妖怪の山。数少ない楽園世界であるここ幻想郷の中でも、独自のコミュニティを維持している事で知られている。
また、一部外界の科学を取り入れるなどして高い文明水準を保っているらしいが、閉鎖的な社会ゆえにコミュニティの成員以外にはあまり実態は知られていない。
しかし、幻想現実問わず、多くの共同体と同じように、そんな現状を変えていこうという意志と、変えなくてよいという意思、変えてみたけどやっぱ戻そう、といった価値観のぶつかり合いもあるが、ゆるやかに発展を続けていた。
「あ~やや、やっと終わったなあ」
徹夜明けの朝、鴉天狗の少女、射命丸文は原稿を書き終え、椅子から立ち上がり背伸びをして、窓の景色を眺め、仕事の余韻に浸っていた。朝霧の立ちこめる妖怪の山々からはまだ工場の煙は上がっていない。
それから急須の茶葉を捨て、茶筒から新しい茶葉を入れるが、もうすぐ切らしそうなので少なめに入れた。それからやかんに水をいれ、火を起こすのが面倒なので軽く弾幕を当てる、前にこれでやかんを破壊したことを友人の姫海棠はたてに話したら笑われたので細心の注意を払う。
「うう、よく考えたら素直に沸かす方が早かったな」
お湯を急須に入れて蓋をし、しばらく蒸してから湯呑に注いだ。蒸さなくても味は変わらないじゃないかと思うが、はたてがそうしろと言ったのでなんとなくそうする。湯呑と落雁を持ってちゃぶ台に座り、一息ついた。適度な苦みと甘味が心地よい。
新聞を出すのは必ずしも義務と言うわけではなく、またそうしなくても食べていけるだけの仕事は割り振ってもらえたり、家族から食べ物を送ってもらったりできるのだが、天狗にとって集めた驚くべき情報を新聞という形で出版する事はライフワークであり、彼女もその例に漏れなかった。
それから服装を整え、河童の経営する印刷所へ原稿を届けに行く、それからぐっすり眠るのが、原稿を書き終えた後の文の習慣だった。
ポストを見ると、両親からの手紙と、他の天狗仲間の新聞がある。
両親の手紙は元気か、いい人はできたかい、といった内容の文面で、文は嬉しく思う反面、少し恥ずかしい、ほっといてよ、と軽く文句を出すのであった。
「文姉ちゃん」
飛ぼうとした文のもとに、たんぽぽ色の着物を着た7~8歳ほどの少女が駆け寄ってくる。
小さな足で懸命に走ってくる姿に文は目を細め、かがんで彼女の頭をなでてやる。
少し離れた家から母親が顔を出し、申し訳なさそうに頭を下げ、文もそれに会釈で応えた。
「よしよし、鈴ちゃんおはよう」
「また新聞できたの?」
「そうですよ、でも鈴ちゃんにはもう少し大人になったら見せてあげますからね」
「え~今見せてよ」
「これはまだ鈴ちゃんには早いですからね~、」
この少女は妖怪の山に暮らす人間で、文の居る集落に母親と二人で住んでいた。
いろいろな事情でこの山で暮らす人間は少数ながら存在する。
彼らの多くは低い地位に追いやられており、保護と引き換えに何らかの奉仕を妖怪に対して求められていた。
文とこの少女のように良好な関係を築けている場合もないわけではなかったが、場所によっては奴隷並の待遇の者もいるという。
(せめて妖魔本を扱う方の鈴ちゃんぐらいになったらね、嘘を嘘と見抜ける子でないと、文聞。新聞を楽しむのは難しいですからね)
文自身も、自分の新聞は子供向けではないという自覚があったらしい。
それはそうと、文はこの山の人間たちとそれなりにうまくやっていた。彼ら彼女らはこの山での地位も力も当然妖怪に劣るが、立場に縛られるのはお互い様だと言う意識があった。
印刷所のある滝へ向けて飛んでいる最中、仲間の青年天狗とすれ違う。
「おはよう、時矢(ときや)」
「おう、文、徹夜明けかい」
「ええ、今回もびっくり仰天のネタですよ」
時矢は文と同世代の鴉天狗で、文とはそれなりの友人どうしと言った感じ。名前の割には天狗でも飛ぶ速度が遅い方で、軽い劣等感を抱いているようだ。以前文はその事をからかった時にかなり怒られた。
「文、原稿届けるの、下人に任せればいいのに」
「いいえ、自分の描いた原稿は自分で届けたいんですよ」
「そうか、下人の人間って、なんか臭そうだしな」その表情に悪意はない。
「いいや、そういうわけではないんですがね」
そんな顔をみた時矢は不思議そうに首を傾けた。
「いつも思うんだけど、お前変だな、人間なんて弱いし、すぐ死んじまうからいちいち同情してたら頭が変になっちまうぞ」
「でもあんまり私の前では鈴ちゃん達の事、そういう風に言わないでいてくれたら嬉しい、かな……」
「ああはいはい、文はそういう子だしな、でも奴らとの付き合いもほどほどにな。そうだ今度弾幕ごっこしようぜ、それから飲みに行こう」
「時矢がそんな武器なしでも弾幕出せるようになったらね」 文は彼が腰に差した拳銃を指さす。
「そこは言うな、まだ、弾幕生成がちょっと、そうアレなだけだ」
「それって時矢の嫌いな人間製ですよ」
「どうでもいいだろ! それとこれとは話が違う! じゃあな」
いけない、これも彼の地雷だったようだ。
急加速で彼は文の前から飛び去る。根は悪い子ではないのだ、と文は自分に言い聞かせ、河童の印刷所に向かった。そこの河童に原稿を手渡し、指定した部数の印刷を依頼して家に帰り、ひと眠り。
起きたら椛の所にでも遊びに行こうか。
白狼天狗は武芸に長けた種族で、妖怪の山を警護する任についている。
犬走椛はその白狼天狗の中でも中堅の部隊長の立場に就いているが、いつもの哨戒任務には彼女自身も一つの班のリーダーとして活動する。
彼女が日課の素振りを終え、いつもの住居兼詰め所兼訓練所で班ごとの哨戒ルートを指示しようと言う時、急に何かを察知して耳を動かし、ある方角へ注意を向けた。
「隊長、どうしたんですか」 部下の一人、椛より大柄の男性白狼が訪ねた。
「文さんが来る」 と苦笑い、。
「ああ、いつもの文さんですか」からかうような口調の男性天狗。
「太郎丸、哨戒はいつも通りの人員で。文さんに私は不在だと言ってくれ、理由は当たり障りのないものをなんとかでっち上げるように、以上」
椛は太郎丸と名乗る大柄の白狼に指示を出し、どこかに身を隠す。すぐに文の姿が見えた。
「椛いる~、遊びにきましたよ~」
「あっ文様だ。あやもみ成分が補充される~」 椛より年下の女性白狼、かれんが嬌声をあげる。
「ひょっとすると、また椛隊長に御用ですか」 椛の後輩の男性白狼、譲(ゆずる)がおずおずと尋ねた。
「譲くん、そんなに怖がらなくても襲いませんよ。椛を除いて~」
「隠れたって無駄ですよ~くんくん」
文は鼻をひくひく動かし、詰所の中に入って水甕に入った椛を見つけた。
その様を見つめる白狼天狗たち。
「狼系の妖怪でもないのに、なんであんなに鼻が利くんだろうな」
「椛見~っけ」
「うわああっ、文さん、今仕事中なんですよ」
「どんな仕事なんですか、今日はお休み、一緒に遊びましょう」
「んな訳にいくかっての」
「ほらほら、しっぽ揺れてますよ、私、本当に嫌なら誘いませんし」
文は椛を抱き抱え、詰所から出ると、ふわりと浮かび、白狼たちに伝えた。
「隊長さんお借りしていきますね」
「おい太郎丸、どうにかしろ」
「どうぞどうぞ、隊長はまじめな方ですから、たまにはこういうのも」
「そうそう、なんなら一ヶ月ほどお貸ししますよ」
「あやもみ萌える」
「お前ら~」とらわれの椛。
「るるる~今日新聞が出来上がって気分がいいのです。こんな日は、椛と戯れるにもってこいの日です」
文は空中で椛の頭をなでたり、しっぽをいじったりしている。
「ちょっと、しっぽにも神経通っているんですよ。それに、戯れるにもってこいの日って、この前上役に叱られた時も、炊けたご飯に芯が入っていた時も、はたてさんにネタ取られた時もそう言ってたじゃないですか」
「よくぞ気付きました、感情が高ぶった時はいつでも椛可愛がり時なのです」
「アホ!」
そうして人里などでしばらく時間をつぶし、ようやく椛は解放された。
もっとも、詰所まで文に送られて、だが。
でも椛は、そんな時間が満更でもないと感じる自分を自覚するのだった。
昼過ぎに2人が詰所につくと、椛の所属する白狼天狗隊の指揮官である鴉天狗の男が訪れていた。
風貌は壮年ほどでやせ形の体型をしている。文は白狼天狗を統括する身としては貧弱な印象だな、と思った。
「今日でお前らの指揮役を離れる事になった。初めにこの役を仰せつかった時はなんの罰ゲームかと思った、だが今となってはこの獣臭さが愛おしく感じるよ。お前らはこの山にもしもの事があった時の初動を担う存在だ、これからも武芸に励み、がんばってくれたまえ、では解散」
いくらか上から目線で言い放った後、その天狗は翼を広げ、あっさり飛び去って行った。
文は好奇心を覚え、その幹部天狗にそっと接近してみる。
「椛、私の背中に張り付いて、あの幹部に見えないようにしてください」
幹部のあけすけの本音が聞こえたら、特ダネかも知れない。徐々に近づくにつれて、彼の独り言が聞こえてくる。
「これで奴らともおさらばだな、なんだってあんな消耗品の世話なんかしなきゃならなかったんだろうな、経歴に傷がつくっつうの。最近権利の主張までしやがるし、下等動物は下等動物らしく……」
「簡素な退任セレモニーでしたね」
「げっ、射命丸!」 幹部天狗が驚愕でバランスを崩し、どうにか地面に落ちる前にバランスを取り直す。
「にへへ、隊長さんがそういう発言は良くないですね」
「知るか、一人でいる時ぐらい本音もでるだろう。誰にだって暗黒面はあるんだ」
「私は別にいいですよ、でも……」
文の背中に張り付いていた椛がぬっと顔を見せた。
「椛が許すでしょうか?」
「し~き~か~んどの~」
「聞いていたのか」
「ええ、前から私たちを見る目がいけすかないとは思っていましたが」
「だって仕方ないだろう、お前達は教養も低いし、力以外に能のないやつばかりなのは事実だ。いわば私らは脳、お前達は筋肉、だまって自分の勤めを果たしておれ」
「筋肉に嫌われたら、脳みそも動けませんよ」 文も椛に加勢した。
「ああ分かった分かった、済まなかったよ、これでいいか」
「結構です、では白狼の所に二度と来ないでください、我々は獣臭いので」
椛は皮肉交じりの挨拶を幹部天狗に向け、それから文と一緒に詰所へ戻る。
「まだこんな奴がいたのか」 毒づく文。
「セレブな天狗には、私たちが底辺の汚い存在に見えるんでしょうが」
「でも、底辺のおかげで上層も在るのですよ」
「あ~っ文さんも底辺って言った~」
「いや、今のは馬鹿にして言ったんじゃなくて、社会構造のあれやこれやの意味でして……」 と両手を振り振り、しどろもどろ。
「分かってますよ、冗談です」
あまり表には出さないが、自分達白狼天狗より上層の出にもかかわらず、分け隔てなく接してくれる文の事が嫌いではなかった。
「うんうん、椛は偉い子です」 と頭をわしわしと撫でた。
もっとも、こういうスキンシップは控えめにしてくれると嬉しいのだが、とも思う。
妖怪の山にある大きな御殿、天狗たちと妖怪の山を束ねる天魔の居館である。
そこで開かれている定例の会合に、文にあしらわれた時矢も列席している。
「……では、守矢からの空中索道の件について、今後も現状維持と言う事で」
「うむ、面倒だからそれでよかろう」
どうやったら文ともっと話ができるだろうか、仲良くなれるだろうか、というような事を考えながら、時矢の父親と鼻高天狗のやりとりをなんとなく聞いていた。
「おい時矢、お前はどう思う」
「ええっ、どうって父上」
「聞いてなかったのか、守矢がしつこく提案してくる空中索道の話だ」
「ああ、あれね、アレは……その」
「なにも意見は無いのか」
「いや、親父達は反対だって言うけど、あればあったで便利じゃね?」
「若様、お言葉ですが空中索道は費用や安全面で問題がありまして、しかも空から間者にこちらを探られる恐れがあります」
「そういう事だ」
「つまんねーの」
「親父、少しは面白い事業とかしてみたらどうなんだい」
「秩序維持が優先だ、今もここは良く統治されているしな」
(そのうち俺が親父の跡を継いでここの常連になったら、あっちこっちと商売でもして、天狗の山をにぎやかに変えてやるのに)
彼はそう考えていたが、彼はあまり発言力もなく、何を言っても子供の戯言のような扱いをされていた。しかも天狗の学校でも成績は良くなく、文に言われたように弾幕も下手で高速飛行も苦手だった。
それでも彼は漠然と、俺はいつか妖怪の山で重要な仕事を任されるんだと信じていた。だからこそ、若いうちからこうした重要な会合に列席もさせてもらえるのだ、と。
「それはそうと、白狼天狗の指揮官が退任しましたが、後任には誰をつけるおつもりですか?」 他の幹部天狗が尋ねた。
(白狼天狗隊の指揮官か、あんまり出世コースとは言えないんだよなあ)
一同からひそひそと声がする、妖怪の山のヒエラルキーにおいて、白狼天狗は山を守る階層の一族、いわば軍隊だ。その指揮官となると男性なら何らかのロマンを一度は感じるものだが、妖怪の山の支配層では、どうでも良いアホの子が着かされるという認識だった。
(みんなババは引かされたくないっていう顔だな)
時矢の父親は少し考え、つぶやいた。
「そうだな、白狼天狗の指揮はあいつに任せよう」
(うわあ、誰かは知らんがご愁傷さま)
「というわけで、時矢、お前に任せたぞ」
(トキヤ、俺みたいな名前の奴かわいそう……ん!?)
「は? 何を……」
時矢は困惑して、気の抜けた返事をした。
「白狼天狗の指揮、お前がやってみろ、部下達の仕事を実地で見るのも良い修行になるだろうしな」
「ちょっと待ってよ、俺、ロクに武芸とかしてないぞ」
「大まかな仕事は白狼の隊長がするから問題ない、お前は監督役を務めろ」
一瞬、失笑する声が周囲からしたような気がした。
「若様、副官達の意見を聞いて、そうせよと言うだけの簡単なお仕事ですよ」愛想笑いの鼻高天狗。
「まてよ、俺は妖怪の山の幹部候補じゃなかったのか」
「そういう意味ではない、意外とお前に向いているかも知れんぞ、決まりだな」
「それでは、親父の後継ぎ候補は誰が?」
「それはいとこのカー坊に任せれば安心だ」
カー坊と呼ばれた時矢より少し年上の青年天狗が顔を上げた。
「というわけで時矢くん、お父さんの補佐候補はオレが務めるから、君は君らしくマイペースでやればいいさ」
「決まったな、時矢。この天魔の息子に恥じない働きを見せてみろ」
(まあ適任だな)
(天魔様の息子にこういうのも何だが、あまり能力高そうじゃないし)
(本人もうすうす自覚しているんだろう)
会合が終わり、広間に一人残された時矢は、しばらく我を忘れていた。
「なんで、俺が白狼なんぞのお守りをしなけりゃならねえんだよ」
腹いせに妖力を太い柱に向けて撃ちこんだが、跳ね返されて頭に当たった、いてえ。
休日、椛はともに行動する班の仲間とともに、妖怪の山の市場をぶらついていた。
妖怪だけでなく、幾人かの人間もそこで商いを行っていて、活気のある声が聞こえてきている。
「先輩、今度の白狼天狗隊の指揮官、誰が送られて来るか知ってます?」
「いいや、まともな奴だといいな」
「残念、天魔様のバカ息子が送られてくるそうです」 譲が肩をすくめる。
「ひゃあ、あの弾幕もロクに撃てねえ癖に、態度だけはデケェ奴か。しかも文さんに懸想しているって噂の」 太郎丸がうんざりだという顔をした。
「まあ最悪、文さんには将来を誓い合った椛さんがいるのに」 かれんが片方の拳を口に当てて言う。
「誓い合ってな~い」 両手をぶんぶん振りまわして否定する姿は、とてもこの集団のまとめ役とは思えない。
「そんな奴で務まるんですかね」
「その程度にしか見られてないって事だろうな」椛はあきらめたような口調だった。
「見下されているんだよ俺達は! 山のために身を削っているというのによ」
太郎丸の声に驚いて周囲が押し黙った。
市場の妖怪や妖精や人間たちは、ある者は怯えた目、またある者は好奇の目を向けている。彼と目のあった妖怪が慌てて目をそらす。
「ここにいる連中も、少々商いが上手いだけででけえ面しやがって。誰のおかげで安全に商売ができると思っている!」
「おい、止めないか」 椛が太郎丸を窘めようとする。
「俺たちは高位種族だぞ」
「気持ちはわかるが、みんな怯えている、よけい印象悪くなるだろう」
人々はしばらく椛たちのやり取りをはらはらしながら見守っていたが、不意に別の大声のやり取りが生まれ、椛たちも含めて一斉にそちらに関心を移した。
身なりからしてかなり高位らしい天狗の若者と、簡素な着物を着た人間の少女が言い争っていた。
「天狗様、葛の粉で作ったお菓子、とってもおいしいよ、食べてみればわかるよ」
「うるせえ、人間風情が調子に乗るんじゃねえ」
振り払おうとする天狗の手をどうにかよけた少女は、しかしその代りにバランスを崩して菓子を落としてしまう。
「あーひどい、せっかく一生懸命お母さんが作ったのに」
少女が地面に落ちた菓子を拾い集めるが、大部分は泥がついてしまっていた。
そんな少女を天狗が見下ろして言い放った。
「人間は黙って、こうやって上位の俺らにひれ伏していればいいんだ!」
「そんな言い方って……謝ってよ!」
「人里にもいられない無用の分際で天狗様に謝れだと!
天狗が少女の頭を叩こうと右手を振り上げた。
高位の天狗と言えども、さすがに見かねた椛達が声をかけようとした時、店番の母親が駆け寄ってきて、少女をかばうように抱き寄せると、天狗に頭を下げ、娘にも同じ仕草をさせた。
「天狗様、娘が粗相をして申し訳ございません、ほらあんたも謝るのよ」
「お母さん、私、悪い事してないよ、この人にお菓子を勧めただけだよ」
「とにかく謝んなさい」
「お母さん、私はなにも悪い事してない」
(あっ、あの天狗、例の天魔の息子だ)
(嘘だろ、あんな安い奴が俺らの指揮者に?)
「おい女、天狗を愚弄した罪、許し難し。今日からここで店を開くのを禁ずる。どこへなりとも行け」
「お許しを、それではこの子を養えません」
「躾が悪かったお前の落ち度だ」
「まって、お母さんは悪くないよ。許してあげて」
「駄目だ、お前の態度が招いた事態だ、お前のせいだ」
「そんな……」
(器小さい)
さすがの少女も涙目になってしまう。
「じゃあ、じゃあ、どうすれば許してくれるの?」
天狗はそうだな、と考える仕草をして、それから意地の悪い笑みを浮かべて宣告した。
「この道をずっと下りた所に、向日葵の咲く太陽の丘がある。あの花の妖怪の支配する所だ。その向日葵を一本手折って、明日のこの時間までにここまで持ってこい、そうすれば許してやろう」
(いやそれはきついぞ、空も飛べないんじゃ、大人でも半日はかかるし、たどり着いてもあの風見幽香がそれを許すか?)
「それは無理です、分かりました、仕方ありません、天狗様には今までお世話に……」
「待って!」
諦めようとした母親の声を少女が遮った。
「絶対持ってくる」
「鈴、無理よ」
「大丈夫だもん、あの怖い女のお化けが出るひまわり畑でしょ、一本でいいんだよね」
「そ、そうとも」 予想外の挑戦に戸惑う天狗だった。
「で、明日のこの時間までにここであんたに渡せばいいんでしょ」
「ああ、ここに来てやろう、逃げるでないぞ」
天狗は幻想郷では珍しい腕時計の針を示し、明日の同時刻までに取ってくるように少女に伝えた。
「もし一秒でも遅れたら、ここから親子ともども出て行ってもらうからな」
「ひっでえなあ」 譲がつぶやくと、その天狗が椛の一団に気づいた。
「何見てるんだ犬っころ」
「ひっ」
あわてて視線をそらした譲に、ふんと鼻を鳴らすと、その場を立ち去った。
後には落胆した母親と、幼いながら決意を秘めた顔つきの少女が居た。
椛達一行はもやもやした気持ちを抱えながら帰路に就く、楽しい休日がぶち壊しである。
「ああいうのが私たちの上司?」 うんざりした顔のかれん。
「なあ太郎丸、あんな態度、格好良いと思うか?」椛が訊く。
「いいえ、格好良くありません」 しぶしぶ太郎丸は認めた。
「だろうな、我々もああやって貶されてきたんだ。同じところに落ちちゃいけない」
それでも太郎丸は何か言いたそうな顔だった。しかしあえて反論はしない。
かれんはあの少女にすっかり感心している。
「かっこよかったよ、種族は違っても、女子として応援してあげたいな」
「上級天狗を怒らせずにあの子たちを救う方法ありますかね」
「譲はビビりなんだから」
「仕方ないだろ、俺だって理不尽だと思ってるよ、でも……」
「悔しいが、表立って上位の天狗とやり合うわけにはいかない。でももし本当にあの子がやる気なら、道中の妖怪連中に邪魔するなと伝えとくよ」
考え事をしていた太郎丸が口を開く。
「隊長、悪いが俺は正直、人間のガキ一人にそこまで関わるのは反対だ」
「太郎丸さんの気持ちもわからないでもないけど」
「私、あの子の応援アンドあのクソ天狗に一矢報いてやりたいな」
「ちっ、どいつもこいつも。さすがに仕事の範囲超えてるっての」
無言の非難が太郎丸に刺さる。
「まあ、個人で動く分には邪魔しねえけど、俺は帰るわ」
「あんたって最っ低!」 ドゴォ
少女に八つ当たりした帰り、時矢は文に会うなり弾幕の洗礼を受けた。
文は白狼天狗の哨戒部隊、その中の椛達の班からこの事を聞き、腹立たしさと情けなさでいっぱいだった。
「おい、なんだよ」
「鈴ちゃんを虐めたでしょ! 無理難題吹っ掛けたそうじゃない」 ドドドド
空中で続けて被弾、彼の弾幕を出したり避けたりする能力はあまり高くない。
「どうやって知ったんだ」 避ける弾、受ける弾は4対6といったところか。
「それはあんたには関係ない」
当然椛班の事は伏せている。
「ま、待てよ、ちょっと子供からかっただけだって、本気であの店潰しやしないさ」
「あんたのせいで、鈴ちゃん行方不明になったのよ」 ピチューン
地面に落ちた時矢を、文は怒りと悲しみの目で見下ろす。
どうにか立ち上がって時矢はなだめようと試みた。
あの子供、本当に向日葵畑に向かったのか?
「お前、下位種族にムキになりすぎ」
冗談めかして笑いかけてみるが、それが怒りに油を注いだ。
「その下位種族に八つ当たりして喜んでいるあんたの方がずっと最低よ。そりゃいろいろ家の事とかあって、いらいらしてたんだろうなっていうのは分かるよ、だけど今回はもう最悪。鈴ちゃんの無事を確認するまで、あんたとは口を聞かないから」
文は時矢を見下ろしつつ、ぷいと振り向いて俊足で消えていった。
(ちっ、なんだよ、人間なんて弱い生き物じゃねえか、そいつに何で入れ込むんだ)
そう居直りつつ、改めて反芻する文の怒った顔、いつにないほどの非難の言葉。先ほど受けた弾幕より、思いを寄せていた彼女にここまで怒られる事の方が、何倍も彼を打ちのめし、仕方なく鈴を探そうとしたが、見つからずとうとう日が沈んでしまう。
夜中も、人間の子供のために上位天狗がそこまでするのは恥だという思いに、文にこれ以上嫌われたくないという思いがわずかに勝って、人間の捜索隊の後をこっそり追いながら探したが、それでも見つからない。さらに深夜、夜間警備中の白狼天狗の一団を見かけたが、彼らも何も見つけてないと言っていた。
ようやく彼の心に、俺はとんでもない事をしたのではないか、という意識が生まれつつあった。
次の日、時矢は一縷の望みをかけて、鈴の母親が開いている市場の店の前に立ち、約束の刻限を待つ。
母親は気丈に店を開き、往来の人にいらっしゃいと声をかけているが、仕事に集中するどころではないのは明らかだった。店先で待つ時矢に軽く会釈した後、なにも言葉を発せず、ときおり彼をやるせない目でちらりと見る。往来からも無言の抗議の矢が時矢に刺さる。でも依然として、親子を許し謝罪するにはまだプライドが邪魔をした。
「おい、あれはなんだ」
「妖怪だ、外の妖怪が飛んでくるぞ」
時矢が親子の「無礼」を不問とし、その場から立ち去る口実を考え出したところで、とうとう鈴が傷だらけの体で現れた。妖怪に連れられて、である。
「お姉さん、ここです。ありがとう」
「どういたしまして」
鈴を抱きかかえながら飛んできたのは、白いブラウスに赤いチェック柄のケープ、同じ柄のスカートを着こなし、緑の髪を持った女性妖怪、向日葵畑の主、風見幽香。
彼女はその姿とは正反対のぼろぼろの姿になった鈴をその場にゆっくりと立たせ、向日葵の花を一本持たせた。
「さあ、帰ってきたわよ」
「本当に助かりました。これでお母さんを助けられます。ありがとうございます」
鈴は幽香に振り向いてお辞儀をし、もう一度礼を言うと、一本の向日葵を持って母親の所へ駆け寄り、涙を流す母親と強く抱擁しあい、再開を喜んだ。
「鈴、良かった、生きていたあ」
「お母さんごめんね、私、ちゃんと向日葵持ってきたよ」
「馬鹿ねえ、あなたと一緒にいられたらそれで良かったのに、こんな事しなくても良かったのに、でも、ありがとう」
そして鈴はその手折られた向日葵の花を時矢に差し出した。
枝葉を乗り越えたのか、着物が何か所も破れ、あちこちに擦り傷や切り傷があったが、手当された形跡がある。
「はい、これでお店続けられるよね」 堂々とした目で時矢に花を渡す。
「お、おう、約束どおりお前たちを許そう」 目をそらして気まずそうに、それでも威厳を保った風に応じる。
「やったあ、形だけでも言っとくわ、ありがとうございます」
「良かったわねえ。さあ、説明してくれないかしら、今回の珍事のね」
そして幽香が笑顔で静かに時矢の元へ歩いてきて、彼の目の前で足を止めた。
背のほどは彼より少し高く、それ以上に彼女の持つ美貌と大妖怪の妖気の相乗効果が彼を畏怖させ、まるで物理的な圧力すら感じさせられた。
「昨日の夜中、この子がぼろぼろのふらふらになって、大事なお花さんを手折ったの。普通の子供の悪戯なら軽くお仕置きして返すんだけど、あまりにひどい姿だったから事情を聞いたわ。ずいぶんな事をしてくれたわね」
「済まない、向日葵の花は弁償する」
幽香は笑顔を崩さず時矢の頭を優しく撫で、それから言った。
「そういう意味じゃないのよ、この向日葵はもうあなたの物。私が知りたいのはどうして、あんな幼い子に、ああいうクソったれな仕打ちをしたのかって事よ」
「そ、それは……」
「別に差別をするな、とか理想を言うわけじゃなくて、天狗ともあろうお方があまりにも排泄孔の狭いことをされるので、これからの妖怪の山はこれでいいのかしら、と思っただけよ」
「俺は、天魔の息子だぞ」
「だから?」
幽香に頭を強く鷲掴みされ、時矢は悲鳴を上げた。向日葵の花を落としてしまう。
拳銃を抜く余裕もない。
「いてええ、済まなかった」
「何ですって? 聞こえないなあ」 メリメリ
「申し訳ありません、許してくれ下さい」
「謝る相手、違わなあい?」 ビキビキ
幽香は時矢の頭を鷲掴みにしたまま、鈴の方を振り向かせた。 ゴキリ
一層手に力が籠められる。このままでは頭がトマトのように潰されそうだ。そうなっても再生できなくもないが、妖力を相当消耗し、とても次期天魔候補の話どころではないだろう。
「あ~やや、大変ですねえ」
追い打ちをかけるように、その姿を文に見られてしまう。情けない事この上ないったらありゃしないが、今は体面にこだわるどころではない。
「文! 助けを呼んでくれ」
「これで妖怪の山と太陽の丘の抗争勃発ですね、ビッグなネタです」
「そんな他人事みたいに」
「まあ、妖怪の山としては、あなたの首を差し出してすべて彼の独断です、と話を収めるでしょうね、ていうか事実そうなんですけどね。ダメ元で謝罪したらどうですか」
「ごめん、申し訳ない」 初めて鈴に謝った。
「大きな声で」 幽香が命ずる。
「俺が悪かった」
「もっと大きく!」
「俺が、いや私が軽率でしたああ」 自棄になって叫んだ。
「だそうよ、鈴ちゃんだったかしら、どうする?」
「その人、見た感じ根っからの悪者じゃなくて、こういうのがかっこいいって思う年ごろみたいだから、もういいよ」
「命拾いしたわね」 と手を放す。
その場に倒れた時矢は、安堵と屈辱でどうしたらよいのか分からない気持ちだった。
風見幽香に殺されかけ、情けなく謝罪させられ、人間の子供に変に同情され、文や野次馬にそれを見られた、命は助かっても社会的におしまいだ。
「ちくしょう、いっそ殺せ」 地面を拳で叩く。
鈴が彼に歩み寄り、膝を曲げて彼を見つめる。
「何だよ、みじめな俺を見てさぞ気持ちいいだろうな」
鈴はううん、と首を横に振った。
「みんなこういう失敗をして、それで強くなっていくんだよ。天狗様」
鈴が慰める。否定する気力もなかった。
「そうそう、その向日葵、大切にしてね、枯らしたら殺す」
その様を千里眼で見ていた椛の班一同は、大いに留飲を下げた。
「だーはっはっはっは、腹筋いてえwwwww」
「女の子、グッジョブ!」
「ざまあwざまあw」
「おい、失礼だぞ、くくくっ」
「はははっ。あの人間の娘、ようやりおる」
「逆に優しくするところがツボにはまるwwwww」
「再起不能とかいてリタイヤねwwwww」
ちなみに、椛班は鈴の無事をすでに確認していた。結局夜中に彼女を見つける事はかなわなかったものの、今朝幽香に保護されているのを先に帰っていたはずの太郎丸が知らせてくれたのだ。
ひとしきり大笑いした後、それでも彼が新たな指揮官になるという人事は変わらないと伝えられ、冷や水を浴びせられた気分になる。
「でも、もしあのお方に無茶な命令を出されても、今まで通りうちら白狼全員で示し合わせて、適当にごまかせばいいんですよ」 譲が言う。
「それもあるが、ただあのお方もこうして絞られた事で、少しはまともな人格に変わっていけるんじゃないか」
「少なくとも、下位種族も意外と根性あるな、と思ったんじゃない?」かれんもあまり悲観していないようだ。
「あの人間の娘でさえ、ああして戦ったんだ、俺たちも頑張らねば」
あれほど腐っていた太郎丸も明るい。まさしくあの少女は小さな希望かも知れなかった。
大恥をかかされた、いや正直に言おう、自分の感情を暴走させたせいで大恥を書いた時矢は、一晩中落ち込んだ後、なぜか吹っ切れたような気分だった。
一応家の花瓶に挿した向日葵を見るたびに、苦い思いがよみがえるのはは確かだったが、あの少女の言葉が今も妙に印象に残っている。
「みんな失敗して、強くなる、か」
あの時、妖怪より弱くて、すぐに死んでしまうはずの人間が、とても強く見えた。
やつらにも、厚みのある物語が存在するのだ。今までの俺は、いや他の支配層の連中も、その事と真剣に向き合っただろうか?
それはそうと、白狼天狗達へのあいさつを考える。今日はお飾り同然ながらも白狼天狗隊の指揮官就任の日だ。おそらく白狼連中にも今回の事は知れ渡っているであろう。自分の愚かさを陰で笑われるのは承知の上で、とりあえず就任の言葉を考えながら飛んでいると、正面から文の姿が見えてきて、彼女もこちらに気づいたようだ。
文の前で醜態を見せた気まずさに、無言で通り過ぎてしまおうとも思ったが、目が合ってしまい軽く挨拶する。
「文、おはよう」
「おはよう時矢」
意外にも文はすれ違った後すぐ引き返し、彼に並んで飛んでくれたが、まだ顔を合わせてくれない。
「その、あの子は……」
「もう大丈夫です、ケガも浅かったです」 文は前を向いたまま言う。
「良かった」
「鈴ちゃんの事はまだ許せる気分じゃないです」
「だよな」
「でも、なにかいろいろ感じるものがあったんじゃないの」
「うん」
「今回の事、記事にさせてもらいますからね」
「ちょっと待てよ、おい」
文は俊足で時矢を追い越し、すぐに見えなくなってしまった。
まだまだ彼女には追い付けそうにない、一生できないかもしれない。
薄々感づいていた、もともと俺は大きな事を成すような器じゃない。しかし、大きすぎるプライドがそれを認めなかったせいで、無為に他人を傷つけ、自らも肉体的精神的に痛い目にあった。
0どころかマイナスからの再出発。
文は時矢よりも早く、白狼天狗の住居兼詰め所兼訓練所のある集落にたどり着き、椛の耳やしっぽをもふもふと触りながら過ごしていた。
「ああ、文さんと椛隊長のくっつく姿、可愛い、癒される」 かれんが喜んでいる。
「天狗様とつながりがあるのは悪い事じゃないしな」 太郎丸もまんざらでもない気分だ。
「椛、今日来る指揮官さん、私の知り合いで、彼のいろんなネタ掴んでいますから、何かあったら即私に相談してくださいね」
「はあ、それよりもうモフりは結構ですっ」
「もしあの人が、椛や他のわんこ達にひどい事をしたら、でっち上げで左遷から謀反で処刑まで、あらゆる段階まで追い詰められますからね。ああ、処刑までというのは冗談ですけどね」
「文さん、顔が冗談を言う感じじゃない」
譲が耳をぴくぴくと動かし、皆に天狗の到着を知らせる。
「例の天狗様が来たよ」
「時矢、やっと来たようね、私もそれなりの礼節を持って迎えるとしますか」
時矢はそれなりに整列した文と白狼天狗の前に降り立ち、就任のあいさつを行う。
どうせ威厳ぶっても見透かされるに決まっている、ここは簡素に済ませてしまおう、彼はそう思った。
「俺はお前らの、いや私は君たちの指揮官となる時矢だ。よろしく。といっても現場での事は君らの方がよく知っている事も多いだろう。あまり口出しはしないから、今まで通り励め。以上だ」
ざわつく周囲の白狼天狗たち。
「挨拶はそれだけですか、長い演説も嫌ですけど、早すぎなのでは」
文が正直に突っ込みを入れた。時矢は逡巡したのち、話を続けた。
「正直、私の能力に疑義を抱く者が居るのは承知している。そう思われて当然だ。そうだよ、俺はそんな器じゃないんだ、でも、どうかこの私を、俺の事を支えてくれとは言わないから、何かあったらどうすればいいか言って欲しい。これだけでいいかな」
それでも簡素な挨拶だったが。文は白狼天狗たちの反応に驚きを感じた。
嘲笑う者がいないのだ。うんうんとうなずく者、ほっとした表情の物、なんと感極まって涙を流しかねないものまでいるではないか。
前から白狼天狗は上位の天狗から蔑まれているのは知っていたが、上役の天狗が見下さないだけで、ここまで喜ばれる程だったのか。
「悪運の強い奴」 文は半笑いしてつぶやいた。
他の種族にわずかでも理解を示す天狗が、結果的にもう一人現れた。『雨降って地固まる』と言うにはあまりにも複雑な気持ちにさせられる話ではあったが、これが妖怪の山の風通しを少しは良くするだろうか、文はそんな風に考えながら、今日は椛と何して遊び、時矢の不祥事をいかに笑いに落とし込む記事にするか思案するのだった。
もっと時矢の出番というか、心情が知りたかったです