天地が反転し、豪快に吹き飛ばされる。
こうやって地面に叩きつけられるのは何度目だろうか。
「あー……」
「それじゃ、通してもらうわよ」
「顔パスでいいって言ってるじゃないですか。毎度殴られる身にもなってくださいよ」
「雪辱するチャンスを与えてるのに、随分な言い様だこと」
「もう少し秘密特訓する時間が欲しいです」
「私に土をつけれるように、せいぜい頑張りなさい」
「はーい」
幽香さんは私の生返事を背に、花壇のある方へと歩いていく。
幽香さんとは能力や弾幕を用いないで、純粋に己の肉体だけを使って力比べをしている。
肉弾戦は私の得意分野とは言え、あそこまで規格外のパワーだと流石に分が悪い。
対策も考え、最初の頃に比べればだいぶマシな闘いが出来るようにはなってますが。
対等に闘えるようになるのはまだまだ先ですね。
功夫あるのみです。
「また負けたのか。うちの門番は役に立たないなあ」
「そんなこと言わないでくださいよ、咲夜さん」
大の字になって空を仰ぎ、敗者の無様を晒していると。
いつの間にか傍に来ていた咲夜さんに苦言を呈される。
「お嬢様がそう言っていたんです。たまには勝ち星をあげていただかないと、紅魔館としても面子がありませんし」
「見てたなら少しは加勢して下さいよ。私一人じゃ荷が重いのは分かっているでしょうに」
「私は忙しくて手が回らないし、お嬢様は外に出られないから闘いようがありません」
「そうですよね。私が雪辱を果たさないと意味が無いですよね」
「そうですね。そろそろ立ちなさい。いつまでもそんな醜態を晒していては紅魔館が舐められてしまいます」
「はいはい」
まだ節々が痛む体に鞭打ち、どうにか立ち上がると、服についた土を咲夜さんが払ってくれる。
それはありがたいのですが、少々荒っぽいです。
「服は大丈夫そうね」
「私の体も少しは気にして欲しいんですけど」
「変な方向に折れたり千切れたりしてるわけじゃないんでしょ。なら大丈夫よ」
「そうですね」
なんて大雑把な基準なのか。
妖怪は頑丈とは言え、人間と同じように痛いものは痛いんですよ?
咲夜さんが仕事に戻り、しばらくするとアリスさんがやってきた。
「こんにちわ」
「こんにちわ。今日も図書館に用事ですか?」
「そんなとこよ。パチュリーは、勿論いるわよね」
「ええ、いつも通り図書館に篭ってますよ」
「ありがと」
アリスさんが私の顔を見て、生傷を確認する。
やけに目ざといのはいつものことですよね。
「幽香が来てるの?」
「ご明察です。またやられましたよ」
「また負けたようね。まだ花壇にいる?」
「いると思いますよ」
「そう、ありがと」
☆
庭に行くと、大量の向日葵の群れに出迎えられる。
南向きの、一番日当たりのいい一角を向日葵が独占している。
吸血鬼の館に太陽の花があるのは滑稽な気がしたが、これは幽香の仕業だろう。
太陽の畑だけでは飽き足らず、こんなところまで勢力を伸ばしているようだ。
夏の幻想郷が向日葵で埋め尽くされる日も、そう遠くないのかもしれないわね。
幽香は日傘を差し、屋敷の窓の側に立って中を覗き込んでいる。
少しすると、小さな黄色い塊が屋敷の中を走り抜けて行くのが見えた。
幽香がこちらを振り向いたので、近付いて声をかける。
「今のは、フラン?」
「そうよ。向日葵が欲しかったんだって。切花にするとあまり日持ちしないんだけど。
日光アレルギーだから仕方ないわね」
「そうね。良かったら私にも一輪もらえないかしら」
「図書館に持ってくの?」
「そういうこと」
「引き篭もりをここに連れて来ればいいじゃないの」
「それが出来るならやってるわ」
「はい。枯らさないように魔法でもかけるといいわ」
「ありがと」
幽香から大輪の向日葵を受け取り、正面玄関から屋敷に入る。
パチュリーへの手土産はこれで十分ね。
花に興味を示したら、その時は改めて外に連れ出そう。
太陽の畑までデートするのもいいわね。
いつも図書館にいるから探すのは楽なんだけど。
たまには、外にデートに行きたいわよね。
・・・
「あれ、幽香さん。もう帰るんですか?」
「そうよ。花は十分見たもの」
「お茶くらい飲んでいかれたらどうです?」
「遠慮しておくわ。二人の邪魔をしたら悪いし」
「そうですか」
「またね」
「またいらしてくださいね」
そう遠くない昔、紅魔館の花壇を見たいと言って幽香さんが侵攻してきた。
背水の陣で挑むも呆気なく捻り潰され、我らが紅魔館の存亡の危機と焦ったものですが。
言葉通り、花壇を見るだけ見て、少し手入れをして、幾つかのアドバイスを残してさっさと帰ってしまいました。
その後も花を見るついでに私を張り倒して、あまり長居せずに帰ってしまう。
最初は裏があるんじゃないかと勘繰ったものですが。
元々花が好きな人のようですし、今ではそういう人としてすっかり慣れてしまいました。
それから後、咲夜さん繋がりでアリスさんが図書館に来るようになった。
最初は図書館の本が目当てで来ていたようですけど、最近はまた様子が違うようです。
パチュリー様とアリスさんの仲は、今では半ば紅魔館公認のようなもの。
冷やかしたり気を遣ったりはするものの、敢えて引き裂こうとする人はいません。
お嬢様が内心どう考えているのかは分かりませんけど、例によってわがままや無理難題をふっかけているようです。
パチュリー様がそれを増長させ、アリスさんが割を食い、咲夜さんが瀟洒にまとめて私が後始末をするという様式美。
アリスさんが足繁くここに通うようになってしばらくすると。
今度は幽香さんもここに立ち寄る頻度が増えた。
(それはつまり、私が倒される頻度が増したってことですが……)
幽香さんの目的は、たぶん花じゃなくてアリスさん。
ほんの少し話をするだけで、それ以上近付こうとしてないようですが。
そのことに気付いているのは私と、恐らくは咲夜さんくらいでしょうか。
アリスさんは幸か不幸かパチュリー様のことしか見えていないようですし。
幽香さんは屋敷の中には入らないので、他の方は多分気付いてないと思います。
果たして、それがいいのか悪いのかは分かりませんけど。
私は門の前から動く事が出来ないので、なんとなくでしか知りませんけどね。
みんなの態度を見てると、なんとなく分かってしまうものなんですよ。
☆
「今日は間が悪かったようね。帰るわ」
「挨拶するくらいなら構わないと思いますけど」
「邪魔しちゃ悪いわ。それじゃ、またね」
「はあ。さようなら」
幽香さんは庭の様子を見ると、私と手合わせもすることなく帰ってしまう。
なんだか、すごく寂しそうな顔をしてました。
庭ではパチュリー様とアリスさんが花を見ながら仲良く話している。
今日は天気もよく、花壇の花も満開になったので、アリスさんがパチュリー様を外に引っ張り出したのだ。
パチュリー様も心なしか楽しそうです。
なんだか複雑な心境です。
別にアリスさんやパチュリー様に非があるわけではないけど。
お二人が原因で幽香さんが悲しむことになっている。
だからと言ってどうすればいいのかも分かりませんけど。
幽香さんに、あんな顔をしてほしくはない。
「今日は追い払えたようね」
「私の手柄じゃないですよ」
「知ってるわ。見てたもの」
「そうですか」
この人が神出鬼没なのはいつものこと。
時間を止められては、気配を感じることも出来ません。
咲夜さんが庭にいる二人を見る。
その横顔からは何を考えているのかは分からない。
「花の妖怪には悪いけど。この二人が仲良くしてくれた方が、私には都合がいいわ」
「そうなんですか?」
「そのうち分かるわ」
咲夜さんはそう言って寂しそうに笑い、次の瞬間には屋敷の中でせわしなさそうに働き始めている。
何が言いたかったのかよく分かりません。
それと、どうすればこの胸のもやもやは晴れるんでしょうか?
咲夜さんだったら、こんな時はどう対処しますか?
☆
それからしばらくして。
咲夜さんが亡くなった。
妖怪が呑気すぎるだけで、人間が老いて死ぬには十分すぎる時間が経っていたのかもしれないけど。
咲夜さんは最後まで瀟洒なメイドをこなし、最後の職務を追え、眠るように死んだ。
色々とすったもんだがあったけど、結果だけ言えば。
真っ赤なバラで咲夜さんを送り、アリスさんが紅魔館のメイドになった。以上。
パチュリー様とアリスさんがくっついて、暇を持て余したお嬢様は妹様と遊ぶようになりました。
喧嘩ばかりしてますけど、地下に幽閉してた頃に比べると大進歩ですよね?
「それでねー。お姉さまったら酷いのよ」
「はいはい」
幽香さんは相変わらず、気紛れで紅魔館にやってきます。
何故か妹様は幽香さんに懐いていますね。
幽香さんの傘に隠れて、外出もしているようですし。
収まるところに収まった、といった感じでしょうか。
ただ一つを除いては。
「幽香はアリスが好きなんでしょ」
「どうしてそう思うの?」
「いっつもアリスの方ばかり見てるから。でも駄目よ。アリスはパチュリーのものだから」
「そうね。盗ったりしないから安心して」
「幽香は私が貰ってあげるから安心しなさい」
「ありがと」
「ねえ、向日葵ちょうだい」
「この時期は咲いてないわ」
「魔法で出せるでしょ」
「本当は種から育てた方がいいんだけどね」
「ほらほら。早く出してよ」
「仕方ないわね、はい」
「ありがと。お姉さまに見せびらかしてくる」
「喧嘩しないようにね」
向日葵を抱えた妹様が屋敷の中へと駆けて行き、幽香さんが一人取り残される。
何かを悩んでいるように、瞳が揺らぐ。
その姿はとても弱々しく、今にも消えてしまいそうで。
「幽香さん」
「帰るわ。もう顔を出さないから」
「あの、それでいいんですか?」
「期待するのは今日で終わりにする。元々何も無かったし。これ以上無様を晒すのは嫌よ」
「アリスさんのこと、諦めていいんですか?」
「いいのよ。アリスが幸せなら、それでいいの」
「でも、幽香さんは」
「花壇の花、大切にしてあげてね」
……。
立ち去る幽香さんに、何も言う事ができなかった。
あんな辛そうな顔をして、諦めるだなんて。そんなの悲しすぎます。
アリスさんは、確かに今のままで十分幸せだ。
パチュリー様さえいればいいのだから。
幽香さんを見なくなっても、気に留めないのかもしれない。
なら、幽香さんは?
たとえアリスさんが幸せでも、それでは幽香さんが救われない。
でも、どうすればいい?
どうすれば、みんなが幸せになれる?
答えを見つけることも出来ず。幽香さんを慰める言葉を見つけることが出来ない。
私はただ、門の前に立ち尽くすしかできなかった。
私は、本当に……。
「向日葵が欲しいわ」
「……え?」
視線を下に向けると、先程屋敷の中に走っていったはずの妹様がいた。
手に持った日傘を退屈そうにくるくる回し、若干拗ねたような顔をしている。
「だーかーらー。向日葵が欲しいって言ってるのー」
「さっき幽香さんに貰いませんでしたか?」
「お姉さまにあげた」
「取られたんですか?」
「あげたの。いいから、ほら。早く向日葵もらってきてよ」
「幽香さんは帰ってしまいましたよ」
「美鈴ってほんとに使えないわね。追いかけて捕まえて来いって言ってるのー」
「はあ……」
「ごー!!!」
「い、行ってきますっ」
よく分からないまま、妹様に急かされて幽香さんの後を追い始める。
考えるのは、後でいい。
どんな言葉をかけるかは後で考えればいい。
頭で考えるより、感じるままに体で行動しろ!
どうすればいいか分からないけど。
このまま終わっていいはずが無い。
好きだという気持ちを、伝えないままに無かった事にしていいはずがない。
☆
「振られたわ」
「そう、ですか」
目を赤くした幽香さんが話し掛けてくる。
泣いて、泣き腫らして。
一応、心の整理は出来たらしい。
「恋って辛いわね」
「そう、ですね」
「私はこれからどうすればいいのかしら」
「好きにすればいいと思います。アリスさんに会いたくなったら会いに来て。
花でも贈って、つまらないことでも話すといいですよ」
「そうね。たまには、それもいいかもしれないわね」
「まだ、辛いですか?」
「まだ少しはね。でも、吹っ切れた感じ。
私はアリスが好き。
アリスが笑っていてくれるのなら、それ以上は望まないわ。
時々でも、私に笑いかけてくれるのなら、それで十分」
「健気ですね」
「そうかもね」
幽香さんはまだ立ち去る気配を見せない。
もう少し話したいのかもしれない。
私はまだ動けそうにない。
もうしばらく話に付き合うしかないようだ。
「コスモス」
「へ?」
「貴女に似合う花よ。
素朴で綺麗で、やたらとしぶとい辺りがそっくりね」
「ありがとうございます?」
「どういたしまして。まだ立てないの?」
「あと半日は無理そうです」
「死んでないだけマシかしらね」
「そうですね」
幽香さんに追いついてから、下手な説得をしようとして、
失敗して、激情した幽香さんに思いっきりぶん殴られた。
正しくは、幽香さんの拳を避けずに、敢えて正面から受け止めたのですけど。
殴り合って気持ちが通じ合うかは分かりませんが。
それで私の想いは伝わったようです。
幽香さんはしばらく葛藤した後、アリスさんの所に行き、告白し、振られて今に至るというわけです。
格好つけた私は、その代償でぶっ倒れているわけですけど。
いや本当。
死ななくて良かった。
「流れ星、見えるかしら」
「どうでしょうね。何か願いたい事が出来たんですか?」
「んー……、ひみつ」
そう言って幽香さんがはにかむ。
願い事は聞かなくても分かる。
アリスさんの幸せ。きっとそれだけを願うはずだ。
「私もしばらく動けそうにないですし。流れ星を探すの手伝いますよ」
「ありがと。流れ星が見えるまで、粘ってみようかな」
それなら。
私は、幽香さんの幸せを星に祈ろう。
どんな形で成就するか分からないけど。
優しい幽香さんに、素敵な恋が実りますように、と。
私にはそのくらいしか出来ないから。
ありったけの想いを込めて、星に祈ろう。
こうやって地面に叩きつけられるのは何度目だろうか。
「あー……」
「それじゃ、通してもらうわよ」
「顔パスでいいって言ってるじゃないですか。毎度殴られる身にもなってくださいよ」
「雪辱するチャンスを与えてるのに、随分な言い様だこと」
「もう少し秘密特訓する時間が欲しいです」
「私に土をつけれるように、せいぜい頑張りなさい」
「はーい」
幽香さんは私の生返事を背に、花壇のある方へと歩いていく。
幽香さんとは能力や弾幕を用いないで、純粋に己の肉体だけを使って力比べをしている。
肉弾戦は私の得意分野とは言え、あそこまで規格外のパワーだと流石に分が悪い。
対策も考え、最初の頃に比べればだいぶマシな闘いが出来るようにはなってますが。
対等に闘えるようになるのはまだまだ先ですね。
功夫あるのみです。
「また負けたのか。うちの門番は役に立たないなあ」
「そんなこと言わないでくださいよ、咲夜さん」
大の字になって空を仰ぎ、敗者の無様を晒していると。
いつの間にか傍に来ていた咲夜さんに苦言を呈される。
「お嬢様がそう言っていたんです。たまには勝ち星をあげていただかないと、紅魔館としても面子がありませんし」
「見てたなら少しは加勢して下さいよ。私一人じゃ荷が重いのは分かっているでしょうに」
「私は忙しくて手が回らないし、お嬢様は外に出られないから闘いようがありません」
「そうですよね。私が雪辱を果たさないと意味が無いですよね」
「そうですね。そろそろ立ちなさい。いつまでもそんな醜態を晒していては紅魔館が舐められてしまいます」
「はいはい」
まだ節々が痛む体に鞭打ち、どうにか立ち上がると、服についた土を咲夜さんが払ってくれる。
それはありがたいのですが、少々荒っぽいです。
「服は大丈夫そうね」
「私の体も少しは気にして欲しいんですけど」
「変な方向に折れたり千切れたりしてるわけじゃないんでしょ。なら大丈夫よ」
「そうですね」
なんて大雑把な基準なのか。
妖怪は頑丈とは言え、人間と同じように痛いものは痛いんですよ?
咲夜さんが仕事に戻り、しばらくするとアリスさんがやってきた。
「こんにちわ」
「こんにちわ。今日も図書館に用事ですか?」
「そんなとこよ。パチュリーは、勿論いるわよね」
「ええ、いつも通り図書館に篭ってますよ」
「ありがと」
アリスさんが私の顔を見て、生傷を確認する。
やけに目ざといのはいつものことですよね。
「幽香が来てるの?」
「ご明察です。またやられましたよ」
「また負けたようね。まだ花壇にいる?」
「いると思いますよ」
「そう、ありがと」
☆
庭に行くと、大量の向日葵の群れに出迎えられる。
南向きの、一番日当たりのいい一角を向日葵が独占している。
吸血鬼の館に太陽の花があるのは滑稽な気がしたが、これは幽香の仕業だろう。
太陽の畑だけでは飽き足らず、こんなところまで勢力を伸ばしているようだ。
夏の幻想郷が向日葵で埋め尽くされる日も、そう遠くないのかもしれないわね。
幽香は日傘を差し、屋敷の窓の側に立って中を覗き込んでいる。
少しすると、小さな黄色い塊が屋敷の中を走り抜けて行くのが見えた。
幽香がこちらを振り向いたので、近付いて声をかける。
「今のは、フラン?」
「そうよ。向日葵が欲しかったんだって。切花にするとあまり日持ちしないんだけど。
日光アレルギーだから仕方ないわね」
「そうね。良かったら私にも一輪もらえないかしら」
「図書館に持ってくの?」
「そういうこと」
「引き篭もりをここに連れて来ればいいじゃないの」
「それが出来るならやってるわ」
「はい。枯らさないように魔法でもかけるといいわ」
「ありがと」
幽香から大輪の向日葵を受け取り、正面玄関から屋敷に入る。
パチュリーへの手土産はこれで十分ね。
花に興味を示したら、その時は改めて外に連れ出そう。
太陽の畑までデートするのもいいわね。
いつも図書館にいるから探すのは楽なんだけど。
たまには、外にデートに行きたいわよね。
・・・
「あれ、幽香さん。もう帰るんですか?」
「そうよ。花は十分見たもの」
「お茶くらい飲んでいかれたらどうです?」
「遠慮しておくわ。二人の邪魔をしたら悪いし」
「そうですか」
「またね」
「またいらしてくださいね」
そう遠くない昔、紅魔館の花壇を見たいと言って幽香さんが侵攻してきた。
背水の陣で挑むも呆気なく捻り潰され、我らが紅魔館の存亡の危機と焦ったものですが。
言葉通り、花壇を見るだけ見て、少し手入れをして、幾つかのアドバイスを残してさっさと帰ってしまいました。
その後も花を見るついでに私を張り倒して、あまり長居せずに帰ってしまう。
最初は裏があるんじゃないかと勘繰ったものですが。
元々花が好きな人のようですし、今ではそういう人としてすっかり慣れてしまいました。
それから後、咲夜さん繋がりでアリスさんが図書館に来るようになった。
最初は図書館の本が目当てで来ていたようですけど、最近はまた様子が違うようです。
パチュリー様とアリスさんの仲は、今では半ば紅魔館公認のようなもの。
冷やかしたり気を遣ったりはするものの、敢えて引き裂こうとする人はいません。
お嬢様が内心どう考えているのかは分かりませんけど、例によってわがままや無理難題をふっかけているようです。
パチュリー様がそれを増長させ、アリスさんが割を食い、咲夜さんが瀟洒にまとめて私が後始末をするという様式美。
アリスさんが足繁くここに通うようになってしばらくすると。
今度は幽香さんもここに立ち寄る頻度が増えた。
(それはつまり、私が倒される頻度が増したってことですが……)
幽香さんの目的は、たぶん花じゃなくてアリスさん。
ほんの少し話をするだけで、それ以上近付こうとしてないようですが。
そのことに気付いているのは私と、恐らくは咲夜さんくらいでしょうか。
アリスさんは幸か不幸かパチュリー様のことしか見えていないようですし。
幽香さんは屋敷の中には入らないので、他の方は多分気付いてないと思います。
果たして、それがいいのか悪いのかは分かりませんけど。
私は門の前から動く事が出来ないので、なんとなくでしか知りませんけどね。
みんなの態度を見てると、なんとなく分かってしまうものなんですよ。
☆
「今日は間が悪かったようね。帰るわ」
「挨拶するくらいなら構わないと思いますけど」
「邪魔しちゃ悪いわ。それじゃ、またね」
「はあ。さようなら」
幽香さんは庭の様子を見ると、私と手合わせもすることなく帰ってしまう。
なんだか、すごく寂しそうな顔をしてました。
庭ではパチュリー様とアリスさんが花を見ながら仲良く話している。
今日は天気もよく、花壇の花も満開になったので、アリスさんがパチュリー様を外に引っ張り出したのだ。
パチュリー様も心なしか楽しそうです。
なんだか複雑な心境です。
別にアリスさんやパチュリー様に非があるわけではないけど。
お二人が原因で幽香さんが悲しむことになっている。
だからと言ってどうすればいいのかも分かりませんけど。
幽香さんに、あんな顔をしてほしくはない。
「今日は追い払えたようね」
「私の手柄じゃないですよ」
「知ってるわ。見てたもの」
「そうですか」
この人が神出鬼没なのはいつものこと。
時間を止められては、気配を感じることも出来ません。
咲夜さんが庭にいる二人を見る。
その横顔からは何を考えているのかは分からない。
「花の妖怪には悪いけど。この二人が仲良くしてくれた方が、私には都合がいいわ」
「そうなんですか?」
「そのうち分かるわ」
咲夜さんはそう言って寂しそうに笑い、次の瞬間には屋敷の中でせわしなさそうに働き始めている。
何が言いたかったのかよく分かりません。
それと、どうすればこの胸のもやもやは晴れるんでしょうか?
咲夜さんだったら、こんな時はどう対処しますか?
☆
それからしばらくして。
咲夜さんが亡くなった。
妖怪が呑気すぎるだけで、人間が老いて死ぬには十分すぎる時間が経っていたのかもしれないけど。
咲夜さんは最後まで瀟洒なメイドをこなし、最後の職務を追え、眠るように死んだ。
色々とすったもんだがあったけど、結果だけ言えば。
真っ赤なバラで咲夜さんを送り、アリスさんが紅魔館のメイドになった。以上。
パチュリー様とアリスさんがくっついて、暇を持て余したお嬢様は妹様と遊ぶようになりました。
喧嘩ばかりしてますけど、地下に幽閉してた頃に比べると大進歩ですよね?
「それでねー。お姉さまったら酷いのよ」
「はいはい」
幽香さんは相変わらず、気紛れで紅魔館にやってきます。
何故か妹様は幽香さんに懐いていますね。
幽香さんの傘に隠れて、外出もしているようですし。
収まるところに収まった、といった感じでしょうか。
ただ一つを除いては。
「幽香はアリスが好きなんでしょ」
「どうしてそう思うの?」
「いっつもアリスの方ばかり見てるから。でも駄目よ。アリスはパチュリーのものだから」
「そうね。盗ったりしないから安心して」
「幽香は私が貰ってあげるから安心しなさい」
「ありがと」
「ねえ、向日葵ちょうだい」
「この時期は咲いてないわ」
「魔法で出せるでしょ」
「本当は種から育てた方がいいんだけどね」
「ほらほら。早く出してよ」
「仕方ないわね、はい」
「ありがと。お姉さまに見せびらかしてくる」
「喧嘩しないようにね」
向日葵を抱えた妹様が屋敷の中へと駆けて行き、幽香さんが一人取り残される。
何かを悩んでいるように、瞳が揺らぐ。
その姿はとても弱々しく、今にも消えてしまいそうで。
「幽香さん」
「帰るわ。もう顔を出さないから」
「あの、それでいいんですか?」
「期待するのは今日で終わりにする。元々何も無かったし。これ以上無様を晒すのは嫌よ」
「アリスさんのこと、諦めていいんですか?」
「いいのよ。アリスが幸せなら、それでいいの」
「でも、幽香さんは」
「花壇の花、大切にしてあげてね」
……。
立ち去る幽香さんに、何も言う事ができなかった。
あんな辛そうな顔をして、諦めるだなんて。そんなの悲しすぎます。
アリスさんは、確かに今のままで十分幸せだ。
パチュリー様さえいればいいのだから。
幽香さんを見なくなっても、気に留めないのかもしれない。
なら、幽香さんは?
たとえアリスさんが幸せでも、それでは幽香さんが救われない。
でも、どうすればいい?
どうすれば、みんなが幸せになれる?
答えを見つけることも出来ず。幽香さんを慰める言葉を見つけることが出来ない。
私はただ、門の前に立ち尽くすしかできなかった。
私は、本当に……。
「向日葵が欲しいわ」
「……え?」
視線を下に向けると、先程屋敷の中に走っていったはずの妹様がいた。
手に持った日傘を退屈そうにくるくる回し、若干拗ねたような顔をしている。
「だーかーらー。向日葵が欲しいって言ってるのー」
「さっき幽香さんに貰いませんでしたか?」
「お姉さまにあげた」
「取られたんですか?」
「あげたの。いいから、ほら。早く向日葵もらってきてよ」
「幽香さんは帰ってしまいましたよ」
「美鈴ってほんとに使えないわね。追いかけて捕まえて来いって言ってるのー」
「はあ……」
「ごー!!!」
「い、行ってきますっ」
よく分からないまま、妹様に急かされて幽香さんの後を追い始める。
考えるのは、後でいい。
どんな言葉をかけるかは後で考えればいい。
頭で考えるより、感じるままに体で行動しろ!
どうすればいいか分からないけど。
このまま終わっていいはずが無い。
好きだという気持ちを、伝えないままに無かった事にしていいはずがない。
☆
「振られたわ」
「そう、ですか」
目を赤くした幽香さんが話し掛けてくる。
泣いて、泣き腫らして。
一応、心の整理は出来たらしい。
「恋って辛いわね」
「そう、ですね」
「私はこれからどうすればいいのかしら」
「好きにすればいいと思います。アリスさんに会いたくなったら会いに来て。
花でも贈って、つまらないことでも話すといいですよ」
「そうね。たまには、それもいいかもしれないわね」
「まだ、辛いですか?」
「まだ少しはね。でも、吹っ切れた感じ。
私はアリスが好き。
アリスが笑っていてくれるのなら、それ以上は望まないわ。
時々でも、私に笑いかけてくれるのなら、それで十分」
「健気ですね」
「そうかもね」
幽香さんはまだ立ち去る気配を見せない。
もう少し話したいのかもしれない。
私はまだ動けそうにない。
もうしばらく話に付き合うしかないようだ。
「コスモス」
「へ?」
「貴女に似合う花よ。
素朴で綺麗で、やたらとしぶとい辺りがそっくりね」
「ありがとうございます?」
「どういたしまして。まだ立てないの?」
「あと半日は無理そうです」
「死んでないだけマシかしらね」
「そうですね」
幽香さんに追いついてから、下手な説得をしようとして、
失敗して、激情した幽香さんに思いっきりぶん殴られた。
正しくは、幽香さんの拳を避けずに、敢えて正面から受け止めたのですけど。
殴り合って気持ちが通じ合うかは分かりませんが。
それで私の想いは伝わったようです。
幽香さんはしばらく葛藤した後、アリスさんの所に行き、告白し、振られて今に至るというわけです。
格好つけた私は、その代償でぶっ倒れているわけですけど。
いや本当。
死ななくて良かった。
「流れ星、見えるかしら」
「どうでしょうね。何か願いたい事が出来たんですか?」
「んー……、ひみつ」
そう言って幽香さんがはにかむ。
願い事は聞かなくても分かる。
アリスさんの幸せ。きっとそれだけを願うはずだ。
「私もしばらく動けそうにないですし。流れ星を探すの手伝いますよ」
「ありがと。流れ星が見えるまで、粘ってみようかな」
それなら。
私は、幽香さんの幸せを星に祈ろう。
どんな形で成就するか分からないけど。
優しい幽香さんに、素敵な恋が実りますように、と。
私にはそのくらいしか出来ないから。
ありったけの想いを込めて、星に祈ろう。
咲夜さんがアリスに頼んだのかも知れないですが。
展開が急ぎ足だったので、もう少し経緯とかも読みたかったです、贅沢ですが。
こういう話大好きだ。
咲夜さん切ないな。
「☆」の行間に少し想像力が必要かなと思いましたが、もしかしたら狙ってそう書かれているのかも?
幽香さんの窓越しに見てるような距離感を感じられて凄い感情移入してしまいました。
切なくて美しいやさしいお話でした。あと美鈴はいい子。
美鈴がいい味出してました。