「ねぇ、赤蛮奇。赤蛮奇は、人間が怖い?」
湖のほとり。今日の草の根妖怪ネットワークの会合は、赤蛮奇も参加していた。
今日は赤蛮奇に質問した影狼と、水面に半分浸かって影狼の問いに耳を傾けるわかさぎ姫だけの小さな会合だ。
この組合に所属する妖怪は皆一様に大人しい妖怪達。故に妖怪退治屋はおろか、腕っぷしが強い程度の一般人ですら怖い。
だが赤蛮奇は人里に紛れて住んでいる。
その度胸はどこから来るのか。影狼は知りたかった。
対して赤蛮奇は胡坐をかいて腕を組み、顎を斜め上にしゃくってこう言い始めた。
「怖い? 人間が? そういえば影狼はいつもそう言っていたね。
言っておくけど、私は怖くないわ。人間が怖いのは人間をよく分かっていないからよ」
そう言って、頭頂部を影狼の方にずいと向ける赤蛮奇。
「考えてもみて。人間は私たち妖怪よりも身体能力が劣っているのよ。
水には数分しか潜れない。変身もできない。ましてや首もつながったまんまだし。
だから武器を持ったり、他人の腹を探ったりして強く見せているの」
赤蛮奇は小馬鹿にしたようなため息交じりに、視線を上に向けてやれやれと肩を竦める。
そして二人を見つめてこう主張する。
「でもそんな強さはハリボテよ。中身を知ってしまえばどうってことはない。
だから私は人間の外面しか見えない野山の生活よりも、中身が丸見えの人里に住んでいるの。
貴方たちも、いつまでも人間の影に怯えていないで、堂々と振舞えばいいのよ」
そう首を縦にぶんぶん振って意見を締めくくる赤蛮奇。
決まった。赤蛮奇はフッとクールに笑みを浮かべる。
だが、赤蛮奇は二人に気づかれてしまった。
「……赤蛮奇、さっきから頭がずーっと明後日の方向に行ったり来たりしているよ」
「体の傾きに合わせて首も傾くし、何かヘン」
そう、先ほどから赤蛮奇は喋るたびにリアクションの様に頭を動かしていたが、その動きに自発的な要素が感じられなかったのだ。
それに対する赤蛮奇の反応は
「……ああそうだ。今日は燃えるゴミを出さないといけないから帰るわ」
さくっとスルーし早々に立ち上がる赤蛮奇。
だが立った瞬間、首が真横に90度傾いた。
そそくさと帰ろうとする赤蛮奇を、影狼がさっと捕まえた。
「待って! やっぱりおかしいよ! 首がぐらぐらしているし、どうしちゃったの赤蛮奇!?」
「いや、何でもない! 何でもないから揺らすのやめて!」
影狼は知り合いの妖怪に起きた異変に動揺し、赤蛮奇の肩をつかんでガクガクと揺する。
するとそれに合わせて赤蛮奇の首がヘッドバンギングの様にカックンカックンと揺れ、見た目にも苦しそうだ。
明らかに首が制御されていない様相なのに、これで何でもない訳がない。
「影狼ちゃん、ステイ!」
突然わかさぎ姫が凛とした掛け声をあげる。その刹那、影狼はさっと手を離すと、その場にぺたりと体育座りをした。
ハッと落ち着く影狼。赤蛮奇はごほごほと頭を盛大に揺らして咳き込んでいた。
普段物静かなわかさぎ姫も、これははっきりと言う。
「赤蛮奇、あなた普通じゃないわ。大事な首なのに、さっきから機能していないじゃない。
いったいどうしたのか話して。私も影狼ちゃんも心配なのよ」
不定期参加の組員だが、それでも大切なネットワークの一員だ。わかさぎ姫も影狼も、仲間の現状を把握したがっていた。
さすがに赤蛮奇もそんな真摯な感情をかわすことが出来ず、息を一つついてこう漏らす。
「……最近、首の据わりがいまいちなのよ」
そう、うなだれながら説明しだす赤蛮奇。
「据わりが悪いって?」
「首は繋がっているけど、半分ぐらいしかくっつかないのよ。
今はこうして無理矢理くっつけているけど、ちょっとの衝撃ですぐ取れちゃいそう……」
その言葉に、影狼とわかさぎ姫は目を丸くする。
赤蛮奇の種族はろくろ首。しかも首が長く伸びるのではなく、首そのものが体から離れて自由に飛び回れる。
そして当然その首は脱着が自由自在のはずなのだが、赤蛮奇はどうも首の継ぎ目の調子が悪いと言う。
「取れちゃいそうって、どうして」
「わからない。今までこんなこと無かったし」
そう現状を喋ることで段々不安になってきたのか、声がどんどん小さくなる赤蛮奇。
その弱気な発言に、影狼は心配そうに提案する。
「赤蛮奇、病院に行こう。私の住んでいる竹林の病院は、妖怪でも診てくれるよ」
至極真っ当な意見にわかさぎ姫もうんうんと頷くが、さきほど以上に赤蛮奇の顔色が青く変わった。
そして、動かしづらい顔を一生懸命そらしてこう一本調子にのたまう。
「い、医者にかかる程じゃないわよ。うん。一回ゆっくりカチッと鳴るまで押し込めば治るかもしれないし。そうだ、とりあえず今日は燃えるゴミを出さないとだし」
「お医者さんが怖いの?」
「ッツ!?」
わかさぎ姫の鋭い指摘に、赤蛮奇はたじろぐ。というか、明らかに核心を突かれた様だ。
これには影狼も呆れた顔をする。
「ええ? 赤蛮奇はさっき『人間なんか怖くない』って言っていたでしょ。それなのに、お医者さんが怖いの?」
「そんなこと……ない」
「じゃあ、今から行こうよ」
「だっ、だって竹林の医者って人間じゃないって聞いたわよ! そんなのに体いじらせたらどうなるか!」
「それじゃ人間は怖くないけど、人間じゃない医者は怖いってことね」
「ぐっ……」
わかさぎ姫の理路整然とした発言に、とうとう赤蛮奇は反論できなくなった。
ことごとく赤蛮奇のプライドが打ち砕かれた所で、影狼がフォローする。
「赤蛮奇。私は人間が怖いけどさ、友達が変な病気にかかって苦しんでいるかもしれないって思う方がもっと怖いよ。
私もついて行ってあげるから、永遠亭に行こう。ね」
まるで母親の様な物言いに赤蛮奇も申し訳ない気持ちになり、とうとう覚悟を決めた。
「分かった……この状態になってからずっと気持ち悪いし、行くよ」
「うん! そうだ、手とかつないだ方がいい?」
「一人で歩けるから!」
おかしな方向に張り切る影狼と、首がぐらぐらの赤蛮奇。
そんな二人を、湖から出られないわかさぎ姫が静かに手を振って見送った。
――◇――
「それじゃ、ずっと首を取っていないの!?」
「うん……取ろうと思えば取れるけど、今はやっとのことで小康状態を保っているから、多分取ったら次はくっつく保証がないかも」
そう歩きながら、影狼に思いのほか深刻な話を打ち明ける赤蛮奇。
その首には影狼のケープを巻いてもらった。首を固定するコルセットの代わりだ。
即席であるためガッチリ固定とまではいかないが、視線を彷徨わせない対策としては充分である。
聞けば赤蛮奇は十数日前から、この嫌な感触を覚えていたと言う。
最初は放っておいたのだが、この頃は首を増やすといった特殊な機能がほぼ無に等しくなってしまった
それどころか、いま首が繋がっている状況ですら怪しいらしい。
それでも病院どころか誰にもこの危機的状況を話さなかった赤蛮奇に、影狼は呆れを通り越して腹が立ってきた。
「もう! どうして黙っていたの!」
「だって、首が離れないろくろ首なんか存在意義が無いわ。そんな姿を知られたくなかったし……」
「あのね、それ以上情けないこと言ったら、その喉笛噛みちぎるからね」
突然の物騒な言葉に赤蛮奇はギョッとしたが、対する影狼はグルルルと滅多に出さない怒りの音を鳴らしていた。
黙りこくる赤蛮奇に、影狼は続ける。
「首が離れなくても、赤蛮奇は赤蛮奇よ。同じ草の根妖怪ネットワークの仲間で、私の友達。
私は人里でちゃんと暮らしている赤蛮奇がすごいと思っていたのに、存在する意味が無いなんて悲しい事言わないで」
そう心に訴えかける言葉と真っ直ぐな瞳に、赤蛮奇は射すくめられる。
こんなにも真摯に思ってくれる影狼に、偉そうに説教してしまったさっきの自分が急に恥ずかしくなってしまった。
人間は見てくれだけだと言い放ったが、自分も弱い姿を見られたくない一心で嘘を吐くなんて同じじゃないか、と反省する。
「ごめん……もう言わないよ」
「うん。わかってくれたならいいよ。それより、早く竹林に行こう」
赤蛮奇の素直な謝罪に、影狼も笑顔で和解する。
そして二人は竹林に向かう街道を歩いて行く。二人とも空を飛べないし、首になるべく負担をかけないよう歩くほかない。
しかし、今日は運と天候が悪かった。
「わっ! もう、何でこんな急に風が出てくるのよ」
赤蛮奇が歩きながら愚痴る。さっきまで何ともなかったのに、突風が吹き始めたのだ。
帽子が飛ばされそうな程の強風に、ケープで縛って固定しているだけの赤蛮奇の頭がフラフラと揺れる。
その度影狼は、風でもげたらどうしようとひやひやしていた。
とその刹那、一番の突風が二人を襲った。
「おおお!?」
「きゃあ!」
影狼は目を覆い、赤蛮奇は頭を必死に手でガードする。
一瞬頭が背中にくっつきそうな程のけぞったが、なんとか踏ん張った。
そして安心した瞬間、赤蛮奇は足元の石ころにけつまずいた。
「あっ!」
足元が見えてなかった赤蛮奇は、そのまま前のめりに倒れ込む。
両手のつけない赤蛮奇の眼前に地面が接近し、そのまま衝突の予感に身をかがめた瞬間、地面と赤蛮奇の間に影狼が割って入った。
「おぶっ!」「きゃん!」
赤蛮奇の頭は、寝転がる様に前に躍り出た影狼の柔らかいお腹にヒット。
そのクッションのお陰で首がポキッといくのは避けられたが、影狼が痛々しい声を上げる。
赤蛮奇は急いで起き上がった。
「影狼! 大丈夫!?」
「うえぇ、お腹がボーンてなったぁ……でもまぁ、平気」
「ごめん……私のせいでこんな」
「大丈夫、大丈夫。それより、気を付けないと」
影狼に赤蛮奇が謝るが、影狼は赤蛮奇の首に異常がないことにほっとした。
一方の赤蛮奇はありがたい反面、影狼のこういう無茶な行動を取る癖を再認識していた。
自分もしっかりしないといけない。赤蛮奇はそう頭に焼き付けた。
――◇――
それから慎重に慎重をきして歩みを進めたため、だいぶ時間が掛かったが何とか竹林までたどり着いた。
後は中に入って病院である永遠亭まで進むまでだ。
迷いの竹林という名前の通り、素人が闇雲に分け入ると遭難するのがオチだが、幸いこの地で生きてきた影狼なら迷わず目的地に行くことが出来る。
そんな影狼の案内で竹林をずんずん進む一行だが、赤蛮奇は何やら不穏な気配を察知していた。
「……影狼、何かおかしくない?」
「? 何が」
「首が……むずむずするのよ」
「えっ!? もしかして悪化しちゃったの!?」
「違う違う! 虫の知らせ、ってやつよ。
こういう風にむずむずするとき、決まってロクでもない目に遭うの。
博麗の巫女と目が合うとか、魔法使いとメイドさんの弾幕ごっこに巻き込まれるとか」
まだ過去の異変を引きずっているのか、ぶるりと身をすくませる赤蛮奇。
影狼は半信半疑で辺りを見渡す。
十重二十重に連なる青竹の直線が織りなす密林の様な風景。でも上を見上げるとすかすかに茂る笹の隙間から青空が見える。
いつもと変わらない。
影狼はやっぱり病状が悪化して神経が過敏になっているのかしら、とため息をついて、その分減った空気を鼻から吸う。
そして気づいた。
瑞々しい竹の香に交じるキナ臭い危険臭に。
「嘘……こんな時間からやっているの!?」
そう影狼は焦燥を滲ませて赤蛮奇の手を取り、脱兎のごとく駆けだす。
これには赤蛮奇も面食らい、あわてて反対の手で首をガードする。
「なな、何よ!? 何をやっているって!?」
「永遠亭のお姫様と火の鳥の決闘! 早く逃げないと、巻き込まれたら消し炭よ!」
そう叫ぶように説明して、影狼は炎で竹が焦げる臭いから離れる方向に逃げていく。
赤蛮奇にも事の重大さが伝わり、片手で首を押さえてひょこひょことトリッキーな動きで駆けゆく。
いつもなら日が落ちた頃にぼつぼつ始まる決闘……否、殺し合いは今日に限ってお互いの機嫌が悪かったのか、今まさに始まってしまったらしい。
そしてその争いは弾幕が飛び交うのはもちろん、火焔は吹き荒れ熱風が逆巻く、そばに居たら冗談抜きで黒コゲになってしまいそうになる様相なのだ。
影狼は鼻と耳をひくひくと動かして距離を探る。
その結果は、かなりマズイと出た。すぐそこまで怒りの二人が迫っている。
「早く早く! 永遠亭に行けば大丈夫だと思うから」
「そんなこと言われても、こっちは激しく動けない……」
急かす影狼に泣き言を漏らす赤蛮奇。
瞬間、そんな二人に災厄が追いついた。
漬物石ほどもある大きな流れ弾が背後に着地。するとその光球がホウセンカの種の様に爆ぜた。
「「きゃあぁぁぁ!」」
二人は女の子の様な悲鳴をあげて、前に倒れ込む。
まるで爆撃に遭ったような惨事に、赤蛮奇はただ頭を守ることに必死だった。
赤蛮奇は何とか起き上がると、頭を両手でかばいながら遮二無二走る。
すると、ふかふかと枯れた笹の葉が重なる土手の奥に、隠れるにはおあつらえ向きの溝を発見した。
赤蛮奇はほとんど這いずる様に土手からなだれ込み、溝の底でほっと一息つく。
そして両手の平を眺めて、ハッと気づいた。
「影狼!?」
あの騒ぎで影狼の手を離してしまった。赤蛮奇は影狼を捜すため、土手から少しだけ顔を出す。
ちょうど真上で決闘が展開しているらしく、周囲の気温が上昇し、火の粉や七色の弾幕がぱらぱらと降り注いでいた。
そんな地獄絵図の光景の中に目を凝らす。
すると、いた。すぐそこの地面に倒れ伏している。
赤蛮奇はすわ怪我をしているのかと動揺したが、どうやら意識はあるらしく、上をちらちら見ながらほふく前進で逃げようとしている。
ひとまず大丈夫と緊張を緩めたその時、赤蛮奇の心臓が跳ね上がった。
先刻クラスの巨大な光球が、再び影狼の上空から降ってきていた。
隕石を思わせる様な恐怖の落下物に、影狼は慌てて立ち上がり避けようとする。
だが急に立ち上がったせいでよろけ、張り出した根っこに足の甲を引っ掛けてしまった。
影狼は再び地面に倒れ、その顔が恐慌に引きつる。
赤蛮奇に、ためらいはなかった。
影狼がぎゅっと目を閉じた刹那、そのわずか数メートル上で流れ弾が弾けた。
花火の様に殺傷能力のない火の粉が放射線状に飛び散り、影狼を屠らんとした火弾は霧散した。
それはまるで弾が空中で何かに衝突した様な現象であり、そのおかげで影狼は無傷で済んだ。
しばらく影狼はうずくまって震えていたが、辺りが静かになったのを察してそっと顔を上げる。
どうやら騒動の二人は、嵐が通り過ぎる様にそのまま遠くに移動したらしい。
焼け焦げた竹と土の臭いが充満する戦場跡の真ん中で、影狼は上半身だけ起き上げると、座り込んで放心していた。
だがすぐに赤蛮奇の姿を探す。
そしてそばに転がっていた塊を見たとき、影狼は声にならない掠れた金切り声をあげた。
ぶすぶすと真っ黒に焦げた肉塊。簡単に言葉で表すとそうだが、それが生首の成れの果てと気づくや、まともな人間なら吐き気さえ催すだろう。
ましてや、その首が知り合いのものだと知った時の衝撃は計り知れない。
影狼は膝の力が抜け、がくがくと震えて尻もちをつく。
その首、もとい首だったものにはかろうじて焼け残った布の切れ端がこびりついていた。
その青い切れ端は、普段赤蛮奇が結んでいたリボンとまったく同じものだった。
影狼の背後の溝には、頭という司令塔を失い力なく土手にもたれかかる赤蛮奇の胴体が放置されている。
赤蛮奇は首が離れたら最期という感覚を認知してなお、首を飛ばして影狼を助けたのだ。
本来ならば首単体が撃破されても、マスターの首が一つあれば復活が可能だった赤蛮奇。
しかし赤蛮奇に唯一残された首は焼失。新たな首も周囲に見当たらない。
そんな状況を全て把握できる精神状態かは分からないが、影狼はその場で遠吠えの様な、哀愁のある甲高い悲鳴をあげて泣き崩れた。
永遠亭まであと一歩という所だった。
――◇――
鈴仙はさぞ驚いたことだろう。
涙と鼻水で顔がぐちゃぐちゃの人狼が、首なしの胴体と焼け焦げた首を担いで入り口に突撃してきたのだから無理も無い。
始めは興奮状態で話を聞くにも難儀したが、何とかなだめてようやく事情を呑み込めた。
そして処置室に緊急搬送。永琳による診断と治療が試みられた。
影狼はその間、廊下の椅子に腰かけうなだれていた。
幾ばくかして、永琳が処置室のドアから出てきた。
影狼は永琳に縋りつく。
「先生! 赤蛮奇は……赤蛮奇の首、ちゃんとつながりますよね? ね?」
そう自分を信じ込ませるように、矢継ぎ早に言葉を紡ぐ影狼。
その哀れなほど揺れる目をまっすぐ見つめ、永琳はこう包み隠さず告知した。
「……あなたが持ってきた赤蛮奇さんの首。あれは私でもっても修復は不可能です。
そして、あの首が再び胴体に戻ることも、二度とありません」
ガン、と影狼は頭を金づちで叩かれた様な感覚を覚えた。
赤蛮奇の首はもう戻らない。つまり、赤蛮奇のあの元気な姿はもう見ることができない。
その事実に、影狼は居ても立ってもいることができなくなった。
ほとんど無意識に駆け出し、処置室の扉を乱暴に開ける。
清潔が保たれた部屋の正面には患者用のベッド。そこには、赤蛮奇の胴体が安置されていた。
ピクリとも動かぬ赤蛮奇の胴体。そして二目と見られない程著しく損傷した首。
薄々感付いてはいたが、医者に宣告され、今度こそすべての希望を失った。
影狼はよろよろと胴体に近づき、倒れ込む様にしてベッドの縁に寄りかかる。
「……ごめんね。ごめんね赤蛮奇。
守れなかった……あとちょっとだったのに、私のせいで、ごめんね赤蛮奇ぃ……」
あまりに不憫な謝罪の言葉を絞り出して、さめざめと号泣する影狼。
その頭を、ふわりと誰かの手が撫でた。
永琳だろうか。それは影狼を慰める様な優しい手つきだった。
だが今はそんな優しささえ影狼には刃となる。
この撫で方は、昔赤蛮奇が照れながらナデナデしてくれた手つきを思い出して、悲しみに拍車がかかる。
本当に赤蛮奇に撫でられている様で、影狼は懐かしい思いに捉われる。
そう、前方のベッド側から撫でられる感触はほとんど変わらず……
ここで影狼は涙を止めて顔をバッと上げる。そこには信じられない光景が広がっていた。
赤蛮奇の胴体が起き上がり、ベッドの上で胡坐をかいて影狼の頭を撫でていたのだ。
影狼の動きが彫像の様に止まる。
すると永琳がゆっくりと処置室内に入ってきた。
首なしに撫でられる狼女というホラー映画顔負けの不気味な光景にも臆さず、事もなげに先程の告知の続きを始める。
「落ち着いて。さっきまで気を失っていたけど、赤蛮奇さんは生きていますよ。
確かにあなたの持ってきた首はもうどうしようもないけれど、そもそも今の赤蛮奇さんにはいらないものみたいね。
ほら、首の所を見てみて」
永琳がそう促すと、赤蛮奇の胴体も襟の中、首が繋がる部分をちょいちょいと指差す。
影狼はそこをこわごわと覗いて、息を呑んだ。
そこには、赤蛮奇の特徴的な赤毛がフサフサと生い茂っていた。
いや正確には、赤蛮奇の頭頂部が襟の中に納まっているといったところだ。
赤蛮奇がこんな姿で、それでも大丈夫だった理由。影狼はあまりに単純な解答に目をぱちくりとする。
そして、永琳が医者としての知見を述べる。
「ろくろ首に関しての資料が少ないから断言できないけど、多分これから新しい首が生えてくるのよ。ちょうど乳歯が抜けて永久歯に生え変わる様にね。
ちなみに生体反応や健康状態に異常なし。首の欠損を除いて問題は見当たらないわ。
今日中に退院できますから、どうぞお大事に」
そう宣言する永琳。赤蛮奇胴体も体を上下に揺らす。どうやら世話になったお礼のジェスチャーらしい。
すると、影狼がそっと手を伸ばして赤蛮奇の頭頂部に触れる。
「……赤蛮奇、私の事がわかる?」
影狼の問いに、赤蛮奇胴体は両手で大きな丸印を作る。どうやってかは謎だが、意思疎通もできる様だ。
影狼も我慢できなかったのか、今度は喜びの涙を流して赤蛮奇に抱きつく。
胴体があわあわと面食らった動きをする。
「良かった! もう、死んじゃったかと思った! 本当に良かったよ。
赤蛮奇、私を助けてくれたんだよね。ありがとう。本当にありがとう……」
そんな影狼のいじらしい姿に、赤蛮奇は声を出せない代わりにそっと影狼の体を抱いてやる。
顔はないけれども、きっと柔らかで、それでいて少し照れたような微笑みを見せている。
その場にいた者なら、そんな表情を幻視する様な光景だった。
――◇――
あれから一ヶ月ほどして、赤蛮奇の首はちゃんと生え変わった。
始めは頭頂部、次に額、目、鼻、口、最後に顎がせり上がってくるように徐々に生えてきたのだ。
今はちゃんと首もつながっているし、もちろん切り離したり増やしたりも可能だ。
そして今日はその完全復活の報告として、ネットワークの会合が行われた。
「――とまあ、こんな感じで私はもう元気よ。
外見が不気味過ぎるから、ひと月丸々外を出歩けられなかったのはつらかったわ。
でも一番大変だったのは、数日前に試しに首を取ろうとしたら、血相変えた影狼が止めにかかった時かなぁ」
「あらあら、影狼ちゃんは心配性ね」
「だって! 生えたばっかりって、何かちくちくして変な感じがするでしょ。不安でしょうがないから」
「へぇ。満月の時の影狼ちゃんって、ちくちくしたりするんだ」
「ぎゃー! 言わないで!」
顔を真っ赤にしてわかさぎ姫をぽかぽかと叩く影狼に、赤蛮奇はやれやれといった視線を送る。
でも赤蛮奇は影狼に感謝していた。外に出られない期間中、耳としっぽを隠して世話をしてくれたからだ。
いつばれてもおかしくない変装で、ずっと赤蛮奇を助けてくれた。
影狼は臆病なんかじゃないよ。そう赤蛮奇は心中で称賛していた。
影狼とわかさぎ姫のじゃれ合いが一通り済むと、ふとわかさぎ姫が赤蛮奇に話しかける。
「それにしても赤蛮奇、ちょっと大人っぽくなった?」
「へ?」
わかさぎ姫の質問の意味がわからないといった様子で、気の抜けた声を発する赤蛮奇。
すると影狼も「そういえば」といった様子でうんうん頷く。
彼女たちの見ていたのは、赤蛮奇の新しい顔。
旧首の赤蛮奇の顔は、丸みを帯びていて目はぱっちりと真ん丸。髪の毛もベリーショートだった。
ところが今の顔は頬から顎のラインがほっそりと整い、目元もややアーモンド形に変化していた。
髪もちょっと伸ばして、リボンを短いポニーテールの様に括っている。
その変化を例えるなら、女の子が成長して思春期の顔つきになったと言えばわかりやすい。
ここでわかさぎ姫が、とんでもない予想を打ち出す。
「もしかして首が生え変わると、その分大人の顔になるんじゃないかしら」
「ええっ!?」
なぜか当の本人が一番びっくりする予想だが、そうとしか言えない変化だった。
ろくろ首は幻想郷でも珍しい種族で、永琳でさえよく分からないと言っている現状だ。
赤蛮奇本人も他の仲間を知らないため、この予想を否定する材料を持っていないのだ。
「このペースだと、あと1~2回の首のすげ替えで女盛りバージョンの赤蛮奇が見られるかもね」
「お、女盛り……」
「わぁ、ちょっと見てみたいかも」
わかさぎ姫のストレートな表現に赤蛮奇がたじろぐ一方、影狼は興味に彩られた目で赤蛮奇を眺める。
成長のサイクルが非常にゆっくりな妖怪にとって、このように目で見てわかる成長劇は珍しいのだ。もっとも、人間にとっても奇怪そのものだが。
すると、赤蛮奇は忌々しげにこう呟く。
「そうだとしたら、体の方もバランスよく成長して欲しいものね。
顔が大人でも幼児体型じゃ、変な趣味の男しか寄ってこないじゃない」
そう鼻息を荒くする赤蛮奇に、わかさぎ姫がニマニマと口を三日月形にする。これは、悪い企みを思いついた顔だ。
わかさぎ姫は影狼にこう教える。
「体の成長ね。そういえば、体は揉んであげればバイーンと大きくなるって聞いたような。
影狼ちゃん、赤蛮奇の体を揉んであげたら」
「本当? 赤蛮奇、私に任せて」
「はっ!? いや、それ明らかにデタラメだからはうっ!」
赤蛮奇が反論する間もなく、影狼はマウンティングポジションに素早く移動。赤蛮奇のお腹や、腰元や、胸をモミモミと揉みしだく。
その手さばきに、赤蛮奇は翻弄されっ放しだ。
「どう? 気持ちいい? 成長しそう?」
「あはははは! くす、くすぐったい! あ、そこ触らないで!
んあっ! はぁ! せ、成長するから、しちゃうからあぁぁぁ!」
影狼も赤蛮奇が元気になったのが嬉しいのか、スキンシップだとばかりに赤蛮奇を触りまくる。
そんな様子を、もしかしたら今回一番の黒幕だったかもしれないわかさぎ姫が、静かに微笑みながら見守っているのだった。
【終】
湖のほとり。今日の草の根妖怪ネットワークの会合は、赤蛮奇も参加していた。
今日は赤蛮奇に質問した影狼と、水面に半分浸かって影狼の問いに耳を傾けるわかさぎ姫だけの小さな会合だ。
この組合に所属する妖怪は皆一様に大人しい妖怪達。故に妖怪退治屋はおろか、腕っぷしが強い程度の一般人ですら怖い。
だが赤蛮奇は人里に紛れて住んでいる。
その度胸はどこから来るのか。影狼は知りたかった。
対して赤蛮奇は胡坐をかいて腕を組み、顎を斜め上にしゃくってこう言い始めた。
「怖い? 人間が? そういえば影狼はいつもそう言っていたね。
言っておくけど、私は怖くないわ。人間が怖いのは人間をよく分かっていないからよ」
そう言って、頭頂部を影狼の方にずいと向ける赤蛮奇。
「考えてもみて。人間は私たち妖怪よりも身体能力が劣っているのよ。
水には数分しか潜れない。変身もできない。ましてや首もつながったまんまだし。
だから武器を持ったり、他人の腹を探ったりして強く見せているの」
赤蛮奇は小馬鹿にしたようなため息交じりに、視線を上に向けてやれやれと肩を竦める。
そして二人を見つめてこう主張する。
「でもそんな強さはハリボテよ。中身を知ってしまえばどうってことはない。
だから私は人間の外面しか見えない野山の生活よりも、中身が丸見えの人里に住んでいるの。
貴方たちも、いつまでも人間の影に怯えていないで、堂々と振舞えばいいのよ」
そう首を縦にぶんぶん振って意見を締めくくる赤蛮奇。
決まった。赤蛮奇はフッとクールに笑みを浮かべる。
だが、赤蛮奇は二人に気づかれてしまった。
「……赤蛮奇、さっきから頭がずーっと明後日の方向に行ったり来たりしているよ」
「体の傾きに合わせて首も傾くし、何かヘン」
そう、先ほどから赤蛮奇は喋るたびにリアクションの様に頭を動かしていたが、その動きに自発的な要素が感じられなかったのだ。
それに対する赤蛮奇の反応は
「……ああそうだ。今日は燃えるゴミを出さないといけないから帰るわ」
さくっとスルーし早々に立ち上がる赤蛮奇。
だが立った瞬間、首が真横に90度傾いた。
そそくさと帰ろうとする赤蛮奇を、影狼がさっと捕まえた。
「待って! やっぱりおかしいよ! 首がぐらぐらしているし、どうしちゃったの赤蛮奇!?」
「いや、何でもない! 何でもないから揺らすのやめて!」
影狼は知り合いの妖怪に起きた異変に動揺し、赤蛮奇の肩をつかんでガクガクと揺する。
するとそれに合わせて赤蛮奇の首がヘッドバンギングの様にカックンカックンと揺れ、見た目にも苦しそうだ。
明らかに首が制御されていない様相なのに、これで何でもない訳がない。
「影狼ちゃん、ステイ!」
突然わかさぎ姫が凛とした掛け声をあげる。その刹那、影狼はさっと手を離すと、その場にぺたりと体育座りをした。
ハッと落ち着く影狼。赤蛮奇はごほごほと頭を盛大に揺らして咳き込んでいた。
普段物静かなわかさぎ姫も、これははっきりと言う。
「赤蛮奇、あなた普通じゃないわ。大事な首なのに、さっきから機能していないじゃない。
いったいどうしたのか話して。私も影狼ちゃんも心配なのよ」
不定期参加の組員だが、それでも大切なネットワークの一員だ。わかさぎ姫も影狼も、仲間の現状を把握したがっていた。
さすがに赤蛮奇もそんな真摯な感情をかわすことが出来ず、息を一つついてこう漏らす。
「……最近、首の据わりがいまいちなのよ」
そう、うなだれながら説明しだす赤蛮奇。
「据わりが悪いって?」
「首は繋がっているけど、半分ぐらいしかくっつかないのよ。
今はこうして無理矢理くっつけているけど、ちょっとの衝撃ですぐ取れちゃいそう……」
その言葉に、影狼とわかさぎ姫は目を丸くする。
赤蛮奇の種族はろくろ首。しかも首が長く伸びるのではなく、首そのものが体から離れて自由に飛び回れる。
そして当然その首は脱着が自由自在のはずなのだが、赤蛮奇はどうも首の継ぎ目の調子が悪いと言う。
「取れちゃいそうって、どうして」
「わからない。今までこんなこと無かったし」
そう現状を喋ることで段々不安になってきたのか、声がどんどん小さくなる赤蛮奇。
その弱気な発言に、影狼は心配そうに提案する。
「赤蛮奇、病院に行こう。私の住んでいる竹林の病院は、妖怪でも診てくれるよ」
至極真っ当な意見にわかさぎ姫もうんうんと頷くが、さきほど以上に赤蛮奇の顔色が青く変わった。
そして、動かしづらい顔を一生懸命そらしてこう一本調子にのたまう。
「い、医者にかかる程じゃないわよ。うん。一回ゆっくりカチッと鳴るまで押し込めば治るかもしれないし。そうだ、とりあえず今日は燃えるゴミを出さないとだし」
「お医者さんが怖いの?」
「ッツ!?」
わかさぎ姫の鋭い指摘に、赤蛮奇はたじろぐ。というか、明らかに核心を突かれた様だ。
これには影狼も呆れた顔をする。
「ええ? 赤蛮奇はさっき『人間なんか怖くない』って言っていたでしょ。それなのに、お医者さんが怖いの?」
「そんなこと……ない」
「じゃあ、今から行こうよ」
「だっ、だって竹林の医者って人間じゃないって聞いたわよ! そんなのに体いじらせたらどうなるか!」
「それじゃ人間は怖くないけど、人間じゃない医者は怖いってことね」
「ぐっ……」
わかさぎ姫の理路整然とした発言に、とうとう赤蛮奇は反論できなくなった。
ことごとく赤蛮奇のプライドが打ち砕かれた所で、影狼がフォローする。
「赤蛮奇。私は人間が怖いけどさ、友達が変な病気にかかって苦しんでいるかもしれないって思う方がもっと怖いよ。
私もついて行ってあげるから、永遠亭に行こう。ね」
まるで母親の様な物言いに赤蛮奇も申し訳ない気持ちになり、とうとう覚悟を決めた。
「分かった……この状態になってからずっと気持ち悪いし、行くよ」
「うん! そうだ、手とかつないだ方がいい?」
「一人で歩けるから!」
おかしな方向に張り切る影狼と、首がぐらぐらの赤蛮奇。
そんな二人を、湖から出られないわかさぎ姫が静かに手を振って見送った。
――◇――
「それじゃ、ずっと首を取っていないの!?」
「うん……取ろうと思えば取れるけど、今はやっとのことで小康状態を保っているから、多分取ったら次はくっつく保証がないかも」
そう歩きながら、影狼に思いのほか深刻な話を打ち明ける赤蛮奇。
その首には影狼のケープを巻いてもらった。首を固定するコルセットの代わりだ。
即席であるためガッチリ固定とまではいかないが、視線を彷徨わせない対策としては充分である。
聞けば赤蛮奇は十数日前から、この嫌な感触を覚えていたと言う。
最初は放っておいたのだが、この頃は首を増やすといった特殊な機能がほぼ無に等しくなってしまった
それどころか、いま首が繋がっている状況ですら怪しいらしい。
それでも病院どころか誰にもこの危機的状況を話さなかった赤蛮奇に、影狼は呆れを通り越して腹が立ってきた。
「もう! どうして黙っていたの!」
「だって、首が離れないろくろ首なんか存在意義が無いわ。そんな姿を知られたくなかったし……」
「あのね、それ以上情けないこと言ったら、その喉笛噛みちぎるからね」
突然の物騒な言葉に赤蛮奇はギョッとしたが、対する影狼はグルルルと滅多に出さない怒りの音を鳴らしていた。
黙りこくる赤蛮奇に、影狼は続ける。
「首が離れなくても、赤蛮奇は赤蛮奇よ。同じ草の根妖怪ネットワークの仲間で、私の友達。
私は人里でちゃんと暮らしている赤蛮奇がすごいと思っていたのに、存在する意味が無いなんて悲しい事言わないで」
そう心に訴えかける言葉と真っ直ぐな瞳に、赤蛮奇は射すくめられる。
こんなにも真摯に思ってくれる影狼に、偉そうに説教してしまったさっきの自分が急に恥ずかしくなってしまった。
人間は見てくれだけだと言い放ったが、自分も弱い姿を見られたくない一心で嘘を吐くなんて同じじゃないか、と反省する。
「ごめん……もう言わないよ」
「うん。わかってくれたならいいよ。それより、早く竹林に行こう」
赤蛮奇の素直な謝罪に、影狼も笑顔で和解する。
そして二人は竹林に向かう街道を歩いて行く。二人とも空を飛べないし、首になるべく負担をかけないよう歩くほかない。
しかし、今日は運と天候が悪かった。
「わっ! もう、何でこんな急に風が出てくるのよ」
赤蛮奇が歩きながら愚痴る。さっきまで何ともなかったのに、突風が吹き始めたのだ。
帽子が飛ばされそうな程の強風に、ケープで縛って固定しているだけの赤蛮奇の頭がフラフラと揺れる。
その度影狼は、風でもげたらどうしようとひやひやしていた。
とその刹那、一番の突風が二人を襲った。
「おおお!?」
「きゃあ!」
影狼は目を覆い、赤蛮奇は頭を必死に手でガードする。
一瞬頭が背中にくっつきそうな程のけぞったが、なんとか踏ん張った。
そして安心した瞬間、赤蛮奇は足元の石ころにけつまずいた。
「あっ!」
足元が見えてなかった赤蛮奇は、そのまま前のめりに倒れ込む。
両手のつけない赤蛮奇の眼前に地面が接近し、そのまま衝突の予感に身をかがめた瞬間、地面と赤蛮奇の間に影狼が割って入った。
「おぶっ!」「きゃん!」
赤蛮奇の頭は、寝転がる様に前に躍り出た影狼の柔らかいお腹にヒット。
そのクッションのお陰で首がポキッといくのは避けられたが、影狼が痛々しい声を上げる。
赤蛮奇は急いで起き上がった。
「影狼! 大丈夫!?」
「うえぇ、お腹がボーンてなったぁ……でもまぁ、平気」
「ごめん……私のせいでこんな」
「大丈夫、大丈夫。それより、気を付けないと」
影狼に赤蛮奇が謝るが、影狼は赤蛮奇の首に異常がないことにほっとした。
一方の赤蛮奇はありがたい反面、影狼のこういう無茶な行動を取る癖を再認識していた。
自分もしっかりしないといけない。赤蛮奇はそう頭に焼き付けた。
――◇――
それから慎重に慎重をきして歩みを進めたため、だいぶ時間が掛かったが何とか竹林までたどり着いた。
後は中に入って病院である永遠亭まで進むまでだ。
迷いの竹林という名前の通り、素人が闇雲に分け入ると遭難するのがオチだが、幸いこの地で生きてきた影狼なら迷わず目的地に行くことが出来る。
そんな影狼の案内で竹林をずんずん進む一行だが、赤蛮奇は何やら不穏な気配を察知していた。
「……影狼、何かおかしくない?」
「? 何が」
「首が……むずむずするのよ」
「えっ!? もしかして悪化しちゃったの!?」
「違う違う! 虫の知らせ、ってやつよ。
こういう風にむずむずするとき、決まってロクでもない目に遭うの。
博麗の巫女と目が合うとか、魔法使いとメイドさんの弾幕ごっこに巻き込まれるとか」
まだ過去の異変を引きずっているのか、ぶるりと身をすくませる赤蛮奇。
影狼は半信半疑で辺りを見渡す。
十重二十重に連なる青竹の直線が織りなす密林の様な風景。でも上を見上げるとすかすかに茂る笹の隙間から青空が見える。
いつもと変わらない。
影狼はやっぱり病状が悪化して神経が過敏になっているのかしら、とため息をついて、その分減った空気を鼻から吸う。
そして気づいた。
瑞々しい竹の香に交じるキナ臭い危険臭に。
「嘘……こんな時間からやっているの!?」
そう影狼は焦燥を滲ませて赤蛮奇の手を取り、脱兎のごとく駆けだす。
これには赤蛮奇も面食らい、あわてて反対の手で首をガードする。
「なな、何よ!? 何をやっているって!?」
「永遠亭のお姫様と火の鳥の決闘! 早く逃げないと、巻き込まれたら消し炭よ!」
そう叫ぶように説明して、影狼は炎で竹が焦げる臭いから離れる方向に逃げていく。
赤蛮奇にも事の重大さが伝わり、片手で首を押さえてひょこひょことトリッキーな動きで駆けゆく。
いつもなら日が落ちた頃にぼつぼつ始まる決闘……否、殺し合いは今日に限ってお互いの機嫌が悪かったのか、今まさに始まってしまったらしい。
そしてその争いは弾幕が飛び交うのはもちろん、火焔は吹き荒れ熱風が逆巻く、そばに居たら冗談抜きで黒コゲになってしまいそうになる様相なのだ。
影狼は鼻と耳をひくひくと動かして距離を探る。
その結果は、かなりマズイと出た。すぐそこまで怒りの二人が迫っている。
「早く早く! 永遠亭に行けば大丈夫だと思うから」
「そんなこと言われても、こっちは激しく動けない……」
急かす影狼に泣き言を漏らす赤蛮奇。
瞬間、そんな二人に災厄が追いついた。
漬物石ほどもある大きな流れ弾が背後に着地。するとその光球がホウセンカの種の様に爆ぜた。
「「きゃあぁぁぁ!」」
二人は女の子の様な悲鳴をあげて、前に倒れ込む。
まるで爆撃に遭ったような惨事に、赤蛮奇はただ頭を守ることに必死だった。
赤蛮奇は何とか起き上がると、頭を両手でかばいながら遮二無二走る。
すると、ふかふかと枯れた笹の葉が重なる土手の奥に、隠れるにはおあつらえ向きの溝を発見した。
赤蛮奇はほとんど這いずる様に土手からなだれ込み、溝の底でほっと一息つく。
そして両手の平を眺めて、ハッと気づいた。
「影狼!?」
あの騒ぎで影狼の手を離してしまった。赤蛮奇は影狼を捜すため、土手から少しだけ顔を出す。
ちょうど真上で決闘が展開しているらしく、周囲の気温が上昇し、火の粉や七色の弾幕がぱらぱらと降り注いでいた。
そんな地獄絵図の光景の中に目を凝らす。
すると、いた。すぐそこの地面に倒れ伏している。
赤蛮奇はすわ怪我をしているのかと動揺したが、どうやら意識はあるらしく、上をちらちら見ながらほふく前進で逃げようとしている。
ひとまず大丈夫と緊張を緩めたその時、赤蛮奇の心臓が跳ね上がった。
先刻クラスの巨大な光球が、再び影狼の上空から降ってきていた。
隕石を思わせる様な恐怖の落下物に、影狼は慌てて立ち上がり避けようとする。
だが急に立ち上がったせいでよろけ、張り出した根っこに足の甲を引っ掛けてしまった。
影狼は再び地面に倒れ、その顔が恐慌に引きつる。
赤蛮奇に、ためらいはなかった。
影狼がぎゅっと目を閉じた刹那、そのわずか数メートル上で流れ弾が弾けた。
花火の様に殺傷能力のない火の粉が放射線状に飛び散り、影狼を屠らんとした火弾は霧散した。
それはまるで弾が空中で何かに衝突した様な現象であり、そのおかげで影狼は無傷で済んだ。
しばらく影狼はうずくまって震えていたが、辺りが静かになったのを察してそっと顔を上げる。
どうやら騒動の二人は、嵐が通り過ぎる様にそのまま遠くに移動したらしい。
焼け焦げた竹と土の臭いが充満する戦場跡の真ん中で、影狼は上半身だけ起き上げると、座り込んで放心していた。
だがすぐに赤蛮奇の姿を探す。
そしてそばに転がっていた塊を見たとき、影狼は声にならない掠れた金切り声をあげた。
ぶすぶすと真っ黒に焦げた肉塊。簡単に言葉で表すとそうだが、それが生首の成れの果てと気づくや、まともな人間なら吐き気さえ催すだろう。
ましてや、その首が知り合いのものだと知った時の衝撃は計り知れない。
影狼は膝の力が抜け、がくがくと震えて尻もちをつく。
その首、もとい首だったものにはかろうじて焼け残った布の切れ端がこびりついていた。
その青い切れ端は、普段赤蛮奇が結んでいたリボンとまったく同じものだった。
影狼の背後の溝には、頭という司令塔を失い力なく土手にもたれかかる赤蛮奇の胴体が放置されている。
赤蛮奇は首が離れたら最期という感覚を認知してなお、首を飛ばして影狼を助けたのだ。
本来ならば首単体が撃破されても、マスターの首が一つあれば復活が可能だった赤蛮奇。
しかし赤蛮奇に唯一残された首は焼失。新たな首も周囲に見当たらない。
そんな状況を全て把握できる精神状態かは分からないが、影狼はその場で遠吠えの様な、哀愁のある甲高い悲鳴をあげて泣き崩れた。
永遠亭まであと一歩という所だった。
――◇――
鈴仙はさぞ驚いたことだろう。
涙と鼻水で顔がぐちゃぐちゃの人狼が、首なしの胴体と焼け焦げた首を担いで入り口に突撃してきたのだから無理も無い。
始めは興奮状態で話を聞くにも難儀したが、何とかなだめてようやく事情を呑み込めた。
そして処置室に緊急搬送。永琳による診断と治療が試みられた。
影狼はその間、廊下の椅子に腰かけうなだれていた。
幾ばくかして、永琳が処置室のドアから出てきた。
影狼は永琳に縋りつく。
「先生! 赤蛮奇は……赤蛮奇の首、ちゃんとつながりますよね? ね?」
そう自分を信じ込ませるように、矢継ぎ早に言葉を紡ぐ影狼。
その哀れなほど揺れる目をまっすぐ見つめ、永琳はこう包み隠さず告知した。
「……あなたが持ってきた赤蛮奇さんの首。あれは私でもっても修復は不可能です。
そして、あの首が再び胴体に戻ることも、二度とありません」
ガン、と影狼は頭を金づちで叩かれた様な感覚を覚えた。
赤蛮奇の首はもう戻らない。つまり、赤蛮奇のあの元気な姿はもう見ることができない。
その事実に、影狼は居ても立ってもいることができなくなった。
ほとんど無意識に駆け出し、処置室の扉を乱暴に開ける。
清潔が保たれた部屋の正面には患者用のベッド。そこには、赤蛮奇の胴体が安置されていた。
ピクリとも動かぬ赤蛮奇の胴体。そして二目と見られない程著しく損傷した首。
薄々感付いてはいたが、医者に宣告され、今度こそすべての希望を失った。
影狼はよろよろと胴体に近づき、倒れ込む様にしてベッドの縁に寄りかかる。
「……ごめんね。ごめんね赤蛮奇。
守れなかった……あとちょっとだったのに、私のせいで、ごめんね赤蛮奇ぃ……」
あまりに不憫な謝罪の言葉を絞り出して、さめざめと号泣する影狼。
その頭を、ふわりと誰かの手が撫でた。
永琳だろうか。それは影狼を慰める様な優しい手つきだった。
だが今はそんな優しささえ影狼には刃となる。
この撫で方は、昔赤蛮奇が照れながらナデナデしてくれた手つきを思い出して、悲しみに拍車がかかる。
本当に赤蛮奇に撫でられている様で、影狼は懐かしい思いに捉われる。
そう、前方のベッド側から撫でられる感触はほとんど変わらず……
ここで影狼は涙を止めて顔をバッと上げる。そこには信じられない光景が広がっていた。
赤蛮奇の胴体が起き上がり、ベッドの上で胡坐をかいて影狼の頭を撫でていたのだ。
影狼の動きが彫像の様に止まる。
すると永琳がゆっくりと処置室内に入ってきた。
首なしに撫でられる狼女というホラー映画顔負けの不気味な光景にも臆さず、事もなげに先程の告知の続きを始める。
「落ち着いて。さっきまで気を失っていたけど、赤蛮奇さんは生きていますよ。
確かにあなたの持ってきた首はもうどうしようもないけれど、そもそも今の赤蛮奇さんにはいらないものみたいね。
ほら、首の所を見てみて」
永琳がそう促すと、赤蛮奇の胴体も襟の中、首が繋がる部分をちょいちょいと指差す。
影狼はそこをこわごわと覗いて、息を呑んだ。
そこには、赤蛮奇の特徴的な赤毛がフサフサと生い茂っていた。
いや正確には、赤蛮奇の頭頂部が襟の中に納まっているといったところだ。
赤蛮奇がこんな姿で、それでも大丈夫だった理由。影狼はあまりに単純な解答に目をぱちくりとする。
そして、永琳が医者としての知見を述べる。
「ろくろ首に関しての資料が少ないから断言できないけど、多分これから新しい首が生えてくるのよ。ちょうど乳歯が抜けて永久歯に生え変わる様にね。
ちなみに生体反応や健康状態に異常なし。首の欠損を除いて問題は見当たらないわ。
今日中に退院できますから、どうぞお大事に」
そう宣言する永琳。赤蛮奇胴体も体を上下に揺らす。どうやら世話になったお礼のジェスチャーらしい。
すると、影狼がそっと手を伸ばして赤蛮奇の頭頂部に触れる。
「……赤蛮奇、私の事がわかる?」
影狼の問いに、赤蛮奇胴体は両手で大きな丸印を作る。どうやってかは謎だが、意思疎通もできる様だ。
影狼も我慢できなかったのか、今度は喜びの涙を流して赤蛮奇に抱きつく。
胴体があわあわと面食らった動きをする。
「良かった! もう、死んじゃったかと思った! 本当に良かったよ。
赤蛮奇、私を助けてくれたんだよね。ありがとう。本当にありがとう……」
そんな影狼のいじらしい姿に、赤蛮奇は声を出せない代わりにそっと影狼の体を抱いてやる。
顔はないけれども、きっと柔らかで、それでいて少し照れたような微笑みを見せている。
その場にいた者なら、そんな表情を幻視する様な光景だった。
――◇――
あれから一ヶ月ほどして、赤蛮奇の首はちゃんと生え変わった。
始めは頭頂部、次に額、目、鼻、口、最後に顎がせり上がってくるように徐々に生えてきたのだ。
今はちゃんと首もつながっているし、もちろん切り離したり増やしたりも可能だ。
そして今日はその完全復活の報告として、ネットワークの会合が行われた。
「――とまあ、こんな感じで私はもう元気よ。
外見が不気味過ぎるから、ひと月丸々外を出歩けられなかったのはつらかったわ。
でも一番大変だったのは、数日前に試しに首を取ろうとしたら、血相変えた影狼が止めにかかった時かなぁ」
「あらあら、影狼ちゃんは心配性ね」
「だって! 生えたばっかりって、何かちくちくして変な感じがするでしょ。不安でしょうがないから」
「へぇ。満月の時の影狼ちゃんって、ちくちくしたりするんだ」
「ぎゃー! 言わないで!」
顔を真っ赤にしてわかさぎ姫をぽかぽかと叩く影狼に、赤蛮奇はやれやれといった視線を送る。
でも赤蛮奇は影狼に感謝していた。外に出られない期間中、耳としっぽを隠して世話をしてくれたからだ。
いつばれてもおかしくない変装で、ずっと赤蛮奇を助けてくれた。
影狼は臆病なんかじゃないよ。そう赤蛮奇は心中で称賛していた。
影狼とわかさぎ姫のじゃれ合いが一通り済むと、ふとわかさぎ姫が赤蛮奇に話しかける。
「それにしても赤蛮奇、ちょっと大人っぽくなった?」
「へ?」
わかさぎ姫の質問の意味がわからないといった様子で、気の抜けた声を発する赤蛮奇。
すると影狼も「そういえば」といった様子でうんうん頷く。
彼女たちの見ていたのは、赤蛮奇の新しい顔。
旧首の赤蛮奇の顔は、丸みを帯びていて目はぱっちりと真ん丸。髪の毛もベリーショートだった。
ところが今の顔は頬から顎のラインがほっそりと整い、目元もややアーモンド形に変化していた。
髪もちょっと伸ばして、リボンを短いポニーテールの様に括っている。
その変化を例えるなら、女の子が成長して思春期の顔つきになったと言えばわかりやすい。
ここでわかさぎ姫が、とんでもない予想を打ち出す。
「もしかして首が生え変わると、その分大人の顔になるんじゃないかしら」
「ええっ!?」
なぜか当の本人が一番びっくりする予想だが、そうとしか言えない変化だった。
ろくろ首は幻想郷でも珍しい種族で、永琳でさえよく分からないと言っている現状だ。
赤蛮奇本人も他の仲間を知らないため、この予想を否定する材料を持っていないのだ。
「このペースだと、あと1~2回の首のすげ替えで女盛りバージョンの赤蛮奇が見られるかもね」
「お、女盛り……」
「わぁ、ちょっと見てみたいかも」
わかさぎ姫のストレートな表現に赤蛮奇がたじろぐ一方、影狼は興味に彩られた目で赤蛮奇を眺める。
成長のサイクルが非常にゆっくりな妖怪にとって、このように目で見てわかる成長劇は珍しいのだ。もっとも、人間にとっても奇怪そのものだが。
すると、赤蛮奇は忌々しげにこう呟く。
「そうだとしたら、体の方もバランスよく成長して欲しいものね。
顔が大人でも幼児体型じゃ、変な趣味の男しか寄ってこないじゃない」
そう鼻息を荒くする赤蛮奇に、わかさぎ姫がニマニマと口を三日月形にする。これは、悪い企みを思いついた顔だ。
わかさぎ姫は影狼にこう教える。
「体の成長ね。そういえば、体は揉んであげればバイーンと大きくなるって聞いたような。
影狼ちゃん、赤蛮奇の体を揉んであげたら」
「本当? 赤蛮奇、私に任せて」
「はっ!? いや、それ明らかにデタラメだからはうっ!」
赤蛮奇が反論する間もなく、影狼はマウンティングポジションに素早く移動。赤蛮奇のお腹や、腰元や、胸をモミモミと揉みしだく。
その手さばきに、赤蛮奇は翻弄されっ放しだ。
「どう? 気持ちいい? 成長しそう?」
「あはははは! くす、くすぐったい! あ、そこ触らないで!
んあっ! はぁ! せ、成長するから、しちゃうからあぁぁぁ!」
影狼も赤蛮奇が元気になったのが嬉しいのか、スキンシップだとばかりに赤蛮奇を触りまくる。
そんな様子を、もしかしたら今回一番の黒幕だったかもしれないわかさぎ姫が、静かに微笑みながら見守っているのだった。
【終】
そして影狼かわいい!わかさぎ姫黒い!影狼かわいい!
作品の頭から尻尾の先まで輝針城キャラの魅力が詰まってます。ころころと表情を変えていく影狼と二人を煽りつつも見守るお母さん役のわかさぎ姫。この三人(?)ならば草の根妖怪ネットワークは安泰でしょう。女ざかりになった蛮奇を囲んであれやこれやといつまでも楽しんでほしいものです。
いやぁ、ぶっ飛んでると同時に面白いですねぇ
ただ、生えかけているところは想像するだけでもホラーで恐ろしいですね・・・
面白かったです。全員いい味出してますね!
ろくろ首はホント謎です。何がしたくて首を伸ばすのか? そもそも伸びるタイプと飛ぶタイプがいるのに同じ扱いなのか? 興味は尽きません。
でも影狼さんが可愛いのは同意! 大事な事なので2回同意!
このネットワークが末永く続くことを願っております。
奇声を発する程度の能力様
ありがとうございます。お初のキャラクターだったのですが、うまくハマったのであればよかったです。
8番様
あんまり設定が明かされていないので、遊んでみました。面白く感じていただけたのなら幸いです。
生えかけのシーンは、着ているシャツの襟を頭にかぶせてジャ○ラの物真似をしているって誤魔化せば……ダメか(汗)
9番様
ありがとうございます。
絶望を司る程度の能力様
実は後書きの第二案として、生え変わり後の首をとりあえず屋根の上か縁の下に放り投げるというネタも……ますます狂気に拍車がかかる!
それはさておき、いい味が出ていましたか。輝針城キャラを書くのは初だったので、うまくいってよかったです。
11番様
確かに……見方によってはグロ可愛い注意かも。
でもやっていることは、ア○パンマンと同じなんだけどなぁ(オイ)
干首の作り方はググらない方がいい。がま口でした。
ご感想、ありがとうございました。