徹底追跡! 蟲姫の謎に、狸が迫る! 〜もう一つの転と結〜
- 2012/02/19 22:22:26
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※注意
当SSは、5、7になります。
1〜4、6、8はこちらになります。おそらくこちらを読んだほうが、よりお楽しみいただけると思います。
/5
蟲のことを知るため、リグルとの同居生活を始めてから、五日が過ぎた頃だった。
その日の真昼間のこと。マミゾウはリグルに連れられて、妖怪の山の中腹に入っていた。守矢神社の参道とはまた別の、険しい山々の中である。もっとも、マミゾウもリグルも空を飛べるのだから、山道の険しさは関係無い。
自然豊かな山林を飛び越えて、向かった先は岩肌が剥き出しになった崖だった。いかにも何も無さそうな場所に、マミゾウは首をひねる。
だが、崖沿いを少し飛び進むうちに、すぐにリグルが目指すものが見つかった。
崖のど真ん中に、ぽかんと穴が口を開けている。
洞窟だ。
「あ、マミゾウ、ここから先は、大きさを元に戻してくれない?」
「ん? 別にかまわんが、なんでまた」
「うん、たぶん意味が無いと思うから」
よくわからないが、リグルが言うなら確かなのだろう。マミゾウは、小さくなっていた変化を解いて、元の大きさに戻った。
……ここに来た理由はまだ、詳しくは聞いていない。
リグルはただ、「蟲を知りたいなら、会ったほうがいい」としか教えていない。
(……まあ、リグルの考えそうなことも、だいたいは読めておるがな)
リグルと寝食を共にして、既に五日が過ぎていた。四六時中リグルと一緒にいただけのことはあり、今ではリグルの行動の意図も、だいたいわかるようになっている――まあそうでなくても、リグルほど、考えていることがわかりやすい妖怪もそうはいないが。
リグルが理由を話さないのは、単にこっちをびっくりさせようとしているだけだろう。目が、悪戯をしかける時と同じになっているから、すぐわかった。
だが、そうするともう一つ、疑問が浮かぶ。
(会うだけで驚かせるほどの相手とは、一体どんなヤツじゃ?)
そうこう考えているうちに、洞窟に入り、どんどん潜っていく。
洞窟は、まっすぐ横方向に伸びていた。高低差はほとんど無く、山の内側へとくり抜かれている。
進むほどに暗くなっていくが、そこはリグルが燐光を灯し、またマミゾウも鬼火を灯して、それぞれ明かりを得ていた。もっとも、二人とも夜目は効く妖怪だから、これは単に気分の問題である。
暗がりの中、進み、進み。
さほど時間もかけないうちに、一番奥が見えてきた。
「おお……ずいぶんな広さじゃな」
通路をくぐり抜けた先は、充分に開けた空洞になっていた。広さは、人里の商店街が丸ごと入ってしまいそうなほどだろうか。天井が見えないのは、暗さのためだけではなく、単に縦に広い空間だからだ。
自然にできた空間ではないのだろう、足場はほとんど平らでしっかりしている。さりとて、人間の手によるものでもない、さらってでも来ない限り、人間はこんな場所には来れない。おそらくは、妖怪の手によるものだ。
「桃姫ー。もーもーひーめー。遊びに来たよー」
リグルが上を見上げ、暗がりの上空へと声をかけた。本当に、友達のところに遊びに来たような、何気ない様子で。
そのリグルの様子につられて、マミゾウも上を仰ぎ見る。すると――
「おやおや……またずいぶんと、予想外なお客さんじゃないか、リグルよ」
と、見えないほど暗い天井から、声が降ってきた。
暗い洞窟の中でもよく通る、女性的なその声に。
マミゾウは、聞き覚えがあった。
「桃姫! 久しぶりだったね、元気にしてた? こっちの妖怪は――」
「知ってるよ。二ッ岩マミゾウだね? 化け狸の大親分。幻想郷に来てたとは知らなかったわ」
「あれ、知り合い?」
「大昔に二、三回ほどね」
声と共に、ずるり、と音が降りてくる。
暗がりの中、何かが這い回る音が、ずるずると、ゆっくりと降りてくる。
なぜ――
なぜ、こいつの存在に気付けなかったのかと、マミゾウは不覚に思う。
妖力など微塵も感じなかった――今もだ。これほどの妖怪であれば、秘めた妖力は、今のマミゾウさえも凌駕するだろうに。
昔からそうだった。こいつは、活動的でない時は、常に力を隠していた。そうして、時には人間を騙して食らい殺し、時には地下に潜伏して力を蓄えた。
それでも、とマミゾウは思う。五感を自然に溶け込ませ、周囲の気配を探ってさえいれば、こいつの存在に気づかなかったはずが無い。それほどに――今まさに目の前に降りてくるこいつは、常軌を逸した存在だった。
ずるりずるり、と大きな体を引きずって。
長い体にびっしりと生えた脚を、ゆっくりと動かして。
文字通り、見上げんばかりの巨体を持つそいつは、悠然と姿を現した。
「やあ、マミゾウ。久しぶりだね。私のことは、憶えてるかしら?」
「忘れられるもんでもあるまいて」
「でも、名前は名乗ったことは無かったね。前に会った時は、私は自分の名前を決めてなかったから」
広大な妖怪の山さえ、その全身でまたいでしまえそうなほどの、長大な巨体。こいつが表れただけで、さっきまで広大に感じられた洞窟が、すっかり狭苦しく感じてしまうほどだ。
黒光りする体からは生える数えきれないほどの脚は、その1本1本が、マミゾウの体の何倍も大きい。
それでいて、何の冗談かと思えるくらい、発する声は女性的で、美しいとさえ思える。
「改めてこんにちは、二ッ岩マミゾウ。私の名前は赤城山桃姫。お前は、幻想郷に来たんだね? なら、今後ともよろしく、ってとこかね」
「はん、大百足にしては可愛らしい名前じゃのう……赤なのか桃なのか、はっきりせい」
「ははは、手厳しい。私にそんな口を聞けるやつは、そうはいないわ。嬉しいね、歓迎するよ」
あえて喧嘩腰に、マミゾウは大百足の挨拶を受けた。
それを桃姫は笑って受け流す。歓迎する、と言った言葉に、嘘は無いように思える。
会いたくも無い顔との再会だったが――
それほど不快感を感じなかったことが、マミゾウにとっては不思議だった。
/
どうやらリグルは、この桃姫と名乗る怪物とは旧知の間柄らしい。よく懐いた様子で、桃姫に向かって嬉しそうに話していた。
話す内容は、もっぱらリグルの日常の話だ。誰とどんな遊びをしたとか、どんな悪戯が成功したとか、そういう他愛の無い話。
「それでね、レミリアったら容赦が無いんだよ。とんでもないスピードで動いたかと思ったら、物凄い勢いで弾幕を撃ってくるんだから」
「あはは、自分より強いやつが本気を出してきたなら、光栄に思わなくっちゃ。リグルだって、精一杯頑張ったんだろ?」
「頑張ったけどさ、やっぱり負けちゃった」
「いいんだよ、頑張ったことだけ憶えてりゃ。次にもっと頑張る時の目安になるからね」
何より驚いたのは、そんなリグルに対して、大百足がにこやかに話していたことだ。しかも結構聞き上手だったりする。
確かに、前に直接会ったのは随分昔になるから、人柄が変わっていても不思議ではないが……しかしそれにしても、とマミゾウは思う。
「へえ。じゃあマミゾウは、今はリグルの家に?」
「今はな。じきに命蓮寺に戻るつもりではあるが」
「ずっと一緒に住む気は無い、と?」
「無いな。もともと無理を聞いてもらっておるんじゃし、それに命蓮寺への義理もある」
「相変わらずね、お前は。妖怪の中でも、義理堅さにかけては右に出るやつはそうはいないでしょうね」
笑い声さえ交えて話す、目の前にいるのは、女性の声でしゃべる、とてつもない大きさの百足である。
マミゾウは思う。
なるほど、自分は確かに、リグルのところで蟲のことを学んできた。小さな蟲のことは、だいぶ理解できてきたはずだ。
だから、ここまで大きな蟲のことは、まるでわからなくても仕方が無い。たとえそれが、旧知の間柄であってもだ。
「のう、リグルや。ちょっと、席を外してくれんか? 桃姫と、色々と、積もる話があってのう」
穏やかな会話がひと段落したところで、出し抜けにマミゾウがリグルにそう言った。
「え? 聞かれたくない話?」
「秘密、というほど大げさな話でもないがな。まあ、二人きりだからできる話もある、ということじゃよ」
「うーん……それじゃあ」
マミゾウと桃姫の顔を交互に見比べてから、リグルは洞窟を出て行った。
これで、洞窟にはマミゾウと桃姫、二人だけが残される。
穏やかだった空気が、ゆっくりと緊張していく。
「二人で話? どんな風の吹き回しかね。昔は、あんなに私を嫌っていたお前が」
「…………」
桃姫のからかうような挑発に、マミゾウは乗らない。
ただ、じっと正面から、その巨体を睨み付けた。
「まさか……生きておったとはな。儂は、おぬしはもう、死んだものとばかり思っておった」
「まあ、そのあたりは狐のやつと似たようなもんだね。何度も封印されたし、封印されたまま死にかけもしたけど……それでも私は、今、こうして生きているわ」
かつて……マミゾウと桃姫が出会ったのは、大昔の話だ。
今は桃姫と名乗るこの大百足は特に平安の世の時代に、猛威を振るった過去がある。
マミゾウが桃姫と出会ったのは、三回とも、桃姫が大きな異変を起こす前後のことだった。
「生きている、か」
「引っかかる物言いだね? 生きてちゃ悪いのかい?」
「おぬしは本当に、五体満足に生きておるのか?」
「別に怪我が残ってる、なんてことはないよ? お前に心配されるほど落ちぶれちゃいない」
「心配なんぞしとりゃせんわ」
ふん、と鼻で笑い、吐き捨てるようにつぶやくマミゾウ。だが、しぐさの割に、口調にはキレが無い。
胸の内に、寂しさのようなものが浮かんでくるのを、マミゾウは必死にごまかしていた。
「おぬしのような、正真正銘の怪物を心配することほど馬鹿げた話も無い。ただ、腑に落ちんだけじゃ」
「へえ?」
「おぬし、こんな穴倉でこそこそと、何をしておる?」
「私は、静かに暮らしたい時はいつだって穴倉住まいさ。お前だって知ってるだろ?」
……見た目のおぞましさに反して、化け百足が人に目撃されることは、実はそれほど多くは無い。
それは、大きな異変を起こすたびに退治され封印されるということもあったが、第一に、化け百足が地下に隠れ潜むことが多いためであった。その親玉たる大百足であれば、なおのことであろう。
だが、マミゾウが言いたいことは、そんなことではない。
「一時的に身を潜めるならわかる。じゃが……おぬしが異変を起こさぬようになってから、何百年が経った?」
「幻想郷が隔離されてからは、一度はあったわよ? まあ、本格的に大暴れ、とはいかなかったけど」
「それでもじゃ。おぬしのような気性の荒い妖怪が、ずっと潜伏したままなど……儂には理解できん」
「へえ……暴れてほしい、って言ってるの?」
もちろん、マミゾウにはそんなつもりで言ってはいない。
ひとたび大百足が暴れだせば、その被害たるや甚大なものになるだろう。最悪、幻想郷が滅びたとしても、マミゾウは不思議には思わない。
マミゾウは、人間も妖怪も妖精も、好きだ。被害を出したい、などとは思わない。
だが、だからこそ――
「暴れられん理由でも、あるのか?」
「…………気が乗らないだけさ」
「ふん、衰えたな桃姫よ。嘘が丸わかりじゃ」
「そりゃ、お前が成長しただけ。昔のお前にはまだ、私に対する恐れがあったわ」
今は恐れていない、などと言うつもりか。
ならば、やはり衰えたのは桃姫のほうだろう。マミゾウは、恐れていないわけではない。
今でも、気を抜けば足がすくみ、膝をつきそうになる。できることなら、すぐに逃げ出したいくらいだ。
だが、それでも引けない一線がある。
胸の中で膨れ上がるマミゾウの懸念――寂しさと苛立ちが入り混じったそれを、マミゾウは、もう無視することができなくなっている。
「…………リグルか」
「あの子がどうしたって?」
「良い子じゃな」
「そうね、私の子供なら、どれだけ良かったことか。そう思えるくらいには、可愛がっているわ」
「おぬしが動かずじっとしているのは、リグルが関係しておるのじゃな」
「否定はできないね……でも、気が乗らない、っていうのも、まあ嘘じゃないわ」
問い詰めるマミゾウに、桃姫は煮え切らない言葉を返す。
弱気ともとれるその態度が、マミゾウには気に入らなかった。
「リグルの、蟲を操る程度の能力……あれは、大したもんじゃな。そして、リグル自身、蟲に好かれる性格、性質を持っておる」
「流石ね。たった五日で、よくそこまでわかったもんだ」
「じゃが……おぬしに能力を使ったところで、おぬしを操ることはできまいな」
「あっはは、あの子もそのくらいに成長してくれれば、嬉しいけどね」
「何が――」
何が嬉しいというのか。
自分が自由を奪われる恐れがあることの、何がそんなに嬉しいというのか。
マミゾウにはわかる、桃姫が本気でそう言っていることを。だからこそ、マミゾウには納得できない。
「……何だい、マミゾウ。言いたいことがあるなら言いな」
「ほう……言うても良いのじゃな? 一度問いを口にしたが最後、儂には誤魔化しは効かぬとわかってのことか?」
「ふん――元より誤魔化すつもりも無いさ」
「では答えてもらおう。おぬしがそうまでして、自分を封じ込めている理由は何じゃ!?」
単純な強さだけで言うなら、自分を遥かに上回る妖怪を前に、マミゾウは堂々と言ってのけた。
「何ゆえ、暗がりに身を潜める!? 何ゆえ、ひたすらに自分を抑え込む!?
何ぞ企みがあってのことなら、儂は何も言わん。その企みを実行するまで、好きなだけ引きこもっておるが良い!
じゃがおぬしは違う。おぬしが自分を封じている理由――それは、リグルであろう!」
マミゾウは……リグルを、好ましく思っている。
蟲の長として、あの少女は素晴らしいものを幾つも持っている。それは能力であり、人柄であり、友であり、あるいはこの幻想郷という、環境そのものでもあるだろう。
わかっている。リグル・ナイトバグは、蟲の王として生きるべき妖怪だ。マミゾウ自身、それを応援したいと思っている。
だが、それでも。
「幻想郷を壊すのが怖いか!? リグルの生活を脅かすのが、そんなに怖いか!?
情けない、それでもおぬしは、平安の世を何度も脅かした大百足か!?
儂は知っておるぞ、おぬしのおぞましさを、よくよく知っておる。
神々の戦にさえ加担した力はどこへ行った。龍の棲み家を何度も騒がせた気性の荒さはどこへ行った!
陰陽師と野武士どもが勢揃いした平安の都に単身挑んだ向こう見ずさは、いったいどこへ消え失せたんじゃ!?」
そうだ。マミゾウは納得がいかない。
マミゾウは知っている。三度、正面から大百足の眼前に立ち、ささやかな会話を交わしたことがある。
あの頃のマミゾウは、既に化け狸として随分と成長していた。配下も従え、いい気になっていたところだった。
そこに現れた、全てを押しつぶさんばかりの圧倒的な存在感。体の大きさばかりではない、妖怪としての格が、その頃のマミゾウとは段違いだった。
三度とも、その会話はマミゾウに苦い印象を与えている。得意の舌戦でさえ、勝てたと思ったことは一度も無く、悠々と通り過ぎる蟲妖の巨躯を前に、無力感を噛み締めたものだった。
その、大百足が。
自分を封じて、リグルを見守っている。
マミゾウとて、リグルを応援はしたいのだ。だが、それでも。
今の妖怪が平穏に住まうために、過去の妖怪が自らを押し殺すことが、どうしても納得できない。
「なあ……マミゾウよ、お前の気持ちも、嬉しいよ」
「その弱気が気に食わんと言うておる! 儂を見下していた、あの頃のおぬしはもっと……!」
「まあ聞きな。リグルのことだ」
「……儂を納得させるだけの答えを、持っておるとでも言うのか」
「それはわからん……だがお前も、わからぬまま怒り続けても、埒が明かないだろう。ひとまずは聞いてくれ」
「っ…………」
それでやっと、頭に血が上りすぎていることをマミゾウは自覚した。
どっかとその場に座り込み、桃姫の体躯を見上げる。
話に納得できなければ、唾を吐きかけてやろうと決めた。
「まず……そうね。蟲の妖怪について話そうか」
――蟲の妖怪は、大百足だけではない。
それは、マミゾウも理解していた。蟲の妖怪は他の妖怪よりは少ないが、それでも色々な妖怪がいる。大百足ほどは大きくない、化け百足なども含まれる。
だが、桃姫ほどの力を持つ妖怪は、そうはいない。マミゾウの知る限りでは、少なくとも本州には一人もいないはずだ。
「封印から逃れ、力を取り戻すために幻想郷に来てからというもの。私は、多くの蟲に慕われたよ。妖怪も、そうでない蟲もな」
元々、大百足は配下に対しての情が厚い性格ではなかった。かつて人の世で異変を起こした時も、化け百足を道具のように使ったこともあった。
だが、衰えた力を癒しているうち、蟲たちに慕われるのも悪くないと、次第にそう思うようになっていった。
それは、この幻想郷という風土が持つ、一つの空気のようなものだったのかも知れない。
当時、幻想郷の博麗大結界はまだ完全ではなく、外界とは自由に出入りすることができた。だが幻想郷の、全てを受け入れる懐の深さは、もっと古い時代から育まれたものであった。
「力が戻るまでは、じっとしているつもりだったのさ。だけど、周りの面倒を見ているうちに、だんだん身動きが取れなくなってね」
あれは本当に息苦しい生活だった、と桃姫は昔を振り返る。できることなら、慕ってくる蟲たちを振り払い、幻想郷から脱出したかったところだった。
だが、情が湧いてしまえばそうもいかない。面倒を見ているうちに、年月は過ぎていった。
そして折り悪く、桃姫がまごついている間に、幻想郷は大結界によって閉ざされてしまう。
「最初は戸惑いもしたがね、考えてみれば、そこまで気にすることも無かったんだ。
私が幻想郷を滅ぼせば、結界なんて機能しなくなっただろうしね。その頃は、本気でそう考えていた」
本当にできたかどうかはさておき、少なくとも桃姫は本気だった。
だから、あの子が生まれたのは、本当に際どいタイミングだったのだという。
「その考えが変わったのは……やっぱり、あの子が生まれてからだよ」
リグル・ナイトバグ。
彼女は、自然の蛍の群れの中から、ごく当たり前のように現れたという。
妖怪の場合、他の妖怪の腹から生まれるほうが稀である。こうした生まれ方も、よくある話ではある。
「そう。リグルは、蛍が化けた妖怪だった。けれど、ただそれだけでも無かったのさ。
あの子は……人に好かれたい、という欲を持つ妖怪だった」
「中にはそういう妖怪もおるじゃろう」
「蟲の妖怪にとっては初めてだったんだよ。
昔から、蟲は人を憎むことを常としていた。人が蟲を踏みつけ、蟲の妖怪がその人を襲う。それが当たり前のことだった」
だが、リグルは違った。
時にはリグルも人を襲った。だがそれは、ただ単に驚かしたり、悪戯をしかけたりするような、他愛も無いものだった。
そして、時には人に近づき、触れ合おうとした。そういう、ちぐはぐな性質を持つ妖怪だった。
「そして蟲たちとは、とても優しく触れ合った。自然、リグルを慕う蟲も増えていった……とどめにあの能力だ。能力に目覚めたのは、生まれてから随分経ってからだったね。あの子は、ちょっと成長の遅い妖怪みたいだから」
「…………」
「最初は私も、珍しい妖怪だと思って見ているだけだったんだ。けど、見ているうちに、わかったんだ……リグルもまた、蟲の願いから生まれた妖怪だ、ってね」
蟲は、人を憎むことしかないと思っていた。大百足にとって、それは当たり前のことだった。
だから、リグルのような妖怪がいることは、本当に信じがたいことだった。
蟲は、人を憎むだけではない。
人と共に生きたいと願う蟲もいる。リグルは、その願いから生まれた妖怪だった。
最初は、桃姫もそれを否定しようとした。いっそ、リグルを幻想郷から追放しようかと思ったことさえあったという。
だが、リグルを見ているうちに、少しずつ、自分の心が和らいでいくのがわかったのだ。
「信じられなかったよ。蟲の願いからリグルが生まれたことも……自分が、そのリグルを、どんどん気に入っていくことも」
それを実感した時だ。桃姫が確信したのは。
この子は、きっと立派な妖怪になる。いずれ、自分も含めた幻想郷の全ての蟲を統べる、大妖怪になる。
そして、そのためには――自分がリグルを、陰から支えてやり、決して邪魔をしないことが一番なのだと。
「リグルのためだけじゃないよ。蟲の全部を思ってのことさ。
リグルが蟲の願いから生まれた妖怪なら、その意を汲んでやってなぜ悪い。
だから、私はリグルと蟲たちのために……こうして、じっとしていることに決めたのさ」
ふう、と桃姫が溜め息をつく。慣れない長話に疲れたためだろう。
「……ふん。話は終わりか?」
「ああ。私がリグルを陰で支える理由は、これで全部さ」
「拍子抜けじゃのう。どんな大層な理由があるかと思えば」
口ではそう言うが、マミゾウにも、桃姫の気持ちは理解はできていた。
何より、リグルのことをマミゾウも気に入っているのだ。リグルを見て、何かを期待する気持ちは、マミゾウにもある。蟲の妖怪であれば、その期待が大きくなるのも、仕方ないのかも知れない。
理屈はわかるし、心情的にも理解はできた。
だが。
「おぬしの存在もまた、蟲の願いその物では無いのか?」
「仮にそうだとしても、私が生まれたのは、もう随分昔のことだよ。昔の願いと今の願いなら、今の願いを優先するさ」
「その割り切りが気に入らんと言うとるじゃろうが。おぬしがずっと我慢し続けておることを、リグルは知っておるのか!?」
妖怪の本性は、そう易々と変えられるものではない。
桃姫が自分を封じることを選んだのは、リグルのためだ。それは本当だろう。だがだからと言って、それがつらくないことにはならない。
「……別に、自殺するわけじゃなし。犠牲になっているつもりはないよ。
リグルが蟲の王として立派に成長しさえすれば、私も羽を伸ばすさ」
「いつのことじゃろうな。百年後か、千年後か。
なるほど、人間を食うだけであれば、何とでもなるじゃろうな。『食糧』の配給は、幻想郷の管理者によって滞りなく行われていると聞いておる。
じゃが、それで妖怪の本性の全てが埋められるわけではないぞ。おぬしはいつか、人を襲わずにはいられなくなる……その時になっても、なお自分を押し殺し続けるつもりか」
「……じゃあ。どうすればいい」
その一言を聞き、マミゾウは少しだけ安心した。
どうやら桃姫にとっても、自分を封じ続ける日々に、思うところがあったらしい。
それで良い、とマミゾウは思う。妖怪は、ワガママでなくてはならないのだ。
「人型の姿を取れ。幻想郷の皆と、触れ合うが良い。
おぬしとて、少女の姿に化身することはできよう。弾幕ごっこで世を騒がせ、数多の人妖に喧嘩を吹っ掛けるのじゃ!
幻想郷のルールに従う限り、幻想郷は滅びぬ。リグルに迷惑をかけることも無いじゃろう」
「無理さ。私の毒を、忘れたわけじゃないだろう?」
――百足の体には、毒がある。
化け百足に限らず、全ての百足は毒を持っているのだ。まして大百足ともなると、その毒は極めて強い。それこそ、妖力の全てが毒で満たされているほどだ。
実際のところ、龍さえ大百足の所業に手を焼いたのは、この毒の強さあってのことだという説もある。清らかな自然を愛する龍は、特に大百足の毒を嫌ったのだという。
龍さえ恐れたその毒が、自然に包まれた幻想郷で放たれようものなら。その被害は、甚大なものとなるだろう。
「それがなんじゃ」
「私が弾幕を放てば、その弾幕から毒が飛び散る。周囲の自然を、冒すことになる……結局、幻想郷にとっては害にしかならない――」
「もう一度言ってやろう。それが何だと言うのじゃ」
「何?」
「毒を持っておる妖怪など、他にいくらでもおろう。それでも世は並べて事も無し――大した被害も無く、幻想郷は今日も平和なままじゃ。
おぬし一人の毒が何だと言うのじゃ。それに、そんなに心配なら、毒の力だけを加減すれば良いだけじゃろう!」
「な……」
この時、初めて桃姫が絶句した。いい気味じゃ、とマミゾウは意地悪く笑う。
無論、マミゾウとてわかっている。大百足ほどの大妖怪にとって、それがいかに困難な所業かを。力の強さに比例して、毒も強くなっている。毒を加減しろ、などと、一朝一夕でできるものではない。
それでも――
「それでも、儂は言うぞ。何度でも言ってやる。
おぬしは我慢するべきではない。それは最終的には、リグルのためにはならない。
リグルのためを思えばこそ……おぬしは、リグルと同じ、世の中に出るべきなんじゃ」
今、マミゾウの中では、二つの気持ちが混ざり合い、同じ方向を向いていた。
あの健気な妖怪、リグル・ナイトバグの、行く末を思う気持ちと。
そして、目の前にいるおぞましい妖怪、赤城山桃姫を、どうにかしてやりたいという気持ちだ。
「……急には無理さ」
「急にでなくても良い。少しずつ慣れれば良い」
「本当にできるかどうかも、わからない」
「それでもやってみせよ。それしか方法は無いし、それがリグルのためでもある」
桃姫のためだ、とは、あえて言わなかった。
マミゾウとてわかっている。リグルのために自分を封じることを決意した、大百足のその気持ち。そして、その気持ちに水を差し、口を挟んだマミゾウの傲慢さ。
それでもマミゾウは思う。たとえ傲慢であろうと、ここは譲れないのだと。
「はは、脅迫かい? 私を相手に、随分偉くなったね、マミゾウ」
「偉そうにもなるわ、自分を封じておるおぬしなぞ、怖くもなんともない。悔しかったら、今すぐかかってきても良いぞ? まあ、無理じゃろうがな」
「よく言う……全部がどうでもよくなる、そんな衝動に身を任せたっていいんだよ?」
「衝動があるなら結構じゃ。老いさらばえて枯れ果てるよりはマシというもの」
「……マミゾウよ」
「何じゃ」
そして、桃姫は。
何かに屈するように、その言葉を口にした。
「私のような妖怪が、他にいないとでも、思うのかい?」
「おるじゃろうな、他にも」
薄々、マミゾウにもわかっていたことだ。
時代が変わり、妖怪たちの在り様も変わる。それだけなら、マミゾウは何とも思わない。古い妖怪とて、時代に順応する者もいるだろう。マミゾウとてその一人だ。
だが、時代に取り残される妖怪もいる。目の前の、大百足のように。
「全部の妖怪たちに、同じことを言ってのけるつもりかい?」
「言ってみせるさ。わかってはもらえんかも知れんが、それでも儂は言ってやる」
マミゾウは、その場で立ち上がり、くるりときびすを返した。
「憶えておれ、桃姫よ。儂は、幻想郷中の妖怪の、面倒を見てやる。
どんなに弱い妖怪でも、どんなに強い妖怪でもじゃ。おぬしのように、自分を騙しているような妖怪が他にもおるなら、儂が残らず化けの皮を剥いでやるわ」
「私はまだ、お前の言葉に頷いたわけじゃないよ!」
「ならば頷かせてやる! 古い妖怪には、おぬしのようなへそ曲がりが他にもおるじゃろう。
そいつら全員のどてっ腹に響き渡る、ドでかい異変を起こしてくれるわ! おぬしらのような頑固者どもを、全員巻き込んでやろうじゃないか!
二ッ岩マミゾウ一世一代の化け奥義で、幻想郷中を化かしてやる! その時こそ、おぬしらの年貢の納め時と知るが良いわ!」
挨拶代わりにそう言い残して、マミゾウはその場を後にした。
振り返ることは無い。言いたいことは全部言ったし、これ以上、大百足から聞けることも無いだろう。
暗い洞窟をくぐり抜け、光の下へと戻っていく。マミゾウの挙動には、欠片ほどの迷いさえ無かった。
/
「マミゾウ、何言ったの? なんか桃姫、機嫌悪そうだったけど」
マミゾウと入れ違いで桃姫に会いに行ったリグルが、不思議そうに戻ってきた。
「あやつは、何と言っておった?」
「んー。マミゾウの動きには注意して見ておけ、とか。あと、自分もちょっと考えてみる、みたいに言ってた」
「ならば良い。仕込みは上々、後は本人の心がけ次第じゃ」
マミゾウは頷く。桃姫の心変わりのきっかけになれただけでも、大きな収穫と言えた。
自分を含めて、古い妖怪ほど頭が固い。気持ちを動かすことができただけでも、充分な戦果と言える。
また、近いうちに会いにくることになるだろう。何度でも言葉をかけ、場合によっては手を貸してでも、ゆっくりと確実にやっていけばいい。
「のう、リグルや」
「なに?」
「桃姫のことは、好きか?」
「うん、大好き!」
「そうか。それなら良いのじゃ」
二人で笑いながら、帰路に着く。
いつか、あの不器用な大百足も、リグルの隣に並べる日が来るといい。マミゾウはそう、心から願った。
/7
宴会の中心で、光が舞い踊る。
光の群れの中心で、二人の少女が笑っている。
「あはは、あはははははは!」
「はっはっは、楽しい、楽しいのう!」
大盛り上がりだった蟲の舞台も、そろそろフィナーレを迎えようとしていた。
周りの演奏や歌も最高潮に達し、その時が来るのを待っている。
リグルと、リグルに化けているマミゾウは、二人で目を見合わせた。
それ以上の合図は、必要無かった
一度、両手を離して。
それから、お互いの両手を、元気よく打ち合わせた。
「「やあっ!」」
ぱあん、という柏手の音と共に、光が一斉に舞い散った。
蟲たちが、天へと昇っていく。
驚いたみんなが、思わず目で追いかける。
それは、天から降りてきた光が、また天へと帰っていくように。
蟲たちの宴は、静かに、その幕を下ろしたのだ。
「はぁ、はぁ、はぁ……ま、マミゾウ」
「ふぅーう……何じゃ、リグルよ」
「ありがとう!」
「二度も言わんでいいわ」
「さっきは、まだ早いって言ったくせにー」
「いいから、ほれ」
と、マミゾウがもう一度手をつなぐ。ただし今度は片手だけ。
そのまま、リグルの手を持ち上げた。
ちょうど、観客へと手を振るようにだ。
それに、観客たちが答えた。
宴会に参加した全員が、どっ、と大音声を発した。
惜しみない拍手、口笛、歓声の渦。
みんなが、リグルとマミゾウを、祝福していた。
「えへへ……」
「うむうむ。やはり宴会は、こうでなくてはのう……」
そうして、大喝采を浴びながら……
マミゾウは、ちらりと、リグルの顔を盗み見た。
喜びに満ちた、リグルの顔。興奮のために、その顔はほとんど真っ赤に染まっている。
可愛らしいその顔を見て、マミゾウもまた、思いを深めた。
「これからもよろしくな、リグルよ」
「え、何か言った、マミゾウ?」
「大成功じゃ、と、そう言ったんじゃよ」
「うん! すっごく、楽しかった!」
これからも、リグルのことを、ずっと見守っていよう。
リグルだけではない。たくさんの妖怪たちを、出来る限り、見守ってやろう。
そうして、幻想郷を、本当の楽園にするのだ。
自分だけではできないだろうし、時間もかかるだろう。
それでも、マミゾウはそうしたいと思った。それが、自分の選ぶ生き様なのだと、そう思った。
楽しい宴会は、まだまだ続く。
マミゾウもまた、精一杯、楽しんでやろうと決めた。
書けたーー! やっと書けたーーーー!
去年の九月の時点にはぼんやりと思い描いていた作品でした。具体的には、マミゾウの弾幕に蟲がいないのを確認した時点で。書くの遅くてすいません。
でも、目標の人気投票の間に投稿できて、本当に良かったです。
欲を言えば、投票開始前、18日までに投稿したかったのですが……まあ、贅沢は言いますまい。
ええ、人気投票支援と言い張ります。
自分のリグル大好きっぷりと、マミゾウ大好きっぷりを、思う存分詰め込みました。
その割に、この二人のSSを創想話に投稿するのは初めてなのですが。いいんだ、大事なのは気持ちなんだから!
なぜオリキャラが出張ってきたのかは、自分でもよくわかりません。
というか、自分の創想話投稿作、今のところ三作品ともオリキャラが絡んでいたりします。別にオリキャラが好きなわけではない、はずなのですが。むしろ苦手なほうなのですが。特にネーミングは大の苦手です。精一杯考えた結果は……まあ、お察しください。タイトルもそうなんですが、ネーミングセンスがある人が本当に羨ましいです。
今後はどうなるだろう。自分ではわかりませんが、オリキャラ抜きの話も書いてみたいとも思います。
皆さん、ここまで読んでいただいて、大変ありがたい限りです。ほんの少しでも、読んでよかったと思っていただけたなら、これ以上の喜びはありません。
本当に、ありがとうございました。
追記:タイトル含め、少し修正しました。
楔
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マミゾウさんかっけえ!
マミゾウさんの魅力が十二分に伝わる作品でした。
普段穏やかなあの人の熱い一面……自分はこういうのにめっきり弱いです(笑)
博麗霊夢が人間の代表ならば、マミゾウさんは妖怪の代表になることが出来るかもしれませんね。
良い作品でした。
支援SSなら、あっちにも名前載せた方がいいんじゃない?
未だ幻想郷には日陰も多く、しかしてマミゾウによって、全て幻想の光に照らされる日がいつかは・・・
まだ神霊廟のキャラは馴染みが無いので、マミゾウのキャラクターも参考になります。
まあ、急に変わるのは難しいからね。
>奇声を発する程度の能力さん
かっこいいマミゾウもかわいいマミゾウも大好きです。
>久々さん
自分もそういうの大好きです!>普段穏やかなあの人の熱い一面
リグルの魅力、マミゾウの魅力が共に伝わったなら、この一連のSSは大成功と言えます。ありがとうございます。
>名前が正体不明である程度の能力さん
マミゾウの魅力が伝わったなら幸いです。
あっちというのはたぶん、支援リンク集のことですよね。実はそちらには、pixivに再録したほうの当SSをすでに登録済みだったりします。
過去のリンク集探してみたんですが、創想話作品が登録された試しが無かったので、だったらそっちのほうがいいかな、と。
>愚迂多良童子さん
その通りです。やっぱりちょっと安直だったかも知れませんね。>桃と百
マミゾウのキャラクターを表現するのは、難しかったけど楽しかったです。できればまた、書いてみたいと思います。
>楽郷 陸さん
そう簡単には変わらないですし、だからこそ、マミゾウが頑張る意味があるのだと思います。