Coolier - 新生・東方創想話

幻奏の炎葬(前編)

2009/01/20 15:15:36
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 土の奥には死者が眠る。

 掻き分けた雪だけが溶けきれず境内の隅に残っていた。大気はまだ刺すように冷たいが陽射しは暖かい。白々とした大地からフキノトウが顔を出し、うぐいすは長い冬の終わりを歌う。しばらくすれば幻想郷にも春が芽吹くだろう。
 そんな折、残寒と春眠を理由に中々布団から出られずにいた霊夢は夢まぼろしの境で香を嗅いだ気がした。
 何の香りだったか考える手がかりは急速に目覚めた意識によってかき消された。特に何かきっかけがあるわけでもなかったが二度寝する気にもなれなくなった霊夢はうずうずと布団から身体を這いずり出す。
 のん気な巫女はまだ気づいていなかった。普通の魔法使いも完全で瀟洒な従者も知識と歴史の半獣も小さな百鬼夜行も皆気づいていた。
 幻想郷には死が満ちている。物言わぬ死者は香の匂いと共に目覚め、狭い幻想郷に満ち満ちて行った。










 東 方 叙 情 邸
  ~Burning Down the House.









 湖の洋館にて――



 アラジンと魔法のランプという物語がある。
 舞台は中国であるが作中の文化はどこからどう見てもインドである。東方の国は神秘の国。そんな記号性がまかり通っていた時代の話だ。ノックスの十戒も中国人撲滅運動を推進している。こうして東の果ての国に幻想が集い幻想郷が出来上がった。
 歴史はどうでも良い。アラジンと魔法のランプで、アラジンが乞うた願いの中でも特に規模が大きく、魔人の桁外れの魔力を語るエピソードがある。大理石で覆われ宝石を散りばめられ調度品から優秀な召使に美しい庭園から一騎当千の軍隊付きの城を一晩で築き上げろ。調子こいたアラジンの青々しい心がよくわかる注文である。
 魔人は見事主の望みを叶えてみせた。
 どこの誰だかわからんが、霧の湖の孤島にそれを再現してくれた奴が幻想郷にもいた。

「咲夜、人間は朝起きたら虫になっていることもあるそうだけど」
「それはIQ600スポーツ万能のバイク野郎限定の話ですわ」
「りんご投げるわよ」
「食べ物で遊んではいけませんわお嬢様」
「それで、朝私が寝ている間に一体何があってあんな所にあんなもんが建っているの?」

 紅魔館のテラスから、すっとレミリアは湖に向けて人差し指を向けた。
 霧の湖は多くの妖精が集う自然豊かな土地だ。その中でも真ん中に浮かぶ孤島で妖精たちが遊んでいる様はよく見られた。たまに――いやしょっちゅう紅魔館の妖精メイドがその中に混じっていることも咲夜は知っている。時々紅魔館から直接ナイフで狙い撃ちして仕置きもしているので。
 そんな妖精たちの遊び場が見事な洋館で占領されていた。
 霧で隠されていてもなおそのシルエットがわかるほど洋館は大きかった。中身はともかくとして見た目だけなら決してこの紅魔館に引けは取らないであろう。
 それが幼い主人の機嫌を損ねているのだ。咲夜はふむ、と腕を組んだ。

「引っ越してこられたのなら、菓子折りや洗濯剤の一つでも持ってくるものですが」
「そんな賄賂は受け取っちゃダメよ咲夜」
「ならばいかがいたしましょう」
「血には血で返すのなら良いわ。灰は灰に。塵は塵に。土は土に」
「では夢まぼろしは夢まぼろしに」
「行きなさい、私の猟犬。あの館の主人の首級を私に献上するのよ。あ、お茶の時間までは帰ってきてねー」

 そんなわけで咲夜はテラスから直接幻想郷の夜空に飛翔した。
 勿論完璧で瀟洒な従者の咲夜はレミリアにそう見せかけただけで、しばらく距離を飛んでから時間を止めて紅魔館に引き返し厚着をしてマフラーを巻き武器のナイフを補充しランタンを持ってから出掛け直したのだが。
 年が明けてまだ一月余り。日の光に照らされない時間の風通しが良い上空はたやすく体温を奪ってしまう。いつかの春雪異変で咲夜は身をもって学習した。

 咲夜は湖の半ばほどまで到達したので時間を止めた。ランタンを前にかざし館の様子を伺う。
 立派な門はあるが肝心の門番はいない。それ以前に夜も遅いので妖精たちすら寝入っているようで、全く攻撃の気配が感じられない。

「うちの美鈴でももう少し真面目に仕事はしているものね」

 咲夜は時間停止の術を解除した。攻撃されないのなら魔力の無駄遣いである。
 門を飛び越え扉をノックして入り込む――が、全く反応がない。

「まるで幽霊屋敷ね――誰かいらっしゃらないかしら?」

 テープレコーダーでも持ってくれば良かったか。まるで返事がない。人っ子一人、妖怪っ子一人気配がしない。唯一いるのは目的もなくそこらをふよふよ漂う幽霊くらいなものか。
 赤い絨毯を踏みしめ、咲夜は館の奥を目指す。まるで肝試しだ。この季節に肝試しとは冗談にしても寒すぎる。咲夜は真っ白な息を自分の手に吐きかけた。

「これは新たな嫌がらせね……敵も出ないなら運動して体をあっためることすらできないじゃない」
「天よ、我に百難辛苦を与え給え、ってところか?」

 咲夜は天井のあたりにランタンの光を当てた。そこには同じように箒の先にランタンをぶら下げた黒白い魔女がいる。
 魔理沙は箒に腰掛けたままニヤニヤ笑って咲夜を見下ろした。咲夜はにこりと返す。

「それは天に願うよりウチのお嬢様に願った方が手身近ね」
「向上心のないやっちゃな。そんなに身近なもので満足していたら成長しないぜ」
「青い小鳥を探しに出かけて家に帰らない魔理沙に言われてもねぇ」
「私みたいに可愛い子は旅するもんだ。それで、どうした? クビを切られてここにメイドとして雇ってもらうつもりか? 悪いがメイドは間に合ってるぜ」
「お客様が来たというのに姿を見せないなんて、そいつはメイド失格よ」
「そう言うな。姉に無理矢理メイド服着せられているだけなんだ」
「それはメイドと言いません」
「何事もまず形から入るもんだろう?」
「でも魔理沙はもうここの事情に込み入っているようね?」

 咲夜はちらりとナイフの刃を魔理沙に見せた。魔理沙は「まぁな」と頷き、ミニ八卦炉をスカートの奥から引っ張り出してきた。

「お前たちがここに来る前に、ここの連中とやり合ったことがあるんだよ」
「さぞかし簡単に片付けられたでしょうね」
「いや、そうでもないぜ。主人はお前も知っている奴だし、何より霊夢がな……」
「あなたと霊夢がやり合っているのはしょっちゅうでしょうに」
「まっ、お前とやり合うよりかは多いかな?」
「喧嘩するほど仲が良いのね。私たちもその程度には仲良くなれたってことかしら?」
「あんまり友達友達言うと気持ち悪いなぁ。じゃあ行くぜ! 天儀『オーレリーズユニバース』!」

 高々とスペルカード宣言した魔理沙の周囲にエレメントに即した配色のビットが召喚される。咲夜は応えるようにナイフをそっ、と投擲した。










「ホームグラウンドじゃなくてもお屋敷での戦いは誰よりも心得ているわ。さぁ、洗いざらい教えてもらいましょう」
「そもそも屋敷の中で戦っちゃいけないような気もするんだが……」

 ずたずたに切り裂かれた帽子を拾い上げた魔理沙に咲夜はナイフの切っ先を突きつけた。現在の完全で瀟洒な従者、行け行けモードである。誰にも止められない。
 魔理沙は寒そうにミニ八卦炉に手をかざしてこの館について説明し始めた。

「ここは夢幻館。その名の通り忽然と現れては消えちまった正体不明の屋敷だよ」
「で、主人は?」
「幽香」
「ああ、頭に花が咲いたような方ね」
「なんでまたここに現れたんだかは私も知らないけどな。幽霊以外誰もいないし、様子もおかしいし。って、それを調べてた所を邪魔されたんだよ」
「それは私が調べます。魔理沙は風邪を引かない内に家に帰って青い小鳥を捕まえるといいわ」
「幽香に会ったらこう言っておいてくれ。青い薔薇を一輪くださいってな」

 魔理沙は箒に乗って引き上げた。一方有力な情報を得た咲夜はさらに奥へと突き進む。押せ押せモードである。
 だがそこは完全で瀟洒な従者。お嬢様の言葉を忘れてなどはいない。懐中時計で時刻を確かめる。
 午前2時50分。急げば間に合う――か?

「ま、時間に追われるのは性分じゃないわね。今の私は獲物も時間も追い詰めるハンターですもの」

 魔理沙との戦闘で身体もすっかり暖まり本調子になった。幽霊だろうが幽香だろうがどんとこいである。

「さあ、年貢の納め時ですわ! ここが紅魔館の領地と知ってのことでしたら、今すぐ税を払っていただきましょう」

 咲夜は寝室のドアを勢い良く開いた。天蓋付きのベッドですやすや眠っていた館の主は意味の無い声をむにゃむにゃと上げる。

「もう、うるさいなぁ……誰よこんな時間にぃ……」
「しがないメイドです。本日はちょっと血税を搾り取りに頂きたく参上いたしました」
「吸血鬼はひどいわねぇ……ちょっとはお日様と土と水だけで生きていく術を知ったらどうかしら?」
「ウチのお嬢様が光合成などしたらこの世の終わりですわ」
「おやすみ……」
「永遠に眠りたいのでしたらお手伝いいたしますわ」
「失礼ね。寝てなんかないわよ……ふぁ」

 幽香はあくびをして目をこする。見ている咲夜まで眠たくなりそうな見事なほどの寝ボケっぷりだ。幽香は明らかに咲夜がいない方を見てのんびり話しかける。

「えーと、それで、本日の死に急ぎたい方はどちらかしら?」
「鏡ならお貸ししますけど?」
「鏡? まさか鏡程度で私の弾幕を跳ね返せるつもり?」
「あんまり質問に質問で返す会話をし続けるとテストは0点になりますが」
「今は眠いからあんまり禅問答しないで頂戴~」
「ではナイフで」

 半目の幽香に無数のナイフを投げつけた。幽香はそのナイフをベッドに倒れこんで避け、ぐっ、と拳を握った。
 ベッドに、幽香の拳が叩きつけられた。その現場を目前にしていたにも関わらず、咲夜は寝室の真ん中にRPGでも撃ち込まれたのかと思った。
 子供のようなやる気のない幽香の打撃は瓦割りの如くベッドを真っ二つに割り、床に大穴を開け、壁に罅を走らせ、窓ガラスを粉々にし、咲夜を空中に逃げさせた。
 妖怪は人間よりはるかに腕力がある。だが幽香のバカ力は度を越していた。

「ああ、寝起きじゃやっぱり力がいまいち出ないわね……メイドはこっちかしら?」

 破壊によって巻き起こった粉塵と深夜の暗闇のせいで視界は最悪であった。幽香は大した狙いもつけられないだろうに、魔力を集めて弾幕を放とうとしている。
 攻撃の瞬間、隙が生じるのはどんな猛者でも必然だ。咲夜は幽香の弾幕が撃たれた瞬間時間を止めようと、粉塵の中感覚を研ぎ澄ます。
 皮肉にも攻撃を考えていたおかげで咲夜は感覚を研ぎ澄まし、幽香の攻撃の正体に気づいた。いや、気づく気づかないなどの話ではなく、咲夜はただ本能的に危険を察して瞬間的に時間を止め、全力でその場から離れた。
 咲夜の髪先を華厳滝の如き魔力の奔流が攫っていった。
 まるで真横に太陽でも現れたかのような恐るべき輝きだった。屋敷の床も壁も天井も何もかもまるで紙細工かのように貫通しながらその極太レーザーは湖の果てまで飛んでいった。

「ま、マスタースパーク?」
「ただのレーザーに名前なんて付けるほどじゃないでしょう……」

 こっくりこっくり幽香は船を漕いでいる。どうやら半分眠っている今の幽香は相当手加減が下手な様子である。
 その証拠に流れ弾は壁や床をスポンジのように穴だらけにし、咲夜のナイフを払った腕はソニックブームを起こして瓦礫を吹き飛ばし、思い出したかのように発射されるレーザー魔砲は空間の消しゴムであるかのように薙ぎ払った場所に存在する全てを消滅させる。
 夢幻館はもう廃墟だった。一体幽香はこれからどこで寝るつもりなのであろうか。
 そこではた、と咲夜は気づいた。マフラーを旗替わりにしてぶんぶんと振り回す。

「こ、降参ですわ。参りました」
「あらそう。目が覚めてきたからせっかくこれから本気を出そうと思ったのに……」

 幽香はぱちんっ、と指を鳴らした。どういう魔法か寝巻き姿から一瞬で外出着に替わり、日傘を杖代わりにして瓦礫にもたれかかる。
 見渡す限り瓦礫の山だった。外の世界をよく知る咲夜でもここまで徹底的に破壊された建造物というものは災害跡か戦争記録か怪獣映画くらいでしか見たことがない。フランドールでももうちょっとスマートに破壊するだろう。
 つまり、レミリアの命令はほとんど遂行していた。お嬢様はこの洋館すらこの世から消え失せてくれれば良かったのである。これ以上戦闘を続行して魔砲の流れ弾が紅魔館へ行く方が咲夜としては困る。

「それにしても、よく暴れたわね。まるでゴジラのようでしたわ」
「私の家じゃないからね。どうせすぐ元に戻ると思うと思う存分暴れられたわ」
「はい?」

 幽香の不可解な台詞に咲夜は素っ頓狂な声を上げた。そんな咲夜を無視して、幽香は瓦礫の一つを拾い上げてしげしげと眺める。

「この幻想郷からすら忘れられ失われた物たちが復活するわ。さあこの異変、誰が黒幕なのかしら?」

 軽く幽香は瓦礫を握り潰してしまった。咲夜の目には瓦礫の粉塵が霊魂となって夜空へ向かって行くよう見えた。










 人里の一角にて――



「……上白沢先生でもわかりませんか」
「申し訳ないですがこれを調査するのは今の私では無理ですね……満月まで待たないと」

 生真面目な性格の慧音は朝が早い。しかしそれでもなお朝の支度を全て済ませないほどの早朝に、慧音は里の人間から出動を請われた。
 慌てふためく彼らの説明より、とっとと現場に赴いた方が良いと判断した慧音は彼らに案内されるがままその屋敷の前までやってきた。
 稗田家には及ばないものの決して小さくも狭くもない立派な日本家屋だ。一見、特におかしなところはない。

「しかし先生、こんなのあっちゃあいつまでたってもおちおち寝ることもできませんよ……」

 屋敷と重なってしまった家、、、、、、、、、、、、の主人がボヤいた。
 稗田家には及ばないものの決して小さくも狭くもない立派な日本家屋だ。そんなもんが一晩のうちに突如民家の密集地に現れたら、確実に誰かの家が三つ四つ潰れる。
 幸いにも実際は潰れることはなかった。謎の屋敷は家々の壁を貫通し、透き通ってしまっているのだ。

「これ、家の中は無事なのですか?」
「至って普通ですわ。こっから見るとウチの壁ぶち抜いているように見えますけど、家の中から見るとそんなことはないんです」
「幻かなんかか? うーん……こうしていても埒が開かないな。よし、今から私が乗り込んで見ましょう」

 おぉっ、と人々から安堵の声が上がった。満月の夜には劣るとはいえハクタク化によって得た知識と術で人間時でも慧音は十分戦えた。妖怪退治屋は人里にも何人かいるが、彼らを雇用する手続きを取って無駄な時間を浪費するより慧音自身が出張る方が良いだろう。
 門の前に立った慧音は人々を振り返った。

「稗田家の方にも連絡を入れておいてください。私の知識になくともあの方の知識にはあるかもしれない」
「わかりました、お願い致します。どうかお気をつけて」

 期待の視線を背中に浴び、慧音は門を潜り抜け庭に入った。
 突如現れた割には手入れの行き届いた良い庭園である。その中で慧音の目を引いたのは大きな庭石だった。
 その庭石は大きさも色艶もさることながら、御幣を結わえた縄をその身にくくりつけている。

「……注連縄? 要石か?」

 要石は諸刃の剣だ。挿せば地震は絶対に起きないが、抜けば確実に大地震が起きる。抜かなければ良いだけではあるが、不変なるものなどあるはずがない。いつかは必ず抜ける日がやって来るのだ。いわば借金を抱え込むようなものである。
 そんなものをなんの前触れもなくいきなり人里にぶっ挿されたのだ。頭から血の気が引いた。
 しかし、要石を挿すことができる者は限られている。そして割と最近それをやはり前触れもなくやってのけた輩がいた。
 慧音はスペルカードをポケットから取り出しておいた。決めた。一発ぶちのめす。

 開け放されていた玄関から慧音は殴り込む勢いで家中に侵入した。どたどたと廊下を踏み荒らす足音はまるで強盗でもやってきたかのようだった。だというのに、家人の怯えた声も逃げ惑う足音も立ち向かってくる物音も何一つしない。
 不気味だった。これではまるで人っ子一人いないようではないか。

「おい、いないのかバカ天人!」
「人の家に無断で上がりこんできて、バカはないでしょう」

 廊下の奥から頭に花が咲いたようなおめでたいバカがやって来た。
 初対面である。しかし文々。新聞にも載った――まぁようするに知る人ぞ知る程度の有名人だ。慧音は歴史を編纂する過程で必要上、彼女の最低限の知識は取り入れていた。
 比那名居天子。地上人より俗っぽい天人くずれである。
 彼女は苦々しく慧音を睨みつけ、これみよがしに鼻を鳴らした。

「あなた、どこの誰だか知らないけど今すぐ叩きのめしてやるわ。死体は名無しの権兵衛と書いて土左衛門にでもしてあげましょう」
「お前の存在ごとこの家を無かったことにしてやる!」

 使い魔を身の回りに複数体召喚し、慧音が展開した弾幕を天子が召喚した要石が突き破った。











「やっぱり地上の俗っぽい温泉はたまらないわねぇ~。今度は竜宮の使いも浸け込んでいい出汁取ってみましょ」

 天子の機嫌は有頂天に良好だった。あの博麗神社の周囲に鬼が造ったという触れ込みの温泉ができたのである。これ以上無いほど素晴らしい朗報だった。
 地獄の業火で沸かされた有り難い八咫烏様の湯などと胡散臭い与太話を聞かされたが、それを引いても良い湯だった。あれだけ良い湯ならたとえ肴が桃しか無くとも酒も旨いというものだ。
 退屈な天界暮らしも愉快な地上との行き来で天子にも変わって感じられるようになっていた。帰れば未だに天人くずれという周囲の目は変わらないが、そんなものははなからどうでも良かった。例え地上に降りない日があっても、天子は天子なりに毎日の楽しみ方を覚えていった。
 だから、帰り道の天高く昇ってゆく合間も寂しくもつらくもなんともない。それでも間欠泉が見られるかと、天子はなんとなしに石に腰掛けたまま地上を見下ろした。

「……ん?」

 緋想の剣は取り上げられた。当然である。天子自身も別にあんな物に固執なんかしていない。
 だがあの剣で幽霊をぶった斬りまくったおかげで、天子は幽霊について造詣を深くした。今となっては幽霊を見て直感的にその個体の気質を判断することもできる。
 その幽霊視の力で地上を見ると、異変が起きていることが一目瞭然だった。
 天子の唇が、自然釣り上がった。

「あれは……? まさか」

 言葉とは裏腹に天子は自分の目に間違いはないと確信していた。家路に向けていた石の航路をUターンして地上に変更。目的地の直上に到達すると、そのまま石を自由落下させた。
 着地の衝撃は並みの人間ならば五体がばらばらになるほどであったがそこは天人。無念無想の境地で天子は石から飛び降りてその石畳を踏んだ。
 明け方前の風は身を切るように冷たい。しかしそれを忘れるほど天子の胸の奥には粘つくような熱い感情が渦巻いていた。
 現在天子が住まう天界のお屋敷はもっと広くて華やかだ。このような地上のこじんまりとした屋敷とは比べるべくもない。
 注連縄を張られた小さな庭石――要石に手を当てる。幼い頃からやんちゃだった天子はよくこの要石に乗って遊んでは叱られたものである。今思えば子供が近寄れないように何か柵で囲っておけば良いのではないかとも思うのだが、よくよく考えれば天子――いや、地子はそれを平気で乗り越えるようなおてんば娘であった。
 導かれるように天子は庭を歩み、天気輪に手をかけた。ごろりと輪を転がすと、思いがけないほどに様々な出来事が胸の内に蘇っては水泡のように消えた。
 天子にはこの屋敷の正体がわかっていた。それでも、それでも玄関の三和土を踏んだ瞬間、自然にその言葉が口をついて出た。

「――ただいまぁ……」

 三和土に、滴が零れ落ちて黒い染みとなった。
 比那名居一族本邸。それがまだ地上にあった時の姿そのままで、全く同じ場所に復活していた。
 天に昇ってからしばらくして屋敷は碑を残して打ち壊された。この世にはもう存在しないはずの場所――それ故に、劣化も風化もしない状態で今ここにあるのである。
 震える足で天子は廊下を歩んだ。客間を覗き、阿礼乙女の子が挨拶に来ていて一緒に遊んだことを思い出した。厨房を見て、つまみ食いを使用人に見つかって呆れ笑われたことを思い出した。納戸を見て、悪戯の仕置きに閉じ込められたことを思い出した。階段を登り、転げ落ちそうになったところを父に抱きとめられて助けられたことを思い出した。
 あまりにもあの日そのままだった。しかし天子以外に誰もいないことが現在と現実を物語っていた。父を始めとして家族は皆天人として振る舞おうと今も努力し続けている。天子はまるでこの家に一人置き去りにされたように感じた。
 いつまで家中をさまよい、彼の日の幻影を追いかけていただろうか。夢遊病に冒されたかのようにいた天子を我に返したのは、家中に響き渡る少女の怒声だった。

「おい、いないのかバカ天人!」

 ぶつんっ、と頭の中で何かが切れた。決定的な何かが切れた。
 廊下を踏み荒らす足音に向かった。するとそこには頭から湯気でも出しそうなほど怒りを顕わにした少女がいて、天子を見たとたんこれ以上ないほどわかりやすい敵意の目を向けてきた。
 人様の家に勝手に上がりこんできて礼儀の一つも知らない奴である。

「あなた、どこの誰だか知らないけど今すぐ叩きのめしてやるわ。死体は名無しの権兵衛と書いて土左衛門にでもしてあげましょう」
「お前の存在ごとこの家を無かったことにしてやる!」

 出会った瞬間から互いに臨戦態勢だった。
 さして広くもない廊下である。ひとたび弾幕合戦が起きれば流れ弾で壁も床も天井も穴だらけになった。

「始符『エフェメラリティ137』!」

 その穴だらけの壁に相手の放った使い魔どもが着弾、炸裂。横っ腹からいやらしい軌道で弾が襲ってくる。
 返す刀で逆側の壁にも相手は使い魔を放出。気がつけば天子は左右から弾塊に挟まれてしまっていた。
 ここまで家を壊されては元も子も無かった。いや、もしかしたらこの戦闘がなくても、天子は無意味だとわかっていてこの屋敷を自分から破壊していたかもしれない。
 いずれにせよ、今回の天子に負けるつもりは桃の毛先ほどもなかったので思いっきり暴れることにした。

「地符『不譲土壌の剣』!」

 剣替わりに拳を床板にぶち込み、大地を吼えさせた。着弾寸前だった弾塊は床から屋根まで突き破って隆起した石壁によって阻まれる。
 隆起した際の軽い地震いで相手は態勢を崩した。そこに天子は石弾を飛ばす。

「国体『三種の神器 郷』!」

 相手の前に寄り集まった使い魔が石弾を阻む盾となった。そのまま使い魔は回転しながら弾をばら撒き出す。
 弾の軌道がそのまま動くラインとなって弾の当たらない安全な場所を移動させて行く系統の弾幕だった。石柱でも呼び出して盾にして避ける方が楽だったが、今の天子はとにかく相手に一泡噴かせたかった。
 使えばこの家は跡形も無く吹き飛ぶことも考えられた。だが、そんなことは色んな意味で天子には関係なかったのである。

「要石――」

 スペルカードを空中に放り投げ、膝に力を蓄える。
 天子は翔んだ。屋根を頭突き抜け、朝焼けが白々と輝く幻想郷の空に躍り出た。

「『天地開闢プレス』!!」










 天が落ちてきた。
 爆風は屋敷の外にいた阿求と連れの人々にも容赦なく襲い掛かった。土煙や砂利を混じえた風はそれ自体が一種の凶器だった。

「ご、ご無事ですか!?」
「ええ……って、なんなんですかあれは」

 とっさに案内役の男が壁となってくれたので阿求は着物に砂埃が付く程度で済んだ。しかし爆心地となった屋敷の中はそうもいかない。

『明け方井戸の水を汲もうとしたら妙な屋敷が現れたので調べてほしい』

 そう言われた阿求は屋敷の場所を聞いて、察する所があった。後は屋敷をこの目で見れば正体は掴めるだろうと思い、足を運んだわけだが。
 わけなのだが、爆風だけで塀の一部すら崩した一撃に本邸が耐えられるはずもなかった。阿求は一度目にしたものを死んでも忘れないが、それは在りし日の姿あってこそである。件の屋敷は、阿求の目に入る前に跡形も無く崩れてしまっていた。
 後に残るは、小山のように巨大な注連縄付きの岩である。

「あっははは! 妖怪の知識をいくら並び立てても天人の知識は無かったようね! 人も獣もこの私に敵うはずなどないじゃないの」

 その岩の上で、有頂天になっている奴がいた。
 皆呆然とその少女を見上げていたが、誰かがはたと気づく。

「……か、上白沢先生は!?」
「せんせぇー! ご無事ですかぁー!?」
「安心なさい、峰撃ちよ」

 岩から飛び降りた少女はその側でひっくり返って目を回している慧音を男たちに渡した。どうやら慧音とスペルカード戦でもやっていたらしい。仮にも人里の中なのだから、もう少し気を遣っても良さそうなものを。
 彼女は周囲を見渡して、すっかり更地になってしまったことを確認すると、安堵とも無念ともつかないため息を零した。

「どうせ異変の根本を解決しないことには、また復活するでしょう」
「まあね……って、あ、阿夢!?」

 彼女は阿求の顔を見て素っ頓狂な声を上げた。しかし彼女が口にした名前は確かに阿求のものではないが、以前の阿求の名前ではある。

「生前、どこかでお会いしましたか?」
「ええ、ここの屋敷の娘でしたから」
「ということは天人となった比那名居一族の者ですか。天人に成った時にあなたくらいの年頃の娘は一人しかいませんでしたから、あなたは比那名居地子、改め天子さんですね?」
「さすがの記憶力ね……」

 天子は帽子をいじり、何やらもじもじとしていた。右に左にと視線を配り、挙動不審にしているかと思ったら突然手の平を阿求に差し出した。
 その中には桃が一つ。

「さ、再会祝いに」
「有り難く頂戴致します。しかしこのような所で立ち話も如何なものでしょう。私の家で粗茶などでよろしければ……」
「それは数百年ぶりね。うん、行くよ」

 天人とは思えないほど年頃の娘らしい気楽さの二つ返事で天子は頷いた。
 阿求としては幻想郷縁起の天人の項に、以前彼女が起こした一件についても書き記したかったのでこの突然の来訪は願ったり叶ったりであった。慧音と何やら揉め事があったようだが、既に決着はついた。勝敗付けば禍根を残さないのが幻想郷の良い所である。
 しかし本件はそれとして、幻想郷縁起には書き記さない阿求個人の疑問もあった。それは道中で片付けるとしよう。

「天子さんはなぜ古巣の幽霊などに訪れたのですか?」
「天界は退屈でして。少しはホームシックにもなるのです」

 伝え聞く天子の評判は本物だった。全く俗っぽい。これは既に書いている天人の項をかなり書き直さなければいけないだろう。
 その俗っぽさを自分からわざわざ強調するかのように天子はくすくすと笑う。

「それにしてもあいつは気づいてなかったみたいだけど、あなたは気づいたのですね。あの屋敷の正体が」
「私が正体を見極める前にあなたがぶっ壊したのでなんとも言えませんが」
「心配いりません。あの屋敷はあなたが考えるように『屋敷の幽霊』が実体を得てこの世に具現したものです」

 無機物にも霊は宿る。いや、無機物にも霊はある、、、、、、、、、
 そのためたとえ無機物といえどその実体を失えば、幽霊となる。たとえ破壊され、風化し、人や妖怪から忘れられても、幽霊はそこに在り続ける。
 屋敷幽霊。なんらかの手段によって実体化したそれは在りし日の姿そのままに、人々の前に再び姿を現すのだ。

「例のハクタクが何を思って私に喧嘩を売ったのかは知らないけど、所詮屋敷幽霊。実体があった頃の力は全て失われて見た目だけ復活しているだけに過ぎないから、なんの害もない。まあ、ものが幽霊だから寒いんだけど」
「天人は風邪を引かないでしょう」
「だけど寒いのっ」

 ああ、だからぶっ壊したのかもしれない。案外単純な生き物だ、天人は。
 ついでなので今後のためにも阿求はたずねておいた。

「天子さんはこの事件に関わっていますか?」
「うんにゃ。でもこれは事件じゃない。異変規模だよ」
「ほう」
「幻想郷中で命無き物の幽霊が蘇っているのよ。このままじゃあ命有る者の幽霊すら蘇るかもしれない。そうなれば死者と生者の境界は崩れ、幻想郷は死が満ち溢れる冥界となるでしょう!」

 巫女は、まだ動いていない。いつものことだった。











 博麗神社にて――



「あ……これ残ってたんじゃない」

 食器棚から霊夢は湯呑みを取り出した。長年愛用していた湯呑みである。例の神社倒壊事件によって土くれへと返ってしまったのかと思っていたが、半年以上も時を経てようやく主人の元へ帰ってくるつもりになったらしい。

「きっと紫が盗ってたに違いないわ。今頃になってこっそり返しに来るくらいなら最初から盗らなきゃいいのに」
「そういうのは借りてたって言うんだぜ」

 囲炉裏に当たったままの魔理沙は鉄瓶の湯を急須に注いだ。お茶が濃くなってえぐみが出ない内にと、霊夢は上機嫌で湯呑みを抱えて囲炉裏の側まで戻ってきた。
 干し芋を囲炉裏の火で焼きながらお茶が出るのを待つ。そろそろ頃合かと見計らった霊夢は干し芋を咥えたまま急須を取った。魔理沙がおいおいと止めに入る。

「嬉しいのはわかるが熱い茶をいきなり入れると割れるぜ」
「そんなにもう寒くないわよ」

 なみなみとお茶を注いだ湯呑みを包み込むように持ち、霊夢は幸せを噛み締めるように啜った。

「――……」
「んぁ? どうした霊夢? 虫でも入ってたか?」
「ぬるい……」
「熱い温泉の入りすぎで舌が馬鹿になったんじゃないのか?」

 そう言う魔理沙は舐めるようにお茶をちびちびと啜っていた。その仕草がなんともわざとらしく感じられて、霊夢は魔理沙の湯呑みを奪い取る。

「わっ、馬鹿っ、零れっ、熱っ!」
「だからそんなに熱いわけない――って熱ぅっ!?」
「ほら見ろ言わんこっちゃないぜ」

 魔理沙の湯呑みから啜ったお茶は舌が火傷するほどの熱さだった。何かの錯覚かと疑って霊夢は自分の湯呑みに口をつけるが、今度はぬるいを通り越して冷たいの領域に入りつつある。
 というか、霊夢の湯呑みはお茶を入れてもいつまでたっても湯呑み自体が温まらない。食器棚から取り出した時の冷たさを未だに保っていた。

「魔理沙、これ飲んでみてよ」
「あー? そんなに風邪を移したいのか? ……って、なんだこりゃ。えらいひゃっこいじゃないか」
「おかしいでしょ?」
「喫茶店でアイスを出す時に便利そうな湯呑みだな」
「冷たいお茶も珈琲も邪道よ」
「野点でもやるつもりか?」
「ったく、これだから紫は困るのよ。後で霖之助さんにでも鑑定してもらお」
「奴に渡したとこで『湯呑み。飲み物を入れる道具』と言うだけだぜ」

 魔理沙は霊夢の湯呑みから自分の湯飲みにお茶を継ぎ足して適温に調節していた。

「それより霊夢。この前幽香に会ったんだがな」
「しょっちゅうウチに来てるけどそれがどうかした?」
「いや夢幻館にいたそうだ。私が会ったのは紅魔館でだけど」
「無玄関? まあ魔理沙には玄関なんて会って無きが如しね」
「その夢幻館が今霧の湖にあるんだよ。あの孤島に建って」
「里帰りじゃない?」
「アレがまたあそこに建ってるとなると、また『向こう』と幻想郷を奴は繋げるつもりなんじゃないのか?」
「その時はその時でまたあのお花馬鹿を叩きのめせばいいだけじゃない」
「まあ最近は幽香以外にもあっちこっちで昔懐かしの代物を復活させるのが流行っているらしいからな。地底に行ったら罪人を懲らしめる拷問器具が転がっていたぜ。おっかないな」
「どうせそれ拾ってきたんでしょう」
「ところで霊夢」
「何よ」
「さっきから背景がなんかダブってないか?」
「目の錯覚……じゃないわねぇ」

 寒い。
 囲炉裏の側にいるというのに畳の下から天井から凍れるような冷気が霊夢を包んでいた。
 そして魔理沙の言うように、囲炉裏や柱、壁などが視点の焦点をぼかした時のように二重写しとなって見えているのである。
 いや、三重写しかもしれない。
 じっと見ていると頭が痛くなりそうな光景だった。こういう時は遠くを見るに限る。霊夢は縁側に出て空を眺めた。

「ふぅ……外の方があったかいくらいじゃない」

 陽射しがある分、しんしんと冷え込む室内よりかはマシだった。見上げた空の雲も至って普通。疲れているのだろうか。
 魔理沙も耐え切れなくなったらしく霊夢にくっついて縁側に出る。急須から入れ直したお茶も持っているあたりぬかりない。霊夢と魔理沙は一つの湯呑みでお茶を回し飲みしながら、唸った。

「もしかしてこれ放っておいたら家の中寒いまんま?」
「懐も寒けりゃ住居も寒くなるもんなんだな」
「眠る時はあの火焔猫でも抱いておこうかしら……」
「火の車を自分から招き寄せてどうするんだよ」
「それじゃあ鴉の方にずっといてもらうのはどうかしら?」
「それだと地下の核融合管理する奴がいなくなるから、温泉が湧き出なくなるな」

 その一言で、霊夢は立ち上がった。
 寒い。暗い。ひもじい。この三つから不幸はやってくる。不幸の禍根は断つべきである。断固、即刻、なんとしてでも。
 霊夢は寒い家の中に入り、お祓いした針とお札を袖の中に入れた。駆け足で縁側へ戻ると、既に魔理沙は箒に乗って上空に居る。

「それじゃあ、フライングさせてもらうぜ!」
「魔理沙の方が私より遅くやってきたら、晩ご飯は任せるわよ!」

 紅白の蝶は春を告げるかのように雨水の空を飛翔した。

 幻想郷は春を迎えようとしていた。季節外れの盆であるかのように、死した物どもは香の匂いに誘われて里帰りをする。
 暗い屋敷。賑やかな屋敷。燃え落ちる屋敷。
 死に囲まれながら、彼女はそこにいた。

このお話は東方ゲーム本編の異変解決ストーリーなノリでやってます。投稿タイトルとは別に本家っぽいタイトルも付けてみました。
そもそもあるキャラクター(前編なので名前は伏せます)は異変を起こしていないけど、何かきっかけがあったら起こすかも?とか思ってたわけで。
今回の根本的な元ネタはトーキング・ヘッズの「Burning Down the House」を元ネタにしたジョジョの奇妙な冒険第六部ストーンオーシャンのキャラクター、エンポリオ・アルニーニョのスタンド「バーニングダウンザハウス」。英字タイトルにもなってます。
ジョジョ未読の方に解説しますとこのスタンドは「無機物の幽霊を扱うことができる」能力を持っています。既にこの世から失われた物を扱うこの能力はなんとなく幻想入りと通じるところがあるなぁと常々思ってました。幽霊部屋の設定なんか正にそれ。

前編を読み終えて「もう後編読むのたるいや」と思っている方もそうでない方もこの騒動の発端となったキャラを推理してみてね、というわけで霊夢出撃を機会に区分け。
作者コメもここらで区分けと致しましょう。
みづき
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コメント



0.1010簡易評価
1.50名前が無い程度の能力削除
後半に期待ということで