと割れていた。
 そして――その下から、まるで紙風船のようにへろへろと少女が降りてきた。
 彼女は音もなく地上に降り立つと、難儀そうに、手にした御祓い棒で肩を叩きながら、あたりを見回す。それから、はあ、とため息をついた。
「ったく、夢のなかだって聞いたのに、まわりは食えそうもない花ばっかじゃないの。こんなの夢もチボーもないわ」
 博麗霊夢だった。
「ほら、こんな不毛な場所で姉妹ゲンカなんてやめて、とっとと帰るわよ」
 まるでいつもと変わらない調子で、そう言った。
「あはははははははははは。あはははははははは」
 フランが、爆発したように笑っていた。
 それから、獲物をじっとりと伺う猫のような目で霊夢を見つめながら、
「やっと会えた。紅白の、巫女。うれしいな。とてもうれしいなあ」
「あっそ。よかったわね」
 巫女は腕組みをしたまま、ジト目で気の無い返事を返す。
「で、どうして私に会いたかったの?」
「あなたは、おねえさまの、友達なの?」
「あんた、質問を質問で返す子なのね。でも答えてやるわ。答えはノーよ」
「ちょ、あんたちょっとは躊躇しなさいよ!」と、レミリアが叫んだ。
「私は、妖怪を退治するものだからね」と霊夢は言った。「だから。友達には、なれないわ」
「へえ。その理屈だと、咲夜も私たちと友達になれないわね。咲夜は吸血鬼を殺すものだもの」
「あんたらのメイド長は変わっているのよ」
「あなたは変わっていないの?」
「私は普通よ。普通の巫女よ」
「嘘だよね。それは」
 フランは、じっ、と霊夢を見つめている。
「……どこの世界に吸血鬼と遊ぶ巫女がいるの?」
 異様に熱を帯びた視線で。
「あなたは、嘘をついている」と、呟いた。
 霊夢も、フランから目を離さなかった。いつものようにだるそうな目で、彼女を見つめていた。
 やがて、ため息をつくと、霊夢は肩をすくめる。
「……まあ、どう考えようとあんたの勝手だけどね」
「ええ。勝手に考えるわ。あなたは、わたしのおねえさまをたぶらかしたの。あなたは、おねえさまをどこか遠くに持っていこうとしているの。あなたは、おねえさまを、わたしから、とりあげようとしているの」
「よくわからないけど、要はどうやっても私と勝負したいってわけね」
「勝負? 違うわ」フランがせせら笑う。
「私は、あなたを、殺したいのよ。壊したいのよ。破滅させたいのよ」
「霊夢! 危ない!」
 レミリアの声よりも早く、フランの影が伸びた。
 あっという間に影は霊夢の足元まで近づき、その足に絡み付こうとした。
 しかし、そこまでだった。影は、霊夢の足元を漂うだけだった。
 ――浮いているから、捕えられないんだ。影には厚さがない。三ミリ浮いていれば、触れられないのだ。
 いや、それだけじゃない。博麗の巫女は、ありとあらゆるものから浮いている。それは、物理的な意味だけではない。ありとあらゆるものから距離を置くことで物事の本質を客観的に看破するのだ。
 つまり、霊夢には、ありとあらゆるまやかし、妖術の類は一切通用しない。それこそが妖怪に対する霊夢の絶対的な強さの源のひとつなのだ。
「最初に。あんたに確認するわ」と霊夢が言った。
「あんたは知らないかも知れないけど、わたしたちはいざこざを弾幕ごっこで解決してきたの。お互いに遺恨を残さないように、ルールを決めてスポーツで解決してきたの。あんたはそのルールを破り、まともに自分の力を使って暴れてきたわ。それを改めるつもりはある?」
 ぎりぎりと爪を噛みながら霊夢をにらみつけていたフランだったが、霊夢の言葉を聞くと、せせら笑いを浮かべた。
「そんなルール。人間に都合のいいルールじゃないの。非力なあなたたちが勝つように決めたルールじゃないの」
「私の質問に答えて」
「……『いたがり』の人間のくせに。えらそうだよ。おまえ」
「答えはノーってことでいいのね?」
「だったらどうするの?」
「こっちも容赦しないだけよ」
 霊夢の背後の空間が裂けた。裂け目の向こう側、けだものじみた眼球が覗き込んでいる暗黒世界から、ばうっ、と悪夢じみたものが飛び出してきた。それは翼と爪を持つ巨大な灰色の魚だった。魚は霊夢ほどもある翼を使い、フランめがけてその鋭い爪をむきだしにして滑空していく。
 あははははとから笑うフランから、まっくろな影が吹きだしてきた。影は肥大し、魚よりさらに巨大化する。魚が影へと飛び込むと、しばらくして、影のなかから骨肉が砕ける嫌な音が響いた。やがて影から弾き飛ばされた「もの」は、すでに魚ではなかった。たとえるなら、血なまぐさい「たたき」だった。血と骨と内臓がごちゃまぜになったそれは、しかし、まだ生きており、地面でびちびちと跳ねていた。跳ねるたびに赤い臓物があたりに飛び散り、コンクリートはあっという間に真っ赤に染まった。
「わたしは無敵よ。誰よりも強い怪物なのよ。誰だろうが壊してやる」
 無敵、そのとおりだ。とレミリアは臍を噛む。
 ここではすべてがフランのあるがままになる。ただでさえフランがあの力をまともに使えば、人間の霊夢に勝ち目があるとは思えないのに。
 レミリアは、丸太のようにされた人間たちの死体を思い出す。
 霊夢がまっくろの影に破壊され、解体される姿が、脳裏に生々しくよぎった。
「……霊夢。逃げて。今のフランは、本当に、あなたを殺すつもりなのよ。だから、逃げて」
 霊夢は、愕然とした顔で、跳ねる肉塊を見ながら、「な、なんてことなの……」とつぶやいた。
「あっという間に魚のタタキができるだなんて……許せる!」
「な、何を言ってるのよこんなときに! あんた頭の中マジで食うことしかないの?」
「当たり前じゃない。人間は食わないと死ぬのよ」
「安心しろ。すぐにお腹の心配なんてしなくてすむようにしてやるから」
 フランの影は肥大し、霊夢へと迫っていく。
「ちょっと待って。こいつの味見をさせてちょうだい」
「バカなこと言ってないで! 早く逃げないとあんたまでタタキにされるのよ?」
「私はね、食われるために生まれてきた魚類と違うのよ」
 霊夢は、背中を手に持つ御幣でぼりぼり掻きながら、フランへと近づいていく。まるで、お湯を沸かしにやかんを持って台所に行くように。
 そのあまりに無防備な姿に、フランは一瞬目を丸くしたが、すぐに瞳を怒りで吊り上げる。
「ふざけやがって……死ね!」
 目の前の影が、霊夢にのしかかってきた。
「ああ……霊夢!」
 霊夢の身体が完全に影にのまれると、再び何かが砕ける音がこだました。
 やがて音が消え、不気味な静寂があたりを包んだ。
「だ、だから言ったのよ……うう、魚のタタキが食いたくて死んじゃうなんてある意味あんたらしいけど……あんなもの、いくらでも食わせてあげるのに」
「ほんと?」
 レミリアがぎょっとすると、霊夢がひょっこり影の向こう側に姿を現した。入ったときとまるで変わらない姿で。ただ、口をもぐもぐさせていた。やがて、ぺっ、と何かを吐き出した。小骨だった。
「ちゃんと内臓を処理しないと生臭いわね」
「……あんた、影のなかに残っていた魚を食っていたの?」
「それより、さっきの言葉。忘れないわよ。タタキ、いくらでも食わしてもらうからね」
 あはははははは、と甲高い笑い声がした。
 突如、びちびち跳ねていた魚が、風船のように破裂した。
 あたりに血肉の破片が散らばり、なまぐさい風が漂った。
「ほんとに効かないんだ。それが赤白の巫女の力というわけね」
 もはや原型をとどめぬくず肉と化したそれを、フランが見つめながら、その右手を握り締めていた。
「じゃあ。この私の力も平気なのか。試してみようか?」
 霊夢は、フランを見やりながら、沈黙した。
「あなたのバラのつぼみがよおくみえるわ。この手で、摘み取ってあげようか?」
「私は容赦しないって言ったのよ」
 霊夢は、手に持つ御幣を一振りした。
「ほんとうのスペルカードってやつを、じかに教えてあげるから」
 フランは、口元を歪ませる。
「スペルカード? 『ごっこ遊び』の攻撃のこと? そんなくだらないものが、ほんとうに通じると思っているの?」
「だったらそんな能力なんて捨ててかかってきなさいよ、悪魔の妹さん」
 霊夢は、口を手で隠しながら、くほほ、と笑った。
「それとも、人間とガチでやりあうのは怖いのかしら?」
 フランは、霊夢をにらみつけていたが、やがて、にいっ、と笑う。右手をあげて、ぶらぶらと振りながら、
「その言葉でわかった。あなた、私のこの力は、無効にできないのね」
「……」
「そして、あなたの言う『ほんとうのスペルカード』ってのは、私に接近しないと使えないのね」
 霊夢は横を向いてフランから顔を隠すと、苦虫を噛み潰したような顔で「ちっ」と舌打ちをした。しかし、すぐに再びむほほと笑い顔を作ると、フランのほうを向いた。
「やれやれ、お姉さまだったらノリツッコミに付き合ってくれるのにねえ」
「そうね。確かにおねえさまなら、おもしろいと思ったら罠とわかっててもわざと引っかかるかも知れないね。だから、お前のようなやつに、敗れることもある」
「自分は違うって言いたいの?」
「くだらないことばかり言って、今のうちにどうするかを考えているのね。だけど残念だけど、あなたの心臓はもう私の手の内にあるし……あなたのほうは私には届かない」
 今、霊夢がフランまで近づくには、大股で十歩は必要であった。
 そしてこの十歩が、命取りの距離だった。
 お互いににらみ合ったまま、沈黙が続いた。
 突然、霊夢が、わずかに視線を上向かせた。
 にまっ、と笑った。
「……?」
 フランがそれにつられて、一瞬、霊夢と同じ方向に視線を泳がせた。
 瞬間、霊夢が腰を低くすると、フランに向かって駆け出した。
 すぐにフランは気づき、舌打ちをしながら、右手を握った。

 爆発が起こった。

 あたりに散らばったのは、木のくずだった。

 霊夢が居たはずのところには、御幣の残骸があった。

 呆然としたフランの真横からぱっくりと隙間が開いた。その奥からにゅっと手が伸びてフランの右手をつかむ。
 霊夢が隙間から姿をあらわす。気づいたフランが再度右手を握ろうとしたとき、霊夢がフランの右腕をつかみ、たちまちのうちに両腕で四の字を作る形でフランの腕をがっちり極めて、そのまま肩関節を逆方向にねじりあげた。
「これが肉体弾幕(スペルカード)のひとつ、夢想封印(ダブルリストロック)よ。どう、結構効くでしょう?」
「があああ!」
「下手に動かないほうがいいわ。動けば動くほど締まって、しまいには肩から腕が抜けてしまうよ。私はこのスペルカードで幻想郷の妖怪どもの腕を何十本もへし折ってきたんだからね」
「ふ、ふざけるな……こ、こんな、こんなもので……わたしをとめられるとでも思っているの?」
 フランは、無理やり自分の右手を引っ張り、脱出を試みようとする。
 霊夢は身体の体重をフランの身体へ乗せた。
 骨が砕ける嫌な音がした。フランの引っ張る力と霊夢の体重の重みの板ばさみにあったフランの肩の骨が、耐え切れなかったのだ。
 フランは、しかしその痛みを意に介さず、右肩が砕かれたために比較的自由となった身体をうごめかせ、フランの右手を極めている霊夢の右腕を、残った左手でつかんだ。
「つかまえた」
 再び、骨が砕かれる音が聞こえた。
 霊夢の右腕は、フランに握りつぶされ、関節が存在しないはずの部分からへし折れていた。
 霊夢は、一瞬、両の瞳を大きくしたが、表情を変えたのは、それだけだった。すぐに極めていたフランの右腕を外し、はらいのけると、残った左腕でフランの左腕を狙った。
 フランもあらかじめ予測していたのか、すぐに自分から霊夢の左腕を離した。
 二人は、お互いに手を伸ばせば届く距離で、向かい合った。
 フランが、大粒の汗を垂らしながら、嗤った。
「これでわたしの右手は、自由になった」
 霊夢は、わずかに眉をひそめながら、言った。
「そんな肩が外れた腕で何ができるわけ?」
「関節がひとつ増えたあなたの右手も、同じじゃないの」
 霊夢は、フランから目を離さぬまま、面倒くさそうに巫女服のお腹のあたりをごそごそ探ると、ホッピー瓶の王冠を取り出した。
 そして、にやあ、と笑った。
「私の手はね、神様や悪魔の手よりすごいのよ。今度こそ、私の挑戦にのってみない?」
 フランも、笑う。
「なるほど。もう私の右手が使えないと思って、そんなことを言ってるのね」
「どうかしらね」
「あなたの敗因は、吸血鬼をなめていたことよ」
「そのセリフは勝った後に言うべきね。今言っちゃったら敗北フラグよ」
「挑発がうまいのね。でも。その傲慢さは。確かにちょっとイラつくわ。めちゃくちゃにしたくなる……。いいわ。そのコインでゲームをしましょう。ただし、コインはいっこだけだけどね」
「バンコク式でいきましょう。人間流の伝統的な決闘方法よ。このコインを投げて、落ちたと同時に攻撃しあうってやつ。レミリア、あんたちゃんと見張っててよ。不正をしたら、死んでも祟ってやるからね」
「れ、霊夢、ムチャよ!」レミリアは叫んだ。「フランは吸血鬼なのよ。それもとびきりの。その条件じゃ、人間のあなたが勝てるわけがないわ!」
「勝てなかったら、異変解決なんてやってられないっての」
「ねえ。早くやりましょうよ。もう我慢できないわ。からだが、壊したくてうずうずしているのよ。さあ、早く、早く、早く、早く!」
「いわれなくても。とっととはじめてあげるわよ」
 一瞬の間を置いて。
 霊夢が、王冠を無造作に真上へと放り投げた。
 数秒の無言の空間が訪れ――やがて、乾いた落下音が響いた。
 同時に、肩から折れてぶらぶら揺れていたはずのフランの右腕が、小刻みに震えながら持ち上がった。フランの右手は、驚異的な再生能力のために既に治りかけていた。
 勝ち誇った笑みを浮かべながら、フランは右手を握ろうとした。
「夢想封印キーーーック!」
 霊夢の「蹴り」が勢いよくフランの右手首をなぎはらった。フランの右手が、ちょうどフラン自身を向くように。
 すさまじい爆発音がした。自らの力をまともに受けたフランのからだは勢いよくすっ飛んでいき、「花火が上がる夜の空」に激突した。空には「ひび」が入り、ばらばらと砕け散る空の残骸とともに……ずるりとフランのからだが落下していった。同時に、レミリアに絡み付いていた影が消えた。
「悪いわね」と霊夢が言った。
「でも、蹴りがダメってひとことも言わなかったわよね?」

 べちゃり、と湿った音とともに、フランは地面に落ちた。落ちたにしては、軽い音だった。
 フランの身体は、半分しかなかった。腹のあたりから下が、スプーンで抉られたプリンのように存在しなかった。
 フランは、愕然とした表情で、変わり果てた自らの姿を眺めていた。やがて、近づいてきた霊夢の姿をみとめると、すさまじい表情を浮かべながら、両腕で這いながら、ずるずると霊夢に近づきはじめた。フランが苦しげに呼吸をするたび、ひゅうひゅう、と空気が漏れる音がした。
 唐突に、
「あはっ」
 と、笑った。その口元から、血が飛び散った。
「あはははははは」と笑うと、激しく咳き込んだ。口元を赤く染めながら、ようやく咳が止まると、
「こ、これが赤白の巫女なのね。お、おねえさまの、みとめた、人間なのね」
 フランは、口元を拭い、べっとりと血がこびりついた手を見つめた。瞳が、揺れていた。
「だ、だけどね。わたしは、負けないわ。たったひとりで、死んでたまるか。たったひとりで」
 霊夢は、フランを冷たく見下ろしていた。
「そう。あなたは、まだ戦うつもりなのね」
 フランは、血を吐きながら、嗤い続ける。
「あ、あたりまえ、よ。わたしは死なない。たったひとりで、地下室で、おわってたまるものか。わたしは、わたしは、わたしは。」
「じゃあ。とどめを刺さないとね」
 霊夢は、何か別次元のもののような、奇妙な言語をつぶやきはじめた。
 その左手には、指の間に挟んだ針が伸びていた。
 じょじょに、その針が、どろどろの黒い液体のようなものを帯び始めていた。
 霊夢が練った退魔の気が、あふれ出ているのだ。気という概念が実体化するほどの、すさまじい力が、針にこめられているのだ。
 霊夢の額からは、玉のような汗がにじんでいた。フランとの戦いのなかでも、ほとんどかかなかった汗を。
 レミリアは一目で、その威力を理解した。
 そして思った。スペルカードルールは、人間を守るためではなく、もしかすると……博麗霊夢から、妖怪を守るためなのではないか、と。
 その針を見つめるフランの瞳に、一瞬怯えた色がみえた。しかしすぐに、元の狂気に満ちた笑みに戻る。
「……それがわたしを殺すものなの?」
「……まあね」
「確実に、殺すの?」
「……まあね」
「手加減なんかしないで。隙を見せたら、咲夜みたいに、お前も殺してやる」
「……」
 レミリアは知っている。霊夢は、すべてのものから距離を置いている。だから、最後の最後は、情緒や感情に流されない。
 異変の元凶とあらば、誰であろうとも摘み取るのだ。
 フランも、霊夢の目をみて、それを悟ったのだろう。
 ふいに、霊夢から目を離すと……レミリアのほうを向いた。
 レミリアの顔を、見つめていた。
 そのフランの表情を見て、レミリアは、ぎりり、と、拳を握りしめた。
「……ふざけないでよっ」
 どうして、どうして、そんな顔をしているのよ。
 どうして、そんなに嬉しそうなのよ。
 あなたは、この姉に見捨てられて、殺されるのよ。
 こんな救いのないひどいバッドエンドなんてないじゃないの。
 もっと私を憎んでよ。呪ってよ。罵ってよ。私を後悔させてよ。私は、あなたの優しさなんて受け取れるような姉じゃない。もっとひどいやつなんだ。そうじゃなければ。
 そうじゃなければ。
 フラン。あなたが、救われなさすぎるじゃないの。
「ごめんなさい。おねえさま」
 フランは、レミリアに微笑んだまま、言った。
 安心しきった、しあわせそうな笑顔だった。
 たまらずレミリアが霊夢の手を制止しようとしたとき。
 霊夢が手に持つ針を放った。無数の針が、フランの頭やからだを貫通した。フランのからだは一瞬震えると、がくり、と糸が切れたように動かなくなった。





 ぎいいいいいいいいいぃぃぃ……。

 長い悲鳴を耳にして、意識を取り戻した。

 薄く目を開ける。まっくらな闇のなかで、ぼんやりと光が差してくる。
 月の光だった。
 最後に見た光景と同じく、蜘蛛の巣状にひびが入った星空が広がっていた。
 自分が仰向けで転がっていることに気付いた。
 からだを動かそうとすると、まるで鉛のように重くぴくりともしなかったが、わずかに指の先が動いた。
 ……わたしは、まだ生きているんだ、とフランは思った。
 自分のからだって、ほんとに頑丈にできているんだな。
 巫女がやってきてくれて、やっとわたしを止めてくれると思っていたのに。
 これで、おねえさまや、咲夜や、大切なみんなを傷つけることもないと思っていたのに。
 でも、なんだろう……妙に、心が軽い。まるで、長い夢から覚めたような……。
「ちょっ」と、博麗の巫女の短い叫びが聞こえたと思うと、刃物が固いものにぶつかり、コンクリートの上に落ちる音がした。やわらかいものが落ちる音が続く。
「あ、あぶなっ……あともうちょっとでマジで刺されるところだったじゃないの」
「さ、咲夜、いきなりどうしたのよ。フランのために怒っているの?」
「ちょっと、なんか言いなさいよっ」
 しばらく沈黙があってから、
「……わかりません」
 と、咲夜の声がした。
「……へ?」と、気の抜けたふたりの声が、重なった。
「わからないのです。ただ、今、猛烈に巫女を殺したいと思ったのです」
「……頭、大丈夫?」
「ちょっと待ってて霊夢。咲夜はニブちんで、自分の感情にも気付かなかったりわからなかったりするのよ」
「それもうニブいとかじゃないと思うんだけど」
「……ねえ咲夜、それは、私のため、じゃないよね?」とレミリアが問うと、
「違います」と、即答した。
「じゃあ、フランのため?」
「……違います」逡巡したのち、そう言った。
「じゃあ、自分のためなんだね。何かが、霊夢によってダメになったと思ったんだ。それはフランのこと?」
「……そうです」
「そっか。フランのことでさ、何かびっくりしたこととか、何か強烈におぼえていることとか、あるの?」
「……さっき、フラン様が、私を、大好きだと言ったことです」
 フランの鼓動が、跳ね上がった。
「……レミリア様。教えてください。私は、今までフラン様がどう思っているかなんてちっとも考えず、フラン様を憎んで、殺そうともしました。なのに、どうしてこんな私を、それでも好きだと言うのでしょうか? 私と友達になっても、なんにも得にもならないのに、どうして」
 それを聞いて。
 ほんとうに、咲夜は、ニブいんだなあ。と、フランは思った。
 美鈴みたいなファンは今までたくさんいただろうに。咲夜はそんなひとの思いもちっともわからないまま、フラグをバキバキへし折りながら今まで生きてきたんだろうなあ。美鈴はそれでもうれしそうだからいいのかもしれないけど。
 レミリアは、小さくため息をついてから、穏やかに言った。

「咲夜。それはね。フランが、ほんとうに、あなたを好きだったからだよ」

 しばしの沈黙のあと。
 小さく、鼻をすする音が聞こえた。
 ぼんやりする視界のなかで咲夜の姿がおぼろに映ると、フランは、驚いてしまった。
 咲夜は、立ったまま、泣いていた。
「どうして泣いているの?」
 レミリアの言葉に、咲夜は、子どもみたいにふるふると首を振りながら、
「す、すみません。よくわからない。どうして今、泣いているのかが、わからないのです」
 その言葉にツッコミを入れようとする霊夢の口をレミリアが手で塞ぎながら、
「咲夜、あなたも、フランのことが、好きだったのかもね」
「……そう、なんでしょうか」
「私にとっては、最初から、ふたりは似た者どおしだったんだよ。だから、相性はね、悪くないと思っていた」
「私とフラン様が、似ている、って?」
 ああ、やっぱり気付いてなかったんだ。と、フランは思った。その思いを代弁するかのように、レミリアが言う。
「そうだね。どっちとも寂しがりやのくせに、ひとりぼっちが長すぎたせいで、ちょっとズレちゃったところがね」
 咲夜は、驚いたようにレミリアを見つめていた。それから、しばらく逡巡するように何度か視線を上下にさまよわせたあと、やがて、意を決したように口を結び、レミリアを直視する。
「……私を、一目見て、そう思ったのですか?」
 レミリアは、懐かしむような遠いまなざしで咲夜を見つめながら、
「目がね。似ていたのよ。なんとなくね」
 おねえさまは、やっぱり、気付いていたんだな、とフランは思った。
 もしかすると、最初から、ぜんぶわたしたちのことを思って、咲夜をメイド長に迎えたりしたのかな?
 そうかもしれない。おねえさまは、そういうひとだから。ほんとうに、優しいひとだから。
 咲夜は、崩れ落ちるように両膝をつくと、両手で顔を覆い、俯いてしまった。それから、
「う、う、う、う、うううううううっ。うううううううううっ」
 嗚咽は、とても悲痛で、とても長く続いた。
 レミリアが、咲夜の震える肩に優しく触れながら、
「かなしいの?」
 咲夜は、両手で覆った顔を、ぎこちなく、何度も縦に振る。指と指の隙間から、涙がこぼれている。
「だ、だったら、だったら、最初から私たち、ほんとうに、気付いていれば。わたしたち、」
 ……本当に。友達に、なれたのかな。
 でもね。咲夜。私は気付いていたよ。あの夢のなかで、気付いたんだ。とても私たち、芯の部分で似ているんだって。同じガラスの目をしていて、同じようにひとりぼっちで。いや、咲夜を一目見たときから、わかっていたのかもね。あはは。私まで、自分が分からなくなってきたよ。
 ねえ。あの夢の中、青い薔薇の中で……わたしがちゃんと名乗っていたら。わたしたち、どうなっていたのかな?
 もしかすると、友達に、なれたのかな?
 私たち、失敗はしちゃったけど、もしかして、今からでも、やり直せるかな?
 いろんな「もしかして」が、フランのなかを駆け巡った。
 でも、それは、けして悪くなかった。ぜんぜん、悪くなかった。
 ふいに思った。
 死んだら、こういう思いもすべて、まっしろに消えてしまうのだと。
 「もしかして」は、永遠に「もしかして」のままで終わってしまうのだと。
 わきあがってくる感情を抑えることができず、涙があふれてきた。
 わたしも、ばかだな。ほんとうに、ばかだな。
 そうだよ。
 わたしは今、生きていることがうれしいんだ。
 死ぬなんか、ちっともしたくなんか、ないよ。
 わたしは、この世界が、好きなんだから。
 おねえさまがヘンなことを突然やりはじめて。咲夜がその隣ですました顔をしながらヘンなことをしていて。美鈴がパチュリーがヘンな本を書いてて。小悪魔がみんなをお酒でべろんべろんにしてしまう。そんなヘンなことばかりのこの世界が、大好きなんだから。
 死んで、おねえさまとも、咲夜とも、みんなとも、お別れだなんて、嫌だよ。絶対に嫌だよ。
 ああ、くそう。ほんとうにばかだ。わたしは、ばかだよ。
 生きてて、よかった。死ななくて、よかった。

 ――フランは、かすれた嗤い声を聞いた。

 それは、彼女の奥底から響いてきた。
 ずるり、と、まくろきものが、フランの体内から浮かび上がる。負の概念を塗りこめたなめくじのようなその先端には、不格好な粘土のような顔がついている。まるで高熱で焼きただれたようなその肌は、博麗の巫女の針で貫かれていた。
 今、タールのような色のなめくじは、フランの身体の上で苦しげに身をよじらせながら、嗤っていた。ただれた口を大きく開けて、嗤っていた。
 フランはそれが何か、すぐに理解する。忘れようもない。その肺病患者のような嗤い声を。耳をつんざく、悪意のかたまりを。

 ――おかあさま。
 
 まくろきものは、フランの声に、嗤い声で応じる。
 こんな穢れた世界に生きていてよかったなどと。あの太陽に惹かれた子に、おまえもたぶらかされたの?
 お前はわたしの血を受け継いだ鬼子。すべてを壊すために存在する怪物なんだ。
 おまえだって知っているはずだ。もう元には戻れない。お前は大好きな人間を嘘で狂わせたあげく、殺しかけた。あの忌々しい巫女がいなかったら、間違いなく殺していたんだ。
 お前は、私を、殺したときから、狂っていたんだよ。
 そんな怪物が、生きていてよかっただなんて。そんなのはいっときのまやかし、まぼろし。
 狂ったお前は生きていても辛いだけ。
 これから先も、その辛さはずっと終わらない。永遠に、永遠に終わらない。
 好きなひとたちがいるだけで、しあわせだって?
 レミリア・スカーレットは、お前の姉かもしれない。
 十六夜咲夜は、お前と同じガラスの目を持っているのかもしれない。
 だが、根本的に、お前とはまるで住んでいる世界が違う。
 手が届くものではないことを。
 わかりあえるものではないことを。
 あれは、お前の救いには決してならないことを。
 世界が変わるまでは。もの言わぬ花だけの世界になるまでは。
 お前が、救われることは、ないことを。
 お前は、理解しなければならないの。
 ただ、お前は繰り返すだけ。
 おなじあやまちを。ただ、繰り返すだけ。
 そうして、捨てられて、ごみ箱みたいに使われたあげく、永遠にひとりぼっちにさせられるんだ。
 私のように。あのまっくらな森のなかでひとりぼっちで。誰も救いの手もなく、ただ震えながら、毎夜、死ぬんだ。
 そうなるのよ。フラン。それが、運命なのよ。私と同じ怪物のお前も。そうなるのよ。そうなるべきなのよ。
 だから。こわしちゃえ。みんなこわしちゃえ。おまえのすてきなもの。たいせつなもの。あいするもの。かけがえのないもの。みんなこわしちゃえ。みんな、みんなこわしちゃえ。こわしちゃえ……

 吐き気がするほどのすさまじい悪意が、フランの脳髄を犯していく。
 自分のなかに巣食っていたものは、もはや母の亡霊でもなんでもなかった。世界への絶望と憎悪と呪詛の果てに狂ったばけものだった。

「……てかさ、なんでさっきからふたりとも、あいつが死んだこと前提で話してるわけ?」
 巫女の声のあと、時間が止まったみたいに、沈黙が流れる。
「……え? 博麗の巫女は見敵必殺と聞いたんだけど……」
「そんなめんどいことしないっつうの。私はあんたの依頼を果たして、異変を解決したまでよ」
「じゃあ、ほんとうに、フランは、生きているの?」

 瞬間、咲夜がこちらに向かって、駆けだした。
 時間を止めてるわけじゃないのに、ものすごい速さで、フランめがけて駆けてくる。本当に咲夜は、考えるより先に身体が動くタイプだった。

 まくろきものは、哄笑する。

 黒いなめくじは、フランのからだをずるずると滑るようにうごめくと、彼女の右腕に巻き付いた。
 彼女の意思に反して、手のひらが、前方に狙いを向けて、ゆっくりと開いていく。
 今まで何度もあった、気付くと勝手にまわりを壊してしまう、あの感覚。
 近づいてくる咲夜の胸には、真っ赤な薔薇のつぼみが見える。
 何をさせようとしているのかを知り、フランは、一瞬頭がまっしろになり……すぐさま、全身が燃え上がるほどの怒りをおぼえた。
 ――このばけものは。咲夜を。狙っているんだ。
 ぜったいにさせるものか。そんなこと!
 フランは右腕のなめくじを払いのけようとしたが、右腕はびくともしない。どんなに力をこめようとも、わずかに手首が動くだけだ。
 フランは叫ぼうとした。しかし、まるで声が出ない。黒いなめくじはすでに口のなかにまで侵入している。
 近づいてくる咲夜の顔がよくみえる。いつも無表情な顔は、今、頬には涙の跡がこびりついて、真っ赤に充血した瞳は切望と不安で揺れていた。フランは、こんな必死な咲夜を見るのは、はじめてだった。
 その目は、フランから少しも離れなかった。まっすぐこちらを見ていた。
 フランは思った。
 自分のためにこんな顔をしてくれる咲夜を、絶対に壊させやしないと。
 フランは、どうすればいいのか、理解している。「わずかに動く手首」で狙えるものは、自分のもっとも近くにあるものだけ。今の状況では、それしかないとわかっている。ただ、それをするには、勇気が必要だった。諦めていた希望を、もう一度捨てることは。
 いったん目を閉じる。
 いろんな思い出が、フランのなかをよぎる。
 そのなかで、たくさんの大好きなひとたちが、笑っていた。
 やっぱり、いいな、と思った。
 こんな世界を壊すだなんて、絶対にできないと思った。
 再び目を開ける。咲夜の顔を見つめる。一瞬だけ、運命に抗えるための、ひとにぎりの力をもらうために。
 異変に気付いたのか、咲夜は、何か言いかけたような顔で、フランを見つめている。乾いたような青い瞳のなかに、フランは月の光を見た。
 とてもきれいだな、と、思った。こんなきれいなものを護ることができるなんて、ちょっと誇りに思った。
 こんなきれいなものを最後に見れるなんて、ちょっとうれしかった。
 もう一度だけ、話したかったな、とフランは思った。謝りたかった。いろんな迷惑をかけたこと、傷つけてしまったこと、嘘もついてしまったこと。それから、伝えたかった。
 大好きだったよ、と。
 さようなら。咲夜。
 めいっぱいの意思を込めて、手首をわずかに動かすと。フランは自分の薔薇のつぼみを、ちぎりとった。


 咲夜がフランのからだからたちのぼる黒い影に気付いたのは、ほんとうに手前だった。フランに気を取られて、気付くのが遅れたのだ。
 まるで霧のように黒い影はあたりに拡散していくと、何かの形となった。一匹のコウモリだった。コウモリには羽根が無く、ゆらゆらと煙のようにゆらめきながら、むきだしの腕を羽ばたかせもせずに、だらんと前に伸ばしている。
 咲夜を見ながら、鳴いた。まるで肺病やみのようなざらざらした声だった。黒い悦びに満ちた声だった。
 嗤っているのだ。と、咲夜は気付いた。
 血のにおいがよぎる。咲夜のからだが危険を察知する前に、コウモリが飛びかかってくる。
 逃げられない、と思ったとき、ほとんど無意識に、咲夜はフランのほうを見ていた。
 涙混じりのフランが、こちらをみて、微笑んでいることに、気付いた。

 微笑みを浮かべたままのフランの顔に、まるで焼きすぎた陶器のようにひびが走ったかと思うと。次の瞬間、彼女のからだは、ばらばらに砕け散った。

 咲夜は何が起こったのか理解できず、割れたガラス細工のようなフランを呆然と見つめていると。
 コウモリはのたうちまわりながら、じょじょに浮き上がりながら、ぶくぶくとアドバルーンのように膨らんでいった。
 打ち上げられたフグのようにいびつに肥大したコウモリは、苦しげに弱々しく鳴くと、弾け飛んだ。黒い霧が残滓となって、あたりに漂っている。
 頬に風を感じた。
 黒い霧は、たちまち風に巻かれてちりぢりに四散し、あっという間に消えた。
 音の無かった世界に、風の音が響き始めた。
 フランの割れた部分からこぼれている砂のような細かな微粒子も、風にさらわれ、舞い上がっていく。すこしずつ、形が崩れ、削られていく。
 フランドール・スカーレットの姿が、消えていく。
 我に返った咲夜は駆け寄り、ひび割れた砂の像のようになったフランの顔に触れる。たちまち触れた部分がぐしゃりと崩れ、細かな砂のようなものが咲夜の指にこびりついた。
 すさまじい倒壊音が、あちこちで起こっている。
 震える手で、フランであった砂を見つめていた咲夜の視界のなかに、キラキラした粒子を含む黒い破片が混じる。
 あたりに目をやると、世界が、崩れ始めていた。
 ずらりと並んだ屋台の支柱は大量の砂と化し、水あめのようにぐんにゃりと曲がると、形を失い、潰れていった。
 ひしめきあう花の顔を持つ人間たちは、まるでアイスクリームみたいに溶けた。黒いアスファルトを、落下したさまざまな花の残骸が散らばっている。
 倒壊音に混じって、空から割音が響いている。
 見上げると、「花火に彩られた夜空」が割れて、ガラスのような黒いかけらがきらきらと落下していた。黒い破片は夜空のかけらで、そのなかの星々がきらめいていたのだった。
 夜空が剥がれた空間からは、白い光が差し込んできている。まるでスポットライトのようなその光は、みるみるうちに増えていき、世界を満たしていく。
 すっかり夜空が白い光に変わったころ、空からはらりはらりと、さまざまな色彩が落下していく。赤、黄、紫、白と変化するそれは風に乗って、咲夜のまわりをくるくる踊るように落ちていく。
 薔薇の花だった。
 咲夜は、近くを落ちてくる花をつかむ。色が変化している理由を、理解した。
 薔薇の花びらには、にぎやかな縁日で、綿あめを手に持った浴衣姿のレミリアの背中が映っていた。
 ほかの薔薇をつかんでみると、あの地下室で、後ろにレミリアとパチュリーが控えたなかで、若干緊張気味の咲夜が、ゆっくりとお辞儀をしていた。
 フランとはじめて出会ったときの光景だった。
 この薔薇には、フランの思い出が刻まれていたのだった。
 咲夜が美鈴のきれいな料理さばきをみて、むー、とふくれっつらをしていた。
 パチュリーが机の上に突っ伏しながら「うへへへへ」とヨダレを垂らしながら笑っていた。
 小悪魔が、ニコニコ笑いながらアブサンをレミリアのジョッキにどぷどぷ注いでいた。
 そんな場面が描かれた薔薇は、アスファルトに落ちると、氷のようにばらばらに砕け散った。
 咲夜のてのひらにある薔薇も、風化したかのように、たちまち形を失い、粉雪のように溶けていった。
「待ったなしよ」
 振り返ると、薔薇が舞い散るなかで、博麗の巫女が、立っていた。
「とっとと出ましょう。ここはもうじき崩壊するよ。世界の主が消えてしまったからね」
 咲夜は、巫女が何を言っているのか、理解できなかった。
「何を言っているの? フラン様は、今、消えかけている。だから、すぐに救わないと」
「咲夜」と、レミリアが言った。今まで見たことがないくらい、厳しい顔をしている。
「霊夢の言うとおりよ。すぐに、出ましょう」
「どうしてですか? フラン様を置いていくというのですか?」
「時間が無いの。このままじゃ、私たちまで、フランの思い出のなかに飲み込まれてしまう」
「私は残ります!」と咲夜が叫ぶ。
「私は、フラン様を救わなければならないのです。フラン様と、もう一度話さないと。伝えないといけないのです。だから、」
 咲夜は頬に衝撃を受けた。
 レミリアが、咲夜の頬を張ったのだった。
 張ったレミリアの手は、震えていた。
「咲夜。本当はわかっているでしょ? フランはね。あなたを助けるためにこうなったの。だから、それを無にすることは、私が、絶対に許さない」
 咲夜が思ったことは。
 レミリア様に本気で怒られたことは、これがはじめてだな、ということだった。
 それから。レミリアの言葉をじわじわと理解するにつれて。しめつけられるような後悔の渦に巻き込まれて。
 咲夜の両の瞳から、大粒の涙があふれてきた。そして、泣くことしかできない自分の無力さが悔しくて、さらに泣いた。
 いろんな感情が頭のなかをぐちゃぐちゃにかきまわしていて、そんなポテトサラダみたいな状態で、ただ、子どものように泣いた。

 それから先、咲夜の記憶は、曖昧になっている。

 レミリアに引っ張られるまま、崩れ落ちる世界を抜け出した瞬間強烈な白い光を浴びて……気付いたら崩れ落ちた紅魔館の通路であおむけになっていたのだ。

 あたりにはおびただしいコウモリの群れが飛び交っていた。そのたくさんのコウモリたちは、みるみる白い空に吸い込まれるように小さくなっていった。
 そして、咲夜のすぐ隣には、フランドール・スカーレットが横たわっていた。
 その小さな手が、咲夜に向けて伸びていた。
 まるで、咲夜のてのひらを掴もうとしているように。


 安らかに眠るその姿を、咲夜は、それからずっと、おぼえていた。



18「それから」



「……身体には問題無いのに目覚めないのは、心が無くなってしまっているからよ。『嘔吐箱』で確認したけど、フランの心はこのとおり、どこのページもまっしろ。ただ、フランの驚異的な生命力、自己再生能力があれば、もしかすると、いずれは……。
 ……何年かかるかは、正直、わからない。身体と心は違うからね。人間であるあなたが焦るのはわかるわ。
 ……まあね。たとえ目覚めたとしても……完全に破壊された記憶までは戻る可能性は……。ううん。私ももっと気が晴れるようなことが言えればよかったんだけどね。そういうの、慣れてなくて。
 ……そうね、想像するのも悪くないと思う。フランが帰ってきたときを想像して、用意するのよ。いつばったり会ってもいいように、きれいでいないとね。私もよくやるのよ。魔理沙にいつみられてもいいように勝負パンツをはいたりとかね。ほら、今日もこんなのはいてるのよ。え? なんでそんな目するの? ヘンかしら。小悪魔に勧められたんだけど……」



「……咲夜さん。ほんとうにいいんですか? 私はメイド長に復帰することなんて、まるでかまいませんよ。でも、きっと咲夜さん、後悔しますよ。逃げた自分に、後悔しますよ。咲夜さんだってわかっているでしょう? あはは、咲夜さんはわかりやすいですからね。
 ……大丈夫ですよ。私がフォローします。こーみえて私、案外いろいろ見えているんですよ。
 ……わかりました。そんなに辛いというのなら、とりあえずレミリア様のご相手は私が受けましょう。でも、メイド長は、あくまで咲夜さんでお願いします。
 だから早く、キリッとしていて、ツンツンしていて、居眠りなんてしたらブッ殺されそうなキレッキレの咲夜さんに戻ってくださいね。
 ……いやいやだからミスしても大丈夫ですって。咲夜さんは立って私どもを見下してくれればいいんです。私どもが全部やりますから。だからムシケラ程度に思っていくらでも虐げてください。私どもが失敗したら遠慮なくツバを吐きかけてください。
 いや、だからそんな目で見られると……興奮しちゃうじゃないですか」



「……メイド長の笑顔を見たことがない、ってメイド妖精たちからも聞いたけど、確かにひどい顔ね。
 いや、そんな作り笑顔向けられても、逆に不安になるっての。ちゃんと眠れているの? 美鈴にはまたもとの門番に戻れって言うから、これからは私の前に顔を出しなさい。余計なことはいいから。これは命令よ。
 ……フランのこと、ずっと後悔しているんでしょ。
 ……あのとき、ちょっと言いすぎたわね。私も、反省してる。
 だから、なんで咲夜がそんなに自分を責めなきゃなんないの? あんたとフランはね、タイミングが悪かったのよ。ただ、それだけなの。
 ……そりゃ、私だって、考えるよ。私がああしていれば、フランは助かったんじゃないか、って考え出すと、もう、一晩中、その考えがグルグル回っちゃったり。もう二度とフランは目覚めないんじゃないのかって思うと、もう、なにもかもがイヤになったりとか、するよ。
 でもさ、私たちはね、いつフランが起きてもいいようにしないといけないの。フランは、笑顔が好きだったのよ。ほんとうはね、お祭りとか、みんなと騒ぐことが好きだったのよ。だからね、この紅魔館で、そんなしけた顔なんてさせやしない。わかった?
 じゃあ、今日の宴会は犬耳つけて来なさい! 私はやるといったらやる吸血鬼なのよ。そんな顔してたら尻尾もつけさせるからね!」



「……咲夜さん、疲れてますね。ふふ、悪魔はひとの弱みにつけこむのが商売ですからね、こういうのを察知するのは得意なんです。
 最近、楽しんでいますか? ずっと気を張りすぎると、急に糸が切れちゃうもんですよ。まあ、わかりますけどね、心から楽しめないのは。紅魔館のみんな、誰だってそう思っているのですよ。私だって、忘れたことはありませんから。ただ、みんなわざと、思い出さないふりをして、騒いでいるんです。落ち込んでいても、しょうがないってことを知っているから。
 私はね、そうやって過去に溺れて魂が沈んでいく人間をみたことがありますよ。たくさん、たくさんね。
 ……強い、そうですね。きっと、強いのでしょうね。特にレミリア様は、本当に、強いのでしょうね。
 ……そうですね、鈍感になるのもいいんですよ? 忘れることを罪だと思ってはいけません。どうせ、忘れられないのですからね。ゆっくりと、ゆっくりと、時間の流れにまかせていきましょう。なあに、思ったよりも、人生は長いものですよ。焦る必要は何もありませんからね。
 じゃあ、今日は私のオススメのストレス解消法を紹介しましょう。パチュリー様にお出しする飲み物のなかに眠り薬を仕込んでおくのです。そーしておねむになったパチュリー様の肉体を、欲望のおもむくままにもてあそぶのです。これ、すごくスッキリするので超オススメですよ! 
 え? いまさら何を言ってるんですか? 私は悪魔ですって。咲夜さんはやっぱりニブいですねえ。あはは」



「……妹様の寝室で泣き声が聞こえるって噂があったんですよ。だから、見張っていたんです。
 やっぱりメイド長だったんですね。
 なんでそんなめそめそしてるんですか。あの平気でひとを殺しそうな目はどうしちゃったんですか? 私を一目でビビらせたメイド長はどうしちゃったんですか? そんな弱気なメイド長、私は、認めません。
 妹様は、戦っているんです。毎日お世話をしているとわかるんです。たまに、ぴくぴく、と眉が動いたり、何かを話すように、口元が動いたりするんです。ちょっとずつ、ちょっとずつですけど、変わってきているんです。いつ目覚めても、おかしくないんです。
 もし妹様が目覚めたとき、メイド長がそんな顔をしていたら、どう思いますか? きっとゲンメツしちゃいますよ。だから、もっとビシッとしていてください。私たちメイド妖精たちも、そんなメイド長が好きなんですから。
 ……え? い、いいんですか? チルノちゃんが『妹様にビンタかまして説教したのは大ちゃんだけ』とか、『博麗の巫女も食らって半泣きだった』とかヘンな噂を流してるせいで、なんだかそういうのが得意って思われてるんですけど、別に私、荒っぽいことは好きじゃないんですが……。
 わ、わかりました。それでメイド長の気がすむのなら。
 じゃ、じゃあ、一発いきますよ。
 気合い入れてください! いやあああああっ!
 ……ど、どうですか? 気合い、入りましたか?
 あれ? そ、そんなに強く叩いてないですよね? ちょ、ちょっと当たり所が悪かったかな。だ、誰かーっ! メイド長が……メイド長が……ぼ、暴漢に襲われて気絶しちゃってます!」 



 時の流れはだんだん速度を増していく。
 何度も何度も同じところをぐるぐる回りながら、すこしずつ、すべてが変化していく。
 そのなかで、たった一つだけ、いつまでも変わらないものがある。
 紅魔館に、昼間はいつも黒いカーテンが覆い、星空が浮かぶおだやかな夜には窓が開け放たれる一室がある。
 部屋にはひとつのベッドがある。その傍らの机には、季節にあわせて折りたたまれた衣類と、季節の花がさしてある花瓶が置いてある。時には、それらを用意する妖精の姿がある。
 ベッドに眠る少女だけは、いつまでも、ずっと変わらないまま、眠り続けていた。
 


 そうして、何度目の夏がやってきた。



 気付いたのは、ある一匹の宵闇の妖怪だった。
 たまたまだった。今日は友達の妖精が「どうしても今日は予定があるの」というので、ヘルプで「彼女」の世話を行うことになったのだ。
 言われたとおり、シーツの交換をしようとその部屋に行ってみると、ドアが消えていた。ぽっかりときれいな円形に抉り取られており、腕の立つ大工さんがいたずらでもしたのかな、とか思ったほどだった。妖怪は「彼女」のことを、「彼女の力」のことを知らなかったのだ。
 部屋の中に入り、ベッドの上に誰もいないことに気付いた。
 何事が起こったのかのみこめず、次にベッドの脇にそのまま置いてあるはずの衣類も消えているのを見て。
「ああ。そーなのかー」
 止まっていた時が動き出したことに、ようやく気付いた。
 


 *********


 
 どーん、と、またひとつ、あの音が空にこだまする。
 ぱーん、どーん、ぱらぱらぱら。きらきら光る夜空は、少しずつ大きくなっていく。
 わたしの胸の高鳴りも、どんどん大きくなっていく。
 どうして花火を見ていると、こんなにどきどきするのか、わたしにはわからなかった。
 それどころか、自分のことはほとんど何もわからない。どうしてわたしが眠っているのかも。ちゃんと浴衣まで用意されていたあの部屋も。何も覚えていない。
 ただ、花火の音と、窓から見えた、夜空にきらめく光を目指したくて、薄い桃色の浴衣をなんとなく羽織ったあと、なんとなく帯を腰に巻いてぎゅっと縛ってなんとなく着た。今も、あぜ道を走っていていると、帯や浴衣がずれそうになるから、やっぱり着方が間違っているのかもしれない。
 たまに背中で浴衣が引っかかる感覚がした。
 中に折りたたんでいる羽根の突起が、ずれた浴衣に引っかかっているのだ。
 わたしの背中には、いろんな色に輝く、いびつな形をした妙な羽根が生えていた。
 浴衣の背中には、二つの穴が開いていたから、外に出すことはできるっぽかった。
 でも、こんな羽根では、外に飛べないだろう。そう思って、わたしは眠っていたときのように再び羽根を折りたたんで、浴衣の下に押し込むことにした。
 あぜ道の向こうに、ひときわ明かりがともっている場所がみえてきた。うしろには大きな山があって、赤い大きな鳥居もみえる。
 近づくにつれて、たくさんのひとがわいわいやっているのがわかった。たくさんのお店が、道沿いに並んでいて、みんな、楽しそうにお店に集まっている。
 今になって、別の意味で、胸がどきどきしてきた。
 わたしは、あの部屋にあった狐のお面を取り出すと、それを顔にはめた。
 これで恥ずかしくないな。
 改めて、さあ行こう、としたとき。
 急に思い出して、右手に視線を落とす。
 ひらいているその手は、なんの変哲もないようにみえる。
 開かないドアを、邪魔だ、と思ったとき、確かに、このてのひらをぎゅっ、としたことをおぼえている。まるで身体に染みついているように、ほとんど無意識に。
 ドアが無くなったのをみて、外に出れる嬉しさよりも、ドアを一瞬で消し飛ばせることが怖くなった。
 もし、あそこにいるひとを消し飛ばしたくなったら。
 嫌な想像が、わたしを踏みとどまらせた。
 そのとき、急に肩を叩かれたので、わたしはびっくりして振り向いた。
「そんなにびくつくなって」
 浴衣を着た金髪の女性が、楽しそうに笑っていた。背がすらりと高くて、手足とかが人形みたいに細くて、かっこいい美人さんだった。
「親に黙ってやってきたんだな。それにしてもひとりか? 肝試しってのは、数人で行くもんじゃないのかよ」
 美人さんは、モデルみたいな見た目によらず、ざっくばらんな口調だった。
「肝試し?」
「なんだ知らないで来たのかよ。吸血鬼がスポンサーの、妖怪が跋扈する博麗神社の縁日ってことをさ。寺子屋じゃすっかり有名だって聞いたんだけどなあ」
「吸血鬼が、このお祭りを開いているの?」
「そうさ。びびったろ。悪魔を奉る神社とは、なかなか物騒だろ」
 悪魔とか吸血鬼という言葉を聞いて、何故かわくわくしてきた。
「ここの神社、悪魔を祀ってるんだ……!」
「……めっちゃ期待させてすまん。冗談だ」
「え、違うの?」
「あ、あぶねー、あやうくまた失敗をするところだったぜ」
「失敗?」
「昔、バカな冗談で、そのまま本名を伝え忘れたおバカっちょがいたんだよ……まあ、私のことなんだがな」
 そのとき、急に美人さんは、はっ、と何かに気付いたように私の姿をまじまじと凝視しはじめた。
 それから背中に視線を移すと、やれやれ、とため息をついた。
「まあ、そんなわけねーか」
「……わたし、そんなにヘンかな?」
「まあ、ヘンなことはヘンだけどな。浴衣の帯を柔道着みたいにコブ縛りにしてたり、妙なお面を被ったりしてる奴は普通いないぜ。まあ、そうじゃなくて。ちょっと、知り合いというか、むかーし会ったことのある奴に似ててな」
「わたしに、似ていたの?」
 美人さんは、うつむくと、しばらく押し黙った。
「この縁日はね。もともと、そいつのためにやりはじめたのさ。そいつは心の病気で、500年もの間、ずっとひとりぼっちだった。良くなったらもう一度みんなとお祭りに行きたがっていたんだ。だから病気が治ったら、そいつが行けるような縁日を開催することにしたんだ。村の祭りはあるけど、妖怪が気軽に参加できるもんじゃなかったからな」
「……そのひとは、まだ病気が治らないの?」
「らしいな。まあ、けっこう重症だったからな。本気でこの世界をぶっ壊そうとしてたんだぜ。とんでもなく迷惑な奴だったよ」
 わたしは、不思議に思った。
「そんな迷惑なひとなのに、どうしてみんな、そのひとのためにお祭りなんて開こうとしたの?」
 彼女は、思案するように視線を宙にさまよわせたあと、
「うーん……なんだろうな。うまく言えないけど、みんな、あいつへのそれぞれの思いがあって、その思いを忘れないために、こうやって続けているんだろうな。なんだかんだいって、強烈なやつだったしな」
「……あなたは、そのひとに、どんな思いがあるの?」
「そうだなあ。強いて言えば、後悔、かな」
 あはは、と寂しそうに笑う。
「……私はね、もっともっとたくさんのことを、世界の広さを教えてやりたかったんだよ。世界にはたくさんのしあわせがあるってことを知ってほしかったんだ。あいつは、あまりにちっぽけなしあわせだけしかもらえなかったんだ。それってすごく不公平じゃないか。神様ってやつは、ほんとに頭にくるよ。そういうくそったれなことが嫌いで、昔は魔法使いを目指したりしたんだけどな。所詮は普通の人間だ。年を取るにつれて、できないことがあるってことが嫌になるほどわかってきてな」
 そこで、わたしの顔をちらとみると、やれやれ、と、肩をすくめて、微笑んだ。
「辛気臭くなってしまったなあ。人間年を取ると、いろいろと言葉が増えてくるんだよ。ごめんな。……まあ、そんなわけで、というわけでもないけど。せっかくここまで来たんだ。怖がらずに寄ってくれよ。ここの巫女も、人間が来ないって主に売り上げの面で嘆いていてな。まあ、アコギな商売を担ぐわけじゃないけど、ここのお守りを買えば、きっとみんなから一目置かれるヒーローになれるぜ。博麗神社の縁日はキョーフの対象だからな」
「わたし、お金、持ってないの。近くで、花火を観たくて」
「花火か。じゃあ、よっぽど神社がうってつけかもな。あの山の上にあるから、空に近くてよおく観れるぜ。まあ、そこまで行く勇気が必要だけどな」
 そう言って、「んー」とちょっと思案すると、浴衣の袖に手を突っ込んで「ほれ。手を出しな」と言った。
 出したてのひらに、美人さんはラップに包まれた大福を持たせてくれた。
「お祭りに何もないってのもさびしいだろ。旨いから、食ってみな」
「い、いいの?」
「子どもは遠慮するもんじゃねーぜ。どーせ大人になると遠慮ばっかりしなきゃなんないんだしな」
 そう言って、あはは、と笑う。よく笑うひとだった。
「その代わりといっちゃなんだけど。できればひとつ、頼まれてくれないか。神社の巫女は霊夢って言うんだけど。そいつに『霧雨魔理沙が宴会に出れずにすまないと言ってた』って伝えてほしいんだ。家に口を開けてエサを待っているやつがいるんでな」
「……わかった」
「悪いね。霊夢とは昔っからの付き合いだけど、そのときからずっと、私はあいつのファンなんだよ。だから、ほんとうにすまないと思っているんだ」
 そう言う彼女は、懐かしいものをみるような、とてもやさしい目をしていた。
 

 大福は、噛むととてもよくのびて、なかにたっぷり入っているあんこと絡んで、とてもおいしかった。
 だけどなんだろう。その味を噛みしめていると、不思議な痛みがわたしの胸を刺すのだった。


 煌々と明かりがついている鳥居のまわりはもう目の前にあって、往来するひとも多くなってきた。
 魔理沙が言ったように、みんな妖怪ばかりだった。ニワトリの頭をしたスーツのひとや、魚のからだにカエルみたいな足が生えたひと、自分の頭を小脇に抱えた女のひと、むかでみたいに足が生えたひとつ目の犬、ガガンボみたいに手足ばっかりひょろりと長くて四つ足で高速移動をしているひと。わたしにはわからない言葉を話すひともけっこういた。
 だけど、みんな楽しそうだった。
 魔理沙に背中を押されたようにここまで来たけど、やっぱり来てよかった、と思った。
「あっ! そこにいるのは、もしかして人間!」
 急に飛んできたその言葉が、自分に向けられたのだと気付くのに、ちょっと時間がかかった。
 自分が何者なのかまだわかってないけど、羽根が生えてるから、人間ではないとは思っているのだけど。
 そうか。さっきの魔理沙も、羽根を隠しているから、人間だと思っているんだ。
 でも、そのまま人間で通しても面白いかもしれない。
「わたしを呼んだの?」と、返事をする。
「おう!」
 「こおりや」と描かれたのれんの屋台のなかで、水色の妖精がにこやかに笑って手を振っている。
 近づいてみると、妖精は「あげるから、ちょっと味見してくんないかな?」と聞いてきた。
「あたいたちかき氷を作ってみたんだけど、人間が全然買ってくれないんだよ。氷はあたいが作りだした天然の氷だし、削るのは妖精界一のファイター大ちゃんだから、絶対イケてると思うんだよね」
「わたし、お金、無いんだけど」
「味見だって言ってるじゃん。要らないよ」
「じゃ、じゃあ、もらっちゃおうかな」
「よし! 大ちゃん一個ちょうだい! 『ざりがに』で!」
 すると、お店にいるもうひとりの、緑色のサイドポニーの妖精がうおおおと叫びながらものすごい勢いでかき氷のハンドルを回し始めた。完全に氷を削ることに集中しまくっている。確かにこれはすごそうだった。だけど、『ざりがに』ってなんだろう?
 バケツみたいにでかいカップにこんもりと載られた氷の山へと、妖精は、真っ赤でドロドロしたシロップをかけはじめた。
 まさか……アレはシロップじゃなくて、すり潰したざりがになのだろうか? 私は、今になって安請け合いをしたことを後悔しはじめた。
「よし、できたぞ! 食べてみてよ!」
 バケツみたいな氷入りのカップを両手で受け取ってから、いろいろ思案したあげく脇に抱えて食べることにした。
 生臭かったらちょっとイヤだな、とか思いながら、思い切ってプラスチックのスプーンで赤いのがついた氷をすくい、口に入れた。
 イチゴの味がした。
「これ、イチゴ味なの?」
「ちがう。ざりがに味。ほら、赤いじゃん」
「……赤いのが全部、ざりがにってわけじゃないと思うんだけど……」
 かき氷はしゃりしゃりとしていて、とてもおいしい。名前を変えれば普通に売れると思うのに、とても惜しい。
「冷たくて、とても、おいしい」と言うと、妖精はにっこり笑った。
 うおおおおっと叫び声が聞こえた。サイドポニーの妖精が、またすごい勢いでかき氷を削っている。微塵も疲れを感じさせないパワフルさだ。
「すごい」と思わず口に出てしまうと、妖精は胸を張って、
「大ちゃんは見た目によらず、とってもバイオレンスなのさ!」
 あまり褒め言葉になってない気がする。
「と、とても働き者なんだね」
「そうさ。いつもだって館でメイドをやってるんだよ。あたいもやりたかったんだけど、お前はクビだって言われたのさ!」
 氷の妖精は、なぜかいばってそう言った。
「お館で働いているんだ。えらいね」
「うん。そこで、友達の看病をしているんだ」
「友達? そのお館には、友達がいるの?」
「うん。寝たきりなんだ。もうずっとね。もしかすると、もう起きないかもしれないってさ」
 あっけらかんと妖精は言った。
「もう起きないかもしれないのに看病し続ける、って……終わりが無いかもってこと? それは、とても、辛くない?」
「大ちゃんは、ずっとやり続けるつもりだよ。友達なんだからさ」
「……じゃあ、昔からの、とても大切な友達なんだね」
「うーん、昔っからってわけでもないかなー。ちゃんと話したのって、一日くらいだし」
「え? たった一日くらいなの?」と思わず声が出た。
「あの日は、とても特別な一日なんだよ」と、妖精は言った。
「あたいは最強だけど頭はあんまりよくないから、昔のことをどんどん忘れてしまうよ。でも、あの日のことは、あいつのことは、今でもずっとおぼえているんだ。それって、特別ってことだよ。友達ってことだよ。そうじゃないかな?」
 ずきん、と、胸が痛んだ。
 この痛みは、なんだろう?
 わたしにも、そんな素敵な一日があったのだろうか?
 そんな友達が、いたのだろうか?
「チルノちゃん! 氷が無くなっちゃったよ! もっとガンガン作ってよ!」
 サイドポニーの妖精がカラになったかき氷製造器のハンドルをグルグル回しながら叫んでいる。視線もグルグルしていて何かいっちゃってるかんじだ。
「まずい。大ちゃんはマジメなんだけど、マジメすぎてたまにちょっと怖いんだよね。メイド妖精っちからも鬼軍曹って呼ばれてるみたいだし……」
「お客さんを待たしちゃダメだよ! お客さんは神様なんだからね!」
 その妖精は、かわいい顔を鬼のようにとんがらせて、まだハンドルをグルグルまわしている。確かにこれは怖い。
「ご、ごめんすぐ出すから」
 チルノと呼ばれた妖精は、その剣幕に押されて本気で謝っている。
「じゃ、じゃあ、味見してくれてありがとう! やっぱりあたいっちのカキ氷は最強だってことがわかったから、ガンガン売るよ!」
 そう言って手を振って振り向こうとしたので、
「ご、ごめん。このカキ氷、ほんとに全部もらっていいの? なんか、まだいっぱいあるんだけど」
「じゃあ、また今度会うときにさ、代わりになんかちょうだいよ!」と、チルノは言った。
「……また今度、って」
「あたいはチルノっていうんだ。いつも湖のあたりにいるからさ!」
 チルノは、にんまり笑って手を振ってくれた。
 うれしかったけど、ちょっと恥ずかしかったので、わたしは小さく手を振り返した。
 その背後に、大ちゃんと呼ばれたサイドポニーの妖精が肩をいからせながら近づいてきたので、あわてて立ち去ることにした。


 バケツみたいなカキ氷を小脇に抱えながら、鳥居をくぐり、石の階段をのぼっていく。階段はけっこう急だったので、せっかくもらったカキ氷をこぼさないように、途中から両手で胸に抱えて持つようにした。
 あれから花火は上がっていない。もう終わってしまったのだろうか。チルノちゃんに聞けばよかったなあ、と今になって後悔した。
 だからといって、まわりのひとは、それぞれ楽しそうに話しているので、声をかけづらい。
 さっき、魔理沙がわたしのかっこ、ヘンだって言ってたしなあ。ほんとは直してほしかったけど、魔理沙はきっとそういうファッションをあえてしているんだって思ったんだろうな。なんとなく、そういう考えをするひとの気がする。
 境内に近づくにつれて、にぎやかな声が近づいてくる。上りきったわたしは、境内の様子をみて、思わずぎょっとした。
 まず、妖怪のひとたちの数がはんぱなかった。人間なんてひとりもいない。そして、いろんな姿かたちのひとたちが、適当にゴザとかを引いて、楽しそうに騒ぎながらお酒を飲んでいるのだ。
 魔理沙が「人間の子供たちは肝試しに行く」って言ってたけど、確かにこれはびびる。
「おーなんだ、おまえはあれか、お酒よりカキ氷のほうが好きなのか」
 ひょうたんを持ったちっちゃい鬼が陽気に話しかけてきたので、びっくりした。
「ふーむ、お酒味のカキ氷ってのもオツかもしれんなあ」
 胸に抱えているカキ氷を見ながら、鬼はそう言ってひょうたんをカキ氷に近づけてきたので、わたしはあわててカキ氷を逃がした。
「お、お酒なんて入れたら、ヘンな味になっちゃうよ!」
「お酒は何よりおいしい魔法の水だよ?  ……って、おまえ、もしかして人間なのか?」
 急にわたしのからだに顔を近づけてくんくん嗅ぎ出したので、またもびっくりした。
 鬼は、わたしにかまわず、首をひねっている。
「うーん。妖怪みたいだけど、なんか混じってるなあ。人間の子どもにはお酒をつぐな、ってれいむから言われてるしなあ……」
 れいむ? 
「霊夢を知っているの?」
「あーなんだ。れいむに用のひとか。道理でちょっと変わってるとおもったよ」
「よ、用というか。そんな用もないんだけど……」
 鬼は、ちょっと首をかしげながら、「よくわかんないけど、まあ、いいか」と言ってはにかみ笑いをすると、ほてほてと神社のほうへ歩いていく。
「れいむー。お客さんっぽいひとだよー」
 しばらくして、神社のなかから、
「……っぽいひとって何よ、萃香」
 賽銭箱の後ろから、のそり、赤と白の巫女っぽい服を着ている女のひとがあらわれた。魔理沙は大人だと思ったけど、このひとは大人と子どもが混じったような、不思議な雰囲気のひとだった。きれいな顔だけど、きれいというよりは、なんだかかわいいかんじ、と言ったらいいのだろうか。
 寝ていたのだろうか、目がどろんとしていて、長いきれいな黒髪を、ばさばさと手で掻いている。頬が赤い。
「で、誰なの? どーせまた賽銭ひとつも入れやしない妖怪でしょ。ここは百鬼夜行中かっつーの。ったく、縁日でも開けばちっとは賽銭やお守りが売れるかと思ったら妖怪しか来ないじゃないの。ほんとレミリアにのせられるんじゃなかったわよ……」
 わたしに目を止めると、その目がぎょっ、と突然見開いた。
「お、お客さん! 人間のお客さんじゃないの! バカ萃香、早くそのことを言いなさいよ!」
 「ふへへへ」と不気味な笑いを浮かべながら、あやしい足取りで、彼女はこっちにやってきた。どうも、かなり酔ってるらしい。
「寺子屋の子? ここのお守りを買ってみんなに自慢したいんでしょ。これがそのお守りよ!」
 そう言って、手に持ついくつかのお守りをわたしに見せた。
 お守りは、「博麗神社のお守りデス」と、筆で書いてある。ひとつひとつの字の大きさがばらばらで、たまに「お寸り」とか、「専麗ネ土」とかになっているお守りが混じっていた。
「まったく同じものは世界に二つと無い貴重なお守りよ。しかも霊験あらたかな博麗神社産の霊石がなかに入ってて、持ってるだけでしあわせになれるの!」
「まあ、ぶっちゃけそこらへんの石ころだけどね」と言った鬼の頭を、巫女がぼこんと殴った。
「い、いたいよれいむっ……なにするんだよお」
「う、嘘を、つ、つかないでちょうだい」
「お、鬼は嘘つかないよ……」
「う、嘘じゃないかもしんないけど……言い方ってのがあるでしょう言い方ってのが!」
「ご、ごめんなさい。あの、わたし、お金、持ってないの」
 それを聞くと、巫女は再び目をむいた。
「はあ? お金持ってない? んなもん親からせびりなさいよ! それが子供の仕事でしょーが!」
「ご、ごめんなさい。どうしても花火が見たくて、外に出てしまって」
「親に内緒でってことね。じゃあ、不良ってことじゃないの。だったら不良らしく親の財布から盗んでくればいいじゃないの」
 メチャクチャなことを言ったあと、霊夢は、はああああと長いため息をついた。
「これじゃほんと夏が越せないわ……こんな辛い現実を捨ててもうお酒に逃げるしかない」
「ご、ごめんなさい……お、おわびにカキ氷でも食べる?」
 じろり、と霊夢はわたしが抱えているカキ氷を見つめると、いきなりひったくってあんぐりと開けた口にぞばばばと流し込んでしまった。がりぼりがりとあっという間に食い尽くすと、「氷じゃ腹は満たせないわね……ううううっキーンときたかっ……と思ったけどあまりこないわね」とかぶつぶつ言っている。
 それから、呆気にとられて何も言えないわたしをじろとにらむと、
「ってか、あんた私に何の用で来たのよ」
「用というか、実は、魔理沙から霊夢に伝えてほしい、と言われてて」
 その名前を聞くと、霊夢は、急に真顔になった。
「……なんか言ってたの」
「宴会に出れずにすまない、と」
 霊夢は、ふん、と鼻を鳴らして、皮肉っぽい笑みを浮かべながら、
「……まあ、あいつも今じゃまっとうなしあわせをつかんじまったから、こんなけったいな神社の宴会なんざ来てるヒマなんてないってわけね」
「で、でも、魔理沙は、ずっと霊夢のファンだって言ってたよ」
 霊夢は、ほんの一瞬だけ、とてもさびしそうな目をした。
 だけど、すぐに「けっ」と吐き捨てると、
「しあわせなひとは他人を思いやれる余裕があるってわけよ……まあいいわ。あんた、それだけのために来たわけ?」
「ち、違うよ。ここに来たら、花火がとても近くに見れるって、魔理沙が」
「そんなに花火が好きなの? あんなパーンって弾けるだけの安っぽい弾幕みたいなもんのどこがいいのよ」
「う、うーん……なんでだろう。わたしも、わからない」
「わからないって何よ。自分のことでしょーが。ったく、昔、そんなこと言ったおバカさんがいたけど……誰だっけな」
「その、わたし、昔の記憶が全然無いの」
 投げやりにそっぽを向きながら聞いてた霊夢が、突然ぴく、とこちらを向いた。
 わたしを見つめて、押し黙った。
 妙にやさしくて、いつくしむような、なつかしむような目で。
「……やれやれ。魔理沙のやつ、こんなことも気付かないなんてね。うかれすぎてちょっと散漫すぎるんじゃないの? あんだけずっと気に病んでたくせにさ」
「え、ええと、何の話?」
「……こっちの話」
 巫女はしばらくうつむき、ため息をつくと、再びわたしを見て、
「それより花火。見たいんでしょ? あともうちょっとすれば、向こうの村の花火が上がるから。見るんだったら、この境内の裏からもうちょっと登ったところに奥宮があるけど、そのあたりが隠しスポット。しばらく山道で怖いかもしれないけど、あんたなら大丈夫よね」
 そう言うと、「はい、これ」と、お守りをくれた。
 あまりに唐突だったので、呆気にとられてしまった。
「……え?」
「カキ氷の代わりよ。これね。ほんとうに、ちゃんと効くのよ。しあわせになった魔理沙も、このお守りをいつも持ってるって言ってたしね」
「で、でも、」
「しあわせになったら、お返しをちょうだいよ。……萃香、戻るわよ。カキ氷のおかげで酔いも醒めたし。これからちょっと忙しくなるからね」
「え、そうなの?」
 霊夢は、萃香と呼ばれた鬼を連れ添いながら、踵を返して神社に戻ろうとする。
「ちょ、ちょっと待って!」
 霊夢は、こちらを振り向かずに、足を止める。
「……何よ。さっき言ったでしょ。私たち、これから忙しくなるのよ」
「ひとつだけ教えてほしいの。……ねえ、もしかして、霊夢は、わたしのことを知っているの?」
「……」
「……知っているのなら、教えてほしいの。わたし、自分のこと、ほんとうに、何もおぼえていないの。どうして眠っていたのか。わたしが、どういうことをしてきたのか。何も、わからないの」
「悪いけど。それをはじめに伝えるのは、私の役目じゃないの。もっと、ふさわしいやつがいるからね」
 それだけ言うと、そのまま振り返りもせずに、神社へと帰ってしまった。



 境内の裏の山道は人気が無くてちょっと怖そうだったけど、なんだかここの空気自体がやわらかくて、あまり怖いとは思わなかった。
 やがて、茂みを抜けて、高台に出た。
 誰もいなかった。月の光がわたしを照らし、夏の虫が、じじじじじ、と、どこかで鳴いている。
 見下ろすと、神社の前の、出店が並んでいる通りが、キラキラと輝いていた。にぎやかな音が、かすかに聞こえてきた。
 次の花火まではまだ時間があるらしい。草むらに転がると、夜の空にぽっかり浮かんだ大きな月が、面前にあった。なんだか吸い込まれそうなくらいに大きかった。すずやかな夜の風が髪を揺らして、さわさわと額をくすぐっている。気持ちよかった。
 わたしは、首に巻いたお守りをつまんでみる。
 文字の大きさがバラバラな、ほんとに下手っぴな字で、少し、くすり、としてきた。
 しあわせになれる、か。
 どんなことが、しあわせって言えるのかな?
 でもきっと、今日みたいな日がずっと続けば……それはきっと、しあわせなんだろうな。
 でも、さっきから、たまにちくり、と胸が痛むのは、どうしてだろう?
 わたしの心は、何を伝えようとしているのだろう?……
 


「ここに居たんですね」



 ……きれいな声がして、わたしは、目を開けた。いつの間にか、眠ってしまったらしい。
 目の前に、大きな月を背にして、黒い影が立っていた。
「ずいぶん探しましたよ。ほら、もう、花火がはじまります」
 ひゅううん、と空気を切り裂く音がすると、夜の闇が一瞬、白い光にきらめいた。
 どおおおん、と、胸にまで響く音とともに、黒い影が、花火の白い光に照らされた。
 銀色の髪をした女のひとが、わたしを見下ろして、ほほえんでいた。
 まるでお月様みたいに、見ているだけで落ち着いてくるような、やさしい笑顔だった。
 わたしを見つめる瞳は、まるで月の光みたいに神秘的だった。
 ちくり、と、胸がまた痛む。どうしてだろう?
 彼女は、やれやれ、と、ちょっとおどけるように肩をすくめてみせる。
「そのお面。ほんとうはどうしようかと思っていたんです。だけど、結局捨てられなくて。……やっぱり使ったんですね」
 そのひとの手に狐のお面があるのをみて、いつの間にか素顔があらわになっていることに気付いた。
「それに、それでは羽根が窮屈でしょう。その浴衣なら、背中に羽根を出す穴が開いているはずですよ」
「わかっている。でも、なんとなく、恥ずかしくて」
「恥ずかしいものですか。そんなきれいな顔と、羽根じゃないですか」
 どきり、とした。
 でも、こんな素敵な笑顔できれい、と言われたら、どきりとするに決まっている。
「ここなら誰も来ないでしょう。花火を見ながら、着替えましょうか」
 わたしは、上体を起こすと、
「それより。教えてほしいの。あなたのことも、わたしのことも。わたし、なにもおぼえていないの。だから」
「……博麗の巫女は、何も言わなかったのですか?」
「うん。それは、私の役目じゃない、って」
 彼女は、一瞬真顔になった。だけど、再びほほえむと、
「……わかりました。まず、私は十六夜咲夜と申します。あなたは、フランドール・スカーレット様。そういえば、おなか、すいてますか? あまり余裕が無くて、簡単なサンドイッチくらいしか持ってこれませんでしたが」
 咲夜が持っていたバスケットケースを開くと、なかにはサンドイッチが並んでいた。
「これ、……咲夜、が、作ったくれたの?」
「はい」と、ちょっと照れたようにうなづく。
「昔は今思うとホントにヘタでしたが、それよりはマシになったかな? と思っています……でも、本当にありあわせのものですけど」
 トマトとハムがはさまったサンドイッチは、バターがたっぷり塗られていて、とてもおいしそうだった。
「今日は、いろんなひとからいろいろもらっちゃったの。カキ氷とか、大福とか」
「そうですか。じゃあ、おなかもすいてないですか?」
「ううん。食べる。……だって、咲夜が作ってくれたのだから」
 意識しすぎたせいか、自分で言ってて恥ずかしくなってきた。
「……ありがとうございます」
 咲夜は、にっこり笑ってくれた。わたしは、まっすぐ見ることができずに、うつむきながら、バスケットのなかのサンドイッチをつまんだ。
 サンドイッチは、口のなかで噛むと、とても甘いトマトの味が口のなかでじゅんわりとひろがって、ほんとうにおいしかった。
「おくちに、合いましたか?」
 口のなかがサンドイッチでいっぱいだったので、わたしは力いっぱいにうなづいた。
 ごくん、とのみこんで、
「その、ちょっと聞きたいことがあるんだけど」
「はい」
「さ、咲夜は、わたしの、どういうひとなの、かな」
 あれ、なんかヘンな聞き方だったかもしれない。なんか緊張して声がうわずったのもよくない。
 咲夜は、一瞬、言葉に詰まったようだった。
「……私は、あなたの……お姉様であるレミリア様の従者で、その館である紅魔館で、メイド長をやっているのです」
 わたしの顔を見つめていたあと、咲夜は言った。
「……どうしました?」
「ううん。なんでもないよ」
 そうか。
 わたしのお姉様がいて、そのお姉様の命令でわたしを探しにきたんだね。
 そんなもんだよな。
 ひとりでうかれて、ばかみたいだな。

 浴衣から羽根を出すためには、いったん浴衣を脱がなければならなかった。
 外で裸になるのは正直恥ずかしかったけど、咲夜が背中でてきぱきとやってくれたので、そんなに時間もたたずに着付けが終わった。
 わたしの背中で、二本の羽根が揺れていた。
 まるで骨格だけの、空もきっと飛べない羽根。
「……やっぱり、恥ずかしいですか?」
 咲夜が、不安そうに聞いてきたので、ううん、と首を横に振る。
「咲夜がこの羽根をきれいと言ってくれたから。だから、いいの」
 言ったあとに、ちょっと恥ずかしくなって、うつむいた。頬が熱くて、そよ風が、いっそうすずやかに思えた。
 なんで自分で言った言葉に照れてるんだろう。かんちがいだってわかっているのに。ほんとうにわたしは、ばかだな。
「……そう言っていただけると、とても、うれしいです」
 咲夜がどんな顔をしているのか直視できずにうつむいたまま、言葉が見つからない。
 沈黙が、痛い。
 何かを話そう。なんでもいいから。
「わたし、さっきね、ちょっと、がっかりしたの」
 と口から出て、わたしは仰天した。なんで言うにことかいて、その話題を。ほんとうにわたしはバカだ。
 でも、もう止まらない。
「その、咲夜とは、もっと親しいんだって、勝手に思っちゃったの。親しい、というのは、友達とか、そういうので。どうしてそう思ったのかっていうのは、その、そうだったらいいな、って思ってて。その、」
 よっぽど恥ずかしかった。しどろもどろになって、収拾がつかない。
 ちら、と咲夜をみると、ふふ、と、まるでお母さまみたいな顔でほほえんでいて、わたしはちょっと安心したような、つまらないようなかんじがした。
「……そうですね。さっき、私がお伝えしたのは、あくまでもほかのひとからみた私の立場なんです。フラン様とは、その関係でしかなかった。……いや、できなかった」
 できなかった?
 思わず顔をあげると、咲夜は、すこしかなしげな目をしていた。
「……いや、これは、無責任な嘘が混じっています。正直に言います。昔、私は、あなたが嫌いだったのです。いや、怖かったのです。あの頃は何もかもに余裕が無くて、ちっぽけな自分の世界を守ることで精一杯だった。そんな自分の世界を壊されると思って、あなたを恐れていたのです」
 あまりにショックな言葉だったので、わたしは呆然とした。
 嫌い。わたしのことが、怖かった。
 それから、今までの楽しさが吹っ飛んでしまうほどのかなしみが襲ってきた。
 涙が出てくるほど、胸が痛すぎて、苦しかった。かなしみが強すぎて、どうにかなってしまいそうだった。
「フラン様。フラン様。大丈夫ですか」
 咲夜が、私の両肩に手をのせて、心配そうにのぞきこんでいる。
 とてもきれいな目だった。
 震える右手を、わたしは左腕で押えつける。
 私は、ごくり、とつばを飲み込んで、意を決して、咲夜に、ずっと気になっていたことを聞くことにした。
「咲夜、教えて。わたしは、何をしたの?」
 わたしの顔をまっすぐ見つめている咲夜の顔が、すこしこわばった。
「さっき聞いたの。病気になって、たくさんのひとに迷惑をかけて、ずっと眠ってしまった子の話。それが、わたしなんでしょ? そのときにたくさん迷惑をかけたから、咲夜は、わたしが嫌いになったんでしょ? さっきわたし、ドアを壊してしまったの。邪魔だと思ったけど、壊すつもりまでなかったのに。ねえ咲夜。わたしは病気なの? 怖いよ。わたし、咲夜まで壊してしまったりするんじゃないかと思うと、ほんとうに、怖いよ」
 ふうわり、と、あたたかいものが、わたしを包み込んだ。
「大丈夫です。そんなものは、ぜんぶ、大丈夫なんです」
 わたしを抱きしめながら、咲夜は言った。
 突然のことで、何も言葉が出せなかった。
 咲夜のからだから、胸の鼓動が伝わってきた。とても大きく、速く鳴っていた。
「私たち、一度は失敗してしまったのです。そのせいで、これだけ遠回りをしてしまったのです。だけど、ほんとうはこんなもの、大した問題じゃないんです。すごく近くに、ごく簡単な、解決方法はあったのですから」
 わたしから少し離れると、咲夜は、「右手を、ちょっとお借りしてもいいですか」と、言った。
 よくわからないまま、おずおずと右手を前に出した。
 すると咲夜は、「失礼します」と言い、同じように右手を伸ばす。

 そして、わたしの右手を手に取ると、ぎゅ、と、にぎった。

 爆発したように。わたしのなかから、なにか、あたたかいものが、あふれてきた。
 胸いっぱいにこみあげてきたそれは、たちまちわたしのからだのなかを駆け巡り、やがてわたしの顔にたどり着くと、涙となって、外にこぼれでた。ぼろぼろと頬を伝う涙はとても熱くて、口のなかにちょっと入ると、しょっぱかった。
「ばかみたいですよね。たったこれだけのことに、私たち、ずいぶん時間がかかっちゃったんです」
 ハンカチでわたしの涙を拭いてくれたけど、そんな咲夜の目じりからも、涙があふれている。それが妙におかしくて、わたしはちょっと笑った。
「ずっと、後悔してきました。自分の世界だけしか見えておらず、何度もフラン様を傷つけてしまったことに。何度も自暴自棄になりました。そのたびに、レミリア様に、紅魔館のみんなに助けられました。ほんとうに、最高の仲間です。そして私も、みんなも、ずっと待っていたんです。最高の仲間に、もうひとりが加わることを」
 咲夜は、ほほ笑みながら、
「フラン様。おかえりなさい。ほんとうに、お待ちしておりました」
 お待ちしていました、って言われても、まるで実感は無い。わたしはたった今目が覚めたばかりで、何もわからないのだから。
 だけど、こんなわたしを待ってくれるひとがいるのは。
 ここにいてもいいんだよ、って笑ってくれるのは。
 とても、とても、うれしかった。
 わたしは、咲夜の手を、ぎゅ、と、握り返す。やわらかくて、あたたかい。
「……これからも。ずっと、にぎってくれるの?」
「はい。もう二度と、離しませんからね」
 どーん、と心臓まで響くような破裂音がこだまして、夜空が虹色にきらめいた。
 涙でにじんで、まるで万華鏡の中みたいだった。そんな万華鏡のキラキラに包まれた咲夜の顔は、夢のようにきれいだった。
 五分もすると、レミリアおねえさまとか、紅魔館のひとたちとかがにぎやかにやってきて、そのまま神社で宴会になだれこんで、さらにとんでもなくにぎやかになるのだけど、それまでわたしたちは、手をにぎったまま、闇夜に咲いた花火を見上げていた。

<495年の孤独 終>
思うところがあって仕切り直しました。すみません。
咲夜さん自機復活おめでとうございます。
というわけで、4作目です。嫌がらせのように長いのですが、もし読んでくださった方がいらっしゃれば、とてもうれしいです。
藍田真琴
http://twitter.com/imako69
簡易評価

点数のボタンをクリックしコメントなしで評価します。

コメント



0.790簡易評価
1.80名前が無い程度の能力削除
おお復活した!

なんといいますか極めて独特な雰囲気を放つ作品でした。たとえるなら、劇場版エヴァ。ネタやギャグシーンを織り交ぜることで話にメリハリとアップダウンをつけ、クトゥルーの力を借りて狂気を狂気として描写する手法は格別です。

フラン(と、あといちおう咲夜)の心理描写が物語の最も大きな部分を占めますが、これらが読んでいて気持ち悪くなるほどに気狂いなもので、凄まじかったです。

咲夜のキャラが薄くなるほどに周囲のキャラたちも目立ちまくっていて、飽きさせません。

3.100名前が無い程度の能力削除
ちくしょう、もってけ!
俺の二時間と100点!!
4.50名前が無い程度の能力削除
大作お疲れ様です。
狂気フラン(破壊衝動起因)をテーマにした作品は評価されたもの、されなかったもの合わせて
創想話には文字通り山のようにあります。
その系譜としてこの作品を読んだとき、そこに新しい解釈が見られなかったのは残念でした。
5.20名前が無い程度の能力削除
既に書いてる方もいるが、端的に言うと目新しさがない。
これだけ筆を費やしてやってることはこんだけかよというか、テンプレの上にテンプレを盛り付けてお出しされた感があるというか。
贅肉が多すぎるのである。
そして何よりも間に挟まれるギャグが全て滑ってるのがキツい。クトゥルフネタに至っては全く必要性が感じられず失笑してしまった。
+10点は書ききったことへのご祝儀で。
追記:書き方がかなり悪かったので補足。「テンプレの盛り合わせ」は間違った書き方だった。「薔薇喰いの怪物」とか面白そうだもの。その辺は興味をひかれたが、結局それがなんの役にも立っておらず、結局いつもの魔理沙カッコイー! ウィーピピー! へ収束してたんじゃダメでしょうってことで。
8.100名前が無い程度の能力削除
うーん、作者さんは巷で言われる、「ネタ(?)をはさまないと死んじゃう病」なのでしょうか
この世界観には不要だと思うんですよねぇ…全く面白くないし
こだわりはあっても余計なものは容赦なくスパスパ切っていくのも重要な推敲作業です
これだけで-60点も削れますよ 
まあ160点満点だったのでよって100点で
9.100名前が無い程度の能力削除
感動的なお話でした。
11.100長久手削除
あまりにも寂しくて欠陥だらけで一途で優しい二人のお話が過去と内的世界と現実との交錯の中で危うげに儚げにふらふらと揺れながら進んでいく様に魅せられました。
プログレッシヴなモチーフの数々にニヤニヤしながら、パチュリーさんの切ない回想に何やら化膿しかけの傷をざっくりと抉られた様な気もします。
「おもしろいに理屈もナニもあるのかねえ。おもしろいからおもしろいんだよ」
そんな人たちを温かく包み込む救いの言葉でもあり、このお話を読んだ感想でもあります。
素敵な物語をありがとうございました。
14.100名前が無い程度の能力削除
ステキィ
15.70桜田ぴよこ削除
既に他の方も触れている通り、少し冗長だったり目新しいものがなかったりネタの挟み方がテンポを悪くしていたり思うこともありましたが。さいご。お話の畳み方でだいたいは許せたので、面白かったとだけ結ばせてください。
17.100絶望を司る程度の能力削除
読むのにすごい時間使ってしまった・・・。おもしろかったです。ハッピーエンドでよかった!
20.90名前が無い程度の能力削除
そそわに長く住んでる人であればあるほど、これ読んでると強いデジャヴに襲われると思う。
要するに使い古しのネタで、擦り切れてボロボロのシナリオなんだな。
散りばめられたネタや展開、情景ですらもどこかで見た記憶を探すことができる。
でも、あえてこれをリアレンジしきった姿勢には尊敬の意を表したい。
なんだかんだ人気のある、俺の中で二次シリアスフランちゃんと言えばこれ、って感じだから好きなんだよね。
もちろん、他にもいくつか俺のイメージするフランちゃん像というのがいくつかあるわけで、つまり何が言いたいのかというと、俺はネタ被りを否定する気になれない、ってことだ。
王道とかAAAとかいわれるタイトルは総じてそのようなものだしね。
また別の点では、この作品のなかにオリジナリティを見つけることは十分に可能であって、一本の直線を引いたときの原点か最先端か、というシンプルな二項対立ではなく、その直線上にある数々の作品ごとに異なる特徴があるのであって、そこを評価してやりたいと思う。
うーん、自分でも分かりにくい文章だけど。
たとえるなら、東方原曲とアレンジ曲みたいなものかな。
似たようなのが沢山あって辟易する部分も確かにあるけど、個性が死んでいるわけではない。
アレンジという作業は既存のネタの再編集でしかないように見えて、その実、独自のセンスを要求される再生のエンターテイメントでもある。
その観点に立ったとき、俺はこの作品が、好きなのです。
22.100名前が無い程度の能力削除
素直に面白いと思えない人は可哀想だ。いやー、読んでいる内に完全に世界に入り込んでしまいました。まるで夢でも見ていたかのような気分です。純粋に面白いと思いますよ。映画化したら絶対見に行くところです。嫌味なくらいの長編お疲れ様でした!!
23.40名前が無い程度の能力削除
うーん…
あくまで個人的な意見ですが、シリアスならシリアス、コメディならコメディと分けてほしかったですね
24.100夜空削除
端的な言葉で淡々と綴られてゆく感情の行く末のラストは素晴らしいの一言に尽きました
本文中で登場人物が狂ってるなどどしきりに語られますが、すべてひとりよがりな感情論にすぎないところにとても共感を覚えます
しょせん人間(じゃないですけれど)エゴで生きているようなもんだと考えると、本作のような行動理由も自然と納得できますし、ほんのわずかなすれ違いでかくも関係性は変わっていくのですね
心の部分が表層に留まっているあたりは意図的なのかもしれませんが、咲夜とフランドールの気持ちはもっと深く掘り下げてもらえたらずっと深くのめりこめたんだろうと思いました。ものすごく面白かったです
25.90名前が無い程度の能力削除
記憶喪失でリセットは釈然としません
28.603削除
まずはこれだけの大作を書ききったことに敬意を表します。お疲れ様でした。
まず変なネタは挟まないほうがいいかと思いました。
特に序盤で出てくる中途半端なギャグで何度ブラウザバックしようと考えたか……
肝心の内容ですが、段々と面白くなってきたように感じました。
ラストはあまりよく分かりませんでしたが、何となく雰囲気は伝わりました。
しかしこの量のSSを読ませるだけの文章力にやや欠けていると思われましたので、この点数とさせて頂きます。
33.100名前が無い程度の能力削除
大ちゃんのSANチェック→失敗 1d6→5 アイデアロール→成功 失禁  
こんな事を色々妄想しつつ

このレミリア氏的にはハーレムエンドがいいとか言いそうでごわす

ネタが豊富でしかもシリアルに疲れてきた頃に絶妙なタイミングぶち込んできてくれて飽きずに読み切れた!

ただ、最後の締まりだけ悪い気がしました。締めが難しい展開だと予測はしてましたが
あれだけレミリアラブヤンデレフランやレミリアラブヤンデレ咲夜がフラ咲に安置に鞍替えするとは思えないん、これはかなりイビツに感じました。
フランとさくやが尻軽にに

つまり、レミリアハーレムエンドからフラ咲に変わったらレミリア大損じゃないですかやだー