私は何も悪くない。
今の私には、それ以外の言葉を述べる事は出来なかった。
先日文とちょっといざこざが合って、今まで引き篭もりがちだった私は、漸く自らの足で世界を見て回る事になった。
色々な幻想郷の人間、妖怪、神達と触れ合って、妖怪の山の外の事を知る事が出来た。
ああ、自分で外を出歩く事って、こんなに素晴らしい事だったんだ。
そう思って空を飛んでいた私の目の前を、ふよふよとUFOが横切っていった。
ちょっと前の星輩船の異変の時に、あちこちを飛び回っていたという、あれの事だ。
好奇心旺盛になっていた私が、そのUFOを追いかけていった事は、何も悪い事じゃないと思う。
そして、頑張ってUFOを捕まえた時……。
……前を見ていなかった私が、大木に激突して頭を強打した事は、何も悪い事じゃないはず……。
* * * * * *
「いたたたた……誰よこんなトコに樹を植えた奴は……」
世界を逆さに見ながら、誰も答えてくれない質問を虚空に投げる。
あー、頭痛い。血が出てるかも。
まあそんな状況でもUFOを手放さなかったんだから、今は自分を褒める事にしよう。
さて、今私が抱えてるUFO、確か見る人によって違う物に見えるって言う代物よね。
実際はただの板切れで、何か変なのが寄生してるからそう見えるんだとか。
だけど、その程度の事はもう幻想郷ではそれなりに知れ渡っている。
このUFOを記事にするだけじゃ、また文に笑われるわね。
だから、私はこのUFOに寄生している“何か”を記事にしてみたい。
あれから他の天狗達の新聞を粗方読みつくして、どんな記事がまだネタになってないかは全部把握してる。
このUFOの事は書かれていても、その中身の事は未だ書かれてない……!!
「……これさえあれば、文を見返してやれるわ……!!」
ふふん、今のうちに引き篭もりだのなんだの言ってなさい!
すぐにその顔を引き攣らせてあげるわ! 今の幻想郷トップクラスの謎が私の手にはあるんだからね!
今度の新聞大会の優勝はこの私、花果子念報の姫海棠はたてよ!!
……さて、そう意気込んだのはいいものを、これからどうしよう。
とりあえず頭痛い。さっきからずっと樹の根元で世界を逆さまに見ているけど、下手に動くと頭が余計痛くなるから動きたくない。
だけどこんな格好を何時までもしていたくもないわね。かなり恥ずかしいし。
そう言えば、そもそも此処は何処なんだろう。
UFOを追いかけるのに夢中で、何処を飛んでたのかも覚えてないし……。
あーもう、誰か助けてよー。見られたくないけどー。
「んあっ? 貴方、大丈夫?」
あれ、誰かしら私の心の声を聞いてくれたのは。
声のした方に目を向けると、そこには全身真っ黒の、背中に赤と青の変な羽が生えた……。
「……あーっ!!」
「えっ、ちょ、人の顔見ていきなり……あれ、貴方この間の鴉天狗?」
頭の痛みも忘れて、私はすぐさま飛び起きる。
こいつは確か、封獣ぬえ。正体不明の妖怪で、先日ちょっとだけ弾幕を取材させて貰ったけど、本人の事が良く判らない存在。
しかし、なんと言う濡れ手で粟の状態かしら。まさか正体不明の妖怪が自ら声を掛けてくれるなんて思わなかった。
確かこのUFOも、この妖怪が何かを植えつけてるからそう見えるのよね。
正体不明のUFOと、それを操る正体不明の妖怪が、今この場所に……!!
素晴らしい! 天は私に味方しているんだわ!!
神の力も手に入れたんだから、新聞大会の優勝はもう磐石ね!!
だけど、此処で油断してこの幸運を逃すようなら三流記者よね。
まずはこの鵺から、色々と取材出来る状況を作らなくちゃいけない。
こいつは物凄く正体不明である事に拘る奴だから、正直な話、ストレートに行って取材させてくれるとは思えない。
と言うわけで、ちょっと変化球を使わないとね。
「っつ! いたたたた……!!」
ちょっと大袈裟に、頭を抱えて蹲る。
頭が痛いのは確かだけど、そこは私も妖怪。こんな露骨に痛がるほどの事ではない。
だけど……。
「えっ、ど、どうしたの?」
私の突然の行動に、慌てた表情を見せるぬえ。
演技が完璧なのかしら。コロッと騙されているわ。
「あーもう、あんたが出したこのUFO追っかけてたら、そこの樹にぶつかったのよ!」
何一つ嘘は言っていない。
このUFOを作っている(?)のはぬえだし、それを追っかけて頭をぶつけたのは本当の事。
ただし、私は『あんたが出した』という言葉を強調する。
頭をぶつけたのは、あくまで私の不注意が招いた事。私の責任である事は判っている。
だけど、今だけは……。
「えっ、そ、その……」
ぬえの表情に、少しずつ焦りの色が見えてくる。
やっぱりね。伊達に新聞記者やってないわ。
このぬえと言う妖怪、以前ちょっとだけ取材した時は、悪戯を仕掛ける事が大好きな様子だった。
その辺は、見た目どおりの子供っぽさを持っているな、と素直に思う。
だけど、それは自分が意図した悪戯に限った話。
今回のように見えないところで、自分が仕込んだ正体不明の種によって誰かが怪我する事は、ぬえの望んでいる事じゃない。
自分の意図していない事で誰かが怪我する事には、余り慣れていないみたいね。
やっぱり子供っぽい。
「ううっ、痛い痛い……頭蓋骨皹入ったかも……」
「ご、ごめんなさい……」
もう一押ししてみると、軽く泣きそうな表情になる。
やべぇちょうかわいい。
しかし、こういう事に弱そうだな、とは思ってはいたけど、此処まで過剰に反応するとは思わなかったなぁ。
こんなのが鵺の正体だって知ったら、妖怪の図鑑とか全部書き替えなきゃいけなくなるでしょうね。
まあ、それはそれで新聞記事一本書けそうだからいいんだけどー。
「あ、あの、病院行くなら連れてくよ? ほら、竹林にある永遠亭とか言うところ。
し、診察費は私……は無理でもたぶん白蓮が出してくれるからさ!!」
少しだけあの尼僧が不憫に思えた。確かに何も言わずに笑顔で治療費出しそうだけど。
まあ、今はぬえが私の策に乗ってくれた事に感謝しよう。
後手になった相手ほど、操りやすいものはないわ。
「治療費なんて要らないわよ。それより取材させなさい」
「えっ?」
ぬえが目を丸くする。
こんな表情に出るほど驚かれるとは思わなかったんだけどな。
私が新聞記者だと知ってるんだから、少しくらいはこういう事言われるって予想しておきなさいよ。
「怪我の治療より目の前の怪奇を追うのが新聞記者なのよ」
「い、いや、でもそれは……」
「いたたたた、また頭が……」
「ううっ……」
痛がる演技をすれば、ぬえは苦しい表情を浮かべる。
ふん、ちょろいわね。取材なんて、相手の苦手なところを突けば簡単なものなのよ。
……文の強引さに影響されてきている自分が、ちょっと怖くなった。
「取材を受けるの、受けないの、どっちなの?」
念を押す。
早く『はい』って言いなさいよ。それ以外の答えは求めてないわ。
ぬえの情報は私の念写でも捕らえられないんだから、この機会を逃したくはないの。
ただ、その焦りが、ちょっと失敗だったかもしれない。
「そ、それだけは断るよ!!」
突如、ぬえの周りに黒い雲が立ち込める。
「きゃっ!」
突然の事に気を取られて、私は一瞬だけぬえから目を逸らしてしまった。
すぐに目線を元に戻しても、そこには既にぬえの姿はなかった。
「私は正体不明の妖怪、そんな簡単に素性なんて教えられないよっ!」
空から声がしたので上を見てみれば、そこには赤いUFOに座ったぬえの姿があった。
あれ、普通に飛べるはずなのになんでUFOに乗ってるんだろう。どうでもいいか、そんな事。
「こらーっ!! 人様に怪我させておいて逃げる気かーっ!!」
「だから診察費は払うってば!! て言うか元気そうだから別にいいじゃん!! そもそも冷静に考えたら私のせいじゃないし!!」
物凄くごもっともな事を返されてしまった。
うーん、悪戯好きの子供って、屁理屈捏ねるのは上手いのよね。
自分の身の危険に対して、必要以上に頭が回っちゃったのかしら。
ちょっと強引に行き過ぎたかな。うん、文のせいね。責任転嫁完了。
「とにかく、怪我させたことは謝るよ!! 今度白蓮に診察費払わせるから!!」
本当に尼僧が可愛そうになってきた。子供って怖い。
「それじゃあね!!」
それだけ言い残して、ぬえはさっさと立ち去ってしまう。
ふぅん、逃げる気なんだ。
いいわよ、そっちがその気なら、私もちょっと本気で相手をしてあげようかしら。
頭の痛みは……もう大丈夫ね。まだちょっとズキズキするけど。
あーあ、肉体労働とか、私の趣味じゃないのになー。
3
2
1
よーい、どん。
「ふえっ!?」
そしてその刹那、私はぬえの真正面に回り込んだ。
「天狗に追いかけっこを挑むなんて、嘗められたものね」
幻想郷最速、その名を持つのは確かに文が相応しい。
私達天狗の中でも文の飛ぶ速度は飛びぬけていて、その点においては流石に勝てないと思っている。
でも、文よりは遅いと言っても、天狗の素早さは他の妖怪なんかよりもずば抜けている。
それこそ、引き篭りの私でもこうして、一瞬で逃げ行く者に追いつけるほどに、ね。
新聞記者を甘く見ないで欲しいわ。
「さて、逃げるからにはもちろん、実力行使をしても構わないって事よね?」
「……実力行使?」
ええ、そうよ。
あんたも妖怪なら、そっちの方が性にあってるでしょう?
その証拠に、実力行使と聞いた途端から、口元が不気味に釣りあがってるし。
「……きひっ、きひひひひっ!
いいね、実力行使!! 貴方が私に勝てるとでも!?」
不気味に笑うぬえには、さっきまでの子供らしさは見えない。
これこそ日本に昔から伝わる、本物の『鵺』の姿だと思っていいんだろうね。
ぬえの身体から、どす黒い妖気が湧き上がってくるのが見える気がする。実戦になるとスイッチが切り替わるタイプなのかしら。
でもね、何度も言うけど、私を甘く見ないで欲しいわね。
ぬえがそういうタイプだって言うなら、私だってそれは同じよ。
「ええ、吠え面かいても知らないわよ。天狗の力、見せてあげるわ」
妖怪の山の縦社会、その最高位(あ、鬼は勘弁してね)に位置する私達。
妖怪としての能力が高くなくて、そんな役職が勤まるとでも思っているのかしら?
「実戦なんて久しぶりだから、加減出来ないかもしれないから気をつけてね!!」
「きひひひひっ!! 正体不明の弾幕に怯えて死ね!!」
こうして誰かと本気で戦うなんて、本当に久々ね。何時以来かしら。
まあいいわ。久しぶりのこの感覚、心行くまで楽しもうじゃない。
さあ、何処からでもかかってきn
ゴスッ!!
……そんな鈍い音と頭に走った激痛によって、私の意識はどこか変なところへ飛んでいった。
「……あ、あれっ?」
「あんた、私のぬえに何しようとしてくれてんの?」
私でもぬえでもない、第三者の声に導かれるかのように、私の意識が戻ってくる。
うがー、せっかく頭の痛みがなくなったのにー。またとんでもない激痛がー。
まったく、誰よこのキュートな私のドタマをドヤかしてくれたのは。
「み、水蜜? 何で此処に?」
「ん、ぬえのいるところになら私は何処だって現れるわよ?」
「うん、判った、今すぐ帰れこの変態念縛ストーカー」
「残念だけど私が昔船でやってたのはかまたきじゃないわ、そもそも蒸気船じゃないし」
「えっ? 何の話?」
ぬえと謎の会話を繰り広げる声の主は、水兵服に身を包み、その背に巨大な錨を背負う水没霊、名前は確か村紗水蜜。
「で、そこの鴉天狗。私の嫁に何しようとしていたのかしら?」
「えっ? 今何て言った? 私は変態のところに嫁入りした覚えはないけど?」
「あら、地底にいた時は夜這いまでしてきたのに……」
「あ、あれは正体不明の妖怪として……そもそもその後逆に押し倒してきたのは「おいあんたら、此処は健全板よ」
危険な昔話をしようとしているのをとりあえずシャットアウト。
新聞記者として、書き記していい事と悪いことくらいは弁えているつもりよ。そして今はその悪い時。
あんた達二人が仲良いのは判ったから、そのくらいにしておきなさい。
「……まあいっか。とにかく、再三聞くけどぬえに何をしようとしてたのかしら?」
「何って、ただの取材よ。新聞記者なんだから当たり前でしょう?」
戦おうとしていたのはあくまで話の流れであって、本来の仕事はただの取材。
別に何も悪くないじゃない。なんで頭をどやされなきゃいけないのよ。しかも、多分錨で殴られた。
「あ゛あ゛っ?」
その時のムラサの眼光と言ったら、ヤクザ以外のなにものでもなかった。
「ぬえに取材? あんた何様のつもり?」
何って、鴉天狗よ。これでも妖怪の山の中では偉い方なのよ?
「取材くらいいいじゃない。未知なる者にメスを入れるのは新聞記者の本能よ」
あーもう、何でこんな怒られなきゃいけないのよ。
取材の度にいちいち頭どやされてたら、面倒だし頭蓋骨が持たないわよ。
新聞記者っていうのは、正体不明なものの正体を暴きたいのよ。そういう生き物なの。
「はぁ……判ってない、全ッ然判ってない」
やれやれ、といった感じでため息を吐くムラサ。
ええ、判ってないわよ。判ってなくて結構。判ってないから取材したいのよ。
判らなかったら人に聞く! それが新聞記者の鉄則なの。
「あんた新人記者みたいだし、判らないのも仕方はないわよね。だけど、この際言わせてもらうわ」
ビシッ!! と無駄にカッコよく私を指差してくる。
船乗りの衣装も相まってか、何となく男っぽく見えた。確かにどっちが嫁かって言ったらぬえの方かもね。
「ぬえは私の嫁なんだから、ぬえの事を知ってていいのは私だk「いい加減にしろよ変態がぁ!!」
ざくっ!
といい音を立てて、ムラサの頭に槍が突き刺さる。
「あら……こんな激しく突っ込んでくるなんて……大胆……」
「喧しいわ!! そろそろ本気で貴方の友達辞めてもいい!?」
しかし、頭に槍が刺さっても平気な顔をしているムラサ。
そりゃまあ、妖怪なんだからその程度で死ぬわけないけど……。
そんなに平然としていられるんだから、今のこの状況ってそんな珍しい事じゃないのよね。
ひょっとして、毎日こんな事やってんのかこの二人は。
ぬえもよく胃に穴が開かないなぁ。ひょっとしたら既に開いてるかも。
「大丈夫、既に友達なんかじゃなくてもっと上のところまで進んでるから」
「勝手に進めないでよ!! 私は崩壊する事が確定してる塔を登るような真似はしない!!」
「私は壊れる事が判ってても、最上階にぬえが縛られているって言うなら助けに行くよ?」
「一見いいセリフだけど絶対に素直な気持ちで言ってないよね!? 縛られてるとか言ってる時点で既に駄目な感情ダダ漏れだよね!?」
その後も暫く、変態と常識人の会話は続く。私は適当なところでメモだけ取って、そのやり取りを傍観する事にした。
なんかもう、この二人の日常生活を取材していれば、それだけで長期間新聞が書けそうな気がしてきた。
こういうやり取りって、傍から見てると面白いわね。常識人の方は大変なんだろうけど。
「うがーっ!! 私はどうしてこんな変態と友達になっちゃったんだぁー!!」
知らないわよ。昔の自分に聞きなさい。
「答えは簡単よ。初対面の時は普通の友達だったんだから」
「うわぁ……御尤も過ぎて何も言えない……」
確かに。
ついでに今更だけど、変態である事は否定しないのね、ムラサは。
「ぬえ……そんなに私の事が嫌い……?」
「……ふえっ?」
おっと、此処からはムラサのターンかしら?
「そうよね、私はぬえの事大好きだけど……やっぱり変なんだよね、私は……」
「み、みなっ……ち、ちがっ……!!」
「いいの、私は所詮、誰にも愛されない念縛霊。人から恐れられてなんぼの存在なのよ……」
「そ、そうじゃないって!! ただちょっと水蜜は表現力が豊かすぎるとゆーか!!」
沈み込み、顔を手で覆うムラサに対して、軽くパニックを起こすぬえ。
しかし、別の方向から見ている私にはよく判る。ムラサの口の端が釣り上がっているのが。
この念縛霊、随分とぬえの扱いに慣れてるわね。一緒にぬえの取材してくれないかしら。さっきドヤされたばかりだけど。
あっと、メモばかりじゃなくて写真も撮っておかないと。折角正体不明の妖怪の日常を知る事が出来るチャンスなんだから。
嘘泣きするムラサと、慌てるぬえのツーショット。上手くファインダーに収まったところで、私はカメラのシャッターを押
「へっ?」
そうと思ったら、唐突に視界の端に移る錨。
「きゃっ!!」
慌てて飛び退いたおかげでノーダメージで済んだ。
けど、一瞬でも反応が遅かったら確実に脳漿ぶちまけるR-18G展開になってたわね……。
「ちょ、ちょっと何すんのよ!!」
さっきまで嘘泣きしていたムラサが、急に鬼のような形相を浮かべて殴りかかってきた。
今のは正直洒落にならなくなるところだったわ。幾ら妖怪でも流石に頭が吹き飛んだらやばいのよ?
「……るな……!!」
へっ?
「ぬえの写真を、撮るな!!」
その言葉と共に、ムラサは錨を振り上げて襲いかかってくる。
えっ、ちょ、なんなのよ急に!! 何でいきなり戦闘に突入しなきゃいけないわけ!?
「ちょっ、水蜜!?」
「今すぐフィルムを渡しなさい!! でなきゃあんたごとそのカメラをぶっ壊す!!」
だから何でそんなマジギレしてんのよ!! ついでに私のカメラにフィルムなんてものはないわよ!!
と、とにかく今は現状に対処しないと拙いわね。
なんだかやけに頭に血が上ってるみたいだし、こういう時は……。
「……叩きのめして落ち着かせた方が早そうね!」
落ち着いて、頭のスイッチを切り替える。
どうせさっきはぬえと戦う事になりそうだったんだ。その相手がムラサになったというだけの事。
とは言っても、ぬえとムラサじゃ正直戦い方がだいぶ変わるのよね。
正体不明を豪語するぬえは、多分弾幕的な勝負のほうが得意だと思う。
だって、肉弾戦だったら相手に正体を見せなくちゃいけない。それじゃあ正体不明を貫いたりなんて出来ないわよね。
何のために槍を持っているのかが判らなくなるけど。
それに対してムラサは、錨をぶん回す戦い方からも判るように、どう見てもパワーファイター。
平常な時は知らないけど、少なくとも今は弾幕合戦なんて事はしてくれそうもない。
あーもう! 肉体労働は私の柄じゃないって言ってんのに!
基本的には遊びの弾幕合戦で、本気で潰しにかかってくる妖怪に勝てるわけないんだから!!
必然的にこっちも弾幕なしの本気で行かなきゃいけないって事じゃない!! めんどくさい!!
「はあっ!!」
とにかく、どう足掻いても私の素早さには追いつけないはず。
私は一瞬でムラサの後ろに回り込んで、脳天目掛けて踵落とし。
さっき錨で殴ってくれたお返しよ!!
……と思ったら……。
「あれっ?」
踵落としが決まる寸前に、ムラサの姿が急にぶれて、私の視界から消える。
一瞬何が起きたのかが判らずに、私は動きを止めてしまう。
そしてその直後。
ゴッ……!!
と、さっきよりも重く鈍い音が、私の頭から響く。また錨か。
「うがっ……!!」
何で今日はこんなに頭に被害を受けなきゃいけないのよ。
心のどこかでそんな事を思っているうちに、私の身体は地面に叩きつけられた。
「いったたたた……」
人間だったら間違いなく死んでいるところね。妖怪で良かったわ。
っと、余計な事を考えるのはそれくらいにしよう。
「今のは……」
落ち着いて思い出しみる。
そう言えばちょっと前にムラサの弾幕を取材した時に、同じような技を見たっけ。
確か『ディープシンカー』とかいうスペルだった。ムラサの姿がぶれて、全然写真に映らなかったのを覚えている。
ああ、そっか。それはスペルカードの能力じゃなくて、船幽霊としてのムラサの特性なんだ。
予め私が物理攻撃を仕掛けてくる事を予想していれば、タイミングを合わせて消える事も、難しい事じゃないと思うしね。
私の素早さも、後ろから頭を狙って来る事も、予想済みだったって事……。
まったく、頭に血が上っているように見えて、意外と考えてるじゃない。
そういう相手が、一番めんどくさいのよ。
「真面目にやらなきゃ、やられちゃうじゃない」
ぱんぱん、と服に付いた土を払って、私は起き上がる。
村紗水蜜。弾幕はそんなでもなかった気がしたから、ちょっと甘く見てたかも。
なかなか、と言うか、かなり強いわね。
でも、落ち着いて考えてみれば当然か。
念縛霊と言うのは、人間の恐れが生み出した亡霊。
そして人間からの恐怖の念は、そのまま妖怪の力になる。
つまるところ、ムラサは妖怪の力の塊なんだ。そんな奴が、弱いわけがない。
ああもう、久々の実戦がこんなに強い奴だなんて、ホントに……。
……ホントに、面白そうじゃない。
「さて、と……」
上空から見下すムラサに、睨み返す。
くすっ。
久しぶりね、こんなもの使ってまで、本気で戦おうと思ったのは。
私は懐から、あるものを取り出す。
常日頃持ち歩いてはいるけど、実際に“これ”を使ってまで戦うのって……もう何時以来だか思い出せない。
まだ“天狗としての私”が、錆付いていない事を祈るわ。
「喰らえッ!!」
そして私は手を振るう。
傍から見れば、何をしているんだって光景でしょうね。
でも……。
「えっ……きゃあっ!!」
意外と可愛い声を上げる、上空のムラサ。
「水蜜!!」
ぬえもムラサも、何が起きたのか判らないと言った表情を浮かべる。
でしょうね。私は今まで“これ”を使ったところを見せた事はないし、なんだかんだで文の専売特許だと思われがちだから。
「くっ……それは……」
体勢を直したムラサが、憎らしそうな目で私の“これ”を睨みつけてくる。
そっちが錨という武器と使ってるんだもの。私が武器を使っちゃいけないなんて道理、ないわよね。
「風を操る天狗が、文だけだと思ってもらっちゃあ困るわよ」
私が手に握っているのは、天狗の葉団扇。
文は弾幕合戦の折にしょっちゅう使ってるらしいから、文の私物だと思われがちな、突風を起こす天狗のアイテム。
ムラサの消える能力が幽霊共通のものであるように、風を操る事は天狗の共通能力。
文ほどじゃないけど、私だって風を操る能力は持っているのよ。
「さて、此処からが本番よ。カメラを壊させたりなんてするもんか!」
「……沈めてやる!!」
カメラを懐に入れて、葉団扇を強く握る。
とりあえず、久しぶりに使うからって能力が下がってる、なんて事はなくて良かった。
これがなくちゃ、ムラサと対等に戦える気がしないからね。いくら天狗だからって。
「はあっ!!」
今一度、葉団扇を大きく振るう。
「同じ技を喰らうか!!」
と、ムラサの姿が再びぶれて、私の視界から消滅する。
流石にこんな遠距離攻撃を何回も喰らってはくれないわよね。
でも、視界から"完全に”消えたって事は……。
ドカッ!!
と鳴り響く鈍い音。
「なっ……ッ!!」
私は背後からの錨攻撃をしっかりと葉団扇で受け止める。もちろん、見ないでね。
「ばればれなのよ!!」
葉団扇を振り、錨を弾き返す。
うん、確かに一撃は重いけど、打ち返せないってわけでもなさそうね。
ムラサが視界から消えた時点で、私の背後に出てくるのは判ってた事。
だって、さっきからずっとそうだって言うのもあるけど、視界に映らない理由なんて、私の正面にいない、以外には考えられないんだから。
熱くなった相手ほど、行動はワンパターンになりがちなのよ。
「いくら消えられるからって、そんなワンパターンな攻撃じゃ私には勝てないわよ!」
若干距離をとりつつムラサの方へ向き直り、今度は一瞬も目線を外さないよう集中する。
ムラサが姿を消す時には、必ず『姿が一瞬ぶれる』って言う前兆があるからね。
それさえ見逃さなければ、妖怪としての能力は全然負けてないんだし、十分に勝てる。
「くっ……」
さっきよりも苦しそうな、そして悔しそうな表情を浮かべるムラサ。
ふふっ、そろそろ分が悪い事に気付いたかしら?
自分で言うのもなんだけど、船幽霊と鴉天狗じゃ妖怪としての格が違うのよ。
潔く降参でもしたらどうかしらね。
「み、水蜜!! それにはたても!! 止めなよ二人とも!!」
と、今まで傍観していたぬえが、急に声を張り上げた。
ずっとおろおろとしていたところを見ると、どうすればいいのかが判らなかった気持ちに漸く整理がついたのかな?
それにしても、今までずっと見てるだけだった割には随分な事を言うわね。
まあ、私としては出来れば止めたいところなんだけどねー。
久々の実戦だから楽しみたいっていうのはあるけど、ムラサ強いからなぁ。
勝てそうだとはいえ、このまま終わってくれるならそれに越した事はないんだけどなー。
私は取材出来ればそれでいいんだしー。
「いいから黙って待ってて。あんたの写真なんか、撮らせたりはしないわ」
んー、終わらせてはくれないみたいね。まあいいけど……。
……あれっ?
……ぬえの、写真を……?
「……あっ」
ムラサのその言葉で、漸く今までの疑問が晴れる。
なるほど、だからそんなにマジギレして襲い掛かってきたわけね。
あーあ、そういう奴ってめんどくさいなー。暑苦しいというかなんと言うか……。
「あんた、ぬえの保護者でも気取ってるつもり?」
ムラサとぬえが、同時に私の方を振り向く。
ムラサは憎らしそうな目で、ぬえはどういう事なのか、と言いたそうな目で。
「あんたは、ぬえが正体不明の妖怪でいるという、その存在を守りたいわけね。
だから、写真を撮られる事を阻止しようとしたって事。殊勝な心掛けじゃない」
ぬえの事は、まだ誰もロクに記事に出来てないからね。
私と文で弾幕の取材は出来たものの、ぬえ自身のことに関しては殆ど判ってないし。
「だけどさ、あんたはそれでいいかもしれないけど、ぬえの方は如何思ってるのかしらねー」
私がそう言うと、ぬえもだんだんとムラサと同じような表情になってきた。
「さっきのあんた達のやり取りを見てると、どうもムラサの方が一方的に感情を押し付けてるみたいなのよねー。
ぬえがどんなに困っていても、あんたはお構いなし。ぬえの事なんてまったく考えてない」
実際にぬえとムラサのさっきまでのやり取りは、傍から見ていれば私の言った通りにしか見えない。
もちろん、本気で言ってるわけじゃないけどね。
傍から見れば、ってだけの話で、実際にぬえがムラサの事を嫌いだとは思ってない。
ただ、ちょっとでもムラサが動揺してくれればそれでいいかな。
「ぬえはどうなのかしら? 正直、ムラサの事なんて邪魔なんじゃない?
一方的な事ばっかりされて、腹立たしく思ってるんじゃないかな?」
「なっ……!!」
ぬえが僅かに声を荒げる。
おっと、ムラサに言葉で攻撃したつもりだったけど、ぬえを逆撫でしちゃったかな。
「ぬえもさ、邪魔なら邪魔だって言ったほうがいいんじゃない?
そーゆー奴って、黙ってると何時までも何時までもめんどくさいものよ?」
主に文とかね。
「あんた、いい加減に……ッ!!」
ぬえが槍を構える。
あー、流石にちょっとやりすぎちゃったかも。
ムラサだけでもちょっときついって言うのに、ぬえまで参戦されると……。
「……………レ……」
えっ?
……ッ!!
ぞくっ……っと、背筋を途轍もない悪寒が走った。
まるで、身体全身が凍り付いてしまうかのような、強烈なムラサの殺気。
こんな、天狗が恐怖するようなどす黒い妖力、生まれて初めて感じた……。
「あんたなんかに……!!」
えっ?
気付いた時には、ムラサの振り下ろした錨が眼前に迫っていた。
「くあっ……ッ!!」
すんでのところで身を逸らしたものの……。
そのムラサのスピードは、今までのそれとは比べ物にならなかった。
それこそ、私が目で追いきれなかったほどに……!!
「あんたなんかに!! 何が判るんだ!!」
再び、ムラサは錨を振るう。
物凄く大きな、重い動作なのに、とんでもないスピードで。
「群れてばっかの鴉天狗に!! 独りぼっちだった私の気持ちが!!」
放たれるその言葉には、怒りや悲しみ、そういった負の感情が、暗く渦巻いていた。
「誰かを好きになる前に死んだ私の気持ちが!!」
ムラサが叫ぶ度に、錨が纏う妖気が大きくなっていっている気がする。
いや、気のせいなんかじゃない。
ムラサの負の感情が、妖気を増幅させている……!?
「ただただ独りで、船を沈める事しか出来なかった!! 海に縛られ続けた私の気持ちが!!」
「聖に出会って!! やっと呪われた海から開放されたのに!!」
「その聖を、たった数十年で失ってしまった私の気持ちが!!」
「地下に封印されて!! 一輪とも星とも離れ離れになった私の気持ちが!!」
どごんっ!!
と、私の身体を掠めた錨が、大地を抉る。
だけど、今まで感情のままに錨を振り回していたムラサの動きが、そこで一旦止まった。
「私には……!!」
えっ……?
私は一瞬、何を見ているのかが判らなくなった。
その時ムラサが見せていた表情は、今までの頭に血が上った顔なんかじゃなくて……。
ムラサの頬を、一粒の涙が、ゆっくりと滑り落ちていった……。
「私には!! ぬえしかいなかったんだ!!」
その言葉と共に、再びムラサは錨を振り上げる。
「くっ……ッ!!」
私もすぐに気持ちを切り替えて、錨を避けるべく集中。
「私の傍にいる人は!! みんなみんなすぐに私のところからいなくなっていった!!」
「でも!! ぬえだけはずっと!! ずっと私の傍にいてくれた!!」
「ぬえがいなかったら!! 私は本当に独りになってた!! 生きてなんていけなかった!!」
「ぬえがいなかったら!! 私は命蓮寺のみんなに再会する事なんて出来なかった!!」
「ぬえがいてくれたから!! 今私は私でいられるんだ!!」
ムラサの深く重い、でも熱いぬえへの感情が、言葉の一つ一つから伝わってくる。
それほどまでに、ムラサはぬえの事を愛しているんだ。
ああ、そっか。ムラサのこの錨の重みは、ぬえへの愛の重さなんだ。
そりゃあ、私が今まで感じた事のない力になるよね。そんな相手と戦うのは、初めてなんだから。
だとすると、確かにさっきのは失言だったなぁ……。
……知ってる、はずなのに……。
「群れてばかりで!! 孤独を知らない天狗なんかに!!」
ムラサが、大きく錨を振り上げる。
「私のぬえへの気持ちが!! 判ってたまるかあああああああぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!!!!!!」
私の頭上目掛けて振り下ろされる錨。
避けなきゃ確実に死ぬ。妖怪である私がそう断言出来るほどに、その一撃は重かった。
……だけど、不思議と私の心は、この攻撃を避けようとは思わなかった。
天狗は群れで生きる。集団社会を作っているんだから、その結束力は他の妖怪とは比べ物にならない。
そしてムラサの言うとおり、孤独を知らない。だって、困った時は何時も誰かが助けてくれるんだから。
確かに天狗には、ムラサの気持ちは判らないかもしれない。
今他の天狗がムラサと戦ったら、多分誰も勝てないわね。
ムラサのこの思いに、不自由ない天狗が太刀打ち出来るわけがない。
でも、ね……。
ごがっ!!
と、周囲にそんな鈍い音が響いて……。
「……えっ……?」
この一撃で終わると思っていたであろうムラサは、目を丸くする。
「……判らなくも、ないわよ……」
私の葉団扇は、ムラサの錨を受け止めていた。
多分、私以外の誰がやっても、この錨を受け止める事は出来なかったと思う。
葉団扇を砕かれて、頭を潰されて、それでゲームエンド。
でも、天狗の中で私だけは、唯一の例外だった。
「私もさ……独りだったんだよ」
ムラサの錨は、変わらず重い。ちょっとでも気を抜けば、潰されそうなほどに。
だけど……思いの強さがそのまま力になるって言うなら、私だって負けてはいない。そう信じたい。
あいつに対する、この思いだけは……!!
「私の新聞……全然面白くなかったみたいでさ……。
今まで見た事ある記事ばかりだって、みんな相手にしてくれなくて……。
家に引き篭もって、念写ばっかしてて、外の世界を知らなかったから、何も判んなかった……」
ちょっと昔の私を思い出しながら、言葉を紡いでいく。
独りで、ただひたすらに、自分の能力に頼った新聞しか書いてなかった、そんな自分を……。
「何が駄目なのか判んなくて、どうすればいいのかが判んなくって……。
正直、その時はもう自棄だったよ。
誰かの書いた記事しか書いてないって言われてるのに、必死に他のみんなの新聞を読み漁ったりさ……。
……でも、そんな時、一つだけ変わった新聞を見つけたんだ……『文々。新聞』って言う、ね……」
話を切り替える。
ムラサの錨の重さは、孤独の悲しさと、ぬえへの愛情。
この重さを越えるためには、私もそれ相応の思いをぶつけなくちゃいけない。
「でさ、その新聞を書いてる誰かさんはさ、私にこんな事を言いやがってくれたんだよ。
『妄想ばかりの新聞』とか、なんとかさ……」
ああもう、今思い出しても腹立たしい。自分の方がよっぽど妄想新聞を書いてるって言うのに。
本当に、あいつはムカつく奴だ。
……そして、そんなあいつの言葉に救われた私自身も、本当にムカつくわね。
「……あいつが初めてだったよ。そんな風にスパッと言ってくれたのは。
でもさ、その時判ったんだ」
錨を受け止めている腕に、力を込める。
「たった一人でも、私の新聞をちゃんと読んでくれていた奴がいたって事に……!!」
そう、あいつだけは、散々私の新聞を罵ってくれた。
でも裏を返せば、それだけ私の新聞を読んでくれていた、って事。
勿論、ただ単純に資料として読んだだけ、その程度だったんだろうけど……。
それだけでも、私はあいつに救われた。
私の新聞を、あいつはしっかりと読んでくれていた。その事実に。
そして、とにかく強引に新聞を作ろうとするあいつの心意気に、少しだけ憧れた。
私にはない強引さ、積極性を、あいつは持っていた。
そんなあいつの積極性が、私に『これからも新聞記者を頑張っていこう』って、そう思わせてくれた。
……だから、悔しいけど、認める事にする。
「私は……!!」
私は、文が好きなんだ――……
「くっ!!」
私の葉団扇が、ムラサの錨を弾き返す。
ムラサがぬえを愛しているって言うなら、私だって文の事を少なからず思ってる。絶対に、口には出せないけど。
単純に好きなだけじゃなくて、文はライバルでもあるんだ。
絶対に文には負けたくない。文に私の新聞の面白さを認めさせてやる、それが私が新聞記者を続けている理由なんだ。
文に負けたくないというこの思いだけは、他の誰よりも強いんだ……!!
「私は負けない!! 文に勝つまで!! 私は誰にも負けたくないのよ!!」
そう言い終えた時、私は初めて、自分が大声でそれを言っていた事に気がついた。
今日初めて、心の底からの自分の思いを言った気がした。
……あーもう、私らしくないなぁ。
「……………」
呆然と立ち尽くすムラサ。
その傍らで、心配そうにムラサを見つめるぬえ。
攻撃を弾かれた事が、そんなにショックだったのかしら?
まあムラサ自身、自分でぬえの事を強く思っている事を認めている。
それだけの思いを乗せた攻撃を、自分の気持ちが判らないと思っていた天狗に弾かれた事は、確かに……
「……くくっ、あははは……っ!」
あれっ?
あまりに唐突に笑い始めるムラサ。
えーっと、何か変な事言ったかしら?
いやまあ、確かに変だったかもしれないけどさ。いきなり大声であんな事言ったり。
だとしたら私は全力で逃げる。
「……あんたの気持ち、少し判ったよ、はたて」
小さかったけど、何処か温かみのある声が、私の耳に届く。
今までの憎しみや悲しみと言った、負の感情しか感じなかった冷たい声などではなく。
そして初めて……。
……ムラサは、私を名前で呼んだ。
「あんたにも、私に負けないくらい強く思っている人がいるんだね」
いや、それはどうだろう。
「でも、いや、だからこそ、私も負けられない」
ムラサの錨に、再び妖気が篭っていく。
でも、その妖気は今までの冷たく深いものではなく、まるで炎のような熱さを持っている、そんな気がした。
「あんたの言うとおり、私はぬえにとっての邪魔者かもしれない。
ぬえの気持ちも判ってない、ただ自分の思いを押し付けているだけなのかもしれない。
あんたの事を悪く言う資格なんて、私にはないのかもしれない。
……でも、ぬえの事を思う強さだけは、負けたくない……!!」
ムラサの純粋な、ぬえの事を思う心が、凄く伝わってくる。
ただ我武者羅に思いを乗せるのと、自分の気持ちを素直に認めるのとじゃあ、そりゃ思いの強さも変わってくるよね。
ムラサの姿が、さっきよりも大きく見える気がするのは、気のせいじゃないと思う。
「水蜜……」
「……ぬえ、これが終わったらさ、あんたの本当の気持ちを聞かせてよ。
あんたが私を本当に邪魔だと思ってるなら、そう言って欲しい。そうじゃないなら、そうじゃないと言って欲しい。
……ぬえ自身の、本当の気持ちを、私に聞かせて」
ムラサのその問いに、ぬえは一瞬、どう答えていいのかが判らなかったのか、困惑した表情を見せる。
だけどムラサの思いを受け取ったのか、すぐに真剣な目つきで頷いた。
……ああ、なんとなく判る。
ムラサは次で、本当にこの勝負を終わらせようとしている。
次の一撃が、ありったけの力と思いを込めた、最後で最強の攻撃なんだって。
だったら、私も本気で迎え撃たないといけないわね。
ムラサに負けないだけの思いを、この葉団扇に込めて。
「文……」
今一度、私の思い人の顔を思い浮かべる。
文に勝つまで、私は負けない。他の誰かに負けてるようで、文に勝てるはずがない。
だって、私の目標は文なんだから。
私の目線の一番向こうにいるのが、幻想郷最速の鴉天狗、射命丸文なんだから。
「……ありがと、はたて」
「……私こそ、ありがと。ムラサ」
最後にそれだけ、言葉を交わす。
何でこんなところで『ありがと』なんて言うのか、正直自分でも判らなかった。
でも、間違った言葉じゃないわよね。この『ありがと』は、今言うべき言葉のはず。
こうして対峙して、殴り合って、漸くちょっとだけ、私とムラサは判り合えたのかもね。
「いくよ!! はたて!!」
「いくよ!! ムラサ!!」
私達の声は、重なり空へと響き渡って……。
ぶちっ
ごきっ
……そんな謎の擬音もまた、この空間に虚しく響いた。
「……えっ?」
私達が急に動きを止めたせいか、ぬえが小さく声を上げる。
まあ、私もムラサも、そんなのは聞こえてなかったけど。
「「いっ……」」
「痛゛あ゛あ゛あ゛あああああああああぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!!!!!!」
* * * * * *
「天狗はアキレス腱断裂、船幽霊は右肩脱臼。二人とも暫くは安静にするように」
「「はい……」」
場所は変わって、此処は竹林の中にある永遠亭。
そして薬師の八意永琳の言葉が、ただでさえ意気消沈した私達に更なる追い討ちをかける。
「引き篭もりが、準備運動もしないで激しい運動をするとこうなる事、よく覚えておきなさい」
「「はい……」」
九官鳥のように、ただただ同じ言葉を繰り返す事しか出来ない私とムラサ。
私の右足は動かないように包帯で固定され、ムラサの右腕は首から掛かった三角巾に吊るされている。
あれだけ激しい決闘をしておきながら、幕切れがアキレス腱断裂と脱臼とか、最早笑い話にもならないわね……。
「……二人とも、大丈夫?」
「「いろんな意味で大丈夫じゃない……」」
無駄に息がピッタリだなぁ私達。そして付添い人のぬえの優しさが逆に痛い。
どう考えてもアキレス腱断裂より錨で殴られた方が痛かったはずなのに、なんでこの右足はこんなに痛むんだろう。
「とにかく、入院はしなくても大丈夫だから、家で大人しくしてなさい」
永琳のその言葉で、少しだけ気持ちが和らぐ。
これで入院してたら、恥ずかしくて首を吊れるレベルだったなぁ。
それでも松葉杖突いて歩く私の姿は、充分に滑稽なんだろうけど。
「ううっ、松葉杖って使いづらい……」
診察を終えて、永遠亭の廊下を不慣れな松葉杖で歩く私。
その横には私と同じように沈んだ表情のムラサと、何て声を掛けていいのかが判らないんだろう、困った表情を浮かべるぬえが並んでいる。
「そりゃあさ、聖輩船ではニートしてて一番働いてなかったけどさ……」
ムラサの呟きが、船幽霊と言う存在も相俟って呪いの言葉に聞こえた。
私の場合は単純に運動しすぎでアキレス腱が切れただけだけど、ムラサの場合は錨が重くなりすぎて肩が耐えられずに脱臼。
つまるところ、自爆なわけだしね……。
「み、水蜜。だ、大丈夫だよ。ほら、私が命蓮寺に住んでれば、一番働いてなかったのは私になるじゃん!」
「「はぁ……」」
ああ、本気でぬえの優しさが心に響く。
ホント、今すぐにでも私が直々に妖怪の記録を書き換えたいわね。
「あーもう! 二人ともさっきみたいに笑いなよ!! 辛気臭いのは性に合わないよ!!」
地底に住んでた妖怪がなに言ってるんだろ。
寧ろ辛気臭いほうが性に合ってる気がしなくも……。
「「えっ?」」
私とムラサが、同時にぬえの方を見る。
「えっ……? な、何か変な事言った……?」
いやまあ、変な事は言ってるよ。随分と地底妖怪に似合わない事をね。
だけど、それ以上に私達には気に掛かる台詞があった。
「……さっきみたいに?」
私が言おうとした台詞を、ムラサが先に口にする。
「えっ? だ、だって凄く楽しそうだったじゃん。特に最後のほう。
水蜜があんなに楽しそうな顔してたの、久々に見たよ? 命蓮寺にいる時は凄く暇そうだったし……」
そう語るぬえ。
私は言われれみて、さっきまでの自分の事を思い返してみる。
そう言えば、ムラサと判り合えたと思った時。
勝負を終わらせようと最後の一撃を出そうと思った時……。
凄く、戦う事が楽しかった……。
ムラサと向かい合って、自分の思いをぶつけられたことが、凄く……。
「そう、かな……?」
なんだか照れくさそうな表情を浮かべるムラサ。
多分、私も同じような表情をしてたと思う。
「そうだよ、何だかんだで水蜜は私達以外友達なんていないんだし」
「喧しい」
即突っ込むムラサだったけど、その表情は笑顔のままだった。
友達、か……。
思い返してみれば、私にも友達なんて言える人なんて、殆どいなかったなぁ……。
でも、そのお陰で……。
「ねぇ、ムラサ」
私は呼びかける。
ムラサは黙って私の方を振り向いた。何かを期待するような、そんな眼差しで。
きっと、ムラサも私と同じ事を思ってるんだろうな。
「私達、友達でいいんだよね」
……正直、言うのが凄く恥ずかしかった。
でも、言わなきゃいけなかったはずだよね。
ムラサには、命蓮寺以外に友達がいなかった。
私には、天狗以外の友達がいなかった。
そんな私達だから、お互いの気持ちを知る事が出来た。
似た者同士だったからこそ、こうして判りあう事が出来たんだ。
「そうだね」
ムラサが、優しく微笑む。
その笑顔からムラサの純粋な喜びが伝わってきて、なんだかこっちまで嬉しくなる。
ああ、ひょっとしたら、新聞記者ってこれが一番楽しいのかもしれない。
こうして誰かと心を通わせていく事が、本当に素晴らしい事だって思える。
文ももしかしたら、そうして誰かと触れ合う事が好きだから、新聞記者をやってるのかな……。
「はたて、さっきはごめん」
えっ?
「錨で殴った事も、はたてに対してあんな事言ったのも、全部、ごめんね」
……その言葉に、正直ちょっと面食らった。
このタイミングでそんな事を言ってきたのも、そしてそれを謝ってきた事も。
「いいよ別に。私だって、あんたやぬえの事を考えずに写真を撮ろうとしたんだから
新聞を書く事に躍起になりすぎて、全然あんた達の事を考えられなかった。私の方こそ、ごめん」
私も頭を下げる。
何だかんだで、自分の非を素直に認めたのって、結構珍しい事かもしれない。
他の天狗でもそういう姿って殆ど見ないし、傲慢だなぁ私達は。
「うん、じゃあ、もうこの話はこれまででいい?」
「そうね、それが友達ってもんだと思うよ」
私達は同時に微笑む。
こうして許し合えるって言うのが、笑い合えるって言うのが、友達なんだよね。
「よろしく、ムラサ」
「こっちこそね、はたて」
ありがとう、ムラサ。
私なんかと、友達になってくれて……。
「あーっ!! こら!! 二人だけ楽しそうでずるい!! 私だって二人と友達だもんね!!」
「いだだだだだだ!! ぬ、ぬえ、抱きついてくるのは嬉しいけど肩が痛い痛い痛い痛い!!!!」
「ちょ!! 引っ張らないで……左足も死ぬ!! 足攣る!! いだだだだだだだだだ!!!!」
この後、ぬえの突然のハグのせいで痛みが悪化し、もう一度永琳に診てもらう事になった。
* * * * * *
「うー、酷い目に遭った……」
「はははっ……ご、ごめん……」
永琳の再診が終わった時には、もうそろそろ日も沈む、というくらいの時間になっていた。
因みにムラサはまだ診てもらってる途中。
時間が時間だったので、私は先に帰ることにして、ぬえはその見送りに来てくれた。
「それじゃ、ムラサによろしく」
ぬえに軽く手を振り、私は空を飛ぶ。
左足を痛めてるとは言っても、飛ぶ事に関してはそこまで問題ないからね。まあ着地には気を付けなきゃいけないけど。
空飛んでるのに松葉杖抱えてる姿って、凄くシュールだろうなぁ……。
「はたて」
ん?
家路に着こうと思った私に、ぬえが呼び掛けてきた。
「……いいよ、ちょっとだけなら話しても」
えっ?
「こんなに頑張って私に近付こうとしてくれたのは、はたてが初めてだった。
私がどんなに正体不明であろうとしても、はたてはそれをこじ開けようとしてくれた。
その強引さが、水蜜の心を開いてくれた。水蜜の笑顔を見せてくれた。
だからさ、そのお礼に受けてあげるよ、はたての取材」
ぬえのそんな言葉に、私はしばしの間言葉が出なかった。
あれだけ自分の事を頑なに隠していたぬえが、こんな事を言ってくるんだから。
「えっ……と……その……」
もちろん、これは願ってもないチャンス。
幻想郷のほんの一握りの妖怪、即ち命蓮寺に住む者たちしか知らないぬえの事を聞きだせるのだから。
だからこそ私はぬえの事を取材したかったんだし、ぬえが取材を受けてくれるというのだから、普段なら喜ぶところなんだと思う。
でも、今の私はぬえの申し出に戸惑っている。
だって、ぬえの事を本当に聞いてもいいのか、と思ってしまったから。
ぬえの事は、ムラサだけが知っていていい事、今はわりと本気でそう思っているから。
ムラサはぬえが正体不明の妖怪である事を、“鵺”としての存在を守ろうとしていた。
さっきの戦いの前だったら、そんな事はどうでもいいから……と思ったはず。
だけど今は、私はムラサの思いを知ってしまい、そしてその意思を貫き通して欲しいと、応援すらしている。
だからこそ、ムラサの思いを無駄にするような事は、私には出来そうもない。
ムラサの事を考えると、どうしても素直な気持ちでぬえの申し出を受け入れる事が出来なかった。
……だと、いうのに……。
「……じゃあ、一つだけいい?」
こうして聞いてしまうんだから、自分にほとほと呆れてしまう。
でも、今までのことでどうしても気になることが、一つだけ出来ちゃったからね。
正直、あまり聞きたくないことではあるんだけど……。
「……あんた、本当に正体不明でいたいの?」
私の問いに、ぬえはびくりと肩を震わせた。
それはそうだよね。多分、その事はぬえ自身が一番聞かれたくない事だと思うから。
最初にぬえに声を掛けられたときから、少しおかしいと思ってた。
だって、ぬえは自分から声を掛けてきたんだから。私が偶然見つけたって言うわけじゃない。
自分が正体不明でありたいなら、最初から声なんて掛けなければいい。
声を掛けるにしても、正体不明の種とやらで正体を隠す事だって出来たはず。
だと言うのに、ぬえはわざわざ自分の姿を見せるような真似をしてきた。
最初見つけた時は、まだ私だって判っていなかったのに。
逆に判らなかったから、と考える事も出来るけど……やっぱり、どうも引っかかる。
ぬえの行動と、今までのぬえの発言、それが全然一致していないんだから。
「……きひひっ、痛いところを突いてくるね……」
ぬえは小さく笑った。まるで、自分を嘲るかのように。
「……正直、それは私が一番判らないんだ」
えっ?
「私が地上に来たのはさ、ただ単に面白そうだったから。
地底でのんびりしてるのにも飽きたし、なんか地底に面白そうな人間が来たって言うのも聞いてたからね」
ああ、去年の初めくらいにあった間欠泉の異変の事ね。
博麗の巫女と魔法使いが地底に行って、八咫烏の力を手に入れた地獄鴉を倒してきたとかなんとか。
「水蜜とお別れしなくちゃいけないのはちょっと寂しかったけど、それ以上に地上が面白そうだった。
それにすぐ後に水蜜と一輪も地上に来て、命蓮寺の面々で何かしようとしてたみたいだったし、それを邪魔するのが、凄く楽しそうだった」
めんどくさい友人を持ったものね、ムラサも。
「でもさ、その後霊夢や魔理沙、早苗と出逢って、白蓮や星、ナズーリンと出逢って、そして文やはたてと出逢って……。
なんだかさ、自分がどんどん人目に触れるようになって、正体不明でなくなっていって……。
最初は、それが凄く嫌だった。私の存在そのものが変わってしまうみたいで、辛かった」
確かに、ぬえの存在自体は結構有名だからね。鴉天狗の中でも、知らない子なんて殆どいないし。
「だから、最初は人目に付かずに暮らそうと思ったよ。命蓮寺から出なければ、そう簡単には姿を見られないからね。
……でも、そうやって隠れて暮らしてたんじゃ、全然楽しくなかった。
誰にも気付かれずに誰かを驚かせる事が一番楽しいのに、そのはずだったのに、それが楽しくなくなってた」
「それに気付いた時に、ようやく判ったんだ。
誰かを驚かせる事じゃなくて、私は誰かと関わっている事、それが一番楽しかったんだって。
だから、地底で友達だった水蜜の事が大好きだったし、命蓮寺のみんなの事も受け入れられる」
そりゃそうよ。
一人でいるより、みんなでいる方が楽しい。そんなのどんな生き物だって同じ。
私達妖怪は、そういう精神的な事に影響を受けやすいしね。
「だけど、それじゃ私の存在理由が判らなくなる。
正体不明でいたいはずなのに、正体不明でいる事を私は望んでない。
……判らないんだよ。自分が正体不明でいたいのか、そうじゃないのか……」
そこまで語って、言葉を止めた。
……なるほどね、そういう事……。
ぬえは今まで、ずっと正体不明でいる事を、自分の存在理由だと思っていた。
実際にそうしてきたからこそ、人からの恐れを買って、ぬえは妖怪としてはトップクラスの力を手に入れた。
でも、それは生き物が生きている上で大切なもの、すなわち“仲間”がいなくなってしまう事に繋がる。
天狗として長生きしてきたからこそ、仲間の大事さって言うのはよく知ってるからね……。
……私も、最初からそういう仲間がいれば良かったんだけど……。
……っと、そんな事考えてても始まらないわよね。
昔の私は昔の私、今の私はちゃんと今を生きないと。
だから……。
「馬ッ鹿じゃないの?」
私はただ、言う事だけを言ってやる。
「えっ……?」
あら、そんなに予想外のコメントだったかしら?
「そんな事うだうだ悩んでただなんて。あーあ、聞いて損した気分」
まあ、そんな事を聞いた私も私なんだけどね。
だって、ある程度答えは判ってて聞いたんだし。
「ちょっ……!! 人がせっかく話してあげたのに!!」
怒り半分、泣きたい気持ち半分、そんな表情で言い返すぬえ。
うん、これでいいのよ。今の私は、悪者なんだから。
そもそも、新聞記者って言うのは、他人のプライバシーをガン無視する存在だしね。悪者上等よ。
「あんたさ、答えが判らないだなんて、嘘でしょ?」
私がそう言うと、ぬえの表情が固まる。
「あんたはもう、自分が正体不明でいたいかどうかなんて、とっくに気付いてる。
だけど、自分の正体を明かしたくないから、そういう生き物だと勝手に思ってるから、無理やり気付かないフリをしてるだけ」
ぬえの強張った顔が、次第に元に戻っていく。
「まあ、認められないのも判るよ。今までずっと、そうやって生きてきたんだからね。
でもさ、変わるって事も、悪くないと思うよ。私だってそうだったんだから」
文の顔を思い出して、私は苦笑い。
あいつをずっと付け回して、私は文の新聞記者としてのあり方に、少し憧れた。呆れ80%だけど。
もしも文に惹かれなければ、そもそも文々。新聞なんてものを見つけなければ、今の私はずっと引き篭もりだったでしょうね。
文がいてくれたからこそ、私はちょっとだけ変わる事が出来た。
……文の、取材をしている時の眩しい笑顔に、少しでも近づけたらいいな、と思った。
新聞記者として文を尊敬出来るかどうかと聞かれると、答えはノー。
だけど、新聞を書く事を楽しむその心意気だけは、本当に素晴らしいと思うし、だからこそ私は、そんな文が、大好きなんだ。
「だから、変わってみれば? あんたもさ。
そんなにすぐじゃなくていい。身近な人に、あんたの事を教えてあげればいい。それくらいの事からでいいんだよ。
……あんたにだって、いるんでしょ? 大切な人が、すぐ傍にさ」
……言ってて結構恥ずかしい台詞だったけど、聞いてるぬえはもっと恥ずかしそうだった。
「……千年くらい、かな……」
えっ?
「私が正体を誰にも明かさずに暮らしてきて、もうそれくらい経ったと思うけど……。
正直、今更になって自分の生き方を変えるなんて事、出来るとなんて思えない」
まあ、そりゃそうよね。
だけど、大丈夫。それはあんたが、一番判ってるんでしょ?
「でも、私は昔みたいに一人じゃないんだよね。
私には、もう家族がいる。大切な友達が、傍にいてくれる」
「……そう、それでいいの」
まだ全部を言い切ってないだろうけど、ぬえがどうしたいのかは、もう私には伝わっている。
だったら、もうこれ以上は聞いたって仕方がないわよね。
同じくらい鴉天狗として生きている私が、ちゃんと自分を変えられたんだもん。
あんたにだって、出来るわよ。あんたには、ムラサって言う友達と、命蓮寺って言う家があるんだから。
「……今度逢う時は、私にも教えてもらうからね、あんたの事」
「きひひっ、私が変われたら、ね」
意地悪く笑っているけれど、もう大丈夫そうね。
ぬえは自分のやりたい事を、自分のこれからの道を、見つける事が出来たんだから。
だったら今はもう、私は此処からいなくなるべきよね。
だって、これからは私が介入する時間じゃない。ぬえと、そしてぬえの一番の友達との、大切な時間なんだから。
ああ、今度ぬえに逢う時が、楽しみになってきた。
新聞記者として、じゃなくて、友達としてぬえの事を教えてもらえる、そんな事を期待して……。
* * * * * *
……あーあ、いっちゃったか。
もうちょっと話していたかったけど、はたてははたてなりに気を使ってくれたんだろうな。
さっきからずっと、後ろで私達の話を聞いてる人がいるしね。
「いいの? あんたの事、あんなに話しちゃって」
私の背中に投げられる、水蜜の声。
「うん。おかげで私のやるべき事が見つかったんだから、それくらいは大した事ないよ」
それに、結局私の素性とかそういうものは明かしてないしね。
尤も、私とはたてはちょっと似てるところがあるみたいだから、結構いろんな事を推測されるかもしれないけど。
「それよりさ、水蜜」
私は水蜜の許に歩み寄る。
だって、そういう約束だったもんね。
この勝負が終わったら、私の本当の気持ちを教えてあげる。
はたてに言われるまでもなく、私は水蜜に教えてあげなくちゃいけない。
それに、何時かは言わなきゃいけない事なんだしね。
私の、水蜜への思いを……。
「ありがとう、いつも傍にいてくれて」
今出来る最高の笑顔を、水蜜のために。
「ぬ、ぬえ……?」
「私がいなかったら、って水蜜は言ってくれたけどさ。
私もそれは同じ。水蜜がいてくれなかったら、私はずっと一人、寂しく地底で暮らしてたと思う。
水蜜がいてくれたから、私は私でいられるんだよ。ありがとう、水蜜」
多分これが、今の私に言える精一杯の言葉。
水蜜のことは大好き。今すぐにでも、私はその事を言いたい。でも、今はまだその時じゃないと思う。
私がもう少し変わる事が出来たら、その時は……。
「ぬえ……」
うー、ちょっと変な事言い過ぎちゃったかな。
水蜜は表現力が豊か過ぎるからね。調子に乗らせるのは拙いかも……。
まあ、でも今日くらいは許してあげても……。
「……ありがと……」
えっ?
水蜜のあまりに予想とかけ離れた反応に、何をしていいのかが判らなくなる。
だって……。
「ぬえが傍にいてくれて……ホント、良かった……」
優しい笑顔と涙を浮かべる水蜜。
こんな水蜜の顔、初めて見た……。
いつも気の強い水蜜が、涙を見せる事も凄く珍しいし、こんな静かに笑うのも……。
地底にいる時だって、地上に出てからだって、一回も……。
「私さ、これからも……ぬえの傍にいてもいい……?」
本当に、今目の前にいるのって水蜜なのかな。
そう疑いたくなるけど、きっと水蜜も自分の気持ちを素直に伝えてくれてるんだと思う。
私みたいに気持ちを隠す事は普段からもしないけど……でも、今はいつも以上に素直に。
だから、私もちゃんと素直にならないとね。
水蜜にだけは、正体不明でいるのを止めよう。
遠い昔、初めて水蜜に出会った時に、そう誓ったように……。
「これからもよろしくね、水蜜!」
* * * * * *
「ふぅ……」
妖怪の山、その中腹にある九天の滝の上。
私は一人、そこから幻想郷全土を眺めていた。
あれから一週間、何とかアキレス腱断裂の痛みも取れて、今は松葉杖無しでも動けるようになった。
人間だったらもう2~3ヶ月は動けないはずだけどね。そこは妖怪の再生能力故よ。
さて、と。
私は手元のメモ帳に目を落とす。文花帖じゃなくて、メモ帳にね。
メモ帳には、この間のぬえとムラサとの事を思い出しながら書いた、ぬえの特徴とかその他いろいろについてびっしり書いてある。
ぬえと私、そしてムラサはなんだか似てるからね。なんとなく、ぬえの事はいろいろ理解出来た。
それだけに、あれだけしかぬえの話しは聞けなかったけど……結果はこの通り。
鴉天狗の中でも……いや、幻想郷全体で見ても貴重だと思うぬえの記録。それが、今私の手の中にある。
そしてまあ、こんなメモ帳を見ながらこの目立つところに座ってれば……。
「あややや? そこにいるのははたて?」
白々しい。絶対に途中で気付いてるはずなのに。
まあいいや、フィッシングには成功したみたいだし。
「此処最近、怪我してまた引き篭もりになったとか聞いてたけど?」
「うっさいわね。怪我はもう治ったわよ」
相変わらず嫌味な奴ね。
怪我自体はまだ完治ってわけじゃないんだけど。時々痛む。
「それより、こんなトコでなにしてるのかしら?」
「見て判んない? メモ帳見てるの」
「メモ帳?」
文は首を傾げる。
まあ、鴉天狗が新聞のネタを書き込むのは基本的に文花帖だからなぁ。疑問に思うのも無理はないわね。
メモ帳じゃないといけない理由があるから……。
「ええ、正体不明の妖怪、封獣ぬえを取材した、ね」
私の言葉に、文が物凄く過剰に反応した。
「……ほ、封獣ぬえ、の……?」
顔はそのままだけど、動揺しているのが手に取るように判る。
「そうよ。この間いろいろあってね、取材させてもらっちゃった」
ぴくっ、ぴくっ、と言葉一つ一つに反応する文。見ていて結構面白い。
「そ、そんなわけが……私ですらまともに取材させてもらった事がないのに……!!」
いや、あんたみたいな強引な奴だったら、ぬえでなくても普通は取材されてもらえないわよ。
そもそもあんたはまともに取材した事があるの?
喉まで出掛かったその突込みを、私は気合で飲み込んだ。
「まあ、これは記者として私のほうが有能って事の証明かしらねー」
「うぎぎぎぎ……っ!!」
ぎりぎりと歯を食い縛っている。
でも自分では出来なかった事を私がやってのけたわけだから、強く言い返せないんでしょうね。
じゃあ、私がこんな事言ったら、どうなるのかしら?
「なんなら、あんたに見せてあげてもいいけど?」
鳩が豆鉄砲云々、って言うのは今の文の表情なのかしらね。
露骨に怒りを露にしてたのに一転、目を大きく見開いて固まる。
「……へっ?」
「だから、見せてあげてもいいって言ったのよ。勿論、タダじゃないけどね」
「み、見せて!! 幻想郷の女の子全員の盗撮でも何でもやるから!!」
「あんたがいつもやってる事要求してどうすんのよ……」
文のこんなにも興奮した姿を見れば、ぬえの記録っていうのがいかに大事なものかが良く判るわね。
正体不明の妖怪、封獣ぬえ。幻想郷最強クラスの力を持ち、そして長い間人から恐れ続けられた存在。
でも、私はもう知っている。
ぬえが、本当はそんな事を望んでいるんじゃないって事を。
ぬえも、結局は一人の妖怪。誰かと一緒にいたいと願う、私達と何も変わらない妖怪だっていう事を。
「今から私が出す試練をクリア出来たら、このメモあんたにあげるわよ」
「言ったわね!! あなたの出す程度の試練を乗り越えられないとでも!?」
だけど、それはまだ私の胸に秘めておこうと思う。
ぬえが何時か、自分で自分の存在をアピール出来るようになる、そんな日が来るまでね。
だから……。
ビリッ!!
「……へっ?」
メモを真っ二つに破く私。それを見て情けない声を出す文。
ビリッ!! ビリッ!!
わざと大きな音が鳴るように、豪快にメモを細切れにしていく。
「あ、あやや……?」
今目の前で起きている事が信じられないのか、文はメモがだんだん小さくなっていくのを見ているだけ。
そりゃそうよねー。あれだけ気にしていたぬえのメモを、目の前で紙屑にされてるんだから。
ま、そんな事はどーでもいいんだけどー。
それ、ぽいっとな。
「あ゛や゛や゛や゛や゛あ゛あ゛あああぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!!!!!!」
メモを滝壺に投げ捨てたところで文が絶叫。
あーうるさいうるさい、鼓膜破れたらパンチ。
「今のメモ、全部拾って来れたら記事にするなりなんなりご自由に」
「あややややぁ……なんて事を……」
ショックのあまりか、へたり込んでしまう文。
そんな文の横を、満足した気分で通り抜ける私。
うーん、やっぱりちょっと惜しい事をしたな、感はあるなぁ。
ぬえの事を記録した資料なんて、凄く貴重なものだったわけだし。
新聞記者としては、私のやってる事は最低なんだろうけど……。
でも、これでいいのよね、ぬえ。
後はあんた次第。頑張って、正体不明でありながら正体不明じゃない、そんな妖怪になってみせなさい。
そしてムラサも、ちゃんとぬえの気持ちに応えてあげるのよ。
私も、今此処から始めるからさ。
みんなが知ってくれているような、みんなに好かれるような、そんな新聞作りを。
私とあんた、どっちが早く目的を達成できるか……。
「……負けないからね、ぬえ。……それに、文」
幻想郷の空を飛び越えて、命蓮寺のぬえに。
背中越しに、ライバルの文に。
負けたくない。そう思う心は、人も妖怪も強くしてくれる。
目指す者がいるからこそ、私は前を見て進んでいける。
一緒に走る者がいるからこそ、折れる事無く進んでいける。
ぬえと一緒に、私は文に向かって進み続けよう。
自分の力で、自分だけの新聞を作って、その新聞で文や他の天狗たちに勝とう。
そして、文を越えた先にある、私だけの世界を見つけよう。
私を導いてくれた、ムラサとぬえのためにも。
「さー、がんばろーっと!!」
決意を新たに、私は夢へ向かって、一歩足を踏み出した……。
俺ははたてと水蜜のバトル&友情成立シーンが一番好きだ。
少女の心にオッサンの身体を持つこの二人のね!
結婚すれば。
結婚するとき。
結婚するなら。
結婚しよう。