あの子のまわりにはきっと、ひとを傷つけるための入り口がたくさんありました。入り口は扉で、通常、扉には鍵がついているものですが、あの子はいたずら心と多くの言葉で創りあげた鍵を持っていましたから、どんな錠前でもかまわずに入り口を潜っていきました。覚の妖怪などというものはどこにいても疎まれる種族ですから、常ならば同種や誰もいないところにひっそりとしているものでしたが、あの子はそうではありませんでした。だから、種族などという枠組みすら超えて、私なぞよりずっと、誰からも嫌われていたことでしょう。
あの子のそういった、他者への精神的な攻撃は明確な作為に一貫して行なわれていたかと思います。私たちにも読み切れない無意識の領域下では、おそらく自身の種族に対するコンプレックスが渦を巻いていたのではないかと推察していますが、どうでしょうね。それは私の自己投影からなる推察に過ぎません。とにかく、何かを破壊することを指針として、あの子は日々を重ねていました。その頃の私といえば漠然と、自身の能力を活かした将来への展望を巡らすばかりで居り、実際のところ、早朝に目が覚めれば残飯にありつくカラスと大差のない悪事でもって飢えを凌いでいたかと思います。
私とあの子の関係性は、あの頃からいままでいっさい変わりのないまま、体内に巡る血液という点においてのみ繋がれています。当時でさえ、私はあの子の無差別で作為的な他者への攻撃を咎めることもせず、把握という認識のみをもって漫然と日々を送っていました。本当のところ、私はあの子に興味がなかったのかもしれません。一寸の関心でも抱いていたなら、きっといずれ至る輝かしい将来を見据えて、あのような無意を咎めていたでしょう。けれど実際、私は何をすることもせずにいたのです。
そういった意味では、私はずっと独りでした。血縁もなく、知人、友人もなければ愛玩すべき道具もない、名実ともにあまりにも〝らしい〟覚妖怪だったのです。塵山と黴と苔、水垢と。悪意や義理人情の軽薄さを壊してまわるあの子を眺めていると、そのまま、ずいぶんの時が過ぎ去りました。ときたま、あの子が私に聞かせてくれたのは壊したものの内訳と其の手段のみで、都度、私は薄情の二文字で相槌を打っていたように思います。あまり関わり合うことのない私たちでしたが、あの子が私に話を聞かせるときの嬉しさとはにかみのいろいろを綯交ぜにした表情を鑑みるに、あの子は私に懐いていたのかもしれません。
そんなある日のことです。仮にあの子が私に懐いていたとすれば、そのとき私はふたつの生き物から懐かれていたことになります。ひとつはあの子、もうひとつは、なんてことのない卑近な狢でした。問題といえばそのふたつで、私は懐く狢が疎ましく、どうにか処分できないものかとかなしくなっており、壊すものの枯渇し始めたあの子の動向に傾注しなければならなかったのです。当時の私は惨めでしたが、決して死にたくはありませんでしたから。あの子の指針上の関心が私に向いたのなら、その対処を為さなければ仕方がなかったのです。簡単な話、獲るか獲られるかのときだったのです。
食事を終えみすぼらしい住処へと帰ってきた夜、そこには疎ましい狢の抜け殻とあの子がぽつねんとありました。疎ましい狢をそのままにしておいたのはやはり正解で、要するに狢はただしくスケープゴートになってくれました。しかし、そうなれば塵山と黴と苔、水垢の世界には私とあの子のふたりのみになってしまいます。そのとき私は、とうとうこのときが来てしまったと観念して、つまらなさそうにするあの子の隣に腰をかけたました。
ぽつり、ぽつりと時間が経ち、私は自身がいつ壊されるのかと待っていました。けたたましいしじまのなかに、ついに、彼女がぽつりと言葉をこぼして、それからあの子は消えてしまったのでした。
あの子の無差別で作為的な針は、私ではなくあの子自身を指したのです。それを理解した瞬間です。私はようやくひとりからふたりへ、あの子と本当に姉妹になれた気がしました。
あの子のそういった、他者への精神的な攻撃は明確な作為に一貫して行なわれていたかと思います。私たちにも読み切れない無意識の領域下では、おそらく自身の種族に対するコンプレックスが渦を巻いていたのではないかと推察していますが、どうでしょうね。それは私の自己投影からなる推察に過ぎません。とにかく、何かを破壊することを指針として、あの子は日々を重ねていました。その頃の私といえば漠然と、自身の能力を活かした将来への展望を巡らすばかりで居り、実際のところ、早朝に目が覚めれば残飯にありつくカラスと大差のない悪事でもって飢えを凌いでいたかと思います。
私とあの子の関係性は、あの頃からいままでいっさい変わりのないまま、体内に巡る血液という点においてのみ繋がれています。当時でさえ、私はあの子の無差別で作為的な他者への攻撃を咎めることもせず、把握という認識のみをもって漫然と日々を送っていました。本当のところ、私はあの子に興味がなかったのかもしれません。一寸の関心でも抱いていたなら、きっといずれ至る輝かしい将来を見据えて、あのような無意を咎めていたでしょう。けれど実際、私は何をすることもせずにいたのです。
そういった意味では、私はずっと独りでした。血縁もなく、知人、友人もなければ愛玩すべき道具もない、名実ともにあまりにも〝らしい〟覚妖怪だったのです。塵山と黴と苔、水垢と。悪意や義理人情の軽薄さを壊してまわるあの子を眺めていると、そのまま、ずいぶんの時が過ぎ去りました。ときたま、あの子が私に聞かせてくれたのは壊したものの内訳と其の手段のみで、都度、私は薄情の二文字で相槌を打っていたように思います。あまり関わり合うことのない私たちでしたが、あの子が私に話を聞かせるときの嬉しさとはにかみのいろいろを綯交ぜにした表情を鑑みるに、あの子は私に懐いていたのかもしれません。
そんなある日のことです。仮にあの子が私に懐いていたとすれば、そのとき私はふたつの生き物から懐かれていたことになります。ひとつはあの子、もうひとつは、なんてことのない卑近な狢でした。問題といえばそのふたつで、私は懐く狢が疎ましく、どうにか処分できないものかとかなしくなっており、壊すものの枯渇し始めたあの子の動向に傾注しなければならなかったのです。当時の私は惨めでしたが、決して死にたくはありませんでしたから。あの子の指針上の関心が私に向いたのなら、その対処を為さなければ仕方がなかったのです。簡単な話、獲るか獲られるかのときだったのです。
食事を終えみすぼらしい住処へと帰ってきた夜、そこには疎ましい狢の抜け殻とあの子がぽつねんとありました。疎ましい狢をそのままにしておいたのはやはり正解で、要するに狢はただしくスケープゴートになってくれました。しかし、そうなれば塵山と黴と苔、水垢の世界には私とあの子のふたりのみになってしまいます。そのとき私は、とうとうこのときが来てしまったと観念して、つまらなさそうにするあの子の隣に腰をかけたました。
ぽつり、ぽつりと時間が経ち、私は自身がいつ壊されるのかと待っていました。けたたましいしじまのなかに、ついに、彼女がぽつりと言葉をこぼして、それからあの子は消えてしまったのでした。
あの子の無差別で作為的な針は、私ではなくあの子自身を指したのです。それを理解した瞬間です。私はようやくひとりからふたりへ、あの子と本当に姉妹になれた気がしました。