「聞いていいかしら?」
私は問う。
「何だ?」
彼女は応える。
「今、貴方は―――」
* * *
それは暇つぶしだった。
長い時間を生きる者たちにとっての最大の敵は何よりも退屈だ。退屈を感じてしまえば心も体もすぐに怠けてしまう。そしていずれは根本より腐って存在を終わらせてしまう。
生きるということには適度な刺激が必要だ。安寧を求めるのもまた本能ではあるが、何も変化が無い状態ではそもそも生きるという思いすらも生まれない。
故に夢を渡る。ソレが出来たからただそうしただけ。特に深い理由はない。出来るからただそうしただけだった。何をする訳でもなく夢を渡る。人の無意識によって綴られる夢。現象としては記憶の整理とは言われているが、それはあくまで今の認識によるもの。
夢とは、何か。定義する必要などない。ただ夢がある。それでいい。深く考える必要など何1つ無かった。
ただたゆたう夢の境界を渡り歩く。それはまるでスキップを踏むかのような気軽さで。
そしていろいろなものを見た。
富を望む者。平穏な日常に身を委ねる者。突拍子もない英雄譚の主人公を担う者。
混ぜに混ぜた突拍子もない事実と願望の入り交じった世界を見るのはなかなかに見物だった。暫くはそれが暇つぶしになると満足げに頷く程であった。
故に、驚きを隠せなかった。
いつものようにスキップを踏むような気軽さで踏み込んだ夢の中は―――幾多もの鎖。
踏めば金属の無機質な音が響き、その鎖は世界を埋め尽くす程であった。幾多ものの鎖はその身を横たえ足の踏み場すら埋め尽くす。地は鎖の大地、天にすらも鎖が伸び、どこかへと繋がっている。くるり、と見渡せば鎖の森がやはりどこかへと伸びているのがわかる。
興味を覚えた。こんな夢を見ているのは一体どんな者なのか。純粋な好奇心に釣られて鎖の森を掻き分けていく。その鎖を辿るように歩を進める。
そしてその先、終ぞ彼女は目にする事が出来た。
幾多もの鎖の終着点。鎖の起点となるように幾多もの鎖に縛り付けられた誰か。その身体は幼く、その身体が鎖によって拘束されているのは思わず顔を歪めてしまう程に痛々しい。
鎖を踏みつけながら歩く。鎖に拘束されていたのは少女だった。薄く青色がかった銀髪を無造作に垂らし、造形が整った顔は何を感じている訳でもなくただ無表情。瞳は閉ざされ、まるで眠っているようでもあった。
変わった夢だった。様々な夢を見てきたがここまで明確なイメージが固まり、それがブレない夢。自然と興味を覚え、膝を曲げ、少女を覗き込むように眺めていた。
「……ナイトメアの類か…? 私の夢に入ってくるお前は」
ふと、声がした。
おや、と思えばそれは少女の声だった事に気付く。ゆっくりと閉ざされていた瞳が開き目が合う。開かれた瞳は――かの鳩の血と冠された紅玉よりも尚紅い、高潔と気品を兼ね備えた紅玉。
「…驚いたわね。夢の中で明確に意識を保っているっていうのは。それこそ、ナイトメアでもない癖に」
「……質問に答えろ」
「応えようとも、応えずとも、何も変わらないでしょう? 貴方は何も出来ない。ここで貴方は”見る”事しか出来ない。違って?」
険の入った声が脅しを入れるように低く告げられる。それに応える声はどこか弾むような声で流暢に口を滑らす。
手を伸ばせばそこには鎖。鎖の一本を手にとって引っ張り上げる。それは少女と”どこか”を繋ぐように伸びている。
「…なるほど。ここまで明確化されているのは一種の防護壁。そして同時に貴方の能力の象徴…といった所でしょうか? 確かに貴方の夢はおいそれと誰かに見せられるものじゃないわね。これは誰かの手によるもの? それとも貴方自身の力?」
「…べらべらとうるさい奴だな…わかっている事をわざわざ問うな。鬱陶しい」
心底鬱陶しそうに少女は気怠げな口調で告げる。それに対して、あぁ、と大袈裟なまでの身振りを加えて大きく首を振った。気分はまるで演劇の女優のよう。
「あら、あら。違います、えぇ、違いますわ。わかっているからこそ問いたいのです。貴方との認識を1つにし、互いに理解を得る。私は貴方と同じ考えを持ちうる者と。それはつまり友と呼べる間柄ですわ。それにここに私を招き寄せたのは他ならぬ貴方自身なのよ?」
「私は、お前のような胡散臭い奴と友好を築く気はない。招いたつもりもない」
「あら。あら。それは釣れませんわリトルレディ。素直になってくださいまし。私はこんなにも楽しいのに貴方はそれを認めてくださらないとは、悲しみに暮れてしまいますわ。――よろしい、よろしいですわ。ならば、名乗りましょう」
「聞いてはいないがな。しかもどうしてそうなる」
「まずは御名前から。それが交友の切欠と」
――私は、八雲紫。名を問うても? お嬢様。
――……レミリア・スカーレットだ
* * *
「――つまみ食いは遠慮していただけますか?」
「あら、優秀なメイドさん。でもケチね」
すっ、と伸ばしかけた手を引っ込める。危ない危ない、もう少し伸ばしていたら指が彼女のナイフによって切り落とされていた所でしょう。くわばらくわばら。
「1つくらい良いじゃない」
「ダメです。…集るならば己の式の九尾に集るのが良いかと」
「たまには余所の家庭の味を味わいたいわ」
「ならば夕食の席にお招きしてください」
「じゃあ、お願いしてくるわ」
「…お嬢様は就寝中ですわ」
「起こすだけよ」
ひらり、ひらりと手を振って笑みを浮かべて返してやるとメイド長は呆れたようにこれ見よがしに肩を竦めてみせた。そして何も言わず調理を再開した。その姿に、じゃあね、と一言残して厨房を後にする。
豪奢に飾られた廊下を歩いていく。時折擦れ違う妖精メイドが様々な反応を返してくるのを楽しみながら歩いていると廊下の向こう側からひょこ、と音が似合うように顔を出した少女がいた。
「あ、紫だ!」
「あら、フラン」
フラン、と呼んだ彼女は顔を綻ばせて駈け寄ってくる。そのまま跳躍、その勢いで飛び込んでくるのを咄嗟に抱き留める。満面の笑顔を浮かべる彼女は、彼女の種族にはそぐわないかもしれないがまるで太陽のような輝きを秘めているとさえ思う。
「久しぶり! 遊びに来てたの? お仕事は?」
「最近は平和」
「平和になると暇になるの?」
「そして娯楽が作られるのです」
「じゃあ遊びましょう!」
「あらあら、困ったわね」
うーむ、お嬢様を起こしに行こうとも思ったけども、この子の相手をするのもやぶさかではない。
「それじゃ、何して遊ぶのかしら?」
「弾幕ごっこ!」
さいですか。
まぁ良いでしょう。久しぶりに私も弾幕に興じるとしましょうか。
* * *
私は、私の生まれを知らない。
気付いたら私はいた。
何をすればいいのかわからず、ただ呆けて。
ただ、死にたくないと願った。
だから生きた。不器用なまでに、滑稽な程、不様に。
それも上手くなった。そうすれば、次は意味が欲しくなる。
己がいる意味を。私は…欲しくなったのだ。
その為に様々な事をしてきた。それはただ、己が満たされる為に。
私は、どうして生きているのかを知りたくて。
* * *
そっと腰掛ける。
ベッドが軋む音。ベッドの大きさは広く、ベッドに深く腰掛けても身体を伸ばさなければ逆側まで手が届かない。本当にお嬢様な生活だこと、と小さく笑ってみせる。
自宅の敷き布団とは違うベッドの柔らかな感触。上質なものを使っている為に寝心地は良さそうだ。身を倒したくなる衝動が浮かぶが止めておく。
手を伸ばす。手を伸ばした先には彼女が眠っている。青色がかかった銀髪、閉ざされた瞳。死んでいる、と言われてもおかしくない程静かに眠っている。
伸ばした手は彼女の顔にかかった髪を払う。そしてそのまま伸びた指が彼女の頬をなぞり、顎に触れる。
「……紫」
「あら、おはよう」
「……来てたのか……」
不意に、目を気怠そうに開いたレミリアは私に視線を向けた後、片手を顔に乗せて視線を隠すようにして重く溜息を吐き出した。
「……夢見は?」
「…特に、何も」
「そう。喜ばしい事だわ」
小さく笑ってみせる。それに、ふん、とレミリアが鼻で笑う。小さく身じろぎをした後、身体を解すようにレミリアは伸びをしている。身体を伸ばし、力を抜いた後、のんびりとした仕草で身体を起こした。
「咲夜もう食事を用意していたわよ」
「そうか」
「もう用意が出来るんじゃないかしら」
「そうか」
「フランと遊んでたわ」
「そうか」
「久しぶりにたくさん動いたわ」
「そうか」
「……」
「……」
「……ねぇ?」
「……わかった。早く身支度するから。そしたらすぐにでも朝食にしよう」
「あら。言葉にせずとも伝わる思い。以心伝心。素晴らしい事ね、レミリア」
「よく言う」
面白く無さそうにレミリアは気怠げにベッドから降りようとする。が。その手を紫が掴む。レミリアは鬱陶しそうに紫へと視線を向けた。まるで、何だ、と問うように。
「忘れてたわ。おはよう、レミリア」
レミリアの額を髪を手で掻き分けるように持ち上げ、己の唇を軽く押し当てた。柔らかな肌の感触は心地よくてもう一度触れたくなる。名残惜しさを振り切ってレミリアから離れる。
レミリアは己の唇が触れた額を軽く撫で、僅かに強ばらせた身体から力を抜いて盛大に溜息を吐いた。
「…おはよう、紫」
* * *
俗な言い方をすれば、私とレミリアは恋人、と言えるのだろうか。
とは言っても、世の中のカップルのようにデートだとかはした事はないが。
それに触れるのはいつだって私だけなのだから私の一方通行なのかもしれないが。
ただ私はレミリアに触れたいと思い、レミリアの好意を欲しいと望み、レミリアの為にならば如何なる面倒も些細に変わってしまうと思うまでに私は彼女を好いている。
何故か? 問われれば、それは私にはこう言えるだろう。
これは運命だからよ、ってね。
どこから生まれたかもわからないスキマ妖怪。
己の命題もわからず、ただ死ぬのは嫌だと生きて、様々な事を知った。
その過程は、きっとこの命題に辿り着く為のものだとさえ思える。
私は愛おしい。この世界が愛おしい。私の作り上げた世界、幻想郷が愛おしいから。
それを教えてくれたのは―――他ならないレミリアなのだから。
* * *
私はいずれ賢者となるだろう、と彼女に言われた。
人は闇を削り、叡智という光を掲げ、不明である妖たる者を滅ぼすだろうと。
故に私はいずれ、楽園を作るだろう、と。消えゆく妖を護るべく。虚ろなる幻を永久に残す為に。
それは私の未来の可能性の1つと彼女は言った。
――お前は愛すだろう。お前の作りし楽園を。それがお前の命題にして最大の幸福だ。それを断言しよう。お前はいずれ楽園の管理者となる。
――お前は楽園を作り、それに満足するだろう。そうすればお前の望みは叶う。漠然と過ごす時間ではなく、実りある時間を。
――私は断言してみせる。万が一などあり得ないとさえ言ってやろう。
――それが、お前の運命だ。
それは全て打算。
彼女の護りたい者、彼女の犯した罪、彼女の願い、その全てを叶える為に私という駒を彼女は欲したのだ。
そして…私はそれに応えた。ソレが彼女の望み通りになると知りながらも承知で彼女の言葉を受け入れた。
その願いは叶えられた。あの子には最早、縛る枷はない。己の翼で空を飛び、己の能力に呪われることはないだろう。故に―――もう、彼女には目を開く理由はないのだ。
運命の鎖で縛られた彼女は手に取るように未来がわかる。だが、それは本来触れてはならない場所。悉く触れた者を不幸にする絶対たる者。
長きに渡ってソレに振れ続けてきた彼女は決して常世では生きる事は出来ない。その価値も、意味も己では見出せなくなってしまったのだから。
だから、私は―――。
* * *
月が浮かぶ。
月の下で私はレミリアと酒を酌み交わしていた。
月の下でレミリアは何を思うのか、ただぼんやりとした表情で空を見上げていた。
普段の彼女はカリスマだの、威厳だの、基本的に巫山戯ているが私の前だと途端にその様子が無くなる。それはまるで無駄を削ぎ落とすように彼女の表情は消える。それは、誰にも見せない私の前だけの顔。
思慮する訳でもない、感じる訳でもない。それこそ、人形のように何も言わず、感じず…。
私は無言のまま、すっ、と席を立ち、彼女の下まで歩み寄る。私が移動した事に気付いたのだろう、レミリアがこちらに視線を向ける。それとほぼ同時に彼女の顎に手を伸ばす。小さな顎を持ち上げるように己と顔を向き合わせ、有無を言わせず唇を重ねる。
口の中に残っていたワインを注ぎ込むように深く深く…。驚いたように瞳を見開くレミリア、隙は一瞬。更に深くと舌をねじ入れた。
貪るように彼女の口内を蹂躙してやれば、息苦しいのか瞳に涙を浮かべ、こちらの腕を叩く。離せ、という意思表示なのではあろうが抵抗は弱い。次第にその抵抗もなくなり、酸欠と悦楽に彼女の身体は小刻みに震える。
お構いなしにどれだけ彼女を貪っていただろうか。くたり、と口元に先程の行為の余韻を残し、震えた吐息で呼吸を正そうとするレミリアが恨めしげに自分を見上げる。
「…紫。突然は嫌いだ…」
「貴方をこんなにも愛してる人を前にしてぼんやりとしている貴方が悪いと思うのだけれど?」
「…私自身はお前には何もしてないのに愛されて貰ってもなぁ」
「あら、そんなお馬鹿な事を言う口はこの口かしら? ん?」
「ゆひゃふぃ、いふぁいいふぁい」
幼子のような彼女の肌は餅のように伸びる。涙目になりながら頬を伸ばす指をレミリアは引きはがす。そのままレミリアの手と己の手を握り合わせ、レミリアの額に己の額を押し当てた。
「バカね。こんなにも尽くして貰って何もしてないだなんて馬鹿な事言わないでくださいます?」
「…全部自分の為だ」
「結構よ。全部知ってるもの」
「…私は、ただ自分が許されたいだけだ」
「えぇ、許してあげる」
「…じゃあ、死なせて」
「だぁめ」
縋るように見上げるレミリアの唇をそっと指で撫でる。
レミリアの持つ能力は、運命を操る程度の能力とされている。
だが…それが何なのか、レミリア自身も理解出来ていない。
それは触れてはいけないものだ。運命が覗けるという事は己の掌に全ての未来があるという事だ。
それに辿り着くまでには確かに努力などを要するが、だが、それでも結果を知っている一生など何が楽しいのだろう。
運命という絶対のものを垣間見てしまった彼女は、最早生きながらにして死んでいる。彼女の能力は強力すぎたのだ。
故に彼女は絶望した。護りたかった者を護れない自分。その未来しか見えず、足掻き、藻掻く、苦しみ抜いた結果、確かに彼女は己の救いたかった者を救った。それに手を貸したのは他ならぬ己だ。それは事実だ。だがそれは同時に彼女の意義を奪った。
結果が全てわかっている人生に意義などない。彼女を生かしてきたのは贖罪だ。償いだ。彼女の妹、フランドールの為に。
しかし、もうフランドールにはレミリアの救いは要らない。彼女は己の足で、己の翼でこれから世界に飛び込んでいくだろう。1つの命として。
もう、レミリアという補助はいらない。ならばフランの為に、フランの補助として生きてきたレミリアには―――あぁ、これからというものが見えない。
レミリアには嫌でも見えてしまう。これからも、ずっと、ずっと…。それはまるで、呪いのように。
「…ねぇ、レミリア」
だから、私は触れる。
だから、彼女の名を呼ぶ。
「聞いていいかしら?」
私は問う。
「何だ?」
彼女は応える。
「今、貴方は―――」
――幸せ?
問いにレミリアは小さく首を振った。その返答に私は小さく微笑み。
「じゃあ、私がとびっきりに幸せにしてあげる」
過去も、未来も、あった所で、見えた所でどうでもよくなるぐらいの今を。
大切な今をくれた貴方に、抱えきれない幸福を私は届けたいと。
私、八雲紫はレミリア・スカーレットを愛しています。それが私に最大の幸福をくれた貴方に出来る事だと。そして、私が何よりもしたい事なのだから。
もっと流行れ
惚れ込む過程に説得力が欠けていると思ったが惚気には無用の存在だと思い直した
でも鎖と吸血鬼というとどこぞのあーぱー姫を思い出してしまうw
誤字脱字
人の無意識よって綴られる夢→人の無意識によって綴られる夢
幾多ものの鎖はその身を横たえさえ足の踏み場すら→幾多ものの鎖はその身を横たえ足の踏み場すら
確かに貴方の夢はおいそれて誰かに→確かに貴方の夢はおいそれと誰かに
青色がかかった銀髪→青色がかった銀髪
月の下で私はレミリアと酒を交わしていた→月の下で私はレミリアと酒を酌み交わしていた
それでも結果の知っている一生→それでも結果を知っている一生
>「じゃあ、私がとびっきりに幸せにしてあげる」
これって、この先ずっと紫と共に生きてもレミリアは救われないし幸せになれないって運命だって事を、レミリア自身がその強力すぎる能力で判ってしまったんだろーな
そしてレミリアが判ってることを、紫もまた判ってるんだろーな・・・
このおぜうが皆の前では無理に空威張りしているかと思うと萌える。それを優しくゆかりんが見透かしているかと思うと悶える
個人的にはもっと長編で深く書いて欲しかったですが、それでも十分面白かったです。