Coolier - 新生・東方創想話

鈴奈庵のお客さんになろう 第二話後編 ロボット・ストーリー

2018/05/01 16:35:53
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 前回までのあらすじ

 読書好きが昂じて、小鈴が鈴奈庵を家出したよ。
 お客さんはそれを今、追いかけている最中なんだ。



 白い大福みたいな満月だった。それが俺の味方をしてくれたんだ。
 溢れ出た白いクリームみたいな光がね、小鈴の背中とその影をくっきり浮かび上がらせてくれたから、見失うこともなく巧い具合に追いかけることができたんだよ。

 夜闇を利用して撒かれないってならね、これはもう単純な大人と少女の追いかけっこさ。そうなりゃ俺だって流石に負けやしないよ。ほら、そもそも俺って肉体労働者だから。

 まあ小鈴のほうも自分の不利を悟っていたんだろう。その駆足をゆっくりと緩めさせて、河原にある柳の木の根本で、こっちに向き直ったんだ。
 その顔は暗がりにも分かるくらい消沈して、いかにも疲れ果てたって感じだったよ。

「……酷いことしちゃった、どうしよう」って、小鈴は小声でうなだれるみたいに言った。

 それは、すごく元気のない、お腹が空いてママンにミルクを求める子猫みたいな声だった。

 けれどね、不謹慎かもだけど、俺はちょっとだけ安心したんだ。だって小鈴は、少なくとも後悔している口振りじゃないか。
 そりゃあ小鈴は小鈴ママを突き飛ばすっていう、酷いことをしたわけだけど、それでも後悔しているんなら、まだ更生の余地ってか、少なくとも手を差し伸べるくらいの余地はあると思うんだ。

「やっちゃったものは仕方ないよ」
「お母さん、怪我してないかな」
「とにかく戻ろう。小鈴が戻れば、それだけでも小鈴ママの気持ちは楽になるはずだよ」

 俺は、こういう二次創作のSSでは三秒で嫌われるオリキャラみたいに、それでも小鈴に帰宅を促すために、そう言ったよ。
 だって仕方ないじゃないか。思いやりの言葉って口にすると偽善者っぽくなるんだ。
 これは偽善者だって善っぽくなるために思いやりを口にするからなんだろうね(哲学)。

「お客さんも一緒に来てくれる?」
「当然さ。何せ、すごく責任を感じてる。浦島太郎を連れてった亀くらいに」
「良いのよ、そこまで言わなくても。どう考えたって私が悪いもの」

 そう言って、小鈴は顔を俯かせて「エーン、エーン」って言った。……言ってるんだ、口で。口頭で。きっとそれくらい哀しいってアピールなんだろうね。
 目元はね、両手でギュッと押さえてる。涙がこぼれないようにしてるんだね、健気だね。

「泣かないで、小鈴。今日の涙の雨は明日への虹のハシゴだからね」
「ありがとう、じゃあ泣くの止めるね」
「うわ、はやい。小鈴はやい」

 小鈴はカラッと泣き止んで顔を上げたよ。
 まあほら、すぐに泣き止んだことは良かったんじゃないかな。
 ホッとして胸を撫で下ろしている俺を尻目に、小鈴は懐から何かを取り出した。

「じゃあこれ、御礼ね」って、何だかクシャクシャしたものが手に乗っている。
「なあにこれ」
「後で食べようと思ってた未来のお菓子よ。オブラートで包んであるの」

 俺は「へえ」とか「ははあ」とか、もったいぶった相槌をうちながら、しげしげお菓子を眺めた。でもどう見たって、そのオブラートは食用って感じじゃなかったんだ。
 喩えるならね、書き損じて丸められたメモ紙って感じな見た目だよ。

「このお菓子のオブラートって透明じゃないし、何だか分厚いね」
「うふふ、未来のオブラートだものね。未来のね、未来の」

 小鈴はとにかく未来を強調していた。
 未来人ってヤギみてえだな、なんて俺は思った。

「それ食べ終わったら、私は鈴奈庵に戻って、お母さんにちゃんと謝って、明日からまた貸本屋の店番を頑張ろうと思うの。それ食べ終わったらね」
「うわあ、俺がこれを食べればぜんぶ解決ってことだね」

 やったね。このSSもここでめでたし、後の百KBはあとがきかな?

 ともあれ俺は納得して小鈴からお菓子を受け取った。手に持った感触としては、やっぱりただの紙だったよ。これはきっと口に入れてもただの紙に違いないね。
 でも、何が役に立つか分からないもんさ、俺は不思議と紙を食べることには慣れていたんだ。
 俺は『短冊に本のタイトルを書いて食べるとその世界に飛べる程度の能力』の持ち主だからね。読者の皆も覚えてるよね? 忘れてない? 大丈夫?

 どらどら、ここいらで皆の声を聞いておこうね。
 作者はこれから耳に手をあてて某元地方議員みたいに傾聴の姿勢に入るから、ディスプレイのお客さんに向かって、皆が思ってることを教えてあげてね。

 ――ふんふん
 ――そだねぇ
 ――クラーロ
 ――わかゆん
 ――アイスィ
 ――なるほど

 分かったことが一つあるよ。

 手前ら全員、小鈴の味方じゃねえか!
 誰一人、警告してくれてねえよ! なんなの! なんなんなの!
 聞こえてねえとでも思ってんの? 聞こえねえよ(逆ギレ)!
 こういう新基軸な挑戦にも、くだらねえって顔して、だんまり決め込みやがってよお!
 せいぜい嘲っているが良いや!

 分かってんだよ、俺だって。これが小鈴の奸計で、巧いこと紙を食わせて未来に行こうとしてるってことくらいさあ。そこまで無能じゃねえってんだよ。

 だもんで俺は無言で、これまで積み重ねた展開をド無視して、そのオブラートを開けたんだ。中にはドラえもんに出てきたみたいな未来のお菓子が一粒入ってたけど、こっちは本題じゃないね。問題は紙のほうさ。
 だって小鈴のやつ、このオブラートを開けただけで「アッ」って顔をしたからね。あくまでも顔ね、声じゃないよ。

 丁寧に広げてみれば、そのしわくちゃな紙面には書き殴ったみたいな『きまぐれロボット』の文字が。きっと月明かりを頼りにして走りながら書いたんだろうね。
 しかし、もはや申し開きなるまい、神妙にお縄に付けい。

「どゆことよ」俺はその文字を見せつけながら聞いたよ。
「えっと……未来の包み紙だし、きっと全部にそういうのが」
「全部にだア――ア!?」小鈴の前に立ちはだかった俺は、浅川監督みたいに尻上りの侮辱した調子で抑えつけた。「他のにも書かれてるってんですかねえ?! 調べれば分かることだよ!」

 そうしたら小鈴はさっきまでの儚げな美少女の仮面を捨ててムスッとしたんだ。

「だって素直にお願いしても連れてってくれないでしょ」
「素直に鈴奈庵に戻って、素直に小鈴ママに謝って、素直に一ヶ月を待てたら、また連れてったげる。けど、それ以外はダメだい」

 俺は一見して人格破綻者のようでありつつ常識をわきまえている、作者に都合の良いキャラクターなんだ――ここだけの話、戸隠さんとホールデン君をモチーフにしてるよ。
 でも小鈴は一見して常識人のようでありながら人格が破綻している、困ったちゃんな性格だったみたいだ――ここだけの話、わりと原作準拠だよね。

「もしどうしても拒絶するのなら、私、ここでお客さんに酷いことをされたって嘘を付くわ。そうしたら大変よ、霊夢さんとかマミゾウさんがあんたのこと引っぱたくんだから」
「脅しには屈しないぞ。俺には勇気があるからね」

 俺は毅然とした態度を取った。腕を組んで、そっぽを向いちゃう。そっちがSoなら、こっちはCoさ。
 すると今度は、小鈴のやつったら、甘えるみたいに言うんだよ。

「ねえ、お客さんって、確か神社の宴会に出たいんでしょう? 私、皆さんに紹介するわ。大切なお客さんで、とっても愉快な能力を持っているんですよ、って」
「懐柔も効かないよ。それに、そんなふうに参加したところで皆から顰蹙をかうだけさ」

 俺はやっぱり毅然とした態度を取った。足でリズムを取って、ビートを刻んじゃう。そっちがSoulなら、こっちはCoolさ、イエア。
 特に、そんなピンプなサティスファイをリスペクトなしにフロウしたら、創想話のホーミーズはパルスィなメーンが多いし、ビーフなディスが飛ぶぞ。飛・び・ま・く・る・ぜ、イエア。

 んで、押しても引いてもダメってことに気付いたらしい小鈴は、とうとうしょんぼりしちゃった。当然さ、子供の浅知恵が大人に通用するはずもないものね。
 だから俺は、きっとあと一押で説得できるって、そう思ったんだ。

「帰ろう、小鈴。一緒に謝ったげるから」
「……はあい」

 しおらしくなって、小鈴は俺の差し出した手を取ったよ。

 ところが――こっちをちらりと見た小鈴の目が、子猫みたいに真ん丸になったんだ。

「ヒッ――!」
「なあに」

 俺の後方を指差して、小鈴は何かとんでもなく怖ろしいものを見て発狂した人みたいに叫んだ。

「キャアア、風見幽香が出たぁ!」ビブラートの、小鈴の悲鳴。
「アイエエエ!」俺は叫んだ。心の底から。「ユウカ!? ユウカナンデ!?」

 俺はこの世の中の殆どのものを怖がらない勇敢なキャラクターとして設定されているけど、風見幽香だけはダメなんだよ。声どころか、姿とか見るのもダメ。だって怖いから。
 そもそも心理的な感覚量は刺激の強度ではなくてその対数に比例して知覚されるんだ。だから後ろに来たって言われるだけで、もうダメなんだ。分かるね?
 こういうのをヴェーバー・フェヒナーの法則っていうんだよ(二ヶ月ぶり、三度目)。ばかのひさんのSSで見た(言い続ける覚悟)。

「振り向けない! 怖くて、振り向けないぞ! 来てる、小鈴、来てる?!」
「傘向けてる! 逃げて、お客さん、超逃げて!」
「マジで?! それもう逃げようがなくね!?」

 俺は怖じけて動けなかった。足が根っこにされたみたいだ。もしかしたら風見幽香の魔力かもしれない。背後からは、まるで雪が積もっていくみたいに圧迫感が強まっていく。
 自分の一呼吸が相手の耳に入ると、そう思っただけで、もうパニックだ。耳障りよ、とかって、息の根を止められてしまう!

「食べるのよ、お客さん、食べるの!」
「あ、そっかあ!」

 掌中の紙キレを、俺は咄嗟に口に入れたよ。未来のお菓子と一緒に。

「ムンチャ、ムンチャ、ムンチャクッパスゥ!」

 味は紙、口から鼻に昇る芳香も紙、歯ごたえは紙で、飲み込んだ後の余韻も紙だった。あと墨で不味い――って、普通はなるんだけど、今回は未来のお菓子もあったからね、ものすごい違いだった。
 こんな味は初めてだったよ。一粒だけでジーンと心にしみる味だ(のび並感)。

 その感慨は口から全身に広がり、頭の天辺から爪先まで抜けていった。余韻の心地に思わず目を閉じて、また開いた時には――俺達はエヌ博士のラボに戻ってきていたんだ。

「ゆうかりんは?!」
「いないわ、良かったね」

 小鈴は喉元過ぎて熱さ忘れたみたいに、もうケロッとして、それどころかウキウキしていた。
 ああでも困ったことになっちゃったぞ。連れてこないつもりだったのに、小鈴を未来に連れてきちゃったわけだからね。

「参ったなあ、小鈴ママになんて言おう」
「大丈夫よ、何とかなるわ」いかにも呑気に小鈴が言った。
「そうはいかないよ。俺は大人としての責任を「――あのね」」

 って、小鈴はどこか得意げな顔して、俺の発言に言葉を被せてきた。

「なんだか大人って立場にすごくこだわってるみたいだけど、私には到底あんたが立派な大人には見えないわ。せいぜいノッポなだけの青二才ってところね」
「なっ、なんだって――いや、でも、ほら、いちおう年上だし」
「年長者がいつも正しいわけじゃないわ。お客さんも分かってんでしょ?」

 小鈴は御上品に手のひらを口に当ててクスクスと笑った。
 反論できなくて、俺は唇をモゴモゴさせてみたけど、結局それだけしかできなかった。

 だけど、そんなひどいこと言われて、すごいショックだったよ。ナデポとは言わんけどさ、もうちょっとくらい優しくしてくれても……いや、甘ったれていても仕方がないか。
 オリキャラなんて惨めなくらいがちょうど良いんだ、ハア南無戸隠尊、ヤレ南無戸隠尊。

 そんでまあ俺はガックリきてたわけだけど、そこに、物音に気付いたらしいエヌ博士が部屋に入ってきた。昨日までの白衣じゃなくってヨレヨレのツナギを着ているよ。

「おお、君達か。戻ったのかい」

 って、そう言う博士は気のせいか疲労している。夜更けに起きたせいか――いや、目が炯々としているから寝起きってことはなさそうだ。なら逆に、起きてたってことかな。

「来るのは明日と思っていたのじゃが」
「そう。いや送り出してもらったけど、また来たんだよ。過去から」
「マクフライはもうええっちゅうに」

 別にそのセリフはバック・トゥ・ザ・フューチャーを意識したものではなかったんだけどね。博士は小さく首を振った。不機嫌ってよりも頭が巧く働いてないって感じさ。

「博士、ごめんなさい、こんな夜更けに」と、小鈴が打って変わって儚げに言ったよ。
「いやいや、歓迎するよ、小鈴ちゃん。じゃが、今わしは忙しくてな。明日に予定してたサプライズのために製作を続けておるが……もう少しかかる。さて、どうしたもんか」

 博士は顎髭をしごきながら思案の仕草をとり、しばらくしてから妙案の体裁で告げた。

「諸君らの相手をするホスト役が必要じゃな。ちょっと待ってなさい、いま連れてくる」
「ホスト役?」

 そんなん居るのってニュアンスで俺は聞いたけど、博士は気にせず奥に引っ込んじゃった。
 小鈴も首を傾げて、俺のほうを見ながら言ったよ。

「一昨日に私と握手した人?」
「忙しいみたいだし、また来てもらうのは流石に申し訳ないだろ。でもそれ以外となると……誰だろう。昨日とかはこのラボで一昼日を過ごしたわけだけど、俺も小鈴も読書に夢中だったからなあ」
「それにしたって昨日は気配の一つもなかったような……」

 まあ話してても答えが出る事案じゃないし、俺達は訝しみつつも博士を待つことにした。
 ウラジミルとエストラゴンみたいに、適当なゲームでもしながら暇をつぶしていたのさ。

「アルファがベータを河童(カッパ)らったらイプシロンした。何故だろう」
「十三?」
「正解」

 俺は蒸れた靴を脱ごうとしては中断し、疲れて、休憩して、再び試みる。
 小鈴は髪の毛を弄り、枝毛見つけて、ふへえと嘆息して、再び探し始める。
 エヌ博士を待ちながら、俺達は二人で他愛ない会話をしつつ、それを繰り返してた。

 やがて博士が連れてきたのは――連れてきちゃったのは――なんかもうドえらいもんだった。

「待たせたのう」
「ええぇ」小鈴は現実を疑うみたいに何度も瞬きした。
「うわあ」俺は紺珠伝の魔理沙みたいな顔をした。

 俺達は驚愕した。それは流石に安直すぎるだろって、そういう展開がやって来たんだ。

 まず、その博士が連れてきた『少女』の風体をした何かは、黒髪に赤いリボンをしていた。てっぺんと、もみあげにね。そんで服装は『肩や腋の露出した』紅白な巫女服を着てて、別途に飾り袖を腕につけてる。
 身長は小鈴よりも少し高いくらい。顔? ハハ、んじゃあ美人系ってことで。

 読者の皆さんの想像通り、博麗霊夢らしき存在がそこに居たわけだよ。

「霊夢ロボじゃ」
「ええぇ」小鈴は耳を疑うみたいに博士を見た。
「うわあ」俺は紺珠伝の魔理沙の箒が細すぎることに気付いた時みたいな顔をした。

 つまり俺達は同じ反応を繰り返したわけだよ。
 でも博士は、何故か、それを了解として受け取ったらしい。

「んじゃあ、わしは作業に戻るから、後のことは霊夢ロボに任せる。ではの」

 そんなこんなで博士は奥に消えて、俺達は霊夢ロボと一緒に残された。

「え、えっと、霊夢さん、なんですよね?」

 勇気のある小鈴が、そいつに話しかけた。
 すると彼女は滑らかな言辞で応じてみせた。

「ううん、ロボットで嘘っこの霊夢よ。あんたは本物の小鈴ちゃんね、羨ましいわ」

 およそ想定しうる嫌な予感ってやつを全て纏めて予告したみたいな返事に、小鈴はぎこちない笑顔を見せた。

「う、嘘っこなんて、そんなそんな。霊夢さんは霊夢さんじゃないですか」
「ここは幻想郷じゃない。博麗神社もない。本物の霊夢がこんなところに居るはずもないでしょう。だから私は本物じゃなくてロボットなのよ、少し霊夢に似てるだけのね」

 勇気を踏みにじられるかたちになった小鈴がヘルプの視線を向けてきた。俺は小鈴と同じふうなぎこちない笑顔で、「バズ・ライトイヤーかな?」って、映画通っぽく言った。

 そのまま霊夢ロボは俺達を昨日の読書デスクに案内した。
 セッティングの殆んどは昨日のと同じだけれど、お菓子とかジュースは片付けられちゃってるね――って、そんなことを思ってたら霊夢ロボが運んできてくれたよ。

「れ、霊夢さんも未来で有名人なんですね! ううん、ロボになってもいない私に比べたら、霊夢さんなんてもう大変な偉人ってことですよね! うわあすごい、格好良い!」
「私は彼女を模倣しただけのロボだから、すごくもないし格好良くもないわ。……楽園がないと素敵な巫女も肩書だけよ。無知で無力で愚かなピエロは今日も幻想の供物となる」
「はっはっは、なるほど、なるほど。巫女さんは詩人だなあ(ヤケクソ)」

 霊夢ロボは、自分がロボであることと、ここが幻想郷でないことに、深い疑念を抱いているみたいだった。これは深い考察をするまでもなく、控えめに言って大ピンチだよね。

 もはや小鈴も俺も、お菓子とか読書とか、それどころじゃなかった。
 言っちゃあなんだけど、彼女はいつ暴走を始めてもおかしくないぞ、このクソSSだと。

「ああそうだ、霊夢さんも、お菓子どうぞ」そう言って、小鈴はお菓子を四つ出した。
「二つで充分じゃない?」俺は渾身のギャグをぶちかました。
「要らないわ。ロボットだから消化器官がないの」って、霊夢ロボは首を振ったよ。

 俺達はゲンナリした。もう一体全体どうすれば良いのか分からなかった。

 だってね、小鈴が四つを差し出した時点で、もうそれはフリだったわけだよ。
 俺がそこで「二つで充分じゃない?」「レプリカントかーい(ペチン)」「おっとっと、許してクレマチス」っていう、その必笑の流れをね、作り上げようとしていたわけ。

 全部、潰れたからね。霊夢ロボの悲惨な、食事できないって、そういう事情で。
 実際この霊夢ロボはお茶もお酒も飲めないわけじゃん。それってもうレゾンデートルの危機じゃん。『春色小径』も『二色蓮花蝶』も、『Arukas Load』すら流れないじゃん。

 折りしも、部屋のBGMは『四季』の『冬』だった。
 俺と小鈴の心境は、まさしく、その吹雪みたいなヴァイオリン独奏と同じさ。三十二分音符の小刻みに荒んでいくフォルテなメロディラインは、俺達の心拍数に沿っている。
 ひとたびトゥッティ(総奏)に入っちゃったら、もうあれだ、今にも霊夢ロボが襲いかかってくるみたいな妄想に取り憑かれて、目の前の物語が何にも頭に入ってこない。
 小鈴なんて物語を読んでるふりをしたまま一枚も原稿用紙を捲っていないんだ。緊張のあまりに喉が乾くんだろう、チョコスムージィばかりどんどこ減ってく。

 んで、そんな俺達の様子を見かねたんだろうね、彼女は自分から退席を口にしたんだ。

「ねえ」と、霊夢ロボが言った。「もし何も用事がないなら失礼しても良いかしら」
「どうぞどうぞ」って小鈴は、安堵とか喜色とか、そういう失礼を隠しもせず言ったよ。「お忙しい中、私達の相手をして下さってありがとうございました」
「良いの、別に忙しくないから。造られてから、もうずっと屋上で寝転がってばかりいるもの。昼も夜も、雨でも雪でも、空を見てるの。空想するのよ、空を飛ぶ自分の姿をね。居場所を無くした巫女にはお似合いでしょ」

 自嘲のカタマリを喉の奥から吐き出すみたいに言って、霊夢ロボは目を伏せた。
 お気の毒ながら、どうやら彼女には『空を飛ぶ程度の能力』すら無いらしい。バズ・ライトイヤーかな?(二回目)

 それでも、やがて椅子から立ち上がって、部屋を去っていた。ここで沈黙を続けるよりも、その空想に時間を充てるほうがマシって、そう考えたんだろうね。

 残された俺達は、もちろん霊夢ロボを気の毒に思ったけど、それ以上に今後のことを話し合う必要ができたってことで、額を突き合わせて相談した。

「どうしよう、あの霊夢さんってヤバいよね」
「もうとっくに自己喪失の症状が出てるってんだから参ったね。襲ってくるかと思った。そういうSS、読んだことあるし」
「私も『われはロボット』とか『ターミネーター』とかフランケンシュタイン・コンプレックス物の小説は沢山読んでる。あの霊夢さんって、その典型例と言うかなんと言うか」

 もちろんね、暴れるって限った話じゃないさ。
 霊夢ロボは自分の境遇を恨みつつ、それでも何もしないってことは充分にありうるよ。本物の小鈴を前にして、それを羨んでも、だからって妬んだりはしないかもしれない。

 だけどさ、これはSSじゃん。創想話に投稿されるSSなわけだ。
 SSを面白くさせるために、霊夢ロボが俺達に襲いかかって来るって展開は、垂涎ってかさ、やっぱりオーソドックスだけど面白いよね。ハラハラするもん。
 ってことは、そうなってもおかしくないってか、そうなるほうが必然だよね。

「やっべえ、このままだと某『秘封と映姫ロボの名作SS』のパクリだって言われちゃうぞ。とりあえずドクター・ヴィオラさんのツイッターに釈明のDMを送っ――圏外だわ」
「ちょっと何しようとしてるか分かんないけど、一応言っとくわ。ここ数百年後よ」

 小鈴が幻想郷の住人としてギリギリのラインのツッコミをしたところで、扉の開く音がした。
 エヌ博士だった。後ろに、なんか歩くワラミノみたいなのを連れている。

「待たせたのう、お三人衆――って、おやおや霊夢ロボはどこじゃ?」
「屋上に行ったよ」俺は上を指差したよ。小鈴も上を指差してたよ。
「ふうむ、そうかね、小鈴ちゃんにも興味を示さぬか……まあ良い、二人共、紹介するぞ」

 博士の後ろから歩み出た彼女は、ありていに言って個性的なロボットだった。
 たぶん人型なんだけどね。いったい何の因果なのか、そいつはその華奢な体中に、神社に飾られてる鳴子みたいな木板を貼り付けているんだ。まるで『ミノムシ』みたいにね。
 そんな妙ちくりんなデザイン・コンセプトのくせに割りと端正な配列で、全体的に見ればギリギリの瀬戸際でエスニック・ファッションと言えなくもない――そんな印象だった。
 んで、歩くとそこに音が付いてくるといった様子でガラン、ガランと騒音がする。
 その木板の多くは良く見る家型だったけど、四角形や横長、様々な形のものがあったよ。そんでそこに二本の竹筒が引っかかってて――それらが互いにぶつかり、音が響き渡る。
 それはとても騒々しいんだけど、何でだか、胸を突くような音のような気もした。聞くものをグッド・オールド・デイズに浸らせるみたいな、郷愁を催させる音色だったんだ。

「彼女は『New Assisting Rossumovi Universal Calm-and-Obedient Robot(新式お世話用万能型超親切ロボット)』じゃよ」
「ああ、そっちね。なるほど」

 俺はそのロボに、不思議と自分に似たような匂いを感じた。類友っていうか、親近感っていうか、はっきり言ってしまえばオリキャラっていう、その類いの香りがした。

「なんて呼べば良いんですか」
「そうさのう。彼女の頭文字を取って――」博士は少しだけ考えて告げた。「ナリューコじゃな」

 俺はぎこちない笑顔を作った。このままだとこのSSがお蔵入りする、そんな気がした。
 だからとりあえず、彼女の呼称を地の文では『ミノムシちゃん』で統一しようと、苦し紛れの一手を打つことにしたのさ。

「これはわしの作った、最も優秀なロボットじゃ。なんでもできるぞ。人間にとって、これ以上のロボットはないといえるじゃろうなあ」
「は?」

 横でミノムシちゃんを眺めていた小鈴が、博士のそのセリフに、明白な怪訝を表明した。

「は、え、それって、きまぐれロボット?」
「ああ、彼女ならまだ帰って来よらん。全く、きまぐれじゃのう」
「いえ、え、いやいや、そ、その台詞って、きまぐれロボットじゃ?」
「ホッホッホ、小鈴ちゃん、このロボットはきまぐれじゃないぞ。ただちょいと一本気なところもあるがのう。わしが言わない小言とかも言うかも知れんぞ」

 そう言って、博士は俺に目配せをした。

「昨日のお主の言葉、わしの胸にしかと響いたぞ。甘やかしてばかりは良くない」
「それはイエスってか、分かってくれて嬉しいんだけど――」俺は横目に小鈴を見た。
「あ、アウ、嘘……」

 小鈴は明らかに動揺していた。具体的に言うと、物語を予知できるキャラクターが自分の死に瀕してするみたいな、そういう表情をしていた。汗はダラダラ、足はガクガク。

「はい、小鈴さあん。ここがどこだか分かりますかあ?」
「うっさい、バカ! 分かるわよ!」
「ううん、コレは∨5かな?」

 救急医療的には、その状況にもよりますが、こういう見当識が明瞭な場合であってもGCS(意識レベル評価)の∨4を付けることもあります。
 混乱の有様を周囲に示すことも必要だからです。もちろんテストでは∨5ですが。

「さあ、彼女に二人の顔をインプットしよう」
「ちょ、博士、待って、待って――待てえ!」

 博士は徹夜作業のせいか、どうやら寝ぼけているみたいで、小鈴の必死な諌めの言葉も聞こえていないらしく、なんの躊躇もせずに手にしていたリモコンのボタンを押した。
 するとミノムシちゃんの目が光り、まるでカメラのシャッターをきるみたいな音が、二度、小鈴と俺に向けられた。

 そしたらね、小鈴が脱力したみたいに膝から崩れ落ちちゃったんだよ。
 これは明らかに恐怖のせいだね。ほら、小鈴は古い世界に生きてる人間だから、写真を取られたら天狗に魂を吸われちゃうとか、そういう迷信を信じているに違いないね。

「大丈夫だよ、小鈴、大丈夫だよ。魂は抜けないよ」
「魂はともかく腰が、腰が抜けたかも……」
「なんで? 君の魂は腰にあるのかね? 力士かな?」
「んなわけあるか!」

 小鈴は魔理沙みたいに乱暴な言葉を使った。でも他人行儀じゃなくて、こういう子供っぽい口調を向けてくれるのは、少しずつ俺に気を許してくれているからかもしれないよ(楽観)。

 んで、腰を抜けた小鈴を起こそうと、俺は手を伸ばしたわけだけど、そこにもう一本の手が伸びた。ガラン、と音がする。見れば、ミノムシちゃんが歩み寄ってきていた。

「大丈夫です?」
「う、うん」

 小鈴はミノムシちゃんの手を取って立ち上がった。
 俺は告白タイムで選ばれなかった男性Cみたいな体勢で、しばらく何も無いところに手を差し伸べていたんだけれど、俺の肩をミノムシちゃんがポンポンってしてくれたので、サムズ・アップして立ち上がったよ。
 くよくよしなけりゃ、イイこともあるさ。ハア南無戸隠尊、ヤレ南無戸隠尊。

「んで、博士。彼女は何をしてくれるのかね?」
「お世話ロボットじゃ。ただ命令の総てを聞いてくれるわけじゃなく、時には話が通じぬくらい厳しくもなる。じゃが、そういうロボットのほうが、却って人間には良いのじゃよ」

 そんな大義名分をエヌ博士は自慢げに語っていたわけだけれども、その時その折その瞬間、部屋に突如アラームが鳴り響いた。電話のコールみたいな、ベル音だ。

「はい」と、博士はその場で口にした。「ここはエヌ博士のラボじゃが」

 どうやらハンズ・フリー・フォンのシステムが部屋全体に巡っているみたいでね、返事は例の壁中スピーカーの一つから響いてきた。

『ああ、博士、博士、大変ですよ! 養蜂場におたくのロボットが居座っています!』
「なんじゃと?」
『ああ、博士、博士、このままじゃ仕事にならないです! すぐ来て下さい!』
「やれやれ、今行くよ」

 博士はパチパチと二回手を鳴らした。途端にツーツーと切断信号――どうやら手拍子が受話器を置く合図らしいよ。

「急用ができてしまった。わしは行かねばならぬ」
「今のは例の『きまぐれロボット』?」
「そうじゃ、まったくきまぐれじゃのう。まさか養蜂場とは」

 何だか苦虫めいた表情で俯いて――けれども、博士はすぐに立ち戻ったよ。壁掛けにされていた白衣を取ったかと思うと、それをツナギの上から颯爽として羽織った。

「では諸君、少し帰りは遅くなるかもしれんが、何か問題があったらその子に言うてくれ」

 てんてこ舞いの急ぎ足で、博士は部屋を出て行った。後には俺と、ミノムシちゃんと、そのミノムシちゃんに愛情たっぷりな抱擁を施されている小鈴が残った。
 流石はお世話ロボットだね。情けが深いは女の甲斐性だからね、ロボットだけど。

「小鈴、さっそく仲良しになったみたいだね。良かったね」
「この子に抱きしめられると木板が押し付けられて痛いんだけど」
「些細な事情を殊更に責めることは互いの情誼にとって良くないことだよ」

 小鈴の相手をミノムシちゃんに取られちゃって、無沙汰になった俺は、とりあえず頭の良い人っぽく『きまぐれロボット』のことについて考察しておくことにした。

 まず、そのロボは養蜂場に居るらしい。きっと虫が好きなんだろうね。でも未来には虫とかそういう自然は少なそうだから、養蜂場くらいにしか虫が居なかったのかもね。
 そうして、このラボには霊夢ロボみたいな東方少女を模したロボが存在する。博士が素晴らしいロボット技師であることはもう明らかだから、霊夢ロボ以外にも東方少女のロボがいても不思議じゃない。
 この二つの繋がりから導き出される答えは――そう、読者の皆も薄々と気付いてはいるだろうけど、リグルロボって可能性があるよ! やったね!

 いやもちろん、これも単なる可能性だよ。実際には蜂蜜が大好きなプーさんロボかも。
 だけど、さっきも言った通り、これはSSだ。創想話の皆を楽しませるための小話だ。作者は読者を喜ばせる、その必要性に常に迫られている。強迫観念と言っても良い。
 んで、創想話の皆が大好きなのは、サンダースって名を掲げてる熊じゃなくて、東方少女だろ?

 それに話の展開ってものを考えてみようよ。物語には起伏ってものが不可欠だ。俺とか小鈴に波乱を巻き起こしそうなのは、お人形さんの熊か、ホタルの妖怪か――。
 まあ俺には勇気があるからリグルなんて怖かないけれど、小鈴はきっと怖がるだろう。登場人物を怖がらせるのは作品の持ち味だから、やっぱり、そうであるほうが必然だよ。

 って……あれれ、これだと対ロボットという展開へのピンチが二倍になってない?

 俺は慌てて、ミノムシちゃんに抱えられたまま借りてきた猫やってる小鈴にコソコソ話した。

「おい、おい、小鈴。ヤバイぞ、もしかしたら『きまぐれロボット』はリグルロボかもしれない。霊夢ロボと手を組まれたらえらいことになるぞ」
「うっさい、バカ! リグルって誰よ! この子よ『きまぐれロボット』は!」

 クワッと言い返してきて、小鈴は『注文の多い料理店』に登場するメッチャ怖い親方猫の挿絵みたいな顔をした。たぶん猫としては世界有数の、あの怖い表情だよ。

 けど俺は率直に言って訳が分からなかった。自分の頭が良くないことは自覚してるけど、それでもサッパリだった。
 だって博士は『きまぐれロボット』を迎えに行くって言ってたじゃん。
 なのに今ここに居るミノムシちゃんを指して『きまぐれロボット』だって主張する小鈴は、見当違いなことを考えていると思わない?

 とにかく小鈴の心をなだめようと、俺はユーモアを語らった。

「おやおや、小鈴ったら。そんな怖い顔しちゃって。そんな顔をしていたら、幻想郷に帰っても、お湯にはいっても、もうもとのとおりになおりませんよ」
「……うわあ」小鈴は怖い顔をしたまま、がたがた、がたがた、って震えて、ミノムシちゃんにも伝わって、がらんがらん、がらんがらん、って震えて、もうものも言えません。
「なにかね、これ? やっぱり今のうちに湯に入れておくべきなのか?」

 俺は小鈴にではなく、今度はミノムシちゃんに告げた。

「じゃあ、君。小鈴を風呂に入れてくれ。よく考えれば昨日から入ってないわけだし」
「了解ボス」ガランって、ミノムシちゃんが敬礼した。
「ボスじゃねえよ、お客さんだよ」俺は一応そこは訂正しておいた。

 お風呂場の場所は知っているらしく、ミノムシちゃんは小鈴を連れて部屋を去った。

 残された俺も、ちょっと身だしなみを整えることにした。昨日からお風呂に入ってないのは俺も同じだったし、髪に付けたスプレーがデロデロになりはじめていたからね。
 幸い、その部屋には洗面所があったから、仕事で徹夜した時みたいに頭を洗面台に突っ伏させてバシャバシャ洗ったよ。カラーリングは落ちちゃったけど、サッパリした。
 手持ちのハンカチで頭を拭いてると、早くも小鈴達が戻ってきた。

「うわ、はやい。小鈴はやい」
「煙みたいの浴びて服を着たまま十秒で終わったわ。なあに、あんたも頭洗ったの?」
「まあね」

 まるでお人形みたくダッコされてる小鈴の表情は落ち着きを取り戻していて、見た感じでは確かに清潔になっていた。あと着てる服の経年感とかシワとか汚れとかも消えていた。
 どうやら未来のバス・システムは洗濯も一緒にやってくれるみたいだね。すごい。

「そんなに早く終わるのなら、せっかくだし俺も体験してみたいや。君、浴室はどこだい?」
「はあ? なんであんたの命令をきかねーといけねーです?」
「え、何で?」

 数分前のイエス・ボスが嘘だったみたいに、ミノムシちゃんは俺への態度を硬質化させていた。
 まるで骨折した際に用いる水硬性樹脂を含んだギプス包帯みたく、速やかにね。
 これはきっと、お風呂で水を浴びたから、精神的な水硬性ポリウレタンが凝り固まってしまったのかもしれないね。

「ロボは自分の心を護るため、涙で強くなれるように水硬性物質でコーティングを――」
「そんなわけないでしょ」って、すぐに小鈴が訂正してくれた。「髪の毛よ髪の毛。あんた髪の色が元に戻ったでしょ。この子は顔認証システムみたいだし、あんたを別人として認識してるのよ」
「それはそれでシステム的にザルじゃね?」

 まあ俺もいまだに爾子田ちゃんと丁礼田ちゃんの区別を髪型と位置でやっているからね、俺というオリキャラを顔で覚えられないミノムシちゃんに文句を付けることはできないな。

 ともあれ、そんな感じで伏線を回収して、俺達は読書机に戻った。
 ミノムシちゃんは俺に背中を向けて、小鈴ばっかお世話してる。チョコ・スムージィのおかわりを用意したり、肩を揉んだり、愛おしそうに髪を撫でたり、色々さ。
 んで、さっきまでミノムシちゃんにゲンナリしていたはずの小鈴も、それを澄まし顔で受け入れている。視線は一直線に原稿へ、用紙をめくる速度には一点の曇りもないよ。

「小鈴、さっきまで怖がってなかった?」
「だって、よく考えたらまだ稼働して初日だし、いざって時には私も髪の色を変えれば良いって思ったの」
「話が見えてこないなあ。なあに、その『いざって時』って」
「いざって時はいざって時になんないと分かんないのよ」

 そう言うさなかにも、小鈴は未来のお菓子を摘んでいるよ。気に入ってるみたいだね。
 未来のお菓子は、たちまちに無くなっちゃった。そしたらミノムシちゃんが、おわん一杯に未来のお菓子を持ってきたもんだから、小鈴は上々の上機嫌さ。

「お待たせです」
「わあ、ありがとう」小鈴はチラッてこっちを一瞥して言った。「貴女ってなんて従順な子なのかしら。あっちの図体ばっか大きな役立たずとは大違い」

 あからさまに見下すようなことを言うもんだからね、俺は呆れちゃったよ。

「あのねえ、小鈴。自分に役立つものばかりを素敵だって思うのは上品とは言えないよ。それにさ、便利なものとか美味しいものにはね、絶対に何か相応の欠点もあるんだよ」
「……まあね」って、小鈴はミノムシちゃんを横目に言った。「けど、この未来のお菓子にはきっと無いわ。だって毒があるようなものを博士が私に出すはずないもの」
「毒とは限らないぞ」俺は口を尖らせて言ってやった。「例えば、そう、カロリーとか」

 お菓子に伸びた小鈴の指がギクリと止まった。どうやら思慮の外だったみたいだね。
 ぎりぎりと、油切れを起こしたブリキのきこりみたいに、小鈴の首がこっちに向けられる。

「あれれ、ちょっと目元の辺りがポテっとしてきたような」
「ねえ、このお菓子って一粒何カロリー?」小鈴は俺を無視してミノムシちゃんに聞いた。
「五百キロカロリーです」ミノムシちゃんはとんでもない事実をサラッと言ったよ。「貴女様がさっきまで食べてたのが十六粒なんで、全部で八千キロカロリーです」

 小鈴は頬に手をあてて言葉にならない悲鳴をあげたよ。
 一方で、小鈴に悪いとは思いつつ、俺はこらえきれずプップーって笑っちゃった。
 だって八千キロカロリーって、ツール・ド・フランスの選手が一日かけて食べるくらいの栄養価じゃないか。

「あっはっは、座りっぱなしで八千キロカロリーはヤバイね。明日にはお相撲さんかな。女性は土俵から降りて下さい、女性は土俵から降りて下さい」
「失礼なこと言わないで、ひっぱたいてやりたくなるわ!」
「そいつは俺も同意見だよ、小鈴」うってかわって、俺は深刻な表情をして言った。
「なんなのよ……でもどうしよう、そんな問題があっただなんて!」

 乙女の顔を真っ青に、小鈴は頬に両手をあてて嘆いたよ。
 そしたらミノムシちゃんが次のようなことを提案した。

「吐いちゃえば無かったことになるですよ」
「おいおい、よせやい。俺は反対だぞ、小鈴」慌てて遮って、俺は反駁した。「そういうのは摂食障害へのステップになってしまうかも知れない。安易かつ危険な方法だよ」
「……まあね、吐くのは嫌ね」どうやら、小鈴も遠慮したいみたいだね。

 乗り気にならなくて良かったよ。この物語にだって、こんな作者にだって、最低限まもりたい制約ってもんがある。不必要な下ネタや虐待は苦手さ、対象がアリスじゃなくってもね。
 過食ゆえに東方少女をゲロゲロさせるとか、そんな古代ローマのカエサルみたいな発想はちょっと時代遅れってか、読者さんが引いちゃうだろうから止めておくべきさ。

「じゃあ、運動するです。走るです」って、ミノムシちゃんが次善の案を口にしたよ。
「どのくらい走れば良いのよ」
「二百キロくらいです?」彼女はまたサラッと言ったよ。
「……ちょっと現実的じゃないわね」小鈴の額が汗ばんで、しずくが可愛らしい鼻筋にツツと流れた。

 俺としては「それって距離なん、時速なん?」っていう超面白ジョークを用意してあったんだけど、そういう雰囲気じゃないから止めておいたよ。
 だって、何だか気の毒になるくらい、小鈴の表情が曇って来ていたんだ。

「なら、こうするのはどうです? 今から私と鬼ごっこして、二百キロ逃げ切ったらそれで解決、仮に私が捕まえたら喉奥に指を挿し込んで全部を吐いてしまうです」
「ちょいと君、そろそろ小鈴が可哀相だ。からかうのは止してあげてくれたまへ」

 そう言って、俺はミノムシちゃんにオブジェクションを唱えた。だって、その提案って、冗談にしても面白くないからね。
 そしたら小鈴が俺の袖をクイクイって、子猫がじゃれるみたいに引いてきたんだ。

「……お客さん、お客さん」
「なあに、小鈴」
「ヘアカラースプレーを貸して。可及的速やかに」
「ああ、もちろん良いよ。けど何に使うの?」

 俺は内ポケットからヘアカラースプレーを取り出して小鈴に渡したよ。

「何に使うって、あんたね、これで髪の色を変えるに決まって――うわあ」小鈴は絶望の顔をした。
「それ茶色のヘアカラースプレーだから、小鈴が使っても意味ないんじゃね」

 小鈴は綺麗な飴色の髪をしているんだ。皆、知ってるね?
 飴色の髪に茶色のカラーリングをしても大した変化にはならない。分かるね?
 つまり小鈴のアテは大外れだったってことさ。

「まあ、こんな時に言うのもアレだけど、俺は小鈴の飴色の髪、嫌いじゃないぜ――って、小鈴、どこ行くのん!?」

 ガタンって、小鈴は椅子を蹴るや否やの駆足で、その場から脱兎みたく逃げ出したよ。
 そしたらミノムシちゃんは、ちゃぶ台を返すみたいに机をバタンって引っくり返して、ガランガランと騒ぎながら小鈴を追いかけ始めたんだ。

 飲物のグラスだけはね、俺が咄嗟の判断で二人分ともにキャッチしておいたから、それは大丈夫だったんだけど、あとはもうひどいことになっちゃったよ。
 読書机から落ちた原稿用紙や未来のお菓子は踏み荒らされて、しかも小鈴はドダバタとそこらへんのものをミノムシちゃんに投げつけながら逃げるから、散らかる一方さ。
 ここは大恩あるエヌ博士のラボなのに、そんな不良なことして良いと思っているのかね。

「こら、小鈴。鬼ごっこするのは良いけど、散らかすのはダメだよ」俺は手元のチョコ・スムージィを啜りながら叱ったよ。
「飲んどる場合かーッ!」あの漫画のキャラクターみたいに、小鈴が言った。

 その美少女フェイスを興奮ゆえか上気させて、小鈴は紙一重のギリギリでミノムシちゃんの両腕から逃げ惑っているんだ。彼女を目線だけで追いつつ、俺は会話を続けた。

「でも良く分かんないんだよな。どうしてこの子はこんな極端なマネに走ったんだろう」
「それはですね、建前上、人間の、健やかな――ゼイゼイ――生活の、ために」

 どうやら息切れが出始めていて、言葉の流暢さが失われ、小鈴の台詞は単語のツギハギみたいな感じになっていた。だけど、この期に及んでさえ、その口調は歯切れが悪い。
 これじゃあ彼女が何を言わんとしているのか忖度するのは大変だよ。相手の心情を汲むってのはとても難しいことだからね、財務省くらい賢くないと本来なら不可能なんだ。

 ただ俺っていう男には『小鈴のことが大好きだ』っていう自負と設定が存在しているからね、すぐに気付いたよ。思い出すことができたんだ。
 今の小鈴の台詞には、冒頭の、この本を選択した際に語らっていた主題との共通点がある。人間の健やかな生活のためにロボットがどういう存在であるべきか、とかいうやつ。
 その主題をここでまた繰り返すってことは、よもや、これって『きまぐれロボット』のイベントなんじゃなかろうか。

「……もしかしてこのバカげた状況は『きまぐれロボット』の大筋に沿っているのかい」
「ええ、まあ――ハァハァ――そう、です」

 呼吸も絶え絶えに小鈴が肯んじたもんだから、俺は呆れちゃったよ。

「だったらさあ、小鈴は『きまぐれロボット』のこと詳しいんだから、解説ってわけじゃないけど、もっと早くに俺にも情報を流してくれれば、こういう状況を回避できたかもしれないのに」
「ラインを、わきまえて――ハフハフ――いるん、ですよ、私は!」弱々しくも、小鈴が怒鳴った。「私は、貸本屋、だから、未読の人に、ネタバレを、しないように!」
「こ、小鈴ちゃん……!」

 ガーンだな。俺はショックを受けたよ。うおォンだね。俺は感動したよ。
 そうか、小鈴もまた、俺達とは違うラインを踏まないようにしていたんだ。まるで土俵際で死守する力士のように、彼女は俺をネタバレの魔の手から護ってくれていたのさ。

「そっか、俺のためだったのか。ごっつぁんです、小鈴、ごっつぁんです。君はやっぱり良い子なんだね。きっと品格と礼節を兼ね備えた素晴らしい関取になることだろう」
「助けて、いいから、助けて! こいつ、何とかして!」
「いや助けたいのは山々なんだけど暴力的な解決は横綱でさえ批難されるからなあ」
「ふぎい、い、い!」

 髭を引っ張られたドラ猫みたいな悲鳴をあげて、それでも小鈴は走り続けたよ。
 んで、小鈴をチェイスするミノムシちゃんは笑っていたよ。いや、笑っているように、ガランガランって体を揺さぶっていたよ。
 正直、この状況って傍から見てるとTVゲームみたいだね。

「小鈴さあ、デッド・バイ・デイライトってゲーム知ってる? 今の君、それにそっくり」
「知らない! けど、教えて! 相手を、どう倒すの?!」
「えっとね、でかい木板を倒してぶつけるんだよ。んで、相手をスタンさせるんだ。まあ君は今、まさに木板の権化みたいな存在に追いかけられるわけだけどね、あっはっは」

 俺は部屋に張り詰めている雰囲気を払拭しようと、明るいジョークを口にしたんだ。
 だけど、これは俺も言ってから分かったんだけど、全速力してる相手に諧謔を言っても舌打ちを返されるだけなんだよ。寧ろ、怒らせるかも。読者の皆も気を付けようね。

「あっそ、敵に、木板を、ぶつけるのね」小鈴は湿った息を吐き出しながら確認した。
「うん。そんで相手がスタンしてる間に逃げるわけだね」
「そっか――それは、それとして、返すわ、スプレー」

 俺のすぐ隣りを駆け抜けた小鈴が、まるでバスケのビハインド・ネック・パスみたいに、首の横から後ろへとスプレーを放った。スプレーはふわりと山なりの放物線を描いたよ。
 ところが、これが見当違いな方向に逸れちゃってね、俺は両手がグラスで塞がってるってのに、身を乗り出して飛びつかなくちゃいけなかった。
 そしたら間の悪いことに、そこにミノムシちゃんが走り込んできちゃって――激突したんだ。グラス? 割れたよ。俺? 割れてはいないけど、したたかに全身を打ったよ。
 つんのめるように体当たりしたミノムシちゃんも、これにはガンガラガンの大絶叫さ。

「うふふ、木板を敵にぶつけてやったわ」小鈴は嬉しそうに言った。
「敵って誰のこと言ってるのん?」

 分かってはいたけど敢えて聞いてやったよ、敢えてね。
 そういう皮肉しか頭に浮かばないくらい交錯しての疼痛がヤバかったわけさ。俺は『トイ・ストーリー』で二階から落下したバズみたく、その場に転げていた。
 まあミノムシちゃんは流石にロボットだからね、ガランって正気を取り戻した音を出したかと思うと、すぐに復活の兆しを見せたよ。ぶつかった俺への謝罪? ねえよ。

「来なさい、ロボット!」小鈴が元気を取り戻して言っているよ。「屋上にはね、あんたを退治してくれる強い巫女さんが居るんだから! あんたなんか引っぱたいちゃうわ!」

 そう言って、小鈴は駆け出していった。ミノムシちゃんはそれを追いかけていった。

 あとには俺が残された。惨めな、物語が通り過ぎた、その残骸みたいな気分だった。
 生憎ながら、俺みたいなオリキャラを拾ってくれそうな少女も来ない以上はね、「ハンナ、どこなの、ハンナ(裏声)」とか呼ぶのもナンセンスだし、自分で立ち上がらなければいけない。
 こういうのも仕方がないのさ、ハア南無戸隠尊、ヤレ南無戸隠尊。

 まあね、けど大人ってそういうもんだよ。ダッコされて許される子供じゃないんだから、どんなに苦しくたって、立つ時には自分の足で立つしかないのさ。
 俺は右手で上体を起こし、両手で踏ん張って膝を立たせ、そのまま両足に力を込めて立ち上がった。デッド・バイ・デイライトの負傷の状態にある人みたく、ヨロヨロとね。

 どうやら小鈴は屋上に向かったらしい。俺だって屋上に向かうことに躊躇はない。小鈴の暴虐も今は忘れよう。しかし屋上へどう行けば良いのか……これが分からない。
 俺はとにかく小鈴達を追って部屋を出た。遠くのほうからガランガランって響いてくる――降ってくるように聞こえてくるってことは、どうやら階段を昇っているみたいだね。
 音のほうに行けば階段を見つけられるんだろうけど、ダメージありありなこの体じゃあ追いかけても追いつけまいね。そもそも、このラボが何階あるのかすら分からないし。

 だけど俺は諦めない――いやつまり、階段以外にだって手があるかもって、そう思ったのさ。
 このラボの博士は、貫徹してロボットを造れるくらい達者な人だけど、なかなかの年寄りには違いないだろ。
 ってことは、ロボットの材料の運搬とか、重いものを運ばなくちゃいけない時には、階段だけじゃ心もとないよね。だったら、このラボにそれがあってもおかしくはないよ。
 乗り手を自在に運んでくれる魔法の箱、即ち、エレベーターだ。

 痛む足を庇い、体を壁に預けて、俺は壁伝いに移動した。蝸牛よりもノロノロにね。

 現代の知識が未来で通じるか分からないけれど、エレベーターってのは建物を貫く構造になるはずだから、基本的には階段とかと併せて設計されてることが多いんだ。
 インターネットによると、そういうのをコア構造とかいうらしいよ。

 まあもちろん必ずそうだって確信していたわけじゃないんだけどね。
 けど、無かったら無かったで、SSの主人公としては根性を見せるしかないだろ。怪我を押してでも階段を昇るっきゃないんだから、どうであれ向かう方向は変わらないんだ。
 ガランガランの余韻を追いかけ、俺は歯を食い縛って、とにかく階段へと向かった。

 そしたら、何たる僥倖か、ご都合主義か、まあエレベーターはあったわけなんだけど、これが何と開いたまんま待機していたんだよ。さも「お待ちしてました」って感じにね。
 どうやら、誰かが上行ボタンを押しながらも、結局エレベーターに乗らなかったらしいんだ。どうして乗らなかったんだろうね、開くのが待ちきれなかったのかな。せっかち。

 まあ地獄に仏ってんで、ふらふらに、俺は飛び込むみたくエレベーターに乗ったよ。
 んで、急いで屋上のボタンを――十五階だって――押して、その場に座り込んだんだ。

 ブウウ――――――ンンン――――――ンンンン、って、熊蜂ってほどでもないから、蜜蜂が唸るくらいの音だったわけだけども、エレベーターが動き出した。
 その弾力のある駆動音が妙に耳にへばり付くんで、俺は閉口しちゃったよ。口を閉じるくらいならまだしもね、耳を塞いでしまいたいって、そんな気分にすらなったからね。
 よもや俺の肉体的な障害が精神をまで苛めようとしているのかな。酷く高鳴る心臓は、問わず語りで烏滸がましくも、スカラカ、チャカポコ、チャカポコチャカポコ……。

 あ――ア。生きたながらのこの世の地獄さ。それもオ医者の暇なし地獄さ。運べや治せの救急病棟。息も吐かれず、日の目も見えぬ。広さ、深さも分からん地獄だ。
 そこの閻魔はリジチョの奥様、事務員連中が牛頭馬頭どころだ。見かけは立派な総合病院。嘘というなら入職なされよ。スカラカ、チャカポコ、チャカポコチャカポコ……。

「ちょっと、どうしたの?」
「いえ、寝てません、起きてます――ん?」

 ――ちょっと意識が飛んでたみたいだ。顔を上げると、目の前には霊夢ロボが居た。
 どうやら、うたた寝をしている間に、屋上に着いたみたいだね。

「ああ、巫女さん、ここに小鈴は来たかい?」
「小鈴ちゃん? ううん、来てないけれど」

 俺は霊夢ロボに手を借りて、あと肩も借りて、エレベーターを降りた。

 落下防止フェンスの向こう側に見える未来の景色は、海外ドラマとかによく出てくるようなマンハッタンのビル群に似ていたよ。コンクリート・ジャングルってやつさ。
 んで、ビル同士の間に張り巡らされた立体道路には、とうてい人力では制御できないだろうスピードの車が走っていた。きっと自動運転機構の開発を巧いことしたんだろう。排気ガスとか騒音も無いから、すごいね。
 優しい朝日とか白い雲とか、空の健康状態も良好に保たれてるみたいだし、まあ全体的に好意的なアヴニールというか、いかにも繁栄した未来の姿って言えるんじゃないかな。

 けど同時にね、こうして高いところから俯瞰してみると、不思議と淋しい光景だなって印象もあったんだ。
 だってさ、歩行者とか自転車とか、通行人が全くいないんだよ。だからなのか街路樹とかも植えられてないし、棲家にできる樹がない以上、かしましいはずの鳥達の姿もない。
 ハイテクな自動車に騒音がないのは結構だけど、なまの音ってものもないから、今ここじゃ風の音しか聞こえないよ。仮に風が凪いだら静寂感は一層酷いことになるだろうね。
 その結果、この景色には侘びも寂びも感じられないわけで、ドライな無機質さばかりが印象に残るんだよ。
 温もりってか、単純に自然を感じたい場合には公園とかそれ専門の場所に行かなければならないのかもね。なにせ未来だし、それぞれの区域に区分された役割があるんだろう。

 ――などと、またもボンヤリしてた俺を乱暴に降ろして、霊夢ロボは状況説明を促した。

「あんた、わざわざここまで何しに来たのよ。何だかケガしてるみたいじゃないの」
「ああ、そうだね。助けておくんなまし、巫女さん」

 俺はクラクラな頭をゴシゴシしつつ、小鈴の窮状を説明した。
 その間、霊夢ロボはいかにもSFらしく、俺の傷ついた体を透視してくれたよ。そんで「たぶん骨折は無さそう」とかいうお墨付きを頂けたから、それは良かった。

「とにかく小鈴を助けに……俺なんか置いてっても良いから、助けに行ってあげて」
「えっと、私はつまり、そのミノムシちゃんを壊せば良いのかしら?」
「え? ……ああ、いや、それは大げさだよ」

 正直なところ、さっきも小鈴に言ったことだけれど、俺は暴力沙汰にしたくなかった。
 だってミノムシちゃんはエヌ博士の大切な創作物だ。それを許可も得ず、無断で、こんな展開の末に壊しちゃったとなると、博士の気分は良かあないはずさ。そうだろ?

「もっと穏便な手段が良いよ、巫女さん。だから――そう、ヘアカラースプレーだ。ヘアカラースプレーはこのラボにあるかい?」
「……? 博士が身だしなみに使う白髪染めならあったと思うわ」
「そうだよね。白髪の人はたいてい持っているものだからね」

 そろそろ痛みも引いてきた足を奮わせて、俺はサー・ロビンのように勇敢を謳った。

「ではヘアカラースプレーの元に案内して頂こう!」
「なんか締まらないわね、まあ良いけど。一階の洗面所よ」

 俺達は颯爽とエレベーターに乗り込み、元々居た階層に戻った。
 んで、向かう途中でさっきの読書机のあった部屋を通ったんだけどね、その散々な散らかり具合に、やっぱし霊夢ロボは悲鳴を上げるわけだよ。

「なあに、この有様は! お掃除が大変じゃないの!」
「これはえっと、話せば長くなるし、誰に責任があるのかも難しいし、禁則事項ってことじゃダメ?」
「なによ禁則事項って! そんな言葉で誤魔化すなんて性根と頭の悪い人がすることよ!」
「ごめんなさい」自覚があったからね、俺はすごく反省したよ。

 とにもかくにも、俺達は洗面所へと辿り着いた。身だしなみのための部屋であるからか小奇麗な印象で、ヌメりっぽさとかもない、掃除の行き届いた小部屋だったよ。
 そんで、沢山ある棚の一つから、霊夢ロボはスプレーみたいなものを一つ取り出した。

「はい、ヘアカラースプレー」

 そう言って、彼女が示したメタリカルなスプレーには調節つまみが二つ付いていた。
 一つには色彩の、もう一つには時間の、半円目盛りが付いているよ。

「こっちのノブで染めたい色を、こっちのでは持続時間を決めるの」

 俺は「へえ」とか「ははあ」とか、もったいぶった相槌をうちながら、しげしげとスプレーを眺めた。この一個で色も時間も自由自在ってのは実に未来っぽくてすごいね。

「髪にちょっと吹き掛ければ髪全体が染まるの。髪だけグラディエントを変えるみたいに」
「イラスト関連の単語は良く分かんないんだけど、でも、ありがとう、巫女さん」

 俺はスプレーを受け取って、懐に入れたよ。

「ついでに、小鈴が今どこに居るのか透視してくれる?」
「良いけど……」霊夢ロボはジッと建物全体を見回して、告げた。「五階のエレベーター近くの部屋のクローゼットに隠れてるみたいね。あと、なんかガランガラン煩いロボットは八階に居るわ」
「なるほど、小鈴は巧いこと体を躱したわけだね。打っ棄ったわけだね。ああのこった、じゃなくて、ああ良かった」

 まあそれなら俺だけでも大丈夫そうなんで、SSを本スジに戻すために、それとやっぱ暴走されると怖いんで、俺は霊夢ロボとお別れすることにしたよ。

「じゃあ、これでもうなんとかなりそうなんで、巫女さんは、その、さっきの部屋の掃除を頼みます。できれば博士が帰る前に終わらせてくれるとありがたいです、マジで」
「……あっそ」不服この上なしって感じの顔をしたけど、霊夢ロボは頷いてくれたよ。

 そんなこんなで霊夢ロボと別れた俺はエレベーターで五階に向かった。

 エレベーターの近くって言ってからね、開いてすぐの向かいの部屋に入ったんだけど、そこは四壁の一面がウォーク・イン・クローゼットになっているタイプの部屋だった。
 俺はとりあえず端から端へ陽気な大学生のノリで総ての折戸へと連続ノックを行った。ゴンゴン、ゴン、ゴンゴンゴンゴンゴン、ゴン、ゴンって感じに、ウワアアってはしゃぎながらね。

「やめろ!」おやおや、小鈴が怒っちゃった。でもこれでどの位置に居るか分かったぞ。
「お母さんですよ、開けてちょうだい(裏声)」俺はヤギのママみたいに言った。
「お母さんは未来にいないわ!」
「そうだね。小鈴ママは君が家出から帰ってこないのをずっと待っていることだろうね。いや、『待っていた』だろうってことになっちゃうのかな」

 ……これは少しイジの悪い言いかただから、口にするか、そのためらいはあったよ。
 けど、小鈴の心の隅っこにはきっとそのことがあるはずだったから、言ってやった。

「小鈴、俺は助けに来たんだよ。入れてちょうよ」
「……あんたのさっきの台詞は悪い狼の台詞だもの。ここには柱時計は無いのよ」
「でもほら、俺ってどっちかってならヤギに近いよ。君のくれた紙も食べただろう?」

 俺はあの時のことを恩着せがましく言ったよ。オブラートの件ね、覚えてる? 随分と長い話になりそうだからね、ごめんなさいね。
 まあそれはそれとしてさ、小鈴はクローゼットの折戸を開けてくれたんだ。やっぱり良い子なんだよ、小鈴は。いやに仏頂面で、なぜだか随分と不機嫌そうだったけれどね。

「怒ってないの?」
「なんのことだい?」
「全部よ」

 そう言って上目遣いにこちらを見てくる小鈴に、俺は隣りに腰を降ろしながら、「怒ってないよ」と、ピピ美(芳忠)っぽく言った。

 折戸はね、念のため閉めたよ。仕方ないでしょ、追われてんだから。
 でも閉めたら暗くってさ、隣りにいる小鈴の顔すら判別できないんだ。輪郭だけおぼろに分かるくらいさ。まあこの状態でもヘアカラースプレーは使えるんだけどね。
 懐からスプレーを取り出して、俺は調節つまみをくりくりと回した。

「えっと色は黒で、時間は二時間位で良いかな」
「私の髪の毛、黒くするの?」
「そうだよ、二時間だけね。そしたらまあミノムシちゃんも追いかけてこないよ」

 んで、俺はスプレーを向けたんだけど、小鈴が慌てて手を振ったんだ。

「待ってよ、髪留め外すから」

 そう言って、小鈴が鈴の髪留めを外すと、サラって髪の毛が流れるみたいに肩に降りたよ。綺麗な髪の毛だね、きっと色々と結うことも可能だろうね、丁髷とか大銀杏とかね。

「なんか失礼なこと考えてない?」
「いや、まさか」

 心の中での戯れを察せられてしまって、俺は思わず慌てちゃったよ。
 ……けどまあね、これも見方を変えてみれば仲良くなった証明かもしれないね(楽観)。

 俺はスプレーをプシュッとやった。すると噴霧は髪に浸透した……はずなんだけど、どうなったのか良く分かんなかったよ。なにせ、クローゼットの中は暗いんだ。
 だから光を入れるために折戸を、と、そう動こうとした途端にガランガランの物音!
 俺は慌てて小鈴の口を覆った――同時に、小鈴の手のひらが俺の口を覆っていた。

 ……はて、どこまで信用が無いのだろうか。俺はこんな頼りない感じであっても、いちおう勇敢っていう設定で、なおかつ大人で、そつのないキャラクターなのにね。

「エレベーターがこの階で停まってたです。つまり、この階が怪しいです」

 外から聞こえてくるミノムシちゃんの名推理は、どうやら俺の軽率を糸口としていた。……そつ、あったみたいだね。
 こんなかたちで自分の間抜けっぷりを知らされるハメになった俺は『ターミネーター2』のタイソンみたいな表情で過呼吸っぽい動揺を示すよりなかった。

 見かけによらず有能だったミノムシちゃんはさらに次のようなことを独り言ちた。

「この部屋は扉が開けっ放しです。だから寧ろ怪しくねーです。まず他の部屋を見るです」

 かくしてガランガランは去っていったのだった。
 ふはは、愚かなりミノムシちゃん、これぞ兵法三十六計の一つ、空城の計なり!
 名軍師お客さん、狼顧なるミノムシちゃんを走らす!

 ……小鈴がこっちを見てるね。
 俺は小鈴の手を口元から外しながら、ボソボソ弁明した。

「急ぐとね、どうしても、エレベーターをね」
「……良いわよ、別に」ポツリと言って、小鈴は許してくれたよ。
「良かった。じゃあ、ちょっとここで様子を見ようね」

 俺はスプレーを懐に仕舞いつつ、クローゼットを見回してみる……暗くて何が何やらだった。こんなところに独りぼっちになっていたって思うと、小鈴の心細さが忍ばれるね。
 そのまま隣りに居る小鈴に視線を移してみる。彼女は膝を抱え込んで座っているよ。

 ふと目が合った。俺はニヘラって笑ったけど、小鈴はプイッて目を逸しちゃった。

「ねえお客さん」溜息でも吐くみたいに、小鈴が口を開いた。「そろそろ名前教えてよ」
「こんな状況で、君は名前を聞くの?」必然性のない、少女特有の気まぐれってやつに、俺は困っちゃった。まさか実名を教えるのもアレだしね。「俺は……君のお客さんさ」
「なあに、それ。あんたにとって私は名前を教えるにも値しないってわけ?」
「まさか、そうじゃないよ」俺は首を振った。「ただ普段から名前が責任になる仕事してるから厭になってるところがあるんだ。少しでも匿名で居たいって、そんな気持ちでね」

 実際、辛い。毎日が辛い。昨日は辛かった、今日も辛いよ、明日とて辛いだろう。
 俺はそんな苦悩から現実逃避したくて鈴奈庵に来たんだよ。

「なら、お仕事は何をしているの? お金ならあるとか、ずっとうそぶいてたけど……」
「今は総合病院で雇われのお医者をしてる。もう若くはないけど、独身だからお金はね」
「……あんた、お医者先生なの?」
「先生なんて柄じゃないよ、小鈴。俺は自分が偉いなんて、これっぽっちも思ってない。ただ、重い仕事をしてるってその実感だけあってね、名前を呼ばれると吐気を催すのさ」

 ちなみにこれは『お客さん』というキャラクターの設定で、これを書いている『お客さん』って作家は別の仕事をしているよ。地主だよ。駐車場とか石油とか、不労所得で暮らしてるよ、わあい。

 かくして俺は職場のことを家庭ならぬSSに持ち込んだわけだけども――もんのすごく後悔していたよ。作者の事情なんて興醒めにしかならない。花も暴けば泥だらけだしね。
 小鈴は小鈴で『聞いちゃいけないことを聞いた』って、勝手に反省してるみたいだし、クローゼットの中の空気がね、まるで核戦争中のシェルターってくらいに重くなったんだ。

 俺はどうにかして場を明るくしようと思ってね、ふと頭に浮かんだ『風が吹くとき』って絵本の、ジャガ芋の袋を被る愉快なおじさん・ジムのマネをして歌ってみせたんだ。

「♪笑って笑って、にっこりと♪」
「止してよ、そんな歌!」小鈴はびっくりしたみたいな声を出した。
「おや嫌かい? でも、あのおじさんだって笑って欲しくて歌ったと思うんだけどな」
「そうだろうけど……でも、あの絵を思い出しちゃって――」

 小鈴は俯いてゴニョゴニョと何事かを呟いていた。こういう不明瞭な口振りになるってのはね、きっと胸の内にある心情を打ち明けるかどうか、それを迷っているんだろうね。
 けど小鈴は根が純粋な良い子だから、すぐに自分の心模様を俺に教えてくれたよ。

「……私ね、その絵本を初めて見た時、お母さんとお父さんにすごく甘えたくなったの。二人と一緒に居たくて、ぜんぜん我慢できなくて、その日は同じ部屋に布団を敷いたわ」
「あの絵本は、わりとそういう反応を示す子供が多いって聞いているよ」

 知らない人のために説明すると、『風が吹くとき』は仲睦まじい老夫婦の話だからね。
 読んだ子供が自分の両親を彼らに投影することは何の不思議でもない。寧ろ、それを狙って書かれているところもあるだろう。
 ただ結末がね、超ド悲劇だから……喪失感に似た不安に襲われるのかも。

「……だから、その絵本を思い出したら、淋しくなっちゃった」揺れる声、隣りは何をする人ぞ。「私が居なくて、お母さん達はどうなったのかしら。ジムとヒルダみたいにやつれていないかしら」

 小鈴はそう言って少し沈黙してから、ようやく俺が待ち侘びた言葉を口にしてくれた。

「ねえ、お客さん。私、幻想郷に帰りたい。お母さんとお父さんに会いたい」
「そうだね。俺もそうすべきだと思っていたよ」俺はスヌーピーみたいにスマイルした。「だけどエヌ博士に御礼と、お別れの挨拶を言ってからね。それが礼儀というもんだよ」
「……うん」

 俺は颯爽と折戸を開こうとした。けどね、なんでか小鈴がそれを止めたよ。

「少し待って」
「どったの、小鈴」
「お願い、ちょっとだけで良いから」

 そう言って、小鈴はゴソゴソを始めた。暗いけど、ハンカチで目元を拭う姿が見える。
 それと髪を纏める音とかも聞こえるから、きっと髪留めを付け直すのとかも含めて、身だしなみを整えているんだろうね。
 ――などと、思っていたら、洟をかむ音がした。実に、実に実に、虚心坦懐にだ。

「あんだってんだよ、小鈴。まさかフラニーにでもなったつもりかね?」
「あら、ごめんなさい、ゾーイー。洟をかんじゃいけなかった?」
「『少し待って』で脱線してこれじゃ『太ったオバサマ』も読んでて呆れちゃうだろう」
「まあ、なんて我儘な読者さんなのかしら。洟をかむのも命がけねえ」

 いいや、そんなことはない、君に優しい読者ばかりさ。
 だって誰もが君の笑顔を心待ちにして読んでるんだぜ、小鈴。

 ともあれ、俺はビブロフィリアを慰めるためにマニアック的な会話をしたわけだけど、これは小鈴の気分を安らわせるって意味でも、悪い働きはしなかったんじゃないかな。
 だってもう彼女の声は揺れていなかったし、元気が戻ったように聞こえたからね。
 これで俺も安心して、この小さな読書家を小鈴ママの元に送り届けられるよ。

「まあ別に謝らなくたって良いさ。このろくでもない現象界で、もし君が洟をかむ時間でも見つけられたなら、それはまさに幸運というものだ。そうだろ」
「ええ、ええ、そうね」と、サリンジャーの引用に、小鈴は満足げな相槌をしてくれた。

 彼女の準備が万端になったのを確認してから、俺は颯爽と折戸を開いた。そしたらね、入り込んできた蛍光灯の白光が小鈴の黒髪に降り掛かってキラキラと輝かせてくれたよ。
 いつもの可愛らしいツインテールの、髪色だけイメチェンした美少女の姿に、俺はダブル・サムズ・アップで最上級の賛美を示したんだ。

「ひゅうひゅう、似合ってんじゃないの」
「うふふ」
「なあに、その『うふふ』って。ドラえもんかな? ものまねは体型だけにしたまへ」
「うっさいな」

 小鈴はむすっと怖い顔をして乱暴な言葉を使ったけれど、すぐにクシャって笑った。
 ただの照れ隠しだってことに気付かれちゃったのかもね。ああ恥ずかちい。

 折りしも、ガランガランが近付いてきていた。どうやらこっちに来ているみたいだよ。

「さあて、どうなるかな。髪の色を変えるだけで、本当に別人って解釈されるのかな」
「大丈夫よ。だってあのロボット、お客さんが自己犠牲しても大して反応しなかったし」
「あれが自己犠牲か。あっはっは、小鈴のコンチキチンは記憶を美化するのが得意だなあ」

 とかって、俺達はおバカな会話をしていたわけだけど、何気なく小鈴の手が俺の手を掴んできたのは、やっぱりちょいとばかり不安があったからなのかもしれないね。

 ガランガランの音が徐々に大きくなっていき、そのボリュームが最高潮にまで達したと思った瞬間には、部屋に姿を現していた。ミノムシちゃん・ハズ・カム!
 彼女は小鈴(黒髪)の姿を認めるや否や、体全体の木板を鳴らしながら駆け寄ってきた。
 小鈴は、それでも健気に顔色を変えなかったよ。ただ手だけはギュッてされたけどね。

「お嬢さん、そこのお嬢さん」と、ミノムシちゃんが小鈴の前に跪いて言ったよ。「貴女と同じ格好をしてるですけど、髪が飴色の、そういう女の子を見てないです?」
「見てないわ」小鈴は即答したよ。「私は未来だと有名人だから、きっと誰か私の恰好をものまねしているに違いないわね。うふふ、困っちゃう。有名人は辛いわねえ」
「俺も見たことあるよ、小鈴の恰好した女の子」リアルな事実を、俺は素直に述べた。

 ミノムシちゃんは悩んでいたみたいだけど、結局、その電子頭脳は小鈴を小鈴として確定することができなかった御様子で、いかにも哀しげにガックリと首を垂らしちゃった。
 ガランと、脱力のはずみの一鳴りは、とても物悲しい気配をはらんでいたよ。

「どうしよう、本格的に見失った。二人とも居なくなっちゃったんだ」

 茫然自失という言葉がロボットにも適用されるとするならば、彼女はまさにそんな感じだった。鬼ごっこの提案をしたのは自分のくせして、もうそこから動こうとしないんだ。

「良かったじゃないか、みる人が居ないってんなら気楽なもんさ」とりえあず俺は慰めてみることにした。「君は自由だ、何をしても良いってことさ。羨ましい、実に羨ましい」
「やることないなら一階の掃除とかすると良いわ」小鈴が自己中なことを言った。
「……まあ小鈴より良いボスを探すのはありだと思うね」

 けどミノムシちゃんは俺達の言葉に反応してくれなかった。ひたすら同じ言葉を繰り返しているんだ。「忘れないで」とか「出て行かないで」とか「自分の所に居て」ってね。

 俺は小鈴と顔を見合わせたよ。お互いに困った表情、考えてることは同じみたいだ。
 だってさ、どう贔屓目に見ても彼女の落胆っぷりは不吉だよね。いかにも暴走寸前ですって感じで、今にも人間に不利益なことを仕出かしかねないじゃないか。

 だから本当なら、俺は小鈴と二人で対策を講じるべきだったのかもしれないよ。
 なのに俺って男は、言葉の語尾から『です』が消えたのはキャラ作りを止めたからかな、とか、まあ可哀想だから指摘しないでおこう、とか、ナンセンスな思惟を優先させていた。
 実際、はっきり言って、これ以上にシリアスな展開を続けるのは読者さんも食傷だって分かってるからね。なんとかこの子の顛末を歌と踊りで纏められないかなって、そっちに思慮を巡らせていたんだ。

 もちろん、そんなに生ぬるい展開が許されるはずもない。すぐに異変が生じたよ。

 初めはね、寒くて凍えるみたいにガランガランって身を震わせ始めただけだった。
 でもミノムシちゃんの振動の規模は段々と大きくなってきて、遂には、彼女の身震いに呼応してのことなのか、十五階建てのラボまでもが一緒になって揺れ始めちゃったよ。
 よくよく観察して見るとね、彼女は自分の指を足下の床材に貫き通してるんだ。んで、そのピンチ力を駆使して建物全体を揺さぶっている。
 きっと彼女の窮追された精神が人工知能の制御を外れ、本来は有効利用されるべき膂力を誤って荒ぶらせてしまい、現状の建物震蕩を発生させてるんだろうね。

 もはや遠からぬ惨劇に巻き込まれることが受け合いとなった俺達は大慌てでミノムシちゃんを止めようとした。

「おい止せ、建物を壊すつもりかい!」
「あなたもぺちゃんこになっちゃうわよ!」
「良いの。これでもう、ずっと一緒。ガレキの下でみんな」

 聞く耳を持たないミノムシちゃんに、進退は窮まりつつあった。
 俺は小鈴を護るべきオリキャラなのに、このまんまじゃ護れない。その無力感を噛み締めつつ、小鈴のほうに目を向けたよ。
 そうしたら小鈴は……こちらを見てニヘラと笑った。申し訳なさそうな、これから無礼を働くけど許してってそういう暗黙裡の了解を得ようとするみたいな、そんな笑顔だった。

「え、小鈴、え?」

 ビブロフィリアの残忍を察した俺が制止しようとする前に、小鈴は口を開いた。

「ねえ。さっき私、ノッポな茶色い髪の殿方なら見かけたわ」
「え、本当です?」ミノムシちゃんが興味を示した。地震は止んだ。
「いや、嘘です」俺は言下に否定した。
「なんだ嘘か」ミノムシちゃんは再び俯いてしまったよ。地震は再開した。

 すると小鈴はニヘラ・スマイルのまま、俺の足背にあんよを乗せて、愛情をねだるあどけない少女のように可愛らしいピョンピョンを始めた。痛くはないけど、率直に言って怖い。

「お願いお客さん。貴方は私を助けてくれるって信じてる」
「まあ信じてくれるのは嬉しいんだけど、どうして君は俺の革靴に乗って飛んだり跳ねたりしてるのかな?」
「うふふ、ドラえもんになりたくない乙女心は私に運動を促すのよ、うふふ」
「さっきのが冗談だって君は分かっているはずだろ! ……いやほんと、どうすっかね」

 俺だって、その方針が現実的だってことも、そういう三枚目を演じたほうがSS的に美味しいってことも、分かっていたんだ。
 だけどミノムシちゃんの暴走っぷりを見ていると尻込みしちゃうよね。指に引っ掛けて建物を揺らすロボットにお世話されるのは、ぶっちゃけ、あんまり好ましい状況じゃないよ。
 バキ以外に範馬勇次郎の作る朝メシを食いたい人間なんていない。それと同じことさ。

 どうにかしてその覚悟を得ようと、俺は目を閉じて中空を仰ぎ、過去に教えを請うた偉大なる隠者の言葉を思い出すことにした。

『一色一香無非中道、一々恰好付けなくたってオリキャラは務まるっす。なら、とにかく一粲を博すこと、一笑を望み一身で当たること。これら総ての『一』を心得ることっす』
『マスター・戸隠。すべきことがそれならば、せざるべきでないことはなんでしょうか』
『怒らないこと、慢心しないこと、束縛しないこと、そして名前や形態に拘らないこと。そうすればダーマパーダが筆致に宿ってくれるっすよ。――ま、いい大人なら当然のことばかりっすね』

 俺は戸隠さんの箴言(捏造)を全身に沁み渡らせた。ハア南無戸隠尊、ヤレ南無戸隠尊。

 ついでに残忍な火男が喧しく言っていた迷言を思い出そうとしたけど、これ以上こんなアホな回想やってるとテンポが悪くなる気がするんでカットします、ごめんなさいね。

 俺は一大決心をして、それこそサーペンタイン池に一シリング銀貨を投ずるみたいに、ミノムシちゃんに言った。

「もはや恐るるな、ミノウェイちゃん!」
「ミノウェイじゃねーです」
「ロボットの君に言うのも烏滸がましいが、敢えて言おう――アイル・ビー・バック!」

 破れかぶれの自棄っぱちでサムズ・アップを提示して、そのまま溶鉱炉ならぬ背後のクローゼットに飛び込んだんだ。
 ヘアカラースプレーの調節つまみを茶色に合わせ、プシュッと自分の髪に使う。
 そんで折戸を蹴っ飛ばすみたいにして外に飛び出したよ!

「アアアアアイム・バアアアアアアアック!」俺は叫んだよ、ひたすら恰好悪くね。
「ウェル・カアム・バアアアアアアアック!」ミノムシちゃんも叫んだよ。地震? 止まったよ。
「♪デデンデンデデン、デデンデンデデン♪」小鈴はBGMに徹していたよ。ノリが良い子ねえ、この子。

 俺の帰還がよほど嬉しかったんだろう、ミノムシちゃんは俺の手を取って言ったよ。

「良かったです! 本当に良かったです! 人間が涙を流す理由が分かったです!」
「ちぇ、こういうふうに聞くと安っぽい台詞だなあ」
「お客さん、ありがとう!」
「小鈴は人間だから涙を流してくれても良いんだよ?」

 そういう皮肉をそれぞれに言ってやったけどね、二人はどこ吹く風って感じだった。

「あれ、ちょっと怪我してるです。誰にやられたです?」
「君達」俺は端的に指摘した、両手で二人を指差しながら。
「さっそく治すです。医務室に行くです」

 マイペースなミノムシちゃんは俺の手をむんずと掴んで、医務室とやらに俺を引きずって行こうとした。
 もちろんパゥワーの劣る人間の身では彼女に抵抗することなんてできないわけで、その力任せな誘導に従いつつも、そこに残される小鈴に申し置きを言い渡したんだ。

「小鈴、君はお掃除をするんだ。一階の、君が散らかしたお部屋の後始末をね。俺のこの自己犠牲に僅かでも何かを感じてくれたなら、その反省の気持ちを見せてちょうよ」

 小鈴がその言葉をどう受け取ったのかは分からない。だって俺はミノムシちゃんに強制送還されていて、彼女の返答を待っている余裕なんて無かったからね。
 ただ我らが小さな読書家は、俺達がエレベーターに乗って、その扉が閉まってしまうまで、ジッと俺達を見送っていたんだ。その顔はね、少しだけ悄気ているようにも見えたよ。

 エレベーターは、すぐさま俺達を九階に運んだ。
 ミノムシちゃんの案内に従って辿り着いた先は薬品の匂いが強い一室だった。

「俺、この匂い嫌い。世界一嫌い。ズル休みしたくなっちゃう」

 などと、日常を思い出して鬱々としつつ、俺は促されてアームチェアに腰掛けた。

「じゃあ、さっそくお注射するです」
「なんで?」

 俺は純粋に疑問を抱いた。打ち身に注射って、現代医療の範疇を軽く越えてるよね。

「それしか医療行為を知らないです」

 おやおや、この返事は俺の理解の範疇を軽く越えてるね。ドキドキしちゃう、何これ、恋? ラヴ? それとも恐怖?
 こいつ、とりあえずで注射を打つつもりかって、俺は蒼白したよ。これはつまり顔色を青くしたって描写することで、俺の中の不安とか後悔とか恐怖とかを示しているんだよ。

 ガランガランと医療棚の間を走り回り、やがてミノムシちゃんが持ち出してきたものは翼状針を付けた小型注射器だったよ。中にはね、正体不明の液体が入っているんだ。

「なあに、それ。ビタミン剤かな? ミノムスビ、うそをつけ!」
「ミノムスビじゃねーです。あとこれはナノマスィーン、何にでも効果があるです」
「あれ、本当に理解を越えてた」

 俺は注射がギャグ的な何かではなくSFっぽい代物であったことに驚愕した。

「えっと、安全性は確認されてるんだろうね? 消失半減期は?」
「知らねーです」
「……翼状針が付いてんなら静脈かな? まあどっちにしろ自分で打つ、かしてね」

 俺の要求にミノムシちゃんはキョトンとしちゃったけど、こっちが有無を言わせずって態度を崩さなかった結果、渋々に注射器を渡してくれた。ついでに駆血帯と酒精綿もね。

 肘掛けに腕を置き、手首から十センチくらい下の場所を駆血帯で縛る。
 手の甲に浮かんだ静脈の走行を確認してから酒精綿で拭い、翼状針で刺す。
 逆血を確認してから駆血帯を緩め、シリンジの内筒を押し込む。
 ぜんぶマニュアル通りさ、難しくない。これを家庭でやる患者さんもいるんだからね。

 ナノマスィーンを注入することにも大して感慨は無かったかな。異物を入れる恐怖も、SFを楽しむワクワクも、自分で注射しちゃうと、ただの仕事って印象に収束しちゃう。
 入れ終えたのを見計らって、ミノムシちゃんが絆創膏を差し出してくれた。俺はそれで酒精綿を貼り付けて翼状針を抜いたよ。あとは何分か安静を保つ、お大事に、俺。

「針ボックスはどこかね?」
「――ここです。あとは揉まないで数分です」
「知っとるわい」

 俺は投げやりな態度で言ったよ。注射器も投げやりに放ってやろうかとも思ったけど、そこは嘘でも医療関係者を名乗ってる以上はヤバイなって思って、律儀に箱に捨てたよ。

 施術を終えて、それでもミノムシちゃんは隣りに居た。動くとガランガラン喧しい子だが、傍らで大人しくジッとされても、それはそれで余韻という名の幻聴が聞こえてくる。
 お互い黙ったまんまなのも居心地が悪いし、SS的にも見栄えが悪いし、とにかく俺は楽しい展開を提案することにした。

「よし、ミノムシちゃん。お世話ロボット的に俺を楽しませてくれ。踊ったりとか」
「私は楽器じゃないです。踊りも知らねーです」
「そうだね、ゴメンよ(素直)。だが原作でやらないことでもやらにゃいかんのが創想話なんだ!(情緒不安定)」

 俺は立ち上がり、叫んだ。そしてアドリヴで『ジングル・木板』を大声に歌った。

「♪踊れ木板 ベルのように♪
 ♪ラボの中を けたたましく♪
 ♪響く音を えすえすに書きゃ♪
 ♪明るい未来の そそわで鳴る♪」

 必死だった。俺はすごく必死だった。
 彼女に主導権を渡すと『きまぐれロボット』って作品的には宜しくない結果になるらしい。でも俺の勝手が過ぎると、それはそれで画面の向こうの誰かを不快な気分にさせてしまいかねない。
 ギリギリのラインを、俺は走らねばならなかったんだ。どうしてこうなったんだろう(自業自得)。

「♪ガランガラン ガランガラン 木板鳴る♪
 ♪鳴るこの拍に 余韻の輪が舞う♪
 ♪ガランガラン ガランガラン 木板鳴る♪
 ♪ラボにそそわに 響きながら♪」

 下手な熱唱に、ミノムシちゃんは多少ならず呆れていたみたいだったけれど、諦観ってのかね、もう仕方ないからバカに付き合ってやろうって感じで体を揺さぶり始めたんだ。
 でも俺はそれで良いと思った。さっきみたく、孤独で、地震を引き起こしちゃうような震えよりも、今の渋々な揺らぎのほうが、きっと彼女にとって素晴らしい心の体操になるって、そう思ったんだ。
 だから俺は、ミノムシちゃんと一緒に、それこそクリスマスの朝を迎えたエベネーザ・スクルージみたいに大はしゃぎしたんだ。肩を組んで二人きりのライン・ダンスさ。

「楽しいね。楽しくない? 楽しいよね、楽しい」
「別に楽しくはねーです」
「そう邪険にしてやるな、そやつはお前への対応に苦慮しておるのじゃよ」

 ――と、声のほうに目をやれば、エヌ博士がちょうど部屋に入ってくるところだった。

「率直な意見をどうも、博士。帰ったんだね」俺は元の椅子に腰掛けながら言ったよ。
「うむ」

 近くのアームチェアを引き寄せて、博士も俺の近くに座った。

「小鈴ちゃんが黒髪になってて、しかも一階が酷い有様じゃったが、何があった?」
「それはホラ、ラインの関係でツムツムなんだけど、小鈴はなんて?」
「禁則事項とだけしか話してくれんかった。霊夢ロボと仲良く掃除しておったよ」

 掃除してるってさ! あの勝手気侭な小鈴が、自分から掃除してるってさ!
 俺はすごくホッとした。小鈴はやっぱり良い子なんだ、それだけは確かな真実なんだ。

「しかしこっちも存外に仲良くやれたみたいじゃな」
「簡単に言ってくれるよなあ、こっちはシド・フィリップスと遊ぶウッディ・プライドの気分だった。おい、ミノムシちゃん。お前の創造主に一発蹴りを入れてやれ、俺が許す」
「あいさーです」
「待て待て、暴力はいかん暴力は――うわ、止さんか」

 俺達は、ネタにマジになって蹴ろうとしてしまうミノムシちゃんを落ち着かせながら、とりあえず彼女にお茶の準備をさせることで博士の老体を保護することに成功したんだ。

「実際、彼女はあのままで行く気?」
「ちょいとシステム面に難はあるかも知れぬが、霊夢ロボ達に比べれば安定しておる」

 博士は、ああいう暴走は日常茶飯事とばかりに、落ち着いていたよ。

「じゃあ、その、えっと、きまぐれロボットは?」
「そうそう、それそれ。彼女を迎えに行き、養蜂場の方々に謝罪をさせたまでは良かったのじゃが、あやつめ、車に乗せて帰る途中に飛び降りてしまってな」
「あのスピード速すぎな自動車から?! アグレッシブだなあ」
「全く、きまぐれじゃよ。霊夢ロボのデータから学んだはずじゃったが、どうものう」

 溜息して呟く、その博士の嘆き節には、俺を少なからず驚かせる衝撃の事実があった。
 だって俺はさあ、いやまあこれは特に理由もないし漠然とそう思っていただけなんだけど、博士の嗜好的にリグルロボが先に造られたもんだって思い込んでいたからね。

「霊夢ロボのデータって……リグルロボを先に造ったんじゃないの?」
「何を言うとるんじゃ、お主は。何故わしがわざわざリグルロボを造るんじゃ?」
「ええ……」

 俺は絶句したよ。これまでの流れからしてその発言はどうなんだろう。
 あんな長えの書いといて、実は別に好きじゃなかったとか、そんなん許されないぞ。

「それはやっぱ、博士がお書きになったSS的に――」
「何を言うとるんじゃ? わしは創想話は好きじゃがSSなんぞ書いたことはないぞ」
「なにィ?!」俺は驚愕した。「じゃあ、あんた誰だよ!」
「何が『じゃあ』だか分からんが……わしゃエヌ博士じゃよ」

 俺は目を見開いて博士を見つめた。裏付けのない勝手な解釈は往々にして自分を裏切るって、それくらいのことは知っていたつもりだったけどね、もう頭はパニックだった。

 ちょうどその時、お茶を準備してミノムシちゃんがやってきたので、俺は彼女の頭部を掴んでガランガラン揺さぶりながら言ったよ。

「この子は! この子、だって、知らないでこんな造型のロボットにならんでしょう!」
「はてな、その子は前々から外観だけ造っておいたんじゃよ。わしは知人の『エヌ氏』に世話ロボットを造ってくれと頼まれておってな。せっかくじゃから彼の書いたSSを読んで……ややや?」

 博士はようやく思い至ったとばかりに手を打ち鳴らしたよ。

「そうか、あのSSはリグルが主役だったのう」
「いや、ちょっと待って、聞き逃がせない台詞があった気がする」

 容量の少ない脳味噌をフル活用して、俺は状況の把握に務めることにした。

「あんた誰?」
「エヌ博士」
「その知人は?」
「エヌ氏」

 そんなシステムは知りませんよ、星新一! 分かりにくさ、この上ないぞ!
 俺は滅茶ムカついて、マイ・フィストに限りない怨嗟を込めた。けれど身体の中の総ての恨みを結集させたとしても、この苛立ちは表現できない。それは間違いなかった。

「何で自分のSSで人違いせにゃならんのだ……え、じゃあ、そのロボは何ロボなの?」
「ふむ、それを話すならば、まずは霊夢ロボについてを語らねばなるまい」

 エヌ博士は遠い目をして、ホカホカのチョコ・スムージィを啜りながら話し始めた。

「お主がわしをどう思っているのか分からんが、わしはこう見えてロボット学の権威でな、今や世界中でわしが造ったロボが働いていて、昨今では生活にも困らんようになった」
「そりゃあこんな十五階建てのラボなんて持ってるくらいだから、そうなんだろうね」
「糊口の心配が無くなれば、また別の欲が生じてくる。わしは長らく東方プロジェクトのファンでな、ふとある日、その主人公たる霊夢ロボを造ってみたいと思ったんじゃ」
「その気持ちは同じ東方ファンとして分かるよ」

 そういう技術とか能力があれば、ロボだって何だって、彼女達を自分で動かしてみたいって思うはずさ。
 創想話に居る人で、この機微が分からない人はいないんじゃないかな。

「わしもプロじゃ、外観は世にも美しい美少女を造ることができる。それより問題は頭の中身じゃよ」
「頭の中身って……つまりSFとかで良く見る、人工知能のこと?」
「そうじゃ。AIを成立させるには精神の傾きが不可欠でな、何か嗜好や目的をプログラムする必要があるんじゃよ。さもなくばすぐに自発的な思惟を止めてしまうからのう」

 ロボットへの造詣は深かないけど、そこらへんは人間の精神に近いものがあるかもね。
 ほら俺達だって、目的を見いだせなくなったり、毎日が楽しくないことばかりだったりすると、何だか体が言うことを聞いてくれなくなってきちゃうでしょう。
 これをしなくちゃって焦燥感ばっか強くなるのに体が動かなくて、強迫観念、不安や無力感が意欲や思考力を蝕んで行って、おしまいには何にも考えられなくなっちゃう……。

 そういう時にはメンタルへ行こうね。もしくは、そう、鈴奈庵のお客さんになろう。

「わしは霊夢の姿を象ったロボに博麗霊夢としての情報を念入りにプログラミングした。彼女には『霊夢として生きること』を理想とさせる……その予定じゃった」

 博士はまた飲み物を啜った。すぐに口が乾いちゃうんだろうね、おじいさんだから。

「しかし、蓋を開けてみると、それがどうにも巧く行かんかった。わしの思う以上に霊夢という人格は幻想郷に依存していたらしいのじゃ。今や彼女は自己を喪失しかけておる」
「それは霊夢ロボを見てて何となく分かったよ。空も飛べないし、神社もないし」
「空を飛ぶロボットは法で禁じられておるし、ラボに神社を造るわけにもいかぬ……とはいえこのままでは可愛そうじゃ。そこでわしは霊夢ロボの心の隙間を埋めてくれるロボットをもう一体造ることにした」

 ははあ、どうやらそれこそが例の『きまぐれロボット』であるらしいね。
 きまぐれでラボを抜け出して、あまつさえ養蜂場に入り込んだりして、そいつはリグルじゃあないってんだけど、じゃあ一体誰ロボットなんだろうか。

「当初は魔理沙ロボで霊夢ロボの心を充足させるつもりじゃった。しかし魔理沙は幻想郷に友人が多く、ややもすれば霊夢と同様に心の問題を起こしてしまうやも知れぬ」
「ふうん。なら、ゆかりんとか? けどなあ、ゆかりんを幻想郷じゃない場所で生み出すってのは良くなさそうだね。場合によっては霊夢より都合の悪いことになりそうだ」
「うむ。他にはレミリアや文も考えた。じゃがこのラボに紅魔館を造るわけにも、新聞作成を許すわけにもいかぬ。紅魔館も、天狗の新聞も、幻想郷あってのものじゃからのう」
「早苗さんは……霊夢と同じだよなあ。神社も、信仰する神様達も不在ってんじゃ」

 そんなこんなで、様々なキャラクター達の名前が候補に浮かんでは消えていった。
 意外と適応できるヤツがいないんだよ、これが。やはり幻想郷は保護されていたんだ。

「話を纏めるとな、わしが造るべきじゃったのは、幻想郷に友が少なく、また明確な趣味趣向など判然たる自己を確立しているが、それが幻想郷に拘るものではない者じゃ」
「そして霊夢の心の拠り所になれるキャラクターってわけだね。けど霊夢と仲が良いってのはどうやって判断したの?」
「そこはほれ、霊夢にはツンデレ的な持ちネタがあったじゃろう。親しい友のことを忘れたふりをする、同級生と久しぶりに会った小学生みたいな、実に可愛らしいアレじゃよ」
「なるほどね。そういうことをできる仲ってことで逆説的に仲が良いって解釈できるね。これで俺にもやっと誰だか分かった」

 この時点で、俺はそのキャラクターをアキネイターみたいな顔で確信していたよ。
 友達が少なそうで、明らかな趣味趣向を持ってて、それが幻想郷に拘るものじゃない。しかも霊夢にからかわれた過去を持つキャラなんて、二人といないよね。彼女だけさ。

「つまりアリス・マーガトロイド」
「え?」これ博士の声。
「え?」これ俺の声。

 博士はトンチンカンな声をあげたよ。
 俺も、その反応が想定外で、すっとんきょうな声をあげたよ。

「アリスか……ふむ、アリスなあ。確かに、アリスでも良かったのう」
「え? え? え? だってアリスは魔界の出身で幻想郷に大して執着ないだろうし、完全な自動人形を造るとかいう目的があるんだから、博士の助手としても適任じゃんか」
「ああ、そうじゃよなあ――。カア、あの男に乗せられたか。なんと残忍な男じゃ」

 アリスを選択しなかったことへの後悔の念が湧いたとばかりに、博士は頭を抱えた。
 悔み言の内容からして、彼は誰ぞの口車に乗ってしまったんだろう。
 その残忍な男とやらは自分の押しキャラを言葉巧みに主張したに違いない。

「畜生め、創想話作家なんぞを信じたわしが愚かじゃった」
「創想話作家?」

 創想話作家って単語を耳にして、俺はね、なぜだか自分の心拍が速まるのを感じた。
 ドキドキしちゃう、何これ、恋? ラヴ? それとも恐怖?

「あの残忍な創想話作家が『霊夢の相手は旧くからの仲である彼女しか在り得ません』とか、そういうのを並べ立てるもんだから……くう、ガタガタと理屈を重ねおってからに」
「旧くからの仲? ガタガタ? うっ、頭が……」

 俺は頭痛がした。まるでフラッシュ・バックのように、とある創想話作家の顔が浮かんでいた。彼は東方界隈でも少数派な、某キャラと霊夢のカップリングを好む、変人だ。

 しかも悪いことには、このSS中の、この未来において、彼は生存が明言されている。誰に他ならぬ博士の言葉によって! ……仮にそれが伏線だとすれば実にマズいことだ。

 思えば、博士は彼について妙にあっさりした調子で語らっていた。見ず知らずの人間を語るにしては軽々しすぎる、明らかに承知って感じの、歯切れが良すぎる口調だった。
 これはもしや博士と彼が知り合いだったから……?

 そんなはずがない――! 俺の理性がとどろき叫ぶ。
 全て空想に過ぎない。彼が博士と知人だったなどと、そんなのは確証もない与太話だ。

 それこそ、そう、彼がこのラボに自由に出入りしていたっていう明確な証拠でも無い限りはね!
 そんな事柄はこのSSで一切描写されていないぞ! 一切だ!

 ……無いよね? え、無かったよね? 無い、はずだよね?

「無いでしょ?」俺は同意を求めた。
「うん、まあ、無いということじゃな」博士はにっこりと頷いた。
「(私は知ら)無いです」ミノムシちゃんもにっこりと頷いた。

 よし、無いな(確信)。俺も安心してにっこりとした。
 確証もない憶測でものを言うのは、もう止めておこうね。迷惑になるからね。

 それはそれとして、逃れられない運命はもう変えようがないみたいだよ。

「え、話を戻すんだけど、じゃあそのロボットはなんで外出ばっかしてたの?」
「いや、この世界の花を見るために浮かれ歩いているようでのう。養蜂場では蜂蜜のための花を自分に譲れと強弁していたらしくてな、まったく困ったロボットじゃ」
「お、お花をね……幽々様かな?」
「ほっほっほ、幽々様みたく複雑なのはもうほんとマジ勘弁じゃよ」

 俺は自分が作者であるはずのSSにおいて、なぜか追い詰められていた。
 もはや間違いない。俺を恐怖させること、それをターゲッティングにした配役だ。
 どんな策謀を講じたのかは分からないけど、彼の毒牙がストーリィ進行にまでも介入を始めたんだ。くそう、まるでディオにどんどん侵略されている気分だ……!

 SSは俄に表情を変えた。陶酔めいたおふざけは失せ、まろやかな悪意を見せた。
 そう、そこはかとなく残酷なのだ。頭の中に生まれつつ在る羽毛ほどの柔らかな質量はその繊細の証左となろう。その密やかな興奮に、俺はたるんでいた背筋を強張らせた。
 その軋みは俺にとって全く初の感覚だった。掴みどころのないこの迷妄が何に由来するものであるかすら俺には分からない(嘘)。蓋し、オリキャラには得難い代物なのだろう。
 彼だけが俺に与える恐怖を積み上げていた。件のチルノいじりは、その堪忍袋の堰を切る合図と成った。
 彼はそれを報いと云う。自業自得だと云う。与えることがメンツだとも云う。さもありなん。彼は登場人物の精神を混濁させることこそを創作の前提としていたのだ。
 即ち『ガタガタ』である。俺の足も、筆先も、もうガタガタである。

「花は――花は、俺を喰うだろうか」
「ホ、ホ、ホ」
「い、いやあああ!」限界だ、帰るね! 今だッ!

 俺はアームチェアから勢い良く立ち上がり、博士の手を取って握手した。

「色々ありがとう、博士。俺はもう帰るよ」
「何じゃと? きまぐれロボットに会わんのか?」
「会いたくないから帰る! ミノムシちゃんも、バーイ」彼女の肩をポーンとする。ガランって、木板が鳴ったよ。俺にはそれがサヨナラの合図に聞こえたんだ。

 俺はダッシュで医務室を出た。エレベーターは都合の良いことに当階に停まっていたので、それに飛び乗り、一階のボタンと閉まるのボタンを高橋名人ばりに十六連射した。
 んで、一階に着くや否やの幻想風靡さながらに高速移動して、読書ルームを箒で掃除している小鈴のもとに駆け寄った。
 部屋は、読書机とか紙束とか、もうそこら辺りは元通りにされていたよ。どうでも良いけど。

「小鈴、小鈴!」
「あ、お客さん、ちょっと話が――」
「帰ってから聞くから帰るよ!」

 小鈴の手を取って、霊夢ロボに手を振る。こうして、俺達は幻想郷に――

「ちょっと待ってよ!」小鈴が俺の手をペーンとさせて言ったよ。
「何さ?! 幻想郷に帰りたいんじゃないの?!」
「私の話を聞いてってば。このまんまじゃ帰れないわ!」

 そして小鈴は俺から離れて霊夢ロボの近くに歩み寄ったんだ。

「霊夢さんがね、とっても可哀相なの」
「私もう死のうと思ってるの」霊夢ロボがロボらしからぬことを口にしていた。
「うっそだろ、巫女さん。なんでだよ、もう、この期に及んで何を言い出すんだよ」

 まさかの衝撃の展開――でももう帰るんだよ。忖度して欲しいな、時間がねえんだわ。

「なんとか説得してよ、お客さん。お医者先生なんでしょ」
「飛行機じゃあるまいし、こんなところでそんな責任を押し付けられても困るよ……」

 説得するより帰った方が早い――触覚の妖怪ならそんなことを言うのかもしれないけどね、そういうのは原作キャラの創作にのみ許される発言で、オリキャラには不許可だよ。
 かよわいオリキャラの俺は、もう、迅速かつ穏便な対応を覚悟するよりなかったんだ。説得を決心したってことさ。

 きまぐれロボットが帰宅する、その前に、霊夢を納得させる! じゃないと、小鈴が安心して……帰れないんだ!

「バズ、バズ! じゃなくて霊夢、霊夢! いいか! お前は霊夢なんだよ! れ・い・む! 飛べないくらいなんだってんだ! 幻想の彼方へ、さあ行けよ!」
「幻想の彼方って何よ。ってか、私がどうしようと二人には関係ないことでしょう」
「関係ないってんなら口にすんじゃねえよう……じゃなくて、君が死ぬつもりだということを俺達に口にしたってことは、それは即ち、止めてもらいたいからだと俺は思うがね」

 すると霊夢ロボは少しだけひるんだんだけどね、すぐに言い返してきたよ。

「でも、私のことなんて、二人にはどうしようもないことじゃないの」
「どうしようもないって、そんなことは話してくれないと分からないよ。ねえ、小鈴」
「そうですよ。まずは私達に、何が苦しいのか、何が辛いのか、それを話して下さい」

 小鈴が発言しているスキに、俺はちらっと腕時計を見た。
 何となくだけど、作者的に、あと三十分くらいじゃないかなって、そんな気がした。

「私の苦しみって聞かれても……漠然としてて、自分でもどう口にすれば良いのか分からないわ」
「なるほど、つまり君は自分が持つ『博麗霊夢』という理想が満たされないことに引け目を感じているんだね」
「――え?」

 俺は霊夢ロボの無駄に話が長くなりそうな台詞をド無視して、話を進めた。
 急いでいるんです、俺は。マジで、早く話を切り上げたいんです、マジで。

「そう言われてみればそうかもしれない……どうして分かるの」
「お客さんはお医者先生だもの」小鈴が滅多なことを言った。たぶんあんま関係ない。
「こんなふうに言われて君がどう感じるかは分からないけどね、人間もわりとブチ当たる悩みの一つだからね。理想の自分へのコンプレックスってのは珍しいものじゃないんだよ」
「そっか、人間でもそうなんだ……」

 すると霊夢ロボが、ほんの少しだけだけども、こっちの言うことに耳を傾けるって雰囲気を醸し出してくれた。これは付け入るべきだろうね、こちとら時間がないんだから。

「これまでに君には二つ道があった。一つはがむしゃらに完璧を目指すこと。もう一つは現状の自分を受け入れること。君はマジメだから前のほうを選んでいたわけだね」
「何よ、目指すのが間違ってるとでも言うつもり?」
「いいや、それはそれで素晴らしいことさ。けど後のほうを振り返っても悪くはないよ」
「でも、受け入れるったって、私は今の私がキライなのよ。何の価値も見いだせないわ」

 霊夢ロボは唇を尖らせた。その仕草はどう見ても普通の少女っぽくて、とうていロボには見えないんだけど、それでも彼女が望んでいるものは外見的なものじゃないだろうね。
 俺は「あと二十五分くらい」とか思いながら、焦燥感に襲われつつ言葉を続けた。

「君は俺達を助けてくれたじゃないか。小鈴は君が貸してくれたヘアカラースプレーが無かったらゲロ吐いてたし、俺は君が透視してくれなけりゃ小鈴と合流できなかった」
「ちょっと待って、ヘアカラースプレーと小鈴ちゃんの吐気と何の関係が……」
「今はそんな話をしてねえだろうが!」思わず素に戻って、俺は話を脱線させようとする悪い霊夢ロボを叱った。「巫女さんに感謝してるって、俺達はそう言ってるんだよ!」
「そ、そ、そうですよ、霊夢さん。すごいなあ、霊夢さんは。立派だなあ」

 ブチ切れかけた俺と霊夢ロボの間に、空気を読んだ小鈴が割って入ったよ。
 けど、俺の激情に感化されてか、霊夢ロボもおっきな声で言ったんだ。

「オベッカの感謝なんて要らない! ロボットの苦しみは人間のあんた達には分かんないわよ!」
「あっそう、あっそう。ならね、そうやってロボットな自分を特別視してりゃ良いさ!」
「特別視なんかしてないわよ! 私はただ人間と違うことが多いって――」
「なら、ないものねだりか! 君ってやつは配られたカードにアレが無いコレが無いって地団駄を踏んでるだけの、ビーグル以下のバカなのか! 良い御身分だなあ、オイ!」

 俺はオロオロしてる小鈴をソッと除けながら、鼻筋に怒りジワを寄せて怒鳴った。
 たぶん、リミットまで二十分をきった気がする。ヤバイ、マジ、ヤバイ。

「あんたは私にプログラムされた理想の重さが分からないからそんなことが言えるのよ!」
「理想の重さ?! 甘えるんじゃあないよ! 人間だって生きてりゃ腐るほどの理想像を要求される! それは立場に対して周囲から当然として望まれるもの、つまり模範とでも言い換えられる事柄だ!」
「ちょっと、ねえ、お客さん。なあに、そのテンション……」
「作家としての模範、医者としての模範、大人としての模範――人間は様々な理想を突き付けられる! なのに君はただ一つだけ望まれた理想を重く考えて苦しんでいるんだ!」

 俺は特に中身の無いことをヤンヤと言ってやった。反論としての中身を持たない反論というか、言葉尻を掴んで引きずるというか、疎漏な議論を押し通すには勢いしかない。
 霊夢ロボは初めこそ反駁の様相を呈したが、すぐ子供が拗ねたような口調に戻った。

「じゃあ! ……じゃあ、そうね、私以外の人達はよほど強いのね。やれてるんなら、ええ、御立派よ。だけど、愚かな私は、たった一つの理想さえ巧くやることができない」
「巧くやるとかやれないとか、そうじゃない。君はまず知るべきだよ。他の連中が何を考えているのか。何を抱えているのか。ラボの屋上で空に向けていた目を周囲に向けるときが来たんだ」

 どうにかこうにか論点をこちら優位に動かしつつ、俺は窓から空を眺めるフリをして、きまぐれロボットが帰って来ていないかを確認した。
 まだその陰は見えない。まだ。

「例えば作家にはどんな模範が? 面白い物語、誤字をしない、締切を守る、人違いをしない、他にも沢山あるね。なら医者は? 診断、検査、治療、胃洗浄、脳味噌を洗う、全てを適切かつ迅速に行う必要がある」

 俺は自分が早口になっていくのを感じていたよ。霊夢ロボがこれを精神の昂ぶりであると取ってくれれば良いけどね、実際は単純な焦りに追われての気忙しさに過ぎないんだ。

「じゃあ、大人には何が求められる? 一般論を語ろう。子供を守り、導いて、学ばせ、時に叱り、時には喧嘩したとしても、彼や彼女の気持ちをなるべく理解するよう努めることだ。可能な限りね」
「――何よ長々と。苦労話? それとも、あんた達は優秀で私はバカってこと? ふん、そうかもね。あんたらは悧巧よ。勝手に自分達だけでそうやって自惚れていれば良いわ」

 霊夢ロボは冷笑するような表情をして、かすかに震えた声で皮肉を言った。
 それに対して、俺は首を振って「そうじゃない」ともう一度、同じ言葉を繰り返した。

「誰しも、そんな巧くやれないんだ。どんな作家だって誤字をするし、徹夜続きの医者は骨窓を作るのに時間を使いすぎる。作家は冷笑を浴び、寝ぼけた医者は上司に拳骨で椅子から叩き落とされる」

 俺は自分の記憶を言葉にしながら、台詞のまどろこしさと戦っていた。
 タイム・リミットまでは、思うに、あと十五分もないだろう。

「大人だってそうさ。子供のことを確かに考えているのに、時々どこかですれ違う。小鈴ママは理解が足りなくて小鈴に家出されちゃったし、俺なんて無能だからノッポなだけの青二才とか言われる」
「そんな、悪い引き合いに出さないでよ――」ボソボソと、小鈴が何か言ってるけれど、それを丁寧に拾って話題に加えて行く余裕なんざ今の俺にはないよ。
「皆、理想通りに行かないんだよ。それでも作家は創作を止めないし、医者は涎を拭いて立ち上がるし、小鈴ママも俺も小鈴のことを嫌いになったりなんてしない」

 俺は霊夢ロボに「何故だと思う」と聞いた。
 霊夢ロボは目を細めたまま、ゆっくり首を振ったよ。

「それはね、作家は創作を愛しているし、医者は人を救うことを矜持としているからさ。あと大人はね、子供が立派に成長してくれたら、それを愛の応報って感じるんだよ」
「それは、でも、職業とかそういう立場が特別ってこともあるでしょ?」
「かもね。けど大人はどうだ? 大して特別じゃないぞ。それに小鈴なんてね、幻想郷の宴会に出席できるくらい特別な子供だ。平凡な小鈴ママや俺なんて、小鈴に侮られたって仕方がない立場なんだよ」
「止してよ!」小鈴が、今度は大声を張った。「違うわ、私、そんなこと思ってない!」

 正直なところね、俺は小鈴の出した今日一の大声にちょいとKYな印象を受けた。
 けどSSの展開的にも、そっちを掘り下げて行く時間はもはや無いのだよ、小鈴。

「俺達より凄い大人は沢山居るよね、メイビー。だけど小鈴ママも俺も、別に特別じゃなくたって、小鈴の前では大人であろうとしているんだ。宴会に出られない身だから分不相応かもしれないけど……」
「違うの、違うの、私、そんなつもりじゃ――」
「だって小鈴ママも俺も小鈴のことが大好きだから」

 うだうだ言ってくる小鈴の言葉に、俺は自分の発言を被せた。
 息を呑んで黙り込んじゃったビブロフィリアには後でごめんなさいします。許してね。

「つまりね、霊夢。誰だって理想ってやつには苦しむし、そんでも少しずつ近付こうと頑張ってるんだよ。君もさ、死ぬだなんて言わねえで、もう少し頑張ってみようよ」

 俺は急ぐあまり、最後の最後でお説教みたくなった説得の構成の悪さを悔やんだ。仕方ないけどね、やっぱり時間がないって状況ではね、頭に浮かんだこと連ねただけだしね。
 チラッと、俺は人目も気にせず時計を見た。うわっ、二分過ぎてる!

「……私は、けれど、私だって、博麗霊夢になろうって頑張ってるわ。博麗霊夢のことも好きよ。少なくとも彼女に成りたいって心から思うくらいには」
「君が愛するべきなのは博麗霊夢の偶像じゃないんだ。博麗霊夢にどうにか近付こうって努力をしている君自身の姿を、他ならぬ君自身が愛してやるべきなんじゃ――」
「戻ったわよ」
「ウワアアアアアアアアア!!」

 タイム・アップ! タイム・オーヴァ! パターン・グリーン、ゆうかりんです!
 前触れとかもなく普通に入室してきた、ウェーブの緑髪を持つそのロボットに対して、俺はターミネーターに再会した精神病院のサラ・コナーみたく悲鳴をあげて逃げ出した。

 前も見ずに逃げたからだろうね、そしたら読書机に衝突してさ、全てをブチ撒けたんだ。
 ヒラリ、ヒラリ、舞い踊る紙束は、まるで空に浮かぶあまたの雲のようで、それがこちらへと降り注いで来るもんだから、俺はまるで空へと恰好付けて落ちて行く気分だった。

 まあでも見ての通りさ。結局、全てが不首尾に終わったんだ。
 失敗した失敗した失敗した、おれは失敗した失敗した失敗した失敗した。

「うぐぅ……」俺は呻いた。
「ええ……?」ちょっと鼻声の、これは小鈴の声。
「あんたは……風見なんとかじゃないの」ちょっと威嚇めいてる、これは霊夢ロボの声。
「あら、霊夢。貴女も造られてたの?」これがゆうかりんロボの声だね。恐ろしいね。

 不思議と痛みは無かった。ナノマスィーンの効能なのかね。
 けれど、いくら動かそうとしても体は動かないし、ゆうかりんがここに居るって以上は恐怖ゆえに目を開くことも嫌だったので、俺はもう考えることを止めてしまいたかった。

 でもね、何者かがね、川底の石コロみたいに転がってる俺の手を掴んだんだ。
 俺は当初、それが俺を手から丸かじりしようとしているゆうかりんに違いないと思い、「ホアアアァァ!」とかって、さながらウィルヘルム二等兵のように叫んだんだ。
 けど、違った。違ったんだ。耳に届いたのは、小鈴の声だった。

「ほら、しっかりしてよ」

 そんなことを言いながら、小鈴が俺の手を引っ張っていたよ。
 何をするつもりかしらん、と思ってこっそり見たらね、倒れた読書机が西部劇みたいにバリケードとして立たせられててさ、小鈴はその物陰に俺を運ぼうとしていたのさ。
 小さな体で精一杯に、顔を赤くさせてね。あっちでは霊夢ロボと幽香ロボの邂逅というイベントが進行しているのに、それを無視して俺の手を引っ張る彼女は、その目を直情のパトスに漲らせていた。
 どうやら小鈴はね、俺がゆうかりんを苦手にしてることを知っているからなのか、俺を何とか保護してくれようとしているらしいんだ。こんな、くっだらないオリキャラをね。

 それに気付いた時、俺はオリキャラのくせして色々なことが報われた気がしたんだよ。
 まるでそれはね、お母さんのお葬式で他の誰でもないエレンに手を引かれたガープのように崇高な気分だったんだ。まさに、そういう黄金色の高揚感だったんだよ。
 これ以上の応報が俺の世界に存在するのだろうか。……むつかしくって分からないや。
 原作じゃ葬式で彼を救ったのはドッティでね、もちろん彼女のことも嫌いじゃないけど、映画のほうがドラマチックだ――なんて、現実逃避のSSでさらに現実逃避するみたいに、そんなことを考えていた。

 んで、俺達が俺達でグダグダしているさなか、霊夢ロボと幽香ロボもワチャワチャしていた。

「幽香、あんたいつ造られたの」
「一週間くらい前かしら」
「……なんで今日まで顔合わせが無かったのよ」
「あら、もっと早くに会いたかった?」

 からかうような幽香ロボの問いかけに、霊夢ロボは吠えるみたいに言い返した。

「そんなわけないでしょ」
「そう? 残念ね、私は会えて嬉しいけれど」

 こちらからも残念な報告が、一つ。
 俺はこの時、小鈴の助けもあって無事にバリケードまで逃れ、そこに背中を凭れさせていた。そこまでは良いんだけど、バリケードの特性上そこは彼女達からの死角で、また俺にとってもそうだった。
 つまり二人の表情とか位置関係とか、どんな様子なのかサッパリ分かんないんだ。

 ただ小鈴がね、彼女は机の陰から様子を伺っていたわけだけど、すごく真に迫った顔をしているんで、尋常ではない状況下に置かれたことは疑いないから、俺は腹をくくったよ。
 まあ何をするってわけでもないさ。ただ小鈴に導かれたこの場所からは決して離れないって、そういう覚悟を決めたってだけのことなんだけどね。

「花の種も手に入ったし、良い暇潰しの相手も見つかったし、今日は良い日ね」
「あんた、なによ、随分な言草じゃないの。私は博麗霊夢よ。あんたの敵なのよ。私を相手に暇潰しだなんて良くも言えたもんね」
「良いじゃない、退屈だったんだもの。このまま暇が続いたなら、きっと私は大量虐殺で暇を潰していたでしょうね」

 前言撤回、非常に遺憾だけど、これはさっさと逃げたほうが良さそうだね。少なくとも部屋から、できればラボから、一番良いのは『きまぐれロボット』の世界から。
 とにかく俺は危険を知らせるために小鈴と繋ぎっぱな手をクイクイってしたよ。
 そしたらね、小鈴はこっちを向きもしないで、ただクイクイって返してきたんだ。ちげえよ、仲良しこよしの確認してえわけじゃねえんだよ。逃げようよ、マジで、小鈴。

「あんたね、大量虐殺って、何を考えているのよ!」
「私にとっては虐殺も遊びなのよ。幻想郷でもどこでもね」

 俺達は指先で建物を揺らすミノムシちゃんのパゥワーを見ているからね、彼女達の強さは確定的に明らかだ。今にも始まりそうな東方頂上決戦に、俺は戦々恐々としていたよ。
 けどね、その緊迫した雰囲気を払拭するみたいに、幽香ロボが吹き出して笑ったんだ。

「でも、もう、そんなつまらないことはどうでも良くなったわ」
「あ……?」
「貴女が私と一緒に居てくれるんだもの。私はね、霊夢を虐めたりからかったりしているほうが大量殺戮するよりずっと好きよ。――ねえ、そのために居るんでしょう、貴女は」
「私……」

 霊夢ロボは言葉を失って黙り込んじゃった。人間が『息を呑む』みたいにね。
 こういう慣用表現って嚥下機能や消化器官を持たないロボットには不適切なものかもしれないけどね、その瞬間の霊夢ロボを言い表すなら、やっぱりそれで合ってると思う。
 俺の説得じゃ引き出せない、彼女自身ですら見失っていたかもしれない『らしさ』を、幽香ロボはお手玉みたく掌に乗せてヒョイと渡してみせたのさ。
 霊夢ロボの琴線ってやつはオリキャラなんかじゃ手の触れられない奥底にあったんだろうね。

「……そうよ。私は博麗の巫女だから、悪い妖怪が悪さをしないように見張るのよ」
「素敵ね」

 幽香ロボは言葉少なに言ったよ。ただ霊夢ロボにはそれで充分だったんじゃないかな。霊夢ロボである以上、彼女は『素敵』と形容されたがっているはずだからね。間違いない。

 或いは、幽香ロボはすでに言い含められていたのかもしれないよ。
 造られたばかりの時とかに、博士にさ、霊夢ロボの窮状とかそういうのをね。
 幽香ロボは、その大本からして『きまぐれ』だから協力してくれんのかどうなのか博士にも分かってなかったんだろうけど、霊夢ロボを目の前にすれば、この通りってわけさ。

「そうだ、霊夢。このラボの屋上ってどんなところ? 陽射しとか」
「屋上……陽射しは良いけど、どうして?」
「そこに博士が花畑を造ってくれるらしいわ。だから私ねえ、色んな種を集めてきたのよ」

 ウキウキした声音――けど俺は終始その上機嫌な声が「それはそれとしてお客は殺す」とか言い出さないかソワソワしていたよ。SS的にもう一波乱くらいありそうだしね。
 だから俺は今のうちの逃走を是非にもオススメして、小鈴と繋ぎっぱな手をまたクイクイってしたんだ。
 そしたら小鈴は視線だけこっちに向けて俺の手をパチパチってしてきた。まるで映画を見てる女子が「今イイ所だから」って男をあしらうみたいな、そういう対応だった。
 ちげえんだ、小鈴。俺は怖がってるわけじゃ――いや、合ってるか。合ってるけども、そうじゃない、間違ってないけど、違うんだよ、小鈴。逃げようってんだよ。

「ねえ、そこにひまわりの種はある?」
「あら。あるけど、どうして」
「だって、ひまわりが沢山咲いたら太陽の畑になるでしょ」

 霊夢ロボは、照れているのか小さな声で、でも希望に満ちた声で言ったよ。

「もし太陽の畑に幽香が居たとして、そこに、一緒に巫女が居ても変じゃないわよね」
「もちろんよ、霊夢。当たり前じゃないの。そこで遊びましょう」
「そうね。そうよね。うん、そうする」

 嬉しそうな霊夢ロボの相槌に、俺は諸々の問題が解決したことを理解したよ。
 あの屋上は風の音が聞こえるくらい静かだし、まあ淋しいだけの場所だから、あそこが太陽の畑になったなら無機質さも緩和されて、きっと過ごしやすい場所になるだろうね。
 良かったね、霊夢。ちゃんとした居場所が得られたんだ、きっと君はもう大丈夫さ。

 って、しみじみしている最中に足音がしたので、俺は嫌な予感を刹那で感じたわけだけど、突然バリケードの上からね、彼女がヒョイと顔を覗かせたわけだよ。

「ねえ階段ってどっちだったかしら?」
「アイエ――」と、悲鳴をあげかけた俺の口を小鈴の手が覆った。
「あっちです」小鈴が他方の手で指差したよ。

 幽香ロボは目を細めて笑ったよ。――笑うというのは本来は威嚇を意味するって、あっきゅんが書いてた。つまりアレは威嚇ってことだね、怖い! ガタガタになっちゃう!

「ありがとう。――愉快な人ね」
「私もそう思います」
「行きましょう、霊夢。屋上がどんなところか見たいわ」 
「うん。……けど、先に行っていて。すぐに追いかけるから」

 霊夢ロボは俺達を軽く見やりつつ、幽香ロボに言ったよ。
 幽香ロボは訳知り顔に頷くと、ゆったりとした足運びで部屋を去っていった。

 んでね、ここに残った霊夢ロボは何事かを俺達に言おうとしているみたいだったんだけど、巧いこと言葉にできないのか、なかなか言い出せないみたいだった。
 そこで、こういう時に気の利かせられる良い子の小鈴が口を開いたんだよ。

「霊夢さん、もう、大丈夫ですよね?」
「ええ、そうね、私はここで私として生きていくわ」

 しっかりとした、前向きな言葉で霊夢ロボは言った。

「だってここには、私がいないと大量虐殺とかしちゃう悪い妖怪が居るんだもの」
「霊夢さん……良かったです」小鈴は安堵の笑顔を浮かべたよ。
「霊夢、ごめんね、さっき言い残したことを言って良いかな。俺、こんなだけど――」

 俺はもう腰とか抜けて、情けない大人の見本例みたいになっていた。
 でもね、そんな俺に対しても、霊夢ロボは頷いてくれたよ。

「もちろん。最後まで聞かせて頂くわ」
「ありがと。俺が言おうとしてたのはね、つまり結局のところ全て消え去るってことさ。人間が造ったものも、人間が決めたルールも、芸術も、模範も、理想でさえもね」
「……それはつまり、私ってロボットも?」
「そのロボットという形骸だけ消え去る。人間という括りも無くなる。後には生命だけが残る。君が愛すべきはその君自身の生命だ。何故ならば、愛を通してこそ、生命は不滅となるからだ」

 俺はおもむろに立ち上がり、手を伸ばした。

「行きなさい、そして楽園を――じゃないね、幻想郷を築くと良い」

 芝居がかった態度でそう言い終えて、ようやっと俺は肩の荷を下ろした心地になった。

「これは建築士アルクイストの箴言だ。或いは、ロボットという名の者達に向けられた、最古のはなむけの言葉だよ。冴えない人間から、生きることを決意したロボットへのね」
「ありがとう」
「それとこれは兄事する人が良く言うことだけどね、『霊夢と幽香で東方幻想郷だ』と、まあ良く意味が分かんないかもだけど、こんな言葉だって少しは餞別になるだろう」
「ええ、そうかもね。――さようなら、優しい人達。私、二人に会えて良かった」

 赤心からの風情で、霊夢ロボはそう言い残し、階段のほうへ去っていった。

 そんで後には俺達二人が残されたんだ。
 とりあえずバリケードにしていた読書机を元通りに立て直しつつ、俺は周囲を見眺めたんだけどね、俺の失態によって散乱した紙束は何度見返したって惨憺たる有様だったよ。
 さっきは小鈴とミノムシちゃんが散らかしたんだけど、今度はただただ俺が悪いね。

「掃除しないとな、俺のせいだし。けど小鈴は悪くないから椅子に座って見てると良いよ」
「ううん、手伝う」

 そう言ってくれたので、そのまま甘えて、二人で膝を屈めて床の紙束を拾い集めた。
 そんで拾い集めながらね、俺は礼儀正しいオリキャラなので、さっき小鈴が助けてくれたことへの深謝を伝えようと思ったんだよ。
 こういうの忘れちゃうと女の子はその時じゃなくて後々で怒るからね。皆も気を付けようね。

「ねえ小鈴。さっきは助けてくれてありがとう。俺はまるでひきがえるみたいだったろ」
「良いのよ、誰にだって苦手なものはあるもの」小鈴は学級委員長みたいなことを言った。「それに、幽香さんのロボットが現れるなんて心構えのしようもないし」

 小鈴の視点からするとそうだろうね。
 ぶっちゃけ俺は幽香ロボが来ることを知っていたわけだけど、まあそれを指摘する雰囲気でもなかったので言わなかった。

「いやね、小鈴に助けられて、俺はまるでとある小説の主人公にでもなった気分だったよ」
「ガープでしょ」

 小鈴は即答したよ。こっちを見向きもしないで、落ちた紙束を拾い集めながらね。

「……あんたはガープ。私はエレン」って、彼女の丸まった背中はそう言った。
「正解」俺は面食らっちゃった。「まあ君はエレンにしては舌が回りすぎるけどね」
「でもエレンよ。ガープ」小鈴は動かしていた手を止めて、しゃがんだまま俺のほうに向き直り、繰り返したよ。その目にはね、あの時のパトスが宿っていたんだよ。

 もしかしたら、と俺は思った。さっき俺が手を引かれた時、俺は自分をガープとして想定していたわけだけど、小鈴もまた自分をエレンとして想定していたのかもしれないね。
 だとすれば、これはすっごく誇らしいことだよ。
 彼女ほどのビブロフィリアが自分をエレン、俺をガープに喩えるだなんてさ、よっぽど俺に感謝しているってことになるじゃないか。
 アーヴィングの『ガープの世界』はそれぐらいに力のある作品だからね。名作だからね。皆も読もうね。
 つまり俺は、ありがとうって言葉以上の言葉で感謝してもらった気がしたんだ。

 でも俺は照れちゃってさ、どういたしましてなんて素直な態度は取れなかった。

「ああ、ああ、君は実に立派な読書家だよ。感謝にも喩えを使うってんだからね」
「そうよ、そうよ、私はあんたと違って読者家なのよ」

 お互い皮肉で応酬して、俺達は唇をツンと尖らせて睨み合った。
 まあ実際のところ、お互い照れてるだけなわけで、しかもお互いそれを察しているわけだから、すぐにどっちも堪えきれないってふうに吹き出しちゃったんだけどね。
 俺達は二人して意味もなくケラケラと笑ったよ。

 ただね、実に驚くべきことなんだけど、部屋に響く笑声は一人分ほど余計だったんだ。
 その男はいつの間にか部屋に入り込み、壁際に立っていた。気付いてビックリさ。
 しかも、どうやら新顔なんだよ、そろそろSSも終盤だってのに。

「おやおや、貴方はいつから居たんだい?」
「さっきからさ」彼は端的に言った。
「じゃあ、どうして一緒に笑っていたんですか?」
「簡単なことだよ。誰かが楽しんでいるものを一緒に楽しみ、誰かが面白がるものを一緒に面白がれる――ぼくはそういう包容力のある人間でありたいと願っているからさ」

 そうやって自分の人となりを語った彼は、そのまま自分の話をした。

「いや、ラボに来たら互いに唇を尖らせてる君達がいてね、年齢差が明白だったもんだから、うわこれメンバーじゃんって思ってチュウ意する機会を伺っていたんだけど、そういうのじゃなかったみたいだね」
「ちょいと、止せやい。小鈴の前でメンバーとか、そういう破廉恥な単語はダメだぞ」

 俺は大慌てて咎めたよ。あんな男と同類視されたら我慢ならない。
 こちとらただの現実逃避なんだから、あんなリアルでバカやった系の四十代アイドルと一緒にされたら、腹が立つというか、すごく残念だし、この上なく無念だ。
 ハニートラップの可能性? 知るか! 彼には大人としての責任があったんだぞ!

 ……ああ、いかん、心が乱されている。念じよう、ハア南無戸隠尊、ヤレ南無戸隠尊。

「なあに、メンバーって何か隠語なの? 私とお客さんはメンバー?」
「違えよ小鈴! 絶対に違えかんね! ――いやその、あまりにも下らない事柄を意味するから説明したくない。けど、すごく情けなくて恥ずかしい言葉だから、少なくとも妄りに使うべきじゃないね」

 意図的に的を外したようなアヤフヤな説明に、しばらく小鈴は首を傾げていたけどね、掘り下げることを嫌がってるってことは分かってもらえたみたいで、彼女の興味はやがてその見知らぬ男性に移ったんだ。

「あの、ところで、貴方はどなた?」

 小鈴の問いに、彼はいかにも物語の主人公っぽいポージングをして自己紹介した。

「ぼくは誰からも好かれる優しくてイケメンで、しかもお金持ちなエヌ氏だよ」
「ええっ、貴方がエヌ氏ですか! すごいすごい、本物だ!」小鈴が歓声をあげた。
「ふふん、君もコスプレすごく似合ってるじゃないか。後は髪を飴色に染めればバッチリだよ、小鈴ちゃん」
「うわあ、エヌ氏が私のこと小鈴ちゃんって言ったわ!」

 小鈴はミーハーな高校生みたいなセリフを言った。んで小躍りしてるよ、雀みたいに。
 エヌ博士のときはフーンって感じだったくせに、随分な違いじゃないかな、この子。

 そんな彼女を尻目に、俺は博士と彼とを人違いしたことについて苦情をぶつけた。
 つまり名前がイニシャルだと分かりにくい的なことを言ったんだよ。

「――こんな世界のシステムは知りませんよ! 貴方と博士を勘違いしたせいで、こっちは油断して酷いことになったんだ! 名前くらいちゃんと一人一人付けてくれよ!」
「さて、わけがわからない。いや、君はどこかが狂っているにちがいない。少なくとも、そんな願いをぼくにするなど不可解だ。君はまたぼくを誰かと勘違いしているのでは?」
「んな星新一的なセリフを言って煙に巻くつもりか! 何もしないなら帰れ!」
「止めろい! どさくさに紛れて、ぼくを女子高生みたいに扱うな!」

 俺とエヌ氏が喧々囂々としていると、部屋に博士とミノムシちゃんが入ってきた。

「やあやあ、エヌ氏。来ていたのか」
「やあ、博士。勝手に入らせて貰ったよ。お世話ロボットの準備ができたって聞いたけど」

 すると博士は胸を張って、俺達にちょっと目配せしてから、例のセリフを口にしたよ。

「これがわしの作った、最も優秀なロボットじゃ。なんでもできるぞ。人間にとって、これ以上のロボットはないといえるじゃろうなあ」

 博士は得意げに説明した。それを聞いて、お金持ちのエヌ氏は言ったんだ。

「ぜひ、ぼくに売ってくれ。じつは離れ島にある別荘で、しばらくのあいだ、ひとりで静かにすごすつもりなんだ。そこで使いたい」
「もちろん売ろう。役に立つぞ」

 と、そういう会話を前にして、もしかしたら『それ』が契機になったのか、世界が薄っすら暗がりを帯び始めた。
 そうしたら俺達の姿も薄っすら透明感を帯び始めてね、幻想郷に戻る俺らを初めて見るエヌ氏はビックリしちゃったみたいだ。

「な、なんだこれは! サノスか、サノスの仕業か?!」
「おお、君らは帰るのかね」
「そうみたいだ。色々とありがとう、博士」
「博士、本当にありがとうございました」

 ――と、その時だ。感動的な別れのシーンだってのに、やっかましい大騒音が響いた。
 ガランガランって音のするほうを見れば、案の定、ミノムシちゃん。
 消え行く俺達に向かって、彼女は、その木板だらけな手を振っていたんだ。

「さよならです、お客さんがた。さよならです」
「さよなら、ミノムシちゃん。さよなら」
「さよなら、きまぐれロボットのミノムシちゃん。貴女のこと、もう忘れられないわ」
「ミノムシちゃんじゃねーです。けどまあ怒らねーでおいてやるです」

 止むことのないそのガランガランは世界が完全に真暗になっても響き続けた。
 俺達が世界を転移する、その瞬間まで、きっと聞こえていたんだろう。
 全く、最後まで賑やかなロボットだったよ、彼女は。

 こうして、俺達は幻想郷に戻ってきたんだ――。



「いや大丈夫だから、小鈴。もう髪の色も戻ったじゃないか、行きなよ」
「でもお」

 俺達が鈴奈庵の店の前に戻ってきたのは朝の八時くらいだった。

 この時間帯になると少なからず人通りがあるからね、あんま目立ちたくない俺としてはさっさと中に入ってもらいたいんだけど、小鈴のやつ、店の前でモタモタしてるんだ。
 あんなことしたから小鈴ママに会うのが気まずいって、そりゃその気持ちは分かるけど、帰るって決めた以上はね、一種の禊として叱られることも必要なんじゃないかな。

「ほら、勇気を出して。俺が付いてるぜ、俺が付いてるぜ」
「止めて、ちょっと、押さないで」

 俺は小鈴を押し込もうとした――が、小鈴は動かない。まるで土俵際の横綱みたいに。
 そんでノコッタノコッタやってたら、その取組みが耳に入ったのか、小鈴ママが店から出てきたんだ。

「小鈴!」
「あっ――」

 小鈴ママと鉢合わせになって、小鈴は冷水を浴びた猫みたいな弱々しい顔になったよ。
 一方で、小鈴ママの様子はというとね、腰は大丈夫だったみたいだけど、目がどっちも真赤なんだ。すごく充血してる。たぶん小鈴を心配して、夜ずっと起きていたんだろう。
 まあ起きていたのはこっちもだけどさ、俺達はただただ追いかけ回されてたっていうか眠気とは程遠い興奮状態にあったから、娘を心配して夜通し起きていただろう心理状況と比べると消耗の種類が違うだろうね。

 ともあれ俺は小鈴が何かを言うのを待っていた。
 謝罪とか釈明とか、後はそう、俺への転嫁とか。

 正直なところ、小鈴が俺のせいにするならそれはそれで構わなかった。前も書いた気がするけど、このSSで起こったことは全部俺の責任ってことに間違いないわけだからね。甘んじて受け入れるさ。
 でも小鈴はね、小鈴ママを前にしても俯いたまんまで、グズグズしていたんだよ。
 そしたら、やおらね、小鈴ママが存外に柔らかな声で言ったんだ。

「小鈴。手を、洗いなさい」
「……え?」
「早くしないと、夕御飯……朝御飯になっちゃったけど、片付けちゃうからね」

 そうとだけ言って、小鈴ママは弱々しくも優しい笑顔を浮かべたんだ。

 この笑顔の解釈は難しいよね。大本は彼女自身が得た安堵だったのかもしれないけど、それ以上にさ、小鈴に怒ってないってことを知らせる意図もあったんじゃないかな。
 だって小鈴、その笑顔を見た途端に、安心してか目から涙を溢れさせちゃったもの。

「ごめんなさい、お母さん、ごめんなさい!」

 小鈴はママに縋り付いて、後はそのセリフを繰り返したのさ。何度も、何度もね。
 二人は睦まじい母子として熱い抱擁を交わし、そのまま暖簾の中へと消えて行った。

 これで、めでたし、めでたし、だね。どっとはらい。ハッピー・エンド。第二話、完!

 俺は長編アニメのエンディングを迎えたドラえもんみたいな優しい表情をして、颯爽と幻想郷を後にしようと――したところ、後ろ裾が掴まれる。なあに、この手は。

「どこ行くの」って涙の少女のガラガラ・ヴォイス、怖いね、怖い!

 錆びたブリキの木こりよろしく、首をギギギとさせて振り返ったらね、そこでは顔中を涙に濡らして、なおかつこちらを睨むビブロフィリアが俺の後ろ裾を握っていたんだ。

「あの、家族が心配するんでそろそろ帰らないといけないんですが」
「まあ待ちなさいよ」小鈴が涙顔を一層に険しくして告げた。「お母さんがあんたに御礼を言いたいって」
「ええ……どうしてホワイ?」

 俺はすごく嫌そうな顔をして、しかもそれを隠そうとはしなかったよ。
 それでも小鈴ママは気にしてない御様子で、いかにも素朴に笑っていたんだ。

「貴方は家出した小鈴を追いかけて、帰るよう説得してくれたのでしょう?」
「あ、あ、その解釈は人が良すぎると思いますよ、奥さん」
「この人は親切なお客さんで、愉快な能力を持つお医者先生なの。今回はね、私を冒険の旅に連れて行ってくれたのよ。その旅を通じて思い上がっていた私を叱って下さったの」

 小鈴が難しい軌道のパスを俺に放った。ゴールの前なのに選択肢のない、『ヘディングしかできねえじゃん』みたいなパスだよ。
 このヘディングってのは比喩で、つまり頭をこう、前に下げるっていうか。頷くっていうか。そういうことだからね。

「そうなのですか?」
「ハッハッハッハ、そうなのですよ、奥さん」

 俺は空笑いをした。笑うより仕方がない。だって、俺のことについてどこまでを御両親に打ち明けて良いもんか、SSの作者のくせに全く決めていなかったんだから。

 んで、そんなテンパっている俺を尻目に、小鈴が巧みな話術を発揮していた。

「私ね、もう二度とお母さんにあんな不孝な態度を取りたくない……更生したいの」
「小鈴……私はもう怒ってないよ」ピピ美(のり子)っぽく、小鈴ママは言ったよ。
「ううん、それじゃ私の気持ちが収まらない。だからね、しばらくの間、宴会への参加を自粛しようと思うの。心の成熟もないままあの宴会に出ていたら、自分を思い上がらせるばかりだって、分かったから」
「ええっ?!」

 小鈴の言葉に、俺は混乱した。動転して動揺して動悸して、頭の中が紛糾したよ。
 なんというか、このSSの今後のテーマに大幅なカーブを要求されている気がした。

「まあ、小鈴。……自分から言い出すなんて、なんて健気な子なのかしら」
「ちょっと待ってくれよ。君が出ないってことは、じゃあ、俺は?」
「御礼の言葉もございませんわ。ありがとうございます、先生のおかげです」
「いや、奥さん、そういう意味ではなく」

 俺が慌てふためくのを、小鈴はどんな腹積もりで見ているのか――少なくとも表面上では涙顔のまま、小鈴ママに言葉を続けたよ。

「代わりにね、お母さん。私、また冒険に連れて行ってもらっても良い? このお客さんと旅を続ければ、私はもっともっと自分の心を成熟させていける気がするの」
「そうね、あんまり遠出をする時にはお父さんの許可も必要だけど、小鈴をこうまで素直な良い子にして下さったお医者先生が引率して下さるなら安心だわ」

 すごい勝手なことを言われている気がした。いや、現に、言われていた。
 宴会の件が無為になったのは仕方ないにしても、何だかイヤに重たい責任を押し付けられそうになっている。
 そもそも小鈴のこの提案は、単純に、本の世界の旅が楽しくなってきちゃってる自分を肯定するだけのものじゃないのか。違うのかい、ねえ。

「でも、先生。あまり頻繁に小鈴を連れ回されては困りますよ。冒険の前には、ちゃんとお知らせ下さいまし」
「えっ……う、ういっす、御尤もで御座います」

 そりゃあ色々と思うところはあったけどね、この期に及んじゃ逃げるわけにもいかず、俺は自分と同世代くらいの人妻を相手に深々と頭を下げたんだ。
 その際、俺のすぐ隣りで涙目のくせに含み笑っている小鈴の表情が見えたよ。
 小鈴、この、コンチキチン! あーん、この貸本屋、すぐウソ泣きするしん!

「夫にも紹介しますわ、先生。お入りになって下さいな」
「あ、いえ、俺はもう帰り――」
「メンバー……」ポツリと、小鈴が言ったよ。
「行きましょう、奥さん。誠実な俺としては、小鈴のお父様に、ちゃんと御挨拶しておきたくてたまらないな。もう我慢できやしない。彼とは違うんですよ、さあ、奥さん」

 そんなこんなで入店した俺は、お父さんを呼んでくるとかで、鈴奈庵の店内で待たされていた。

 無沙汰だったもんで、ふと、俺は本棚から『きまぐれロボット』の本を取り出した。
 そうしたら表紙には『エヌ氏』と『きまぐれロボット』の姿が描かれていたんだ。
 コミカルなイラストでね、逃げ惑うエヌ氏を追いかけるきまぐれロボットの絵だよ。躍動感があるから、その木板も揺れているように見える。今にも、そう、鳴り響きそうで。

 ――と、その表紙を眺めているうちに、夢か現か、ガランガランの音色が蘇ってきた。その賑やかな余韻に胸を揺さぶられ、俺は殆んど衝動的に目を閉じて、それに浸った。
 彼女はきっと楽しくやっているだろう。俺も楽しかった、それだけは確かだった。

「お客さん、お父さんが――」小鈴が一人先に奥から戻って来たよ。「ああ、それ、借りますか?」

 小鈴がそう言うもんだからさ、まあ元よりそうするつもりだったし、なら先に済ませてしまおうと思った。

 俺は表彰状でも貰う時みたいに両腕をピンと張り、中腰になって本を差し出したよ。
 表紙のエヌ氏とミノムシちゃんに、こうべを垂れるみたいにね。

 んで、礼儀正しく、折り目正しく、こう言ったんだ。

「お借りします」
 おかりしました。

 ながくてごめんなさいね。ほんとはチャカポコで500KBまでもってこうかなとか思ったけど、アホらしいね。
 さいごまでよんでくれたならありがとう。あきらめちゃったなら、また挑戦してね。チャオ。

6/1
 こえましたね、1000点。すごいですね。ありがとうございます。

 星新一(1926-1997)
 東京都出身、ショートショートの神様。星製薬創業者一族の嫡男として誕生。父・一の没後、東京大学院を中退して星製薬の社長職を継ぐも没落し、会社を他者に譲渡する失態を犯した。その後、無職の無聊を慰めるため近所に存在した日本空飛ぶ円盤研究会に参加し、そこで盟友・柴野拓美と意気投合する。1957年、柴野らとSF同人『宇宙塵』を発足し、文壇に注目される。1960年には『弱点』、『その子を殺すな!』など短篇六作で直木賞にノミネートするも、当時のショートショートの地位の低さもあってか落選する。それでもめげずに作家業を続け、1968年、『妄想銀行』および功労にて第21回日本推理作家協会賞を受賞。以降、SF界隈の重鎮と目されるようになる。1997年、港区高輪にて逝去、UFOとロボットと幻想を愛した人生であった。
お客さん
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コメント



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1.100名前が無い程度の能力削除
また一日に会うのを楽しみにしてるよ!
2.80奇声を発する程度の能力削除
面白かったです
3.100名前が無い程度の能力削除
>>あーん、この貸本屋、すぐウソ泣きするしん!

ここでレッドブル吹いた
訴訟
4.100ばかのひ削除
なんか真面目にストーリーしてて笑いました
でもエヌ氏が普通に喋ってるのに更に笑いました
面白かったです
5.100南条削除
面白かったです
前回前々回とかなり面白かったので期待していたのですが、今回その期待を上回るほどの面白さでした
説得するより帰った方が早いは本当にその通りだと思いました
7.80名前が無い程度の能力削除
見直した
8.100名前が無い程度の能力削除
やればできるじゃないか
面白かった
12.100名前が無い程度の能力削除
オリキャラに挑戦した勇気に敬意を

文体も楽しませよう感があっていいですね
13.100名前が無い程度の能力削除
内容も良かったんだけど、1番面白いのは前編よりも後編のが閲覧数が多いってことだと思う
16.100怠惰流波削除
まったく、3桁KBが嘘に見えてくる。
今回も心底楽しませてもらいました。
お客さんがどんどん好きになってきてしまうよ。ああ、ここのお客さんっていうのはお医者先生の方のお客さんのことで不労所得を貪ってる方のお客さんじゃない。紛らわしいからO氏とO博士とでも呼ぶことにしよう。
17.100名前が無い程度の能力削除
堪能しました
19.100名前が無い程度の能力削除
すごい圧を感じました