地上で降る雨。
その魔の手から逃げるように、普通の魔法使い、霧雨魔理沙は地底へと深く深く潜って行った。
頭部への桶の襲撃は軽やかにかわし、珍しく機嫌のいい橋姫の横を全速力で走り抜ける。
もう何度目かわからない、地霊殿へと通う道の途中である。
魔理沙が地霊殿という場所の存在を知ったのは、間欠泉異変を解決したときだった。
いつも通りに霊夢と先を争って解決を急いでいた魔理沙は、関係のない者は皆倒しつつ先へ進むつもりでいた。
途中で出会った地霊殿の主、古明地さとりもその例外ではないはずだったが。
「あなた、ずいぶん急いでいるのですね。……へぇ、『霊夢』には先をこされたくない、と」
人の心を読む妖怪だと自己紹介して、こう続けるさとり。
その言葉に、勝手に心を覗かれた不快感や、どことない恥ずかしさを感じた魔理沙は、それをごまかすようぶっきらぼうに言い返した。
「関係ないだろ、そんなこと。それよりも今は間欠泉だ。あれを止められるやつはどこにいる?」
「間欠泉ならもっと下にいるペットの担当ですが……。『そいつに会って間欠泉の量を増やしてもらおう』ですか。おかしいですね」
「おう、ばれてしまっては仕方がない。そう、私の目的は地上に温泉を作ることだ」
「ふふ、そうですか。しかしその目的すらも建前。面白いですね、あなたは」
さとりはそう言って笑い、魔理沙を地下へ案内するペットを呼びに行ったのだった。
誰にも明かしたことのない思いを見抜かれ、うすら寒い思いを抱く魔理沙を一人残して。
異変を解決した帰り道、地霊殿に別れを告げてからも、魔理沙の心にはさとりの言葉ばかりが浮かんでは消えた。
心の奥深くにしまい込み、決して表に出さないはずの考えを読み取って口にしてみせたさとり。
その姿に人間らしく恐怖を覚えると共に、いつの間にか心惹かれている自分もいることに魔理沙は気づいたのだった。
(また機会があったら会ってみたいもんだぜ……)
あのさとりってやつに。そうつぶやき、その名前の可笑しさに今さら気づく。
悟り妖怪だからさとりって、安直すぎるだろ。
そう考えて笑おうとしたが、うまく笑えなかった。
通り過ぎた川のほとりでは、一人の橋姫が妬ましそうに魔理沙を見やっていた。
機会は無ければ作るもの。その魔理沙の信念に従い、それから魔理沙とさとりが地霊殿で会うことが多くなった。
門番のいる紅魔館でも物怖じしない魔理沙にとって、地霊殿のドアや呼び鈴など無きに等しく、その様子は訪ねるというよりも押しかけるといったほうが適切である。
そのため最初こそ歓迎されなかった魔理沙だが、数を重ねるごとに徐々に客人扱いされるようになり、行けばお茶が出てくる程度の仲になった。
「コーヒーと紅茶、どちらがいいですか?」
地霊殿を訪ねた魔理沙に向かい、さとりが開口一番に聞くことがこれだった。
いい加減魔理沙の好みもわかっているであろうし、心を読むことも出来るのに、この問いかけをするのはやめないさとり。
そこで、魔理沙も毎度同じく答えるのだ。どちらがいいかと聞かれれば、
「紅茶を頼む」
本当は緑茶がいいんだがな、なんて心の中でつぶやくのもいつものこと。
実際さとりは緑茶>紅茶>コーヒーという序列くらい第三の目でとっくにわかっているのだが、あえて口に出して問いかけるのには理由があった。
それは、魔理沙との会合を重ねる上で定着した暗黙のルール。
たとえ読心により言いたいことがわかっても、口に出すまではそれを発言と認めないこと。
一見表面的に会話を成り立たせるためだけのこのルールが、何よりも大事だということを魔理沙もさとりもよくわかっていた。
わかっているからこそ、ごく普通の会話を交わし、笑いあうことができるのだ。
「うちのペットなんですが、最近……」
決まってこう切り出すさとりの話は大抵自慢のペットについてである。
滅多に外出せず、来客も魔理沙以外にいないからといって、さとりが面白い話の種を持たないことにはならない。
気づくと洋服の袖に入り込んでいるお燐の話や、灼熱地獄では半熟卵が出来ないと嘆くお空の話など、さとりの話題は多岐に渡り、魔理沙を飽きさせることはない。
ひとしきり楽しく話を聞いて、魔理沙も負けじと地上の話をするのが常だった。
「案外地下も楽しそうなもんだな。でも地上はもっと面白いぜ?例えば、だな……」
一方、地上を高速の箒で駆け回る魔理沙は、話のネタには事欠かない。
悪戯途中の妖精を捕まえて宴への手土産にした話や、河童に改造された天狗のカメラが爆発した話など、面白おかしく話して聞かせる。
さとりは始終、その情景を思い浮かべて楽しそうに笑うのだった。
だが、二人のおかしな会合は楽しいだけでは終わらない。
しばしの和やかな談笑の後、ふいに会話の途切れる瞬間が訪れる。
静寂が降りるその瞬間に、悟り妖怪は意を決したように息を一つ吸い込み、言うのだ。
「それで……。今日もまた、負けたのですね」
意識しているわけではないが、魔理沙が地霊殿を訪れるのは霊夢に弾幕勝負で負けた日が多かった。
落ち込んだ気分を抱えているうち、人目を避けるように自然と足が地下へと向かっているのだ。
初めて出会った時と同じように、さとりはいつもその思いを読み取り、あえて口にだして魔理沙に確認するのである。
「ああ、そうだ」
対して魔理沙の返答は短く、簡潔に。
暗黙のルールはこの瞬間逆転し、口ではなく心の声による会話が主となる。
魔理沙の発言はほとんどないままに、会話は進行してゆく。
「それも、以前は勝てていたはずのスペルで、ですか。霊夢は成長がはやすぎる、と。全く、その通りですね」
「ああ」
「霊夢の強さについて行くのがやっと……。ふふ、そうですね。でも、魔理沙がとても努力していることは、私がちゃんとわかっていますよ」
「……」
自分の心が赤裸々にさらされてゆく、いつもの感覚。
初めは不快にも思ったこの感覚はしかし、今の魔理沙にとっては爽快ですらあった。
長い間表に出せず、自分の中だけで積もり積もった劣等感を、こうもあっさりと理解してもらえること。
そこには慰めも同情も必要なく、ただただ自分の悩みを『聞いて』もらえればそれでよかった。
「悔しい、ですか。努力もろくにしないただの天才を追い越せないのは辛い、ですか」
「……ああ」
「それでも魔理沙は努力をやめないのですね。今も明日のことを考えているでしょう?明日にはまた魔法の研究を続けるあなたの姿が目に浮かびます」
「そうだな」
こんな、端から見れば何の実りもない、一方的な会話。
だが、魔理沙はこのやり取りをするたびに心が落ち着いていくことを実感するのだった。
そしてしばらくすると、後ろ向きの気分もすっかり忘れ、いつもの調子に戻ったと心から言えるようになる。
「おや、今日はとても早くに……。もう元気になったのですか?」
「ああ、そうだな」
「もう少し頼ってくれても良いのですがね。まあこんなところで許してあげましょう」
そういう時さとりは決まって息をつき、目を細めて寂しそうに笑うのだ。
それは、復活したエネルギーの塊が決して一箇所にとどまらないことを知っているからだった。
「よし、じゃあそろそろお暇するぜ。さとり、ありがとな」
たった五文字の感謝の言葉で、言いたいことは全てが伝わる。
そんな文字通り心をこめた捨て台詞と共に、魔理沙は訪問の時と同じ荒々しさで地上へと飛び去るのである。
だが、乱暴さの影に、今さらこみ上げてきた恥ずかしさが隠れていることも、さとりにはいつも筒抜けだった。
静けさと負の感情に満ちた地底の入り口を過ぎると、一転して賑やかな旧地獄街道へと出る。
鬼たちが常に宴を催し、喧嘩や宴会芸の絶えないこの街道は、地底で唯一と言っていい楽しげな雰囲気を持つ場所である。
しかし、いつもならば雰囲気に呑まれて騒ぎ出す魔理沙も、地霊殿へ向かう途中ではそんな気分になれないことが多かった。
「一番、杯の酒をこぼさず倒立します!スカートで!」
今日もその例外ではなく、騒ぐ鬼たちを自分とは別の世界の住人のように眺めながら、魔理沙はぼんやりと飛んでいた。
憂鬱の主な原因は、待てどもやまない雨だった。
いつもならば雨など気にせず傘もささずに空を飛ぶような魔理沙であるが、この日は少し事情が違った。
久しぶりに霊夢と本気の弾幕勝負をする予定があったのである。
何日も前から約束を取り付け、この日のために調整を重ねて準備万端だった魔理沙は、意地悪な雨にも勝負を諦めきれなかった。
そこで、雨の中を神社までおもむき、霊夢に勝負してくれるよう頼んだのであるが、案の定と言うか霊夢は、
「何言ってんのよ。こんな雨の中濡れてまで弾幕する気になれないわ。ほら、あんたも濡れた服どうにかしないと風邪引くわよ」
と、めんどくさそうな声色で答えたのだ。
朝のこんな出来事を思い返して魔理沙はふと、霊夢のこの発言に自分が訳もない苛立ちを感じていることに気がついた。
だが、その苛立ちは今日初めて感じたようなものではない。
霊夢が飄々とした態度をとるたびに魔理沙は、何故か苛立つ自分に気づくのだ。
(何故だぜ?)
自分でもわからない疑問に首をかしげ、考え始める。
考えるにつれて街道の光景はますます異世界のように感じられ、完全に自分の世界に没頭しようとしていたその時。
遠くに見える買い物客の集団の中に、見慣れた明るい色の髪が揺れていることに魔理沙は気がついた。
(さとり……?)
遠目にも間違うことの無いピンク色のその髪は、確かにさとりのものだった。
それを確信し、魔理沙はすぐに距離をつめて声をかける。
「よう、さとり。お前が外出してるなんて珍しいじゃないか。買い物の途中か?」
「へ……?ああ、魔理沙でしたか」
よほど買い物に集中していたのか魔理沙の接近に気づいていなかったさとりは、気の抜けた表情でふりむいた。
驚いたようなその表情に魔理沙は、珍しいものが見られた、と心の中で呟いた。
「……聞こえてますよ。恥ずかしいので私の顔を思い返すのはやめてもらえませんか」
「こらこら、勝手に心の中をのぞくなだぜ。それに、私とさとりの仲なんだ、こんなことがあってもいいじゃないか」
その言葉をさとりがどう感じたのかは、顔を伏せてしまったためわからなかった。
そこで魔理沙は、顔を見ることはあっさりとあきらめ、無言のままさとりを連れて地霊殿へ向かって歩き出そうとする。
その時ふと、さとりが右手に持った買い物袋が気になった。
「そうだ、珍しく買い物してたが、何を買っていたんだ?」
「ああ、これは……」
と、さとりが袋を持ち上げ、魔理沙に説明しようとした刹那、
「ん?さとりか?おーい、どうしたこんなところで!」
馬鹿でかい声で邪魔が入った。
声の方へ向き直ると、先ほどから宴会騒ぎをしていた鬼の一人、星熊勇儀がさとりの知り合いらしく、こちらへ向かって手を振っていた。
小さく手を振り返すさとり。それを見て大股開きで近寄ってきた勇儀は、近くまで来て初めて隣の魔理沙に気がついた。
「おっ……と。これは大変失礼した。邪魔者は去ることとしよう。とってもお似合いだよ、お二人さん」
そして、何をどう勘違いしたか大声でこれだけ伝えて去ろうとする勇儀。
その言葉にさとりはまたうつむいて表情が見えなくなってしまった。
気まずい雰囲気にどうしてよいかわからなくなった魔理沙は、とりあえず勇儀をのしておくことにした。
弾幕を全身に浴びて勇儀は街道の端まで吹っ飛んだものの、酒はこぼさず愉快そうに笑っていた。
勇儀に出会ってからさとりがずっと顔を伏せたままだったため、結局二人はそのまま一言も交わさず地霊殿に到着してしまった。
出迎えに来たペットに買い物袋を渡して何やら指示を与えたさとりは、そのまま魔理沙をいつもの応接間へと案内する。
いつも通り飲み物を聞かれるかと身構えた魔理沙だったが、この日に限ってそうはならなかった。
「今日はいつもと趣向を変えてみようと思いまして、ですね。ええと……緑茶、を買ってきてみました」
心なし恥ずかしそうにそう告げるさとり。
買い物袋の謎が解けると同時に、魔理沙はその言葉に嬉しさを感じた。
いつも相手のことを考えないような侵入紛いの登場の仕方をしていても、来客扱いされるとやはり嬉しいものである。
その人との関係が少し進展した、と確かに思えるからだ。
「へぇ、珍しいな。だけどいい選択じゃないか。実は私は緑茶が好きなんだ」
だからこそ、白々しいと思いつつも親指を立てて感謝の意を示す。
何も言わないのに『偶然』魔理沙の好みを理解してくれたさとりは、魔理沙に褒められてどこか嬉しそうにしていた。
「それはよかったです。ペットがお茶を運んでくるまでもうしばらくかと」
そしてまた沈黙が下りたが、それは先ほどのような居心地の悪いものではなかった。
その静寂にゆったりと身をゆだねていると、果たしてノックの音が聞こえ、緑茶を持った妖怪が入室してくる。
さとりのペットの一匹で、お燐とはまた別の、白いワンピースの化け猫である。
「ご苦労様。……あら、あなたも欲しいの?」
お茶をテーブルに並べるペットの視線は、終始見慣れない緑色の飲み物に注がれていた。
ペットの興味深そうな様子に目ざとく気づいたさとりは、どこからかペット用の皿を取り出してきて緑茶を注いでやった。
化け猫はそのまま白い猫の姿をとって皿の緑茶を飲むかに見えたが、猫舌にはまだ熱いらしくすぐに舌を引っ込めた。
その後も躊躇する白猫の様子に魔理沙から思わず笑いがこぼれる。
「化け猫っつっても可愛いもんだな。あいつは喋れないのか?」
「ええ、辛うじて人型はとれますが、人の言葉はまだ……。尻尾が二本に分かれる頃には話せるようになりますよ」
この会話を皮切りに自分のペットについてあれこれと語り始めるさとりは、心底幸せそうな表情をしていた。
日常のつまらないことを対等な立場で話し合える相手がいることで、これまでになく満ち足りたような顔つきだった。
そして、湯飲みの緑茶も冷める頃。
今日もまた、ふっと会話の途切れる瞬間が訪れた。
人の声は急に聞こえなくなり、応接間に聞こえる音は、やっと安心して飲めるようになった緑茶を白猫が嬉しそうになめる音だけ。
小さなはずのその音が大きく反響して聞こえる。
さとりは魔理沙の訪問のたび、この瞬間の訪れをいつも恐れていた。
楽しい会話に自分で終止符を打つのが忍びないからである。
そのため、最近は話の種をたくさん用意しておき、会話の終了を先延ばしにする努力をしていた。
しかし、先延ばしにも限度はあり、いつかは話すことも無くなって、話し足りないのにそれ以上何も話せなくなってしまうのだった。
さて、とさとりは憂鬱な心をひきしめた。
ここからが魔理沙にとっては本題のようなものなのだ、しっかりしなければ、と。
しかしそんな思いと裏腹に、自分で思い浮かべた『本題』という言葉に思わぬ恐怖が襲ってくる。
自分はもっと魔理沙との日常会話を楽しみたいのに、魔理沙の『本題』がそこにはなかったら?
もし自分との会話など望まれてすらいなかったら、と考えると、とても恐ろしくなった。
心を読んで確かめることも出来るはずなのに、臆病なさとりは第三の目を開きもせず、恐怖をごまかすように言葉を紡ぎ始めた。
「今日は、地上は雨なのですね。霊夢と弾幕ができなくて残念でしたか?」
「ああ」
沈黙の訪れから口を開くまでの葛藤はともかく、一度話し始めてからは楽なものだった。
少し集中すれば流れ込んでくる魔理沙の思念を読み取り、口に出してその思いに共感する。
ただそれだけで、複雑に絡み合った魔理沙の思いがわずかにほどけ、心が晴れて喜んでくれるのをさとりは楽しみにしていた。
「ですが、雨では仕方ないのではないですか?霊夢に対して苛立つのはお門違いかと思いますが」
「私にもよくわからないんだ」
「……違うのですね。今日のこととは関係なく、霊夢の態度に腹が立っているのですか。やはり、悔しいのでしょうか?」
「そうかもしれないな」
はっきりと口にはしないが、心の中の正直な魔理沙は、霊夢という天才に対する強烈な劣等感を訴えかけていた。
私はこれほどまでに努力して、あいつはあんなにサボり屋で、なのにどうして追い越せないんだ、これが才能の差なのか、と。
表に出さないその思いは、魔理沙とさとり、二人だけの秘密だった。
「もう頑張るのはやめてしまおうか、なんて似つかわしくもないことを考えるものですね」
「……ああ」
「努力したって報われない、と。そう思うのですか。本当にあなたらしくない……」
「…………」
黙り込む魔理沙。
しかし、魔理沙の心は逆に雄弁さを増し、さとりに語りかけてくる。
いつもならばそれに相槌を打ちつつうなずくところである。
「はぁ、まったく。こんなに塞ぎこまれたのは初めてですよ?いい加減にしてください」
だが、いつまでもこんな調子の魔理沙に、今日のさとりは全く納得がいかなかった。
うじうじと魔理沙らしくない思念を拾い続ける第三の目を閉じ、代わりに両の目を見開く。
こんな落ち込んだ魔理沙は見たくない、そう叫びたいような気持ちを全て言葉に乗せ、叱咤するように言い放つ。
「大体あなたに本当に才能が無かったら、霊夢についていくことも出来ないでしょう。それでも悔しく感じるなら、きっとそれはあなたと霊夢とで価値観が違うだけです。霊夢は今のままで満足していて、あなたはまだ飽き足りないと思っているというだけ。だから、心から思っているわけでもないのに努力の意味を疑うことなんてやめてください。第一、あなたのその努力が無ければこうして私たちが知り合うことも無かったかもしれないじゃないですか。そんなの、絶対に許せません!」
頭に血が上ってのぼせたようになり、しかし言いたいことは言ってやったとすがすがしい気分だった。
半分勢いで言い放ったような言葉に息が上がるさとりに対し、魔理沙はしばしきょとんとした後、急にこらえきれなくなって吹き出した。
「だははは、それがさとりの本音か?今まで知らなかったぜ」
さとりの素直な気持ちを初めて聞いたと、素直と程遠い魔理沙は笑う。
その反応に、はずみとはいえ自分が言ったことの意味をやっと理解して、さとりは今更ながら耳まで赤くしてうつむいた。
「さて、それじゃそろそろ帰るかね」
元気に立ち上がり、帰り支度を始める魔理沙。
今でこそいつも通りの様子だが、先ほどのさとりの発言から魔理沙の笑いが止まるまではかなり長い時間が経っていた。
早くに平静を取り戻したさとりは、そんな魔理沙のことをずっと恨みがましそうに睨んでいた。
「今さらいつも通りに振舞ったって、許しませんよ。あんなに笑うこともないでしょうに」
「まあそう怒るなよ。お前の口からああいう言葉が出るのがちょっと意外だっただけなんだからさ」
そう言ってニッと笑う魔理沙にも、さとりはむっつりとした表情を崩さなかった。
だが魔理沙もさとりの不機嫌そうな様子にはとりあわない。本気で怒っているわけでないことくらい、心が読めなくてもわかるからだ。
「今日のお茶はおいしかったぜ。ありがとな」
たった五文字の魔法の言葉を伝えながら、魔理沙はさとりに言われたことを思い返す。
予想外の発言にややかき消されてしまった感もあったが、今日さとりが教えてくれたことは、魔理沙の心に強く響いたような気がしていた。
しない努力の意味を疑うことの無意味さ。
そして何より、自分は努力をやめる気などさらさらないと、さとりに言われて改めてわかったのが嬉しかった。
少し立ち止まってみたのは、何でも悩みを聞いてくれるさとりに甘えてみたかっただけで、叱咤激励されるとまた上を目指す勇気とやる気が湧いてきたのだった。
――この考えも、聞かれてるかもしれないんだよな。
ふと気づいて赤面する。
いつもと同じく何もかもが終わった後で襲ってきた恥ずかしさから逃げるため、魔理沙は箒にまたがり魔力を高めた。
「じゃあな。……あと、私もお前と出会えたことは良かったと思ってるよ。だからまた来るぜ!」
思いついて付け加えた言葉に、さとりが一瞬嬉しそうな表情を浮かべた、ような気もした。
しかし魔理沙はそれを確かめずに、地霊殿から文字通り飛び出していったのだった。
魔理沙のロケットスタートが舞い上げた埃の目立つ地霊殿の応接間、そこにさとりは一人で取り残された。
部屋の片隅に、緑茶を飲み終えて丸くなっている猫をみつけて抱き上げる。
ペットに仕事をサボらせることになる気もしたが、どうでもよかった。
今、誰の温もりもなく一人でいることには耐えられそうになかったから。
「ねえ。あなたには、私と魔理沙の関係はどう見えますか」
白猫を優しくなでながら、問いかける。
人の言葉を持たない化け猫は音を発しないが、悟り妖怪の能力によって会話は成立していた。
「ふふ。そうですか。それは嬉しいですね」
傍目には無為に見える会話。
それは、悩みを抱え込んだ魔理沙とさとりとの特別な『会話』に酷似したものだった。
あるいは、心中を言葉にして人に話す勇気や手段を持たないという意味で、魔理沙とペットとは似たもの同士なのかもしれない。
「私ですか?私は……、よくわからないです。ただ、家族以外の人間で私を訪ねて来てくれるのは魔理沙だけですから。もちろん嫌いではないですよ」
だが、明確に違う点もある。
こうしてペットと話しているときは何でも洗いざらい言えるのに、魔理沙と話すとなると、一番言いたいことがいつも言えないのだ。
魔理沙に笑われて恥ずかしい思いもしたが、今日思わず本音が出てしまったことも、考えようによれば良いことなのかもしれなかった。
「魔理沙は、間違いなくまた来ますよ。大変な努力家なので、また悩むことも出てくるでしょうから。そんな時に頼ってもらえれば嬉しいです」
第三の目によると、魔理沙のさとりに対する好意は、親しい友人に向ける程度のものだった。
しかし、好意を寄せてもらえるだけで飽き足らず、さとりは魔理沙にもっと深く自分を好いて欲しいと思うことがあった。
自分でもなぜそこまで望むのかわからないし、自分が魔理沙とどういう関係でありたいのかもはっきりしない。
ただ、一つだけわかることはある。
それは、さとりは魔理沙のことが好きで、できれば他の人に目を向けて欲しくない、という独占欲まで持っているということ。
しかし魔理沙の行動力は膨大で、一所に留まってなどくれないし、多くの人妖と交流がある。
だからさとりは魔理沙の一挙手一投足に振り回され、ちょっとした言葉に柄にも無く喜んでしまったりするのだ。
相も変わらず静かな応接間、白猫を抱いた少女がため息を一つ。
魔理沙との楽しい時間が過ぎ去った後には、必ず誰かに愚痴でもぶつけたい気分になる。
「まったく。罪作りな人ですね、魔理沙は」
維持するのか、縮めるのか
さとまりは、イチャつくよりもこんな感じの方が合っている
こういう関係のが好きです、自分は。
このお話の魔理沙をみて、そんな言葉を思い出しました。
分かってくれるからこそ、心地がいい。
なんとも素敵な関係だと思いました。
この関係が壊れる時が来るとしたら、壊すのは魔理沙なのかさとりなのか
この二人はこのぐらいの距離感がいいと思う
あと、あとがきのこの言葉卑怯や…
>流れ星を独り占めするのは無理なことなのでしょうか、と。