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図書館の中というのは、基本的に静かだ。
図書館というものは本を読む為の場所であり、その場に居るものは意識を他人ではなく
本の中身に向けるからだ。他人と会話をすることもあるが、それでも館内の大多数の者が
意識を本の中に向けているのなら声の絶対量も少なくなるし、その空気が話している者の
気勢を強制的に殺ぐことになる。
それは紅魔館の地下図書館も例外ではなく、普段は賑やかな妖精メイドもこの空間の中
では非常に静かなものである。更に図書館の主が入口に手書きの「騒いだら殺す」という
ポスターを張っていることも加えると、一部の例外的な者を除けば無音の空間の完成だ。
だが今日は例外的な者が居た。
今にも吐きそうな顔をした普通の魔法使いが、青い顔色で愚痴をこぼしている。
「全く、酷い話だよな。幾らイラついてるって言ってもさ、腹パンはねーよ」
「顔に来なかっただけマシじゃないの」
はぁ、と面倒臭そうにパチュリーは吐息し、
「それに月末は美鈴に関わらない方が良いって言ったでしょ?」
半目を向けると、魔理沙は言葉を詰まらせた。
バツの悪そうな表情で、だってさ、とコーヒーを飲みつつ、
「お月様の方かと思ってさ。私は重い方だから、苦労してるんだなと少し心配になったり
した訳だよ。最近知ったんだけど、永遠亭の方で良い薬があるって言うからさ、親切心で
教えてやろうと思ってな」
あー、とパチュリーと、本を持って戻ってきたレミリアが納得する。確かに千年単位で
あれを味わっていたら、良い薬を作るだろう。特に薬師の方の能力があれば、物凄い物が
出来ているに違いない。それに姫の方はともかく、薬師の方は重そうな外見だ、偏見だが。
そのようなことを考えつつパチュリーはクッキーを一枚摘み、
「まぁ、ちゃんと説明しなかった私にも非はあるかもしれないけどね」
少し齧って、アーモンドか、と眉を寄せた。味は好きだが、歯に詰まる。
でも意外だよな、と魔理沙は美味そうにクッキーを貪りつつ、
「経理関係も咲夜がやってるもんだとばかり」
「イメージ的にはそっちだろうな。だが残念なことに咲夜は数字がまるでダメだ」
少し考えれば分かるだろうが、とレミリアは頬杖を突き、
「咲夜のラストスペルを見てみろ、あれは理詰めじゃないだろ。逆に美鈴はウン千年級の
拳法家で、拳法ってのは身体を使った理詰めだ。適正で考えれば当然だと思うがね」
そんなもんか、と微妙に納得していない表情の魔理沙だったが、そうだ、と手を打ち、
「もう一つ意外だったのがさ、あいつ眼鏡掛けるんだな」
紅魔館の上位クラスは、実は眼鏡率が非常に高い。
咲夜を除けば、スカーレット姉妹や美鈴、そしてパチュリーも、本を読んだり書類など
書き物をする際には必ず使っているが、
「それは仕方のないことだ」
うん? と魔理沙は首を傾げ、
「いや、だって視力低かったら弾幕も何も」
「逆だ。私もフランも美鈴も、視力が良すぎるんだよ。特に私とフランはスペック的にも
夜型に進化してるから、明かりがあると瞳孔が閉じて、更に遠視になる」
老眼鏡、という言葉は紅魔館ではタブーとされている。
ろうが、まで言って耐えた魔理沙は幸運だ。
「で、お前は?」
「私も遠視よ。元が農家の生まれでね、遺伝的に視力が良かったのよ。それで、間引きで
魔女に売られて、そこで魔法を習って魔女になったんだけど、不老になったときにも視力
が高いままだったから」
成程なー、と魔理沙は表情を固まらせつつ頷いた。
空気が重い。
それについては仕方のないことだとパチュリーは思う。だが体が資本の仕事で喘息など
患っていたなら、売られるのは当然のことだ。兄弟は十人も居て貧しかったし、間引きも
普通の村だったから、当時の認識としても変態親爺が相手ではなくて良かった程度のもの
にしか思っていなかった。むしろ素質が有ると言われ、読み書きまで教えて貰い、最終的
に魔女にままでなれたのだから、かなり幸運な部類に入る。
魔理沙はこれでも実家は金持ちの商屋だと聞くし、平和になった後の幻想郷の生まれと
いうことを含めて考えると、話題的に少しハードかもしれない、と思う。
「色々あるんだな」
「色々あるのよ」
紅魔館では、何もない者は居ない。
そして、その最たる者が美鈴だ。
「それにしても、いや、だとしたら不思議だよな」
何がだ、とレミリアが問うと、魔理沙は腕を組み、
「いやな。お前とパチュリーは一応親友なんだろ?」
「一応は余計だが、そうだな。だが、それがどうした?」
分っかんないんだよなー、と魔理沙は二人を見て、
「前から思ってたんだけどさ、お前らって性格は正反対だろ? それに今の話を聞くと、
接点すらも無い感じだし。どこで知り合ったのかと思ってさ」
そんなことか、とレミリアはパチュリーに視線を向け、
「良いわよ、別に。と言うか、隠すことでも無いしね」
言うと、レミリアは吐息。
「パチェは美鈴の元愛人だ」
直後、図書館に居た全員が絶叫した。
「ど、どういうことだ?」
魔理沙は分かりやすくパニックに陥ったが、レミリアは唇の端を吊り上げ、
「良いリアクションだな、メイド達も」
性格が悪い、とパチュリーは思うが、事実だ。
だが訂正したい場所が一つある。
「せめて彼女って言いなさいよ」
「いや、だって美鈴の方には愛が無かっただろ? それと一般的なイメージだと愛が無い
感じの関係なのに愛人とは、東洋の言葉は不思議だよな」
金魚のように口を開閉させているのが可笑しいのか、レミリアはククク、と声を漏らし、
「いや、まぁ、そんなにドロドロした話じゃない。いや、ん?」
「充分してたわよ」
パチュリーが半目で見ると、レミリアはまた小さく笑った。
「そう言えば、私に会う前の詳しい話は聞いてなかったな」
× × ×
紅魔館の庭先にある門番隊詰所はシンプルな構成だ。大人数が休憩する大部屋と簡易な
機能のみのシャワー室、そして隊長用にと個別にされた事務所の三点で構成されている。
単純だが使い勝手の良いシステムで、特に紅魔館では夕方から深夜にかけてしか大浴場は
解放されないため、シャワー室は内勤のメイド達も利用に来る程だ。それに大部屋は花札
やトランプなどの簡単な遊び道具が揃っているし、遊戯室からギってきたビリヤード台や
ダーツ、雀卓、それに仮眠用のベッドもある。何より館内のことを気にしないで騒げると
いうこともあり、こちらも内勤のメイドがたまに遊びに来る。むしろ、それ目当てで外勤
の希望を出すメイドが居るほどだ。メイド長の最近の一番の悩みでもある。
今の時間帯は、普段なら勤務を終えた早番の門番隊がシャワーを浴びているか報告書を
書いている音が聞こえるが、月末に限っては静かだ。
「あー、もう、ここも削っとかないとな」
がりがりと頭を掻きながら、赤毛の女がペンを走らせているからだ。
予算の計画書と今月の支出票を何度も見比べ、美鈴は視線を鋭くさせる。
ずず、と不味そうに冷めたコーヒーを啜り、その味の不快感にまた眉根を寄せた。
「最近は無駄にパーティーを開きすぎたか。いやでも、これ以上資金をこっちに持ち込む
なんて出来ないしな、どうしたもんか」
外から持ってこれるのならば、資産はまだ大量に残っている。
だが、そんなことをしようとすれば幻想郷の経済バランスに問題が発生するので何かの
文句を管理者たちに言われてしまうだろう。今とて結構な頻度で文句を言われているのだ。
紅魔館の幻想郷の中においての経済活動は、基本的に消費しかない。こちらから売り出す
ものが何かあれば話は変わるだろうが、外の世界では見栄に使う宝石なども必要としない
土地だし、一部の好事家が買い取ろうとしても、こちらが値段を提示すると途端に止める
という結果になっている。外側の相場と幻想郷の相場は大きな隔たりがあり、数百年前の
相場の金額と経済の異常発展した外側では既に相容れないものとなっているのだ。
馬鹿みたいな話だ、と美鈴は思う。
いっそのこと幻想郷側の金額に合わせたい、と思ったことも一度や二度ではないのだが、
外で高い金を出して買ってきたものを数十分の一、下手をすれば数百分の一の値段で売る
なんていう真似をしたら、それこそ馬鹿だ。それに日和ったら各所から即座にナメられる、
メリットは殆んど存在しない。
ただ今のままだと幻想郷内の中にある金だけが少しずつ増していき、やがては経済にも
支障が出てくるというのは、自分も危惧するところだ。それに外の方でも、どこかに金を
流すか隠して貯めているか、と噂されるのも良くない。随分と恨みを買っているのは自分
自身が一番分かっている。何かあれば、そこを口実に責められるのは自明の理だ。
「あー、めんどくさい」
美鈴が怒りの感情を蓄える、数少ない要因の一つである。
× × ×
「では、まず私の知っている部分から説明するか。パチェもこの馬鹿に説明するなら思考の時間も必要になるだろ?」
そうね、とパチュリーは頷き、
「あんまりエグいのは年齢二桁にはキツいだろうし」
「私の五分の一しか生きてないのに何をしとるんだお前は」
レミリアが半目を向けたが、パチュリーは無視をした。
「まず基本的な部分だが、私達の生活資金はどこから出ていると思う?」
「どこって、そりゃ、うン?」
どこだよ、と首を捻る魔理沙に全員が半目を向けた。
「私が稼いでいる。FXだの証券関係だのを運命インサイダーしてな」
「何だよそりゃ」
メイド妖精たちが蔑んだ目で魔理沙を見たが、
「ま、仕方ないな。こっちでは縁のない話だが、道具屋の店主はこっちの外に出たがって
いるらしいから覚えておけ。後で美鈴に聞けば詳しく教えてくれる。要は時価ものの差額
を利用した商売だ」
野菜とか魚とかか、という発言にパチュリーが驚愕の目を向ける。
いくら無知とはいえ、この流れでそんな単語が出てくるものか。不味い、こいつは多分
世界を狙える器だ。このまま放っておくとランキングがずれる。
「だが問題があってな、私は夜行性だし日光に当たれないから対人関係の取引には向かん。
それに外見の成長が遅いから、相手にナメられる。それだけならマシだが、子供を使いに
出して馬鹿にしているのか、と相手を怒らせたら取引そのものがパーだ」
成程な、と魔理沙は頷いた。
「美鈴なら外見もハッタリ効いてるしな、美人で背が高いし巨乳だし。と言うか、意外に
自分の外見を客観視出来てるんだな」
「自覚は大切よね、特にレミィは幼女で背が低くてペッタンコだから」
「そうだな、ガリガリの根暗眼鏡と同じくらい酷い」
レミリアとパチュリーは互いに数分間睨みあった。
「そしてイギリスで美鈴が作った現地妻がパチュリーだ」
「嫌な言い方ね、事実だけど」
マジかよ、と魔理沙は本気で嫌そうな表情を浮かべて、横を見た。その先にあるのは壁
しかないが、少し角度を上に向けて直進すれば土の向こうには門がある。
何を考えているのか魔理沙の顔は無表情で、恐らく無意識の内なのだろうが、掌の中で
八卦炉を弄んでいた。
「ちょっと、危ないから止めなさいよ。暴発したらどうすんの?」
ん、と魔理沙は手の中を見て苦笑した。
「大丈夫だぜ。これは今、壊れてるからな。つうか今日、ここに来たのも修理用の資料を
探す為だ。普段は香霖の方に修理に出してるんだが、ツケが溜まってるせいで拒否られた」
ふーん、とパチュリーは少し首を捻り、
「だったら美鈴に見せたら? 八卦とかにも詳しいし、ここで調べるよりも余程効率良く
直せるかもしれないわよ? 大陸伝来の知識なら私以上だし」
そう言えば、と魔理沙は頷いた。
「これも前から思ってたけど、パチュリーってヨーロッパ魔女なのに使う魔法は陰陽系が
ベースなんだよな。四大元素じゃなくて五行を使うし」
「ん、それは私も気になっていた。それも美鈴関係か?」
「そうね。なら美鈴が来るまで話しましょうかしら、レミィも気になってるみたいだし」
× × ×
ロンドン市街の中を、特徴的な紫のロングヘアーを持つ少女が歩いていた。
面倒だ、というのが現在の彼女の心境である。
懐中時計を懐から取り出して見てみれば、表示されているのは十二時より少し前。
数十年前に不老になってからは食事の類を必要としなくなったものの、数少ない娯楽や
昔からの習慣という意味で三食は取るようにしている。魔法の研究にのめりこんでいる間
は忘れがちになるものの、基本的に欠かしたことはない。
適当なカフェに入り、オープンテラスに席を取る。その理由は天気が良いからではなく、
店内が好きではないからだ。農家という出身や、生まれ持った喘息のせいで、屋内という
ものがどうにも好きになれない。面倒臭がりだという性格も自覚はしているので、もしも
大量の魔導書がある場所があれば引き籠りになるだろうが、現在、それを知らない以上は
基本的に出歩くのが自分のスタンスだ。そういった意味では実家のあるフランスの農村は
良かったかもしれない、と少女は思う。只でさえ空気が悪いというのに、第二次世界大戦
で急激に発達した工業化学のせいで、イギリスはどこの都市でも空気が濁っているような
イメージを覚える。
少女は空を見上げ、吐息。
「もう辞めようかしら」
現在の仕事のことだ。
科学が進んだ現在、魔法は幻想と化し、金持ちや変人の娯楽となってしまった。魔女は
魔法を使う者ではなく、ただのアバスレ、もしくは非常識な程に儲ける女の代名詞になり、
本当の意味で使ってくれる者は殆んど存在しない。
自分の師匠の友人であり、その数少ない理解者が自分を雇ってくれたのだが、正直な話、
もう仕事を辞めたいと思っている。生きていくには金が必要だし、調合用の素材も高価に
なったので一応は働いているものの、つまらない、というのが本音だ。
退屈は魔女を殺す。
噂では某一流造船会社の顧問錬金術師として名高いようだが、退屈なものは退屈だ。
世話をしてくれた師匠は、もう居ない。
それも自制を削いでいる理由の一つである。
まず何かを飲んで考えよう、そう結論して店員を呼ぶと、何故か赤髪の女を連れてきた。
恐らく大陸系の顔立ちに、へらへらとした笑みを浮かべている。美人の部類に入ると思う
けれども、ゆるい表情が台無しにしていると少女は感じた。
赤髪の女が近付き、日光で全身がはっきりと見えるようになると、少し悔しくなった。
美人な上に、スタイルが良い。赤いロングの髪は鮮やかで、明るい表情と引き立て合い、
活発な空気を作り出している。長身で胸を中心に全体的に肉付きも良く、健康そのもの、
といった印象を受けた。
更に言うなら上等な生地で出来たダブルのパンツスーツや緋色の絹のタイが、赤髪の女
が裕福であることを示している。
「いやー、すみません。どうも満席らしくて、合席大丈夫ですか?」
少し訛りのある英語だ。
初対面にしては馴れ馴れしい態度に半目を向けたが、女は苦笑して頭を下げただけだ。
「いや、すみません。でしたら他の店に致しますので」
色々と恵まれてそうなくせに、妙に腰が低い。自分どころか店員にまで頭を下げて店を
出ようとして、更に振り返り何度も頭を下げている。東洋の日本という国の労働者と数度
会ったことがあるが、そのようなイメージを感じた。むしろ、それよりも酷い。
ただ少し気になった。
魔女というものは好奇心を食事にしている生き物であり、少女は魔女である。
「待ちなさい」
呼び止めると、女が不思議そうな表情で振り返る。
「合席、構わないわよ」
言うと、笑顔で戻ってくる。
「いやー、本当にすみません。もうお腹が減って死にそうで」
「そう言っていられる内は大丈夫よ」
本当の飢えなど、この裕福な女は知らないだろう。
少女は内心で呟きつつ、女を見た。
「名前は?」
問うと女は首を傾げたが、
「無言で食べるのも味気無いでしょう。そして会話の第一歩は名乗りよ」
そうですね、と女は頷き、
「美鈴、紅美鈴と言います」
響き的に大陸系だ。第二次では大陸も酷い打撃を受けた筈だが、金もある場所にはある
のだろう、と少女は思う。自分が顧問をしている会社と同じで戦争で成り上がった会社の
令嬢か何かだろうか、それにしては聞かない名前である。
美鈴がこちらに問うような視線を向けているのに気付き、
「パチュリー・ノーレッジよ」
短く言って、少女、パチュリーはメニューを見た。
碌なものが無い、これもパチュリーがイギリスを好きになれない理由の一つだ。
適当にサンドイッチと紅茶を頼みつつ美鈴に注意を向ければ、煙草を取り出している。
自分は喘息持ちなので注意をしようと思った直後、一瞬言葉に詰まった。
軽音。
美鈴が軽く指を鳴らした瞬間、咥えた紙巻き煙草の先に火が点いた。
「貴女」
「あ、すみません、つい癖で。煙草はお嫌いでしたか?」
そんなことはどうでも良い。
今のものは明らかに魔法である。魔力の流れや術式は自分の知らないものではあったが、
手品などではないのは分かる。それに視線を上に向ければ、見せつけるように煙が不自然
な球の形に対流している。
「貴女、魔法が使えるの?」
美鈴は苦笑し、
「いや、これは手品のようなもので」
「嘘ね」
はは、と軽く笑う美鈴のタイを掴み、身を乗り出して顔を近付ける。
普通の者なら手品という言葉で騙せるのだろうが、生憎とパチュリーは魔女だ。
「私は魔女よ、そんな軽口で誤魔化せないわ」
おや、と美鈴は苦笑し、
「本職の方でしたか、これは失礼しました。いや私、これでも人見知りする方でしてね、
初対面の方との会話の切欠が掴み辛くて。こうして驚いて貰ってお話を始めるのが」
黙りなさい、とパチュリーは一括。
色々と聞きたいことはある。
どのような方法で魔法を使っているのか、そもそも魔女なのか人間なのか、東洋系だと
いうのに何故わざわざイギリスまで来たのか。人々が幻想を失い、人外のものを知る人間
は基本的に異端を排除しようとする。そんな世の中で人間の中に、それもアウェイである
土地に来るなど、何かあるとしか思えない。
ならば目的は何だ。
様々な疑問が浮かぶが、言葉が上手く出てこない。
取り敢えず逃げられないようにタイを掴む手指に力を込め、引き寄せる。
慌てた美鈴の顔が至近距離にあった。
「ちょっと待って下さいよ、話しますから放して下さい」
手を軽く叩かれ、我に帰った。
「えっとですね、何から話しますか。取り敢えず質問して下されば答えられる範囲の中で
お答えしますが、如何でしょう?」
そうね、とタイを放さないままパチュリーは首を捻り、
「まず、その術式から教えて貰おうかしら? それも大陸系のもの?」
「そうですね、私の出身国で作られたもので……これは紙に書いた方が分かりやすいので
少し待って下さい。これがこうなって、と」
懐から万年筆とメモ帳を取り出して書かれたのは五点を頂点とした星型の図形で、更に
それぞれの頂点には大陸の文字が書かれているものだ。更に頂点同士を曲線で繋いで円が
書かれているが、知識の中にあるものと結合させると、
「ペンタグラム?」
問うと、いいえ、と笑みを向けられた。
「これは五行と言って、世界の在り方を示したものです。道教の中では、世界が木、火、
土、金、水の五つのもので成り立っているという考えがありまして、私の術式は万物の中
に流れている「気」というものを利用して在り方を変化させるというものです」
「それは四大元素とは違うの?」
んー、と美鈴は首を捻り、
「私も西洋の術式には詳しくないのですが、簡単に言えば四大元素は計算式の左側の部分、
五行はイコールの後の部分、という感じですかね。四大元素は化学で例えると原子、五行
は分子に該当するという感じかと」
成程、とパチュリーは頷き、
「東洋で流行りの風水とかいうのは? これも道教がルーツと聞いたことがあるけど」
「それは五行の発展型ですね、ベースも少し変わってますがね。話を戻しますが、火は木
より生まれるもの、ということで紙の一部を利用して火を生み出しています。これが手品
の正体です。思想のベースが木と木の摩擦による熱や火の発生ですが、ほら、木の板と棒
で火を出すってのがあるでしょう。あれから来ているので、巻いてある紙部分を板として、
刻んである煙草の葉を棒に見立てて火が発生する訳です。実際に擦っている訳ではないの
ですけれどね」
更に説明を受ける。
「西洋魔術では無属性の魔力が属性を帯びた瞬間に物質として出現するのが標準の形式と
いう考えらしいですが、こちらでは「気」が……魔力のようなものですね。それが属性を
持っただけでは何も起こりません。それに加え、個人の中にある気も媒体となる器、体や
物体を介することで属性を得ることが出来て……」
そのまま一通り説明を受けたところで、パチュリーは吐息した。
タイミング良く軽食や紅茶が運ばれて来たのを見ると美鈴は笑みを浮かべ、
「因みに私は木気で、パチュリーさんも木気ですね。補足すると私は陽、パチュリーさん
は陰の方に適性があるみたいです。あ、陰と陽というのはプラスやマイナスという概念と
いう訳ではなく、五行と同じで在り方の話です。陽は対極図で言うところの魂、体を示す
もので、タマシイの体を支える部分、魄は心など物質的ではないものを支える部分です」
ふーん、とパチュリーは今まで聞いたものを一通りメモし、紅茶を啜る。悪くはない味
だが少し物足りない気もした。淹れ方は悪くないが安い茶葉でも使っているのだろうか、
と考えつつ、美味そうに飲んでいる美鈴を見る。自分とは何もかもが正反対だ。外見も、
性格も、先程聞いたものを付け加えるなら魔術の適性も逆だという。今飲んでいる紅茶の
好みも反対なのかもしれない、と少し思う。
だからだろうか、少し興味が湧いた。
「美味しい?」
「あ、はい。この味は好きですね。生まれが貧乏農家だったせいか、それなりに長生きを
していても高級な味は好きになれなくて」
妙な共通点があったものだ。
それにしても、とパチュリーは美鈴を見る。普段から美味いものは食べていそうだが、
どうにもちぐはぐな印象を受ける。それに外見は二十歳前後という感じだが、長生きだと
言うからには何かの方法で不老か長寿になってはいるのだろうが、どうにも年齢が分かり
にくい感じがする。外見年齢相応の表情を浮かべたと思えば、老成していると言われれば
そうも見えてくる。
大陸ということは道士なのだろうが、そのような空気があるような無いような。
一言で言えば、胡散臭い。
会話をするまでは、まるでそんな印象を受けなかったし、今も全て嘘でしたと言われて
しまえば何の疑問もなく信じてしまいそうな感じすらある。美鈴自身に向ける意識を何か
よく分らない力で逸らされているような、そんな感じだ。
彼女のプロフィールではなく、肝心な核の部分に対する意識を。
美鈴が不思議そうな視線を向けてくるのに笑みを返し、
「いえ、何でもないわ。私も生まれが貧乏農家だったから、妙な偶然だと思って」
それと、とパチュリーは紅茶に視線を落とし、
「今度また会えないかしら? もう少ししたら予定があるのだけど、ここで会えなくなる
のは非常に惜しいわ。もっと詳しく大陸の魔法を知りたいし。どう? 貴女好みの安い葉
で美味しい紅茶を煎れるわよ?」
少し迷っている様子の美鈴を見て、パチュリーは先程の自分の言葉を反芻する。
いきなり過ぎただろうか、と思うが魔法が殆んど幻想と化してしまった現在、少しでも
こうした知識を得る機会を逃したいとは思わない。いや、迷っているのは後半か。普通に
家に招くような言葉で言ってしまったが、自分が魔女だと知られている以上、その住処に
招かれるのは危険だと判断しているのだろうか。いきなり人外の居城に入るのは美鈴自身
が人間でなくても警戒するのも当然だ。
だが、ここで逃してなるものか。
パチュリーは最善の方法を考える。積極的だと分かるように、かつ誠実に真摯に意思を
伝えるための方法だ。他人とのコミュニケーションは得意ではないが、今は甘えたことを
言っている場合ではない。何としてでも美鈴をゲットしなければ。
パチュリーは美鈴の手を強く握り、あまり得意ではないが目を合わせ、
「お願い、私には貴女が必要なの。輝ける未来の為に」
ひいっ、と美鈴は何故か顔を遠ざけたが、更に顔を近付ける。表情が硬直しているが、
「大丈夫よ。普通の社員寮に住んでいるから怖いことはないわ」
「チャレンジャー!?」
「不味いことがあっても防音設備もあるし、とても快適な家よ!! だから!! 是非!!」
「じ、地雷女!!」
何かが妙だが、気にしない。
もう一押し必要か、と思った直後、大きな鐘の音が鳴った。
「ほ、ほら時間ですよ? それに私も用事がありますし!!」
仕方ない、とパチュリーは再会を約束して美鈴と別れた。
● ● ●
翌日、パチュリーは美鈴の住んでいる下宿まで来ていた。
「もう観念して貰うわよ」
「もう嫌だ……何故、こんなことに」
昨日の昼食の後、再会はすぐだった。
美鈴の仕事の一つである総会屋としての現場に、交渉役として出てきたのがパチュリー
だったからだ。しかも仕事を辞める予定だったパチュリーは一瞬で降服勧告を出し、
「しかも辞表プラス荷物の引き払いもしてきたわ。ふふふ、どうするの? このまま私を
野晒しにするつもり? いいえ、出来ないわよね? 昨日の会話で貴女がお人好しな性格
だというのはお見通しよ?」
「友人の家にでも行けば良いじゃないですか」
「自慢じゃないけれど貴女以外の友人は居ないわ」
「……さいですか」
二人暮しをすることになった。
一度決めたら貫く性格らしく、美鈴の行動は迅速だ。銀行に預けてあったパチュリーの
生活用品など一式を当日中に運び、夕方には生活の準備が完全に整っている。その手際に
驚いたが、それよりも感じたことは、
「貴女、本当に何も置かないのね」
準備が早く終わったのは、美鈴自身が持っていた家財道具の少なさからだ。
ベッドなどは基本的に備え付けのものを利用していたし、衣類もスーツなどを数セット
という女性にしては驚く程に少ないものだ。パチュリー自身もあまり持つタイプではない、
しかしパチュリー自身も呆れる程だ。それに加えてキッチンは殆んど使った形跡もないし、
期待していた魔術用の道具すらも殆んど存在しない。小物なども数点あるだけで、印象と
しては仮寝宿といったものを受ける。
「いえ、まぁ、転勤が多いもので」
そう言われると納得の理由だが、しかしパチュリーは目を細め、
「それだけじゃないんでしょう? 魔法が使える人を探してなにするつもり?」
バレちゃってましたか、と美鈴は頭を軽く掻いた。
「分かるわよ、と言っても確信したのはさっきだけどね。昨日のカフェも私が店に入った
ときは何点か空席があったのに美鈴が来たときには私の席以外空いてなかったし。その後
わざとらしく魔法を使われて、丁寧に説明までしてくれて。更には貴女が私の勤めていた
会社に来たし、どこから仕込みだったのやら。ついでに言うと、荷物を運ぶのを手伝って
くれた貴女の部下、昨日のカフェに居たのを覚えてたのよ」
あー、と美鈴はうなだれた。
「もっと言うわよ。昨日、貴女、私に何かして自分を誤魔化そうとしてたでしょ?」
「そこまで気付いてましたか?」
嫌らしい、とパチュリーは半目を向けた。
「気付いてた、じゃないでしょう? 何が目的なの?」
あまり大きなものではないが、しかしパチュリーには確信のようなものがあった。
不自然に過ぎるのだ。
自分に対して悟らせないように配慮はしてあるが、しかし僅かな隙のようなものがある。
そこに意識を誘導している訳ではないが、少し注意を向ければ意外と簡単に見つかる隙が
わざとらしく配置してあるのだ。テストされているような、こちらを値定めするような、
そういった類のものをされている。不快だとは思わないが、気にかかる。
美鈴はソファに腰掛けると煙草を取り出し、相変わらずマッチを使わずに火を点けた。
ちりちりと、紙が燃える音が大きく聞こえる。
煙がこちらを避けるように不自然に滞留した。
「すみません、試すような真似をして」
ですが、とこちらの顔を見つめてくる。
煙草を挟んだ手が口元を覆い隠し、表情が読めないが、意思は伝わる。
「これは大事な問題なのです。簡潔に聞きますが、貴女の師匠は今、どちらに?」
「死んだわ、魔女狩りの奴らに殺された」
「遺体は?」
「私が燃やした。脳は食べたわ、彼女の知識を得る為に」
そうですか、と美鈴は煙を吐き出し窓の外を見た。そこには隣接している安アパートの
窓があるだけだ。空も何も見えないが、美鈴には何か見えているのだろう、とぼんやりと
パチュリーは考える。
師匠に用事だったか、と思うが、それ以上の考えはない。
「参りましたね。因みに師匠のご友人との交流は?」
「無いわ」
はー、と露骨に美鈴は肩を落とす。
「ゼロからやり直しですか、キツいなぁ」
「魔女に何か用があるなら、私がしましょうか? 知識はあるのだし」
言って、自分でも驚いた。
基本的に他人の為に何かしようとする性格ではない、というのは自覚している。そんな
自分が家族以外の者に対し、自然にそんな申し出をしたのは数十年の人生の中で、恐らく
初めてのことだ。師匠を相手にしていた時ですら、打算を抜きにしてそんなことを言った
ような記憶はない。何故だろうと考えて、昨日の、そして先程までの美鈴の表情が浮かび、
恐らく彼女のお人好しが伝染ったのだろうと思う。馬鹿馬鹿しい話だと思う、お人好しの
魔女など冗談にもならない。
だが美鈴は頭を振り、
「お気持ちは嬉しいのですが、恐らく貴女では足りないでしょう。私が探しているのは、
もっと強い力を持った魔女です」
そう言われて、少しカチンと来た。
これも久しく抱くことの無かった感情だが、理解よりも先に言葉が走る。
「随分な言い方だけど、私の力を見ていないでしょう?」
分かります、と美鈴は灰を灰皿に落としながら言った。
「私の力は「気を使う程度の能力」、そして理解と把握が力の基礎になります」
「つまり貴女から見た私は、まだまだ弱いと?」
はい、と言い切られて、何かが湧き上がってきた。
「ならば教えてくれる? 私の何が足りないのかを?」
「力、ですよ。出力です、貴女にはそれが圧倒的に足りない。私が探しているのは有事の
際に対抗出来る力の持ち主です。それも、規格外の力に対抗出来る力の」
「それが不足していると?」
はい、と頷く美鈴の表情に迷いはない。
それがまた、癇に障った。
これでもパチュリーは魔女だし、二十歳を僅かに越えたところで不老の術を会得したと
いう自負もある。自身のことを天才だとは思っていないが、それなりのものだという見栄
も矜持もあるし、イギリスの魔女の中では指折りだという事実も自惚れではないと思って
いることだ。その実力を真っ向から否定したということは、結果的に彼女の怒りを生んだ。
は、とパチュリーは吐息。
良いわ、とパチュリーは魔法陣を展開。
五重の真円とペンタグラム、ヘブライ文字の羅列によって行われたものは防壁の形成だ。
薄紫のスクリーンがパチュリーと美鈴の間に壁となって顕現し、二人の距離を等しく分断。
現在でほぼ全力の防壁が完成した。
喘息の調子も良い、これを破れるものはそうそう存在しない筈だ。
「部屋を壊すといけないから、私が受けに回るわ。これを突破することが出来たのならば
美鈴の言葉を認めてあげるし、師匠の友人とのコンタクトも取りましょう。会ったことは
無いけれども住所や性格などは知識として持っているから心配しなくて良いわ」
「出来なかった場合は?」
「目的を全て話して貰うわよ? その上で私が答えを決める」
ほう、と美鈴が目を細め、立ち上がった。
上着を脱ぎ、シャツの袖を捲ったところで細い腕が露わになる。
こちらに半身を向けた状態で足を大きく開いて腰を落とし、左手を伸ばして右手を引く
姿は知識の中にある。十年程前に演劇で見た、大陸の拳法の構えだ。昨日の説明から推測
するのならば美鈴の得意なものは「魂」の方面、物質、肉体を利用した魔法となる筈だが
どれ程のものか、と考える。
形式は恐らく中段の突きを強化したものだろうが、
「そんなものでは」
ぱん、と軽く何かを割るような音が響き、直後、防壁が崩壊した。
「は?」
呆気に取られた。
こいつは今、何をした。
美鈴は既に打撃を終えた姿勢になっており、拳の先からは水蒸気のようなものが僅かに
立ち上っている。つまり拳で防壁を貫いたのだということは理解が出来るが、納得の方が
それに追いついていない。
馬鹿な、これは簡単に突破出来るようなものではない。
魔法で強化した戦車の砲弾でも数発は受け止めることが出来るようなものなのだ。
そんなものが個人の一撃で突破出来るなど、自分の常識の範疇を超えている。
「何をしたの?」
「殴って壊した、それだけです」
ふざけるな、と叫びたかった。
これが、今までの人生の集大成の一つと言えるものが、「それだけ」などという簡単な
言葉で終わってしまうものの筈がない。
「因みに今のは全力ではありませんよ? 拳の先を気で固めただけのものです」
頭の中が真っ白になる。
これだけのことが全力でないなどと、その言葉が信じられなかった。
それと同時に、求められているものの強大さが気になった。この美鈴を持ってしてでも
足りない何かが存在しているということだ。噂に聞いている東洋の「八雲紫」か、それに
比肩する何かを相手にしようとでも言うのだろうか。馬鹿げている、と乾いた笑いが自然
と唇の端から零れてくる。
約束ですが、と言い出した美鈴の声で我に返るが、言葉に詰まった。
何を言えば良いのか分からずに混乱し、自分でもよく分らない感情が湧き上がる。
何だ、これは。
ひ、と声が漏れた。
続いて、あ、と声が漏れ、目が熱くなり、頬を何かが伝わる感触がひたすらに不快だ。
「ちょ、ま、待って」
何やら美鈴が慌てた表情をしているが、意味が分からない。
眉根を寄せている彼女の顔を睨み、パチュリーは大きく息を吸い、そして吐いた。
「な、なか」
こちらに近寄ってくる美鈴に対し、何故か逃げようという思考が浮かんでくる。
今までに味わったことのない感情だ。
逃げたい、何故か自分でも理由はよく分らないけれども。
だが思考に体が追いついていないのか、動きたい筈なのに全く反応してくれず、美鈴の
顔は近付いてくるばかりだ。意味が分からない、視界がぼやけて、頭の中が再び白一色に
染まりそうになる。僅かに残った理性が感情を抑えつけているが、それが何なのか、何と
呼ばれる感情なのかは教えてくれない。
自分の知識にも、師匠からの知識にも、存在しない。
目算で距離は1m程、たったの二歩で距離はゼロになる。
たん、と踏み込む音が聞こえ、ひ、と声が漏れた。
「ええと、その」
嫌、と声が漏れそうになる。
「大丈夫ですよ?」
だから、と美鈴は苦笑して、
「泣かないで下さい」
泣いてなどいない、そう言おうと思った瞬間、頬を撫でられた。
外見は女性らしい美鈴だが、訓練のせいなのか手指は皮膚が硬くなっており、ごつごつ
とした男のような感触が伝わってくる。そこから伝わる熱は体温と言うより別物のような
感じで、不思議と安堵が訪れた。
そのまま抱きしめられ、腕や密着した身体から熱が伝わり、
「あったかい」
ほう、と吐息が零れた。
「すみません、驚いたんですね。パニックにさせて申し訳ありませんでした」
何も言葉が浮かんでこない。
ただ、ごめんなさい、と謝ると、頭を撫でられた。
数分、そのような状態が続き、離れると美鈴は笑みを浮かべていた。
パチュリーは頬を赤らめ、美鈴から視線を背け、
「ごめんなさい、見苦しいところを見せたわね。馬鹿な話だわ、自分の身の程を知らずに
思い上がっていて、負けたら泣いて」
仕方ないですよ、と美鈴は立ち上がり、ソファに腰掛ける。距離が開くのを少し惜しい
と思いながらもパチュリーもソファに座り、
「仕方ないって、そんな」
「私も昔は更に酷かったですから」
そう言えば、とパチュリーは思い出す。昨日、聞きたいと思って聞きそびれたことだ。
あのときは何かの力で逸らされていたが、先程のもので少し理解出来た。美鈴は恐らく、
感情のようなものも変化させることが出来るのだろう。今も自分を気遣ってなのか、その
力が弱まっている今だから気付いたのかもしれない。
パチュリーは疑問のままに首を傾げ、
「昔って、貴女は何年生きているのよ? それと種族は? 人間ではないと思うけど」
あぁ、と美鈴は煙草を取り出し、
「失敗しましたね、つい」
「誤魔化さないで」
半目を向けると美鈴は煙草を咥え、
「二千年くらいです、正確な年齢は千を数えた辺りで数えるのを止めたので忘れました。
種族の方は、まぁ、一応妖怪ですかね。こっちで言うところのモンスター、の成り損ない
とか、そんな辺りです」
「成り損ない?」
色々あったんですよ、と煙草に火を点け、煙を吐き出して、美鈴はペンを持った。
そのままテーブルの上に広げてあった便箋に何かを書き始める。
「それは?」
問うと、美鈴は視線を紙に落としたまま、
「一応の報告書です。私の主は妙な部分で几帳面なもので、毎日報告しろとうるさくて。
受け取り出来るのは週一だっていうのに、意味が無いと思いませんか?」
パチュリーも視線を落とすと、そこには総会屋の仕事の完了の旨や、探していた魔女は
既に死んでいてコンタクト不可能だということが書いてある。だが気になる部分が一つ、
その魔女のことは書いてあるものの、
「私のことは書かなくて良いの?」
「役に立ちませんし」
実力不足なのは先程理解したが、随分とストレートに物を言う。
少し傷付いたものの、先程のようにあまりショックでないのは、美鈴の力が効いている
からだろうか、とパチュリーは思う。
だが自分の実力が及ばなくても、他の魔女や魔法使いとのコンタクトは取れる筈だが、
どういうことかと疑問の視線を向けると美鈴はペンの尻で額を掻き、
「無理に仕事しろとは言わないですよ。パチュリーさんも何か事情があって交流を狭めて
いたのでしょう? でなければ昨日みたいに知識を吸収しようとする貴女が何もしない訳
がないですからね。それに紹介云々は貴女が勝手に言ったことですし、と」
報告書を書き終え、ぱたぱたと掌で紙を仰いでいる美鈴の表情は変わらないままだ。
妙な性格だ、と思いつつパチュリーは立ち上がる。
「おや、どちらへ?」
「どこって、適当に探すわ。それに新しい仕事も探さないといけないし」
そうですか、と美鈴は手紙を折りたたみつつ、
「もう遅いですし、明日にしたらどうですか? もし出るなら帰りは早くお願いします」
帰り、という言葉にパチュリーは振り返る。
「どういうこと?」
「いや私、職業柄か眠りが浅くて」
そういうことを聞いている訳ではないが、美鈴は不思議そうにこちらを見て、
「何を思ったか知りませんが、ここに住むと言ったでしょう?」
あぁ、そうか、とパチュリーは理解する。
この妖怪は、まだ自分がここに住むと思っているのか、と。
「出て行こうと思って、迷惑掛けたわね」
はぁ、と美鈴は頷き、そして首を傾げ、
「何でまた急に。押しかけも急なら、出るもの早いですね。理由は?」
「理由って、それは」
むしろ引き留めない理由の方が無いだろう、とパチュリーは思う。
勿論、大陸の魔法を習うことは諦めてはいないが、ここに居ても迷惑だろう。美鈴には
美鈴で強力な魔法使いを探す必要があるし、それ以外にも総会屋などの仕事もある筈だ。
プライベートもあるし、そう考えれば居座るつもりもない。確かに当日中に押し掛けたり
出ていったりと無茶をしているとは思うが、入居する時の行動力を今も発揮しているだけ
というのがパチュリーの認識である。
それなのに美鈴は不思議そうな表情のまま、
「行くあても無いのでしょう?」
「適当に下宿を決めるわ」
「だったら別に、ここでも良いじゃないですか」
は、とパチュリーは目を丸くした。
「パチュリーさんが嫌なら出て行っても構いませんけど、私の方は別に構いませんので。
ちゃんと道術も教えますし、先程も言いましたけれど別に無理矢理働かせるなんてことは
しませんよ。むしろ誰かが居る方が都合が良いですし」
最後の煙を吐き出し、煙草を揉み消して、美鈴は当然のように言う。
「それにまだ美味しいお茶も煎れて貰ってないですし」
安い口説き文句だ。
だが悪くない、少し好ましい、と思い美鈴を見る。
「今更だけど、本当に大丈夫だと思っているの?」
「パチュリーさんは私を唯一の友人だと言ってくれました。それで充分です」
表現が若干違うせいで妙なニュアンスに聞こえないこともないが、確かに言った。
だが本当に良いのだろうか、という疑念があり、その表情を読み取ったのか美鈴は便箋
を再び取り出すと、簡潔に一行を付け加えた。
友人が一人、同居することになりました、と。
それを封筒に入れると懐にしまい込み、美鈴は立ち上がる。
「これで信用して貰えましたか?」
言葉に詰まり、頷いた。
今日だけでも何度目になるか分からない行動だが、それぞれに違う意味があるのは稀有
な体験だ。悪い心地のものではないが、何とも言葉では表現出来ない。
「では手紙を出すついでに、適当なお店に行きましょうか」
「待って」
パチュリーは頬を染め、視線を下に向けて、
「せっかくだから、晩御飯は私が作るわ」
● ● ●
「ただいまー、と」
「おかえりなさい」
パチュリーが美鈴と同居を始めて、既に二ヶ月が経過していた。
「今日はどうだった?」
美鈴の上着を脱がせながら問うが、答えは普段と同じ、
「駄目でしたね」
しかも、と美鈴は凝った首を鳴らし、
「今日はタチが悪い方のパターンでした」
普段から魔法使いたちとの交渉は失敗に終わるが、その結果は三つに分類される。
一つ目は、そもそも交渉してくれないこと。
二つ目は、交渉の前の力試しで足りないと美鈴が判断すること。
三つ目が最もタチが悪い、何者かに殺されているというものだ。
最近は表の世界が平和になってきているのとは対照的に、異端のものは駆除されている。
魔女はその代表的な一例で、中世からの歴史のある魔女狩りは今となっても勢いが衰える
ところを知らないものだ。
厄介だ、とパチュリーは視線を伏せた。
それを気遣ったのか頭に手が乗せられ、視線を上げれば美鈴の顔がある。
「心配しなくても良いですよ。少なくとも私が居る時は出来る限り守りますから」
「ありがとう。ご飯、出来てるから食べましょう」
パチュリーが美鈴と同居を始めてから様々な変化が訪れたが、以前と比べて特に大きく
変わった部分が二つある。
パチュリーはミートパイを切り分けつつ、
「今日は木気と火気の合成魔法を作ったわ、それで焼いたのだけど良い出来でしょう」
言って、小型の火球を生み出した。
大きく変わった部分の一つは、利用する魔法の体系が一般的な西洋魔術ではなく五行を
利用した術式に変わったこと。
「凄い上達ですね、もう私の教えることも少なくなってきました」
美鈴の言葉に、パチュリーは頬を染めた。
もう一つは、恋を学んだということだ。
昔の自分では考えられないことだ、とパチュリーは美味そうにミートパイを口に運んで
いる美鈴の横顔を見る。可愛いと言うよりも美人系の顔立ちだが、それとアンバランスに
天真爛漫な笑顔が浮かんでいるのが何とも心を擽ってきた。
はぁ、と複雑な感情が混じった溜息を吐く。
自分は今までノンケだと思っていたのだが、どうしたことだろうか。今では美鈴の顔を
見る度に胸が高鳴るし、その一挙一動に反応してしまう。自分も美鈴も女である、これは
間違いないし、同性愛が非生産的なのは分かっている。それに先日、肉体関係を持つには
到ったものの、美鈴は行為の後にノンケであることを注意してきた。付け加えるのならば
美鈴には心に決めた者が居るらしく、その相手が男性であることも。
もどかしい、とパチュリーは眉間を押さえた。
もしも神が私に味方してくれるなら、否、言うまい。自分は魔女だ。
× × ×
「ちょっと待った」
魔理沙のストップに、パチュリーは半目を向けた。
「いや、美鈴もパチュリーもキャラが違うとか、それは良い。まだ許容出来る、人の心と
いうものは変わるものだからな」
「いや、お前が見てないだけで普段も結構こんなだぞ? 特に美鈴が」
レミリアの言葉に何度か頷き、だけどさ、と魔理沙は苦虫を噛み潰したような顔をして、
「いつまで、そんな話を続けるつもりだ?」
何よ、とパチュリーは紅茶を啜り、吐息する。
「ラブラブちゅっちゅ編はこれから盛り上がるのに」
「いや、明らかに美鈴の方からは愛が感じられなかったが」
「私の一人称視点三人称語りだからよ。本当はもう新婚夫婦の如く」
「報告書にもそんな様子は無かったが?」
だん、とパチュリーはテーブルを全力で殴った。読書をしている妖精メイド達が露骨に
うるさそうな視線を向けてきたが、構うものか。
しばらく無言が続き、レミリアが紅茶のカップを皿に置く音が響く。
パチュリーはレミリアを睨んでいたが、わざとらしく髪を掻き上げると、
「美鈴ったら、照れ屋ね」
あー、と二人が蔑んだ目でパチュリーを見た。
ふふ、とパチュリーは微笑みを浮かべる。過去や事実の改竄などしていない、言った者
勝ちだったり、ハッタリを利かせた者が有利になる特殊なルールが存在しているだけだ。
特に紅魔館の中では、このルールがデフォルトなので文句は言わせない。
「さて続きだけど、そうね。文句を言うのが二人も居るから、真面目な場所から。あれは
同居を始めて四カ月くらい経過した後の話ね」
× × ×
あー、と唸りながらパチュリーは身を起こし、時計を見た。
午前八時、主婦の起床としては遅く、無職の起床としては早い時間だ。
普段ならば既に起きて二人とも既に朝食を食べ終えている時間だが、寝過した理由は、
「張り切りすぎたわね」
昨日、一瞬だが賢者の石が出現した。西洋魔術ではなく導術での出現という外法だが、
逆に導術だからこそ出来たものとも言える。石としての出現を単品ではなく属性別に分担
させたり、卑金属を五行の中で周回させることにより緩やかに性質を変化させ、貴金属に
変化させるという方式で、一つの石の中で行われることを分解しているものだ。将来的に
統括して制御出来るようになれば、そこで完成と言える。
未だに完成という訳ではないが、大きく前進したのは確かだ。
他にも陽の気、物質的なものを極限化させた魔法である「ロイヤルフレア」や、対照的
に魔力的なものを利用した「サイレントセレナ」の開発などと、副産物ではあるが強力な
魔法も習得している。非常に充実している、とパチュリーは思う。
それに上手くいけば、と隣で寝ている美鈴の顔を見た。
四か月前、力が足りないので戦力にならないと言われ、実際に証明されたが、今ならば
撤回させることが出来るかもしれない。そして認められれば、この後も美鈴と共に生きて
いけるかもしれない。
そのような様々な要素が絡み合い、ついテンションが高くなってしまい、精のつく料理
を夕食に並べてしまい、一緒にシャワーを浴びた後は何とも我慢しきれなくなって、結果
的に言ってしまえば明け方の三時までハッスルしてしまった。
今日は予定が無いから大丈夫だ、という言葉は今にして思えば少し暴論だが、
「貴女が悪いのよ」
デコピンをすると、美鈴がぼんやりと目を開いた。
起こしてしまったか、と少し惜しい気持ちになる。寝顔を見られなくなったのもあるし、
キスで起こすということも出来なくなった。美鈴は基本的にノンケだし、自分より早く
起きるのが殆んどなので、合法的にキスをするという機会は限られている。それにエロく
素敵なシチュエーションも加えようとすると、それは尚更だ。
美鈴が寝惚け眼で起き上がると、足に朝の冷えた空気が当たった。羨ましくなどない、
自分も平均と比べると大きい部類、巨乳というカテゴリに入るのだ。手で押さえなくとも
シーツが引っ掛かるなど、そんな大きさを持つ美鈴の方がおかしいのである。
既に日課になってしまった二人での朝シャワーを浴び、そのまま今朝の延長戦を二回程
行ってしまい、朝食の準備を始める頃には既に十時になっていた。
「ところでパチュリーさん、毎度のことですが裸エプロンは止めませんか? この前下宿
の管理人さんが手紙を届けに来た時、そのまま出たでしょう。それ以来、私が奇異な目で
管理人さんに見られているんですよ。具体的な表現は避けますが、調教好きなレズビアン
とか思われたくないんですけど」
だがパチュリーはパンをトースターにセットしつつ、唇の端を上げ、
「いい加減、その言葉使いを止めてくれたら、私も改善するわ」
「あー、勘弁して下さい。気を抜くとルーマニア訛りが出るんですよ」
なら無理ね、と邪悪な表情のままパチュリーはスープの鍋に火を掛ける。
「あ、さっきのが垂れてきた」
「実況しないで早く処理して下さい、今は食事の準備中です。それと、これ以上言うなら
追い出しますよ。これからは他人です」
人間型の生き物が裸でいるのは良くない、そう頷き、パチュリーは慌てて服を着た。
何と言うか、と美鈴は溜息を吐き、
「やりたい放題ですね」
「それが魔女よ」
「ビッチと魔女は違います。はぁ、こんなところで地雷女の伏線回収とか」
こんな酷い回収もないですよ、と文句を言いつつパンにバターを塗っていた美鈴の動き
が急に止まった。
そのままパチュリーに飛びかかると組み伏せる姿勢になり、数秒。
「ちょ、待って。気持ちは嬉しいけど雰囲気をもっとヒャッハー我が世の春が来たー!!」
混乱するままに叫んだが、掌で口を覆われ、そこで何が起きているのかを理解する。
美鈴の表情は普段の穏やかなものではなく緊張に満ちたもので、鋭くなった視線は部屋
の扉の方を向いている。
敵だ、と理解し、パチュリーは美鈴の耳元に唇を近付けた。
「大丈夫なの?」
「敵は一人、魔力の強さ的に相当の強さですね。心当たりは?」
分かりやすい敵の姿が思い浮かぶ。
「多分、魔女狩りね。と言うか、それ以外は無いでしょう。そっちは?」
「あー、私の組織は敵が多くて」
例の強力な相手だろうか、と考えた瞬間、身震いがしたが、
「大丈夫です。パチュリーさんの想像とは違いますから」
肌が触れている部分から、独特の熱のようなものが伝わってくる。
数分。
そのままの姿勢でいると、高質な足音が聞こえてきた。
それは部屋の前で止まり、
「すみませーん、手紙を預かってきたんですが」
ノックの音と共に、呑気な声が響く。
美鈴は動かないようにと小声で伝えると、音もなく立ち上がった。
ノックの音は続いている。
美鈴は音もなくドアの前まで歩いていき、
「すいま……」
轟音。
豪快に破砕する音を響かせながら、回し蹴りがドアを破壊、貫通した。
「浅い!! 早く防壁を!!」
叫び、美鈴はバックステップ。
障害物が消えたことで見えたのは、全長2m程にもなる神父服を着た大男だ。
「お尋ねしますが、どこでこちらの情報を?」
「そこの魔女が務めていた会社の社長から。金の卵が消えたと怒っていたよ」
ついでに言えば、と大男は首を鳴らし、
「前も同じパターンだな。師弟揃って逃げられるとは、強欲を抱くのは良くないという話
だとは思わんかね。我らの父も悲しんでおられる」
胸で十字を切り、大男は美鈴を見た。
「どいてくれんかね、君。今なら魔女を匿った罪は不問にしよう。騙されていたのだろう、
まだ更生の余地はあると思う。東洋人だからと差別はしないし、主を信じていなくても罪
には問わない。信仰は自由だからね。だが、もし君が良かったらだが日曜日には……」
私は、と美鈴は構えを取った。
美鈴は大きく息を吸い、大男を睨みつけ、
「これでもスカーレットの三番目なので、遠慮しておきます」
その場に居た者の反応は二種類だった。
大男は奥歯を噛み鳴らし、胸の前で再び十字を切った。
「何と言うことだ。こんな場所で有名人に会えるとは、これも主の意向か」
そしてパチュリーは、呆然とするだけだった。
全く理解が追いつかない、美鈴の言った言葉の意味が理解できない。
スカーレットのことは知っている、西洋においては五指に入る程の強大な組織だ。
吸血鬼を頂点とした武闘派組織で、先代の串刺し公が十万の晒し首を行ったという記録
においては、当時を生きたという師匠が顔を青くしながら語ってくれたものだ。
そのような組織、その序列において三番目。
その言葉が、パチュリーの知る美鈴と合致しない。
只者ではない、ということは分かっていたが、
「嘘でしょう?」
ようやく絞り出した声は、震え、掠れたものだ。
返事を待たず、戦闘が開始される。
先に動いたのは美鈴の方だ。
連打。
距離を詰めての超ショートレンジでの連続打撃だ。
速射砲のように下半身を固定し、上半身をコンパクトに回して打撃を行う度に、大気が
割れる音が連続で響く。接触の際に気が爆発しているのが視認出来るが、寸剄という武術
の技の一つの応用だ、と美鈴が言っていたのを思い出す。
回し、打つ。
回し、穿つ。
音が連続して響くが、しかし妙だ、とパチュリーは美鈴を見る。
美鈴と大男の行動は一貫していて、美鈴の打撃を大男が捌きつつ、たまに大男の方から
打ち下ろすような打撃が加えられる。それを美鈴が凌ぎ、再び打撃の連続に転じるという、
パターンの決まった動きだ。理由は分からないが、そうしているのではなく、そうせざる
を得ない、という印象を何故か持った。
更に妙な部分があり、これだけ攻撃を重ねているのに、大男は大したダメージを受けて
いるようには見えず、逆に美鈴の方には苛立ちのようなものが見えた。
威力に関して、理屈としては分かる部分がある。
十分な距離を取れない以上、打撃に速度が乗らず、利用出来る間接も少ない為に重さも
足りていないのだろう、ということは武術に疎い自分でも理解が出来ることだ。なら何故
そのようにしているのだろうか。
音が響く。
二人が互いに肉を打ち、骨を軋ませる音が。
だが、不意に変化が訪れた。
は、と吐息の音が聞こえ、続いて美鈴が吹き飛んだ。
無呼吸の運動は回転が速い代わりに、致命的な隙が出来る。喘息持ちであるパチュリー
も理解していることだ。そこを突かれた、と悟る。
硝子が割れ、美鈴が窓から投げ出されて、姿が消えた。
何故、と疑問が頭の中を走る。
スカーレットの三番目が、自分の防壁を破った美鈴が、こんなに容易く敗れる筈がない。
それなのにどうしたことだ、とパチュリーは窓の外を見た。
「妙だな」
唸るような声が、背後から聞こえた。
「情報によれば、美鈴女史は完全な妖怪ではないとはいえ、それなりに強かった筈だが。
武術のキレも良いし、力も並の怪物よりは多いと聞いている。ブラフか? あの赤い髪や
スタイルも報告通りで、何よりスカーレットの名を語るような真似はメリットが少ないが」
どう思うかね、と問われたが、パチュリーの方こそ疑問に思っていることだ。
こんなに簡単に、という言葉が頭の中を駆け巡る。
何故、どうして。
そればかり考え、論理的な思考が浮かんでこない。
せめて美鈴の姿を見たいと立ち上がろうとしたが、腰が抜けて力が入らない。
自分の命ではなく、美鈴の心配で、だ。
「まぁ、良い。尋問は後でしよう」
「誰が……」
言うものか、と最後まで言えなかった。
最近はあまり起こらなかった喘息の発作が、襲い掛かってくる。先程の戦闘のせいで、
粉塵が部屋を覆っている。加えてパニックのせいで呼吸が苦しい。
酸素が足りず、視界が黒く染まっていく。
苦しい。
喉から細い呼吸音が漏れ、意識が遠のいていく。
「美鈴」
意識が途切れる寸前、パチュリーは思う。
そうか、体の調子が良かったのも、普段から守っていてくれたのだ、と。
● ● ●
パチュリーが目を覚ますと、見慣れない建物の中だった。
息苦しいと思いながら視線を巡らせれば、ここが教会の中だと気付く。
「起きたかね」
声の方向に視線を向ければ、椅子に腰掛けた大男が居た。体が大きいせいで、相対的に
椅子が子供用のサイズに見えて少し滑稽だ。
続いて思うのは自分の不甲斐無さだ。
一度失神したせいか思考はクリアになっていて、先程の原因が推測出来た。
そして馬鹿め、と内心で毒を吐く。
何が問題無いだ、結局自分は重荷になっていた。
普段から一緒に居たせいで、美鈴は恐らく満足に食事も出来ていなかった。生物として
行う食事ではなく、妖怪としての、人間を食うという食事だ。あのお人好しな妖怪は多分
自分に気を使って、人型のものを食うことを避けていた。それに推測だが、喘息の発作を
起こさないように何かをしていたのだ、と思う。
それに襲われたときだって、今ならば分かる。
美鈴はあの場所から動けなかったのだ。自分が呆けていて防壁も何も出来なかったから、
その時間稼ぎを行っていた。力が不足している状態だったから、連打による足止めくらい
しか出来なかったのだろう。そして結果、押し負けた。
それに、そもそも自分が居なければ、美鈴がああなることも無かった筈だ。
馬鹿め、と、もう一度内心で言う。
結局、自分は変わっていない。
無力なままだ。
美鈴と一緒に、なんて出来なかったのだ、とパチュリーは眼尻に涙を浮かべた。
こんなことならば、やはり最初から出ていくべきだった。
『自慢じゃないけれど貴女以外の友人は居ないわ』
友人など、最初は作りたくなかった。
生まれは貧乏な農家で、喘息も持っていたから、何も出来ずに死ぬだろうと思って友人
も作らずに幼少期を過ごした。外に出るのも嫌いではなかったが、ずっと一人だった。
毎日働いている家族とも殆んど接することなく、空ばかり見ていたものだ。
それでも、とパチュリーは目を伏せた。
それでも師匠に売られた際、泣いている両親や兄弟を見て思ったのだ。
寂しい、と、一人ぼっちだった少女は思ってしまった。
陳腐で安いお決まりな展開の、そんな三文小説のヒロインみたいな感情であるとは思う。
しかし、こんな思いをするのならば、一人で良いと、パチュリーはそう思っていた。
最初に言った、美鈴しか友人が居ないというのも方便だ。
お人好しそうで、自分の持たない知識を持っていて、そこを利用しようと考えた。
魔女は食事も睡眠も友人も必要としない、知識を伴侶にして生きる生物だ。
それなのに馬鹿が一人入り込んできた。
「馬鹿」
魔女に知識を食わせるだけ食わせて、自分は遠慮して何も食わないで。
「さて、美鈴女史について何か情報はあるかね?」
「無いわ。アレは只の、私の脳の餌よ」
腐った魔女め、と吐き捨てるように呟き、大男は腰に手を伸ばした。
恐らくパチュリーが気を失っている間に携えた鞘から剣を引き抜き、大きく振りかぶる。
ここで死ぬのか、とパチュリーは陽光を照り返す刃を見た。
死ぬのはあまり怖くない。
だが美鈴に、もう二度と会えなくなるのが辛い。
パチュリーは大男を睨み、立ち上がった。
境界の中に何か特別な力でもあるのか未だ若干息苦しいところはあるが、何も出来ない
程ではない。声も出せれば、歩くことも出来る。
確認するようにパチュリーは掌の上で魔力を走らせる。
出力は平時と劣るが、
「問題無い」
来なさい、と叫ぶ。
「肥え太った魔女の力を見せてあげるわ」
詠唱は一瞬、魔法陣が展開し、生み出されたのは無数の巨大な火球だ。
師匠を殺した相手だ、侮るつもりは毛頭ない。
作戦を脳内で瞬時に組み立てつつ、パチュリーは宣言する。
「火気「アグニシャイン」」
轟、と不規則な軌道で尾を引いて、火球が飛んだ。
熱せられた大気が喉を焼いてくるが、構うものではない。
大事なのは平常心と、基礎に忠実に、気の制御を緻密に正確に行うことだ。
赤のレイラインを維持したまま、パチュリーは詠唱を続行する。
五行相生、と美鈴は言っていた。
曰く、火は世界を燃やし、世界は灰になり、それは土に通ずるものである。
「土気「レイジィリリトン」」
火球が被弾した場所から石柱が生え、大男に向かっていく。
どれも回避されているが、構わない。
パチュリーは今までのことを復習するように、脳内に言葉を続けた。
曰く、土の中には鉱物が埋まっているものである。
「金気「メタルファティーグ」」
石柱から無数の金属片が飛ぶ。
曰く、金の周りには水滴が付く、金は水を生み出すものである。
「水気「プリンセスウンディネ」」
金属片が埋まった場所から水が生まれた。
曰く、水は木を育むもの、故に気は水から生まれるものである。
「木気「シルフィホルン」」
無数の大樹が講堂を突き破るようにして生えてくる。
合わせて五つ、五色の魔法陣が展開された。
だがまだだ、まだ足りない。今は基礎を行っただけである。
正五角形を描くように配置された五色の魔法陣を、重なるように二重に展開。
「回れ」
自分の位置、五角形の中心を起点に、片方の五角形がリボルバー弾倉の如く正確に72度、
鈍い軋みの音をたてながら回転した。
木&火気「フォレストブレイズ」
火&土気「ラーヴァクロムレク」
土&金気「エメラルドメガリス」
金&水気「マーキュリポイズン」
水&木気「ウォーターエルフ」
新しく展開された五つの魔法が大男にことごとく回避され、防がれ、打ち消されるが、
それで良い。これらは強力な魔法ではあるが、あくまでも副産物だ。足止めが出来れば、
それで充分なもの。
大事なのは気を、魔力を通すこと。
それぞれが線で繋がるイメージを持ち、重ね合わせ、融合させる。
目指すのは完全なシンクロだ。
それぞれ五つの魔法を行使しながら、パチュリーは思考を重ねていく。
昨日は一瞬だが上手く出来た、だから今回も出来る筈だ。
細く、だが高い音が鳴り響き、
「ここまでだな」
気付けば、大男が自分の眼前にまで迫っていた。
く、と歯を噛み、パチュリーは視線を上げる。
凶刃がある。
「惜しかったが、君はここで終わりだよ」
こんな場所で終わってなるものか、と睨む。
まだ終わる訳にはいかないのだ。
これからも美鈴と一緒に生きていきたいし、何より大事なことを伝えていない。
「美鈴」
「無駄だ、魔女。AMEN!!」
パチュリーは叫ぶ。
自分が最も愛した妖怪の名前を。
ひたすらに、何度も叫び。
刃が振り下ろされる直前。
轟音。
砲を撃ったような音が講堂の中に響いた。
「おまたせしました、パチュリー」
破壊された入口、陽光を背後に、背の高い女性のシルエットがある。
大男が動きを止めた。
パチュリーは半泣きの表情のまま美鈴を睨み、
「遅いわよ、美鈴。守ってくれるんじゃなかったの?」
「はい、すみません」
ですから、と美鈴は講堂に踏み込み、
「約束を守りに来ました、パチュリー」
その言葉を聞いて、パチュリーは一瞬混乱した。
今、美鈴は自分を呼び捨てにしてくれた。
混乱の後、嬉しい、とパチュリーは素直に思う。
「おや、美鈴女史。また潰されに来たのかね?」
「いいえ、大切な人を守りに来ました。それに今回は、簡単に潰されませんよ」
ズン、と震脚の音が響いた。
「ここは陽の気に満ちています。教会を建てる場所は即ち清く、そして強い力が集まる、
一種の龍穴のような状態になっています。気を使う私には無尽蔵に力を得ることが出来る
場所ということです。それに私には聖水も何も効かないので、先程よりは充分有利ですよ」
その上、と美鈴はパチュリーを見た。
「護るものがありますし、負けたら私は自分を許せません」
曰く、背水の陣。
そう言って、見慣れた構えを取る。
開始は一瞬だ。
咆哮。
瞬時に距離を詰め、飛び込み様の一撃を叩き込む。
全身から蒸気の線を引き、砲のような音を鳴らし、行われるのは連続した打撃だ。
だが下宿に居た時に比べて速度は格段に早い、全身を使ったもの。
地を踏み、各関節を回転させ、髪を翻し、蹴りを、拳を放っていく。
「凄い」
正直、これ程とは思っていなかった。
強いとは思っていたが、予想を遙かに超えていた。
しかも自分に有利な場所とはいえ、体が本調子ではない筈なのに。
だが、とパチュリーは戦闘をしている二人を見た。
互いに攻防を繰り返しているが、どちらも決定打を打てずにいる状態だ。大男の攻撃は
たまに美鈴にヒットしているもののダメージが少なく、逆に美鈴においても大きいものが
ヒットするものの決定的なものには至っていない。
過去の、今より未熟だった自分が張った防壁を容易く貫いた打撃は、何だったのだろう
とすら思う程だ。
もしかしてアレで、と嫌な思考が頭の中を過ぎる。
友人と言った自分を巻き込まない為に、少し見栄を張って、それで大きく疲弊したとか。
流石にそれは無いだろう、と軽く頭を振った。いくらお人好しの美鈴であっても、自分
が危険な目に遭うかもしれないのに、そこまで馬鹿な真似はするまい。
それよりも、と自分が出来ることを考える。
本来は最後に賢者の石で増幅したサイレントセレナを叩き込む予定だったが、
「期待してるわよ、美鈴」
予定変更だ。
パチュリー・ノーレッジは魔女であるが、少なくとも、朝にキスで起こそうとしたり、
愛する者に守ってもらいたいと思う程度には乙女なのだ。
パチュリーは目を閉じ、先程まで行っていた作業を再開する。
重なり合った魔法陣をリンク、そして魔力を、気を、走らせていく。
音が鳴る。
細く、高い音、魔法陣同士が鳴らし合う共鳴音だ。
鐘のように大きく太い、粗野なものではなく、涼やかなそれは、
「鈴のようね、美しい鈴」
そう言えば、「美鈴」もそのような文字である、と教わった。
心強い、と音に身を任せ、五色の旋律を聴きながら、やがてソレは顕現する。
統一されていない、未完成の、不格好なものでありながらも、ソレはれっきとした、
「火水木金土気、五行と西洋魔術の集大成にして錬金術の究極系「賢者の石」!!」
自分の前に位置する木気の石に掌を乗せ、全力の力を注ぎ込む。
卑金属を貴金属にする程の、力を変化させ、加速させる回路だ。
廻れ、と思えば、五色の石は忠実に命令を実行する。
より純度が高く、より強力で、より美鈴の力になれるものに。
次の思考は、過去に行った美鈴との会話だ。
『この対極図っていうの? 何で点が入っているのかしら』
『それは陽の中にも僅かに陰が、陰の中にも僅かに陽が入っていることを示しています。
だからこそ陰と陽、魂と魄、体と心、二つが繋がっていられるのですよ』
繋がり、という言葉に笑みを浮かべる。
自分と美鈴は同じ木気だが、性質は正反対の陰と陽。
それでも自分の中には美鈴と同じものがあり、美鈴の中にも自分と同じものがある。
二人は正反対でも、確かにどこかで繋がっている。
だからこそ、
「届いて」
願った瞬間、胸に温かいものが流れ込んできた。
「届いて、あの人に」
それを感じ、鳴り続ける鈴の音を聞きながら、
「届いて、私の愛する、あの妖怪の元へ!!」
叫びに答えるように、りぃん、と一際高い音が鳴り響き、美鈴がこちらを向いた。
互いに頷きを返し、美鈴が構えを取る。
床を踏み砕く程の震脚と共に、美鈴の右手が強く光った。
七色に光る光の奔流を見て、一人で眺めていた空の中、ある日見つけた虹を思い出す。
だが今、虹の色を見ているのは自分だけではない。
大男の攻撃を受けながら、美鈴は改めて構えを取った。
足を大きく開き、腰を落とし、左手を前に、右手を引いた状態。
四ケ月前、パチュリーの防壁を破ったときと同じ構えだ。
「熾撃「大鵬墜撃拳」!!」
叫び、穿つ。
大気を貫き、空間を割り、轟音を響かせて、それは大男に撃ち込まれた。
● ● ●
「あのね、美鈴」
「あのですね、パチュリー」
崩落した教会の中、二人が声を放つのは同時だった。
美鈴からどうぞ、との言葉で美鈴は左手で頬を掻き、
「これからも今みたいなことが起きると困りますし、よかったらウチに来ませんか?」
え、とパチュリーは呆気に取られた。
まさか美鈴の方から言うなど、これは正式なプロポーズと受け取っても良いのだろうか、
ここは教会だ、そのまま一気に式まで挙げられる。
混乱するパチュリーの顔を見て美鈴は首を傾げ、
「実力不足と言ったことは謝ります。どうかパチュリーの力を貸してほしい」
「無論OKよ、指輪は無いけれどどうしましょう」
指輪? と首を傾げる美鈴を見て、パチュリーは正気に返る。
「それよりも、私がスカーレットに入っても守ってくれる?」
「大丈夫ですよ。ウチは皆、穏やかですから。実際、ヴラド公とかとの関係も無いですし、
イメージと違って楽しい職場です。それに給料も高い」
あの爺、フカシこいてやがったか、とパチュリーは師匠に恨みの念を送る。
「いかがです? 今なら私も付いてきますよ」
パチュリーは速攻で頷いた。
× × ×
「とまぁ、これが出会いとか、五行を使う理由とか、紅魔館に来た理由よ」
言い終えて満足したパチュリーは、冷めた紅茶を啜った。
「何か基本的にパチュリー視点なのに、表現が酷いな」
魔理沙がクッキーを摘みつつ言うと、パチュリーは邪悪な笑みを浮かべ、
「マイルドにした方よ」
うわマジか、とレミリアと魔理沙はドン引きした。
でもさ、と魔理沙は腕組みをし、
「こう、アレな、逆プラトニックな関係だったのは過去形なのは何でだよ」
それは、とパチュリーが言おうとした瞬間、
「私が振られたんですよ、パチュリー様に」
声に魔理沙が振り向けば、美鈴が立っていた。
美鈴はレミリアに予算表を渡しつつ、
「パチュリー様が喘息持ちなのにスーパッパしまくるので、嫌われました」
ね、と美鈴に笑みを向けられ、パチュリーは不満そうに頷いた。
美鈴は近くのテーブルから椅子を持ってくるとパチュリーの隣の席に腰を降ろし、紙に
目を落としているレミリアに視線を向ける。
「どうですか?」
「この食費の部分、もう少し増やせないか? スキマがうるさいのは分かってるんだが」
「一人で交渉は嫌ですよ?」
あー、と二人で頭を抱えている美鈴とレミリアを見て、パチュリーが立ち上がった。
「紅茶を煎れてくるわ」
「でしたら私が」
いつの間にか現れた咲夜をレイジィリリトンで吹き飛ばし、パチュリーは図書館の隅に
ある簡易型の給湯所に向かう。
「美鈴も素直じゃないよな。でも美鈴ったら自分で煎れたのかパチュリーのしか飲もうと
しないんだよ。ババァのツンデレとかマジ誰得だよな」
「もうお前ら結婚しろよ、ついでに咲夜を養子にすれば良い。きっと泣くぞ」
わぁ、と悲鳴をあげるレミリアと魔理沙の姿を見て、美鈴が溜息を吐く。
そしてパチュリーは、安い茶葉はどこだったかと思い返した。
奇抜な発想でしたが、これがなかなかどうしてしっくりくる。
違和感なく読めたし各種論理や戦闘描写も良かった。
こんなパチュリーや美鈴もありだねw
あと、後書き自重しろwww
作者の反省点も踏まえた上で話の中で設定が上手く料理されてると思う。あまり違和感無く読めた。
最後に美鈴パチュリーもう結婚しちゃえよ
よかったです。
こういうおしゃれな会話が書けるようになりたい。
当時のパチュリーの若さとか青さとかがたまらない
天使の脳はいつ食べるの?
新発想って感じでした。
会話も自然でよかったです。
できれば続きが読みたいな
実に、実に面白い。
今回はパチェだったけど、何かを守ろうとして真剣になる美鈴はかっこいいですね^^
誤字が結構ありましたけど(レイジィトリリトンとか)全然自分的には問題なかったです。
魔女狩りにあったパチェの師匠って爺さんだったのか!?
てっきり女性と思ってたw見落としたのかな
楽しく読めました
美鈴には咲夜しかいないと考えていた私の脳内を激しく打ち崩してくれます
設定・理論が好き
甘酸っぱさが残る過去といい感じに擦れた現在の二人の関係が良かったです。
あと、中二も俺は好きだぜ?
外伝でもなんでもいいからこの人達をもっと見ていたい…
挙式はいつにされますか?
あと昔の二人がなんか可愛いです。
アダルトな雰囲気、五行のくだりが面白かった。
めーぱちゅとはまた新しいジャンルに目覚めそうだ!
この設定で次の話も書いて欲しいです。
ただ咲夜の扱いが酷いw
何がやりたかったかは一貫してやたらとよくわかるが、本当にそれだけ。
ちゃんとした注意書きが欲しかった。
読んでて楽しかった
誤字 美鈴は基本的にノンンケだし、自分より早く… になってます
そういうのもあるのか!
面白かったです。パチュリーも美鈴も良い女。
いい感じに爛れてて素敵。
2次創作の楽しさを思い出させてくれる新鮮な発想の数々、と少々のエロス。
作者さんありがとうございました。
美鈴とパッチェさんの関係がたまらなさすぎる
露骨に下品な部分や厨二病さが逆にいい味を出してたと思うよ!