「咲夜、これは何?」
レミリアはこめかみに手を当て、厳しい顔で問いただした。
「インスタントコーヒーですが」
咲夜は買い物袋をキレイに折り畳みながら、きょとん、とした顔で答える。
レミリアはそれが気に入らなかったらしい。
「そんなことはわかってるのよ! なんでこんなものを買ってきたのかって聞いてるの! ええい、買い物袋を再利用しようとするな!」
「えっと、私が飲むためです。間違ってもお嬢様にお出ししたりはしませんよ。買い物袋は取っておきます。いろいろと便利なので」
「ちっがーう! 何もかもがちがーう!」
ぱたぱたと手を振って笑う咲夜に対し(同時にぱたぱたと折り畳んでいく咲夜に対し)、レミリアはさらに激昂した。
「そういうことを言ってるんじゃないの!」
「では、どういうことでしょう……?」
咲夜は困ったように訊ねた。
ごほん、と咳払いをし、レミリアはぴっ、と人差し指を咲夜の鼻先に向けた。
「いいこと咲夜? あなたは誇り高き紅魔館の一員なの」
「ええ、お嬢様には伝えきれないほど感謝しておりますわ」
作りものでない、柔らかな素の笑顔を浮かべ、咲夜は答えた。
そんな咲夜に、レミリアは「う……」と言葉を詰まらせるも、続ける。
「その咲夜が、誇り高き紅魔館のメイドの咲夜が、インスタントコーヒーを口にするなんて、ダメ! 絶対にダメ! 貧乏くさく買い物袋を取っておくなんてもってのほかよ!」
「でも……結構おいしいんですよ?」
「ダメ。ちゃんと豆から挽きなさい」
レミリアはぴしゃりと言い放った。
尻尾や耳があったら、きっと垂れているだろうと思うほど、しゅん、と顔と肩を落とす咲夜を見て、さすがにレミリアも声を詰まらせるが、言いたいことは言うのが紅魔館の主というもの。
「い、いいこと? それで最後だからね!」
けれども沈んだ空気に耐えきれず、レミリアは逃げるように部屋から出ていった。
パタン、とドアが閉まる。
咲夜は、レミリアの出ていったドアを少しの間見つめ、そしてインスタントコーヒーに視線を移した。
やがて、何かを思いついたように「……うん」とつぶやいたのだった。
~お洒落な彼女とお茶目な魔法~
「はぁぁ~~……」
レミリアはベッドに横たわり、盛大なため息を吐いた。
「言い過ぎちゃったかしら……」
先ほどのやりとりのことを気に病んでいたのだ。
――あんなに強い言い方をしなくてもよかった。
そんな思いがレミリアの頭の中でぐるぐると回っていた。
「だって……」
しょうがないじゃない、とこぼす。
「咲夜は、咲夜には……」
――世界で一番幸せな従者になってもらうんだもん……。
ぽつりとつぶやくレミリア。
幼い咲夜を抱いた時に誓った、一つの想いだった。
「そんな……咲夜が、インスタントなんてダメよ……。咲夜は、おいしいコーヒーを飲んで、おいしいものを食べて、いっぱい笑って、メイドをしてなくちゃ、ダメよ……」
レミリアの口から出た、先のきつい口調は、そんな誰よりも優しいわがままが表れたものだった。
「あ~あ……」
――謝ろうかしら。
ごろん、と姿勢を変える。
そんなことを考え、一人悶々としていると、コンコン、とドアをノックする音が聞こえてきた。
ビクン、とレミリアの肩が震える。
「だ、誰?」
がば、とレミリアは起きあがった。
「咲夜です、お嬢様。お茶のお時間ですので、ご用意いたしました」
ドアの向こうから聞こえる声の様子は、いつもと変わらない。
そんな咲夜に、レミリアは大いに焦った。
普段と変わらぬゆえに、怖い。
怒っているのかもしれない。悲しんでいるのかもしれない。
どちらにしても、咲夜が自分を押し殺しているように思えた。
「ど、どうぞ」
「失礼します」
ドアを開け、ぺこりとおじぎをすると咲夜は変わらない様子で、レミリアの紅茶を用意し始めた。
「本日はニルギリにいたしました」
「そ、そう……」
かちゃかちゃと鳴る食器の音を、レミリアはやけにうるさく感じていた。
やがて、こぽこぽと香ばしい音が広がる。
「さ、咲夜?」
「はい、なんでしょう」
レミリアは恐る恐る話しかける。
「えっと、その……」
紅茶を入れながら、くり、と小首を傾げる咲夜。自然であった。
「……普通ね?」
「ええ、咲夜は普通ですわ」
「そ、そう……」
「できましたよ、お嬢様」
「あ、ありがと……」
レミリアは、こくん、と喉を鳴らし、考えにふける。
――どういうことだ?
ニルギリの味わいも意識の外に、レミリアは頭を悩ませた。
いくら従順な咲夜と言えども、あそこまで頭ごなしに怒鳴りつけられてなお、普通でいられるものなのか。
これが美鈴だったら、いつまでもぐずぐずと泣いているだろうし、パチュリーだったら図書館に引きこもって出て来なくなるだろう。(すでにそんな感じではあるが)
フランに至っては想像だにしたくない。
本当に気にしていないのだろうか。……咲夜ならばあり得るのかもしれない。
「お嬢様」
「は、はひ!?」
そんなことを、うんうん唸って考えていると、咲夜がレミリアに声をかけた。
急に呼ばれたレミリアは、つい素っ頓狂な声を上げてしまう。
「な、何かしら? 咲夜……」
びくびくしながら、レミリアは咲夜に聞き返す。
レミリアの鼓動は速くなっていく一方だった。
――や、辞めたいとか言い出さないわよね……?
緊張の極みに達したレミリアは、周りの空気がべったりと張り付くような感覚に陥る。
ニルギリのすっきりとした香りも、今は場違い。
咲夜の口が開く一瞬が、スローモーションのように流れていき、そして――
「今日のお夕飯は、カレーでいいですか?」
――レミリアは見事にずっこけた。
「……あら、お嬢様?」
床に転がるレミリアを見て、咲夜はきょとん、と小首を傾げた。
「あ、あはは……なんでもないわ」
「はぁ……」
立ち上がり、スカートをパンパン、と払いレミリアは言う。
「ええ、カレーね。いいわよ。期待しているわ」
「ご期待に添えますよう、頑張りますわ」
にこり、と笑い、咲夜は部屋をあとにした。
残されたレミリアは、残った紅茶もそこそこに、再びベッドに横たわった。
「っはぁ~……」
――無駄に緊張した。
「よかったぁ~……咲夜、怒ってなくて」
緊張の糸が切れたレミリアは、軽い睡魔に襲われた。
「ん……ふわぁ……」
夕食まではまだ時間がある。
レミリアは少しの間、眠ることにした。
まどろみの中、レミリアはまだ小さいころの咲夜を思い出していた。
――おじょうさま、さくやは、いつかきっと、おじょうさまにおんがえしをしてみせます。
「んぅ……」
カレーのいい匂いがレミリアの鼻腔をくすぐる。
おかげで良い目覚めだ、とレミリアは満足げに背伸びをした。
「んん……!」
なんだか懐かしい夢を見た、とレミリアは眠たい目を擦りながら思った。
幼い咲夜が私に言った、小さな決意――
コンコン、とドアが叩かれる。
「お嬢様、お夕飯が出来ました」
「ん、ああ。今行くわ」
ふるふる、と頭を振り、レミリアは食堂へと向かった。
「いただきます」
レミリアの挨拶のあとに、他の物も続く。
「いただきまーす!」
「いただきます」
「いただきまぁす」
「いっただっきまーす!」
レミリアは、ライスとカレーをスプーンいっぱいによそい、それを口いっぱいに頬張った。
本日のカレーは夏野菜カレーらしい。ジャガイモの代わりに入れられたカボチャはとろとろに煮崩れしていて、カレー全体にじわりと甘い味わいを残している。そこにピーマンのかすかな苦みが絶妙なバランスを取っている。
甘すぎず、苦すぎず。カレーという主役の脇で繰り広げられるカボチャとピーマンのドラマに豚肉の出汁が柔らかく溶け合っていた。
そして、ナス。それぞれのうまみ全てが染み込んだ柔らかいナスは、噛むたびにじわりじわりと色んな味を出してくれる。
じゅくじゅく、と噛むたびにほぐれていくような咀嚼音が、より食欲を掻き立てる。
「おいひぃ~♪」
幸せそうに咀嚼をするレミリアはさすが咲夜ね、と満足気にうなずいた。
「ん?」
そして、何かに気付いたのか、レミリアはぴこりと小首を傾げた。
「だけど、なんだか、今日のカレー……いつもと違う」
「えー、そうですかー? うーん、言われてみればそのような気も……」
「ほんとだ……。言われなければ気付かなかったけど、確かに違うわ。よく気付いたわね、レミィ」
美鈴とパチュリーもレミリアの意見に賛同した。
具材の違いは確かにあるだろうが、こう……なんていうか、根本的に何かが違うのだ。まるで、よそのうちのカレーを食べているような、そんな感覚……。
レミリアが咲夜の方を見ると、咲夜は満足そうにうなずいた。
「ふふ、お口に合いましたか?」
レミリアは、即座に首肯する。
「なんだろう、いつもよりコクがあるというか、深みがあるわ。一日目のさらさらカレーじゃなくて、何日も寝かせたあとのような……」
「ほんとですね! 舌の上をまろやかに流れるっていうか、じわりと染み込むっていうか」
「咲夜、いったいどんな魔法を使ったの?」
レミリアは訊ねた。
「それはですね――」
咲夜は、ぴん、と人差し指を立て、言った。
「隠し味を使っているのですよ」
「隠し味?」
「ええ、隠し味」
そう言ったきり、咲夜は黙ってしまった。
なんらかの説明があると思っていたレミリアは、少々焦れたように咲夜に言い寄った。
「何よ、そこまで言ったんなら教えなさいよ」
「んふ。知りたいですか? お嬢様」
にんまりと笑う咲夜は、いつもの咲夜らしくはなかった。
レミリアはそのことを不思議に思いながらも、答えが気になるのか、それを無視し、訊ねた。
「ええ、気になるわね。教えてちょうだいな」
しょうがないですねー、と咲夜はいつの間にか持っていた紙袋から、一つの小瓶を取り出した。
「隠し味はですね……これ、ですよ」
「……え、これって」
レミリアは驚きを隠せずに、ぽかんと口を開けた。
彼女が見たもの、それは――
「――――インスタントコーヒー?」
そう、インスタントコーヒーだった。
「なのです」
つん、と胸を張り、咲夜は言った。
「これをほんの少しだけ入れるとですね、今お嬢様が言ったように、味に深みが出て、まろやかになり、まるで何日も寝かせたあとのカレーのようになるのですよ」
「へぇ……。さすが咲夜。料理に関しては私の知識をしのぐわね」
「ほんと、いろんなことを知ってますよねー」
「咲夜すごいすごい!」
咲夜お料理トリビアに一同は盛り上がる。
「それほどでもありませんわ」
「…………」
感心する面々をよそに、レミリアは一人複雑な顔をしていた。
そして、意を決したように声を発した。
「……咲夜」
「はい、お嬢様」
「これは……私に対する反撃ってことかしら?」
びりりと空気が震える。
「いえ、安っぽいインスタントコーヒーでも、使い道はあるということを知っていただきたかっただけです」
「……ふん、コーヒーに塩を入れるような子が、私に説教とはね」
「あわ、わ、それは言わない約束じゃないでしゅ、ですか!」
顔を真っ赤にして、わたわたと手を振る咲夜は、その場にいる全員を和ませた。
「私はお嬢様に説教をするつもりなんてありません。ただ……」
「ただ?」
咲夜は、少し俯いて、上目がちにレミリアに言った。
「お嬢様は、私に色んなことを教えてくださいました。だから、今度は私が……少しでもその恩を返せればいいなと思って……その、確かにちょっとした反撃の気持ちがなかったとは言い切れませんが……」
やっぱり反撃だったんかい、とレミリアは心の中で突っ込んだ。
「その、ごめんなさい……」
その、聞こえないくらい小さな声の「ごめんなさい」を聞いて、レミリアは思い出していた。
まだ咲夜が小さかったころ、今とは立場が逆で、レミリアが何から何まで咲夜の世話をしていたころのこと。
咲夜は、何もできなかった。
何かをするたびに失敗し、レミリアを困らせた。後始末も全てレミリアがした。
幼心にも感じるところがあったらしく、咲夜はある日、一つの決意をレミリアに告白した。
――おじょうさま、さくやは、いつかきっと、おじょうさまにおんがえしをしてみせます。
なんの具体性もない、いつになるかもわからない、子どもの思いつきのような、ちっぽけな誓い。
けれども、それでも、何の期待もできなくとも、レミリアの心は暖まったものだった。
それを、咲夜は覚えていた。
「…………くく」
自然と笑いが込み上げてくる。
「お嬢様?」
咲夜は不思議そうにレミリアを見つめる。
「ふ、ははは! ははははは!」
「お、お嬢、様……?」
レミリアは思った。
そう、これだ。
これこそ、私が望んだ未来。
あの引っ込み思案だった咲夜が、こんなにお洒落なメイドになって、己が主に反撃するような、お茶目な魔法を使ってくる。
こんな愉快なことは、他にはあるまい。
「お嬢様、あの……」
咲夜が不安そうな顔でレミリアを見る。
「ふふ、なに。怒ってなどいないわ。そんなに不安がらなくてもいいわよ。ただ、嬉しくてね」
「嬉しい……ですか?」
「ええ、嬉しい」
「嬉しい……」
細い眉をハの字にして悩む咲夜。
そう。それでいいのよ、咲夜。
まだまだ魅せてくれ、咲夜。
お前の生きる姿を。
笑うお前を見ていてやろう。悲しむお前に手を差し伸べてやろう。苦しむお前を抱きしめてやろう。
私は、お前と一緒だ。
私は、お前が死ぬまでお前の隣にいてやろう。
だから――
「ずっと、私の隣にいておくれ、咲夜」
きょとん、とする咲夜。そして――
「……はい」
柔らかな笑顔で、満たされたような笑顔で、そう応えるのであった。
終わり
それにしても咲夜さんもお嬢様もかわいいことで。
レミリアの幼くて我侭な親心が楽しいですね。
相変わらずの両分、ご馳走様でした。
対するしっかり者且つ天然ちゃんという相反する魅力を兼備する咲夜さんの完成度は。
作者様はどんだけ欲張りなのだ。
更には後書きで『こんばんここあ!』だなどと。
満面の笑顔でココアを掲げる小悪魔ちゃんを想像してしまったではないか。
私に残されたコメントは只一言だけだ。
「もっとやれ」の只一言。
お粗末さまでした。
レミリアは、ブレイクしても、カリスマでもいい味を出してくれます。
>桜田ぴよこさん
ありがとうございました!
>可南さん
カボチャがいい仕事をしてくれました。
それから、二人ですね。
>ゆう@東方好きさん
ありがとうございます!
好きなキャラは魅力的に描きたくなってしまいます。
って、当たり前かw
>結城 衛さん
なんたって、永遠に幼い、ですからね。
ただ、その幼さが、暖かい。
>15
ありがとうございました!
>コバルトブルーさん
実際、やってることはお母さんですよねw
>28
ありがとうございます!
これからどんどん紅魔館作品ばかり投稿してしまいそうですw
>コチドリさん
ほほう……(小悪魔のくだりを見て)
気にいただけたようでなによりです。もっとやりますw
ご指摘に関して
ひい! またやってしまった!
恥ずかしすぎるぅ。
いつもいつもご指摘ありがとうございます。
自分では気づかないところも多々残っていたりするので、感謝しております。
そしてその主に精一杯、自分なりに尽くす咲夜さん瀟洒だ。
要約すると、甘かったです。ごちそう様。
しかし朝の車内でよくこんなに書けるもんだ(内容はすでにできてたとしても)。
毎回思いますが、葉月殿は食事シーンの描写が巧い…否、旨いですなぁ、頭の中に情景では無く、口の中に味が広がってきます。
他にも、チョコとか牛乳とか、カレーの隠し味は沢山ありますが。
しかし良い主従関係だ。咲夜さんもレミリアも、お互い素敵なパートナーに恵まれてますね。
ほっこりした気分になれました。
最近カレー食べてなかったのが、もっと食べたくなりました。次に作るときは試してみないと。
葉月さんのレミリアと咲夜は人間くさくて心があったかくなりますね。
とてもよかったです、ありがとうございました。
懐かしいな、甘口カレー。
何というか一人で進歩した気になっている僕は点数つける資格がないのでご勘弁願います。
僕のクソ低いラーニング力でこのよさを参考にしなくては。
二人に温かみを感じました!
ごちそうさまでした。
これからも頑張って下さい!!
面白かったです。
あ、全部というわけではないですよw
加筆修正や推敲がメインでした。
それがあっという間に終わったということです。
>名前も財産もない程度の能力さん
おぉぉ……、そこは私の唯一の長所ですので、褒めていただけると尻尾がちぎれます。
ありがとうございましたー!
>ワレモノ中尉さん
隠し味を知っただけ、SSを投稿してしまいそうですw
>mthyさん
そんな動画が! ちょっと気になりましたw
お褒めに預かり、光栄ですw
これからもがんばりたいと思います。
>とくめーきぼーさん
私などの文章が参考になるかどうかはわかりませんが、続けていればきっと上達します。
これからも頑張ってください。
>即奏さん
そして、その色は作り手の心の色も関係する。
同じカレーでも、100人いたら100通りの味が出来そうですね。
オンリーワンの魔法。それが料理なのです。
ありがとうございました。
ちょっと我侭だけど優しく見守っているレミリアと、確かな想いを胸に秘めて従者として尽くす咲夜さんがとても素敵でした
あまりにも二人が純過ぎて、眩しいくらいに輝いて見えました
可愛すぎる…
しかし、いいことを聞いた…今晩はカレーだな。
私の中でレミリアと咲夜はこんな感じです。
空回りしちゃうこともあるけれど、想うその気持ちは本物。
少しずつ、幸せを紡いでいく二人がいいのです。
>妄想に浸る程度の能力さん
いってらっしゃいませ!
入れる量は、ほんの一つまみです!
>67
いいですよね。
一生懸命な女の子は、愛されてしかるべきなのです。
>72
私は完璧完璧してる咲夜よりも、人間くさい咲夜が好きだったりします。
>74
ありがとうございます。
カレーの隠し味は星の数ほど存在するので、またネタがあったらカレーSSを書いていきたいですねw
おちゃめな咲夜さんかわいいw
咲夜さんは可愛いんです。美人じゃなくて、可愛いんです。