~前書き~
・『日本で3番目(2番目)に胸キュンするメディスンのおはなし』の完結編です。
永遠亭の客室は今幻想郷で最も熱い決戦のバトルフィールドと化していた。
いや、厳密に言えばあからさまに敵意を持っているのはここに住む薬師ただ一人なのだが。
「あの……できればその、睨むのをやめてほしいのですが……」
「ふんっ」
苦笑いする神綺に永琳はあからさまに不機嫌そうに鼻を鳴らす。とても幻想郷屈指の頭脳派とは思えない姿に隣の幽香もふうっとため息をつく。
「ほら、永琳。まずは話を聞いて、ね?」
「……仕方ないわね」
「あー、もう……」
みんなに恐れられる大妖怪のはずの自分がなぜこのような宥め役をしなければならないのだろう? というもやもやした気持ちを抱えながらも何とか永琳を落ち着かせることに成功する。この辺りは宿敵と認められる仲だからこそ成せるのかもしれない。
……いや、宿敵とはあちらが一方的に呼んでくるだけなのだが。
「さて、落ち着いたところで……随分とお久しぶりね? 魔界の神様。何か用?」
「白々しい、わかってるくせに。まあいいわ、お二人の話、こっそりと聞かせてもらったわ。だから私も混ざりに来たの」
大胆不敵に微笑む神綺に二人も思わず顔をしかめる。
(何ですって? 気配なんて微塵も感じなかったのに)
(兎達はおろか、私や宿敵にも悟られずにずっと話を聞いていたとは……魔界の神、侮れないか)
ここに来て永琳の顔つきも真剣になる。相手にとって不足はないといった感じだ。『風林火山』と書かれた湯のみのお茶を一気に飲み干し、卓に置くと初めて神綺を正面から見据えた。
「幽香から聞いてるわ。あなたがアリスの母親なんですってね。娘の弁護にでも来たのかしら?」
「ご名答。さすが噂に聞く天才さんねー」
アホ毛をピョコピョコ動かして手を叩いて感心する神綺にムッとするが我慢我慢……と心の中で唱え、話に耳を傾ける。もし湯飲みを持っていたら
握りつぶしていたかもしれない。幽香も肩に手を置き、首を横に振って堪えるよう指示をする。そんな二人の様子をクスクス可笑しそうに眺めながら、神綺は話を続けた。
「うふふ、からかってごめんなさいね。でも愛娘を悪く言われたら黙ってはいられないでしょう? まあ、これでおあいこ。
本題だけど……さっきの二人の話を聞いて、まずは謝ろうかと。メディスンという子にうちのアリスちゃんが厳しいことをしたみたいね。ごめんなさい」
そして頭を深々と下げた。これには二人も驚く。てっきり反論してくるかと思っていたからだ。それを察してか、神綺も曖昧に微笑んでいる。
「そうね……まずはアリスちゃんのことから話すのを始めましょうか」
そういって一枚の写真をテーブルの中央に置いた。手に取った幽香があっと声を上げて驚く。
「これは……あの時の魔界人達と昔のアリスじゃないの」
魔界にもカメラがあったのか……と思いながら、マジマジと見つめる。「私にも見せなさい」と永琳が横から覗いたその時だ。
「えっ!? これが昔のアリス? やっば、すごく可愛い!」
息を荒げてボルテージを熱くし、幽香から写真を奪い取るとじっと見入る。尋常ではない目つき、これもある意味狂気の瞳と呼べるだろう。
恐るべきは幼女への執念か。
「ふふ、そうでしょそうでしょ」
これに気分をよくしたのか、神綺も胸を張って自慢げに語り、永琳も首を何度も縦に動かして頷き返す。
「魔界の神……いえ、神綺。今日からあなたも宿敵(とも)よ!」
「……永琳!」
がしっ。
十年ぶりに戦友と再会したかのごとく熱い抱擁を交わす二人。ついさっきまであったしがらみはあっさりと消えてなくなり、一つの友情が誕生した瞬間だった。その目撃者の幽香ももはや呆れを通り越した妙な感動に思わず目頭を押さえる。
だからこそ、永琳に宿敵と認められた存在なのだ。
要はみんな親馬鹿である。
友情の確認を終えると再び席に戻り、咳払いをした後に神綺が話を再開する。
「さて、と。えーと、まずは……何から話すべきかしら? あの子が純粋な魔界人ではないことから話した方がいいかな?」
「むしろ、私達と戦った時は普通に人間だったような気がしたのだけど」
昔を知る幽香が探るような目つきで言う。多種多様の魔法をあの幼さで駆使する姿には舌を巻いてその才能の豊かさに驚いたが、それでも彼女は人間だったと思う。そうでなければ――
当時の彼女は霊夢と魔理沙よりもずっと幼かったのに、今では同じくらいの姿になったことの説明がつかない。
「手厳しいわね……うん、確かにあの頃のアリスちゃんは人間だったわ。本格的な魔法使いになる前」
すっと目を閉じる神綺。その表情からはどんな感情を秘めているのかは窺い知れない。
「もともと、あの子は広い世界を夢見ていた節があった。貴方達が魔界に攻め込まなくてもいずれは出て行ったかもしれない」
声には怒りや悔しさというものはなく、ある種の諦め、達観したものが入っていて、幽香は正直ほっとしていた。自分達のせいで可愛い娘が家を出て行ってしまったと言われたらたまったものではない。
「そして人間をやめたのもまた姉達の背中を追っていたからこその選択……本人は大人に近づいたと思っているようだけども」
「……ふん、なるほどね」
そこで永琳が神妙に頷く。
「つまり、アリスもまだまだ子供だってことね」
導き出された答えに神綺がニコリと笑う。
「ご名答、さすが。実は今夢子ちゃんに――」
それはまさに震天動地の出来事ともいえる、思いがけない来訪者だった。
「夢子……お姉ちゃん?」
「久しぶりね、アリス」
赤いメイド服に、長い金髪。
目の前に立つ女性が穏やかに笑いかけるが、アリスは信じられないといった表情を崩せずにいる。当然といえば当然だろうが。
「上がってもいいかしら?」
「も、もちろんよ、ちょっと人形達がたくさんいて狭いかもしれないけど――」
構わないわ、と柔和な笑みを浮かべて家に上がる神綺に仕えるメイド・夢子。彼女の他にサラ、ユキ、マイ、ルイズが魔界の神殿に住んでおり、幼少時のアリスは彼女達に囲まれて育った。アリスは夢子達5人を姉と慕い、彼女らもアリスを一番下の妹としてとても可愛がっていた。ただ、幼い頃のアリスはそれを時々自分が一人前に認められていないのではないかと考えて反発してしまうことも
あった。
今考えると無性に恥ずかしい思い出である。
「お茶、淹れたよ」
「ありがとう」
淹れ立ての紅茶とクッキーをテーブルに置く。席に着いた夢子はお礼を言うと早速カップを口につけた。緊張気味に見つめるアリスとは対照的に優雅に紅茶を飲んでいく姿には気品が漂う。メイド服姿でなければどこかの貴族の女性にも見えるであろう。
「んっ……美味しいわ。これなら私の後を継げそう」
「も、もうっ、お姉ちゃんったら……」
夢子はこういうことに関しては遠慮せずに本音を言う性格なので、この発言は最大級の評価と言っても過言ではない。それを知っているので思わずアリスも顔を赤くした。
「ほら、あなたも座りなさいな」
「う、うんっ……」
促されると大人しく席に座る。メディスンの前では落ち着き払った雰囲気を醸し出すアリスも姉の前には妹に戻ってしまうようだ。
クッキーを一個頬張り、飲み込むと意を決して尋ねてみた。
「えっと、その……どうしてここに?」
何か魔界で事件でも起きたのか。魔界人はそもそも滅多なことでは魔界を出ないでいる人種だ。
「純粋な」魔界人であり、なおかつ魔界の神である母に最も近い場所にいる夢子なら尚更。不安そうな様子に気付いたのか、夢子はふっと優しく微笑むと空っぽになったカップを静かに置いた。
「命蓮寺のことは知っているかしら?」
「え? ああ、確か魔界で封印されたっていう――」
最初に聞いた時は驚いた、魔界で生まれ育った自分でさえ聖白蓮のことは知らなかったから。一度本人に会ってみようか、母に尋ねてみようかと思ったこともあったが、向こうも自分の方に接触することはなかったので敢えてそのままにしておいてきたが、
こんな形でその名を聞かされようとは。
「私も詳しくは知らない。でも、彼女と神綺様はどうやら親交があったみたいで、かの異変で封印が解かれた後に一度だけ顔を見せに来たのよ。そこで幻想郷のことを聞かされて、我慢できなかったのでしょうね。様子を見に行って欲しいと頼まれて私が出向いたというわけ」
夢子の説明に相槌を打ちながら、二人はどんな関係なのだろうかと気になった。今度里帰りしたら尋ねてみようか。
「私もアリスの顔が見れて嬉しいし――あら?」
そこで夢子の視線が一点に集中する。
視線の先にはソファーに置かれた一冊の絵本。
アリスがメディスンに聞かせた人形と人間の絆を描いた本であった。
そこでアリスの表情に一瞬影が落ちたのも見逃さない。
「何か、悩みがあるみたいね」
こうなってしまうと嘘は通用しないし、不思議と夢子になら全てを打ち明けられる気がした。
小さい頃、姉達の背中を追いかけ続けていたアリスにとって夢子達は憧れの存在でもあった。幻想郷でのアリス・マーガトロイドとしてではなく、魔界で育った「ありす」の心が憧れの一人である夢子を前にして戻ったのかもしれない。
「実は――」
だから話した。話せた。自分でも怖いくらいに素直に。
「確かに振る舞いや言動とかは一人前でしょう。でも所詮は子供の背伸び、私からすればそう見えるわ」
「そりゃああなたは長生きの代表格だものねえ」
場面は再び永遠亭に戻り、長者3人による会談の最中。扇子を広げて扇ぎながら永琳が持論を展開する。
「魔法なり神の力でなりどちらでもいいけど、それで容姿等は成長したとしても心はそうはいかないでしょう。
まして紅白や白黒よりもずっと幼いというならね。それでもよく背伸びはしていると思うけど」
厳しさも交えた言葉に神綺も苦笑いをし、ばつが悪そうに身をよじる。
「魔界で育ったとはいえ元は人間。魔界人がどういう構造かまでは知らないけど、体と心が成長するというものにはあなたたちは疎かったんじゃないの? だから優しくするだけでなく、時には厳しく接することができなかった」
純粋な魔界人とは神綺が創った存在。成長することはなく、また魔界のことを第一に考えるようになっている。故に日に日に成長していくアリスに喜びながらもどこかで戸惑い、魔界を出ようと考えるなんて予想もしなかった。魔界の者にとってアリスの独立は空前絶後の事件だったのだ。
「私も人間の世界にはほとんど干渉してなかったから……鈍ったところもあったわ」
ほうっと息をつく。幽香も永琳も何も言わない。
「出て行く前にきちんと話しておくべきだった、人間と接する前に大事なことを」
「人間は年老いていずれ死ぬ。単純で自然で残酷な摂理」
アリスは夢を見た。それは遠い未来にいつか訪れる結末。
博麗霊夢。
霧雨魔理沙。
かつて魔界に殴りこみ、自分、だけでなく姉達や母にも打ち勝った二人の人間。
そして、魔界以外の世界を初めて知るきっかけをくれた二人。幻想郷で暮らすようになって頻繁に顔を合わせるようになり、
そこで初めて「友達」という存在になった二人。多くの人妖の知り合いができても、幻想郷でのアリスの中心にはいつも彼女達二人がいた。
――アリスが見たのは、二人の墓の前で佇む自分自身の夢だ。
灰色の空から降り注ぐ雨に打たれる二人の墓とアリス。しかしこのアリスはアリスであってアリスではない。
夢を見ているアリスと夢の中で佇むアリス。アリス本人は夢に参加できず、映画の観客のように流れてくる映像を見守るだけしかできない。
墓の前のアリスは力なくへたり込むと泣いていた。嗚咽を交え、墓にしがみついて。
今とほとんど変わらない自分。だけど、泣き顔は幼い頃の自分のように見えた。
そこで夢は終わった。
話を終えたアリスが少し冷めた紅茶を喉に流し込む。味はしない。夢子はただ黙って耳を傾けている。
「たかが夢なのに、寝る前にはそれが頭をよぎって……情けないわよね」
自分と彼女達は違う種族。どうしようと二人の方が先に逝ってしまう。わかってはいることなのだが、
それがどうしても頭にこびりついて離れない。
だからこそメディスンが。過去の自分に似ているメディスンに依存したかった部分があったのかもしれない。だからあの人形と人間との絆が書かれた話を紹介し、自分のそばに置きたかった。
――彼女の生い立ちを知っているにも関わらずそれは独りよがりの我侭なのに。
項垂れるアリスに夢子の手が伸び、頭をゆっくりと撫で回す。
「ふぁっ……」
一瞬びくっと驚いたが、すぐに心地よさそうに目を閉じる。こんな風に優しく頭を撫でられるのは久しぶりで、しかも慕っている夢子相手というのだから尚更だ。
「アリス」
「んっ……?」
慈しむような目。この目は……確か、魔界を出る日に向けてきた目と同じだ。
「大人でも子供でも悲しく泣きたいと思うことはある。それは情けないことではないわ。
大事なのはその時が来るまでにどれほどの思い出を残せるか、もしくは共有できるか」
それだけを言うと手を離す。後は自分で考えろといわんばかりに。
「そしてそのメディスンという子。大事にしなさいな、きっとこの世界で生きていくあなたの大きな支えになってくれる」
そこまで言うとすっと立ち上がり、玄関へと歩き出す。アリスも慌てて後を追う。
「お、お姉ちゃん!」
「あんまり向こうを空けてたら他の姉妹に嫉妬されるからね、帰らないと」
さすがに他の姉妹達まで一斉に押しかけたら大変なことになるだろう、と苦笑いを浮かべながら言い聞かせるがアリスの寂しそうな瞳を見てしまうと二の足を踏んでしまいそうになる。もし可能なら一晩泊まって一緒の布団にでも寝てあげたいのだがそこは我慢だ。
「アリス、あなたは自分が思ってるよりも強い子よ。魔界以外の世界を見たいと思い、飛び出た。自分の意思で。だからこれからもうまくやっていけるはず。でも――」
そこで区切ると、そっとアリスの体を抱きしめる。小さかった体は背伸びをすれば自分と同じくらいになるまで大きくなり、顔も大人びた。
「アリスはいつでも私達の家族、それだけは覚えておいて頂戴」
親にとって子供はいつまでも子供、姉にとってはいつまでも可愛い妹なのだ。
「……うん」
こくり。夢子の胸の中で頷く。この時だけは、昔のように甘えていたかった。
「昔の自分にどこか似てるメディスンを手元に置きたがるのもまあわからなくはない。子供の我侭ではあるけど」
「まあまあ永琳、その辺に……わわわわっ、神綺も笑顔だけどアホ毛が逆立ってるー!?」
武田信玄は領土を広げるために今川との同盟を破棄し、駿河へと攻め込んだ。この際、今川義元の娘と夫婦であった信玄の息子の義信は反対したが、信玄はこの血を分けた息子をも殺した(自殺に追い込んだ)。この非情さもあって領土を広げていった武将である。
永琳も信玄ほど大げさではないが遠慮なくアリスの欠点を指摘するものだから間に立つ幽香はたまったものではない。
「宿敵、私は冷静よ。アリスのことはわかった、じゃあメディスンはどうすればいいのってこと」
そして空っぽになった湯のみを持ち上げて高らかに言った。
「不動如山(動かざること山の如し)。子供というのは親の知らない間に成長していくもの。
何も言わないのもまた愛情……ってね」
「……ふふふ」
神綺と目配せをし、笑い合う。どうやら先ほどの険悪な雰囲気は幽香をからかうためだけのもので、二人には答えが見えていたのだった。
「……さてと、有意義な時間を過ごさせてもらったけど――そろそろお暇しましょう」
「はっ――」
一瞬の出来事だ。神綺がすっと立ち上がった瞬間、彼女の傍らに赤いメイド服の女性が現れた。
「あ、あなたは確か夢子っていうメイド」
「……その件はどうも。お変わりがないようで嬉しい限りですわ」
ぺこりとお辞儀をする。その姿に幽香、永琳さえも唾を飲んだ。
(し、宿敵。あなた達って本当にこの子達に勝ったの?)
(そ、そうよ。でもあの時よりもずっと強くなってる)
強くなってる? 思わず笑いが零れそうになる。このメイド、一見すれば普通に佇んでいるがあらゆる方向に気を張って、何かあったら即座に反撃してやるという殺気を静かに漂わせている。全く隙が見当たらない。
(いやはや……ひょっとしたら依姫ともかなりのところまでやりあえるんじゃないのかしら? もし霊夢達が月に行った時にアリスも一緒に行ってたら思わぬ助っ人として現れて月人を震え上がらせていたかも)
ますます魔界に興味を持つ永琳であった。
「夢子ちゃん、アリスちゃんと久しぶりに会えてどうだった?」
「それはもう。本当は一晩泊まって一緒の布団で抱きしめたまま耳元で子守唄を唄って可愛らしい寝顔をずっと眺めていたかったぐらい素敵でした!」
(……あ、前言撤回。いいお友達になれるかも)
(愛されてるわねー、アリス……)
身をくねらせて紅潮した顔で話す夢子を見て一瞬で二人の緊張感はどこかに消え去った。素晴らしき親子愛、そして姉妹愛。里帰りした時、姉や母から抱きつかれてもみくちゃにされるアリスの光景が浮かんだ。
一通り夢子が話し終えるとようやく一段落、四人はそろって玄関口へと向かった。
「今日はありがとう、充実した時間を過ごさせてもらったわ」
「それはこっちも同じ。今度はそちらにもお邪魔してみたいわね」
「あらあら。じゃあ白蓮ちゃんに一言言っておこうかしらー」
すっかり友人となった二人はがっちりと握手を交わす。そんな二人とは正反対にピリピリした雰囲気を醸し出す幽香と夢子。
これはまあかつての互いの立場から考えたら自然なことかもしれないが。
「もしまた魔界に来ることがあったら歓迎しますわ。全身全霊をかけて『おもてなし』させて頂きます」
「ふふ……お手柔らかに」
以前と比べ物にならないほどの実力をつけた夢子を前にしても一歩も引かず不敵に笑う。たじろいだのは先ほどの一瞬までで、
今ではむしろ彼女との闘争を想像し愉しみを覚えるまでに至っている。ここら辺は永琳が戦国最強の武将と言われる上杉謙信に例えたのも頷ける部分だ。
「それじゃあまた会う日まで――」
「ごきげんよう」
神綺達の姿が竹林に消えるのを見届け、二人の間を風が吹きすさぶ。嵐のような一日とはよく言ったもので、空も橙色に染まり、日が沈み始めていた。
「……私も行くかな」
幽香が一歩歩みを進めると、永琳が一声かける。
「メディスンの所に行くつもりね?」
「ええ。あいにくと私には『山』は合わないもので」
「ふふっ――」
背後に回るとくるりと後ろを向き、互いの背中同士をぴたりと合わせるような形になる。
「あれはあくまで私個人の見解。模範解答なんて存在しないわ。それに、背中をポンと押すのは私よりもあなたの方が向いていると思うし」
相手のことを評価しているからこそ言える台詞である。
「一緒に行かないの?」
「あんなことを言った手前は……というのは2割くらいで。メディスンみたいに可愛げはないけど、それでも面倒を見てやらないといけないのがいるから……」
まだまだ自分が見ててやらないと危なっかしい弟子。生涯側にいることを誓った姫。後ついでにヤンチャしすぎないように監視しないといけないのが一人。主にメディスンに悪いことを教えないように見張る的な意味で。
「あら、そう。じゃあ遠慮なく私一人で向かうわね」
「ふっ――」
そのまま振り返ることなく歩き出す二人。語る言葉は必要なかった。
夜の鈴蘭畑に流れる風は少々冷たい。ごろりと大の字になるメディスンはぼんやりと夜空を眺めていた。満天の星が彩る時もあれば黒い絵の具に塗りつぶされたように真っ暗な顔も見せるこの空を眺めるのは嫌いではない。
――欲を言えば、一緒に転がりながら空を眺めてくれる人がいればいいのだけれど。
等と考えていたら、頭上から声が響いてきた。
「女の子がそんな格好してたらはしたないわよ?」
この声は――幽香か。むくりと起き上がると、いつもみたいに優しく微笑んでくれていた。
「ん。でもこうやって空を見るの、好きだから」
もちろん本気で怒っているわけではないし、メディスンもそこは充分にわかっている。
「……アリスのことを考えていたの?」
「うん。何であの話を持ちかけたのか、ずっと考えてた」
答えを聞こうかどうしようか迷っているとメディスンはさらに話を続ける。
「もちろん私はアリスではないから100パーセントはわからない。でもあの時のアリスは妖怪になったばかりで何もわからなかった頃の私とちょっと似てたの。私はアリスに助けてもらった。だから今度は私がアリスを助けたい」
真摯な瞳、揺らぎのない決意に満ちた言葉。感嘆の息を漏らしそうになる。なるほど、永琳の言っていた通り、メディスンは自分が思うよりもずっと成長していたらしい。
「上等よ」
これならば励ます言葉は必要ない、かけるのなら――。
「今の自分の気持ちを正面からアリスにぶつけてやりなさい」
「……うん!」
――はい、どなたかしら、こんな夜分に……メディ?
――アリス。もう一度、あの本見せて!
――え?
――やろう。二人で、さ。
数日後、大勢の人々で賑わう広場で、二人の少女が立っていた。人形達が楽器を持ち、演奏する。音楽に合わせて歌うように台詞を読み出す姿はさながらミュージカルである。
本日二人の演じるは少女と人形の物語。
「どうして私は人間でなかったの? どうしてあなたは人形ではなかったの?」
両手を胸の前で組み、天を仰ぐメディスン。
捨てられた過去を持つ彼女の人形時代はおそらく幸福とはいえなかっただろう。妖怪として命を持ったのも不幸か幸運か。
いっそあのまま朽ち果ててしまえばよかったのにと運命を呪ったこともゼロではなかった。
「私の人形さん。いつまでも一緒にいましょう」
メディスンと背中を合わせたアリスの顔は観客にも、メディスンにも見えない。話が進むにつれて少女は大きくなり、人形に見向きしなくなる。家族から自立してからのアリスは何かと昔の自分に否定的だった。ずっと大切にされてきたはずなのに、それが心のどこかで気に食わなくて、早くみんなに一人前なところを見せたいと焦り、苛立った。
物語はさらに進み、重い病気を患った少女は走馬灯の中で家族や友達、最後に人形の顔を思い浮かべる。
「お母さん達も友達とももう会えないのかな……」
演じながら、アリスの脳裏にあの悪夢が蘇る。「死」という終焉。
「それに、ああ。今まで忘れててごめんなさい。私の――」
『――アリス』
『――メディ?』
舞台では人形役のメディスンが少女役のアリスの正面に立ち、見つめ合うだけ。しかし、二人は舞台の台詞とは別に会話を交わしていた。口を動かす必要はない。
「私はあなたと一緒にいられて幸せだった。その気持ちに曇りはないわ」
「ああ、こうして死ぬ前にあなたと話せるなんて……」
『私ね、この姿になれて今はよかったかなって思ってるの。永琳、幽香はお母さんみたいに優しくて頼れるし、自分の足で動いて色んなものが見れて、感じれて』
「いつも話しかけてくれて。姉妹みたいで、友達みたいで楽しかった」
「でも、私はあなたのことを――」
『アリスみたいな人形を大事にして、人形達からも慕われている人とも会えた」
『だけど私は……。寂しくならないようにあなたを手元に置きたいという愚かなことを……』
ぎゅ。
アリスの右手をメディスンの小さな両手が包み込む。見上げる笑顔に一点の曇りなし。
『もしアリスが一人で泣きそうにしていたら、私が側にいるよ』
本では人形が少女を救い、やがてまた生まれ変わるという展開になるのだがこの舞台では少女と人形がまた会える日を誓い合うのをエピローグとしている。今二人が演じているのがラストシーンだ。
「私はあなたのことを主と思ったことはない。姉妹のようであり、友達よ。人形と人間だけど、私はそう思ってる」
人形師と人形としてではない。
メディスン・メランコリーという少女としてアリス・マーガトロイドという少女に向ける言葉。
親愛なる友人みたいに思うことも、姉同然に慕うこともある存在。
劇の台詞とメディスンの心が完全に一体となっている。
これは劇での人形の言葉であると同時に自分に向けられた彼女の心からのメッセージ。
「私だって――そうよ」
左手を伸ばし、包んでくれた両手をこっちも包み込んでいく。
「だからまた――絶対に会いましょう」
「必ず――」
人形の指揮者がタクトを止め、演奏も鳴り止んだ。
周囲の盛り上がりはあえて語る必要はないだろう。
舞台を終えた二人は永遠亭に続く竹林を歩いていた。永琳の口添えで迷わないで永遠亭に向かうルートはばっちりだ。
「メディ、ありがとう。今日はあなたに元気と勇気をもらえたわ」
アリスは礼を述べるがメディスンはとんでもない、と言いたげに首を振る。
「いいのいいの。それよりもアリスの家族がどんな人が来るのかすごく楽しみ」
舞台を始める前、永琳の使いで鈴仙が尋ねてきて終わったら打ち上げをやるから来るようにと言付けをもらっていた。おそらく結果がわかっててよこしたのだろう、どこまでも策士である。さらにいつのまにか仲良くなったのか、神綺をはじめとしたアリスの姉の魔界人全員も参加するという。これが普段のアリスなら絶対断ったであろうがメディスンとの舞台の後だ、いくらか気が緩んでいる。それも計算に入れてのことだろう。まあ、いいのだが。
「――本当にみんないるわね……ははっ……」
数10メートル先に永遠亭が見え、近づくにつれて玄関に立つ面々がはっきりとしてくる。
永琳、幽香。
神綺、夢子、ルイズ、マイ、ユキ、サラ。
みんな二人が来るのを今か今かと待ちかねているようだった。
「アリスったら、顔が笑ってるよ? やっぱり嬉しいんだね」
「も、もう……」
メディスンに茶化され、柄にもなく照れた笑いを浮かべる。久しぶりに家族に甘えるのも……悪くはないかもしれない。
「あはは。ほら、早く行かなきゃ――」
駆け出そうとしたメディスンの手を掴み、ぎゅっと握りこむ。一瞬きょとんと目を丸くするメディスンだったが、すぐに笑顔になって握り返してくれた。
「メディ……これからもよろしくね」
「……うん」
温かい感触。アリスの脳裏に遠い未来の光景が浮かぶ。百年後か二百年後かは知らないが、きっと
今とは景色が変わっているであろう世界。
その世界でも今のように、メディスンが隣で無邪気に笑っていた。
・『日本で3番目(2番目)に胸キュンするメディスンのおはなし』の完結編です。
永遠亭の客室は今幻想郷で最も熱い決戦のバトルフィールドと化していた。
いや、厳密に言えばあからさまに敵意を持っているのはここに住む薬師ただ一人なのだが。
「あの……できればその、睨むのをやめてほしいのですが……」
「ふんっ」
苦笑いする神綺に永琳はあからさまに不機嫌そうに鼻を鳴らす。とても幻想郷屈指の頭脳派とは思えない姿に隣の幽香もふうっとため息をつく。
「ほら、永琳。まずは話を聞いて、ね?」
「……仕方ないわね」
「あー、もう……」
みんなに恐れられる大妖怪のはずの自分がなぜこのような宥め役をしなければならないのだろう? というもやもやした気持ちを抱えながらも何とか永琳を落ち着かせることに成功する。この辺りは宿敵と認められる仲だからこそ成せるのかもしれない。
……いや、宿敵とはあちらが一方的に呼んでくるだけなのだが。
「さて、落ち着いたところで……随分とお久しぶりね? 魔界の神様。何か用?」
「白々しい、わかってるくせに。まあいいわ、お二人の話、こっそりと聞かせてもらったわ。だから私も混ざりに来たの」
大胆不敵に微笑む神綺に二人も思わず顔をしかめる。
(何ですって? 気配なんて微塵も感じなかったのに)
(兎達はおろか、私や宿敵にも悟られずにずっと話を聞いていたとは……魔界の神、侮れないか)
ここに来て永琳の顔つきも真剣になる。相手にとって不足はないといった感じだ。『風林火山』と書かれた湯のみのお茶を一気に飲み干し、卓に置くと初めて神綺を正面から見据えた。
「幽香から聞いてるわ。あなたがアリスの母親なんですってね。娘の弁護にでも来たのかしら?」
「ご名答。さすが噂に聞く天才さんねー」
アホ毛をピョコピョコ動かして手を叩いて感心する神綺にムッとするが我慢我慢……と心の中で唱え、話に耳を傾ける。もし湯飲みを持っていたら
握りつぶしていたかもしれない。幽香も肩に手を置き、首を横に振って堪えるよう指示をする。そんな二人の様子をクスクス可笑しそうに眺めながら、神綺は話を続けた。
「うふふ、からかってごめんなさいね。でも愛娘を悪く言われたら黙ってはいられないでしょう? まあ、これでおあいこ。
本題だけど……さっきの二人の話を聞いて、まずは謝ろうかと。メディスンという子にうちのアリスちゃんが厳しいことをしたみたいね。ごめんなさい」
そして頭を深々と下げた。これには二人も驚く。てっきり反論してくるかと思っていたからだ。それを察してか、神綺も曖昧に微笑んでいる。
「そうね……まずはアリスちゃんのことから話すのを始めましょうか」
そういって一枚の写真をテーブルの中央に置いた。手に取った幽香があっと声を上げて驚く。
「これは……あの時の魔界人達と昔のアリスじゃないの」
魔界にもカメラがあったのか……と思いながら、マジマジと見つめる。「私にも見せなさい」と永琳が横から覗いたその時だ。
「えっ!? これが昔のアリス? やっば、すごく可愛い!」
息を荒げてボルテージを熱くし、幽香から写真を奪い取るとじっと見入る。尋常ではない目つき、これもある意味狂気の瞳と呼べるだろう。
恐るべきは幼女への執念か。
「ふふ、そうでしょそうでしょ」
これに気分をよくしたのか、神綺も胸を張って自慢げに語り、永琳も首を何度も縦に動かして頷き返す。
「魔界の神……いえ、神綺。今日からあなたも宿敵(とも)よ!」
「……永琳!」
がしっ。
十年ぶりに戦友と再会したかのごとく熱い抱擁を交わす二人。ついさっきまであったしがらみはあっさりと消えてなくなり、一つの友情が誕生した瞬間だった。その目撃者の幽香ももはや呆れを通り越した妙な感動に思わず目頭を押さえる。
だからこそ、永琳に宿敵と認められた存在なのだ。
要はみんな親馬鹿である。
友情の確認を終えると再び席に戻り、咳払いをした後に神綺が話を再開する。
「さて、と。えーと、まずは……何から話すべきかしら? あの子が純粋な魔界人ではないことから話した方がいいかな?」
「むしろ、私達と戦った時は普通に人間だったような気がしたのだけど」
昔を知る幽香が探るような目つきで言う。多種多様の魔法をあの幼さで駆使する姿には舌を巻いてその才能の豊かさに驚いたが、それでも彼女は人間だったと思う。そうでなければ――
当時の彼女は霊夢と魔理沙よりもずっと幼かったのに、今では同じくらいの姿になったことの説明がつかない。
「手厳しいわね……うん、確かにあの頃のアリスちゃんは人間だったわ。本格的な魔法使いになる前」
すっと目を閉じる神綺。その表情からはどんな感情を秘めているのかは窺い知れない。
「もともと、あの子は広い世界を夢見ていた節があった。貴方達が魔界に攻め込まなくてもいずれは出て行ったかもしれない」
声には怒りや悔しさというものはなく、ある種の諦め、達観したものが入っていて、幽香は正直ほっとしていた。自分達のせいで可愛い娘が家を出て行ってしまったと言われたらたまったものではない。
「そして人間をやめたのもまた姉達の背中を追っていたからこその選択……本人は大人に近づいたと思っているようだけども」
「……ふん、なるほどね」
そこで永琳が神妙に頷く。
「つまり、アリスもまだまだ子供だってことね」
導き出された答えに神綺がニコリと笑う。
「ご名答、さすが。実は今夢子ちゃんに――」
それはまさに震天動地の出来事ともいえる、思いがけない来訪者だった。
「夢子……お姉ちゃん?」
「久しぶりね、アリス」
赤いメイド服に、長い金髪。
目の前に立つ女性が穏やかに笑いかけるが、アリスは信じられないといった表情を崩せずにいる。当然といえば当然だろうが。
「上がってもいいかしら?」
「も、もちろんよ、ちょっと人形達がたくさんいて狭いかもしれないけど――」
構わないわ、と柔和な笑みを浮かべて家に上がる神綺に仕えるメイド・夢子。彼女の他にサラ、ユキ、マイ、ルイズが魔界の神殿に住んでおり、幼少時のアリスは彼女達に囲まれて育った。アリスは夢子達5人を姉と慕い、彼女らもアリスを一番下の妹としてとても可愛がっていた。ただ、幼い頃のアリスはそれを時々自分が一人前に認められていないのではないかと考えて反発してしまうことも
あった。
今考えると無性に恥ずかしい思い出である。
「お茶、淹れたよ」
「ありがとう」
淹れ立ての紅茶とクッキーをテーブルに置く。席に着いた夢子はお礼を言うと早速カップを口につけた。緊張気味に見つめるアリスとは対照的に優雅に紅茶を飲んでいく姿には気品が漂う。メイド服姿でなければどこかの貴族の女性にも見えるであろう。
「んっ……美味しいわ。これなら私の後を継げそう」
「も、もうっ、お姉ちゃんったら……」
夢子はこういうことに関しては遠慮せずに本音を言う性格なので、この発言は最大級の評価と言っても過言ではない。それを知っているので思わずアリスも顔を赤くした。
「ほら、あなたも座りなさいな」
「う、うんっ……」
促されると大人しく席に座る。メディスンの前では落ち着き払った雰囲気を醸し出すアリスも姉の前には妹に戻ってしまうようだ。
クッキーを一個頬張り、飲み込むと意を決して尋ねてみた。
「えっと、その……どうしてここに?」
何か魔界で事件でも起きたのか。魔界人はそもそも滅多なことでは魔界を出ないでいる人種だ。
「純粋な」魔界人であり、なおかつ魔界の神である母に最も近い場所にいる夢子なら尚更。不安そうな様子に気付いたのか、夢子はふっと優しく微笑むと空っぽになったカップを静かに置いた。
「命蓮寺のことは知っているかしら?」
「え? ああ、確か魔界で封印されたっていう――」
最初に聞いた時は驚いた、魔界で生まれ育った自分でさえ聖白蓮のことは知らなかったから。一度本人に会ってみようか、母に尋ねてみようかと思ったこともあったが、向こうも自分の方に接触することはなかったので敢えてそのままにしておいてきたが、
こんな形でその名を聞かされようとは。
「私も詳しくは知らない。でも、彼女と神綺様はどうやら親交があったみたいで、かの異変で封印が解かれた後に一度だけ顔を見せに来たのよ。そこで幻想郷のことを聞かされて、我慢できなかったのでしょうね。様子を見に行って欲しいと頼まれて私が出向いたというわけ」
夢子の説明に相槌を打ちながら、二人はどんな関係なのだろうかと気になった。今度里帰りしたら尋ねてみようか。
「私もアリスの顔が見れて嬉しいし――あら?」
そこで夢子の視線が一点に集中する。
視線の先にはソファーに置かれた一冊の絵本。
アリスがメディスンに聞かせた人形と人間の絆を描いた本であった。
そこでアリスの表情に一瞬影が落ちたのも見逃さない。
「何か、悩みがあるみたいね」
こうなってしまうと嘘は通用しないし、不思議と夢子になら全てを打ち明けられる気がした。
小さい頃、姉達の背中を追いかけ続けていたアリスにとって夢子達は憧れの存在でもあった。幻想郷でのアリス・マーガトロイドとしてではなく、魔界で育った「ありす」の心が憧れの一人である夢子を前にして戻ったのかもしれない。
「実は――」
だから話した。話せた。自分でも怖いくらいに素直に。
「確かに振る舞いや言動とかは一人前でしょう。でも所詮は子供の背伸び、私からすればそう見えるわ」
「そりゃああなたは長生きの代表格だものねえ」
場面は再び永遠亭に戻り、長者3人による会談の最中。扇子を広げて扇ぎながら永琳が持論を展開する。
「魔法なり神の力でなりどちらでもいいけど、それで容姿等は成長したとしても心はそうはいかないでしょう。
まして紅白や白黒よりもずっと幼いというならね。それでもよく背伸びはしていると思うけど」
厳しさも交えた言葉に神綺も苦笑いをし、ばつが悪そうに身をよじる。
「魔界で育ったとはいえ元は人間。魔界人がどういう構造かまでは知らないけど、体と心が成長するというものにはあなたたちは疎かったんじゃないの? だから優しくするだけでなく、時には厳しく接することができなかった」
純粋な魔界人とは神綺が創った存在。成長することはなく、また魔界のことを第一に考えるようになっている。故に日に日に成長していくアリスに喜びながらもどこかで戸惑い、魔界を出ようと考えるなんて予想もしなかった。魔界の者にとってアリスの独立は空前絶後の事件だったのだ。
「私も人間の世界にはほとんど干渉してなかったから……鈍ったところもあったわ」
ほうっと息をつく。幽香も永琳も何も言わない。
「出て行く前にきちんと話しておくべきだった、人間と接する前に大事なことを」
「人間は年老いていずれ死ぬ。単純で自然で残酷な摂理」
アリスは夢を見た。それは遠い未来にいつか訪れる結末。
博麗霊夢。
霧雨魔理沙。
かつて魔界に殴りこみ、自分、だけでなく姉達や母にも打ち勝った二人の人間。
そして、魔界以外の世界を初めて知るきっかけをくれた二人。幻想郷で暮らすようになって頻繁に顔を合わせるようになり、
そこで初めて「友達」という存在になった二人。多くの人妖の知り合いができても、幻想郷でのアリスの中心にはいつも彼女達二人がいた。
――アリスが見たのは、二人の墓の前で佇む自分自身の夢だ。
灰色の空から降り注ぐ雨に打たれる二人の墓とアリス。しかしこのアリスはアリスであってアリスではない。
夢を見ているアリスと夢の中で佇むアリス。アリス本人は夢に参加できず、映画の観客のように流れてくる映像を見守るだけしかできない。
墓の前のアリスは力なくへたり込むと泣いていた。嗚咽を交え、墓にしがみついて。
今とほとんど変わらない自分。だけど、泣き顔は幼い頃の自分のように見えた。
そこで夢は終わった。
話を終えたアリスが少し冷めた紅茶を喉に流し込む。味はしない。夢子はただ黙って耳を傾けている。
「たかが夢なのに、寝る前にはそれが頭をよぎって……情けないわよね」
自分と彼女達は違う種族。どうしようと二人の方が先に逝ってしまう。わかってはいることなのだが、
それがどうしても頭にこびりついて離れない。
だからこそメディスンが。過去の自分に似ているメディスンに依存したかった部分があったのかもしれない。だからあの人形と人間との絆が書かれた話を紹介し、自分のそばに置きたかった。
――彼女の生い立ちを知っているにも関わらずそれは独りよがりの我侭なのに。
項垂れるアリスに夢子の手が伸び、頭をゆっくりと撫で回す。
「ふぁっ……」
一瞬びくっと驚いたが、すぐに心地よさそうに目を閉じる。こんな風に優しく頭を撫でられるのは久しぶりで、しかも慕っている夢子相手というのだから尚更だ。
「アリス」
「んっ……?」
慈しむような目。この目は……確か、魔界を出る日に向けてきた目と同じだ。
「大人でも子供でも悲しく泣きたいと思うことはある。それは情けないことではないわ。
大事なのはその時が来るまでにどれほどの思い出を残せるか、もしくは共有できるか」
それだけを言うと手を離す。後は自分で考えろといわんばかりに。
「そしてそのメディスンという子。大事にしなさいな、きっとこの世界で生きていくあなたの大きな支えになってくれる」
そこまで言うとすっと立ち上がり、玄関へと歩き出す。アリスも慌てて後を追う。
「お、お姉ちゃん!」
「あんまり向こうを空けてたら他の姉妹に嫉妬されるからね、帰らないと」
さすがに他の姉妹達まで一斉に押しかけたら大変なことになるだろう、と苦笑いを浮かべながら言い聞かせるがアリスの寂しそうな瞳を見てしまうと二の足を踏んでしまいそうになる。もし可能なら一晩泊まって一緒の布団にでも寝てあげたいのだがそこは我慢だ。
「アリス、あなたは自分が思ってるよりも強い子よ。魔界以外の世界を見たいと思い、飛び出た。自分の意思で。だからこれからもうまくやっていけるはず。でも――」
そこで区切ると、そっとアリスの体を抱きしめる。小さかった体は背伸びをすれば自分と同じくらいになるまで大きくなり、顔も大人びた。
「アリスはいつでも私達の家族、それだけは覚えておいて頂戴」
親にとって子供はいつまでも子供、姉にとってはいつまでも可愛い妹なのだ。
「……うん」
こくり。夢子の胸の中で頷く。この時だけは、昔のように甘えていたかった。
「昔の自分にどこか似てるメディスンを手元に置きたがるのもまあわからなくはない。子供の我侭ではあるけど」
「まあまあ永琳、その辺に……わわわわっ、神綺も笑顔だけどアホ毛が逆立ってるー!?」
武田信玄は領土を広げるために今川との同盟を破棄し、駿河へと攻め込んだ。この際、今川義元の娘と夫婦であった信玄の息子の義信は反対したが、信玄はこの血を分けた息子をも殺した(自殺に追い込んだ)。この非情さもあって領土を広げていった武将である。
永琳も信玄ほど大げさではないが遠慮なくアリスの欠点を指摘するものだから間に立つ幽香はたまったものではない。
「宿敵、私は冷静よ。アリスのことはわかった、じゃあメディスンはどうすればいいのってこと」
そして空っぽになった湯のみを持ち上げて高らかに言った。
「不動如山(動かざること山の如し)。子供というのは親の知らない間に成長していくもの。
何も言わないのもまた愛情……ってね」
「……ふふふ」
神綺と目配せをし、笑い合う。どうやら先ほどの険悪な雰囲気は幽香をからかうためだけのもので、二人には答えが見えていたのだった。
「……さてと、有意義な時間を過ごさせてもらったけど――そろそろお暇しましょう」
「はっ――」
一瞬の出来事だ。神綺がすっと立ち上がった瞬間、彼女の傍らに赤いメイド服の女性が現れた。
「あ、あなたは確か夢子っていうメイド」
「……その件はどうも。お変わりがないようで嬉しい限りですわ」
ぺこりとお辞儀をする。その姿に幽香、永琳さえも唾を飲んだ。
(し、宿敵。あなた達って本当にこの子達に勝ったの?)
(そ、そうよ。でもあの時よりもずっと強くなってる)
強くなってる? 思わず笑いが零れそうになる。このメイド、一見すれば普通に佇んでいるがあらゆる方向に気を張って、何かあったら即座に反撃してやるという殺気を静かに漂わせている。全く隙が見当たらない。
(いやはや……ひょっとしたら依姫ともかなりのところまでやりあえるんじゃないのかしら? もし霊夢達が月に行った時にアリスも一緒に行ってたら思わぬ助っ人として現れて月人を震え上がらせていたかも)
ますます魔界に興味を持つ永琳であった。
「夢子ちゃん、アリスちゃんと久しぶりに会えてどうだった?」
「それはもう。本当は一晩泊まって一緒の布団で抱きしめたまま耳元で子守唄を唄って可愛らしい寝顔をずっと眺めていたかったぐらい素敵でした!」
(……あ、前言撤回。いいお友達になれるかも)
(愛されてるわねー、アリス……)
身をくねらせて紅潮した顔で話す夢子を見て一瞬で二人の緊張感はどこかに消え去った。素晴らしき親子愛、そして姉妹愛。里帰りした時、姉や母から抱きつかれてもみくちゃにされるアリスの光景が浮かんだ。
一通り夢子が話し終えるとようやく一段落、四人はそろって玄関口へと向かった。
「今日はありがとう、充実した時間を過ごさせてもらったわ」
「それはこっちも同じ。今度はそちらにもお邪魔してみたいわね」
「あらあら。じゃあ白蓮ちゃんに一言言っておこうかしらー」
すっかり友人となった二人はがっちりと握手を交わす。そんな二人とは正反対にピリピリした雰囲気を醸し出す幽香と夢子。
これはまあかつての互いの立場から考えたら自然なことかもしれないが。
「もしまた魔界に来ることがあったら歓迎しますわ。全身全霊をかけて『おもてなし』させて頂きます」
「ふふ……お手柔らかに」
以前と比べ物にならないほどの実力をつけた夢子を前にしても一歩も引かず不敵に笑う。たじろいだのは先ほどの一瞬までで、
今ではむしろ彼女との闘争を想像し愉しみを覚えるまでに至っている。ここら辺は永琳が戦国最強の武将と言われる上杉謙信に例えたのも頷ける部分だ。
「それじゃあまた会う日まで――」
「ごきげんよう」
神綺達の姿が竹林に消えるのを見届け、二人の間を風が吹きすさぶ。嵐のような一日とはよく言ったもので、空も橙色に染まり、日が沈み始めていた。
「……私も行くかな」
幽香が一歩歩みを進めると、永琳が一声かける。
「メディスンの所に行くつもりね?」
「ええ。あいにくと私には『山』は合わないもので」
「ふふっ――」
背後に回るとくるりと後ろを向き、互いの背中同士をぴたりと合わせるような形になる。
「あれはあくまで私個人の見解。模範解答なんて存在しないわ。それに、背中をポンと押すのは私よりもあなたの方が向いていると思うし」
相手のことを評価しているからこそ言える台詞である。
「一緒に行かないの?」
「あんなことを言った手前は……というのは2割くらいで。メディスンみたいに可愛げはないけど、それでも面倒を見てやらないといけないのがいるから……」
まだまだ自分が見ててやらないと危なっかしい弟子。生涯側にいることを誓った姫。後ついでにヤンチャしすぎないように監視しないといけないのが一人。主にメディスンに悪いことを教えないように見張る的な意味で。
「あら、そう。じゃあ遠慮なく私一人で向かうわね」
「ふっ――」
そのまま振り返ることなく歩き出す二人。語る言葉は必要なかった。
夜の鈴蘭畑に流れる風は少々冷たい。ごろりと大の字になるメディスンはぼんやりと夜空を眺めていた。満天の星が彩る時もあれば黒い絵の具に塗りつぶされたように真っ暗な顔も見せるこの空を眺めるのは嫌いではない。
――欲を言えば、一緒に転がりながら空を眺めてくれる人がいればいいのだけれど。
等と考えていたら、頭上から声が響いてきた。
「女の子がそんな格好してたらはしたないわよ?」
この声は――幽香か。むくりと起き上がると、いつもみたいに優しく微笑んでくれていた。
「ん。でもこうやって空を見るの、好きだから」
もちろん本気で怒っているわけではないし、メディスンもそこは充分にわかっている。
「……アリスのことを考えていたの?」
「うん。何であの話を持ちかけたのか、ずっと考えてた」
答えを聞こうかどうしようか迷っているとメディスンはさらに話を続ける。
「もちろん私はアリスではないから100パーセントはわからない。でもあの時のアリスは妖怪になったばかりで何もわからなかった頃の私とちょっと似てたの。私はアリスに助けてもらった。だから今度は私がアリスを助けたい」
真摯な瞳、揺らぎのない決意に満ちた言葉。感嘆の息を漏らしそうになる。なるほど、永琳の言っていた通り、メディスンは自分が思うよりもずっと成長していたらしい。
「上等よ」
これならば励ます言葉は必要ない、かけるのなら――。
「今の自分の気持ちを正面からアリスにぶつけてやりなさい」
「……うん!」
――はい、どなたかしら、こんな夜分に……メディ?
――アリス。もう一度、あの本見せて!
――え?
――やろう。二人で、さ。
数日後、大勢の人々で賑わう広場で、二人の少女が立っていた。人形達が楽器を持ち、演奏する。音楽に合わせて歌うように台詞を読み出す姿はさながらミュージカルである。
本日二人の演じるは少女と人形の物語。
「どうして私は人間でなかったの? どうしてあなたは人形ではなかったの?」
両手を胸の前で組み、天を仰ぐメディスン。
捨てられた過去を持つ彼女の人形時代はおそらく幸福とはいえなかっただろう。妖怪として命を持ったのも不幸か幸運か。
いっそあのまま朽ち果ててしまえばよかったのにと運命を呪ったこともゼロではなかった。
「私の人形さん。いつまでも一緒にいましょう」
メディスンと背中を合わせたアリスの顔は観客にも、メディスンにも見えない。話が進むにつれて少女は大きくなり、人形に見向きしなくなる。家族から自立してからのアリスは何かと昔の自分に否定的だった。ずっと大切にされてきたはずなのに、それが心のどこかで気に食わなくて、早くみんなに一人前なところを見せたいと焦り、苛立った。
物語はさらに進み、重い病気を患った少女は走馬灯の中で家族や友達、最後に人形の顔を思い浮かべる。
「お母さん達も友達とももう会えないのかな……」
演じながら、アリスの脳裏にあの悪夢が蘇る。「死」という終焉。
「それに、ああ。今まで忘れててごめんなさい。私の――」
『――アリス』
『――メディ?』
舞台では人形役のメディスンが少女役のアリスの正面に立ち、見つめ合うだけ。しかし、二人は舞台の台詞とは別に会話を交わしていた。口を動かす必要はない。
「私はあなたと一緒にいられて幸せだった。その気持ちに曇りはないわ」
「ああ、こうして死ぬ前にあなたと話せるなんて……」
『私ね、この姿になれて今はよかったかなって思ってるの。永琳、幽香はお母さんみたいに優しくて頼れるし、自分の足で動いて色んなものが見れて、感じれて』
「いつも話しかけてくれて。姉妹みたいで、友達みたいで楽しかった」
「でも、私はあなたのことを――」
『アリスみたいな人形を大事にして、人形達からも慕われている人とも会えた」
『だけど私は……。寂しくならないようにあなたを手元に置きたいという愚かなことを……』
ぎゅ。
アリスの右手をメディスンの小さな両手が包み込む。見上げる笑顔に一点の曇りなし。
『もしアリスが一人で泣きそうにしていたら、私が側にいるよ』
本では人形が少女を救い、やがてまた生まれ変わるという展開になるのだがこの舞台では少女と人形がまた会える日を誓い合うのをエピローグとしている。今二人が演じているのがラストシーンだ。
「私はあなたのことを主と思ったことはない。姉妹のようであり、友達よ。人形と人間だけど、私はそう思ってる」
人形師と人形としてではない。
メディスン・メランコリーという少女としてアリス・マーガトロイドという少女に向ける言葉。
親愛なる友人みたいに思うことも、姉同然に慕うこともある存在。
劇の台詞とメディスンの心が完全に一体となっている。
これは劇での人形の言葉であると同時に自分に向けられた彼女の心からのメッセージ。
「私だって――そうよ」
左手を伸ばし、包んでくれた両手をこっちも包み込んでいく。
「だからまた――絶対に会いましょう」
「必ず――」
人形の指揮者がタクトを止め、演奏も鳴り止んだ。
周囲の盛り上がりはあえて語る必要はないだろう。
舞台を終えた二人は永遠亭に続く竹林を歩いていた。永琳の口添えで迷わないで永遠亭に向かうルートはばっちりだ。
「メディ、ありがとう。今日はあなたに元気と勇気をもらえたわ」
アリスは礼を述べるがメディスンはとんでもない、と言いたげに首を振る。
「いいのいいの。それよりもアリスの家族がどんな人が来るのかすごく楽しみ」
舞台を始める前、永琳の使いで鈴仙が尋ねてきて終わったら打ち上げをやるから来るようにと言付けをもらっていた。おそらく結果がわかっててよこしたのだろう、どこまでも策士である。さらにいつのまにか仲良くなったのか、神綺をはじめとしたアリスの姉の魔界人全員も参加するという。これが普段のアリスなら絶対断ったであろうがメディスンとの舞台の後だ、いくらか気が緩んでいる。それも計算に入れてのことだろう。まあ、いいのだが。
「――本当にみんないるわね……ははっ……」
数10メートル先に永遠亭が見え、近づくにつれて玄関に立つ面々がはっきりとしてくる。
永琳、幽香。
神綺、夢子、ルイズ、マイ、ユキ、サラ。
みんな二人が来るのを今か今かと待ちかねているようだった。
「アリスったら、顔が笑ってるよ? やっぱり嬉しいんだね」
「も、もう……」
メディスンに茶化され、柄にもなく照れた笑いを浮かべる。久しぶりに家族に甘えるのも……悪くはないかもしれない。
「あはは。ほら、早く行かなきゃ――」
駆け出そうとしたメディスンの手を掴み、ぎゅっと握りこむ。一瞬きょとんと目を丸くするメディスンだったが、すぐに笑顔になって握り返してくれた。
「メディ……これからもよろしくね」
「……うん」
温かい感触。アリスの脳裏に遠い未来の光景が浮かぶ。百年後か二百年後かは知らないが、きっと
今とは景色が変わっているであろう世界。
その世界でも今のように、メディスンが隣で無邪気に笑っていた。
何というか、ゴールが見えているにも関わらず、足踏み状態、でも最後は全速力で駆け抜ける。
そんな青さというか、危うさというか、拙さというか、爽やかさというか……。
そんなアリスとメディスンの成長を固唾をのんで見守らせて頂きました。
次回作も期待してます!!
次回作も楽しみにしています。
イイハナシダナ-