「お砂糖なんかいらないわよ」
霊夢はそう言って不格好な形をしたマグカップを傾けた。
「おぶっ」
そしてむせた。
秋の少々肌寒い夜に、彼女の強襲を受けた部屋の主は、一瞬どう反応すればよいのかわからなくなってしまった。
「何これ、泥水?」
呆けた口元を、甘党が渋面を作りそうなほど黒い液体が伝っていく。
「いや、珈琲だって言っただろう?」
「聞いてない」
「僕はきちんと言った。 それだけは間違いない」
主が二度言いきってみせると、何か思い当たる節でもあったのか、悔しさとも羞恥心とも取れる濁りが混じった少女の瞳が、混沌とした部屋の片隅に積まれた箱に移され、とうとう混沌の持ち主、霖之助へと視線が戻る。
短く声を漏らした後、妙に芝居ががった素早い動きで霊夢の右手がその顔を覆った。
「まさか霖之助さんにだまされるなんて、不覚だわ」
「頭を抱えたいのはこっちだよ」
一体何がどうして、この寒い中温かい布団を取り上げられて、あまつさえその犯人に温かい飲み物を出してあげたというのに。
文句を言われる筋合いが、どこにあるのだろう。
これがどこかのポエマーなお年頃の人間であれば、ああ可哀そうな僕などと言いながら、泣いているところだ。
生憎彼は人間分が半分程度で、ポエマーなどではなくむしろ理屈っぽい性格だったりするのだが。
文句のつけどころをなんとか見つけたのか、霊夢は顔を上げて睨むようにしてみせた。
「なんでまた、珈琲なのよ。」
「よし、もう一度特別に説明してあげようか」
事情は割と単純明快なのだが、霖之助の表情は非常に面倒そうである。
ちょうど茶葉を切らしていた時に、暇を持て余していたスキマ妖怪がやってきた。
あら、ちょうどよいものがありますわ、という賢者と、遠慮する店主。
決着は如何にしてついたか。
部屋の片隅の様子は、それをよく表していた。
「それで、これ?」
「ああ、これなんだよ。 気付いたら大量の豆を押しつけられていた」
「お茶の代わりに珈琲……紫らしい嫌がらせだけど。 もしかして霖之助さんも私に嫌がらせしてくれちゃったのかしら?」
「それは誤解だ」
文字通り腐るほどの豆をもらった店主だったが、腐らせるのも勿体なかった。
とはいえ、管理するのも面倒くさい。
ならば、手早く消費してしまうのが一番なのだ。
「で、霊夢にも手伝ってもらおうか、とね」
「体よく利用されたわけね」
「そうとも言うね」
香霖堂に押し掛けるタイミングと、茶目っ気を出したスキマ妖怪への対応。
お互いに失敗した、とでも言いたげな顔をしながら、二人はもう一度ブラックのままの液体をすする。
「……苦い」
「……だろうね」
多少は苦味の良さを知った大人ならばともかく、少女にはやはりブラックには辛いだろう。
そう考えた霖之助が砂糖の入った容器を差し出したが、霊夢はそれを拒んだ。
「砂糖は良いってば」
「どうして」
「だって」
言いづらそうにする紅白を前にして、霖之助は考えられそうな理由を並べてみた。
「減量かい?」
「私、太ってる?」
「いや、むしろもっと食べるべきだろうね。 ああ、子どもっぽいから嫌なのかい? 格好をつけることは恥ずかしがることでもないよ」
服装でも言葉遣いでも、ブラックコーヒーを眉一つしかめずに飲んでみせることでも、大人の真似ごとをしたくなる気持ちは、彼にもよくわかる。
「外の世界ではわざわざ不健康な大人の真似ごとまでして見せるというし、それに比べたら可愛いものだよ」
「……子ども扱いしてる?」
「何をいまさら」
普段の少女の所業に対する店主の対応を考えれば、一目瞭然というものだろう。
大人扱いしているのであれば、こうしてのんびり話すことすらできなくなっているはずだ。
「それもそうね……後、違うからね」
「ん、そうか」
「砂糖は余分なんだもの」
さっぱり中身が減らないマグカップを両手で抱えて、霊夢は語り出す。
「人間はすぐ太っちゃうでしょ? だからいらないの」
「うん?」
少女の言っていることの意味が、よくわからない。
減量なのかと、すでに一度尋ねて否定されているのだから。
「えーと……減量」
「違うってば……えっとね?」
苦笑しながら、否定しながら、言葉を組みたてるような調子で少女は語る。
「甘いのって、なんか充実してる感じなの」
恋人と仲睦まじくって感じで、甘いのを食べると、胸が詰まるの。
満たされてるなあって思う。
あ、具合が悪いわけじゃないんだってば、大丈夫だから。
でも、たくさん甘いのを取ると、胸やけを起こすわ。
だからって糖分を断つのも難しいのよね。
すぐに甘いのがほしくなっちゃう。
今度は胸が寂しくなる。
そんな調子でやってたら、すぐ太っちゃうでしょ?
胸が詰まる思いなんて知らない方がいいの。
「だから、珈琲も苦いままで。 甘くしたのは飲まないの」
「……ふむ。 頭がおかしくなったのかい?」
気が進まなそうにカップを傾け続ける霊夢の言葉を聞いて、霖之助は非常に心配していた。
「失礼ね。 私は正常よ」
「それにしてもね……理解できない」
あまりにも乙女的で、頭が分析を拒んでいた。
彼の白髪頭には、理屈と好奇心しか入っていないのだ。
「霖之助さんにはわからないかなー」
「君の理論に従うなら、妖怪は胸やけを起こさないからだろうね」
「でもあなたは半分じゃない」
「そうだね……よっこらせ」
立ちあがった店主は、雑多なものが並んだ戸棚を漁り始めた。
ほどなくして見つけた、白い粉の詰まった袋を取り出しながら、彼は言う。
「霊夢にはカロリーハーフという良い言葉を教えてあげよう」
「ハーフ?」
「例えばこれは、甘さ控えめで、健康にもいいらしい。 つまりだね」
「甘さも半分?」
「……まあ、そういうことだね」
無縁塚から拾ってきた、興味深い砂糖についての薀蓄を遮られて、少しだけ機嫌を損ねながらも頷く。
彼だって、少しは語りたかったのだ。
「じゃあこれこそ霖之助さん用じゃない?」
「む」
言われて気付くが、反論するにはもう遅いことに霖之助は気付いた。
この少女は、非常に頑固なのだ。
いうなれば、冷めやすい鉄と言ったところか。
「むう、参ったな。 言い負かされてしまった」
「ふふーん」
熱い内に納得させなければ、言うことを聞いてくれなくなってしまう。
「いや、でもね」
「いいから、これは霖之助さんが使って」
「君が良くても、僕が良くないんだよ」
テーブルに戻った霖之助は、どうにかして霊夢に砂糖を使わせようと、躍起になっていた。
目の前でそんな嫌そうに飲まれれば、見ている方の珈琲も余計に不味くなるのが人の性。
なんとかして、霊夢にもできるだけ美味しく珈琲を飲んでもらいたい。
そんな店主にしては珍しい意地が、本人も気づかない内に生まれていた。
「私が良ければそれで万事問題ないわよ」
「君にとってはね……はあ」
諦めることにして、心なしか苦味が増した珈琲を一口。
そして、彼は最後の抵抗を試みた。
「……霊夢」
「んー?」
「こんな夜中に来たのは、もしかして寂しかったからかい?」
冗談半分。
彼にとっては本当に半分だけの仕返しのつもりだった。
怒らせるか、笑わせるか。
霊夢のアクションがどんなものであれ、それでこの問題に決着がつくはずだった、が。
「……バレちゃった?」
「……藪だったか」
蛇が出てきたようだ。
霊夢の頬の赤みは、霖之助を起こした時の、気温差によったそれを超えていた。
「魔理沙だったら、マジかって言うところだね」
「笑い飛ばしてくれるわね。 むしろそっちの方が楽だけど」
「いや、あの子もきっと僕と似たような顔をすると思うが……今晩は一人だったのかい?」
博麗神社に、霊夢だけがいる光景を霖之助はあまり知らなかった。
少なくとも、大抵は鬼がいたのだから。
「萃香は、飲み歩いてたから」
「なるほどね」
「それで、今日は寒かったし」
「うん」
「せっかくだし贅沢してやろうと思って、お饅頭食べてたんだけど」
人肌が恋しくなったのだと、霊夢は顔を真っ赤にしながら自白した。
「とりあえず、帰りなさい」
「鬼」
「明日の朝になったらね」
「神様」
「祀られる気はないよ」
そんなやり取りがあって、二人はとりあえず一晩中こうしていることにした。
本当は霖之助も眠りたかったのだが、霊夢がカフェインのせいで眠れなくなったというので、仕方なく、そう。
仕方なく、彼も起きていることにしたのだ。
「やっぱり私、霖之助さんに子ども扱いしてもらった方がいい」
「一日も早く君が大人になることを願おうじゃないか」
「人でなし」
「半分だよ」
そんな会話をしてから、一刻、二刻と過ぎて。
赤いリボンと黒髪が突っ伏していた。
「やれやれ。 何がカフェインなんだか」
そもそもカフェインというのは、と独白しようとして。
小さな肩がほんの少しだけ震えたのを確認したして。
彼はもう一度、長い長い、ため息をついた。
「看病はしたくないからね……っと」
あまりにも軽いその体を抱えた。
いわゆるお姫様抱っこ状態だ。
「本当にもう少し食べるべきだね、君は。 軽すぎるし、何より人肌にしては少々、冷たすぎる」
せめて僕の半分だけ、温かくなってほしい。
その頃には、きっと君は大人になっているだろうか。
しっとりとした文章がイイ感じでした。
この系統なのに、どこか原作を思い出させる会話がいいです。
カロリーハーフを霖之助にいれさせようとする霊夢も、いいなあと。
心が温まりました。半分といわず、全体的に。
夜中に来たのね霊夢さん…それも寂しいからとか。
可愛すぎます
人間味のある心温まるお話でした。
掛合いがいいね
脳腫瘍が出来やすいってのを聞いたことはあるが・・・。
まぁそんな話は置いといて、なんか人肌恋しくなったからりんのすけーさんとこにお邪魔してきますね。
ベタつかなくていい。
霊夢が可愛い過ぎる!
霖之助さんは霊夢さんの好き好きオーラに気付いてない
こうですね。わかります
シュガーレスな甘さですね。美味しかったです。
とりあえず口コミしとこ。
半妖と人間だもんな。
すでに一度訪ねて→尋ねて
雰囲気が良かったです。
そんな風に考えてた筈が、そういう子がこういう面を見せるとギャップのせいでかわいさが跳ね上がって……なにこのかわいい霊夢……
苦すぎず、甘すぎない、ちょうど良い甘さの素敵な作品でした
甘さ控えめすっきり微糖がちょうどいい霊霖でした。