地底の風は生ぬるい。
中途半端な温度、中途半端な湿度。
そして中途半端なお祭り気分。
街はいつも喧騒に包まれていて、それが何かを誤魔化してるようで。
喉が渇いているのに、水が無い。
そんな気分を延々と味わう場所だ。
辛いし苦しいし、息が詰まる。
それなのになぜか、居心地がいい。
それがここ、旧地獄なのだ。
◆
私は今日、旧都にある賭博場に来ている。
強面の牛鬼をチンチロでボコり、怪しげな蛇女を丁半で泣かせた。
ものの1時間で私の手には大金が握られ、気がつくと賭博場の事務所に連れ込まれていた。
「お嬢ちゃん、ちょいと冗談が過ぎるぜ?」
さっきの牛鬼がドスの効いた声で言う。
なかなかの迫力だ。
「なにが?」
「おいちゃんも別にサマ張ったとは思っちゃいねぇよ、だがらさあ、もう1勝負だけしようじゃあねえか、それで帰してやるから」
暗に死にたくなければ負けろと言っている。
そして勝ったら勝ったいちゃもんをつける。
良くある手口だ。
「いいよ」
「そう来なくっちゃ」
それでも私は快諾する。
そして今日の稼ぎ、ざっと300万程を机に投げ出した。
「端数は覚えてない」
「ああ、いいよ」
勝負はオイチョカブ一発勝負。
特殊役も取り決めて、牛鬼が札を配る。
配られた5枚の札から1枚を選ぶ。
『3』の札だ。
これを自分の手として使う。
オイチョカブはこの後配られる札と、この札の数字を合計して『9』に近づけるゲームだ。
ブラックジャックにちょっと似ている。
基本的に『3』はそんなに強い数字ではない。
これを見た牛鬼は、目論見どおり私が勝負を投げたと思ったのだろう。
余裕を取り戻した表情で2枚目の札を配る。
その札を見て、私はもう1枚札をくれるように言う。
ブラックジャックで言うところのヒットだ。
子の札が決まり、牛鬼が自分の札をあける。
数字は『9』。
2枚目が配られる。
『1』。
オイチョカブは数字の合計の1桁目で勝負する。
つまり親の手は『0』
だがこれは。
「クッピンだお嬢ちゃん、倍付けだ」
『9』『1』の2枚で構成される特殊役。
子は賭け金の2倍を支払わなければならない。
「……」
「払えねえかい?」
「ま、待ってくれ」
声が上ずるのを堪えながら、私は言う。
払えないとどうなるのだろうか。
「い、今ツレがここに来てるんだ、そいつが金を持っている」
「嘘はイケねえよお嬢ちゃん」
にたにたといやらしい顔で牛鬼が笑う。
周りを取り囲んでいる妖怪たちからも、クスクスと笑い声が漏れてきた。
私は震える声を押さえつけ、本当だ、と搾り出す。
牛鬼はやれやれと首を振ると、部下に何かを命令する。
額に目を持つ老いた妖怪が、私を立たせようと腕を掴んだ。
「触んなよ」
そして私は、無線機のスイッチを入れた。
「いいぞ、来てくれ」
間髪いれずに轟く爆音。
事務所の中にまで響いてくる。
次いで、叫び声や悲鳴も聞こえてきた。
「ク、クククク……」
思わず笑いがこみ上げた。
押さえつけるのも大変だ。
ざわざわと周りの連中も騒ぎ出す。
そんな光景を見ながら、牛鬼が口を開く。
「お嬢ちゃん、誰を、いや何を呼んだ?」
「鬼」
ボン!!
事務所のドアが吹き飛び、そばに居た蛇女が巻き込まれて押しつぶされる。
よく見るとドアに筋骨隆々の男が突き刺さっていた。
後ろから聞こえる怒声、罵声、破砕音。
それらも数秒もしないうちに静かになる。
「……」
牛鬼の顔が青くなった。
ぬうっと事務所に現れたのは、四天王の一角。
今度は私がにたにたといやらしい顔で笑う番だ。
「ほし、熊……」
「よお勇儀、お疲れさん」
「おう」
さっきまでの余裕はどこへやら、連中も皆ガタガタと震えだしてしまう。
「さて、おっちゃん、勝負の続きだ」
「あ?」
今度は私の手を開ける番。
さあ、ショーダウン。
「カブか、親はクッピンかい」
「ああ、私のを開けてくれ」
私は牛鬼に告げる。
札を開けるのは、親の役目だろう?
「……あ!」
『3』『3』『3』。
トリプルスリー。
『アラシ』という役の、さらに合計が『9』になる最強役。
5倍付けだ。
配られた札は『3』『2』『5』だった。
だけどもオイチョカブにはルール上『使わないけど表になる札』が10枚近く存在する。
その中に『3』が2枚あっただけの事。
当然のようにイカサマだけれども、証拠はない。
勇儀にばっかり気をとられるからだ。
そしてありがとう、アカギシゲル。
「お、お前!」
向こうも気付いたようだが、この状況で言えることではない。
何せここには、暴力の化身がいるのだから。
「どうした?」
そうとは知らず、勇儀が問う。
「い、いや」
「5倍付け、1500万だ」
「……ちぃ」
忌々しげに毒づきながら、牛鬼は金を用意する。
私は持ってきていたリュックに金を詰めると、席を立つ。
もうここに用は無い。
「待て!!」
牛鬼が叫ぶ。
「お嬢ちゃん、名前は?」
阿修羅でさえも逃げ出しそうな形相で牛鬼が睨む。
帰り道に気をつけろとでも言いたいのだろう。
阿呆が。
「地霊殿電気管理部部長、河城みとり」
今度こそ牛鬼から血の気が引いた。
地底において地霊殿の名は絶対。
警察署にして発電所にして役所にして裁判所。
全てを司る旧都の基盤。
目を付けられたが最後、関係者一同仲良く灼熱地獄に沈められるのだ。
「あ、そうそう燐から伝言『売り上げ誤魔化してんじゃねーよ、ばれないと思ったのか、次脱税したら潰すぞ』だって」
「うぐ……」
ご丁寧に声色まで使って死刑宣告をしてやった。
ざまあみろ。
崩れ落ちる牛鬼を尻目に、賭博場を後にした。
勇儀に駄賃として1束くれてやる。
どうも最近金が入用らしい。
「いいのか? こんなに」
「ばれなきゃ平気さ」
許可取ってるに決まってんだろ。
◆
「でも1500はやりすぎ」
「てへ」
ここは地霊殿の燐の仕事部屋。
大き目の事務机に資料が所狭しと並んだラック。
そして山積みの報告書。
実はこの部屋、さとりの仕事部屋より広かったりする。
以前はさとりが使っていた部屋なのだが、燐の仕事が増えるにつれて部屋が手狭になり、さとりは追い出された。
当然さとりは文句を言ったが、『じゃああたいより仕事するんですね?』という燐の一言に反論できなかったらしく、すごすごと部屋を出て行くこととなった。
今はどこで仕事してるのかよく知らない。
仕事してるのかどうかもよく知らない。
そのさとりから奪い取った密室で2人きり、ソファで燐に膝枕をしてもらっていた。
ちょっと頭を動かせば、布越しに燐の太ももの感触を味わえる。
「勇儀に払ったのは100なんだね?」
「そうですよ」
燐はいつも忙しい。
警視総監にして発電所長にして町長にして裁判長。
地底の中心人物。
地霊殿とはこの方のことだ。
さとり仕事しろ。
多忙の身である燐は、その手に余る仕事を『おつかい』と称して私やヤマメに振ることがある。
非才の身で燐の負担を減らす一助になれるのは望むところなのだが、通常業務とは別口だったりするので結構大変だ。
で、今回のおつかいは地霊殿相手に上等かましやがった阿呆共に釘を刺すことだった。
脅かすだけでいいと言われていたが、燐の仕事を増やすような奴にかける情けはない。
死ぬがよい。
燐にそう報告したのだが、ひとしきりお褒めの言葉を賜った後、やりすぎだと言われてしまった。
「ま、いいか、たね銭だけ返してくれる? 後はお小遣いにしていいよ」
「え? いいんですか?」
50万しか借りてないよ?
「ぱーっと使って経済まわしておくれ」
そう言って燐は私の髪を撫でてくれる。
豪儀なお方だった。
「それはそうとみとりさ」
「はい?」
さて燐へのプレゼントは何を買おうかと思案していると、燐の手が止まる。
「続けてで悪いんだけど、もう1つ頼みたいことがあるんだ」
「引き受けました」
言いながら起き上がり、居住まいを正した。
◆
「これは?」
「守矢の連中が無茶振りしてきやがったのさ」
手渡された資料を受け取る。
「電波塔だってさ」
「テレビでも始めるんですか?」
「ラジオだって」
ラジオか、言われてみれば確かにそれに必要な設備や道具が羅列されている。
「はー、知識としては知ってますが、ついに幻想郷でも『公共の電波』なんて概念ができる日が来ましたか」
「絶対癒着するね、天狗とか」
「100%しますね、たぶんそれ前提で話しが進んでますよ」
烏天狗のご都合主義っぷりは見ていて惚れ惚れするほどだ。
まったく、吐き気がする。
「でもまあ、それはいいんだ、地上で何しようが関係ないね」
「はい」
「問題はこのラジオを地底にも流すつもりだってことなんだよ」
あー、と声が出た。
そういうことか。
「成る程、あること無いこと吹き込まれちゃたまりませんよね」
「それはいいんだよ、みんなそんな素直じゃないし」
「地上のいいとこばかりアピールして人材が流出しちまいます」
「それはないよ、地上に未練あるやつなんて一握りさ」
「……建設費用も馬鹿になりません」
「それは平気、向こうのゴリ押しなんだから全額向こうに出させる」
「……」
「……」
「何が問題なんですか」
「この電波塔、どうやって作る?」
どうやってって、さすがの河童でも送信施設の詳細設計なんてぱっと出ては来ない。
「高さは50メートルくらいは要りますね、技術的にはどうでしょう、発電所の時みたいに地上でパーツを作って搬入ですか?」
「そこだよみとり」
どこよ。
「地熱発電作ったときは一番長いシャフトでも数メートルだった、だからこそ地底まで搬送が可能だったんだ」
「……そうか」
電波塔の巨大なアンテナ。
これは地底で作るしかない。
そして地底にそんなものを製造できる工場なんて存在しない。
ならばそれごと作るしかない。
しかも資料を見る限り、期限が切られていてのんびり作っている暇はない。
となると。
「地上の連中をこっちに滞在させることになる」
「当たり」
それも長期にわたって。
「発電所のときは基本的にこっちの人材で全部まかなえましたが、今回はあんな小型発電所とは規模が違う、材料も輸入しなきゃなりません」
「神様が適当な名目つけて『視察』に来るね」
「それは、大丈夫なんですか?」
「大丈夫な訳ないさ、あたいがいくつの不祥事抱えてると思ってるんだよ」
「……」
「詰まるところラジオなんてただの大義名分さ、本命はこっち、地霊殿のスキャンダルばら撒いてあたいを潰したい」
「……下種が」
そうまでして、自分の領土を増やしたいか。
「やめなよみとり、連中だってつまんない物欲で動いてる訳じゃないさ」
「じゃあ……」
「神様だからね、潔癖症なのさ」
潔癖症?
「ここみたいな汚れの塊は、掃除しないと気がすまないのさ」
「そんなのって」
「うーん、ヤマメだったらもっとうまく説明できるんだろうけど」
燐は腕を組んでうなってしまう。
「とにかく電波塔建設を阻止したいのは分かりました、具体的には何をすれば?」
「壊してきて欲しい」
燐は当たり前のように言う。
「電波塔はまず地上に1機作られる、それを機能不全にして欲しいんだ、絶対にばれないように」
「……燐、それは」
「これはよっぽど機械に詳しい奴じゃなきゃできないことさ、爆破でも損壊でもなく、システムの不備を突いて原因不明の故障を永続的に引き起こして欲しい」
「壊せと?」
「そうだよ」
河童に、科学のともがらに。
「機械を、壊せと?」
「できるでしょ?」
「そんな、そんなの……」
「だからお前は地底にいるんだろう?」
「……ッ」
思わず息を呑んだ。
なんで、知ってるんだよ。
「ああ、ゴメンゴメン、言い過ぎたよ」
「……いえ、分かりました」
「頼んだよ、他の会議室の修理は後回しでいいからね」
「了解」
机に散らばった資料をまとめると、私は応接間を後にした。
地霊殿から外に出ると、相変わらずにぬるい風が頬を撫でる。
でも心なしか、今日の風はいつもより少し冷たい気がした。
◆
地霊殿のすぐそばにある寮に戻り、もらった資料を熟読する。
基本設計やら何やらはすでに決まっているらしい。
135kHz帯、チャンネルは12CH、受信機のインターフェース、地底までの有線ケーブル種類。
そして肝心の広域電波送信所、電波塔の予想図。
高さはおよそ60メートル。
基礎を含めれば100メートルオーバーを予定。
中身のシステムは開発中。
地上の1号塔の運用から1ヵ月後、地下の2号塔の建設が始まる。
機能はほぼ同等、ただし2号塔は高さ35メートルほどを予定。
などなど。
「……」
机の上に資料を投げ放ち、ベッドに飛び込む。
使い古したベッドはギシギシと軋み、私の身体を受け止めてくれた。
素晴らしい、と思った。
幻想郷に新たな施設が、夢の技術が、垂涎モノの機械が建てられる。
泣いて喜んで山の女神にキスしたい気分だ。
なのに燐は、それを壊せという。
自分が、助かりたいがために。
「なに言ってんだ私は」
燐がいなくなったら地底は終わりだろ。
地霊殿は実質燐1人で回ってるようなもんだ。
いなくなるようなことがあれば、機能不全なんてもんじゃない、もはや再起不能だ。
さとりじゃどうにもできない。
神様は潔癖症らしいし、私らは掃除されてしまうだろう。
でも、その気持ちはわからないでもない。
こんなところに好んで住み着いてる奴なんて、1人残らずクズばかりだ。
燐は、比較的上等なだけ。
私は、ちょっとはマシなだけ。
ついでにヤマメも、燐の価値が分かるから、マシなクズ。
私らがみんないなくなったら、きっと世界は少しだけ良くなるだろう。
まともな妖怪にとって、住みやすい世界になるだろう。
「……」
だからどうした。
こちとら嫌われ者の忌み子じゃ。
河童と人間のハーフじゃ。
いいだろう燐、我らが大将よ。
あなたがそれを望むなら、何だって禁止してご覧に入れよう。
なんて覚悟を決めたところで、地底でできることなんてほとんど無い。
地上に行き、電波塔についての資料を集めなければ。
一応私もエンジニアだし、発電所をほぼ独力で作り上げた実績もある。
地底の電波塔建設に関わること自体は自然だ。
それを盾に地上の設計を先行して見せてもらうことにしよう。
速やかな施設建設のためと言えば、通らない話じゃないはずだ。
地上に行くにはさとりのハンコがいるが、燐のおつかいといえば問題はない。
というか燐がハンコ持ってるかもしれない。
今日は資料の読解に専念して、明日、また地霊殿に向かおう。
◆
外出許可はあっという間に下りた。
というか燐がすでに用意していた。
そしてやっぱり燐がハンコ持っていた。
さてと、地上へ向かう準備をしなくてはならない。
着替えなり何なり。
住居はそうだな、しばらくは妹のところへ世話になろうか。
寮にトンボ帰りし、さっそく荷造りを始める。
当面の食料と着替え、昨日もらった資料、ヤマメに借りたまま返していない寝袋。
そして愛銃のウィンチェスターM1897、地上には危険がいっぱいだから、か弱い私にはコレくらいの装備が必要だ。
「……ヤマメか」
寝袋を見て思い出した。
そういえば最近会ってないな。
地上に行く前に、1度会いたい。
そういえばあいつも、今何かおつかいを頼まれているらしい。
邪魔はしたくないけれど、ちょっと会うくらい平気だろう。
私は荷造りを済ませると、ヤマメのアパートへと向かった。
と思っていたら行く途中で見つけてしまった。
あいつが贔屓にしている喫茶店で午後の素敵なティータイムと洒落込んでやがる。
なんかムカつくな。
「よお、ヤマメ」
読書中のヤマメに話しかけると、ヤマメも本から顔を上げた。
「やあ、みとり」
相席いいかい? と尋ねたら、やなこった、と返された。
遠慮なく座らせてもらう。
「調子はどうよ」
私は言う。
「ぼちぼちでんな」
ヤマメは返す。
そういえばヤマメが地底に来たのはいつからだったか。
いや、私よりは先にいたはずだけども。
何かをしたって話は聞かない。
大方病原菌ばら撒いたとかそんなことだろうけど。
「なあ」
話を聞いてもらいたかった。
ヤマメならきっと、やさしく諭してくれるだろう。
背中を押してくれるだろう。
そんな風に期待して。
「お前も、今おつかい頼まれてんだろ」
「うん、手こずってるよ」
「燐も人使い荒いよな」
そこまでで、思いとどまった。
阿呆か私は。
「コーヒーお待ちのお客様ー」
「あ、はーい」
いいタイミングで頼んでいたコーヒーが来る。
外の世界のそのまた外国からの輸入品。
この豆も遠いところから来たもんだ。
窓から見える景色を眺めながら、コーヒーを啜る。
暖かい。
その暖かさだけで、十分な気がした。
「ヤマメ」
「うん?」
「私ちょっと地上行ってくるからさ、お土産何がいい?」
「……本か、お茶葉」
「わかった」
カップに残っていた分を飲み干し、席を立つ。
ついでに伝票も持っていく。
今の私は懐も暖かいのだ。
会えてよかった。
◆
手続きは滞りなく進み、私はその週のうちに地上へと向かう運びとなった。
住居に河童用の寮を貸してくれるらしい。
荷解きを終え、ざっと部屋を見渡す。
地底のアパートより狭っ苦しいが、日差しが入るのがありがたい。
ここに1週間ほど世話になるのだ。
周辺の地理も頭に入れておいたほうがいいだろう。
地底に落ちる前は、山に住んでいたこともあった。
まあ、赤河童の私は腫れ物のように扱われていたが。
それでもこうして山道を歩いていると、地底より気分が良くなるあたり私も河童なんだなぁと思う。
生い茂った木々の間を涼しい風が通り抜け、遠くのほうでは澄んだ水の音が聞こえる。
時折聞こえる小鳥のさえずりに、数年ぶりの直射日光。
帰ってきた。
そんな風に思ってはいけない。
私はもう地底の住人なのだ。
それでも体が反応してしまう。
色彩に、音に、匂いに。
青空と葉っぱのざわめきと土の感触に。
やばい、泣きそうだ。
「あ、いたー!」
「……ん?」
聞き覚えのある声に振り返れば、かわいい妹がリュック片手に立っていた。
「よおにとり、元気してたか」
「うんっ、バレンタインぶりだね」
「あれは忘れろ」
「こっち来るって聞いてびっくりしたよ、いつまでいられるの?」
「あー、1週間だな、途中で1度帰るけど」
「そっかー、1年くらいいればいいのに」
しゅんとなるにとりの頭をくしゃくしゃと撫でる。
「にゃー、なにすんだよー」
「愛いやつめ」
私は今回『技術指導員』という名目でここに来ている。
聞けばにとりは私の案内人として立候補したらしい。
なんてかいがいしい奴だ、天使なんじゃなかろうか。
「ではワトソン君」
「何でありますかホームズ殿」
「早速だがここらを案内してくれたまえ、久しぶりすぎて覚えてないのだ」
「了解であります」
ビッと下手くそな敬礼をしてにとりが私の手をとる。
このノリのよさが河童の河童たるゆえん、なのだろうか?
今日は移動日として数えられているため、本格的な工場見学は明日からとなる。
にとりに連れられ山をぐるりと1周すると、そうそうあったあったといくらか見覚えのあるものも見えてくる。
竜神の滝とかマジで懐かしい。
「お姉ちゃん」
「ん?」
「なんでもない」
「なんだよそれ」
「えへへ」
近くの岩場に並んで腰掛け、しばらく滝を眺めることにした。
どこまでも澄み切った水が、絶え間なく流れていく。
その音にかき消されないように、妹と2人、語り合った。
変わらず元気でいること。
最近来た外来人のこと。
地底での生活。
山での生活。
私が話すたびににとりは本当にうれしそうな顔をする。
その顔がもっと見たくって、言わなくていいことまでぺらぺらとしゃべってしまった。
友人のヤマメが石に躓いて顔面が側溝にはまった時の話を細かいディテールまで詳細に説明していると、ゾワリ、と洒落にならないほど強大な気配を感じ取った。
「誰だ!!」
「ひゅい!?」
慌てて飛び上がりショットガンを取り出す。
一瞬で安全装置をはずし、銃弾を装填する。
威嚇射撃。
ガオォン!
と大げさな音を立てて大気が揺れる。
「3秒以内に出て来い、さもなくばこいつを残弾の限りばら撒く」
「ダ、ダメだよお姉ちゃん!」
にとりが腕にしがみつく。
危ないから離れててくれ。
「ご挨拶な奴め、礼儀を知らんな」
「ああ?」
なんとも偉そうなことを言いながら現れたのは長身の女。
どことなくヘビを連想させる冷たい瞳に、自信に満ちた佇まい。
こいつは、燐にもらった資料にあった。
「八坂神奈子か」
「いかにも、我が守矢の神だ、しかし何だ、遠路はるばるご苦労なことだ」
「そりゃどうも」
「本来ならば我のところに挨拶に来るのが筋なのだが、まあいい、地底の連中に儀の踏まえ方など期待するほうが間違っていたな、あの猫といい」
最後の一言にカチンと来た。
「細かいこと気にしてっと余計にふけるぞおばさん」
「ちょ、ちょっとお姉ちゃん」
にとりが慌てて間に入ろうとする。
こいつから見たら意味の分からない光景だろう。
実の姉が神様に銃口を突きつけているのだから。
「ふっはっはっは、おばさんと来たか」
「ああー、すいませんすいません」
呵呵大笑。
そんな言葉が似合うように、神奈子が笑う。
そしておろおろとにとりが慌てふためく、なんでお前が謝ってるんだよ。
「こちとら日本神話の住人よ、おばさんなんか通り越してとっくにババアさね」
にとりを無視して神奈子は言う。
しかし全身からみなぎる自信とエネルギーが、自らの言葉をかすれさせていた。
「老人はとさっさと引退しろ、椅子を空けてくれないと若いもんが育たないぜ」
「なに、我はこの郷では新入り、我のために席を空けてくれるというか、見上げた心構えだ」
ああ言えばこう言う。
「耳が遠いのか? 若者と言ったんだ」
「空いた席に座るのは我ではない、我が巫女だ」
「なに?」
「花も恥らう十代の乙女ぞ、文句なしで若者であろう」
「じゅ、十代?」
何だそれは、赤ん坊じゃないか。
いや、巫女って事は。
「人間か」
「いかにも、所謂ひとつのナウなヤングだ」
「なんだって?」
「いかんせん引っ込み思案でな、山に居場所がないと嘆いておったのだ、我が巫女に席を与えてくれるとはありがたい、とっとと退け」
「ちっ」
もう何を言っても無駄だろう。
というか言えば言っただけ倍になって返ってくるところしか思いつかない。
これが、こいつが、燐の敵、地底の敵。
あの大天狗をも退け山に君臨した、外来の軍神。
「なんだ、帰るのか」
「荷解きが済んでないんだよ」
「そうか、工場見学は明日からだったな」
「そうだ」
「まあ適当にやるが良い、どうせ何も創れはせんのだ」
「うるせーよ」
「勘違いするな、河城みとり」
ドクン、と心臓が高鳴った。
なんだ? 名前を呼ばれただけだぞ?
「お主のことは評価しておる、地下の地熱発電所、あれを最初から最後までほぼ独力で仕上げた実力、そこいらの河童とは一線を画すと思っておる」
「ああ?」
「聞けば髪の赤い河童は半妖だと言うじゃないか、お主も言われ無き冷遇を受けてきた口ではないのかね」
「……」
余計なお世話だ、クソ野郎。
「そう睨むな、我が来たからにはもう安心だ」
「なにがだ」
「山はこれから変わる、力ある者には喝采を、下らぬ差別など神の名において許さぬ」
「……」
そう言って神奈子はさっきまで私が座っていた岩に座る。
なんだろう、一挙一動に無駄が無く『きまっている』ように見える。
「みとりよ、山に戻って来い、河童にも天狗にも文句は言わせん」
「……おいおい」
「山は変わりつつある」
神奈子は続ける。
「規則が、ではない、空気が、風潮が、変わりつつあるのだ」
「……」
「大天狗もじきに職を辞す腹積もりだ、これはオフレコだぞ? 今でなくてはならんのだ、今ならお主は認められよう、忌憚無き友人もいくらでもできよう、何なら我が巫女を紹介しよう、心配するな、常識に囚われんやつだ」
「悪いけど、連中は裏切れないよ」
「見上げた根性だ、だが」
「あんたは何とでも言うだろう、だけど腹の中は一緒だ、地底を潰す手がかりが欲しいだけだろう」
ええ? っとにとりが声を上げる。
末端の作業員は知る由も無い、こいつはただの潔癖症だ。
「はっはっはっはっは、地底を潰す? そんな風に思っておったのか、成る程、どおりであの猫も喧嘩腰な訳だ」
「事実だろうが」
「たわけ、そんなことして何になる」
「気に入らないだけだろ、私らが生きていることそのものが」
「……若いの」
べしべしと神奈子が自分の隣の辺りを叩く。
座れと言うのだろう。
上等だ。
「みとりよ、確かに我は『綺麗好き』ではあるが、なにも地底全てを洗い流そうなどとは思っておらん」
「どうだかな」
ふと横を見ると、にとりも私の反対隣に座っていた。
別にいいのに。
「根拠はあるぞ、まず第1にメリットが無い、我の目的は信仰の拡大だ、地底で布教活動はするかもしれんが、住人皆殺しなどありえん、山での信仰が薄れるだけだ」
「それは、そうかもしれないけど」
「そうだろう? 現にお主らのように地底に家族や友人がおるものも少なくない、そやつらから反感を買ってまですることじゃない」
どうなんだろう、そうなのか?
「第2に人材が惜しい、さっきも言ったように我は力あるものを賞賛する、お主のように不当な理由で追いやられた者達が日の目を見ないでいるのは目覚めが悪い」
「……」
「第3に、と言うか最大の理由になるが、閻魔が怖い」
「閻魔?」
「聞いたことはないか? 地霊殿とは旧地獄の管理人、その運営は是非曲直庁、閻魔様の管轄よ、我のような八百万の1柱風情がどうこう出来る存在ではないのだよ」
「そうなのか?」
「自覚はないかもしれんが、あの組織はお主が思っとるよりずっと偉い存在なんだよ」
言われてみれば、考えたこともなかった。
帰ったら燐に聞いてみようか。
「むしろな」
神奈子は続ける。
優しげな顔で、愛おしいものでも見るかのように。
「積極的に地下との交流を増やしたいと思っておる」
「え?」
「1度堕ちたら戻れないなどと言うたわけた規則を取り払い、もっと気軽に行き来できるようにしたい」
「……」
「現に今でも山の妖怪が遊びに行ったりしてるだろう?」
「あ、ああ」
「こっちは行ったり来たりできるのに、そっちだけ戻れないなんておかしいとは思わんか、そんな悪習は百害あって一利なし、だが頭の固い天狗どもは今更そんなところを変えようとはせん」
「……」
「だから、我が変えねばならん、みとりよ」
「う、うん?」
「地上に出るのはいつ以来かな?」
「あー、何年かぶりかな」
「ここの空気はどうだ、うまかろう」
「……うん」
「これを、お主の友人たちにも吸わしてやりたいとは思わんかね」
「……」
それだけ言うと神奈子は立ち上がり、こちらに背を向ける。
でも私はまだ、神奈子の話が聞きたかった。
「あ、おい」
「今日はここまでじゃ、荷解きがあるのだろう?」
「……あ、うん」
「焦っても詮無き事、お主はお主にできることをせい、継続は力なり、それは必ず実を結ぶ」
じゃあの、とヒラヒラと手を振って神奈子は来た道を帰っていった。
私の心臓はバクンバクンと高鳴りっぱなしだ。
地底は潰されない?
それどころか地底と地上の垣根が無くなる?
思わず妹の顔を見る。
もし本当だったら、これ以上のことはない。
もしかして私は、とんでもない思い違いしていたのではなかろうか。
燐も、大げさに考えすぎていただけなんじゃなかろうか。
にとりに連れられ寮に帰るまでの間、私はそればかりを考えていた。
◆
翌日、工場のお偉方に挨拶を済ませると、早速工場へと向かった。
ありったけの予習をしてきた甲斐もあり、話にもちゃんと付いていける。
これで置いてけぼり食らったら目も当てられない。
設計チームとのミーティングも終わり、一息つく。
やはりここでも私は腫れ物扱いだ、まあ、ハーフがどうとかより立場の問題もあるので致し方ない。
とりあえず今回の建設に関して、関係者全員本気だということがわかった。
いや、当たり前と言えば当たり前の話だが、いまいち現実味が無いのだ。
幻想郷の近代化、地底はもとより、地上にだっていいことばかりではないはずだろうに。
本当にいいのか?
間違いはないのか?
外の技術は便利だけれど、失ってはいけないものを失いそうで。
それが少し、怖かった。
この道はきっと、引き返せない。
「お姉ちゃん」
工場の近くにある食堂で遅めの昼食をとっていると、にとりがトレーを持ってやってきた。
と言っても、もう食べ終わったトレーだったが。
「よお」
「もー、いるならいるって言ってよー」
ぷりぷりと怒りながらにとりは言う。
怒った顔も愛らしい。
天使なんじゃなかろうか。
「ゴメンゴメン、考え事しながらご飯食べてて」
「ふーんだ」
「なんだよー、ゼリーあげるから」
「うむ」
ランチメニューについてきた小さいゼリーを押しやると、にとりの機嫌も幾ばくか直ったようだった。
「ねえ、お姉ちゃん」
「んー?」
「お姉ちゃんて設計チームなんだよね」
「そうだよー、にとりは?」
「私はドライバー回す方」
「へー」
「なんかすごい噂されてたよ?」
「そりゃま、そうだろーな」
赤河童がでしゃばるもんだから、向こうもさぞやりにくかっただろう。
「んーん、そうじゃなくって」
「うん?」
「凄腕のチェックマンが来たって」
「チェックマン?」
「設計図修正する人」
「ふーん」
「え? だってぱっと見ただけの図面をすごい勢いで直しだしたって……」
「ああ、あれまだ第1稿とかだろうし」
「そんなの技術指導員に見せる訳ないよ」
「えー? だって雷対策はおろか電圧も合ってなかったぞ?」
あいつら周波数にしか目が行ってねえ。
「はぁ、やっぱりお姉ちゃんはすごいなぁ」
「……んなことないよ」
私が優れてるんじゃない。
ただちょっと、失敗できないだけさ。
本来ならば今日のところは各部署への挨拶だけで済ませる予定だったのだが、急遽変更となった。
「だからお前、対数計算くらい暗算でやれって」
「す、すいません」
設計チームからの呼び出しである。
午前中にチェックしたところを見て欲しいと言う。
たしかに指摘したところ『だけ』は直っていた。
「……(ビキッ)」
とりあえずお前ら、今ある図面全部持って来い。
◆
2日目の朝を工場で迎えた。
初日からこれだ。
「この図面を引いたのは誰だぁ!!」
「私でありますサー!」
「弾性を計算に入れたか!」
「サー!ノー!サー!」
「この鉄塔はそよ風で折れるぞ!」
「サー!イエス!サー!」
「貴様は減給だ! うれしいかこの野郎!」
「はい!ありがとうございます!姐さん!」
私にひっぱたかれた名も知らぬ河童がダッシュで席に戻っていく。
もちろん私に人事権など無いのだが、やはりこのノリのよさが河童なのだ。
あと姐さんはやめろ。
こんな感じで昨日の午後からぶっ続けで図面のチェックをしている。
いい按配にみんなテンションがおかしい。
疲労が限界を越え、脳内麻薬が洪水のごとく噴出する。
ナチュラルハイという奴だ。
こうなればもう無敵だ。
いくらでも活動できる。
しかしナチュラルハイの代償は朝の8時くらいにやってきた。
1人また1人と机に突っ伏す輩が現れ、気がつくと私以外のチームメイトがそこかしこに転がっていた。
エネルギーが切れたのだ。
そして私も目も前の図面をチェックし終えると、近くのソファで横になった。
「ああ、気持ちいい」
もはや当初の予定なんて頭から吹っ飛んでいた。
「ねえお姉ちゃん」
「むむい」
サンドイッチを頬張りながら、適当に返事をする。
視線はテーブルの上の図面に向かったままだ。
「休憩は必要だよ?」
会話の間も右手に持ったペンは止まらない。
現在私は食堂の一角を占有して、今回の建設の肝となる電波の発生装置の設計に取り掛かっていた。
「そんな根性じゃ地底ではやっていけない」
「どんだけだよ」
まっきゅまっきゅとサンドイッチを押し込みながら、1枚書き上げた。
さて、工場に戻るか。
「じゃ、後でなにとり」
「……むー」
私の天使はむくれっツラだったが、そんなことより目の前の科学なのだ。
足取りは軽い。
今日も夜中まで図面とにらめっこしていた。
人の図面にダメだししつつ、自分の分担も終わらせる。
放送装置も鉄塔もだいぶマシな設計になったと思う。
それでも怖い。
どこかに抜けが無いか不安になってしまうのはエンジニアの性。
これ1度ミニチュアで試作したほうがいいんじゃなかろうかと頭をひねっていると、ガチャリと設計室の扉が開いた。
「皆様、お疲れ様です」
聞き覚えのない声に振り向くと、場にそぐわない格好をした女性が、凛とした姿で立っている。
その女は手に持っていたバスケットを近くの机に置くと、深々と一礼した。
「どなた?」
思わず口走る。
「申し遅れました、私は十六夜咲夜と申します」
女性は澄んだ声で自己紹介をする。
「紅魔館でメイド……上女中をさせて頂いている者です、本日は我が主レミリアの命により、皆様方への差し入れに参りました」
コウマカンってなんぞや。
「シュークリームと言う西洋の菓子でございます、糖分の補えるものをと思い僭越ながらご用意させていただきました」
咲夜とやらはバスケットの蓋を開けると中身をこちらに見えるようにした。
中には黄金色の菓子と思しき物がごろごろと入っていた。
「甘いもんか、ありがたい」
「差し出がましい事とは存じますが、よろしければご賞味ください」
籠はまた後で取りに来ると言い残すと、咲夜は音もなく消え去った。
本当に気配も何もなくいきなり掻き消えた。
何もんだあの女。
何はともあれせっかくの厚意だ、ありがたく受け取ることにしよう。
「なーんて事があったんだけども」
「へー、いいなー」
シュークリームを食べて一息ついた瞬間たまっていた疲労がどっと押し寄せ、今日はみんなで早めにあがることにした。
なんて危険な食べ物だ。
それはともかくにとりの部屋。
入れてもらったお茶を手に、姉妹水入らずといったところだ。
まあ部屋中に機械のパーツやら何やらが転がっていることについては触れないでおこう。
私も人のこと言えない。
「そうだにとり、コウマカンって知ってるか?」
「知ってるよー」
お茶をすすりながらにとりが言う。
なんだ、有名なのか。
「友達の友達が住んでるんだよ」
「ふーん」
「あと部品の輸入とかもやってる」
「そうなんだ」
「それと10年ちょっと前かな、八雲様と戦争やらかした」
「ブッ」
お茶吹いた。
なんじゃそりゃ。
「マジで?」
「マジマジだよ、詳しくは知んないけど、避難してたし」
「信じらんないことすんな」
「吸血鬼っていうヨーロッパの妖怪なんだって」
「いやいやなんでそんなのが山に出入りしてんだよ」
「知らないよー」
にとりはプイっと横を向いてしまう。
こういう話嫌いなのか。
機械関係以外への興味が薄い。
そんなんだから天狗どもに便利な道具としてしか扱われないんだ。
いやむしろ嬉々として政治に首突っ込む河童なんて私くらいなもん……
「あーーーー!!」
「ひゅい!?」
思い出した。
完全に忘れてた。
燐におつかいを頼まれていたことを。
そしてその内容を。
「おいおいおいおいおい人のこと言えねーよ阿呆か私は」
「お、お姉ちゃん?」
オーマイガーと叫ぶ私を見て、ただただ狼狽する妹。
ホントお前は天使みたいだよな。
しかしながら現実逃避をしている暇はない。
明後日の中間報告までにそれなりの結果を出さねば。
◆
3日目。
私は早朝から工場へと赴き、自ら設計したシステムの穴を探す。
図面に載ってなくてもいい、載っていないほうが好ましい。
試験しても分からない。
何度やっても失敗する。
そんな致命傷を与え得るアキレス腱を。
「うぐっ」
想像してちょっと気分が悪くなる。
機械を壊す、と言う行為は河童にとって絶対の禁忌。
かつて1度だけ犯したその罪を、もう一度繰り返すことになろうとは。
畜生、燐め、終わったら殴らせろ。
「あれ? 姐さん早っすね」
「まあね」
ぽつぽつと他の河童が出勤してくる。
昨日同様に他の連中の図面をチェックしながら、並列して作業に当たる。
チェックをぬるくすればそれで済むかもしれないと一瞬思ったが、他の河童だって馬鹿じゃない。
いずれ誰かに修正される。
それではダメなのだ。
「なんか疲れてません?」
顔に苦痛の色が出ていたのだろう。
心配ない、とだけ答えて図面に集中する。
いや、その前に聞くべき事があった。
「なあ、昨日お菓子もって来てくれた人いるじゃん」
「ああ、紅魔館の」
「紅魔館ってラジオの関係者なのか?」
「あー、よく知んねえっすけど、スポンサーらしいっすよ」
「ふーんそうなんだ、ありがとね」
燐は知っているのだろうか。
まあいい、それだけ分かれば十分だ。
大規模な装置なのだ。
本腰を入れて作業に取り組めば、綻びの1つや2つ見えてくる。
それが自分が携わっている物なら尚更だ。
設計図が完璧でも、実物を製作する過程でミスがあれば装置は止まる。
どれだけ試験を行っても、パスした後に線を1本傷つければ事足りる。
最小の仕掛けで最大の被害を。
そんな方法を、見つけてしまった。
今日の仕事を終え、設計室を後にする。
足取りは重い。
帰宅の途中、工場内の工房に寄ってみると、遅い時間だと言うのに明かりがついていた。
ひょいと窓から中を覗いてみると、何人かの河童が机に向かってハンダ付けをしていた。
その中ににとりもいた。
真剣な表情で机に向かっている。
綺麗だと思った。
にとりだけじゃない、何かに真剣に打ち込む姿は例外なく美しい。
みな本気なのだ。
「……」
私はそっとドアを開けた。
誰もこちらに振り返らない。
視線はただただ目の前の基盤に注がれている。
「変圧装置の制御基盤か」
「ふえ?」
話しかけられて始めて気がついたのか、にとりが素っ頓狂な声をあげた。
それに釣られてか、他の河童も顔を上げる。
「ダイオードの付け方反対だぞ」
「え? あっ」
にとりは慌てて図面と実物を見比べると、恥ずかしそうに部品を外した。
「ふぅ、お姉ちゃんよく分かったね」
「私が設計したからな」
「あ、そうなんだ」
さすが敏腕チェックマン、などと照れ隠しをするにとりの頭をクシャリと撫でる。
「えへへ」
「……まだやってくのか」
「うん、まだまだやることいっぱいあるし」
「そうか」
「お姉ちゃん帰り?」
「ああ、お先に」
「うん、お疲れ様」
あまり邪魔しても悪いので、それだけで帰ることにする。
工房から出た後に再び中を覗くと、来たときと同じようにみな机に向かって作業をしていた。
全員が一丸となって巨大なシステムを作っている。
それは、地底では味わえない喜びだった。
気がつけば私は壁にすがり付いていた。
地面にひざをつき、頭を壁にこすり付ける。
私はこれから彼らの努力を無にしなければならないのだ。
「……ゴメン、ゴメンよ」
込み上げる嗚咽を抑えきれない。
でも気にすることはなかった。
どうせ気付かれやしないのだから。
◆
翌日、私は工場へは行かず地底へと戻った。
この3日間の中間報告のためだ。
関係者には話してあるので問題はない。
軽く荷物をまとめ、寮を後にする。
荷物と言っても報告書くらいなものだけど。
しばらく地底への洞窟を進むと、見慣れた景色が見えてくる。
相変わらず中途半端にぬるい風。
帰ってきた、と思っていいのだろう。
私は迷わず地霊殿へと向かうと、燐の姿を探す。
今日来ることは知っている筈だから、自分の仕事部屋にいるだろう。
「どうぞ」
部屋をノックすると燐の声が聞こえた。
たったの3日ぶりだと言うのに、ずいぶん久しぶりに感じてしまう。
耳に残る、心地いい声だ。
「お待たせいたしました、燐」
「お、待ってたよみとり、座って座って」
「はい」
促されるままにソファに腰掛け、報告書を渡す。
そしてこの3日間のことを燐に説明した。
神奈子に会ったこと、電波塔製造の進行具合、自分の向こうでの立ち位置、そして。
「さすがみとり、見つけたんだね」
「はい」
電波塔のシステム不全を引き起こす決定的な隙。
「いくつかの変圧装置に細工をします」
「電圧変えるやつ?」
「そうです」
私が設計した変圧装置にはある仕掛けがしてある。
もちろん設計図上では正しく見えるし、普通に動く。
だが、抵抗器を1つ取り替えるだけで、挙動が激変する。
そもそも変圧装置とは内部のトランスや抵抗器の比を利用して最終的な出力電圧を決めている。
だが抵抗器にも種類がある。
単純なオームの抵抗値もそうだが、許容電力と言うものがある。
同じ抵抗値の抵抗器でも、大電流を流すためには大きめの抵抗器が必要になる。
これが小さいと、抵抗器は過熱し、抵抗値が激変する。
この特性を利用する。
変圧装置内の抵抗器を許容電力の小さいものと取り替える。
でも小さいだけではダメだ。
程よく小さいものを選ぶのだ。
電波塔で使用する電力は一定ではない。
平常時、スタンバイ時、通常放送時、それぞれ稼動する機器が違うし、それぞれが消費する電力も違う。
いくつかの条件を満たしたとき、消費電流が限界を超え、変圧装置が安定した電圧をかけられなくなり、機器が誤作動を起こす。
そんな抵抗器を用意する。
特定の機器が使えないのではなく、不具合にいくつものパターンが存在する。
さらに個別での機器の試験では正常に稼動し、原因の特定は困難。
おまけに抵抗器には抵抗値は書かれていても、許容電力の値なんて書いていないので現物を見ても分からない。
最悪ばれたとしても設計上問題はないのだ。
私が疑われることもない。
ほんのいくつかの抵抗器を付け替えるだけで、これは実現する。
「それは、ばれないの?」
「少なくともあそこの試験のレギュレーションでは発見できません」
「あたいじゃ言われてもわかんないよ」
「そうですか」
いかん、本格的に気分が悪くなってきた。
考えただけでこれなのだ、本当に実行できるのだろうか。
「うん、いいね、これでいこう」
「ありがとうございます」
気は重い。
なにか、違う話題はないだろうか。
「燐」
「うん?」
「さっきも言いましたが、山で神奈子に会いました」
「うん、聞いたよ」
「燐が言うような危険な人物には思えませんでしたが」
「うーん、何言われたの?」
私は慎重に言葉を選び、神奈子に言われたことを説明した。
「それで、みとりはどう思った?」
「……それもいいかな、と」
「そうかい」
燐は黙ってしまう。
まずかっただろうか。
でも、地底と地上の隔たりがなくなれば、みんな喜ぶんじゃないのだろうか。
「みとり、お前は誤解しているよ」
「誤解ですか?」
「誤解というか、見解違い」
「はあ」
「地底と地上が1つになる、聞こえはいい気がするよね」
「はい」
「でもねみとり、地底でそれを望んでるのはほんの一握りだけなんだよ」
「え?」
「いいかい? みとりは無理やりここに落とされたんだろうけど、旧都に住んでるほとんどの妖怪は自ら望んでここに来たんだ、人生に絶望して、競争に疲れて、地上のやり方に嫌気がさして」
「そうなんですか?」
私は、てっきり……
「だからねみとり、あたいらは地上と関わりなんて持ちたくないんだ、物資の援助とかあるからさ、向こうが行き来することに目を瞑っているんだよ」
燐は、あくまで優しい声色で言葉をつむぐ。
「地底の妖怪皆殺しはさすがにないよ、力ある者うんぬんもたぶん本当だ」
でもね、と燐は言葉を切る。
「あたいは殺される、100%間違いなく」
「で、でも閻魔は」
「みとり、忘れちゃいけない、地霊殿の主はさとりなんだよ、あたいはただの従業員さ」
「そんな……」
「従業員の不祥事を粛清したくらいじゃ何も言われやしないよ」
「……」
「だからゴメンよみとり、あたいはそれにはのれないよ、あくまで鎖国さね、みんなの平穏のために」
「……はい」
燐に見つめられる。
私は、ただただ自分が恥ずかしかった。
自分の都合だけで物を言って、簡単に心変わりさせられて。
大局の見えない阿呆なガキ。
それが今の私だった。
「ま、気にすんなよみとり、あたいはお前がうらやましいよ」
「ありがとうございます」
「あたいは、合わせる顔がねーもん」
燐は笑った。
『誰に』なのかを言わなかったが、そんなことはどうでもいい。
少しだけ、気が楽になった。
惚れ直しちゃったよ、燐。
「あ、そうだ燐、紅魔館って知ってますか?」
今思い出した。
これも聞いておかないと。
「うん? ああ、知ってるよ、紫に喧嘩売ったお馬鹿さんでしょ?」
「そうです」
「あん時は大変だったなー、あいつら強えーの何の」
「参加してたんですか!」
「紫に呼ばれちゃってね、あたいったら頼れるね」
知らなかった。
全然知らなかった。
「そいつらがどうかしたの? いじめられた?」
「ラジオのスポンサーらしいです」
「……は?」
燐の顔が青くなった。
「燐?」
「……マジで?」
燐が頭を抱えてしまう。
しばらくブツブツとなにかつぶやいていたかと思うと、私の持ってきた報告書を読み始める。
そして報告書をポイと放ると、顔を上げた。
「みとり」
「はい」
「やばいかもしれない」
燐が言うには、紅魔館は財政力で言うなら間違いなくぶっちぎりで幻想郷トップの組織らしい。
外の世界にいくつもの会社を持ち、そのノウハウをも手中にある。
管理者との協定により過度な資金の流入はできないものの、その規模は洒落で済むレベルではない。
おまけに幻想入りしたときも、外で忘れられて流れ着いたのではなく『魔法技術も用いて力ずくで大結界を突破した』らしい。
それはつまり、出入りが自由ということ。
その気になったら、外の技術者を連れて来る事ができるということ。
魔法で催眠術の1つでもかければ、処々の問題も解決できる。
「なあみとり、その細工は人間相手に通じると思う?」
「……」
答えに窮した。
無理だ。
無理にきまってる。
相手は物作りのプロだぞ。
紀元前からそればっかりやってる連中だぞ。
その技術だけで世界を席巻した怪物だぞ。
河童の浅知恵なんて、その日のうちに看破されるに決まってる。
「……まずいな」
「……申し訳ありません」
「何で謝るのさ、これはあたいのミスだよ、よく知らせてくれた」
それきり燐は黙り込んでしまう。
万策尽きたのだろうか。
でも、燐、1ついいかい?
「燐、実はもう1つプランがあります」
抵抗器よりも先に思いついていた、別の策。
私にしかできないプランBにしてウルトラC。
それを燐に説明した。
「……本気で言ってるの?」
「はい、本気です」
「失敗したらどうなるか分かってる?」
「燐が死にます」
「……できるの?」
「やります」
これは、修羅の道。
誰もやったことのない、やろうとすらしたことのない方法。
細い細い、蜘蛛の糸。
私と燐はしばらく見つめ合っていた。
そして燐は、口を開く。
「わかった、他に手はない、やってくれ」
「はい、必ずやりとげます」
「頼んだよみとり、もしそれが成功したら」
「……」
「ご褒美に、ちゅーしてあげよう」
「ありがとうございます」
燐は無理しておどけた様に言う。
でも、気合は入った。
後はただ、走り抜けるのみ。
◆
タイムリミットは1ヵ月後。
思っていたより短い。
地上の電波塔はまだ建設中というか設計中だが、予算やら何やらを決めるためにもっと前からさまざまなことが決定してしまうらしい。
その合同会議が1ヵ月後。
それまでに、全てを終わらせなければならない。
とにかく時間が惜しい。
地上の技術指導員としての立場を利用し、工場で保有していた電波塔に関わる文献を読み漁る。
紙のページに書き記された人間の技術。
血と汗と涙によって築かれた歴史の結晶。
アカシックレコードから掬い取ってきたとしか思えないほど見事な法則と原理。
その偉大なる山脈の前に、思わず跪きたくなった。
それを今、ほんの少しだけ拝借する。
工場での仕事を程ほどで切り上げ、チェックマンとしての業務を他の河童に頼む。
いつまでもいられる訳じゃない、と言ってコツだけ教えた。
きっと大丈夫だろう。
空いた時間を利用してひたすら勉強。
そして設計図を引く。
とある装置の設計図を。
作業を進めるうち、頭痛がしてきた。
吐き気の次はこれか。
とことん弱っちい体だった。
残りの滞在日数全てを使い設計図を完成させると、にとりに頼んで案内をしてもらう。
友達の友達が住むという、紅魔館へと。
幸いにも咲夜が私のことを覚えていてくれて、すんなり屋敷に入れてもらえた。
真っ赤な屋敷になぜか親近感を覚えたが、今はどうでもいい。
通された部屋で私は電波塔建設とは無関係な個人での輸入を依頼した。
「ええ、かまわないわ」
「ありがとうございます」
にとりの友達の友達らしい魔法使いのお姉さんが対応をしてくれた。
物腰の丁寧な方だ。
「でも、これ結構高いわよ」
注文のリストを見ながらお姉さんは言う。
そうだろう、一介の妖怪が払える金額ではないはずだ。
だが問題ない、今私の懐は暖かいのだ。
私はリュックをひっくり返した。
「お金ならあります」
どさどさどさ、とテーブルの上に札束が踊る。
全部で1350万円分。
「うえ!? お姉ちゃんこれどうしたの?」
「私は高給取りなんだよ」
博打で勝った金だけどな。
「……こんなにはいらないわ、でもわかったわ、手配するから配送先を教えて頂戴」
「にとりの寮でいいかな」
「あ、うん」
さすがに地霊殿は無理だろうし。
「あなたの家じゃないの?」
「ウチちょっと狭くって」
「そう」
て言うか、うかつに地霊殿の名前は出さないほうがいいだろう。
「1ヶ月ほど待ってて頂戴」
「2週間で欲しい」
「……あのね」
「これは、あなたに」
50万の札束をお姉さんに差し出す。
チップにしては法外だが、なりふり構っていられない。
「何とかしましょう」
お姉さんはそう言うと、チップをさっと懐にしまった。
話が分かる人でよかった。
そしてなぜかにとりは目をそらしていた。
寮に戻り、荷造りを始める。
今日で技術派遣は終わりだ。
「にとり」
「なぁに?」
「これを預かっててくれ」
そう言って愛銃のウィンチェスターを手渡す。
2週間後にこっちに来るための理由が必要だ。
忘れ物をした、でいいだろう。
「わかった」
言わずとも察してくれたようで、にとりは素直に受け取ってくれた。
お世話になった河童たちにも挨拶は済ませた。
行きたくなかったが神奈子のところにもちゃんと挨拶してきた。
またいつでも来い、と言ってくれた。
騙されちゃだめだと分かっていても、思わず信じてしまいそうになる。
何もかもを委ねてしまいそうになる。
流石は神様、といった所なんだろうか。
それはともかく、後は帰るだけ。
最後ににとりに別れを告げ。
地上を後にした。
さらば日光。
燐に最低限の報告を済ませると、足早に自分の工房に戻る。
1週間ぶりにここに来たが、綺麗に掃除されていた。
やってくれた人にお礼を言いたかったが、今はとにかく時間が惜しい。
今ある部品だけでできることはある。
後はもう、やれるだけのことをやるしかない。
「さあ一丁、河童の本気を見せてやりますか」
そして私は上着を脱いだ。
◆
1ヵ月後。
山で主催される会議に私は出席していた。
メンツは燐、神奈子、大天狗、そして知らない子供が1人、もしかしてこいつが吸血鬼だろうか、牙あるし。
ていうかさとりがいない。
さとり仕事しろ。
「あんた大丈夫?」
「え?」
前に出て技術的な説明をしようとしたら、吸血鬼(推定)に話しかけられた。
「やばい顔になってるわよ?」
「いえいえ、お構いなく」
まあ、ここ数日寝てないし。
この会議だけ、持てばいい。
「では、説明を始めます」
新型のプロジェクターを使って映し出された画面を棒で指し、私の戦いはクライマックスを迎える。
「私の『創った』、新型電波送信装置について」
要は地上の連中が地底に来なければいい。
地底で全てまかなえれば、まったく問題がないのだ。
だから創った。
輸送の必要のない、小型電波塔を。
妖怪は本来物を壊す存在だ。
だから『制作』は何とかできても、『開発』となるとからっきしなのだ。
でも私はハーフ。
半分は人間。
だからこそできた。
忌み嫌われた半妖だけど、生まれて初めてそのことに感謝した。
私は説明を開始する。
これは従来のような地域全てに届く電波塔ではなく、小型の電波塔を複数個設置することで放送範囲をまかなう代物だ。
電波塔同士のやり取りと、受信機向けの電波を別回線にすることで混線も防ぐことに成功している。
これのためにいくつ試作機を作る羽目になったか。
しかし紅魔館の仕事は確かなようで、資材をあっという間に揃えてくれた。
おかげでこうして間に合わせることができた。
「これにより、消費電力は従来の5分の1、製造・設置にかかる費用は20分の1以下で済みます」
強いて言うならエリアの境目付近だと受信しにくいデメリットがあるが、そんなものはあってないようなものだ。
「以上で説明を終わります」
練習したとおりにちゃんと言えた。
一礼して席に戻ろうとした瞬間、全身が凍りつくほどの悪寒に襲われた。
「うひぃ!?」
思わず変な声が出た、何事かと思い辺りを見渡し、神奈子と目があった。
殺意。
そんなタイトルの美術品があったらきっとこんな感じだろう。
あの優しげですらあった神様はどこへやら。
その双眸は見開かれ、私を食い殺そうとしているとしか思えない。
「……あ、あぅ」
恐ろしい。
ただ恐ろしい。
その場に崩れ落ちそうになってしまう。
ガンっという音がして、神奈子の腹に机がぶつけられた。
「あ、ごめーん、足組もうとしたらぶつかっちゃった」
「……チッ」
燐が助け舟を出してくれた。
あれが神奈子の本性か。
邪魔者を駆逐する軍神の顔。
死ぬかと思った。
その後会議で何が話されたのか、私は良く知らない。
いやもう、ここ何日か徹夜してて、ね。
「いいっていいって、大天狗が頭抱えてるのは見ものだったよ」
地底に帰る途中、燐にそう言われた。
「後なんかレミリアに大うけしてたし」
「あ、やっぱりあの子が吸血鬼だったんですね」
「あの子って、お前さんより年上だよ?」
「そうなんですか?」
妖怪は見かけによらないものだ。
あれで300歳くらいだったりして。
◆
寮に帰ってまたぶっ倒れた私は、翌日燐の仕事部屋に呼び出された。
「いやぁみとり、昨日はご苦労様」
「ありがとうございます」
「にゃはははは、神奈子の泣きっ面は見ものだったね」
「私は二度とゴメンです」
ヘビに睨まれた河童とか。
冗談じゃない。
「しっかしまあ、よくやってくれたよ」
「頑張りました」
「うん、えらいよ」
「えへへ」
「ヤマメが聞いたらびっくりするだろうね」
「そうですねー、何せシステムそのものを開発したんですし……って、うわぁ」
「ん? どした?」
「お土産買ってくるの忘れてました」
「あらら」
まあいい、適当な物でお茶を濁そう。
ついでに借りっぱなしの寝袋とアカギも返そう。
そうしよう。
「さて、お待ちかねのご褒美タイムだよ、こっちにおいで」
「はーい」
「今回は頑張ったからね、特別サービスだよ」
「わーい」
にへらにへらと頬が緩んでゆくのが分かる。
りーんー、はーやくー。
そしてムチュっと唇が触れる。
と思ったらすぐ離されてしまった。
「……ふぅ」
「……終わり?」
「うん?」
「足りない」
「え?」
がばっと燐をソファに押し倒し、上に覆いかぶさる。
べろりと舌なめずりし、燐の服に手をかけた。
「ちょ、ちょっと!」
「全然足りない」
燐の唇を奪う。
それはもうディープに。
燐はむちゃくちゃ嫌そうだったが、途中で開き直ったのか舌を絡めてくれた。
燐の舌を思う存分堪能する。
やっぱりザラザラするんだ。
「んー」(私)
「んー!」(燐)
「んー?」(私)
「んーん!」(燐)
「んんー」(私)
「入るよー」(ヤマメ)
「んー!!」(燐)
「おじゃましましたー」(ヤマメ)
「んんんーーーー!!!」(燐)
たっぷり10分は味わってから、燐を開放してあげた。
「キス、しちゃった」
「そんな可愛らしいもんじゃなかっただろ!!」
「えへへ」
「黙れエロ河童!!」
これは珍しい、燐が動揺していらっしゃる。
「あたいの純潔が」
「まあまあ」
嘆く燐に擦り寄りながら私は言う。
ひっぱたかれた。
そこでやっと、私は自分のおつかいが終わったことを実感した。
帰るまでが遠足。
ご褒美までがおつかい。
そういうものなのだ。
◆
地底の風は生ぬるい。
中途半端な温度、中途半端な湿度。
そして中途半端なお祭り気分。
街はいつも喧騒に包まれていて、それが何かを誤魔化してるようで。
喉が渇いているのに、水が無い。
そんな気分を延々と味わう場所だ。
辛いし苦しいし、息が詰まる。
それなのになぜか、居心地がいい。
それが私のスイートホーム。
守るべき、第2の故郷。
了
中途半端な温度、中途半端な湿度。
そして中途半端なお祭り気分。
街はいつも喧騒に包まれていて、それが何かを誤魔化してるようで。
喉が渇いているのに、水が無い。
そんな気分を延々と味わう場所だ。
辛いし苦しいし、息が詰まる。
それなのになぜか、居心地がいい。
それがここ、旧地獄なのだ。
◆
私は今日、旧都にある賭博場に来ている。
強面の牛鬼をチンチロでボコり、怪しげな蛇女を丁半で泣かせた。
ものの1時間で私の手には大金が握られ、気がつくと賭博場の事務所に連れ込まれていた。
「お嬢ちゃん、ちょいと冗談が過ぎるぜ?」
さっきの牛鬼がドスの効いた声で言う。
なかなかの迫力だ。
「なにが?」
「おいちゃんも別にサマ張ったとは思っちゃいねぇよ、だがらさあ、もう1勝負だけしようじゃあねえか、それで帰してやるから」
暗に死にたくなければ負けろと言っている。
そして勝ったら勝ったいちゃもんをつける。
良くある手口だ。
「いいよ」
「そう来なくっちゃ」
それでも私は快諾する。
そして今日の稼ぎ、ざっと300万程を机に投げ出した。
「端数は覚えてない」
「ああ、いいよ」
勝負はオイチョカブ一発勝負。
特殊役も取り決めて、牛鬼が札を配る。
配られた5枚の札から1枚を選ぶ。
『3』の札だ。
これを自分の手として使う。
オイチョカブはこの後配られる札と、この札の数字を合計して『9』に近づけるゲームだ。
ブラックジャックにちょっと似ている。
基本的に『3』はそんなに強い数字ではない。
これを見た牛鬼は、目論見どおり私が勝負を投げたと思ったのだろう。
余裕を取り戻した表情で2枚目の札を配る。
その札を見て、私はもう1枚札をくれるように言う。
ブラックジャックで言うところのヒットだ。
子の札が決まり、牛鬼が自分の札をあける。
数字は『9』。
2枚目が配られる。
『1』。
オイチョカブは数字の合計の1桁目で勝負する。
つまり親の手は『0』
だがこれは。
「クッピンだお嬢ちゃん、倍付けだ」
『9』『1』の2枚で構成される特殊役。
子は賭け金の2倍を支払わなければならない。
「……」
「払えねえかい?」
「ま、待ってくれ」
声が上ずるのを堪えながら、私は言う。
払えないとどうなるのだろうか。
「い、今ツレがここに来てるんだ、そいつが金を持っている」
「嘘はイケねえよお嬢ちゃん」
にたにたといやらしい顔で牛鬼が笑う。
周りを取り囲んでいる妖怪たちからも、クスクスと笑い声が漏れてきた。
私は震える声を押さえつけ、本当だ、と搾り出す。
牛鬼はやれやれと首を振ると、部下に何かを命令する。
額に目を持つ老いた妖怪が、私を立たせようと腕を掴んだ。
「触んなよ」
そして私は、無線機のスイッチを入れた。
「いいぞ、来てくれ」
間髪いれずに轟く爆音。
事務所の中にまで響いてくる。
次いで、叫び声や悲鳴も聞こえてきた。
「ク、クククク……」
思わず笑いがこみ上げた。
押さえつけるのも大変だ。
ざわざわと周りの連中も騒ぎ出す。
そんな光景を見ながら、牛鬼が口を開く。
「お嬢ちゃん、誰を、いや何を呼んだ?」
「鬼」
ボン!!
事務所のドアが吹き飛び、そばに居た蛇女が巻き込まれて押しつぶされる。
よく見るとドアに筋骨隆々の男が突き刺さっていた。
後ろから聞こえる怒声、罵声、破砕音。
それらも数秒もしないうちに静かになる。
「……」
牛鬼の顔が青くなった。
ぬうっと事務所に現れたのは、四天王の一角。
今度は私がにたにたといやらしい顔で笑う番だ。
「ほし、熊……」
「よお勇儀、お疲れさん」
「おう」
さっきまでの余裕はどこへやら、連中も皆ガタガタと震えだしてしまう。
「さて、おっちゃん、勝負の続きだ」
「あ?」
今度は私の手を開ける番。
さあ、ショーダウン。
「カブか、親はクッピンかい」
「ああ、私のを開けてくれ」
私は牛鬼に告げる。
札を開けるのは、親の役目だろう?
「……あ!」
『3』『3』『3』。
トリプルスリー。
『アラシ』という役の、さらに合計が『9』になる最強役。
5倍付けだ。
配られた札は『3』『2』『5』だった。
だけどもオイチョカブにはルール上『使わないけど表になる札』が10枚近く存在する。
その中に『3』が2枚あっただけの事。
当然のようにイカサマだけれども、証拠はない。
勇儀にばっかり気をとられるからだ。
そしてありがとう、アカギシゲル。
「お、お前!」
向こうも気付いたようだが、この状況で言えることではない。
何せここには、暴力の化身がいるのだから。
「どうした?」
そうとは知らず、勇儀が問う。
「い、いや」
「5倍付け、1500万だ」
「……ちぃ」
忌々しげに毒づきながら、牛鬼は金を用意する。
私は持ってきていたリュックに金を詰めると、席を立つ。
もうここに用は無い。
「待て!!」
牛鬼が叫ぶ。
「お嬢ちゃん、名前は?」
阿修羅でさえも逃げ出しそうな形相で牛鬼が睨む。
帰り道に気をつけろとでも言いたいのだろう。
阿呆が。
「地霊殿電気管理部部長、河城みとり」
今度こそ牛鬼から血の気が引いた。
地底において地霊殿の名は絶対。
警察署にして発電所にして役所にして裁判所。
全てを司る旧都の基盤。
目を付けられたが最後、関係者一同仲良く灼熱地獄に沈められるのだ。
「あ、そうそう燐から伝言『売り上げ誤魔化してんじゃねーよ、ばれないと思ったのか、次脱税したら潰すぞ』だって」
「うぐ……」
ご丁寧に声色まで使って死刑宣告をしてやった。
ざまあみろ。
崩れ落ちる牛鬼を尻目に、賭博場を後にした。
勇儀に駄賃として1束くれてやる。
どうも最近金が入用らしい。
「いいのか? こんなに」
「ばれなきゃ平気さ」
許可取ってるに決まってんだろ。
◆
「でも1500はやりすぎ」
「てへ」
ここは地霊殿の燐の仕事部屋。
大き目の事務机に資料が所狭しと並んだラック。
そして山積みの報告書。
実はこの部屋、さとりの仕事部屋より広かったりする。
以前はさとりが使っていた部屋なのだが、燐の仕事が増えるにつれて部屋が手狭になり、さとりは追い出された。
当然さとりは文句を言ったが、『じゃああたいより仕事するんですね?』という燐の一言に反論できなかったらしく、すごすごと部屋を出て行くこととなった。
今はどこで仕事してるのかよく知らない。
仕事してるのかどうかもよく知らない。
そのさとりから奪い取った密室で2人きり、ソファで燐に膝枕をしてもらっていた。
ちょっと頭を動かせば、布越しに燐の太ももの感触を味わえる。
「勇儀に払ったのは100なんだね?」
「そうですよ」
燐はいつも忙しい。
警視総監にして発電所長にして町長にして裁判長。
地底の中心人物。
地霊殿とはこの方のことだ。
さとり仕事しろ。
多忙の身である燐は、その手に余る仕事を『おつかい』と称して私やヤマメに振ることがある。
非才の身で燐の負担を減らす一助になれるのは望むところなのだが、通常業務とは別口だったりするので結構大変だ。
で、今回のおつかいは地霊殿相手に上等かましやがった阿呆共に釘を刺すことだった。
脅かすだけでいいと言われていたが、燐の仕事を増やすような奴にかける情けはない。
死ぬがよい。
燐にそう報告したのだが、ひとしきりお褒めの言葉を賜った後、やりすぎだと言われてしまった。
「ま、いいか、たね銭だけ返してくれる? 後はお小遣いにしていいよ」
「え? いいんですか?」
50万しか借りてないよ?
「ぱーっと使って経済まわしておくれ」
そう言って燐は私の髪を撫でてくれる。
豪儀なお方だった。
「それはそうとみとりさ」
「はい?」
さて燐へのプレゼントは何を買おうかと思案していると、燐の手が止まる。
「続けてで悪いんだけど、もう1つ頼みたいことがあるんだ」
「引き受けました」
言いながら起き上がり、居住まいを正した。
◆
「これは?」
「守矢の連中が無茶振りしてきやがったのさ」
手渡された資料を受け取る。
「電波塔だってさ」
「テレビでも始めるんですか?」
「ラジオだって」
ラジオか、言われてみれば確かにそれに必要な設備や道具が羅列されている。
「はー、知識としては知ってますが、ついに幻想郷でも『公共の電波』なんて概念ができる日が来ましたか」
「絶対癒着するね、天狗とか」
「100%しますね、たぶんそれ前提で話しが進んでますよ」
烏天狗のご都合主義っぷりは見ていて惚れ惚れするほどだ。
まったく、吐き気がする。
「でもまあ、それはいいんだ、地上で何しようが関係ないね」
「はい」
「問題はこのラジオを地底にも流すつもりだってことなんだよ」
あー、と声が出た。
そういうことか。
「成る程、あること無いこと吹き込まれちゃたまりませんよね」
「それはいいんだよ、みんなそんな素直じゃないし」
「地上のいいとこばかりアピールして人材が流出しちまいます」
「それはないよ、地上に未練あるやつなんて一握りさ」
「……建設費用も馬鹿になりません」
「それは平気、向こうのゴリ押しなんだから全額向こうに出させる」
「……」
「……」
「何が問題なんですか」
「この電波塔、どうやって作る?」
どうやってって、さすがの河童でも送信施設の詳細設計なんてぱっと出ては来ない。
「高さは50メートルくらいは要りますね、技術的にはどうでしょう、発電所の時みたいに地上でパーツを作って搬入ですか?」
「そこだよみとり」
どこよ。
「地熱発電作ったときは一番長いシャフトでも数メートルだった、だからこそ地底まで搬送が可能だったんだ」
「……そうか」
電波塔の巨大なアンテナ。
これは地底で作るしかない。
そして地底にそんなものを製造できる工場なんて存在しない。
ならばそれごと作るしかない。
しかも資料を見る限り、期限が切られていてのんびり作っている暇はない。
となると。
「地上の連中をこっちに滞在させることになる」
「当たり」
それも長期にわたって。
「発電所のときは基本的にこっちの人材で全部まかなえましたが、今回はあんな小型発電所とは規模が違う、材料も輸入しなきゃなりません」
「神様が適当な名目つけて『視察』に来るね」
「それは、大丈夫なんですか?」
「大丈夫な訳ないさ、あたいがいくつの不祥事抱えてると思ってるんだよ」
「……」
「詰まるところラジオなんてただの大義名分さ、本命はこっち、地霊殿のスキャンダルばら撒いてあたいを潰したい」
「……下種が」
そうまでして、自分の領土を増やしたいか。
「やめなよみとり、連中だってつまんない物欲で動いてる訳じゃないさ」
「じゃあ……」
「神様だからね、潔癖症なのさ」
潔癖症?
「ここみたいな汚れの塊は、掃除しないと気がすまないのさ」
「そんなのって」
「うーん、ヤマメだったらもっとうまく説明できるんだろうけど」
燐は腕を組んでうなってしまう。
「とにかく電波塔建設を阻止したいのは分かりました、具体的には何をすれば?」
「壊してきて欲しい」
燐は当たり前のように言う。
「電波塔はまず地上に1機作られる、それを機能不全にして欲しいんだ、絶対にばれないように」
「……燐、それは」
「これはよっぽど機械に詳しい奴じゃなきゃできないことさ、爆破でも損壊でもなく、システムの不備を突いて原因不明の故障を永続的に引き起こして欲しい」
「壊せと?」
「そうだよ」
河童に、科学のともがらに。
「機械を、壊せと?」
「できるでしょ?」
「そんな、そんなの……」
「だからお前は地底にいるんだろう?」
「……ッ」
思わず息を呑んだ。
なんで、知ってるんだよ。
「ああ、ゴメンゴメン、言い過ぎたよ」
「……いえ、分かりました」
「頼んだよ、他の会議室の修理は後回しでいいからね」
「了解」
机に散らばった資料をまとめると、私は応接間を後にした。
地霊殿から外に出ると、相変わらずにぬるい風が頬を撫でる。
でも心なしか、今日の風はいつもより少し冷たい気がした。
◆
地霊殿のすぐそばにある寮に戻り、もらった資料を熟読する。
基本設計やら何やらはすでに決まっているらしい。
135kHz帯、チャンネルは12CH、受信機のインターフェース、地底までの有線ケーブル種類。
そして肝心の広域電波送信所、電波塔の予想図。
高さはおよそ60メートル。
基礎を含めれば100メートルオーバーを予定。
中身のシステムは開発中。
地上の1号塔の運用から1ヵ月後、地下の2号塔の建設が始まる。
機能はほぼ同等、ただし2号塔は高さ35メートルほどを予定。
などなど。
「……」
机の上に資料を投げ放ち、ベッドに飛び込む。
使い古したベッドはギシギシと軋み、私の身体を受け止めてくれた。
素晴らしい、と思った。
幻想郷に新たな施設が、夢の技術が、垂涎モノの機械が建てられる。
泣いて喜んで山の女神にキスしたい気分だ。
なのに燐は、それを壊せという。
自分が、助かりたいがために。
「なに言ってんだ私は」
燐がいなくなったら地底は終わりだろ。
地霊殿は実質燐1人で回ってるようなもんだ。
いなくなるようなことがあれば、機能不全なんてもんじゃない、もはや再起不能だ。
さとりじゃどうにもできない。
神様は潔癖症らしいし、私らは掃除されてしまうだろう。
でも、その気持ちはわからないでもない。
こんなところに好んで住み着いてる奴なんて、1人残らずクズばかりだ。
燐は、比較的上等なだけ。
私は、ちょっとはマシなだけ。
ついでにヤマメも、燐の価値が分かるから、マシなクズ。
私らがみんないなくなったら、きっと世界は少しだけ良くなるだろう。
まともな妖怪にとって、住みやすい世界になるだろう。
「……」
だからどうした。
こちとら嫌われ者の忌み子じゃ。
河童と人間のハーフじゃ。
いいだろう燐、我らが大将よ。
あなたがそれを望むなら、何だって禁止してご覧に入れよう。
なんて覚悟を決めたところで、地底でできることなんてほとんど無い。
地上に行き、電波塔についての資料を集めなければ。
一応私もエンジニアだし、発電所をほぼ独力で作り上げた実績もある。
地底の電波塔建設に関わること自体は自然だ。
それを盾に地上の設計を先行して見せてもらうことにしよう。
速やかな施設建設のためと言えば、通らない話じゃないはずだ。
地上に行くにはさとりのハンコがいるが、燐のおつかいといえば問題はない。
というか燐がハンコ持ってるかもしれない。
今日は資料の読解に専念して、明日、また地霊殿に向かおう。
◆
外出許可はあっという間に下りた。
というか燐がすでに用意していた。
そしてやっぱり燐がハンコ持っていた。
さてと、地上へ向かう準備をしなくてはならない。
着替えなり何なり。
住居はそうだな、しばらくは妹のところへ世話になろうか。
寮にトンボ帰りし、さっそく荷造りを始める。
当面の食料と着替え、昨日もらった資料、ヤマメに借りたまま返していない寝袋。
そして愛銃のウィンチェスターM1897、地上には危険がいっぱいだから、か弱い私にはコレくらいの装備が必要だ。
「……ヤマメか」
寝袋を見て思い出した。
そういえば最近会ってないな。
地上に行く前に、1度会いたい。
そういえばあいつも、今何かおつかいを頼まれているらしい。
邪魔はしたくないけれど、ちょっと会うくらい平気だろう。
私は荷造りを済ませると、ヤマメのアパートへと向かった。
と思っていたら行く途中で見つけてしまった。
あいつが贔屓にしている喫茶店で午後の素敵なティータイムと洒落込んでやがる。
なんかムカつくな。
「よお、ヤマメ」
読書中のヤマメに話しかけると、ヤマメも本から顔を上げた。
「やあ、みとり」
相席いいかい? と尋ねたら、やなこった、と返された。
遠慮なく座らせてもらう。
「調子はどうよ」
私は言う。
「ぼちぼちでんな」
ヤマメは返す。
そういえばヤマメが地底に来たのはいつからだったか。
いや、私よりは先にいたはずだけども。
何かをしたって話は聞かない。
大方病原菌ばら撒いたとかそんなことだろうけど。
「なあ」
話を聞いてもらいたかった。
ヤマメならきっと、やさしく諭してくれるだろう。
背中を押してくれるだろう。
そんな風に期待して。
「お前も、今おつかい頼まれてんだろ」
「うん、手こずってるよ」
「燐も人使い荒いよな」
そこまでで、思いとどまった。
阿呆か私は。
「コーヒーお待ちのお客様ー」
「あ、はーい」
いいタイミングで頼んでいたコーヒーが来る。
外の世界のそのまた外国からの輸入品。
この豆も遠いところから来たもんだ。
窓から見える景色を眺めながら、コーヒーを啜る。
暖かい。
その暖かさだけで、十分な気がした。
「ヤマメ」
「うん?」
「私ちょっと地上行ってくるからさ、お土産何がいい?」
「……本か、お茶葉」
「わかった」
カップに残っていた分を飲み干し、席を立つ。
ついでに伝票も持っていく。
今の私は懐も暖かいのだ。
会えてよかった。
◆
手続きは滞りなく進み、私はその週のうちに地上へと向かう運びとなった。
住居に河童用の寮を貸してくれるらしい。
荷解きを終え、ざっと部屋を見渡す。
地底のアパートより狭っ苦しいが、日差しが入るのがありがたい。
ここに1週間ほど世話になるのだ。
周辺の地理も頭に入れておいたほうがいいだろう。
地底に落ちる前は、山に住んでいたこともあった。
まあ、赤河童の私は腫れ物のように扱われていたが。
それでもこうして山道を歩いていると、地底より気分が良くなるあたり私も河童なんだなぁと思う。
生い茂った木々の間を涼しい風が通り抜け、遠くのほうでは澄んだ水の音が聞こえる。
時折聞こえる小鳥のさえずりに、数年ぶりの直射日光。
帰ってきた。
そんな風に思ってはいけない。
私はもう地底の住人なのだ。
それでも体が反応してしまう。
色彩に、音に、匂いに。
青空と葉っぱのざわめきと土の感触に。
やばい、泣きそうだ。
「あ、いたー!」
「……ん?」
聞き覚えのある声に振り返れば、かわいい妹がリュック片手に立っていた。
「よおにとり、元気してたか」
「うんっ、バレンタインぶりだね」
「あれは忘れろ」
「こっち来るって聞いてびっくりしたよ、いつまでいられるの?」
「あー、1週間だな、途中で1度帰るけど」
「そっかー、1年くらいいればいいのに」
しゅんとなるにとりの頭をくしゃくしゃと撫でる。
「にゃー、なにすんだよー」
「愛いやつめ」
私は今回『技術指導員』という名目でここに来ている。
聞けばにとりは私の案内人として立候補したらしい。
なんてかいがいしい奴だ、天使なんじゃなかろうか。
「ではワトソン君」
「何でありますかホームズ殿」
「早速だがここらを案内してくれたまえ、久しぶりすぎて覚えてないのだ」
「了解であります」
ビッと下手くそな敬礼をしてにとりが私の手をとる。
このノリのよさが河童の河童たるゆえん、なのだろうか?
今日は移動日として数えられているため、本格的な工場見学は明日からとなる。
にとりに連れられ山をぐるりと1周すると、そうそうあったあったといくらか見覚えのあるものも見えてくる。
竜神の滝とかマジで懐かしい。
「お姉ちゃん」
「ん?」
「なんでもない」
「なんだよそれ」
「えへへ」
近くの岩場に並んで腰掛け、しばらく滝を眺めることにした。
どこまでも澄み切った水が、絶え間なく流れていく。
その音にかき消されないように、妹と2人、語り合った。
変わらず元気でいること。
最近来た外来人のこと。
地底での生活。
山での生活。
私が話すたびににとりは本当にうれしそうな顔をする。
その顔がもっと見たくって、言わなくていいことまでぺらぺらとしゃべってしまった。
友人のヤマメが石に躓いて顔面が側溝にはまった時の話を細かいディテールまで詳細に説明していると、ゾワリ、と洒落にならないほど強大な気配を感じ取った。
「誰だ!!」
「ひゅい!?」
慌てて飛び上がりショットガンを取り出す。
一瞬で安全装置をはずし、銃弾を装填する。
威嚇射撃。
ガオォン!
と大げさな音を立てて大気が揺れる。
「3秒以内に出て来い、さもなくばこいつを残弾の限りばら撒く」
「ダ、ダメだよお姉ちゃん!」
にとりが腕にしがみつく。
危ないから離れててくれ。
「ご挨拶な奴め、礼儀を知らんな」
「ああ?」
なんとも偉そうなことを言いながら現れたのは長身の女。
どことなくヘビを連想させる冷たい瞳に、自信に満ちた佇まい。
こいつは、燐にもらった資料にあった。
「八坂神奈子か」
「いかにも、我が守矢の神だ、しかし何だ、遠路はるばるご苦労なことだ」
「そりゃどうも」
「本来ならば我のところに挨拶に来るのが筋なのだが、まあいい、地底の連中に儀の踏まえ方など期待するほうが間違っていたな、あの猫といい」
最後の一言にカチンと来た。
「細かいこと気にしてっと余計にふけるぞおばさん」
「ちょ、ちょっとお姉ちゃん」
にとりが慌てて間に入ろうとする。
こいつから見たら意味の分からない光景だろう。
実の姉が神様に銃口を突きつけているのだから。
「ふっはっはっは、おばさんと来たか」
「ああー、すいませんすいません」
呵呵大笑。
そんな言葉が似合うように、神奈子が笑う。
そしておろおろとにとりが慌てふためく、なんでお前が謝ってるんだよ。
「こちとら日本神話の住人よ、おばさんなんか通り越してとっくにババアさね」
にとりを無視して神奈子は言う。
しかし全身からみなぎる自信とエネルギーが、自らの言葉をかすれさせていた。
「老人はとさっさと引退しろ、椅子を空けてくれないと若いもんが育たないぜ」
「なに、我はこの郷では新入り、我のために席を空けてくれるというか、見上げた心構えだ」
ああ言えばこう言う。
「耳が遠いのか? 若者と言ったんだ」
「空いた席に座るのは我ではない、我が巫女だ」
「なに?」
「花も恥らう十代の乙女ぞ、文句なしで若者であろう」
「じゅ、十代?」
何だそれは、赤ん坊じゃないか。
いや、巫女って事は。
「人間か」
「いかにも、所謂ひとつのナウなヤングだ」
「なんだって?」
「いかんせん引っ込み思案でな、山に居場所がないと嘆いておったのだ、我が巫女に席を与えてくれるとはありがたい、とっとと退け」
「ちっ」
もう何を言っても無駄だろう。
というか言えば言っただけ倍になって返ってくるところしか思いつかない。
これが、こいつが、燐の敵、地底の敵。
あの大天狗をも退け山に君臨した、外来の軍神。
「なんだ、帰るのか」
「荷解きが済んでないんだよ」
「そうか、工場見学は明日からだったな」
「そうだ」
「まあ適当にやるが良い、どうせ何も創れはせんのだ」
「うるせーよ」
「勘違いするな、河城みとり」
ドクン、と心臓が高鳴った。
なんだ? 名前を呼ばれただけだぞ?
「お主のことは評価しておる、地下の地熱発電所、あれを最初から最後までほぼ独力で仕上げた実力、そこいらの河童とは一線を画すと思っておる」
「ああ?」
「聞けば髪の赤い河童は半妖だと言うじゃないか、お主も言われ無き冷遇を受けてきた口ではないのかね」
「……」
余計なお世話だ、クソ野郎。
「そう睨むな、我が来たからにはもう安心だ」
「なにがだ」
「山はこれから変わる、力ある者には喝采を、下らぬ差別など神の名において許さぬ」
「……」
そう言って神奈子はさっきまで私が座っていた岩に座る。
なんだろう、一挙一動に無駄が無く『きまっている』ように見える。
「みとりよ、山に戻って来い、河童にも天狗にも文句は言わせん」
「……おいおい」
「山は変わりつつある」
神奈子は続ける。
「規則が、ではない、空気が、風潮が、変わりつつあるのだ」
「……」
「大天狗もじきに職を辞す腹積もりだ、これはオフレコだぞ? 今でなくてはならんのだ、今ならお主は認められよう、忌憚無き友人もいくらでもできよう、何なら我が巫女を紹介しよう、心配するな、常識に囚われんやつだ」
「悪いけど、連中は裏切れないよ」
「見上げた根性だ、だが」
「あんたは何とでも言うだろう、だけど腹の中は一緒だ、地底を潰す手がかりが欲しいだけだろう」
ええ? っとにとりが声を上げる。
末端の作業員は知る由も無い、こいつはただの潔癖症だ。
「はっはっはっはっは、地底を潰す? そんな風に思っておったのか、成る程、どおりであの猫も喧嘩腰な訳だ」
「事実だろうが」
「たわけ、そんなことして何になる」
「気に入らないだけだろ、私らが生きていることそのものが」
「……若いの」
べしべしと神奈子が自分の隣の辺りを叩く。
座れと言うのだろう。
上等だ。
「みとりよ、確かに我は『綺麗好き』ではあるが、なにも地底全てを洗い流そうなどとは思っておらん」
「どうだかな」
ふと横を見ると、にとりも私の反対隣に座っていた。
別にいいのに。
「根拠はあるぞ、まず第1にメリットが無い、我の目的は信仰の拡大だ、地底で布教活動はするかもしれんが、住人皆殺しなどありえん、山での信仰が薄れるだけだ」
「それは、そうかもしれないけど」
「そうだろう? 現にお主らのように地底に家族や友人がおるものも少なくない、そやつらから反感を買ってまですることじゃない」
どうなんだろう、そうなのか?
「第2に人材が惜しい、さっきも言ったように我は力あるものを賞賛する、お主のように不当な理由で追いやられた者達が日の目を見ないでいるのは目覚めが悪い」
「……」
「第3に、と言うか最大の理由になるが、閻魔が怖い」
「閻魔?」
「聞いたことはないか? 地霊殿とは旧地獄の管理人、その運営は是非曲直庁、閻魔様の管轄よ、我のような八百万の1柱風情がどうこう出来る存在ではないのだよ」
「そうなのか?」
「自覚はないかもしれんが、あの組織はお主が思っとるよりずっと偉い存在なんだよ」
言われてみれば、考えたこともなかった。
帰ったら燐に聞いてみようか。
「むしろな」
神奈子は続ける。
優しげな顔で、愛おしいものでも見るかのように。
「積極的に地下との交流を増やしたいと思っておる」
「え?」
「1度堕ちたら戻れないなどと言うたわけた規則を取り払い、もっと気軽に行き来できるようにしたい」
「……」
「現に今でも山の妖怪が遊びに行ったりしてるだろう?」
「あ、ああ」
「こっちは行ったり来たりできるのに、そっちだけ戻れないなんておかしいとは思わんか、そんな悪習は百害あって一利なし、だが頭の固い天狗どもは今更そんなところを変えようとはせん」
「……」
「だから、我が変えねばならん、みとりよ」
「う、うん?」
「地上に出るのはいつ以来かな?」
「あー、何年かぶりかな」
「ここの空気はどうだ、うまかろう」
「……うん」
「これを、お主の友人たちにも吸わしてやりたいとは思わんかね」
「……」
それだけ言うと神奈子は立ち上がり、こちらに背を向ける。
でも私はまだ、神奈子の話が聞きたかった。
「あ、おい」
「今日はここまでじゃ、荷解きがあるのだろう?」
「……あ、うん」
「焦っても詮無き事、お主はお主にできることをせい、継続は力なり、それは必ず実を結ぶ」
じゃあの、とヒラヒラと手を振って神奈子は来た道を帰っていった。
私の心臓はバクンバクンと高鳴りっぱなしだ。
地底は潰されない?
それどころか地底と地上の垣根が無くなる?
思わず妹の顔を見る。
もし本当だったら、これ以上のことはない。
もしかして私は、とんでもない思い違いしていたのではなかろうか。
燐も、大げさに考えすぎていただけなんじゃなかろうか。
にとりに連れられ寮に帰るまでの間、私はそればかりを考えていた。
◆
翌日、工場のお偉方に挨拶を済ませると、早速工場へと向かった。
ありったけの予習をしてきた甲斐もあり、話にもちゃんと付いていける。
これで置いてけぼり食らったら目も当てられない。
設計チームとのミーティングも終わり、一息つく。
やはりここでも私は腫れ物扱いだ、まあ、ハーフがどうとかより立場の問題もあるので致し方ない。
とりあえず今回の建設に関して、関係者全員本気だということがわかった。
いや、当たり前と言えば当たり前の話だが、いまいち現実味が無いのだ。
幻想郷の近代化、地底はもとより、地上にだっていいことばかりではないはずだろうに。
本当にいいのか?
間違いはないのか?
外の技術は便利だけれど、失ってはいけないものを失いそうで。
それが少し、怖かった。
この道はきっと、引き返せない。
「お姉ちゃん」
工場の近くにある食堂で遅めの昼食をとっていると、にとりがトレーを持ってやってきた。
と言っても、もう食べ終わったトレーだったが。
「よお」
「もー、いるならいるって言ってよー」
ぷりぷりと怒りながらにとりは言う。
怒った顔も愛らしい。
天使なんじゃなかろうか。
「ゴメンゴメン、考え事しながらご飯食べてて」
「ふーんだ」
「なんだよー、ゼリーあげるから」
「うむ」
ランチメニューについてきた小さいゼリーを押しやると、にとりの機嫌も幾ばくか直ったようだった。
「ねえ、お姉ちゃん」
「んー?」
「お姉ちゃんて設計チームなんだよね」
「そうだよー、にとりは?」
「私はドライバー回す方」
「へー」
「なんかすごい噂されてたよ?」
「そりゃま、そうだろーな」
赤河童がでしゃばるもんだから、向こうもさぞやりにくかっただろう。
「んーん、そうじゃなくって」
「うん?」
「凄腕のチェックマンが来たって」
「チェックマン?」
「設計図修正する人」
「ふーん」
「え? だってぱっと見ただけの図面をすごい勢いで直しだしたって……」
「ああ、あれまだ第1稿とかだろうし」
「そんなの技術指導員に見せる訳ないよ」
「えー? だって雷対策はおろか電圧も合ってなかったぞ?」
あいつら周波数にしか目が行ってねえ。
「はぁ、やっぱりお姉ちゃんはすごいなぁ」
「……んなことないよ」
私が優れてるんじゃない。
ただちょっと、失敗できないだけさ。
本来ならば今日のところは各部署への挨拶だけで済ませる予定だったのだが、急遽変更となった。
「だからお前、対数計算くらい暗算でやれって」
「す、すいません」
設計チームからの呼び出しである。
午前中にチェックしたところを見て欲しいと言う。
たしかに指摘したところ『だけ』は直っていた。
「……(ビキッ)」
とりあえずお前ら、今ある図面全部持って来い。
◆
2日目の朝を工場で迎えた。
初日からこれだ。
「この図面を引いたのは誰だぁ!!」
「私でありますサー!」
「弾性を計算に入れたか!」
「サー!ノー!サー!」
「この鉄塔はそよ風で折れるぞ!」
「サー!イエス!サー!」
「貴様は減給だ! うれしいかこの野郎!」
「はい!ありがとうございます!姐さん!」
私にひっぱたかれた名も知らぬ河童がダッシュで席に戻っていく。
もちろん私に人事権など無いのだが、やはりこのノリのよさが河童なのだ。
あと姐さんはやめろ。
こんな感じで昨日の午後からぶっ続けで図面のチェックをしている。
いい按配にみんなテンションがおかしい。
疲労が限界を越え、脳内麻薬が洪水のごとく噴出する。
ナチュラルハイという奴だ。
こうなればもう無敵だ。
いくらでも活動できる。
しかしナチュラルハイの代償は朝の8時くらいにやってきた。
1人また1人と机に突っ伏す輩が現れ、気がつくと私以外のチームメイトがそこかしこに転がっていた。
エネルギーが切れたのだ。
そして私も目も前の図面をチェックし終えると、近くのソファで横になった。
「ああ、気持ちいい」
もはや当初の予定なんて頭から吹っ飛んでいた。
「ねえお姉ちゃん」
「むむい」
サンドイッチを頬張りながら、適当に返事をする。
視線はテーブルの上の図面に向かったままだ。
「休憩は必要だよ?」
会話の間も右手に持ったペンは止まらない。
現在私は食堂の一角を占有して、今回の建設の肝となる電波の発生装置の設計に取り掛かっていた。
「そんな根性じゃ地底ではやっていけない」
「どんだけだよ」
まっきゅまっきゅとサンドイッチを押し込みながら、1枚書き上げた。
さて、工場に戻るか。
「じゃ、後でなにとり」
「……むー」
私の天使はむくれっツラだったが、そんなことより目の前の科学なのだ。
足取りは軽い。
今日も夜中まで図面とにらめっこしていた。
人の図面にダメだししつつ、自分の分担も終わらせる。
放送装置も鉄塔もだいぶマシな設計になったと思う。
それでも怖い。
どこかに抜けが無いか不安になってしまうのはエンジニアの性。
これ1度ミニチュアで試作したほうがいいんじゃなかろうかと頭をひねっていると、ガチャリと設計室の扉が開いた。
「皆様、お疲れ様です」
聞き覚えのない声に振り向くと、場にそぐわない格好をした女性が、凛とした姿で立っている。
その女は手に持っていたバスケットを近くの机に置くと、深々と一礼した。
「どなた?」
思わず口走る。
「申し遅れました、私は十六夜咲夜と申します」
女性は澄んだ声で自己紹介をする。
「紅魔館でメイド……上女中をさせて頂いている者です、本日は我が主レミリアの命により、皆様方への差し入れに参りました」
コウマカンってなんぞや。
「シュークリームと言う西洋の菓子でございます、糖分の補えるものをと思い僭越ながらご用意させていただきました」
咲夜とやらはバスケットの蓋を開けると中身をこちらに見えるようにした。
中には黄金色の菓子と思しき物がごろごろと入っていた。
「甘いもんか、ありがたい」
「差し出がましい事とは存じますが、よろしければご賞味ください」
籠はまた後で取りに来ると言い残すと、咲夜は音もなく消え去った。
本当に気配も何もなくいきなり掻き消えた。
何もんだあの女。
何はともあれせっかくの厚意だ、ありがたく受け取ることにしよう。
「なーんて事があったんだけども」
「へー、いいなー」
シュークリームを食べて一息ついた瞬間たまっていた疲労がどっと押し寄せ、今日はみんなで早めにあがることにした。
なんて危険な食べ物だ。
それはともかくにとりの部屋。
入れてもらったお茶を手に、姉妹水入らずといったところだ。
まあ部屋中に機械のパーツやら何やらが転がっていることについては触れないでおこう。
私も人のこと言えない。
「そうだにとり、コウマカンって知ってるか?」
「知ってるよー」
お茶をすすりながらにとりが言う。
なんだ、有名なのか。
「友達の友達が住んでるんだよ」
「ふーん」
「あと部品の輸入とかもやってる」
「そうなんだ」
「それと10年ちょっと前かな、八雲様と戦争やらかした」
「ブッ」
お茶吹いた。
なんじゃそりゃ。
「マジで?」
「マジマジだよ、詳しくは知んないけど、避難してたし」
「信じらんないことすんな」
「吸血鬼っていうヨーロッパの妖怪なんだって」
「いやいやなんでそんなのが山に出入りしてんだよ」
「知らないよー」
にとりはプイっと横を向いてしまう。
こういう話嫌いなのか。
機械関係以外への興味が薄い。
そんなんだから天狗どもに便利な道具としてしか扱われないんだ。
いやむしろ嬉々として政治に首突っ込む河童なんて私くらいなもん……
「あーーーー!!」
「ひゅい!?」
思い出した。
完全に忘れてた。
燐におつかいを頼まれていたことを。
そしてその内容を。
「おいおいおいおいおい人のこと言えねーよ阿呆か私は」
「お、お姉ちゃん?」
オーマイガーと叫ぶ私を見て、ただただ狼狽する妹。
ホントお前は天使みたいだよな。
しかしながら現実逃避をしている暇はない。
明後日の中間報告までにそれなりの結果を出さねば。
◆
3日目。
私は早朝から工場へと赴き、自ら設計したシステムの穴を探す。
図面に載ってなくてもいい、載っていないほうが好ましい。
試験しても分からない。
何度やっても失敗する。
そんな致命傷を与え得るアキレス腱を。
「うぐっ」
想像してちょっと気分が悪くなる。
機械を壊す、と言う行為は河童にとって絶対の禁忌。
かつて1度だけ犯したその罪を、もう一度繰り返すことになろうとは。
畜生、燐め、終わったら殴らせろ。
「あれ? 姐さん早っすね」
「まあね」
ぽつぽつと他の河童が出勤してくる。
昨日同様に他の連中の図面をチェックしながら、並列して作業に当たる。
チェックをぬるくすればそれで済むかもしれないと一瞬思ったが、他の河童だって馬鹿じゃない。
いずれ誰かに修正される。
それではダメなのだ。
「なんか疲れてません?」
顔に苦痛の色が出ていたのだろう。
心配ない、とだけ答えて図面に集中する。
いや、その前に聞くべき事があった。
「なあ、昨日お菓子もって来てくれた人いるじゃん」
「ああ、紅魔館の」
「紅魔館ってラジオの関係者なのか?」
「あー、よく知んねえっすけど、スポンサーらしいっすよ」
「ふーんそうなんだ、ありがとね」
燐は知っているのだろうか。
まあいい、それだけ分かれば十分だ。
大規模な装置なのだ。
本腰を入れて作業に取り組めば、綻びの1つや2つ見えてくる。
それが自分が携わっている物なら尚更だ。
設計図が完璧でも、実物を製作する過程でミスがあれば装置は止まる。
どれだけ試験を行っても、パスした後に線を1本傷つければ事足りる。
最小の仕掛けで最大の被害を。
そんな方法を、見つけてしまった。
今日の仕事を終え、設計室を後にする。
足取りは重い。
帰宅の途中、工場内の工房に寄ってみると、遅い時間だと言うのに明かりがついていた。
ひょいと窓から中を覗いてみると、何人かの河童が机に向かってハンダ付けをしていた。
その中ににとりもいた。
真剣な表情で机に向かっている。
綺麗だと思った。
にとりだけじゃない、何かに真剣に打ち込む姿は例外なく美しい。
みな本気なのだ。
「……」
私はそっとドアを開けた。
誰もこちらに振り返らない。
視線はただただ目の前の基盤に注がれている。
「変圧装置の制御基盤か」
「ふえ?」
話しかけられて始めて気がついたのか、にとりが素っ頓狂な声をあげた。
それに釣られてか、他の河童も顔を上げる。
「ダイオードの付け方反対だぞ」
「え? あっ」
にとりは慌てて図面と実物を見比べると、恥ずかしそうに部品を外した。
「ふぅ、お姉ちゃんよく分かったね」
「私が設計したからな」
「あ、そうなんだ」
さすが敏腕チェックマン、などと照れ隠しをするにとりの頭をクシャリと撫でる。
「えへへ」
「……まだやってくのか」
「うん、まだまだやることいっぱいあるし」
「そうか」
「お姉ちゃん帰り?」
「ああ、お先に」
「うん、お疲れ様」
あまり邪魔しても悪いので、それだけで帰ることにする。
工房から出た後に再び中を覗くと、来たときと同じようにみな机に向かって作業をしていた。
全員が一丸となって巨大なシステムを作っている。
それは、地底では味わえない喜びだった。
気がつけば私は壁にすがり付いていた。
地面にひざをつき、頭を壁にこすり付ける。
私はこれから彼らの努力を無にしなければならないのだ。
「……ゴメン、ゴメンよ」
込み上げる嗚咽を抑えきれない。
でも気にすることはなかった。
どうせ気付かれやしないのだから。
◆
翌日、私は工場へは行かず地底へと戻った。
この3日間の中間報告のためだ。
関係者には話してあるので問題はない。
軽く荷物をまとめ、寮を後にする。
荷物と言っても報告書くらいなものだけど。
しばらく地底への洞窟を進むと、見慣れた景色が見えてくる。
相変わらず中途半端にぬるい風。
帰ってきた、と思っていいのだろう。
私は迷わず地霊殿へと向かうと、燐の姿を探す。
今日来ることは知っている筈だから、自分の仕事部屋にいるだろう。
「どうぞ」
部屋をノックすると燐の声が聞こえた。
たったの3日ぶりだと言うのに、ずいぶん久しぶりに感じてしまう。
耳に残る、心地いい声だ。
「お待たせいたしました、燐」
「お、待ってたよみとり、座って座って」
「はい」
促されるままにソファに腰掛け、報告書を渡す。
そしてこの3日間のことを燐に説明した。
神奈子に会ったこと、電波塔製造の進行具合、自分の向こうでの立ち位置、そして。
「さすがみとり、見つけたんだね」
「はい」
電波塔のシステム不全を引き起こす決定的な隙。
「いくつかの変圧装置に細工をします」
「電圧変えるやつ?」
「そうです」
私が設計した変圧装置にはある仕掛けがしてある。
もちろん設計図上では正しく見えるし、普通に動く。
だが、抵抗器を1つ取り替えるだけで、挙動が激変する。
そもそも変圧装置とは内部のトランスや抵抗器の比を利用して最終的な出力電圧を決めている。
だが抵抗器にも種類がある。
単純なオームの抵抗値もそうだが、許容電力と言うものがある。
同じ抵抗値の抵抗器でも、大電流を流すためには大きめの抵抗器が必要になる。
これが小さいと、抵抗器は過熱し、抵抗値が激変する。
この特性を利用する。
変圧装置内の抵抗器を許容電力の小さいものと取り替える。
でも小さいだけではダメだ。
程よく小さいものを選ぶのだ。
電波塔で使用する電力は一定ではない。
平常時、スタンバイ時、通常放送時、それぞれ稼動する機器が違うし、それぞれが消費する電力も違う。
いくつかの条件を満たしたとき、消費電流が限界を超え、変圧装置が安定した電圧をかけられなくなり、機器が誤作動を起こす。
そんな抵抗器を用意する。
特定の機器が使えないのではなく、不具合にいくつものパターンが存在する。
さらに個別での機器の試験では正常に稼動し、原因の特定は困難。
おまけに抵抗器には抵抗値は書かれていても、許容電力の値なんて書いていないので現物を見ても分からない。
最悪ばれたとしても設計上問題はないのだ。
私が疑われることもない。
ほんのいくつかの抵抗器を付け替えるだけで、これは実現する。
「それは、ばれないの?」
「少なくともあそこの試験のレギュレーションでは発見できません」
「あたいじゃ言われてもわかんないよ」
「そうですか」
いかん、本格的に気分が悪くなってきた。
考えただけでこれなのだ、本当に実行できるのだろうか。
「うん、いいね、これでいこう」
「ありがとうございます」
気は重い。
なにか、違う話題はないだろうか。
「燐」
「うん?」
「さっきも言いましたが、山で神奈子に会いました」
「うん、聞いたよ」
「燐が言うような危険な人物には思えませんでしたが」
「うーん、何言われたの?」
私は慎重に言葉を選び、神奈子に言われたことを説明した。
「それで、みとりはどう思った?」
「……それもいいかな、と」
「そうかい」
燐は黙ってしまう。
まずかっただろうか。
でも、地底と地上の隔たりがなくなれば、みんな喜ぶんじゃないのだろうか。
「みとり、お前は誤解しているよ」
「誤解ですか?」
「誤解というか、見解違い」
「はあ」
「地底と地上が1つになる、聞こえはいい気がするよね」
「はい」
「でもねみとり、地底でそれを望んでるのはほんの一握りだけなんだよ」
「え?」
「いいかい? みとりは無理やりここに落とされたんだろうけど、旧都に住んでるほとんどの妖怪は自ら望んでここに来たんだ、人生に絶望して、競争に疲れて、地上のやり方に嫌気がさして」
「そうなんですか?」
私は、てっきり……
「だからねみとり、あたいらは地上と関わりなんて持ちたくないんだ、物資の援助とかあるからさ、向こうが行き来することに目を瞑っているんだよ」
燐は、あくまで優しい声色で言葉をつむぐ。
「地底の妖怪皆殺しはさすがにないよ、力ある者うんぬんもたぶん本当だ」
でもね、と燐は言葉を切る。
「あたいは殺される、100%間違いなく」
「で、でも閻魔は」
「みとり、忘れちゃいけない、地霊殿の主はさとりなんだよ、あたいはただの従業員さ」
「そんな……」
「従業員の不祥事を粛清したくらいじゃ何も言われやしないよ」
「……」
「だからゴメンよみとり、あたいはそれにはのれないよ、あくまで鎖国さね、みんなの平穏のために」
「……はい」
燐に見つめられる。
私は、ただただ自分が恥ずかしかった。
自分の都合だけで物を言って、簡単に心変わりさせられて。
大局の見えない阿呆なガキ。
それが今の私だった。
「ま、気にすんなよみとり、あたいはお前がうらやましいよ」
「ありがとうございます」
「あたいは、合わせる顔がねーもん」
燐は笑った。
『誰に』なのかを言わなかったが、そんなことはどうでもいい。
少しだけ、気が楽になった。
惚れ直しちゃったよ、燐。
「あ、そうだ燐、紅魔館って知ってますか?」
今思い出した。
これも聞いておかないと。
「うん? ああ、知ってるよ、紫に喧嘩売ったお馬鹿さんでしょ?」
「そうです」
「あん時は大変だったなー、あいつら強えーの何の」
「参加してたんですか!」
「紫に呼ばれちゃってね、あたいったら頼れるね」
知らなかった。
全然知らなかった。
「そいつらがどうかしたの? いじめられた?」
「ラジオのスポンサーらしいです」
「……は?」
燐の顔が青くなった。
「燐?」
「……マジで?」
燐が頭を抱えてしまう。
しばらくブツブツとなにかつぶやいていたかと思うと、私の持ってきた報告書を読み始める。
そして報告書をポイと放ると、顔を上げた。
「みとり」
「はい」
「やばいかもしれない」
燐が言うには、紅魔館は財政力で言うなら間違いなくぶっちぎりで幻想郷トップの組織らしい。
外の世界にいくつもの会社を持ち、そのノウハウをも手中にある。
管理者との協定により過度な資金の流入はできないものの、その規模は洒落で済むレベルではない。
おまけに幻想入りしたときも、外で忘れられて流れ着いたのではなく『魔法技術も用いて力ずくで大結界を突破した』らしい。
それはつまり、出入りが自由ということ。
その気になったら、外の技術者を連れて来る事ができるということ。
魔法で催眠術の1つでもかければ、処々の問題も解決できる。
「なあみとり、その細工は人間相手に通じると思う?」
「……」
答えに窮した。
無理だ。
無理にきまってる。
相手は物作りのプロだぞ。
紀元前からそればっかりやってる連中だぞ。
その技術だけで世界を席巻した怪物だぞ。
河童の浅知恵なんて、その日のうちに看破されるに決まってる。
「……まずいな」
「……申し訳ありません」
「何で謝るのさ、これはあたいのミスだよ、よく知らせてくれた」
それきり燐は黙り込んでしまう。
万策尽きたのだろうか。
でも、燐、1ついいかい?
「燐、実はもう1つプランがあります」
抵抗器よりも先に思いついていた、別の策。
私にしかできないプランBにしてウルトラC。
それを燐に説明した。
「……本気で言ってるの?」
「はい、本気です」
「失敗したらどうなるか分かってる?」
「燐が死にます」
「……できるの?」
「やります」
これは、修羅の道。
誰もやったことのない、やろうとすらしたことのない方法。
細い細い、蜘蛛の糸。
私と燐はしばらく見つめ合っていた。
そして燐は、口を開く。
「わかった、他に手はない、やってくれ」
「はい、必ずやりとげます」
「頼んだよみとり、もしそれが成功したら」
「……」
「ご褒美に、ちゅーしてあげよう」
「ありがとうございます」
燐は無理しておどけた様に言う。
でも、気合は入った。
後はただ、走り抜けるのみ。
◆
タイムリミットは1ヵ月後。
思っていたより短い。
地上の電波塔はまだ建設中というか設計中だが、予算やら何やらを決めるためにもっと前からさまざまなことが決定してしまうらしい。
その合同会議が1ヵ月後。
それまでに、全てを終わらせなければならない。
とにかく時間が惜しい。
地上の技術指導員としての立場を利用し、工場で保有していた電波塔に関わる文献を読み漁る。
紙のページに書き記された人間の技術。
血と汗と涙によって築かれた歴史の結晶。
アカシックレコードから掬い取ってきたとしか思えないほど見事な法則と原理。
その偉大なる山脈の前に、思わず跪きたくなった。
それを今、ほんの少しだけ拝借する。
工場での仕事を程ほどで切り上げ、チェックマンとしての業務を他の河童に頼む。
いつまでもいられる訳じゃない、と言ってコツだけ教えた。
きっと大丈夫だろう。
空いた時間を利用してひたすら勉強。
そして設計図を引く。
とある装置の設計図を。
作業を進めるうち、頭痛がしてきた。
吐き気の次はこれか。
とことん弱っちい体だった。
残りの滞在日数全てを使い設計図を完成させると、にとりに頼んで案内をしてもらう。
友達の友達が住むという、紅魔館へと。
幸いにも咲夜が私のことを覚えていてくれて、すんなり屋敷に入れてもらえた。
真っ赤な屋敷になぜか親近感を覚えたが、今はどうでもいい。
通された部屋で私は電波塔建設とは無関係な個人での輸入を依頼した。
「ええ、かまわないわ」
「ありがとうございます」
にとりの友達の友達らしい魔法使いのお姉さんが対応をしてくれた。
物腰の丁寧な方だ。
「でも、これ結構高いわよ」
注文のリストを見ながらお姉さんは言う。
そうだろう、一介の妖怪が払える金額ではないはずだ。
だが問題ない、今私の懐は暖かいのだ。
私はリュックをひっくり返した。
「お金ならあります」
どさどさどさ、とテーブルの上に札束が踊る。
全部で1350万円分。
「うえ!? お姉ちゃんこれどうしたの?」
「私は高給取りなんだよ」
博打で勝った金だけどな。
「……こんなにはいらないわ、でもわかったわ、手配するから配送先を教えて頂戴」
「にとりの寮でいいかな」
「あ、うん」
さすがに地霊殿は無理だろうし。
「あなたの家じゃないの?」
「ウチちょっと狭くって」
「そう」
て言うか、うかつに地霊殿の名前は出さないほうがいいだろう。
「1ヶ月ほど待ってて頂戴」
「2週間で欲しい」
「……あのね」
「これは、あなたに」
50万の札束をお姉さんに差し出す。
チップにしては法外だが、なりふり構っていられない。
「何とかしましょう」
お姉さんはそう言うと、チップをさっと懐にしまった。
話が分かる人でよかった。
そしてなぜかにとりは目をそらしていた。
寮に戻り、荷造りを始める。
今日で技術派遣は終わりだ。
「にとり」
「なぁに?」
「これを預かっててくれ」
そう言って愛銃のウィンチェスターを手渡す。
2週間後にこっちに来るための理由が必要だ。
忘れ物をした、でいいだろう。
「わかった」
言わずとも察してくれたようで、にとりは素直に受け取ってくれた。
お世話になった河童たちにも挨拶は済ませた。
行きたくなかったが神奈子のところにもちゃんと挨拶してきた。
またいつでも来い、と言ってくれた。
騙されちゃだめだと分かっていても、思わず信じてしまいそうになる。
何もかもを委ねてしまいそうになる。
流石は神様、といった所なんだろうか。
それはともかく、後は帰るだけ。
最後ににとりに別れを告げ。
地上を後にした。
さらば日光。
燐に最低限の報告を済ませると、足早に自分の工房に戻る。
1週間ぶりにここに来たが、綺麗に掃除されていた。
やってくれた人にお礼を言いたかったが、今はとにかく時間が惜しい。
今ある部品だけでできることはある。
後はもう、やれるだけのことをやるしかない。
「さあ一丁、河童の本気を見せてやりますか」
そして私は上着を脱いだ。
◆
1ヵ月後。
山で主催される会議に私は出席していた。
メンツは燐、神奈子、大天狗、そして知らない子供が1人、もしかしてこいつが吸血鬼だろうか、牙あるし。
ていうかさとりがいない。
さとり仕事しろ。
「あんた大丈夫?」
「え?」
前に出て技術的な説明をしようとしたら、吸血鬼(推定)に話しかけられた。
「やばい顔になってるわよ?」
「いえいえ、お構いなく」
まあ、ここ数日寝てないし。
この会議だけ、持てばいい。
「では、説明を始めます」
新型のプロジェクターを使って映し出された画面を棒で指し、私の戦いはクライマックスを迎える。
「私の『創った』、新型電波送信装置について」
要は地上の連中が地底に来なければいい。
地底で全てまかなえれば、まったく問題がないのだ。
だから創った。
輸送の必要のない、小型電波塔を。
妖怪は本来物を壊す存在だ。
だから『制作』は何とかできても、『開発』となるとからっきしなのだ。
でも私はハーフ。
半分は人間。
だからこそできた。
忌み嫌われた半妖だけど、生まれて初めてそのことに感謝した。
私は説明を開始する。
これは従来のような地域全てに届く電波塔ではなく、小型の電波塔を複数個設置することで放送範囲をまかなう代物だ。
電波塔同士のやり取りと、受信機向けの電波を別回線にすることで混線も防ぐことに成功している。
これのためにいくつ試作機を作る羽目になったか。
しかし紅魔館の仕事は確かなようで、資材をあっという間に揃えてくれた。
おかげでこうして間に合わせることができた。
「これにより、消費電力は従来の5分の1、製造・設置にかかる費用は20分の1以下で済みます」
強いて言うならエリアの境目付近だと受信しにくいデメリットがあるが、そんなものはあってないようなものだ。
「以上で説明を終わります」
練習したとおりにちゃんと言えた。
一礼して席に戻ろうとした瞬間、全身が凍りつくほどの悪寒に襲われた。
「うひぃ!?」
思わず変な声が出た、何事かと思い辺りを見渡し、神奈子と目があった。
殺意。
そんなタイトルの美術品があったらきっとこんな感じだろう。
あの優しげですらあった神様はどこへやら。
その双眸は見開かれ、私を食い殺そうとしているとしか思えない。
「……あ、あぅ」
恐ろしい。
ただ恐ろしい。
その場に崩れ落ちそうになってしまう。
ガンっという音がして、神奈子の腹に机がぶつけられた。
「あ、ごめーん、足組もうとしたらぶつかっちゃった」
「……チッ」
燐が助け舟を出してくれた。
あれが神奈子の本性か。
邪魔者を駆逐する軍神の顔。
死ぬかと思った。
その後会議で何が話されたのか、私は良く知らない。
いやもう、ここ何日か徹夜してて、ね。
「いいっていいって、大天狗が頭抱えてるのは見ものだったよ」
地底に帰る途中、燐にそう言われた。
「後なんかレミリアに大うけしてたし」
「あ、やっぱりあの子が吸血鬼だったんですね」
「あの子って、お前さんより年上だよ?」
「そうなんですか?」
妖怪は見かけによらないものだ。
あれで300歳くらいだったりして。
◆
寮に帰ってまたぶっ倒れた私は、翌日燐の仕事部屋に呼び出された。
「いやぁみとり、昨日はご苦労様」
「ありがとうございます」
「にゃはははは、神奈子の泣きっ面は見ものだったね」
「私は二度とゴメンです」
ヘビに睨まれた河童とか。
冗談じゃない。
「しっかしまあ、よくやってくれたよ」
「頑張りました」
「うん、えらいよ」
「えへへ」
「ヤマメが聞いたらびっくりするだろうね」
「そうですねー、何せシステムそのものを開発したんですし……って、うわぁ」
「ん? どした?」
「お土産買ってくるの忘れてました」
「あらら」
まあいい、適当な物でお茶を濁そう。
ついでに借りっぱなしの寝袋とアカギも返そう。
そうしよう。
「さて、お待ちかねのご褒美タイムだよ、こっちにおいで」
「はーい」
「今回は頑張ったからね、特別サービスだよ」
「わーい」
にへらにへらと頬が緩んでゆくのが分かる。
りーんー、はーやくー。
そしてムチュっと唇が触れる。
と思ったらすぐ離されてしまった。
「……ふぅ」
「……終わり?」
「うん?」
「足りない」
「え?」
がばっと燐をソファに押し倒し、上に覆いかぶさる。
べろりと舌なめずりし、燐の服に手をかけた。
「ちょ、ちょっと!」
「全然足りない」
燐の唇を奪う。
それはもうディープに。
燐はむちゃくちゃ嫌そうだったが、途中で開き直ったのか舌を絡めてくれた。
燐の舌を思う存分堪能する。
やっぱりザラザラするんだ。
「んー」(私)
「んー!」(燐)
「んー?」(私)
「んーん!」(燐)
「んんー」(私)
「入るよー」(ヤマメ)
「んー!!」(燐)
「おじゃましましたー」(ヤマメ)
「んんんーーーー!!!」(燐)
たっぷり10分は味わってから、燐を開放してあげた。
「キス、しちゃった」
「そんな可愛らしいもんじゃなかっただろ!!」
「えへへ」
「黙れエロ河童!!」
これは珍しい、燐が動揺していらっしゃる。
「あたいの純潔が」
「まあまあ」
嘆く燐に擦り寄りながら私は言う。
ひっぱたかれた。
そこでやっと、私は自分のおつかいが終わったことを実感した。
帰るまでが遠足。
ご褒美までがおつかい。
そういうものなのだ。
◆
地底の風は生ぬるい。
中途半端な温度、中途半端な湿度。
そして中途半端なお祭り気分。
街はいつも喧騒に包まれていて、それが何かを誤魔化してるようで。
喉が渇いているのに、水が無い。
そんな気分を延々と味わう場所だ。
辛いし苦しいし、息が詰まる。
それなのになぜか、居心地がいい。
それが私のスイートホーム。
守るべき、第2の故郷。
了
このSSの最大のチャームポイントですね!
賭場や地上の工場、みとりのつくる機械について描写がきちんとされているのは評価したい。
独特の世界観ながら、それに慣れ親しむことができるし、妄想も滾りますから。
最後にちゅっちゅシーンもあって色めきたっちゃたわ!
知恵をしぼったり、揺れ動いては決断するみとりには共感できるし、にとりや燐はかわいい!
独特な世界観、ストーリー、ちゅっちゅシーンとどれもがバランスよく入っていて、
冒頭と末尾の文章が同じなのも、構成がよく練られていると思いました。
ただもう少し、神様の考えや腹積もりなんかを説明してくれると嬉しかったかな。
みとり△
ですが、その分書きこんだ内容にはどっぷりはまってしまいました。
南条さん、こんな話も書けるんですね。変な感想になってしまうんですが、一言でいうなら「意外」でした。
細かい描写、言い回し、共によく出来ています
南条さんは名前避けされているかもしれませんが頑張って下さい
私は応援しています
みとりイイネ
ネタでサーって言ってるんだろうけど
ほんわか地霊殿が多い中、適度にシビアな地底はとても刺激的でナイスです
お燐の有能っぷりがすごいですね
楽しめました
会話多すぎ、世界観薄すぎ
なんかブリーチみたい
カルピス