天の気が滅入れば、人の気も滅入る。
たまに聞く分には楽しめる軽快な音。しかし、毎日聞けば雑音だ。風流と楽しむのは心だ、其れが疲れてしまえば叶わない。
最早、雨音は鬱々と聞こえている。
耳栓なぞ何所かあっただろうか。そう思い、私、上白沢慧音は立ち上がった。
目を向ければ庭。濡れる草木。水溜り数多。一昨年貰った紫陽花の淡青と、軒先の石。水の溜まった鉢植え。
いつ晴れるだろうか。浮かぶのはそんな事ばかり。ついぞこの前までは、この風情も楽しめた物だが。
恐らく余裕が足りないのだ。茶でも淹れて物思いにでも耽るとしよう。耳栓は、記憶に無いので多分無い。
やかんの傾ける手を止めたのは、玄関を叩く音だった。声を上げる。開けた戸の向こう、ブロンドのセミロング、青い目、青と白のコントラスト、人形に持たせた傘。
ああ、と私は彼女を招き入れた。こんな雨の日にわざわざ遣って来たのだ。家に上げないというのは失礼と言う物だ。
森の魔女アリス=マーガトロイドを居間へ通し、私は湯呑を取りに行く。
彼女の用事というのは、明日、寺子屋で行う予定だった人形劇についてだった。此処毎月呼んでは披露してもらっているのだが、厄介事が出来て今回は見送れないかというものだった。
「この前、魔理沙が尋ねてきた時に人形部屋を散らかしていってね。その時は何事も無かったのだけど。あの子って森の茸をよく採取してるのよ。胞子がついちゃったみたいで、ここのところの湿気で人形に着いたそれが大繁殖しちゃって」
「それは・・・ 災難だな」
正直考えたくもないそれを、悲しいかな想像力は駆け巡り、明瞭に脳内に描いていく。
その様、変色、変形、盛り上がり、破れ、濁り目に、溢れる茸。 ─────嗚呼、気持ち悪い。
顔色に出てしまったのだろう、「大丈夫?」と心配までされてしまった。大丈夫と返し、茶を飲んで気を紛らわす。
やはり、ヒトガタの物がそう侵食されていくというのは虫唾が走る。私が半分でも人間だからだろうか。
茶が切れた。入れ直そう。それから、茶菓子も。
そういえば。煎餅と急須を卓袱台に置く私に、そうアリスが切り出す。
「明後日、神社で宴会するそうだけど、貴女行かないの?」
「私が普段、何をしているか知っているだろう? 簡単に里を離れるわけにはいかないさ」
「竹林の忍者さんに任せればいいじゃない。たまには息抜きも必要よ」
「編纂関係で、満月の夜は代わって貰ってるよ。それで十分だ。これ以上は妹紅に悪い」
「そう。まあ、無理強いはしないけれど」
「けど、たまには来てもいいんじゃない?」と言う意見には、そうだなと返した。
宴会は嫌いではない。皆で騒ぐのは好きだし、持ち寄る酒も定番物から珍しい物まで様々だ。
神社に集まる妖怪達も細かいことを気にする連中ではないし、私がひょっこり顔を出したところで気にすることは無いのだろう。無いのだろうが・・・
まあ、考えても詮無い事だ。
この煎餅は美味いな。永遠亭で搗き過ぎた餅を加工したものらしいが、これはなかなか。商品化してもいいのではないか。
外では未だ水の叩きつける音が響く。が、そろそろお暇しようとアリスは腰を上げた。一人では食べきれないと、永遠亭の煎餅をお土産に渡した。
空気に触れ、既に煎餅は湿気り始めていた。湿気は煎餅だけではなく書にまで侵食し、編纂しようと取り出した紙を縦目に撓ますという所業までしてくれている。
更には、そこはかとなく全身も怠い。肩も凝るし筆も進まない。最早、こうなってはやる気も出ない。全ては、未だ降り続ける雨のせいだ。
筆を持つ筈の手は墨を延々と擦り、又は湯呑を持ち。
集中しようと向かっていた筈の思考も、いつの間にやら別のことを考えていた。
先程の詮無い事。人の集まりについてだ。
妖怪と人の集まりは、その目的を異にする。
妖怪は、多くの場合単独である。いや、力のあるモノは何かしらを従えてるものだが、それ以外の妖怪は単独行動の場合が多い。
当然、寄り集まる事もある。しかし、それは情報交換の意味合いが強い。天狗のように、人間的な社会を形成する事は殆ど無いと言える。あっても精々が永遠亭、或いは紅魔館と言ったところか。地底にもそのようなところはあるのだろうが、詳しくないので割愛する。
人は社会を造る。最小単位を家族とし、更に集まって集落となり、やがて村となり、町となる。
この里がどの程度の規模なのかは置いておくとして、人間は集まる習性がある。何故集まるかと言えば、多くの場合、個を形成する為だ。
屈強な精神ありきな妖怪と違い、精神の弱い人間は集団の中で己を位置づけようとする。
要因は欲求であったり利権であったりするがともかく、同調し、或いは排斥し、何かしらの集団を形作って、若しくはその中で自身を確立する。
確立の方法としては、信頼であったり、或いは強烈な個性、カリスマ性であろうか。
私は元々人間であるし、寺子屋で歴史を教えることで信頼を得た。お陰で社会に溶け込めている。
逆に、集団に溶け込めず、或いは異質だと判断されたものはどんどん排除される。それは、多くの場合は正常な判断の元で行われている免疫のような物だが、人の判断である限り正常でない事もある。
多くの場合、その要因は恐れと無知、偏見からくるもので、しかも無自覚であることが多い。頭の切れる者が扇動者として動くこともままあるが、この里ではそのような大規模な事はあまり無い。
何故なら妖怪という外敵がいるからだ。大体の事を妖怪の仕業とし、それで事を済ませる。
妖怪からすれば、自身を出汁にした噂が飛び交えば糧ともなるのだから、例え迷惑でも抗議することは殆ど無い。退治まで話が進むと厄介になるので私が出張ることになるのだが、ともかく、人間同士で争う事はあまり無い。
しかし、一種負の力とも言えるこれが人に向かうことが無いわけではない。大きな集団ではないにしろ、小さなものならばそこ等中に転がっている。
それは所詮意見の不一致の結果でしかないもので、個別で見れば大したことではない。寧ろ、それに一喜一憂することで発生する暗黙の了解と言うものが、しばしば人を追い込むものである。
問題を先送り、臭い物には蓋をし、捨てていった都合の悪いもの、後ろ暗いものの総称であろうか。踏み入れる事は禁忌とされ、侵せば責められ追放される。
最も分かりやすいのは、霧雨商店の一件だろう。魔法を毛嫌いする店主に娘が反発、家を出た。事はそれだけだが、それもまた暗黙の了解を破った末路と言える。
勿論、他にもある。
組合の一派に挑み、職を失った者。良くない噂を流されて長屋から追い出された者。詩を書く集まりでこき下ろされ、挙句出入り禁止となった者。等々。
何が悪い等とは言わない。その経緯は里の歴史を見れば分かることだが、私が口を出すべきことではない。
ではないが、見れば見るほどに遣る瀬無くなる。
だから、私は思考を止めた。纏めようが無い。どうしようもないのだ。これは、私の中にも潜むものなのだから。
この取り留めの無い思考、何処までも客観的に取り纏めればそれはそれで面白いのだろうが、私にはあまり向かないかもしれない。
哲学などというのだろうが、私はその辺の事は詳しくない。歴史に登場する程度のものは知ってはいるが、所詮はその程度だ。
私が行ったのはただの思考遊び、テツガク。思考を散歩させただけに過ぎない。
まあ、日記の肥やしにでもしてしまうのもありかもしれないが。
ふと外を見れば、雨はやや小降りに変わっていた。思いの外、時間が経ってしまったようだ。気を取り直すため、茶を含む。
既に温さすら通り越し、温度は水のそれだ。やや想定より苦く、薫るのは濃厚な竹墨の香り。
明らかに違和感を感じて湯呑を除けば、黒い液体の中に茶柱ならぬ炭柱が鎮座していた。
・・・ん?間違ったかな?
顎に手を添え、首を傾げ、含んだモノは湯飲みへ。存外冷静なものだとか思いつつ、この苦味と時代遅れの鉄漿を流すべく台所に向かった。
それにしても苦い。
墨汁茶は強敵だった。中々渋みが取れないのだ。口の苦味の取れる頃には、随分と雨足が弱くなっていた。
外を見れば、成る程、霧雨だ。が、それすらも弱い。もうじき止んでくれるのだろう。
最早、編纂の気分でもなくなってしまったし、おにぎりでも作って妹紅の元へ行くのもいいかもしれない。米ははまだある筈だ。沢庵も添えていこう。
気持ちの切り替えが済めば、行動するだけだ。梅雨の気怠さも、妹紅の元へ向かおうとする私の前では小枝ほどの障害にもなりはしないのだ。
うむ、素晴らしい。日記に留めるべきだ。
さて。
もう少し思うとすれば、どんなに人の暗い部分を見ようとも、私は人間の味方だということだろうか。
人がどんなに私を疑おうと、私の信頼が消えたとしても、私は里を守るだろう。何故なら好きだからだ。単純な理由ほど強固なものは無い。
だから、私はそれでいい。
妹紅の元へ行くのも、そのために今米を研ぐのも、いつも寺子屋へ行くのも、全ては好きだからだ。
私は、それでいいのだ。
明後日の宴会、たまには顔を出すもの良いかもしれない。
でも慧音の日常の一コマを切り取ってきたと言われれば、納得できそうな文章ですねw
大笑いでもなく泣くのでもなく、ただそこにある良い文章だと思います。