「そうね。あなたには飛行機雲が足りないわ」
誰が振ったか誰が聞いたか。図書館における今までの会話の中からその言葉につながるような要素は一切見当たらず、すなわちそのパチュリー・ノーレッジの発言は、実に突拍子な一言であった。
その一言を受けとったのは霧雨魔理沙であったが、彼女はその真夏に降って出た黒幕の如きイレギュラーな一言に、一瞬の逡巡も無く即座に返答した。
「おぉ、なんだか知らんが、蜘蛛の世界も世知辛くなったもんだな」
もちろん、その速さの代償として精緻さが失われていたが。
「非行期蜘蛛ではない」
パチュリー・ノーレッジはその要領を得ない一言を、見事に理解していた。
「しかし私は蜘蛛はいらないな。糸を出すのはアリスで間に合ってる」
「だから蜘蛛じゃないってば。雲よ。空にふわふわ浮かんでて、食べられないやつよ」
蜘蛛に固執する魔理沙に対して、パチュリーは出来るだけふわふわしていそうなジェスチャーを試行錯誤して、なんとか伝えようと試みた。
その様は実にふわふわしていたのだが、魔理沙はそれに関してはスルーした。
「……蜘蛛は食べられるのか?」
「? 当たり前じゃない。おかしなことを聞くのね」
「……そうか」
一度食べてみるのも一興かもしれないと魔理沙は思った。が、それはそれ、話題は蜘蛛ではなく、雲である。
「……驚いたぜ。雲も生きてたんだな。しかもそんなに世知辛い」
「だから非行期でもないって。飛行機よ。こういう字を書く」
パチュリーは適当な紙を机の端から取り、それにさらさらと『飛行機』と書き付けた。
「お前字ぃヘタだな」
「そんなのどうだっていいじゃない!」
魔理沙のどうでもいい着眼点にパチュリーは憤慨し、顔を真っ赤にしながら魔理沙の頭をぱしんと軽くはたいた。
それに対して魔理沙は特に何の反応を返すでもなく、ただぽかんとこちらを見ていただけだったので、パチュリーは少し気恥ずかしくなった。
「……ち、ちゃんと書くときはちゃんと書くんだから」
茶を濁すように名誉回復の一言をつぶやくと、魔理沙は少し含み笑いをしたように見えた。
「まぁ、それはそれとしてだ。飛行機って何なんだ?」
魔理沙は率直にそう聞いた。香霖堂にある本になら書いてあるのかもしれないが、特に魔導書でもない上に、彼女は主にパチュリーのところでは主に本、香霖堂では主にアイテムを目当てに来ていたので、普通に知らなかったのだ。
初めて聞く単語に、魔理沙の目は少なからず輝いていた。
「私も別に本で知ったわけではないの」
対するパチュリーはいつもどおり平坦な口調で、魔理沙の目を見つめ返していた。
「ただ、八雲紫が言っていたわ」
パチュリーの口から出る意外な人物の名に、魔理沙は思わず眉をひそめる。
「紫? なんだあいつと知り合いだったのか? 紫つながりか? それとも引きこもりつながりか?」
「咲夜つながりよ。それとその喧嘩はいくらで売ってるのかしら」
「博麗神社の賽銭くらいだ。おまけに霊夢もつけとくぜ」
「いらないわ」
「飛行機?」
八雲紫が言っていた。たまたま咲夜にちょっかいをかけに紫が紅魔館に出現したことがあり、パチュリーはそれにエンカウントしたわけだ。
紫は図書館を興味深そうに散策していたが、にわかに口を開いて、一つ、外のことを話し始めた。
「もうね。すんごい勢いで飛ぶのよ。ゴアーってな感じで」
「魔理沙じゃない、それ」
パチュリーがそっけない原因は、『ゴアー』のくだりにおいて八雲紫が、勢いを表現するために本を一冊ブン投げたことに他ならない。
ただ、パチュリーとしては不機嫌をあらわしたつもりだったが、紫のほうはというと笑い転げていた。
「うふふふ……そうね。あれは魔理沙かもしれないわね」
「魔理沙って色んなところにいるのね。身近なところに不思議がいっぱいだわ」
今の研究を終わらせたら、次の研究対象に魔理沙を選ぶのも悪くは無い。
「でもやっぱり魔理沙とはちょっと違うわね。魔理沙には人は乗れないし、雲を作ることも出来ないもの」
「そう、だったら魔理沙が人を乗せて雲を作れば、飛行機になるのね」
雲といえば空にあり、それは水となって降り注ぎ、そして妹様を足止めする。それが雲という存在。存在は意味を形作るが、意味は存在を形作ることはあるのか。
「ええ、そうかもしれないわね」
しかし紫は机にひじをついて、にやにやと顔をほころばせてパチュリーをただ眺めていた。
魔理沙と飛行機の境界はさて、何処であろうか。
霧雨魔理沙は問うた。
「つまり、お前は私に何を求めているんだ?」
パチュリー・ノーレッジは答えた。
「何度も言わせないで。座席と雲よ」
所は既に図書館ではなく、紅魔館の外周である。パチュリーが腕を組んできりりと見上げる先には、図書館の椅子を強引にくくりつけた箒にまたがる普通の魔法使いがいた。
そしてそれを何事かと、門番が呆けた顔で遠巻きに見ていた。
「座席はこれでどうにかなったことにするが、雲なんざどうしろっていうんだ」
「魔法使いでしょ。どうにかしなさい」
「どうにかしろと言われてもな」
魔理沙は満面の苦笑を浮かべた。
気象変動などそうそうできることではない上に専門外だ。出せといわれて出せるものではない。
「まぁ、どうにかしてみるにはみるけどな。はぁぁぁ……」
何かを溜めるような掛け声を魔理沙が発した。すると、並々ならぬ魔力が魔理沙を取り囲み始める。その威圧感を受けて、パチュリーは「おぉ」と声を漏らした。
「とりゃぁあー!」
魔力の収束と共に当たりは光に包まれ、そしてその光が収まったとき、魔理沙の後ろに確かにもやのようなものが存在した。
その結果に、魔理沙は満足げに胸を張った。
「ふふふ、どうだ」
「マスタースパークの硝煙じゃないのよ。美鈴吹っ飛んだわよ」
パチュリーは気の抜けた顔でツッコミを入れると、苦笑しながら、やな感じーに星になった美鈴を仰ぎ見ていた。
シューティングスター美鈴よ永遠に。
魔理沙も額に手をかざしながらそれを見ていたが、やれやれとポーズをとってぼやき始める。
「やはり天候ってのは与えられるものだぜ。晴耕雨読。雨の日には本を読んで、晴れの日には妖怪退治をしてそのついでに地面を掘り起こすのが正しい日々の送り方だ」
「良い迷惑だわ」
パチュリー・ノーレッジもやれやれと肩をすくめた。
「そもそもなんで私が飛行機とやらにならなければならないのだ」
「私が見たいからよ」
魔理沙の疑問にパチュリーは端的に答えた。己の探究心こそが全ての原動力であり、同時にそれは他人の都合を鑑みることは基本的にない。
誰も、彼も。
「まぁそれに関してはいいとしよう。そして座席をつけるのも人を運ぶためと理解する。……だが、雲は何のために出すんだ? 妨害か?」
考える段階では気にはならないものの、いざ躓いてみるとその存在意義を疑う。それは当然。
「……なんでかしらね」
そしてパチュリーも今まで気にしているはずがなく、それを考えているはずもない。
雲を作ることこそが飛行機の本質であるように捉えていた。だが、それだと何のために飛行機は飛ぶ。
「魔理沙は何で飛ぶのん?」
「お? 私か? それはもうどーんとなってばーんとやってだな」
「原理でなく。理由」
「理由か? 便利だからに決まってるぜ。お前だってそうだろ?」
魔理沙の答えは実に普遍的なもの。飛ぶものに問えば誰もがそう答えるだろう。それが当たり前であるのだから。
飛行機と呼ばれるからには飛行することこそがそのアイデンティティであるはずだ。ならば雲を生むのは副産物。いや、あるいは。
「老廃物……?」
「老廃物? 雲が、飛行機のか?」
「飛行することを第一義と考えた場合、その可能性がもっとも高い。気がする」
「すると屁か。空にもくもくと蔓延してるのは飛行機とやらの屁か。夢のない話だ」
魔理沙は地面に降り立ち、おびえるように空を仰ぎ見た。それはちょうど太陽が雲に隠される瞬間。
「ああっ、お天道様が屁に敗北したぜ」
「まぁ大変、太陽は敵だけれど、さすがに屁に負けるのは情けなさ過ぎるわ」
二人はその様をみてうろたえた。そして、魔理沙は決意のこもる目でパチュリーを見つめる。
「おい、行くぜパチュリー。あの屁を焼き尽くしてやる」
「ついでに飛行機がいれば退治しなきゃね」
魔理沙はパチュリーを座席に乗せ、天空へと舞い上がった。
そしてその日、紅魔館上空では謎の光線や爆発が確認され、翌日の文々。新聞では宇宙人が攻めてきた云々とまことしやかにささやかれた。
二人の雲退治は程なくして終わった。
まったく雲が減らないことに気疲れしたのが一つ。
そして二つに、『雲は別に臭くない』という事実に気づいたからである。
ひこうきぐも――完
誰が振ったか誰が聞いたか。図書館における今までの会話の中からその言葉につながるような要素は一切見当たらず、すなわちそのパチュリー・ノーレッジの発言は、実に突拍子な一言であった。
その一言を受けとったのは霧雨魔理沙であったが、彼女はその真夏に降って出た黒幕の如きイレギュラーな一言に、一瞬の逡巡も無く即座に返答した。
「おぉ、なんだか知らんが、蜘蛛の世界も世知辛くなったもんだな」
もちろん、その速さの代償として精緻さが失われていたが。
「非行期蜘蛛ではない」
パチュリー・ノーレッジはその要領を得ない一言を、見事に理解していた。
「しかし私は蜘蛛はいらないな。糸を出すのはアリスで間に合ってる」
「だから蜘蛛じゃないってば。雲よ。空にふわふわ浮かんでて、食べられないやつよ」
蜘蛛に固執する魔理沙に対して、パチュリーは出来るだけふわふわしていそうなジェスチャーを試行錯誤して、なんとか伝えようと試みた。
その様は実にふわふわしていたのだが、魔理沙はそれに関してはスルーした。
「……蜘蛛は食べられるのか?」
「? 当たり前じゃない。おかしなことを聞くのね」
「……そうか」
一度食べてみるのも一興かもしれないと魔理沙は思った。が、それはそれ、話題は蜘蛛ではなく、雲である。
「……驚いたぜ。雲も生きてたんだな。しかもそんなに世知辛い」
「だから非行期でもないって。飛行機よ。こういう字を書く」
パチュリーは適当な紙を机の端から取り、それにさらさらと『飛行機』と書き付けた。
「お前字ぃヘタだな」
「そんなのどうだっていいじゃない!」
魔理沙のどうでもいい着眼点にパチュリーは憤慨し、顔を真っ赤にしながら魔理沙の頭をぱしんと軽くはたいた。
それに対して魔理沙は特に何の反応を返すでもなく、ただぽかんとこちらを見ていただけだったので、パチュリーは少し気恥ずかしくなった。
「……ち、ちゃんと書くときはちゃんと書くんだから」
茶を濁すように名誉回復の一言をつぶやくと、魔理沙は少し含み笑いをしたように見えた。
「まぁ、それはそれとしてだ。飛行機って何なんだ?」
魔理沙は率直にそう聞いた。香霖堂にある本になら書いてあるのかもしれないが、特に魔導書でもない上に、彼女は主にパチュリーのところでは主に本、香霖堂では主にアイテムを目当てに来ていたので、普通に知らなかったのだ。
初めて聞く単語に、魔理沙の目は少なからず輝いていた。
「私も別に本で知ったわけではないの」
対するパチュリーはいつもどおり平坦な口調で、魔理沙の目を見つめ返していた。
「ただ、八雲紫が言っていたわ」
パチュリーの口から出る意外な人物の名に、魔理沙は思わず眉をひそめる。
「紫? なんだあいつと知り合いだったのか? 紫つながりか? それとも引きこもりつながりか?」
「咲夜つながりよ。それとその喧嘩はいくらで売ってるのかしら」
「博麗神社の賽銭くらいだ。おまけに霊夢もつけとくぜ」
「いらないわ」
「飛行機?」
八雲紫が言っていた。たまたま咲夜にちょっかいをかけに紫が紅魔館に出現したことがあり、パチュリーはそれにエンカウントしたわけだ。
紫は図書館を興味深そうに散策していたが、にわかに口を開いて、一つ、外のことを話し始めた。
「もうね。すんごい勢いで飛ぶのよ。ゴアーってな感じで」
「魔理沙じゃない、それ」
パチュリーがそっけない原因は、『ゴアー』のくだりにおいて八雲紫が、勢いを表現するために本を一冊ブン投げたことに他ならない。
ただ、パチュリーとしては不機嫌をあらわしたつもりだったが、紫のほうはというと笑い転げていた。
「うふふふ……そうね。あれは魔理沙かもしれないわね」
「魔理沙って色んなところにいるのね。身近なところに不思議がいっぱいだわ」
今の研究を終わらせたら、次の研究対象に魔理沙を選ぶのも悪くは無い。
「でもやっぱり魔理沙とはちょっと違うわね。魔理沙には人は乗れないし、雲を作ることも出来ないもの」
「そう、だったら魔理沙が人を乗せて雲を作れば、飛行機になるのね」
雲といえば空にあり、それは水となって降り注ぎ、そして妹様を足止めする。それが雲という存在。存在は意味を形作るが、意味は存在を形作ることはあるのか。
「ええ、そうかもしれないわね」
しかし紫は机にひじをついて、にやにやと顔をほころばせてパチュリーをただ眺めていた。
魔理沙と飛行機の境界はさて、何処であろうか。
霧雨魔理沙は問うた。
「つまり、お前は私に何を求めているんだ?」
パチュリー・ノーレッジは答えた。
「何度も言わせないで。座席と雲よ」
所は既に図書館ではなく、紅魔館の外周である。パチュリーが腕を組んできりりと見上げる先には、図書館の椅子を強引にくくりつけた箒にまたがる普通の魔法使いがいた。
そしてそれを何事かと、門番が呆けた顔で遠巻きに見ていた。
「座席はこれでどうにかなったことにするが、雲なんざどうしろっていうんだ」
「魔法使いでしょ。どうにかしなさい」
「どうにかしろと言われてもな」
魔理沙は満面の苦笑を浮かべた。
気象変動などそうそうできることではない上に専門外だ。出せといわれて出せるものではない。
「まぁ、どうにかしてみるにはみるけどな。はぁぁぁ……」
何かを溜めるような掛け声を魔理沙が発した。すると、並々ならぬ魔力が魔理沙を取り囲み始める。その威圧感を受けて、パチュリーは「おぉ」と声を漏らした。
「とりゃぁあー!」
魔力の収束と共に当たりは光に包まれ、そしてその光が収まったとき、魔理沙の後ろに確かにもやのようなものが存在した。
その結果に、魔理沙は満足げに胸を張った。
「ふふふ、どうだ」
「マスタースパークの硝煙じゃないのよ。美鈴吹っ飛んだわよ」
パチュリーは気の抜けた顔でツッコミを入れると、苦笑しながら、やな感じーに星になった美鈴を仰ぎ見ていた。
シューティングスター美鈴よ永遠に。
魔理沙も額に手をかざしながらそれを見ていたが、やれやれとポーズをとってぼやき始める。
「やはり天候ってのは与えられるものだぜ。晴耕雨読。雨の日には本を読んで、晴れの日には妖怪退治をしてそのついでに地面を掘り起こすのが正しい日々の送り方だ」
「良い迷惑だわ」
パチュリー・ノーレッジもやれやれと肩をすくめた。
「そもそもなんで私が飛行機とやらにならなければならないのだ」
「私が見たいからよ」
魔理沙の疑問にパチュリーは端的に答えた。己の探究心こそが全ての原動力であり、同時にそれは他人の都合を鑑みることは基本的にない。
誰も、彼も。
「まぁそれに関してはいいとしよう。そして座席をつけるのも人を運ぶためと理解する。……だが、雲は何のために出すんだ? 妨害か?」
考える段階では気にはならないものの、いざ躓いてみるとその存在意義を疑う。それは当然。
「……なんでかしらね」
そしてパチュリーも今まで気にしているはずがなく、それを考えているはずもない。
雲を作ることこそが飛行機の本質であるように捉えていた。だが、それだと何のために飛行機は飛ぶ。
「魔理沙は何で飛ぶのん?」
「お? 私か? それはもうどーんとなってばーんとやってだな」
「原理でなく。理由」
「理由か? 便利だからに決まってるぜ。お前だってそうだろ?」
魔理沙の答えは実に普遍的なもの。飛ぶものに問えば誰もがそう答えるだろう。それが当たり前であるのだから。
飛行機と呼ばれるからには飛行することこそがそのアイデンティティであるはずだ。ならば雲を生むのは副産物。いや、あるいは。
「老廃物……?」
「老廃物? 雲が、飛行機のか?」
「飛行することを第一義と考えた場合、その可能性がもっとも高い。気がする」
「すると屁か。空にもくもくと蔓延してるのは飛行機とやらの屁か。夢のない話だ」
魔理沙は地面に降り立ち、おびえるように空を仰ぎ見た。それはちょうど太陽が雲に隠される瞬間。
「ああっ、お天道様が屁に敗北したぜ」
「まぁ大変、太陽は敵だけれど、さすがに屁に負けるのは情けなさ過ぎるわ」
二人はその様をみてうろたえた。そして、魔理沙は決意のこもる目でパチュリーを見つめる。
「おい、行くぜパチュリー。あの屁を焼き尽くしてやる」
「ついでに飛行機がいれば退治しなきゃね」
魔理沙はパチュリーを座席に乗せ、天空へと舞い上がった。
そしてその日、紅魔館上空では謎の光線や爆発が確認され、翌日の文々。新聞では宇宙人が攻めてきた云々とまことしやかにささやかれた。
二人の雲退治は程なくして終わった。
まったく雲が減らないことに気疲れしたのが一つ。
そして二つに、『雲は別に臭くない』という事実に気づいたからである。
ひこうきぐも――完
雲を退治に行くというところから話が盛り上がるかと思いきや
そうでもなかったというあっけなさがなんとも東方らしい展開だなぁと。
パチェの「~その喧嘩はいくらで~」のくだりが上手いなぁと思いました。
これはそのままがむしろ良し
紫とパチュリーはどうも接点がないのですよね
…そして美鈴はお星さまになったのね。ロマンチックだわ。
あと、魔理沙がどっかの漫画家みたいな事しないか心配です。