人里から少し離れたところに、香霖堂という雑貨屋のような店がある。
その店は幻想郷の外からやってくる漂流物を、どういった手段でか仕入れているらしく、人里ではちょっとお目にかかれない品々が並んでいる。
ただしそこは『魔法の森』と呼ばれる、妖怪たちの住処に近い立地のせいか、人間は多少立ち寄りづらいのだが、それでも通い慣れてしまえばどうってことはない。
「いらっしゃい」
店主の森近霖之助が今し方迎えた男も、そんな常連の一人だった。
「やあ、霖之助さん。今日はちょっと探しものがあってきたんだが」
「ほう、ウチに敵うものがあればいいけど、何を探しているんだい?」
「最近どうにも虫が多くてね。里の蚊取り線香じゃ間に合わないんだよ。それで、もう少し強力な虫殺しが欲しいんだが」
「ふむふむ。そういえば昨夏にそんなものが入ってきていたような」
虫殺し、虫殺し、と、霖之助は小さく呟きながら探しものを始める。漠然と頭に浮かんでいるのは、黒い色をした筒状の姿。
しばらくブツブツと言葉が続いたところで、ようやく霖之助は目当ての物を見つけた。
「これだ。名前はバルサンプロイーエックス。害虫の駆除に使われているらしい、外の世界からの漂流物だよ」
「バルサン……。あの、キンチョールとかいうやつとはまた違うんだな」
「ああ。去年の今頃にまとめて流れ着いたやつでね。まあ見てくれ使い方なんだが、この蓋にザラザラした部分があるだろう。このザラザラした部分で、蓋を外したところにある、このポッチを擦るんだ。マッチを点ける要領だね」
「なるほど」
「するとモクモクと煙が上がる。この煙に虫を殺す効果があるらしい。去年店先で使ったんだが、森に流れていった煙のせいで、虫の妖怪から大苦情が来たし、効果は確かだよ」
「なるほど。よし買った。幾らだい?」
「ははは……こっちも厄介払いみたいなものだから、このくらいで手を打とう」
霖之助が提示した金額は、男が二時間働けば充分に稼げるくらいのそれだった。多少高いと思ったが、外の世界のものなんだから仕方無い。
男は納得してバルサンを買うと、意気揚々と人里へ帰って行った。
そしてその夜。早速バルサンの効果を確かめようと思った男は、寝ている間にバルサンを焚いてしまおうとする。
その扱いは、蚊取り線香と同じようなものだろう、と思っていたのだ。
「これで明日の朝、蚊の一匹にさえ刺されてなけりゃあ本物だな」
男は楽しそうに、霖之助の教え通り、バルサンの着火部分を蓋で擦った。
「アチチッ」
多少火花が散ったので驚いたが、その直後には、男がもっと驚くほどの煙が、バルサンからもうもうと上がり始めたのだ。
「おー。こりゃあ確かに、蚊取り線香の比じゃないな。一生分の虫を殺してくれそうだぜ」
そう言って男は、ゆっくりと眠りに就いた。
目に明るい光を感じて、男が目を覚ます。
其処はなんと、船の上だった。
「……な、何だぁ?」
「おや、目が覚めちまったね。このまま向こう岸へ着くまでに目が覚めなけりゃ、また折り返して川を渡ったってぇのに」
女の声がして、男はぎょっと目を見開く。その先に居たのは、赤い髪をした色々と大きめの女だった。
「何がどうなってやがる」
「どうにもこうにも、お前さんは死んだのさ。此処は三途の川を渡る船の上で、あたいは船頭。向こうの岸は黄泉の国だ」
「……そんな馬鹿な。俺は何にも、死ぬようなことはしてないぞ?」
「そんなのあたいに言われてもなぁ。人間は突然死ぬもんだ。お前さんの顔にゃぁ、死因は窒息死とあるが。本当に覚えはないかい?」
窒息死と言われて、男は顔をしかめる。
そして頭の中にある最も近い記憶を思い出して、うげっ、と口にした。
「心当たりがあるようだね」
「あー、ああ」
「はははっ、そんな悲しい顔しなさんな。生前なーんも悪いことしてなけりゃ、閻魔様の裁判に掛けられた後は、割とすんなり新しい人生を始めることが出来るんだ」
「そうなのか?」
「ああ。早けりゃ四十九日もすれば、次の人生が始まるよ。……でーも、少しだけ運が悪かったね」
意味有りげに女が呟くので、男は不安げな顔でそれを見る。
いたずらっぽい笑みを浮かべて女が告げた言葉に。
「この時期は、死んでやってくる魂が多いんだ。そいつらは無数の、蚊や蝿みたいな羽虫どもさ。お前さんがやってくる前にもどどんと増えてね。ちなみに一日百個の魂が、閻魔様の裁判に掛けられるんだが。今の順番待ちは――三千八百六十七億、九千二百十二万、六千六百四十四個分なんだよねぇ」
男は途方もなく空を見上げることとなった。
てっきり昼寝中の小町が被害者になるかと思ってたわ
自分で使ったんなら多少は危険性も予期できただろうに
そこらへんに想像の余地があり、考えさせられました。