その町の入り口は目の前を流れる川の先にある。
川の流れは穏やかであるが川幅は広く、人が歩いて渡るのは骨が折れる。
だから、大きく弧を描く橋が設けられている。
その橋の中央でジッと川を見下ろし続ける女が一人いる。
いつから其処にいるのか、どうして其処にいるのかを誰も気にしない。
人が通らない訳ではない。
それなりに栄えている町だ。
人の行き来、物流の横行は絶えない。
それなのに誰も彼も彼女の事を見る事はなく、その横を素通りしていってしまう。
女の顔立ちは整っていて美しい黒髪が目に付く美人である。
若い男なら何人かは声をかけてもおかしくはない。
だが、誰も見向きもしない。
町の人もここを通る商人も誰も彼女の存在に気が付く者はいない。
――何故か?
何故なら彼女の姿は他の人々に見えていないから
彼女はもう、彼らとは違う世界の住人となってしまったから
だから、誰も彼女を見る事はないし、誰も彼女には気が付かない。
彼女は一人このまま誰にも気付かれぬはずのままだった。
――
ある日の夕暮れの黄昏時、何時もと同じように女は川をジッと眺めていた。
水面に夕日の紅色が映り美しかった。
「貴女はそこで何をしているの?」
最初はその言葉が自分に向けられた物だとは彼女は気が付かなかった。
誰も声をかけた事はない。
だれも自分の事を気にした者はいない。
昼も夜も、雨の日も、風の日も彼女は変わらず此処にいるが
誰も気付く者はいなかった。
だから彼女はその声に反応する事はなく、変わらずジッと川の水面を見続けた。
「・・・・・・、貴女はそこで何をしているの?
川に面白い物でもあるのかしら?」
再び向けられた疑問の言葉、その言葉に彼女は顔を上げる。
この橋で立ち止まり川を眺めているのは自分しかいない。
それで、声は自分に向けられているのだと彼女は気が付いた。
声の方を見れば知らない少女がいる。
金色の髪に碧色の瞳が映える少女だった。
「・・・・・・貴女には、私が見えているのですか?」
彼女の言葉に
「よく見えるわ」
金髪の少女が短く答える。
『よく見える』その言葉に彼女は驚いた。
自分が見える人は初めてだった。
「貴女は、」
誰ですか?と言おうとしたが、少女に人差し指を口元に当てられて言いそびれてしまった。
言葉を止めた少女は意地悪な笑みを浮かべ口を開き
「私は貴女の質問に答えた。それなのに貴女は私の質問に答えていない」
不公平だ、と言う少女のその言葉に一度首を傾げる、頭を捻り少し考え思い出す。
『貴女はそこで何をしているの?』
自分に向けられた少女の言葉、それに気が付いて言葉を発する。
「・・・・・・私は此処で人を待っています」
「へぇ?一体誰を待っているの?」
『誰を待っているの?』と少女は言った。
その言葉に彼女は違和感を感じる。
誰をまっているのだろう?
解らない、大切な人をまっていた気がするのにそれが誰なのかが解らない。
思い出せない記憶に胸が重くなり気持ちが悪い。
救いを求めるように顔を上げ少女の方を見ると彼女の碧色の瞳と目が合う。
冷たい眼差しにドキリとする。
彼女は何者だろう?疑問がそのまま口にされた。
「貴女は何者なの?」
「私?私は橋姫、橋姫の水橋パルスィよ」
――橋姫
聞きなれない単語だった。
パルスィと名乗った少女は続ける。
「忘れているの?貴女に何があったのか、貴女が誰を待っているのか?」
その言葉にトクンと心臓が大きく脈を打った気がした。
パルスィと名乗った少女は一体何を言っているのだろう?
彼女の方を改めてみると再び少女の瞳と目が合う。
碧色の瞳がこちらをジッと見つめている。
先程と変わらない、感情を感じさせない目だった。
路傍の石でも見ているかのような目に射抜かれ
彼女は身震いをする。
少女の瞳は自分の何もかもを見透かしている感じがする。
「さぁ、思い出しなさい。貴女が忘れている嫉妬の心を」
いやらしい官能的な笑みを少女が見せる。
――さぁ、思い出しなさい
少女の言葉
――貴女の忘れている嫉妬の心を
彼女の言葉を聞く度に自分の中で何かが育っていくのが解る。
気持ちが悪い。
少女の言葉をこれ以上聞きたくない。
此処から逃げ出したい。
強く思うが身体は動かない、耳を塞ぐ事も逃げ出す事もできない。
「ほら、本当は貴女も覚えているのでしょう?」
何を覚えている?
「貴女は誰を待っていたの?」
誰を待っていた?
「どうして貴女はここにいるの?」
どうして私はここにいる?
「・・・・・・」
「貴女は覚えているはずよ、私は貴女の事をずっと見ていたから解るわ。
貴女は私と同族、だから貴女の魂はアチラには行かず此処に引き付けられた」
――思い出しなさい
パルスィの言葉が胸に突き刺さる。
何かを思い出しかけるが、『ソレを思い出してはいけない』
と心がを否定する。
「知らない、私は何も覚えていない」
「嘘はいけないわ、貴女は『人を待っています』と言った。
貴女は覚えているはずよ?」
その言葉に彼女は必死に首を振る。
嫌だ、嫌だと子共のように首を振る。
「知らない!!、私には解らない!!」
否定する、否定する、否定する。
もし、少女の言葉に頷いてしまったら自分は自分でなくなってしまう気がする。
だから必死に少女の言葉を否定する。
だが、
「そう、じゃあ、貴女が思い出すようにしてあげる・・・・・・」
耳元で囁かれる言葉
少女の言葉に意識が暗転する。
――
大切な約束があった。
だから彼女は待ち続けた。
雨の日も、風の日も、彼女は一人の男を橋の中央で待ち続けた。
昼も夜も無くただ、待ち続けた。
彼は医者の卵で周囲の強い勧めで遠くへ旅に出る事になった。
『必ず一人前になって帰ってくる。だから、それまで待っていてくれ』
彼女は彼の言葉が嬉しかった。
彼を好いていたし彼もまた彼女を好いていた。
その人との約束。
辛い別れになる。
それでも彼の言葉を信じた。
『私もいつまでもあの橋で待っています』
二人は約束を交わした。
彼女は待ち続けた。
一月待ち。
二月待ち。
半年を過ぎ。
一年がたった。
美しい彼女の元には何人もの男が集まった。
それでも彼女はそれらを丁寧に断り、たった一人を待ち続けた。
二年が過ぎ。
三年、四年と月日は流れて行った。
それでも彼女は健気に待ち続けた。
彼を信じていたし、約束を一日たりとも忘れることは無かった。
五年が過ぎ、あの約束から十年が過ぎて男は帰ってきた。
十年も待ち続けた思い人の顔を見間違うはずがない。
だから、彼女はこの光景が見間違いではなく現実なのだと思い知る。
見間違いならどれ程良かった事だろうか。
橋を渡り来るのは仲の良さそうな子供連れの男女
三人は幸せそうに笑いながら橋を渡る。
男は彼女に気付く事はなく横を素通りして行ってしまった。
男にかける言葉を見つける事はできなかった。
信じられなかった。
信じたくはなかった。
十年も待ち続けた愛しい思い人、あの時の約束
どうして、彼はあの笑顔を私にむけてくれないのだろう?
どうして、彼の隣にいるのが自分ではないのだろう?
どうして、彼はあんなに幸せそうなのだろう?
どうして、私は彼を待っていたのだろう?
どうして?どうして?どうして?どうして?どうして?どうして?
どうして?どうして?どうして?どうして?どうして?どうして?
どうして?どうして?どうして?どうして?どうして?どうして?
どうして?どうして?どうして?どうして?どうして?どうして?
どうして?どうして?どうして?どうして?どうして?どうして?
どうして?どうして?どうして?どうして?どうして?どうして?
どうして?どうして?どうして?どうして?どうして?どうして?
ドウシテ?ドウシテ?ドウシテ?ドウシテ?ドウシテ?ドウシテ?
ドウシテ?ドウシテ?ドウシテ?ドウシテ?ドウシテ?ドウシテ?
ドウシテ?ドウシテ?ドウシテ?ドウシテ?ドウシテ?ドウシテ?
ドウシテ?ドウシテ?ドウシテ?ドウシテ?ドウシテ?ドウシテ?
ドウシテ?ドウシテ?ドウシテ?ドウシテ?ドウシテ?ドウシテ?
ドウシテ?ドウシテ?ドウシテ?ドウシテ?ドウシテ?ドウシテ?
ドウシテ?ドウシテ?ドウシテ?ドウシテ?ドウシテ?ドウシテ?
『ドウシテ?・・・・・・』
彼女はその日そのまま川へ身を投げた。
――
「あ、あああ、あああああああ」
目の前で彼女が頭を抱え取り乱す姿にパルスィは満足する。
「ほら、思い出したでしょう?貴女の忘れていた大切な嫉妬(ココロ)」
優しく囁かれる声
「うああ、いやあああああああああああああああああああああああああああ」
「ほら、我慢せずに狂ってしまいなさい?あの男が憎いのでしょう?
あの女が羨ましいのでしょう?」
――さぁ、狂ってしまいなさい何も考える必要はないわ
耳元で囁かれる甘美な誘い。
――ほら、我慢する事はないわ、貴女は貴女の嫉妬(ココロ)が導くままにすればいい
「ああああ、あああ、あ、あああああ」
堕ちかける心を支えていたものが甘美な誘惑に砕かれていく。
肉体を持たない剥き出しの魂程染まりやすい素材もない。
たった、コレだけの事で彼女はもう狂い始めている。
――あの二人が妬ましいのでしょう?
その言葉が止めだった。
「ああああああああああああああああああ」
夕刻の黄昏時に獣のような女の叫び声が響いたが
その声を聞いた者は一人しかいなかった。
――
なぁ、こんな話を知っているかい?
え?何の話かって?この橋の二つ名の由来さ
まぁ、噂話なんだけどね。
昔、お医者様と町娘が恋に落ちた。
ただ、お医者様は医学の勉強のため遠くに行かなくてはならなかった。
それで、二人はあの橋の真ん中でまた会おうって約束をしていたらしいんだがね。
あのお医者様も人の子というか、勉強先の土地で恋に落ちてしまって
子を儲けてしまったんだ。
ずっと橋で待ち続けた女はどうなったのかは誰も知らないんだが、
ただ、女はお医者様が帰ってくる前の日にはあの橋の上いたんだ。
でもね、次の日から女の姿を見た者は誰もいないそうだ。
失望して何処かにいったのか、それとも死んだのかそれは誰も知らないんだけどね。
ただ、この話には面白い続きがあってね、女の姿を見たって人がいるのさ。
それも、例のお医者様の家の前でさ。
やせ細って透き通るような白い肌をしていたけど、間違いなくあの橋で
ずっと待っていた女らしいんだ。
見た奴は一声かけようかとも思ったらしいんだが、あんまりにも冷たい目を
しているから怖くなって逃げたらしいんだ。
その次の日さ、そのお医者様達が殺されたのは
なんでも三人共それはそれは惨い死に方だったそうでね。
誰がやったのかも解る事はなくてね。
いろんな噂が飛び交ったよ。
まぁ、俺はあの女がやったんじゃないかとか思ってるけどね。
で、だ。それからだよ、この橋に二つ目の名が付いたのは
ま、俺みたいに考えてる奴が付けたんだろうけど、今じゃそっちの名前でしか
この橋は呼ばれないな
橋の名かい?『嫉妬橋』とか呼ばれているんだ。
アレ以来皆この橋は一人で渡るようにしているよ。
――
話を終えると男は満足したのか橋を渡り町の方へ消えていった。
「嫉妬橋、ね」
自分がここにいる以上はその名も間違いではないのだろうとパルスィは思う。
あの女の魂は自分の想像以上の働きをして消えた。
怨みがなくなったとはいえ、彼女の魂が天界へ行く事はないだろうが
自分には興味がない。
ただ、あの夫婦が楽しそうにこの橋を渡っていたのが気入らなかった。
だからついでにあの女の嫉妬心を利用した、それだけの事だ。
もう、終わった事に興味はない。
夕刻の黄昏時、世界の境界が曖昧になる、あらゆる空間が繋がる唯一の時間。
たまに地下から外が見える時がある。
外は美しくなんと妬ましい事か。
外は暖かくなんと妬ましい事か。
外を歩く者達は楽しそうでなんと妬ましい事か。
自分にはそんな風に他人がうらやむ事など何もない。
日が山に沈んでいく。
これで、今日はもう外を見る事はない。
その時、ふと視界に入ったのは一組の男女
楽しそうに話をしながら、手を繋ぎ橋を渡っていく。
――あぁ
「妬ましい」
面白く読むことが出来ました。
恐ろしいといえば恐ろしい……。
あの家族が死ぬとき、何を思ったのかが気になるところではありますが。
面白かったですよ。
いたのですが、場面的に少々嫌な感じになったのでカットしましました。
お許しください。
11様、13様、実際嫉妬心を操るとはどのようなものだろう?と考えて、こんな感じ
だったら怖いな、と思い作った話です。
怖さを伝える事ができたようでよかったです。
恐怖モノとしては少し物足りない気もしましたが。
パルスィだけでなくこの女性の感情の変化なども細かく描写すれば、
もう少し怖くなったと思います。
個人的には嫉妬心を操る能力故に
パルスィは嫉妬心に飲まれる事は無いと思っているので、
こんな風に人の感情を操るパルスィはそれらしいと思いました。
他ではだいたい本人が嫉妬してばかりのイメージなので・・・
まさに妖怪!と言う感じがして面白かったです。
ただ、楽しんでいただけたようなので安心しました。
次回もがんばりますので見てやってください。
だから若干違和を感じたものの、でもこんなパルスィも悪くないですね。
で、最後に橋を渡ったカップルはどうなるのでしょうね……パルパル。
私の嫉妬心を操る程度の能力のイメージですね、最後に橋を渡ったカップルは……