わが主である八雲紫様の朝は遅い。
冬は冬眠して起きてこないからしかたないとして(いささかさみしいが)、そうでない季節でもずいぶん日が高くなってからでないと起きてくれない。
妖怪なので夜型なのかといえばそんなこともなく単純に寝っぱなしなだけだ。たぶん、起こさなければ一日中だって寝てるんじゃないか?
と思ったので試してみたら三日くらい寝てた。怖くなって起こした。
「紫様は寝ているとき、どんな夢を見てるんですか」
「え」
そのあと、私は訊ねてみた。あれだけ長いこと寝ているんだから、さぞワンダランドな夢を見ているんだろう、と思ったのだ。
私をおきざりにして。
「そうねえ」
紫様は手にした扇子を開くと、口元を隠した。考え事をするときの格好だ。
「改めて訊かれると、なんと答えていいかわからないわね。もちろん夢は見るけれど、忘れてしまうことも多いし」
「たとえば、今日の夢です。たっぷり寝たんだから、さぞかしものすごい夢をみたでしょう」
「刺があるわね」
あんたが起こさないからでしょう、とジト目で言うが、三日も私に会わないで、平気な顔して寝ていられるのが憎いのだ。こっちは大変だったのに。
「藍と海に行ったわ」
夢の話。
「海ですか」
「そう、海よ。夕日が沈んでいたから、西を向いた海ね」
「私は海はちょっと苦手です。というか、水が苦手です。式なので」
「そうねえ。でも、私がいるから大丈夫だったわ」
私は先を促した。どうして海へ?
「覚えてないわ。夢だから、そもそもそんなたしかな理由はないのよ。おおかた水遊びがしたい、とか、魚が食べたい、とかでしょう。幻想郷には海がないしね。それで海に行って、そう、思い出した。あんたがワカメ食べたいっていうから海に行って、それで二人でワカメ探したんじゃない」
「私がですか? そんなこと言ったことないのに」
「言えばいいのに、って思ってるのよきっと」
すると紫様は扇子を胸元にしまって、空いた手で私を抱きかかえ、服の裾をまくって膝小僧を出させた。
「あんた馬鹿だから岩場で派手に転んじゃって、膝すりむいたのよ。すぐ治るけど痛いのは痛いもんね。よしよし」
むき出しの膝小僧をすりすりなでられる。気持いいけど、ものすごく恥ずかしい。もう仔狐ではないのだ。
「紫様、私こう見えても白面金毛九尾の狐です。たっくさん国を滅ぼしました。主に色気で。子どもじゃないです」
「でも、私からすれば娘みたいなもんよ。よしよし」
「紫様」
「よしよし」
「くすぐったいです」
「おお、よしよし」
だめだ、何を言っても聞かない。
しかたがないのでされるがままにしておいた。力が抜けたので(紫様が起きてこない間、こっちはイライラして眠れなかったのだ)、紫様によりかかって目を閉じていると、いつの間にか眠ってしまった。
◆ ◇ ◆
目が覚めたら朝だった。記憶をたどると、たしか昼ごろに寝たはずだったのだが、起きるのはきちんと朝である。さすが私。
布団に入っていたのはまだしも、きちんと寝間着に着替えさせられていたので、ちょっと恥ずかしかった。紫様が着替えさせてくださったのだろうな。
式なのに手をかけてしまって申し訳ない。しっかり反省し、その旨お伝えしよう、と思って障子を開くと台所で紫様が朝食を作っていた。
「ゆっ紫様」
「おはよう藍。今日のお味噌汁は、油揚げとわかめよ。あなた大好きでしょう油揚げ」
「大好きです。でっでも紫様」
「いいのよ」
炊きたての御飯と、お味噌汁と、納豆と、漬物と、鯖の照り焼きが食卓に並んだ。恥ずかしいくらいの純和風の朝食だ。たっぷり食べた。普段料理をすることはない紫様だが、やるとなればまあ私に教えるくらいは上手い。
それにしても、今日は気合が入っているように思えた。そもそも、私より早く起きていることが不自然だし。
「紫様」
三杯目をたいらげて、一息ついたところで私は言った。
「今日はどうかしたのですか。何かあったのですか」
「呆れるほど健啖で、問題ないように見えるけど」
紫様が、こちらを見て目を細める。
「藍。体の調子がおかしいところはないかしら」
「はあ」
「どんな小さなことでもいいわよ。きちんと言うのよ。しっぽが一本足りないとか、頭が痛いとか、目がしょぼしょぼするとか」
「最初のだったらご飯なんか食べてる場合じゃありませんが。いたって健康ですよ」
「ほんと?」
「ええ、寝すぎてお腹が減ったくらいです」
紫様はちょっと笑った。
「そう、ならよかったわ。もちろん私も念入りに調べたけど、万が一何かあったら怖いからね」
「何かあったのですか」
「藍、あなた、三日間も寝てたのよ」
驚いた。
「それは紫様でしょう。私がどれだけさみしかったと思ってるんですか」
紫様は、きょとん、とすると、扇子を広げて口元を隠した。閉じたときには、唇の横っちょについていた米粒がなくなっていた。
「そう。そういう夢をみたのね」
「いやいやいや」
「藍。あなたは三日間寝ていて、私が着替えさせたり汗を拭いたりしたのよ。どうやっても起きないんだもの。トイレもしないし。原因がわからなくて、とても怖かったわ。三日前のこと覚えてる?」
「い、いえ」
「あなたと私は海に行ったのよ。外の世界に出てね。本来、あまり良くないことだけど、あなたがどうしてもわかめが食べたい、それもとりたてのものでないと嫌だというから、私もふだん言われ慣れていないわがままを言われるのがうれしくてね。ついつい出かけたのよ。
そしたらあんた足すべらせて、わかめって岩場に生えてるでしょ、干潮の時に採れるでしょ。それを採りに行って、つるんって足滑らせて、気を失っちゃったのよ。九尾の狐なのに情けないわねって、私笑ったけど、でもぜんぜん目を覚まさないから、怖くなってマヨヒガに戻ったの。
それからあんたずっと寝っぱなしだったのよ。ずうっと。どんなに気を揉んだか、わかりゃしない。
でも、大丈夫みたいでよかった。しばらくはじゅうぶん注意するのよ。ちなみに今日のお味噌汁のわかめはそのわかめよ」
頭がこんがらかった。
紫様が膝小僧をなでてくださったのは、夢のなかの出来事だったのだろうか。ずうっと、三日間も寝ていたのは、私のほうだったのか。
こんなことはいままでなかった。海に行ったことだって、私は覚えていない。紫様の夢の話だったはずだ。いや、あれは私の夢のなかだから、その私の夢のなかで紫様が見た夢のことで……。
でも、それが現実だったのだろうか。
「紫様」
「はい」
「申し訳ありませんでした。正直、まだ混乱していて、はっきりとは思い出せないのですが、式の勤めを三日間も放棄してしまったこと、お詫びいたします。そのうえ着替えさせていただいたり、汗を拭いていただいたりしたなんて、申し訳ない、恥ずかしい」
「いいけどね。髪やしっぽは洗えなかったから、今日洗いなさいよ」
「はい。仕事の遅れた分をとりかえします」
「そうね。任せていいかしら。ついでにちょっと暑くなってきたから、夏用の服を一着、新しく縫ってもらっていいかしら」
「お任せください」
「牛乳飲みたいんだけど、里に行ってもらってきてくれる?」
「はい」
「今日のお昼ご飯、ハンバーグとチョコパフェとグラタンと味噌煮込みうどん食べたいわ」
「準備します」
チョコパフェってどうやって作ればいいんだろう、と考えながら腰をあげようとすると、紫様がまた扇子を取り出して口元を隠しているのが見えた。
長い付き合いなのでわかるが、考えごとをしているのではなく、にやにや笑っているのだった。
「紫様」
「なあに」
「嘘ですね」
「なあにがあ?」
こらえきれなくなったのか、ちゃぶ台に両手をついて、前かがみになって顔を伏せている。
私は憤慨した。
「紫様、おふざけがすぎます。私はほんとうに反省したんですよ。こんなことじゃいけない、と思って、紫様の式であることに自信が持てなくなったんです。
三日間も寝ていたのはやっぱり紫様なんでしょう。海に行ったのだって、嘘なんでしょう。
ええい、ええい、悔しい。悔しいったらないです」
私はぷんぷん怒って、後ろを向いてしまった。
「藍」
「何ですか」
優しそうな声で話しかけてこられるが、許してなんかやらないのだ。
「今日は一緒に寝ましょうか」
「え」
「同じ布団でね。そうすれば、一緒に眠れるし、同じ時間に起きれるでしょう」
ごめんね、と紫様が言ったように思った。
冬は冬眠して起きてこないからしかたないとして(いささかさみしいが)、そうでない季節でもずいぶん日が高くなってからでないと起きてくれない。
妖怪なので夜型なのかといえばそんなこともなく単純に寝っぱなしなだけだ。たぶん、起こさなければ一日中だって寝てるんじゃないか?
と思ったので試してみたら三日くらい寝てた。怖くなって起こした。
「紫様は寝ているとき、どんな夢を見てるんですか」
「え」
そのあと、私は訊ねてみた。あれだけ長いこと寝ているんだから、さぞワンダランドな夢を見ているんだろう、と思ったのだ。
私をおきざりにして。
「そうねえ」
紫様は手にした扇子を開くと、口元を隠した。考え事をするときの格好だ。
「改めて訊かれると、なんと答えていいかわからないわね。もちろん夢は見るけれど、忘れてしまうことも多いし」
「たとえば、今日の夢です。たっぷり寝たんだから、さぞかしものすごい夢をみたでしょう」
「刺があるわね」
あんたが起こさないからでしょう、とジト目で言うが、三日も私に会わないで、平気な顔して寝ていられるのが憎いのだ。こっちは大変だったのに。
「藍と海に行ったわ」
夢の話。
「海ですか」
「そう、海よ。夕日が沈んでいたから、西を向いた海ね」
「私は海はちょっと苦手です。というか、水が苦手です。式なので」
「そうねえ。でも、私がいるから大丈夫だったわ」
私は先を促した。どうして海へ?
「覚えてないわ。夢だから、そもそもそんなたしかな理由はないのよ。おおかた水遊びがしたい、とか、魚が食べたい、とかでしょう。幻想郷には海がないしね。それで海に行って、そう、思い出した。あんたがワカメ食べたいっていうから海に行って、それで二人でワカメ探したんじゃない」
「私がですか? そんなこと言ったことないのに」
「言えばいいのに、って思ってるのよきっと」
すると紫様は扇子を胸元にしまって、空いた手で私を抱きかかえ、服の裾をまくって膝小僧を出させた。
「あんた馬鹿だから岩場で派手に転んじゃって、膝すりむいたのよ。すぐ治るけど痛いのは痛いもんね。よしよし」
むき出しの膝小僧をすりすりなでられる。気持いいけど、ものすごく恥ずかしい。もう仔狐ではないのだ。
「紫様、私こう見えても白面金毛九尾の狐です。たっくさん国を滅ぼしました。主に色気で。子どもじゃないです」
「でも、私からすれば娘みたいなもんよ。よしよし」
「紫様」
「よしよし」
「くすぐったいです」
「おお、よしよし」
だめだ、何を言っても聞かない。
しかたがないのでされるがままにしておいた。力が抜けたので(紫様が起きてこない間、こっちはイライラして眠れなかったのだ)、紫様によりかかって目を閉じていると、いつの間にか眠ってしまった。
◆ ◇ ◆
目が覚めたら朝だった。記憶をたどると、たしか昼ごろに寝たはずだったのだが、起きるのはきちんと朝である。さすが私。
布団に入っていたのはまだしも、きちんと寝間着に着替えさせられていたので、ちょっと恥ずかしかった。紫様が着替えさせてくださったのだろうな。
式なのに手をかけてしまって申し訳ない。しっかり反省し、その旨お伝えしよう、と思って障子を開くと台所で紫様が朝食を作っていた。
「ゆっ紫様」
「おはよう藍。今日のお味噌汁は、油揚げとわかめよ。あなた大好きでしょう油揚げ」
「大好きです。でっでも紫様」
「いいのよ」
炊きたての御飯と、お味噌汁と、納豆と、漬物と、鯖の照り焼きが食卓に並んだ。恥ずかしいくらいの純和風の朝食だ。たっぷり食べた。普段料理をすることはない紫様だが、やるとなればまあ私に教えるくらいは上手い。
それにしても、今日は気合が入っているように思えた。そもそも、私より早く起きていることが不自然だし。
「紫様」
三杯目をたいらげて、一息ついたところで私は言った。
「今日はどうかしたのですか。何かあったのですか」
「呆れるほど健啖で、問題ないように見えるけど」
紫様が、こちらを見て目を細める。
「藍。体の調子がおかしいところはないかしら」
「はあ」
「どんな小さなことでもいいわよ。きちんと言うのよ。しっぽが一本足りないとか、頭が痛いとか、目がしょぼしょぼするとか」
「最初のだったらご飯なんか食べてる場合じゃありませんが。いたって健康ですよ」
「ほんと?」
「ええ、寝すぎてお腹が減ったくらいです」
紫様はちょっと笑った。
「そう、ならよかったわ。もちろん私も念入りに調べたけど、万が一何かあったら怖いからね」
「何かあったのですか」
「藍、あなた、三日間も寝てたのよ」
驚いた。
「それは紫様でしょう。私がどれだけさみしかったと思ってるんですか」
紫様は、きょとん、とすると、扇子を広げて口元を隠した。閉じたときには、唇の横っちょについていた米粒がなくなっていた。
「そう。そういう夢をみたのね」
「いやいやいや」
「藍。あなたは三日間寝ていて、私が着替えさせたり汗を拭いたりしたのよ。どうやっても起きないんだもの。トイレもしないし。原因がわからなくて、とても怖かったわ。三日前のこと覚えてる?」
「い、いえ」
「あなたと私は海に行ったのよ。外の世界に出てね。本来、あまり良くないことだけど、あなたがどうしてもわかめが食べたい、それもとりたてのものでないと嫌だというから、私もふだん言われ慣れていないわがままを言われるのがうれしくてね。ついつい出かけたのよ。
そしたらあんた足すべらせて、わかめって岩場に生えてるでしょ、干潮の時に採れるでしょ。それを採りに行って、つるんって足滑らせて、気を失っちゃったのよ。九尾の狐なのに情けないわねって、私笑ったけど、でもぜんぜん目を覚まさないから、怖くなってマヨヒガに戻ったの。
それからあんたずっと寝っぱなしだったのよ。ずうっと。どんなに気を揉んだか、わかりゃしない。
でも、大丈夫みたいでよかった。しばらくはじゅうぶん注意するのよ。ちなみに今日のお味噌汁のわかめはそのわかめよ」
頭がこんがらかった。
紫様が膝小僧をなでてくださったのは、夢のなかの出来事だったのだろうか。ずうっと、三日間も寝ていたのは、私のほうだったのか。
こんなことはいままでなかった。海に行ったことだって、私は覚えていない。紫様の夢の話だったはずだ。いや、あれは私の夢のなかだから、その私の夢のなかで紫様が見た夢のことで……。
でも、それが現実だったのだろうか。
「紫様」
「はい」
「申し訳ありませんでした。正直、まだ混乱していて、はっきりとは思い出せないのですが、式の勤めを三日間も放棄してしまったこと、お詫びいたします。そのうえ着替えさせていただいたり、汗を拭いていただいたりしたなんて、申し訳ない、恥ずかしい」
「いいけどね。髪やしっぽは洗えなかったから、今日洗いなさいよ」
「はい。仕事の遅れた分をとりかえします」
「そうね。任せていいかしら。ついでにちょっと暑くなってきたから、夏用の服を一着、新しく縫ってもらっていいかしら」
「お任せください」
「牛乳飲みたいんだけど、里に行ってもらってきてくれる?」
「はい」
「今日のお昼ご飯、ハンバーグとチョコパフェとグラタンと味噌煮込みうどん食べたいわ」
「準備します」
チョコパフェってどうやって作ればいいんだろう、と考えながら腰をあげようとすると、紫様がまた扇子を取り出して口元を隠しているのが見えた。
長い付き合いなのでわかるが、考えごとをしているのではなく、にやにや笑っているのだった。
「紫様」
「なあに」
「嘘ですね」
「なあにがあ?」
こらえきれなくなったのか、ちゃぶ台に両手をついて、前かがみになって顔を伏せている。
私は憤慨した。
「紫様、おふざけがすぎます。私はほんとうに反省したんですよ。こんなことじゃいけない、と思って、紫様の式であることに自信が持てなくなったんです。
三日間も寝ていたのはやっぱり紫様なんでしょう。海に行ったのだって、嘘なんでしょう。
ええい、ええい、悔しい。悔しいったらないです」
私はぷんぷん怒って、後ろを向いてしまった。
「藍」
「何ですか」
優しそうな声で話しかけてこられるが、許してなんかやらないのだ。
「今日は一緒に寝ましょうか」
「え」
「同じ布団でね。そうすれば、一緒に眠れるし、同じ時間に起きれるでしょう」
ごめんね、と紫様が言ったように思った。
油断するとこんがらがってしまいそうな内容でしたが、いやはや面白かったです。拗ねる藍様可愛い。
そして紫様は冬眠前に70時間以上の連続睡眠さすがっす。
これからも頑張ってください、応援してます^^
台詞がとても読みやすかったです。
これが文章がうまいってことなのか
紫の扇子の使い方、紫のなにげない仕草の意味を分かる藍、この二人の素敵な関係を読ませていただきました。ありがとうございます。
二人の会話にくすっとしたり、何より藍様がかわいかったのが素晴らしい。
次回にも期待させていただきます。
情景が容易に想像できるのがまた面白いですね
テンポが非常に良くて楽しかったです
綺麗に終われる短編好きです
このテンポ!この優しさ!これが八雲か!?これが八雲だ!!!!
話も夢と現実が曖昧な感じがいい雰囲気でした。
>32
紫様が藍様に呼びかけるときの、あなた、と、あんた、でしょうか。
不統一なのは気づいていましたが、口調の際のノリでこっちのほうが自然かな、と思ってそのままにしました。
うーんやはり気になるかな
締めの紫の台詞が良い。
どれが現実なの?
結局真相は闇の中……
いやほんと文章上手いですね。ちょっとミステリーな雰囲気も、紫様が面白がってるのも藍様がすねてるのもしっかり伝わってくる。
面白かったです。