命蓮寺のとある朝。
「こ、これは」
「カレーだよ。風邪によく効くからさ」
「え」
「ちゃんと全部食べないとよくならないよ、星」
目の前に現れたのは、いかにも辛そうなカレーを持った村紗であった。
星は昨日の夜からずっと熱が下がらないでいた。
元々風邪気味だったところを、無理をして数日間仕事を続けていたのだ。
そして昨日電池が切れたようにパッタリと動けなくなってしまった。
熱を測ったら39度で、あまり長いこと立ってはいられない状態だった。
そんなこんなで朝まで寝込んでいた。
起きた時、なんだか辛そうな匂いがするなぁと思ったら、村紗がカレーを作って持ってきていた。
一瞬、何事かと思い、飛び上がるようにして体を起こしてしまった。
「えーと、む、村紗?」
「はい、村紗ですよ」
「これ、作ったんですか」
「うん」
「へ、へえ…」
珍しいこともあるものだと、熱でゆであがった頭でぼんやり思った。
が、よく考えるとこの状況は結構まずいかもしれない。
正直、食欲はあまりなく、できればヨーグルトとか、おかゆだとか、するりと食べられそうなものが欲しいところである。
それがカレーである。しかも辛そうな。
「ご主人、具合はど……」
と、そんな中でナズーリンが部屋に来た。
何事かと見れば、カレーを持った村紗が星にカレーらしきものを食べさせようとしていた。
はい、あーん、なんて言って、極上のスマイルでカレーを食べさせようとする村紗。
香辛料の香りが部屋中に広がっており、ルーに赤いものが浮いているのが見えた。
これは辛いぞ、とナズーリンは思った。
「辛いよね、これ絶対辛いよね」
「辛い方がいいんだってば、はい、あーん」
「あ、あーん」
とりあえず、逆らうことはないと村紗に従った。
それが運の尽きだった。
「ゲホゲホッ、か、辛っ!」
「あ、ちょっと多かった?」
「水ください水!」
村紗の柄杓から大量の水を飲む。
ごくごくと大きな音を立てながら。
一通り飲み終わったら、星はぱたりと布団に倒れた。
「星ー?」
「げほっ、げほっ」
ひたすらむせている星。顔がいつもより確実に赤い。
なんだか余計体温が上がったんじゃないだろうか。
そう思うナズーリンであった。
「食べないとよくならないよー?」
「む、無理……」
「星起きてー」
「いや、あの、その」
心なしか、目に涙を浮かべている星。
さすがに可哀想かもしれないと、ナズーリンは重い腰を上げた。
「船長」
「あ、ナズじゃん。ナズからも言ってよ、食べなきゃ治らないって」
「えーとだね」
どう言えばいいのだろうか。
食べなきゃ治らない、という村紗は大真面目な目をしている。
おまけに好意からの行動であるっぽいから性質が悪い。
自分のことではないのでどうでもいいといえばどうでもいいが、あのまま激辛カレーを食べさせられると風邪が長引きかねない。
そうすると自分の仕事が増える。それは避けたい。
「カレーはちょっと。もっと消化にいいものをだね」
なのでダメもとで言ってみる。ダメもとではあるが。
「消化?なにそれよくわかんない」
やっぱりコイツ適当に作ったな。そう思うナズーリンであった。
「えーとだ、たとえばヨーグルトとかおかゆとか、するりと食べられそうな物をだ」
「カレーってすぐ食べられない?」
「アンタだけだ、こんな激辛カレー平気で食えるのは!」
思わず突っ込んでしまった。
しまったコイツ怒ると結構怖いんだよなぁと頭の片隅で思うナズーリンであった。
「でも風邪のときはカレーが一番治るよ」
「単にアンタの好物だろうがカレーって」
「ちがうもん、本当だって」
いかん、これ以上突っ込むと戦争になりかねない。
本気モードの村紗とやりあうのは正直命がいくつあっても足りない。
しかし寝込んでいる星をこのまま放っておくわけにはいかない。
そうナズーリンが考え込んでいるときだった。
ガラリと障子が開く音がした。
「あ、いたいた」
「一輪」
命蓮寺最後の良心がやってきたとナズーリンはホッとした。
彼女が言えば村紗も納得するだろう。
「星、大丈夫?」
「船長の激辛カレー食わされて死にそうになってる」
「だから、これが一番治るんだって」
「何とか言ってやってくれないかね、一輪」
ぎゃあぎゃあとわめく村紗に、目をぱちくりさせる一輪。
次の瞬間に、彼女はとんでもないことを言いだした。
「うん、風邪のときはカレーよね」
「へっ?」
目を丸くして一輪を見るナズーリン。
ほら、私の言った通り!と得意げに言う村紗。
最後の良心だと思っていたのに、一輪まで夏の暑さでどうかしてしまったのだろうかとナズーリンは思った。
「そうそう村紗、アンタを探していたのよ」
「あ、そうなの?てっきり星の見舞いにでも」
「アンタまた台所そのままにしといたでしょ」
「あ」
しまった、という顔を浮かべる村紗。
そして次の瞬間に、村紗の襟首をつかむ一輪。
「ちょっとこっち来なさい」
「えーと、その、これには海より深いわけがありまして、舟幽霊だけに」
「何うまいこと言ってごまかそうとしてるのよ、いいから来なさい!」
そのままずるずると村紗を連れて、部屋の外に出ていく一輪。
次の瞬間に人を殴った音がしたのをナズーリンは聞いた。
あれは相当キレている。
にしても、タイミングがよかったというか。
これで星に激辛カレーを無理やり食べさせなくて済む。
星の分のカレーは自分で食べるか、ぬえにでもあげよう。ぬえならばこの味に慣れているはず。
「ご主人、このカレーはどっかで処理するよ」
「あ、ありがとうナズーリン」
「適当になにか買ってくるから」
「助かります……」
もしかして、こういうことを見越して一輪は村紗を外に連れて行ったのだろうか。
彼女ならやりかねない。こういうところには本当によく頭が回るのだ。
「んじゃ、水でも飲んでぐっすり休んでくれ、ご主人」
「かたじけないです、ナズーリン」
ひとまずはこのカレーの処理だな、とナズーリンは部屋からカレーを持ち出した。
「というわけで、食べてくれないか」
「ムラサのカレー?あいつまた激辛カレー作ったの?」
「そうなんだよ。しかも風邪でダウンしているご主人に」
「へー、まぁいいや、ちょうだい」
屋根裏にいたぬえにカレーを持っていく。
台所では一輪が村紗を叱っている声がしたが、気にせず通り過ぎた。
一体村紗はなにをしたのだろうと思った。よほど台所を汚したか、道具をぶっ壊したかに違いない。
「辛ーっ」
「辛いよね。ちょっとダウンしているご主人には食べさせられん」
「ご飯が進むね、これは」
辛い辛いと言いながら、ぱくぱくと食べ続けるぬえ。
やはり持って行って正解だったようだ。
何口か食べてみたが、このカレーはかなり辛い部類に入る。
自分ひとりではちょっと食べ切れそうになかった。
「味はいいんだがね、いかんせん辛すぎる」
「だろうね、私は結構好きだけど」
「というか病人にカレーって。おとなしく一輪あたりにおかゆ作らせときゃいいものを」
しかしその一輪も、病気にはカレーだと言っている。
あの様子ではおかゆは作ってくれそうにも無い。一体どうしたものか。
「運が悪かったとしかいいようがないね。村紗のやつ、カレーで全部治るって思ってるから」
「それって船長だけだろう。人に押し付けないでほしいよ、全く」
ふう、とため息をつくナズーリン。
その間にもカチャカチャと音を鳴らしながら食べている音がする。
よく普通に食べれるよなぁと思う。辛党なのだろうか。
「しかし困ったな。ご主人に何か食べさせてあげないと」
「あー、そうだね」
あまりの食材でなにかを作ろうにも、今台所は二人に占拠されているので使えない。
仕方なく重い腰を上げることにした。
「果物か何かを買ってくるとするか」
「星に?」
「そうだ。さすがに何も食べないままだとまずいだろう」
「金あんの?」
「まぁね。仕方ないからボクのへそくりを使うよ」
本来ならば寺の金の管理を共同で行っている一輪に一言言ったほうがいいのだろうが、下でバキッという音が聞こえる以上、今の彼女にあんまり近寄りたくはなかった。
ちなみに金の管理を一輪とナズーリンで共同で行うという話は、一輪と村紗が地底から出てきたときに流れでそうなったことである。
寺のとある部屋に戻り、ナズーリンはダウジングロットを取り出した。
どうやらここにへそくりがあるらしい。
「それで探す気?」
「いつもコレなのだが」
へ、へえと微妙な顔をするぬえであった。
ダウジングロットは、とある古びた時計の前で動きを止めた。
時計の中をあけると、小さな袋が入っていた。
その中には小銭がいくらか入っているようだった。じゃらじゃらと音がする。
「またベタなところに」
「一輪には絶対言うなよ。ボクのへそくりなんだから」
「どうしようかなー」
「カレー食べてくれたお礼に里で飴でもおごってやるから勘弁してくれ」
「え、マジで」
物で釣った瞬間に、ぬえは目を光らせた。
案外ちょろい奴だとナズーリンは思った。
「うんうん黙ってるよ、大丈夫絶対言わないから!」
本当だろうな、とナズーリンは思ったのだが、へそくりの場所は一か所だけでなく数十か所にわたってあるので、一つ知られたところで問題はない。
それにカレーを食べてくれたお礼の意味もある。正直助かったところだった。
「外は暑いだろうが、しょうがないから行くか」
台所から「すいません、すいません一輪さんグーはやめてくださいグーは」という声がしていたが、聞こえなかったことにして二人は里へと繰り出した。
里の夏は暑い。
空に浮かんでいる聖輦船には時折強い風が吹いてくるが、里にはそれがない。
八百屋を何件か回り、りんごだとかヨーグルトだとかのすぐ食べられて消化に良いものを買っていたら、全身汗でダラダラであった。
「はーっ、やっぱり夏はこれに限る」
「ずっと地底に居たくせに何いってんだい、まぁ夏はこれに限るが」
そんなこんなで現在二人はカキ氷を食べていた。
ぬえはイチゴ味、ナズーリンはレモン味である。
「かっらいカレー食べた後だからよく合うわー」
「あれ、辛かったのか。平気そうに見えんだが」
「辛いって。食べたらわかるでしょ」
「まぁ、辛かったが」
氷が喉をとおって体にしみこんでいく。火照った体に丁度いい。
星には一刻も早く食料を持っていったほうが良いのだが、少しぐらい休んでもバチは当たるまい。
そう考えたナズーリンは飴の代わりにぬえにカキ氷をおごってやった。
「しかし意外だったな。船長はアレとして、一輪までああ言うなんて」
「なんのこと?」
「いや、さっき一輪にカレーってどうよ、って聞いたら風邪にはカレーだなんて船長みたいなこと言い出すからさ」
「ああ、そりゃそうでしょ」
シャクシャクト氷をほおばりながら、ぬえは言う。
「え?」
「だって一輪がダウンした時にはカレーしか出てこなかったんだから」
「どういう……あっ、まさか」
「村紗ができる唯一の料理だからね、カレーって」
そういえば。
命漣寺の食事はほぼ一輪一人が作っている。
掃除、洗濯、風呂なども全て。
おまけに里への布教活動や、新たに入門したばかりの妖怪たちの世話をやった上で、ほぼ全ての家事をこなしている。
それに比べて村紗といえば、せいぜい自動操縦の船の操縦席に座って鼻歌歌っているだけだ。
「船長は未だにカレーしか作れないのか」
「そうみたいよ、しかも片付けない上にいろんな水難事故を起こしちゃうから大変なことになるって」
「というか今気がついたよ。アイツがなんも仕事してないってことに」
さらにいえば寺の運営がほぼ全て一輪によって回っていることに気がついた。
星は結構どころかかなりのドジなので物をよく無くすし、自分は半分ぐらいその尻拭いにつき合わされている。
これはまずい、なんとかしなくてはいけないと反省するナズーリンであった。
「てことはあれか。一輪はあの激辛カレーを千年間も食べ続けていたのか」
「くくくっ、そうそう」
「うわぁ」
今の星のような状況が千年の間に何度もあったに違いない。
ご愁傷様です、と心の中で一輪に手を合わせるナズーリンであった。
「よく耐えたな一輪。というか何も言わなかったのか。風邪の度に激辛カレーが出てくることに対して」
「それがさぁ」
もう何年前の、気が遠くなるような昔の話なんだけど、とぬえは続ける。
「一輪が人間なんだか妖怪なんだかよくわからなかったころね。一輪が初めて本気でぶっ倒れたことがあって」
「へぇ」
「その時にムラサの奴、旧都だとか地霊殿だとかもう地底中を駆け回ったらしいのよ。でも人間だろうが妖怪だろうが助けるなんて思考持ってる連中なんていなくてね。なんもできずに三日三晩ぐらいして寺に帰ってきたんだけど、一輪はもう瀕死な状態で」
「ああ、そういえば一輪、昔は大して強くは無かったな」
千年前を思い出す。昔の一輪は大して強くはなかったと記憶している。
雲入道を従えてはいたが、実際雲山なしで対峙するとあっさりやられるような奴だった。妖怪か人間かも区別がつかないような、そんな存在だった。
だから地底から村紗と共に出てきた時は、内心驚いたものだった。
「息も絶え絶えだった一輪にせめて何か食べさせようとおかゆか何かを作ろうとしたらしいんだけど、ことごこく失敗して。で、散々台所の道具を壊した挙句、やっと作ることができたのがカレーで」
しゃくしゃくと氷を食べながら、ぬえは続ける。
「そんなもん作っても一輪は絶対食べないし、このまま死ぬだろうと思ったんだって。ところがどっこい一輪のやつ、放置されすぎててよっぽどお腹が空いていたのか完食したらしく」
「へ、へぇ」
「そのあとに死んだように眠って、数日かかって生き返ったらしい。で、それ以来ムラサはカレー食わせりゃ治るって信じてるんだと」
なるほど。
それであんな大真面目にカレーを持ってきたのか。
ただ単に好物食べさせているかと思っていた。
「しかしなんであんなに辛いんだ。病人に持っていくには辛すぎるだろう」
「ああ、くくくっ、それもちょっとだけ話があって」
ごくごくと氷が溶けたところを飲みながら、ぬえは続ける。
「最初はそんなに辛くなかったんだけどね、さとりだか勇儀だとか、あのあたりの誰かが面白がってムラサに吹き込んだらしいのよ。辛ければ辛いほど治るのが早いって」
「……」
今の話を聞いたら寺を巻きこんで戦争が起きるんじゃないかと思うナズーリンであった。
「まぁ実際に一輪は早く治ってたからいいんじゃね」
「それもマジな話なのか」
「さぁどうなんだろ。でも治ってたよ、なぜか」
「へ、へぇ……」
本当にカレーって効くのかもしれない。
世の中不思議なことがるものだと、解けた氷をシロップごとごくりと飲み込む。
まだ少し、先ほど食べたカレーの辛さが口の中に残っているような気がした。
「あら、おかえり」
「ただいま」
ちょっくら地底によってく、と言ってぬえを残してナズーリンは寺に帰ってきた。
一輪が洗濯物を取り込んでいた。
その前に村紗が廊下で倒れているところを見たが、見なかったことにした。
「買い物でも行ってきたの?」
「うん、まぁ野菜とか」
「あー、村紗が勝手に使っちゃったからね」
使うときには一言いって欲しいわよね、と文句をいいながら洗濯物をたたんでいる。
「キミも大変だったんだな」
「へ?」
先ほどの話が蘇り、つい一輪にそう話し掛けてしまう。
一輪は一瞬目を丸くしたが、すぐに作業に戻った。
「あ、そうだナズ、丁度良かった。用事があったのよ」
「何がだい」
「これで星に何か買っていって欲しいのよ」
手渡されたのはいくらかの小銭だった。
ちゃりん、と音を立てて受け取る。
「あのカレーで風邪治すのは、星にはちょっと辛いだろうから」
「なんだ、キミもそう思っていたのか」
「まぁ。村紗にはばれないようにね、くれぐれも」
後で面倒だから、と一輪は付け加えた。
「キミもよく食べさせられたんだろう、あのカレー」
「あ、ああ。ぬえにでも聞いた?」
「まぁな」
「そうね」
少し強い風がふいて、洗濯物がばさばさと音を立てる。
それを取り込みながら一輪は続ける。
「最初は中々慣れなかったなぁ。しかも辛いだけなじゃいのよね。村紗のやつ、片付けとか全然できなくてさ」
治った後がそりゃもう大変で。自分が作るより何倍も時間かかったわよ、と苦笑い。
そのことは今回の件で容易に想像がついた。
きっと何度も一輪の鉄拳制裁を受けて来たに違いない。
「本当にカレーで治るもんなのかい」
ふと、ずっと疑問に思っていた事を聞いてみる。
「さあ、よくわからないわ。でも治ってなかったらここにいないかな」
「……それもそうだな」
不思議な話だとナズーリンは思う。
村紗は今でも白蓮に隠れて人を沈めているような奴だ。
よっぽどこの寺の面子を大事に思っていたのか。
それともこいつがいい奴だったのか。
千年離れていた間に、何か変わったことでもあったのか。
ともかくちゃんと看病をする奴だったことが意外だった。
「でもなぜかだんだん辛くなっていったのよねあのカレー。なんでなんだろう」
「……」
「治ったからいいんだけどね」
千年来の秘密をばらして寺を戦争に巻き込むことは無い。
そう思ったナズーリンは口を閉ざすことにした。
「ああそうだナズ。もう一つ用事があったんだ」
「なんだい」
「時計の中のお金が減っていたんだけど、何か知らない?」
「さ、さぁ、そんなところにお金があったなんてびっくりだよ」
「そっか、知らないか」
この女、なかなか侮れない。
実は自分の一枚も二枚も上手なのかもしれない
内部戦争を引き起こすことは無いと思ったナズーリンは、今もらったお金を時計の中に返すことに決めたのであった。
洗濯物を取り終え、一輪はほっと一息ついた。
朝から村紗に説教したり、ぐちゃぐちゃになった台所を片付けたりで忙しかった。
午後は里に行って午前中にいけなかったところを回らなくてはいけない。星の分まで。
そう考えると暑さでめまいが出そうであったが、とりあえず今は休憩しよう。
台所からはカレーの匂いがする。丁度お腹もすいてきた頃だ。
食べるか、と村紗の作ったカレーを皿に盛った。
居間に持っていき、一口食べる。
ずっと昔から慣れ親しんできた味のカレーを。
「相変わらず、辛いなぁ」
と思わず一言漏らす。
けれどなぜか元気が出てくるような気がする。千年間食べ続けていたせいだろうか。
どんなに重い病気にかかっても、どんなに大怪我しても、この辛いカレーを食べていれば治るという、妙な体になってしまったのは。
「うーん、あいたた」
隣でもぞもぞと動く影が見えた。
ずいぶん長いことダウンしていたようである。
「なんかお腹のあたりが痛いな、なんでだろ」
さっきはちょっと強く殴りすぎたかもなぁと思う一輪であった。
「あ、カレー食べてる」
「うん」
「どう、おいしい?」
「うん、おいしい」
「へへへ、そっか」
嬉しそうに笑ってそう言うものだから、なんだか照れくさくなって顔を背けてしまう。
最初の頃は、辛いし胃にくるわで正直食べれきれた試しがなかった。
それが今では好物の一つである。調子に乗るので絶対本人には言わないが。
「でも辛い」
「辛いほうがよく治るんだって」
「誰に習ったのよソレ」
「一輪がそうだったじゃん」
そうだっけ、と一輪は首をかしげる。
どうも、病気で寝込んでいるときの自分の体はよくわからない。
もしかしたら長年看病してきた彼女のほうがよくわかっているのかもしれない。
「そうだよ、今だってホラ、ちゃんとここにいるじゃん」
「……そうね」
あの頃。
自分がまだ人間なんだか、妖怪なんだかよくわからなかった頃。
日の当たらない地底で、人の死体がバタバタ転がっているような場所で、病気で寝込むことや、他の妖怪に襲われて大怪我することはしょっちゅうだった。
その度に台所からガチャガチャと大きな音が鳴って、しばらくすると村紗が泣きそうな顔で「これしか作れなかった」とカレーを持ってきた。
そんな彼女を見て、このまま死ぬわけにはいかないと思ったのか。
それとも本当にあのカレーが薬になったのか。
治った理由は今でもよくわからない。
ただ、地底に居た千年の間に、何回も、何百回も、村紗に助けられてきたことだけは確かだった。
「さすがに胃に穴が開いた時に持ってこられたときはどうしようかと思ったけどね」
「へ?」
「ああいや、なんでもない」
だから、最初の頃は食べ切れなくて雲山に手伝ってもらったこととか、実はこっそり風邪薬を持っていたこととかは、胸の内にしまっておこう。あと千年ぐらい。
「星さ、早く治るといいわね」
「治るよ、私のカレー食べてるんだもん」
「大した自信よね」
「一輪が一番よくわかってるでしょ」
そう言われたら返す言葉も無い。
千年間、自分を助けてきたのは彼女が作った辛いカレーだったのだから。
他の人でもそうかと言われるとそうでないような気もするが、ここでは胸の内にとどめておくことにしよう。彼女に免じて。
「それにホラ、よく言うじゃん。「良薬口に辛し」って!」
「ああ」
本当は、良薬口に苦し、なのであるが。
「そうかもね」
自分にしてみたらこっちで正しいのかもしれない。
食べなれた味のカレーを食べながら、一輪はそう思うのであった。
おわり
一輪さんもだが、ムラサがなんかいいなぁ。純粋な娘や
みんな悪気が(たぶん)ないのが良いんだか悪いんだか…でも村紗と一輪の話は素敵ですね
常識人役多いな
優しい一輪さんかわいいよ一輪さん。