「ねえ妹紅。ちょっといいかしら?」
「珍しいな。お前が私を呼ぶなんて」
「実はね、姫様のことで相談があるのよ」
「ふっ。もしかして、天才従者の永琳様もとうとうあいつに愛想を尽かしたのか?」
「……茶化さないでくれる? こっちは真剣なんだから」
「悪かったよ。謝るからにらむのをやめてくれ、トラウマになりそうだから。……それで相談って?」
「最近、姫様の様子が変なのよ」
「ヘン? どんなふうに?」
「それがね…………」
◆ ◆ ◆
黒板の前には三人がならんで立っている。コホンと一つ咳ばらいをし、左端の人物が話しだした。
「勉強は大切だ。生きていく上で必ず必要になるからな。でも、それだけじゃ駄目だ。適度に息抜きをしなければ疲れてしまい、学んだことも頭に入らなくなってしまう。そこで今日は一日自由時間とする。みんなで楽しく遊んで心身ともにリフレッシュしてくれ。あと遊び相手として特別講師を招いた。私の親友の藤原妹紅と蓬莱山輝夜だ」
続けて二人がぺこりと頭をさげた。
「妹紅だ。今日は慧音先生の言うとおり、勉強のことなんかは忘れて目いっぱい遊ぼうな!」
「……か、輝夜です。よ、よろしく」
「じゃあ遊び道具は教卓の上に置いとくから、自由に持って行ってくれ。それと十二時には教室に戻ってくるように。じゃあ解散」
言い終わった瞬間、子供たちの元気な声が教室を満たした。そしてすぐさまグループができ、なにをしようかという打ちあわせが始まった。
慧音と妹紅はその様子をうれしそうに見ていた。しかし輝夜は苦虫をかみつぶしたような表情を浮かべている。
じろりと横の妹紅をにらむ。視線に気づいたようで相手も彼女のほうを向いた。そして笑顔のまま話しかけてきた。
「怖い顔するなよ。子供たちがびっくりするぞ?」
「……誰のせいだと思ってるの? まったく、人を騙しておいてその顔はなによ」
「おいおい、人聞きが悪いな」
ふざけたように両手をあげながら言った。それを見て、輝夜はもっと目を細めた。
「だって本当じゃない」
妹紅が輝夜を訪ねてきたのは今朝のことだった。どうせまた殺し合いのさそいかと思っていたら、開口一番に「デートをしよう!」と言いだしたのだ。
それを聞いて彼女は心底戸惑った。恋人でもない奴にデートにさそわれたのなら当然だろう。
もちろんすぐに断った。しかし何度拒否しようが相手は食いついてくるので、しょうがなく輝夜が折れたのだ。しかしどこに行くのかと問えども教えてくれず、不審に思いながらもついたのが寺小屋だった。
そこで初めて今日のやることを教えられたのだ。子供たちと遊ぶのだ、と。
すぐさま帰ろうとした。しかし妹紅に必死にお願いされ、しまいには慧音からも頭をさげられてしまった。そこまでされるともう逃げることもできずに、これまた輝夜が折れたのだった。
そして現在に至る。
「まあ、一緒に歩いたんだからあながち間違いじゃないだろ?」
「どこが!? あれはデートというより散歩よ!」
「そう目くじらを立てるなって。あっ、もしかして本当に私とデートしたかったのか?」
そこで一瞬言葉がつまってしまう。それでもすぐに反論する。
「そ、そんなわけないでしょ!?」
「あら残念。私はしたかったのにな」
「へっ!?」
「うっそー。お前顔赤いぞ?」
「うるさい! 人を騙すのもいい加減に……」
「じゃあ私は男子に交じってくるから、お前もどっかのグループに入って遊んどけよ」
ずいぶんと人を食ったような調子である。一発ぶん殴ってやろうとしたときには、もう妹紅は男子の輪に交じっていた。なにやら楽しそうに話しかけている。
行き場がなくなった右こぶしを強く振りおろし、唇をかんだ。怒鳴ろうかとも思ったがやめておく。さすがに子供たちの前では恥ずかしすぎる。
気がおさまらない輝夜は、近くにあった生徒用のイスに座った。勢いよく座ったのでイスがかすかに軋んで鳴る。背もたれに頬杖をつき、不機嫌面で子供たちを見まわした。何人かのグループが点在しており皆が皆、楽しそうな顔をしていた。
それを見てほっぺたを膨らませた。なぜこいつらの相手をしないといけないのだ。不満の矛先を今日の用件へと向ける。スリッパをはいた足で床を叩いた。
「よし、じゃあ妹紅姉ちゃんについてこい!」
しばらくすると、男子をひきいた妹紅が教室のドアへかけだした。しかし輝夜の横でピタッと足を止め、頬杖をつく彼女の顔を見つめた。
「サッカーをするんだが、お前もどうだ?」
横目で声のほうへ一瞥を投げる。しかし、すぐに前を向いて不機嫌面のまま手をひらひらと振った。 「遠慮しておくわ。走りまわるのは嫌いなの」
あっそ、と妹紅も淡白な返事をして教室から出て行った。
男子グループを見送ったあと、小さくため息を吐いた。あいつはもう子供たちになじめたのか。そう思うと少し羨ましくなる。振り返り、時計を見てみたらまだ九時であった。あと三時間も……。
気が付いたら怒りがおさまっていた。そのかわり、ちょっぴり不安を感じ始めていた。
仏頂面でほっぺたをぽりぽりとかき、心の中でつぶやく。――さて、これからどうしよう……。
◆ ◆ ◆
シュッ、シュッとなにかが擦れる音がした。輝夜がそちらに目をやると、慧音が真剣な面持ちで机に向かっていた。よく目をこらしてみると、彼女はプリントの丸つけをしているようだった。
適度に息抜きが大事と言ったのはお前だろ。半目で見やりながらそんな言葉を口にだしてみる。無論、誰にも聞こえないぐらいの小さな声で。
そのとき、慧音がペンを置いた。聞こえてしまったのかと心配になったが、大きく伸びをしただけで再び丸つけの作業に戻ってしまった。生粋の堅物だな。さっきより大きめな声で言ってみた。
時刻はもう九時三十分になろうとしていた。教室にはあいかわらず、グループが点在している。男子は全員外に行ってしまったらしく、今ここには女子しかいない。百人一首をしているところもあれば、折り紙をやっているところ、またお喋りをしているところもある。塊ごとにやっていることは違うが、共通していることは皆楽しそうということである。
正直、輝夜はそこに交ざりたかった。一人ぼっちでいるのが寂しいのだ。だが気恥ずかしくて話しかけることができない。相手から声をかけてくれないだろうか、という期待もしたが見ず知らずの人物をさそってくれるほどあちらも友好的ではなかった。だからずっと頬杖をついて、拗ねたような表情をしていた。
今度は窓の外に視線をうつした。男子たちがサッカーをしている。妹紅もすっかり溶け込んでいるようで、みんなと同じく笑顔でボールを追いかけていた。
「いいなあ」とついつい本音が声になってもれる。そして参加しておけばよかったかな、と後悔もし始めていた。走りまわるのは確かに嫌いなのだが、さそわれたときは少々意固地になっていたのだ。
一つため息を吐いて、下唇をつきだした。
(あいつは誰とでも友達になることができるのだ。多分恥じらいという言葉が自分の辞書に載っていないのだろう。慧音から聞いた話によると、一時間人里を散歩するだけでおっちゃん五人と友達になれるらしい。もはや能力である)
指でイスの背もたれをトントン叩きながら、目で妹紅を追いかける。
(……だけどあいつが人を好きになることはないだろう。相手を変に意識しないのだ。初対面の奴にも分け隔てなく話しかけられるのはそのせいであろう。そしてどんなに親しくなった相手も、友達のカテゴリーにおさめてしまう。慧音がいい例だ。長年の付き合いだというのに大親友程度にしか思っていない。 ……だからいくら私たちの距離が縮まったとしても、無理なんだ。ありえないんだ。私がアイツと恋仲になるなんて……)
そこでハッとする。顔が熱くなるのを感じながら、頭を乱暴にかきむしった。――私はなにを考えているんだ! アイツと恋仲なんて、冗談じゃない!
何人かの子供たちが彼女を訝しげに見る。その視線に輝夜も気づいたようで、急いでなにごともなかったように取り繕う。
――落ち着け、私。さっきのはただの世迷言だ。気にするんじゃない。
乱れた髪を片手ですきながら自分に言い聞かせた。――そうだ、今は子供たちと遊ぶ時間だ。
大きく深呼吸を三回する。動悸がおさまってきた。そのかわり皆と遊ぶという使命感をおくれながら感じ始めていた。もう熱くないほっぺたを叩いて、自分に喝をいれる。
やってやる! ガタンと音を鳴らし、勢いよく立ちあがった。
………………
子供たち全員が輝夜を見ていた。さっきから目立つ行動をとったせいである。輝夜は石になってしまったように、立ったまま動かなくなる。血の気が引いていくのがわかった。
スポットライトを浴びること十数秒、彼女はなにごともなかったようにゆっくりとイスに座った。うーんと大きな伸びをして、最初からそれが目的だったかのように口笛を吹く。額から一滴の汗がおちた。
再び子供たちが今やっていることに戻ると、輝夜は沈痛な面持ちで天井をあおいだ。
結局だめだった。さっきまでの意気込みはとうに消え、あきらめの気持ちが湧いてきた。天井にため息を吐きかけ、両手で頭をおさえる。――私は妹紅みたいに話しかけることなんかできない……。こうやって一人ぼっちでいるしかないんだ。もう、いやだ……
視線を前に戻した。そこで嘆息をもらす。どうせ私なんかいてもいなくても変わらない。なら帰ってしまおう……。
いつのまにか決意が固まっていた。心の中で妹紅と慧音に謝り、最後にと点在しているグループを見まわす。
輝夜は漠然と眺めていたつもりだった。
しかし、一人の少女が瞳にうつったとき、なぜか彼女から目が離せなくなった。
その子というのは教室の隅にいる少女だった。きれいな長い髪で、お手玉をしている。周りにいる仲間たちの輪にはいらずに一人ぼっちで。その姿はいじめられている、というよりはただ単になじめないでいる感じであった。
うなりながら腕を組む。どうしてこんなにも気になるのだろう。もうちょっとでわかりそうなのだが。
そのとき、少女が投げた玉を取りそこねおとしてしまった。ゆっくりとそれを拾いあげると、ふと隣のグループに目をやった。口はつぐんだままだがその表情はとても寂しそうで、羨ましそうで……
カチッと自分の中でピースがはまった。そうか、そういうことか。輝夜は組んだ腕をほどいて、胸にたまった重ったらしい空気を吐きだす。
あの子は自分にそっくりなのだ。みんなと遊びたいのに遊べない。声をかけたいのにかけられない。だから寂しく一人でいることしかできない。
気がついたら再びイスから立ちあがっていた。そして歩きだしていた。鼓動が速くなるが、無視できるレベルである。
不思議なものだ。さっきまで、もう帰ろうと思っていたのに今はもう少しここにいたいと思えた。同じ立場のあの少女に親近感が湧いたのだ。いて、寂しさ紛らわしに会話をしたいのだ。傷を舐めあうため、という表現は乱暴かもしれないが今の心情はその言葉に近い。まあ、相手からしてみればいい迷惑に違いないが。
いくつかのグループの横を通り抜け、目的の机を前にして立ち止まった。一息ついてから、
「あ、あのさ……」
と話しかける。少し声がふるえてしまったが気にしない。
少女はハッと顔をあげた。驚きを隠せないようで目をまん丸にして、輝夜を見すえた。瞳も黒くてきれいであった。
「その……お手玉好きなの?」
彼女がもっている二個の布玉に指を向ける。やっぱり照れくさくて、片方の手は頭をかいていた。
それを聞くと相手はもっているものへと視線をおとした。そしてまた顔をあげ、ゆっくりとうなずいた。
「よかった、実は私も好きなんだ。何回かできる?」
そう言うと今度はうつむいてしまい、頭を横に振った。机の上にはたくさんの布袋が置いてあるが、実際にもっているのは二個だけである。どうやらまだ始めたばかりらしい。その健気なさまに、ついつい顔がほころんだ。
「ちょっと貸してごらん」
二個を手渡してもらうと、それらを軽く上へ投げてみた。昔の感覚を戻す。そろそろいいだろう、と頃合いを見計らって大きく息を吸った。
右手の布袋を宙に投げ、すかさず左手のを右手に移す。浮いていたのが左手におちたとき、再び右手のを上へ投げる。それを繰り返す。久しいこともあり最初はゆっくりだったが、そのうち慣れてきてスピードをあげる。楽しさと懐かしさがあいまって、弾んだ声で話しかけた。
「どう? 速いでしょう?」
「す、すごい……」と少女は感嘆の声をもらした。それを聞いて輝夜は調子づき、
「でも、こんなのまだまだ序の口よ」
と言い一旦投げるのをやめる。そして机の上にある布袋五個を手にもった。もう一度大きく息を吸ってから、計七個の玉をさっきと同じスピードでまわし始めた。打ちあげられる玉はきれいな弧を描き、正確に左手へおちてくる。全部を流れるようにまわし続ける。その姿はもはや芸術性すら感じさせた。彼女の技巧を前にして少女は口を半開きにしたまま、宙を舞うそれらをひたすらに目で追いかける。興奮のあまり呼吸をすることさえ忘れていた。
最後に全ての玉を左手につみ重ね、輝夜は初々しく頭をさげた。数十秒しかやっていなかったはずなのに、見ているものにはとても長く思えた。
拍手の音が聞こえた。前を向くと女の子が鼻息をあらくして、目を輝かせながら大きく手を叩いていた。ついつい照れ笑いを浮かべる。
すると今度はうしろからも拍手が聞こえてきた。あわてて振り返ると、教室にいる全生徒が興奮した様子で彼女に拍手を送っていた。どうやら再び注目の的になっていたらしい。さすがにこれには度肝を抜かれた。
「お姉さんすごーい!」
「かっこいー!」
「もう一回見たい!」
「私にもお手玉教えてください!」
「どうやったらそんなにできるんですか!?」
「握手をお願いできますか!?」
一躍ヒーローになった輝夜は皆からもみくちゃにされていた。全員につめ寄られ服は引っ張られるは、髪は触られるはでうざったらしいたらありゃしない。ちらっと横目で慧音を見てみると、彼女はほほ笑んでただこちらを見ているだけだった。笑ってないで助けてほしい。
「は、離れなさいよ! あー、服が伸びる! とにかく掴むのをやめな……って、こら! 変なところ触るな!」
いくら注意しようと子供たちの耳にははいらない。唯一の知識人も助けてくれない。いいかげん、この状況にイライラしてきた輝夜は肺いっぱいに空気をいれ、
「静かにしろ!」
と叱咤した。
やっと聞こえたらしく、暴走していた子供たちは動きを止めた。だというのにまだ表情は楽しそうである。
肩で息をしながら服の着くずれを急いで直し、乱れた髪をすく。コホンと咳ばらいをして、「無意味なボディータッチはやめなさい。あと一斉になにか言われても聞きとれないから、一人ずつ、順番に言いなさい」と胸を張って言う。
しばらく沈黙がおこった。しかし一人がビシッと手をあげ、それを破る。髪が短く、いかにも活発そうな子であった。「じゃあ、あんた」とその子に発言権を許す。
「輝夜姉ちゃんは他にもなにかできるんですか?」
他に、か……。首をかしげ、少し考え込む。そこでふと、手前にいる女の子が赤色の毛糸の輪をもっていることに気づいた。「ちょっと失礼」とその子からそれを貸してもらう。
指をとおし、すぐさま基本の構えをつくる。教室が静かになった。次に輝夜は順序よく、すばやく正確に細い指へとかけていく。それもまた、お手玉同様にとても美しいものであった。子供たちは息を呑み、ひたすらにそれを凝視し続けていた。
「はい、ほうきの完成」
まだほんの数秒しかたっていない。輝夜がつきだした手を見て、傍観者全員が目を見開いた。さっきまでただの輪だった毛糸が、きれいなほうきの形をなしていたのだ。
どうだと誇らしげに笑ってみせる。そのとき、子供たちの興奮メーターがマックスになった。
「すごーい! 魔法使いみたい!」
「輝夜姉ちゃんかっこいー!」
「ほうき以外も作れないの!?」
「どうやってやったの!?」
「教えて教えて!」
また暴走し始めた。さっきの言いつけはとうに忘れてしまったらしく、再び彼女たちが輝夜をもみくちゃにする。抵抗してみるものの、十何人につめ寄られてしまえば意味もない。
「だからやめなさいってば! 慧音、助けて~」
慧音はあいかわらず笑っているだけであった。この薄情者め!
やめろやめろと叫び、のどが痛くなってきた。ひどく疲れ、息苦しさも感じていた。だというのに……
まったくどうかしてるよ、私は。輝夜はぷっと噴きだした。笑ってしまった。
こんな状況下だというのに、楽しさとうれしさを感じている自分がたまらなくおかしかったのだ。
「遅れたー!」
体中を土でよごした妹紅が笑顔で教室のドアを開け、息を切らしながら言った。ドロのついた額の汗をぬぐう。うしろにいる男子たちも同じようなドロンコ状態であった。
「慧音、すまーん」
気の抜けた謝罪の言葉を送る。発言と表情をあわせ考えるに、申しわけないと思う気持ちはないらしい。
時計はもう十二時半になっていた。約束の時間の十二時から三十分もたっている。おくれた原因としては、サッカーに夢中になりすぎて誰も時計を確かめなかったからである。
「……あれ?」
妹紅がついつい声をもらした。――はて、おかしいな。慧音からお叱りの一つはもらうと思っていたのに。予想に反して聞こえてくるのは、子供たちの楽しそうな声だけである。
教室の真ん中には大きな人だかりができていた。女の子たちがわいわいとはしゃいでいる。不思議そうな顔でそこに近づいてみると、
「あら、おかえり」
「……お前、なにしてんだ?」
輝夜がイスに座っていた。妹紅を一瞥して声をかけただけで、すぐに視線を手にかけている毛糸の輪へとおとす。女子たちに取り囲まれているところを見ると、どうやらこの集まりは彼女を中心にしてできているらしい。
「なにって、見てわからない? 子供たちと遊んでいるのよ」
ほほ笑みながら言った。妹紅が呆然としながら頭をかく。
「輝夜姉ちゃん、次どうやるの?」
前方にいた女の子が問いかけると、
「次はこの指をここに入れて、そんでもって左手の中指をここに……」
と丁寧にあやとりを教えていた。妹紅が話しかけようとすると、
「ねえねえ、輝姉ちゃん。やっぱり上手くいかないよ」
と隣にいた女子が彼女へけん玉をつきだした。
「お姉ちゃん、早くお話の続きしてよ~」
「ここまで折ったけど、次はどうするの?」
「お手玉ができないよ」
「あっちでカルタやろうよ~」
「それで次はどこに指を通すの?」
折り紙やお手玉などをもった子供たちが輝夜を引っ張りだす。少し困惑顔をしている彼女だが、きちんと一人一人に対応していた。その姿はとても生き生きしている。
最初のうちは目を丸くしていた妹紅だったが、その様子を眺めているうちにほおを緩ませた。――まさか、お前がここまで人気者になるとはな。
「輝夜殿、鶴ができたぞ!」
慧音がはしゃぎながらもっているものを彼女に見せつけた。おいおい、姿が見えないと思ってたら、子供たちに紛れて鶴を折ってたのかよ。でもお前確か、紙ヒコーキも折れないじゃん。
「……慧音、これはなにかしら?」
「なにを言っているんだ。鶴に決まっているだろ?」
「じゃあなんで羽がないのよ!? 首としっぽしかないじゃない!」
「うん、途中でもげてしまった」
「なぜ!?」
なかなかえげつないことになっている。あんな鶴は初めて見た。
「慧音せんせー、ぶきっちょだね!」「それじゃあ、ヘビだよ」「私のほうがうまく折れるよ」と子供たちがからかい始める。慧音の方がプルプルとふるえだす。って、もしかして……
「うるさいうるさい! ……私だって……頑張ったんだもん……これは……鶴なんだもん……」
案の定、泣きだしてしまった。子供ってこわいな。でも、生徒に泣かされる先生ってどうだよ。言葉づかいも生徒より幼くなってるし。
「妹紅姉ちゃん」
うしろで呼ぶ声がしたから振り向いてみると、男子が不思議そうな顔をしていた。
あわててかけ寄り、
「どうした?」
「女の子たちはなにしてんの?」
もう一度振り返ると、女子たちが笑っていて、慧音が呆れ顔の輝夜になぐさめてもらっている。妹紅は苦笑いを浮かべながら、
「みんなで一緒に遊んでいるんだよ」
と優しい声色で言った。ふーん、と男子があいまいな返事をする。
遊んでいるんだろ、お前も? 慧音の背中をさする輝夜を眺めながらつぶやいた。――今日は楽しめたか?
◆ ◆ ◆
午後一時すぎ、ザッ、ザッと足音を立てて迷いの竹林をならんで歩く二人。そんな中で一人がぼやいた。
「ありがとう、か……」
「ん? どうしたの?」
輝夜が横の妹紅を見る。隣で彼女は頭のうしろで手を組みながら、笑顔で空をあおいでいた。
「子供たちにお礼を言われるなんてどれくらいぶりかな、って思って」
「なるほど、確かに」
輝夜もつられて笑う。そして相手に倣って彼女も空をあおいだ。
『今日は、遊んでくれてありがとうございました』
別れ際で子供たちが言ったセリフである。一列でみんなが声をあわせて言ったので、きっと今日のために慧音が練習させていたのだろう。
「存外、子供たちと遊ぶっていうのも悪くないわね」 再び横を見るとこちらを向いていた妹紅と目があった。
「よかった、輝夜先生から及第点をもらえて」
「ただ、朝言った嘘はまだ許してないから」
「そりゃ困ったな。お前がそこまで面倒くさい奴だとは思わなかったよ」
「私はこう見えても根に持つ女よ?」
彼女たちはおかしそうに笑いながら前を向いた。風に吹かれて、竹がギイギイと心地よい音を立てる。ザアザア、ギイギイ。それはまるでここ全体が音楽を奏でているようであった。
輝夜は目を閉じ、しばらく無言でその演奏に聞きいる。声をだすことさえ無粋に思えたのだ。妹紅も上を向いたまま、なにも言わない。よけいな音がないここはとても幻想的であった。
「そういえば、お前モテモテだったな」
無粋な奴だな、と心の中で悪態をついて不機嫌そうな声をだす。
「どういう意味?」
「ほら、帰るとき、女子たちがお前にすがりついてたじゃん」
「ああ、あれね」と一言つぶやき、輝夜は苦笑を浮かべた。ついさっきのことだ、忘れるはずもない。帰ろうとしたら女子たちがもっと遊ぼうと服を引っ張ってきたのだ。中には涙目のものもいた。結局、また遊ぶという約束をして解放されたのだ。
しかしモテモテだったのは妹紅だっていっしょである。男子たちにサッカーをしようとしつこくさそわれていた。彼女もまた、遊ぶ約束をして今日は助かったのだが。
「あんたも同じじゃない」
「まあな。でもお前には本当に驚いたよ。正直な話、周りになじめずにそのまま帰っちゃうんじゃないか、ていう心配もあったんだが」
「あら、なかなか察しがいいわね。予想どおり、一回帰ろうと思ったわ」
「えっ!?」と妹紅が素っ頓狂な声をあげた。それを尻目に輝夜は涼しい顔をしている。
「でも、一人の子のおかげで思い留まったわ」
「一人の子? そいつがなにをしたんだ?」
「内緒」
「どうして? いいじゃん、教えてくれよ」
どうせこいつに言っても馬鹿にされるだけだな、と思いかたくなに拒否をする。しつこいはやし立てをずっと無視していると、ふっとあのあとのことを思いだした。
あの少女は物覚えがよく、輝夜がちょっと教えただけでお手玉三個までできるようになった。すると他の女子から教えてと言われ、いっきに人気者へとなった。寡黙な子でしばらく当惑していたが、そのうちポツリポツリと話しだして最終的にはみんなと楽しげにお手玉をしていた。そのときに溢した笑顔が頭からどうしてもはなれなかった。幸せそうでうれしそうで、目尻にちょっぴり涙がたまっていたから。
――そうあの瞬間、教室から一人ぼっちはいなくなったんだ。
「……お前、にやにや笑ってて気持ち悪いぞ?」
妹紅の心底いやがってる声で我に返る。どうやら無意識のうちに笑っていたらしい。
続けて「変な奴」と彼女が一人ごちたが、わざと聞こえないふりをした。そのかわりに、腕を横に伸ばしてすがすがしい空気を胸いっぱいに吸い込んだ。まるで自分も空気になってしまったように、とても軽やかな気持ちであった。
「あと今日気づいたんだが、お前意外と器用なんだな。折り紙とか、あやとりとか」
無視され続けたのがいやになったのか、話題を変える。輝夜は快活に笑った。
「ああ、あれ。実は私、月にいたころは自由に外に出してもらえなかったのよ。きれいな着物が汚れるとか人の目につくのはよくないとかで。それで必然的に家の中にいるしかなくて。そのときに暇つぶしで手芸をやってたの」
「なるほど、それでか。私も今度教えてもらいたいな」
「あんたはまだいいけど、慧音はダメね。あそこまで不器用なのは初めて見たわ」
「慧音か。あいつは頭はいいんだがああいうのが全然できないんだ。紙ヒコーキすら作れない」
「むしろすごいわね」
声をだして笑いあう。いつもいがみあっている奴とこんな時間をすごすのも悪くないな、と輝夜は思った。普段から素直になれたらな……。
笑い終わると再び沈黙がおこった。話題はたくさんのあるのだが、互いが喋ることにためらいを感じたのだ。妹紅がもどこかしそうに伸びをする。
すると輝夜がいきなり足を止めた。伸びをしていた彼女もあわてて止まり、うしろに体を向ける。
「今日はありがとう」
「へっ?」
突然の輝夜が言ったお礼の言葉に、妹紅は目を丸くしたまま動かなくなる。なのに言った張本人はただ優しい笑顔を浮かべるだけであった。
「い、いきなりどうしたんだよ?」
「そんなに驚かなくてもいいじゃない。私だって自分のためになにかしてくれた人に『ありがとう』ぐらい言うわよ」
「ちょ、ちょっと待て。別に今日誘ったのはお前のためじゃなくて慧音が提案したからで……」
「嘘をついても無駄。私だって無根拠で言ってるわけじゃないのよ?」
そこで相手は完璧に口をつぐんでしまった。
「……あなたが男子たちと遊んでるときにね、慧音に聞いてみたのよ。どうして今日は授業をやらないで遊ぶのって。朝から不思議だったのよ。寺子屋は毎日午前で終わるんだから、午後からはたっぷり遊べるじゃない? だからわざわざ授業を潰さなくても息抜きはできるはず。それに、あの堅物慧音が遊ぶことを推奨すること自体が珍しいことよ。あと最後に、あいつの言った説明には理由づけが少なすぎるのも不審に思ったわ。それらを考えて、これには裏があるんじゃないかなーと予想立ててみたの」
相手はなにも言わないから、輝夜一人が喋り続けている。風はもうやんでおり、ざわめきも消えていた。
「そしたらビンゴよ。彼女は本当のことを教えてくれたわ。妹紅からお願いされたってね。なんでもあんた、寺子屋で遊ぶ時間をとってそこに私と輝夜を呼んでくれって依頼したらしいじゃない。理由を聞いたらあいつを楽しませてやりたいから、の一点張りで。慧音も困っていたわ。
……もう隠しごとは一切なしよ。いったい、今日の意図はなんだったの?」
会話が途切れた。竹やぶが静寂につつまれる。それに耐えきれなくなったのか、妹紅がじれったそうに頭をかいた。しばらく逡巡したあと観念したようにため息を吐き、
「永琳に相談されたんだよ」
と消え入りそうな声で言った。輝夜の顔が訝しげになる。
「永琳が? なんて言ったの?」
「……最近姫様の様子が変だって。いつもぼおっとしていて、話しかけても上の空で。どうかしたのかって聞いたら、毎日がつまらないって言われたとか。本人に聞いても詳しいことは教えてくれない、てゐや鈴仙に相談しても解決策は見つからない。それで最終的に私へ話がまわってきた、ということだ」
輝夜はなにも言えなかった。奥歯をぎりっとかみしめる。今すぐにでも自分を殴ってやりたかった。
「私もない知恵を絞ったさ。すると一つの案を思いついたんだ。つまらないとぼやくお前を楽しませてやる方法を。それが今日の計画だ。普通に誘ってもダメだと思ったから、内緒で強制的に参加させちまったけどな。本当は人里歩きとかにしようと思ったんだけど、そっちのほうが嫌がりそうだったからこれにしたんだ。でも子供たちと遊ぶのも悪くないだろ? 私は好きだからよくやるんだけどな」
作り笑いを浮かべる妹紅。しかしなにも言わずうつむく輝夜を見て、表情を暗めた。
「……怒ったか?」
すると彼女はうつむいたまま、妹紅のもとへ歩きだした。距離が縮まり、目の前で止まる。なにかされるんじゃないかと身構えた。
「ありがとう」
「えっ?」
いきなり輝夜が妹紅に抱きついた。身長が自分より若干低い彼女の頭を見おろしながら、
「ど、どうしたんだよ?」
とあわてふためきながら問いかける。ほおにほんのり朱がかかる。
「私は本当に馬鹿だな」
ふるえた声でそう言われたとき、妹紅は彼女の心情を理解した。胸に顔をうずめているせいで表情はわからない。それでも、ポンと相手の頭に手をのせる。ふるえた声のまま、相手はポツリポツリと語りだした。
「……あなたや私は蓬莱の薬を飲んで不老不死になった。だから何千年もの年を生きてきた。そして色んなものを見た、触った、食べた、経験した。私だって、最初のうちは楽しかったわ。知らないことばかりだったから。人生がわくわくだらけだった。でも次第に知識が増えていった。するとこの前まで楽しくてしょうがないものが段々とつまらなくなってしまったの。知れば知るほどそのものへの関心が薄れてしまったの。そしてとうとう私は、つまらないもので溢れかえったこの世界に飽きてしまった」
妹紅の腰にまわした腕に力がはいる。
「でもそんなわがままな奴を、みんなは心配してくれた。犬猿の仲であるあなたでさえね。それが申し訳なくて、でもたまらなくうれしくて。……上手く言葉にできないけど、私は今みんなにすっごく感謝してるの。だから今日は本当に、ありがとう」
鼻をすする音がする。まわしてある腕の力が少し弱まった。風が再び吹き、二人の髪を小さくなびかせた。
しばらく輝夜の頭をなで続ける。肩もふるえていることに気づくと、笑みを深めてもっと優しくなでた。
「輝夜」
「……なに?」
「みんな、お前のことを大切に思っているんだ。だからなんか気に食わないことや悩みがあったらすぐに相談しろ。いいな?」
うずめた顔がコクリとうなずく。それを見た妹紅は手を頭からはなし、ふざけた口調で言った。
「それにお前、知識がたくさんあるとか自惚れなんだよ。どうせ、人里にある知る人ぞ知るうまい饅頭屋なんて行ったことないだろ? 第一住んでるっていうのに、ここ迷いの竹林にある絶好の涼みポイントとかも知らないだろ? あと、夕日が最高に美しく見れる場所も。意外とここから近いんだぞ? それにあれはどうだ? おっちゃんと友達になる方法なんていうのも知らんだろ?」
「……知らない」
「やっぱりな。お前がいくらたくさんのことを知っているって言ったって、それは所詮ただの思い上がりなんだよ。まだお前の知らない様々なドキドキがこの世界にはあるんだ。だから生きることに飽きるにはまだ早いぜ?」
輝夜が妹紅からはなれ、自分の服の袖で顔をごしごしふく。ふき終わると、満面の笑みをつくった。まだ目がほんのりと赤い。
「妹紅のくせに生意気ね」
「輝夜のくせによく言うよ」
そう言って笑いあった。それはそれは楽しそうに、まるで寺子屋にいた子供たちのように。
そのとき、妹紅のお腹がギュウと音を立てた。それを聞いて目を細める。
「あんたって本当に無粋ね」
「しょうがないだろ、あっちを出たのが一時頃なんだから。とにかくもう腹も減ったし、そろそろ帰るか」
「そうね。あ、でもちょっと待って」
「なんだよ、まだなんかあるのか?」
「ま、まあね。……一つ……聞いておきたいことがあるの」
輝夜が自分の着物を握りしめ、ほっぺたを赤く染めながら上目づかいで相手を見る。
「あ、あのさ……」
「どうした?」
「さ、さっきさ、みんなお前のことを大切に思っているって言ったじゃない? そのみんなの中に…………妹紅もはいっているのかなーって……」
妹紅が盛大に噴きだした。途端に、顔がみるみる真っ赤になっていく。口元がわなわなとふるえだした。
「お、お前はなにを、い、言ってるんだ?」
「ど、どうなのかなーと思って」
再び上目づかいで見ると、明らかにさっきまでのおちつきが消えている。「ちょっと、大丈夫?」と問いかけても、聞こえてはいないようである。
「そ、そりゃ、いちょう私もは、はいってるけど…………でもそんな恋愛感情的なのはな、ないぞ! ……たぶん。い、いやたぶんじゃなくて絶対にだ! ……た、確かに、お前のことを綺麗だなあとか、魅力的だなあと思うことはあるけれど……だからと言ってす、好きとはちがう! ……と思う。え、永琳にお前のことを相談されたときも『これを機に付き合っちゃば?』とか言われて、そ、それもありだな、ってちょっと思ったけど、そういう意味じゃあ……」
「……ねえ、妹紅?」
「な、なんだ!?」
「あんまり言いたくないんだけど、あなた、恋愛したことないでしょ?」
うっと息をつまらせるところを見ると図星らしい。まったく、さっきの話は聞いているほうが恥ずかしいわ。
「そ、そんなわけないだろ!? 私はこう見えても星の数ほどの男とつきあったことがあるんだぞ! すっごい『れんあいじょーきゅーしゃ』なんだぞ!?」
「はいはい、わかったわかった」
呆れ顔で妹紅の横をとおりすぎ、永遠亭へと向かう。まったく、寺子屋での苦悩は何だったのか……。
するとうしろから彼女もかけてきた。
「ほ、本当だぞ!? 私は『れんあいじょーきゅーしゃ』なんだぞ!」
そこでふと輝夜は足を止めた。そして振り返り、彼女に近づく。そして目の前にくると、
「な、なんだよ?」
と妹紅が不服そうな声をだした。
「そういえば、今日のデートのお礼してなかったわね?」
「デ、デートって……」
「ほらあなた、朝言ってたじゃない? デートへ行こうって。だからこれはデートなんでしょ?」
「……本当に根に持つ女だな」
「あら、ありがとう。最高の褒め言葉だわ」
「お前、性格歪んでるぞ?」
妹紅はまだ赤いほっぺたで、子供のように拗ねた表情をしていた。笑いださないようにこらえる。
――まったく、なんでだろうね。
ニカッと輝夜は笑顔をつくった。相手はあいかわらずの拗ね顔である。
「私のお礼はね……」
心臓がバクバクいっているが、気合をいれて自分を奮い立たせる。そして顔を近づけて行った。
「は、早く言え――」
よ、までは言えなかった。言う前に輝夜の口が妹紅の口をふさいでしまった。
風の音も竹の音もやんでいる。誰の話し声も聞こえない。よけいな音がないここは幻想的であった。
――どうして私はこんな奴に惚れっちゃったんだろうね。
二人には悠久の時間に思えた。
ゆっくりと輝夜が顔をはなす。と同時にうつむいてしまった。
妹紅はただ呆然としている。目は見開き口は半開き。発言はおろか、まばたきすらしない。そのさまがちょっとこわい。
「お、驚きすぎじゃない?」
真っ赤なほっぺたをぽりぽりとかきながら問うが。返事はない。おーいと相手の顔の前で手を振るが、変化はない。
大きなため息をつき、
「まあ……とりあえず、今のが私の気持ちだから」
とつぶやくような小さな声で言って、照れ笑いを浮かべた。
自称恋愛上級者が湯気を立ててぶっ倒れたのは、それからすぐのことであった。
数々の温かいコメントを励みにして、もっと読む人を満足できるような作品を書いていきたいと思います。
あと、こんなにもてるもこ好きの方々がいらして、とってもうれしいです。
慧音と三角関係にならないのが逆に新鮮でした
これはいいてるもこですね。
「れんあいじょーきゅーしゃ」を連呼する妹紅が可愛いなあ!