「これは……ヒドイ」
凄惨な光景を目の当たりにして、椛は戦慄した。
「どうして……こうなった」
不可解な現状に、にとりは唖然とするしかなかった。
現場は姫海棠はたての部屋。そこに血まみれで倒れている人影があった。
射命丸文。部屋中に飛び散っている膨大な血液は、恐らく彼女の物だろう。
何があったか分からないが、彼女はライバル新聞記者・姫海棠はたての部屋を訪れ、そして大量の血を流して倒れている。
「特に外傷は見当たらない、これは他殺か? それにしてもこの表情……どこか、恍惚としているような」
「うん、嬉しそうにピクピクしているね。……っていうか死んでないし、一応助けてあげたら? 天狗同士」
状況が椛に探偵っぽいセリフを吐かせたのか、にとりは冷静につっこんだ。
にとりは数日前、はたてに新開発の写真現像機を渡していた。その使い心地を聞く為にはたての家に向かっている途中、パトロール中の椛と出合った。パトロールのついでと、2人ではたての家を訪れたのだが、そこには何故か血まみれで倒れている射命丸の姿があった。
「はたてが……いない。主のいない部屋で血まみれで倒れている変死体。これは……事件だな!」
「だから死んでないし……結構薄情なんだね、って、ん?」
探偵ごっこでやり通そうとする椛に呆れ、文に視線を移したにとりは、そこに殊更酷く血に塗れた長方形の物体が、文の手に握られている事に気付いた。
「写真?……この血まみれの写真に何が……」
にとりが文の握っている血の塊のような物体に手を伸ばした時、椛が叫んだ。
「おい見ろにとり! コレって……ダイイングメッセージってヤツじゃないのか!?」
見ると写真を持っていない方の手が、流れた血で床に文字のような物を書いていた。にとりは絶句する、これは……。
「変死体が残した謎のメッセージ……いよいよ事件だねぇ明智君!」
「アケチって誰だよ……コレが何かのメッセージだとして、誰に何を伝えたいのさ? ……っていうか死んでないって!」
にとりは思う、この事件(?)はくだらない。どうしようもなくくだらない。
意識朦朧としていたであろう射命丸は、ここを訪れた者に何かを伝えたかったのか、それとも一種のパニック状態だったのか。床に自分の血でこう書いていた。
『うにゅぱい』
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地底は騒然としていた。
間欠泉異変以降、地上の妖怪と地底の妖怪は気軽に交流するようになっていた。
しかし何のアポイントも無く、恐ろしい程の殺気を振り撒きながら猪突にに猛進する妖怪があれば、何事かと事情を説明させる気になるのはおかしくない。
そうして、星熊勇儀は姫海棠はたてを止めた。
「ちょっとそこ行くお嬢ちゃん、狭い旧地獄街道、そんなに急いでどこに行くんだい?」
「くっ! どいてよ、わたしは急いでるの!」
姫海棠はたては最近になって人前に姿を現し始めた妖怪だ。射命丸を真似るかのように、取材と称して妖怪たちのあらゆる情報を聞いてまわっていた。
他の妖怪に興味を持ち、他の妖怪に興味を持たせるような記事を書きたい。
そういう青い発言をして取材をしてくる初々しい新聞記者を、多くの者は好感を持って受け入れていた。
勇儀もその中の一人であり、取材という名の弾幕戦で手合わせした時は、面白いヤツが来たモンだ、とほくそ笑んでいた。
しかし、その時のはたてはどこかおかしかった。
もの凄いスピードで、呼び止める者の声も聞かず、ただひたすらに進んでゆく。その表情には、何やら鬼気迫るものがあった。
目指しているのは、地霊殿だろうか。
「何があったんだ? もう地底の妖怪も地上の妖怪も無いだろう。困った事があったんならお互いに助け合えば……」
勇儀の言葉を聞きながら、段々と顔を紅潮させてゆくはたて。
そうじゃない! そんなんじゃない!
理不尽な焦りがはたての中に充満し、沸騰し、爆発する。
「うう、うるさーいっ!!」
「!?」
はたては携帯型のカメラを構えた。
それは魂を吸い取るカメラ。妖怪にとってそのカメラに捉えられる事は、弾幕戦において被弾する事に等しい精神的ダメージを与えられる事になる。
「わたっわたしは急いでるのっ! 急いで、おくうさんのもとへ行かないといけないのっ! 邪魔をするなら……撮るわよっ!」
妖怪のレベルからすれば数段上の鬼に、敢然とはたては言い放った。
「……聞く耳持たず、か。いいぜ。妖怪らしく弾幕戦でケリをつけよう、後でゆっくり聞いてやるよ!」
呆れながら勇儀はニヤリと笑う。何だかんだで勇儀は、いや妖怪は喧嘩好きなのだ。
「はぁぁぁぁっ!」
カメラを構え、勇儀に猛ダッシュするはたて。速い! そのスピードは幻想郷最速と謳われた射命丸文にも引けを取らない。
「ふんっ! 光鬼『金剛螺旋』っ!」
勇儀が力を込めると、その手に光り輝くごんぶとうどん、もとい、光の綱が現われ、ムチのようにしなってはたてに襲いかかった!
「きゃぁぁぁぁ!」
高速でうごめく大蛇のように、凶悪な意志を持ってはたてに打撃を与える一本うどん!
なんて強力! なんてSMちっく!
女王様の鞭打ちに、悲痛な表情で必死に耐えるツインテール美少女!
なんて絵になるシチュエーション!
「ん? なんだぁ? そんなもんかぁ? なんかこっちが一方的に悪役みたいで気分が悪いんだけど」
攻撃の手を緩め、ふっと、はたてに近づく勇儀。
その時! 両腕のガードの下で、はたての口端がゲンドウよろしく吊り上がった。
「チャーンス!」
一瞬にして勇儀の懐に飛び込み、カメラをかざすはたて!
「チッ」
すでにカメラの射程から逃げられないと悟り、はたてより速く攻撃すべくうどんを振り上げる勇儀。
「遅い! 切撮『シュート・ザ・スカート』!」
はたてのカメラが火を噴いた!
お互いの攻撃がぶつかり合い、通り過ぎ、背中合わせの状態で動きが止まる。
はたてに襲いかかった弾幕うどんは、もう存在していなかった。弾幕は、一部の空間と共に、はたてのカメラの中に切り取られたのだ。
そう、一部の空間と共に。
「な……何ぃぃぃぃ!?」
勇儀は下半身を押さえて座り込んだ。そこには一瞬前にあったはずの物が無く、見えなかった物が顕になっていた。
「確かにいただいたわ、勇儀さん」
振り返り、勇儀にカメラの画面を見せるはたて。
画面には黄金色に輝く弾幕と共に、勇儀のスカートが写っていた。
説明しよう。
はたてはカメラを使って、一定の空間内のあるものを『切り撮る』事ができる。
それは、通常は相手の放つ多少の妖力、つまりは弾幕だ。
だが、はたてが集中力を高め、妖力を爆発的に上げた時、相手の妖力の染み付いた身近なアイテム、
即ち『衣類を切り撮る』事ができるようになるのだ!
(民てゐ書房刊 『河童の技術と天狗の慢心』より考察)
「良く似合ってるわよ。悪いけど、急いでるから」
座り込んでいる勇儀を一枚、口止め代わり写真に収め、すぐさま背中を向けて足早に去ってゆくはたて。
足止めを喰らってる訳にはいかないのだ、早く、速く、一刻も早く!
残された勇儀。……体操服、……ブルマ。
体育祭のクラス対抗リレーで転倒してしまったかのような敗北感。
「くっそぉぉぉぉ! はたてェェェェ!」
鬼の絶叫は、恐ろしい破壊力を持った弾幕となって周囲に甚大な被害を与えていった。
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「勇儀がやられた? 新しい新聞屋さんに?」
地霊殿の主にして地底の妖怪の責任者的立場にある古明地さとりは、お燐の報告に首傾げた。
「はぁ、何か『もうジャージしかない』とか訳分からん事言って泣き喚いて、手がつけられない状態でした」
地上の死体集めから帰ってきたお燐は、途中、半壊状態の旧都で暴れている勇儀を発見したそうだ。
さとりは全く要領を得ない話に困惑する。
ブルマ? ジャージ? 新聞屋の暴走?
「それで? 新聞屋さんは何処へいったの?」
「それが……何処、というか。どうやらおくうを探して地底を飛び回ってるみたいで……」
「んー……」
さとりはチラリとお燐の心を読んでみた。よく……分からない。
真っ赤に燃える真っ黒な心が真っ青な豪雨に打たれて蠢いているみたいだった。
「まぁいいわ、おくうは今灼熱地獄だから、どの道ここへ来るでしょう。私が新聞屋さんに話してみましょう」
さとりは、とりあえずはお燐とはたてを会わせない方が良いと考えた。
はたてに限らず、お燐はおくうと関わる人物とはいろいろもめるのだった。
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「ああん! もう! どこにもいないっ! やっぱりいないっ! ってことはやっぱり地霊殿の奥のくそあちー所かー。あそこに行くにはあそこを通らなくてはいけないし、あそこを通るって事はあいつに会わなきゃならない事に……」
「私をお探しですか?」
「うわぁぁ!」
地霊殿の上空をウロウロしていたはたてに、さとりが話しかけた。
「べべべべ別にそんなんじゃ……って」
じっとりと、強い粘性を持ったさとりの視線がはたてを包み込む。
「ぐ、ぅう~~」
その視線は、心の鎧を切り刻む凶悪な刃物であった。
ショートケーキにナイフの進行を止める事が出来ないように、さとりの前ではどんな強がりも全く抵抗にならず、心を丸裸にされてしまう。
「そうですか……そんなにもおくうの事を……ええ……え!? いや、それは違……」
はたての顔がヤカンのように真っ赤に燃えた。火を噴くのはカメラだけではないようだ。
「うるさいうるさいうるさーいっ! 人の心に土足で勝手に上がりこんで! アンタなんかキライだ! 最低だ! この、~~~~~~っ!」
瞬間、さとりを取り巻く空間にヒビが入った。
「!?」
はたてもその一瞬で、世界が冷たく硬化した事に気付いた。
「ふ、ふふふ……世の中にはね、思っても言っちゃいけない事と、思う事すらいけない事があるのよ?」
はたては口にしなかったが、物凄い暴言を心の中でがなったのだ。その心の声が、さとりの逆鱗に触れたらしい。
「……あ、……あの、思ってもいけない事を考えないようにするにはどうすれば……」」
「うるせえうろ金ぶつけんぞ!」
「っきゃーーーっ!」
ナパーム弾の豪雨が降り注ぐような、でたらめな弾幕がはたてを襲う。普段のさとりからは考えられない、重厚で、凶悪な弾幕である。
スポイラー天狗と覚り妖怪の能力的相性は最悪だった。世界のどれほど強大な妖力を持つ妖怪よりも、神様よりも、はたて的には最悪の相手だった。
例えて言うなら、思春期の男子に「さわってもいいのよ」と言う美少女型核爆弾起爆スイッチを仕向けるくらい、どうしようもない、不幸な組み合わせなのだった。
「おた、お助けぇえぇぇぇ!」
半狂乱で逃げ回るはたて。三途の川が走馬灯のように頭に過ぎってゆく。
コンマ数秒、視認すら出来ない弾幕の隙間に奇跡的に入ったはたては、無我夢中で、無意識の内に、ありったけの妖力を込めて撮影ボタンを押した。
パシャリ
瞬間、はたてとさとりを取り巻く一定の空間に変化が起きた。
空間を埋め尽くさんとしていた弾幕が、乳化するように霧散する。
その眩い輝きの中で、さとりの着ている衣装も光の粒子へと変換された。
「な!?」
高い知能を持った人や妖怪が、あらゆる行動を意識的に行っているわけではない。
無意識下、とりわけ思考の限界を超えてパニック状態になった者は、心を読む事によって自分を優位に持ってゆくさとりの戦術に対して、予想もしない結果をもたらす事が、稀によくある。
次の瞬間、弾幕の切り取られた空間に残されていたのは、はたてと、
体操着にブルマ姿の少女さとりであった。
「な……何でぇぇぇぇ!?」
説明……しよう。
はたての能力が空間の弾幕を切り撮るのみならず、空間内の衣類をも切り撮る事が出来るのは、先の勇儀との戦闘で明らかになった。
今回のはたては、絶体絶命の危機的状況において少年誌的逆転の法則に従い新たな能力に目覚めたらしい。
その能力とは、被写体の妖力を受けている霊的アイテムを分解し、念写した画像上の物へと再構築させる能力だった。
簡単に言うと『被写体を着せ替えできる程度の能力』である!
(民てゐ書房刊 『ハートキャッチワキミコ・今日のコーデいい感じ?』より考察)
「た、助かった……?」
ヘナヘナその場に崩れ落ちるはたて。しかしすぐさま意識を持ち直し、さとりへと視線を向ける。
「ひっ……」
さとりはビクッと身体を震わせた。状況を理解出来ない恐怖、そして、あられもない衣装を着せられている羞恥心。目に涙を浮かべ、必死で身体を隠そうとうずくまる。
「こ、来ないでっ!」
ジリジリとさとりに歩み寄るはたて。
恐怖に慄き、今にも泣き出しそうなブルマの幼女……にしか見えないこの構図。
「ゴクリ……わ、悪いけど、先を急いでるんで」
言うとはたては、思わず身構えたさとりを一枚、写真に収めた。
「ジャマしないでよね」
そのまま地霊殿に向かって飛んでゆくはたて。目指すは最深部へと続く中庭。
取り残されたさとり、体操服、ブルマ。
乙女の純情を踏み躙られたような屈辱感。
「きぃぃぃぃ! はたてェェェェ!」
幼女の絶叫は恐ろしくも可愛らしく、後に現場を発見した地底の妖怪達は
「さとり様マジパネェ!」「小五どころのロリじゃねェ!」「さとりんかわい過ぎて生きるのが辛い……」と口々に語ったという。
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「うぇ~暑~い! こんな所にずっといたらスリムを通り越してガリガリになっちゃうよぉ~」
周囲の温度が高くなってきた。はたては灼熱地獄の手前、血の池地獄を越え、針山地獄の麓辺りに来ていた。谷には血の池から流れる血の河が出来ている。
この辺りでは妖怪の数も少ない、いるのは身体ばかりが屈強な動物たち。
そんな動物たちの中で、長い年月を生き、知性と妖力と変化の力を手に入れ妖怪化したのが、探し人のおくうであり、その親友のお燐であり……。
はたての脳裏に、ふと二人の姿が過ぎった。
二人はいつも一緒にいるイメージがあった。いつも、いつも。
確かに古くからの友人なのだろう。でもだからと言って四六時中一緒にいるわけじゃ、ない……と思う。
このままおくうに会いに行って、その時、あの猫に会わずに済むんだろうか? あの猫ときたら何かにつけてわたしの事を……。
はたてがそんな事を思っていたその時である。緑色の2トントラックが、はたて目掛けて猛スピードで突っ込んできた!
「ひぇぇ!?」
間一髪、衝突を免れたはたては、もんどりうって針山に墜落した。
「ひぎぃ~!」
無数の針を豪快にお尻で受けたはたては、霞む視界の中で猫娘の姿に変化してゆくトラックを見た。
「やっぱりアンタはアタイが止めなくちゃね。おくうに近づく者は、誰であろうと容赦しないよっ!」
『指定した時間にお荷物をお運びする程度の能力』を持った猫の妖怪、火焔猫燐、その人である。
「出たわねジャマネコ運輸……」
はたてはよろよろと立ち上がる。
「人ん家のナワバリに来て随分好き勝手に暴れてくれるじゃない、勇儀はおろか、さとり様までっ!」
「アンタに何が分かるのよ……いつも、おくうさんと一緒にいられるアンタが……イヤ、何でアンタなんかが、いつもおくうさんの隣にいられるのよっ!」
「ふんっ、そりゃあアンタ、アタイとおくうの間には長い年月を一緒に過ごした強~いキズナが……ウボァ!?」
お燐の話は、左頬にクリーンヒットしたはたての右ストレートによって阻害された。
キレイに入ったそのパンチは、血の池から流れる血の河にお燐を叩き込んだ。
「……やったわねぇ~~!!」
血の河の真っ赤な水を頭から滴らせ、鬼の形相ではたてを睨むお燐。
「まだ足りないわよっ!」
さらにお燐に殴りかかるはたて。お燐を押し倒し、二人して血の河へ。
もう弾幕どころではない、二人の女の、壮絶なキャットファイトが始まった。
「アンタがいるからっ! アンタがいるのに! どうしてっ!」
「新参がっ! 割って入って来るんじゃ! ないっ!」
お互い、グーにありったけの想いを込め、やたらめったらに殴りあう。
お燐が河の水を目潰しに使い、怯んだスキに爪を伸ばしてはたての顔を引っかいた。
「きゃあ! ……乙女の顔になんてことをっ!」
お燐の顔に唾を吐きかけ、負けじとはたてもお燐の顔を引っかく。
「いっ、痛~いっ! 何すんのよこのドロボウネコ!」
「アンタに言われたくないわよこのドロボウネコ車!」
繰り返されるパンチと爪の引っかき攻撃。格闘の経験も無い、単調な技の応酬。
血の河にまみれ、自らの血にまみれ、相手の返り血にまみれ、
そうして真っ赤に染まった二人の顔に、いつしか、赤くない、透明な液体が混じりだす。
「うぅ……えぐ、えぐ」
「ひっく、うぅぅっ!」
想いを込めて殴りあう内に、気付いてしまう。お互いの想いが、同じものから発せられてる事に……。
「もうヤダ……これで終わりよ!」
「アタイだってこんな想い……もうたくさん!」
残った妖気がコブシに集中する。渾身の力を込めた一撃を繰り出そうというのだ。
といっても、格闘戦に秀でた面は無い二人。これはもう、単に意地のぶつかり合いである。ありったけの想いを込めて、勝っても負けても、この状況にケリを着けたい。もう、それだけだった。
「はぁぁぁぁっ!」
「あぁぁぁぁっ!」
二人は前のめりに倒れこむように、身体を一歩前進させる。
この腕を伸ばしきれば、それで終わる。
それだけで、もう一歩で。
それしか二人は考えてなかった。
それゆえ二人は聞こえてなかった。
猛スピードで接近してくる飛翔体の「やめてぇ!」という絶叫を。
次の瞬間、はたてもお燐も目の前が真っ白になった。
体中が燃えるように熱く、意識が急速に遠のいてゆく。
ただ、コブシの感触は、感じなかった。
……と思う。
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太陽に飲み込まれたような感覚で意識を失ったはたては、意識を取り戻した時にも太陽を感じた。
暖かく、やわらかく、全てを包み込む女神のような、太陽のような笑顔が、目の前にあった。
「気が付いた?」
視界はまだぼやけている。思考もあやふやだ。頭の下にあるやわらかい感触が、猛烈な引力をもって身体を放さない。
「おくう……さん?」
おでこを撫でてくれる白い指が、一番会いたかった人のものである事に気付き始める。その状況は、はたてが夢にも見た事がない程、しあわせなものだった。
「やわらかい……ひざまくら……だあ」
至高の寝心地を誇るおくうのひざまくら。その感触に、耳から脳が流れ出すんじゃないかと思うほど、感覚が蕩けてゆく。
うっかり再び夢の世界へと落ち込みそうになった時、頭にコチン、と少し固い物が当たった。
「アンタねぇ……そろそろおくうから離れなさいよ……」
声はすぐ近く、はたての頭を小突いたものから聞こえた。
正座をしているおくうのもう一方のフトモモは、はたてと同じように、お燐の頭が乗っていた。
ぺちっ、と、お燐のおでこをおくうの指が軽く叩く。
「てっ」
「もう! どうしてお燐ははたてちゃんと仲良くできないの?」
「ふん……」
不貞腐れたように、それでいて甘えるように、お燐は横になりおくうの身体に顔を埋めた。
だんだんと状況を理解する力が、はたてに戻ってくる。身体の感覚も徐々に覚醒してゆく。が、しかし、ひどく重く、熱く、思うように動かない。
「おくうひどいよ、喧嘩を止めるにしても、もっとマシなやり方があったよ」
顔をおくうに埋めたまま、お燐がつぶやく。
「だってぇ、二人とも凄い勢いだったから、他に方法がなかったんだもん」
おくうは頬を膨らませて言った。
はたてとお燐の喧嘩は、おくうによって仲裁されたのだ。
しかもとんでもなく強引な方法で。ともすれば、そのまま殴り合いで気を失った方がマシだったかも知れない程に。
「それにしたって……熱核はひどいよ」
お燐がさらに小さくつぶやく。
「そ、それで、はたてちゃんは今日はどうしたの? はたてちゃんの方から来るなんて、それも地獄のこんな奥の方まで」
おくうは白々しく話題を変える。
地上と地底の妖怪の交流が盛んになってきたとは言え、地上の妖怪にとって地底は過ごしやすい環境とは言えない。ましてや地霊殿を過ぎた旧地獄の周辺は、罪人を苦しめる為に存在した場所。見て楽しい物も無く、わざわざ足を踏み入れる価値は無い。
「はっ! そうだった!」
地底に来た目的を思い出し、はたては慌てて身を起こす。
そうだった、わたしがここへ来た理由。どうしても会いたかった人。どうしても、しなければならなかった事。
伝えなくてはならない、この、胸……の、……想いを。
おくうに向かって改まって正座するはたて。
「あの……わたし……おくうさんに……渡す物が……」
おくうはキョトンとしてはたてを見ている。お燐も訝しげに身を起こす。
「あの……その……」
おくうの目をみているはたての顔が、みるみるうちに赤くなる。
耳まで真っ赤になった時、はたては思わず視線を逸らす。
いや、今度は胸に赤く輝く第三の眼を凝視している。
いや? むしろ胸そのものを凝視している?
「あの……これっ!」
意を決したように、おくうに向かってコブシを突き出すはたて。
お燐は思わず身構える。おくうは、相変わらずキョトンとしている。
「これをっ! 着けて下さいっ!」
距離に対して大きすぎる声で、はたては真っ直ぐにおくうに言った。
その突き出したコブシにあったのは……。
白で、緑で、縞々で……とても、大きい……。
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「「はぁ!? ブラジャー持ってったぁ!?」」
意識を取り戻し、鼻にティッシュを詰めながら事のあらましを話す文に、椛とにとりは思わず叫んだ。
「えぇ、いやー直ぐ追いかけようと思ったんですけどね、その時見たのがあの写真でして」
だらしなく顔を緩めて文は話す。
その写真とは、文が見た瞬間爆発的急上昇で鼻から噴出した真っ赤なリビドーにより、現在閲覧不能になった例の写真である。
「全くワケがわからないんですけど……」
「いやぁ、つまりですね……」
至極当然なにとりのつっこみに、文が回想しつつ答える。
射命丸文と姫海棠はたては同じ新聞記者仲間である。仲間……というほど仲は良くはないか、ライバルと言えば聞こえはいい。
互いに相手の記事を批判し合い、貶し合いながらも、何だかんだで面白い記事を書く為の話題で盛り上がる、そんな仲だ。
幻想郷に間欠泉が出現する異変が起きて以来、はたて達は地底の妖怪の存在を知る。
その中で、異変の元凶であった地獄鴉、霊烏路空の事について念写で取材していたはたては、いつしかその美しい地獄鴉の妖怪に興味を持った。
要は念写の中のおくうに一目惚れをしてしまったのだ。
その時からはたては、念写のみで記事を書いていた新聞作りから、実際に自分の足で取材に赴くようになった。憧れの人に実際に会いたい、という想いは、はたての生活を根底から覆したのだ。
おくうは誰に対しても明るく接する裏表の無い娘だった。出合ったばかりのはたてとも直ぐに仲良くなった。おくうの傍らに常にいる親友のお燐は、おくうと他人が仲良くする事をあまり快く思えないようで、度々はたてと衝突していた。
地上の妖怪に地底の環境は厳しく、おいそれと地底に遊びに行くわけにはいかなかったが、地底の生活に暇を持て余していたおくう達は、割と頻繁に地上に遊びに来ていたのだった。
そんな中で事件が起きたのが数刻前、文ははたての新聞を茶化しにやって来た。
その時はたてが取り組んでいた記事が『幻想郷トレンドインナー特集(仮)』だった。
スカートの内側をカメラに収める事に異常な執念を燃やす文は「私にかかれば幻想郷中のパンチラ写真なんてチョチョイのチョイよっ!」と豪語していたが、そんな文の歪んだ情熱を冷ややかな目で見ながらはたては言った。
「誰がどんな下着を着けているのかより、どんな下着を選べば良いか、みんながどんな下着を望んでいるのか、そんなこの先の流行を提案するような記事を書きたいのよ」と。
はたては色んな下着の種類や効能を調べ上げていた。そしてその時はまさに、にとりが開発した新型の写真現像機・念写プリンターを駆使して、幻想郷住人の下着の傾向を念写していた所だった。
「お、おおおおおおっ!?」
プリントアウトされる写真を見て、文は驚愕した。
パステルカラーにかわいいリボン、シックな黒に花柄の刺繍。
そこには強引なパンチラ盗撮では決して見ることが出来ない、しかし本来パンティと対になって存在すべきもう一つの下着、ブラジャーを着用した妖怪達の写真が、次々とプリントされて出てきたのだ。
「……それは参考資料だからね。持ってっちゃダメよ」
眼の色が変わっている文に異様な雰囲気を感じ、はたては釘を刺す。文の精神は、ここで半分崩壊していた。
『(スカートがめくれちゃうくらいの)風を操る程度の能力』を持つ文は幻想郷一のパンチラゲッターの名を欲しいままにしていた。しかし、如何に強い風であろうと、上着を剥ぎ取るような乱暴なマネができるはずもない。
文にとって、他の少女の胸を守護する僅かな布切れは、鉄壁のブラックボックスに閉ざされた神秘の秘宝に等しかった。
「さて、お次はいよいよ……」
はたては憧れの美しい人を思い浮かべて念を込めた。河童の技術と天狗の神通力が融合し、遠い地の画像を呼び起こす。
決してやましい気持ちがあるワケではないが、どうしようもなく胸が高鳴る。このときめきはなんだろう。スキとかキライとか最初に言い出したのは誰なのかしら。
「ああぁぁぁぁ~~~~っ!!!!」
念写画像を見たはたては、ボムが炸裂したような絶叫を上げて硬直した。
思わず飛び上がってしりもちをついた文は何事かと理解できなかった。
はたては携帯型カメラに写った画像に驚愕し、怒り、悲しみ、焦り、いてもたってもいられなくなり、その写真がプリントアウトされる前に部屋を飛び出していってしまった。
「で、その時プリントアウトされた写真を見たワケですが……」
文の顔がまた緩む。
「……一応聞いておくけど、何が写っていたんです?」
椛は文の緩んだ顔を、汚い物を見るような目で見る。
「いや、写ってなかったんですよ」
「へ?」
「ブラジャーは」
「ああ……え?」
「つまりですね……」
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「そんな大っきくて綺麗な胸をノーガードなんて絶対だめよっ! 垂れるわ! 垂れちゃうわよ! そうでなくても邪な考えを持った魔の手が世の中には数え切れない程……」
「お前は何を言ってるんんんんっだぁー!」
「ホゲェ!」
マシンガンのようにブラジャーの重要性を語るはたてに、お燐の華麗な怪鳥蹴りがヒットした。
「アタイたち変化の妖怪にブラとか垂れるとか関係ないんじゃー!」
「くぅぅ~引っ込んでなさいよこのギリギリBカップ! アンタとおくうさんじゃ格が違うのよっ!」
「~~何でアンタがアタイのサイズを知ってんのよ!」
「天狗の千里眼を甘く見んなー!」
「まさかっ! アンタおくうのサイズも!?」
「当然、私の持ってきたブラはサイズぴったりジャストフィットよっ!」
「こ、こ、この破廉恥盗撮魔ーっ!」
「何よこのゴスロリ狙い過ぎ魔ーっ!」
さっきまでほんわかぐったりモードはどこへやら、再び二人の獣の壮絶キャットファイトが開始された。
「もーっ二人とも! 喧嘩しちゃダメー!」
結局、本日2発目の超大型熱核弾が炸裂するまで、二人の喧嘩は収まらなかったそうな。
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後日、姫海棠はたてが発行している『花果子念報』の特別編
『インナー特集! この下着は流行る!』が発売された。
グラビア満載で、もはや新聞とは言えないこの雑誌(?)は、天狗たちの新聞大会では名誉の除外を受けたが、モデルに起用されたおくうの健康的で眩しい魅力が十二分に発揮され、幻想郷中で売れに売れた。
美に憧れる少女達は皆、おくうの着用していたものと同じ下着を買い求め、巨乳も貧乳もみなブラジャーに新しい魅力を見出した。
ここに、第一次幻想郷ブラジャーブームが始まるわけである。
めでたしめでたし。
<了>
だが先に言っておこう!それでもあの顔文字は流行らないッ!!
はたて→お空←文
↑
お燐
くうはたを是非流行らせておくんなせえ。
そして文が色々ダメすぎるwww