「文さん、鴉プレイに目覚めたんですか?」
「アホかぁぁぁっ!!」
叫び声と同時に暴風が吹き荒れ、鴉達が鳴きながら飛んでいった。
途端に辺りが静まり返り、視界が広がったように感じたのは、先ほどまで数十羽の鴉が地面近くを支配していたからだろう。
ガーやらアホーやら、何だかよく分からない鳴き声が羽根と共に舞っていたせいだ。
今も聞こえるモノと言えば、轟々と唸りを上げるように降り注ぐ滝の涼しげな音と、私から三メートルほど離れた場所で、不自然な格好をしている文さんの声だけだ。
鴉プレイって何よ意味が分からないわだとか、早くなんとかしなさいよだとか、犬っころだとか何やら早口で捲くし立てている。
そんな文さんに対して、私は先ほど思った通りのことを言う。
「いや、そんな状態で言われましても説得力ないですよ」
「少なくとも文々。新聞の発行部数よりはあるわ」
「言っていて虚しくないですか?」
「…………うっさい! あんたの胸よりはあるわよ!」
カチンッ。 頭の中で何かが切れたような音がした。
こんの天狗は、私が若干気にして……ないけど。
いーだ。私と大して変わらないくせにそんなこと言わないでほしいです。
第一おかしいですよ。なんで新聞と比べるのですか?
つまりそれは新聞並みに薄いという意味ですか?
心の中で声を荒げる。
「あ、あれー? もみじー……?」
……いや、別に気にしてないですけどね。そんなこと別に。
うんうん、全然気にしてないですよ。鴉と狼なのになんであっちの方がー。
あー、もー。それにしても今日は暑いですねぇ!
「と、とりあえず今はこれ、外してくれないー……?」
……今。暑いから滝にでも飛び込もうかと思っていたら、文さんの言葉が急に耳に届いた。
聞き流していたのに。
確かに今はそんなこと考えていても仕方がない。
理不尽に対して悲観していても、意味がない。
むー、確かにそうだ。一理あります。
そうだ。私は今、私にできることをしよう。今丁度、私に反撃のチャンスがあるんだ。
無意識のうちに、パタパタと尻尾が揺れた。
普段色々されていますからねぇ……。ふふふ。
だって、文さんは今――――
「十字架にロープで磔になっていますからね!」
「みなまで言うなぁ!」
文さんは赤面しながら、そう叫んだ。
ビュッ! という風切り音とともに暴風が私を襲う。
私は咄嗟に地面に伏せたが、望むモノを見ることはできなかった。
―――――――――――― ◆ ――――――――――――
幻想郷で山と言えばここ、妖怪の山のことを指す。
永遠に続いていると感じさせるほどに生い茂る森林は日光や感覚を遮断し、日光を反射させながら流々と流れる川は河童を攫い流す。
ふと上を見上げれば、黒や白やよく分からない色の羽根が落ちてくる。
実に妖しく怪しい山だ。
麓へと続く道から外れ、獣道を歩いていくと少しひらけた場所がある。
そこは木が生えてないため、頭上からは容赦なく日光が照らす。
その光を反射する、轟々と音を立てて降り注ぐ滝。
ここでたまに河童が遊んでいたりするが、今日は居ない。
滝の回りには運ばれてきた岩が連なり、更に下流へと繋がっている。
岩場に立つと、飛散した水滴が真夏の熱を逃がしてくれる。その滝の長さはおよそ五メートルといったところだろうか。
流れ落ちる銀白の壁を潜りぬけ、奥に入ると材質不明の小屋が建っている。
これは文さんがにとりに頼んで作ってもらったものだ。
濡れないように入るためにはコツが必要。
小屋の通称は、『天狗の隠れ家』。
にとりは『河童特製 超防水加工デリューヴィアル』と呼んでほしいらしいが、誰もそう呼ぼうとはしない。
……山に住まう者達にも、この小屋の存在はほとんど知られていない。
知っているのは文さんと私とにとりと、あの天狗ぐらいか。
滝の奥を覗こうとするモノ好きな者は……多分いないから知っている者が教えない限り見付かることはないだろう。
ここは文さんの仕事場兼第三の住処(多分)、その他諸々の目的で使われている。
私も文さんの仕事を手伝ったり、掃除したり昼寝したり休憩したり大将棋するためによく利用する。
ところで防水なのに大洪水とはどういうことだろう。雨もりの心配はないが、滝もりが若干心配だ。
何はともあれ滝の中は涼しいので、夏はとても住み心地が良い。
そして今日、私は一仕事終え、そこで休もうかと思い歩いていた時に異変に気が付いた。
どうもおかしい。いつもより鴉の声が騒がしい気がする。
片手で額の汗を拭い、歩いて行くうちに何となく。
隠れ家に近づくにつれ、鳴き声は大きくなっていく。
上り坂になっているから、上の方はまだ見えない。
登っていくと、数十羽の鴉が何かを囲んでいるのが見えた。
これはさすがにおかしいと、少し足を速めて近寄る。
私の視界に飛び込んできたものは、私を絶句させるには十分な代物だった。
ただ鴉が集まるだけなら、別にいい。
それだけなら、よかったのに。
鴉達の集まる中心には十字架が立っていた。
それだけなら、別に問題ではない。
木目があることから、木を二つ組み合わせて作られていると分かった。
そんなことは、どうでもいい。
そこに、文さんが磔にされていたんだ。
――――――――――――――― ◆ ――――――――――――――――――
「いい? さっきの鴉達には、このロープを切ってもらおうと思っていたの」
「なんで鴉達に頼んだんですか?」
「周りに誰も居なかったから、あの子達に頼むしかなかったのよ」
「よく集まってくれましたね」
「口笛吹けばすぐに来るわよ」
先ほどのことを逐一説明していく文さん。
きっと手が自由だったら片手の人差し指を立てているはず。
そうするのが文さんのクセなんだ。
今は両手首、足首、お腹や太ももの辺りに縄がグルグル巻かれているからできない。
磔にされている文さんは、どこぞの吸血鬼のような雰囲気がしたが、そんなことはどうでもいい。
なんにせよ、妖怪の山には不釣り合いのものだ。
「大量の鴉が文さんを襲っていたのでびっくりしましたよ」
「いや、だから! 襲われていたんじゃないってば」
「自身を縛ってその上で鴉に突っつかせていたのかと……」
「私にそんな趣味なんか無いわよ!」
「最近姿を見ないと思っていましたけど、まさかそんなことに目覚めていたとは……」
「よーし、目を見開きなさい。風を突っ込んであげる」
それはさすがに遠慮しておきます。痛そうです。
文さんは完全に否定していますね。
どうやら鴉プレイじゃなかったみたいです。
実は攻められる方が好きなのかと思いましたよ。
いつもは高慢で上から目線でわがままな天狗、その本性が知れたと思ったのに。
残念ですよ全く。
「ところであんたは、私が、なんでこうなったのか、疑問に思わないの?」
わざわざ一言ずつ区切り、強調して私に問い掛けてくる。
そんな刺すような視線を送らないで下さい。はね返しますよ。
「あぁ、そう言えばそうですね」
そっけない返事を返す。
「ねぇ椛~。 岩か隕石どっちがいい?」
すると文さんはこんなことを聞いてきた。
文さんは妙な笑顔だ。
眼の辺りに影が落ちていますよ? 怪しいです。
それに隕石と岩ではとても差があるとは思いませんか?
ところで岩って岩のりのことですか?
「岩のりは割と好きですよ」
「よし決まりね!」
素直に答えると、文さんに何かしらの決心が付いたようだ。
なにが決まったんですか? 私へのプレゼントですか?
やっぱり可愛い所あるじゃないですか。分かっていましたけど。
岩のりかぁ……もう一度食べたかったんですよね。
にとりに貰ったのは、かなり以前のことですから。
そういえばにとりはどこから手に入れたんでしょう?
幻想郷内では採れないものらしいのですが。
早くお米を炊かないと……なんてことを考えていると、突如轟音が轟いた。
聞いた瞬間に、ご飯のことは頭から吹き飛んだ。
私は咄嗟に身構える。
音が発せられた方向は―――こっちだ。
数メートル先の森林の、更に向こう側から迫るものを感じた。
足元の地面からゴゴゴゴと振動しているのが伝わってくる。
刀と盾を構え、足にグッと力を込め、来たるべきモノに備える。
周囲には暴風が吹き荒れている。
文さんが風で山の上から何かを運んできているんだ。
数秒後、地響きの正体が現れた。
木々をなぎ倒しながらゴロゴロと私に一直線に迫ってくるのは、当たったら確実に白板天狗になってしまうほどの大きな岩。
いや、赤板?
わー、なんだこれ、三メートルはありそうです。
なんて思っている場合ではない。
クルリと岩に背を向けて、地面を蹴った。
「文さーん!? なんですかこれ――!?」
「岩に決まってるじゃない」
「のりはどこですか!?」
「今聞くべきこと!?」
私が走りながら必死で問い掛けると、文さんは磔になったまま当然のようにそう答えた。
のりのことは吹っ飛んでなかったようだ。
あぁ、なるほど! のりは無いんですか!
ただの岩ですか! 上の方の岩を風でグイッとしたんですね!?
自分はそこから動けないからって風や岩で遠距離攻撃ですか!
さすがですね文さん!
でも岩は当たると痛いです。
今度は豆腐にして頂けると嬉しいです。
もし本当に豆腐が飛んできたら、全力で文さんに投げつけます。
そんなことを考えていく内に、岩はどんどん私に迫ってきている。
あー、これはこのままだと避けようがないですね。どうしましょう?
下は無理だ。あの岩が私に激突するまで、数秒といったところだろう。
そんな短時間では壕を作ることもできない。
じゃあ、横? 右か、左か。……ダメだ。
眼の前の岩が大きすぎて、その後ろの岩は見えない。
来ないかもしれないが、来るかもしれない。
来ないだろう という考え方は事故の元だ。
……となると、行くべき道は二つに一つ。
飛び越えるか、突き崩すか。迷っている暇はない。
文さんが私を呼ぶ。その瞬間、私は覚悟を決めた。
全速力のダッシュから一変、百八十度のカーブを曲がる。
右足を思い切り前に出し、左足を曲げてスライディング。
その後、身体を傾け回転、後ろを振り向き岩の方を見る。
草鞋が地面と摩擦して、砂埃を散らした。
今日は下駄じゃなくてよかった。
足や腰、その他各所の骨や筋が軋むのを感じた。
バランスを崩さないように片手を使い、三点で身体を支える。
自身の勢いが前後に反転し、零になる。
そのまま力いっぱい地面を蹴った瞬間、私の身体は空中に浮かんだ。
日光に熱された空気が、私を包み込む。 あつい。
下を向くと、大岩との距離は十分にあった。
地面を転がる大岩が私に当たるはずがない。
岩はそのまままっすぐ私の下を潜り、深い茂みに吸い込まれていった。
それを見届けるとほぼ同時に私は地面に着地した。
なんとかなったみたいですね。
さーて、文さーん。 次は私の番ですよねー?
何をしようかを考えていると
「あだぁぁぁっ――――!!!」
あだぁぁっ―――…… あだぁ――…… だー……
悲痛な叫び声が、山びことなり広がっていった。
「いったたたぁぁぁ―――……なによなによっ。もう少しで撮れそうだったのに」
そんな不平を言いながら茂みから何かが飛び出してきた。
それは、よーく見覚えのある姿をした全体的に紫色の天狗。
文さんが書いている文々。新聞の対抗新聞、お菓子念報の記者。
姫海棠はたてだった。
――――――――――― ◆ ――――――――――――
風が吹くたびに紫のリボンに結われた栗色のツインテールが揺れ、紫と黒のチェック柄のスカートがなびく。
なぜ茂みの中に潜んでいたのかとか、お菓子じゃなくて花果子だったっけ? とか聞きたいことは割とあるが、まずは――――
「はたてっ!? 大丈夫!?」
「はたてさん、大丈夫ですか?」
天狗と言えど、岩がぶつかれば色々危ない。
文さんと私が心配して声をかけるが
「あぁもう、今のは完全に風に負けてたと思ってたのにー」
無視された。
はたてさんは何やらよく分からないことを言いながら、手に持った黄色のものをいじくっている。
ケータイだったかレータイだったか何だったかは忘れてしまった。
とりあえず天狗の話は聞いておいた方がいいですよ。
……自身が天狗だとしても。
そんなことを考えていたら、文さんの足が少し動いた。
磔になっていなかったら、恐らくはたてさんの元に駆けつけていっていただろう。
代わりに私がはたてさんの傍に寄る。
「あの、はたてさん」
「んー…… ん? あ、犬っころじゃない」
やっと顔をあげたかと思いきや、そんな事を言い出した。
飛びかかりたい気持ちをなんとか抑える。
ええ、別に後ろ手に刀を握り締めてなんかいないですよ。
「どうしたのよ。歯に何かが挟まったけど取れなくて取れなくて発狂寸前ーみたいな顔をして」
「そんな顔してないですよ!?」
言いながらカメラを向けてきたから、急いで避ける。
右手の力を抜いて、笑顔を作ってから尻尾を振る。
これでばれることはないはずだ。
……というかどんな顔ですかそれは。
「んー? まぁ、いいわ。 それよりさっきの風はなに?」
「え? 文さんの風ですけど……」
文さんの能力は知っているはずなのに、どういうことだろう。
それよりも、さっきの岩でなんか怪我はしていないんですか?
「そりゃ文の仕業でしょうね。そんなことは分かっているわよ」
「えと、それよりもさっきの岩で――――」
「私が聞きたいのは、なんで今の風で文のスカートが捲れなかったのかってことよ!」
「はぁっ!?」
文さんと私が同時に驚愕の声をあげた。
はたてさんは怪我していないみたいですね。 頭以外。
あ、でも元々だから仕方がないか。こればかりは治せませんね。
ところで何を言い出すんでしょうか。この引きこもり新聞記者は。
そんなの、あれだけの風が吹いていたんですから……
「……あれ?」
捲れていましたっけ。そういえば見た覚えがない。
一回地面に伏せたが、見ることができなかったのを思い出す。
これは……確かに、おかしい気がしてきた。おかしいのは私の頭?
そんなことを私が考えている間に、はたてさんは文さんの前に歩いて行っていた。
「ねぇ、はたてー。まずはこのロープを解いてほしいんだけど」
「岩が転がるのに捲れないなんて……文のスカートはそれ以上の強度ってこと?」
「あややややや、とりあえず話を聞いてほしいわ」
「おかしいわねぇ。私のと同じ素材のはずなんだけど」
「もしもーし、はたてさーん?」
あー、こりゃだめだ。
はたてさんは完全に自分の世界に入りこんでしまっている。
文さんが何を言っても聞いちゃいない。
「集中すると他のことに気を向けないのが、念写の基本なのよっ」
と、この前言っていた気がする。
でも今は念写どころの騒ぎではないと思います。はた迷惑です。
相手が目の前に居るのに念写なんて……とか考えていると
「もしかして文のスカートって金属製?」
「はい?」
突拍子もなくそんなことを言い出した。
なにを言っているんですかはたてさん。
ほら、文さんも心底不思議そうな顔をしているじゃないですか。
珍しい表情です。
カメラはどこですか。
あ、文さんの首にかかっているじゃないですか。
そう一歩踏み出した瞬間
「ん~……、肌触りは同じみたいね」
殺意の衝動が私を包み込んだ。
はたてさんの片手が、文さんのスカートに触れたから。
……ここは山の警備隊の出番ですね。
何秒経過しただろうか、まだはたてさんは手を離さない。
ゆっくりと、確かめるようにスカートに触っている。
八つ裂き辺りに抑えてあげようとか考えていたが、文さんの表情を見た瞬間、そんな考えは吹っ飛んでいった。
文さんの頬は真っ赤に染められ、その目は羞恥の想いが写っている。
キリッと吊り上げられていたはずの眉も今は下がり、口を少しだけ開き、何か言おうとしているようにも見える。
そして身体はブルブルと、まるで小動物のように震えていた。
こんな顔、普段は絶対に見せない。
そうか、文さんは自分が撮られるのは苦手だと言っていた。
撮るのは別に何でもないのに、自分がされるのは恥ずかしいと。
写真以外の事でもそれは変わらないだろう。
それほどまで、されるのは苦手なのに今は――――
だから、こんな表情を浮かべているんだ。
カメラを下さい。
「材質は同じ……? いや、やっぱり違う?」
そんな文さんを知ってか知らずか、はたてさんはまだスカートを触っていた。
そろそろ私と交代の時間じゃないですか?
「ぁの……はたて……」
あ、やっと文さんが喋った。
その声はかなり小さかったが、私の耳に聞こえない文さんの声はない。
えへん。
頭の上の耳は飾りじゃないのですよ。
「この独特の感触……やっぱりこれと同じ布よねぇ……」
いつまでやっているんですか。
私だってわふわふと飛びつきたいのに。
「はたてー……」
今度の声も、さっきとあまり変わらなかったが
「……ん? 文、呼んだー?」
今度は聞こえたらしい。
不思議な耳の構造をしていますね。
それとも頭の方ですか。
やっぱり治してもらった方がいいですよ。
今なら哨戒天狗特製ショック療法のいいのがあるのですが、どうですか?
私がどれにしようか考えていると、文さんの声が聞こえてきた。
「そんなことされるの、その……恥ずかしいんだけど……」
文さんのその言葉と表情が、花達の脳裏に焼きついた。
言い終わった後、すぐに文さんは顔を伏せて表情を髪で覆ったが
さっきより真っ赤になった頬を隠すことはできていなかった。
私は思わず、ワオーンと遠吠えしたい衝動に駆られた。
なんとか堪えることができたが、次があればもう耐えきれないと思う。
「あ……やっ……、その、私っ……!」
はたてさんは、まさかこんなことを言われるとは思ってもみなかったらしい。
完全に言葉に詰まっている。
バタバタと手を振るたびに揺れる髪の毛が、やたら印象的だ。
「いいわ。 はたてだから、許してあげる」
そう言って笑う文さんと
「えぇっ? あ……、うん」
シュンと大人しくなるはたてさん。見つめ合う二人。
……なんですかこれは。
なんとなく、姫と王子みたいだな と感じた。
どちらが王子なのかは、言わずもがな。
雰囲気がどことなくそうだったんだ。
私が勝手に思ったことだから、別に何でもないことだ。
それなのに
「ねぇ、姫」
うわあああぁぁぁぁん。どうしたんですか文さん!?
まさか私の心を呼んだ!? あぁ、まさか以心伝心の仲だなんて……。
だったらその言葉は私に向けて下さいよぉぉ!
あー、でもどちらかと言うと文さんが姫の方がぁぁっ!!
「姫って……そんな……」
その言葉を言われた本人は、先ほどまでの文さんと同じぐらい頬を染めていた。
代わって下さい。
「姫。この縄、外してもらえるかしら?」
「ええ」
あー、ダメだ。
はたてさん、さっきの文さんの発言で完全に頭がやられちゃっている。
なんで姫が縄を斬らないといけないのかーというツッコミすら無い。
どことなくポワポワした表情を浮かべて、縄に手をかけていた。
これは……
「私も手伝いますよ」
私も手伝わないといけない状況だろう。
そうしないと、すっかりできあがってしまったはたてさんが何をしでかすか分からない。
ここには刀もあるし。
「椛、ここ、よろしく」
「はーい」
文さんを傷つけないように気を付けながら、一本ずつ斬っていく。
足の下には台座のようなものがあるのを見つけた。
文さんはこれに乗っていたんだ。
完全に浮いている状態ではなかっただけマシなのだろうか。
それにしても、はたてさんが大人しいって珍しいなぁ。
縄は、そこまで丈夫な物は使われていなかった。
刀を当てて力を加えると、割とすぐに斬ることができた。
縄が巻いてあったところの肌を見てみる。
……見たところ、跡は残っていないようだ。
縄だったからよかった?
もし、本格的に杭とかが打ち込まれていたら、私はどうしていたか分からない。
でも、そんなことは考えたくない。
頭を振って、考えないようにした。
そうこうしているうちに、縄はラスト一本になっていた。
それに刀を当てて、切り取るとほぼ同時に、文さんはピョンっと地面に着地した。
カッカッとつま先を地面に当てている。
地面の感覚を思い出すように。
そして、私達を振り返って、一言。
「椛、はたて、ありがとうね」
とびきりの笑顔の花が咲き、妖怪の山に遠吠えがこだました。
―――――――――――― ◆ ――――――――――――
「あー…… うん! いいもの撮れたし、私は帰るわね! じゃあね!」
文さんが救出されてから数分も経たないうちに、はたてさんはこう言った。
「はい、また明日です」
「またね~」
私と文さんが別れの返事を返す。
少し離れた後、一度振り返ってこちらを見たから、私達は手を振る。
するとはたてさんは慌てながら飛んで帰っていった。
いいものとは何だろう。
また見せてもらいに行こう。
「さて文さん、私と二人っきりになりましたが……」
何をしますか? と言おうとしたら、いつの間にか文さんの手には長めの縄があった。
おっと、それを使って何をする気ですか文さん。
「絞めます」
「率直すぎる!」
そんなド真ん中にストレートで来るとは思っていませんでした。
縄なんですからカーブとかでいいじゃないですか。
「いや、ただのアレよ。言葉遊びよ?」
「はい?」
どういうことでしょう?
文さんはよく私の頭では追いつけないことをやりますけど、ここまでぶっ飛んでいるのは久しぶりです。
「ヒント これは縄じゃなくて糸よ」
糸……? ますます訳が分からない。
意図的に縄を糸にしてどうするんでしょう?
おかしな話です。
いとをかしです。
文さんは大変美しいです。
「ヒント2 私が、これを持つってことはどういうこと?」
文さんがこれを持つと言う事は……何かが始まるということでしょう。
その縄で相手を……いやいや、言葉遊びなんだ。
そのまま捉えていてはダメなんですよね。
…………
……
ダメだ。分かりません。
尻尾を振っても分かりませんでした。
「降参です」
「そう、分かったわ。正解を教えてあげる」
少し前までの顔はどこに消えてしまったのやら、今はもうすっかり得意気な笑顔になっている。
……こっちの方が私は好きですねぇ。
そうこうしている間に、文さん直々の解説が始まった。
「いい? 私が糸を持つってことは、文が糸を持つってことよ」
……え? いや、まぁそりゃそうですけど。
私が黙っていると、文さんは解説を続けた。
「つまり、糸と文を組み合わせる ということなの」
……これは、まずいですね。
昨日の書き直し作業が頭に浮かんできた。
「糸と文を繋げるとあら不思議、しめると言う漢字になるのよ!」
文さんは胸を張って、そう宣言した。
残念ですが、なりませんね。
私は心で嘆息した後、口を開く。
「……文さん、紋と絞を間違えていません?」
「え?」
「絞も紋も確かに糸偏ですけど、旁が違いますよ? 文なのは紋の方です」
「…………」
「………あ」
なるほど。そういうことでしたか。
どうりで最近の新聞の記事では、紋と絞が間違っていたんですね。
誤字ぐらい仕方ないんじゃ……
と言おうとしたら、文さんが正面から両手で私の両肩を掴んできた。
ダランと頭を垂れているため、表情が見えない。
「あの、どうしたんですか? 文さん」
「どうじよぅもみじぃ……」
そう言いながら顔を上げる。
目には大粒の涙。
すぐに、私の胸に顔をうずめた。
そこで、グスグスと泣いている。
私はそっと、文さんの頭を抱いた。
誤字とかそういうのには結構ショックを受けるんでしたね。
そういうのに、弱いんでしたね。
そんな文さんに、私は
「大丈夫ですよ」
出来る限り優しく、言葉をかけた。
「え?」
少し驚いたように、胸から顔を離す文さん。
見上げた目と、私の目が合う。
「私が直しておきました」
本当に、大丈夫ですから。
何も心配することはないですよ。
そんな思いを込めて、そう言った。
「ほら、見て下さい」
近場に積んであった束から一つを抜き取り、渡す。
手なれた手つきで新聞を広げ、すぐに問題の個所を探し当てた。
そういえば、書いた記事は全部覚えていると言っていましたね。
「ホントだ……ありがとう、椛」
「どういたしまして」
そうして、私達は顔を合わせ笑い合う。
今度は、遠く吠える声は響かなかった。
ただ、風に揺れる文花がそこにあった。
――――――――――――― ◆ ――――――――――――――
「ところで文さん、なんで十字架に縛られていたんですか?」
「あ、やっとそれ聞いてくれたわね」
「いや、なかなか言う機会が無くてですね」
「……ん、まぁなんでもいいわ」
いつ聞かれるか、ずっと待っていたんだからねっ……と言われるかと思ったが、結局そんなことを言われることはなかった。
別に言わせたかった訳じゃないんですけどねっ。
なかなか難しいです。
そんなことを考えている間に、文さんの激白が始まっていた。
「そう、あれは私が紅魔館の窓から取材をしている時の事――――」
「それ盗撮って言うんですよ?」
「…………」
無言の圧力。
ジトーっとした目でこちらを睨んでくる文さん。
なんですかその視線は。
色々なところが痛いです。
もっと睨んで……なーんて思って……
「続けていいかしら?」
「はい、もっと睨んでいて下さい」
「そっち!?」
「もちろんです!」
「…………」
あ、あれー? 素敵にスルーされてしまいました。
ショックです。
そしてなんだか空気が痛いです。
そんなことを考えている私を尻目に、どこからか取り出した手帳をパラパラとめくっていく。
「あ、あったあった」
その間は数秒といったところだろうか。
どうやらお目当てのメモは見つかったみたいですね。
今度は茶々を入れずに聞いてみることにします。
「そう、あれは私が紅魔館の窓から取材をしている時の事――――」
「それもう一回言うんですね」
早速入れてしまいましたが、文さんの語りは止まらなかった。
―――――――――――― ◆ ――――――――――――――――
『ジャーナリストあややの特別取材』
新月。
支配するモノのいない夜の空を、私は駆けていた。
目的地は湖のほとりに建つ、紅い館。
そこで何かが起きそうな気がします!
もちろん勘でしかないですけど。
星を見たりしながら飛んでいると、いつのまにか目的地に着いていた。
さっそく窓の近くに張り込む。
するとこんな声が聞こえてきた。
「お嬢様、猫になりたくはありませんか?」
なんですかいきなり。
見付からないように窓を覗くと、メイド長と館の主が居るのが見えた。
メイド長の手には猫耳が握られている。
とても良い笑顔ですね。
「あー? 突然何を言い出すのよ」
そっけない返事を返す館の主は、紅茶らしきものを飲みながらイスにかけている。
とてもめんどくさそうな顔をしてます。
あまり乗り気ではなさそうですね。
「猫ですよ猫。 ほらほら」
両手に持ってアピールしている。
そんなに着けさせたいのでしょうか?
一応、フィルムをまいておきましょう。
手に持つカメラを操作して、いつでも撮れるようにする。
「全く、私がそんなことするわけないじゃない」
!?
主がそう言った時には、既にその頭に猫耳が装着されていた。
当の本人は気が付いていない。
よく見たら尻尾まで着いている。
一方メイド長は何やら悶えている。
「あぁ、お嬢様……可愛いですわぁ……」
「……? ……っ!!」
そう言われて初めて頭の上のモノに気が付いたようだ。
恥ずかしいのか何やら震えて、顔はどんどん紅くなっていく。
「時間を止めて、好き勝手するなぁ――――!!!」
パシャッ
「あ」
しまった。
ついシャッターをきってしまった
一斉にこちらを振り向く館の主と従者。
嫌な汗が身体中に流れる。
でも良く考えてみてください。
あの吸血鬼が猫耳を着けてにゃんにゃんやっているんですよ。
そりゃもう写真撮るしかないです。
「……咲夜、館に鴉が紛れ込んだみたいよ」
「そのようですね」
二人のシルエットがゆらりと揺れ、窓の方にそのまま歩いてくる。
通常ではありえないなんだか不思議なオーラが出ている気がします。
……これはちょっとまずいですね。
でもいい写真が撮れたから結構満足です。
「咲夜、昼間は頼むわよ」
「はい、必ず捕まえ(現像させ)ます」
やばい本気だ。
そう考えた時には既に、私は風になって飛んでいた。
その後のことはあまり覚えていない。
夜中には、色々なモノが切れた吸血鬼に追いかけられ、
昼間は、なぜか必死な従者に追いかけまわされる。
捕まると色々終わってしまう気がする二十四時間耐久デッドレース。
風や風評を操り、速さを活かして二日は逃げ続けたが
時と運命に勝てるはずがなかった。
―――――――――――― ◆ ――――――――――――――
「……と、言うわけで縛られちゃったわけ」
「大変でしたね」
「ええ、現像した写真を渡したと思っていたら、磔になっていたわ」
「捕まったのは昼間だったんですね」
「そーゆーことよ」
そう言って、パタッと手帳を閉じた文さん。
まさかそんなことをしていたとは思っていませんでしたよ。
でもそのおかげで誤字の修正ができたということは黙っておく。
というか、よくそれだけで済みましたね。
「虎穴に入らずんば虎子を得ず よ」
いやいや、あの館は虎穴どころの騒ぎではないですよ?
吸血鬼ですよ吸血鬼。
あとメイド。
怖いです。
そう言うと文さんはクルリと回り、私に背を向けた。
「なーに言っているのよ。怖がっているだけじゃなんにもできないわよ」
「なるほど。それが取材ってやつですか」
「……いや、何にでも言えることよ」
「え?」
その表情はこちらからは見えない。
文さんは、怖がっているだけじゃ何も出来ない。
確かにそう言った。
そして、何にでも言える事だと言った。
私は、その言葉の意味が分からない。
誰にだって怖い事はあるのに。
そのまま、何も言えない時間が過ぎていく。
文さんの髪は、風が吹くたびに揺れていた。
「あっちの方に何かがありそうだわ!」
突然、文さんが宣言した。
なんですかいきなり!? と言おうとしたが、やめた。
太陽を真っすぐに指さす文さんの顔は、活気に満ちていたから。
私がとっても好きな表情だったから。
多分、適当に指さしただけなのでしょうけど。
何かを見つけてきてくれるはず。
無くても見つけてくれるはず。
私はここで待っています。
んー……っと、文さんが背伸びをした。
「よーし、ちょっと行ってくるわっ」
「はい、行ってらっしゃい」
手を振る文さんを、私も手を振り見送る。
漆黒の羽根が広がるのが見えた瞬間、風が辺りを支配した。
思わず目を瞑ってしまう。
開けた時にはもう、文さんの姿はなかった。
でもきっと、すぐに帰ってくるでしょう。
そして、こんなことを言うんだ。
「今日の情報を手に入れてきたわ! 手伝いなさい!」
それまでに、ちょっと隠れ家の掃除でもしておこうか。
そう思い、滝の方へ足を向けた時
穏やかな涼風が私を包み込んだ。
火照った私を、優しく冷やしてくれた。
足元の花が揺れる。
天を見上げると、澄み渡る空が千里以上に続いていた。
浮かぶ白雲が、形を変えて流れていた。
腕を広げ、全身で風を感じる。
今、私を包んでいる風。
この風を起こしたのは、きっと――――――
終わり
「アホかぁぁぁっ!!」
叫び声と同時に暴風が吹き荒れ、鴉達が鳴きながら飛んでいった。
途端に辺りが静まり返り、視界が広がったように感じたのは、先ほどまで数十羽の鴉が地面近くを支配していたからだろう。
ガーやらアホーやら、何だかよく分からない鳴き声が羽根と共に舞っていたせいだ。
今も聞こえるモノと言えば、轟々と唸りを上げるように降り注ぐ滝の涼しげな音と、私から三メートルほど離れた場所で、不自然な格好をしている文さんの声だけだ。
鴉プレイって何よ意味が分からないわだとか、早くなんとかしなさいよだとか、犬っころだとか何やら早口で捲くし立てている。
そんな文さんに対して、私は先ほど思った通りのことを言う。
「いや、そんな状態で言われましても説得力ないですよ」
「少なくとも文々。新聞の発行部数よりはあるわ」
「言っていて虚しくないですか?」
「…………うっさい! あんたの胸よりはあるわよ!」
カチンッ。 頭の中で何かが切れたような音がした。
こんの天狗は、私が若干気にして……ないけど。
いーだ。私と大して変わらないくせにそんなこと言わないでほしいです。
第一おかしいですよ。なんで新聞と比べるのですか?
つまりそれは新聞並みに薄いという意味ですか?
心の中で声を荒げる。
「あ、あれー? もみじー……?」
……いや、別に気にしてないですけどね。そんなこと別に。
うんうん、全然気にしてないですよ。鴉と狼なのになんであっちの方がー。
あー、もー。それにしても今日は暑いですねぇ!
「と、とりあえず今はこれ、外してくれないー……?」
……今。暑いから滝にでも飛び込もうかと思っていたら、文さんの言葉が急に耳に届いた。
聞き流していたのに。
確かに今はそんなこと考えていても仕方がない。
理不尽に対して悲観していても、意味がない。
むー、確かにそうだ。一理あります。
そうだ。私は今、私にできることをしよう。今丁度、私に反撃のチャンスがあるんだ。
無意識のうちに、パタパタと尻尾が揺れた。
普段色々されていますからねぇ……。ふふふ。
だって、文さんは今――――
「十字架にロープで磔になっていますからね!」
「みなまで言うなぁ!」
文さんは赤面しながら、そう叫んだ。
ビュッ! という風切り音とともに暴風が私を襲う。
私は咄嗟に地面に伏せたが、望むモノを見ることはできなかった。
―――――――――――― ◆ ――――――――――――
幻想郷で山と言えばここ、妖怪の山のことを指す。
永遠に続いていると感じさせるほどに生い茂る森林は日光や感覚を遮断し、日光を反射させながら流々と流れる川は河童を攫い流す。
ふと上を見上げれば、黒や白やよく分からない色の羽根が落ちてくる。
実に妖しく怪しい山だ。
麓へと続く道から外れ、獣道を歩いていくと少しひらけた場所がある。
そこは木が生えてないため、頭上からは容赦なく日光が照らす。
その光を反射する、轟々と音を立てて降り注ぐ滝。
ここでたまに河童が遊んでいたりするが、今日は居ない。
滝の回りには運ばれてきた岩が連なり、更に下流へと繋がっている。
岩場に立つと、飛散した水滴が真夏の熱を逃がしてくれる。その滝の長さはおよそ五メートルといったところだろうか。
流れ落ちる銀白の壁を潜りぬけ、奥に入ると材質不明の小屋が建っている。
これは文さんがにとりに頼んで作ってもらったものだ。
濡れないように入るためにはコツが必要。
小屋の通称は、『天狗の隠れ家』。
にとりは『河童特製 超防水加工デリューヴィアル』と呼んでほしいらしいが、誰もそう呼ぼうとはしない。
……山に住まう者達にも、この小屋の存在はほとんど知られていない。
知っているのは文さんと私とにとりと、あの天狗ぐらいか。
滝の奥を覗こうとするモノ好きな者は……多分いないから知っている者が教えない限り見付かることはないだろう。
ここは文さんの仕事場兼第三の住処(多分)、その他諸々の目的で使われている。
私も文さんの仕事を手伝ったり、掃除したり昼寝したり休憩したり大将棋するためによく利用する。
ところで防水なのに大洪水とはどういうことだろう。雨もりの心配はないが、滝もりが若干心配だ。
何はともあれ滝の中は涼しいので、夏はとても住み心地が良い。
そして今日、私は一仕事終え、そこで休もうかと思い歩いていた時に異変に気が付いた。
どうもおかしい。いつもより鴉の声が騒がしい気がする。
片手で額の汗を拭い、歩いて行くうちに何となく。
隠れ家に近づくにつれ、鳴き声は大きくなっていく。
上り坂になっているから、上の方はまだ見えない。
登っていくと、数十羽の鴉が何かを囲んでいるのが見えた。
これはさすがにおかしいと、少し足を速めて近寄る。
私の視界に飛び込んできたものは、私を絶句させるには十分な代物だった。
ただ鴉が集まるだけなら、別にいい。
それだけなら、よかったのに。
鴉達の集まる中心には十字架が立っていた。
それだけなら、別に問題ではない。
木目があることから、木を二つ組み合わせて作られていると分かった。
そんなことは、どうでもいい。
そこに、文さんが磔にされていたんだ。
――――――――――――――― ◆ ――――――――――――――――――
「いい? さっきの鴉達には、このロープを切ってもらおうと思っていたの」
「なんで鴉達に頼んだんですか?」
「周りに誰も居なかったから、あの子達に頼むしかなかったのよ」
「よく集まってくれましたね」
「口笛吹けばすぐに来るわよ」
先ほどのことを逐一説明していく文さん。
きっと手が自由だったら片手の人差し指を立てているはず。
そうするのが文さんのクセなんだ。
今は両手首、足首、お腹や太ももの辺りに縄がグルグル巻かれているからできない。
磔にされている文さんは、どこぞの吸血鬼のような雰囲気がしたが、そんなことはどうでもいい。
なんにせよ、妖怪の山には不釣り合いのものだ。
「大量の鴉が文さんを襲っていたのでびっくりしましたよ」
「いや、だから! 襲われていたんじゃないってば」
「自身を縛ってその上で鴉に突っつかせていたのかと……」
「私にそんな趣味なんか無いわよ!」
「最近姿を見ないと思っていましたけど、まさかそんなことに目覚めていたとは……」
「よーし、目を見開きなさい。風を突っ込んであげる」
それはさすがに遠慮しておきます。痛そうです。
文さんは完全に否定していますね。
どうやら鴉プレイじゃなかったみたいです。
実は攻められる方が好きなのかと思いましたよ。
いつもは高慢で上から目線でわがままな天狗、その本性が知れたと思ったのに。
残念ですよ全く。
「ところであんたは、私が、なんでこうなったのか、疑問に思わないの?」
わざわざ一言ずつ区切り、強調して私に問い掛けてくる。
そんな刺すような視線を送らないで下さい。はね返しますよ。
「あぁ、そう言えばそうですね」
そっけない返事を返す。
「ねぇ椛~。 岩か隕石どっちがいい?」
すると文さんはこんなことを聞いてきた。
文さんは妙な笑顔だ。
眼の辺りに影が落ちていますよ? 怪しいです。
それに隕石と岩ではとても差があるとは思いませんか?
ところで岩って岩のりのことですか?
「岩のりは割と好きですよ」
「よし決まりね!」
素直に答えると、文さんに何かしらの決心が付いたようだ。
なにが決まったんですか? 私へのプレゼントですか?
やっぱり可愛い所あるじゃないですか。分かっていましたけど。
岩のりかぁ……もう一度食べたかったんですよね。
にとりに貰ったのは、かなり以前のことですから。
そういえばにとりはどこから手に入れたんでしょう?
幻想郷内では採れないものらしいのですが。
早くお米を炊かないと……なんてことを考えていると、突如轟音が轟いた。
聞いた瞬間に、ご飯のことは頭から吹き飛んだ。
私は咄嗟に身構える。
音が発せられた方向は―――こっちだ。
数メートル先の森林の、更に向こう側から迫るものを感じた。
足元の地面からゴゴゴゴと振動しているのが伝わってくる。
刀と盾を構え、足にグッと力を込め、来たるべきモノに備える。
周囲には暴風が吹き荒れている。
文さんが風で山の上から何かを運んできているんだ。
数秒後、地響きの正体が現れた。
木々をなぎ倒しながらゴロゴロと私に一直線に迫ってくるのは、当たったら確実に白板天狗になってしまうほどの大きな岩。
いや、赤板?
わー、なんだこれ、三メートルはありそうです。
なんて思っている場合ではない。
クルリと岩に背を向けて、地面を蹴った。
「文さーん!? なんですかこれ――!?」
「岩に決まってるじゃない」
「のりはどこですか!?」
「今聞くべきこと!?」
私が走りながら必死で問い掛けると、文さんは磔になったまま当然のようにそう答えた。
のりのことは吹っ飛んでなかったようだ。
あぁ、なるほど! のりは無いんですか!
ただの岩ですか! 上の方の岩を風でグイッとしたんですね!?
自分はそこから動けないからって風や岩で遠距離攻撃ですか!
さすがですね文さん!
でも岩は当たると痛いです。
今度は豆腐にして頂けると嬉しいです。
もし本当に豆腐が飛んできたら、全力で文さんに投げつけます。
そんなことを考えていく内に、岩はどんどん私に迫ってきている。
あー、これはこのままだと避けようがないですね。どうしましょう?
下は無理だ。あの岩が私に激突するまで、数秒といったところだろう。
そんな短時間では壕を作ることもできない。
じゃあ、横? 右か、左か。……ダメだ。
眼の前の岩が大きすぎて、その後ろの岩は見えない。
来ないかもしれないが、来るかもしれない。
来ないだろう という考え方は事故の元だ。
……となると、行くべき道は二つに一つ。
飛び越えるか、突き崩すか。迷っている暇はない。
文さんが私を呼ぶ。その瞬間、私は覚悟を決めた。
全速力のダッシュから一変、百八十度のカーブを曲がる。
右足を思い切り前に出し、左足を曲げてスライディング。
その後、身体を傾け回転、後ろを振り向き岩の方を見る。
草鞋が地面と摩擦して、砂埃を散らした。
今日は下駄じゃなくてよかった。
足や腰、その他各所の骨や筋が軋むのを感じた。
バランスを崩さないように片手を使い、三点で身体を支える。
自身の勢いが前後に反転し、零になる。
そのまま力いっぱい地面を蹴った瞬間、私の身体は空中に浮かんだ。
日光に熱された空気が、私を包み込む。 あつい。
下を向くと、大岩との距離は十分にあった。
地面を転がる大岩が私に当たるはずがない。
岩はそのまままっすぐ私の下を潜り、深い茂みに吸い込まれていった。
それを見届けるとほぼ同時に私は地面に着地した。
なんとかなったみたいですね。
さーて、文さーん。 次は私の番ですよねー?
何をしようかを考えていると
「あだぁぁぁっ――――!!!」
あだぁぁっ―――…… あだぁ――…… だー……
悲痛な叫び声が、山びことなり広がっていった。
「いったたたぁぁぁ―――……なによなによっ。もう少しで撮れそうだったのに」
そんな不平を言いながら茂みから何かが飛び出してきた。
それは、よーく見覚えのある姿をした全体的に紫色の天狗。
文さんが書いている文々。新聞の対抗新聞、お菓子念報の記者。
姫海棠はたてだった。
――――――――――― ◆ ――――――――――――
風が吹くたびに紫のリボンに結われた栗色のツインテールが揺れ、紫と黒のチェック柄のスカートがなびく。
なぜ茂みの中に潜んでいたのかとか、お菓子じゃなくて花果子だったっけ? とか聞きたいことは割とあるが、まずは――――
「はたてっ!? 大丈夫!?」
「はたてさん、大丈夫ですか?」
天狗と言えど、岩がぶつかれば色々危ない。
文さんと私が心配して声をかけるが
「あぁもう、今のは完全に風に負けてたと思ってたのにー」
無視された。
はたてさんは何やらよく分からないことを言いながら、手に持った黄色のものをいじくっている。
ケータイだったかレータイだったか何だったかは忘れてしまった。
とりあえず天狗の話は聞いておいた方がいいですよ。
……自身が天狗だとしても。
そんなことを考えていたら、文さんの足が少し動いた。
磔になっていなかったら、恐らくはたてさんの元に駆けつけていっていただろう。
代わりに私がはたてさんの傍に寄る。
「あの、はたてさん」
「んー…… ん? あ、犬っころじゃない」
やっと顔をあげたかと思いきや、そんな事を言い出した。
飛びかかりたい気持ちをなんとか抑える。
ええ、別に後ろ手に刀を握り締めてなんかいないですよ。
「どうしたのよ。歯に何かが挟まったけど取れなくて取れなくて発狂寸前ーみたいな顔をして」
「そんな顔してないですよ!?」
言いながらカメラを向けてきたから、急いで避ける。
右手の力を抜いて、笑顔を作ってから尻尾を振る。
これでばれることはないはずだ。
……というかどんな顔ですかそれは。
「んー? まぁ、いいわ。 それよりさっきの風はなに?」
「え? 文さんの風ですけど……」
文さんの能力は知っているはずなのに、どういうことだろう。
それよりも、さっきの岩でなんか怪我はしていないんですか?
「そりゃ文の仕業でしょうね。そんなことは分かっているわよ」
「えと、それよりもさっきの岩で――――」
「私が聞きたいのは、なんで今の風で文のスカートが捲れなかったのかってことよ!」
「はぁっ!?」
文さんと私が同時に驚愕の声をあげた。
はたてさんは怪我していないみたいですね。 頭以外。
あ、でも元々だから仕方がないか。こればかりは治せませんね。
ところで何を言い出すんでしょうか。この引きこもり新聞記者は。
そんなの、あれだけの風が吹いていたんですから……
「……あれ?」
捲れていましたっけ。そういえば見た覚えがない。
一回地面に伏せたが、見ることができなかったのを思い出す。
これは……確かに、おかしい気がしてきた。おかしいのは私の頭?
そんなことを私が考えている間に、はたてさんは文さんの前に歩いて行っていた。
「ねぇ、はたてー。まずはこのロープを解いてほしいんだけど」
「岩が転がるのに捲れないなんて……文のスカートはそれ以上の強度ってこと?」
「あややややや、とりあえず話を聞いてほしいわ」
「おかしいわねぇ。私のと同じ素材のはずなんだけど」
「もしもーし、はたてさーん?」
あー、こりゃだめだ。
はたてさんは完全に自分の世界に入りこんでしまっている。
文さんが何を言っても聞いちゃいない。
「集中すると他のことに気を向けないのが、念写の基本なのよっ」
と、この前言っていた気がする。
でも今は念写どころの騒ぎではないと思います。はた迷惑です。
相手が目の前に居るのに念写なんて……とか考えていると
「もしかして文のスカートって金属製?」
「はい?」
突拍子もなくそんなことを言い出した。
なにを言っているんですかはたてさん。
ほら、文さんも心底不思議そうな顔をしているじゃないですか。
珍しい表情です。
カメラはどこですか。
あ、文さんの首にかかっているじゃないですか。
そう一歩踏み出した瞬間
「ん~……、肌触りは同じみたいね」
殺意の衝動が私を包み込んだ。
はたてさんの片手が、文さんのスカートに触れたから。
……ここは山の警備隊の出番ですね。
何秒経過しただろうか、まだはたてさんは手を離さない。
ゆっくりと、確かめるようにスカートに触っている。
八つ裂き辺りに抑えてあげようとか考えていたが、文さんの表情を見た瞬間、そんな考えは吹っ飛んでいった。
文さんの頬は真っ赤に染められ、その目は羞恥の想いが写っている。
キリッと吊り上げられていたはずの眉も今は下がり、口を少しだけ開き、何か言おうとしているようにも見える。
そして身体はブルブルと、まるで小動物のように震えていた。
こんな顔、普段は絶対に見せない。
そうか、文さんは自分が撮られるのは苦手だと言っていた。
撮るのは別に何でもないのに、自分がされるのは恥ずかしいと。
写真以外の事でもそれは変わらないだろう。
それほどまで、されるのは苦手なのに今は――――
だから、こんな表情を浮かべているんだ。
カメラを下さい。
「材質は同じ……? いや、やっぱり違う?」
そんな文さんを知ってか知らずか、はたてさんはまだスカートを触っていた。
そろそろ私と交代の時間じゃないですか?
「ぁの……はたて……」
あ、やっと文さんが喋った。
その声はかなり小さかったが、私の耳に聞こえない文さんの声はない。
えへん。
頭の上の耳は飾りじゃないのですよ。
「この独特の感触……やっぱりこれと同じ布よねぇ……」
いつまでやっているんですか。
私だってわふわふと飛びつきたいのに。
「はたてー……」
今度の声も、さっきとあまり変わらなかったが
「……ん? 文、呼んだー?」
今度は聞こえたらしい。
不思議な耳の構造をしていますね。
それとも頭の方ですか。
やっぱり治してもらった方がいいですよ。
今なら哨戒天狗特製ショック療法のいいのがあるのですが、どうですか?
私がどれにしようか考えていると、文さんの声が聞こえてきた。
「そんなことされるの、その……恥ずかしいんだけど……」
文さんのその言葉と表情が、花達の脳裏に焼きついた。
言い終わった後、すぐに文さんは顔を伏せて表情を髪で覆ったが
さっきより真っ赤になった頬を隠すことはできていなかった。
私は思わず、ワオーンと遠吠えしたい衝動に駆られた。
なんとか堪えることができたが、次があればもう耐えきれないと思う。
「あ……やっ……、その、私っ……!」
はたてさんは、まさかこんなことを言われるとは思ってもみなかったらしい。
完全に言葉に詰まっている。
バタバタと手を振るたびに揺れる髪の毛が、やたら印象的だ。
「いいわ。 はたてだから、許してあげる」
そう言って笑う文さんと
「えぇっ? あ……、うん」
シュンと大人しくなるはたてさん。見つめ合う二人。
……なんですかこれは。
なんとなく、姫と王子みたいだな と感じた。
どちらが王子なのかは、言わずもがな。
雰囲気がどことなくそうだったんだ。
私が勝手に思ったことだから、別に何でもないことだ。
それなのに
「ねぇ、姫」
うわあああぁぁぁぁん。どうしたんですか文さん!?
まさか私の心を呼んだ!? あぁ、まさか以心伝心の仲だなんて……。
だったらその言葉は私に向けて下さいよぉぉ!
あー、でもどちらかと言うと文さんが姫の方がぁぁっ!!
「姫って……そんな……」
その言葉を言われた本人は、先ほどまでの文さんと同じぐらい頬を染めていた。
代わって下さい。
「姫。この縄、外してもらえるかしら?」
「ええ」
あー、ダメだ。
はたてさん、さっきの文さんの発言で完全に頭がやられちゃっている。
なんで姫が縄を斬らないといけないのかーというツッコミすら無い。
どことなくポワポワした表情を浮かべて、縄に手をかけていた。
これは……
「私も手伝いますよ」
私も手伝わないといけない状況だろう。
そうしないと、すっかりできあがってしまったはたてさんが何をしでかすか分からない。
ここには刀もあるし。
「椛、ここ、よろしく」
「はーい」
文さんを傷つけないように気を付けながら、一本ずつ斬っていく。
足の下には台座のようなものがあるのを見つけた。
文さんはこれに乗っていたんだ。
完全に浮いている状態ではなかっただけマシなのだろうか。
それにしても、はたてさんが大人しいって珍しいなぁ。
縄は、そこまで丈夫な物は使われていなかった。
刀を当てて力を加えると、割とすぐに斬ることができた。
縄が巻いてあったところの肌を見てみる。
……見たところ、跡は残っていないようだ。
縄だったからよかった?
もし、本格的に杭とかが打ち込まれていたら、私はどうしていたか分からない。
でも、そんなことは考えたくない。
頭を振って、考えないようにした。
そうこうしているうちに、縄はラスト一本になっていた。
それに刀を当てて、切り取るとほぼ同時に、文さんはピョンっと地面に着地した。
カッカッとつま先を地面に当てている。
地面の感覚を思い出すように。
そして、私達を振り返って、一言。
「椛、はたて、ありがとうね」
とびきりの笑顔の花が咲き、妖怪の山に遠吠えがこだました。
―――――――――――― ◆ ――――――――――――
「あー…… うん! いいもの撮れたし、私は帰るわね! じゃあね!」
文さんが救出されてから数分も経たないうちに、はたてさんはこう言った。
「はい、また明日です」
「またね~」
私と文さんが別れの返事を返す。
少し離れた後、一度振り返ってこちらを見たから、私達は手を振る。
するとはたてさんは慌てながら飛んで帰っていった。
いいものとは何だろう。
また見せてもらいに行こう。
「さて文さん、私と二人っきりになりましたが……」
何をしますか? と言おうとしたら、いつの間にか文さんの手には長めの縄があった。
おっと、それを使って何をする気ですか文さん。
「絞めます」
「率直すぎる!」
そんなド真ん中にストレートで来るとは思っていませんでした。
縄なんですからカーブとかでいいじゃないですか。
「いや、ただのアレよ。言葉遊びよ?」
「はい?」
どういうことでしょう?
文さんはよく私の頭では追いつけないことをやりますけど、ここまでぶっ飛んでいるのは久しぶりです。
「ヒント これは縄じゃなくて糸よ」
糸……? ますます訳が分からない。
意図的に縄を糸にしてどうするんでしょう?
おかしな話です。
いとをかしです。
文さんは大変美しいです。
「ヒント2 私が、これを持つってことはどういうこと?」
文さんがこれを持つと言う事は……何かが始まるということでしょう。
その縄で相手を……いやいや、言葉遊びなんだ。
そのまま捉えていてはダメなんですよね。
…………
……
ダメだ。分かりません。
尻尾を振っても分かりませんでした。
「降参です」
「そう、分かったわ。正解を教えてあげる」
少し前までの顔はどこに消えてしまったのやら、今はもうすっかり得意気な笑顔になっている。
……こっちの方が私は好きですねぇ。
そうこうしている間に、文さん直々の解説が始まった。
「いい? 私が糸を持つってことは、文が糸を持つってことよ」
……え? いや、まぁそりゃそうですけど。
私が黙っていると、文さんは解説を続けた。
「つまり、糸と文を組み合わせる ということなの」
……これは、まずいですね。
昨日の書き直し作業が頭に浮かんできた。
「糸と文を繋げるとあら不思議、しめると言う漢字になるのよ!」
文さんは胸を張って、そう宣言した。
残念ですが、なりませんね。
私は心で嘆息した後、口を開く。
「……文さん、紋と絞を間違えていません?」
「え?」
「絞も紋も確かに糸偏ですけど、旁が違いますよ? 文なのは紋の方です」
「…………」
「………あ」
なるほど。そういうことでしたか。
どうりで最近の新聞の記事では、紋と絞が間違っていたんですね。
誤字ぐらい仕方ないんじゃ……
と言おうとしたら、文さんが正面から両手で私の両肩を掴んできた。
ダランと頭を垂れているため、表情が見えない。
「あの、どうしたんですか? 文さん」
「どうじよぅもみじぃ……」
そう言いながら顔を上げる。
目には大粒の涙。
すぐに、私の胸に顔をうずめた。
そこで、グスグスと泣いている。
私はそっと、文さんの頭を抱いた。
誤字とかそういうのには結構ショックを受けるんでしたね。
そういうのに、弱いんでしたね。
そんな文さんに、私は
「大丈夫ですよ」
出来る限り優しく、言葉をかけた。
「え?」
少し驚いたように、胸から顔を離す文さん。
見上げた目と、私の目が合う。
「私が直しておきました」
本当に、大丈夫ですから。
何も心配することはないですよ。
そんな思いを込めて、そう言った。
「ほら、見て下さい」
近場に積んであった束から一つを抜き取り、渡す。
手なれた手つきで新聞を広げ、すぐに問題の個所を探し当てた。
そういえば、書いた記事は全部覚えていると言っていましたね。
「ホントだ……ありがとう、椛」
「どういたしまして」
そうして、私達は顔を合わせ笑い合う。
今度は、遠く吠える声は響かなかった。
ただ、風に揺れる文花がそこにあった。
――――――――――――― ◆ ――――――――――――――
「ところで文さん、なんで十字架に縛られていたんですか?」
「あ、やっとそれ聞いてくれたわね」
「いや、なかなか言う機会が無くてですね」
「……ん、まぁなんでもいいわ」
いつ聞かれるか、ずっと待っていたんだからねっ……と言われるかと思ったが、結局そんなことを言われることはなかった。
別に言わせたかった訳じゃないんですけどねっ。
なかなか難しいです。
そんなことを考えている間に、文さんの激白が始まっていた。
「そう、あれは私が紅魔館の窓から取材をしている時の事――――」
「それ盗撮って言うんですよ?」
「…………」
無言の圧力。
ジトーっとした目でこちらを睨んでくる文さん。
なんですかその視線は。
色々なところが痛いです。
もっと睨んで……なーんて思って……
「続けていいかしら?」
「はい、もっと睨んでいて下さい」
「そっち!?」
「もちろんです!」
「…………」
あ、あれー? 素敵にスルーされてしまいました。
ショックです。
そしてなんだか空気が痛いです。
そんなことを考えている私を尻目に、どこからか取り出した手帳をパラパラとめくっていく。
「あ、あったあった」
その間は数秒といったところだろうか。
どうやらお目当てのメモは見つかったみたいですね。
今度は茶々を入れずに聞いてみることにします。
「そう、あれは私が紅魔館の窓から取材をしている時の事――――」
「それもう一回言うんですね」
早速入れてしまいましたが、文さんの語りは止まらなかった。
―――――――――――― ◆ ――――――――――――――――
『ジャーナリストあややの特別取材』
新月。
支配するモノのいない夜の空を、私は駆けていた。
目的地は湖のほとりに建つ、紅い館。
そこで何かが起きそうな気がします!
もちろん勘でしかないですけど。
星を見たりしながら飛んでいると、いつのまにか目的地に着いていた。
さっそく窓の近くに張り込む。
するとこんな声が聞こえてきた。
「お嬢様、猫になりたくはありませんか?」
なんですかいきなり。
見付からないように窓を覗くと、メイド長と館の主が居るのが見えた。
メイド長の手には猫耳が握られている。
とても良い笑顔ですね。
「あー? 突然何を言い出すのよ」
そっけない返事を返す館の主は、紅茶らしきものを飲みながらイスにかけている。
とてもめんどくさそうな顔をしてます。
あまり乗り気ではなさそうですね。
「猫ですよ猫。 ほらほら」
両手に持ってアピールしている。
そんなに着けさせたいのでしょうか?
一応、フィルムをまいておきましょう。
手に持つカメラを操作して、いつでも撮れるようにする。
「全く、私がそんなことするわけないじゃない」
!?
主がそう言った時には、既にその頭に猫耳が装着されていた。
当の本人は気が付いていない。
よく見たら尻尾まで着いている。
一方メイド長は何やら悶えている。
「あぁ、お嬢様……可愛いですわぁ……」
「……? ……っ!!」
そう言われて初めて頭の上のモノに気が付いたようだ。
恥ずかしいのか何やら震えて、顔はどんどん紅くなっていく。
「時間を止めて、好き勝手するなぁ――――!!!」
パシャッ
「あ」
しまった。
ついシャッターをきってしまった
一斉にこちらを振り向く館の主と従者。
嫌な汗が身体中に流れる。
でも良く考えてみてください。
あの吸血鬼が猫耳を着けてにゃんにゃんやっているんですよ。
そりゃもう写真撮るしかないです。
「……咲夜、館に鴉が紛れ込んだみたいよ」
「そのようですね」
二人のシルエットがゆらりと揺れ、窓の方にそのまま歩いてくる。
通常ではありえないなんだか不思議なオーラが出ている気がします。
……これはちょっとまずいですね。
でもいい写真が撮れたから結構満足です。
「咲夜、昼間は頼むわよ」
「はい、必ず捕まえ(現像させ)ます」
やばい本気だ。
そう考えた時には既に、私は風になって飛んでいた。
その後のことはあまり覚えていない。
夜中には、色々なモノが切れた吸血鬼に追いかけられ、
昼間は、なぜか必死な従者に追いかけまわされる。
捕まると色々終わってしまう気がする二十四時間耐久デッドレース。
風や風評を操り、速さを活かして二日は逃げ続けたが
時と運命に勝てるはずがなかった。
―――――――――――― ◆ ――――――――――――――
「……と、言うわけで縛られちゃったわけ」
「大変でしたね」
「ええ、現像した写真を渡したと思っていたら、磔になっていたわ」
「捕まったのは昼間だったんですね」
「そーゆーことよ」
そう言って、パタッと手帳を閉じた文さん。
まさかそんなことをしていたとは思っていませんでしたよ。
でもそのおかげで誤字の修正ができたということは黙っておく。
というか、よくそれだけで済みましたね。
「虎穴に入らずんば虎子を得ず よ」
いやいや、あの館は虎穴どころの騒ぎではないですよ?
吸血鬼ですよ吸血鬼。
あとメイド。
怖いです。
そう言うと文さんはクルリと回り、私に背を向けた。
「なーに言っているのよ。怖がっているだけじゃなんにもできないわよ」
「なるほど。それが取材ってやつですか」
「……いや、何にでも言えることよ」
「え?」
その表情はこちらからは見えない。
文さんは、怖がっているだけじゃ何も出来ない。
確かにそう言った。
そして、何にでも言える事だと言った。
私は、その言葉の意味が分からない。
誰にだって怖い事はあるのに。
そのまま、何も言えない時間が過ぎていく。
文さんの髪は、風が吹くたびに揺れていた。
「あっちの方に何かがありそうだわ!」
突然、文さんが宣言した。
なんですかいきなり!? と言おうとしたが、やめた。
太陽を真っすぐに指さす文さんの顔は、活気に満ちていたから。
私がとっても好きな表情だったから。
多分、適当に指さしただけなのでしょうけど。
何かを見つけてきてくれるはず。
無くても見つけてくれるはず。
私はここで待っています。
んー……っと、文さんが背伸びをした。
「よーし、ちょっと行ってくるわっ」
「はい、行ってらっしゃい」
手を振る文さんを、私も手を振り見送る。
漆黒の羽根が広がるのが見えた瞬間、風が辺りを支配した。
思わず目を瞑ってしまう。
開けた時にはもう、文さんの姿はなかった。
でもきっと、すぐに帰ってくるでしょう。
そして、こんなことを言うんだ。
「今日の情報を手に入れてきたわ! 手伝いなさい!」
それまでに、ちょっと隠れ家の掃除でもしておこうか。
そう思い、滝の方へ足を向けた時
穏やかな涼風が私を包み込んだ。
火照った私を、優しく冷やしてくれた。
足元の花が揺れる。
天を見上げると、澄み渡る空が千里以上に続いていた。
浮かぶ白雲が、形を変えて流れていた。
腕を広げ、全身で風を感じる。
今、私を包んでいる風。
この風を起こしたのは、きっと――――――
終わり