手を繋いでいた。
顔が見えないが、冬のある日、僕は誰かと一緒に歩いていた。
周りもぼやけて、あやふやだ。
話す言葉もどこか聞き取りづらい。
それでも僕は笑っていた。
「夢か……」
リュートのような声が響く。
香霖堂の店主こと、森近霖之助は目を覚ました。
目を覚ました後確認をする。
ここは香霖堂。今自分が居る場所はカウンターの席で。名前は森近霖之助だ。天気は晴れ。
起きるごとに毎度毎度確認しないと、寝惚けて胡乱な彼の頭は働かない。
昨日の夜、彼はどうやら読書をしてそのまま寝てしまったようだ。
今日は厳しい寒さだ。ストーブがなければ、彼は死んでいたかもしれない。
自分の死体を想像し身震いすると、彼はまず掃除を始めた。次に朝餉の準備。そして、今ご飯を食べている。
野菜はほぼ彼の庭で取れたもので、肉は彼の妹分から貰った。無論、ただではないが。
食べている間、今日のやる事を考える。
無縁塚で死体漁り、もとい、使われない道具を探すのか、それとも外は出ないでこのまま本を読んでおくのか。
この男は、元来出無精である。ならば、やる事は一つ、店番をしながら読書をする事だ。
そうと決まれば話は早い。彼がカウンターで本を読もうとすると、何かが置いてあった。
掃除したときには気付かなかった。隙間の妖怪の仕業かと思ったが、気配もない。
誰かの落し物だろうか。そう推測すると、それを拾ってみた。
そうすると、いつもの癖で能力を使ってしまった。道具の名前と用途がわかる程度の力を。
顔が疑問に埋め尽くされる。能力で理解した事はこれが『手紙』だという事だ。
正月のときに魔理沙から貰う年賀状などは、ただの『紙』と分別されるのだが、これは『手紙』だと認識している。
いったいどういうことなのか、彼には意味がわからなかった。こんな事は初めてである。
しかし、興味は沸く。何故こんな現象が起こったのか、普通の手紙と同じ使い方なのか、色々と謎が生まれる。
暇つぶしが出来た。ついつい、頬を綻ばしてしまう。これだから、幻想郷は。
まず、形状を調べてみる事にした。
見たままだと、西洋で使われてきたような封筒であり、装飾や模様は何もない。それなら、郵便箱も必要なはずだがそんなものはここにはない。
中身も調べてみる。中には一枚、相応な大きさの白紙があった。これも『手紙』と認識している。他には何も入っていなかった。
正体がつかめない。『手紙』とは『紙』ではないのか。
「訳が分からないな……」
笑みを溢しながら言う台詞ではない。
彼は少し考えを変えることにした。
外の世界でも、作り方はわからなくても使い方を知っている。
つまり、これは使えるかどうかということだ。
分類上『手紙』なのだから、書いて届ければ―
「変わらないじゃないか」
それでは、『紙』と一緒である。
そんなものは飛脚問屋に頼めばいい。
しかし現状ではどうする事もできない。
とりあえず何か書いて、明日飛脚にでも頼むとしよう。
そう落胆し判断すると、早速彼は見やすいように大きな文字で書き始めた。
内容はこうだ。
魔理沙。そろそろ、ツケや借りたものを返しなさい。後、少しは霧雨の親父さんのところにも顔を見せなさい。心配の手紙が僕のところに来ているんだよ。君にも届いているはずだから、来ていないと嘘はつくなよ。それから―
と、書いてからやめた。
こんなこと、魔女が来てからでも言えばいいじゃないか。
自分の考えに納得してしまう。
「……他に書くことは……」
それから数刻。先程の文から何も変わらなかった。
ただ、書いた後はかなり残っている。彼なりに推敲した結果であろう。
しかし、筆が進まない。彼は今まで殆ど手紙を書いたことがない。近況報告として、書類を霧雨亭に出した事はあるが。
よってどう書いたらいいのか分からないのだ。
思索していると、ちりんちりんとカウベルの音が鳴る。
どうやら久しぶりのお客のようだ。
「何をしているの?」
アルトリコーダー。そんなイメージのある声である。
咄嗟に隠そうとしたが、やめた。
彼女の能力なら無駄だろう。
紅魔館のメイド長、十六夜咲夜である。
なので、彼は素直に吐くことにした。
「ああ、手紙を書いているんだよ」
「手紙、ねぇ」
その瞳は、疑問で占めていた。
人付き合いのない店主が、手紙を書く。彼をよく知っている人から見ると、ちょっとした異変だろう。
「誰に書いたの? 興味があるわ」
「……物を買ってくれたら、考えるよ」
霖之助も一応は商人の端くれ。これくらいの口撃は身に着けている。
手紙の内容は別に隠す事ではないが、とりたて大っぴらにさらけ出すものでもない。
「ちょうどいいわ。今日茶葉を買おうとしていたのよね」
「悪いが、緑茶のしかないよ。君の主が好む紅茶は、今日は入っていない」
「新しい血を入れないと、組織というのは澱んでしまうわ。この幻想郷のようにね」
「……」
端くれが瀟洒に勝てるわけがなく。実際、能力を使われたら意味もない。
彼は諦めて、ため息をついた。
「わかったわかった、降参だ。魔理沙にだよ」
「恋文でも書くつもりなの?」
「何故そうなる? もしそうだったとしても、君もいい年だろ? 他人の恋事など気にかけてもしょうがないだろうに」
「乙女はいつでも乙女ですわ」
八雲紫に言ってみろ
と、声に出かかったがやめた。
もし、聞かれたらこっちの身が持たない。そういえば、八雲紫は冬眠していた筈だから安全だろうか。
妖怪なのに、冬眠とはどういうことなのだろうか。
もしかしたら、彼女は熊の化身かもしれない。
八雲ではなく、八熊。なるほど、そう考えてみると彼女の行動にも説明がつく。
昔、外界の物を槌でばらばらにしようとしたら、素手で止めたのも思い出す。
彼女の式もどうやら、動物のようだし。
つまり――
「店主? どうしたの? 先程から黙っているなんて、失礼よ」
と、彼の思考が飛んでいた。人と話している最中にも、彼は平気でこんなことをする。
それにつきあう人はたまったものではない。その証拠に咲夜の顔が呆れている。
店主は何事もなかったかのように振舞った。
「いや、なに、君は美しいなと。あまリの美しさに見とれていたのさ」
「引きつりながら言う台詞ではないわ」
咲夜は余計呆れてため息をついた。
しかし、彼をいじるのが飽きてきたのだろう。目はもう、自身の懐中時計を見ている。
「ま、いいわ。いい茶葉が入ったら教えてね」
霖之助の返答を待つ前に、咲夜はもう消えていた。
能力を使って、屋敷に戻ったのだろう。
彼はそう判断し、本を読む事にした。
今日はもう疲れたらしく、顔にもそれが浮かび上がっていた。
そういえば、何も買ってもらっていない。
そのことに気付き、店主はため息をついた。
ああ、どうして幻想郷の女性はこうも個性的なのだろうか。
霖之助の悩みに、扉はがたがたと答えた。
石を投げられていた。
僕は何も悪くないのに。
半分だとか、人ならずとかわけも分からない単語が僕を襲った。
僕と同じぐらいの子が、それを見ながら笑っていた。
寒いのと痛いので泣きそうになったとき、どこからか誰かが飛び出してきた。
―――だ。
普段見たこともない表情で、周りの人や子に大声で説教していた。
何故か僕も巻き添えになって。
だから、つい、僕は笑ってしまったんだ。
「……夢……なのか?」
布団の中で目を覚ました。
昨日と似たような夢を見るとは。そろそろ老年期なのだろうか。
いや、まだ霖之助は若い。無論、妖怪として、だが。
胡乱な頭を振る。まだ目が覚めないようだ。
周りを見てみると、もう朝である。
鳥の鳴き声が響き、陽射しが入り、朝餉のにおいがする。
「……ちょっと、待て」
まだ、朝餉は作っていないはず。メイドや家政婦が居るなら別だが、そんなものはここには居ない。
泥棒だろうか。いや、わざわざ作ってくれる泥棒などは居やしない。
襖から、ひょっこりと誰かが顔を出してきた。
眼鏡を掛けていないので、良く見えない。
「あら霖之助さん、おはよう。勝手に台所を借りているわよ」
声だけで分かった。
ぼやけて見える真っ赤な巫女服と、良く通る鈴のような声。
楽園の巫女、博麗霊夢だ。
「何をしている」
「何って……ご飯を作っているのに決まっているでしょ?」
疑問の欠片もなく、霊夢はそう言った。
当然のことと思っているようである。
「何故ここにいる」
当たり前の質問である。
人が寝ているというのに、勝手に入ってきて、料理も作っているとは。
「鍵は閉め忘れていたみたいね。扉が開いていたわよ。それと、お腹減ったからついでに」
質問に答えていない。
ここまで来ると、ため息をつくしかない。
眼鏡を掛けて、食卓に向かった。
外は寒そうに雪が積もっている。冬だから仕方ないのだが、霖之助はあまり冬が好きではない。
酒を飲んでそのまま寝たら半妖でも風邪を引いてしまうし、無縁塚に行くときも重い防寒着を装備しないといけないので荷物が持ちにくい。
食卓に着くと、暖かい朝餉が並んでいた。
座布団の上に座り、箸を取った。
「頂きます」
「遠慮しないでどんどん食べなさい」
「君が言う台詞ではないのだが」
「他人の家の飯は美味いのよ」
確かに、味はしみこんで美味いのだが。
それに免じて、彼はそれ以上言う気はなかった。
「ふぅ……」
食事の後のお茶は美味しい。
それを表現するかのように、霊夢の顔は弛緩していた。
それを見てつい、霖之助も頬を緩ませる。
「なによ、霖之助さん」
「いや、何でもないよ。ちょっと店を開けてくる」
彼が玄関に行き、扉を開けるとそこには誰かが立っていた。
黒い帽子に、エプロンドレス。普通の魔法使い、霧雨魔理沙だ。
驚いて彼女を見ると、睨みつけてきた。
「ど、どうした」
霖之助は思わず声が上ずってしまった。
「――入るぜ」
トロンボーンより低い声が、異様に響く。
それに有無を言わせず、店の中に入ってくる。
「あー、魔理沙。いったい何のようだい?」
「何の……ようだと……?」
「あ、ああ。きゃ、客だったらそれなりの対応をするが」
「とぼけるなっ!」
甲高い尺八の声になった。
口角泡を飛ばしながら、大声で言い放った。
びりびりと、霖之助に振動波が来る。
「何? 今の大きな声は?」
居間から、面倒くさそうに霊夢は顔を出した。
魔理沙が懐から、何かを取り出す。
「なんだ、それは?」
「お前が私に送ったものだろうが!!」
くしゃくしゃに丸められたものが、真っ直ぐ弧を描かずに霖之助の額に当たった。
彼女の弾幕のような、力強いものだったので霖之助にとってはかなり痛い。
落ちたのを拾ってみると、『紙』のようだ。
現に霖之助の能力でも、そう表示されている。
よく見ると、封筒のまま手紙が入っているようだ。
封筒ごと丸めるとは、魔理沙はどのくらいの力をこめてこれを潰したのか。
額を擦りながら潰れた封筒を開いてみると、彼は驚愕に包まれた。
魔理沙。そろそろ、ツケや借りたものを返しなさい。後、少しは霧雨の親父さんのところにも顔を見せなさい。心配の手紙が僕のところに来ているんだよ。君にも届いているはずだから、来ていないと嘘はつくなよ。それから―
これは確かに、彼が書いたのと同じ文章だ。文字の大きさも同じ。無くさないように封筒に入れていただけだったの筈。
しかし、彼はまだ飛脚にも文にも頼んでいない。
これはいったいどういうことなのか。
「魔理沙、これはいつ届いたんだい?」
「……今日の朝だ」
魔理沙の顔を見ると、怒りの皺が寄っている。
綺麗な顔が醜悪になっているのを見て、霖之助はため息をつく。
どうやら、彼も冷静になったようだ。
「これは、途中のものだという事はわかるだろう?」
「はんっ、どうせ香霖のことだから間違って送ったんだろ」
「その可能性は否定できないね。だけど、君は僕が中途半端なものを造らないのを知っている筈だ」
「まぁ、そうだが……」
魔理沙が持っているミニ八卦炉は、彼の傑作品である。それが欠陥品であるはずがない。
魔理沙も、怒りをぶちまけたせいか徐々に冷静になっていった。
一方、霊夢はお茶を飲んでいた。
「魔理沙。手紙って何だと思う?」
「ああ? 遠くの人に自分の言葉を伝える事だろ?」
「そういう使い方もあるね。そして、自分の思いを整理して書くものだ。だからこそきちんと書かなくては――」
彼の言葉が急に止まった。
「どうしたんだ、香霖?」
「……魔理沙、これに入っていた封筒はどうした?」
「はあ? 今お前が持っているだろうが。ボケるのはまだ早いはずだよな」
霖之助は再度驚愕した。
今日、この手紙を調べたとき彼が使った能力では、『紙』。これでは、齟齬が発生してしまう。
彼が昨日見つけたときには、これは『手紙』だった筈だ。
ふと、霖之助は思い出す。
無縁塚で拾った『かいろ』というものを拾って、しばらくした後それが『鉄』になっていたことを。
これはつまり、とある物質が、とある使用法によって、とある変化をした、と考えられる。
使われる事により、『かいろ』から『鉄』になった。それと同様に『手紙』から『紙』に変わったのではないか。
しかし、一度変化したものはなかなか元に戻らないか、ずっとそのままだ。
実際、この『かいろ』も元に戻らなかった。この『手紙』も戻らないと見てもいいだろう。
いや、何か方法はあるのかもしれないが、僕には分からない。
なかなか、面白いではないか。
これだから――
「おおーい、こーりーん。本当にボケたのかー? そーなのかー?」
我に返った。
また、彼の思考が暴走してしまった。
だが、その事について彼は反省しない。むしろ、何故止めたと非難するように魔理沙を見ている。
しかし、別に魔理沙が悪くない事も知っている。自分のために声をかけたのだ。怒りようもあるはずがない。
「いや、何でもないさ。まあ、僕も悪いと思っているからね。ミニ八卦炉の整備はしてあげるよ」
「ついでだ、霊夢のお払い棒も新しいのくれてやれ」
「……やれやれ、仕方がない」
ため息をつく。
やはり、里の霧雨店の娘である。こういうところはしっかりしている。
「魔理沙、愛しているわ」
「はいはい、私もだぜ」
互いに顔を見ずに、返事しあう二人。
異変を二人で解決してきたからだろう、その反応はもう熟年の夫婦に近い。
そんな彼女らを微笑ましく思いながら、霖之助は物置に整備用の道具とお払い棒の材料を探しに行った。
僕は泣いていた。
だって、―――が、苦しそうに横たわっているんだ。
いつも、気丈にしていた―――がもう見る影もなかった。
薬も何も、効かなかった。医者にさえも原因不明だといわれた。僕ができる事は―――の手を握る事だけだった。
でも、―――。
どうして、僕の顔を見て、笑っているの?
「……!」
周りを見渡す。
いつもと変わらない彼の城だ。テーブルの上には明かりはついているが、まだ家全体は暗い。今、彼が持っているのは先程飲もうとした酒である。
暗闇が司る夜、一人で酒を嗜もうと蔵から持ってきたところだった。
そこから、霖之助には記憶がない。いや、夢の内容は覚えている。そもそもそれは夢なのだろうか。
小さいときの記憶、自分が泣いている思い出。忌まわしいものが霖之助の脳裏に蘇った。
思わず酒瓶を握りしめる。だがそんな事をしても何も変わらない事を、彼は知っている。
憂鬱をため息にして、彼は吐き出した。
ふと、手の甲に何かが落ちた。水だ。
天井を見ても、雨漏りの気配がない。
まさかと思い、顔を触ってみる。目頭と目尻から涙が流れていた。
「夢を見て、涙を流すとは。寝小便よりはましだが、まだまだ僕も若いな」
そう言って、自嘲した。
とりあえず、酒でも飲んで気を紛らわそうとしたとき、フルートのような澄み渡る声が聞こえた。
「あらあら、まあまあ。男の子は泣いて大きくなるものですよ」
「……君か。冬眠したのではないのか」
霖之助は慌てて、袖で顔を拭いた。
影になっている部分を目を凝らしてみると、うっすらと見えてくるだろう。
紫色のワンピース、それに映えるウェーブがかった金色の髪。
神隠しの主犯、八雲紫だ。
彼女がゆっくりと、彼の真正面に座った。
霖之助は訝しげに紫を見る。
「何用で? 今はもう閉店なのだが」
「寒くて眠れないので、一献しに」
「どこかの屋台にでも行ったら如何かな」
そういいつつ、彼は紫のために一杯注いでる。
それを紫に渡す。
「別に構わないでしょう? こんな美人が一緒に飲もうとしているのよ。男の子ならもっと喜びなさい」
「形容詞が足りていないよ。胡散臭いというね」
「何を考えているか、わからないと?」
そう言われ、霖之助はまじまじと紫を見る。
明かりのせいだろうか、紫の顔がほんのり赤く見える。
彼女は妖怪のため、酒はかなり強い。酒のせいという理由で赤くは見えなかった。
「ああ、そうだ。君の事をじっと見ても分からないよ」
「誰だってそうよ、見ただけでは解らないわ。だからこそ、話したり触れ合ったりして解ろうとするのよ」
「君が本当のことを話さないから分かる訳がない」
「いい女に秘密はつきものよ」
ため息をつきながら、霖之助は自分に注いだ酒を勢い良く飲む。
紫の猪口の中身もなくなっているので注ぎ足す。
「それゆえに、いい女は『手紙』を書くのよ。自分の思いを隠したり晒したりしてね」
「!」
「……あら、こぼれてしまったわ」
彼の手が思わず震えた。
まだ、紫の手にとくとくと、酒がこぼれる。
「あ、ああ、すまない。すぐに布巾を取ってくるよ」
我に返って、すぐさま布を取りに行った。
テーブルの上を拭き、比較的新しい布を紫に渡す。
「珍しいわね。貴方がここまで動揺するなんて」
「僕は別に動揺なんてしていない」
「……ふぅん。これを見ても、そんな事が言えるのかしら?」
隙間を呼び出し、その中から何かを取り出した。
「なっ!?」
霖之助が驚くのも無理はない。
白く装飾もない簡素な封筒。ただ、それが何であるか霖之助は知っていた。
紫をそれを持ってひらひらと、興味なさげに振っていた。
だが、その口元からは笑みが漏れ出している。
「……この前僕の店に置いたのは君だったのか?」
「それは違うわ。こんな『手紙』を残して私に何の徳があるの?」
「では、誰が?」
紫の口角が釣り上がり、目尻が下がった。
「幻想郷は全てを受け入れるのよ。それはそれは残酷な事ですわ」
「意味が分からない」
「では、もう少し。想像、幻想、思い、そして、夢。そんな抽象的なものもここにはやってくるわ」
一区切り付いて、もう一度酒を飲み始めた。
霖之助は黙って紫を見ている。
紫にはただそれだけでも面白そうに、霖之助を見つめ返す。
「さて、『手紙』の本来の使いかたって何でしょうか?」
「……自分の思いを整理して相手に伝えるものだ」
「今、貴方は『思い』と言ったわ。『思い』というものは、未来、現在、過去をも乗り越えるものよ」
「だから意味が……」
そこまで言って、霖之助は口を閉ざした。
霖之助の目が驚愕に見開く。
夢、思い、過去。それらの紫が述べた言葉が、霖之助の脳裏をピースのように埋めていく。
「まさか……そんな」
「気付いたようね。何を書くのかも、誰に出すのかも」
「だが……」
「今度は宛名をきちんと書きなさい。魔理沙にやった事をしちゃ駄目よ」
そう言って、ことんと猪口を置き、立ち上がる。
「美味しかったわよ。御代はここに置いておくわ。じゃ、またね」
「待っ」
霖之助が声をかけようとするが、もう既に紫は隙間の中へと消えた。
テーブルの上にある封筒を拾った。どうやらこれが御代らしい。
念のため手に取り、霖之助は能力で確かめてみた。やはり、『手紙』である。
なぜそんなものを紫が持っていたのかは、霖之助は聞かないことにした。
胡散臭い人物に理由を聞いても、煙に巻かれるのが定石である。
だがそんなことより、今掴んでいる『手紙』に目を向ける。
彼は今、自分が何をすべきかを知っている。
霖之助は、貴重で上等な万年筆を倉庫から探すことにした。
「……朝か」
日差しが顔に当たるが、彼は気にしなかった。
よく眠れなかったからだ。
夜、布団を被って横になったかと思うと、急に立ち上がり廊下を行ったり来たりしていた。
彼は睡眠をあまりとらなくてもいいのだが、こうも精神が興奮してしまうと異様に疲れるものだ。
枕元に置いていた『手紙』をとる。
だが、それはもう『紙』になっていた。
返事が来た。
そう思った途端、霖之助の手が震え、心臓も破裂しそうで耳に鳴り響いた。
震える手で封を開き、折りたたまれている手紙を開く。
そこには、柔らかく小さな文字が隙間無く書かれていた。
手紙が来たという事は、貴方のいる時間はどのくらいなのでしょうか。明日でしょうか? 若しくは何十年後かもしれませんね。貴方からの手紙、『僕は元気です』としか書かれていませんでしたけど、それだけでも私は嬉しいです。
恋人とか出来ましたか? 貴方はいつも人の話を聞かなかったから、ちゃんと出来るかどうか心配です。
貴方が天使に運ばれてきたのは、冬の厳しい日でした。私は嬉しくて涙が出ました。輝かしい銀髪、金色の瞳。私は絶対にこの子は美人さんになると思いました。男の子に対して美人さんって言うのは間違いだと思いますが。
でも、貴方は泣き虫さんでしたね。毎回そのときに言った言葉を覚えていますか?
『凛と生きなさい。それに貴方は笑ったほうが格好いいわよ』そう言ったら、貴方はいつも笑ってくれました。
だけど、私は悔しかったです。貴方が泣いている理由は、同年代の子供たちに『半妖』だとか『人ならず』とか言われたからでしたよね。体が弱い私では、相手の親と子供と貴方を説教するので精一杯でしたけど、本当に悔しかったです。殴ってやりたかったんですけどね。
私の人生は他人から見たら不幸に見えたかもしれません。でも、私にとって貴方と共にいられたことが最高の幸運でした。
だからこそ、私は笑って逝くことが出来ます。
心残りは勿論あります。
貴方が成長する姿を見たかった。
貴方が恋人と歩く姿を見たかった。
貴方の子供を抱いてみたかった。
辛気臭くなりましたね。最後に、このことをいつも頭の中に入れて置いてください。
自分に誇りを持って、貴方も幸せになってください。
それではさようなら。貴方を一人にしてしまってごめんなさい。そしてこんな私の息子でいてくれてありがとう。
最後まで読むことが出来なかった。
彼の目の前が、霞んでしまったからだ。
『紙』の端を握り締め、嗚咽を漏らす。
目頭と目尻が熱く、止まらない。
涙が止まらなくて、ぽたりぽたりと『紙』に落ちていく。
「……母……さん」
押し殺す声のみが、香霖堂の空間を支配していた。
何度読み返したのだろうか。
くしゃくしゃになっている手紙を、彼は丁寧に折りたたんだ。
ぐしゃぐしゃになっている顔を、彼は洗いに行った。
「ふぅ……」
冷たい水と冷える空気が、霖之助の頭を活性化させる。
途端に恥ずかしくなる。
紫にこのことを見られたとしたら、憤死ものだ。
顔が赤くなってしまったので、もう一度洗うことにした。
不意にカウベルが鳴った。
「あややや、新聞を届けに参りましたあ~」
気の抜けた涼しい声で、勢い良く飛び出してきた。
行者帽子に、黒い瞳と髪。高下駄を履いて現れたのは伝統の幻想ブン屋、射命丸文である。
店主はほっと胸を撫で下ろす。
もし、あの顔を見られたら彼女の新聞のトップ記事になっていたであろう。
そうなったら、絶対に霊夢や魔理沙がからかいに来るに違いない。
奇跡に感謝しながらも、文に声をかける。
「珍しく、今回は早いね。何かあったのかい?」
「天狗ですからね、速いですよ。それと、渡したいものがあったからでして」
「僕に? 渡したいもの?」
文はごそごそと、自身の鞄からあるものを取り出す。
果たし状に使いそうな封筒だった。手紙である。
一瞬身構えるが、そんな事は関係なさげに文は渡してきた。
「そんなに身構えないでください。既に手数料などは貰ってあるので気にしなくてもいいですよ。では、また」
疾風迅雷のごとく、文はその場から立ち去った。
風が巻き起こるので、埃が舞う。
咳をして、顔を顰めた。
「……そういうことではないのだが。そして、普通に外に出てくれ。まったく」
誰も聞いていない独り言を言いながら、扉を閉める。
手に握っている手紙を、いつもの癖で能力を使って調べた。
『紙』だった。
安堵か失望かわからないため息をついて、手紙を開けた。
小さく可愛らしい文字が見える。
魂魄妖夢です。今、貴方のところには色々な害悪が襲っていると思います。今から、私が何とかしにここに来るので何も恐れず待機していてください。
追伸 別に私のせいではありませんよ
大きくため息をついた。
霖之助は倉庫に行き、見慣れた道具、人魂灯を取り出す。
「どうも、あの子は反省というのを覚えないみたいだな」
今回は幽霊などが来ないように、霊夢から貰った封印用のお札を貼り付けている。
さて、何をさせようか。
最初会った時は、雪掻きをさせたことを霖之助は思い出す。
「今回は、この店の掃除でもさせるか」
今日も雪は積もっているが、もう一度それをさせてもそれはつまらないからだ。戒めにはいくつかの種類があったほうがよい。
霖之助が一つだけ心配に思うことがあるとするならば、幽冥楼閣の少女、西行寺幽々子に何か言われる事だ。
妖夢の為だと考えてのことなのに、これで能力とか使われたら、たまったものではない。
「まあ、掃除が終わったら、何か暖かいものでも食べさせてあげるかな」
早速、準備に取り掛かる事にした。
それを狙ってきたかのように、ぱたぱたと軽い足取りが聞こえる。
途端、どさりと雪が屋根から滑り落ちてきた。
か細い悲鳴と、助けを呼ぶ声が聞こえて、霖之助はため息をつく。
台所の火を止め、面倒くさく扉を開けた。
冬のくせに暖かな日差しが、霖之助の顔を当てる。
今年の香霖堂の春は、早く来るのかもしれない。
顔が見えないが、冬のある日、僕は誰かと一緒に歩いていた。
周りもぼやけて、あやふやだ。
話す言葉もどこか聞き取りづらい。
それでも僕は笑っていた。
「夢か……」
リュートのような声が響く。
香霖堂の店主こと、森近霖之助は目を覚ました。
目を覚ました後確認をする。
ここは香霖堂。今自分が居る場所はカウンターの席で。名前は森近霖之助だ。天気は晴れ。
起きるごとに毎度毎度確認しないと、寝惚けて胡乱な彼の頭は働かない。
昨日の夜、彼はどうやら読書をしてそのまま寝てしまったようだ。
今日は厳しい寒さだ。ストーブがなければ、彼は死んでいたかもしれない。
自分の死体を想像し身震いすると、彼はまず掃除を始めた。次に朝餉の準備。そして、今ご飯を食べている。
野菜はほぼ彼の庭で取れたもので、肉は彼の妹分から貰った。無論、ただではないが。
食べている間、今日のやる事を考える。
無縁塚で死体漁り、もとい、使われない道具を探すのか、それとも外は出ないでこのまま本を読んでおくのか。
この男は、元来出無精である。ならば、やる事は一つ、店番をしながら読書をする事だ。
そうと決まれば話は早い。彼がカウンターで本を読もうとすると、何かが置いてあった。
掃除したときには気付かなかった。隙間の妖怪の仕業かと思ったが、気配もない。
誰かの落し物だろうか。そう推測すると、それを拾ってみた。
そうすると、いつもの癖で能力を使ってしまった。道具の名前と用途がわかる程度の力を。
顔が疑問に埋め尽くされる。能力で理解した事はこれが『手紙』だという事だ。
正月のときに魔理沙から貰う年賀状などは、ただの『紙』と分別されるのだが、これは『手紙』だと認識している。
いったいどういうことなのか、彼には意味がわからなかった。こんな事は初めてである。
しかし、興味は沸く。何故こんな現象が起こったのか、普通の手紙と同じ使い方なのか、色々と謎が生まれる。
暇つぶしが出来た。ついつい、頬を綻ばしてしまう。これだから、幻想郷は。
まず、形状を調べてみる事にした。
見たままだと、西洋で使われてきたような封筒であり、装飾や模様は何もない。それなら、郵便箱も必要なはずだがそんなものはここにはない。
中身も調べてみる。中には一枚、相応な大きさの白紙があった。これも『手紙』と認識している。他には何も入っていなかった。
正体がつかめない。『手紙』とは『紙』ではないのか。
「訳が分からないな……」
笑みを溢しながら言う台詞ではない。
彼は少し考えを変えることにした。
外の世界でも、作り方はわからなくても使い方を知っている。
つまり、これは使えるかどうかということだ。
分類上『手紙』なのだから、書いて届ければ―
「変わらないじゃないか」
それでは、『紙』と一緒である。
そんなものは飛脚問屋に頼めばいい。
しかし現状ではどうする事もできない。
とりあえず何か書いて、明日飛脚にでも頼むとしよう。
そう落胆し判断すると、早速彼は見やすいように大きな文字で書き始めた。
内容はこうだ。
魔理沙。そろそろ、ツケや借りたものを返しなさい。後、少しは霧雨の親父さんのところにも顔を見せなさい。心配の手紙が僕のところに来ているんだよ。君にも届いているはずだから、来ていないと嘘はつくなよ。それから―
と、書いてからやめた。
こんなこと、魔女が来てからでも言えばいいじゃないか。
自分の考えに納得してしまう。
「……他に書くことは……」
それから数刻。先程の文から何も変わらなかった。
ただ、書いた後はかなり残っている。彼なりに推敲した結果であろう。
しかし、筆が進まない。彼は今まで殆ど手紙を書いたことがない。近況報告として、書類を霧雨亭に出した事はあるが。
よってどう書いたらいいのか分からないのだ。
思索していると、ちりんちりんとカウベルの音が鳴る。
どうやら久しぶりのお客のようだ。
「何をしているの?」
アルトリコーダー。そんなイメージのある声である。
咄嗟に隠そうとしたが、やめた。
彼女の能力なら無駄だろう。
紅魔館のメイド長、十六夜咲夜である。
なので、彼は素直に吐くことにした。
「ああ、手紙を書いているんだよ」
「手紙、ねぇ」
その瞳は、疑問で占めていた。
人付き合いのない店主が、手紙を書く。彼をよく知っている人から見ると、ちょっとした異変だろう。
「誰に書いたの? 興味があるわ」
「……物を買ってくれたら、考えるよ」
霖之助も一応は商人の端くれ。これくらいの口撃は身に着けている。
手紙の内容は別に隠す事ではないが、とりたて大っぴらにさらけ出すものでもない。
「ちょうどいいわ。今日茶葉を買おうとしていたのよね」
「悪いが、緑茶のしかないよ。君の主が好む紅茶は、今日は入っていない」
「新しい血を入れないと、組織というのは澱んでしまうわ。この幻想郷のようにね」
「……」
端くれが瀟洒に勝てるわけがなく。実際、能力を使われたら意味もない。
彼は諦めて、ため息をついた。
「わかったわかった、降参だ。魔理沙にだよ」
「恋文でも書くつもりなの?」
「何故そうなる? もしそうだったとしても、君もいい年だろ? 他人の恋事など気にかけてもしょうがないだろうに」
「乙女はいつでも乙女ですわ」
八雲紫に言ってみろ
と、声に出かかったがやめた。
もし、聞かれたらこっちの身が持たない。そういえば、八雲紫は冬眠していた筈だから安全だろうか。
妖怪なのに、冬眠とはどういうことなのだろうか。
もしかしたら、彼女は熊の化身かもしれない。
八雲ではなく、八熊。なるほど、そう考えてみると彼女の行動にも説明がつく。
昔、外界の物を槌でばらばらにしようとしたら、素手で止めたのも思い出す。
彼女の式もどうやら、動物のようだし。
つまり――
「店主? どうしたの? 先程から黙っているなんて、失礼よ」
と、彼の思考が飛んでいた。人と話している最中にも、彼は平気でこんなことをする。
それにつきあう人はたまったものではない。その証拠に咲夜の顔が呆れている。
店主は何事もなかったかのように振舞った。
「いや、なに、君は美しいなと。あまリの美しさに見とれていたのさ」
「引きつりながら言う台詞ではないわ」
咲夜は余計呆れてため息をついた。
しかし、彼をいじるのが飽きてきたのだろう。目はもう、自身の懐中時計を見ている。
「ま、いいわ。いい茶葉が入ったら教えてね」
霖之助の返答を待つ前に、咲夜はもう消えていた。
能力を使って、屋敷に戻ったのだろう。
彼はそう判断し、本を読む事にした。
今日はもう疲れたらしく、顔にもそれが浮かび上がっていた。
そういえば、何も買ってもらっていない。
そのことに気付き、店主はため息をついた。
ああ、どうして幻想郷の女性はこうも個性的なのだろうか。
霖之助の悩みに、扉はがたがたと答えた。
石を投げられていた。
僕は何も悪くないのに。
半分だとか、人ならずとかわけも分からない単語が僕を襲った。
僕と同じぐらいの子が、それを見ながら笑っていた。
寒いのと痛いので泣きそうになったとき、どこからか誰かが飛び出してきた。
―――だ。
普段見たこともない表情で、周りの人や子に大声で説教していた。
何故か僕も巻き添えになって。
だから、つい、僕は笑ってしまったんだ。
「……夢……なのか?」
布団の中で目を覚ました。
昨日と似たような夢を見るとは。そろそろ老年期なのだろうか。
いや、まだ霖之助は若い。無論、妖怪として、だが。
胡乱な頭を振る。まだ目が覚めないようだ。
周りを見てみると、もう朝である。
鳥の鳴き声が響き、陽射しが入り、朝餉のにおいがする。
「……ちょっと、待て」
まだ、朝餉は作っていないはず。メイドや家政婦が居るなら別だが、そんなものはここには居ない。
泥棒だろうか。いや、わざわざ作ってくれる泥棒などは居やしない。
襖から、ひょっこりと誰かが顔を出してきた。
眼鏡を掛けていないので、良く見えない。
「あら霖之助さん、おはよう。勝手に台所を借りているわよ」
声だけで分かった。
ぼやけて見える真っ赤な巫女服と、良く通る鈴のような声。
楽園の巫女、博麗霊夢だ。
「何をしている」
「何って……ご飯を作っているのに決まっているでしょ?」
疑問の欠片もなく、霊夢はそう言った。
当然のことと思っているようである。
「何故ここにいる」
当たり前の質問である。
人が寝ているというのに、勝手に入ってきて、料理も作っているとは。
「鍵は閉め忘れていたみたいね。扉が開いていたわよ。それと、お腹減ったからついでに」
質問に答えていない。
ここまで来ると、ため息をつくしかない。
眼鏡を掛けて、食卓に向かった。
外は寒そうに雪が積もっている。冬だから仕方ないのだが、霖之助はあまり冬が好きではない。
酒を飲んでそのまま寝たら半妖でも風邪を引いてしまうし、無縁塚に行くときも重い防寒着を装備しないといけないので荷物が持ちにくい。
食卓に着くと、暖かい朝餉が並んでいた。
座布団の上に座り、箸を取った。
「頂きます」
「遠慮しないでどんどん食べなさい」
「君が言う台詞ではないのだが」
「他人の家の飯は美味いのよ」
確かに、味はしみこんで美味いのだが。
それに免じて、彼はそれ以上言う気はなかった。
「ふぅ……」
食事の後のお茶は美味しい。
それを表現するかのように、霊夢の顔は弛緩していた。
それを見てつい、霖之助も頬を緩ませる。
「なによ、霖之助さん」
「いや、何でもないよ。ちょっと店を開けてくる」
彼が玄関に行き、扉を開けるとそこには誰かが立っていた。
黒い帽子に、エプロンドレス。普通の魔法使い、霧雨魔理沙だ。
驚いて彼女を見ると、睨みつけてきた。
「ど、どうした」
霖之助は思わず声が上ずってしまった。
「――入るぜ」
トロンボーンより低い声が、異様に響く。
それに有無を言わせず、店の中に入ってくる。
「あー、魔理沙。いったい何のようだい?」
「何の……ようだと……?」
「あ、ああ。きゃ、客だったらそれなりの対応をするが」
「とぼけるなっ!」
甲高い尺八の声になった。
口角泡を飛ばしながら、大声で言い放った。
びりびりと、霖之助に振動波が来る。
「何? 今の大きな声は?」
居間から、面倒くさそうに霊夢は顔を出した。
魔理沙が懐から、何かを取り出す。
「なんだ、それは?」
「お前が私に送ったものだろうが!!」
くしゃくしゃに丸められたものが、真っ直ぐ弧を描かずに霖之助の額に当たった。
彼女の弾幕のような、力強いものだったので霖之助にとってはかなり痛い。
落ちたのを拾ってみると、『紙』のようだ。
現に霖之助の能力でも、そう表示されている。
よく見ると、封筒のまま手紙が入っているようだ。
封筒ごと丸めるとは、魔理沙はどのくらいの力をこめてこれを潰したのか。
額を擦りながら潰れた封筒を開いてみると、彼は驚愕に包まれた。
魔理沙。そろそろ、ツケや借りたものを返しなさい。後、少しは霧雨の親父さんのところにも顔を見せなさい。心配の手紙が僕のところに来ているんだよ。君にも届いているはずだから、来ていないと嘘はつくなよ。それから―
これは確かに、彼が書いたのと同じ文章だ。文字の大きさも同じ。無くさないように封筒に入れていただけだったの筈。
しかし、彼はまだ飛脚にも文にも頼んでいない。
これはいったいどういうことなのか。
「魔理沙、これはいつ届いたんだい?」
「……今日の朝だ」
魔理沙の顔を見ると、怒りの皺が寄っている。
綺麗な顔が醜悪になっているのを見て、霖之助はため息をつく。
どうやら、彼も冷静になったようだ。
「これは、途中のものだという事はわかるだろう?」
「はんっ、どうせ香霖のことだから間違って送ったんだろ」
「その可能性は否定できないね。だけど、君は僕が中途半端なものを造らないのを知っている筈だ」
「まぁ、そうだが……」
魔理沙が持っているミニ八卦炉は、彼の傑作品である。それが欠陥品であるはずがない。
魔理沙も、怒りをぶちまけたせいか徐々に冷静になっていった。
一方、霊夢はお茶を飲んでいた。
「魔理沙。手紙って何だと思う?」
「ああ? 遠くの人に自分の言葉を伝える事だろ?」
「そういう使い方もあるね。そして、自分の思いを整理して書くものだ。だからこそきちんと書かなくては――」
彼の言葉が急に止まった。
「どうしたんだ、香霖?」
「……魔理沙、これに入っていた封筒はどうした?」
「はあ? 今お前が持っているだろうが。ボケるのはまだ早いはずだよな」
霖之助は再度驚愕した。
今日、この手紙を調べたとき彼が使った能力では、『紙』。これでは、齟齬が発生してしまう。
彼が昨日見つけたときには、これは『手紙』だった筈だ。
ふと、霖之助は思い出す。
無縁塚で拾った『かいろ』というものを拾って、しばらくした後それが『鉄』になっていたことを。
これはつまり、とある物質が、とある使用法によって、とある変化をした、と考えられる。
使われる事により、『かいろ』から『鉄』になった。それと同様に『手紙』から『紙』に変わったのではないか。
しかし、一度変化したものはなかなか元に戻らないか、ずっとそのままだ。
実際、この『かいろ』も元に戻らなかった。この『手紙』も戻らないと見てもいいだろう。
いや、何か方法はあるのかもしれないが、僕には分からない。
なかなか、面白いではないか。
これだから――
「おおーい、こーりーん。本当にボケたのかー? そーなのかー?」
我に返った。
また、彼の思考が暴走してしまった。
だが、その事について彼は反省しない。むしろ、何故止めたと非難するように魔理沙を見ている。
しかし、別に魔理沙が悪くない事も知っている。自分のために声をかけたのだ。怒りようもあるはずがない。
「いや、何でもないさ。まあ、僕も悪いと思っているからね。ミニ八卦炉の整備はしてあげるよ」
「ついでだ、霊夢のお払い棒も新しいのくれてやれ」
「……やれやれ、仕方がない」
ため息をつく。
やはり、里の霧雨店の娘である。こういうところはしっかりしている。
「魔理沙、愛しているわ」
「はいはい、私もだぜ」
互いに顔を見ずに、返事しあう二人。
異変を二人で解決してきたからだろう、その反応はもう熟年の夫婦に近い。
そんな彼女らを微笑ましく思いながら、霖之助は物置に整備用の道具とお払い棒の材料を探しに行った。
僕は泣いていた。
だって、―――が、苦しそうに横たわっているんだ。
いつも、気丈にしていた―――がもう見る影もなかった。
薬も何も、効かなかった。医者にさえも原因不明だといわれた。僕ができる事は―――の手を握る事だけだった。
でも、―――。
どうして、僕の顔を見て、笑っているの?
「……!」
周りを見渡す。
いつもと変わらない彼の城だ。テーブルの上には明かりはついているが、まだ家全体は暗い。今、彼が持っているのは先程飲もうとした酒である。
暗闇が司る夜、一人で酒を嗜もうと蔵から持ってきたところだった。
そこから、霖之助には記憶がない。いや、夢の内容は覚えている。そもそもそれは夢なのだろうか。
小さいときの記憶、自分が泣いている思い出。忌まわしいものが霖之助の脳裏に蘇った。
思わず酒瓶を握りしめる。だがそんな事をしても何も変わらない事を、彼は知っている。
憂鬱をため息にして、彼は吐き出した。
ふと、手の甲に何かが落ちた。水だ。
天井を見ても、雨漏りの気配がない。
まさかと思い、顔を触ってみる。目頭と目尻から涙が流れていた。
「夢を見て、涙を流すとは。寝小便よりはましだが、まだまだ僕も若いな」
そう言って、自嘲した。
とりあえず、酒でも飲んで気を紛らわそうとしたとき、フルートのような澄み渡る声が聞こえた。
「あらあら、まあまあ。男の子は泣いて大きくなるものですよ」
「……君か。冬眠したのではないのか」
霖之助は慌てて、袖で顔を拭いた。
影になっている部分を目を凝らしてみると、うっすらと見えてくるだろう。
紫色のワンピース、それに映えるウェーブがかった金色の髪。
神隠しの主犯、八雲紫だ。
彼女がゆっくりと、彼の真正面に座った。
霖之助は訝しげに紫を見る。
「何用で? 今はもう閉店なのだが」
「寒くて眠れないので、一献しに」
「どこかの屋台にでも行ったら如何かな」
そういいつつ、彼は紫のために一杯注いでる。
それを紫に渡す。
「別に構わないでしょう? こんな美人が一緒に飲もうとしているのよ。男の子ならもっと喜びなさい」
「形容詞が足りていないよ。胡散臭いというね」
「何を考えているか、わからないと?」
そう言われ、霖之助はまじまじと紫を見る。
明かりのせいだろうか、紫の顔がほんのり赤く見える。
彼女は妖怪のため、酒はかなり強い。酒のせいという理由で赤くは見えなかった。
「ああ、そうだ。君の事をじっと見ても分からないよ」
「誰だってそうよ、見ただけでは解らないわ。だからこそ、話したり触れ合ったりして解ろうとするのよ」
「君が本当のことを話さないから分かる訳がない」
「いい女に秘密はつきものよ」
ため息をつきながら、霖之助は自分に注いだ酒を勢い良く飲む。
紫の猪口の中身もなくなっているので注ぎ足す。
「それゆえに、いい女は『手紙』を書くのよ。自分の思いを隠したり晒したりしてね」
「!」
「……あら、こぼれてしまったわ」
彼の手が思わず震えた。
まだ、紫の手にとくとくと、酒がこぼれる。
「あ、ああ、すまない。すぐに布巾を取ってくるよ」
我に返って、すぐさま布を取りに行った。
テーブルの上を拭き、比較的新しい布を紫に渡す。
「珍しいわね。貴方がここまで動揺するなんて」
「僕は別に動揺なんてしていない」
「……ふぅん。これを見ても、そんな事が言えるのかしら?」
隙間を呼び出し、その中から何かを取り出した。
「なっ!?」
霖之助が驚くのも無理はない。
白く装飾もない簡素な封筒。ただ、それが何であるか霖之助は知っていた。
紫をそれを持ってひらひらと、興味なさげに振っていた。
だが、その口元からは笑みが漏れ出している。
「……この前僕の店に置いたのは君だったのか?」
「それは違うわ。こんな『手紙』を残して私に何の徳があるの?」
「では、誰が?」
紫の口角が釣り上がり、目尻が下がった。
「幻想郷は全てを受け入れるのよ。それはそれは残酷な事ですわ」
「意味が分からない」
「では、もう少し。想像、幻想、思い、そして、夢。そんな抽象的なものもここにはやってくるわ」
一区切り付いて、もう一度酒を飲み始めた。
霖之助は黙って紫を見ている。
紫にはただそれだけでも面白そうに、霖之助を見つめ返す。
「さて、『手紙』の本来の使いかたって何でしょうか?」
「……自分の思いを整理して相手に伝えるものだ」
「今、貴方は『思い』と言ったわ。『思い』というものは、未来、現在、過去をも乗り越えるものよ」
「だから意味が……」
そこまで言って、霖之助は口を閉ざした。
霖之助の目が驚愕に見開く。
夢、思い、過去。それらの紫が述べた言葉が、霖之助の脳裏をピースのように埋めていく。
「まさか……そんな」
「気付いたようね。何を書くのかも、誰に出すのかも」
「だが……」
「今度は宛名をきちんと書きなさい。魔理沙にやった事をしちゃ駄目よ」
そう言って、ことんと猪口を置き、立ち上がる。
「美味しかったわよ。御代はここに置いておくわ。じゃ、またね」
「待っ」
霖之助が声をかけようとするが、もう既に紫は隙間の中へと消えた。
テーブルの上にある封筒を拾った。どうやらこれが御代らしい。
念のため手に取り、霖之助は能力で確かめてみた。やはり、『手紙』である。
なぜそんなものを紫が持っていたのかは、霖之助は聞かないことにした。
胡散臭い人物に理由を聞いても、煙に巻かれるのが定石である。
だがそんなことより、今掴んでいる『手紙』に目を向ける。
彼は今、自分が何をすべきかを知っている。
霖之助は、貴重で上等な万年筆を倉庫から探すことにした。
「……朝か」
日差しが顔に当たるが、彼は気にしなかった。
よく眠れなかったからだ。
夜、布団を被って横になったかと思うと、急に立ち上がり廊下を行ったり来たりしていた。
彼は睡眠をあまりとらなくてもいいのだが、こうも精神が興奮してしまうと異様に疲れるものだ。
枕元に置いていた『手紙』をとる。
だが、それはもう『紙』になっていた。
返事が来た。
そう思った途端、霖之助の手が震え、心臓も破裂しそうで耳に鳴り響いた。
震える手で封を開き、折りたたまれている手紙を開く。
そこには、柔らかく小さな文字が隙間無く書かれていた。
手紙が来たという事は、貴方のいる時間はどのくらいなのでしょうか。明日でしょうか? 若しくは何十年後かもしれませんね。貴方からの手紙、『僕は元気です』としか書かれていませんでしたけど、それだけでも私は嬉しいです。
恋人とか出来ましたか? 貴方はいつも人の話を聞かなかったから、ちゃんと出来るかどうか心配です。
貴方が天使に運ばれてきたのは、冬の厳しい日でした。私は嬉しくて涙が出ました。輝かしい銀髪、金色の瞳。私は絶対にこの子は美人さんになると思いました。男の子に対して美人さんって言うのは間違いだと思いますが。
でも、貴方は泣き虫さんでしたね。毎回そのときに言った言葉を覚えていますか?
『凛と生きなさい。それに貴方は笑ったほうが格好いいわよ』そう言ったら、貴方はいつも笑ってくれました。
だけど、私は悔しかったです。貴方が泣いている理由は、同年代の子供たちに『半妖』だとか『人ならず』とか言われたからでしたよね。体が弱い私では、相手の親と子供と貴方を説教するので精一杯でしたけど、本当に悔しかったです。殴ってやりたかったんですけどね。
私の人生は他人から見たら不幸に見えたかもしれません。でも、私にとって貴方と共にいられたことが最高の幸運でした。
だからこそ、私は笑って逝くことが出来ます。
心残りは勿論あります。
貴方が成長する姿を見たかった。
貴方が恋人と歩く姿を見たかった。
貴方の子供を抱いてみたかった。
辛気臭くなりましたね。最後に、このことをいつも頭の中に入れて置いてください。
自分に誇りを持って、貴方も幸せになってください。
それではさようなら。貴方を一人にしてしまってごめんなさい。そしてこんな私の息子でいてくれてありがとう。
最後まで読むことが出来なかった。
彼の目の前が、霞んでしまったからだ。
『紙』の端を握り締め、嗚咽を漏らす。
目頭と目尻が熱く、止まらない。
涙が止まらなくて、ぽたりぽたりと『紙』に落ちていく。
「……母……さん」
押し殺す声のみが、香霖堂の空間を支配していた。
何度読み返したのだろうか。
くしゃくしゃになっている手紙を、彼は丁寧に折りたたんだ。
ぐしゃぐしゃになっている顔を、彼は洗いに行った。
「ふぅ……」
冷たい水と冷える空気が、霖之助の頭を活性化させる。
途端に恥ずかしくなる。
紫にこのことを見られたとしたら、憤死ものだ。
顔が赤くなってしまったので、もう一度洗うことにした。
不意にカウベルが鳴った。
「あややや、新聞を届けに参りましたあ~」
気の抜けた涼しい声で、勢い良く飛び出してきた。
行者帽子に、黒い瞳と髪。高下駄を履いて現れたのは伝統の幻想ブン屋、射命丸文である。
店主はほっと胸を撫で下ろす。
もし、あの顔を見られたら彼女の新聞のトップ記事になっていたであろう。
そうなったら、絶対に霊夢や魔理沙がからかいに来るに違いない。
奇跡に感謝しながらも、文に声をかける。
「珍しく、今回は早いね。何かあったのかい?」
「天狗ですからね、速いですよ。それと、渡したいものがあったからでして」
「僕に? 渡したいもの?」
文はごそごそと、自身の鞄からあるものを取り出す。
果たし状に使いそうな封筒だった。手紙である。
一瞬身構えるが、そんな事は関係なさげに文は渡してきた。
「そんなに身構えないでください。既に手数料などは貰ってあるので気にしなくてもいいですよ。では、また」
疾風迅雷のごとく、文はその場から立ち去った。
風が巻き起こるので、埃が舞う。
咳をして、顔を顰めた。
「……そういうことではないのだが。そして、普通に外に出てくれ。まったく」
誰も聞いていない独り言を言いながら、扉を閉める。
手に握っている手紙を、いつもの癖で能力を使って調べた。
『紙』だった。
安堵か失望かわからないため息をついて、手紙を開けた。
小さく可愛らしい文字が見える。
魂魄妖夢です。今、貴方のところには色々な害悪が襲っていると思います。今から、私が何とかしにここに来るので何も恐れず待機していてください。
追伸 別に私のせいではありませんよ
大きくため息をついた。
霖之助は倉庫に行き、見慣れた道具、人魂灯を取り出す。
「どうも、あの子は反省というのを覚えないみたいだな」
今回は幽霊などが来ないように、霊夢から貰った封印用のお札を貼り付けている。
さて、何をさせようか。
最初会った時は、雪掻きをさせたことを霖之助は思い出す。
「今回は、この店の掃除でもさせるか」
今日も雪は積もっているが、もう一度それをさせてもそれはつまらないからだ。戒めにはいくつかの種類があったほうがよい。
霖之助が一つだけ心配に思うことがあるとするならば、幽冥楼閣の少女、西行寺幽々子に何か言われる事だ。
妖夢の為だと考えてのことなのに、これで能力とか使われたら、たまったものではない。
「まあ、掃除が終わったら、何か暖かいものでも食べさせてあげるかな」
早速、準備に取り掛かる事にした。
それを狙ってきたかのように、ぱたぱたと軽い足取りが聞こえる。
途端、どさりと雪が屋根から滑り落ちてきた。
か細い悲鳴と、助けを呼ぶ声が聞こえて、霖之助はため息をつく。
台所の火を止め、面倒くさく扉を開けた。
冬のくせに暖かな日差しが、霖之助の顔を当てる。
今年の香霖堂の春は、早く来るのかもしれない。
それと使用済みでもカイロはカイロかと、中身が酸化し終わっても名称変わるわけじゃないし。
なんていうシリアス、明らかにギャグなタイトルなのにいい意味でだまされました
前回の人魂灯のお話も見てました。
良いですね、霖之助と母の手紙という想いのやりとり。
悲しい感じではなく、ホッとするような…穏やかな感じがする
とても良いお話でした。
でも良い裏切られ。
霖ちゃん可愛いよ霖ちゃん。
途中から霖ちゃんを愛でり愛でるSSだと想い期待してたのは内緒。
目頭が熱くなりました。でもタイトル詐欺はひどいなあ。
個人的にはおなじみの三人組のやり取りの部分が好きかも。
中盤どころの一番の盛り上がりどころでしょうか?!
よいお話、ごちそうさまでした。
いい話だった、それしか言えん
友よ、GJ。
>>2さん、ご指摘ありがとうございます。
>>35さん、本当なのですか!?
だとしたら、本当に自分はまだまだですね。精進します。
鉄だと使用前のカイロも『鉄』ですので。酸化鉄なら使用後だけに当てはまります。
内容はいいお話でした。
母のメッセージが良い感じで纏めていますね。
>こんな『手紙』を残して私に何の徳があるの?」
徳→得 でしょか?
とても素晴らしかったです
せんないことを悔やみ独り涙する
霖君かわいいよ。
紫はやはり、こういう役が似合いますね。
本当にありがとうございました
だまされたけど面白かったからいいや
でも良かった
GJ!
な、なんだってー!!
良い作品を見せるための釣りなんだから。
見事に引っ掛かったがね!
不覚にも泣きそうになった。そして何というタイトル詐欺www
完全なタイトル詐欺www
良い話だ! GJ!
まさに『超融合! 時空を超えた(家族の)絆!』だ!