私は、睨めっこしていた。
自分の部屋の、赤いふかふかなカーペットの上でうつ伏せに寝転がりながら。そうやって目の前に広がる白い、四角い空間をじっと見つめているだけで――
どさっ
「うわっぷ!?」
眠気に教われ、ついついすべすべな質感の上に頭を置いてしまう。
何かで気を紛らわせようと、部屋の隅やベッドの下に視線を向けたら。
まずい。埃とか、抜けた羽だらけだ。
部屋の暗部が視界の中に入って、憂鬱な気分になってしまった。この前もさとり様に自分の部屋は片付けなさいと言われたような気がするし、これを見つけられたら、また掃除しろと言われるね、うん。
なので、見える位置にある抜けた羽をぽいぽいっとベッドの奥へと追いやり、さらに大き目の羽を使って埃もついでに押し込んでみた。うん、これなら入り口から見えないね。
「さぁ~って、掃除も終わったし寝ようかなぁ……って、ああっ!?」
ベッドの上に転がって部屋を見渡していたときに、ふとカーペットの上に残る四角形が見えて慌てて飛び起きる。あぶないあぶない、忘れそうだった。これを書いてきなさい。そうやってさとり様に言われたんだから、頑張らないと。
「んぅ~~、何かあったかなぁ~~」
また寝転がって、鉛筆を口に咥えたまま揺らしつつ。
その白い四角形と攻防を始め――
「お空……えっと少々尋ねたいのですが?」
「はぁぁぁぁっ へぁぃ?」
「欠伸をするか、返事をするか。どちらか一方にしなさいね」
「はいっ! わかりましたぁぁはふぁぁぁ……」
「ああもう、あなたは本当に……」
そのさとり様に出す紙の束ができたのは、ちょうど仲間の地獄烏が朝を告げに来た頃だった。
そのまま一睡もせずに廊下を歩いていると、途中でお燐と会う。そうやって二人で会話を楽しみながら、広々とした居間へと向かった。
そこでは、いつものようにソファーに座るさとり様がいて。
私たちもいつものように挨拶して。
いつもと違うのは、朝やっと完成した紙の束を手渡したことかな。
正直言って、眠い。
眠すぎる。
でも返事はちゃんとしとかないとね、うん。
それなのに目の前にいるさとり様が、頭抱えちゃってるけどなんでだろう。
私が首を捻っていると、横にいたお燐がいきなり私の頭を押さえて、軽く押さえつけてくる。そのせいで無理やりお辞儀するような感じになったけど。
むぅ、解せぬ。
「あ、あの、さとり様、ごめんなさい。お空にたぶん悪気はないと思うんです。ただ、ちょっと寝不足みたいで」
「……ええ、わかります。それはもう良いんですよ。私の出した課題を一生懸命作ろうとして夜更かしまでしてくれたのですから、その姿勢を見せてくれただけで十分、なのです。それだけで嬉しいのですが……これはちょっと……」
「うゆ?」
さとり様が私が書いた、アレを指差して何か難しい顔をしている。夜のご飯はお肉だと思っていたのに魚が出てきたときのような、迷っている感じ。
それにしても、アレなんていうんだっけ。
『に』はついてた気がするなぁ……
肉、じゃないし。
にぼし、じゃないし。
にとり、でもないし。食べ物に近い名前でもなかった気がするしえ~っと……
「芸術は私の守備範囲外なもので、難解ですね、これは」
「あー、お空。もしかして、ありもしないことを書いたんでしょう? 日記っていうのは、一日にあったことを書くもの――」
「そうそう! 日記っ!! 日記帳!!」
「う、うわぁっ! 何よいきなりっ!」
「そういえばそんな名前だったなぁ、って思って」
「もう、駄目だねぇお空は、それくらい覚えとかないとさ」
「ん? ちゃんと覚えてたよ、昨日まで」
「……そうか、うん、偉いねぇ。お空は」
「うわーい! 誉められた!」
「誉めてないっ!。全然誉めてないっ! 嫌味で言っただけ!」
「……んにぃ?」
お燐はいつもこんな感じだ。
私といるときはいつも元気、やっぱり友達だもんね。たまによくわからないこと言ったり、急に起こったりするけど。
一緒にいるのは楽しい。
「お燐、申し訳ありませんが、少々助力を」
そんなお燐が、いきなり呼ばれ。さとり様が座るソファーの後ろに回りこんだ。そのままじっと私の書いた『日記』を見て、猫のような耳をぴくりっと跳ねさせた。
そうしているうちに段々とお燐の瞳が細くなり。
額から妙な汗も浮かび上がり始める。
真剣に何かを考えているようにも見えるけど……なんでだろう?
「あの、お空。ちょっと聞きたいんだけどさ」
「うん、何々?」
「この真中の、赤いでっかいのって何?」
「え? 見てわからない?」
あ、そうか。
何が書いてあるかわからなかったのか。
でも、簡単なものしか書いてないんだけどなぁ……
「それ、りんごだよ」
私がそう言った瞬間、何故か二人の目が大きく見開かれ。紙の上から視線が動かなくなってしまった。どこか失敗してしまったのかな?
結構上手に書けたと思うんだけど。
「うん、こう。1枚の半分以上使ってるから、あたいとしては凄く大きいものって思ってたんだけど……りんご?」
「大きいほうが、やっぱり嬉しいし」
「えっと、それと。なんか手足生えちゃってるんだけど」
「その方が可愛いし」
「それ以前に顔がついてるんだけど、しかも笑ってる」
「その方が楽しそうだし」
「なんかその横に、黒豆に棒が四本ささってるようなちっちゃいのがあるんだけど」
「あ、それ、お燐」
「いやぁぁぁぁあああああああ!!」
お燐が何かショックを受けて蹲ってしまった。何故だろう。
「あ、あの……それではこの、黄色の似たような豆で棒が四本刺さっているのと、紫色のものは……」
「そうです、それはこいし様とさと――」
「いい! 言わなくていいから!」
さとり様が、珍しく大声を出して私の言葉を止めた。むぅ、よくわからない。私の書いた絵のどこかがおかしいとでもいうんだろうか。
大きな、りんごと、さとり様と、お燐の――
「ああ、なるほど! 大きさが不自然だからわかりにくいんですね!」
「それ以前の問題です」
「それ以前の問題っ!」
なんだか怒られた。
日記ってやっぱり難しいなぁ。
さとり様は大きなため息を付き、一度咳払いをしてから改めてその絵を指差した。
「お空、一応私は絵日記でもいいから、あなたが体験した出来事を書いて出しなさいとは言いましたが、これはどういう状況の絵なのでしょう?」
「昨日、夕食の後、みんなでりんごを食べたときの絵です。すごく楽しかったし、美味しかったので!」
「ああ、なるほど。その感情のままに書いたら、こんな巨大な異常生物が誕生したと」
「でも、りんごですよ?」
「そう、りんごなのよね。これ」
そんな私のりんごの絵を見て。
さとり様は何故か急にくすくすっと笑い始めた。
さっきまでは不機嫌というか、難しい顔というか、そんな表情だったのに、今日はなにか大忙しだと思う。
「それでも、これだけなら徹夜する必要もない気が……」
そう言って、さとり様は私の書いた日記帳を捲った。
そしてまた手を止める。
「えっと、日記というものが、あったことを絵とか文字で残していくものだって教えてもらったので、今までのことで覚えていることを書きました!」
「……まさか、今までのことを全部?」
「はいっ! えと、そういう意味ではなかったんでしょうか?」
「本当は一日分だけでよかったのよ、昨日だけの」
「あー、そういうことだったんですか!」
「もう、お空はそういうところがせっかちだねぇ」
やっと復活したお燐が立ち上がり、さとり様と一緒に私の日記帳を覗く。
「あ、それとこれ、一昨日の地上へ散歩しに行ったときの日記じゃないかい? なんか上に赤い丸みたいなのが見えるし、太陽かなこれ」
「そうそう、それも楽しかったから」
「でもね、お空。普通日記って言うのは、古い順番から書くものなのよ。新しい出来事から古い出来事へと遡っていくのは順番が逆ね」
「そうのなのですか」
そうやって私の日記を捲りながら、少し前の出来事を話し合う。
もしかしたらこういうのって楽しいかもしれない。
今度お燐が書いてる日記と見せ合いっこしようかな。そしたらもっと楽しくなるかも。私がそう決意したところで、二人の手がある1ページで止まる。
「お空、ちょっと聞きたいんだけど。何この四角形」
そうやってお燐が私に見せてきたのは、少し前に起きた事件のときの日記だ。うわぁ、懐かしいなぁ。
「それ、制御棒。これのことね。神様から貰った時の日記だね」
「……あぁ、確かに横から見たら四角形だけどさ! なんで桃色」
「本当ならそっちの方が可愛くてよかったなぁって思って」
「想像の産物を書かないように……」
「じゃあその横で、ある黒とか紫の豆みたなのが私たちだとして、この黒っぽい棒が二本あるのはあれでしょ、山の神様。これ何よ。崩れたプリンみたいなやつ」
「ああ、それも。なんか神様とか言ってた人」
「……ああ、あのカエルに似た神様の方か。って帽子の部分しか印象ないの!?」
「それ以外あったっけ? 体とか」
「あったよ、すっごいあったよ!」
「あー、思い出せないや」
どうやら、あの皿に乗ったプリン型の神様には何か他のものがくっついていたらしい。ふむ、今度合ったら確かめてみよう。
それにしても懐かしいなぁ。
あのときは、なんであんなことしようとおもったのかなぁ。
地上を焼き尽くすとか。思い出そうとすると少し悲しくなるから、あまり考えないようにはしているんだけど。
「なるほど。本当に昔のことも書いてるんだねぇ。飛び飛びだけど」
「うん、思い出せないしね」
「満面の笑みで返されても、どうやって反応していいかわからないね、あたいは――ん?」
新しくページを捲ったところで、何かに気づいたお燐が。声を上げた。
そして何故か、何かを思い出すように一度天井を見上げる。
「この、さ。黒い丸に棒が生えたやつが大きく真中にあるやつと、黒丸に羽みたいな出っ張りがある奴が書いてあるのって。もしかして私と初めて合ったときの?」
「うん、あのときは酷いよね。お燐、私を食べようとするし」
「いやぁ、単なる小鳥かなと思ってね、だってお空鳥型だったし。その襲われたってことであたいの黒丸に牙みないなのがついてるんだね」
私とお燐が話していると、さとり様が驚いたように体を浮かせる。そういえば話したことなかったかなぁ。心を読めてしまうからそのことも知ってるかなと思ったんだけど。話してもあんまりおもしろいこともなかったし。
だって、私が木の枝に止まって歌ってたら。
いきなり地面から飛び上がってくるんだもの。あのときのお燐、怖かったなぁ。それで本気で逃げようと人型になって抵抗して。お燐も人間型になってぼこぼこ殴り合って。気が付いたときには、何故か笑ってた。
ヒリヒリ痛むほっぺたとか、おでことか触りながらなにやってんだろう私たちって。地面の上で大の字になってさ。そんなこと思いながら、自分たちのことを話し合ってたら。
いつのまにか友達っていうやつになってた。
うん、いつのまにか。
その後、さとり様と出会ったんだっけ。
「へぇ、そういうことがあったのですか」
そういいながら、さとり様は次のページを捲る。
そして、何も言わずに、また次を。
次を、次を、次を。
何枚も捲ってから。
「……えっ?」
変な声を出していた。
そしてまた最初の、りんごの絵に戻って。
パラパラと日記帳を捲って行き、また疑問の声を出したところでページを止めた。
お燐も、信じられないというように。
目を点にして、ページを見つめる。
まだ半分。
まだ半分しか。
お燐とさとり様は半分しかまだ日記帳を開いていない。
そういえば、最後の方って。
眠かったから……
どんなこと、書いたんだっけ。
えっと、確か……
確か……
「お空、これは、どういうことです?」
さとり様の声が、少しだけ震えて聞こえた。
あ、どうしよう、怒ってるのかな。
そんな変なこと書いてたっけ。
でも、何を書いていたか、もやのようになって出てこないから。
「えっと、その。私って生まれてから、結構生きてるといいますか。
灼熱地獄が、ちゃんとした地獄としてある頃から、ずっと暮らしてたんですけど。あの、えっと……」
少しでも思い出す時間を増やそうと、お燐と合う前のことを思い出してみることにした。
そうやって私がたどたどしい説明する間も、さとり様の手がページを捲って行く。
捲られていく度。
お燐の瞳が何故か潤んでいく。
頬も何かを我慢しているように朱色に染まり始めて。
「そのころから、ですね。
私……親とかそういう記憶、ないんですよ。いたのかもしれませんけど、長く生き過ぎて忘れたのかもしれなくて、えと、うんと」
詰まりながらの説明になってしまったけれど。
ゆっくり、話をしたせいで。
思い出した。
そうだ、あそこから先は。
お燐と一緒の日記に前は。
たった一つの絵しか、書いていない。
「その絵みたいなことしか、覚えてないんですよ」
うん、思い出した。
私はあれから、ずっと。
作業のように、黒い丸と、その黒い丸に羽がついた絵を書き続けた。
白い、真っ白な紙の上に。
小さく、小さく。
本当に豆のような大きさで。
他に書く場所はいくらでも余っているというのに。
純白の平原の上に。
黒い、羽のついた生き物を書き続けた。
「ずっと、一人でしたから」
それを何十枚か、書き続けたら。
なんだか悲しくなって。
確か最後の一枚のところで。
何かがぽたり、と紙の上に落ちて不恰好に歪んだ鳥になっていた。
「そう、でもそれも今のあなたを支えるものよ。大切にしないといけないわね。あなたがその冷たい風景を知っているのなら、本当の暖かさを知る助けとなる」
「むむ?」
「あ、あははっ、お空は馬鹿だから、そういうこと言ってもわかりませんよっ!」
「あれ、なんで泣いてるの?」
「泣いてない!」
確かに、お燐の言うとおり私にはわからない言葉だけど。
なんだか、少しだけわかる気がした。
きっと、今は暖かいんだろうなぁ。
「さて、立派に日記の宿題を仕上げたご褒美として。今日はあなたが好きなハンバーグを作ってあげるわね」
「わーい! はんっばぁぁぁぁっぅぐ!」
「ぇ、ぇと。さ、さとり様、私のは……」
「もちろん、ありますとも」
「やったー!」
その日、暖かな夕食の風景が。
さとり様から貰った新しい日記の、1ページ目を飾った。
なんだかあったかくなったのはエアコンの所為ではない気がする
お空みたいなのは良いね
まっすぐだ
見事な温かい作品でした
確かにお空には絵の才能がありますな。
ただの黒丸だけで、さとりやお燐、そして自分の心を揺さぶることが出来るのですから。
よいですな
空さん……マジ、すんませんした。
須らくそれ以上の幸せな時間を享受する義務があると思うんだ
なんというか、誰かに優しくしてあげたくなるような話だなあ
ダメだ…キーがマトモに打てない…
お空…;
ギャグだと思っていったのに