それは今年の梅雨の時期のことだった。
僕――森近霖之助はこの日、人間の里に食料等を買出しに出ていた。僕は一応半分妖怪であるため、少しの間なら飲まず食わずでも生きていられるのだが、流石にそこまでしたくはない。空腹は人格を荒くさせる。商売をやっている身としてはそれは避けたい。それに、食べる物が無いなんて言えば、たまに来る霊夢や魔理沙に呆れられてしまう。
梅雨、という事もあって、今日は朝から雨が降っていた。小雨でもなく、土砂降りでもない。いたって普通の雨だ。里の建物や地面に、ぱらぱらと雨が降る。
僕は雨という天気は嫌いではない。雨の日は基本的にまともじゃない客は来ないし(普通の客も来ないがそこは目をつぶろう)、外に出ても人が少なくて静かだ。規律の良い雨の音は考え事や読書の邪魔にならない。
僕は傘を差し、人里を歩いていた。
雨のせいだろう、人通りは少ない。皆傘を差し、足早に歩いてゆく。
ふと、僕は傘も差さずに立ち止まっている少年の姿を見つけた。
十歳くらいのどこか不思議な感じの少年だ。身体が濡れるのも気にせず、少年は雨が降る空を見上げていた。
僕はそのまま通り過ぎようかと思ったが、目に留めてしまった以上ほっておくわけにも行かないので少し声をかけることにした。場合によってはこの傘を彼に手渡す必要があるだろう。
「……どうしたんだい? 傘も差さずに」
僕が彼に声をかけると、少年は僕の方を向き、「……お構いなく」と答えた。
……ふむ、こう無愛想なところは、昔の誰かさんにそっくりだ。……昔の僕のことだが。
質問を変えよう。
「雨が降っているのに、何をやっているんだい?」
「雨を見てるんです」
「……傘を貸そうか? いくら夏が近いとはいえ、寒いだろう」
「いえ、ぼくは寒さには滅法強いので問題ないです」
そう彼は言うが、かと言って雨に濡れる子供をそのままにしておくのはどうかと思うので僕は彼に黙って傘を差し出した。
「……気持ちはありがたいんですが、お母さんから『知らない人と軽々しく口を利いてはいけません』って言われてるので……」
どうやら、この子は歳以上に人間が出来ているようだ。
「ふむ、それもそうだね。じゃあ自己紹介をしようか。僕は森近霖之助。魔法の森の入り口付近で香霖堂という古道具屋を切り盛りしている。以後、お見知りおきを」
「……何で自己紹介なんてするんですか?」
ごもっともだ。
「とりあえず、雨に濡れるのは良くない。風邪をひいては大変だ。とりあえず傘を借りないにしろ、雨宿りくらいはしたほうがいい」
「大丈夫ですよ。ぼくは生まれてこの方風邪どころか病気知らずですから」
「そうかい。それは良いことだ」
僕は納得する振りをしてから、彼が傘の下に入るよう、おもむろに彼の隣に立った。
「何で隣に立つんですか? どこかに行くつもりだったんじゃないんですか?」
少年は迷惑そうに僕に言った。
「まあね。少し休憩だよ」
僕は少し微笑みながらそう返した。
しかし、僕もいつまでもこの子についているわけにもいかない。
「ところで、君は迷子か何かかな?」
僕は少年に訊ねた。もし迷子だとすれば、近所の商店でこの子の親について訊こう。場合によっては寺子屋を頼ろう。寺子屋の者なら力になってくれるだろう。
「いえ、迷子ではありません」
彼はそう答えた。
「じゃあ、何でこんな日に一人で傘も差さずに外へ?」
「一人じゃありませんよ。お母さんと来たんです」
「……そのお母さんは今どこに?」
「分かりません。買物が遅いんでおいてきちゃいました」
「迷子じゃないか」
「そうですね。お母さんが」
「いや、迷子は君だ」
僕がそう言うと、少年はむすっとして頬を膨らませた。
「納得いきませんね。どうしてぼくが迷子なんですか?」
「お母さんをおいて先に進むからだよ。当然だろう?」
「ですが、ぼくは迷っていませんよ」
「それでも迷子と言うんだよ」
僕は彼をたしなめるように言った。
迷子とは、目的地に到達することが困難に陥った子供、あるいは状況のことを指す。
目的もなく雨の降る空を眺めていたこの子を、迷子と言わずして何と言うのだろう。
僕と少年がそんなやり取りをしていると、ふと、一人の女性が買物カゴを下げ、傘を差して走ってきた。
少年は、その女性を見ると「あっ」と声を上げ、女性の方に駆け寄った。どうやら彼女が少年の母親のようだ。
「もう、先に行ったらダメって言ったでしょう?」
少年の母親はそう言いながら少年の額を小突いた。
「だって、お母さん遅いんだもん」
少年は不機嫌そうに言い返す。
「確かにお母さんも遅かった。でも、だからって先に行っていい理由にはならないんじゃない?」
母親はわが子を諭すように言う。
「……………」
少年は何も言えない。自分に非があったことを自覚しているのだろう。
「あの……」
母親が僕に話しかけてきた。
よく見ると、これ程の歳の子供を持っているにしては若い。
「うちの子が迷惑をかけてすみませんでした」
母親が僕に頭を下げる。
「いえいえ。ただのおせっかいですから」
「ですが、何か用事があったんじゃないですか?」
「いえ、ただの買物ですよ。そんな急ぐようでもありません」
「そうですか……」
母親は再び頭を下げると子供の手を取った。
「それでは、私たちはこれで失礼します。ありがとうございました。……ほら、貴方もお礼を言いなさい」
「……ありがとう」
「どういたしまして」
親子は一礼すると、仲良さそうに立ち去っていった。
「……………」
僕は親子の姿が見えなくなるまで、それを見送ってた。
思えば、僕にはああいった経験が無い。母は僕をどこかに連れて行ってはくれなかったし、父にいたっては大人になるまで顔すら知らなかった。
……いや、そんなことはどうでもいい。
僕は、あの母親と、どこかで会ったことがあるような気がする。
それがどこか、いつかは思い出せない。しかし、確実に顔は合わせたことはある。
「……まあ、思い出せないなら仕方ない」
今は買物だ。
僕は再び歩き出した。
*
そして、月日は流れ、季節は冬。ちょうど大晦日の時期になった。
その日、僕は店の屋根に上り、屋根の雪かきをしていた。
幻想郷の冬は厳しい。積もり続ける雪を放っておくと雪で建物が潰されるくらいだ。
幸いにも、現在雪は降っていない。
シャベルで雪をすくい、屋根の下へと投げる。そしてまたすくい、投げる。非力な僕には辛い仕事だ。
僕は額に浮かんだ汗を拭くと、ふう、っと一息ついた。
あたり一面の白い風景を見つめて、ふと思う。こうして僕が必死に雪かきをしている間にも、あいつはこの風景を楽しみながら遊んでいる。なんだか腹が立つ。
そんなことを思っていたそのとき、白い風景の中に二つの人影を見つけた。
――噂をすれば何とやら、あいつだ。
二つの人影は、店の屋根の下まで飛んでくると、僕に挨拶をした。
「ごきげんよう、香霖堂さん」
「よっ! りんのすけ!」
雪女のレティ・ホワイトロックと、氷精のチルノだ。
レティは冬になると幻想郷に現れ、遊びまわる妖怪だ。
はっきり言うと、僕は彼女が苦手というか、嫌いだ。彼女は冷気や雪を操る。彼女のせいで僕はこうして雪かきという名の肉体労働をしなければならないのだ。
「何か用ですか? お二方」僕はぶっきらぼうに言った。「僕はご覧の通り、現在取り込み中なのですが」
「別にそのままでも構いませんわ。ちょっとお願いを聞いてくださいませんか?」
レティは構わず言う。強引だ。
「残念ですが、今日は店を閉めてるんです。また後日来てください」
僕は少し腹を立てながらも丁寧に(自分ではそういうつもりで)彼女たちを追い払う。
「時間は取らせません。すぐに済みます」
レティは笑顔を崩さない。どうやら意地でも聞いてもらうつもりのようだ。
「りんのすけー! レティの話聞いてあげてよー!」
腕を振り回してチルノが言う。
どうやらテコでも動きそうになさそうだ。僕は思わずため息をついた。これは聞くしかないらしい。抵抗しても、冬のレティには勝てない。
「……聞くだけですよ」
僕は自分の不機嫌さを隠そうともせず言った。
「やっぱり貴方は人が良いですね。聞いてくれると思いましたわ」
レティは自然に笑いながらも、わざとらしいことを言った。
なんというか、癪に障る。
「そんな人の良い貴方にお願いですが、少し頼まれごとをしてくれませんか?」
「……はあ」
どうせそんなこったろうと思った。
「で、頼まれごととは何でしょうか? 事によっては、僕も断らせてもらいますよ」
「そんな大変なことじゃありませんよ。ほんの少しの間、チルノの面倒を見てて欲しいのです」
「はぁ!?」
――と、声を上げたのはレティの横で話を聞いていたチルノだった。
「え? ちょ、ちょっと、レティ、どういうこと!?」
チルノは意味が分からないとレティに叫んだ。
いや、僕だってどういうことか分からないのに君にそんなことを言われては困る。
「チルノ」レティはしゃがんでチルノと目線を合わせると、子供に言い聞かせるようにして話した。「私、少しやらないといけないことがあるから」
「え、でも……」
チルノが何かを言おうとしたところで、レティは首を振ってその言葉を遮る。
「私の代わりに、香霖堂さんが遊んでくれるわ」
そう言うと、レティは立ち上がり、僕らに背を向けた。
「それじゃあ香霖堂さん、チルノをよろしくお願いしますわ」
それだけ言い残すと、レティは立ち去っていった。
……なんということだろう、僕は一言も『引き受ける』なんて言ってないぞ。
僕は思わずチルノの方を見た。チルノは飛び去ってゆくレティの後姿を見つめている。
……まったく、面倒なことになった。僕はため息をついた。
「りんのすけー」
レティの姿が見えなくなったところで、チルノが屋根の上に飛んできた。
「なんだかよくわかんないけど、暇だし遊ぼ!」
流石妖精だ、切り替えが早い。
「残念だけど、僕は忙しいんだ」
「えー、何で?」
「屋根の雪かきをしなきゃならないんだ」
僕は手に持っていたシャベルをチルノに見せながら言った。
「どうして?」
「屋根の雪を下ろさないと、雪の重みで店が潰れちゃうんだ」
「へぇー、大変だね」
チルノはあまり関心が無さそうに僕に返した。まあそりゃあそうだろう。
「そうだ、チルノ。暇なら手伝ってくれないか?」
僕は駄目もとで訊いてみる。
「うーん、暇だしいいよ」
おっと、意外な返答だ。
「でも、手伝ってあげるんだから後で何か頂戴ね」
「……分かった。後で何かあげよう」
誰だ、チルノにギブアンドテイクの精神を教えたのは。
まあ妖精だし、適当にお菓子でも与えておけばいいだろう。
「で、どうすればいいの?」
「とりあえず、このシャベルで屋根の上にある雪を下に落としてくれ。くれぐれも屋根を傷つけないように」
僕はさっきまで使っていたシャベルをチルノに渡して説明した。
「で、りんのすけはどうするの?」
「僕もやるよ。流石に放っておくわけにもいかないしね」
どこぞやの庭師にならすべて任せておくのだが、生憎今回は妖精だ。放っておくと恐らくとんでもないことになるだろう。
「とりあえず倉庫からもう一本シャベルを取ってくるから、先に始めてて」
僕は梯子を使って下に降り、急いでシャベルを取りに行って戻った。
チルノは始めの方は不器用そうにシャベルを扱っていたが(柄のほうを持って使っていた)、僕が雪かきを再開すると、その姿を真似したのかだんだん様になってきた。
「なかなか上手じゃないか」
「まーね! あたいは天才だもん!」
チルノは得意そうにシャベルを振り回した。
「あのさー」
店の雪かきが終わり、倉庫の雪かきをしていた頃、チルノが不意に口を開いた。
「最近、レティが変なんだ」
「変?」
僕は雪かきをする手を止めず、訊き返した。
「何が変なんだい?」
僕はレティのまともな姿を見たことが無いので何が変なのかまったく分からない。
「レティ、時々どっか行っちゃうんだ」
「これまではどこかに行ってしまうことは無かったのかい?」
「うん。去年も、その前も、あたいとレティは冬の間ずっといっしょに遊んでるの。でも、今年は違った。今年のレティ、たまにあたいに黙ってどこかに行っちゃうんだ。『どこに行ってたの?』って訊いても答えてくれないし。それであたい、ずっとレティのこと見張ってたんだけど、そうしたらここに来て、預かってくれって……。ホント、レティどうしちゃったんだろう? りんのすけ、何か分からない?」
「……そう言われてもな」
僕は雪かきする手を止めて考えた。
とりあえず、たまにどこかに行くという情報だけでは分からない。
「今年のいつ頃からどこかに行くようになったんだい?」
「ええっと、だいたい四日くらい前からかな?」
チルノは腕を組んで思い出しながら答えた。
四日前からか……。ということは、四日前に何かがあったのだろうか?
「四日前、君とレティはどこで何をしてたんだ?」
僕は再びチルノに訊ねる。
「ええ!? さ、さすがにそんな前のこと思い出せないよ……」
流石に妖精に四日も前のことを訊くのは無理があるか。
「いいよ、チルノ。思い出せないなら別に無理して思い出す必要も無い」
「いいや、あたいは天才だから思い出す!」
そう言ってチルノはうぬぬぬと唸りながら四日前のことを必死に思い出そうとした。
「……チルノ。もういいから雪かきを再開しよう」
これは思い出せないなと判断し、僕がチルノに声をかけたそのとき、
「あ!!」
っと、チルノがあたりに響き渡るような大声をあげた。
「思い出した! 四日前、あたいとレティ人間の里に行ったんだった!」
何と思い出せてしまった。
「で、そこで何をしたんだ?」
「あたいが迷子になった」
「……で、それから?」
「で、あたいとレティが再開したとき、レティの顔色が少し悪かった」
「顔色、ねえ……」
と言うことは、人間の里で何かあったということか。
人間の里といえば、現在、インフルエンザが流行っているらしい。永遠亭が全勢力を挙げて診察や予防接種をしたおかげで患者の数も減り、死者もほとんど出なくなったが、まだインフルエンザによって寝込んでいる人が後を立たないらしい。
しかし、妖怪であるレティに人間の病気であるインフルエンザは無縁だ。
……じゃあ、何だというのだろうか?
「分からないな……」
僕はぽつりと呟いた。
「そっか……」
チルノはしゅんとしたがすぐに元に戻り、
「続きやろ!」
と、切り替えた。
確かに僕はレティのことは分からない。しかし、どこか思うことはあった。
*
倉庫の雪かきを終えると、僕とチルノは遅めの昼食をとった。
本来なら恐らく日が暮れるまで掛かったであろう雪かきがチルノが手伝ってくれたおかげで昼過ぎまでで済んだ。そのお礼として、僕はチルノに昼食を振舞ってやった。
チルノはご飯や味噌汁を能力を使って冷まし(ほとんど冷やしてた)、一気にかき込んだ。
「ちょっとは落ち着いて食べたらどうだい?」
チルノは僕の言葉が耳に入っていないのか、構わずかき込む。その姿は本当に子供のようだ。
僕が半分も食べきらないうちに、チルノはそのまま全部食べきってしまった。
「……ひまー」
「僕は食べるので忙しい」
「遊んでー」
「遊んでって言われてもな……」
僕は少し考えてから思いつく。
「そうだ、チルノ。なぞなぞだ」
「ん?」
「熱くなると膨れ、冷たくなると硬くなるもの、なんだ?」
「んんんー?」
チルノは腕を組んで考え出した。
やはり妖精を相手にするなら、なぞなぞが一番だ。
僕はゆっくりと再び食べ始めた。
ちなみにこのなぞなぞの答えは“餅”である。
熱くなると膨れ、冷たくなるとカチカチに硬くなる。少し簡単だっただろうか?
即興で考えたものなのでこんな簡単なものしか出せなかったが、妖精相手にはこれが丁度いいだろう。
現にチルノは「んんんんんー?」と考えながら難しそうな顔をしている。
僕はそんなチルノを見ながら昼食を食べ続けた。
「あ」
餅で思い出した。
まだ正月用の餅を買っていなかった。
僕は急いで残りの昼食を平らげ、食器を片付けた。
「チルノ」僕は外套を着ながらまだ腕を組んで考えていたチルノに声をかける。「これから餅を買いに行くよ」
「あ、餅! 答え餅か!」チルノは勢い良く立ち上がる。「……え、買物?」
「ああ、買物だ。さ、行こう」
*
僕とチルノは人里を歩いていた。チルノは「飛んでいこう」と言っていたが、僕は「様々な風景を見ることも最強には必要。地上から空を見ることも重要」と適当なことを言ってチルノを納得させた。
別に僕も飛べないことも無いんだけどね。
それにしても、今日の人里は少し静かだ。開いている商店も少なく、外に出ている人もごくわずかだ。インフルエンザが流行っているということもあるが、この寒さのせいもあるだろう。
さて、こんな状態で餅は買えるのだろうか?
「ねえ、りんのすけ! あとでお菓子買って!」
「店が開いてたら考えよう」
どうせ買わないけどね。
「おや?」
曲がり角を曲がったところで、不意に見覚えのある人影を見つけた。
少し大きめのリュックを背負い、この寒さでは考えられないような軽装をした少年。
――梅雨のあの日に出会った彼だ。あの日、傘を差さずに雨降る空を見上げていた、あの迷子の少年だ。
「しりあい?」
僕が反応したのを見て、チルノが訊く。
「ああ、ちょっとね」
僕は答えると急ぎ足で彼に近づき、「おーい」と声をかけた。
「あ、香霖堂さん。お久しぶりです」彼は振り返り、挨拶した。
「そうだね。久しぶり」
「あれ?」彼は僕の後ろに立っていたチルノに目をやった。「あの、この子は?」
「ああ、ちょっと子守を任されてね」
僕はチルノのほうを見る。チルノは少年を見て何か思ったのか、「んんん?」と少し唸った。
「チルノ?」
僕はチルノに呼びかける。
「……何か、どっかでみたことあるような気がする」
「ぼくの方は初対面なんだけど……」
少年は少し困惑したようだ。
「ところで、何をしているんだい? また迷子かい?」
僕は少年に問いかける。
「いえ、違いますよ。人のことを迷子の常習犯みたいに言わないでください」
「はは、まあそうだろうね」
こんなリュックを背負ってるんだ。迷子というのは考え難い。
「今日はお使いですよ」
「お使い?」僕は訊き返す。「両親がインフルエンザになったのかい?」
「え、ええ」
少し戸惑いながらも、少年は肯定する。
お使い、ね……。
「もしかして、永遠亭に薬を買いに行こうと考えているんじゃないか?」
「え?」
どうやら図星のようだ。
「そんなことは……」
「そのリュックの中には恐らく竹林に入るための荷物が入ってるんだろう。……悪いことは言わない、止めておくんだ」
僕は少しきつめの口調で言った。
すると少年は、
「香霖堂さんには関係ないじゃないですか」
と言ってそっぽを向いた。
「確かに、僕には関係ない」
ああ、そうだ。君の家族と、僕は赤の他人だ。干渉する必要なんて無い。
「しかし、ここにいるチルノはどうかな?」
「え?」
「あたいがどうかした?」
僕の言葉に、二人とも困惑した。
「一体、何が言いたいんですか?」
「僕は君が何者か、分かったよ」
僕は初めからそんな気がしていた。彼や、彼の母に会ったときから、そんな予感はしていた。
「君は、レティ・ホワイトロックの息子だろう?」
「なっ――」
「ええええええええええええ!?」
驚愕する二人。無理も無いだろう。
「君のお母さんを見て、『どこかで見たことあるな』って思ったけど、レティの顔を見て確信したよ。君のお母さんは紛れも無くレティ・ホワイトロック本人だ」
「それだけですか? それだけの理由ですか!?」
少年は荒々しく声を上げる。
一方のチルノは混乱して目をぱちくりさせている。
「それだけじゃないさ。まだ他にも理由はあるさ」
僕は自分の推理を二人に語った。
確かに僕はレティを見て直感で彼の母親だと思った。しかし、それだけでは説得力に欠ける。
そこで出てくるのが、チルノの証言である。
「レティ、時々どっか行っちゃうんだ」
恐らく、レティは時々自分の家に帰り、家族の様子を見に行くのだろう。
何のために?
チルノの話によると、レティが時々いなくなるようになったのは四日前、人里に遊びに行ってから。チルノがレティとはぐれ、再開した時、レティの様子がおかしかったという。
これは僕の推測だが、レティはチルノとはぐれている時に一度家に帰ったのだろう。そしてレティは自分の夫がインフルエンザに感染したことを知ったのだ。
それから、レティは時々家に帰り、夫の看病をしているのだろう。
「それだけじゃない。君の言っていたことからも、少しだが推測できる。君が寒いのが得意なのはレティの子供だから。病気になったことが無いのは、妖怪の血が流れているからだ」
「……………」
少年は何も言わない。
「……とりあえず」混乱していたチルノがようやく元に戻って口を開く。「あんた、レティの子供なんだよね」
少年は何も言わずに頷き、肯定する。
「何があったか聞かせてよ」
「……父が、五日前から高熱を出して寝込んでるんです」少年は重い口を開いた。「一応診察も受けて、薬も貰いました。おかげで熱は下がりました。父が寝込んでいる間、母は一日に何回も家に帰ってきて、父の看病をしてました。皆さんがご存知の通り、母は冬の間は幻想郷中を遊びまわっています。冬の間は、家には帰ってきません。しかし、母は父が寝込んでから貴重な妖怪の時間を看病に費やしています。……ぼくは、母に冬の間はちゃんと雪女として過ごしてもらいたいんです。母は冬以外の時期は普通の人間の主婦として過ごしてるんです。恐らく妖怪の母にとって、それは辛いことだと思います。だから少しでも長い間、息抜きをして欲しいんです。だからぼくは少しでも母の仕事を減らそうと新しい薬を永遠亭に――」
「話はわかった!」
今にも泣き出しそうな少年の言葉を止め、チルノが口を挟んだ。
「その仕事、あたいとりんのすけにまかせてよ!」
チルノは任せろと自分の胸を叩く。
……あれ? 僕もやらなければならないのか?
「あたいにとって、レティはとっても大事な人だ。だからレティにとって大事な人も、みんなあたいにとって大事な人だ!」
そう言いながらチルノは腕を振り回す。良いことを言っているような気はするのだが言っていることはむちゃくちゃだ。
「任せていいんですか?」
少年はチルノに詰め寄りながら訊く。
「あったりまえよ! あたいを誰だと思ってる! 最強のチルノよ!」
「……香霖堂さん、大丈夫なんですか?」
少年は腕を思い切り突き上げるチルノを見ながら今度は僕に訊く。
「……さあ、どうだろう?」
本人の前では言えないが、正直チルノの知性ではお使いは無理だ。
こうなるとやはり僕も行かなければならないのだろうか?
ん? いや、そうでもないかもしれない。
「僕は正直、待ってても良いと思っている」
僕がそう言うと、二人は僕の方を見た。
「どういうことですか?」
「実は数時間前にうちにレティが訪ねて来てね、それでチルノを僕に押し付けてどこかに行ったんだ。もしかすると、彼女は永遠亭に行ったのかもしれない」
冬のレティは文字通り無敵である。何者も彼女を止めることはできない。例え竹林が人間にはとても踏み入ることの出来ないような場所だったとしても、雪を得た雪女である彼女にとってはそんなもの障害にはならない。
「あら? 貴方たち何をしてるのかしら?」
不意に上から声がして、僕ら空の方を見る。
「ほら、噂をすればなんとやらだ」
見上げると、レティが恐らく薬が入っているであろう紙袋を抱え、ふわふわと浮かんで笑っていた。
「お母さん!」
「レティ!」
レティの姿を見て、少年とチルノが叫ぶ。
レティは地上に降り、僕らのそばまで来た。
「随分と珍しい組み合わせのようですけど、一体何があったのかしら?」
「僕とチルノが買物に人里に来たら、貴女の息子さんに出会ったんですよ」
「私の息子……」レティは僕の言葉に驚いたように目をぱちくりさせると、ふふっと笑い、「ばれちゃいましたか」と言った。
「それで、うちの子がどうかしたんですか?」
「貴女の代わりに永遠亭に薬を貰いに行くと無茶を言っていたんですよ。僕は止めておけと言ったんですけど、彼はどうしてもと聞かなくて」
「それはうちの子がご迷惑をお掛けしましたね」
「いえいえ、良いお子さんですね」
ああそうだ。子供の頃ずっとひねくれていた僕なんかとは比べ物にならないくらい良い子だ。
「ええ、思いやりのある自慢の息子ですわ」
僕の言葉に、レティは笑いながら答えた。
本当に良い親子だ。
「お母さん」
少年はばつ悪そうな顔で母を呼ぶ。
「分かってるわ」レティはかがんで少年の目線に合わせ、「貴方は私の為を思ってそんな無茶をしようとしたんでしょう? それはとっても感謝してる。でも、私は貴方とお父さんが平和に暮らせることを一番に思ってるの。だから、できることならそんな危険なことはして欲しくないわ」
「……うん」少年は目に涙を浮かべながら頷いた。「ごめんなさい。でも、ぼくもすこしでも力になりたかったんだ。ぼくの半分妖怪の力が、お母さんの力になればいいって思って……」
「そう、ありがとう」
レティは少年を抱きしめ、何度も「ありがとう、ありがとう」と呟いた。
「ねえ、りんのすけ」チルノが突然僕に声をかける。「もしかして、あたいたち、場違い?」
「その通りだよ」僕は苦笑しながら答える。「よく分かったね」
「まあね。あたいは最強だから」
チルノは胸を張った。
*
それから月日は流れ、年を越し、やがて冬が終わり春が訪れた。
あれ以降、僕はレティに会っていない。
あの後、僕とあの親子の間で一つの約束が交わされた。それは『冬以外のレティが、何をしているか知らないふりをすること』である。
もちろん僕はその約束に素直に同意した。
別に言いふらした後のレティの報復が怖かった訳ではない。あの親子が、僕と僕の母と同じ様になって欲しくないからである。僕が味わったあの苦しみを、あの子には味わって欲しくない。
だから僕はあの親子をそっとしておくことにした(まあもとよりどうにかしようと考えていたわけではないが)。
今回のことで僕は多少だが、レティのことを見直した。以前は害しかない奴だと思っていたが、家族思いな一面を垣間見て、なんだか人間くさい奴だと思った。
雪が無い時は、案外人間と何も変わりが無いのかもしれない。
*
リリー・ホワイトが春を告げたばかりのある日、初めてあの親子に会った日のように人里に買物に来ていた僕はあの親子の姿を見つけた。
今日はレティの夫らしき男の姿も見える。どうやら家族で出かけているらしい。
声をかけようかと思ったが、止めた。
せっかくの団欒に、僕のような他人が入る隙間は無い。
僕はそのまま、自分の買物を続けた。
少年が手を振ったような気がしたが、見なかったことにした。
僕――森近霖之助はこの日、人間の里に食料等を買出しに出ていた。僕は一応半分妖怪であるため、少しの間なら飲まず食わずでも生きていられるのだが、流石にそこまでしたくはない。空腹は人格を荒くさせる。商売をやっている身としてはそれは避けたい。それに、食べる物が無いなんて言えば、たまに来る霊夢や魔理沙に呆れられてしまう。
梅雨、という事もあって、今日は朝から雨が降っていた。小雨でもなく、土砂降りでもない。いたって普通の雨だ。里の建物や地面に、ぱらぱらと雨が降る。
僕は雨という天気は嫌いではない。雨の日は基本的にまともじゃない客は来ないし(普通の客も来ないがそこは目をつぶろう)、外に出ても人が少なくて静かだ。規律の良い雨の音は考え事や読書の邪魔にならない。
僕は傘を差し、人里を歩いていた。
雨のせいだろう、人通りは少ない。皆傘を差し、足早に歩いてゆく。
ふと、僕は傘も差さずに立ち止まっている少年の姿を見つけた。
十歳くらいのどこか不思議な感じの少年だ。身体が濡れるのも気にせず、少年は雨が降る空を見上げていた。
僕はそのまま通り過ぎようかと思ったが、目に留めてしまった以上ほっておくわけにも行かないので少し声をかけることにした。場合によってはこの傘を彼に手渡す必要があるだろう。
「……どうしたんだい? 傘も差さずに」
僕が彼に声をかけると、少年は僕の方を向き、「……お構いなく」と答えた。
……ふむ、こう無愛想なところは、昔の誰かさんにそっくりだ。……昔の僕のことだが。
質問を変えよう。
「雨が降っているのに、何をやっているんだい?」
「雨を見てるんです」
「……傘を貸そうか? いくら夏が近いとはいえ、寒いだろう」
「いえ、ぼくは寒さには滅法強いので問題ないです」
そう彼は言うが、かと言って雨に濡れる子供をそのままにしておくのはどうかと思うので僕は彼に黙って傘を差し出した。
「……気持ちはありがたいんですが、お母さんから『知らない人と軽々しく口を利いてはいけません』って言われてるので……」
どうやら、この子は歳以上に人間が出来ているようだ。
「ふむ、それもそうだね。じゃあ自己紹介をしようか。僕は森近霖之助。魔法の森の入り口付近で香霖堂という古道具屋を切り盛りしている。以後、お見知りおきを」
「……何で自己紹介なんてするんですか?」
ごもっともだ。
「とりあえず、雨に濡れるのは良くない。風邪をひいては大変だ。とりあえず傘を借りないにしろ、雨宿りくらいはしたほうがいい」
「大丈夫ですよ。ぼくは生まれてこの方風邪どころか病気知らずですから」
「そうかい。それは良いことだ」
僕は納得する振りをしてから、彼が傘の下に入るよう、おもむろに彼の隣に立った。
「何で隣に立つんですか? どこかに行くつもりだったんじゃないんですか?」
少年は迷惑そうに僕に言った。
「まあね。少し休憩だよ」
僕は少し微笑みながらそう返した。
しかし、僕もいつまでもこの子についているわけにもいかない。
「ところで、君は迷子か何かかな?」
僕は少年に訊ねた。もし迷子だとすれば、近所の商店でこの子の親について訊こう。場合によっては寺子屋を頼ろう。寺子屋の者なら力になってくれるだろう。
「いえ、迷子ではありません」
彼はそう答えた。
「じゃあ、何でこんな日に一人で傘も差さずに外へ?」
「一人じゃありませんよ。お母さんと来たんです」
「……そのお母さんは今どこに?」
「分かりません。買物が遅いんでおいてきちゃいました」
「迷子じゃないか」
「そうですね。お母さんが」
「いや、迷子は君だ」
僕がそう言うと、少年はむすっとして頬を膨らませた。
「納得いきませんね。どうしてぼくが迷子なんですか?」
「お母さんをおいて先に進むからだよ。当然だろう?」
「ですが、ぼくは迷っていませんよ」
「それでも迷子と言うんだよ」
僕は彼をたしなめるように言った。
迷子とは、目的地に到達することが困難に陥った子供、あるいは状況のことを指す。
目的もなく雨の降る空を眺めていたこの子を、迷子と言わずして何と言うのだろう。
僕と少年がそんなやり取りをしていると、ふと、一人の女性が買物カゴを下げ、傘を差して走ってきた。
少年は、その女性を見ると「あっ」と声を上げ、女性の方に駆け寄った。どうやら彼女が少年の母親のようだ。
「もう、先に行ったらダメって言ったでしょう?」
少年の母親はそう言いながら少年の額を小突いた。
「だって、お母さん遅いんだもん」
少年は不機嫌そうに言い返す。
「確かにお母さんも遅かった。でも、だからって先に行っていい理由にはならないんじゃない?」
母親はわが子を諭すように言う。
「……………」
少年は何も言えない。自分に非があったことを自覚しているのだろう。
「あの……」
母親が僕に話しかけてきた。
よく見ると、これ程の歳の子供を持っているにしては若い。
「うちの子が迷惑をかけてすみませんでした」
母親が僕に頭を下げる。
「いえいえ。ただのおせっかいですから」
「ですが、何か用事があったんじゃないですか?」
「いえ、ただの買物ですよ。そんな急ぐようでもありません」
「そうですか……」
母親は再び頭を下げると子供の手を取った。
「それでは、私たちはこれで失礼します。ありがとうございました。……ほら、貴方もお礼を言いなさい」
「……ありがとう」
「どういたしまして」
親子は一礼すると、仲良さそうに立ち去っていった。
「……………」
僕は親子の姿が見えなくなるまで、それを見送ってた。
思えば、僕にはああいった経験が無い。母は僕をどこかに連れて行ってはくれなかったし、父にいたっては大人になるまで顔すら知らなかった。
……いや、そんなことはどうでもいい。
僕は、あの母親と、どこかで会ったことがあるような気がする。
それがどこか、いつかは思い出せない。しかし、確実に顔は合わせたことはある。
「……まあ、思い出せないなら仕方ない」
今は買物だ。
僕は再び歩き出した。
*
そして、月日は流れ、季節は冬。ちょうど大晦日の時期になった。
その日、僕は店の屋根に上り、屋根の雪かきをしていた。
幻想郷の冬は厳しい。積もり続ける雪を放っておくと雪で建物が潰されるくらいだ。
幸いにも、現在雪は降っていない。
シャベルで雪をすくい、屋根の下へと投げる。そしてまたすくい、投げる。非力な僕には辛い仕事だ。
僕は額に浮かんだ汗を拭くと、ふう、っと一息ついた。
あたり一面の白い風景を見つめて、ふと思う。こうして僕が必死に雪かきをしている間にも、あいつはこの風景を楽しみながら遊んでいる。なんだか腹が立つ。
そんなことを思っていたそのとき、白い風景の中に二つの人影を見つけた。
――噂をすれば何とやら、あいつだ。
二つの人影は、店の屋根の下まで飛んでくると、僕に挨拶をした。
「ごきげんよう、香霖堂さん」
「よっ! りんのすけ!」
雪女のレティ・ホワイトロックと、氷精のチルノだ。
レティは冬になると幻想郷に現れ、遊びまわる妖怪だ。
はっきり言うと、僕は彼女が苦手というか、嫌いだ。彼女は冷気や雪を操る。彼女のせいで僕はこうして雪かきという名の肉体労働をしなければならないのだ。
「何か用ですか? お二方」僕はぶっきらぼうに言った。「僕はご覧の通り、現在取り込み中なのですが」
「別にそのままでも構いませんわ。ちょっとお願いを聞いてくださいませんか?」
レティは構わず言う。強引だ。
「残念ですが、今日は店を閉めてるんです。また後日来てください」
僕は少し腹を立てながらも丁寧に(自分ではそういうつもりで)彼女たちを追い払う。
「時間は取らせません。すぐに済みます」
レティは笑顔を崩さない。どうやら意地でも聞いてもらうつもりのようだ。
「りんのすけー! レティの話聞いてあげてよー!」
腕を振り回してチルノが言う。
どうやらテコでも動きそうになさそうだ。僕は思わずため息をついた。これは聞くしかないらしい。抵抗しても、冬のレティには勝てない。
「……聞くだけですよ」
僕は自分の不機嫌さを隠そうともせず言った。
「やっぱり貴方は人が良いですね。聞いてくれると思いましたわ」
レティは自然に笑いながらも、わざとらしいことを言った。
なんというか、癪に障る。
「そんな人の良い貴方にお願いですが、少し頼まれごとをしてくれませんか?」
「……はあ」
どうせそんなこったろうと思った。
「で、頼まれごととは何でしょうか? 事によっては、僕も断らせてもらいますよ」
「そんな大変なことじゃありませんよ。ほんの少しの間、チルノの面倒を見てて欲しいのです」
「はぁ!?」
――と、声を上げたのはレティの横で話を聞いていたチルノだった。
「え? ちょ、ちょっと、レティ、どういうこと!?」
チルノは意味が分からないとレティに叫んだ。
いや、僕だってどういうことか分からないのに君にそんなことを言われては困る。
「チルノ」レティはしゃがんでチルノと目線を合わせると、子供に言い聞かせるようにして話した。「私、少しやらないといけないことがあるから」
「え、でも……」
チルノが何かを言おうとしたところで、レティは首を振ってその言葉を遮る。
「私の代わりに、香霖堂さんが遊んでくれるわ」
そう言うと、レティは立ち上がり、僕らに背を向けた。
「それじゃあ香霖堂さん、チルノをよろしくお願いしますわ」
それだけ言い残すと、レティは立ち去っていった。
……なんということだろう、僕は一言も『引き受ける』なんて言ってないぞ。
僕は思わずチルノの方を見た。チルノは飛び去ってゆくレティの後姿を見つめている。
……まったく、面倒なことになった。僕はため息をついた。
「りんのすけー」
レティの姿が見えなくなったところで、チルノが屋根の上に飛んできた。
「なんだかよくわかんないけど、暇だし遊ぼ!」
流石妖精だ、切り替えが早い。
「残念だけど、僕は忙しいんだ」
「えー、何で?」
「屋根の雪かきをしなきゃならないんだ」
僕は手に持っていたシャベルをチルノに見せながら言った。
「どうして?」
「屋根の雪を下ろさないと、雪の重みで店が潰れちゃうんだ」
「へぇー、大変だね」
チルノはあまり関心が無さそうに僕に返した。まあそりゃあそうだろう。
「そうだ、チルノ。暇なら手伝ってくれないか?」
僕は駄目もとで訊いてみる。
「うーん、暇だしいいよ」
おっと、意外な返答だ。
「でも、手伝ってあげるんだから後で何か頂戴ね」
「……分かった。後で何かあげよう」
誰だ、チルノにギブアンドテイクの精神を教えたのは。
まあ妖精だし、適当にお菓子でも与えておけばいいだろう。
「で、どうすればいいの?」
「とりあえず、このシャベルで屋根の上にある雪を下に落としてくれ。くれぐれも屋根を傷つけないように」
僕はさっきまで使っていたシャベルをチルノに渡して説明した。
「で、りんのすけはどうするの?」
「僕もやるよ。流石に放っておくわけにもいかないしね」
どこぞやの庭師にならすべて任せておくのだが、生憎今回は妖精だ。放っておくと恐らくとんでもないことになるだろう。
「とりあえず倉庫からもう一本シャベルを取ってくるから、先に始めてて」
僕は梯子を使って下に降り、急いでシャベルを取りに行って戻った。
チルノは始めの方は不器用そうにシャベルを扱っていたが(柄のほうを持って使っていた)、僕が雪かきを再開すると、その姿を真似したのかだんだん様になってきた。
「なかなか上手じゃないか」
「まーね! あたいは天才だもん!」
チルノは得意そうにシャベルを振り回した。
「あのさー」
店の雪かきが終わり、倉庫の雪かきをしていた頃、チルノが不意に口を開いた。
「最近、レティが変なんだ」
「変?」
僕は雪かきをする手を止めず、訊き返した。
「何が変なんだい?」
僕はレティのまともな姿を見たことが無いので何が変なのかまったく分からない。
「レティ、時々どっか行っちゃうんだ」
「これまではどこかに行ってしまうことは無かったのかい?」
「うん。去年も、その前も、あたいとレティは冬の間ずっといっしょに遊んでるの。でも、今年は違った。今年のレティ、たまにあたいに黙ってどこかに行っちゃうんだ。『どこに行ってたの?』って訊いても答えてくれないし。それであたい、ずっとレティのこと見張ってたんだけど、そうしたらここに来て、預かってくれって……。ホント、レティどうしちゃったんだろう? りんのすけ、何か分からない?」
「……そう言われてもな」
僕は雪かきする手を止めて考えた。
とりあえず、たまにどこかに行くという情報だけでは分からない。
「今年のいつ頃からどこかに行くようになったんだい?」
「ええっと、だいたい四日くらい前からかな?」
チルノは腕を組んで思い出しながら答えた。
四日前からか……。ということは、四日前に何かがあったのだろうか?
「四日前、君とレティはどこで何をしてたんだ?」
僕は再びチルノに訊ねる。
「ええ!? さ、さすがにそんな前のこと思い出せないよ……」
流石に妖精に四日も前のことを訊くのは無理があるか。
「いいよ、チルノ。思い出せないなら別に無理して思い出す必要も無い」
「いいや、あたいは天才だから思い出す!」
そう言ってチルノはうぬぬぬと唸りながら四日前のことを必死に思い出そうとした。
「……チルノ。もういいから雪かきを再開しよう」
これは思い出せないなと判断し、僕がチルノに声をかけたそのとき、
「あ!!」
っと、チルノがあたりに響き渡るような大声をあげた。
「思い出した! 四日前、あたいとレティ人間の里に行ったんだった!」
何と思い出せてしまった。
「で、そこで何をしたんだ?」
「あたいが迷子になった」
「……で、それから?」
「で、あたいとレティが再開したとき、レティの顔色が少し悪かった」
「顔色、ねえ……」
と言うことは、人間の里で何かあったということか。
人間の里といえば、現在、インフルエンザが流行っているらしい。永遠亭が全勢力を挙げて診察や予防接種をしたおかげで患者の数も減り、死者もほとんど出なくなったが、まだインフルエンザによって寝込んでいる人が後を立たないらしい。
しかし、妖怪であるレティに人間の病気であるインフルエンザは無縁だ。
……じゃあ、何だというのだろうか?
「分からないな……」
僕はぽつりと呟いた。
「そっか……」
チルノはしゅんとしたがすぐに元に戻り、
「続きやろ!」
と、切り替えた。
確かに僕はレティのことは分からない。しかし、どこか思うことはあった。
*
倉庫の雪かきを終えると、僕とチルノは遅めの昼食をとった。
本来なら恐らく日が暮れるまで掛かったであろう雪かきがチルノが手伝ってくれたおかげで昼過ぎまでで済んだ。そのお礼として、僕はチルノに昼食を振舞ってやった。
チルノはご飯や味噌汁を能力を使って冷まし(ほとんど冷やしてた)、一気にかき込んだ。
「ちょっとは落ち着いて食べたらどうだい?」
チルノは僕の言葉が耳に入っていないのか、構わずかき込む。その姿は本当に子供のようだ。
僕が半分も食べきらないうちに、チルノはそのまま全部食べきってしまった。
「……ひまー」
「僕は食べるので忙しい」
「遊んでー」
「遊んでって言われてもな……」
僕は少し考えてから思いつく。
「そうだ、チルノ。なぞなぞだ」
「ん?」
「熱くなると膨れ、冷たくなると硬くなるもの、なんだ?」
「んんんー?」
チルノは腕を組んで考え出した。
やはり妖精を相手にするなら、なぞなぞが一番だ。
僕はゆっくりと再び食べ始めた。
ちなみにこのなぞなぞの答えは“餅”である。
熱くなると膨れ、冷たくなるとカチカチに硬くなる。少し簡単だっただろうか?
即興で考えたものなのでこんな簡単なものしか出せなかったが、妖精相手にはこれが丁度いいだろう。
現にチルノは「んんんんんー?」と考えながら難しそうな顔をしている。
僕はそんなチルノを見ながら昼食を食べ続けた。
「あ」
餅で思い出した。
まだ正月用の餅を買っていなかった。
僕は急いで残りの昼食を平らげ、食器を片付けた。
「チルノ」僕は外套を着ながらまだ腕を組んで考えていたチルノに声をかける。「これから餅を買いに行くよ」
「あ、餅! 答え餅か!」チルノは勢い良く立ち上がる。「……え、買物?」
「ああ、買物だ。さ、行こう」
*
僕とチルノは人里を歩いていた。チルノは「飛んでいこう」と言っていたが、僕は「様々な風景を見ることも最強には必要。地上から空を見ることも重要」と適当なことを言ってチルノを納得させた。
別に僕も飛べないことも無いんだけどね。
それにしても、今日の人里は少し静かだ。開いている商店も少なく、外に出ている人もごくわずかだ。インフルエンザが流行っているということもあるが、この寒さのせいもあるだろう。
さて、こんな状態で餅は買えるのだろうか?
「ねえ、りんのすけ! あとでお菓子買って!」
「店が開いてたら考えよう」
どうせ買わないけどね。
「おや?」
曲がり角を曲がったところで、不意に見覚えのある人影を見つけた。
少し大きめのリュックを背負い、この寒さでは考えられないような軽装をした少年。
――梅雨のあの日に出会った彼だ。あの日、傘を差さずに雨降る空を見上げていた、あの迷子の少年だ。
「しりあい?」
僕が反応したのを見て、チルノが訊く。
「ああ、ちょっとね」
僕は答えると急ぎ足で彼に近づき、「おーい」と声をかけた。
「あ、香霖堂さん。お久しぶりです」彼は振り返り、挨拶した。
「そうだね。久しぶり」
「あれ?」彼は僕の後ろに立っていたチルノに目をやった。「あの、この子は?」
「ああ、ちょっと子守を任されてね」
僕はチルノのほうを見る。チルノは少年を見て何か思ったのか、「んんん?」と少し唸った。
「チルノ?」
僕はチルノに呼びかける。
「……何か、どっかでみたことあるような気がする」
「ぼくの方は初対面なんだけど……」
少年は少し困惑したようだ。
「ところで、何をしているんだい? また迷子かい?」
僕は少年に問いかける。
「いえ、違いますよ。人のことを迷子の常習犯みたいに言わないでください」
「はは、まあそうだろうね」
こんなリュックを背負ってるんだ。迷子というのは考え難い。
「今日はお使いですよ」
「お使い?」僕は訊き返す。「両親がインフルエンザになったのかい?」
「え、ええ」
少し戸惑いながらも、少年は肯定する。
お使い、ね……。
「もしかして、永遠亭に薬を買いに行こうと考えているんじゃないか?」
「え?」
どうやら図星のようだ。
「そんなことは……」
「そのリュックの中には恐らく竹林に入るための荷物が入ってるんだろう。……悪いことは言わない、止めておくんだ」
僕は少しきつめの口調で言った。
すると少年は、
「香霖堂さんには関係ないじゃないですか」
と言ってそっぽを向いた。
「確かに、僕には関係ない」
ああ、そうだ。君の家族と、僕は赤の他人だ。干渉する必要なんて無い。
「しかし、ここにいるチルノはどうかな?」
「え?」
「あたいがどうかした?」
僕の言葉に、二人とも困惑した。
「一体、何が言いたいんですか?」
「僕は君が何者か、分かったよ」
僕は初めからそんな気がしていた。彼や、彼の母に会ったときから、そんな予感はしていた。
「君は、レティ・ホワイトロックの息子だろう?」
「なっ――」
「ええええええええええええ!?」
驚愕する二人。無理も無いだろう。
「君のお母さんを見て、『どこかで見たことあるな』って思ったけど、レティの顔を見て確信したよ。君のお母さんは紛れも無くレティ・ホワイトロック本人だ」
「それだけですか? それだけの理由ですか!?」
少年は荒々しく声を上げる。
一方のチルノは混乱して目をぱちくりさせている。
「それだけじゃないさ。まだ他にも理由はあるさ」
僕は自分の推理を二人に語った。
確かに僕はレティを見て直感で彼の母親だと思った。しかし、それだけでは説得力に欠ける。
そこで出てくるのが、チルノの証言である。
「レティ、時々どっか行っちゃうんだ」
恐らく、レティは時々自分の家に帰り、家族の様子を見に行くのだろう。
何のために?
チルノの話によると、レティが時々いなくなるようになったのは四日前、人里に遊びに行ってから。チルノがレティとはぐれ、再開した時、レティの様子がおかしかったという。
これは僕の推測だが、レティはチルノとはぐれている時に一度家に帰ったのだろう。そしてレティは自分の夫がインフルエンザに感染したことを知ったのだ。
それから、レティは時々家に帰り、夫の看病をしているのだろう。
「それだけじゃない。君の言っていたことからも、少しだが推測できる。君が寒いのが得意なのはレティの子供だから。病気になったことが無いのは、妖怪の血が流れているからだ」
「……………」
少年は何も言わない。
「……とりあえず」混乱していたチルノがようやく元に戻って口を開く。「あんた、レティの子供なんだよね」
少年は何も言わずに頷き、肯定する。
「何があったか聞かせてよ」
「……父が、五日前から高熱を出して寝込んでるんです」少年は重い口を開いた。「一応診察も受けて、薬も貰いました。おかげで熱は下がりました。父が寝込んでいる間、母は一日に何回も家に帰ってきて、父の看病をしてました。皆さんがご存知の通り、母は冬の間は幻想郷中を遊びまわっています。冬の間は、家には帰ってきません。しかし、母は父が寝込んでから貴重な妖怪の時間を看病に費やしています。……ぼくは、母に冬の間はちゃんと雪女として過ごしてもらいたいんです。母は冬以外の時期は普通の人間の主婦として過ごしてるんです。恐らく妖怪の母にとって、それは辛いことだと思います。だから少しでも長い間、息抜きをして欲しいんです。だからぼくは少しでも母の仕事を減らそうと新しい薬を永遠亭に――」
「話はわかった!」
今にも泣き出しそうな少年の言葉を止め、チルノが口を挟んだ。
「その仕事、あたいとりんのすけにまかせてよ!」
チルノは任せろと自分の胸を叩く。
……あれ? 僕もやらなければならないのか?
「あたいにとって、レティはとっても大事な人だ。だからレティにとって大事な人も、みんなあたいにとって大事な人だ!」
そう言いながらチルノは腕を振り回す。良いことを言っているような気はするのだが言っていることはむちゃくちゃだ。
「任せていいんですか?」
少年はチルノに詰め寄りながら訊く。
「あったりまえよ! あたいを誰だと思ってる! 最強のチルノよ!」
「……香霖堂さん、大丈夫なんですか?」
少年は腕を思い切り突き上げるチルノを見ながら今度は僕に訊く。
「……さあ、どうだろう?」
本人の前では言えないが、正直チルノの知性ではお使いは無理だ。
こうなるとやはり僕も行かなければならないのだろうか?
ん? いや、そうでもないかもしれない。
「僕は正直、待ってても良いと思っている」
僕がそう言うと、二人は僕の方を見た。
「どういうことですか?」
「実は数時間前にうちにレティが訪ねて来てね、それでチルノを僕に押し付けてどこかに行ったんだ。もしかすると、彼女は永遠亭に行ったのかもしれない」
冬のレティは文字通り無敵である。何者も彼女を止めることはできない。例え竹林が人間にはとても踏み入ることの出来ないような場所だったとしても、雪を得た雪女である彼女にとってはそんなもの障害にはならない。
「あら? 貴方たち何をしてるのかしら?」
不意に上から声がして、僕ら空の方を見る。
「ほら、噂をすればなんとやらだ」
見上げると、レティが恐らく薬が入っているであろう紙袋を抱え、ふわふわと浮かんで笑っていた。
「お母さん!」
「レティ!」
レティの姿を見て、少年とチルノが叫ぶ。
レティは地上に降り、僕らのそばまで来た。
「随分と珍しい組み合わせのようですけど、一体何があったのかしら?」
「僕とチルノが買物に人里に来たら、貴女の息子さんに出会ったんですよ」
「私の息子……」レティは僕の言葉に驚いたように目をぱちくりさせると、ふふっと笑い、「ばれちゃいましたか」と言った。
「それで、うちの子がどうかしたんですか?」
「貴女の代わりに永遠亭に薬を貰いに行くと無茶を言っていたんですよ。僕は止めておけと言ったんですけど、彼はどうしてもと聞かなくて」
「それはうちの子がご迷惑をお掛けしましたね」
「いえいえ、良いお子さんですね」
ああそうだ。子供の頃ずっとひねくれていた僕なんかとは比べ物にならないくらい良い子だ。
「ええ、思いやりのある自慢の息子ですわ」
僕の言葉に、レティは笑いながら答えた。
本当に良い親子だ。
「お母さん」
少年はばつ悪そうな顔で母を呼ぶ。
「分かってるわ」レティはかがんで少年の目線に合わせ、「貴方は私の為を思ってそんな無茶をしようとしたんでしょう? それはとっても感謝してる。でも、私は貴方とお父さんが平和に暮らせることを一番に思ってるの。だから、できることならそんな危険なことはして欲しくないわ」
「……うん」少年は目に涙を浮かべながら頷いた。「ごめんなさい。でも、ぼくもすこしでも力になりたかったんだ。ぼくの半分妖怪の力が、お母さんの力になればいいって思って……」
「そう、ありがとう」
レティは少年を抱きしめ、何度も「ありがとう、ありがとう」と呟いた。
「ねえ、りんのすけ」チルノが突然僕に声をかける。「もしかして、あたいたち、場違い?」
「その通りだよ」僕は苦笑しながら答える。「よく分かったね」
「まあね。あたいは最強だから」
チルノは胸を張った。
*
それから月日は流れ、年を越し、やがて冬が終わり春が訪れた。
あれ以降、僕はレティに会っていない。
あの後、僕とあの親子の間で一つの約束が交わされた。それは『冬以外のレティが、何をしているか知らないふりをすること』である。
もちろん僕はその約束に素直に同意した。
別に言いふらした後のレティの報復が怖かった訳ではない。あの親子が、僕と僕の母と同じ様になって欲しくないからである。僕が味わったあの苦しみを、あの子には味わって欲しくない。
だから僕はあの親子をそっとしておくことにした(まあもとよりどうにかしようと考えていたわけではないが)。
今回のことで僕は多少だが、レティのことを見直した。以前は害しかない奴だと思っていたが、家族思いな一面を垣間見て、なんだか人間くさい奴だと思った。
雪が無い時は、案外人間と何も変わりが無いのかもしれない。
*
リリー・ホワイトが春を告げたばかりのある日、初めてあの親子に会った日のように人里に買物に来ていた僕はあの親子の姿を見つけた。
今日はレティの夫らしき男の姿も見える。どうやら家族で出かけているらしい。
声をかけようかと思ったが、止めた。
せっかくの団欒に、僕のような他人が入る隙間は無い。
僕はそのまま、自分の買物を続けた。
少年が手を振ったような気がしたが、見なかったことにした。
子供も一人いますが何か?
超設定を使うなら、尚のこと。また貴方の作品を楽しみにしています。
空気読めないから言うが、
レティ霖が俺のジャスティス
まぁそれはいいとしてもそれだと何故冬に遊びまわっているのか
その辺の描写がもっとあればよかったなぁ
レティが何故家庭を持つことにしたのか、また夫から冬の間遊び回ることの了承を何故得ることができたのか。
その部分の話が軽くでも良いからあればよかったなーと。
…ただ一つ細かいツッコミを。
「リリー・ホワイト」ではなく「リリーホワイト」だったはずです。
しかし人妻子持ちだったか……道理でふとま…………(なにものかに氷漬けにされた