毘沙門天。四天王の中における北方の守護神。多聞天の別名。
普通、四天王が揃っている場合は多聞天、独尊の場合は毘沙門天と呼ぶことが多い。
本来は仏法守護にあたるが、天平時代から国家鎮護の尊像として単独に安置する風が始まった。
その象様は左手に宝塔、右手に鉾をとり甲冑に身をかためた武人の姿が多く、顔は憤怒の相をあらわす。
「この寒い中わざわざ呼びつけて何かと思えば、毘沙門天の定義を説明してくれるとは。いや、有難くて涙が出るね」
有難がっているとは到底思えない、まるで感情のこもらない口調で、ナズーリンが言う。彼女は長い尻尾をふらふらと揺り動かしながら、炬燵の上にあるみかんを剥き始めた。
「いえ、今日呼んだのはそういうことではなく…あ、私にもみかん下さい」
「じゃあどういった御用かな。まさか閑だから、だとか、また宝塔が無くなった、だとかいう話ではあるまいね?」
抑揚の無い声で言いつつ、みかんの白皮を神経質に剥がしていくナズーリン。その視線は主である寅丸星にではなく、手元の果実に注がれたままだ。
寅丸星と彼女の関係、即ち主と使い魔であるということを知る者が見れば、その態度を少なからず無礼である、と思うだろう。
だが、ナズーリンはその様なことを気にもしないし、また気にする必要もない。
彼女が本物の毘沙門天から遣わされ、寅丸を監視する立場にあるという事実を、知る者はいないからだ。
「一応、ほら、その…私は今のところ、この寺の本尊という扱いですよね?」
「そうだな。聖を始め、寺の仲間や土地の人々、妖怪たちもそう認識しているな」
「で、ですよね。あ、みかんの白皮は栄養が豊富なんですよ。知ってました?」
「知らんよ。大体私は、この口ざわりが好きではない。それと、どうでもいいが、この外皮を干したものは別名を陳皮(ちんぴ)と言って、七味唐辛子の中にも入っている」
「え、そうなんですか。はぁ、でもみかんの味はしませんね?」
「…みかん談義に華を咲かせにきたわけではないのだがね」
白皮をあらかた取り終えたナズーリンが、茶をすすってそう言うと、寅丸もそれに倣い、茶をすすった。
「ごめんなさい。私が言いたいのはそのことではなく…威厳、ということについてです」
「威厳。ふむ、威厳ねえ…ああ判った、みなまで言うなご主人」
「判ったのですか」
「判るさ。要するにご主人は自分に、この寺の本尊として、信仰を集めるに足る…そうだな、例えば魅力だとか、ご利益だとか…威厳だとか。そういうものがちゃんと備わっているかどうか、それが気になっているのだな」
寅丸は首肯しつつ、衣の裾で右手を包むと、火鉢の上にあった鉄瓶をとり、急須に湯を注いでゆく。
ほうじ茶の香りが薄く漂う。遠くで、枝から落ちる雪の音がする。
日は大分傾いているようで、薄く開いた障子の隙間から差し込む西日に目を細めつつ、寅丸は鉄瓶を火鉢の上に戻した。
「どうにも、私にはそれが欠けている様に思えるのです。ご利益…はまあ、財宝関連でどうにかなってるとは思っていますが、魅力とか威厳とか言われると怪しいですね」
二つの湯のみに茶を注ぐと、寅丸は炬燵から出て、茶箪笥にあった落雁を取って戻った。
「落雁は食べますか」
「いただこうかな」
袂から懐紙を取り出し、落雁を二つ乗せて、湯のみと一緒に対面へと置く。
どちらが主人か、わからない有様だ。
しかし寅丸は、横柄な態度をとる使い魔に腹を立てるでもなく、ナズーリンの目をじっと見据えて、言葉を待った。
「そうしよう、そうなろう、そうでありたい。そう思うのは悪くないと思うがね…そればかり頭にあると、とらわれてしまうと、私は思う」
「とらわれる、ですか」
「そうさ。化身、代理とは言え毘沙門天だ。堂々としていればよい。相応しくない言動をすれば、諌める者もこの寺には多くいるし、私もそうするのは吝かではないよ」
「なるほど…言われてみると、簡単なことの様に思います」
「そう。変に悩むような事柄じゃあない…悩むあまり、縮こまっているから、威厳が無いだとか、そういう風に見られて、そうであると思ってしまう。そして実際、そうなってしまうこともある…何事も気の持ちようだということじゃないかな」
少し尖った前歯で、落雁をがりがりと齧りながら言うその様は、説得力に欠けるようにも思える。だが寅丸は得心がいった、という表情で、深く頷いた。
ふう、と息を吐き、落雁を小さく割って口にする。
その表情はそれまでの、どこか切羽詰ったようなものではなくなって、柔らかく、穏やかなものになっていた。
「ですがナズーリン!」
「な、なんだ」
落ち着き、焦りの消えた風情であった寅丸が、突如として語気を強める。
その様にナズーリンはびくり、と身体を震わせて答えた。
ナズーリンは元来、小心者である。本物の毘沙門天が後ろについているとは言え、その威光が直接作用するほどの間近にいるのでなければ、突発的な事態や高圧的な相手に対しては意外と脆い。
「ここに来る、檀家さんや里の人間、特に子供たちは、聖や一輪、村紗たちには礼儀正しく接するのに、私には大分、くだけた接し方をするのですよ」
「…それが納得いかないと? いいじゃないか、子供…いや、人間なんて得てしてそんなものさ。聖はともかく一輪や村紗は妖怪、それも危険な相手と認識しているから、礼儀正しく接することで危険を避けようとしているんだろう。本能でね。ご主人はまぁ、なんだ、面と向かって言うのはちとアレだが…優しいしな」
一輪や村紗、その他に寺にいる妖怪たちと比べて、寅丸がまるで危険ではない、という事ではない。彼女は温厚な性格であり、更には日ごろから立派な本尊たろうと励んでいる。
そのせいで彼女に接する者たちは、他の面々と彼女を比べ、優しいご本尊さまなのだ、と認識し、くだけた接し方をしているものだと思われる。
だが当の寅丸自身は、それを『威厳に欠ける』と、多分に感じてしまったのだろう。
他者に嫌われる者は何ゆえ己が嫌われるのか、ということをあまり深く考えることはせず、そもそも嫌われている、という認識すら薄い場合が多い。そして逆に、他者に好かれる者に対しても、同じ事が言える節があるようだ。
それ故に今寅丸は、ナズーリンを呼んで相談をしているのだろう。
「それは、別に納得出来ないって訳ではないのですけど…何かこう、ねえ? 威厳って何でしょうね? 親しみやすい虎柄の大女、くらいにしか思われてないんじゃないかと」
「大女って…まぁ背はここじゃ一番高いし、胸も相当大き…ってそうじゃなくてだな、要はアレか? 徳の高い僧は敬われると同時に親しまれるとも聞くが、親しまれもせずに、道で会えば平身低頭、寺で会えば五体倒地が望みかね?」
ナズーリンの、あきれたと言わんばかりのその表情と、まくし立てる言葉を見聞きして、寅丸は苦笑いを浮かべる。
「ち、違いますよ…そういうのじゃあ、ないと思います。でも! 締めるところは締めて行きたいのですよ。そこで私なりに考えました。ほら、最初説明した、毘沙門天概要にあったでしょう? 憤怒の表情」
「え、ああ?」
「あれを練習をしてみようかと思うのです」
最初は正気かこの虎、そう思っていたに違いなく、表情にも表れていたのだが、ナズーリンはすぐににやり、と口の端を歪めて笑ってみせた。
何か、面白いことになりそうだ、と、そう考えを改めたのだろう。
ナズーリンは寅丸に対して、軽蔑や侮辱をしてやろう、という考えをもつことは無いが、彼女に何か愉快な出来事…あるいは災難と言い換えてもいいが、そういった物が降りかかった場合、それを外から眺めて楽しむ節は確実にあった。
「ふむ、それは悪くない。例えばそうだな…堂々としつつ、一切の悪を降すため、憤怒相に華麗に化身! この大日如来、容赦せん! 的な…何かはどうだ。子供はそういったものが好きだろうしね」
「なるほど、不動明王礼賛というわけですね! ンー、ちょっと待って、よーし、よし、何かこう、出来る気がしてきましたよ!」
「まあ、あくまで例えだが」
寅丸は炬燵から飛び出すと、片足を炬燵の上に乗せ、右腕を振り上げてみせた。更に眉根を寄せ、首をかしげて中空をにらみ付ける。
「行儀が悪い。あとそれじゃ蔵王権現だし、何か歌舞伎みたいだぞご主人」
「え、ああ…!? えーと、不動明王のポーズはどうすれば?」
素に戻った寅丸は足を炬燵から下ろし、ナズーリンの言葉を待つ。期待に胸躍らせているのか、目を輝かせながら。
子供に好かれるというのも、こういう面をよく見せるからなのだろう。
ナズーリンは腕を組み、しばし瞑目したのちに口を開いた。
「そうだな…両手をこう…開いてだな。こめかみのあたりで止めて…そう、脇はもっと開いて…よし、腰は左右どちらかにくねらせるんだ」
「こうですか?」
そんな姿勢を取る不動明王像など存在するべくもないが、寅丸は何の疑いももたずにポーズをとっていく。
「よし、そこで憤怒の表情!」
「ハイィ!」
寅丸は指示通り、目をかっと見開き、口を大きく開けてみせた。
「だめだだめだ、それじゃ憤怒というか驚きだ! もっとこう、甘いと思っていた落雁が塩の塊だったときの様な気持ちで!」
「それは悲しいです…」
「怒れ! 怒れご主人! 仏教に取り入れられる前の不動明王はだな、かのシヴァ神から変化したという。破壊の神様だ。この世の悪を粉砕せしめんとす、そんな気持ちで!」
「しかし悪人にもそれなりの境遇と、動機があるのでは」
「今はそういう問答をしている訳じゃなかろう! そうだな、不動明王は五大明王の中心でもある。降三世、軍荼利、大威徳、金剛夜叉といった何かこう…強まりに強まった凄くすごい明王達が見ている前で、信じてかじりついた落雁が塩の塊だったらどうするね?」
ナズーリンも寅丸の勢いにあてられたのか、立ち上がって熱弁をふるい始めた。最初の頃の気だるそうな態度や、建前上とは言え主を主とも思わない言動はなりを潜めている。
「明王さまがみてる、という訳ですね! そして甘いはずの落雁が、歯をも砕く岩塩だったら…!」
「前歯全損は免れまい…そんな目に会って、怒らない奴などいるものか! 犯人は一生堅いものが食えなくなっても文句は言えまい!」
「正に自業自得。相応しい因果、極めてやりましょう!」
「いいぞ、それを決め台詞にしよう!」
ばさり、と、再び雪が枝から落ちた。
日は沈み、夜の帳が幻想郷を覆っていく。
「おおい、星、夕餉だよ」
勢いよく襖を開け、マミゾウが部屋に入ってきた。
「今日は白菜鍋と胡麻どう…ふ…」
「ああ、マミゾウ…もうそんな時間ですか。ナズーリン、今日はここまでにしましょうか。晩御飯を食べて帰るとよいでしょう」
「いや、マミゾウの顔を見たらいいことを思いついた。彼女に協力して貰えば、更に完成度の高いものが出来上がる筈だ…明後日は餅つきで、子供も一杯来るのだろうし…今日は泊まりで仕込んでいくよ」
部屋中に散らばる、色々な図案が描かれた紙。宝剣や宝玉といった財宝。
そして頬を紅潮させた寅丸とナズーリン。
いたずら好きのマミゾウですら、異様であると感じたのだろう。怪訝な顔つきで、マミゾウは寅丸に問いかける。
「…何をやっておるのじゃ」
「フフ…それは明後日のお楽しみということで。さあナズーリン、マミゾウ、夕餉を頂きましょう」
そう言うと寅丸は、満面の笑みを浮かべ、般若心経のリズムで鼻歌を歌いながら、部屋の外に出て行った。
「何ぞ愉快なことかえ?」
「まあ、そうかな。そして君の力があれば、更に愉快になるかもしれない」
「ほう…? 何ぞようわからんが、愉快なことは大好きじゃ。協力するに吝かではないぞ」
「ふふン、それは有難いことだ。まあ、とりあえず晩飯を食おう…話はその後だ」
鼠と狸はそこで互いを見つめ、にやり、と笑ってみせた。
「よし、じゃあご主人の威厳を何とかしてどうにかする作戦…通称『V作戦』の概要を、改めておさらいしてみようか」
「待て、V作戦のVは何じゃ? ヴィクトリーかえ?」
「ヴィシャモンテンのVだ」
「わあ、かっこいい! さすがナズーリンです!」
月は高く昇り、地上に青い光を投げかけている。
炬燵の上に置かれた宝塔のおかげで、部屋は明るい。本来の使い方とは違うようだが、それは些細なことだ。
ナズーリンは立ったまま、壁に貼り付けた紙を、ロッドでつつき、二人を見回した。
「まず動機…ご主人はこの寺の本尊たろうと常に努力をしてはいるが、一部の者にはそれがあまり伝わっていない」
「なるほど、確かに…見る限り、寅丸は子供に好かれてはおるが、崇拝や信仰のそれとは違うようじゃな。最初に会った時はもっと仰々しくておっかない存在かと思っていたが、そうでもなし」
マミゾウは寅丸とナズーリンの前に置かれた猪口に酒を注ぎつつ、頷く。
「無論、子供に好かれるのが嫌という訳ではないんですよ? でも仮にも毘沙門天ですし、やはりこう…絶対正義というか、クラリフィケイション的な?」
「よくわからんが判った。で、対策かえ?」
「うむ。次に対策…ここの部分をさっき、君が呼びに来たときに話し合っていたんだ」
「対策というが、剣や石が転がっておったのう…あれは何じゃ? まさか集めた財宝を出血大サービスと称してばら撒き、人心掌握かえ?」
「物で釣るというのは既に出た案件だ。出たのだが下策もいいとこ、それは違うだろうということになった。あれらは小道具さ」
「小道具のう…子供なぞ、あの長い鉾を振り回して、適当に仕込んだ妖怪を退治するフリでもしておれば、簡単に化かせそうではあるが」
マミゾウの言葉に、寅丸が、口に含んでいた酒を吹き出す。
気管に入ったのか、けたたましく咳き込むが、やがて落ち着くと、目を丸くしてマミゾウを見ながら口を開いた。
「マミゾウ、貴方は心を読めるのですか!?」
「拭け、拭け。何じゃ、図星かえ」
マミゾウは手ぬぐいを取り出し、寅丸の口元を拭ってやりながら言う。寅丸は驚きの表情のまま、卓上を拭く彼女の所作が終わるのを待った。
「心を読むなどということは出来ぬが、このわしにですら、簡単に思い浮かんでしまうことなのは判る」
「簡単とは言うがな、あまりあれこれ策を弄するよりも、小細工無用で挑んだ方が良いこともあるだろう」
「そうじゃな。つまり勝手にまとめると、明後日の餅つきの場に、段取りを仕込んだ妖怪が現れる…子供を攫おうとするそやつに対し、毘沙門天、華麗に参上! 宝玉や宝剣などの子供心をむくむくと刺激する小道具を活かして追い込み、最後には必殺技による大爆発! という筋書きじゃな」」
「素晴らしい読みですね。ナズーリンの案とほぼ同じです。でも焦土曼荼羅(ひっさつわざ)はちょっと」
「焦土曼荼羅(ひっさつわざ)は寺ごと吹っ飛ぶだろうしな」
「そこは流せよお主ら」
酒を一息にあおり、マミゾウ気持ちよさそうに、息を吐いた。
寅丸も同じように猪口を空け、酒瓶を取ると、マミゾウの猪口に酒を注いでいく。
「聖には内緒ですよ」
「内緒も何も主が底無しというのは、聖にはとうに露見しておるのでは? まぁ、それはよいか。わしは普段はぬえと飲んでおるが、奴はすぐに潰れよるでな…主は強いと聞いたので、一度交わしてみたかったのよ」
「あまり飲ませるな、ご主人が酔うと手がつけられん。脱ぐわ泣くわ笑うわで最後には吐く。掃除するのは私だ」
「酒に溺れる毘沙門天どのも、それはそれで親しみやすいがのう…」
更に夜は更け、月は中天から、ゆるやかに地平へと下っていく。
「うー、大体纏まったのう…あとは悪役の妖怪を選ばねばな。出来れば、人を喰わぬ奴がよいか…まあわしがやってもよいか。じゃが、あと一人か二人欲しいところじゃな」
「響子に頼みますか?」
「山彦めは喋りに特徴があるのですぐ露見しよう。そうじゃな、ぬえがよいか…正体不明だし」
「ま、妥当だろう…ああ、飲みすぎた…纏まったのなら、寝たいところだ」
卓に突っ伏し、ナズーリンが呻く。
打ち合わせに熱中するあまり、己の適量を見誤ったのだろう。酒臭い息を吐きながら、炬燵の中に潜り込んでいく。
「布団を敷きましょうか、ほら、ナズーリン、起きて」
押入れから布団を取り出し、てきぱきと敷いていく寅丸。足取りもしっかりとしており、一升近く飲んだ者の動作にはまるで見えなかった。
「主は酔っとらんな…虎か蛇かはっきりせいよ」
「フフフ、虎ですだよ。あ、布団は二組しかないので…私はナズーリンと寝ますからね」
「左様か…すまんな。ああ、わしも眠くなってきた」
そう言うとマミゾウは、敷かれた布団に潜り込み、すぐに寝息を立て始めた。
寅丸は炬燵からナズーリンを引っ張り出して抱き上げると、そっと布団に寝かせて、自分も潜り込む。
「ヒャア、ナズーリンは暖かいですねえ…じゃ、お休みなさい」
三人が目覚めたのは、その日の正午前であった。
朝の勤行などどこ吹く風で寝ていたところ、様子を見に来た白蓮に叩き起こされたのだ。
冬に弱い妖獣といえど、規則正しい生活を心がけるようにと諭されたが、三人の心は、明日の仕込みで一杯であり、本来なら真剣に聞くべきである白蓮の説教も、いまいち頭に入っていない様子であった。
その後、朝食兼昼食をとり、三人はぬえのもとへと赴いた。
この寺に来てしばらくになるが、他人と打ち解けることにさほど苦労しないマミゾウと違い、ぬえと他の者たちの間には、若干の距離がある。
突如としてやってきた狸と虎と鼠に、彼女は困惑しているようにも見えた。
「V作戦?」
「まぁ要するに、このちょっぴり頼りないヴィシャモンテンのために、一肌脱ごうという事じゃ。それにはお主の協力も必要ということでな」
もともとぬえと仲の良いマミゾウが、にこにこと笑いながら話して聞かせるV作戦の概要を、ぬえは黙って聞くばかりであったが、何か思うところがあったのだろう、すぐに了承した。
「別にいいよ。ただ、これは聞いておきたいんだけど、聖にはばれないよね?」
「それは心配無用じゃ。主の能力とわしの能力の合わせ技…いかに聖白蓮と言えど、看破するは容易なことではない」
「なら、いいんだけど」
「有難うございます、ぬえ。これで準備は万端ですね」
「ああ…あとは各々、練習すればいいかな。これが台本…まあそんな大したものでもないが、目を通して、よく暗記しておいてくれ」
裏表紙に大きく『V』と記された、無駄に大きな紙の束を配り、ナズーリンが立ち上がる。
「わあ! かっこいい!」
「でかいのう」
「でかいね」
「では、私はいったん帰るよ。明日の朝また来る。餅つきの準備にまで駆り出されてはたまらんのでね」
「わかりました。では明日はよろしくお願いしますね」
「ああ」
三人がナズーリンを見送り、寺の方へ向き直ると、一輪が厨の方から駆けてくるのが見えた。遊んでいる暇があるなら手伝え、そういう表情で、である。
三人は何故か気をつけの姿勢を取ると、曖昧な笑みを浮かべて、駆け出した。
そして翌日…
命蓮寺の境内は、子供たちの歓声で賑わっていた。
人も妖怪も、距離を置いてはいるが、不穏な空気は感じられない。
もし何か、事を起こそうものなら、白蓮は黙っていないだろう。どちらもそれは判っているのだろう。
「はい皆、もち米は山ほど用意したからね。ガンガン搗いて行きましょう!」
よく通る声で、一輪が言うと、待ってましたとばかりに、雲山がもうもうと湯気を立てるもち米を、臼に投入した。
「はい、では杵をどうぞ。さ、誰でも結構だよ」
「ではあたいが!」
背中に氷の羽根が生えた、青い髪の妖精が杵を取り、勢いよく臼に叩きつける。
そして一輪とは反対側に控えた村紗が、頃合を見て柄杓で水を注いでいく。
「はい、もう一つ」
「よっしゃあ!」
「はい、もう一つ!」
「シャア!」
「上手い上手い、はい」
「おりゃあ!」
たちまちの内に人だかりが出来る。その様を眺める、狸と虎と鼠と鵺。
「おうおう、寒い中、子供は元気じゃな。善き哉よきかな…」
「で、いつやるのさ?」
「まぁ待て、慌てるな。餅を食って動きが鈍ってからだ」
「ま、まさか…何か仕込んだのですか?」
「いやいや、さすがにそれはしてないが…もち米と人数から換算するに、一人頭三つ四つは確実に食えるからな。それだけ食えば、腹が膨れるだろう」
別段大した計算でもあるまいが、それでもナズーリンは得意気に語る。
無論彼女らとて、ただ見つめているわけではない。餡子や黄粉、大根おろしなどを誂えつつ、である。
「さぁ、出来たよ。聖さまに、おいしく仕上げて貰おうね」
「わぁい!」
板に乗せた餅を、子供達と雲山が白蓮のもとへと運ぶ。
白蓮は笑みを浮かべながら、超高速で具をまぶしていく。魔法で、思考と反応と動作を加速、融合させているのだろう。特にする必要がある訳でもない超パフォーマンスではあるが、子供達は普段の優しく、おっとりとした白蓮が、この様な動作をするとは思っていなかったのか、目を輝かせ、たちまちの内に釘付けになる。
「まずいな」
「うむ…身体強化じゃな…何ぞ磁石でも入れたかのような動きじゃ。普段の三倍は速いぞ…ここは寺であり礼拝堂(モスク)ではなかろうが」
「マミゾウ、何言ってるんだよ?」
「あと、何がまずいのですか、ナズーリン?」
「聖はああ見えて、意外と芸人気質があるようだな…単に子供たちを楽しませるためにやっているようだが…魔人経巻を持ち出して、色とりどりの演出をしてみろ。V作戦が霞んでしまうかもしれんぞ」
胡麻をすり潰しながらも、ナズーリンの視線は白蓮から外れない。
綿密に組み上げた威厳上昇のための作戦が、まさか内側から脅かされることになるとは思ってもいなかったのだろう。
「芸人潰しとは恐れ入る…悪魔じゃな。正に白い悪魔。ええい、命蓮寺の住職は化け物か?」
「私ら芸人なのかよ!」
「ちいぃ、こうなれば予定を早めるか…しかし雲山が邪魔だな、ご主人、どさくさに紛れて奴を九割七分くらい蒸発させられんか? 宝塔で」
「憎しみの光じゃな」
「二人して何言ってるんですか! 無理に決まってるじゃないですか! あ、でもほら、次のもち米を取りに行きましたよ」
一輪と雲山が臼から離れ、厨へと向かって歩いていくのを見て、寅丸が立ち上がる。
村紗もまたそれに続いた。おそらくは綺麗な水を汲みに向かったのだろう。
「よし、今しかあるまい。段取りの確認だ、まずマミゾウとぬえは隠れて変身し、飛び出すと同時に、本堂の上に隠れたご主人を憤怒フォームへと変身させる。そして呑気に餅を食う子供を捕まえてから口上だ」
白蓮の周りに群がる子供たちをよそに、四人は顔を突き合わせ、ひそひそと小声で打ち合わせを始めた。
威厳だとか信仰だとか、そういうものを得るための話し合いには、もはや見えない。勢いから出た案を、酒の勢いで練り上げて作り上げたこの作戦、意地でも成功させる。後は野となれ山となれ、そんな雰囲気だ。
「ご主人は口上が終わると同時に飛び出し、宝玉を投げ、宝剣で斬る。適当に爆発が起きる。怯んだら、鉾を取り出し口上だ。まぁ多少の怪我は必要経費と割り切れ。大丈夫、多少痛くともまあ死なないから」
「で、出来るだけ上手くやりますので…本当、お願いします! ああ、緊張してきた」
「ご主人の口上が終わったら、一目散に逃げろ。夕方までどっかで時間を潰していればいい…私が適当に口裏を合わせておく」
「適当多くないか!?」
「気にするな。押してきてるのでNG出すなよ」
もはや不退転。四人の心が重なった。
おそらく、ではあるが。
「おいしーねー」
「ちょー伸びる! ちょーうまい!」
餅など別段珍しいものでもあるまいが、皆で集まって、皆で作ったものはやはり格別なのだろう。子供たちはもう、妖怪と人間という垣根をを越えて、笑いあっている。
そんな最中、二つの黒い影が、日を遮り、境内の真ん中へと降り立った。
影は臼の傍にいて、次にくるもち米をつこうと意気込んでいた二人の子供を引っつかみ、担ぎ上げる。
「クァーッカッカッカッカカーッ! 餅つきなんざーどうでもいいぜーカカカカーッ!」
「こ、子供は柔らかくて美味そうだぜ押忍! まさにどうしてもむさっ、貪り喰ってやりてー!」
突如として現れた、全身黒ずくめの怪人に、人間の子供たちは初め、呆気にとられていたが、それが正体不明であるとは言え、人を喰らう何かである、という事がわかると、大半の者は恐怖にとらわれて動けなくなってしまった。
泣き出す子供、白蓮にすがる子供、うろたえる子供。さまざまである。
「グハハハハーッ! どうだいこの柔らかそうな脚! 張りのある尻! 利発そうな顔! これじゃあこの寺にいるっていう何かスゲェイカすヴィシャモンテンとやらを呼ばれちまうかもしれねーなー!」
「あ、ああ、何でもそのヴィシャッ、ヴィシャモンテンとやらはえれぇ強くて綺麗でかっこよくて、何でも焼き尽くすほうとふ、宝塔で富をもたらすって言うじゃーねーかー! 俺らは怖いもの知らずで有名な正体不明兄弟だが、そいつはやぶ、やべえぜー!? シューッ!」
「ぬえの奴、噛みすぎだ…! その昔、天皇を怯えさせたってのはハッタリか…!?」
棒読み、棒立ちもいいところのぬえの様子を見て、表面上は警戒しているように見せているナズーリンが、小声で呟く。しかしもう、後戻りは出来ない。村紗はともかくとして、騒ぎを聞きつけた一輪と雲山がいつ突撃してくるか判らないからだ。
ナズーリンは本堂の上に潜む寅丸に目をやる。マミゾウの能力で、身にまとう天衣、宝冠、腹甲、袴から沓に至るまでが、天部のそれから、不動明王が纏う頂蓮、条帛、裳、羂索などになっただけの憤怒フォームであるが、色合いは派手であり、模様などにも鋭角的なものがあしらわれて、いかにも子供に受けそうな意匠である。
寅丸はナズーリンの視線に感づくと、無言で頷き、親指を立ててみせた。
見てて下さい、私の、変身! 言葉が届く距離なら、きっとそう言っただろう。
「待てぇい!」
「な、何ィイイ!?」
太陽を背に、とは行かなかったが、寅丸は両の手指をこめかみの辺りで開き、腰を一杯に傾ける、謎のポーズをかっちりと極めて立っていた。
マミゾウとぬえ、そしてその場にいる全員が、いや、ある一名を除いて、寅丸を見る。
「この世に蔓延る悪を! 人に仇為す存在を! 例え仏が赦そうと!」
「ゲーッ! 貴様はまさか…!」
「この毘沙門天、赦すわけにはいかん! その暴虐の対価、貴様らの身を以って払ってもらう! とうッ!」
口上を終え、寅丸が本堂の上から勢いよく跳び上がる。
空中でくるくると回転、錐揉みする様に、子供たちがわっ、と歓声を上げた。
「台本に無い動きだがいいぞご主人、ぎゅんぎゅん来てるぞ!」
回転しつつ「はぁああああ!」などと謎の掛け声を上げる寅丸が、着地の体勢に入る。
だが地上数メートル、というところで、手に持った羂索が、彼女の足首に絡まった。
羂索のもう一方は手首に巻かれており、それなりの長さはあるのだが、長身の寅丸の動きを妨げずにいるには、短い。
ぴん、と張った、捕縛の為の縄により寅丸は体勢を崩し、ほぼ真下にあった臼へと、頭から落下した。
どごん、と、鈍い音が、歓声をもかき消して響いた。
その様に、絶句する周囲の人間。
そしてその瞬間。
ぬえの間合いに、凄まじい速さで踏み込む者がいた。
寅丸が跳んでから、杵の役目を果たすまで、悪の様子をじっと伺っていた、聖白蓮その人である。
本堂が軋むほどの踏み込みから、白蓮は身体を翻して、肩と背中による体当たりを放った。
全く警戒していなかったぬえは、防御をする暇もなく、軽く数十メートルは吹き飛ばされ、人の身体がここまでバウンドするのか、という位に跳ねて、木々の中に消えた。
白蓮は体当たりの瞬間、手を取って救った子供を地面にそっと座らせると、身体をマミゾウの方へと向けた。
そして、予備動作も無く踏み込む。
ぬえがやられた時点で、マミゾウは逃げると決めたらしい。足先を狙った踏みつけの一撃を跳び退いて避け、抱えていた子供を白蓮にやんわりと放り投げたのち、地面をつま先で蹴りつける。
白い煙が一瞬で広範囲に広がり、マミゾウはその中を遁走した。無論、ぬえを回収して、である。
境内は水を打ったように静まり返っていた。
煙が晴れて、残ったものは、臼に顔を突っ込んで痙攣している寅丸と、茫然自失状態のナズーリン、白蓮の活躍を見て大興奮する子供たち。そしてぬえに捕まっていた子供を抱き、にこやかに微笑む白蓮だけであった。
臼が血まみれになった上、亀裂が入って使えなくなったため、餅つきは後日改めて開催されることとなった。
子供たちは白蓮の活躍を飽きることなく語り合い、そして帰っていった。
「今回の最大の敗因は何だ…聖を侮っていた我々と、余計な事をして不動明王どころか杵になり下がったご主人…どっちかな」
無縁塚のすぐ傍、ナズーリンの住む掘っ立て小屋。
外見はみすぼらしいが、内装には凝っており、存外に暖かい。
火鉢を囲み、酒を飲む四人。
「まぁ八割方、そこのヴィシャモンテン殿であろうよ。のう、ぬえ?」
マミゾウは全員に酒を注いで回りつつ、ぬえに話を振った。
頭に包帯を巻き、一人だけ正座をする寅丸が、泣きそうな顔でぬえの言葉を待つ。無論マミゾウとて、責め立てる気はないようではあるが、それでも寅丸には針の筵状態だろう。
「まあ、うん…だよね。でもさ、私は結構、楽しかったな」
昼にあれだけの打撃を貰ったにも関わらず、ぬえは特にどうということも無いようで、酒を一口嘗めると、そう言って笑った。
昨日の昼、三人が尋ねた時に見せた、距離感…他者との壁のような雰囲気は少なくとも感じられない。
ナズーリンは何か閃いたのか、少し逡巡してから、口を開いた。
「そう、だな。結果はともかくとして、楽しくはあった。それは私の偽りの無い本心だよ」
「皆で何かをする、ということには、摩擦も軋轢も生じようが、時としてそんなものすら軽く凌駕する、連帯感とかそういうものも生むのじゃな」
命蓮寺において、どうにも浮いていたぬえが、マミゾウ以外の者に対して、その心情を吐露するのは初めてであった。ナズーリンはそれに至ったぬえの思いを、小賢しくも感じ取り、山車にした。今回の失敗をうやむやにしてしまう算段なのだろう。
マミゾウもそれには気づいて、『喰えぬ鼠よ』といった思いを抱いたようであったが、そこは化け狸をまとめていたこともあるマミゾウである。大人の対応でナズーリンをフォローしてみせた。
「威厳が欲しいなどという、私のつまらない自尊心から起きたことです。皆に協力してもらったのに、あんな事態になって、何を言われても仕方ないと思ってきたのですが…私も、皆でこういう事をするのが、こんなに楽しいとは思っていませんでした」
寅丸はナズーリン、マミゾウ、ぬえを見回しながら、ゆっくりと語る。
どこか打算的な鼠や狸のように、うやむやにしてしまおうという考えはまるで無いようだが、ぬえに対するフォローはする腹積もりのようだ。
「今まであまり話せなかったぬえとも、こうやって話せるようになって良かったと思うし…」
「私も、マミゾウ以外とこんなに話したのは久しぶりだよ」
「そうじゃな。それについてはわしも、何というか、うむ。まぁいいか。何かを試みるに、失敗はつきものじゃ。これに懲りず、次は更なる上策を以って望めばよい」
「例えばどんな作戦で?」
「そうさのう、宝塔レーザーで白蓮を蒸発させるとか。名づけて星一号作戦」
「それって普通に殺人事件じゃないですか!」
「あはははははは」
四人の笑い声が、冬の夜空に吸い込まれていく。
なお余談ではあるが、この事件のあと、寅丸はしばらく『杵の人』という不名誉なあだ名をつけられ、それまで以上に親しまれるようにはなったが、威厳というものは相変わらず低迷している。
そして白蓮には、体術の教えをも請う子供たちが増えたという。
小細工を弄せず、直球勝負に出たとしても、うまくいくかは判らない…寅丸は今回のことで、それを強く認識したようだ。
しかし寅丸星という存在が、皆から好かれ、愛されているのも、また、事実である。
了
普通、四天王が揃っている場合は多聞天、独尊の場合は毘沙門天と呼ぶことが多い。
本来は仏法守護にあたるが、天平時代から国家鎮護の尊像として単独に安置する風が始まった。
その象様は左手に宝塔、右手に鉾をとり甲冑に身をかためた武人の姿が多く、顔は憤怒の相をあらわす。
「この寒い中わざわざ呼びつけて何かと思えば、毘沙門天の定義を説明してくれるとは。いや、有難くて涙が出るね」
有難がっているとは到底思えない、まるで感情のこもらない口調で、ナズーリンが言う。彼女は長い尻尾をふらふらと揺り動かしながら、炬燵の上にあるみかんを剥き始めた。
「いえ、今日呼んだのはそういうことではなく…あ、私にもみかん下さい」
「じゃあどういった御用かな。まさか閑だから、だとか、また宝塔が無くなった、だとかいう話ではあるまいね?」
抑揚の無い声で言いつつ、みかんの白皮を神経質に剥がしていくナズーリン。その視線は主である寅丸星にではなく、手元の果実に注がれたままだ。
寅丸星と彼女の関係、即ち主と使い魔であるということを知る者が見れば、その態度を少なからず無礼である、と思うだろう。
だが、ナズーリンはその様なことを気にもしないし、また気にする必要もない。
彼女が本物の毘沙門天から遣わされ、寅丸を監視する立場にあるという事実を、知る者はいないからだ。
「一応、ほら、その…私は今のところ、この寺の本尊という扱いですよね?」
「そうだな。聖を始め、寺の仲間や土地の人々、妖怪たちもそう認識しているな」
「で、ですよね。あ、みかんの白皮は栄養が豊富なんですよ。知ってました?」
「知らんよ。大体私は、この口ざわりが好きではない。それと、どうでもいいが、この外皮を干したものは別名を陳皮(ちんぴ)と言って、七味唐辛子の中にも入っている」
「え、そうなんですか。はぁ、でもみかんの味はしませんね?」
「…みかん談義に華を咲かせにきたわけではないのだがね」
白皮をあらかた取り終えたナズーリンが、茶をすすってそう言うと、寅丸もそれに倣い、茶をすすった。
「ごめんなさい。私が言いたいのはそのことではなく…威厳、ということについてです」
「威厳。ふむ、威厳ねえ…ああ判った、みなまで言うなご主人」
「判ったのですか」
「判るさ。要するにご主人は自分に、この寺の本尊として、信仰を集めるに足る…そうだな、例えば魅力だとか、ご利益だとか…威厳だとか。そういうものがちゃんと備わっているかどうか、それが気になっているのだな」
寅丸は首肯しつつ、衣の裾で右手を包むと、火鉢の上にあった鉄瓶をとり、急須に湯を注いでゆく。
ほうじ茶の香りが薄く漂う。遠くで、枝から落ちる雪の音がする。
日は大分傾いているようで、薄く開いた障子の隙間から差し込む西日に目を細めつつ、寅丸は鉄瓶を火鉢の上に戻した。
「どうにも、私にはそれが欠けている様に思えるのです。ご利益…はまあ、財宝関連でどうにかなってるとは思っていますが、魅力とか威厳とか言われると怪しいですね」
二つの湯のみに茶を注ぐと、寅丸は炬燵から出て、茶箪笥にあった落雁を取って戻った。
「落雁は食べますか」
「いただこうかな」
袂から懐紙を取り出し、落雁を二つ乗せて、湯のみと一緒に対面へと置く。
どちらが主人か、わからない有様だ。
しかし寅丸は、横柄な態度をとる使い魔に腹を立てるでもなく、ナズーリンの目をじっと見据えて、言葉を待った。
「そうしよう、そうなろう、そうでありたい。そう思うのは悪くないと思うがね…そればかり頭にあると、とらわれてしまうと、私は思う」
「とらわれる、ですか」
「そうさ。化身、代理とは言え毘沙門天だ。堂々としていればよい。相応しくない言動をすれば、諌める者もこの寺には多くいるし、私もそうするのは吝かではないよ」
「なるほど…言われてみると、簡単なことの様に思います」
「そう。変に悩むような事柄じゃあない…悩むあまり、縮こまっているから、威厳が無いだとか、そういう風に見られて、そうであると思ってしまう。そして実際、そうなってしまうこともある…何事も気の持ちようだということじゃないかな」
少し尖った前歯で、落雁をがりがりと齧りながら言うその様は、説得力に欠けるようにも思える。だが寅丸は得心がいった、という表情で、深く頷いた。
ふう、と息を吐き、落雁を小さく割って口にする。
その表情はそれまでの、どこか切羽詰ったようなものではなくなって、柔らかく、穏やかなものになっていた。
「ですがナズーリン!」
「な、なんだ」
落ち着き、焦りの消えた風情であった寅丸が、突如として語気を強める。
その様にナズーリンはびくり、と身体を震わせて答えた。
ナズーリンは元来、小心者である。本物の毘沙門天が後ろについているとは言え、その威光が直接作用するほどの間近にいるのでなければ、突発的な事態や高圧的な相手に対しては意外と脆い。
「ここに来る、檀家さんや里の人間、特に子供たちは、聖や一輪、村紗たちには礼儀正しく接するのに、私には大分、くだけた接し方をするのですよ」
「…それが納得いかないと? いいじゃないか、子供…いや、人間なんて得てしてそんなものさ。聖はともかく一輪や村紗は妖怪、それも危険な相手と認識しているから、礼儀正しく接することで危険を避けようとしているんだろう。本能でね。ご主人はまぁ、なんだ、面と向かって言うのはちとアレだが…優しいしな」
一輪や村紗、その他に寺にいる妖怪たちと比べて、寅丸がまるで危険ではない、という事ではない。彼女は温厚な性格であり、更には日ごろから立派な本尊たろうと励んでいる。
そのせいで彼女に接する者たちは、他の面々と彼女を比べ、優しいご本尊さまなのだ、と認識し、くだけた接し方をしているものだと思われる。
だが当の寅丸自身は、それを『威厳に欠ける』と、多分に感じてしまったのだろう。
他者に嫌われる者は何ゆえ己が嫌われるのか、ということをあまり深く考えることはせず、そもそも嫌われている、という認識すら薄い場合が多い。そして逆に、他者に好かれる者に対しても、同じ事が言える節があるようだ。
それ故に今寅丸は、ナズーリンを呼んで相談をしているのだろう。
「それは、別に納得出来ないって訳ではないのですけど…何かこう、ねえ? 威厳って何でしょうね? 親しみやすい虎柄の大女、くらいにしか思われてないんじゃないかと」
「大女って…まぁ背はここじゃ一番高いし、胸も相当大き…ってそうじゃなくてだな、要はアレか? 徳の高い僧は敬われると同時に親しまれるとも聞くが、親しまれもせずに、道で会えば平身低頭、寺で会えば五体倒地が望みかね?」
ナズーリンの、あきれたと言わんばかりのその表情と、まくし立てる言葉を見聞きして、寅丸は苦笑いを浮かべる。
「ち、違いますよ…そういうのじゃあ、ないと思います。でも! 締めるところは締めて行きたいのですよ。そこで私なりに考えました。ほら、最初説明した、毘沙門天概要にあったでしょう? 憤怒の表情」
「え、ああ?」
「あれを練習をしてみようかと思うのです」
最初は正気かこの虎、そう思っていたに違いなく、表情にも表れていたのだが、ナズーリンはすぐににやり、と口の端を歪めて笑ってみせた。
何か、面白いことになりそうだ、と、そう考えを改めたのだろう。
ナズーリンは寅丸に対して、軽蔑や侮辱をしてやろう、という考えをもつことは無いが、彼女に何か愉快な出来事…あるいは災難と言い換えてもいいが、そういった物が降りかかった場合、それを外から眺めて楽しむ節は確実にあった。
「ふむ、それは悪くない。例えばそうだな…堂々としつつ、一切の悪を降すため、憤怒相に華麗に化身! この大日如来、容赦せん! 的な…何かはどうだ。子供はそういったものが好きだろうしね」
「なるほど、不動明王礼賛というわけですね! ンー、ちょっと待って、よーし、よし、何かこう、出来る気がしてきましたよ!」
「まあ、あくまで例えだが」
寅丸は炬燵から飛び出すと、片足を炬燵の上に乗せ、右腕を振り上げてみせた。更に眉根を寄せ、首をかしげて中空をにらみ付ける。
「行儀が悪い。あとそれじゃ蔵王権現だし、何か歌舞伎みたいだぞご主人」
「え、ああ…!? えーと、不動明王のポーズはどうすれば?」
素に戻った寅丸は足を炬燵から下ろし、ナズーリンの言葉を待つ。期待に胸躍らせているのか、目を輝かせながら。
子供に好かれるというのも、こういう面をよく見せるからなのだろう。
ナズーリンは腕を組み、しばし瞑目したのちに口を開いた。
「そうだな…両手をこう…開いてだな。こめかみのあたりで止めて…そう、脇はもっと開いて…よし、腰は左右どちらかにくねらせるんだ」
「こうですか?」
そんな姿勢を取る不動明王像など存在するべくもないが、寅丸は何の疑いももたずにポーズをとっていく。
「よし、そこで憤怒の表情!」
「ハイィ!」
寅丸は指示通り、目をかっと見開き、口を大きく開けてみせた。
「だめだだめだ、それじゃ憤怒というか驚きだ! もっとこう、甘いと思っていた落雁が塩の塊だったときの様な気持ちで!」
「それは悲しいです…」
「怒れ! 怒れご主人! 仏教に取り入れられる前の不動明王はだな、かのシヴァ神から変化したという。破壊の神様だ。この世の悪を粉砕せしめんとす、そんな気持ちで!」
「しかし悪人にもそれなりの境遇と、動機があるのでは」
「今はそういう問答をしている訳じゃなかろう! そうだな、不動明王は五大明王の中心でもある。降三世、軍荼利、大威徳、金剛夜叉といった何かこう…強まりに強まった凄くすごい明王達が見ている前で、信じてかじりついた落雁が塩の塊だったらどうするね?」
ナズーリンも寅丸の勢いにあてられたのか、立ち上がって熱弁をふるい始めた。最初の頃の気だるそうな態度や、建前上とは言え主を主とも思わない言動はなりを潜めている。
「明王さまがみてる、という訳ですね! そして甘いはずの落雁が、歯をも砕く岩塩だったら…!」
「前歯全損は免れまい…そんな目に会って、怒らない奴などいるものか! 犯人は一生堅いものが食えなくなっても文句は言えまい!」
「正に自業自得。相応しい因果、極めてやりましょう!」
「いいぞ、それを決め台詞にしよう!」
ばさり、と、再び雪が枝から落ちた。
日は沈み、夜の帳が幻想郷を覆っていく。
「おおい、星、夕餉だよ」
勢いよく襖を開け、マミゾウが部屋に入ってきた。
「今日は白菜鍋と胡麻どう…ふ…」
「ああ、マミゾウ…もうそんな時間ですか。ナズーリン、今日はここまでにしましょうか。晩御飯を食べて帰るとよいでしょう」
「いや、マミゾウの顔を見たらいいことを思いついた。彼女に協力して貰えば、更に完成度の高いものが出来上がる筈だ…明後日は餅つきで、子供も一杯来るのだろうし…今日は泊まりで仕込んでいくよ」
部屋中に散らばる、色々な図案が描かれた紙。宝剣や宝玉といった財宝。
そして頬を紅潮させた寅丸とナズーリン。
いたずら好きのマミゾウですら、異様であると感じたのだろう。怪訝な顔つきで、マミゾウは寅丸に問いかける。
「…何をやっておるのじゃ」
「フフ…それは明後日のお楽しみということで。さあナズーリン、マミゾウ、夕餉を頂きましょう」
そう言うと寅丸は、満面の笑みを浮かべ、般若心経のリズムで鼻歌を歌いながら、部屋の外に出て行った。
「何ぞ愉快なことかえ?」
「まあ、そうかな。そして君の力があれば、更に愉快になるかもしれない」
「ほう…? 何ぞようわからんが、愉快なことは大好きじゃ。協力するに吝かではないぞ」
「ふふン、それは有難いことだ。まあ、とりあえず晩飯を食おう…話はその後だ」
鼠と狸はそこで互いを見つめ、にやり、と笑ってみせた。
「よし、じゃあご主人の威厳を何とかしてどうにかする作戦…通称『V作戦』の概要を、改めておさらいしてみようか」
「待て、V作戦のVは何じゃ? ヴィクトリーかえ?」
「ヴィシャモンテンのVだ」
「わあ、かっこいい! さすがナズーリンです!」
月は高く昇り、地上に青い光を投げかけている。
炬燵の上に置かれた宝塔のおかげで、部屋は明るい。本来の使い方とは違うようだが、それは些細なことだ。
ナズーリンは立ったまま、壁に貼り付けた紙を、ロッドでつつき、二人を見回した。
「まず動機…ご主人はこの寺の本尊たろうと常に努力をしてはいるが、一部の者にはそれがあまり伝わっていない」
「なるほど、確かに…見る限り、寅丸は子供に好かれてはおるが、崇拝や信仰のそれとは違うようじゃな。最初に会った時はもっと仰々しくておっかない存在かと思っていたが、そうでもなし」
マミゾウは寅丸とナズーリンの前に置かれた猪口に酒を注ぎつつ、頷く。
「無論、子供に好かれるのが嫌という訳ではないんですよ? でも仮にも毘沙門天ですし、やはりこう…絶対正義というか、クラリフィケイション的な?」
「よくわからんが判った。で、対策かえ?」
「うむ。次に対策…ここの部分をさっき、君が呼びに来たときに話し合っていたんだ」
「対策というが、剣や石が転がっておったのう…あれは何じゃ? まさか集めた財宝を出血大サービスと称してばら撒き、人心掌握かえ?」
「物で釣るというのは既に出た案件だ。出たのだが下策もいいとこ、それは違うだろうということになった。あれらは小道具さ」
「小道具のう…子供なぞ、あの長い鉾を振り回して、適当に仕込んだ妖怪を退治するフリでもしておれば、簡単に化かせそうではあるが」
マミゾウの言葉に、寅丸が、口に含んでいた酒を吹き出す。
気管に入ったのか、けたたましく咳き込むが、やがて落ち着くと、目を丸くしてマミゾウを見ながら口を開いた。
「マミゾウ、貴方は心を読めるのですか!?」
「拭け、拭け。何じゃ、図星かえ」
マミゾウは手ぬぐいを取り出し、寅丸の口元を拭ってやりながら言う。寅丸は驚きの表情のまま、卓上を拭く彼女の所作が終わるのを待った。
「心を読むなどということは出来ぬが、このわしにですら、簡単に思い浮かんでしまうことなのは判る」
「簡単とは言うがな、あまりあれこれ策を弄するよりも、小細工無用で挑んだ方が良いこともあるだろう」
「そうじゃな。つまり勝手にまとめると、明後日の餅つきの場に、段取りを仕込んだ妖怪が現れる…子供を攫おうとするそやつに対し、毘沙門天、華麗に参上! 宝玉や宝剣などの子供心をむくむくと刺激する小道具を活かして追い込み、最後には必殺技による大爆発! という筋書きじゃな」」
「素晴らしい読みですね。ナズーリンの案とほぼ同じです。でも焦土曼荼羅(ひっさつわざ)はちょっと」
「焦土曼荼羅(ひっさつわざ)は寺ごと吹っ飛ぶだろうしな」
「そこは流せよお主ら」
酒を一息にあおり、マミゾウ気持ちよさそうに、息を吐いた。
寅丸も同じように猪口を空け、酒瓶を取ると、マミゾウの猪口に酒を注いでいく。
「聖には内緒ですよ」
「内緒も何も主が底無しというのは、聖にはとうに露見しておるのでは? まぁ、それはよいか。わしは普段はぬえと飲んでおるが、奴はすぐに潰れよるでな…主は強いと聞いたので、一度交わしてみたかったのよ」
「あまり飲ませるな、ご主人が酔うと手がつけられん。脱ぐわ泣くわ笑うわで最後には吐く。掃除するのは私だ」
「酒に溺れる毘沙門天どのも、それはそれで親しみやすいがのう…」
更に夜は更け、月は中天から、ゆるやかに地平へと下っていく。
「うー、大体纏まったのう…あとは悪役の妖怪を選ばねばな。出来れば、人を喰わぬ奴がよいか…まあわしがやってもよいか。じゃが、あと一人か二人欲しいところじゃな」
「響子に頼みますか?」
「山彦めは喋りに特徴があるのですぐ露見しよう。そうじゃな、ぬえがよいか…正体不明だし」
「ま、妥当だろう…ああ、飲みすぎた…纏まったのなら、寝たいところだ」
卓に突っ伏し、ナズーリンが呻く。
打ち合わせに熱中するあまり、己の適量を見誤ったのだろう。酒臭い息を吐きながら、炬燵の中に潜り込んでいく。
「布団を敷きましょうか、ほら、ナズーリン、起きて」
押入れから布団を取り出し、てきぱきと敷いていく寅丸。足取りもしっかりとしており、一升近く飲んだ者の動作にはまるで見えなかった。
「主は酔っとらんな…虎か蛇かはっきりせいよ」
「フフフ、虎ですだよ。あ、布団は二組しかないので…私はナズーリンと寝ますからね」
「左様か…すまんな。ああ、わしも眠くなってきた」
そう言うとマミゾウは、敷かれた布団に潜り込み、すぐに寝息を立て始めた。
寅丸は炬燵からナズーリンを引っ張り出して抱き上げると、そっと布団に寝かせて、自分も潜り込む。
「ヒャア、ナズーリンは暖かいですねえ…じゃ、お休みなさい」
三人が目覚めたのは、その日の正午前であった。
朝の勤行などどこ吹く風で寝ていたところ、様子を見に来た白蓮に叩き起こされたのだ。
冬に弱い妖獣といえど、規則正しい生活を心がけるようにと諭されたが、三人の心は、明日の仕込みで一杯であり、本来なら真剣に聞くべきである白蓮の説教も、いまいち頭に入っていない様子であった。
その後、朝食兼昼食をとり、三人はぬえのもとへと赴いた。
この寺に来てしばらくになるが、他人と打ち解けることにさほど苦労しないマミゾウと違い、ぬえと他の者たちの間には、若干の距離がある。
突如としてやってきた狸と虎と鼠に、彼女は困惑しているようにも見えた。
「V作戦?」
「まぁ要するに、このちょっぴり頼りないヴィシャモンテンのために、一肌脱ごうという事じゃ。それにはお主の協力も必要ということでな」
もともとぬえと仲の良いマミゾウが、にこにこと笑いながら話して聞かせるV作戦の概要を、ぬえは黙って聞くばかりであったが、何か思うところがあったのだろう、すぐに了承した。
「別にいいよ。ただ、これは聞いておきたいんだけど、聖にはばれないよね?」
「それは心配無用じゃ。主の能力とわしの能力の合わせ技…いかに聖白蓮と言えど、看破するは容易なことではない」
「なら、いいんだけど」
「有難うございます、ぬえ。これで準備は万端ですね」
「ああ…あとは各々、練習すればいいかな。これが台本…まあそんな大したものでもないが、目を通して、よく暗記しておいてくれ」
裏表紙に大きく『V』と記された、無駄に大きな紙の束を配り、ナズーリンが立ち上がる。
「わあ! かっこいい!」
「でかいのう」
「でかいね」
「では、私はいったん帰るよ。明日の朝また来る。餅つきの準備にまで駆り出されてはたまらんのでね」
「わかりました。では明日はよろしくお願いしますね」
「ああ」
三人がナズーリンを見送り、寺の方へ向き直ると、一輪が厨の方から駆けてくるのが見えた。遊んでいる暇があるなら手伝え、そういう表情で、である。
三人は何故か気をつけの姿勢を取ると、曖昧な笑みを浮かべて、駆け出した。
そして翌日…
命蓮寺の境内は、子供たちの歓声で賑わっていた。
人も妖怪も、距離を置いてはいるが、不穏な空気は感じられない。
もし何か、事を起こそうものなら、白蓮は黙っていないだろう。どちらもそれは判っているのだろう。
「はい皆、もち米は山ほど用意したからね。ガンガン搗いて行きましょう!」
よく通る声で、一輪が言うと、待ってましたとばかりに、雲山がもうもうと湯気を立てるもち米を、臼に投入した。
「はい、では杵をどうぞ。さ、誰でも結構だよ」
「ではあたいが!」
背中に氷の羽根が生えた、青い髪の妖精が杵を取り、勢いよく臼に叩きつける。
そして一輪とは反対側に控えた村紗が、頃合を見て柄杓で水を注いでいく。
「はい、もう一つ」
「よっしゃあ!」
「はい、もう一つ!」
「シャア!」
「上手い上手い、はい」
「おりゃあ!」
たちまちの内に人だかりが出来る。その様を眺める、狸と虎と鼠と鵺。
「おうおう、寒い中、子供は元気じゃな。善き哉よきかな…」
「で、いつやるのさ?」
「まぁ待て、慌てるな。餅を食って動きが鈍ってからだ」
「ま、まさか…何か仕込んだのですか?」
「いやいや、さすがにそれはしてないが…もち米と人数から換算するに、一人頭三つ四つは確実に食えるからな。それだけ食えば、腹が膨れるだろう」
別段大した計算でもあるまいが、それでもナズーリンは得意気に語る。
無論彼女らとて、ただ見つめているわけではない。餡子や黄粉、大根おろしなどを誂えつつ、である。
「さぁ、出来たよ。聖さまに、おいしく仕上げて貰おうね」
「わぁい!」
板に乗せた餅を、子供達と雲山が白蓮のもとへと運ぶ。
白蓮は笑みを浮かべながら、超高速で具をまぶしていく。魔法で、思考と反応と動作を加速、融合させているのだろう。特にする必要がある訳でもない超パフォーマンスではあるが、子供達は普段の優しく、おっとりとした白蓮が、この様な動作をするとは思っていなかったのか、目を輝かせ、たちまちの内に釘付けになる。
「まずいな」
「うむ…身体強化じゃな…何ぞ磁石でも入れたかのような動きじゃ。普段の三倍は速いぞ…ここは寺であり礼拝堂(モスク)ではなかろうが」
「マミゾウ、何言ってるんだよ?」
「あと、何がまずいのですか、ナズーリン?」
「聖はああ見えて、意外と芸人気質があるようだな…単に子供たちを楽しませるためにやっているようだが…魔人経巻を持ち出して、色とりどりの演出をしてみろ。V作戦が霞んでしまうかもしれんぞ」
胡麻をすり潰しながらも、ナズーリンの視線は白蓮から外れない。
綿密に組み上げた威厳上昇のための作戦が、まさか内側から脅かされることになるとは思ってもいなかったのだろう。
「芸人潰しとは恐れ入る…悪魔じゃな。正に白い悪魔。ええい、命蓮寺の住職は化け物か?」
「私ら芸人なのかよ!」
「ちいぃ、こうなれば予定を早めるか…しかし雲山が邪魔だな、ご主人、どさくさに紛れて奴を九割七分くらい蒸発させられんか? 宝塔で」
「憎しみの光じゃな」
「二人して何言ってるんですか! 無理に決まってるじゃないですか! あ、でもほら、次のもち米を取りに行きましたよ」
一輪と雲山が臼から離れ、厨へと向かって歩いていくのを見て、寅丸が立ち上がる。
村紗もまたそれに続いた。おそらくは綺麗な水を汲みに向かったのだろう。
「よし、今しかあるまい。段取りの確認だ、まずマミゾウとぬえは隠れて変身し、飛び出すと同時に、本堂の上に隠れたご主人を憤怒フォームへと変身させる。そして呑気に餅を食う子供を捕まえてから口上だ」
白蓮の周りに群がる子供たちをよそに、四人は顔を突き合わせ、ひそひそと小声で打ち合わせを始めた。
威厳だとか信仰だとか、そういうものを得るための話し合いには、もはや見えない。勢いから出た案を、酒の勢いで練り上げて作り上げたこの作戦、意地でも成功させる。後は野となれ山となれ、そんな雰囲気だ。
「ご主人は口上が終わると同時に飛び出し、宝玉を投げ、宝剣で斬る。適当に爆発が起きる。怯んだら、鉾を取り出し口上だ。まぁ多少の怪我は必要経費と割り切れ。大丈夫、多少痛くともまあ死なないから」
「で、出来るだけ上手くやりますので…本当、お願いします! ああ、緊張してきた」
「ご主人の口上が終わったら、一目散に逃げろ。夕方までどっかで時間を潰していればいい…私が適当に口裏を合わせておく」
「適当多くないか!?」
「気にするな。押してきてるのでNG出すなよ」
もはや不退転。四人の心が重なった。
おそらく、ではあるが。
「おいしーねー」
「ちょー伸びる! ちょーうまい!」
餅など別段珍しいものでもあるまいが、皆で集まって、皆で作ったものはやはり格別なのだろう。子供たちはもう、妖怪と人間という垣根をを越えて、笑いあっている。
そんな最中、二つの黒い影が、日を遮り、境内の真ん中へと降り立った。
影は臼の傍にいて、次にくるもち米をつこうと意気込んでいた二人の子供を引っつかみ、担ぎ上げる。
「クァーッカッカッカッカカーッ! 餅つきなんざーどうでもいいぜーカカカカーッ!」
「こ、子供は柔らかくて美味そうだぜ押忍! まさにどうしてもむさっ、貪り喰ってやりてー!」
突如として現れた、全身黒ずくめの怪人に、人間の子供たちは初め、呆気にとられていたが、それが正体不明であるとは言え、人を喰らう何かである、という事がわかると、大半の者は恐怖にとらわれて動けなくなってしまった。
泣き出す子供、白蓮にすがる子供、うろたえる子供。さまざまである。
「グハハハハーッ! どうだいこの柔らかそうな脚! 張りのある尻! 利発そうな顔! これじゃあこの寺にいるっていう何かスゲェイカすヴィシャモンテンとやらを呼ばれちまうかもしれねーなー!」
「あ、ああ、何でもそのヴィシャッ、ヴィシャモンテンとやらはえれぇ強くて綺麗でかっこよくて、何でも焼き尽くすほうとふ、宝塔で富をもたらすって言うじゃーねーかー! 俺らは怖いもの知らずで有名な正体不明兄弟だが、そいつはやぶ、やべえぜー!? シューッ!」
「ぬえの奴、噛みすぎだ…! その昔、天皇を怯えさせたってのはハッタリか…!?」
棒読み、棒立ちもいいところのぬえの様子を見て、表面上は警戒しているように見せているナズーリンが、小声で呟く。しかしもう、後戻りは出来ない。村紗はともかくとして、騒ぎを聞きつけた一輪と雲山がいつ突撃してくるか判らないからだ。
ナズーリンは本堂の上に潜む寅丸に目をやる。マミゾウの能力で、身にまとう天衣、宝冠、腹甲、袴から沓に至るまでが、天部のそれから、不動明王が纏う頂蓮、条帛、裳、羂索などになっただけの憤怒フォームであるが、色合いは派手であり、模様などにも鋭角的なものがあしらわれて、いかにも子供に受けそうな意匠である。
寅丸はナズーリンの視線に感づくと、無言で頷き、親指を立ててみせた。
見てて下さい、私の、変身! 言葉が届く距離なら、きっとそう言っただろう。
「待てぇい!」
「な、何ィイイ!?」
太陽を背に、とは行かなかったが、寅丸は両の手指をこめかみの辺りで開き、腰を一杯に傾ける、謎のポーズをかっちりと極めて立っていた。
マミゾウとぬえ、そしてその場にいる全員が、いや、ある一名を除いて、寅丸を見る。
「この世に蔓延る悪を! 人に仇為す存在を! 例え仏が赦そうと!」
「ゲーッ! 貴様はまさか…!」
「この毘沙門天、赦すわけにはいかん! その暴虐の対価、貴様らの身を以って払ってもらう! とうッ!」
口上を終え、寅丸が本堂の上から勢いよく跳び上がる。
空中でくるくると回転、錐揉みする様に、子供たちがわっ、と歓声を上げた。
「台本に無い動きだがいいぞご主人、ぎゅんぎゅん来てるぞ!」
回転しつつ「はぁああああ!」などと謎の掛け声を上げる寅丸が、着地の体勢に入る。
だが地上数メートル、というところで、手に持った羂索が、彼女の足首に絡まった。
羂索のもう一方は手首に巻かれており、それなりの長さはあるのだが、長身の寅丸の動きを妨げずにいるには、短い。
ぴん、と張った、捕縛の為の縄により寅丸は体勢を崩し、ほぼ真下にあった臼へと、頭から落下した。
どごん、と、鈍い音が、歓声をもかき消して響いた。
その様に、絶句する周囲の人間。
そしてその瞬間。
ぬえの間合いに、凄まじい速さで踏み込む者がいた。
寅丸が跳んでから、杵の役目を果たすまで、悪の様子をじっと伺っていた、聖白蓮その人である。
本堂が軋むほどの踏み込みから、白蓮は身体を翻して、肩と背中による体当たりを放った。
全く警戒していなかったぬえは、防御をする暇もなく、軽く数十メートルは吹き飛ばされ、人の身体がここまでバウンドするのか、という位に跳ねて、木々の中に消えた。
白蓮は体当たりの瞬間、手を取って救った子供を地面にそっと座らせると、身体をマミゾウの方へと向けた。
そして、予備動作も無く踏み込む。
ぬえがやられた時点で、マミゾウは逃げると決めたらしい。足先を狙った踏みつけの一撃を跳び退いて避け、抱えていた子供を白蓮にやんわりと放り投げたのち、地面をつま先で蹴りつける。
白い煙が一瞬で広範囲に広がり、マミゾウはその中を遁走した。無論、ぬえを回収して、である。
境内は水を打ったように静まり返っていた。
煙が晴れて、残ったものは、臼に顔を突っ込んで痙攣している寅丸と、茫然自失状態のナズーリン、白蓮の活躍を見て大興奮する子供たち。そしてぬえに捕まっていた子供を抱き、にこやかに微笑む白蓮だけであった。
臼が血まみれになった上、亀裂が入って使えなくなったため、餅つきは後日改めて開催されることとなった。
子供たちは白蓮の活躍を飽きることなく語り合い、そして帰っていった。
「今回の最大の敗因は何だ…聖を侮っていた我々と、余計な事をして不動明王どころか杵になり下がったご主人…どっちかな」
無縁塚のすぐ傍、ナズーリンの住む掘っ立て小屋。
外見はみすぼらしいが、内装には凝っており、存外に暖かい。
火鉢を囲み、酒を飲む四人。
「まぁ八割方、そこのヴィシャモンテン殿であろうよ。のう、ぬえ?」
マミゾウは全員に酒を注いで回りつつ、ぬえに話を振った。
頭に包帯を巻き、一人だけ正座をする寅丸が、泣きそうな顔でぬえの言葉を待つ。無論マミゾウとて、責め立てる気はないようではあるが、それでも寅丸には針の筵状態だろう。
「まあ、うん…だよね。でもさ、私は結構、楽しかったな」
昼にあれだけの打撃を貰ったにも関わらず、ぬえは特にどうということも無いようで、酒を一口嘗めると、そう言って笑った。
昨日の昼、三人が尋ねた時に見せた、距離感…他者との壁のような雰囲気は少なくとも感じられない。
ナズーリンは何か閃いたのか、少し逡巡してから、口を開いた。
「そう、だな。結果はともかくとして、楽しくはあった。それは私の偽りの無い本心だよ」
「皆で何かをする、ということには、摩擦も軋轢も生じようが、時としてそんなものすら軽く凌駕する、連帯感とかそういうものも生むのじゃな」
命蓮寺において、どうにも浮いていたぬえが、マミゾウ以外の者に対して、その心情を吐露するのは初めてであった。ナズーリンはそれに至ったぬえの思いを、小賢しくも感じ取り、山車にした。今回の失敗をうやむやにしてしまう算段なのだろう。
マミゾウもそれには気づいて、『喰えぬ鼠よ』といった思いを抱いたようであったが、そこは化け狸をまとめていたこともあるマミゾウである。大人の対応でナズーリンをフォローしてみせた。
「威厳が欲しいなどという、私のつまらない自尊心から起きたことです。皆に協力してもらったのに、あんな事態になって、何を言われても仕方ないと思ってきたのですが…私も、皆でこういう事をするのが、こんなに楽しいとは思っていませんでした」
寅丸はナズーリン、マミゾウ、ぬえを見回しながら、ゆっくりと語る。
どこか打算的な鼠や狸のように、うやむやにしてしまおうという考えはまるで無いようだが、ぬえに対するフォローはする腹積もりのようだ。
「今まであまり話せなかったぬえとも、こうやって話せるようになって良かったと思うし…」
「私も、マミゾウ以外とこんなに話したのは久しぶりだよ」
「そうじゃな。それについてはわしも、何というか、うむ。まぁいいか。何かを試みるに、失敗はつきものじゃ。これに懲りず、次は更なる上策を以って望めばよい」
「例えばどんな作戦で?」
「そうさのう、宝塔レーザーで白蓮を蒸発させるとか。名づけて星一号作戦」
「それって普通に殺人事件じゃないですか!」
「あはははははは」
四人の笑い声が、冬の夜空に吸い込まれていく。
なお余談ではあるが、この事件のあと、寅丸はしばらく『杵の人』という不名誉なあだ名をつけられ、それまで以上に親しまれるようにはなったが、威厳というものは相変わらず低迷している。
そして白蓮には、体術の教えをも請う子供たちが増えたという。
小細工を弄せず、直球勝負に出たとしても、うまくいくかは判らない…寅丸は今回のことで、それを強く認識したようだ。
しかし寅丸星という存在が、皆から好かれ、愛されているのも、また、事実である。
了
そして、予想通りの南無三!っぷりに安心してしまった。聖は頼りになるね!
そういえば、ぬえは口授でボッチ設定がついたんだったねー。ハッピーエンドで楽しかった。
もう少しデパート屋上ショーみたいな4人の活躍を見たかった気もするけど。
このあと寺に戻った4人は聖様に張り付いたような笑顔でお叱り受けたりはしなかったのかな……
しかし星くんは愛されてるな、(オチが)丸く収まっててよかった
ちょっと展開が行き当たりばったりな気がするので、数行でもいいからプロット書いてみた方がいいかも。
特にぬえの扱いに関しては序盤に伏線が欲しかった。
>>「ヴィシャモンテンのVだ」
>>「わあ、かっこいい! さすがナズーリンです!」