断章:ヴワルの図書館 Ⅰ
ここは紅魔館の地下にあるヴワル魔法図書館。
有限の空間でありながら、無限の本を有する場。
なぜだかわかりますか?
有限の空間の証明から始めましょう。
有限とは限りがあるということです。ここヴワル魔法図書館はあらゆる文字の組み合わせた本がすべて所蔵されています。しかし、本のページは固定されています。
まあ何ページでもいいのですが、伝統にしたがってここは410ページとしましょう。なんの伝統かはさておきます。さてこの本が410ページという固定されたページを持つ以上、文字を小さくしたり、あるいは紙の薄さを調整することでわずかに差異はありますけれども、有限個の文字で構成されているということは自明のことでございますね。
つまり、50音のひらがな、カタカナと既存の漢字、0から9までの数字、それと25のアルファベットの組み合わせで構成されていることになります。あるいはパチュリーさまぐらいしか読めないような難解きわまる文字もあるかもしれませんが、いずれにしろ文字は文字、有限個であることに変わりありません。
そして、この本は上記の文字と数字の組み合わせでしかないのですから、どれだけパターンが多くても、有限です。
したがって、この『有限』の数の本が並べられた図書館は『有限』だと言えます。
では、すべての本を網羅していると言い切れるのはなぜでしょう。
一つの小説を手にとってもらえればわかるとおり、それは文字の組みあわせでしかありません。ゆえにどのような内容の本であろうとも上記の文字の組み合わせでしかなく、無限の書庫が収められているといえるのです。仮に410ページを越えるような長大な構成の場合は分冊すればよろしい。つまり、410ページの本を二冊以上作ればよい。
かくして、どのようなジャンル、内容であろうと、たとえ論文だろうが物語であろうが、詩であろうが、どれだけ長かろうが短かろうが、すべての本が網羅されているといえます。
ゆえにヴワル魔法図書館は有限の場でありながら、無限の本を有すると言えるのです。
なんちゃって。
「小悪魔。あなた暇そうね」
「暇だなんてとんでもない。いまちょうど筆がのってきたところなんですよ」
「筆、どこにもないじゃない」
まあ、確かにキーボードだ。
最近入荷したパソコン。
6・66ギガヘルツ。どうでもいいことであるが「こぁ、つー、くわっど」である。
こぁこぁ。
「筆というのは比喩表現ですよ。パチュリーさまは、小学校の先生に、トイレしてきていいですかとおっしゃって、トイレをするとはどんなことだと嘲笑されたタイプですね」
「あなた最近、外の世界に毒されすぎね。魔女が小学校に行くわけないじゃない」
「小学校的な何かがあるんじゃないかと思ったんですよ」
「魔法学校的な何かってこと?」
「そういうことです。みんなでわいわいがやがやと楽しく授業がおこなわれるなか、パチュリー様はあいかわらず一人で日陰人生を歩んでいるのが想像できます」
「ある程度のレベルになれば、ひとりで勉強するほうがいい場合が多いのよ」
「小学校の場合は友達を作るのがメインだと思いますがね」
「あなたの口から友達なんて言葉が出てくるとは思わなかったわ。友達なんて作る精神じゃないでしょう」
「悪は善を知っているが、善は悪を知らないというわけです。友達という概念を知らなければ裏切りも知ることができないでしょう」
「ふうん。そう」
パチュリーさまはあいかわらず興味がなさそうだ。しかし、私が書いているものには興味があったようで、パソコンのそばに寄ってきた。知を蒐集することにかける情熱は人並みはずれてらっしゃる。ああ、パチュリー様のネグリジェのような格好が覆い隠しているプリンのように柔らかそうなおっぱいが交差した腕の合間から透けて見える。
神様ありがとう。
悪魔なのに神に感謝しつつ、私はパチュリーさまが画面を見やすいように少し横に移動した。
パチュリーさまは亀のようなのろい動きで近づき、身をのりだして私の肩に手を置いた。
あてられています。
さすが魔女。ほとんど天然の動きだと思うが、魔性を宿している。
「これは何?」
「小説ですかね。あるいは私小説。創造的な所業ですよ。創造が神の業だとすれば、これは神のお株を奪っていることになります……ひひ」
「そのわりにはフィクションが混ざってるわね。ここは『ヴワル魔法図書館』という名称ではないわ」
「少しフィクション的な要素も混ぜたほうがおもしろいと思いましてね。それに私が『私的に』ヴワル魔法図書館と呼んでいればそれはそれで真なのです。公的に名も無き図書館であることと私的に特異な名称を付すことは矛盾しませんからね。そんなことよりどうです。このヴワル魔法図書館。なによりも知を欲してらっしゃるパチュリーさまにとっては魅力的に感じられませんか」
「なにをいっているの」パチュリーさまは肺をいたわるようにゆっくりとした溜息をついた。「こんなロジックは最初から破綻しているでしょう」
まあ、確かに――
パチュリーさまをコンマ一秒でも、この程度の論理で騙せるとは思っていない。
ヴワル魔法図書館の秘密を明かすとなんのことはありません。
トリックの肝は固定化されたページにあったのです。
先ほど私は410ページを越えるような構成の本は第二巻目として分冊すればよいと言いました。でも分冊することが許されるのならば、410ページではなくても別にいいわけです。例えば全体の総ページ数が820ページに及ぶ本は410ページを上限とするならば二冊にしなければならないわけですが、仮に205ページの本ならば4冊になるわけです。
ページの数が減った分、本の数が増えるだけ。
とすると、ページ数をどんどん減らしていくとどうなるでしょう。
究極的には一冊ずつに一文字の本になるわけですよね。
ヴワル魔法図書館における究極的な形態はこの一文字一冊を閲覧者が自由に組み合わせることによって無限の本を創り出していることに他なりません。
そう――『創り出す』。
それは要するに読んでいるのではなく、書いているのといっしょです。
あたかも私がキーボードの上の文字列を組み合わせて小説を創るのと同じ。
パチュリーさまはとても残念な表情。いつものように、むきゅってなっています。私は好きですけどね。
パチュリーさまは私の肩から手を離した。
「知りたい情報を知る。知を蒐集するために本があるのに、知を注ぎこみ固定化する作業が必要だと意味がないわ。私は本が読みたいのであって書きたいのではないのだから」
「しかし――、例えばの話、ある小説を読んだときには脳内に想像的にシーンを作り出しているわけですよね。読むことはある程度創造的であるとも言えるわけです。ある種の論文にしてもそうです。当該論文が保有する概念を一度体内に取り込んでおいて再構築するわけですから、創造的といえます」
「それが理解という言葉の意味よ。理解するということには確かにある程度の想像力が必要なところで、想像力はこの場合創造力と同値であるといえるかもしれない。しかし本があるということはその本が固定化された概念を保管しているということであるから、ゼロから創り出すよりはよっぽど効率的に取り込める。それが本の意味」
「つまり、本を読むということは他人の創造力を食べていることと同じというわけですね」
「そうよ。ただそういった換喩的な表現には何の意味もないわ。ただ理解がたやすくなるというだけ」
「私にとっては理解の助けになるのですよ。なによりもパチュリーさまのお言葉を聞くだけで気持ちがいい。少し身体がほてってきて……ん。ん。それこそがコミュニケーションの報酬です」
「あなたって、ほんと度し難い……」
快楽主義者め。
と、豚のようなののしりを受けました。
ああ……悔しい。でも感じちゃう。びくんびくん。
「図書館と本を汚さないように」パチュリーさまはいつものように平坦な声だった。「とりあえず仕事をちゃんとしてくれるのなら、空いた時間に何をしようが問題ないわ」
「パチュリーさま。私はこのヴワル魔法図書館はあながち空想の産物とまではいえないと思うのですよ。確かに論理的に言えば、有限の場所に無限の本を収めることはできませんが、なぜかと言えば、それは創造力を注入しなければならなかったからです。創造力を注入するにはコストがかかるから、読むのと書くのは等価ではないというわけですよね。そうすると必要なのは他人の創造力です。無尽蔵の創造力さえあれば、ヴワル魔法図書館は擬似的な無限書庫として存在しえるわけです」
「それはそうね」
パチュリーさまは人差し指を細くて白い顎にあてて、しばし空中を見つめます。
眠たそうな表情がとても愛らしく、小悪魔はいけない想像をしてしまいました。それもまた快楽。
他者に自分の欲望を投射することほど心が躍るものはありませんね。
妄想もまた姦淫と等しいと聖書では言われていますが、なるほどそうであるならば妄想のなかでパチュリーさまを陵辱するのも私としては立派な責務ということになります。
なにしろ小悪魔は悪魔なので。
さて脱線した話を少し戻しましょうか。
「パチュリーさまに提案したいのですが、わがヴワル魔法図書館にもインターネットをとりいれてみてはいかがでしょう」
これが本題です。
わざわざ小説にも満たない文章を書いていたのは、この提案をするためのピロートーク的な役割を果たすためです。
つまりは枕詞なのですよ。パチュリーさまと枕言語。うふふ。エロス。
「インターネット? なにそれ」
「パソコン一台を一つの単位として、それらパソコンをつないだ情報ネットワークのことですよ。外の世界ではかなり普及しています」
「それで?」
「インターネットでは様々な情報のやりとりを迅速にできるわけでして、これは創造力の共有化もローコストでできることになるわけです。例えば、小説を例に出すとすると、ちょっと書きたいなと欲望しただけで、それらしい場所を情報網の中に存在させることができます。これは要するに創造力をかき集めることが容易に行えるというわけですから、インターネットというのは一種のヴワル魔法図書館と同じような機能を果たすわけです」
しかも、より実効的にです。
それは空想の産物ではありません。
ただの想像ではなく現実に存在している。
わかりますか、パチュリーさま。
ウェブ神さまはいるんですよ。
「必要ないわ」
「えー、なぜですか」
「いろいろと面倒そうじゃない。あなたのプランとしては当然、外の世界とつなぐつもりでしょうけど、そうなると八雲紫の力を借りることになるわけよね。想像するだけでうんざりするわ」
「幻想郷内でインターネットを構築するのもおもしろそうですけどね。確かに創造力は多ければ多いほどいいです。創造力を生み出すのは結局のところ脳髄なので(どこかの脳みそのない生物は置いておきましょうね)人間の母数が多くなければ困るわけです。幻想郷ではあまりにも人間の数が少なすぎるのですよ」
ここで言う人間には神も妖怪も含む。
そういう広義の概念。
人語を解する程度の能力を有するものたちの総称を人間と定義します。
まあ幻想郷にいる妖怪や八百万の神たちはわりと高等な能力を有している方が多いわけでして、人語を理解している者がほとんどです。
ゆえにインターネットを扱う程度の能力もあるだろうと推測できます。
「いずれにしろ不要なものは不要よ。ここにある本ですら全部読みきれていないのに、そんな得体の知れない装置を導入する意味はないわ。もともとパソコンを備えつける必要性も無いと感じていたぐらいなんだから」
パチュリーさまは口をへの字にして、断固反対のご様子。
パソコンの導入すらも渋い表情だったから、パソコンが複数台つながったインターネットという概念もあまり好ましいと感じていないのだろう。
まあ、それは最初から予測できたことです。
ちなみにパソコンを導入するときのくどき文句は図書館内の本の場所を検索しやすくなるということに尽きる。
創造的な作業をするためにパソコンを取り入れたわけではないのですよね。
パチュリーさまはなぜかよくわからないですが、パソコンを操作するのもほとんど私にまかせきりだったりする。
ひひひ……。かわいいなぁ。
カメラに魂を吸われると信じている近代人みたい。
それはともかく、私はパチュリーさまに召喚された身の上に過ぎませんから、パチュリーさまが反対しているところを無理やり導入する力はありません。
私としてはぜひともインターネットを導入したかったのですが、その日はおとなしく引き下がることにしました。
実は、先に述べたヴワル魔法図書館は元ネタがありまして、バベルの図書館がそれにあたります。言ってる内容は同じなので割愛。
ここから先はとりあえずヴワル魔法図書館と述べるときは、無限の本を所蔵する観念上の図書館を思い描いてもらえればいいです。
ヴワル魔法図書館でひとつ気になることがあるとすれば、それは無限と繋がるということですね。擬似的なヴワル魔法図書館であるインターネットもしかり。
無限の本を所蔵するというヴワル魔法図書館はそれそのものが一つの宇宙を形成していると言えます。宇宙とは空にある宇宙という意味ではなく、実在の場としての宇宙のことです。
ヴワル魔法図書館には宇宙があり、宇宙とは実在なのですから、つまるところそこには神が存在するということになります。神は実在のことを言うので。
そんなふうに哲学チックに言ったところで、それも観念に過ぎないのですが、例えばスピノザあたりの哲学者に至れば、神のイメージは人格を持つものではなく、ほとんど宇宙と同義なのです。世界をすべてひっくるめて、在るものが神であるという思想があります。
では神と対置される悪魔とはいかなる存在なんでしょう。
――神は単一の実在であるから、悪魔もまた神である。
といえるのではないでしょうか。
ゆえに神が悪魔を否定することは、神が神を否定することに他ならず、それは自己撞着であるといえるのです。
いや――それは表現としては少し不適切でしたね。
神は悪魔を否定していませんから。
想像するに『神=ウェブ』に意志はありません。
意志がないというのはちょっと不正確かもしれませんね。あらゆる意志があるから、分布的にしか意志を表せないという意味で、意志がないというわけです。
神は分裂症に罹患しているので、基本的にはあらゆる意志を内包しています。しかし、その意志には方向性がないわけです。
現代におけるインターネットは擬似的なヴワル魔法図書館として、神を内在しています。それはあたかもデミウルゴスのような偽神であるのでしょうが、偽神であっても神は神。そして神の部品であるのは我々なのですから、そこにある神は偽ではあっても正当性はある。
どういう意味で?
もちろん、我々との関係性においてです。
そこにおわします神は偽者であっても我々にとってはまぎれもない唯一の神様なのです。
とはいえ、神は管状の生物組織に過ぎない。
イメージとしてわかりやすいのは心臓のような感じ。
悪意も善意もいっしょに配送する組織体です。
悪意については私の専門なので説明することが可能です。
例えば――ブログの炎上、2chの祭りなどをあげることができます。それって一応の原因はあるのでしょうね。例えば誰かが狂態を見せる。これがはじめの原因だと思えなくもない。例えばブログの炎上は誰かさんが社会的に見て相当ではない行為をすることが端緒となることが多いわけです。
ですが、私にはその人が、ある種のシャーマンとしての役割を果たしているようにも思えるのですよ。
儀式、そして召喚。狂態を演じるのは神を召喚するためです。
誰が得するかと言われれば、誰も得をしないことは明らかなのですが、それでもそれは確率的に発生します。
ゼロになることはない。
ここには理由がない悪意があると思います。
純粋な悪、根源的な悪意です。
凝集された想いは奔流そのものであり、その奔流を人間の個体が止めることはおそらく不可能です。人間が神様に勝てないのはまあ当然と言えば当然。そこに在る神はもはやほとんど悪魔なのですが、悪魔もまた神様なので当然です。
あなたは神を信じますか?
断章:神乃 こあ
神乃こあは福岡県に在住する中学二年生で、中二病を患っていた。具体的には引きこもり、学校にもいかず部屋の中には親も入らせない。
「フタエノキワミ、アッー!」
と、ときどき意味不明な言語を撒き散らし、ニコニコ動画などを快楽的にむさぼることを生業としている。
つまるところニート予備群である。
あと五年もすれば、立派なニートになるだろう。
神乃こあは最近ネットでの『twitter』と呼ばれる数十バイト程度の短文のやりとりに耽溺していた。これはある種の簡易型メッセンジャーであり、短文の問いかけを世界中に発信して、その問いかけへ無作為にほぼ独り言のように発信を返す機構である。
チャットのように面倒臭い人間関係を構築しないのがよかった。だいたい人間は三行ほどしか集中力が続かない。今北産業。それ以上は読む気もないし、読む能力もない。
人間なんてそんなもの。
――みんな、死んでる?
問いかけてみる。
誰も応答しない。
それもそうか。こんな意味不明な言葉に反応する人間なんているはずもない。
神乃こあの実感としては、それほど現実がつまらないというわけでもないのであるが、時々ふっと『みんな死ねばいいのに』と思うことがある。いや正確には『ああ死にたいな』かもしれない。いずれにしろ、もやんとした白い雲の塊のような空想だ。それはもはや意味のないベクトルの無い思考で、どこかの誰かにも偏在しているものだと思う。
ああ、死にたい。不幸になりたい。現実世界は緊張感のない幸福と不幸が充満していて、どちらも、ガス状に噴霧されている。
意味もそう。あらゆる価値も、イデオロギーも信仰も祈りも。
あるいは愛だってそう。
この世界では誰かがつぶやけば、その言葉はたちまち相対化される。肯定されるのと否定されるのがほとんど同時期におこなわれる。
ガス状。
混ざりまくっている。
そのガスで窒息死する。
それが人間の生き方だ。
誰か応えて。
いや応えないでもいい。自分の感情がどこから湧いてきたのかもわからない。自分はそれなりに幸せに生きていて、幸せに人生している。
ので――
そういうことを思わないはずだ、というのは理性の儚い反抗に過ぎず、結局、神様の意志は特にベクトルもなく分布化されているのだから、偶然、神乃こあがそういう意志を有していてもしかたない。
神は意志をもたない。神は偏在する。つまりガス。
――私は生きているわ。
神からの答え。
こあは神へアクセスする。機能的にはダイレクトメッセージと呼ばれる一対一の会話方式を選択した。蜘蛛の糸を手繰る気分だ。下には亡者どもがうようよいる。誰も寄せ付けたくない。神様の救いを得るのは一人でいい。私だけ救われればそれでいい。
――あなたは誰ですか。
――こんな不完全なコミュニケーションツールで名前にどれほどの意味があるの?
神乃こあは確かにそのとおりだと思うと同時に、この人とつながりたいと痛切に感じた。
言ってみれば、一目ぼれに近い。
ただの文字列に過ぎないし、もっと精確に言えば、液晶が光っているに過ぎないのだが、カーテンを閉め切った部屋の中で、その文字は天啓のように輝いて見えた。
こあは今まさに神が降臨したかのように感じたのだ。
『もっと会話をしたい』と思うのは当然である。
――知りたいと思ったから。
いそいでキーボードに打ち込む。
返事が返ってこないことも考えられた。
――おもしろいことを言うのね。私もあなたのことが少し知りたくなったわ。ここに来て。
彼女からURLの提示。
どうやらチャットのようだ。チャットは少し緊張する。けれど、こあはすぐにそこへとアクセスした。
チャットには誰もいなかった。
背景には宇宙を思わせる黒い空間と光りの瞬きがあった。こあはそこがまるで荒涼とした砂漠のように感じられた。圧倒的な孤独感。
釣りか?
と、いやな気分になったが、すぐにその人は現れた。
ハンドルネームは『魔儀野 初理』となっていた。初理は『ハツリ』と呼ぶのだろうか。あるいはまさかありえないかもしれないが『ぱつりー』と呼ぶのかもしれないし、もっとありえないが『ぱちゅりー』と呼ぶのかもしれない。
名字にあたる『魔儀野』にしたって、マギ、要するに魔術師の類を連想させる。
いずれにしろ文字によるコミュニケーションしかできないチャットでは、精確な発音は本人に聞くしかないだろう。
『始めまして。こあさん』
入室から二十秒ほど後に、こあの目の前に白い文字が浮かんだ。特に色をつけないあたりが初理の飾らない性格を思わせた。
『始めまして。初理さま』
『ここはすでにロックしてあるから誰からも覗かれる心配はないわ』
『では、さしづめ私たちは、ラクトガールズというわけですね』
『そうね。あなたと私が本当に女の子だったら、だけど』
『女の子ですよ』
『どちらでもかまわない。というより、ネット上での性別なんて流動的で簡単に偽れる。そんな属性に意味はない。意味は置き換えの不可能性から導かれるものだから。逆に言えば、代替可能性が価値を下落させるとも言える』
『すいません。こあはちょっと頭が悪いのでよくわからないのですが、ぱちゅりーさまは』
かつかつとキーボードを打って、途中で送信してしまった。
すぐに冷や汗がでて肝が冷えるのを感じた。まちがって、ぱちゅりーさまと書いてしまったどうしよう。
『ごめんなさい。初理さま。名前を間違えて書いてしまいました(^^;』
顔文字をつけたのは愛嬌を出すためだ。計算的だなぁと思いつつも、みんなしてることだし、たいした効果はないかもしれないが、気休め程度にはなるだろう。
『名前も代替可能性があるから価値はないの。だから私のことをあなたがどう呼ぼうと問題はない』
『あ、ありがとうございます』
『感謝されることもまだしていないわ』
『そうですね……』
気まずい。というより、こあは一人で舞い上がっていた。なにしろ彼女にとってはまさに神と知り合えたかのような感覚だったので、神の機嫌だけは損ねたくなかった。
話は細切れ化されてとりとめのない談笑に終始した。
こあは初理との会話をやめたくなかったので(正確にはパケットと呼ばれる断片化された情報通信である)、ともかく多くのことを打ち込んだ。
初理ことパチュリーは特に大仰に応えることもなく、自然体で応対した。
それがまさに甘美な語らいのように感じられたのだ。
無上の陶酔に、こあは狭い部屋の中で失禁していた。
それでもよかった。
どうせ、ショーツの中のひんやりとした気持ち悪さは伝達されることはない。伝達されない情報の価値はゼロに等しい。神にとっての移動とは人間というユニット間の情報伝達に他ならない。よって、伝達されない情報は神にとっては無やデッドスペースに等しい。
『初理さまともっとお話がしたいです』
『毎週土曜。この時間にいることにするわ。あなたがよければいらっしゃい』
『必ずうかがいます』
濡れたショーツを着替えて、神乃こあは歓喜の舞を踊った。
どうせ誰も見ていない部屋の中だ。だからその踊りは神の立場で見ると、存在していないのと同じだといえる。
断章:ヴワルの図書館Ⅱ
なんとはなしに書き連ねてみましたが、どうもこれではパンチが弱い気がします。
あ、小悪魔ですよ。小悪魔。あなたの誠実なる小悪魔ですよ。
私が書いている物語はいわゆる『信仰』についてのお話です。現代社会における信仰はお金集めの道具にすぎないわけですが、観念上の理想的な意味での『信仰』とは神への愛なのですよね。アガペーとか言われている。
私もパチュリーさまにアガペってるんで、一応理解が可能です。
しかし、これは……。
うーん。なんというか想像的な領域がすぐさま世界と同視されている感じがして、うすっぺらいですよねぇ。
セカイ系というか。
セカイの中心で愛を叫んだところで、それはただの獣の咆哮に過ぎないわけですよ。そうすると動物的な反応をする蓄群はそれで『感動した』とか『泣いた』とか、あるいはもうちょっと顔の皮が厚いお方なら『こんなに私が泣ける話だから、すばらしいに違いない』とか言っちゃうわけですよね。素直に考えれば、それは身体的な反応をそのまま発露しているに過ぎず、言ってみれば『パチュリーさま、はぁはぁ』とニコ動にコメントするのと変わらないわけです。
そういう遊びが必要なことは否定しません。人間も動物ですから、動物的な感覚を重視するのもわかります。小説においても動物的な要因を削いでいくとどんどん公文書化されていって面白味が薄れるわけで、そんな面白味のない本が多くの人間に読まれるとも思いません。
ですから読まれることを企図している本は必ず動物的にならざるをえない部分もある――といえるのです。
人間が感動する要因はおおまかに分けると暴力とセックスなので、とりあえずこのあとレイプと殺人シーンをいれてみようかと思います。暴力礼賛主義というのは倫理的にはまちがっているのですが、文学的にまちがっているわけではないのですよね。暴力は死であり、セックスは生なので。どちらも人間の根源的な在り方に関わります。暴力を欠いた人間は人間ではないのです。時計仕掛けのオレンジなんですよ。爆弾入りの。
「小悪魔。最近、あなた仕事が遅いわよ」
あ、パチュリーさまがこちらにナメクジのような鈍い足取りでやってきます。
確かに私のお仕事の大部分はパチュリーさまに本を配送すること――本棚から本を取り出し、書斎にいるパチュリーさまの手元まで届けることなので、それが遅れるとまずいのはわかります。いままであまり触れてきませんでしたが、私って結構仕事は真面目にやるタイプなんですよね。ニート姫とは違うのだよ。ニート姫とは。
そんなわけで、今日のところは素直に謝っておきます。
ごめんなさい。
「パチュリーさまがかまってくれないからですよう」
「いったいどうしてあなたごときに、私が時間を割かないといけないのかしら」
パチュリーさまはいつものように、むきゅーっとした顔で不機嫌そうに私のことを見つめています。
ああ、なんという甘美な時間。
さすがに失禁したら封印という名の謹慎タイムに入りそうなので、やめておきました。
「とりあえず私小説の第二段ができたのです。断章という形でとりとめなく書き連ねていきます。いずれの章も特権的な地位はなく、その分裂気味な様相が神を表現するという前衛的な手法です」
「適当にやってるだけでしょう」
「ああ、読まずに批評キタコレ。そんな冷たい仕打ちをされると小悪魔は感じすぎてああああッ」
「うざいから。とりあえずここに書いてある本を書斎まで持ってきなさい」
パチュリーさまからメモを受け取りました。そこには二十冊を越える本のリストがずらりと並んでいました。ああ、一冊ずつ持ってくるのが遅くなったから、一挙に持ってこさせることで効率化を図ろうとしているわけですね。わかります。
パチュリーさまは冷たい態度をとりながらも、一定程度の興味はやはりあったようで、私のパソコンを覗きこんでいます。
「で、下を読むにはどうするの?」
「マウスで真ん中のボールを転がすのですよ」
「鼠の玉転がしをしてどうするっていうのよ」
逆切れする姿が愛らしさのキワミ、アッー!
そんなわけで私はパチュリーさまの熱い吐息がうなじのあたりを優しく撫ぜるのを感じながら、マウスを焦らすようにゆっくりと操作しました。
「で、これはなんなの?」
「パチュリーさまと私がちゅっちゅする小説ですが何か?」
「とりあえずあなたを効率的に撲殺するにはどうしたらいいのかしらね」
ゴスッという鈍い音が響きました。
ああ……厚みのある本は鈍器に匹敵する。
断章:神乃こあ Ⅱ
『最近、私は二次創作しているんですよ』
神様こと初理との対話もだいぶん慣れてきたので、神乃こあはゆったりとした気持ちでキーボードを打つことができた。
『へえ。どんな?』
『デリダの誤配に関する見解を携帯電話世代のコミュニケーションで表現するような小説です』
『ケータイ小説ということ?』
『いいえ違います。そんなスイーツ(笑)と同じじゃありません。(泣)』
『ああ、そう。ケータイを主題にした小説なわけね』
『そうです』
『それで、二次創作なわけね』
『そのとおり』
『いまいち想像できないわね。そもそも二次創作というのはキャラに依存した小説でしょ。あなたの主題はどんな哲学的な原作であっても(それこそ押井ブランドのような高尚な命題を有していたとしても)摩擦が生ずる恐れがあるわね。端的に言えば、二次創作はチープでなければならない。チープであればあるほど良いのよ』
『そうですね。そんな感じがします。代表的なコメントで言えば【これを東方でやる意味あるんですか】ですね。あ、東方というのは仮の原作ということにしておいてください』
『そういえば、東方という名前の歌手グループがいたような気がするわ。こあの世代が興味持ちそうな感じの』
『あ、それじゃないです(照)』
『ともかく、そういうことを言われる可能性があるのは、想像するまでもないわね。二次創作はキャラへの愛で成立している。そこに強すぎる主題が入りこむと必ずキャラを殺してしまう。ゆえに二次創作と強すぎる主題は相容れないということになりそう』
『やめたほうがいいんでしょうか……』
『いいえ。【東方でやる意味があるんですか】という人たちはそもそも自分の在り方を理解していないだけなのよ。そんな人たちにはただこう言ってあげればいい。【あなたはどんな意味があって生きているんですか】とね。すべての創作物は在りて在るの。そこには動機はない。目的もない。ただ純粋に存在するだけ。なのにその創作物の意味を問うことほどバカらしいことはないわ』
こあは初理の言葉に心酔した。
まるで、某大工のこせがれの有名なセリフのようではないか。罪のないものから石を投げなさい。石は意志だ。意志とは目的であり意味だ。意味がある者だけが意味を問える。自分の存在目的を知っている人間はいないので、誰も他者の意味を問い得ない。せいぜいいえるのは、生きているという状態にあるという事実だけだ。小説が書かれてあるという状態にあるのと同じように。
『でも関連度合というか、マッチしているしていないっていうのがあるんじゃないですか』
『各論的にはそういうのがあるかもしれないわね。それは読者が読むという創作活動をおこなったときに、自己の脳内の創作物と他者の創作物との間にズレが生じただけ。発信側と受信側がうまくコンタクトできなかった不幸な事故』
『パーフェクトな通信をしたいです』
『不可能でしょうね。人間が言語を使用している以上、必ずズレは生じる。そして、そのズレが二次創作の原動力でもあるのだから』
こあは半分ぐらいは納得できた。
二次創作はわりと不幸な結末、中途半端な結末をもつ原作では多く発生する傾向にある。たぶんこんな結末は認めたくないという、そこにある原作と脳内に展開された創作物とのズレがそう思わせるのだろう。
もちろんそれだけではない。人間はそもそも物語ることへの欲望がアプリオリに存在するように思える。そうでなければ、初音ミクにネギを持たせることもない。物語性がほとんどない東方では、物語ることがぞんぶんにできるから、二次創作は繁盛するだろう。
私も書いていいのだ、と神乃こあは思った。
『それで、そんな話をするぐらいだから、私にも読ませてくれるの?』
『もちろん。いいですとも!』
Wメテオを唱えたい気分とはこのような感覚を言うのだろうか。
気分は有頂天。
神乃こあは初理のメールアドレスに自分の書いた作品のテクストを送信した。
断章 ヴワルの図書館 Ⅲ
「というか――そもそも初理が人間なら、その時点でどうして神=初理になるの? まあ作中で初理が人間であるという描写はないみたいだけど……。あくまでインターネットは人間どうしの通信機構なわけでしょう」
「えっとですね。インターネットにおいては、こういうパソコンを使って情報のやりとりをするわけですが、当然のことながら相手と対話するときもキーボードによる打ちこみと液晶に表示される文字列によっておこなうわけですよ。まぁ音声による通信もありますけどね。スカイプとか」
「それで?」
「それで、相手のことが見えないわけですから相手が神であってもいいんですよ。ここで人間は神と等価値的です」
「悪魔かもしれないじゃない」
パチュリーさまから見れば確かに私は悪魔なわけで。
その的を射た表現に私はくくくと低い声で笑うしかありませんでした。
「まさにそのとおり。ですから、どうでもいいのです。問題はインターネットという神の神経を用いた通信を行うことです。そこでは『神』は召喚される。なにしろインターネットはヴワル魔法図書館のエミュレーターであり、無窮の宇宙であり、神の御座なのですから」
「むきゅ~」
無窮ですよぉ。
「というわけです。ご理解いただけましたかパチュリーさま」
「ぜんぜんまったく」
「まあいいです。命題は確かに『神』ですが、やりたいことと言えば、パチュリーさまと私がネチョネチョ~としちゃうことですからね」
「そういう糸を引くような表現やめてもらえないかしら、引くから。普通に引くから」
「表現の自由ってやつですよ」
「プライバシーの侵害」
「図書館戦争になりそうですからやめましょう」
「そうね。あなたが書くこと自体は禁止しないわ。ただ自重しなさい」
「もちろん、パチュリー様の御心のままに……ふふ」
断章:神乃こあ Ⅲ
神乃こあが小説らしき体裁の整った文章群を初理に送ってから一週間が経過していた。
初理とのチャットは土曜の九時ぐらいからだと決まっているので、一週間、こあはやきもきした気持ちで待たなくてはならなかった。
神経が焼き切れそうな気持ちになったのは人生で始めてかもしれない。そして、こあは人生で始めて、生きる目的ができたと感じていた。神は偏在するゆえに意志がなく、意志がないゆえに意味がなく、意味がないゆえに、私もそうだろうというのが、こあの信仰だった。
しかし――今は違う。
私には意味があると胸を張って応えることができそうだ。
誰に?
もちろん神様に、初理さまにだ。
定時の三十分前からずっと席に座って待っていた。全裸待機ではない。
初理がログインした。
認識からコンマ数秒で、こあは書き始める。
『こんばんわ。どうでしたか私の作品』
『じっくり読ませてもらったわ。結論から言えば、なんの曲もないありきたりな話ね』
『そうですか……』
『でも。面白いところもあったわ』
『ありがとうございます。嬉しいです』
『小悪魔のキャラクターがコミカルでかわいいし、パチュリーも根暗そうな感じがよくでていて面白いと思ったわ。でも一番面白いのは、神様について書いているところね』
『そこが主題だったんですよ』
『このヴワル魔法図書館というのは当然のことながら、バベルの図書館をモチーフにしているのね』
『その通りです』
『こあって確か中学二年生だったわね。年齢なんてインターネットでは何の意味もない属性だけれど、それが本当だとすると貴方は伸びしろがありそうだわ』
『ありがとうございます!』
こあは天にも舞い上がってしまいそうな気分だった。
なにしろ神が肯定してくれている。これほど嬉しいことはない。感極まった神乃こあは普段なら絶対にしないような書き込みをしていた。
『初理さまに生でお会いしたいです』
『リアルでってこと?』
『あ、そのご迷惑ですよね。(しゅん)』
『別に迷惑ではないわ。ただあなた、中学生なんでしょう。少し警戒心が無さすぎ。私がむさくるしい五十代のおっさんだったらどうする気なの?』
『そんなことはないって【信じています】から』
『失望することになっても知らないわ。それでもいいなら会うけれど』
『お会いしたいです!』
書きこみながら、こあは自分の胸中に言い知れぬ不安感も同時につのっていくのを感じた。
初理に会うこと自体はきっとどこかで望んでいることではある。
しかし、神とウェブを介することなく通信してしまうと、神性が失われてしまうのではないかという恐怖があった。
けれど――
神の不在に耐えられない。こあは神の神性よりも神の肉体を欲した。
それが信仰の堕落だと気づいていたが、もはや肉への衝動を抑えることはできなかった。
「触れ合いたい……」
こあは薄暗い部屋の中で、自分の小さく変形した体をかき抱いた。
断章: ヴワルの図書館 Ⅳ
パチュリーさまがパソコンの画面に魅入ってるような感じです。
もしかしてウケタ?
やったのでしょうか。スーパー小悪魔タイムですか?
「展開としてはだんだん緊張感が高まってきた感じね。悪くないわよ」
「ひひ。ついに私の小説に没入しはじめましたね。パチュリーさま」
「あらゆる物語はそこに感情移入があるから読めるわけよ。ただそれだけ」
「楽しいですねー。私小説を書く醍醐味ってやつですよ」
「想像的私小説ね」
「正確に言えばそうなりますね。さてさて次回はどうなるのか、ご想像つきますか?」
「こあと初理が会うのはまちがいないでしょう。物語の因果律的にそうなるのはまちがいない。で、そこでカタルシスがあるわけね。いったいどんなカタルシスなのかしらね。あなたの趣味を考えると、こあが初理に失望し、神を否定する。つまり神殺しがおこなわれるような気がするのだけど」
「一世代前の考え方ですねぇ……」
「むきゅ」
「とはいっても最終的な結末はなんということはないのです。それこそありきたりで動物的なラストですよ。レイプとか殺人とかもありません。ちょっとした感動のラストにしてみようかと思っているんです。そうすることこそが神を貶めることになりますからね。神には生きていてもらわなくてはならないのです」
「あなたの言う神って……」
「当然のことながら、読者さまのことですよ。パチュリーさま」
「それは私のことを言ってるのね。小悪魔らしいわ」
「……」
ノーコメントで微笑んでおきます。
パチュリーさまはこの私小説の唯一の読者であるから当然です。そして私にとってはパチュリーさまこそが、アガペーの対象である神であることは先にも述べたとおりですしね。
断章: 神乃こあ Ⅳ
身体が浮き上がってしまいそうなソワソワとした感覚。
風船にでもなってしまったかのような不安定な気持ちに、こあは先ほどから数十回ほどはケータイの時計を見ていた。ケータイを持って外に出かけたのは久しぶり。外に出たのも久しぶり。
お日様の光が目にあたってまぶしく感じる。
吸血鬼にでもなった気分だ。
約束の時間を十分ほど過ぎていた。
正確には十二分三十五秒ほど。いま、三十六秒になった。
三十七、八……九。
待ち人はこない。
やはり引かせてしまったのだろうか。あるいはこあがこあであるとわからないのだろうか。待ち合わせ場所に指定した時計台の下にはまばらにしか人はいないが、幸いなことにこあと同世代の人間は誰一人いなかった。
初理もすぐに見分けがつくだろう。
だから、今はまだ来ていない。そう考えるのが合理的だった。
いや、それともやはりなにかしら都合が悪くなってこれなくなったのだろうか。会いづらいというのは嫌というほどわかる。日常のコミュニケーションがほとんど絶望的なほどに断線しているこあにとっては、生身の人間とまともに会話するのは久しぶりだった。
本当は今すぐにここから逃げ出したい。
それでもなお踏みとどまっているのは、ひとえに神を一目見たいという欲求のためである。
「遅いなー。初理さん。どうしたんだろう」
できるだけ普通の子のように言葉を出してみる。
そうして、普通を装っていなければ、自分の存在がすぐにでも消し飛んでしまいそうだった。
二時間経過し、四時間経過し、そしてついには夜になった。あたりはすっかり薄暗く、夜の帳が下りてきている。
親とのコミュニケーションは断裂しているから、ケータイに連絡が入ることはなかった。
それは良いのだけど……、なぜ神様は私を見つけてくれないのだろう。
――君、こんな夜遅くになにをやってるの?
警邏中の警察官がこあに話しかけてきた。こあはとっさに逃げようとした。いきなり話しかけられて恐怖心が湧いたというのもあるし、それになにより自分よりずっと体格が大きい他者が怖かった。他人は誰だって怖い。自分でない者は自分にとっては異物だから、怖いのは当然だ。
結局、その警察官に捕まり、補導されることになった。
「離して。離してください!」
――おとなしくしなさい。君、名前は?
「神乃こあです」
――住所は?
「さっき言ったとおりです」
――照会してもそんな住所は存在しないということになっている。本当のことを言いなさい。
「本当です」
――埒があかないな。これではいつまで経ってもお家に帰れないよ。
「帰らしてください」
――君のケータイを調べさせてもらうけどいいかな?
「どうぞご勝手に」
紙のようにうすっぺらい人間と会話しているかのようだった。
神乃こあにとっては、人間とのコミュニケーションは木工用ボンドとダンボールで作られた人形たちと会話するのに等しい。それぐらい通信機能が隔絶している。どちらかが優れているとか劣っているという意味ではなく、もはや住んでいる世界が違うとしか言いようが無い。
だから重なりあってはいても彼我の境界は明確であって、きっとわかりあえることはなかった。
――君の親御さんと連絡を取れることができたよ。どうして本当のことを言わなかったの?
「本当のことってなんですか?」
――なにって、君の名前だよ。魔儀野初理ちゃん。
断章:ヴワルの図書館 Ⅴ
神様はここに在る。他にはいない。誰もいない。
ヴワル魔法図書館に存在するのは神様独りだけ。
パソコンの前に座っているのがあなた独りであるように、他には誰もいないのです。
物語を読む行為は脳内でその物語を再構築する行為であり、創造的な行為であることは前にも述べましたが、具体的に想像してもらえればわかるとおり、椅子の前に座っているのは大方独りであり、本を読むという行為はウェブにしろ実本にしろ、だいたい孤独な行為なのですよね。
そうであるならば、神様は独りというのもあながち嘘ではない。
液晶の前に座っている存在は必ずこの『孤独』を認識するわけです。それこそがインターネットにおける神を召喚するという行為。すなわち自分が決して他人と出会うことはないのだという、ありがちな認識です。
「それで? この投げっぱなしのジャーマンはどうするつもりなわけ」
「あのですね。これは主体の代替可能性が主体を無数に切り刻むことを意図しておりましてね……。ほら、小悪魔とパチュリー様は入れ替え可能だったわけじゃないですか。もしかしたら、こあは二重人格だったのかもしれないし、あるいは別の世界に転移したのかもしれない。いずれにしろ、神は誰とも出会うことはないわけですよ。神とはやはり一義的にはクリエイターなわけですから」」
「面白くない」
「ひでぶッ。短いながらもクリティカルな一言を」
「つまらない」
「あびしッ!」
「却下」
「ひぎぃ」
「で?」
「あばばばばば」
「いい加減になさい」
「でも、その、なんというか……インターネットの効用はわかっていただけたかと思います。インターネットは神様になれる装置なわけですよ。殺したいときは通信を遮断すればいいわけです。セックスしたければ繋がればいいわけです。そういう両義的な装置はインターネットだけ。今ならプロバイダに加入と同時にモバイルがついてくるんですよ」
「いったいどこのよ。それに、私は独我論に溺れるほど堕落していないわ」
「魔女は堕落するのが相場でしょうに」
それに――自分が神様だと思うことほど神を貶める行為はない。
つまるところ小悪魔にとっては納税義務と同じぐらいノルマと化している行為なわけですよ。わかっていただけますか。
「わかりたくもないし、わかるつもりもない」
「さすが読者様は傲慢ですね」
「小悪魔。私はもう少しだけ信じたいのよ。なんというか、他者と繋がれる感覚をね……。ネットがお手軽に繋がる感覚を疑似体験させてくれるというのはわかったけど、私を断片化してしまう危険もまたあるわけね。断片化して偏在化して、神様になるというわけか……。そして、最期には霧と消えてしまうのか」
「レミリア様じゃあるまいし」
「まあ、友達がいるから、私にはまだネットはいらないってことなのかも」
「そうですか。残念です」
「もちろんあなたも、一応、必要の範疇には入っているわ……」
「パチュリー様がデレた!」
小悪魔はそれをオカズにして、一週間過ごした!
これはもうハッピーエンドとしか言いようが無いでしょう。
小悪魔にとっては神のことなんて、もう心の底からどうでもいいので、パチュリー様とベッドをともにしたいと切実に思うのでした。
断章: あとがき
波が足をさらっていくのは、メリーが笑ったからだと思う。
そう宇佐見蓮子は考えた。
因果律を結果から原因に流しても別に問題はない。すべては統一化されている。それは万物への理論であり、なにものをも確率的には起こりうるということだ。
メリーが神様だったらいいのに。
なぜかそんなことを思う。たぶん母親のように甘えたいからかもしれない。あるいは子どものように甘やかしたいからかもしれない。
神様とは究極的な主体でもあるから、主体として対等に付き合いたいからかもしれない。
つまり、友達として。いままでどおりに。
メリーが言うにはこの世界は密室で出来ているらしい。
超統一物理学にとっては、それは超越論的な世界ということになるのだろうか。世界が全なる一を指すなら、外は観念しえないはずである。ありうるとするなら、境界が絶えず変動するそういう世界だろう。
砂浜を歩くうちに、メリーが砂時計を蓮子に見せた。
砂時計を壊すことなく、中の砂を取り出すことができるかというお題。
なるほど砂時計は一つの密室といえる。
というか――
先ほどのヴワル魔法図書館についての談義の疲れが尾を引いている。物語の外側には非物語があって、そこでは『私』と『他者』は溶解するというような話だったか?
悪いけどさっぱり理解できない。メリーには秘密である。
ともかく、この砂時計の密室は簡単に解けるはずだ。なにしろ手で触れるならなんとかなる。ような気がする。
「はい。出した」
蓮子はメリーに笑いかけるように言った。
「どこに?」
メリーはすぐに聞いてきた。まるでそうすることが一つの儀式であるかのようだった。
「ここに」
砂浜を指差しながら、蓮子は言った。
「じゃあ、砂時計の砂は?」
「ここらの砂が入ったんじゃないかな」
メリーが絶妙すぎる表情で私を見返してくる。
なんだか少しだけ溶解している気分。それから長い間、二人して妖怪みたいに笑ってた。
※ベタなあとがきですが、次は偽メタではなくてベタな話を書こうかと。べったべたなやつ。あまあまーなやつを書こうと思います。六月にはいっぱい書けそうだ。書けるときに書いとこう。
超空気作家まるきゅー
よくはわからないが読みきってしまった
結局は俺も蓄群の一人ということか…
ならば書かせてもらおう!
『パチュリーさま、はぁはぁ』
なんというか周りがイメージとして持っている小悪魔の立ち位置とキャラクターが作者の代弁をさせるのに
都合がよかったから利用したという風に見えました。
狙ってるんなら、申し訳ないが。
他にも気になる安っぽい部分が一杯あったので。
隙間すら丸め込んだロジックモンスター小悪魔が作者の腹話術の人形みたいになっいるのが残念です
ひとつだけ。
紅魔館の図書館に名前はないと思うよ! 勘違いしてる人多いけど。
下手でいろいろダメなのは認めるし、いろいろ指摘された点は勉強になった。
読めて楽しめるやつを次は目指します。
有限で無限もいいけど、次は幽玄で夢幻な感じのも読みたいと思ったり。
のは気のせいで普通にスゴイ
構成が洗練されてるなー
よかったです
ただ。
パチュリーさまとちゅっちゅしたい。
いや、楽しかったです
自分らはモニターと見詰め合う事によりトランス状態へと移行し神憑かりとなり
こいしちゃんとちゅっちゅしたいとか、パッチュさまとちゅっちゅしたいとか謂う天啓を貰うのですね。わかります。
さしずめ創想話は東方信者の集う拝殿といったところでしょうか。
甘々な話。少し楽しみです。
さて、ある人は問いました
"これを小悪魔でやる意味はあるのですか?"と
さて、そういうことでしょうか?
そも、読み手の存在を認めない創作というものは存在する意味がないというよりも
作者以外の誰にも読まれない小説というものは存在自体が矛盾してるだろう。
それは内省というべきであって自分の中で完結している以上、
コメントがつくような場所に投稿する意味がない。
逆から言うとコメントつくような場所に投稿した以上はコメントという
読者の創作活動が加わることで作品として始めて完成すると作者が
考えている証左であって、そこには確実に内省では収まりのつかない
他者への希求が含まれている。
あと貴方はなんのために生きてるんですか?という問い自体がナンセンス。
動物としての人間と、哲学者の言うところの人間をごっちゃにしてる。
一応最後まで読んだのでコメントさせてもらいました。
なかなか楽しい頭の体操ができたので点数は高いです。
そしてあえて言うなら作品として出す意味があるの?とつけたい。
それで初めてこの作品が完成するような気がしたので。
文の見せ方…というか構成が素晴らしかったです
とても好き