「お会計115円になります」
私は今訳あってアルバイトをしている。
「おぉ、いいねいいね。115円。藍ちゃんとはこれで『いいご縁』があるってわけだ」
目の前でにこやかに笑いながら親父ギャグをかましているのは常連客の田所さん。朝早くから会社へ向かう途中に見せるその姿は、私がこのアルバイトを始めた三年前から変わらない。
毎朝必ず聞かされる親父ギャグに、私もようやく慣れてきた。例えば、こんな風に返せるくらいに。
「120円のお預かりですね。それではおつりの『5円』をお返しします」
田所さんの手にお釣りを返しながら私はにっこりと微笑む。しっかりとレシートを渡すことも忘れない。
一瞬キョトンとした田所さんは、一拍間を置いて「これは一本取られたね」とまた笑う。それにつられて仕事中だけれども私も一笑。
「ありがとうございました」
袋もなしに缶コーヒーをそのまま持って店の外へ出る田所さんをいつものように見送り、店内を見渡す。
だれもいない店内。それはそうだ、今の時刻は朝の六時。殆どの人間はまだ眠りについているか、起きていてもその殆どは外に出ていないだろう。
出ているとすれば田所さんのように朝出の人か、私のような人外だけ。
申し遅れた。私の名は八雲藍。九尾の狐であり、ある妖怪の式。
「いらっしゃいませ」
訳あって、妖怪の私はかなり前からこのコンビニエンス・ストアでアルバイトをしている。
私、八雲藍はこの土地に最初からいたわけではない。この土地に来る前は幻想郷と呼ばれる、外との交流を断絶した、妖怪と人間が平和に暮らす隠れ里のようなところでその里の管理者と共に暮らしていた。
その管理者というのが私の主人、八雲紫。スキマ妖怪と呼ばれ、幻想郷内においてかなりの権力をもつ妖怪の賢人である。
数年前まで私は紫さまのお側で幻想郷の維持、外との交流を断絶させる結界の調整を行っていたのだが、ある時起きた結界の歪みにより私は幻想郷の外へ出ることになった。こういういい方をしては、まるで私が結界の外へと放り出されたかのように聞こえてしまうが、実際はそうではない。私は自ら望んで外へ、つまりこちら側の世界へとやってきたのだ。
「この歪みを元に戻すまではかなりの時間がかかりそうだわ。それこそ、十年二十年はね」
紫さまの見立てによると、その歪みは幻想郷内部だけの問題ではなく、外部からの何らから圧力によるもの。それを内から正していくのには、かなりの労力と年月をかけなければならないという話だ。
その時私はあることを考えた。もし、その外部からの圧力を取り除くことが出来ればどうなるだろうか、と。それを取り除くことが出来れば結界を正常に戻すのにもさほど時間はかからないのではないかと。
私が進言しなくても紫さまはそこまで考え付いていたようだったが、一つの問題からそれを諦めていたらしい。
それは、誰がどうやって外の圧力を取り払うのかという問題。
内部の話であるなら、紫さまや私でまだ何とかなる。しかし、結界の外になると途端に話が難しくなる。結界は渡来を断絶するもの、それがあるのにどうやって外の障害を取り除けるというのか。
元々幻想郷は忘れられた者たちの楽園、所謂秘境である。その存在は殆どの者が知りはしない。そんな場所の異常を直すのにどうやって他者の助けを得られるのか、それが紫さまの考えである。
外の者が中へと干渉できないように、中の者も外へと干渉できない。それがこの幻想郷を囲む結界の力であり役割。つまり、私たちには中からゆっくりと直していく他方法がなかったのだ。ある一つを除いて。
「紫さま。私が外の世界へと出て、外から結界を調整します。そうすればもっと早く歪みを直せる筈です」
私は紫さまがあえて口に出さなかった方法を進言した。そう、中から外に干渉できないのならば、誰かが外に出てそれから問題部分を何とかしていけばいい。子どもでも思いつく、簡単な答え。
ただ、それを実行するには結界の調整がある程度できる力を持った存在が必要で、もっと簡単にいうのならば私か紫さま、更に紫さまは幻想郷内においても重要な方ということを考えれば、この方法を取れるのは私しかいないかったわけである。
「だめよ、藍。貴方、それがどういう意味か分かってるんでしょうね?」
この方法を取りましょう、と紫さまに私がいったときには大反対をされてしまった。
紫さまのいう意味を、私はしっかりと理解していた。理解をしていて、私は紫さまに進言をしたのだ。結界の歪み、これが直るまで住み慣れた幻想郷から離れ、外の世界にずっといなくてはならないという意味を。
時間をかければ直るのだからそこまでしなくてもいいのではないか、多くの者にそういわれたが私は引かなかった。いや、引けなかった。
結界の調整に携わっていた者として、その歪みを放って置く事などできなかったからである。日によって大きさを変えるその歪み。これがもっと大きくなればどうなるのか、この幻想郷全体を覆う結界自体が崩れる可能性も出るのではないか。そんな不安が絶えなかったからである。
だから私は何度も紫さまに進言した。歪みを指して理で、及ばずながら己を持ってして武で、何度も何度も説得を重ねた。
その積み重ねの結果、今私はこうして外の世界にいる。本当に積み重ねの効果なのか、それともそうせざるを得ないくらい状況が悪くなってきたのかまでは分からないが、兎に角私は外の世界に出ることができた。
私は今、外の世界にいる。毎日の結界の調整に汗をかき、生活のためにアルバイトを繰り返しながら。
そんな生活を続けてもう三年。結界の調子はこれまでが嘘だったかのように急速に回復してきている。どうやら外からの影響を私が取り除いたのが大きな要因らしいのだが、定かではない。
前回の念話による報告では修理に必要な年数が大幅に減少し、遅くとも四年ほどで修復完了とのこと。だんだんと私が幻想郷へと帰る時の目処もたってきた。
そんな中、何故か紫さまがこちら側へ遊びに来ることに。
「折り返しに近づいてきたことだし、藍がどんな生活しているのか気になるから今度遊びに行くわね」
それから数日間、私は紫さまをどこに連れて行けばいいか悩み、結局アルバイト仲間たちに相談する羽目になった。
紫さまが遊びに来るらしい日、私は家でじっと主の来訪を待っていた。普通ならば紫さまが来るまでにいろいろと準備をするべきなのだろうが、いつくるのかが分からない。
これは別に紫さまがズボラとか時間にルーズというわけではない。恐らくは、私が時間を気にするようになったからそう感じているだけの話。元々幻想郷はこちらの世界のように皆が皆忙しそうに動き回っていないし、朝がくれば目覚め夜が来れば寝る、という生活を地で行っているところ。そんなところで生活をしていればその辺もゆっくりとしたものになるのだろう。私は三年も過ごすうちにこちらの齷齪とした生活に慣れた、というか慣れなければアルバイトを続けることも不可能だった、というのが正しいのだが。
「……暇だ」
せめて来る時間くらいは伝えてくれてもよかったのではないか、と私は思う。もう日は天頂を通り過ぎている。
とりあえず朝起きてからずっとまっているのだが、紫さまはまだこない。適当な名所巡りなどを計画していたのだが、この調子では無理そうである。折角田所さんにもよさそうな場所を聞いたというのに。
「暇だ」
しかし、このただ時間の流れる状態を『暇』と形容するようになったのはいつごろからだろうか。少なくとも幻想郷にいたころは別段何も思わなかったような気もする。いうなれば、
「私も外界に染まってしまったのかな?」
誰もいない部屋の中で、私は一人くすくすと笑う。久々に会える、我が主人を待ちながら。
「あら、藍。遅かったわね? 買い物かしら?」
日が暮れかけても一向に主人が現れないので、夕食の準備をしようと思ったのだが色々と足りなかった。なので近くのスーパーマーケットで不足分の食材と油揚げを購入し、家に戻れば主人がいた。
「えっと、お久しぶりです。紫さま」
まさに神出鬼没。流石スキマ妖怪、といったところなのだろうか。やはり外の世界の鍵はこういうときは心もとない。
「久しぶりね、藍。その服とか結構似合ってるじゃないの」
「え、あ、そうですか? 仕事仲間に適当見繕ってもらったものを着ているだけなのですが」
そういう紫さまは相変わらずの、私がこちらへ来る前と同じ格好。いや、もしかするとわざとその格好で来ているのかもしれない。紫さまは面倒くさがりだったし。
「うんうん。ちゃんと外でも生活できてるのね、安心したわ」
紫さまの声を聞きながら買ってきた食材を冷蔵庫に詰める作業に入る。主人に背を向けるのは申し訳ないが、位置が位置だ、仕方がない。ピッピッと物珍しそうにテレビ弄っている主人を動かすわけにもいかないし。
「安心って……、私そんなに信用なかったんですか?」
作業終了。冷蔵は冷蔵、冷凍は冷凍、それ以外はいつもの場所に収納を完了。とりあえず、とお茶を入れるために次の作業に移ろうと動いていると、
「あら。どんなに出来のいいこでも心配はしちゃうと思うわよ?」
台所に立つ私の肩に顎を乗せながら紫さまはそういった。いつのまにやら後ろに回られている。そして更に、
「さ、もうやることは終わった? じゃあ飲みに行くわよ」
と楽しそうに言葉を続ける。
ふと、別に怒っているわけではなくて、思いついたことをそのまま我が主人に尋ねてみる。
「もしかして、最初から飲むつもりでこの時間に?」
「そうよ。ちょっと手違いで時間がかかった部分もあったけど」
紫さまに顎で肩をぐりぐりとされながら私は思った。
午前中はもうちょっと寝ててもよかったなぁと。
「それで、どうします? その辺の居酒屋とかにでも入ります?」
とりあえず、商店街近くの飲み屋街まで私たちは移動した。飛んでいくわけにもいかないのでバスに乗って。
私はもう慣れていたが、降りるときのベルの音に紫さまがビクッとしたのは少し面白かった。こちらでは私の方が先輩なんだと。
「う~ん、ちょっと待って。確かいいお店がこの近くにあるはずなのよ」
紫さまはスキマからなにやらメモのようなものを取り出し眺め始める。いきなりスキマを開けるなんて、とも思ったが紫さまのことだ周りには見えないようにしているんだろう。服装もそのままなのにここに来るまで奇異の目で見られることもなかったし。
「いい店があるって……、紫さまわざわざ調べたんですか?」
むしろスキマよりそっちの方が驚いた。
「えぇ、ぱそこんの口コミランキングってので美味しい料理とお酒の出るところをちゃんとメモったのよ」
ふふん、といった表情でメモを見せてくる紫さま。そこにはランキング5位くらいまでのお店の場所が書いてあった。随分と用意のいいことだと苦笑する。
「そこまでしなくても、その辺のお店でもいいんじゃないですか?」
私のその言葉に対し、紫さまは腰に左手を当て、右手でビシッと私を指差しながらこういった。
「嫌よ。どうせなら美味しいところで藍と飲みたいんだもの」
結局、ランキング1位のところは満席で入れなかったり、似たような名前の別のお店に入りかけたり、紫さまのメモが微妙に間違っていたりで、三十分くらいぶらぶらと私たちは彷徨うことになった。
「紫さま。もしかして来るのが遅れた理由って、パソコンがうまく使えなかったとかじゃ……」
「う、うるさいわね」
そんな時間も不思議と嫌ではなく、むしろ心地よかったのはまた別の話だろう。
「では、乾杯」
「乾杯」
ランキング2位のお店に入った私たちはカンウター席でグラスを傾ける。
こちらの店の方が落ち着いていて雰囲気がいい。それを告げてみると「そ、ならこっちにきてよかったわね」と紫さまは嬉しそうに笑った。
「それで、こっちでの生活はどうなの?」
カラン、とグラスの中の氷を揺らしながら紫さまが尋ねてくる。
「そう、ですね……。今はもう慣れましたけど、最初は結構驚くことが多かったです。人間たちの成長スピードは恐ろしいものです」
こちら側に来て目に入った多くのものが新鮮であった。最新型冷蔵庫などの家具から恋愛結婚について熱く語る雑誌、私たちが幻想郷にいる間に変わってしまった世間の常識というやつはどれも私を驚かせた。これが交流を絶ったことによる弊害なのだろう、そう感じたのを今も覚えている。
それから近くにいた土地神や妖怪の類に手助けをしてもらいながら今の生活へと移行した流れを大まかに紫さまに語る。今のアルバイト先の仲間と一緒に遊んだ話や、月に一度この地域の人外が集まって行われる宴会の話なども。
「ふふっ。ちゃんと生活も出来てるみたいだし、人やそれ以外とも友好を築けてるみたいでよかったわ。もしかしたら、自分には仕事があるからってそういうのを蔑ろにしてないか心配だったんだから」
「私だって必要なさそうだからって交流をばっさり切るような妖怪じゃありませんよ」
ちびちびとグラスの中のお酒を減らしながら私は言い返し、そんな私に紫さまは「そうね」と微笑む。
なんというか、気恥ずかしいことこの上ない。なので話題を変えることにする。他意はない。
「そういえば、橙はどうですか? お役に立っているでしょうか?」
自分が幻想郷に残してきた式のことについて聞いてみる。外の世界へ行くといった私についていく、と泣き叫んだ式のことを。
「あらま、一番に聞くのが橙のことなの?」
紫さまがにやにやとしながら聞き返してくる。
「そりゃそうです。橙は私の式、子供みたいなものなんですから」
「子供、ね。えぇ、橙はしっかりとやってるわよ。貴方がいなくなった分自分がやるんだって」
笑みをいっそう濃くしながら、紫さまは私が出た後の幻想郷について教えてくれる。
自分はそれほど影響力のあるものではなかったが、それでも自分のいない幻想郷がどういう風になっているのか興味がある。ついつい乗り出してしまいそうな身を抑えながら、今度は耳を傾ける。
「それで、魔理沙の家に入っていろいろと家捜ししてみたら地下室みたいなのをみつけて――――ってグラス空いちゃったわね。店員さーん、いいかしらー?」
紫さまの話を聞き入っていたのか、気がつくと目の前の料理も手に持つグラスも空っぽだった。いや、しかし先の話にあった吸血鬼たち主催の我慢大会の話は面白かった。自分がいたらきっと参加していたのではないかと思う。
「はいはい。何にしましょうか?」
そんなことを考えているうちに店員が注文をとりに来る。何を頼むんだろうかと紫さまを見ていると、視線に気づいたのか紫さまはメニューからこちらへと目を向ける。
「ねぇ、藍は何が食べたいの?」
「え、私ですか? 私より紫さまの食べたいのを頼んでくれれば……」
私の返答に対し紫様は若干怒りながら、
「そういうのは無しよ。言ったでしょ、今日の分のお金はいっぱいあるんだから食べたいものを食べなさい」
といってくる。まだ支払いについて納得してなかったのだが、どうやら完全に紫さまが払うことになっているようだ。申し訳ない気もするが「主人の顔をたてなさい」といわれれば黙るしかない。
「えぇっと……そうですね、じゃあキロクのロックを一つと、このウツボの刺身を一つお願いします」
「え、藍。あなたウツボ食べるの? しかも刺身で?」
紫様が意外そうな顔をしてこちらを見る。私だってウツボを食べるのは初めてだけど、メニューにあるくらいだし、どうせなら普段は食べたことのないものにも挑戦したい。
「ふーん。じゃあ……私は青さのりの天ぷらをお願いするわね」
かしこまりました、と伝票を持って下がる店員さん。その姿が見えなくなるくらいに気がつく、そういえば紫さまは飲み物を頼んでいない。もう一度呼ぼうと私が口を開きかけると、
「藍。あなたって芋飲んでたかしら?」
紫さまが不思議そうにこちらを見ながら質問してきた。そういえば、幻想郷の中ではあんまり飲んでいなかったような気もする。
「こちらに来てからはたまに飲んでいますよ? 家にはアカキリシマもありますし」
「あらま。でも芋って匂いがきつくない?」
幻想郷では日本酒を一番飲んでいたが、外には外の酒がある。酒があるなら飲まねば損だということで、余裕が出来れば今のように焼酎も飲むようになった。ただ、最近は私の中で焼酎の比率があがってきたような気もする。やはり慣れ、なんだろうか。
「慣れれば美味しいですよ。そうでないとロックなんて頼みませんし」
苦笑しながらそう返すと同時に、店員がキロクを持ってきてくれた。
その店員に紫さまは追加の注文を頼む。
「あ、キロクのお湯割りをお願いできるかしら」
「あれ、匂いが気になるんじゃないんですか?」
そういう私に紫さまはにっこりと笑いながらこう返してきた。
「だって、藍と同じのを飲んでみたくなったんだもの」
コリコリとするウツボの歯ごたえを味わいながらお酒をごくり。
「それで地下室の最後の部屋を見てみればあの子が人から盗っていった物が出るわ出るわ。一番吃驚したのはその一つ一つがきっちりと手入れされていたことだけど」
青さのりの天ぷらのサクサク感と風味を楽しむ。
「それが知れ渡った後のあの子は面白かったわよ? 顔を真っ赤にして『こ、これは違うんだぜ』なんていってるの。まぁ人の関心を引きたい一心で泥棒をやってたみたいだけど」
紫さまが更に追加した蛸の唐揚げも出汁やマヨネーズ、もしくはそのままで美味しくいただく。
「あの一件で泥棒じゃなくても行動で人から自分を見てもらえるって分かったみたいよ? それからはあの子も大人しくなったわ。認められたい症候群ってやつだったのかしら」
舌を喜ばせる各々の料理たちを口に運びながら私は紫さまに言葉を投げかける。
「あの、紫さま。なんで私がこんなに料理を食べてるんでしょうか」
この店の料理はとても美味しくてついつい箸が進んでしまうのだが、何故か紫さまの箸は進んでいなかった。自分で頼んだ天ぷらも二つ三つ食べては「これ凄く美味しいから藍も食べなさい」といって私の前に皿を置くのだ。唐揚げについても同じである。
「あら、美味しいでしょ?」
紫さまは不思議そうに首を傾げながら言い返してくる。
「いえ、とても美味しいのですが、紫さまは食べないのですか?」
紫さまの口に合わなかったのだろうか、などと最初は思ったのだがそういう感じでもなさそうである。一緒に頼んでいた芋焼酎も「あら、美味しいわね」と今は四杯目に入っているし。
何故か紫さまは美味しいものを自分で食べずに私に食べろ食べろといってくるのだ。
「この唐揚げだって紫さまが頼んだものじゃないですか。折角外でしか食べられない料理なんですし、もっと食べてみては?」
私の言葉に紫さまは口元に手をやりにこやかに笑う。
「いいのよ。藍が美味しいものを食べてお腹いっぱいになってくれれば」
「しかし……」
「いいから。私だって食べないなんていってないでしょう? あ、このドロメっていうのも美味しそうじゃない? 食べましょ食べましょ」
そういうと、紫さまは店員を呼ぶために手を振り声をあげる。
私としては折角あちらでも食べれない美味しい料理があるのだからもっと紫さまの好きなものを食べて欲しいものなんだけれど。そう思いながら私はウツボを口に放り込んだ。
夜風に頬を撫でられながら私と紫さまは人気のない商店街を歩く。
雰囲気もよく料理も美味しかったせいか、ついついあのお店に長居をしてしまった。時計を確認するともう深夜、酔っ払って歩いている人すらだんだんと見なくなる時間帯。
「どうだった? 満足した?」
「はい。とても美味しかったです」
横に並ぶ紫さまが嬉しそうに笑う。私が出迎える側だったというのに、店選びから会計の支払いまで結局全部紫さまに任せてしまった。本当はこんなはずではなかったのになぁと頭の中で思う。
でも楽しかったし、楽しんでもらえたみたいだし、これはこれで良かったかなという考えも頭に浮かぶ。
「さて、私はそろそろ幻想郷に戻らないとね」
紫さまはぐーっと背伸びをし、首をこきこきと動かしながら私に向き直る。
「大したおもてなしが出来ずにすみません。というか、こちらがごちそうになってばかりで……」
私は頭に手をやりながら紫さまに向かって頭を下げる、と同時に額に衝撃。
デコピンだ。ひりひりする額を押さえながら、顔を上げるとそこにはいつものようににこにこと笑う主人の姿。
「馬鹿ね。そんなこと気にしなくてもいいのよ。私はあなたと久しぶりにお酒が飲めて楽しかったんだから」
「いや、しかし折角の外なんですし……」
そう言葉を続けようとする私を見て紫さまはまた笑う。どこか慈愛に満ちた表情で。
「ふふっ。もし、橙が似たような場面でそんなこといってきたら、藍はどうするのかしら?」
自分と橙の場合で考えるならば、自分が紫さまの立場に立ったなら。
多分、
「同じことをするし、いうと思います」
その答えに満足そうに頷く紫さま。
「変に畏まらなくていいのよ。式が喜ぶ姿も主の喜びの一つなんだから」
スキマからお気に入りの傘を出して月の下に翳す紫さま。
そんな主人の姿に、懐郷の念にかられてしまったのは、きっとまだまだ未熟だからだと私は思った。
帰りのタクシーの中、私は先ほどのことを振り返る。
久々に主人に会い、楽しくお酒を飲み、そして別れた。次に会えるのはいつぐらいになるのだろうか。
手には今日使う気で紫さまが持ってきたこちらで使える紙幣。あちらに持って帰っても仕方がないからタクシー代にでもしてくれとのことだったが、どう考えても余る。もしかしたら、最初から余らせるつもりで持ってきたのかもしれないが、真意は分からない。
揺れるタクシーの中、私は紫さまのことを考える。
紫さまはいった。自分と紫さまの関係は、そのまま橙と自分に置き換えた状態だと。
私から見る橙が、紫さまから見る私なのだろう。
ならば、私が橙からされて嬉しいことは、きっと紫さまも嬉しい筈だ。
『紫さま、紫さま』
『あら、どうしたの? 念話だなんて、何かあった?』
『いえ、ただ一言。いいたいことがありまして』
『何かしら?』
『紫さま。今日はありがとうございました。とっても楽しかったです』
『……あらあらまぁまぁ』
「いらっしゃいませ。120円が一点、340円が一点、210円が三点、126円が一点」
私の名前は八雲藍。こんなところでアルバイトをしているが、実は人間ではない。
「247円が一点、147円が二点、105円が一点」
九尾の狐であり、ある妖怪の式である。
「115円が三点、315円が一点、136円が二点」
その妖怪とは八雲紫。幻想郷とよばれる場所にする住むスキマ妖怪。
「230円が二点、95円が一点、176円が一点……」
彼の妖怪と私の関係は、主人と従者であり、また親と子である。
「ありがとうございます。お会計合計『11085』円になります」
私は今訳あってアルバイトをしている。
「おぉ、いいねいいね。115円。藍ちゃんとはこれで『いいご縁』があるってわけだ」
目の前でにこやかに笑いながら親父ギャグをかましているのは常連客の田所さん。朝早くから会社へ向かう途中に見せるその姿は、私がこのアルバイトを始めた三年前から変わらない。
毎朝必ず聞かされる親父ギャグに、私もようやく慣れてきた。例えば、こんな風に返せるくらいに。
「120円のお預かりですね。それではおつりの『5円』をお返しします」
田所さんの手にお釣りを返しながら私はにっこりと微笑む。しっかりとレシートを渡すことも忘れない。
一瞬キョトンとした田所さんは、一拍間を置いて「これは一本取られたね」とまた笑う。それにつられて仕事中だけれども私も一笑。
「ありがとうございました」
袋もなしに缶コーヒーをそのまま持って店の外へ出る田所さんをいつものように見送り、店内を見渡す。
だれもいない店内。それはそうだ、今の時刻は朝の六時。殆どの人間はまだ眠りについているか、起きていてもその殆どは外に出ていないだろう。
出ているとすれば田所さんのように朝出の人か、私のような人外だけ。
申し遅れた。私の名は八雲藍。九尾の狐であり、ある妖怪の式。
「いらっしゃいませ」
訳あって、妖怪の私はかなり前からこのコンビニエンス・ストアでアルバイトをしている。
私、八雲藍はこの土地に最初からいたわけではない。この土地に来る前は幻想郷と呼ばれる、外との交流を断絶した、妖怪と人間が平和に暮らす隠れ里のようなところでその里の管理者と共に暮らしていた。
その管理者というのが私の主人、八雲紫。スキマ妖怪と呼ばれ、幻想郷内においてかなりの権力をもつ妖怪の賢人である。
数年前まで私は紫さまのお側で幻想郷の維持、外との交流を断絶させる結界の調整を行っていたのだが、ある時起きた結界の歪みにより私は幻想郷の外へ出ることになった。こういういい方をしては、まるで私が結界の外へと放り出されたかのように聞こえてしまうが、実際はそうではない。私は自ら望んで外へ、つまりこちら側の世界へとやってきたのだ。
「この歪みを元に戻すまではかなりの時間がかかりそうだわ。それこそ、十年二十年はね」
紫さまの見立てによると、その歪みは幻想郷内部だけの問題ではなく、外部からの何らから圧力によるもの。それを内から正していくのには、かなりの労力と年月をかけなければならないという話だ。
その時私はあることを考えた。もし、その外部からの圧力を取り除くことが出来ればどうなるだろうか、と。それを取り除くことが出来れば結界を正常に戻すのにもさほど時間はかからないのではないかと。
私が進言しなくても紫さまはそこまで考え付いていたようだったが、一つの問題からそれを諦めていたらしい。
それは、誰がどうやって外の圧力を取り払うのかという問題。
内部の話であるなら、紫さまや私でまだ何とかなる。しかし、結界の外になると途端に話が難しくなる。結界は渡来を断絶するもの、それがあるのにどうやって外の障害を取り除けるというのか。
元々幻想郷は忘れられた者たちの楽園、所謂秘境である。その存在は殆どの者が知りはしない。そんな場所の異常を直すのにどうやって他者の助けを得られるのか、それが紫さまの考えである。
外の者が中へと干渉できないように、中の者も外へと干渉できない。それがこの幻想郷を囲む結界の力であり役割。つまり、私たちには中からゆっくりと直していく他方法がなかったのだ。ある一つを除いて。
「紫さま。私が外の世界へと出て、外から結界を調整します。そうすればもっと早く歪みを直せる筈です」
私は紫さまがあえて口に出さなかった方法を進言した。そう、中から外に干渉できないのならば、誰かが外に出てそれから問題部分を何とかしていけばいい。子どもでも思いつく、簡単な答え。
ただ、それを実行するには結界の調整がある程度できる力を持った存在が必要で、もっと簡単にいうのならば私か紫さま、更に紫さまは幻想郷内においても重要な方ということを考えれば、この方法を取れるのは私しかいないかったわけである。
「だめよ、藍。貴方、それがどういう意味か分かってるんでしょうね?」
この方法を取りましょう、と紫さまに私がいったときには大反対をされてしまった。
紫さまのいう意味を、私はしっかりと理解していた。理解をしていて、私は紫さまに進言をしたのだ。結界の歪み、これが直るまで住み慣れた幻想郷から離れ、外の世界にずっといなくてはならないという意味を。
時間をかければ直るのだからそこまでしなくてもいいのではないか、多くの者にそういわれたが私は引かなかった。いや、引けなかった。
結界の調整に携わっていた者として、その歪みを放って置く事などできなかったからである。日によって大きさを変えるその歪み。これがもっと大きくなればどうなるのか、この幻想郷全体を覆う結界自体が崩れる可能性も出るのではないか。そんな不安が絶えなかったからである。
だから私は何度も紫さまに進言した。歪みを指して理で、及ばずながら己を持ってして武で、何度も何度も説得を重ねた。
その積み重ねの結果、今私はこうして外の世界にいる。本当に積み重ねの効果なのか、それともそうせざるを得ないくらい状況が悪くなってきたのかまでは分からないが、兎に角私は外の世界に出ることができた。
私は今、外の世界にいる。毎日の結界の調整に汗をかき、生活のためにアルバイトを繰り返しながら。
そんな生活を続けてもう三年。結界の調子はこれまでが嘘だったかのように急速に回復してきている。どうやら外からの影響を私が取り除いたのが大きな要因らしいのだが、定かではない。
前回の念話による報告では修理に必要な年数が大幅に減少し、遅くとも四年ほどで修復完了とのこと。だんだんと私が幻想郷へと帰る時の目処もたってきた。
そんな中、何故か紫さまがこちら側へ遊びに来ることに。
「折り返しに近づいてきたことだし、藍がどんな生活しているのか気になるから今度遊びに行くわね」
それから数日間、私は紫さまをどこに連れて行けばいいか悩み、結局アルバイト仲間たちに相談する羽目になった。
紫さまが遊びに来るらしい日、私は家でじっと主の来訪を待っていた。普通ならば紫さまが来るまでにいろいろと準備をするべきなのだろうが、いつくるのかが分からない。
これは別に紫さまがズボラとか時間にルーズというわけではない。恐らくは、私が時間を気にするようになったからそう感じているだけの話。元々幻想郷はこちらの世界のように皆が皆忙しそうに動き回っていないし、朝がくれば目覚め夜が来れば寝る、という生活を地で行っているところ。そんなところで生活をしていればその辺もゆっくりとしたものになるのだろう。私は三年も過ごすうちにこちらの齷齪とした生活に慣れた、というか慣れなければアルバイトを続けることも不可能だった、というのが正しいのだが。
「……暇だ」
せめて来る時間くらいは伝えてくれてもよかったのではないか、と私は思う。もう日は天頂を通り過ぎている。
とりあえず朝起きてからずっとまっているのだが、紫さまはまだこない。適当な名所巡りなどを計画していたのだが、この調子では無理そうである。折角田所さんにもよさそうな場所を聞いたというのに。
「暇だ」
しかし、このただ時間の流れる状態を『暇』と形容するようになったのはいつごろからだろうか。少なくとも幻想郷にいたころは別段何も思わなかったような気もする。いうなれば、
「私も外界に染まってしまったのかな?」
誰もいない部屋の中で、私は一人くすくすと笑う。久々に会える、我が主人を待ちながら。
「あら、藍。遅かったわね? 買い物かしら?」
日が暮れかけても一向に主人が現れないので、夕食の準備をしようと思ったのだが色々と足りなかった。なので近くのスーパーマーケットで不足分の食材と油揚げを購入し、家に戻れば主人がいた。
「えっと、お久しぶりです。紫さま」
まさに神出鬼没。流石スキマ妖怪、といったところなのだろうか。やはり外の世界の鍵はこういうときは心もとない。
「久しぶりね、藍。その服とか結構似合ってるじゃないの」
「え、あ、そうですか? 仕事仲間に適当見繕ってもらったものを着ているだけなのですが」
そういう紫さまは相変わらずの、私がこちらへ来る前と同じ格好。いや、もしかするとわざとその格好で来ているのかもしれない。紫さまは面倒くさがりだったし。
「うんうん。ちゃんと外でも生活できてるのね、安心したわ」
紫さまの声を聞きながら買ってきた食材を冷蔵庫に詰める作業に入る。主人に背を向けるのは申し訳ないが、位置が位置だ、仕方がない。ピッピッと物珍しそうにテレビ弄っている主人を動かすわけにもいかないし。
「安心って……、私そんなに信用なかったんですか?」
作業終了。冷蔵は冷蔵、冷凍は冷凍、それ以外はいつもの場所に収納を完了。とりあえず、とお茶を入れるために次の作業に移ろうと動いていると、
「あら。どんなに出来のいいこでも心配はしちゃうと思うわよ?」
台所に立つ私の肩に顎を乗せながら紫さまはそういった。いつのまにやら後ろに回られている。そして更に、
「さ、もうやることは終わった? じゃあ飲みに行くわよ」
と楽しそうに言葉を続ける。
ふと、別に怒っているわけではなくて、思いついたことをそのまま我が主人に尋ねてみる。
「もしかして、最初から飲むつもりでこの時間に?」
「そうよ。ちょっと手違いで時間がかかった部分もあったけど」
紫さまに顎で肩をぐりぐりとされながら私は思った。
午前中はもうちょっと寝ててもよかったなぁと。
「それで、どうします? その辺の居酒屋とかにでも入ります?」
とりあえず、商店街近くの飲み屋街まで私たちは移動した。飛んでいくわけにもいかないのでバスに乗って。
私はもう慣れていたが、降りるときのベルの音に紫さまがビクッとしたのは少し面白かった。こちらでは私の方が先輩なんだと。
「う~ん、ちょっと待って。確かいいお店がこの近くにあるはずなのよ」
紫さまはスキマからなにやらメモのようなものを取り出し眺め始める。いきなりスキマを開けるなんて、とも思ったが紫さまのことだ周りには見えないようにしているんだろう。服装もそのままなのにここに来るまで奇異の目で見られることもなかったし。
「いい店があるって……、紫さまわざわざ調べたんですか?」
むしろスキマよりそっちの方が驚いた。
「えぇ、ぱそこんの口コミランキングってので美味しい料理とお酒の出るところをちゃんとメモったのよ」
ふふん、といった表情でメモを見せてくる紫さま。そこにはランキング5位くらいまでのお店の場所が書いてあった。随分と用意のいいことだと苦笑する。
「そこまでしなくても、その辺のお店でもいいんじゃないですか?」
私のその言葉に対し、紫さまは腰に左手を当て、右手でビシッと私を指差しながらこういった。
「嫌よ。どうせなら美味しいところで藍と飲みたいんだもの」
結局、ランキング1位のところは満席で入れなかったり、似たような名前の別のお店に入りかけたり、紫さまのメモが微妙に間違っていたりで、三十分くらいぶらぶらと私たちは彷徨うことになった。
「紫さま。もしかして来るのが遅れた理由って、パソコンがうまく使えなかったとかじゃ……」
「う、うるさいわね」
そんな時間も不思議と嫌ではなく、むしろ心地よかったのはまた別の話だろう。
「では、乾杯」
「乾杯」
ランキング2位のお店に入った私たちはカンウター席でグラスを傾ける。
こちらの店の方が落ち着いていて雰囲気がいい。それを告げてみると「そ、ならこっちにきてよかったわね」と紫さまは嬉しそうに笑った。
「それで、こっちでの生活はどうなの?」
カラン、とグラスの中の氷を揺らしながら紫さまが尋ねてくる。
「そう、ですね……。今はもう慣れましたけど、最初は結構驚くことが多かったです。人間たちの成長スピードは恐ろしいものです」
こちら側に来て目に入った多くのものが新鮮であった。最新型冷蔵庫などの家具から恋愛結婚について熱く語る雑誌、私たちが幻想郷にいる間に変わってしまった世間の常識というやつはどれも私を驚かせた。これが交流を絶ったことによる弊害なのだろう、そう感じたのを今も覚えている。
それから近くにいた土地神や妖怪の類に手助けをしてもらいながら今の生活へと移行した流れを大まかに紫さまに語る。今のアルバイト先の仲間と一緒に遊んだ話や、月に一度この地域の人外が集まって行われる宴会の話なども。
「ふふっ。ちゃんと生活も出来てるみたいだし、人やそれ以外とも友好を築けてるみたいでよかったわ。もしかしたら、自分には仕事があるからってそういうのを蔑ろにしてないか心配だったんだから」
「私だって必要なさそうだからって交流をばっさり切るような妖怪じゃありませんよ」
ちびちびとグラスの中のお酒を減らしながら私は言い返し、そんな私に紫さまは「そうね」と微笑む。
なんというか、気恥ずかしいことこの上ない。なので話題を変えることにする。他意はない。
「そういえば、橙はどうですか? お役に立っているでしょうか?」
自分が幻想郷に残してきた式のことについて聞いてみる。外の世界へ行くといった私についていく、と泣き叫んだ式のことを。
「あらま、一番に聞くのが橙のことなの?」
紫さまがにやにやとしながら聞き返してくる。
「そりゃそうです。橙は私の式、子供みたいなものなんですから」
「子供、ね。えぇ、橙はしっかりとやってるわよ。貴方がいなくなった分自分がやるんだって」
笑みをいっそう濃くしながら、紫さまは私が出た後の幻想郷について教えてくれる。
自分はそれほど影響力のあるものではなかったが、それでも自分のいない幻想郷がどういう風になっているのか興味がある。ついつい乗り出してしまいそうな身を抑えながら、今度は耳を傾ける。
「それで、魔理沙の家に入っていろいろと家捜ししてみたら地下室みたいなのをみつけて――――ってグラス空いちゃったわね。店員さーん、いいかしらー?」
紫さまの話を聞き入っていたのか、気がつくと目の前の料理も手に持つグラスも空っぽだった。いや、しかし先の話にあった吸血鬼たち主催の我慢大会の話は面白かった。自分がいたらきっと参加していたのではないかと思う。
「はいはい。何にしましょうか?」
そんなことを考えているうちに店員が注文をとりに来る。何を頼むんだろうかと紫さまを見ていると、視線に気づいたのか紫さまはメニューからこちらへと目を向ける。
「ねぇ、藍は何が食べたいの?」
「え、私ですか? 私より紫さまの食べたいのを頼んでくれれば……」
私の返答に対し紫様は若干怒りながら、
「そういうのは無しよ。言ったでしょ、今日の分のお金はいっぱいあるんだから食べたいものを食べなさい」
といってくる。まだ支払いについて納得してなかったのだが、どうやら完全に紫さまが払うことになっているようだ。申し訳ない気もするが「主人の顔をたてなさい」といわれれば黙るしかない。
「えぇっと……そうですね、じゃあキロクのロックを一つと、このウツボの刺身を一つお願いします」
「え、藍。あなたウツボ食べるの? しかも刺身で?」
紫様が意外そうな顔をしてこちらを見る。私だってウツボを食べるのは初めてだけど、メニューにあるくらいだし、どうせなら普段は食べたことのないものにも挑戦したい。
「ふーん。じゃあ……私は青さのりの天ぷらをお願いするわね」
かしこまりました、と伝票を持って下がる店員さん。その姿が見えなくなるくらいに気がつく、そういえば紫さまは飲み物を頼んでいない。もう一度呼ぼうと私が口を開きかけると、
「藍。あなたって芋飲んでたかしら?」
紫さまが不思議そうにこちらを見ながら質問してきた。そういえば、幻想郷の中ではあんまり飲んでいなかったような気もする。
「こちらに来てからはたまに飲んでいますよ? 家にはアカキリシマもありますし」
「あらま。でも芋って匂いがきつくない?」
幻想郷では日本酒を一番飲んでいたが、外には外の酒がある。酒があるなら飲まねば損だということで、余裕が出来れば今のように焼酎も飲むようになった。ただ、最近は私の中で焼酎の比率があがってきたような気もする。やはり慣れ、なんだろうか。
「慣れれば美味しいですよ。そうでないとロックなんて頼みませんし」
苦笑しながらそう返すと同時に、店員がキロクを持ってきてくれた。
その店員に紫さまは追加の注文を頼む。
「あ、キロクのお湯割りをお願いできるかしら」
「あれ、匂いが気になるんじゃないんですか?」
そういう私に紫さまはにっこりと笑いながらこう返してきた。
「だって、藍と同じのを飲んでみたくなったんだもの」
コリコリとするウツボの歯ごたえを味わいながらお酒をごくり。
「それで地下室の最後の部屋を見てみればあの子が人から盗っていった物が出るわ出るわ。一番吃驚したのはその一つ一つがきっちりと手入れされていたことだけど」
青さのりの天ぷらのサクサク感と風味を楽しむ。
「それが知れ渡った後のあの子は面白かったわよ? 顔を真っ赤にして『こ、これは違うんだぜ』なんていってるの。まぁ人の関心を引きたい一心で泥棒をやってたみたいだけど」
紫さまが更に追加した蛸の唐揚げも出汁やマヨネーズ、もしくはそのままで美味しくいただく。
「あの一件で泥棒じゃなくても行動で人から自分を見てもらえるって分かったみたいよ? それからはあの子も大人しくなったわ。認められたい症候群ってやつだったのかしら」
舌を喜ばせる各々の料理たちを口に運びながら私は紫さまに言葉を投げかける。
「あの、紫さま。なんで私がこんなに料理を食べてるんでしょうか」
この店の料理はとても美味しくてついつい箸が進んでしまうのだが、何故か紫さまの箸は進んでいなかった。自分で頼んだ天ぷらも二つ三つ食べては「これ凄く美味しいから藍も食べなさい」といって私の前に皿を置くのだ。唐揚げについても同じである。
「あら、美味しいでしょ?」
紫さまは不思議そうに首を傾げながら言い返してくる。
「いえ、とても美味しいのですが、紫さまは食べないのですか?」
紫さまの口に合わなかったのだろうか、などと最初は思ったのだがそういう感じでもなさそうである。一緒に頼んでいた芋焼酎も「あら、美味しいわね」と今は四杯目に入っているし。
何故か紫さまは美味しいものを自分で食べずに私に食べろ食べろといってくるのだ。
「この唐揚げだって紫さまが頼んだものじゃないですか。折角外でしか食べられない料理なんですし、もっと食べてみては?」
私の言葉に紫さまは口元に手をやりにこやかに笑う。
「いいのよ。藍が美味しいものを食べてお腹いっぱいになってくれれば」
「しかし……」
「いいから。私だって食べないなんていってないでしょう? あ、このドロメっていうのも美味しそうじゃない? 食べましょ食べましょ」
そういうと、紫さまは店員を呼ぶために手を振り声をあげる。
私としては折角あちらでも食べれない美味しい料理があるのだからもっと紫さまの好きなものを食べて欲しいものなんだけれど。そう思いながら私はウツボを口に放り込んだ。
夜風に頬を撫でられながら私と紫さまは人気のない商店街を歩く。
雰囲気もよく料理も美味しかったせいか、ついついあのお店に長居をしてしまった。時計を確認するともう深夜、酔っ払って歩いている人すらだんだんと見なくなる時間帯。
「どうだった? 満足した?」
「はい。とても美味しかったです」
横に並ぶ紫さまが嬉しそうに笑う。私が出迎える側だったというのに、店選びから会計の支払いまで結局全部紫さまに任せてしまった。本当はこんなはずではなかったのになぁと頭の中で思う。
でも楽しかったし、楽しんでもらえたみたいだし、これはこれで良かったかなという考えも頭に浮かぶ。
「さて、私はそろそろ幻想郷に戻らないとね」
紫さまはぐーっと背伸びをし、首をこきこきと動かしながら私に向き直る。
「大したおもてなしが出来ずにすみません。というか、こちらがごちそうになってばかりで……」
私は頭に手をやりながら紫さまに向かって頭を下げる、と同時に額に衝撃。
デコピンだ。ひりひりする額を押さえながら、顔を上げるとそこにはいつものようににこにこと笑う主人の姿。
「馬鹿ね。そんなこと気にしなくてもいいのよ。私はあなたと久しぶりにお酒が飲めて楽しかったんだから」
「いや、しかし折角の外なんですし……」
そう言葉を続けようとする私を見て紫さまはまた笑う。どこか慈愛に満ちた表情で。
「ふふっ。もし、橙が似たような場面でそんなこといってきたら、藍はどうするのかしら?」
自分と橙の場合で考えるならば、自分が紫さまの立場に立ったなら。
多分、
「同じことをするし、いうと思います」
その答えに満足そうに頷く紫さま。
「変に畏まらなくていいのよ。式が喜ぶ姿も主の喜びの一つなんだから」
スキマからお気に入りの傘を出して月の下に翳す紫さま。
そんな主人の姿に、懐郷の念にかられてしまったのは、きっとまだまだ未熟だからだと私は思った。
帰りのタクシーの中、私は先ほどのことを振り返る。
久々に主人に会い、楽しくお酒を飲み、そして別れた。次に会えるのはいつぐらいになるのだろうか。
手には今日使う気で紫さまが持ってきたこちらで使える紙幣。あちらに持って帰っても仕方がないからタクシー代にでもしてくれとのことだったが、どう考えても余る。もしかしたら、最初から余らせるつもりで持ってきたのかもしれないが、真意は分からない。
揺れるタクシーの中、私は紫さまのことを考える。
紫さまはいった。自分と紫さまの関係は、そのまま橙と自分に置き換えた状態だと。
私から見る橙が、紫さまから見る私なのだろう。
ならば、私が橙からされて嬉しいことは、きっと紫さまも嬉しい筈だ。
『紫さま、紫さま』
『あら、どうしたの? 念話だなんて、何かあった?』
『いえ、ただ一言。いいたいことがありまして』
『何かしら?』
『紫さま。今日はありがとうございました。とっても楽しかったです』
『……あらあらまぁまぁ』
「いらっしゃいませ。120円が一点、340円が一点、210円が三点、126円が一点」
私の名前は八雲藍。こんなところでアルバイトをしているが、実は人間ではない。
「247円が一点、147円が二点、105円が一点」
九尾の狐であり、ある妖怪の式である。
「115円が三点、315円が一点、136円が二点」
その妖怪とは八雲紫。幻想郷とよばれる場所にする住むスキマ妖怪。
「230円が二点、95円が一点、176円が一点……」
彼の妖怪と私の関係は、主人と従者であり、また親と子である。
「ありがとうございます。お会計合計『11085』円になります」
レジに立つ藍さまもまた、想像すると新鮮で素敵。
棚に紫蘇焼酎しかなかったのでそちらをいただくことにいたします。
ありがとうございました!
次も期待していますね^^
この二人の関係が凄くほほえましい
ラストのシメがこれまた素晴らしかったです
頑張れ八雲一家!
ところでそのコンビニはどこにありますか?www
経堂駅前コンビニレジ嬢ファン倶楽部の
部員No.1の鈴木さんを差し置いて共演するなんて
ほんと、11085ですねw
あと頑張れ橙!!
最初の115円の件は伏線だったのか。
これは本当に凄い!!!
11085!
本当に素晴らしい11085でした!
ちょっと藍様のいるコンビニでバイトしてきますね
恐れ入りました
和みました
しかし藍にコンビニは似合わないなww
あと誤字報告。
>ランキング2位のお店に入った私たちはカンウター席でグラスを傾ける。
カウンターかと。
家族家族してていいなあ。
しかし11085円、意味は分かったけど誰が買ったんだろう。ハッ、まさかゆかr(スキマ
ありそうで東方では中々無い紫がかわいいwww
こんな空気の作品がもっと創想話に増えて欲しいなー。