「何があったの? 鈴仙」
ベッドに寝かされ、腕や足をギプスで固められた鈴仙。
徹夜で彼女の手当てをした永琳は、疲労の色を滲ませながらも、意思の篭った眼で彼女を見据えた。
鈴仙の白く整った顔には、痛々しい青あざや切り傷が刻まれている。
膝にも届こうかという流麗な髪も、無残に切り裂かれ、今では肩にも届かない。
見るも無残な状態であっても、彼女の顔にそれを嘆くような色はなかった。
それは自らの師匠である永琳の腕を信頼しているからであり、何を必要としているかを理解しているからだった。
「人間たちです、帰り道に襲撃されまして」
鈴仙はあくまで普段通りの表情で、それでいて至極端的に答えた。
その言葉に眉をひそめる永琳。
「あくまで警告に留めておきたかったみたいですね、殺すなと言っていましたから」
鈴仙の体には致命的な箇所への打撃は全くなかった。
彼女自身を貶めるよう、顔への傷や髪の毛の切断は行われているが、あとはせいぜい、打撃を加えたような痕だけ。
鈴仙への怨恨ならば、このような回りくどい真似はしないだろう。
ならば永遠亭全体への恨みか、永琳は腕を組んで思い当たる節がないかと考えはじめた。
鈴仙は襲われたときのことを深く思い出しながら、伝えるべきことを必死で選ぶ。
「師匠」
「何?」
「思い出しました、私が気絶する直前に彼らは、薬箱を叩きつけていきました」
「ああ、それならてゐが言っていたわ・・・・・・」
道端で倒れていた鈴仙を助け、永遠亭へと引っ張ってきたてゐ。
酷く取り乱していたため、鎮静剤を与え、別室で休ませている。
彼女も戻ってきたとき、上手く言葉を紡げてはいなかったけれど、薬がばらまかれていたとは言っていた。
「他には?」
「そうですね・・・・・・。電気銃を使われました」
「・・・・・・」
この幻想郷でそのようなものを手に入れるには、八雲紫の気まぐれか、河童の横流しか。
永遠亭にもそれに準ずる武器が護身用として置いてあるが、それが流出したという事実は存在しない。
一体これは、何を意味しているのか。
「ほかには?」
「すみません・・・・・・。顔も割れないようにしていましたし・・・・・・」
「そう・・・・・・。またしばらくしたら見に来るわね、少し寝ておきなさい」
「はい、それと、ほかのイナバたちに外出を控えるように言っておいてください」
「それは昨晩のうちにしておいたわ、安心して休みなさい」
優しく頭を撫で、永琳は病室を後にした。
鈴仙は永琳の心遣いに深く感謝をし、唇を噛みながら、ボロボロと大粒の涙を零した。
◆
いつものように、置き薬を配る作業を済ませた鈴仙は、夕暮れの中をとぼとぼと家路についていた。
他人と交わることを好まない鈴仙は、妖怪兎たちの中でも異質な存在だと捉えられていた。
淡々と事務的な会話をこなし、憮然とした表情で去っていく。
それでも、最低限の礼儀は持ち合わせている彼女は、特別恨みを買うようなことはないはずだった。
元々軍人として鍛えられていた鈴仙にとって、素人の殺意ほどわかりやすいものもない。
里を抜けてすぐに、鈴仙は不穏な空気に気づいた。
数にして、約十人。
ねっとりとした視線とともに殺気を向けられている。
しかし、純粋に殺意を持っているものはたったの三人。
残りは大方チンピラでもかき集めて来たのだろう。
チンピラどもに、殺られてたまるか。
私を殺したいのなら、戦車でも連れて来い。
一人毒づいてから背負っていた薬箱を地面に置き、殺気をむき出しにした狙撃手へと狂気の瞳を向ける。
鈴仙の瞳に魅入られた男は、何事か叫び声を開けて空へと銃を乱射した。
その銃撃音が、戦いの火蓋を切る。
「くそ! 数で押せ!」
物陰や草陰から飛び出した男たちがたちまち鈴仙を囲む。
その数、九人。どうやら数はピッタリだったようだ。
大の男が女一人によくもまぁ、鈴仙は苦笑いをこらえて彼らを睨みつける。
背丈の低い男、手足のヒョロ長い男、ガタイの良い男。
ゴーグルを着けているため面相のわからない男もいるが、その全員がロクデナシであることぐらいは一目でわかる。
その全員が輪を作り、ジリジリと鈴仙への間合いを詰める。
しかし、不敵に笑う鈴仙は不意に姿を眩ませる。
「グェッ!」
囲んでいたうちの一人が、文字通り意識を刈り取られる。
自らの存在を希薄にしての喉元への打撃。
突如別の場所に姿を現したように見えた鈴仙に怯え、数人は数歩あとずさりをした。
「何のつもりかは知らないけど、たたじゃ済ませない」
体の周りに弾幕を展開し、歯をむき出しにして威圧する鈴仙。
それをみて、背を向けて走り出したのが二人。
残りの悪漢は、六人。
それぞれが手に、棍棒や銃と思しきものを抱いていた。
まるでそれが目の前の魔物を蹴散らしてくれる宝具だと言わんばかりに。
「一体何が目的? 永遠亭はあなたたちに敵対した覚えはないのだけど」
個人で一大勢力に成り得るものもいるが、やはり組織というものが大きな力を持つのは自明の理。
永遠亭は紅魔館や妖怪の山のように、幻想郷のパワーバランスを担っている強力な組織である。
それらの勢力が正面から争うようなことがあれば、幻想郷はあっというまに荒れ果ててしまうだろう。
だからこそスペルカードルールという喧嘩方式が存在している。
人間の里には知名度は低いとはいえ、それでも妖獣を多く従えている集団として認知されている。
横の繋がりが強い妖獣に喧嘩を売れば、手痛い反撃では済まないことは誰でも知っているはずなのだ。
だが彼らは、お互いの顔を申し合わせるように見合わせると、無言で間合いを詰め始めた。
彼らのわからずやに鈴仙は呆れ、再度自らの位相をずらす。
さっさと全員気絶させて帰ろう、その油断が鈴仙にとっての命取りであった。
五人が幻術に釣られるなかでたった一人、ゴーグルを着けている男だけが、鈴仙の動きに反応した。
そして、銃口から発せられた電撃が、鈴仙の体を襲う。
「かはっ・・・・・・!」
鈴仙の体から力が抜け、その場に崩れ落ちる。
「へへ、河童を懐柔しててよかったな」
唇を噛み締め、ホイホイと技術を売り渡したであろう河童へと、心の中で悪態をついた。
相手の戦力を分析しなかった自らの失態を恥じながら、鈴仙は動かぬ体を這いずらせた。
「さて、てこずらせてくれたなっと!」
棍棒が手首へと容赦なく振り下ろされ、グキャリという嫌な音とともに、つんざくような叫び声が辺りに響いた。
男たちは鈴仙の歪んだ表情を見ながら心底楽しそうに笑った。
吐き気を覚えながらも、鈴仙はできるだけ冷静に頭を働かせていた。
手段を問わなければ、今すぐにでもこの全員を皆殺しにすることはできる。
しかし、永遠亭の名誉のために、鈴仙はその手段を放棄した。
そして再度振り下ろされる棍棒。
鈴仙の膝裏へと叩き込まれた衝撃が、皿を叩き砕く。
痛みと屈辱に絶叫する鈴仙、男たちは笑いながら、順番に殴打を繰り返した。
「一応こいつも女なんだろ? 剥いちまえよ」
ゴーグルを着けていた男が、下卑た願望をあらわにし、鈴仙を蹴りとばして仰向けにした。
顔はよくわからないが、支配欲を満たしたがっているのがよくわかる口元だ。
新兵を執拗にいたぶるクソッタレな教官が、全く同じ顔をしていた。
そして男は、鈴仙のブレザーへと手を掛ける。
「下衆が」
感情を押し殺し、しかしブレずにハッキリとした声で鈴仙は告げた。
男はその言葉に激昂し、思いっきりに鈴仙の顔を殴りつけた。
「よってたかって女一人を襲うのか、心底屑だなお前らは」
折れた歯の混じった唾を吐き、呪詛の言葉を吐く鈴仙。
ルビーの瞳が爛々と輝き、真っ直ぐにゴーグルの男を見据える。
男は顔を真っ赤にし、鈴仙を屈服させようと握りこぶしを叩きつける、何度も、何度も。
周りにいた男たちは、執拗に殴りつけるゴーグルの男をなんとか止めようとするが、彼は手を緩めようとはしない。
「やめろよ、死んじまうって、殺したら俺たちが危うい!!」
中でも一番気の弱そうな男が、今更になって保身を叫んだ。
さっきまで、一緒になって殴りつけていた奴が何を言っているんだと鈴仙は思う。
ゴーグルの男と何も変わらない、屈従させることに興奮していたクズ野郎ではないか。
減らず口の一つも叩いてやろうと口を開くが、出血した口内は言葉を紡ごうとはしなかった。
「髪でも売って、今夜は飲もうぜ」
一番遠巻きで笑っていた男が、鈴仙の頭を掴んで髪の毛を切り裂く。
綺麗な髪は高く売れるのだ。
そして彼らは最後に、薬箱を思いっきり地面へと叩きつけて去っていった。
迎えに出向いたてゐが、倒れ伏す鈴仙を見つけたのは間もなくのことだった。
◆
鈴仙と別れ、永琳は頭を悩ませながら廊下を歩いていた。
なぜ、人間が永遠亭へ恨みを持ったのか。
なぜ、彼らは薬箱を叩きつけるような真似をしたのか。
あれが警告というのならば、彼らは自分の存在を暗に示唆しているはずだ。
ほどなくして永琳は、至極簡単な符号に気づく。
「これは・・・・・・。稗田の娘にでも、聞こうかしら」
丁度明日は往診の日。
里の事情に詳しいものに当たるのならば、上白沢慧音もアリなのだが、輝夜と藤原妹紅との関係もあってあまり芳しくはない。
その点稗田阿求ならばわだかまりもないため、踏み込んで会話できる。
大事な弟子の足を砕き、女の命を無残に踏みにじったこの償いは、いかにして支払わせようか。
だいたい、鈴仙の体を好きに弄んでいいのは、この世で私と輝夜の二人だけだというのに。
それに、泣きながら鈴仙鈴仙と繰り返していたてゐの顔が、脳裏に焼きついて離れない。
久しぶりに、弓を引こう。
永琳は、自分以外誰も訪れない弓射場へと足を向けた。
いずれにせよ、永遠亭に売られたこの喧嘩、買わぬわけにもいくまい。
一方、当主である蓬莱山輝夜は、いち早く悪意の正体に気づいていた。
藤原妹紅と逢瀬をかわしているときにこんな会話を交わしていたのだ。
「がいらいしゅ、って言葉は知ってるか? 輝夜」
「なにそれ、知らないけど」
「力の強い生き物が、元からいた奴らを食い尽くすんだ。
弱い奴らは、そのまま淘汰されることになる」
「へぇ、それって何か悪いことなの?」
「さーね、崩れたら崩れたで、じきに戻るものだよ」
妹紅が何を言わんとしているかは単純なこと。
永遠亭が薬屋兼診療所を開いたことで、元からいた医者の商売が上がったりになったのだ。
なんせ、永遠亭の薬は安い上に効く。
永遠亭の立場から言わせてもらうのならば、生活するための大事な収入源になっているのだ、やめるわけにもいかない。
それがたとえ、競争原理の働かぬ、殿様商売をしていたものを食いつぶすことになったとしても。
鈴仙には悪いけれど、久々に楽しいことになった輝夜は思う。
里の人間は、妖怪兎と一緒に住む女たち程度にしかこの永遠亭を認識してはいないのだ。
それはそれでとっつき易くていいのだが、今後のためにも立場をハッキリさせておく必要がある。
輝夜は縁側から足をブラブラさせ、満月を見ながらお団子をパクついた。
◆
「それで、前の専属医について知りたいと?」
「ええ、そういうことです」
柔らかな笑みをたたえた永琳は、普段以上に丁寧な物言いで薬の説明を終えてから、淡々と会話を切り出した。
稗田阿求は少しだけ考える素振りを見せて、渋々口を開く。
「あまり悪口は好きではないのですが・・・・・・」
「あら? 冗談は好きみたいね」
「・・・・・・。まぁそれは置いといて、私個人の感情で言わせてもらえば、好きではありません。
幻想郷に医者は一つしかなかったので、彼らは一種の特権階級でした。それこそ、永遠亭がくるまではね」
そういって、自ら淹れた紅茶を啜る阿求。
正直言ってあの家には、阿礼の子として生まれてから何度となく悩ませられてきた。
事あるごとに法外な謝礼を要求し、里の者からも同じように搾り取ろうとする。
憤慨した上白沢慧音が家に乗り込んでいったこともあったが、他に医術に長けたものもいないという言い分の前には無力だった。
そこに永遠亭である。
立地条件はさほど良いとは言えないが、小さな怪我や風邪に対応した置き薬のシステムに、妖怪兎の運ぶ買い薬。
そして何よりも、いままでは不治の病とされた重篤な症状もケロっと治す、八意永琳本人の医療技術の高さ。
それでいて、料金は良心的な上にいつまでも支払いを待ってくれるとなれば、くだんの家の評判は地に潜る。
「それでも、お金は溜め込んではいるようですよ。
屋敷の広さも随一ですし、ならず者を雇ってボディガードにしていると聞いています。
ほかにも黒い噂といえば、河童に金銭を積んで妙なものを揃えているとか。
医者がダメなら、自警団でも気取るつもりなんでしょうかね?」
「くだらない連中ね」
思わず感情を露わにした永琳に、阿求は優しく微笑む。
「八意さんも、感情を露わにするときがあるんですね、人間味が感じられて安心しました」
「え?」
「もっと不気味な方だと思っていたので」
きょとんと表情をした永琳が可笑しくて、阿求はクスクスと笑ってみせた。
阿求の発言は不躾だったが、永琳は不思議と不快には思わなかった。
むしろ、共通の敵を持ったという連帯感が芽生え、好感が持てる。
元々、鈴仙を襲った犯人というのは同業者だという確信はあった。
なるほど、永遠亭の存在は、貴族のプライドを痛く傷つけてしまったらしい。
しかし彼らは残念なことに、永遠亭を過小評価しているようだ。
「ねぇ稗田さん」
「はい?」
「強者ほど笑顔でいるって、すごく的確な表現だと思うわ」
そう言いながら永琳は微笑み、ぬるくなった紅茶を啜った。
◆
その日彼は、上機嫌に夜の里を歩いていた。
妖怪兎を襲ったときの報酬が、一週間経ってようやく手元へきたのだ。
ただ棍棒で妖怪を殴打しただけ、時間にして一時間もかかっていない、そんな手間で飲みどころか女を買っても釣りがくる。
やはり、あの家からの仕事は旨いと、思わず彼はほくそえんだ。
まずは行きつけの店で一杯引っ掛けようと、歩く者もまばらな道を歩いていると、目の前から派手な化粧の女が駆け寄ってきた。
「そこのオニーさん」
「んぁ?」
「うちの店、寄っていかない? 開いたばっかりだからサービスするよ。電気ブランなんてどう?」
そういって女は首をかしげる。キツい香水の匂いが漂った。
しかしよくよく見れば、体型も顔立ちも幼いが、艶やかな女の魅力を漂わせていた。
中々お目にかかれない種類の美人に、男は心動いた。
「んじゃぁ、連れて行ってもらおうか」
「やった、オニーさん大好き」
女――因幡てゐは、男へと飛びついて、嬉しそうに腕を組んだ。
しかしてゐは世間話を振る口調とは裏腹に、憎悪の表情を見せている。
男は機嫌よく前を向いていたために、そのことには一向に気づかない。
そして、二人は町外れの小さな建物へと消えた。
◆
時間は数日巻き戻る。
鈴仙が怪我をして戻ってきてから三日後、てゐは札束を握り締めてカツラ屋へときていた。
綺麗な髪の毛だった。金に汚い連中だろう、すぐに現金化したに違いない。
女の命を辱めてなるものかと進言し、自らその役目を買ってでた。そんな彼女は今現在、主人の胸倉へと掴みかかっていた。
「だから、あれはもう売れたってば」
「誰に! いつ!」
今にも殴りかからんとするてゐの剣幕に押され、主人はポロリと顧客の名前を零した。
「ほら・・・・・・。人形遣いのアリスとかいう」
「アリス・・・・・・」
人形作りのために鈴仙の髪の毛を使うのかもしれない。
人形に使われていないのなら、返してもらうアテはあった。
「それで、いつ売ったのさ!」
「あんたが来るちょっと前だって! いまから行けば追いつくかもしらんよ!」
「ありがと!」
そう言っててゐは、お札を一枚置いてカツラ屋を飛び出した。
まるで嵐のようだったと、主人は呆れながら、彼女の置いていった札を懐へとしまった。
魔法の森へ向かいながら、てゐは何度もつまずき、転び、擦り傷や痣を全身に作りながらも必死でアリスを追いかけた。
気恥ずかしくって口には出せないけれど、てゐは、鈴仙のことが大好きだった。
ほかの妖獣たちからは一目も二目も置かれ、古参の妖怪たちからは普段から何かを企んでいるだろうと信頼されることはなく。
永遠亭の傘下に入るまでは、大勢の妖怪兎たちを率いていたてゐにとって、鈴仙のように真正面からぶつかってくれる友人は新鮮だった。
自分よりもはるかに年下のくせに、お姉さん面をして、部下からひんしゅくを買ってしまう間抜けな鈴仙。
時折見せる寂しげな表情にもどかしさを覚えていたてゐは、不幸なことに巻き込まれた彼女が不憫で堪らなかった。
見舞いのたびに、気丈に笑っては見せるけれど、それがてゐにとっては余計に辛い。
いっそ泣いてくれたなら、一緒になって泣く用意はできていたのに。鈴仙は、心配はいらないと微笑みながら、優しく頭を撫でるのだ。
私の前で泣けないのならば、鈴仙の分の涙まで、精一杯に流してあげよう。
痛々しい傷跡や、三角巾で吊るされた腕に触れて、可哀想だと声を枯らすしかできない。
そうして、いつまでも泣き止もうとしなかったてゐを、永琳は頃合を見て引き離そうとしたのだが、鈴仙はそれを優しく制した。
骨折していない、動く片腕でしゃくりあげる背中をポンポンとはたき、呆れた永琳は部屋の外から眺めていた輝夜を引きずって去っていった。
その日の妹紅との逢瀬は情熱的に燃え上がったというけれど、それはまた別の話。
アリスはカフェで珈琲を飲みながら、アッシュブロンドの髪の使い道を考えていた。
売った主は相当髪に気を使っていたのだろう、非常に手入れの行き届いた髪で、長さも申し分ない。
一体どこからこれが流通したのだろうかという疑問もあるが、アリス当人はよい材料が手に入ったのだから文句はないと思っていた。
この髪で咲夜の人形を作ったら、悪趣味だと怒られるかなと微笑んでみたり。
珈琲と一緒に頼んだケーキを口に運ぼうとして、ポトリと皿の上に落としてみたり。
とにかく、製作意欲が刺激されていることだけは間違いないのだ。
明日からは外界の情報を遮断して、チクチクと手縫いの作業をするかと思うと心が躍る。
カフェにいる人間たちは、一人で笑い出したアリスを不気味に思いながらも、人形遣いならよくあることだと流した。
アリスが里での買出しを終え、魔法の森へ帰ると、家の前には帽子を被った少女が立っていた。
たしか以前知り合った永遠亭の妖怪兎。彼らとは普段、ほとんど交流がないためにアリスは慎重だった。
一応は顔見知りとはいえ、基本的には何を考えているかわからない連中だ、そう簡単に近寄るわけにもいくまい。
しばらく草葉の陰から様子を見ることにしたアリス。
妖怪兎の少女は、時折空を眺めてはため息をついてみせ、顔をうつむかせては首を振ってみせていた。
自分に用があるのだと確信したアリスは、服を軽くはらってから少女のほうへと足を踏み出した。
「こんばんは、私の家に何か用?」
「あ、アリス・マーガトロイド・・・・・・」
もじもじして言葉の続かない少女に、アリスは首をかしげた。
「まぁ、何か用があるのなら中で話しましょう。お茶ぐらいは出してあげるから」
「あ、うん・・・・・・」
「それと、失礼なんだけどあなたの名前はなんだったかしら」
「てゐ、因幡てゐ・・・・・・」
「そう、私の名前は知っているみたいだから言う必要もないわね。まずは傷の手当てからかしら?」
そういってアリスは扉を開け、てゐを室内へと誘った。
噂には聞いていたけれど、家事のすべてを人形がこなす奇妙な光景にてゐは戸惑った。
家主であるアリス・マーガトロイドは人形の入れた紅茶を啜りながら、時折指をクイクイ動かしている。
そんな小さな動きだけで、人形たちはまるで、意思をもっているように動き回る。
「奇妙な世界に誘うのは白兎の役目なんだけど。アリス本人が誘うなんて笑い話だわ」
てゐはアリスの言葉を聞き流しながら、紅茶をスプーンでかき混ぜた。
鈴仙の髪の毛を返してほしい、その一言がこの奇妙な空気に圧されて出てこない。
また俯いてしまったてゐに、アリスは何か明るい話題がないかと考えた。
やはり、ここは自分の趣味の話をするのが一番。
そう考えたアリスは、鈴仙の髪を入れた袋を、バッグから取り出した。
瞬間、寝ていたてゐの耳が、ピクンと跳ねた。
「鈴仙の髪・・・・・・」
「え?」
「お願い、鈴仙の髪の毛を返して!」
そういって、てゐがテーブルに頭を擦り付ける。
アリスはその行動の意図がつかめずに、あたふたと場を取り繕うとしたのだが、どうにも様子がおかしい。
まずは話を聞いてみなければという考えに至った。
「えーと、鈴仙というのは永遠亭の妖怪兎よね?」
「うん」
「それで、髪の毛を返せって?」
「カツラ屋の親父から聞いたの。あなたが鈴仙の髪の毛を買っていったって」
「あぁ・・・・・・。このことね。でも、まだよくわからないの。自分の意思で売ったのでないのなら、どうしてカツラ屋に?」
「それは・・・・・・」
そういうとてゐは言葉を濁し、また俯いてしまった。
「話したくないならいいんだけど、とにかくあなたはこれを返してほしいわけだ」
半ばアリスは呆れながら腕を組んだ。
てゐはコクりと頷き、懇願の目をアリスへと向ける。
「お金なら払うから、お願い」
「まぁ、返すのが筋なんでしょうけど」
そういって、アリスは紅茶をかき混ぜ、神妙な顔つきをした。
てゐはアリスの言葉を静かに待ち、手を腿の上に置きながらギュっと握り締めていた。
「でも」
不意にアリスが切り出した。
「この髪の毛、結構量があるわね。何があったかはわからないけれど、自分の意思で売ったわけでもなさそうだし。
これが自分で売ったんじゃないんなら、それは悪ふざけの域をはるかに超えていることぐらい私にだってわかるわ。
でも、それとこれとは別。いま、この髪の毛の持ち主は私よ。私は人形作りのために、この髪の毛が必要なの。
ここまで手入れのなされた髪の毛が手に入るなんて滅多にない・・・・・・。
早い話、転がり込んできた幸運を、はいそうですかって手渡すわけにはいかないのよ」
「でも・・・・・・」
「まぁ、私も永遠亭と事を構えたいって言っているわけじゃないわ。あそこの主人とその従者の恐ろしさぐらい、私だって理解しているつもりだもの。
髪の毛ぐらいで彼女らが動くとは到底思えないけれど、わざわざ喧嘩を売るほど私も愚かじゃないわ。だから、私はいくつかの選択肢を提案したいの」
言い切ると、アリスは紅茶を一口啜った。
てゐは、アリスの次の言葉を待っている。
「別に難しいことじゃないわ。あなたたちに一歩引いてもらって、髪の毛を分けてほしいのよ。
できることならば、全部ほしいけど・・・・・・。髪は女の命、やんごとなき事情ならば、私だって強くは言えないわ」
「・・・・・・」
もとより、今回の騒動に何の関係もないアリスにとっては、藪蛇を避けながら権益を守っているだけ、この点に関しては永遠亭が妥協すべきだった。
ただしこれはてゐの一存で決められるものではない。少なくとも、てゐはそう判断した。
「わかった・・・・・・。でも、できることならば、永遠亭に足を運んでほしいの。
鈴仙本人の気持ちもあるし、輝夜さまやお師匠さまの意見も聞いてみなきゃ私だけで決められないから」
「ふぅむ」
てゐの言葉に、アリスは大袈裟に手を組んでみせる。
相手のフィールドに足を踏み込めば、不利になることは否めないからだった。
「如何せん、状況がわからない限りハッキリとは言えないわ。
正直言って永遠亭に行くのは骨だし・・・・・・。かといってあなたたちに森まで来てもらうのも大変でしょうし。
どうかしら? 明日辺り里のカフェかどこかで会うっていうのは」
これがアリスにできる最大の譲歩だった。
これに対しててゐも、これ以上は望めないと判断し、頷いてみせた。
「さ、この話はおしまいね。ね、永遠亭に帰る前にお風呂でも入って行きなさい。
服もお世辞にも綺麗じゃないし、擦りむき傷だってあるじゃないの。手当てぐらいできるわ」
「え・・・・・・。あ・・・・・・」
「ほら、遠慮しないしない。お湯だってもう張ってあるんだから」
後にてゐはこう語る。
着せ替え人形の気持ちが、よくわかった、と。
「それでまぁ、カフェに出向いてこいと」
永琳の私室で、てゐはアリスの提案を伝えた。
永琳はふむ、と頬に手を当て、どうするべきかを考えた。
正直なところを言うのならば、髪の毛にそこまで固執するものでもない。
変な使われ方をしないと約束するのであれば、こちらは一房思い出として持ち帰るだけで十分だろう。
しかしてゐの心情を鑑みれば、そういった妥協はしたくないことぐらい簡単に読み取れる。
「まぁ、優曇華次第ね」
結局のところ、本人の気持ちが重要だろう。
実を言うと、髪の毛を回収するというのはてゐが提案し、それに多数のイナバたちが乗っかったというのが正しい。
てゐを始めとした彼らは、仲間のためにという一念で、永琳へと直訴にきた。
だからこそ永琳はてゐに資金を持たせ、お使いへと出向かせたのだ。
永琳にとっては、髪の毛よりもむしろ、例の医者への報復のことを考えるのが重要だった。
その温度差はてゐも理解しているようで、無理やりに押すことはやめた。
「鈴仙のところへ行ってきます」
「いってらっしゃい」
ひらひらと手を振り、てゐを見送る永琳。
てゐが出て行ってから、小さなため息をついた。
「難しいわ。直接乗り込んで皆殺しにしてもいいのだけど」
サラっと言ってのけた永琳であったが、さすがにこの幻想郷でそれをするのは憚られる。
せっかく安住の地を見つけたのだから、もう少しスマートに解決と行きたいものだ。
「不祥事でも起こさせるか・・・・・・。っていっても、疑惑の総合商社なのよね、あの家は」
いまさら黒い関係をリークしてみても、大半は何をいまさらという反応を見せるだろう。
それでは意味がない。
永遠亭の威厳を落とさず、それでいて彼らの力を完全に取り去る。
考えれば考えるほど、難しい問題だった。
「やっぱり、真正面から行くしかないわね」
しかし、彼女の中で立てられた作戦は、傍から見れば変化球だった。
里の人間に対する説明がわかりにくいのは、自分が理解していないからだと感じた鈴仙。
以前から、暇な時間を利用しては薬学の勉強に励んでいた。
片手だということに難儀しながらも、鈴仙は永琳から借りた薬学書を片っ端から読み漁り、調合法や効能を頭に叩き込む。
怪我をしているからといって怠惰にしているわけにはいかないのだ。
「鈴仙? 大丈夫?」
「てゐ?」
呼びかけられ、鈴仙は本から目を離す。
扉からてゐが、顔を覗かせている。
心配そうな表情を向ける彼女に、鈴仙は若干苦笑した。
いつもは生意気なてゐが、怪我をした途端にしおらしくなってしまった。
てゐのそんな一面に、鈴仙は驚きつつも嬉しく思っていた。
月の兎ということで、どこか疎まれているんじゃないかと思い込んでいた鈴仙は、
自分のために世話を焼いてくれているてゐを見て、言葉には出さずとも感謝していた。
怪我の功名っていうのかしらね、こういうのって。
鈴仙自身には、髪の毛を失ったことや怪我をしたことを受け入れるだけ余裕ができていた。
あとは寝ているだけで、きっと師匠がなんとかしてくれる。
なんとかする、そう言っていたのだから、あとは安心して寝ているだけでいい。
ただ今は、滅多に見られないであろう、てゐのしおらしい姿を眺めていたかった。
「そっち、行っていい?」
「うん、おいで」
鈴仙が微笑んで見せると、てゐは絆創膏だらけの姿で駆け寄ってきた。
「え、怪我したの?」
「ううん、ちょっと転んだだけだから大丈夫。襲われたとかそういうことはないから」
「そう、どこで誰が狙ってるかわからないんだから、あまり出歩かないようにするのよ?」
ケラケラと笑う鈴仙に、てゐは泣きだしそうになってしまった。
ショートヘアーの鈴仙。
風にたなびいていた髪の毛に戻るには、一体何年かかるんだろう。
「あら、鼻なんてすすってどうしたの? はい」
悲しくって鼻をすすったてゐに、鈴仙はティッシュを差し出した。
鼻をかんでいると、一緒に涙まで溢れてきてしまった。
「もう、どうしたのよ。そんなに顔をぐしゅぐしゅにして」
「だって」
一体どうやって切り出せばいいんだろう。
鈴仙に今、失った髪の話をするだなんて、酷じゃないか。
そう思ってえづくてゐの頭を、鈴仙は優しく撫でた。
「もう、てゐは泣き虫なんだから。怪我だってたいしたことないんだし、すぐにいつも通りよ」
「そんなことないもん!」
突然大きな声を出したてゐに鈴仙はギョっとして、へにゃへにゃの耳がピンと立った。
「鈴仙の髪は、元通りにならないもん」
てゐはそういうと、また泣き出してしまった。
「ショートはショートで似合ってないかしら。今度また、きちんと師匠に揃えてもらうの。
いまは適当に切られてのザンバラ髪だから、恥ずかしくって」
そういって宥めようとするのだが、なかなか泣き止もうとはしない。
ついに困り果てた鈴仙は、てゐを自分の胸へと抱き寄せた。
「髪の毛ぐらい、またすぐ生えてくるわよ。切られたことよりも、てゐが泣いてることのほうがよっぽど悲しい」
動く腕で、しゃくりあげているてゐの背中をさすってあげると、呼吸も段々と落ち着いてきた。
「あのね、鈴仙」
「なぁに?」
深呼吸を何度か繰り返して、てゐは話を切り出した。
「鈴仙の髪はね、今魔法の森のアリス・マーガトロイドが持ってるの。人形の材料にしたいんだって」
「へぇ・・・・・・」
自分の髪の毛が人形の材料にされるのは、正直言って不気味だけど、カツラにされるよりは幾分かマシかなとも思う。
せめて、可愛い人形にしてくれたら切り離された髪の毛の供養になると思うんだけどって、この感覚はちょっとズレてるかな。
「んまぁ、私としては使い道がハッキリしているならそれはそれで・・・・・・。
それがあるからってまた生えてくるのが早くなるわけじゃないんだし、量もあるから置くにも邪魔かなって」
「じゃあ?」
「うん、あげても異存はないわ」
てゐはその言葉に一瞬、表情を暗いものに落としたが、すぐに笑って頷いてみせた。
「わかった! 明日アリスと会うからそのときにそう伝えておくね!」
そう言うと、てゐは鈴仙からパッと離れて、そのまま扉のほうへと走って行ってしまった。そして身を翻して。
「お大事にね! そうじゃないとからかい甲斐もないんだから!」
そう言っててゐは、目薬を鈴仙に向かって放りなげた。
嘘泣きだって言いたかったみたいだけど、それはちょっと、苦しい言い訳じゃない?
鈴仙はクスリと笑って、また薬学書を開いた。
翌日、帽子を被ったてゐがカフェへと出向くと、先に待っていたアリスは、奢りだと言ってケーキと紅茶を注文した。
どうしても鈴仙の髪の毛が欲しかったので、せめて印象が悪くならないようにとのアリスの配慮だったのだが。
てゐは遠慮なく、口いっぱいにケーキをほおばって、まだ足りないというアピールをしてみせる。
アリスは黙ってウェイトレスを呼んだ。
お金で解決するのなら、それに越したことはない。
アリスはてゐが話そうとするまで、ひたすら下手に出ていた。
結局、核心を話すまでにてゐは、ショートケーキにモンブラン、チョコレートケーキとついでに紅茶を三杯飲んだ。
甘味を時折補給しなければ心の健康に悪いのだとうそぶいていたが、アリスはそれを聞いて呆れることしかできなかった。
誰でもない、この兎のペースに乗せられた自分が間抜けなのだ。それにここまで華麗に騙されると、怒りを通りこして爽快感すら感じる。
「おかわり」
「帰れ」
前言撤回。兎一日見なければ活目してみろだ。
昨日は情緒不安定で今にも泣き出しそうだった兎が今日はどうだ。
口の周りにクリームをつけてふてぶてしく紅茶の追加注文をしている。
これにはウェイトレスも渋い顔。ついでとかいってアイスクリームも追加なさっておられますからねこの兎は。
「甘いものは別腹ってね」
甘いものしか食べてないのに?
突っ込んだら負けだと確信したアリスは、黙って勘定の計算をはじめた。
幸いお金に困るような生活はしていなかったが、まぁよくも小さい体で食べれるものだ。
それにあの美しい髪の毛が手に入ることを考えれば、ここでの勘定なんて安いもの。
ああ早く、家に帰って人形製作に入りたい・・・・・・。
「何でニヤニヤしてんの?」
「はっ!」
垂れかけていた涎を、咳払いをするふりをして拭いて、アリスは真面目な表情を急いで作った。
「ほかに何か条件はないの?」
「うーんと・・・・・・。可愛く作れだってさ」
「そりゃ・・・・・・。うん、全力は尽くすわ。約束する」
「ならきっと、鈴仙も喜ぶ」
てゐはそういうと、アイスクリームを口へと運んだ。
個人的には、鈴仙の髪の毛を渡すことは余り気が進まない。
けれど、本人が渡して良いというのなら、それに反論するわけにもいかないのだ。
幸い今は人の金、やけ食いをしても財布は痛まない。
できるだけ無愛想に、てゐはアイスクリームを頬張り続けた。
そろそろ、おなかがグルグル鳴りはじめたけれど!
「それじゃあ、一房だけ返すわね。はいこれ」
黙々と食べ続けるてゐの目の前に、アリスは小さな麻袋をおいた。
「人形ができたら、永遠亭に遊びにいってもいいかしら?」
「どっちでも」
つっけんどんに言い放って、てゐは紅茶を一息に飲み干した。
「ごちそうさま、帰る!」
てゐは麻袋をひったくるようにして、そのまま駆けて行ってしまった。
アリスは頬杖をついて、嫌われちゃったのかなと、少しだけ凹んだ。
「まぁいいや、私も何かたべよーっと。注文お願いします」
てゐは帰途、酷い腹痛に襲われた。
◆
男が目を覚ますと、そこは見覚えのないあばら家の中だった。
戸板もお世辞にも綺麗とは言えないし、室内は質素を通りこし、必要なものすら揃っていない。
夜もまだまだ深いらしく、光も差し込んではこなかった。
いったいなぜ、このような打ち棄てられた場所で体を縛られているのだろうか。
「クソ、離せよ!」
悪態をついても、その声に反応するものは誰もいなかった。
たしか客引きに連れられて、勧められるがままに酒を飲み干して・・・・・・。
そこからもう、記憶は途切れていた。
自分が、なぜ、どうして。拉致紛いのことをされなくてはならないのか? 一体自分が何をしたというのか。
男は得体の知れない恐怖に、次第に気持ちが萎えていった。
「目が覚めたかしら?」
いつのまにか、男の目の前には女が立っていた。女は腕を組み、まるで、ゴミでも見るような目をしていた。
縛られていなければ、男はきっと居丈高に振舞っただろう。下卑た想像も頭の中で繰り広げていたかもしれない。
しかし、今は立場が下。どこまでも小物な男は、怯えながら許しをこうた。
「一体何をするつもりなんだ、お願いだ、離してくれ!」
女――永琳は男のあまりにも足りない脳に若干苛立ちを覚えた。
まさか自分に、人質になるだけの価値を備えているとでもまさか思っているのだろうか?
もしかすると、私の事を快楽殺人者か何かと勘違いしているのかもしれないが、それでもわざわざ不細工な男を狙うだろうか?
「別に、殺したりなんかしないわ。ただあなたにはお願いを聞いて欲しいだけ」
「へ?」
「ちゃんとこなしてくれたら、謝礼は弾むわ」
永琳はあくまで淡々と言葉を続けた。
男もはじめは警戒していたが、美味しい気配に段々と態度を軟化させはじめた。
「まぁ早い話が、あなたにちょっとお仕事をしてもらいたいわけ。このお薬を、あの家の一人娘の食事に混ぜるだけ。
大丈夫、死にはしないわ。ただしばらく、悪夢にうなされるだけだから・・・・・・。でも、私のところに来なければ治せないでしょうね」
「へぇ、あんたはお屋形さまに何か恨みを?」
「お屋形さま?」
「そう、俺たちには呼ばせてるんで。まぁ、俺たちをチンピラ扱いして、給金もマトモに支払わないろくでもない奴ですよ!」
「へぇ」
致命的なまでに、哀れな奴だと永琳は思った。
はした金をちらつかせただけで、この男はいままでの雇い主を裏切るというのだ。
男は自慢げに、今までしてきた悪行を永琳に向かって語りはじめた。
永琳はそれを眉一つ動かさずに聞いていたが、それが鈴仙の話に及んだときだけは、ピクりと反応した。
「用はこれだけ。首尾よくやってくれればまた後日こちらから連絡を入れるわ」
「へい、お安い御用で」
永琳は彼を縛っていた縄をナイフで切り落とすと、そのまま闇夜へと消えていった。
「最近はツイてるな、楽な仕事で金が貰える」
さて、今が何時かはわからないが、飲み損ねたのだから飲みなおそう。
男はポケットに金があることを確認すると、今度こそ行きつけの飲み屋へ入っていった。
この一週間、永琳もただ座して待っているわけではなかった。
鈴仙の心のケアはてゐや他のイナバに任せるとして、永琳は当の屋敷に関しての情報を集めていたのだ。
河童の癒着問題も烏天狗へ金を握らせることで、いつでも公表できるようにし、同時に家を見張る役目も負わせた。
そこまでして思いついた方法が、相手の身内に毒を盛るというのも情けない話だったが、対等の立場で話そうとすれば相手が応じるわけもない。
ならば外堀から徐々に埋めていって、丸裸にした上で絡め落とす。
何のしがらみもなければ食中毒を装って皆殺しにでもすればいいのだが、何の罪もない人間も巻き込むのは可哀想だ。
それに万が一でも、巫女や妖怪の賢者に気づかれてしまえばそれはそれで厄介なことになる。
せっかく得た安住の地を、わざわざ手放す道理もない。
「なるべく穏便に、スマートに」
優曇華の襲撃に関わっていた男をリストアップし、拉致をした上で協力を求める。
従わなくたって、人一人ぐらい如何様にもできるのだ。
男をおびき出す役目は、てゐが真っ先に志願した。
若いイナバには危険は負わせたくないことと、自らの手で鈴仙の仇を討ちたいがための志願だった。
すぐに、てゐへと化粧がほどこされ、終わったころには小柄で美しい女性がいた。
服は何故か、アリスがくれたらしい。
「まぁ、おあつらえ向きよね」
何よりてゐは口が回る。
演技だということもバレることなく、期待通り連れてきてくれるだろう。
そしてそれは、期待通り効果を上げた。
永琳は帰途につきながら、明日からのことを考えていた。
一体どうやって、彼奴らを脅してやろうか。
娘の命が危ないと大袈裟に騒ぎ立て、青くなった顔を見るのも楽しいかもしれない。
嗜虐心をくすぐるシチュエーションに、永琳は闇夜のなかでクスクスと笑った。
闇に跋扈する妖怪たちも、決して、彼女には近づこうとしなかった。
◆
この事件は、案外呆気なく終わりを告げた。
薬師の謀略も、白兎の奮闘も、巻き込まれてしまった月兎も。
運命という大きな流れの前にはすべて、些細なこととなってしまったのだ。
永琳が永遠亭へと戻ると、上白沢慧音と藤原妹紅と、小奇麗で色白の男が不安げな表情で待っていた。
何があったのかと聞けば、この男の娘が急に倒れてしまったとのこと。
発作も収まらず、苦しそうな少女に居てもたってもいられずに、男は慧音の家へと飛び込んだ。
そして事情を事細かに説明し、たまたま居た藤原妹紅の先導でこの永遠亭までやってきたのだという。
「事情はわかったわ。その子は?」
「今は、鈴仙が診ているそうだ」
「そう」
まだ骨もくっ付いていないはずだが、医療の見識があるのは、永琳を除けば永遠亭には鈴仙だけ。
鈴仙のことだ、居てもたってもいられなくって、自ら役目を買ってでたに違いない。
男はブルブル震えながら、顔を真っ青にしている。よっぽど娘のことが心配なようだ。
「大丈夫ですよ、きっと治してみせますから」
永琳は男に優しく微笑みかけ、すぐに頭の中を切り替えた。
「その人は二人に任せるわ。私はすぐに処置に入るから」
処置室に入ると、鈴仙は松葉杖を突きながらも、ベッドに寝かせた患者の様子を見ていた。
片手が使えないため、助手にはてゐが付き、文字通り鈴仙の片手になり、指示を受けてキビキビと動いている。
「鈴仙、状態は?」
「師匠! 今、安定しはじめましたよ」
汗をびっしょりかきながらも、鈴仙は微笑んで見せた。
助手扱いの身分で、生死に関わるかもしれないという容態の患者を診ていたのだ。
よくぞ、プレッシャーに押し潰されなかったと、永琳は鈴仙を頼もしく思った。
「あっ」
鈴仙は安心しきったせいか、腰を抜かしてしまった。
そのまま永琳に向かって、困ったような表情で、てへへと微笑む。
「あと、お願いしますね、師匠」
「わかったわ。てゐ? 鈴仙をベッドに連れて行ってあげて」
「わかった」
ほかに誰を呼ぶでもなく、小さな体でありながら、てゐは鈴仙に肩を貸した。
時折よろけつつも、二人は確かな足取りで処置室を後にする。
さて・・・・・・と。これから先は、自分の仕事だ。
永琳は患者へと向き直り、鈴仙の置いていったメモ書きを見ながら、改めて確認していった。
数十分して。
大きく息を吐きながら処置室を出ると、三名は永琳を食い入るように見つめてきた。
永琳は三人に向かい、ニコリと笑って。
「大丈夫です、しばらく安静にしていれば、じきに良くなりますよ」
「良かった・・・・・・」
男はその場に泣き崩れ、妹紅はその背中をさすっていた。
なんにせよ、命が助かって悪いわけがない。
永琳は一仕事終えたことに満足し、壁に寄りかかった。
「八意殿、少し話がある」
慧音が、目を細めていた永琳に話しかけてきた。
神妙な面持ちをしているあたり、何か大事な話があるようだった。
「なにか、用かしら?」
「少し、別室へ」
しゃがみこんでいる二人へと会釈をし、永琳と慧音は最寄の和室へと入った。
永琳は座布団を慧音へと勧め、自分は畳の上で正座をする。
「それで、何かしら?」
「あの男と、娘のことだ」
永琳は首をかしげた。初対面である二人のことを、なぜ話題にするのだろうと。
てっきり永琳は、輝夜と妹紅の話を振ってくると思っていただけに、肩透かしを食らった。
慧音は、しばらく口ごもり、喋りにくそうに切り出す。
「まぁ、そのなんだ。あの男はな、里の医者なんだ」
永琳はその言葉に、ポーカーフェイスを貫いた。
「へぇ、それが何か?」
「別に隠さなくともいいだろう? 永遠亭が揉めているのは知ってる・・・・・・。介入しようとは思わなかったけれども」
「・・・・・・」
「まぁ渡りに船といったところじゃないか? 恩を売りたかったんだろう?
何、永遠亭の姫さまが、嬉々と妹紅が語っていたそうだぞ」
「姫・・・・・・」
詳しい内情は知らなくとも、輝夜だって馬鹿ではない。
想像で補完した計画を、さも楽しげに語る姿が、永琳には容易に想像できた。
「不幸な男だよ。いざ娘が倒れたとなると、まるで憑き物が落ちたように私のところへ駆け込んできたんだ。
それまでずっと、里ですれ違っても傲慢な態度で挨拶もしなかった奴がな? 『お願いします、永遠亭へ連れていってください』って」
「へぇ・・・・・・」
「・・・・・・憎しみの連鎖なんて、どこかで断ち切れなきゃいけないのさ」
そういって慧音は遠い目をした。今もなお、輝夜と妹紅の因縁は続いている。
彼女らの場合は、それは建前で暇潰しをしているようにも思えるのだが。
それでも、彼女らが同じ屋根の下で生活することは、今のままなら未来永劫ありえない。
「ま、でも今回は、怒る気力もぜーんぶ萎えちゃったわ」
「終わり良ければ、すべて良しってことで手を打ってくれ」
もとより、黒いことに手を染めてほしくはなかったという鈴仙の提言もあり。
公式の謝罪をもって、今回の事件は手打ちとなった。
自警団をするという野望も男は同時に失ったようで、貯め込んだ私財を切り崩していき、それは里のために充てられた。
密かに繋がっていた河童も妖怪の山で内密に処分され、鈴仙に対する襲撃も、世間的には野良妖怪の仕業ということになった。
ちなみに鈴仙はショートヘアーが気にいったようで、半端に残っていた髪の毛も、綺麗に切りそろえてしまったそうだ。
めでたしめでたし。
◆
「というわけで、永遠亭に降りかかった災難はこれでおしまいです、お付き合いありがとうございました」
永遠亭の一室で、人形劇を終えたアリスが頭を下げると、住人は次々に拍手と賛辞を送った。
鈴仙の髪の毛を使った人形ができたお披露目ついでに、多少脚色して物語にしてみせたのだ。
「なんだかあまっちょろくしてるんだね。でも、良かったと思うよ!」
「てゐったらいっちょ前に何語ってるのよ。楽しかったですよ、アリスさん。ありがとうございます。
でもてゐはもっと腹黒いっていうか・・・・・・。って痛っ! こら! つねるな!」
「れーせんが変なこと言うから」
そういって逃げようとするてゐを、鈴仙が捕まえてじゃれあう。
仲が良いのは、いいことだ。
「うーん、えーりん。人形劇っていうのもなかなか馬鹿にはできないわね」
「そうですねぇ。でも、私はもうちょっと、優しいですよ?」
そういって頬を当てる永琳に、てゐと鈴仙の二人は若干引いていた。
輝夜はそんな永琳へとしなだれかかり、当人も満更ではない様子だった。
「えーと、じゃあ皆さん。この人形劇をレパートリーに加えても大丈夫そうですか?
良さそうなら、今度宴会のときにでも上演したいんですけど」
「ええ、うちとしては全然構わないわ。ね? うどんげ?」
「せっかくですし、どんどん上演しちゃってください」
アリスの言葉に、永琳と鈴仙は心良く頷いて見せた。てゐは、恥ずかしいと顔を紅くしてしたが、最終的には頷いた。
輝夜は頬を膨らませ、もっと活躍するシーンを増やしてほしいと嘆願してきたが、それはまたおいおい創作していこうと、アリスは思った。
本当は何があったのか。
そのことになると、永遠亭の住民は口を閉ざしてしまう。
上白沢慧音も、博麗霊夢も、八雲紫も動かないということは、きっと穏便に事は済んだのだと思う。
そしてアリスはこうも思うのだ。
今現在、幻想郷が辛うじてでもまわっているのならば、それはそれで結構なことなのだと。
それに、真相は闇に消えてしまっても、アリスには一つだけ信じられることがあった。
永遠亭は、未来永劫仲良しであるということ。
はっぴーえんど
それと、妹紅のがいらいしゅの意味が間違ってるのはわざと?
まあ、それより一番言いたいのは
何で慧音は加害者の里の人間達に何もしないのかということですかね
相手が妖怪なら人間が何しても黙認?
てゐが帽子を被っていたのは単に耳を隠す為だけなのか、とかいろいろ想像させられる話ですな。
優曇華が作者様の中でヒットしてるんですかね。
かくいう、私もうどんげの服装が大好きでね……
>だいたい、鈴仙の体を好きに弄んでいいのは、この世で私と輝夜の二人だけだというのに
シリアスが台無しになったw
あとEXも良い感じです。因果応報、イヒ!旭化成!!
……ただまあコメントがちょっと……想像の設定で小突いてくる相手に口から泡を飛ばして殴りかかるよりも、
折角いいものを書いているんで作品への自信と共にドンッ!と構えるくらいで丁度いいかと。
イラつかせるような駄文で申し訳無いですが、応援していますのでこれからも頑張って下さい。
EX程度で済んだだけ幻想郷は平和なのかもしれません
「もし誰かにひどい目にあわされたら、もし身内が殺されたら、
それと同じようにひどい目にあわせ、同じように殺して報復するのは善か悪か」
苦しみの連鎖はどこかで断ち切らなければならないでしょうが、被害を被った当事者としては決して納得できませんよね。地獄に落ちても仇は打ちたい。受けた恥辱は相手を八つ裂きにしてやることで返したい。
耐えるべきか恨みを晴らすべきか、耐えれば被害を受けた側は蹂躙された屈辱にずっと苦しみ、恨みを晴らせば互いの業が深くなって誰にも当事者達を救えなくなります。
後味の悪い悲しい結末にしかならないという意味では、どちらを選んでも正解ではあったのでしょう。くやしかったね、鈴仙。本当はまだ悲しいよね。
それぞれに心の澱は残るだろうに、それでも笑顔の戻った永遠亭の面々に胸が痛くなりました。
自分の心に余裕がありませんでした。
気分を害された方、申し訳ありませんでした。
「あぁ、そういや師匠は愛する者の為なら月の使者だって皆殺しにする人だったな」
と改めて思い至りました。
師匠の愛の深さが怖いぜ。
だがそれがいい
作者さんの発言に特に不快な点は無かった(強いて挙げれば言い方が問題)と思いますが、
コメント欄は掲示板ではないので、これ以上発言せず、必要があれば後書きに追記するとよいかと。
少し気になったのですが、EXで出てきた火車というのはもしかしてお燐のことですか?
人里で6~10人も殺せば流石に慧音はもちろん巫女が動かないということはないでしょう。
永遠亭ならルール破ってもいいんだよ、
或いは永遠亭だから巫女にも承諾させたよ、という話なら随分と残念な話と思えます。
殺すという結論に至ったことより、それをどうやって通したのかを飛ばしてしまっていることが価値を落としていると考えます。
何せ昔に『輝夜のため』と月の使いを皆殺しにした人ですから。
ただ一つ。
烏天狗には金を握らせても意味はないのでは?
ネタの一つも提供すれば喜んで手伝ってくれそうですが。
面白かったです。