どういう奇跡によってか、その竹はすでに100年を生きていた。嵐に襲われても日照りにみまわれてもへこたれず、けして枯れもせず倒れもせず。その胴は非常に太く大人の肩幅ほどもある。しかし背長けは不思議と周りの竹を超えることは無く、葉もそれほど多くは無かった。そのどことなくブキッチョな姿は、まるで根を同じくする周りの仲間から日の光を独り占めしないよう気を使っているようで、それがなんだか可笑しかった。
「――地球というところは、竹ばかり生えているのね。月から見上げていたときは、青やら白やら茶色やらいろんな色があったように思ったけれど、実際おりてみると緑ばかりね」
その竹の前に、一組の女が現れた。さ迷うように竹林の間を歩いてくる。一人は黒く長い髪を流れるままに美しく、もう一人は白い髪を後ろで結っている。その出現に驚いたように、竹林は葉をざわつかせた。事実、人がこの竹林にたどり着くことは過去において一度も無かった。地上の人間にはけしてたどりつけない場所に、この竹はある。何枚かの葉が、くるくると、舞い踊りながら落ちていく。ザァザァと雨音にも似たざわめきのなか、それは静かに地面におりる。そして、すでにふりつもる何千枚という葉に埋もれた。
「姫。たまたま竹林に降り立っただけですよ。場所を変えれば、砂地や湖もあるでしょう。青いのはすべて水なのですよ」
「そんなことはわかっているわよ永琳。冗談を真顔で返さないで」
姫――輝夜がその竹の存在に気づいて顔を向けた。輝夜の後ろを歩いていた永琳もサクリと落葉を踏みしめて、足を止める。
「まぁすごい。この一本だけがなんて大きなこと」
「姫様がすっぽり収まってしまいそうですね」
「身を隠すのにはいいかもね」
「そうですねぇ」
永琳はくるりとあたりを見回した。周りにはどこまでも竹林が続いていた。上を見上げれば、竹の葉のあいまに時折青空がちらついている。ただよう空気は、香りも見た目も緑がかっている。
「実際、このあたりに居をかまえるのは、悪くないでしょう」
「そう?」
「空間的に、この場所は少しおかしくなっているようです。人が自力ふみいることもめったに無いでしょう。水のある良い場所を探して、姫にふさわしい立派なお屋敷をたてましょうか」
「でも、私と永琳しかいないのにどうやって屋敷を?」
「里を探して、人を導いてきて作らせましょう。作らせたあとは、記憶を消し去ればいい」
「大丈夫かしら。無くなった資材や費やされた時間……おかしな点は多々残る」
「ぬかりはしません。万事、私にまかせてくださいな」
「頼りになるのね永琳」
「月の姫は、案外なにもできませんからね」
永琳がくすくすと笑った。輝夜は振り向くと、永琳にあっかんべーをした。
「まぁいいわ。日が暮れないうちに里を探しましょ。野宿はごめんよ」
輝夜はそういうと永琳とその竹に背をむけて、またざっくざっくと竹林を行こうとする。
その手を、永琳がぐっとつかんだ。突然後ろ手を引かれて、片足をあげたまま輝夜が体をがくりとさせる。輝夜は振り返って文句を言おうとする。
「何よえいり――あっ」
だが輝夜は、突然永琳にぎゅっと抱きしめられ、言葉をさえぎられた。
木々に隠された秘密の空間で、永琳は輝夜を強くだき抱きしめた。風が吹いて、葉がざわめき、細い竹達の体がゆれてみきみきと音を立てる。そんな中にあっても、その竹は、微動だにすることなく二人を見下ろしていた。
「無礼者」
輝夜はどういう表情も浮かべずに、ぽそりと言った。生気がぬけて、どこか眠たそうな顔でもある。
「姫」
永琳は、輝夜よりもいくらか背がたかい。永琳は胸に抱いた輝夜のあたまに、優しく何度も頬ずりをした。
「離しなさい」
「――いやです。姫のか細いからだ、一度でいいから思うが侭に抱きしめたかった」
「なんてことでしょう。私に残された最後の月の名残が、こんな下衆だったなんて」
輝夜は、永琳の胸のなかでハアとため息をはいた。だがそれは、永琳の匂いをかぐわおうとしているようでもある。
永琳は、輝夜の耳もとに口をやり、黒い髪の奥に隠された耳たぶを探り当てると、甘く噛み付いた。輝夜の体が、どきりと震えた。
「月の姫に、このような劣情を向けることはあまりに恐れ多い。けれど姫は――今や姫はただの娘です。数多の家来はどこにもおらず、竹林で私と二人きり。月は、はるか彼方に遠のいてしまった――もう、何も」
永琳は、その竹に輝夜の細いからだを押し当て、自分の体で蓋をする。輝夜はもう、どこにも引くことができなかった。
「私にこうしたかったから、永琳は私を地上に落としたの? まぁ怖い。何もかも永琳のたくらみだったのね」
「姫、いや――輝夜」
「……っ」
耳たぶにそう囁かれた時から、輝夜の瞳がとろりと溶け始めた。そのあとはもう、何の言葉もなかった。時折乱れる二人の吐息が、静かな竹林のなかに広がる。ザァザァと風に揺れる竹林の中では、それはすぐにかき消されてしまう。いやともすると、二人の存在さえ、この森の中では、とるにたらない小さな物なのかもしれなかった。
その竹だけが、契りの始めから最後までを静かに見守っていた。
――――数十年後
何本もの竹が生まれて、そして死んでいった。竹林の個体はほとんどすべて生まれ変わった。
それでもなお、その竹だけは変わらずそこにある。その一本だけが、まるで時のすぎるのを忘れてしまったようでもあった。
「ほお。でかいな」
真っ赤なもんぺをはいた少女が、竹を見上げている。その表情には、いくらかは驚きの色があらわれていたものの、すぐに消えた。険しい、つねに苦悶しているような表情が、それにとってかわる。長く真っ白な白銀の髪が、真っ赤なもんぺと対象的だった。
「――こいつは、長生きしてくれそうだ」
切なげな響きを声に混ぜながら、少女はそういい捨てた。少女のものとは思えない、にごりきった声だった。少女はまた竹林のなかに消えていった。その背中には、逃れようの無い孤独が染み付いていた。
その竹は、じっと黙して、その背中を見送った。
―――――数年後
「すっごーい! 大きい竹! よくこんな場所を知ってたね、てゐ!」
鈴仙とてゐが、その竹を見上げている。
「うん。ここを見つけたのは、永遠亭で暮らすようになってしばらくのときだったかな。鈴仙が屋敷に住まうずっと前のことだよ」
「へぇ~」
「ここはね、多分私以外は誰も知らない秘密の場所」
「ふぅん」
鈴仙は竹の周りをくるくると見て回りながら、てゐに返事をする。
「今日は、鈴仙と二人でお話がしたかったから……」
「え……?」
鈴仙がてゐの方を振り返る。てゐは、トテテと鈴仙に駆け寄ると、ぽふり、とだきついて鈴仙の腰に腕を回した。てゐの身長は鈴仙よりも随分低い。
「て、てゐ?」
鈴仙は両脇を開けて少し戸惑う。
てゐはそんな鈴仙の顔を見上げた。そこにはすばらしい笑顔があった。
「――子供ができたよ」
そういうとてゐは、にっこりと笑って、真っ白な歯をみせた。
だが鈴仙は、その言葉の意味が理解できなかったのか、しばしきょとんとして、
「へ?」
とまぬけな声を漏らしたのだった。
竹の間を流れる緑の風が、さらさらと穏やかな音をたてる。大気のうねるかすかな声が、それを包み込んでいる。
いつまでも硬直している鈴仙に、てゐが苦笑した。そして念押しをする。
「赤ちゃんだよ。もう2ヶ月目。お師匠にみてもらったから間違いないよ」
「あか、ちゃん……」
鈴仙は呆然とつぶやいた。
「えっとそれってつまり、私とてゐの子供?」
鈴仙が不用意にそんなことをつぶやいた。それで、てゐの顔が突然けわしくなる。ぴょんと飛び跳ねて、ぽかりと鈴仙の頭を叩いた。
「痛っ」
「天然ボケもいい加減にしてよね! 鈴仙の子に決まってるでしょ!?」
少しいじけたように、服のすそをきゅっと握って鋭くつぶやいた。
鈴仙はハッとした。
「……ごめん、つい、びっくりして」
「……」
てゐは頬をふくらませ、そっぽをむいてしまった。
鈴仙は少しの間、困った顔をしてどうしたものかと指をくわえていた。が、それはすぐに、幸福そうな笑みに変わった。胸のおくからとめどなく沸いてくる感情に、鈴仙は身をゆだねたらしい。ひざまずいて、てゐの小さなお腹にそっと頬をよせる。太ももの辺りをぎゅっとだいて、そして心底幸せそうに言った。
「嬉しい」
「もう、はじめからそう言ってよね」
てゐの表情が和らいだ。いとおしそうに、己の下腹部に頬をよせる鈴仙の頭をなでる。
人気のない竹林の間で、竹の葉の囁くさらさらとした優しい音の中で、二人はいつまでもそうしていた。
その竹も、祝福するかのように、二人をじっと見下ろしている。
―――――同年
「さぁ、どうだい慧音」
「うん。ここが妹紅の秘密の場所か。竹林もすごいが、なによりこの竹の見事なこと」
「人をつれてきたのは、慧音が初めてだ」
「そうか。嬉しいよ。素敵な場所だ……心が穏やかになる」
「そうだろう。私と慧音、二人だけの場所さ」
「ふふ、らしくないな。妹紅――あっ」
「慧音」
「……何をするんだ。離さないか。こんなこと、その――困る」
「ごめんな。でも今だけは――こうさせてほしい」
「……今、だけだぞ……」
――――――翌年
つね日ごろ静寂につつまれている竹林が、この時ばかりは騒がしい。てゐの腕にだかれた赤子は、その小さな体のどこにこれほどの力があるのかという大声で、ひたすらに泣き続けていた。竹林の奥の奥にまで、その泣き声は浸透している。
「本当によく泣く子だねぇ」
てゐの腕の中を覗いた鈴仙は、呆れながら笑った。
「元気があっていいじゃない。さぁ、お前もこの竹のように、太く長く生きておくれよ」
てゐはその竹に自分腕ごと赤子を押し当てる。赤子の頬が、竹のひんやりとした緑の幹に触れた。それまで狂った獣のようにほえていた赤子は、ふと不思議そうな顔をして、目をぱちくりとさせた。
「およ、泣き止んだ?」
「ほっぺたが冷たくてビックリしたんじゃない?」
赤子は口をあぶあぶとさせながら、やわそうな腕を無作為にパタパタとさせた。覗き込む二人の顔が、自然と緩んだ。
「ねぇ、てゐ」
「ん?」
「あと二人は子供がほしいなぁ」
「うへぇ、またあんな痛い思いをしろっていうの? 私の小さいお股じゃ今度こそ裂けちゃうよ」
「次は、私が生むよ」
「そんなに子供がたくさんほしいの?」
「うん……あと何百年かで、私は死んじゃう。てゐだって、永遠には生きられない。だから子供達に、姫や師匠のことを……」
「……。この娘だって、いつかは逝くよ。その後はどうするのさ」
「それは、子供達に考えてもらうよ。命の短い私に考えられるのは、少しばかり未来だけ。でもこうやって思いを受け継いでいけば、姫や師匠とずっとそばにいられる気がする」
「……ふむ」
てゐは、体を揺らしながら、赤子にそっと語りかける。
「やれやれ、鈴仙かあさんは教育熱心だねぇ。もうお前の生き方を定めてしまおうとしているよ?」
「な、何よその言い方……」
「どこぞの魔理沙みたいに家をでて自由な生き方を選びたい子に育つかもしれないってことさ。子供がそういう風に言い出したら、鈴仙はどうするの? そんなのは駄目だって、反対する?」
「どうするのって、言われても」
「そういうことも考えておかないと、いざというときに騒動の種だよ。子供は私達の期待通りに育つわけじゃないんだから。親は、子供を許す寛容さを培っておかないとね」
「う、うーん……」
鈴仙は困ったように腕組をして、うめきながらその竹を仰いだ。竹は何も答えない。赤子をあやしながら、てゐはクスクスと笑った。
―――――――――――――――――――――――――――――――――――千年後
一人の老因幡が、両手で杖をつき、枯れて折れそうなその背骨をなんとかまっすぐに伸ばして、その竹を仰いでいる。目はほとんど開いておらず、かすかな隙間から、にごった瞳が覗いていた。顔はしわがれて、もとは白い毛並みであったろう頭に生えた耳も、大部分が茶色くなっていた。
老因幡はただ黙して、何もかたらずじっと竹を見上げ続けていた。
その背中を、10人の若い因幡が、見守っている。みな、耳の形も、髪の毛も、顔つきも、少しづつ異なっている。だがそれでも、その10人の肩を並べる姿には、自然と深い絆を感じさせられた。10人は、血のつながった姉妹だった。
「ここが、鈴仙かあさまとの思い出の場所なんだね」
若衆の一人が言うと、老因幡がかすかにうなずいた。
「この竹は私がまだ若かった頃からここにある。もう……1000年以上も昔だろうか。この場所で二人でいろいろなことを話した。何もかもが懐かしい」
老因幡は微笑むと、ゆっくりと振り向いて、若い因幡達を見回した。
「皆赤子のころには一度つれてきているが、覚えてはいないだろ。この場所を、お前達に教えておきたかった」
と、そのときだった、あらぬ方向から、誰かの足音が近づいてくるのに皆は気づいた。
そしてその足音の主も、竹のそばにいる因幡たちに、気づいたようだった。
「なぜお前らが」
竹林の間からのぞくその顔は、しばし呆然としていた。
因幡の一人が、敵意のこもった声を上げた。
「――妹紅!」
その声につられて、因幡の全員が臨戦態勢をとる。だが老因幡は、怒することはせずただいぶかしげな視線を妹紅に向けるばかりだった。
「お母さん危ないよさがって!」
「チビどもここで何をしてる。ここは私と慧音の大切な――!」
呆然としていた妹紅の顔に、敵意の火が瞭然と燃え上がり始める。いくら時代をへたとて、永遠亭と妹紅の関係はほとんど変化していなかったのだ。11人の霊力がたけり、あたりに風が舞い始める。竹林がザザザザとあわてるように葉音を立て始める。
だがそんな嵐の中心で、老因幡がゆるやかに杖を振り上げた。
「やめんか。お前達」
「え……」
十人の視線を背中に浴びながら、老因幡はよたよたと妹紅に歩み寄っていった。
「か、母様!?」
妹紅の放射する熱波にたいして何の霊的防御もせず、ただ無防備に近づいていく。
「母様だめ、そいつから離れて!」
そんな声に一切耳をかさず、妹紅の瞳をまっすぐに見据えながら、老因幡は近づいていく。あまりに敵意が無かったためか、妹紅も拍子をぬかれたようで、いつの間にか、体から吹き出る霊力はやんでいた。
二人は互いに手の届く距離で、視線を交し合った。
「てゐか。老けたな」
妹紅は渋い口調でいった。
老因幡は小さく会釈をした。
「お久しぶりよな。年が行ってからは、体もあまり動かんもんで、外にもよう出らんようになって」
老因幡はまるであの竹を見上げるように、妹紅の姿を眺めた。そして懐かしむように、笑んだ。
「あんたは、昔となんもかわらんねぇ」
「皮肉か」
「いや……少し、羨ましうて」
「それこそ、皮肉だろう」
「いやいや」
若い因幡たちが冷や汗をかきながら眺める先で、老因幡と妹紅はもそもそと言葉を交えた。妹紅は、不機嫌そうな様子ではあるが、年寄りを力ではらおうとはしないようだった。
「妹紅や」
「なんだ」
てゐは、うたたねをするように、こくり、と頭を下げた。
「娘らを――姫様やお師匠をよろしく頼みます」
「……なにを馬鹿な」
はき捨てるような妹紅の言葉は、若い因幡たちにとっても、同じ意見であるようだった。
「私はお前らの敵だ。私はお前らの主を殺すために生きている」
「殺せなど、しやしないでしょう」
「……関係ない」
妹紅はいまいましそうに老因幡をにらみつけた。
「くたばりかけた年寄りは、どいつもこいつもお前みたいに感傷的になる。そんなもの私の知ったことじゃない」
「そうでしょうな。けれどあんたも、感傷が何かは知っているはず。そのポケットの中にはいつも赤いリボンがひそめられていると、死んだ妻から聞いてるよ」
「貴様」
「この場所が、あんたとあのハクタクの大切な場所だとは知らなかった。あんがい皆に知られていた場所なのだろうか。ともかく、娘達にもこの場所では悪さをしないようにいいきませときますから、どうか、今日のところは」
「……年寄りは好かん」
妹紅はそう言い捨てると、あっけないほどあっさり背を向けて、竹林の奥に去っていく。
「話せておいて、よかった」
しわがれた声で、もう一度だけその背中に語りかける。
しかし妹紅は何も答えず、その背中はじきに竹林の中へ見えなくなった。
「お母さん!」
若い因幡たちが口々にそういいながら、周りに集まってくる。だが老因幡の視線は、見えなくなった妹紅の背中だけを追っている。そしてそれから、あくまで静かにたたずむ、その竹に目をやった。
「本当に、どうか、よろしくお願いいたします」
老因幡はもう一度だけ、そうつぶやいた。
――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――遠い、いつかの未来
妹紅がその竹を見あげている。ポケットから赤いリボンを取り出して、それを手の中でさすりながら、見上げている。
また違う日には、永琳と輝夜が、通りがかりに眺めていくように現れ、しばしその竹の前でよりそっていく。何人かの因幡が、何とは無しに眺めにくるときもある。
そういう年が、長く続いた。
そしてある年、幾星霜にわたるその竹の生涯は、ある日突然に終わった。
パカッ、と、冗談のような音を立てて、竹の側面に裂け目がはいった。始めのうちは30センチほどの亀裂だったそれは、日をへるごとに広がっていった。亀裂の深さは内部の空洞にまで達している。綺麗な円を描いていた竹の幹が、断層のように、だんだんとずれていく。数千年閉じ込められていた内気が、ふぁっと外に漏れ出した。独特の湿った香りを伴っていたそれは、あっというまに外の気と交じり合って、霧散した。
そのあまりに太い幹は、裂けてなお並の竹よりは遥かに丈夫な土台をしていた。だがその巨大さゆえ尋常ではない自重が、幹には押しかかっている。その竹は、風がふけば大きく傾ぐようになった。
そして季節はずれの台風の夜。
葉をとは四方八方から強風に吹き付けられ、荒れ狂う海のごとくないた。竹林は柳のように大きく折れ曲がり、次々と音をたてて折れていく。そしてある瞬間、葉音のすべてをかき消すようなすさまじい音が鳴り響いた。連続したいくつもの雷鳴が闇の中に響いたようだった。それは、その竹のへし折れる、断末魔の悲鳴だった。
輝夜が、大きく目を見開いて、絶句していた。その竹のむくろは、突然現れた高さ1m差し渡し数十メートルの天然の壁となって、輝夜の目の前に横たわっていた。
台風の夜から数日がたった晴天の日である。空を覆っていた葉はいくぶんかすっきりとして、そこからさす陽が、いまだ湿り気を伴っている地面を照らしていた。
「なんとまぁ……」
輝夜が呆然とつぶやいた、丁度そのときだ。
ガサリ、と輝夜の背後で落葉を踏む音が鳴った。
輝夜は振り向いた。
そこに、妹紅がいた。輝夜と同じく、絶句して、折れた竹を凝視していた。
二人はともに、互いがこの場所を知っていることはまだ知らなかったはずだ。だがこのとき二人は奇妙な共感によって、もはやその点を気にしなかった。その竹が倒れた、という事実の前では、なぜお前がここにいる、という疑問など、どうでもよかったのだろう。
顔を合わせれば弾幕合戦の始まる二人が、このときは、肩をならべて同じものを見つめていた。
「く……くっくっく……はは! あははは!」
そのうち、妹紅がこらえきれなくなったように笑い始めた。狂ってしまった、だとかそういう様子ではなく、ただ純粋に、笑っている。
「どうしたの……? 妹紅」
輝夜がたずねると、めずらしく、妹紅は素直に答えた。
「いやなに。永遠に変わらないものがこの世にあるのかもしれないと、半ば信じかけていた自分がおかしくて」
「それの何がおかしいの。よくわからないわね」
「うん。私にもよくわからん」
輝夜は肩をすくめて、それ以上も何も聞かなかった。妹紅はただただ、笑い続けていた。輝夜は、それなりに残念そうな顔をして、竹をながめていた。
「――やれやれ。永琳がまた寂しがるわ」
半刻ほどして、輝夜がその場から立ち去ろうとした。妹紅もその頃にはさすがに笑いを止めていた。二人の間にはとくに会話もなく、妹紅も輝夜に背を向け、反対方向に立ち去ろうとした。
その二人を、聞きなれぬ童女の声が呼び止めた。
「――あの」
「「?」」
二人が同時に振り返る。声のでどころは、地面に生えた大きな土管のようになっている竹の残り株からだった。
二人が視線を向けた先に、少女がいた。緑色の長い髪の毛をした、12、3歳ほどの見てくれの幼い少女。何の衣類も身につけず、白い肌を陽に光らせながら、竹のそばにちょこんと立っていた。どこかおどおどとした様子で、二人を交互に見つめる。
「なんだ? 迷い子か……? なぜ裸でこんなところに」
妹紅が言った。
少女が、確かめるように、つぶやいた。
「妹紅、さん?」
「うん? 私の名をしっているのか?」
「輝夜、さん?」
「あら、私のことも?」
すると少女は、ホッと安心したように微笑んだ。
「皆の声、ずっと聞いてました。私も一緒に、おしゃべりしてみたかった」
「ずっとって、いつから?」
妹紅は、まだよくわからないという顔をしている。
けれど輝夜は、ちょっと驚いた顔をして、少女の正体に見当がついたらしかった。
「妹紅、妹紅」
「なんだよ輝夜」
「この娘、あの竹の……」
「あん?」
「んもう、鈍いわねぇ。千年以上も生きた竹なのよ。その竹がただの竹なわけないでしょう?」
「へ……?」
妹紅はしばしぽかぁんとした顔で少女を眺め――
「……あ!」
と、得心した。
輝夜は、いそいそと少女に近づいていった。そして膝を折って、少女に語りかける。妹紅も、その後ろで話を聞いている。
「あなた、いつからここに在ったの?」
少女はおどおどとしながら、答えた。
「いつからだろう……でも、輝夜さんと、永琳さんが初めてここにきたときは、もう、声聞こえてた」
「まぁ、もう随分と昔のことじゃないの」
少女は妹紅にも顔を向ける。
「妹紅さんと、慧音さんがここにきた時も」
妹紅が目をみはった。
「それに、鈴仙さんとてゐさんの事も、その子供達のことも……」
輝夜は目を細め、そして深く長く息を吐いた。まるでその脳裏に、千年の思い出を、よみがえらせているようだった。
「――そう、そうだったのね」
そして自分の着物を一枚脱いで、少女にかぶせてやる。少女は少し驚いていたが、すぐに、嬉しそうにそれを羽織った。
その頭を撫でながら、輝夜が言う。
「ねぇ、一緒に家においでなさい。お話を聞かせて。貴方の覚えている、いろいろなことを」
「いいの?」
少女の顔が、ぱぁっと輝いた。
「もちろん。なんだったら、家に住んでもいいのよ。部屋はたくさんある」
少女は、飛び跳ねんばかりに喜んで、大きくなんども首を立てにふった。
蚊帳の外になりかけていた妹紅が、あわてて声をかける。
「お、おい待て。私だってその娘と……」
が、その後なんと言ってよいのか迷ったらしく、妹紅は口を閉ざした。輝夜はそれをにやにやとして眺めている。妹紅がそれに気づいて、殺気のこもった睨みを利かせた。
が、結局、少女は意図せず妹紅に助け舟をだすこととなった。
「私、妹紅さんともお話したい……」
ねだるように、輝夜にそういったのだ。
「え、うーん」
輝夜はしばし困って眉に皺をよせた。が、結局折れた。少しいやそうに、しかたなさそうに、妹紅にたずねた。
「妹紅……あんたも家にくる?」
妹紅は、いやそうに答えた。
「……おう。だが、泊まらんぞ」
「泊めるもんですか。言っとくけど、暴れたらすぐに追い出すから」
「招かれた先で暴れるほど、馬鹿じゃない」
「どうだか」
「何だと?」
「――あのう」
吹き上がりはじめた妹紅の怒気を、少女が遮った。
「二人はなぜずっとケンカをしているんですか?」
「へ……」
輝夜と妹紅は、互いに顔を見つめあった。そしてどちらともなく目をそらして息をつく。
「何もかもが長い話ね。とにかく、屋敷に戻ってからゆっくりと話しましょうか」
輝夜が提案すると、妹紅も肩をすくめて賛成した。
三人は、さくさくと落葉を踏みながら、竹の間の獣道を永遠亭に向かって歩き始めた。
竹林の静けさは、いつになっても変わらない。この日も風に、葉が鳴っている。
竹の間を、三人の会話がゆるやかに漂う。
「あなた名前はあるの?」
「ううん」
「そう。じゃあ、「お竹」にしましょ。あなたは今からお竹ちゃん」
「わぁい!」
「安直だな……」
遠ざかっていく三人の背中を、横たわった巨大な竹が見送っている。倒れた竹は、急速に風化していくだろう。10年後には、すでにそのなきがらは消えているのかもしれない。あるいは土が降り積もり、コケがはえ、その名残をうかがえるのかもしれない。ともあれ、千数余年を生きた巨大な竹の最初の生涯は、このようにして終息した。
凄く良かったです
てゐが老けるのが想像できないwww
何か暖かい気持ちになれました。
まあ、いい話でした
東方原作ゲームに女の子しか出てこないのと同じで
てゐって老けるんっだっけ?
幸せな生涯を閉じたキャラクターが、儚くも後世に残したモノがあってよかったと思います。
新生お竹ちゃんとなった巨大竹も、そんなモノの一つなんだと感じました。
だけど、それ以前にKASAさんの書くえーてるにテンションフルMAXでクネクネしてしまった。我ながらなんと業の深い……
しかしKASAワールドに百合妊娠が存在することの何が不思議だというのか。いいぞもっとやれ
しかし、てゐの出自を考えると、彼女はすでにンー百万歳に達しており、
老けるとかそういう次元に居ないのでは無いかと思いました。