12月24日。とくれば、祝ったり歌ったり踊ったり妬んだり……あと妬んだり。
と、翌日まで続く何かと忙しいイベントがあるということは、今さら説明の必要もない。
しかし幻想郷においては、クリスマスの習慣が完全に定着しているわけではなく、その解釈も場所によって様々であったりする。
例えば、紅魔館ではジングルベルならぬジングルボーンを一同で歌い、永遠亭では兎達がケーキのかわりに大福を食べて祝っている。
人間の里でクリスマスを楽しむのは少数の帰化した外来人だけで、残りの多くはこの日から大晦日を目指して働く。
妖怪の山に至っては全くと言っていいほどクリスマスの習慣が存在せず、守矢神社が普及に努めているが、あまり進展していない様子である。
博麗神社では友人やら妖怪やらで酒盛りが行われているが、クリスマスの由来もサンタクロースについても、正しい知識を持っている者はごくわずか。
もちろん、外界でもクリスマスの祝い方は地方によって多種多様ではあるものの、日本におけるごくごく一般的、悪く言えばステレオタイプなクリスマスを祝っている世帯は、幻想郷では極めて少数派なのであった。
そんなマイノリティの一つに、結界の端に存在する、八雲一家の屋敷がある。
和風建築の外観を裏切らず、中の部屋の多くも障子と襖で分けられた和室なのだが、この日の居間だけはパーティー色。
八畳の室内を明るくするイルミネーションの他に、天井と壁を往復する色紙の輪っか飾り。もちろんクリスマスツリーのデコレーションも完備。
そんな華やかな中で、今年のイヴの晩も、陽気な歌声が鳴り響いていた。
「あわてんぼーのー♪ サンタクロースー♪」
大きな歌声で熱唱しているのは、八雲家の式の式、化け猫の橙である。
彼女の猫耳の生えた茶色い髪の上には、紅白二色のコーン型の帽子が乗っている。
テーブルにつく間もじっとしてられず、レコードから流れるクリスマスソングに合わせて、二つの尻尾を揺らしながら手拍子を混ぜて歌っていた。
いつもよりもさらに子供っぽく、むしろ時間が少々逆行してしまったかのような興奮ぶりであったが、無理もない。
毎年、主の藍とだけ唱和する聖夜の歌に、今宵はもう一つの声音が加わっていたのだから。
「ふふ、楽しそうね橙」
「はい! 紫様はいつも冬眠だったから、私とっても嬉しいです!」
「どういたしまして。頑張って起きている甲斐があるわ」
と答えるのは、紫色のイブニングドレスを着て、長い金髪にリボンをたくさんつけた、女性姿の妖怪であった。
そう。なんと今年のクリスマスは、とっくに冬眠に入っているはずのスキマ妖怪、一家の主人である八雲紫が起きているのである。
生まれて初めて三人が揃ったイヴということで、式の式は大いに浮かれているのであった。
とはいえ、浮かれているのは橙だけではない。
二人の様子をにこやかに眺める九尾の式、そして彼女が次々と運んでくる料理の皿をご覧あれ。
ぱりっとしたローストチキンに熱々のチーズフォンデュ、まろやかビーフシチューに香ばしいムニエル。揚げたてコロッケに山盛りのマッシュポテト。
ちょっとした箸休めに、豆腐の洋風サラダや冷やした野菜スティックも用意されており、甘酸っぱいフルーツゼリー等のデザートも完備。
いずれも前日から支度され、例年より奮発した豪勢なものであった。
やがてテーブルの中央に、お待ちかねの特大のケーキが置かれ、シャンパンを三つのグラスに注いでから、八雲藍は告げる。
「それじゃあ、早速ケーキを切りましょう。橙、今日は食前に甘い物を食べてもいいよ。一年に一度だけだから」
「やった!」
主の許しに、橙は拍手して喜んだ。
ショートケーキが六等分に切り分けられ、一切れずつそれぞれの皿に乗せられてから、三人は「いただきます」と手を合わせた。
ここでイエス様に祈らずに、食前の挨拶だけで済ますのが昭和の日本流である。
苺に生クリームたっぷりまぶす間、橙はケーキの飾りになっている、赤と白の帽子のお爺さんの人形を見つめて言った。
「サンタさん、今年も来てくれるかな~」
「橙はいい子にしていたから、サンタさんが二人来るかもしれないわよ」
「えっ、本当ですか紫様!」
式の式は両の輝く瞳を、隣の紫へと向ける。
だが、その反対側に座る藍は、笑みを浮かべたまま、やんわりと否定した。
「いやーどうかなー。二人は難しいんじゃないかなー」
「きっと二人よ」
「いや、一人だと思いますね」
「……あら、私も一人なような気がしてきたわ」
「ほう……」
藍は笑顔のままだ。ただし細められた狐目の端が、一瞬きらりと光った。
紫もそれまでと異なり、邪気が混じって胡散臭くなった微笑を、式に向けた状態でいる。
橙は何だか様子がおかしいことに気づき、クリーム味のフォークを舐めるのをやめて、話題を変えに走った。
「ら、藍様にはサンタさんは来ないんですか?」
「そうだね。私はもう大人だから」
「いいえ。藍は悪い子だからサンタさんが来ないのよ」
「なるほど。紫様には未来永劫縁が無いんじゃないですか?」
「おあいにく様。私はサンタさんのベストフレンドの一人よ。電話番号まで知ってるわ」
「それはきっと、サンタさんじゃなくて、一文字入れ替えた方ですね。危ないから電話かけない方がいいですよ」
表面上は睦まやかなようで、言葉の端々に毒が仕込まれている。
レコードから流れる『ジングル・ベル』が、懸命に部屋の雰囲気を浄化させようと頑張っていた。
間に挟まれた一人は首を左右に向けた後、両者が散らす火花を切るように、ケーキを大急ぎで飲み込み、
「あ、あー! 美味しかった! 藍様! 次は私、このチキンが食べたいです!」
「よしよし、今切ってあげるからね」
「藍、私にも一つお願いね」
「ええ、もちろん」
二人は元の親密な空気に戻り、橙も安心したように、鶏肉の乗った取り皿を受け取る。
そんな風にして、八雲家のクリスマスイブは賑やかに、そしてつつがなく過ぎていった。
☆☆☆
その夜、子の刻を過ぎた頃。
パーティーの後片付けを終え、洗い物を済ませ、残り物を冷蔵庫にしまい終えた藍は、自室へと入った。
掛け軸の他は和箪笥や文机くらいしか目立った備品のない、シンプルで整頓された和室である。
ただ一つ、そんな中で異様な存在が、部屋の床の中心に置かれている、子供が隠れられるほどの大きさのつづらだった。
札で封印されたそれを、藍は開き、急いで中の『服』を取り出して着替えを始めた。
数分後、明かりのない八雲邸の廊下を、九尾の妖狐が歩いていた。
ただし、その服装はいつもの白地に青の道服に非ず。
まず帽子は札の貼った獣耳型のものから、白のぼんぼりのついた赤いナイトキャップに。
同じく赤いもこもこしたズボンをベルトで締め、上着も金のボタンがついた赤いジャケット。茶色いミトンを手にはめて、背中に担ぐは巨大な袋。
まさに九尾のサンタクロース。金色の尻尾と黄金色のショートカットを除けば、完璧な変身である。
しかし、その表情は決して、平和なイブの夜にふさわしい優しき運び人とはいえなかった。
鋭く細められた目は、むしろこれから戦の地へと向かう侍のごとく、強い決意を秘めていた。
廊下の角を曲がり、ひんやりとした縁側を通って、藍は八雲家の寝室の前にたどりついた。
襖の向こうからは、愛らしい式の寝息が聞こえている。藍は呼吸の拍を数え、それがたぬき寝入りでないことを確認し、小さくうなずいた。
だが、いざ戸に手をかけようとした瞬間、それに待ったをかける気配が、新たに廊下に出現した。
「……やはり、来たのですね」
藍は慌てることなく、そちらに顔を向ける。
その先、縁側の端に立つのは、赤い帽子に同じく赤の上下の繋ぎ、くわえて体よりも大きな袋を背負って立つ女性。
金髪の長さを除けば、藍とよく似た姿の妖怪であった。
「こんばんは藍。お互い、なかなか愉快な格好よね」
言うまでもなく、それはサンタのコスプレをした八雲紫であった。
親愛なる主を前にして、藍は警戒を解かない。
互いがここにいる目的は、至って明白なのだから。
「紫様。僭越ながら八雲藍、ここで引くつもりはありませんよ。橙のサンタは、私です」
敬愛する主人に対し、藍は断固たる姿勢を貫いた。
この向こうで眠る式にプレゼントを渡す、八雲家のサンタクロースの権利を守るために。
しかし、予想に反して、紫は強硬手段を取ろうとせず、悲しげによよよと顔を覆う。
「くすん、藍……橙はそろそろ、サンタさんの本当の意味を知ろうとする年頃よ。今年は彼女にとって、最後のプレゼントとなるかもしれない。ならばせめて、私に最後の機会を譲ってくれない? せっかく冬眠を我慢して起きている主に、あんまりな仕打ちだと思わないかしら」
「むむむ……」
そう言われると、藍としても弱い。実際食卓でのやり取りは、我ながら意地悪だったかと思っていたし。
それにこれまでクリスマスの夜にて、サンタに化ける機会に困らなかった自分と違い、主の方は本当に初めての機会なのである。
だが藍にもまた、譲れぬ言い分があった。
「紫様。私は橙のサンタクロースとして、あることを心がけていることを、ご存知でしょうか」
紫サンタは嘘泣きを止めて、無言で話の続きを促してきた。
「主と式は、以心伝心であるからこそ、比類なき力を発揮できる。それが我々の真価です。私と貴方もそういう関係でありたいと思っているし、橙に対しても変わりません。彼女が望むプレゼントを、私はこれまで毎年、全て正答してきました。彼女に直接聞かず、靴下の中に託した願い事を、決して見ることなく」
「………………」
「おわかりですか。これは私にとって、単なるイベントではありません。橙と自分の信頼の強さを確かめ、明日へと繋げるための大事な儀式。これを続けることこそが、私にとっての修行であり、生き甲斐でもあるのです。これほどの覚悟が貴方におありですか。そうでなければ、この役目を譲ることなど、とてもとても……」
藍はかぶりを振って、堂々たる演説を締めくくった。
しかし、主は半眼で抜け目なく指摘してくる。
「その割には、貴方の背負った袋が大きすぎるような気がするけど」
「ぎく」
「要するに、可能性のあるものを全て用意してるんでしょう。毎年それをやってるんだとしたら、親バカにも程があるわね」
「ちゃ、ちゃんと十個までって制限してます!」
藍は膨れあがった袋を抱えて言い訳する。
だって仕方がないんです。万が一外したなんてことがあったら、橙をがっかりさせてしまうなんてことがあったら、ショックでしばらく立ち直れそうにありません。
といった情けない言い訳が、ついつい口をついて出た。
それに、
「そういう紫様の袋こそ、私のよりずっと大きいじゃないですか!」
「当然よ。私が用意したプレゼントは三十」
「なっ!? 三十ですと!?」
「つまり、至極単純な計算でいうなら、貴方の三倍の可能性を秘めているということ」
「くっ、卑怯な」
「五十歩百歩と言ってほしいわね。まぁ私は貴方の個人的なルールなんて守る必要ないわけだけど」
紫はそう言いながら、おもむろに巨大な袋の口を開けて、中に手を入れる。
藍はそれを見て怯んだ。何しろ外界の最新の電子『式』を太陽系の端から端まで並列させても、八雲紫にとってはソロバンと大差ない。
その計算力が橙のプレゼントの算出に使われたとすれば、いくら過ごした時間に差があっても……。
「見てみなさい。これはシーマンの剥製でしょ? これはヒョウタンツギの化石でしょ。空飛ぶスパゲッティ・モンスターの油絵に、黄金のンガベ像……」
「あんた、私の式をなんだと思ってるんですか」
「え? 何かおかしい?」
「そんなもん橙がほしがるわけないでしょう! ゴミですよ全部! ゴミ!」
「ゴミだなんて失礼ね。これにはみんな秘密があるのよ。ほら、暗闇で目が光るの」
「一斉に光らせないでください! 不気味すぎますから!」
廊下に出現する無数の眼光に、藍は悲鳴混じりで抗議する。
ついでに主の目まで光っていた。非常に怖い。
「あまり大きな声を出すと、橙が起きるわよ」
「なっ、誰のせいだと思って……」
「とにかく、ここで争ってるのも不毛な話よね。どちらが橙のサンタクロースにふさわしいか決着をつけようじゃないの」
「いいですとも。種目はなんですか? 煙突登り? カラオケ? それともツリーの飾り付けですか?」
「わざわざそんなサンタクロース選手権のようなことやる必要ないわ。審判は襖の向こうで待機してるじゃない」
紫は親指を寝室の方に向けながら言う。
無論その奥に眠っているのは、プレゼントを受け取る側の、化け猫の式である。
「お互い保険なんてやめて、本命のカードを出し合いましょう、藍。橙が今年のクリスマスに求めた品物と、用意したプレゼントが一致した方が、サンタさんにふさわしい。これなら明快でしょ」
「確かに明快ですね。しかし無謀とも言わせていただきますよ。人面魚やら宇宙人やらをいくら束にしようと、橙の望みには届きません」
「…………またたび栽培セット」
はっとして、藍は息を呑みかけた。
紫の眼光が細くなり、口元に湛えた妖しい笑みが深くなる。
「もう一度言うわ。またたび栽培セット。私はそれを本命に推す」
一流のポーカープレイヤーのような淀みのない口調で、彼女は再度告げてくる。
またたび。木天蓼と書くその蔓性の植物は、古来よりネコ科の生き物の大好物として知られている。
虫の居所が悪いどら猫でも、これを与えれば効果覿面。酔っぱらって寝転がって恍惚とした表情を浮かべる魔性の木である。
無論、八雲の式の式も元は化け猫。またたびは大好物で、与えれば喜んで寄ってくるのだが、近頃の彼女はそれよりも一歩進んだステージを目指していた。
すなわち、自分でまたたびを育成して、配下のネコ達にプレゼントしたいと公言していたのである。
「さすがですね紫様……それを見逃さなかったとは」
「貴方の本命は私と同じなのかしら」
「いえ、それは私の第二候補でした。私はこれを本命に」
藍が取り出したのは、巻物と呪符の束だった。
「へぇ……」と紫は愉快そうに呟く。符の枚数を数えずとも、それが何なのか察したのだろう。
「十二神将下ろしの術式。今の橙よりも一段、いや二段くらい上のレベルかしら。いかにも教育者の貴方らしいプレゼントね」
「お言葉を返すようですが、近頃の橙の成長はめざましく、決してこれは無理なレベルではありません。それ以上に、あやつは新たな術を吸収して自分のものにしようと日々張り切っています。橙が次に何かを目指すとすれば、ここにたどりつく。紫様もそう計算したのでは?」
「そうね。私もそれが第二候補だった。見つけ出したのは同じ物。選んだのは互いに別の物。面白くないかしら、藍」
二人のサンタの眼光が、廊下で火花を散らした。
夕食の場の再来だが、それを諫める役であるはずの式の式は、今は眠っている。
というわけで、二人は橙の願ったプレゼントを確かめることとなった。
部屋に忍んで近づいてみると、式の式は布団に顔の下半分までくるまって目を閉じ、規則正しい寝息を立てている。
彼女の寝顔はいつ見ても、幻想郷の平和の象徴が安息しているような、そんな見る者を和やかにする不思議な優しさがあった。
枕元には靴下が一つ置いてあり、その中から、小さなメッセージカードがはみ出ていた。
「……妙ね。柄にもなく緊張してきたみたい」
「そうですね……私もこんな心境でサンタクロースを演じたのは初めてです」
主の発言に、藍もうなずく。これまでもプレゼントが正答しているかどうかで緊張はしたものの、サンタの座をかけるような試練は経験しなかった。
果たして、どちらが式の式のことを理解しているのか。今からそれが明らかになる。
心臓を鳴らす大妖怪が二人。しかし布団に抱かれて眠る天使は、無意識の中で審判を下すのだ。あっけなく、残酷に。
「ちなみに紫様。二人とも本命が外れていた場合はどうしましょう」
「貴方は三番目の候補は何にしたのかしら?」
「ええと、旧式のコンパクトカメラです。最近、天狗の写真にも興味がありそうだったので」
「あ、それは私もよ。あんたは四番目のンガベさんの像にしなさい」
「誰がそんなの四番目にしますかっ。紫様の方こそンガベさんの像を三番目にして、いさぎよく敗北を認めてください」
「とりあえず、彼女のメッセージを見てみましょうか」
「あ、こら。それを見るのも私の役目で……」
「……っくしゅん!」
と、寝ている存在がくしゃみをし、藍はびっくりして硬直する。
うっかり興奮して、尻尾の一つが式の顔の辺りをくすぐっていたことに気付いていなかったのだ。
「あっ」
その隙に、紫サンタは橙のカードを素早く手に取る。
痛恨の念を抱く藍だったが、主の不敵な笑みが消え、強張る様を目にし、小さく拳を握って「よっしゃ」と呟いた。
ここが寝室でもなければ勝利の歌まで披露したいところだ。
「ふっふっふ。術式用の道具の方だったんですね。そうでしょう? やはりいかなる存在も、例え紫様といえども、私と橙の絆を上回ることは……」
と小声ではしゃぐ藍の顔に、紫は無表情でカードを突きつけてくる。
そこには、橙の可愛らしい筆致で、プレゼントの名が記されていた。
『えばよん』
そう書かれていた。
「…………? …………?? …………!? ………………!!」
藍の笑みが引きつった。
頭の中でファンファーレを鳴らしていた楽団が、指揮者の合図で演奏をやめて解散していく。
フリーズしていた九尾の式の思考が再起動を始めたのは、主がひらひらと目の前で手を振って、鼻をつまんできてからであった。
「…………えばよん?」
鼻声で藍は呟いた後、急いで主の手を振り払い、自分の袋の中身を確認した。
術式が書かれた巻物と十二枚の呪符、またたび栽培セット、コンパクトカメラ、シュノーケルと水かきのセット、新しい手編みのマフラーと手袋と帽子。
そして……そして……。
「…………無い」
無かった。
用意した十個のプレゼントの中に、一つも『えばよん』になり得る物は存在しなかった。
主の方に視線だけで聞いてみる。ライバルのサンタクロースは、袋の大口を開けてため息をつき、肩をすくめて見せた。
「……私も用意してないわ」
「………………」
こうして、藍の連続正解記録はストップし、紫とのサンタ対決も、両者失格ドローという予期せぬ結果に終わったのであった。
立ちすくむ二人に敗北の烙印を押しつけた張本人は、相変わらず健やかな寝息を立てていた。
☆☆☆
「えばよん……えばよん……」
部屋から縁側に戻った藍は、袋を引きずりながら、譫言のようにその単語を繰り返していた。
隣には同じく、敗北を喫した紫もいる。
サンタの格好をした幻想郷の賢者は、式ほどダメージを受けた様子はないものの、やはり式の式の望んだプレゼントに驚愕しているようだった。
「……さすがにこれは予想できなかったわ。私の計算を上回るなんて、将来が楽しみね」
「……私は逆に、将来が不安になってきました」
しおしお、と藍サンタは空気が抜けるようにうなだれてしまった。
頭の中では、悲しいポエムが流れている。
えばよん 作:八雲藍
嗚呼 橙 愛しき子 お前は本当に橙なのか
なるほどお前は橙だろう そして私の式だろう
初めて出会ったその日より 今日まで過ごした幾星霜 雨の日風の日雪の日も 絶えず信頼してくれた
なのに何故、何故なんだ 去年の冬から一言も 私に話してくれないで きよしこの夜枕元 たったの一語で『えばよん』と
えばよんえばよん何者だ 私の橙に何をした しかしそれが願い事 彼女の望むプレゼント
でもでもいくら私めが 九尾の妖狐の主人でも 袋の中には見つからず えばよんえばよん今何処
ず~ん、と落ち込む式の肩を、主がぽん、と叩く。
「こんなことで意気消沈してたら、主なんてやってられないわよ」
「それは分かってますが……」
「私なんて、誰かさんが昔短冊に書いた『油揚げ王国』についてどうしたもんだか凄く悩んだもの」
「それは忘れてください」
藍はジト目で紫を見上げて言った。
どうしてこう、育ての親というのは当人の恥ずかしい過去をいつまでも覚えているのだろうか。
幻想郷の歴史だけじゃなく、九尾の式の歴史も大量に預かるサンタクロースは問う。
「藍。一応確かめておくけど、貴方は『えばよん』に心当たりがないのね?」
「はい。全くありません」
「そう言って油断させておいて、私の見ていない間に、『えばよん』をそっと橙の枕元に用意したりするんじゃないでしょうね?」
「ありえませんっ!」
きっぱりと藍は答える。
大体『えばよん』とは一体何なのか。何か響きからして、ブヨブヨしたスライム状の地球外生命体を思わせる名前だ。
そんな得体の知れぬものを橙の枕元に置くことを、絶対に許すはずがない。あ、でも橙が求めたんだった。いやそれでも許さない。
まだ混乱している頭を抱えつつ、藍はその心境を紫に伝えた。
「ほんのわずかにすら予想していませんでした。橙は自分が欲しい物は、聞かずとも口にせずにはいられない性格です。今年は、いえ、今まで一緒に過ごしてきて、一度も『えばよん』のことについて話題にしなかったのに、どうして……」
「何かの暗号か造語……にしても意味不明ね。橙の好物から逆算しても見当がつかない。本人に聞いてみるのが一番だけど、それは私達の敗北を意味する」
「くっ……」
藍は歯ぎしりをして悔やんだ。かつて、これほど苦い思いを味わったクリスマスがあっただろうか。
もちろん敗北なんて認めたくない。『えばよん』なんて許したくない。しかし式の願いを当てられない主のプライドに、果たしてどれほどの価値があるというのか。
悩む二人の元に、部屋の奥から寝言が聞こえてきた。
「むにゃむにゃ……サンタさん……来てくれた……」
思わず藍はそちらを向き、情けない思いで鼻をすする。
同じく見つめる紫は、ため息混じりに、
「どうやら橙は今、夢の中でサンタクロースに会っているようね」
「ええ……ですが私達は、彼女の理想のサンタになれませんでした。えばよんを用意することができず……」
とそこで、藍の頭にあるアイディアが浮かんだ。
「紫様。確か遙か以前、私が悪夢に悩まされているとき、うなされる私の夢に入ってきて、助けてくれたことがありましたよね」
「あらまぁ懐かしい。そうね。藍がまだこれくらい小さい時だったかしら」
「そうですそうです。あの時紫様は……」
「私が古今怪談百物語を無理矢理聞かせた晩に、貴方が泣きながら眠るのが嫌ですって駄々こねて……」
「そういう細かい思い出はどうでもいいんですってば! 今それを用いれば、橙の『えばよん』の秘密がわかるのではないでしょうか?」
式の藁にもすがるような発想に、紫は成る程と手を打った。
「その手があったか。しばらく使ってなかったから気付かなかったわ」
「では今こそもう一度、その力をお貸しください。お願いします」
「けどあれは用い方を誤れば、術者にも被術者にも後遺症を残すことのある危ない術でもあるのよ。だから貴方は……」
「心得ております。紫様の指示に従い、一切余計な行動は取りません。えばよんの正体を見極め次第、すぐに引き返す所存です。だから、私もぜひ一緒に」
「そう……ならば来なさい」
藍は主に連れられて、再び寝室へと戻った。
彼女は橙の枕元に立つなり、小さく呪文を唱えながら、空中に術式を編んでいく。
しばらくして、柏手が打たれると、側で聞いていた藍は意識が急激に朦朧としていく感覚を抱いた。
それはまるで、一瞬でとろけた全身がひょうたんの中に吸い込まれていくようで……。
☆☆☆
「ここが……橙の夢の中ですか」
覚醒した藍は頭を振って、周囲を確認した。
晴れ渡った青空の下、雪原と森林が縄張りを分けてうねっているような、どこかの丘陵地帯である。
日頃から結界を管理する藍は、幻想郷の地理にも精通しているので、何処に運ばれても大体の位置を把握することができる。
しかし、そこは幻想郷と似ているようで、まるで異なった世界であった。
まず、季節は冬のようだが太陽の位置が高すぎる。林の木々に積もった雪の形も不規則でおかしい。雲の流れも一方向ではないし、そもそも空の色がグラデーションになってない。
続いて空気のにおいを嗅いでいると、主が忠告してきた。
「迂闊に触ったり、何かに話しかけたりしてはダメよ。橙の人格にまで影響を及ぼすかもしれないわ。気を引き締めなさいね」
「はい……ってちょっと待ってください」
藍は自分の格好を見下ろして言った。
「なんで私も紫様も、夢の中までサンタの格好なんですか。これじゃ気が引き締まりませんよ」
「あら、いいじゃない。橙の夢の中で、もし偽の私達や橙本人に出会った時も、言い訳が聞くでしょ」
「なるほど」
「まずは橙の自我を見つけないといけないわ。この夢を体験している主格の橙ね。気配からすると……」
主が探し当てるよりも先に、藍は自らが打った式に導かれるように首を回す。
「あの妖怪の山……の麓のようですね。急ぎましょう」
「ええ」
二人は『えばよん』の答えを手に入れるため、目的地の方角へと――蒼天の下にそびえ立つ山へと足を向けた。
☆☆☆
止まって見回すだけでもへんてこであったが、移動を始めるとその世界はいよいよ奇妙に映った。
まず、雪景色なのにちっとも寒くないのだ。そして妖怪や妖精よりも、小さな動物の方が目立つ。
その動物も見たことがあるようでない種類で、頭上の鳥も聞いたこともない声で鳴きながら飛んでいる。
もし自分達も空を飛んで見渡せば、色々と現実世界との誤差を発見できたに違いない。こうして雪で覆われた丘陵を歩く間も、十分すぎるほど異質な感覚に襲われるのだから。
藍はそのことについて、専門家に話を振ってみた。
「急いでいるというのに、どうして飛んでいかないのですか?」
「これもなるべく世界に刺激を与えぬための工夫よ。急がば回れ。ここでは歩きが一番」
「なんだか冬にしては寒くないし、この時期の幻想郷よりも騒がしいですよね」
「そうねぇ。いかにも橙の幻想郷らしいわね」
藍の前を行くサンタ服の主は、どことなくこの世界の散歩を楽しんでいるようである。
そして彼女の言うとおり、これが橙の夢であることを念頭に置くと、確かに理解の助けになった。
例えば、雪で覆われた地面が踏むと柔らかくて温かいのは、この夢を見ている橙が布団にくるまっているからだろう、とか。
右手に広がる森の中で雑多な動物達が駆け回っているのは、他者のテリトリーをあまり気にしない橙の性格が表れているのだろう、とか。
なんだか、橙の描いた風景画や作ったアトラクションを採点しているような気分である。
そんな風に、藍が興味深く式の夢を考察していると、主が唐突に移動を止めた。
「紫様?」
「静かに。何かが近づいてくるわ」
その忠告が終わらぬ内に、藍もすでに察知していた。
何か大きな草食獣のような気配が、丘の向こうからこちらに接近してくるのだ。
やがて、その気配の主が、のっそりと姿を見せた。
それは、
「…………えっ?」
藍は小さく声を漏らした後、絶句した。
丘の上から下りてくるのは、身長二メートルは優に超える……変な生き物だった。
青と白の道服を着ているのだが、中身のパーツの一つ一つが大きく丸っこい。
特に背中に生えたふさふさの尻尾は、サイズを豪快に間違えたイソギンチャクのごとき迫力である。
つまりまとめるなら、それは九本の黄色い尻尾を持った謎の太った生物であった。
「もっふ♪ もっふ♪」
それがジョギングの掛け声であるかのように、ぶくぶくした二足歩行の狐のような動物は、スキップしつつ二人の前方を横切っていく。
サンタ姿の藍は、顎が外れんばかりに口を開いて呆然としていた。
だが、横からプークスクスと耳障りな笑い声が聞こえたので、ギロリとそちらを睨む。
「紫様、あんなの見て笑わないでください」
「だ、だって、あれが橙のイメージする貴方だと考えたら、おかしくて……」
「あれは断じて私じゃありません! これはきっと橙の悪夢です!」
「まぁ、無意識だから多少デフォルメされていてもおかしくないしね。でも、いさぎよく認めた方がいいわよ。格好悪いけど」
「ぐぐぐ、格好悪くて悪かったですね。あとで橙に格好いい所を見せて、イメージを修正しておかないと」
「あら、向こうからも何か来るわね」
と、主は憤慨する式を放っておいて、額に手をかざした。
デフォルメされた藍が出てきたのとは反対側の森から、これまた妙な生き物が出てきた。
「………………」
それは端的に言うなら、歌いながら移動する女性型のUFOだった。
もう少し正確に表現すると、魔法の絨毯と化した布団にくるまり、水平に移動する金髪の女性だった。
ふよふよと移動する彼女の周囲には、リボンのついた空間の裂け目が出たり消えたりしている。
「ほほほほほー♪ ほほほほほー♪ ほほほほほほほほほほほほほー♪」
トルコ行進曲で発声練習をしながらのろのろと移動する彼女は、やはり人というより妖怪、妖怪というより変なUFOに見えた。
これを目の当たりにして、紫サンタは仏頂面になっていたが、横からプークスクスと聞こえてきたので、そちらをきつく睨む。
「……藍。まさかアレが私だと勘違いしてるんじゃないでしょうね」
「だ、だ、だってあれはどう見ても紫様ですよ。冬は寝ているばかりだから、きっと橙の中ではあんな姿に……くくく……痛っ!?」
「生意気な式ね。橙の夢の中だからってお仕置きができないわけじゃないのよ。このっこのっ!」
「そ、そっちだって私のこと笑ったじゃないですか! やめてください! くぬっ、くぬっ!」
「まっまぁ、反抗する気なのね。いい度胸してるわね。起きたらあんなデブ姿に変えてやるわ!」
みっともなく取っ組み合う二人に、ひときわ大きな笑い声が聞こえてきた。
橙の夢の住人である藍(?)と紫(?)が、雪原の上で腕組みし、仲良く踊っているではないか。
「もっふ♪ もっふ♪ もっふっふ♪」
「ほっほっほっほっほっほ♪」
「私と紫様はー♪」
「私と藍はー♪」
「「いつも仲良しー♪」」
互いにハモりながらダンスする変な生き物が二人。
常識や真剣味が残らず粉砕される光景ではあったが、問題はこれが式の式が見ている夢の中の出来事であり、それが何を意味するのか、ということである。
藍と紫は、互いにつかみ合っていたサンタ服から、そっと手を外した。
「……行きましょうか」
「……はい」
二人は極めて微妙な心情を抱え、赤面しつつ、その場を後にした。
☆☆☆
やがて丘陵地帯を越えると、長くなだらかな下り坂に入った。
眼下には幻想郷ではお目にかかれない、外界のアルプス地方のような絶景が広がっている。
なぜか二つに分かれた妖怪の山。それにくっついて低い山脈ができており、それらが箱庭を作るようにして、湖のある盆地を形成しているのだ。
白く霞んだあの湖は、小さくなった霧の湖なのかもしれない。
その上には光の方向を無視して、虹がたくさん架けられており、側には紅い西洋屋敷ではなくて、クレヨンで描いたような可愛いお城が建っていた。
そして、雪で覆われた大地を動くカラフルな影は、自由気ままに遊ぶたくさんの猫達だった。
にゃあにゃあにゃあにゃあ。まるで幻想郷中からかき集めてきたかのような賑やかさだ。
しかも湖に近づくにつれてその数は増えるので、藍はサンタ服に飛び付かれないように注意して進まなければならなかった。
「いたわね」
ようやく湖の岸辺まで来て、紫が指でさし示す。その方向に、藍もよく知る姿があった。
この冬景色に不釣り合いな赤いスカートの洋服姿。おなじみの緑の帽子もかぶった、化け猫の式、橙である。
そして彼女の側には、まさに絵本からそのまま飛び出してきたかのような、白ひげのお爺さん、サンタクロースがいた。
「あ、何か受け取っていますね。あれがひょっとして……!」
「そうね。おそらくは……。近づいて見てみましょうか」
二人は早速岸を回って、彼女達の元まで辿り着いた。
橙は受け取ったプレゼントを抱えて、跳ね回っている。
「わーいサンタさんありがとう!」
尻尾をスクリューのように回して喜びを表現するのは、彼女が特に嬉しい時にする仕草である。
それだけに、藍はその光景に眉をひそめる他なかった。
なぜなら、
「あれが……えばよん?」
橙が嬉しそうに持っているそれ、サンタクロースのプレゼントは、薄もやの塊にしか見えなかったのである。
色もはっきりしないし、形もなんだか定まらず、かといって生き物のようでもない。
自分達が用意したプレゼントと比べて、橙が欲しがりそうな一品には到底見えなかった。
紫の方に視線で聞くと、彼女は半分予想済み、半分期待はずれくらいの微妙な顔つきで告げてくる。
「おそらく、そんな所じゃないだろうか、と思ったけど……」
「紫様。あれは一体どういうことでしょうか」
「つまりこの光景が意味するのは、『えばよん』について、橙自身も具体的なイメージを持ってない、それが何なのかを知らないということなのよ」
「知らない? いやしかし、橙は実際それをカードに書いて願ったわけですし、今もああして喜んでいるじゃないですか」
「ただただ素晴らしい物だと頭で認識しているからこそ、喜ぶ反応を見せているだけ。観念的な夢の世界ならではの現象ね。ここでは喜怒哀楽を表すのに、複雑なプロセスなんて必要ない。いいものだと認識すれば、いいものになる。例えそれが正体不明でもね」
「……ということは、橙は自分も知らないけど、なんとなく素晴らしいと思っているものを、サンタさんに望んでいたということですか」
それはいくら藍でも、予想できるはずがない。
即興で創ったなぞなぞの答えを、ずるして即興で作った名詞で埋めるようなものである。
何だか引っかけられた気分だったが、橙の日頃のサインを見落としていたわけではなかったことを知って、少しホッとしてもいた。
「しかし、なぜ橙はそんなことをしたのでしょうか」
「本人に聞いてみればいいわ」
というわけで、二人は彼女の事情聴取のため、もっと近づいてみた。
跳ねていた橙はこちらに気付き、目をまん丸にして動きを止める。
「……えっ!? 嘘! サンタさんが二人も増えた!」
「や、やぁ橙。実は私達は今、お前の夢のな……ごふっ!?」
「そうよ。私達もサンタクロースなの。橙がいい子にしているから、三人もサンタさんが来たということね」
「すごーい! やったー!」
万歳してから手を鳴らす橙と、にこやかに祝福を受ける紫サンタ。
一方、話の途中で肘鉄を食らった式は、恨めしげに主の方を見る。
(ゆ、紫様、何するんです)
(おバカ。ここで本当の事情を話したって、夢の中の橙を混乱させて悪影響なだけよ。それに理解してくれたとしても、サンタさんの夢はぶちこわし。起きた時に何もかも台無しになるかもしれないでしょう。あくまで夢の登場人物になりきるのよ。理解した?)
(……失礼しました)
藍は渋々ながら咳払いをして、主にならい、夢の中に現れたサンタの一人を演じることに徹した。
橙は二人の正体を全く疑おうとせず、興味津々の口調で話しかけてくる。
「わぁ……サンタさんって一人じゃなかったんだ。私、ずっと一人だと思ってて、チルノとそれで喧嘩したこともあるの」
「そうよ。サンタさんは一人じゃないのよ。一人で世界中を旅すると大変でしょう?」
「そっかー。サンタさんには一人一人お名前があるんですか?」
「あるわよ。私はサンタ・ヴァイオレット。一番働き者で一番人気のあるサンタさんよ」
「すごい! 女の人なのに!」
「ちなみに私はサンタ・フォックス。働き者チャンピオンで、人気においても頂点に立つサンタさんだ」
「え、えーと……つまりどっちが一番なんですか?」
「私よ」
「私さ」
互いに腰をぶつけ合いながら、保護者二人は式の前で、醜い意地の張り合いをした。
「ただし橙。私達サンタクロース協会は、とても困っているの。貴方の頼んだプレゼントが不明瞭だったから」
「え? 私は……えばよんをお願いしました」
むぅ、と藍は小さく唸った。改めて式の口から直接そのフレーズを聞くと、まことに奇妙な感覚に襲われる。
すぐにそれが何であるかを問いただしたい所であったが、それよりも先に主の方が的確な質問をしていく。
「橙、えばよんは本当に貴方が欲しかったプレゼントなのかしら?」
「えっ……そ、そうです」
「もしそれが嘘ならば、私達の方からプレゼントをあげることはできないわ。なぜなら、嘘をつく子供にはサンタさんは現れない」
「ほ、本当に欲しかったプレゼントです! 私のお願いじゃないけれど……」
「貴方のではない? じゃあ誰のお願いだったの?」
「レティです。チルノから聞いたんです、えばよんがレティに必要なんだって」
全く意外な名前が出てきたことに、藍は面食らった。
チルノは橙のお友達の妖精であり、レティもお友達……ただし彼女は冬にだけ現れる冬妖怪であると聞いている。
紫が続きを促すと、橙は一生懸命説明し始めた。
「昔からレティは、それをお願いしていたそうなんです。でもレティにはサンタさんが来ないから、だから私達がえばよんを頼めば、レティにプレゼントできるかもって。昨日チルノと会った時に相談されて……」
「そういうことだったのか……」
事情を聞いて、藍は納得した。
つまり橙はそれまでの予定を変更し、友達のために自分の権利を行使して、彼女の願いを実現させようとしていたのだ。
『えばよん』がレティにとって何を意味するのかは分からないが、サンタさんならきっと知っているはずだと橙は思っていたのだろう。
突然、紫がパチンと指を鳴らすと、側にいた幻想のサンタクロースが、何か忘れ物を思い出したかのように跳び上がった。
そして、大慌てで橙の『えばよん』を取り上げ、トナカイの引くそりに乗って、空へと消えて行ってしまった。
驚き呆れて見送る橙に、彼女は弁解する。
「橙。心配しないで。貴方が頼んだ『えばよん』は、今無事にレティに届けたわ」
「ほ、本当ですか? サンタさん」
「ええ。だから貴方は、貴方が本当に欲しいプレゼントを、この場で私達に伝えてちょうだい」
「え、えっと……二つあって、どっちにしようか迷ってて、最後まで決められなくて……」
「二つ? 何と何かしら」
「新しい術の練習道具と、元気に育つまたたびの種です」
彼女の答えに、会心の笑みを浮かべたのは、紫だけではなかった。
藍は腕を伸ばし、分厚い手袋越しに式の頭を撫でながら、
「大丈夫。橙はいい子にしていたから、私達二人のサンタさんが来たんだ。きっとプレゼントは二つとも手に入るよ」
「本当ですか!? ず、ずるくないですか!?」
「うん、ずるくないさ。だから安心してお眠り……じゃなかった、ここでお遊び」
「わーい! やったー! チルノにも後で知らせなきゃ!」
再びはしゃいで喜ぶ彼女は、やがて二人に向かってお辞儀して、
「サンタさん、ありがとうございます!」
「どういたしまして。じゃあ私達はこれで帰るわね。プレゼントはきっと、貴方の枕元にあるわ」
「楽しみにしてます! でも、それよりも、サンタさんに会えて凄く嬉しかったです! プレゼントよりも嬉しいかも!」
「……橙」
その発言を意外に思い、藍は彼女に聞いた。
「橙、橙はそんなにサンタさんに会いたかったの?」
「はい! 本当はそれだけじゃなくて……」
周囲の光景が霞んでいき、式の式の色も薄くなっていく。
二人に向かって大きく手を振る彼女は、最後の藍の質問に答えた。
「私、サンタさんは藍様と紫様みたいな人だったらいいな、って思ってたから!」
☆☆☆
気がつくと、藍の意識は八雲の屋敷の寝室に戻ってきていた。
側にはすやすやと眠っている橙、その枕元に座っているサンタ姿の紫がいる。
彼女はしばらく式の式の寝顔を見つめてから、ちょっと残念そうに言った。
「この分だと、来年の橙には気付かれちゃうかもしれないわね」
「そうですね」
藍は苦笑して同意する。
しかし不思議と悪い気分ではなかった。
もちろん多少寂しい気持ちも残っていたが、最後に受け取った式のメッセージは、そんな気持ちを吹き飛ばしてくれるエネルギーが込められていた。
サンタクロースにとっては、何よりのご褒美である。
「それにしても、夢の中でも橙はいい子なのね。サンタの座は譲らないって強情張ってた誰かとは大違い」
「最後はちゃんと譲ってあげたじゃないですか、半分だけ」
「最初からそうしなさいって言ってるの。もう、生意気なんだから」
主の手袋が自分の帽子をこねくり回すのを、式は甘んじて受け入れる。
揺れ動く頭の中で、ふと藍は最後に残った疑問を思い浮かべた。
「しかし『えばよん』とは結局何だったんでしょうか」
「あら、貴方は分からなかったの?」
「全く分かりませんが……え、じゃあひょっとして、紫様は分かったんですか?」
さすがに驚いて、藍は主の横顔をまじまじと見つめる。
彼女は手袋を顎に当てて「んー」と考え、次いで縁側の向こうの庭に目をやった。
「……そうね。まだ起きていられそうだし。じゃあ藍。プレゼントをここに置いて、二人で出かけるわよ」
「出かける? どこへですか」
「それはもちろん……」
主が指を鳴らすと、薄暗い部屋の中に、スキマが開いた。
「えばよんの答えを知りに、よ」
☆☆☆
サンタ姿のまま、スキマ空間を抜けると、そこは銀世界だった。
幻想郷の中心部にある、霧の湖の周辺の林である。今の時間帯は霧が晴れているために、雪がくまなく積もった向こう岸までよく見渡せた。
夜空は雲一つなく澄み渡り、凍りついたような弓張り月が浮かんでいる。
つい先程までぽかぽかした暖冬世界を体験していたためか、頬に染みる寒気や耳が痛くなるような静かな世界が、やけに新鮮だった。
そういえば、主と雪景色を見たのは久しぶりだな、と藍は思う。
最後に二人で真冬を過ごしたのは、遙か昔、幻想郷がまだ今ほど形をなしていなかった頃……。
「藍、あれが目的の場所よ」
主の声を聞き、藍は我に返って、林の方に顔を向けた。
その先にあるのは、雪が降り積もった、木造の一軒家であった。
家といっても、雪林の中にちょうど上手く隠れていて、星明かりが無ければ樹氷か何かではないかと錯覚してしまう建物である。
主と共に、その一軒家の近くまで飛んでいくと、二人に反応したかのように屋根の上の雪が落ち、扉が開いた。
中から、寝間着姿の妖怪が出てくる。
「こんばんは。夜分に失礼しますわ」
「……ふぁ……こんばんは」
紫の挨拶に答えた彼女は、この寒空の下でもまるで平気な様子であった。いや、むしろ彼女が近づいてくることで、周囲の気温が明らかに下がった。
薄紫のふんわりした髪、それに白い寝間着とナイトキャップ。のんびりおっとりした声音と歩調だが、寒色系で服装をまとめているのが印象的である。
藍は彼女こそが冬妖怪、今回のちょっとした騒動の元となった、レティ・ホワイトロックであると見当をつけた。
橙から名前を耳にしたことは何度もあったものの、実際に会ったのはこれが初めてであり、そして他のお友達であるチルノやリグルと比べて、少し雰囲気が異なっているように見える。どちらかというと大人びていて、すぐには底が見通せない風格があり、なんとなく、白玉楼に住む亡霊嬢に近いタイプな気がした。
「一体こんな時間に何の御用かしら~」
「聞きたいことがあったの。えばよんの秘密について」
「えばよん?」
彼女はそれを聞いて、瞼をこするのを止め、たった今目が覚めたかのように二人の顔を見比べる。
そして、「ふふふ~」と得心したような、柔和な笑みを作った。
「なるほどね~。橙もチルノにそそのかされていたってことかしら~」
「話は橙から聞いたわ。『えばよん』というのは、元は貴方の願い事だったとか」
「そうだけど、あれは私がチルノを誤魔化すために作った造語よ~」
「造語?」
と、藍は眉根を寄せて聞いた。
レティはこちらに笑みを向け、小さくうなずく。
「そう。造語でもあり、隠語でもあるわ。クリスマスには毎年同じ事を願うことにしているの。チルノに見つかって、それを誤魔化そうとしたのが運の尽きね~」
「では、『えばよん』とは元は何だったのか、お聞かせ願いたい」
「単純な願い事よ~」
彼女は両腕を左右に伸ばし、白い手を広げながら、世界を包み込むように答えた。
「Everyone。Everyone in my life。それが冬妖怪である私が、毎年願うプレゼント」
☆☆☆
「エブリワン。『あらゆる者』を意味する単語を、でたらめに読んで『エバヨン』。……ね? 分かってみれば、単純な謎だったでしょ」
「はぁ」
藍は再び夢の中に迷い込んだ気分で、主の後についていく。
レティ・ホワイトロックと別れて、あとは家に帰るだけなはずなのだが、「ちょっと散歩しましょ」ということで、二人で湖の側を歩いているところである。
この時期この時間の霧の湖は、四季を通じて一番の眺めかもしれない。凍った湖面が月明かりを受け、岸辺の雪原を神秘的な銀に光らせている。
しかし藍は、そんな荘厳な風景を味わう一方で、先ほど冬妖怪から聞いた答えについても考えを巡らせていた。
『私も結構昔からここに住んでるけどね~。冬になって目覚めると、毎年誰かを失ってることに気がつくの。妖怪だったり妖精だったり、虫や獣や樹木。そして失った分、新しい仲間もまた継ぎ足されていく、その繰り返し。たまに一人になって考えると、何だかしんみりしちゃうのよ。適わぬ願いだとわかってるけど、いっそ今まで出会い、これから出会うであろう全員が、一度に揃えばって思うの~』
『……………………』
『橙達は私の一生の中でも、特に長続きしている関係だから、せめて冬に起きている時に別れが訪れてほしいわね~。でも今の所はそんなことを考えずとも、毎年あの子達は会いに来てくれる。だから私にとっては、橙達がサンタクロースみたいなものなのよね~』
まるで屈託なく笑う彼女は、冬妖怪の宿命をさして辛そうに思ってる風には見えなかった。
それが天然なのか強がりなのか、はたまた達観なのかまでは判然としない。
しかし話を聞くうちに、藍がふと思ったのは、別の存在のことであった。レティと別れてから、ずっと楽しげに微笑んでばかりの、もう一人の妖怪。
――貴方もまた……同じ気持ちで毎年、眠りについてらっしゃるのでしょうか?
前を行く背中に、そう質問できずにいる。
そして、きっと尋ねても、はぐらかされてしまうことだろう。彼女の心の多くは、式にとってもずっと謎のままであるから。
――幻想郷の管理者の孤独を、いつだって貴方は胡散臭い笑みの向こうで、意固地なまでに一人で噛みしめて……。
「ねぇ藍。これまで私が寝ている間、サンタクロースを見た? 本物の」
「え? は、はぁ」
いきなり予想もしない質問をされて、藍は当惑と相槌が混ざったような声を上げた。
紫は歩調を変えず、独り言のように続ける。
「見ていないなら、まだ幻想入りはしていないのね。残念だわ」
「……あれ? 確かベストフレンドで、電話番号まで知ってるんじゃなかったんですか」
「ええそうよ。なかなか会えない間柄なの。寂しいわね~」
また普段のふざけた調子に戻って、主ははぐらかしてしまった。
藍は立ち止まって、背負っていた袋を肩から下ろし、口に手袋を差しこむ。
実は今まで、ずっと渡す機会を窺っていたのだ。
「本物でなくても構わないのであれば、どうぞ」
「あらまぁいつの間に。じゃあ私からもこれを」
プレゼントを差し出すのに合わせて、紫の方もスキマから一つ、同じようなリボンと紙で包装された箱を取り出す。
思わず藍は顔をほころばせて、それを受け取った。
「感激です。サンタさんからプレゼントをもらうのは初めてなんですよ」
「そう。私も実はこれが初めてよ」
「それは光栄ですね。いつかは橙も、誰かのサンタさんになる日が来るのでしょうか」
「ふふ、それはもちろん。冬妖怪の彼女が言ってたように、えばよんがサンタの資格を持ってるってことだもの」
「えばよんか……」
藍は呟いて、満点の星空を見上げる。
今この瞬間、幻想郷のみならず、外界でも。いや、この宇宙のどこかの星でだって、誰かが誰かの想いを受け取っている。
そして過去から未来へと、時間の上でも。皆が誰かにとっての特別な存在に、サンタクロースになり得るのだ。
「……何だか私も嫌いじゃなくなってきました。いい言葉ですね。えばよんえばよん」
「じゃあ寄り道して、幻想郷のえばよんの様子を見にいきましょう。吸血鬼や宇宙人がどんな聖夜を送っているか気にならない?」
「またですか。悪い趣味ですよ本当に。それより早く我が家に帰りましょうよ」
「そうねぇ、さすがにそろそろ眠たくなってきたし……どうしようかしら」
「ほらほら早く。橙も寂しがってますよきっと」
互いに軽く引っ張り合って、影法師は岸を流れていく。
幻想郷のえばよんを守る、二人のサンタクロース。
数百年ぶりに見る、彼女達の冬の散歩を、下弦の月は優しく照らしていた。
(おしまい)
にしても橙はいい子だなぁ
それにしても、紫と藍は親バカだなあw
えばよん。良い願いだ。
素敵なお話でした
いい八雲一家でした。
いずれ橙についても掘り下げてもらえると俺得
素敵なお話でした。
いいお話、和みました。
「えばよん」の解が少し強引な気もしたけれど、元々がでたらめに作った造語なのだから
仕方ないですよねん。
やはり親バカしている八雲夫婦を見ていると和みますなぁw
誤字報告
慎重二メートル ⇒ 身長二メートル
家族で過ごすクリスマスはいいものですね~。
誤字報告です
>雲の流れも一方向ではないし、そもそも空の色がグラディエーションになってない。
グラデーション
冬の忘れもの、という二つ名の意味を考えたくなりますね。
あと誤字報告をば。
>これもるべく世界に刺激を与えぬための工夫よ。
なるべく、かなと
ンガベさんの像は見てみたいかもww
ようかんの話の頃から類推能力が全く成長していないことにはたと気づいたり。レティさんも幽々さま系なんですね。
子はかすがいと言うけれど、どちらかというと孫の教育問題で張り合うお――――
100点ではこちらが物足りない
橙はもちろんのこと、紫も藍もレティもみんないい味を出していますね。もふもふとおっほっほは出オチかと思いきや、すごく和まされてしまいましたw
橙の心象世界の場面がとても気に入りました。夢って本当にそんな感じだもんなあ、と思います
久々にグッと引きこまれた作品。
そうそう過去作の二人もこんな感じだったよなー、と何だか懐かしい気分に浸ってみたり。
レティさんが望むプレゼントの解釈も素敵でした。えばよんえばよん。
それ以上におっとり系大人のレティが魅力的だった。
例えば、秋姉妹は春も夏も妖怪の山にいるんだろうけど、レティは冬が終わると溶けて消えてしまいそうな儚いイメージがありますね。
たしかに欧米ではクリスマスは家族で過ごすのが多いですね。
その代わり新年は恋人同士で迎えることも多いとフランス人が言ってました。
あとンガベさんwwwwww
笑いあり、しんみりあり、ほのぼのあり、全てが詰め込まれている中で、一つの芯が通っている。
且つ、PNSさんらしい、いつもの八雲家が描かれていて、本当に満足のいく作品でした。
えばよん、いい言葉ですね……。
黄金のンガベ像欲しいんですけどw
色々言いたいことがあって、支離滅裂になってしまったかもしれませんが、一言、お見事でした。
素晴らしかったです。
いつも通りの100点を置いていきます。
それにしても今回もギャグが面白い、いろいろ笑わせてもらいました。
ただ、紫様がいつもよりおとなしかったのが残念です。
自分も色々考えてみたのですがさっぱり解らなくて
Everyoneと聞いたときにはほっこりしました
ギャグでも何度も笑わせてもらいました!えばよんの詩で爆笑www
年明けに読んでしまったのが申し訳ないレベルでした
ごめんなさい。そしてありがとう!
もう少し団欒の時間見たかったなー
でもいい話でよかったです
私にも誰かのサンタクロースになる日がくるのでしょうか
作中で割と頻繁にみられるなんとも不思議な歌がツボだったりします
>黄金のンガベ像
そんなもの置いちゃらめえええええ
八雲家SSはあまり読む機会がなかったけど、これはいいものだ