冬というのは、孤独をことさらに感じさせる季節だ。
あまり好きではない。普段は平気な顔をして、美しい孤立がどーのこーのと虚勢を張れるのに、寒さが骨身に染みるようになると、そんな口癖は強がりでしかないと痛感させられるから。
私だって、誰かと手を繋いで往来を歩きたい。
私だって、誰かの温かさを全身に感じてみたい。
理論武装と名前を付けた言い訳の狭間から、そんなどうしようもない本心が顔を覗かせては、独り身の私に呆れ顔をして来る。
だから、そのせい、なのだろうか。
“彼”のことが、妙に気になってしまうのは。
名前も知らない薬売りのことを、気付けば考えてしまっているのは。
彼。編み笠を目深に被り、純白の修験服を纏って、家から家へと置き薬の巡回販売に精を出す商人。数少ない、私の家への訪問者。
基本的に、私は他人に興味を持たない。誰かのことを知ろうとするモチベーションが、低いのだと自覚している。
だから、私は彼のことを何も知らない。大した話もしない。こんにちは。いつもありがとう。そんな取るに足らないワン・フレーズを、つっかえることなく口にできるというそれだけのことで、平時の私は満足してしまうから。
私のことを、滑稽だと思うのはアナタの勝手。そんな限りなく他人に近い誰かのことを、気に掛けていると胸を張るだなんて、と。
でも。
だけど。
ふとした瞬間。それは例えば、自分で淹れたお茶を啜る時とか、食材を買って帰る時とか、眠ろうと入った布団が冷え切っていると感じる時とか。そんな日常の小さな隙間に、私の思考回路は彼を、純白の修験服の君を、ふわりと思い起こさせるのだ。
彼の肌。山際の雪化粧みたいに透き通って白い肌。繊細な指。ギリギリまで磨き上げた宝石みたいに綺麗な人。それでいて爪は鋭く、長く、その攻撃的な見た目でもって、危なげな美しさを際立たせている。
そして、彼の瞳。
紅い眼。編み笠の下から時折うかがえる目が、私を惹きつけてやまない。赤は好きだ。じゃなきゃ、こんなアグレッシヴな見た目を選ぼうとは思わない。
あぁ、とため息を吐く。彼のあの紅い瞳は、どんなものへと向けられているのだろう。里の人々へと卸す薬? それとも、地平線のすぐ上方に浮かぶ赤い満月? ルビーのような彼の瞳は何の色を映して、ああも綺麗に染まるのか。
私は胸の奥の小さな痛みを自認しつつ、願わくは、と思う。
願わくは、そう、私のこの赤を、彼に映しては貰えないだろうか、と。
私を見つめて、ただジッと見つめて、私という存在が彼の瞳の更に更に紅く染める一助になれたらいいのに、と。そうすれば私は、この忌々しい孤独を忘れ、寂しさを永遠に消してしまえるのに――と。
◆◆◆
「――ばんきちゃんそれはもう恋だよ。全力で恋慕だよ。ばんきちゃんはその人のことがメチャ好きなんだよ」
したり顔で私をビシッと指差すのは、わかさぎ姫だ。
いつもの他愛ない草の根妖怪ネットワークでの一幕。ちょっとした好奇心で、胸の内を明かしてみると、そんな判り切った答えが返ってくる。
恋。恋慕。私には縁遠いと思っていた感情。
けれど、今の私の胸の奥を苛むのは、間違いなくその想いであることに、疑いの余地はなくて。
「お赤飯だね」
ニマニマ笑いながら追撃を仕掛けてくるのは影狼ちゃん。彼女は陸では思うように動けないわかさぎ姫を、まるでぬいぐるみみたいに後ろから抱きかかえている。この二人が妙に仲が良過ぎるのも、私の孤独を強める一因。三人の集まりで二人の仲が良過ぎれば、必然的に余り者ができてしまう。つまり私のこと。
「恋……って言われても、うん、確かにそうなんだろうとは何となく思うけど……良いのかしら? 私は、相手の名前も知らないのに」
「聞けばいいじゃん。お名前を聞かせてくださいって。ラブはそこからだよ。まずはお互いのことを知らなくちゃ」
「うん、それは判ってるんだけど……」
ピンと立てた襟の中に、自分の顔を埋めてしまう。典型的なデモデモダッテ。孤独は心を弱くする。特に誰かと繋がろうとする力を。
私は臆病者なのだ。相手の方へと踏み込むのが怖い。もしも変な顔をされたら? 迷惑だと思われたら? 少しでもそう思ってしまえば、もう前向きな行動よりも、立ち尽くすことをあっさりと選んでしまう。遠くで見てればいいや。たまに話ができればいいや。そんな風に、ズルズルと。
「ばんきちゃん、メンド臭いねー。もう押し倒しちゃえば? 乳でも揉ませればイチコロだよ。どうせあっちのせいになるんだし、お手軽じゃん」
「…………揉ませるほど、無いし」
「逆にそっちの方がアリじゃない? 貧乳はステータスだって外の有名な人が言ってたらしいよ。それに、持たざる者が頑張った感じがして燃えるんじゃない?」
「持たざる者って言わないで」
「まあ、それは冗談として」
コホン、とわかさぎ姫が咳ばらいをする。本気のアドバイスのお時間。恋に関して言えば、人魚ほど精通した種族もいまい。私はこころなし前のめりになって、彼女が再び口を開くのを待つ。
「ばんきちゃんの今のその感情は、まだ恋とは言いがたい感じがするよね。憧れだよ。自分が良いな、と思った対象を、遠くから見つめる時の気持ち。それをきちんと整理しないと、恋愛に発展させようとするのが無理な話。
じゃ、ここで想像してみ? ばんきちゃんが気になってるその人が、他の誰か……誰でも良いんだけどねー、じゃあ慧音さんにしてみよっか。うん。慧音さんと仲良さそうに話をしてるのを目の当たりにしました。その時、ばんきちゃんはどう思う?」
「好きな薬の話で意気投合したのかな、って思うかも」
「馬鹿か」
わかさぎ姫が容赦のないチョップを繰り出してくる。ガッシ! ボカッ! アタシは死んだ。
「嫉妬しなよ。嫉妬を。なに? 好きな薬の話って。ムコダインのフォルムがそそるとか、バファリンを二分割して優しさの部分だけ飲みましたとか、ペニシリンは青かびから発見されたとかの話? それを連想できる方が凄いよ。慧音さん美人さんでしょ? ばんきちゃんの好きな人が好きになっちゃうかもしれないでしょ? それを危惧するのが恋だよ。判る?」
「あー……」
「本気で納得してる顔だね……こりゃ重傷だわ。お一人様に慣れ過ぎだよ。危機感を持ちなさい危機感を」
わかさぎ姫が、大きな大きなため息を吐く。その背後で影狼ちゃんは、わかさぎ姫の尻尾を恍惚の表情で撫でていた。もうその内、半獣半魚の新しい妖怪が産声を上げるんじゃないだろうか。大昔の世界地図に書かれてた想像上のイルカみたいな奴。
「ともかく、ばんきちゃんはまず、相手の懐に入っていくくらいの気概が欲しいよね。そりゃ、押し倒しておっぱい揉ませるまで行かなくて良いし、それをやったらただの痴女だしドン引きされるからね。まずは会話を続けなさい。会話を。天気の話でも良いしペニシリンの話でも良いからさ。何もかもそこから。良いね?」
「はい、姫ちゃん先生」
「属性付け過ぎだよ。その二つ名だけで危ない奴だって認定されちゃうよ。とにかく、次の巡回はいつ? それまでに、幾つか会話のバリエーションを増やしておくように。これ宿題ね。判った?」
私は頷く。二回ほど。
なんだ、簡単じゃないか。あらかじめ、何を話せばいいか決めておけばいいのだ。聞いてみればとっても簡単だけど、これは盲点だった。灯台下暗しってやつだろうか。幻想郷に灯台はないけど。
「任せてちょうだい。私、頑張るから」
「うん、応援したげるよ。大事なのは笑顔。笑顔を忘れないでね?」
そう言って、わかさぎ姫はグッとガッツポーズをしてくれた。
◆◆◆
……さて、巡回が来る日がやってきた。
抜かりはない。今日という日のために、あらゆる準備をしてきたのだ。話のネタだって帳面三冊分くらい書き連ねたし、日が昇る前に起きて発声練習もした。部屋だって掃除したし、下着は新品だし、YES/NO枕のNOの部分は千切って捨てた。ここまで用意を整えておいて、失敗など有ろう筈もない。
行ける。行けるわ私。赤蛮奇。これで寂しい独り暮らしから脱却できる。これからどうやって生活していこう。やっぱ薬の勉強しといた方が良いかな。薬剤師の免許はどこで取れるんだろう?
ところで子供ができたら、名前はどうするべきか。可愛い名前を考えておかなくちゃいけない。将来イジメられないように。
男の子だったらメンゲレで、女の子だったらナイチンゲールにしよう。
……やば、今日の私、めちゃめちゃ冴えてる。天才だわ。こんなキャッチーな名前を一瞬で考え付けてしまうなんて。
これは吉兆。間違いなく性交の第一歩。違う。成功だった。まあ、どっちも似たようなもんか。お付き合いしたい。私は一方的に突かれる方だけど。
などと考えてハイになってる内に、
「――ごめんください」
来た。彼のあの凛とした声音。ああ、我が家の扉がノックされてる。私の心の扉もコンコンして欲しい。既に開け放ってるから叩く場所ないけどね。
「はははははは、ははい!」
シット。ちょっぴり緊張のせいで噛んでしまった。だがまだ挽回はできる。落ち着いて。落ち着くのよ赤蛮奇。深呼吸をして。幻想郷から酸素が無くなるくらいに大きな深呼吸をするの。
鏡をチェック。笑顔を確認。いつもの私。というかいつもより可愛い気さえする。最高。もう絶好調よ。今日はいつもより素敵ですね……とか彼に言って貰うの! キャーーーッ! 痺れる憧れるゥ! さすが赤蛮奇!
さあドアを開けて。私を見て貰いましょ。彼に痺れて貰いましょ。今までの私とサヨナラ! 過去の私なんかハイクを詠ませてカイシャクしちゃいましょ! 私の新しい人生がここで始まる! いざ!
「……あ、どうも。置き薬の点検に来ました」
「……ごごっご、ごごごきげん、よう……」
何たる有様! どうしたの私!? 彼を見ると喉の奥が詰まってしまうの! ナンデ!?
「? どうかなされました? 気分が悪いとか?」
「ぜぜ、ぜぜん!? ききき今日は、良い天気でですし!?」
「? 曇ってますが……? まあ、眩しくなくて良いですね。雪も降りそうにないし」
ああ、彼が首を傾げながら曇天を見上げる。その横顔。きりっとシャープな顎。胸の奥でドキドキが爆発せんばかりに膨れ上がり、私の体内に熱を帯びた血液が循環する。
「くくく、薬箱、ととって来ます!?」
「はぁ……お願いします」
――死ね! 私など死んでしまえ!
何よこの体たらく!? 雪山で遭難して凍死寸前の人みたいになってるじゃない! 本当はゴージャスでエレガントかつ知的な会話をしたかったのに! これじゃいつも以下じゃない! もう私なんて以下蛮奇よ! 今日から以下蛮奇になってやるから!
「どどどど、どぞう! ペニシリン箱です!」
「ペニシリンは扱ってませんがねぇ……えっと……うん、使われた薬はないみたいですね。じゃ、私はこれで。また何かありましたら、何なりとご用命を」
「まままま待って! 待てクダサイ!」
上ずった声で何とか静止を要求すると、去り掛けた彼が立ち止まってくれた。何だか来日したばっかりの大陸妖怪みたいなイントネーションではあったけど、まあ結果オーライ。
「はい? 何か?」
「ああああああ、あな、貴方、やだ貴方だってドゥフフフ……じゃなくて。ああなたの、お名前、ままだ聞いて、なくて……」
「はぁ、私の名前ね……」
長い爪で器用に頬を掻きながら、彼が不思議そうな顔で私を見る。ああ、あの瞳。紅くて綺麗な眼。見ているだけで、どうにかなっちゃいそうな、不思議な眼光。
「――鈴仙、と申します。今後とも、御贔屓に」
そう言って。
彼はニッコリと優しげに微笑むと、重そうな箱笈を背負ったまま、私の家から遠ざかって行ってしまった。
私はその場にへたり込む。怒涛の嵐が吹き抜けた心中を抱えたまま。あるのは喪失感と、ぼんやりとした熱気。きっと耳まで赤く染まってるだろう私の顔を、冷たい風がサラリと撫でていった。
「……名前、聞けた……」
とりあえずは、一歩前進といったところか。
◆◆◆
「アホなの?」
意気揚々と戦果報告に出向いた私に、わかさぎ姫の冷たい感想が返ってくる。流石は人魚。変温動物としての片鱗をここで見せてくるとは。
「何それ。どもりまくりじゃん。マッサージ機当てたファービーの方がよっぽどお喋りできてるよ。ファービー以下だよファービー以下。ばんきちゃん反省しよう? アナタは幻想入りした機械の玩具に負けたの」
「……でも、名前は聞けたし……」
「名前なんか九官鳥でも聞けるよ。ていうか、ばんきちゃんの言う準備ってのが既に有り得ない。なんなの? どうしてベッドインの準備を丹念に整えてるの? やるわけないじゃん、名前も知らない相手となんかさあ。発情期の犬の方がよっぽどお淑やかだよ。ばんきちゃんの貞操観念が童貞中学生並みってところに、私はショックを隠し切れないよ」
「…………でも、鈴奈庵で借りた外の世界の恋物語とかだと、結構メジャーだったし……」
「フィクションと現実をごっちゃにしないで。というか多分、それは恋物語じゃないと思う。お願いだから、変な漫画とか小説とかの影響を受けないで。私が教えてあげるから、自習は金輪際ひかえよう?」
「――んー、レーセン、レーセン……どっかで聞いた名前だなぁ……」
今日も今日とて、わかさぎ姫を背後からハグする影狼ちゃんが、小首を傾げながら誰にともなく呟く。どうでも良いのかもしれない。だって私は見た。どさくさに紛れて、彼女がわかさぎ姫の髪の毛の匂いをクンカクンカするところを。それに素知らぬ顔をしているわかさぎ姫に、恋愛指南を受けても良いのかと少し考えてしまう。
「……これは、攻略方法を変えた方が良いね……ばんきちゃん、この様子だと弥勒菩薩が救済に来るまでまともに告白できないよ。
よし、贈り物をしよう。プレゼント大作戦だよ。そこにラブレターでも忍ばせれば、何とかなるでしょう」
やれやれ、と肩を落としながら、わかさぎ姫が大きな大きなため息を吐く。そんなドブ川でも見るみたいな目で私を見ないで欲しい。これでも頑張った方だと自負してたんだから。
「ラブレター……艶書かぁ……それなら、私でも何とかなりそうね」
「因みに私は危惧してるからね。どんなブッ飛んだ文面を考え付くか、もう今からヒヤヒヤものだよ。
ちょっと試そう? どんな手紙を書くつもり? 言ってみて」
「う、うん……えっと……『拝啓、寒さが身に染みる季節が続きますが、子供の名前は何にしましょうか』」
「はいストップストップ! 何それ何それ何それ、もう怖い。怖いよばんきちゃん。それはラブレターじゃなくて不幸の手紙だよ。手紙を燃やした後の灰でも町が一つ壊滅するくらいの破壊力があるよ。
ていうかばんきちゃんはどうして頑なにR18な方向へ突っ走ろうとするの? 卵巣と脳みその位置を間違えて生まれてきちゃったの? 本当にやめて。それはゴールじゃないんだよ? 単なる通過点だよ? もうちょっと落ち着こう? 動物プランクトンじゃないんだから繁殖のことはひとまず忘れてくれる?
良い? 文面は私が考えます。ところでばんきちゃん、字は綺麗?」
「鈴奈庵の女の子から、解読不可能って言われたくらいかな」
「オッケー。もう私が書きます。だからばんきちゃんは、プレゼントの方を考えて。それくらいなら、ばんきちゃんでもできるでしょ? ていうか、それはアナタがやらなきゃ駄目な領域だからね?
……プレゼント。自分の考える、最良の贈り物。相手に、送ったアナタのことを強く感じさせるような品物。それも、お付き合いを前提にするんだから、ありきたりの物じゃ駄目。こればっかりは、私もアドバイスできないよ。綺麗な石くらいしか思いつかないし」
「そうね。私も綺麗な宝石は貰いたい方だから」
「女の子の夢だよねー。ファイトだよばんきちゃん。くれぐれも変な物を選ばないように気を付けてね? 妊娠検査薬とか絶対に駄目だよ?」
「え!? 駄目なの!?」
「……うん、駄目なのは、ばんきちゃんの脳みそだったってことが判ったよ。よくよく考えるように。奇抜すぎても駄目。高価すぎても重いからアウト。大事なのは、そのレーセンさんにアナタのことを思い起こさせるような、気持ちのこもった贈り物だからね?」
――気持ちのこもった贈り物。
私は考え込んでしまう。彼は何なら喜んでくれるだろう。私のことを考えてくれるだろう。花束とか、お菓子とか、ゼ○シィとか。ありきたりな物をパッと思い浮かべてはみたけれど、どれもこれも相応しくない気がしてしまう。かなり難しい。
「うんうん。悩め悩め、恋する乙女。色々と辛辣なことは言うけど、私だってばんきちゃんの想いが成就することを願ってるからね?
手渡し……は、ばんきちゃんの話を聞くに難しそうだよね。テンパって大変なことになりそう。レーセンさんは巡回でばんきちゃんの家まで来るんでしょ? だったら、玄関の前にでも置いとけば? そうすれば、きっと持って帰って手紙も読んでくれるよ」
「……なるほど」
思わず感心してしまう。なんという気配りのできる友人を持ったのだろう、私は。弱小妖怪をやってて良かった、と心から感謝した。
自然と気が引き締まるのを感じる。私でも、幸せになれる気がしてくる。あの人に私の気持ちが伝わるようなプレゼントを考えて、私の想いを知ってもらうのだ。
「何から何までありがとう。姫ちゃん。私、アナタとお友達で良かったわ」
「いいってことよ。さ、ばんきちゃんはお家に帰って、プレゼントの内容について深く考えよう? 私はラブ力を強めて最高のラブレターを書くために、今から影狼ちゃんとイチャイチャするから」
わかさぎ姫が蚊でも追っ払うみたいな仕草で手を振る。それと同時に『待て』を解かれた忠犬みたいに影狼ちゃんの尻尾が左右に振れた。この二人はタッグを組んで私に催眠術でも掛けようとしてるのかな、とか思ってしまう。
とにかく、作戦は決まった。あとは実行あるのみ。これで私は、きっと寂しいお一人様から脱却して、幸せな家庭を築くことができるのだ。私は膨れ上がる期待と興奮に打ち震えながら、踵を返して帰路に着く。
「相談に乗ってくれて、ありがとう。私、頑張って最高のプレゼントを考えるからね」
振り返って再度のお礼を告げるのだけど、もうわかさぎ姫は影狼ちゃんから色々と凄いことをされてて、もう聞いちゃいなかった。
とても描写はできない。
◆◆◆
「……とは言っても」
寂れた我が家に戻ってからというもの、御座の上に正座して色々と考えたのだけど、どうしても良いアイディアは浮かんで来てくれなかった。何日も何日も、日に三食しかご飯を食べず、六時間ぐらいしか寝ずに考えても同じこと。
贈り物なんて、わかさぎ姫と影狼ちゃんに何度か他愛のない物を渡したくらいで、いざ自分の人生を左右するような物となってみると見当もつかない。
修験服の彼は、いったいどんなものが好きなんだろう。私は、そんなことすら知らないのだ。答えが簡単に出てくる訳がないというのは、何とももどかしい。
「私のことを思い起こさせるような物……気持ちが伝わる物……下着とか?」
違う気がする。男の人と付き合った経験なんかないから判らないけど、わかさぎ姫はR18方向に行くなと言ってたから、その方向性は間違ってるのだろう。私がプレゼントされたら狂喜乱舞して神棚に飾るんだけどな。
「難しいなあ……どんな物だったら、彼は私のことを考えてくれるだろう……」
そう。その辺りがネックだ。できるだけ長く私のことを考えて貰うとなると、消耗品だと困る。手編みのマフラーとか手袋とかだと、冬が終わったら使わなくなってしまうし、そもそも私は不器用だから編み物なんかできない。
ああ、心の奥底がフワフワとする。彼のことを考えるだけで、頭がポゥっとして、何もかもが手に付かなくなる。修験服の彼。巡回薬売りのあの人。鈴仙さん。鈴仙、というのは名字だろうか? もし結婚すると私は鈴仙蛮奇になるのか。なんて素敵なんだろう。私はもはやYESの部分しか残ってない枕を掻き抱く。私の心は常にYESなのに、まだあの人はそのことを知らないのだ。それが虚しくて切なくて堪らなくなる。面と向かって伝えようにも、きっと私はまた舞い上がってしまって、『私はイエスです!!』としか言えなくなるに決まってる。キリスト教の神様なのかな? と思われるのがオチだ。
「うーん……何が良いんだろう……私のことを考えてくれる物……私の顔が浮かんでくるような物……大事なのは笑顔、なのよね……でも、現状の作戦だと顔合せないから、笑顔も見せられない……そもそも私、彼の前で可愛い笑顔したことあったっけ?」
どうだっただろう。彼と逢うときの自分の顔なんて、確認したことない。笑おうと意識してはいるけれど、それが実っているかどうかは判らない。鏡を一々チェックするのも変だし、私がもう一人いれば――。
「――あ」
途端、私に電撃走る。
そうだ。ひらめいた。可愛い笑顔を見せるための方法。私のことを明確に思い起こさせるプレゼント。そのどちらも一挙に解決し得る最善の策。
「……うん、うん……良い……良いわ……行ける! これなら行けるのよ赤蛮奇! 私にしかできないプレゼント!」
立ち上がって、ガッツポーズをする。思い描く計画に不備が無いことを確認する。大丈夫。これなら何の問題もない。伝えるのだ、彼に。私の想いを。私の笑顔を。
そうと決まれば、話は早い。今からわかさぎ姫のところへ手紙を貰いに行こう。ああ、ああ、頬が緩むのを感じる。完璧な作戦を思い付けた自分の冴え具合が怖いくらいだ。もうすぐ私は、彼と一緒になれる。もう独りで寂しく震える夜を過ごさなくていいのだ。
悲願の成就は、もうそこまで近づいている。私は一足先に春を迎えるとしよう。春告精なんかお呼びじゃない。私の心の雪解けは、もうすぐやって来るのだから。
◆◆◆
「――ただいま戻りましたぁ。今日も疲れたよ」
と、鈴仙の間抜けな声が玄関の方から聞こえて来て、私は、因幡てゐは、一応のねぎらいでもくれてやろうかと玄関へと向かう。私の口先八丁に乗せられて、一人で仕事を熟す彼女は愛しいくらいに純粋なお馬鹿さんだと思う。もっとも、最近では私が師匠から言いつけられる仕事を放棄している件について、あの子も何も言わなくなったけれど。
「お帰りー……ん? どうしたのそれ」
私は鈴仙が後生大事に抱えている箱に目を付ける。結構な大きさだ。チャチな壺くらいだったら楽々入るくらい。重さもそこそこあるようで鈴仙は、ふぅ、とため息を吐きながら、それを床に置いた。
「んー、いつも巡回に行ってる家の玄関に置いてあったの。『レーセンさんへの贈り物です』って、この紙に書いてある」
鈴仙がヒラヒラと可愛らしい装飾の為されたカードを見せてきた。ほほぅ。贈り物を受け取るとは、この子も中々どうして隅に置けない娘だ。最近は自分が妖怪兎だとバレないように、と男の人みたいな変な格好をしてる癖に。
しかしながら、あまり鈴仙の顔は浮かれたように見えない。そりゃ、人里まで行って戻って来たんだから多少の疲れはあるだろうけれど、この子は単純だからプレゼントでも貰えば舞い上がるような性質だというのに。
「あんまり嬉しそうに見えないね? しつこい人なの?」
「ん、そうじゃなくて……その巡回先の家ってのが里の外れにあって、私が行くといつも女の子が居てくれてたんだけど……」
「ははぁん、判った。今日はその女の子が居なかったもんだから、ちょっと心配だったってわけだ。良い子だなぁ鈴仙ったら」
「まあね。ちょっと心配だなぁ……今日はどうしたんだろ」
編笠を取り払いながら、鈴仙は上の空だ。本気でその理由が判らないとしたら、私はちょっと彼女の鈍感さが心配になってしまう。
どうして居なかったかって? 面と向かってプレゼントを贈るのが恥ずかしかったからに決まってるじゃないか。
初心だし、純粋だ。お馬鹿とも言える。そんな鈴仙のアホらしい様子を見せられて、茶化すなという方が無体な話。悪戯心がムクムクと湧き上がって来て、私は鈴仙が置いていたプレゼントを掴み、文字通り脱兎のごとく逃げ出すことを決める。
「隙あり、鈴仙!」
「あ、ちょ、てゐ! こら!」
「へへーん! 捕まえられるもんなら捕まえてみな!」
ダッシュで自分の部屋へ。後ろから、鈴仙が箱笈を取り外そうと慌てる音が聞こえる。それにしても、結構重いぞこのプレゼントは。少なくとも、マフラーや手袋のような類じゃないらしい。しかし鈴仙も馬鹿だね。道中で確認しとけば、私に横合いから掻っ攫われる羽目にもならなかったってのにさ。
そういうところが、可愛いとも言えるんだけど。
さてさて、鈴仙に想いを寄せるその女の子の想いとは如何に。美味しい物とかだったら全部喰い尽くしてやろう。そんな風にニヤニヤしつつ丁寧に結ばれたリボンを解き、箱を開ける。
――その瞬間。
私の全身から、サッと血の気が引いて行くのが判った。
「こら! てゐ! アンタ、いったいどういう……つも……り……」
私に追いついたらしい鈴仙の声が、どんどん弱まる。きっと彼女にも見えたのだ。箱の中身が。凄惨極まる、常軌を逸したプレゼントの内容が。
……生首、だった。
箱の中にきっちりと納められていたのは、赤い髪の少女の生首。目を閉じ、ご丁寧に化粧まで施してある首から上の部分。
それは見間違えられる筈もなく、どうしようもなく首から上以外が欠損した人体の残骸だった。
生きてる、だなんて口が裂けても言えない。
いったいどんな奴が、首を切断されて生きていられるというのだ。それを箱の中に入れられて、無事で済むような奴がどこに居るというのだ。
「れ、鈴仙……鈴仙、こ、これって……?」
私の声が、生首を示す指先が、震えているのが判る。齢も千年を優に超えて、ここまで自分が動揺するだなんて思ってもみなかった。こんな、こんな悪魔の所業。こんな悪趣味極まりない贈り物を見せつけられて、平然としてろという方が無理な話だ。
「あ……あぁ……そ、それ……わ、私が言った、女の子……ウグッ――!」
青褪めた鈴仙が、震えながら口元を抑える。私に背を向けたと思うと、畳にボタリ、ボタリと吐瀉物が零れる音がする。私の部屋を汚されたというのに、怒りなんて湧いてこなかった。そんな状況じゃない。鈴仙が戻してしまうのも、無理はないと私はどこか遠い思考で感じた。
……酷い。
あまりにも、無体だ。
里に住んでるということは、生首も人間の物、なのだろう。鈴仙が巡回に来ると知っていてその家に住む女の子の首を切断し、綺麗にラッピングする。そんな猟奇殺人を犯す奴が、この幻想郷に居る。そう考えると、途方もなく薄暗い感情が胸中を支配する。
私は知っている。その感情の名前。これまで何百年以上、感じて来なかった物。
――恐怖。
これを、異変と言ってもいいのか。博麗の巫女は、こんな狂った殺人に対処できるのか。犯人が人間であれ妖怪であれ、この牧歌的な幻想郷で、こんな所業を働く奴に覚えはない。怖い。私はいま、どうしようもない恐ろしさを感じている。身体が震えているのは、どう考えても寒さなんかのせいではなかった。
このまま、この生首を放置しておくわけにも行くまい。殺人者の情報が残ってるかもしれないし、きちんと供養もしなくちゃならない。
そう思って、私は振り返る。
そして私は、生首と『目が合って』、自分の目を疑ってしまう。
「――え?」
目が、合った。
おかしい。今の今まで、生首は目を閉じていたはずじゃなかったのか。それが今は、どうして目を開いている。ここには私たちの他に誰も居ない。震える私と、えずく鈴仙しか居ない。誰も生首に触れてない。
……なら、どうして生首が目を開く!?
「あ、あぁ、れ、鈴仙……! 鈴仙……ッ!」
「うぐ……な、に……?」
鈴仙が修験服の袖で口元を拭いながら振り向く。生首の異変に気付いたのだろう、彼女は「ヒィッ!?」と叫び声を上げ、半狂乱で頭を抱えた。
そして。
そして私は、見た。
鈴仙を視認した生首が。
切断され、箱の中に収められ、どう考えても生きてはいない生首が。
――ニッコリ。
と、満面の笑顔を見せてきたのを――。
Fin
あまり好きではない。普段は平気な顔をして、美しい孤立がどーのこーのと虚勢を張れるのに、寒さが骨身に染みるようになると、そんな口癖は強がりでしかないと痛感させられるから。
私だって、誰かと手を繋いで往来を歩きたい。
私だって、誰かの温かさを全身に感じてみたい。
理論武装と名前を付けた言い訳の狭間から、そんなどうしようもない本心が顔を覗かせては、独り身の私に呆れ顔をして来る。
だから、そのせい、なのだろうか。
“彼”のことが、妙に気になってしまうのは。
名前も知らない薬売りのことを、気付けば考えてしまっているのは。
彼。編み笠を目深に被り、純白の修験服を纏って、家から家へと置き薬の巡回販売に精を出す商人。数少ない、私の家への訪問者。
基本的に、私は他人に興味を持たない。誰かのことを知ろうとするモチベーションが、低いのだと自覚している。
だから、私は彼のことを何も知らない。大した話もしない。こんにちは。いつもありがとう。そんな取るに足らないワン・フレーズを、つっかえることなく口にできるというそれだけのことで、平時の私は満足してしまうから。
私のことを、滑稽だと思うのはアナタの勝手。そんな限りなく他人に近い誰かのことを、気に掛けていると胸を張るだなんて、と。
でも。
だけど。
ふとした瞬間。それは例えば、自分で淹れたお茶を啜る時とか、食材を買って帰る時とか、眠ろうと入った布団が冷え切っていると感じる時とか。そんな日常の小さな隙間に、私の思考回路は彼を、純白の修験服の君を、ふわりと思い起こさせるのだ。
彼の肌。山際の雪化粧みたいに透き通って白い肌。繊細な指。ギリギリまで磨き上げた宝石みたいに綺麗な人。それでいて爪は鋭く、長く、その攻撃的な見た目でもって、危なげな美しさを際立たせている。
そして、彼の瞳。
紅い眼。編み笠の下から時折うかがえる目が、私を惹きつけてやまない。赤は好きだ。じゃなきゃ、こんなアグレッシヴな見た目を選ぼうとは思わない。
あぁ、とため息を吐く。彼のあの紅い瞳は、どんなものへと向けられているのだろう。里の人々へと卸す薬? それとも、地平線のすぐ上方に浮かぶ赤い満月? ルビーのような彼の瞳は何の色を映して、ああも綺麗に染まるのか。
私は胸の奥の小さな痛みを自認しつつ、願わくは、と思う。
願わくは、そう、私のこの赤を、彼に映しては貰えないだろうか、と。
私を見つめて、ただジッと見つめて、私という存在が彼の瞳の更に更に紅く染める一助になれたらいいのに、と。そうすれば私は、この忌々しい孤独を忘れ、寂しさを永遠に消してしまえるのに――と。
◆◆◆
「――ばんきちゃんそれはもう恋だよ。全力で恋慕だよ。ばんきちゃんはその人のことがメチャ好きなんだよ」
したり顔で私をビシッと指差すのは、わかさぎ姫だ。
いつもの他愛ない草の根妖怪ネットワークでの一幕。ちょっとした好奇心で、胸の内を明かしてみると、そんな判り切った答えが返ってくる。
恋。恋慕。私には縁遠いと思っていた感情。
けれど、今の私の胸の奥を苛むのは、間違いなくその想いであることに、疑いの余地はなくて。
「お赤飯だね」
ニマニマ笑いながら追撃を仕掛けてくるのは影狼ちゃん。彼女は陸では思うように動けないわかさぎ姫を、まるでぬいぐるみみたいに後ろから抱きかかえている。この二人が妙に仲が良過ぎるのも、私の孤独を強める一因。三人の集まりで二人の仲が良過ぎれば、必然的に余り者ができてしまう。つまり私のこと。
「恋……って言われても、うん、確かにそうなんだろうとは何となく思うけど……良いのかしら? 私は、相手の名前も知らないのに」
「聞けばいいじゃん。お名前を聞かせてくださいって。ラブはそこからだよ。まずはお互いのことを知らなくちゃ」
「うん、それは判ってるんだけど……」
ピンと立てた襟の中に、自分の顔を埋めてしまう。典型的なデモデモダッテ。孤独は心を弱くする。特に誰かと繋がろうとする力を。
私は臆病者なのだ。相手の方へと踏み込むのが怖い。もしも変な顔をされたら? 迷惑だと思われたら? 少しでもそう思ってしまえば、もう前向きな行動よりも、立ち尽くすことをあっさりと選んでしまう。遠くで見てればいいや。たまに話ができればいいや。そんな風に、ズルズルと。
「ばんきちゃん、メンド臭いねー。もう押し倒しちゃえば? 乳でも揉ませればイチコロだよ。どうせあっちのせいになるんだし、お手軽じゃん」
「…………揉ませるほど、無いし」
「逆にそっちの方がアリじゃない? 貧乳はステータスだって外の有名な人が言ってたらしいよ。それに、持たざる者が頑張った感じがして燃えるんじゃない?」
「持たざる者って言わないで」
「まあ、それは冗談として」
コホン、とわかさぎ姫が咳ばらいをする。本気のアドバイスのお時間。恋に関して言えば、人魚ほど精通した種族もいまい。私はこころなし前のめりになって、彼女が再び口を開くのを待つ。
「ばんきちゃんの今のその感情は、まだ恋とは言いがたい感じがするよね。憧れだよ。自分が良いな、と思った対象を、遠くから見つめる時の気持ち。それをきちんと整理しないと、恋愛に発展させようとするのが無理な話。
じゃ、ここで想像してみ? ばんきちゃんが気になってるその人が、他の誰か……誰でも良いんだけどねー、じゃあ慧音さんにしてみよっか。うん。慧音さんと仲良さそうに話をしてるのを目の当たりにしました。その時、ばんきちゃんはどう思う?」
「好きな薬の話で意気投合したのかな、って思うかも」
「馬鹿か」
わかさぎ姫が容赦のないチョップを繰り出してくる。ガッシ! ボカッ! アタシは死んだ。
「嫉妬しなよ。嫉妬を。なに? 好きな薬の話って。ムコダインのフォルムがそそるとか、バファリンを二分割して優しさの部分だけ飲みましたとか、ペニシリンは青かびから発見されたとかの話? それを連想できる方が凄いよ。慧音さん美人さんでしょ? ばんきちゃんの好きな人が好きになっちゃうかもしれないでしょ? それを危惧するのが恋だよ。判る?」
「あー……」
「本気で納得してる顔だね……こりゃ重傷だわ。お一人様に慣れ過ぎだよ。危機感を持ちなさい危機感を」
わかさぎ姫が、大きな大きなため息を吐く。その背後で影狼ちゃんは、わかさぎ姫の尻尾を恍惚の表情で撫でていた。もうその内、半獣半魚の新しい妖怪が産声を上げるんじゃないだろうか。大昔の世界地図に書かれてた想像上のイルカみたいな奴。
「ともかく、ばんきちゃんはまず、相手の懐に入っていくくらいの気概が欲しいよね。そりゃ、押し倒しておっぱい揉ませるまで行かなくて良いし、それをやったらただの痴女だしドン引きされるからね。まずは会話を続けなさい。会話を。天気の話でも良いしペニシリンの話でも良いからさ。何もかもそこから。良いね?」
「はい、姫ちゃん先生」
「属性付け過ぎだよ。その二つ名だけで危ない奴だって認定されちゃうよ。とにかく、次の巡回はいつ? それまでに、幾つか会話のバリエーションを増やしておくように。これ宿題ね。判った?」
私は頷く。二回ほど。
なんだ、簡単じゃないか。あらかじめ、何を話せばいいか決めておけばいいのだ。聞いてみればとっても簡単だけど、これは盲点だった。灯台下暗しってやつだろうか。幻想郷に灯台はないけど。
「任せてちょうだい。私、頑張るから」
「うん、応援したげるよ。大事なのは笑顔。笑顔を忘れないでね?」
そう言って、わかさぎ姫はグッとガッツポーズをしてくれた。
◆◆◆
……さて、巡回が来る日がやってきた。
抜かりはない。今日という日のために、あらゆる準備をしてきたのだ。話のネタだって帳面三冊分くらい書き連ねたし、日が昇る前に起きて発声練習もした。部屋だって掃除したし、下着は新品だし、YES/NO枕のNOの部分は千切って捨てた。ここまで用意を整えておいて、失敗など有ろう筈もない。
行ける。行けるわ私。赤蛮奇。これで寂しい独り暮らしから脱却できる。これからどうやって生活していこう。やっぱ薬の勉強しといた方が良いかな。薬剤師の免許はどこで取れるんだろう?
ところで子供ができたら、名前はどうするべきか。可愛い名前を考えておかなくちゃいけない。将来イジメられないように。
男の子だったらメンゲレで、女の子だったらナイチンゲールにしよう。
……やば、今日の私、めちゃめちゃ冴えてる。天才だわ。こんなキャッチーな名前を一瞬で考え付けてしまうなんて。
これは吉兆。間違いなく性交の第一歩。違う。成功だった。まあ、どっちも似たようなもんか。お付き合いしたい。私は一方的に突かれる方だけど。
などと考えてハイになってる内に、
「――ごめんください」
来た。彼のあの凛とした声音。ああ、我が家の扉がノックされてる。私の心の扉もコンコンして欲しい。既に開け放ってるから叩く場所ないけどね。
「はははははは、ははい!」
シット。ちょっぴり緊張のせいで噛んでしまった。だがまだ挽回はできる。落ち着いて。落ち着くのよ赤蛮奇。深呼吸をして。幻想郷から酸素が無くなるくらいに大きな深呼吸をするの。
鏡をチェック。笑顔を確認。いつもの私。というかいつもより可愛い気さえする。最高。もう絶好調よ。今日はいつもより素敵ですね……とか彼に言って貰うの! キャーーーッ! 痺れる憧れるゥ! さすが赤蛮奇!
さあドアを開けて。私を見て貰いましょ。彼に痺れて貰いましょ。今までの私とサヨナラ! 過去の私なんかハイクを詠ませてカイシャクしちゃいましょ! 私の新しい人生がここで始まる! いざ!
「……あ、どうも。置き薬の点検に来ました」
「……ごごっご、ごごごきげん、よう……」
何たる有様! どうしたの私!? 彼を見ると喉の奥が詰まってしまうの! ナンデ!?
「? どうかなされました? 気分が悪いとか?」
「ぜぜ、ぜぜん!? ききき今日は、良い天気でですし!?」
「? 曇ってますが……? まあ、眩しくなくて良いですね。雪も降りそうにないし」
ああ、彼が首を傾げながら曇天を見上げる。その横顔。きりっとシャープな顎。胸の奥でドキドキが爆発せんばかりに膨れ上がり、私の体内に熱を帯びた血液が循環する。
「くくく、薬箱、ととって来ます!?」
「はぁ……お願いします」
――死ね! 私など死んでしまえ!
何よこの体たらく!? 雪山で遭難して凍死寸前の人みたいになってるじゃない! 本当はゴージャスでエレガントかつ知的な会話をしたかったのに! これじゃいつも以下じゃない! もう私なんて以下蛮奇よ! 今日から以下蛮奇になってやるから!
「どどどど、どぞう! ペニシリン箱です!」
「ペニシリンは扱ってませんがねぇ……えっと……うん、使われた薬はないみたいですね。じゃ、私はこれで。また何かありましたら、何なりとご用命を」
「まままま待って! 待てクダサイ!」
上ずった声で何とか静止を要求すると、去り掛けた彼が立ち止まってくれた。何だか来日したばっかりの大陸妖怪みたいなイントネーションではあったけど、まあ結果オーライ。
「はい? 何か?」
「ああああああ、あな、貴方、やだ貴方だってドゥフフフ……じゃなくて。ああなたの、お名前、ままだ聞いて、なくて……」
「はぁ、私の名前ね……」
長い爪で器用に頬を掻きながら、彼が不思議そうな顔で私を見る。ああ、あの瞳。紅くて綺麗な眼。見ているだけで、どうにかなっちゃいそうな、不思議な眼光。
「――鈴仙、と申します。今後とも、御贔屓に」
そう言って。
彼はニッコリと優しげに微笑むと、重そうな箱笈を背負ったまま、私の家から遠ざかって行ってしまった。
私はその場にへたり込む。怒涛の嵐が吹き抜けた心中を抱えたまま。あるのは喪失感と、ぼんやりとした熱気。きっと耳まで赤く染まってるだろう私の顔を、冷たい風がサラリと撫でていった。
「……名前、聞けた……」
とりあえずは、一歩前進といったところか。
◆◆◆
「アホなの?」
意気揚々と戦果報告に出向いた私に、わかさぎ姫の冷たい感想が返ってくる。流石は人魚。変温動物としての片鱗をここで見せてくるとは。
「何それ。どもりまくりじゃん。マッサージ機当てたファービーの方がよっぽどお喋りできてるよ。ファービー以下だよファービー以下。ばんきちゃん反省しよう? アナタは幻想入りした機械の玩具に負けたの」
「……でも、名前は聞けたし……」
「名前なんか九官鳥でも聞けるよ。ていうか、ばんきちゃんの言う準備ってのが既に有り得ない。なんなの? どうしてベッドインの準備を丹念に整えてるの? やるわけないじゃん、名前も知らない相手となんかさあ。発情期の犬の方がよっぽどお淑やかだよ。ばんきちゃんの貞操観念が童貞中学生並みってところに、私はショックを隠し切れないよ」
「…………でも、鈴奈庵で借りた外の世界の恋物語とかだと、結構メジャーだったし……」
「フィクションと現実をごっちゃにしないで。というか多分、それは恋物語じゃないと思う。お願いだから、変な漫画とか小説とかの影響を受けないで。私が教えてあげるから、自習は金輪際ひかえよう?」
「――んー、レーセン、レーセン……どっかで聞いた名前だなぁ……」
今日も今日とて、わかさぎ姫を背後からハグする影狼ちゃんが、小首を傾げながら誰にともなく呟く。どうでも良いのかもしれない。だって私は見た。どさくさに紛れて、彼女がわかさぎ姫の髪の毛の匂いをクンカクンカするところを。それに素知らぬ顔をしているわかさぎ姫に、恋愛指南を受けても良いのかと少し考えてしまう。
「……これは、攻略方法を変えた方が良いね……ばんきちゃん、この様子だと弥勒菩薩が救済に来るまでまともに告白できないよ。
よし、贈り物をしよう。プレゼント大作戦だよ。そこにラブレターでも忍ばせれば、何とかなるでしょう」
やれやれ、と肩を落としながら、わかさぎ姫が大きな大きなため息を吐く。そんなドブ川でも見るみたいな目で私を見ないで欲しい。これでも頑張った方だと自負してたんだから。
「ラブレター……艶書かぁ……それなら、私でも何とかなりそうね」
「因みに私は危惧してるからね。どんなブッ飛んだ文面を考え付くか、もう今からヒヤヒヤものだよ。
ちょっと試そう? どんな手紙を書くつもり? 言ってみて」
「う、うん……えっと……『拝啓、寒さが身に染みる季節が続きますが、子供の名前は何にしましょうか』」
「はいストップストップ! 何それ何それ何それ、もう怖い。怖いよばんきちゃん。それはラブレターじゃなくて不幸の手紙だよ。手紙を燃やした後の灰でも町が一つ壊滅するくらいの破壊力があるよ。
ていうかばんきちゃんはどうして頑なにR18な方向へ突っ走ろうとするの? 卵巣と脳みその位置を間違えて生まれてきちゃったの? 本当にやめて。それはゴールじゃないんだよ? 単なる通過点だよ? もうちょっと落ち着こう? 動物プランクトンじゃないんだから繁殖のことはひとまず忘れてくれる?
良い? 文面は私が考えます。ところでばんきちゃん、字は綺麗?」
「鈴奈庵の女の子から、解読不可能って言われたくらいかな」
「オッケー。もう私が書きます。だからばんきちゃんは、プレゼントの方を考えて。それくらいなら、ばんきちゃんでもできるでしょ? ていうか、それはアナタがやらなきゃ駄目な領域だからね?
……プレゼント。自分の考える、最良の贈り物。相手に、送ったアナタのことを強く感じさせるような品物。それも、お付き合いを前提にするんだから、ありきたりの物じゃ駄目。こればっかりは、私もアドバイスできないよ。綺麗な石くらいしか思いつかないし」
「そうね。私も綺麗な宝石は貰いたい方だから」
「女の子の夢だよねー。ファイトだよばんきちゃん。くれぐれも変な物を選ばないように気を付けてね? 妊娠検査薬とか絶対に駄目だよ?」
「え!? 駄目なの!?」
「……うん、駄目なのは、ばんきちゃんの脳みそだったってことが判ったよ。よくよく考えるように。奇抜すぎても駄目。高価すぎても重いからアウト。大事なのは、そのレーセンさんにアナタのことを思い起こさせるような、気持ちのこもった贈り物だからね?」
――気持ちのこもった贈り物。
私は考え込んでしまう。彼は何なら喜んでくれるだろう。私のことを考えてくれるだろう。花束とか、お菓子とか、ゼ○シィとか。ありきたりな物をパッと思い浮かべてはみたけれど、どれもこれも相応しくない気がしてしまう。かなり難しい。
「うんうん。悩め悩め、恋する乙女。色々と辛辣なことは言うけど、私だってばんきちゃんの想いが成就することを願ってるからね?
手渡し……は、ばんきちゃんの話を聞くに難しそうだよね。テンパって大変なことになりそう。レーセンさんは巡回でばんきちゃんの家まで来るんでしょ? だったら、玄関の前にでも置いとけば? そうすれば、きっと持って帰って手紙も読んでくれるよ」
「……なるほど」
思わず感心してしまう。なんという気配りのできる友人を持ったのだろう、私は。弱小妖怪をやってて良かった、と心から感謝した。
自然と気が引き締まるのを感じる。私でも、幸せになれる気がしてくる。あの人に私の気持ちが伝わるようなプレゼントを考えて、私の想いを知ってもらうのだ。
「何から何までありがとう。姫ちゃん。私、アナタとお友達で良かったわ」
「いいってことよ。さ、ばんきちゃんはお家に帰って、プレゼントの内容について深く考えよう? 私はラブ力を強めて最高のラブレターを書くために、今から影狼ちゃんとイチャイチャするから」
わかさぎ姫が蚊でも追っ払うみたいな仕草で手を振る。それと同時に『待て』を解かれた忠犬みたいに影狼ちゃんの尻尾が左右に振れた。この二人はタッグを組んで私に催眠術でも掛けようとしてるのかな、とか思ってしまう。
とにかく、作戦は決まった。あとは実行あるのみ。これで私は、きっと寂しいお一人様から脱却して、幸せな家庭を築くことができるのだ。私は膨れ上がる期待と興奮に打ち震えながら、踵を返して帰路に着く。
「相談に乗ってくれて、ありがとう。私、頑張って最高のプレゼントを考えるからね」
振り返って再度のお礼を告げるのだけど、もうわかさぎ姫は影狼ちゃんから色々と凄いことをされてて、もう聞いちゃいなかった。
とても描写はできない。
◆◆◆
「……とは言っても」
寂れた我が家に戻ってからというもの、御座の上に正座して色々と考えたのだけど、どうしても良いアイディアは浮かんで来てくれなかった。何日も何日も、日に三食しかご飯を食べず、六時間ぐらいしか寝ずに考えても同じこと。
贈り物なんて、わかさぎ姫と影狼ちゃんに何度か他愛のない物を渡したくらいで、いざ自分の人生を左右するような物となってみると見当もつかない。
修験服の彼は、いったいどんなものが好きなんだろう。私は、そんなことすら知らないのだ。答えが簡単に出てくる訳がないというのは、何とももどかしい。
「私のことを思い起こさせるような物……気持ちが伝わる物……下着とか?」
違う気がする。男の人と付き合った経験なんかないから判らないけど、わかさぎ姫はR18方向に行くなと言ってたから、その方向性は間違ってるのだろう。私がプレゼントされたら狂喜乱舞して神棚に飾るんだけどな。
「難しいなあ……どんな物だったら、彼は私のことを考えてくれるだろう……」
そう。その辺りがネックだ。できるだけ長く私のことを考えて貰うとなると、消耗品だと困る。手編みのマフラーとか手袋とかだと、冬が終わったら使わなくなってしまうし、そもそも私は不器用だから編み物なんかできない。
ああ、心の奥底がフワフワとする。彼のことを考えるだけで、頭がポゥっとして、何もかもが手に付かなくなる。修験服の彼。巡回薬売りのあの人。鈴仙さん。鈴仙、というのは名字だろうか? もし結婚すると私は鈴仙蛮奇になるのか。なんて素敵なんだろう。私はもはやYESの部分しか残ってない枕を掻き抱く。私の心は常にYESなのに、まだあの人はそのことを知らないのだ。それが虚しくて切なくて堪らなくなる。面と向かって伝えようにも、きっと私はまた舞い上がってしまって、『私はイエスです!!』としか言えなくなるに決まってる。キリスト教の神様なのかな? と思われるのがオチだ。
「うーん……何が良いんだろう……私のことを考えてくれる物……私の顔が浮かんでくるような物……大事なのは笑顔、なのよね……でも、現状の作戦だと顔合せないから、笑顔も見せられない……そもそも私、彼の前で可愛い笑顔したことあったっけ?」
どうだっただろう。彼と逢うときの自分の顔なんて、確認したことない。笑おうと意識してはいるけれど、それが実っているかどうかは判らない。鏡を一々チェックするのも変だし、私がもう一人いれば――。
「――あ」
途端、私に電撃走る。
そうだ。ひらめいた。可愛い笑顔を見せるための方法。私のことを明確に思い起こさせるプレゼント。そのどちらも一挙に解決し得る最善の策。
「……うん、うん……良い……良いわ……行ける! これなら行けるのよ赤蛮奇! 私にしかできないプレゼント!」
立ち上がって、ガッツポーズをする。思い描く計画に不備が無いことを確認する。大丈夫。これなら何の問題もない。伝えるのだ、彼に。私の想いを。私の笑顔を。
そうと決まれば、話は早い。今からわかさぎ姫のところへ手紙を貰いに行こう。ああ、ああ、頬が緩むのを感じる。完璧な作戦を思い付けた自分の冴え具合が怖いくらいだ。もうすぐ私は、彼と一緒になれる。もう独りで寂しく震える夜を過ごさなくていいのだ。
悲願の成就は、もうそこまで近づいている。私は一足先に春を迎えるとしよう。春告精なんかお呼びじゃない。私の心の雪解けは、もうすぐやって来るのだから。
◆◆◆
「――ただいま戻りましたぁ。今日も疲れたよ」
と、鈴仙の間抜けな声が玄関の方から聞こえて来て、私は、因幡てゐは、一応のねぎらいでもくれてやろうかと玄関へと向かう。私の口先八丁に乗せられて、一人で仕事を熟す彼女は愛しいくらいに純粋なお馬鹿さんだと思う。もっとも、最近では私が師匠から言いつけられる仕事を放棄している件について、あの子も何も言わなくなったけれど。
「お帰りー……ん? どうしたのそれ」
私は鈴仙が後生大事に抱えている箱に目を付ける。結構な大きさだ。チャチな壺くらいだったら楽々入るくらい。重さもそこそこあるようで鈴仙は、ふぅ、とため息を吐きながら、それを床に置いた。
「んー、いつも巡回に行ってる家の玄関に置いてあったの。『レーセンさんへの贈り物です』って、この紙に書いてある」
鈴仙がヒラヒラと可愛らしい装飾の為されたカードを見せてきた。ほほぅ。贈り物を受け取るとは、この子も中々どうして隅に置けない娘だ。最近は自分が妖怪兎だとバレないように、と男の人みたいな変な格好をしてる癖に。
しかしながら、あまり鈴仙の顔は浮かれたように見えない。そりゃ、人里まで行って戻って来たんだから多少の疲れはあるだろうけれど、この子は単純だからプレゼントでも貰えば舞い上がるような性質だというのに。
「あんまり嬉しそうに見えないね? しつこい人なの?」
「ん、そうじゃなくて……その巡回先の家ってのが里の外れにあって、私が行くといつも女の子が居てくれてたんだけど……」
「ははぁん、判った。今日はその女の子が居なかったもんだから、ちょっと心配だったってわけだ。良い子だなぁ鈴仙ったら」
「まあね。ちょっと心配だなぁ……今日はどうしたんだろ」
編笠を取り払いながら、鈴仙は上の空だ。本気でその理由が判らないとしたら、私はちょっと彼女の鈍感さが心配になってしまう。
どうして居なかったかって? 面と向かってプレゼントを贈るのが恥ずかしかったからに決まってるじゃないか。
初心だし、純粋だ。お馬鹿とも言える。そんな鈴仙のアホらしい様子を見せられて、茶化すなという方が無体な話。悪戯心がムクムクと湧き上がって来て、私は鈴仙が置いていたプレゼントを掴み、文字通り脱兎のごとく逃げ出すことを決める。
「隙あり、鈴仙!」
「あ、ちょ、てゐ! こら!」
「へへーん! 捕まえられるもんなら捕まえてみな!」
ダッシュで自分の部屋へ。後ろから、鈴仙が箱笈を取り外そうと慌てる音が聞こえる。それにしても、結構重いぞこのプレゼントは。少なくとも、マフラーや手袋のような類じゃないらしい。しかし鈴仙も馬鹿だね。道中で確認しとけば、私に横合いから掻っ攫われる羽目にもならなかったってのにさ。
そういうところが、可愛いとも言えるんだけど。
さてさて、鈴仙に想いを寄せるその女の子の想いとは如何に。美味しい物とかだったら全部喰い尽くしてやろう。そんな風にニヤニヤしつつ丁寧に結ばれたリボンを解き、箱を開ける。
――その瞬間。
私の全身から、サッと血の気が引いて行くのが判った。
「こら! てゐ! アンタ、いったいどういう……つも……り……」
私に追いついたらしい鈴仙の声が、どんどん弱まる。きっと彼女にも見えたのだ。箱の中身が。凄惨極まる、常軌を逸したプレゼントの内容が。
……生首、だった。
箱の中にきっちりと納められていたのは、赤い髪の少女の生首。目を閉じ、ご丁寧に化粧まで施してある首から上の部分。
それは見間違えられる筈もなく、どうしようもなく首から上以外が欠損した人体の残骸だった。
生きてる、だなんて口が裂けても言えない。
いったいどんな奴が、首を切断されて生きていられるというのだ。それを箱の中に入れられて、無事で済むような奴がどこに居るというのだ。
「れ、鈴仙……鈴仙、こ、これって……?」
私の声が、生首を示す指先が、震えているのが判る。齢も千年を優に超えて、ここまで自分が動揺するだなんて思ってもみなかった。こんな、こんな悪魔の所業。こんな悪趣味極まりない贈り物を見せつけられて、平然としてろという方が無理な話だ。
「あ……あぁ……そ、それ……わ、私が言った、女の子……ウグッ――!」
青褪めた鈴仙が、震えながら口元を抑える。私に背を向けたと思うと、畳にボタリ、ボタリと吐瀉物が零れる音がする。私の部屋を汚されたというのに、怒りなんて湧いてこなかった。そんな状況じゃない。鈴仙が戻してしまうのも、無理はないと私はどこか遠い思考で感じた。
……酷い。
あまりにも、無体だ。
里に住んでるということは、生首も人間の物、なのだろう。鈴仙が巡回に来ると知っていてその家に住む女の子の首を切断し、綺麗にラッピングする。そんな猟奇殺人を犯す奴が、この幻想郷に居る。そう考えると、途方もなく薄暗い感情が胸中を支配する。
私は知っている。その感情の名前。これまで何百年以上、感じて来なかった物。
――恐怖。
これを、異変と言ってもいいのか。博麗の巫女は、こんな狂った殺人に対処できるのか。犯人が人間であれ妖怪であれ、この牧歌的な幻想郷で、こんな所業を働く奴に覚えはない。怖い。私はいま、どうしようもない恐ろしさを感じている。身体が震えているのは、どう考えても寒さなんかのせいではなかった。
このまま、この生首を放置しておくわけにも行くまい。殺人者の情報が残ってるかもしれないし、きちんと供養もしなくちゃならない。
そう思って、私は振り返る。
そして私は、生首と『目が合って』、自分の目を疑ってしまう。
「――え?」
目が、合った。
おかしい。今の今まで、生首は目を閉じていたはずじゃなかったのか。それが今は、どうして目を開いている。ここには私たちの他に誰も居ない。震える私と、えずく鈴仙しか居ない。誰も生首に触れてない。
……なら、どうして生首が目を開く!?
「あ、あぁ、れ、鈴仙……! 鈴仙……ッ!」
「うぐ……な、に……?」
鈴仙が修験服の袖で口元を拭いながら振り向く。生首の異変に気付いたのだろう、彼女は「ヒィッ!?」と叫び声を上げ、半狂乱で頭を抱えた。
そして。
そして私は、見た。
鈴仙を視認した生首が。
切断され、箱の中に収められ、どう考えても生きてはいない生首が。
――ニッコリ。
と、満面の笑顔を見せてきたのを――。
Fin
あ、しかしながら鈴仙が男だという誤解もまだ解けてない・・・前途多難だ。
私にしかできないプレゼント、の時点で落ちが見えてしまったのがほんの少し残念ですが面白く読めました。
よく喋る姫ちゃんが新鮮でした
ばんきちゃんの笑う生首だったらほしいなと思います
そら惚れてもしょうがないなw
あとわかかげ仲よすぎ、だがそれがいい、もっとやれ!
ホラーギャグ、恐るべし。
なんとも残念な赤蛮奇です。
これが蛮奇ちゃんの二次キャラクターとしてのスタンダードとなってきた?
(ああうどんちゃんはふこうがにあうなあ 口を抑え嘔吐く姿だけでご飯三杯は…イケる)
最後に「私にしか云々・・・」とありましたが、これがなければより一層不意を突つけるかもしれませんね
『ラブ力(らぶちから)』だと『ラブカ(らぶか)』に見えます。
『Love力』とか別の表記の方がよりわかりやすいかもしれません。
もーダメだよこの幻想郷。戻れないところまで来ちゃってるよ
あとかげわかの濃厚な描写はよ。
発想がとても良かった!
鈴仙たちのリアクションが想像を絶するリアルさで最後まで楽しめました
しかしこの蛮奇ちゃんダメダメですな。
でも気持ちは分かります。あの瞳を見たら、もう心まで虜になってしまいそうですものね。
ノリに釣られて最後まで読んでしまった俺は完敗
できればその後の鈴仙とばんきのほのぼのオチ?も読んでみたかったですね
まさかこう来るとは。面白かったです
バカエロ風味から一転純度120%の生首ホラーオチは素晴らしかったです。
私にしかできないプレゼントと聞いて首は想像できましたけど、それを見た鈴仙ちゃんのリアクションがリアルで良い意味で裏切られました。
ばんきっきダメな子可愛い。