前半のあらすじ
地霊異変の後処理のため、妖怪の山へと向かったさとり。
その帰り道彼女は、厄神の鍵山雛と出会い、好感を抱く。
折しも、繋がってしまった地底と地上を巡り、
幻想郷の有力者による会談が開かれることとなったが、さとりは迷う。
地上との邂逅は地底の夢でもあるが、衝突の再燃ともなりえるからだ。
彼女はそんな迷いから、地上のことを知ろうと出かけるが、
そこで鍵山雛と再会。彼女に妖怪の山を案内される。
美しい景観や、豊かな自然。
何より人々の幸せを純朴に願う雛の人格に惹かれ、さとりの心は傾いていくが……
続編ものですが、以上のあらすじで読めると思われます。
もし時間が許すようでしたら、前半も読んでくださると凄くうれしいです。
さと雛はやくそくされた悟り 前章
その日は、思ったよりも早くやって来た。
コンコン
「誰ですか?」
ドアを開けて入ってきたのは、漆黒の色をした大きな片翼。
そして、体を横にして狭そうに入室するのは、ペットのお空だ。
両開きのドアなのだから、横着をせずに開ければいいものを。
「さとりさま。お客様をお連れしましたー!」
「はい空、ありがとう。それに元気ね」
やや語尾に皮肉の色が混じってしまうのは、最近の激務故だろうか。
私はそれを悟られないよう、にこやかな表情を作ると、来訪者を迎えるために席を立った。
「ようさとり、あんたにお客さんだよ」
閉じられた片方のドアがあけられ、今度は勇儀が入室してくる。
傍らには水橋パルスィ、そして・・・
「雛、雛ではないですか! よく来てくれました!」
一瞬、心に重く圧し掛かっていた全てを忘れ、嬉しい驚きのまま声を大きくする。
雛は慣れない土地を通り抜けてきたからか、少し疲れたような笑顔を浮かべて、私に会釈を返す。
「地霊殿の主、地底の管理者:古明寺さとり様に謁見したく、参上いたしました・・・えへ」
そして笑う。
私は書斎のデスクを離れ、彼女の手をとろうと足早に近づいて・・・
「ああもうさとりったら、私が厄神なの忘れたの? 握手は無理よ」
「あ、それもそうでしたね。とにかく、よく来てくれました」
「いやねえ、何でも橋のところで困っているのを、パルスィが見かけたらしくてね」
勇儀が後ろ手に頭をかきながら事情を説明する。
「で、パルスィが彼女を案内しているところを旧都で見かけてね、ここまで連れてきたってわけさ」
「それはどうも、本来なら私が案内するべきところを、ありがとうございます」
と、お礼を言っているうちに、少し腑に落ちない点があることに気付く。
「ん・・・・・・パルスィ、あなたは地霊殿の所在地を知っていますよね?」
「もちろんよ」
「では、どうして勇儀に案内を?」
「案内なんか頼んでいないわ。勝手について来たのよ」
「おいおいお前さん、そりゃないよ」
勇儀は困ったなぁ・・・・・・という表情で、なおも後頭部をかいている。
なるほど・・・・・・
「勇儀、自警団長としての責務はどうしたのですか?」
「あはは~・・・」
「なるほど、勤務の日に降って沸いたパルスィと一緒に過ごす好機ですか。それも、ならばと橋の管理に戻ろうとするパルスィを無理やり引き止めて」
「あは・・・」
「ほら、やっぱりこうなったじゃない」
「勇儀・・・!」
「それじゃあさとり、私は地底の警備に戻るとするよ!」
そう言って勇儀は、慌てた様子で部屋から飛び出してゆく。
なぜかお空もその後を追い、背の大きな羽を壁に思い切りぶつけながら退室していく。
いつもお客様を送らせているから、条件反射となってしまっているのだろうか。
・・・・・・まったく。
「私も橋の管理に戻るわ」
「ええパルスィ。あなたには、心からお礼を申し上げます」
「別にいいわよ。それにしても、地上から友人が訪ねてくるなんて、妬ましいわね」
入室当初からの不機嫌そうな顔を変えないまま、今度は雛に向き直り。
「雛、帰りは大丈夫よね」
「ええ、何かあったら、さとりさんにお願いしますので」
そういうとパルスィは、普段はなかなか見せない笑顔を極微量に浮かべ、先の2人と違い、ゆったりと部屋を出て行った。
きちんとドアを閉めるという品の良さ・・・・・・と、考えてみれば当たり前のことですね。
「改めまして雛、ようこそ地霊殿へ」
「ええ、いきなり来てもよかったのかしら」
「構いません。・・・・・・正直暇ではないのですが、いつもそうでないとすれば、いつでも来訪者を迎えることが出来るということです」
「うふふ、大変そうね」
「はい、最近は特に・・・・・・?」
それまで気付かなかったのが不思議ながら、私は雛の心の声が響かないことに気がついた。
どうしてだろうか。
心の声くらいの表層意識は、第三の目を凝らさなくても見えるはずなのに・・・・・・!
そして、私は気が付いた。
地上で光溢れんばかりの清らなかだった雛の意識が、今は重く暗い色で塗りつぶされ、心が半ば閉ざされていることに。
何かあったのだろう。
今ここで彼女の意識を除きみてもいい。
いやけれど、込み入った話をするとすれば、それなりの準備が必要だろう。
私は先ほどまでの調子を一切変えないまま、次の句を繋げた。
「ここではなんですから、客間に行きましょう。お茶を入れてきますから、少し待っていてください」
客間は大きな暖炉の目立つ、暖色で統一された落ち着いた部屋だ。
中央にはガラス張りのテーブルがあり、それを長椅子と2つの座椅子が挟む配置となっている。
その昔、地霊殿が建造された際、異国風な趣に戸惑ったものだ。
今は西洋風・アンティークと、本で得た知識があるが、当時は全く見知らぬ様式だったのだ。
それもこれも、妖怪の賢者の、なんとなくという理由でしかないのだが。
しかし、幻想郷においては異色とも言える部屋の雰囲気に、雛の姿は奇妙なほど調和していた。
その少し影のさした表情とあいまって、退廃的で貴族趣味の空間が、眼前に展開されている。
私は黙ってトレイをテーブルの上に置くと、暖炉のところに行き、薪を3本くべた。
振り返ると、暗い火の明かりが不定期のリズムで、雛の横顔を照らしているのが見える。
「私が作ったものですから、お口に合うか分かりませんが・・・」
「確か、お菓子作りが趣味みたいなものだって言ってたわね。きっと美味しいわよ。自信はあるんでしょ?」
「ええ、まあ。この地霊殿で出来る道楽といえば、読書とお茶ぐらいですから」
私は、少し自嘲的な笑みを浮かべながら、ポットから紅茶を注ぐ。
そしてトレイをテーブルの脇に片付け、まずは一口、カップを口にする。
「雛、何かあったのでしょう? 言わなくても分かりますよ」
「・・・・・・・・・・・・分かる?」
「ええ、沈んでいるようですから」
心を読むまでもなく。
私はゆっくりと紅茶を味わいながら、雛が口を開くのを待つ。
なんとなく、雛が話す決心をつけるまで、あえて心を覗き込みたくはなかった。
――けれど、さとりちゃんにこんなこと話して、迷惑じゃないかな――
雛の逡巡が聞こえる。
やっと、心を開き始めているということか。
ここは
「雛、確かに私達は会って間もないかもしれません。ですが、何となく惹かれあうものがあって、こうして縁も利害関係も無く会っているのだと思うのです。だから、遠慮しなくていいのですよ」
「・・・・・・うん、ありがとう」
その言葉を雛が発すると同時に、私に伝えようとする指向性を持った心象が、どっと私の心の中に流れ込んでくる。
その衝撃に目眩を覚えながら、少しずつ情報を整理。
同時に雛の言葉に耳を傾ける。
「あのね、さとり。例え悪意がなくとも、ううん、好意を抱いていていたとしても、嫌忌されることはあるのよね」
「・・・・・・ええ、そうですね」
「ある人間の村がね、妖怪に襲われたの」
「人間の村が? 幻想郷が始まって以来、里を襲うことは妖怪の間で禁忌として定着しているはずです」
「そのはずなんだけど・・・」
幻想郷において妖怪と人間は、互いの領域を犯さない限り、攻撃的な干渉を行ってはならない。
それはこの狭い幻想郷において、妖怪と人間が共存するための最低限のルールだ。
人を喰らうことをやめない低級妖怪も、自らの領域以外でそれをすることはない。
妖怪・人間両者から迫害され、惨めな末路を辿ることを知っているからだ。
もっとも、人間の存在しない地底においては、数百年取り沙汰のない取り決めであったが。
「とにかく、あってはならないことだから、その場にいた実力者が迎撃に当たったの。幸いにも死者は出なかったわ。けれど、それは襲撃者の気紛れだと思う。重傷者も少なくなかったし、破壊された家屋・田畑も多かったから・・・・・・」
「そう・・・ですか」
雛は紅茶に手を伸ばすこともなく、うつむいたまま話し続ける。
重苦しい空気が部屋に立ち込め、私はそれこそ曖昧な返事を述べることしか出来ない。
これから語られる悲劇を、雛の心象として既に知る自分には、かける言葉などありはしないから・・・・・・
「襲撃者達が去って、私は呆然と立ちつくす村人達の間にいたわ。その時・・・・・・」
ザ・・・・・・と、一瞬空間が歪んで見えたのは、錯覚だろうか。
彼女のトラウマと、私のトラウマを操る能力。
もしかすると、能力の干渉が空間に及んでいるのかもしれない。
「『この、厄病神め!』・・・・・・って」
彼女の言葉以上に、彼女が受けた仕打ちが映像に近い形で再現される。
恐怖に支配された人間が見せる、醜態といってしまえばそれまでだ。
村人達に心の底から同情していた雛。
彼女は、せめて厄だけは引き受けようと、そこに留まっていた。
しかし結果として渡されたのは、物言わぬ石つぶてと、矢のように突き刺さる罵声の雨だ。
目に涙を溜めながら、何度も何度も村のほうを振り返る雛。
その度に目に入る、怒りと絶望で目をうつろにした群集の顔。
彼女が感じたやり場のない思い、それまでもが流れ込んでくる。
ぽつりぽつりと語り続ける雛の声が、その映像に悲しい色を添える。
私はもはやろくに相槌を打つことさえ忘れ、ただ黙って彼女の話を聞いていた。
出来事を話し終えて、しばらくの沈黙の後、雛が再び言葉を紡ぐ。
「ねえ、さとり」
「・・・・・・なんですか?」
「理解されず、忌避される私は、もう何者とも関わらない方がいいのかしらね?」
「それは・・・・・・」
「こういうことって、他にもないわけじゃないのよ。不気味がられたり、避けられたり・・・。どんなに周りのことを大切に思っても、愛していても、私は、私は・・・・・・」
「・・・・・・」
「・・・誰かのぬくもりに、ふれることすら出来ない」
雛の声にならない慟哭。
大好きな詩人の作品に、似たような文言があったかしら。
かといって、どうすることも出来ない。
雛の悲しみ。
避けがたい苦しみ。
それは・・・・・・
・・・・・・私の運命と同じだ。
「ふう・・・ごめんなさい」
慰めの言葉を返すことも出来ず、黙ってしまった私をそうは待たず、雛は自ら会話を区切った。
顔を上げ、こちらへと向き直る雛。
そこには弱々しい微笑み。
「こんなことを話しても、仕方がないわ」
「いえ・・・・・・」
「そう、考えても仕方がないことだわ・・・」
「雛、あなたは心優しい人です。誰に何を言われようと、それは確かなことですよ」
「ふふ・・・ありがとう」
「私が知っているだけでも、椛のような子もいます。私だってそうです。雛の厄を引き受けようという思い、尊敬しているのですよ」
「ありがとう」
彼女はそういって、視線を上のほうへと逸らした。
両者ともに、無言となってしまい、薪がはぜる音だけが響く。
そして雛は、虚空を見つめたまま言った。
「さとり、何だかあなたは、人の心を読んでいるようね」
胃が中心に向かって、吸い込まれていくような気がした。
まさか、雛は私の能力を知っている?
・・・・・・いや、そんなことはない。
彼女の心を覗いても確かなことだ。
知られてはならない。
そう、この能力だけは。
刹那、ピシッと音を立てて、過去のトラウマが私の中によみがえる。
その痛みに歯噛みしながら、私は振り払うように雛のことを考える。
そうだ、隠したままでいいのか?
欺いていたわけじゃない。
けれど、この返答次第で、私はうそつきになってしまう。
雛は、こんな私を受け入れてくれる?
この胸のうちをさらしても、構わない?
・・・・・・こんなにも心優しい、雛でさえ拒絶されるのに?
「・・・・・・心を読めれば、もっと人の気持ちにも繊細になれるのでしょうけどね」
「ええ、本当にね・・・」
「どうして心が読めると?」
「ううん、何かこう、私に対する接し方から・・・・・・そう思っただけよ」
そう言うと雛は、カップへと手を伸ばして、初めて紅茶に口をつけた。
「まるで私の内を見透かしているように、そのとき一番望んでいる言葉をかけてくれる。あなたは出来た人だわ。・・・・・・ええ、そうね、もっと楽しい話をしましょう」
送ろうという私の提案を断り、雛は帰って行った。
少し考え事がしたいという、彼女の心の声を尊重して、私もあまり引き止めなかった。
そして今は、書斎に戻り、再び仕事に取り掛かっている。
やらなくてはならないことは、文字通り山積みだ。
そうだというのに・・・・・・気分が晴れない。
雛に対して、もっと何か出来たのではないか。
別に、対応に問題があったとは思わない。
私はきちんと言葉を選んだし、雛だって励まされた。
これでいいはずだ。
でも・・・・・・
「くっ・・・・・・」
胸の痛みに、思わず声が漏れる。
しかし、これは身体的な痛みではない。
トラウマを抉る妖怪である私が、自らのトラウマを想起させられ、おののいているのだ。
苦い笑いを禁じえない。
あれはもう、100で数えるには少し桁が足りない、遠い過去のことだ。
思えば、私が今の妖力を得るに至ったのは、あの出来事がきっかけだったように思う。
あの頃の私は無邪気で、野山に生き、“さとり”の能力に戸惑うこともなかった。
動物を食することは早々に嫌になったが、周囲の思いをくみとることにより、満ち足りた日々を過ごしていた。
・
・・・・・そこに、人間がやって来たのだ。
私は、他の動物に対するのと同じように、その初めて見る生き物に接した。
つまり、相手の思いを読み、それをそのままに伝えることによって、意思を交わすことが可能であることを示す。
いつもと同じように、心地よい朝の挨拶を交わすような、そんなつもりでそうしたのだ。
しかし、返ってきたのは、鋭い鎌の一撃だった。
そして、流れ込んでくる敵意、不安、憎しみ。
「この不気味なやつめ!」
その言葉が、深く抉られた左腕以上に痛かった。
なぜこんな目に合わなければならないのか、分からなかった。
けれど、山に人間が出入りするようになるとともに、だんだんと理解していった。
そして同時に私は、思い・心・意識を理解して、確実に妖力を高めた。
妖力が高まれば、周囲の妖怪との衝突は避けられない。
ますます進出する人間との接触もあり、気付いたとき私は、“誰からも畏れられる妖怪”の2つ名まで手にしていた・・・・・・。
もう誰と関わることも嫌になり、私は奥地から奥地へと渡り歩くようになった。
心を閉ざしてしまった妹の手を引き、当てもなくさ迷う数百年。
そして気付いたとき、幻想郷へたどり着いていたのだ。
こんなことを思い出すなんて。
あまりいい状態とは言えませんね・・・。
今の自分は、あの頃の自分とは違う。
もっと力をつけて、動じない心を手にした。
こうして仕事とともに、安息の場所を手にした。
だから、きっと大丈夫。
大丈夫・・・。
私は、ふと全身に虚脱感を感じ、机に両肘をついて顔を覆う。
ああ、処理しなければいけない案件はいくらでもあるのに、どうしてだろう、何もしたくない。
どうして、どうしてこんな・・・。
「あっ・・・・・・」
薄い紙片が風になびく音と、それが地をすべる乾いた音。
机に山と積んだ書類、そこにひじが当たり、崩してしまったようだ。
「はあ・・・・・・」
私は溜息をつくと、机の下に落ちてしまった数枚を拾い上げようと手を伸ばす。
そのとき、書類のうちの1枚に目が行った。
そこに書かれてあるのは、地底と地上が繋がったことにより生じた問題の報告書。
しかしその記載が・・・・・・
地底の妖怪が、地上の人間の里を襲った?
私はそれを両手に握り、食い入るように一気に読み漁る。
地上では見られない妖怪が人間の里を襲撃。
もと地底の妖怪である伊吹萃香に確認を取ったところ、その者たちが地底の妖怪であることが判明。
萃香から勇儀へと通達があり、里を襲った者達は既に拘束されているとのこと。
動機としては、久方ぶりの地上が珍しく、出来心で荒っぽくなってしまった・・・・・・。
なんだ、そんなことだったのか。
脱力し、背もたれに思い切り寄りかかる。
雛が味わわなければならなかった悲しみ。
その原因が地底にあったなんて。
そうか、そうなのか・・・。
もういいだろう。
いろいろと考えた。
けれど、結論は明らかだ。
そもそもあの方がそういうのだから、私の判断など、はなから決まっている。
こんなことは、もう・・・・・・
「お姉ちゃん・・・・・・!」
「・・・・・・こいし」
声を掛けられ、机の前へと視線を戻すと、そこにこいしが立っていた。
相変わらず、気配を全く感じられなかった。
扉を開けたことにすら気付けないというのは、少々おかしな気もするけれど。
私はそんなことを考えながら、ぼんやりとこいしを見ている。
一方でこいしは、強い眼差しで私の目を睨んできた。
・・・・・・ああ、なんとなく、彼女が何をしに来たのか察する。
「なんですか? 私は忙しいのですが」
「ねえ、さっきの雛さんとのやり取り、ちょっとないんじゃない?」
ああ、やっぱり・・・・・・
苛立ちが腹の底から頭まで一気に行き渡る。
たぶんきっと、眉間にはしわが寄っているだろう。
「また盗み見ですか。褒められたことではありませんね」
「な・・・・・・・・・うん、確かにそうだよね。それは謝る。お姉ちゃんの友達って聞いて、
好奇心がとめられなくて、ずっと部屋にいた」
友達が珍しい、か・・・。
心を閉ざすあなたに、それを言われるのも変な道理ですね。
「けどね、お姉ちゃん、やっぱり言わせてもらうよ。だって変えてほしいもん。お姉ちゃんだから」
「・・・・・・ええ、聞きましょう」
本当はもう、うるさいとしか感じられない。
けれど、どうせ食い下がるだろうと思い、私は話を聞く態度を示す。
「あのさ、雛さん、本当に大変だったと思う。雛さんの気持ち、私も少し分かる。
嫌われたり不気味がられたり。私は心を閉ざして逃げたけど、かつて知っていたもん」
「ええ」
「そしてお姉ちゃんは、もっとその気持ちが分かるよね。お姉ちゃんは、どれほどつらい目にあっても、能力から逃げなかった。だから、分かるはずでしょう? 嫌忌されることの悲しみは、本当につらいものだって」
そうだ。
だから私は、雛の話に深く共感し、さらに自身のトラウマまで呼び起こされている。
分からないなんてことは、ない。
「ええ、分かっていますよ。・・・・・・だから、ちゃんと雛に対して、言葉を選んで励ましました」
「う~ん・・・・・・何か、違うんだよ。何かさ。お姉ちゃん、そんな、・・・・・・浅い言葉じゃだめなんだよ」
「なぜです? 彼女の心を読み、彼女が望む言葉を返す。彼女のことを思って、誠心誠意やったことです」
「だから、それが違うんだって! お姉ちゃん、本当に伝えなきゃいけないことは、気持ちで伝えなきゃ駄目なんだよ。言葉で何を言っているとか、その人のために何をしているとか、そんなんじゃなくて、お姉ちゃんの気持ちの問題なんだよ!」
気持ち・・・・・・か。
分からない。
私は意識を読む“さとり”。
相手の気持ちを知り、それに言葉を返す。
何も、間違ってはいない。
何がこいしは不満だというのだろう?
「お姉ちゃんは、心を読む能力に頼りすぎてる。心を読んで、何かをするんじゃなくて、雛さんに対して、お姉ちゃんがどうしたいのか、雛さんのためじゃなくて、お姉ちゃんとしてどうしたいのか・・・・・・」
「分かりません・・・・・・私は、本当に雛のことを思って、私の気持ちとして、彼女に接しているのですよ」
進まない議論が2人の間にあり、しばし言葉の応酬が中断される。
私はややうつむき加減に机に身を乗り出し、やや離れて立つこいしと睨み合っていた。
「・・・・・・ううん、分かった。このことは、お姉ちゃんに伝わらないみたい。だから、今はいいや。じゃあお姉ちゃん、どうして雛さんに、能力のこと、嘘をついたの?」
「それは・・・・・・」
決まっている。
この能力だけは知られてはならないのだ。
それはこいしだって知っているはず。
誰からも畏れられるこの能力によってもたらされた、幾多の悲しい出来事を。
「当たり前のことです。この能力だけは、隠さなくてはいけません」
「嫌われてしまうから?」
「そうです」
「なんで? 雛さんが、そのことでお姉ちゃんを拒絶する?」
「・・・・・・そう、かもしれませんよ」
そればかりは、分からないのだ。
誰でも自分の意識、記憶を含めた全存在を見透かされることは、嫌なものだろう。
それは能力を強く発動しなければならないとして、心の表層に現れる思いのつぶさに関しては、何をせずとも聞き取ってしまう。
あんな心優しい雛だって・・・・・・
「ねえお姉ちゃん、それって、お姉ちゃんは雛さんのこと信頼していないってことだよね。それって、雛さんに対してすっごく失礼じゃない?」
「それとこれとは。・・・・・・別に、能力のことを隠していたって、2人の関係に問題が生じるわけではないのでは?」
「でもやっぱり、信頼してないんだね。雛さんがかわいそうだよ・・・」
ん・・・・・・少し苛立つ。
確かに、それはそうかもしれない。
私は雛に拒絶されることが怖い。
だから、能力のことを隠してしまった。
しかし、それはあくまで私の問題であって、雛に申し訳なく思うことではないはずだ。
「・・・・・・なぜ雛に対して、悪いと思わなければならないのですか? 意識を読み取る私は、誰よりも相手に信頼を“示す”ことが出来ます。ならば、雛に対して申し訳なく思う必要はないはずです」
「うん、そのことに関してはとりあえずいいよ。確かにお姉ちゃんは、そういうの得意かもしれない。・・・・・・けれどやっぱり、お姉ちゃんが雛さんのことを信頼しないことは、良くないよ」
「それはどうして?」
こいしの言いたいことが掴めない。
どうしてだろう。
私は、少なくとも雛が望む限りの、いい友人として振舞った。
本当に雛のためを思ってのことだ。
雛にとって見れば、それでいいのではないか。
私が雛に対してどう思ってようと、それは私の問題で、雛には関係のないことだ。
「だって、友達なんでしょ!? 自分がされているのと同じくらい、相手に対してよい友人でありたいじゃん! そうでないとしたら、ショックだよ・・・・・・。だったら、お姉ちゃんは雛さんのことを信頼して、理解されるようにするべきだよ!」
「それは、私がどう思うかであって、相手のためにどうとかという話では・・・」
「だから、友達なんじゃん。相手のことも考えて、気を遣ったりすることも、相手が大切ならするべきだよ!」
訳が分からない。
どうしてだろう。
私は雛のことが大切で、雛のことを思っているのに・・・・・・
そうじゃないと弾劾されることは、正直気分が良くなかった。
「・・・ごめん、話がそれちゃった。んとね、結局のところ、私が言いたいことはね、もっと雛さんに自分をぶつけたら、ってこと。雛さんにとっても、お姉ちゃんにとっても、それがいいよ。・・・・・・さっきのじゃ足りないって、お姉ちゃんだって、分かってるんでしょ?」
「それは、・・・・・・そうですね」
「じゃあ、次に会った時は――」
「いえ、もう私と雛が会うことはないでしょう」
「!!・・・ちょっと、それってどういうこと?!」
とたんに、こいしが語気を荒げる。
そんなこいしに対し、私は既に決まったこととして、淡々と告げる。
若干、冷徹な心情になっていたことは否定できない。
「なぜなら、地底と地上をつなぐ道は再び閉ざされ、2つの世界は切り離されるからです」
「!!!」
時をとめられたかのように、表情を固め、言葉を失うこいし。
私はそんなこいしの様子を、冷ややかな思いで見つめていた。
妖怪の山での会談には、そうそうたる面子が参加した。
まず、主催者である八坂と洩矢の2柱の神。
そして幻想郷を影で取り仕切る、妖怪の賢者:八雲紫。
その傍らには、博麗大結界を司る、紅白の巫女の姿が。
また、こと地底が怨霊を幽閉する場であることから、此岸の霊を監督する白玉楼の主:西行寺幽々子。
彼岸の霊を裁く幻想郷の閻魔:四季映姫・ヤマザナドゥの姿もあった。
会談はヤマザナドゥが進行をとったこともあり、厳かに進んだ。
事の発端ともいえる、2柱の神はもちろん現状維持を主張。
一方、霊に関わるものとしての危惧か、西行寺・ヤマザナドゥは賛成しかねる様子。
主にこの4人を中心として議論が進む中、平行線となったところで、博麗の巫女が口を開く。
「いいんじゃない。ずっと分かれたままってのも、寝覚めが悪いでしょ」
そういって、ずずっと湯飲みの茶をすする霊夢。
しかし、冷めた物言いの中に、正統派の意見が込められている。
それまで途切れることなく続いていた議論も、水を打ったように中断される。
「私は反対だわ。だって、地底の妖怪と地上の妖怪、いまさら蒸し返す必要のないことが山ほどよ」
やや周囲を下に見るような薄い笑みと、ただ告げるというような口調。
ここに来て八雲紫が、明確な反対を示す。
そうだ、怨霊の問題は本題と比べれば些事に過ぎない。
考えるべきは、地底とはそもそも、地上を追われた妖怪たちが封じられた場であることだ。
打って変わって、議論の主題はそれに関するものとなる。
しかし是非の立場は変わらず、会談は3対3のまま納まる様子も見せない。
そこで、私に判断が委ねられることとなったのだ。
管理者として、少なくとも地底の情報を誰よりも集約できること。
やや客観的で利害の絡まない立場。
何よりも、地底の行く末を、地底の者に委ねるということだ。
試験期間は一ヶ月。
その間の状況を総合的に判断して決定する。
けれど、会談から2週間と少し、結論は既に出ている。
「地底の妖怪と地上の妖怪、相容れないことはもはやあきらかです。これ以上の衝突を避けるため、地底と地上とは、もう一度隔絶する必要があるのです」
「そんな・・・・・・」
こいしにとってはつらいことだろう。
せっかく、閉じた心を揺り動かされるような出会いがあったというのに・・・。
けれど、こいしのためでもある。
このままこいしが心を開き、“さとり”の力を覚醒すれば、また同じことの繰り返しとなってしまう。
「残念な気持ちは分かります。けれど、この地底にだってそんな出会いはあるはずです。
お空やお燐もいますし、私だっています。だから、気を落とさないで・・・・・・」
そこまで言った時、それまでうなだれていたこいしが、はっと気を取り戻す。
「あ、うん、確かにすごい残念・・・・・・うん、そういえばそうかぁ・・・ショックだなぁ」
まるで、忘れていたかのような顔をするこいし。
「でもね、お姉ちゃん、それ以上にね、いいの?」
「いいの? とは??」
「だから、せっかくの機会なんだよ、地上に戻れる」
驚いた。
地底と地上が再び切り離されると聞き、こいしがまず考えたのは地底全体のことだった。
ここまでのものかと、改めて認識させられる。
あの自分1人でさえ無関心となってしまったこいしが、周囲のことを考えるなんて。
「あのね、お姉ちゃんがやってる難しいことは、私よく分かんないよ。
でもね、私達は無理やり地底に行かされたんだよね」
「ええ、まあ・・・」
事実だが、そればかりではない。
私達は迫害され、地底に追いやられた。
しかしそこには、相互了承に近いものがあったのだ。
地獄であった地底に、かつて栄華を誇った都を移築する。
そして、終わらない宴を続けるに足る豊かさを保障する。
そこで初めて、忌避された妖怪たちは地底に移り住んだのだ。
事実、鬼に至っては、自ら地下に降りている。
しかし、地底の妖怪たちにとって、やはり地上は憧れの地であることは間違いない。
青空、色彩豊かな食物、四季折々の景色。
今さら地底を離れようとは思わなくとも、行けるものなら行きたいはずだ。
だからこその左近の状況でもあるわけだが・・・。
「だから、地上に行けるとしたら、みんな喜ぶよ」
「しかし、私達は嫌忌された妖怪です。安息はありえません。それに、繰り返す必要もない争いを再燃させることになります」
「それも含めて、だよ。憎しみあったままとか、争いあったままとか、そんなの悲しいよ」
「それはそうですが、対立を解消できないから、私達は地底に封じられたのですよ」
「封じられてもう何百年も経つよ。今なら新しい気持ちで仲良くなれるかも」
「しかし、すでに衝突は起こっています」
「それだってきちんと話し合えば――――」
「だから、無理だと言っているでしょう!!」
そう言って、私は机を思い切り叩き、返す腕で書類の山を横薙ぎにはらった。
バサバサと激しい音を立て、報告書がそこら中を舞う。
その全てが、この数日のうちに起きた地底と地上を巡る摩擦の証だ。
地底と地上が繋がった直後は、まだ誰も問題を起こさなかった。
だが、日を経るにつれ、加速度的に衝突は増えていった。
「もう、これほどまでの問題が起こっているのです」
「・・・・・・・・・」
「無理なのです。分かり合うことなど。無理なのですよ・・・。手を取り合うことなど」
激高した私に驚いたのか、こいしはうつむき、心なしか震えているように見える。
・・・・・・冷静になってみれば、悪いのは私だ。
少なくとも、こいしが怒鳴られなくてはならない理由はない。
迂闊だった。
色々なことが重なって、どうしようもなくなっていた感情のわだかまりを、妹にぶつけるなんて。
なんてことをしてしまったのか。
私は謝罪の言葉をかけようと、席を立つ。
とりあえず、謝らなくては。
こいし・・・・・・
「・・・・・・や・・・だよ・・・」
「え?」
「いや・・・だよ、そんなの。う、うわ・・・ん、ひっく」
「ご、ごめんなさい、こいし!」
しまった。
こいしは泣き声こそ堪えているが、その瞳は涙で満たされており、せきが切れるのは時間の問題だろう。
これは八つ当たりだ。
ああもう、どうしてこう何もかも・・・・・・
私は慌ててこいしの方へと歩み寄り、なだめようと手を伸ばす。
こいしは顔を上げ、そんな私の方をじっと見ながら
「ひど、いよ・・・お姉ちゃん。そんな、そんな酷いこと言うなんて」
「本当にごめんなさい、こいし。おとなげなかったようです」
「ううん、違、うの。そうじゃなくて、ね。だれとも、分かり合えないって」
「うん・・・」
わっと泣き出すことはせず、口調は落ち着いてきた。
しかしその目からは、次々と滴が溢れ、ほおを伝っていく。
「あのね、お姉ちゃん。私、さ、地上で友達が出来たでしょう」
「ええ・・・」
「でもね、でもね、どこか一人ぼっちなの」
こいしの表情が曇る。
私はその様子を、ただ黙って見つめることしか出来ない。
閉ざされたこいしの心からは、何も読み取ることは出来ず、どんな言葉をかければいいのか、分からないからだ。
「わたし、どれほど相手のことが好きで、もっと知りたいって思っても、どうしてもそうできない」
それもそうだろう。
意識を捨て、心を閉ざしてしまったこいしは、それ故に何者へも感心を抱けない。
それを打ち破るほどの出会いがあっても、一度規定された精神性は、こと妖怪にとって、再び変えることは非常に難しい。
特にそれが“さとり”の能力に絡む以上、心だけでは意識は覆せない。
「でもね、それ以上につらいのは、やっぱり、みんな、私のこと・・・・・・会っている間は楽しくても、色んなことに気付いてもらえなかったり、ちょっと会わないと、忘れられかけていたり・・・」
そして何よりも、誰も彼女の心に踏み込もうとはしないだろう。
遮断された意識は、周囲との繋がりを拒み、絆を弱くする。
例え誰かが彼女のことを、目の前にいる間に快く思っても、与える印象の根本的弱さから、記憶へと刻み込まれない。
「嫌なの、こんなままなのは。嫌、だよ・・・・・・」
「・・・・・・」
「分かり、合いたい。もっと、知りたい。知ってほしいの。本当は」
どうしたらいいのだろうという、焦げ付くような感情と、それが事実なのだという、怜悧な感情がない交ぜになっている。
ひどく胸が痛い。
「私、お姉ちゃんのことだって・・・」
はっとする。
「私、お姉ちゃんのこと大好きだよ。でも、とても遠いよ。こんなの、こんなの、こんな私なんて」
「こいし・・・!」
もう、体が先に動いていた。
「お姉、ちゃん・・・・・・?」
「・・・・・・・・・」
私は両の手で、こいしの肩を包み、胸元に抱き寄せていた。
こいしの存在を確かめるように、何度も腕の力を込めなおす。
彼女のお気に入りの帽子が、トスッと音を立てて、床の上に着地した。
「私も、こいしのこと、大好きよ」
「お姉、ちゃん・・・・・・」
あぜんとしていたこいしが、腕を私の背に回し、服をぎゅっと掴む。
私達はしばらくの間、互いに何も言わず、ただ抱きしめあっていた。
「ありがとう、お姉ちゃん」
そう言ってこいしは、私のわきの下から腕を下ろし、腰の辺りに手を回す。
私もそれに合わせて、こいしから少しだけ距離をとる。
けれどまだ、なんとなく離れたくなくて、肩口に手をおいた。
「ごめんなさい、こいし」
「え、どうして?」
「その、いきなり抱きしめたりして。びっくりさせたかもしれません」
私は少し不安だった。
とっさにそうしてしまったが、本当に良かったのか。
齢数100年を重ねても、こいしの精神はあどけない少女だ。
いきなり触れられたりするのは嫌かもしれない。
「・・・・・・ねえ、お姉ちゃん」
「なんですか」
「どうしてお姉ちゃんは、私のこと、抱きしめてくれたの?」
どうしてだろうか。
考えてみれば、分からない。
私の第三の目では、こいしの閉ざされた心を読むことは出来ない。
だから、抱きしめるという行為が、本当にこいしを慰めることになるのか、確証はない。
それだというのに、私は行為に踏み切った。
「その、恥ずかしいことですが、私自身もどうしてなのか、分からないのです。こいしの心は読めませんから、正しい選択なのかも分かりませんし」
「あのさ、お姉ちゃん、そうしたいと思ったから、私のこと、抱きしめてくれたんじゃないのかな?」
「そうしたいから・・・・・・ですか?」
そうなのだろうか。
心の軌跡を振り返る。
あの時は、とにかくこいしの動揺を鎮めたくて、どうにか1人ではないのだと知って欲しくて、けれど何を言えばいいのか分からなくて、それでも・・・・・・そうしたいから。
「そうですね、そうなのかもしれません。だとしたら、ごめんなさい」
「どうして?」
「だって、こいしのために何か伝えたかったのに、結局私のしたいようにしていただけなのですから」
私は申し訳ない気持ちで、少しうなだれてしまう。
ああ、こいしの心さえ覗ければ、こいしのために何かできるのに。
もっと繊細に、もっと的確にこいしに対することが可能なのに・・・!
私の能力の限界が恨めしい。
「もう・・・」
そう言うと同時にこいしは、突然、ほんの少しの勢いで私に飛びつき、顔を胸元にうずめる。
いきなりのことに、私はしどろもどろしてしまう。
こいしの体重が私にかかり、確かな質感をじかに感じる。
「な、なんですか、こいし?」
「私はね、今ね、抱きつきたいから抱きついたんだよ」
「?」
「それはさ、私が、お姉ちゃんのことが大好きだから、そういうことにならないかな?
「・・・・・・そうなのでしょうか?」
「うん、だって、お姉ちゃんのために何かしようっていうんじゃなくて、とにかくそうしたい! って、強く思ってしたことなんだから」
こいしはなおも私を抱きしめ、顔を押し当て、感触を楽しむようにすりついてくる。
額の硬さと、衣服と前髪がこすれる音。
私はなんとなく手持ち無沙汰で、そんなこいしの後ろ髪をすいていた。
「お姉ちゃんも、そういう気持ちで、私のこと、抱きしめてくれたんじゃないかな。だから私は、お姉ちゃんのいつもの、相手のために用意された言葉なんかより、嬉しかったんだよ」
「そう・・・・・・ですか」
そうかもしれない。
私がそうしたかったから、そうした。
けれどこいしは、その方が嬉しいという。
それは、相手の心を、直接感じ取れることだから。
「ねえ、さっきの話も、そういうことなんじゃないかな」
こいしが顔を上げる。
私をそのまま吸い込んでしまいそうな、大きな緑色の瞳が私をとらえる。
「お姉ちゃんは、相手の心を読む。だから、相手の望む回答を選び出してしまう。けれどそれは、逆に心が通い合ってないんじゃないかな」
「・・・・・・・・・」
「お姉ちゃんはさ、すごい優しい。けれど、能力に頼って、自分の心を抑えてしまう。だから、相手はその優しさを直接感じられない」
確かに・・・・・・
私は恐れているのかもしれない。
相手に対し、したいようにして、超然としていることなんて、私には出来ない。
なぜなら、相手がその行為に対して、どう感じたか、分かってしまうからだ。
けれど、
「雛さんも、そんなお姉ちゃんの、本当の気持ちを知ったら、嬉しいんじゃないかな」
「雛・・・・・・」
雛のことを考える。
そうだ。雛が欲しかったのは、客観的な事実でも、冷静な判断でもない。
もっと感情的で、直接触れられるような温かみだったはずだ。
ああ・・・・・・
「それとね、お姉ちゃん」
「なんですか、こいし」
こいしは私を解放し、すっくと背を伸ばすと、真っ直ぐな目で私を見つめてくる。
「地上のこと、もっと考えて欲しいの」
「・・・・・・・・・」
「傷つけあってしまうのは本当。うまくいきそうにないのも本当。けれど、分かり合いたい。争いたくないよ。いきなり諦めちゃ駄目」
「こいし・・・・・・」
「私は選ぶよ。例えまた、深く傷つけられるかもしれなくても、心を開いて、他人と触れ合うのを。触れ合えるかもしれないことを。だからお姉ちゃんも・・・・・・お姉ちゃんは全てを見透かす“さとり”。だからこそ、ぶつかり合う人たちの手を、繋げることが出来るかもしれない。きっと何とかなるよ。だって、お姉ちゃんのことは、どんなことがあったって、・・・・・・私が、守るから」
―――――――――お姉ちゃんのこと、大好きだから―――――
え、今の声は・・・・・・!
「お姉ちゃん。地底と地上、きっと、手を取り合える」
「私は・・・・・・・・・」
薄青に染まった空ははるかに高く、地に運ばれてくる太陽の光は淡い。
しかし、木々の芽吹きと水量を増す川の流れは、確かな春の到来を示している。
岸辺に生えた大きな木の根元、雛はそこに、ぼんやりと座り込んでいた。
こちらから伺える横顔は、憂いを帯びた伏目がちで、沈んでいる様子が見て取れる。
「雛!」
私は彼女に声をかける。
彼女を探し出すのは、思った以上の苦労だった。
早朝に地霊殿を発ったというのに、もう太陽は天頂を回り、風は寒さをはらみだしている。
妖怪の山を飛びまわっても見つからず、最終的に私は、山の上の神から彼女の居場所を聞き出すことになった。
突然の来訪と、急いでいる様子に、神は驚いている様子だったが、なんだかんだ事情も聞かず、すぐに教えてくれた。
そういうところは鷹揚で、好感が持てる部分なのだなと思う。
「あら・・・・・・・・・さとり?」
彼女はどこか心ここにあらずという調子で、ゆっくりとそういった。
こちらに向けられた瞳の光は弱く、その視線の幾ばくかは、私を透過している。
雛、傷ついているのですね。
彼女の心のうちを思い、胸が苦しくなる。
「こんにちは、雛。・・・・・・今日は、話したいことがあって来たのです」
「話したい、こと?」
「ええ、そうです。それも、大事な内容です」
そう言いながらも、私は彼女の方へと歩み続け、立ち上がった彼女との距離を詰めていく。
「ふ~ん・・・・・・て、え、ちょっと」
彼女へと向かう速度を緩めない私に、いぶかしげな様子を見せる雛。
けれど、そんなことは気にしない。
もう、迷いなら、日中に十分繰り返した。
「ごめんなさい、雛」
私は勢いそのままに、飛びつくように彼女に抱きつく。
「わ、あ、何をするのよ、さとり!」
雛が逃れようともがく。
そんな彼女を放すまいと、私は両腕に力を込めて彼女をとらえる。
小柄な私は、彼女の胴周りに腕を回すことになるが、むしろそのことによって、彼女は私を振りほどけない様子だった。
「何てことをするの! だめ、早く離れて! 厄が移るわ」
「なるほど、確かにそんな感じがしますね。ちょっとピリピリします」
冗談ではなく、体の全ての器官が不調を訴えてくる。
軽い眩暈、寒気、火傷のような痛み、圧倒的な不安感。
「だったら・・・・・・」
「最初に出会ったときに言いましたよ。私は厄さえも受け入れる、地獄の管理者ですと」
「それとこれとは違うわよ。離れてよ、さとり」
「嫌です」
「いい加減にしないと・・・・・・」
そう言って、懇親の力で私を引き離そうとする雛。
けれど、私は離れない。
いくら見かけが小柄でも、腕力は私の方に分があるのだ。
それに、今離してしまったら、全てが無駄になる。
しばらくもがき続けた彼女だったが、ふっと力を抜いて、抵抗をやめた。
「もう、どうなっても知らないから」
「ええ」
2人をしばし沈黙が囲む。
まだ厄による苦しみはやまない。
けれどそれ以上に、ほのかに甘い雛の香りと、彼女の控えめな心臓の音に包まれて、意外なほど快さを感じていた。
「・・・・・・・・・ねえ、さとりちゃん」
「はい」
「どうして?」
雛が尋ねる。
今度は純粋な質問として。
「こうしないと、伝わらないこともあるかと思いまして」
私は何を説明しようという気もなく、ありのままの思いを口にする
その言葉からややあって、彼女がきゅっと、私のことを抱きしめ返してくる。
風が吹き、見上げる彼女の頭の上で、深紅のリボンが揺られているのが見えた。
まず、伝えた。
次は、言おう。
「雛、さっきも言いましたが、実はお話があるのです」
「なにかしら?」
「私は、あなたに隠していたことがあるのです」
突然の告白。
雛はゆっくりと、一度だけ頷いた。
意を決する。
そして私は、私の嘘を、私の枷を、取り出して見せる。
「私にはですね、相手の心を読む能力があるのです」
「え?」
「意識と言った方が正確でしょう。心の声は、何もせずとも聞こえてきますし、集中すれば、記憶や心理の全てを見透かすことが出来ます」
「・・・・・・」
「いとわれし者達を管理する地底の妖の長。私も嫌忌された妖怪なのですよ・・・。雛は、こんな私を嫌いますか?」
そう言って私は、もう一度雛を強く抱きしめる。
突き放して欲しくないから。
受け入れて欲しいから。
それは、願いを伝える行為。
「そうだったの・・・・・・・・・そうね、確かに怖い。嘘はつけないわ。・・・けれど、よく話してくれたわね」
「このあいだ、嘘をついてしまいましたから」
「いいのよ。・・・・・・あなたがどのような能力を持っていようとも、今更よ。さとりはさとり。私の、大切な友人よ」
「・・・・・・・・・ありがとうございます」
そして雛は、まるで言葉を直接伝えるかのように、私のことを抱きしめ直してくれるのだった。
あ、暖かい。
まるで厄を受け取ってもらったときのように、自身の心のおりが溶け出していくような気がする。
それは私の心を硬く固めていたもので、いま浄化され、昇華していく。
本当は、厄を移されているのだから、あべこべだというのに。
「それにしても雛、あんな目にあっても、やっぱり厄を集めているのですね。痛いくらいです」
「だからやめなさいって言ったのに、もう。・・・・・・・・・んー、そうね。やっぱり、性分だから。さすがに人里には行けてないんだけど、厄は集めてしまうわ」
そう言って雛は、苦笑いを受かべる。
私はもっとちゃんと彼女と向き合えるように、抱きしめる腕の力を緩め、腰に手を添える。
そうして、彼女の瞳の色を真っ直ぐにとらえながら。
「雛は、それでいいのですよ」
「んー?」
「雛は本当に優しくて、思いやりがあって、清らかな人です。だから、先日のことは、一事の誤解に過ぎないですよ。きっと分かってもらえます」
「そうかしら」
「分かってもらえなくても、私が分かってます」
「それは頼もしいわね」
そう言って見つめあったまま、目を細めて、2人で笑い合う。
当初の深刻な調子もなく、打ち解けあったもの同士の、少し惚けたような空気が流れ始めていた。
でも駄目だ。
もう少しだけ、お話をしないと
「それでですね、雛」
「なあに?」
「もう1つ、お話があるのです」
それは、幻想郷の歴史を変えた、少なくとも変化に無視しがたい影響を与えた、神様のお話。
「実は地底と地上についてなんですが」
「ええ」
「最終的に、このまま繋げたままにすることにしました」
とたん、雛の心に浮かぶ、2つの世界が結ばれる期待。
生じる摩擦への不安。
そして、喜びの理由。
・・・・・・ふふ、私は、そんな嬉しい声まで聞き取ってしまう。
「偉い方々が集まって、何時間も話し合ったのですが、結局決められなかったんです。それで、地底のことは地底の代表者が決めろと、私に決定権が投げられまして」
「・・・・・・・・・」
「最初は凄く迷ったんです。実際に衝突も起きていますし、問題も山積みです」
「そうでしょうね」
そうだ。
それは決して無視できない要素。
こいしの言うような美しい理想ばかりで、物事を測ってはならない。
「けれど、結局のところ私は、可能性にかけてみたくなってしまったんです」
「そう」
「だって地上には、雛のような美しい心を持った人がいたんですから」
ただし、やっぱり楽観論。
雛のような人はきっと希少だろう。
けれど、こんな人が存在する幻想郷なのだから、もしかしたら理想の糸口は存在するのかもしれない。
そして、なによりも
「雛と、これからも会いたかったですから」
「・・・・・・・・・私もよ」
「ええ、知ってます」
「あら、それは恥ずかしいわね」
もしかしたら、危険な賭けなのかもしれない。
けれど、理解しあうことを望む人がいて、それがより望ましい未来だとすれば。
「これから大変になります。だから雛」
私は最大限努力しよう。
この与えられた能力も惜しまず、持てる力の全てをもって。
「一緒に、2つの世界が手を取り合えるよう、頑張ってくれませんか」
この、誰よりも他人の幸せを願う、大切な人と一緒なら、難しくても叶う気がするから。
「ええ、喜んで」
私は、もう一度、心を通わせることを望もう。
「おぉ~~~い」
地底に少女の声がこだまする。
「おぉ~~~い。土蜘蛛ー。」
「は~い。なんだ河童。また来たんだ」
「またとはなんだよー、またとは」
「言った通りの意味だよ」
「なにをー!」
会って早々に言い合いをはじめる2人。
けれど、ふと目が合った瞬間、互いににへらっとしてしまう。
それが恥ずかしくて、やや顔を赤くしながら、2人同時にそっぽを向く。
この、なんとも奇妙なやり取りを行っているのは、土蜘蛛の黒谷ヤマメ、河童の河城にとりである。
数週間ほど前のこと。
古明寺さとり、鍵山雛の両名がにとりの工房を訪れ、なんのかんの理由をつけて、彼女を地底へ連れ出したのだ。
向かった先は、黒谷ヤマメの住みか。
当然いがみ合う2人だったが、さとりに心の真象を読まれ、雛の毒気のない語りに翻弄され、ああだこうだと反抗したり恥ずかしがっているうちに、すっかり馴れ合ってしまったのだ。
以来、にとりは地底に赴く際、ヤマメのもとを訪れるのを習慣とするようになった。
もともと背格好や精神年齢・気性も似ているところのある2人である。
相変わらず口汚い応酬が続くが、なんとなくそれも居心地がよく、気のおけない仲となっている。
もっともこれらは、すでにさとり妖怪が2人に指摘した内容であるのだが。
「そんなことよりもさー、土蜘蛛」
「ん、なんだい」
どっかとヤマメの隣に腰を降ろし、背のリュックサックをまさぐりだすにとり。
そして、目当てのものを見つけ、それを取り出す。
「じゃーん、ほら、完成したんだよ」
「あ、例のクモの糸を真似たロープ??」
「あたりー。すごーい強度で、こんなに細いのに、鉄の塊だって吊り下げられる優れものさ!」
河城にとりは悩んでいた。
彼女の工房では、様々なものを開発・生産しているが、金属線の強度が足りない事例が散発していた。
そして核融合施設の建設に当たり、大掛かりな設備を整えることになり、その問題が顕在化していたのだ。
そこにインスピレーションを与えたのが、ヤマメのクモの糸である。
にとりは、ヤマメが本当に細い糸で自身を吊り下げているのを見て、何か秘密があるのではと考察。
それが極めて細い糸が何本も寄り集まって強度を得ていることを発見したのだった。
「これで施設の建設も軌道に乗るよー」
「ふーん、よかったね」
言葉とは裏腹に、うっすらと柔らかい表情を浮かべるヤマメ。
その表情は、金属線を手に無邪気な表情を綻ばす、にとりに向けられていた。
「でさー・・・・・・・・・えっと、その、・・・・・・ヤマメ」
「な、なにさ」
つっかえた物を取り出すように、言いにくそうにヤマメの名を呼ぶにとり。
名を呼ばれたことに、ヤマメも驚きを隠せないまま、ややどもりながら応える。
「その、この金属線を開発できたのもヤマメのおかげだしさー、その、お礼といっちゃなんなんだけど、今度私の工房に遊びに来ないかなーって。いや、色々役に立ちそうなものがあったら、持ってっていいし」
「あたしが、にとりの家に、地上にかい?」
「うん」
そういって、伺うような視線をヤマメに向けるにとり。
ヤマメの長い逡巡に。
不安になり、恥ずかしさがこれを冗談にしてしまおうとなりかけた頃。
「うん、じゃあ、いつだったらお邪魔してもいい?」
弾けるほどの明るい笑顔で、そう答えるヤマメ。
こうして地底の土蜘蛛と、地上の河童の奇妙な友情は、新たな段階を迎えるようだった。
地霊異変の後処理のため、妖怪の山へと向かったさとり。
その帰り道彼女は、厄神の鍵山雛と出会い、好感を抱く。
折しも、繋がってしまった地底と地上を巡り、
幻想郷の有力者による会談が開かれることとなったが、さとりは迷う。
地上との邂逅は地底の夢でもあるが、衝突の再燃ともなりえるからだ。
彼女はそんな迷いから、地上のことを知ろうと出かけるが、
そこで鍵山雛と再会。彼女に妖怪の山を案内される。
美しい景観や、豊かな自然。
何より人々の幸せを純朴に願う雛の人格に惹かれ、さとりの心は傾いていくが……
続編ものですが、以上のあらすじで読めると思われます。
もし時間が許すようでしたら、前半も読んでくださると凄くうれしいです。
さと雛はやくそくされた悟り 前章
その日は、思ったよりも早くやって来た。
コンコン
「誰ですか?」
ドアを開けて入ってきたのは、漆黒の色をした大きな片翼。
そして、体を横にして狭そうに入室するのは、ペットのお空だ。
両開きのドアなのだから、横着をせずに開ければいいものを。
「さとりさま。お客様をお連れしましたー!」
「はい空、ありがとう。それに元気ね」
やや語尾に皮肉の色が混じってしまうのは、最近の激務故だろうか。
私はそれを悟られないよう、にこやかな表情を作ると、来訪者を迎えるために席を立った。
「ようさとり、あんたにお客さんだよ」
閉じられた片方のドアがあけられ、今度は勇儀が入室してくる。
傍らには水橋パルスィ、そして・・・
「雛、雛ではないですか! よく来てくれました!」
一瞬、心に重く圧し掛かっていた全てを忘れ、嬉しい驚きのまま声を大きくする。
雛は慣れない土地を通り抜けてきたからか、少し疲れたような笑顔を浮かべて、私に会釈を返す。
「地霊殿の主、地底の管理者:古明寺さとり様に謁見したく、参上いたしました・・・えへ」
そして笑う。
私は書斎のデスクを離れ、彼女の手をとろうと足早に近づいて・・・
「ああもうさとりったら、私が厄神なの忘れたの? 握手は無理よ」
「あ、それもそうでしたね。とにかく、よく来てくれました」
「いやねえ、何でも橋のところで困っているのを、パルスィが見かけたらしくてね」
勇儀が後ろ手に頭をかきながら事情を説明する。
「で、パルスィが彼女を案内しているところを旧都で見かけてね、ここまで連れてきたってわけさ」
「それはどうも、本来なら私が案内するべきところを、ありがとうございます」
と、お礼を言っているうちに、少し腑に落ちない点があることに気付く。
「ん・・・・・・パルスィ、あなたは地霊殿の所在地を知っていますよね?」
「もちろんよ」
「では、どうして勇儀に案内を?」
「案内なんか頼んでいないわ。勝手について来たのよ」
「おいおいお前さん、そりゃないよ」
勇儀は困ったなぁ・・・・・・という表情で、なおも後頭部をかいている。
なるほど・・・・・・
「勇儀、自警団長としての責務はどうしたのですか?」
「あはは~・・・」
「なるほど、勤務の日に降って沸いたパルスィと一緒に過ごす好機ですか。それも、ならばと橋の管理に戻ろうとするパルスィを無理やり引き止めて」
「あは・・・」
「ほら、やっぱりこうなったじゃない」
「勇儀・・・!」
「それじゃあさとり、私は地底の警備に戻るとするよ!」
そう言って勇儀は、慌てた様子で部屋から飛び出してゆく。
なぜかお空もその後を追い、背の大きな羽を壁に思い切りぶつけながら退室していく。
いつもお客様を送らせているから、条件反射となってしまっているのだろうか。
・・・・・・まったく。
「私も橋の管理に戻るわ」
「ええパルスィ。あなたには、心からお礼を申し上げます」
「別にいいわよ。それにしても、地上から友人が訪ねてくるなんて、妬ましいわね」
入室当初からの不機嫌そうな顔を変えないまま、今度は雛に向き直り。
「雛、帰りは大丈夫よね」
「ええ、何かあったら、さとりさんにお願いしますので」
そういうとパルスィは、普段はなかなか見せない笑顔を極微量に浮かべ、先の2人と違い、ゆったりと部屋を出て行った。
きちんとドアを閉めるという品の良さ・・・・・・と、考えてみれば当たり前のことですね。
「改めまして雛、ようこそ地霊殿へ」
「ええ、いきなり来てもよかったのかしら」
「構いません。・・・・・・正直暇ではないのですが、いつもそうでないとすれば、いつでも来訪者を迎えることが出来るということです」
「うふふ、大変そうね」
「はい、最近は特に・・・・・・?」
それまで気付かなかったのが不思議ながら、私は雛の心の声が響かないことに気がついた。
どうしてだろうか。
心の声くらいの表層意識は、第三の目を凝らさなくても見えるはずなのに・・・・・・!
そして、私は気が付いた。
地上で光溢れんばかりの清らなかだった雛の意識が、今は重く暗い色で塗りつぶされ、心が半ば閉ざされていることに。
何かあったのだろう。
今ここで彼女の意識を除きみてもいい。
いやけれど、込み入った話をするとすれば、それなりの準備が必要だろう。
私は先ほどまでの調子を一切変えないまま、次の句を繋げた。
「ここではなんですから、客間に行きましょう。お茶を入れてきますから、少し待っていてください」
客間は大きな暖炉の目立つ、暖色で統一された落ち着いた部屋だ。
中央にはガラス張りのテーブルがあり、それを長椅子と2つの座椅子が挟む配置となっている。
その昔、地霊殿が建造された際、異国風な趣に戸惑ったものだ。
今は西洋風・アンティークと、本で得た知識があるが、当時は全く見知らぬ様式だったのだ。
それもこれも、妖怪の賢者の、なんとなくという理由でしかないのだが。
しかし、幻想郷においては異色とも言える部屋の雰囲気に、雛の姿は奇妙なほど調和していた。
その少し影のさした表情とあいまって、退廃的で貴族趣味の空間が、眼前に展開されている。
私は黙ってトレイをテーブルの上に置くと、暖炉のところに行き、薪を3本くべた。
振り返ると、暗い火の明かりが不定期のリズムで、雛の横顔を照らしているのが見える。
「私が作ったものですから、お口に合うか分かりませんが・・・」
「確か、お菓子作りが趣味みたいなものだって言ってたわね。きっと美味しいわよ。自信はあるんでしょ?」
「ええ、まあ。この地霊殿で出来る道楽といえば、読書とお茶ぐらいですから」
私は、少し自嘲的な笑みを浮かべながら、ポットから紅茶を注ぐ。
そしてトレイをテーブルの脇に片付け、まずは一口、カップを口にする。
「雛、何かあったのでしょう? 言わなくても分かりますよ」
「・・・・・・・・・・・・分かる?」
「ええ、沈んでいるようですから」
心を読むまでもなく。
私はゆっくりと紅茶を味わいながら、雛が口を開くのを待つ。
なんとなく、雛が話す決心をつけるまで、あえて心を覗き込みたくはなかった。
――けれど、さとりちゃんにこんなこと話して、迷惑じゃないかな――
雛の逡巡が聞こえる。
やっと、心を開き始めているということか。
ここは
「雛、確かに私達は会って間もないかもしれません。ですが、何となく惹かれあうものがあって、こうして縁も利害関係も無く会っているのだと思うのです。だから、遠慮しなくていいのですよ」
「・・・・・・うん、ありがとう」
その言葉を雛が発すると同時に、私に伝えようとする指向性を持った心象が、どっと私の心の中に流れ込んでくる。
その衝撃に目眩を覚えながら、少しずつ情報を整理。
同時に雛の言葉に耳を傾ける。
「あのね、さとり。例え悪意がなくとも、ううん、好意を抱いていていたとしても、嫌忌されることはあるのよね」
「・・・・・・ええ、そうですね」
「ある人間の村がね、妖怪に襲われたの」
「人間の村が? 幻想郷が始まって以来、里を襲うことは妖怪の間で禁忌として定着しているはずです」
「そのはずなんだけど・・・」
幻想郷において妖怪と人間は、互いの領域を犯さない限り、攻撃的な干渉を行ってはならない。
それはこの狭い幻想郷において、妖怪と人間が共存するための最低限のルールだ。
人を喰らうことをやめない低級妖怪も、自らの領域以外でそれをすることはない。
妖怪・人間両者から迫害され、惨めな末路を辿ることを知っているからだ。
もっとも、人間の存在しない地底においては、数百年取り沙汰のない取り決めであったが。
「とにかく、あってはならないことだから、その場にいた実力者が迎撃に当たったの。幸いにも死者は出なかったわ。けれど、それは襲撃者の気紛れだと思う。重傷者も少なくなかったし、破壊された家屋・田畑も多かったから・・・・・・」
「そう・・・ですか」
雛は紅茶に手を伸ばすこともなく、うつむいたまま話し続ける。
重苦しい空気が部屋に立ち込め、私はそれこそ曖昧な返事を述べることしか出来ない。
これから語られる悲劇を、雛の心象として既に知る自分には、かける言葉などありはしないから・・・・・・
「襲撃者達が去って、私は呆然と立ちつくす村人達の間にいたわ。その時・・・・・・」
ザ・・・・・・と、一瞬空間が歪んで見えたのは、錯覚だろうか。
彼女のトラウマと、私のトラウマを操る能力。
もしかすると、能力の干渉が空間に及んでいるのかもしれない。
「『この、厄病神め!』・・・・・・って」
彼女の言葉以上に、彼女が受けた仕打ちが映像に近い形で再現される。
恐怖に支配された人間が見せる、醜態といってしまえばそれまでだ。
村人達に心の底から同情していた雛。
彼女は、せめて厄だけは引き受けようと、そこに留まっていた。
しかし結果として渡されたのは、物言わぬ石つぶてと、矢のように突き刺さる罵声の雨だ。
目に涙を溜めながら、何度も何度も村のほうを振り返る雛。
その度に目に入る、怒りと絶望で目をうつろにした群集の顔。
彼女が感じたやり場のない思い、それまでもが流れ込んでくる。
ぽつりぽつりと語り続ける雛の声が、その映像に悲しい色を添える。
私はもはやろくに相槌を打つことさえ忘れ、ただ黙って彼女の話を聞いていた。
出来事を話し終えて、しばらくの沈黙の後、雛が再び言葉を紡ぐ。
「ねえ、さとり」
「・・・・・・なんですか?」
「理解されず、忌避される私は、もう何者とも関わらない方がいいのかしらね?」
「それは・・・・・・」
「こういうことって、他にもないわけじゃないのよ。不気味がられたり、避けられたり・・・。どんなに周りのことを大切に思っても、愛していても、私は、私は・・・・・・」
「・・・・・・」
「・・・誰かのぬくもりに、ふれることすら出来ない」
雛の声にならない慟哭。
大好きな詩人の作品に、似たような文言があったかしら。
かといって、どうすることも出来ない。
雛の悲しみ。
避けがたい苦しみ。
それは・・・・・・
・・・・・・私の運命と同じだ。
「ふう・・・ごめんなさい」
慰めの言葉を返すことも出来ず、黙ってしまった私をそうは待たず、雛は自ら会話を区切った。
顔を上げ、こちらへと向き直る雛。
そこには弱々しい微笑み。
「こんなことを話しても、仕方がないわ」
「いえ・・・・・・」
「そう、考えても仕方がないことだわ・・・」
「雛、あなたは心優しい人です。誰に何を言われようと、それは確かなことですよ」
「ふふ・・・ありがとう」
「私が知っているだけでも、椛のような子もいます。私だってそうです。雛の厄を引き受けようという思い、尊敬しているのですよ」
「ありがとう」
彼女はそういって、視線を上のほうへと逸らした。
両者ともに、無言となってしまい、薪がはぜる音だけが響く。
そして雛は、虚空を見つめたまま言った。
「さとり、何だかあなたは、人の心を読んでいるようね」
胃が中心に向かって、吸い込まれていくような気がした。
まさか、雛は私の能力を知っている?
・・・・・・いや、そんなことはない。
彼女の心を覗いても確かなことだ。
知られてはならない。
そう、この能力だけは。
刹那、ピシッと音を立てて、過去のトラウマが私の中によみがえる。
その痛みに歯噛みしながら、私は振り払うように雛のことを考える。
そうだ、隠したままでいいのか?
欺いていたわけじゃない。
けれど、この返答次第で、私はうそつきになってしまう。
雛は、こんな私を受け入れてくれる?
この胸のうちをさらしても、構わない?
・・・・・・こんなにも心優しい、雛でさえ拒絶されるのに?
「・・・・・・心を読めれば、もっと人の気持ちにも繊細になれるのでしょうけどね」
「ええ、本当にね・・・」
「どうして心が読めると?」
「ううん、何かこう、私に対する接し方から・・・・・・そう思っただけよ」
そう言うと雛は、カップへと手を伸ばして、初めて紅茶に口をつけた。
「まるで私の内を見透かしているように、そのとき一番望んでいる言葉をかけてくれる。あなたは出来た人だわ。・・・・・・ええ、そうね、もっと楽しい話をしましょう」
送ろうという私の提案を断り、雛は帰って行った。
少し考え事がしたいという、彼女の心の声を尊重して、私もあまり引き止めなかった。
そして今は、書斎に戻り、再び仕事に取り掛かっている。
やらなくてはならないことは、文字通り山積みだ。
そうだというのに・・・・・・気分が晴れない。
雛に対して、もっと何か出来たのではないか。
別に、対応に問題があったとは思わない。
私はきちんと言葉を選んだし、雛だって励まされた。
これでいいはずだ。
でも・・・・・・
「くっ・・・・・・」
胸の痛みに、思わず声が漏れる。
しかし、これは身体的な痛みではない。
トラウマを抉る妖怪である私が、自らのトラウマを想起させられ、おののいているのだ。
苦い笑いを禁じえない。
あれはもう、100で数えるには少し桁が足りない、遠い過去のことだ。
思えば、私が今の妖力を得るに至ったのは、あの出来事がきっかけだったように思う。
あの頃の私は無邪気で、野山に生き、“さとり”の能力に戸惑うこともなかった。
動物を食することは早々に嫌になったが、周囲の思いをくみとることにより、満ち足りた日々を過ごしていた。
・
・・・・・そこに、人間がやって来たのだ。
私は、他の動物に対するのと同じように、その初めて見る生き物に接した。
つまり、相手の思いを読み、それをそのままに伝えることによって、意思を交わすことが可能であることを示す。
いつもと同じように、心地よい朝の挨拶を交わすような、そんなつもりでそうしたのだ。
しかし、返ってきたのは、鋭い鎌の一撃だった。
そして、流れ込んでくる敵意、不安、憎しみ。
「この不気味なやつめ!」
その言葉が、深く抉られた左腕以上に痛かった。
なぜこんな目に合わなければならないのか、分からなかった。
けれど、山に人間が出入りするようになるとともに、だんだんと理解していった。
そして同時に私は、思い・心・意識を理解して、確実に妖力を高めた。
妖力が高まれば、周囲の妖怪との衝突は避けられない。
ますます進出する人間との接触もあり、気付いたとき私は、“誰からも畏れられる妖怪”の2つ名まで手にしていた・・・・・・。
もう誰と関わることも嫌になり、私は奥地から奥地へと渡り歩くようになった。
心を閉ざしてしまった妹の手を引き、当てもなくさ迷う数百年。
そして気付いたとき、幻想郷へたどり着いていたのだ。
こんなことを思い出すなんて。
あまりいい状態とは言えませんね・・・。
今の自分は、あの頃の自分とは違う。
もっと力をつけて、動じない心を手にした。
こうして仕事とともに、安息の場所を手にした。
だから、きっと大丈夫。
大丈夫・・・。
私は、ふと全身に虚脱感を感じ、机に両肘をついて顔を覆う。
ああ、処理しなければいけない案件はいくらでもあるのに、どうしてだろう、何もしたくない。
どうして、どうしてこんな・・・。
「あっ・・・・・・」
薄い紙片が風になびく音と、それが地をすべる乾いた音。
机に山と積んだ書類、そこにひじが当たり、崩してしまったようだ。
「はあ・・・・・・」
私は溜息をつくと、机の下に落ちてしまった数枚を拾い上げようと手を伸ばす。
そのとき、書類のうちの1枚に目が行った。
そこに書かれてあるのは、地底と地上が繋がったことにより生じた問題の報告書。
しかしその記載が・・・・・・
地底の妖怪が、地上の人間の里を襲った?
私はそれを両手に握り、食い入るように一気に読み漁る。
地上では見られない妖怪が人間の里を襲撃。
もと地底の妖怪である伊吹萃香に確認を取ったところ、その者たちが地底の妖怪であることが判明。
萃香から勇儀へと通達があり、里を襲った者達は既に拘束されているとのこと。
動機としては、久方ぶりの地上が珍しく、出来心で荒っぽくなってしまった・・・・・・。
なんだ、そんなことだったのか。
脱力し、背もたれに思い切り寄りかかる。
雛が味わわなければならなかった悲しみ。
その原因が地底にあったなんて。
そうか、そうなのか・・・。
もういいだろう。
いろいろと考えた。
けれど、結論は明らかだ。
そもそもあの方がそういうのだから、私の判断など、はなから決まっている。
こんなことは、もう・・・・・・
「お姉ちゃん・・・・・・!」
「・・・・・・こいし」
声を掛けられ、机の前へと視線を戻すと、そこにこいしが立っていた。
相変わらず、気配を全く感じられなかった。
扉を開けたことにすら気付けないというのは、少々おかしな気もするけれど。
私はそんなことを考えながら、ぼんやりとこいしを見ている。
一方でこいしは、強い眼差しで私の目を睨んできた。
・・・・・・ああ、なんとなく、彼女が何をしに来たのか察する。
「なんですか? 私は忙しいのですが」
「ねえ、さっきの雛さんとのやり取り、ちょっとないんじゃない?」
ああ、やっぱり・・・・・・
苛立ちが腹の底から頭まで一気に行き渡る。
たぶんきっと、眉間にはしわが寄っているだろう。
「また盗み見ですか。褒められたことではありませんね」
「な・・・・・・・・・うん、確かにそうだよね。それは謝る。お姉ちゃんの友達って聞いて、
好奇心がとめられなくて、ずっと部屋にいた」
友達が珍しい、か・・・。
心を閉ざすあなたに、それを言われるのも変な道理ですね。
「けどね、お姉ちゃん、やっぱり言わせてもらうよ。だって変えてほしいもん。お姉ちゃんだから」
「・・・・・・ええ、聞きましょう」
本当はもう、うるさいとしか感じられない。
けれど、どうせ食い下がるだろうと思い、私は話を聞く態度を示す。
「あのさ、雛さん、本当に大変だったと思う。雛さんの気持ち、私も少し分かる。
嫌われたり不気味がられたり。私は心を閉ざして逃げたけど、かつて知っていたもん」
「ええ」
「そしてお姉ちゃんは、もっとその気持ちが分かるよね。お姉ちゃんは、どれほどつらい目にあっても、能力から逃げなかった。だから、分かるはずでしょう? 嫌忌されることの悲しみは、本当につらいものだって」
そうだ。
だから私は、雛の話に深く共感し、さらに自身のトラウマまで呼び起こされている。
分からないなんてことは、ない。
「ええ、分かっていますよ。・・・・・・だから、ちゃんと雛に対して、言葉を選んで励ましました」
「う~ん・・・・・・何か、違うんだよ。何かさ。お姉ちゃん、そんな、・・・・・・浅い言葉じゃだめなんだよ」
「なぜです? 彼女の心を読み、彼女が望む言葉を返す。彼女のことを思って、誠心誠意やったことです」
「だから、それが違うんだって! お姉ちゃん、本当に伝えなきゃいけないことは、気持ちで伝えなきゃ駄目なんだよ。言葉で何を言っているとか、その人のために何をしているとか、そんなんじゃなくて、お姉ちゃんの気持ちの問題なんだよ!」
気持ち・・・・・・か。
分からない。
私は意識を読む“さとり”。
相手の気持ちを知り、それに言葉を返す。
何も、間違ってはいない。
何がこいしは不満だというのだろう?
「お姉ちゃんは、心を読む能力に頼りすぎてる。心を読んで、何かをするんじゃなくて、雛さんに対して、お姉ちゃんがどうしたいのか、雛さんのためじゃなくて、お姉ちゃんとしてどうしたいのか・・・・・・」
「分かりません・・・・・・私は、本当に雛のことを思って、私の気持ちとして、彼女に接しているのですよ」
進まない議論が2人の間にあり、しばし言葉の応酬が中断される。
私はややうつむき加減に机に身を乗り出し、やや離れて立つこいしと睨み合っていた。
「・・・・・・ううん、分かった。このことは、お姉ちゃんに伝わらないみたい。だから、今はいいや。じゃあお姉ちゃん、どうして雛さんに、能力のこと、嘘をついたの?」
「それは・・・・・・」
決まっている。
この能力だけは知られてはならないのだ。
それはこいしだって知っているはず。
誰からも畏れられるこの能力によってもたらされた、幾多の悲しい出来事を。
「当たり前のことです。この能力だけは、隠さなくてはいけません」
「嫌われてしまうから?」
「そうです」
「なんで? 雛さんが、そのことでお姉ちゃんを拒絶する?」
「・・・・・・そう、かもしれませんよ」
そればかりは、分からないのだ。
誰でも自分の意識、記憶を含めた全存在を見透かされることは、嫌なものだろう。
それは能力を強く発動しなければならないとして、心の表層に現れる思いのつぶさに関しては、何をせずとも聞き取ってしまう。
あんな心優しい雛だって・・・・・・
「ねえお姉ちゃん、それって、お姉ちゃんは雛さんのこと信頼していないってことだよね。それって、雛さんに対してすっごく失礼じゃない?」
「それとこれとは。・・・・・・別に、能力のことを隠していたって、2人の関係に問題が生じるわけではないのでは?」
「でもやっぱり、信頼してないんだね。雛さんがかわいそうだよ・・・」
ん・・・・・・少し苛立つ。
確かに、それはそうかもしれない。
私は雛に拒絶されることが怖い。
だから、能力のことを隠してしまった。
しかし、それはあくまで私の問題であって、雛に申し訳なく思うことではないはずだ。
「・・・・・・なぜ雛に対して、悪いと思わなければならないのですか? 意識を読み取る私は、誰よりも相手に信頼を“示す”ことが出来ます。ならば、雛に対して申し訳なく思う必要はないはずです」
「うん、そのことに関してはとりあえずいいよ。確かにお姉ちゃんは、そういうの得意かもしれない。・・・・・・けれどやっぱり、お姉ちゃんが雛さんのことを信頼しないことは、良くないよ」
「それはどうして?」
こいしの言いたいことが掴めない。
どうしてだろう。
私は、少なくとも雛が望む限りの、いい友人として振舞った。
本当に雛のためを思ってのことだ。
雛にとって見れば、それでいいのではないか。
私が雛に対してどう思ってようと、それは私の問題で、雛には関係のないことだ。
「だって、友達なんでしょ!? 自分がされているのと同じくらい、相手に対してよい友人でありたいじゃん! そうでないとしたら、ショックだよ・・・・・・。だったら、お姉ちゃんは雛さんのことを信頼して、理解されるようにするべきだよ!」
「それは、私がどう思うかであって、相手のためにどうとかという話では・・・」
「だから、友達なんじゃん。相手のことも考えて、気を遣ったりすることも、相手が大切ならするべきだよ!」
訳が分からない。
どうしてだろう。
私は雛のことが大切で、雛のことを思っているのに・・・・・・
そうじゃないと弾劾されることは、正直気分が良くなかった。
「・・・ごめん、話がそれちゃった。んとね、結局のところ、私が言いたいことはね、もっと雛さんに自分をぶつけたら、ってこと。雛さんにとっても、お姉ちゃんにとっても、それがいいよ。・・・・・・さっきのじゃ足りないって、お姉ちゃんだって、分かってるんでしょ?」
「それは、・・・・・・そうですね」
「じゃあ、次に会った時は――」
「いえ、もう私と雛が会うことはないでしょう」
「!!・・・ちょっと、それってどういうこと?!」
とたんに、こいしが語気を荒げる。
そんなこいしに対し、私は既に決まったこととして、淡々と告げる。
若干、冷徹な心情になっていたことは否定できない。
「なぜなら、地底と地上をつなぐ道は再び閉ざされ、2つの世界は切り離されるからです」
「!!!」
時をとめられたかのように、表情を固め、言葉を失うこいし。
私はそんなこいしの様子を、冷ややかな思いで見つめていた。
妖怪の山での会談には、そうそうたる面子が参加した。
まず、主催者である八坂と洩矢の2柱の神。
そして幻想郷を影で取り仕切る、妖怪の賢者:八雲紫。
その傍らには、博麗大結界を司る、紅白の巫女の姿が。
また、こと地底が怨霊を幽閉する場であることから、此岸の霊を監督する白玉楼の主:西行寺幽々子。
彼岸の霊を裁く幻想郷の閻魔:四季映姫・ヤマザナドゥの姿もあった。
会談はヤマザナドゥが進行をとったこともあり、厳かに進んだ。
事の発端ともいえる、2柱の神はもちろん現状維持を主張。
一方、霊に関わるものとしての危惧か、西行寺・ヤマザナドゥは賛成しかねる様子。
主にこの4人を中心として議論が進む中、平行線となったところで、博麗の巫女が口を開く。
「いいんじゃない。ずっと分かれたままってのも、寝覚めが悪いでしょ」
そういって、ずずっと湯飲みの茶をすする霊夢。
しかし、冷めた物言いの中に、正統派の意見が込められている。
それまで途切れることなく続いていた議論も、水を打ったように中断される。
「私は反対だわ。だって、地底の妖怪と地上の妖怪、いまさら蒸し返す必要のないことが山ほどよ」
やや周囲を下に見るような薄い笑みと、ただ告げるというような口調。
ここに来て八雲紫が、明確な反対を示す。
そうだ、怨霊の問題は本題と比べれば些事に過ぎない。
考えるべきは、地底とはそもそも、地上を追われた妖怪たちが封じられた場であることだ。
打って変わって、議論の主題はそれに関するものとなる。
しかし是非の立場は変わらず、会談は3対3のまま納まる様子も見せない。
そこで、私に判断が委ねられることとなったのだ。
管理者として、少なくとも地底の情報を誰よりも集約できること。
やや客観的で利害の絡まない立場。
何よりも、地底の行く末を、地底の者に委ねるということだ。
試験期間は一ヶ月。
その間の状況を総合的に判断して決定する。
けれど、会談から2週間と少し、結論は既に出ている。
「地底の妖怪と地上の妖怪、相容れないことはもはやあきらかです。これ以上の衝突を避けるため、地底と地上とは、もう一度隔絶する必要があるのです」
「そんな・・・・・・」
こいしにとってはつらいことだろう。
せっかく、閉じた心を揺り動かされるような出会いがあったというのに・・・。
けれど、こいしのためでもある。
このままこいしが心を開き、“さとり”の力を覚醒すれば、また同じことの繰り返しとなってしまう。
「残念な気持ちは分かります。けれど、この地底にだってそんな出会いはあるはずです。
お空やお燐もいますし、私だっています。だから、気を落とさないで・・・・・・」
そこまで言った時、それまでうなだれていたこいしが、はっと気を取り戻す。
「あ、うん、確かにすごい残念・・・・・・うん、そういえばそうかぁ・・・ショックだなぁ」
まるで、忘れていたかのような顔をするこいし。
「でもね、お姉ちゃん、それ以上にね、いいの?」
「いいの? とは??」
「だから、せっかくの機会なんだよ、地上に戻れる」
驚いた。
地底と地上が再び切り離されると聞き、こいしがまず考えたのは地底全体のことだった。
ここまでのものかと、改めて認識させられる。
あの自分1人でさえ無関心となってしまったこいしが、周囲のことを考えるなんて。
「あのね、お姉ちゃんがやってる難しいことは、私よく分かんないよ。
でもね、私達は無理やり地底に行かされたんだよね」
「ええ、まあ・・・」
事実だが、そればかりではない。
私達は迫害され、地底に追いやられた。
しかしそこには、相互了承に近いものがあったのだ。
地獄であった地底に、かつて栄華を誇った都を移築する。
そして、終わらない宴を続けるに足る豊かさを保障する。
そこで初めて、忌避された妖怪たちは地底に移り住んだのだ。
事実、鬼に至っては、自ら地下に降りている。
しかし、地底の妖怪たちにとって、やはり地上は憧れの地であることは間違いない。
青空、色彩豊かな食物、四季折々の景色。
今さら地底を離れようとは思わなくとも、行けるものなら行きたいはずだ。
だからこその左近の状況でもあるわけだが・・・。
「だから、地上に行けるとしたら、みんな喜ぶよ」
「しかし、私達は嫌忌された妖怪です。安息はありえません。それに、繰り返す必要もない争いを再燃させることになります」
「それも含めて、だよ。憎しみあったままとか、争いあったままとか、そんなの悲しいよ」
「それはそうですが、対立を解消できないから、私達は地底に封じられたのですよ」
「封じられてもう何百年も経つよ。今なら新しい気持ちで仲良くなれるかも」
「しかし、すでに衝突は起こっています」
「それだってきちんと話し合えば――――」
「だから、無理だと言っているでしょう!!」
そう言って、私は机を思い切り叩き、返す腕で書類の山を横薙ぎにはらった。
バサバサと激しい音を立て、報告書がそこら中を舞う。
その全てが、この数日のうちに起きた地底と地上を巡る摩擦の証だ。
地底と地上が繋がった直後は、まだ誰も問題を起こさなかった。
だが、日を経るにつれ、加速度的に衝突は増えていった。
「もう、これほどまでの問題が起こっているのです」
「・・・・・・・・・」
「無理なのです。分かり合うことなど。無理なのですよ・・・。手を取り合うことなど」
激高した私に驚いたのか、こいしはうつむき、心なしか震えているように見える。
・・・・・・冷静になってみれば、悪いのは私だ。
少なくとも、こいしが怒鳴られなくてはならない理由はない。
迂闊だった。
色々なことが重なって、どうしようもなくなっていた感情のわだかまりを、妹にぶつけるなんて。
なんてことをしてしまったのか。
私は謝罪の言葉をかけようと、席を立つ。
とりあえず、謝らなくては。
こいし・・・・・・
「・・・・・・や・・・だよ・・・」
「え?」
「いや・・・だよ、そんなの。う、うわ・・・ん、ひっく」
「ご、ごめんなさい、こいし!」
しまった。
こいしは泣き声こそ堪えているが、その瞳は涙で満たされており、せきが切れるのは時間の問題だろう。
これは八つ当たりだ。
ああもう、どうしてこう何もかも・・・・・・
私は慌ててこいしの方へと歩み寄り、なだめようと手を伸ばす。
こいしは顔を上げ、そんな私の方をじっと見ながら
「ひど、いよ・・・お姉ちゃん。そんな、そんな酷いこと言うなんて」
「本当にごめんなさい、こいし。おとなげなかったようです」
「ううん、違、うの。そうじゃなくて、ね。だれとも、分かり合えないって」
「うん・・・」
わっと泣き出すことはせず、口調は落ち着いてきた。
しかしその目からは、次々と滴が溢れ、ほおを伝っていく。
「あのね、お姉ちゃん。私、さ、地上で友達が出来たでしょう」
「ええ・・・」
「でもね、でもね、どこか一人ぼっちなの」
こいしの表情が曇る。
私はその様子を、ただ黙って見つめることしか出来ない。
閉ざされたこいしの心からは、何も読み取ることは出来ず、どんな言葉をかければいいのか、分からないからだ。
「わたし、どれほど相手のことが好きで、もっと知りたいって思っても、どうしてもそうできない」
それもそうだろう。
意識を捨て、心を閉ざしてしまったこいしは、それ故に何者へも感心を抱けない。
それを打ち破るほどの出会いがあっても、一度規定された精神性は、こと妖怪にとって、再び変えることは非常に難しい。
特にそれが“さとり”の能力に絡む以上、心だけでは意識は覆せない。
「でもね、それ以上につらいのは、やっぱり、みんな、私のこと・・・・・・会っている間は楽しくても、色んなことに気付いてもらえなかったり、ちょっと会わないと、忘れられかけていたり・・・」
そして何よりも、誰も彼女の心に踏み込もうとはしないだろう。
遮断された意識は、周囲との繋がりを拒み、絆を弱くする。
例え誰かが彼女のことを、目の前にいる間に快く思っても、与える印象の根本的弱さから、記憶へと刻み込まれない。
「嫌なの、こんなままなのは。嫌、だよ・・・・・・」
「・・・・・・」
「分かり、合いたい。もっと、知りたい。知ってほしいの。本当は」
どうしたらいいのだろうという、焦げ付くような感情と、それが事実なのだという、怜悧な感情がない交ぜになっている。
ひどく胸が痛い。
「私、お姉ちゃんのことだって・・・」
はっとする。
「私、お姉ちゃんのこと大好きだよ。でも、とても遠いよ。こんなの、こんなの、こんな私なんて」
「こいし・・・!」
もう、体が先に動いていた。
「お姉、ちゃん・・・・・・?」
「・・・・・・・・・」
私は両の手で、こいしの肩を包み、胸元に抱き寄せていた。
こいしの存在を確かめるように、何度も腕の力を込めなおす。
彼女のお気に入りの帽子が、トスッと音を立てて、床の上に着地した。
「私も、こいしのこと、大好きよ」
「お姉、ちゃん・・・・・・」
あぜんとしていたこいしが、腕を私の背に回し、服をぎゅっと掴む。
私達はしばらくの間、互いに何も言わず、ただ抱きしめあっていた。
「ありがとう、お姉ちゃん」
そう言ってこいしは、私のわきの下から腕を下ろし、腰の辺りに手を回す。
私もそれに合わせて、こいしから少しだけ距離をとる。
けれどまだ、なんとなく離れたくなくて、肩口に手をおいた。
「ごめんなさい、こいし」
「え、どうして?」
「その、いきなり抱きしめたりして。びっくりさせたかもしれません」
私は少し不安だった。
とっさにそうしてしまったが、本当に良かったのか。
齢数100年を重ねても、こいしの精神はあどけない少女だ。
いきなり触れられたりするのは嫌かもしれない。
「・・・・・・ねえ、お姉ちゃん」
「なんですか」
「どうしてお姉ちゃんは、私のこと、抱きしめてくれたの?」
どうしてだろうか。
考えてみれば、分からない。
私の第三の目では、こいしの閉ざされた心を読むことは出来ない。
だから、抱きしめるという行為が、本当にこいしを慰めることになるのか、確証はない。
それだというのに、私は行為に踏み切った。
「その、恥ずかしいことですが、私自身もどうしてなのか、分からないのです。こいしの心は読めませんから、正しい選択なのかも分かりませんし」
「あのさ、お姉ちゃん、そうしたいと思ったから、私のこと、抱きしめてくれたんじゃないのかな?」
「そうしたいから・・・・・・ですか?」
そうなのだろうか。
心の軌跡を振り返る。
あの時は、とにかくこいしの動揺を鎮めたくて、どうにか1人ではないのだと知って欲しくて、けれど何を言えばいいのか分からなくて、それでも・・・・・・そうしたいから。
「そうですね、そうなのかもしれません。だとしたら、ごめんなさい」
「どうして?」
「だって、こいしのために何か伝えたかったのに、結局私のしたいようにしていただけなのですから」
私は申し訳ない気持ちで、少しうなだれてしまう。
ああ、こいしの心さえ覗ければ、こいしのために何かできるのに。
もっと繊細に、もっと的確にこいしに対することが可能なのに・・・!
私の能力の限界が恨めしい。
「もう・・・」
そう言うと同時にこいしは、突然、ほんの少しの勢いで私に飛びつき、顔を胸元にうずめる。
いきなりのことに、私はしどろもどろしてしまう。
こいしの体重が私にかかり、確かな質感をじかに感じる。
「な、なんですか、こいし?」
「私はね、今ね、抱きつきたいから抱きついたんだよ」
「?」
「それはさ、私が、お姉ちゃんのことが大好きだから、そういうことにならないかな?
「・・・・・・そうなのでしょうか?」
「うん、だって、お姉ちゃんのために何かしようっていうんじゃなくて、とにかくそうしたい! って、強く思ってしたことなんだから」
こいしはなおも私を抱きしめ、顔を押し当て、感触を楽しむようにすりついてくる。
額の硬さと、衣服と前髪がこすれる音。
私はなんとなく手持ち無沙汰で、そんなこいしの後ろ髪をすいていた。
「お姉ちゃんも、そういう気持ちで、私のこと、抱きしめてくれたんじゃないかな。だから私は、お姉ちゃんのいつもの、相手のために用意された言葉なんかより、嬉しかったんだよ」
「そう・・・・・・ですか」
そうかもしれない。
私がそうしたかったから、そうした。
けれどこいしは、その方が嬉しいという。
それは、相手の心を、直接感じ取れることだから。
「ねえ、さっきの話も、そういうことなんじゃないかな」
こいしが顔を上げる。
私をそのまま吸い込んでしまいそうな、大きな緑色の瞳が私をとらえる。
「お姉ちゃんは、相手の心を読む。だから、相手の望む回答を選び出してしまう。けれどそれは、逆に心が通い合ってないんじゃないかな」
「・・・・・・・・・」
「お姉ちゃんはさ、すごい優しい。けれど、能力に頼って、自分の心を抑えてしまう。だから、相手はその優しさを直接感じられない」
確かに・・・・・・
私は恐れているのかもしれない。
相手に対し、したいようにして、超然としていることなんて、私には出来ない。
なぜなら、相手がその行為に対して、どう感じたか、分かってしまうからだ。
けれど、
「雛さんも、そんなお姉ちゃんの、本当の気持ちを知ったら、嬉しいんじゃないかな」
「雛・・・・・・」
雛のことを考える。
そうだ。雛が欲しかったのは、客観的な事実でも、冷静な判断でもない。
もっと感情的で、直接触れられるような温かみだったはずだ。
ああ・・・・・・
「それとね、お姉ちゃん」
「なんですか、こいし」
こいしは私を解放し、すっくと背を伸ばすと、真っ直ぐな目で私を見つめてくる。
「地上のこと、もっと考えて欲しいの」
「・・・・・・・・・」
「傷つけあってしまうのは本当。うまくいきそうにないのも本当。けれど、分かり合いたい。争いたくないよ。いきなり諦めちゃ駄目」
「こいし・・・・・・」
「私は選ぶよ。例えまた、深く傷つけられるかもしれなくても、心を開いて、他人と触れ合うのを。触れ合えるかもしれないことを。だからお姉ちゃんも・・・・・・お姉ちゃんは全てを見透かす“さとり”。だからこそ、ぶつかり合う人たちの手を、繋げることが出来るかもしれない。きっと何とかなるよ。だって、お姉ちゃんのことは、どんなことがあったって、・・・・・・私が、守るから」
―――――――――お姉ちゃんのこと、大好きだから―――――
え、今の声は・・・・・・!
「お姉ちゃん。地底と地上、きっと、手を取り合える」
「私は・・・・・・・・・」
薄青に染まった空ははるかに高く、地に運ばれてくる太陽の光は淡い。
しかし、木々の芽吹きと水量を増す川の流れは、確かな春の到来を示している。
岸辺に生えた大きな木の根元、雛はそこに、ぼんやりと座り込んでいた。
こちらから伺える横顔は、憂いを帯びた伏目がちで、沈んでいる様子が見て取れる。
「雛!」
私は彼女に声をかける。
彼女を探し出すのは、思った以上の苦労だった。
早朝に地霊殿を発ったというのに、もう太陽は天頂を回り、風は寒さをはらみだしている。
妖怪の山を飛びまわっても見つからず、最終的に私は、山の上の神から彼女の居場所を聞き出すことになった。
突然の来訪と、急いでいる様子に、神は驚いている様子だったが、なんだかんだ事情も聞かず、すぐに教えてくれた。
そういうところは鷹揚で、好感が持てる部分なのだなと思う。
「あら・・・・・・・・・さとり?」
彼女はどこか心ここにあらずという調子で、ゆっくりとそういった。
こちらに向けられた瞳の光は弱く、その視線の幾ばくかは、私を透過している。
雛、傷ついているのですね。
彼女の心のうちを思い、胸が苦しくなる。
「こんにちは、雛。・・・・・・今日は、話したいことがあって来たのです」
「話したい、こと?」
「ええ、そうです。それも、大事な内容です」
そう言いながらも、私は彼女の方へと歩み続け、立ち上がった彼女との距離を詰めていく。
「ふ~ん・・・・・・て、え、ちょっと」
彼女へと向かう速度を緩めない私に、いぶかしげな様子を見せる雛。
けれど、そんなことは気にしない。
もう、迷いなら、日中に十分繰り返した。
「ごめんなさい、雛」
私は勢いそのままに、飛びつくように彼女に抱きつく。
「わ、あ、何をするのよ、さとり!」
雛が逃れようともがく。
そんな彼女を放すまいと、私は両腕に力を込めて彼女をとらえる。
小柄な私は、彼女の胴周りに腕を回すことになるが、むしろそのことによって、彼女は私を振りほどけない様子だった。
「何てことをするの! だめ、早く離れて! 厄が移るわ」
「なるほど、確かにそんな感じがしますね。ちょっとピリピリします」
冗談ではなく、体の全ての器官が不調を訴えてくる。
軽い眩暈、寒気、火傷のような痛み、圧倒的な不安感。
「だったら・・・・・・」
「最初に出会ったときに言いましたよ。私は厄さえも受け入れる、地獄の管理者ですと」
「それとこれとは違うわよ。離れてよ、さとり」
「嫌です」
「いい加減にしないと・・・・・・」
そう言って、懇親の力で私を引き離そうとする雛。
けれど、私は離れない。
いくら見かけが小柄でも、腕力は私の方に分があるのだ。
それに、今離してしまったら、全てが無駄になる。
しばらくもがき続けた彼女だったが、ふっと力を抜いて、抵抗をやめた。
「もう、どうなっても知らないから」
「ええ」
2人をしばし沈黙が囲む。
まだ厄による苦しみはやまない。
けれどそれ以上に、ほのかに甘い雛の香りと、彼女の控えめな心臓の音に包まれて、意外なほど快さを感じていた。
「・・・・・・・・・ねえ、さとりちゃん」
「はい」
「どうして?」
雛が尋ねる。
今度は純粋な質問として。
「こうしないと、伝わらないこともあるかと思いまして」
私は何を説明しようという気もなく、ありのままの思いを口にする
その言葉からややあって、彼女がきゅっと、私のことを抱きしめ返してくる。
風が吹き、見上げる彼女の頭の上で、深紅のリボンが揺られているのが見えた。
まず、伝えた。
次は、言おう。
「雛、さっきも言いましたが、実はお話があるのです」
「なにかしら?」
「私は、あなたに隠していたことがあるのです」
突然の告白。
雛はゆっくりと、一度だけ頷いた。
意を決する。
そして私は、私の嘘を、私の枷を、取り出して見せる。
「私にはですね、相手の心を読む能力があるのです」
「え?」
「意識と言った方が正確でしょう。心の声は、何もせずとも聞こえてきますし、集中すれば、記憶や心理の全てを見透かすことが出来ます」
「・・・・・・」
「いとわれし者達を管理する地底の妖の長。私も嫌忌された妖怪なのですよ・・・。雛は、こんな私を嫌いますか?」
そう言って私は、もう一度雛を強く抱きしめる。
突き放して欲しくないから。
受け入れて欲しいから。
それは、願いを伝える行為。
「そうだったの・・・・・・・・・そうね、確かに怖い。嘘はつけないわ。・・・けれど、よく話してくれたわね」
「このあいだ、嘘をついてしまいましたから」
「いいのよ。・・・・・・あなたがどのような能力を持っていようとも、今更よ。さとりはさとり。私の、大切な友人よ」
「・・・・・・・・・ありがとうございます」
そして雛は、まるで言葉を直接伝えるかのように、私のことを抱きしめ直してくれるのだった。
あ、暖かい。
まるで厄を受け取ってもらったときのように、自身の心のおりが溶け出していくような気がする。
それは私の心を硬く固めていたもので、いま浄化され、昇華していく。
本当は、厄を移されているのだから、あべこべだというのに。
「それにしても雛、あんな目にあっても、やっぱり厄を集めているのですね。痛いくらいです」
「だからやめなさいって言ったのに、もう。・・・・・・・・・んー、そうね。やっぱり、性分だから。さすがに人里には行けてないんだけど、厄は集めてしまうわ」
そう言って雛は、苦笑いを受かべる。
私はもっとちゃんと彼女と向き合えるように、抱きしめる腕の力を緩め、腰に手を添える。
そうして、彼女の瞳の色を真っ直ぐにとらえながら。
「雛は、それでいいのですよ」
「んー?」
「雛は本当に優しくて、思いやりがあって、清らかな人です。だから、先日のことは、一事の誤解に過ぎないですよ。きっと分かってもらえます」
「そうかしら」
「分かってもらえなくても、私が分かってます」
「それは頼もしいわね」
そう言って見つめあったまま、目を細めて、2人で笑い合う。
当初の深刻な調子もなく、打ち解けあったもの同士の、少し惚けたような空気が流れ始めていた。
でも駄目だ。
もう少しだけ、お話をしないと
「それでですね、雛」
「なあに?」
「もう1つ、お話があるのです」
それは、幻想郷の歴史を変えた、少なくとも変化に無視しがたい影響を与えた、神様のお話。
「実は地底と地上についてなんですが」
「ええ」
「最終的に、このまま繋げたままにすることにしました」
とたん、雛の心に浮かぶ、2つの世界が結ばれる期待。
生じる摩擦への不安。
そして、喜びの理由。
・・・・・・ふふ、私は、そんな嬉しい声まで聞き取ってしまう。
「偉い方々が集まって、何時間も話し合ったのですが、結局決められなかったんです。それで、地底のことは地底の代表者が決めろと、私に決定権が投げられまして」
「・・・・・・・・・」
「最初は凄く迷ったんです。実際に衝突も起きていますし、問題も山積みです」
「そうでしょうね」
そうだ。
それは決して無視できない要素。
こいしの言うような美しい理想ばかりで、物事を測ってはならない。
「けれど、結局のところ私は、可能性にかけてみたくなってしまったんです」
「そう」
「だって地上には、雛のような美しい心を持った人がいたんですから」
ただし、やっぱり楽観論。
雛のような人はきっと希少だろう。
けれど、こんな人が存在する幻想郷なのだから、もしかしたら理想の糸口は存在するのかもしれない。
そして、なによりも
「雛と、これからも会いたかったですから」
「・・・・・・・・・私もよ」
「ええ、知ってます」
「あら、それは恥ずかしいわね」
もしかしたら、危険な賭けなのかもしれない。
けれど、理解しあうことを望む人がいて、それがより望ましい未来だとすれば。
「これから大変になります。だから雛」
私は最大限努力しよう。
この与えられた能力も惜しまず、持てる力の全てをもって。
「一緒に、2つの世界が手を取り合えるよう、頑張ってくれませんか」
この、誰よりも他人の幸せを願う、大切な人と一緒なら、難しくても叶う気がするから。
「ええ、喜んで」
私は、もう一度、心を通わせることを望もう。
「おぉ~~~い」
地底に少女の声がこだまする。
「おぉ~~~い。土蜘蛛ー。」
「は~い。なんだ河童。また来たんだ」
「またとはなんだよー、またとは」
「言った通りの意味だよ」
「なにをー!」
会って早々に言い合いをはじめる2人。
けれど、ふと目が合った瞬間、互いににへらっとしてしまう。
それが恥ずかしくて、やや顔を赤くしながら、2人同時にそっぽを向く。
この、なんとも奇妙なやり取りを行っているのは、土蜘蛛の黒谷ヤマメ、河童の河城にとりである。
数週間ほど前のこと。
古明寺さとり、鍵山雛の両名がにとりの工房を訪れ、なんのかんの理由をつけて、彼女を地底へ連れ出したのだ。
向かった先は、黒谷ヤマメの住みか。
当然いがみ合う2人だったが、さとりに心の真象を読まれ、雛の毒気のない語りに翻弄され、ああだこうだと反抗したり恥ずかしがっているうちに、すっかり馴れ合ってしまったのだ。
以来、にとりは地底に赴く際、ヤマメのもとを訪れるのを習慣とするようになった。
もともと背格好や精神年齢・気性も似ているところのある2人である。
相変わらず口汚い応酬が続くが、なんとなくそれも居心地がよく、気のおけない仲となっている。
もっともこれらは、すでにさとり妖怪が2人に指摘した内容であるのだが。
「そんなことよりもさー、土蜘蛛」
「ん、なんだい」
どっかとヤマメの隣に腰を降ろし、背のリュックサックをまさぐりだすにとり。
そして、目当てのものを見つけ、それを取り出す。
「じゃーん、ほら、完成したんだよ」
「あ、例のクモの糸を真似たロープ??」
「あたりー。すごーい強度で、こんなに細いのに、鉄の塊だって吊り下げられる優れものさ!」
河城にとりは悩んでいた。
彼女の工房では、様々なものを開発・生産しているが、金属線の強度が足りない事例が散発していた。
そして核融合施設の建設に当たり、大掛かりな設備を整えることになり、その問題が顕在化していたのだ。
そこにインスピレーションを与えたのが、ヤマメのクモの糸である。
にとりは、ヤマメが本当に細い糸で自身を吊り下げているのを見て、何か秘密があるのではと考察。
それが極めて細い糸が何本も寄り集まって強度を得ていることを発見したのだった。
「これで施設の建設も軌道に乗るよー」
「ふーん、よかったね」
言葉とは裏腹に、うっすらと柔らかい表情を浮かべるヤマメ。
その表情は、金属線を手に無邪気な表情を綻ばす、にとりに向けられていた。
「でさー・・・・・・・・・えっと、その、・・・・・・ヤマメ」
「な、なにさ」
つっかえた物を取り出すように、言いにくそうにヤマメの名を呼ぶにとり。
名を呼ばれたことに、ヤマメも驚きを隠せないまま、ややどもりながら応える。
「その、この金属線を開発できたのもヤマメのおかげだしさー、その、お礼といっちゃなんなんだけど、今度私の工房に遊びに来ないかなーって。いや、色々役に立ちそうなものがあったら、持ってっていいし」
「あたしが、にとりの家に、地上にかい?」
「うん」
そういって、伺うような視線をヤマメに向けるにとり。
ヤマメの長い逡巡に。
不安になり、恥ずかしさがこれを冗談にしてしまおうとなりかけた頃。
「うん、じゃあ、いつだったらお邪魔してもいい?」
弾けるほどの明るい笑顔で、そう答えるヤマメ。
こうして地底の土蜘蛛と、地上の河童の奇妙な友情は、新たな段階を迎えるようだった。
どちらもアリだああああ!
次回はヤマにとも読んでみたいなぁ、なんて
良い組み合わせ
次のレミ霊(?)も期待してます
よ、よかったです!!
そーいえば、この後地底のどっかからお寺が噴き出してきたような……しばらく、大丈夫のようですね。
変に勘ぐって行動しないよりも,
思い切って行動しちゃった方がいいことってありますよね。
それにしてもさと雛が抱き合っているシーン,絵で見てみたいなぁ
あまりない組み合わせですが、ありだと思います!
あと雛様に抱き付きたい