Coolier - 新生・東方創想話

閉じた瞳、開く心

2008/11/29 21:52:25
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 妹は、心を読む能力から逃げた。
 
 
 
 地下、灼熱地獄跡、地霊殿。
 多数の動物が仲良く暮らすこの場所は、先の事件において戦闘が行われた場所でもあるが、実質的な被害がなかったことから外見的には何も変わっていない。
 貴方が一歩足を踏み入れれば、まずは来客担当のペットが現れるだろう・・・・・・といってもこの担当、先の事件以降何故か増えてきた地下への来客に対応するために新設されたものなので、いささかコミュニケーション能力に難があるかもしれない――というより外見・内面共にただの猫である。
 貴方が危害を加えないことを証明すれば、その猫は廊下を走っていくだろう。そしてその猫は自らの主が居る部屋を探し当て、来客を報せる。
「・・・・・・ふぅ」
 地霊殿の主、古明地さとりは居間に居た。一人正座でお茶をすすりながら、身体に染み渡る温もりにいちいち溜め息をついている。婆くさい印象を受けるかもしれないが、実年齢を考えれば何らおかしくない行動だ。むしろ外見が詐欺なのだ。
 そんな彼女の足元に、一匹の猫がやってくる。
「にゃあ」
 一声鳴いて主の注意を引くと、彼女は湯飲みを机に置いて猫を抱き上げた。顔を覗き込むような状況に、猫の心臓がバクバクする・・・・・・ちなみにこの猫、メスである。
「・・・・・・来客、ですか」
 妖怪化していない動物は基本的に言葉を話せないし、筆談などもってのほか。さとりは動物ではないので会話をすることはできない。だが彼女にはとある能力がある。
 心を読む能力。
 その能力故に他者から嫌われるさとりだが、逆に動物達からは好かれている。意思疎通の手段を持たずともさとりの能力さえあれば、会話は成り立たずともお互いの意思を通じ合わせることはできる。
 そんな能力で、さとりは猫の心を読んだ。
「・・・・・・来客ですね」
 といっても来客担当の猫だから十中八九そうなのだが。とはいえたまに「構ってくれ」「遊びたい」「撫でて撫でて」といったこともあるから油断ならない。
 さて、次は来客が誰かということだ。
 もう一度心を読む能力を使い、猫の心を読んでみる――が、
「・・・・・・え?」
 心の中に出てきた情報にさとりはほんの少し驚いた。
 もう一度心を読んでみる・・・・・・情報一致。
 もう一度・・・・・・情報一致。
 喉を撫でてみる・・・・・・ごろごろと鳴いた。
「ああ、そういえば――」
 なんでこんなことになったのか、さとりはすぐに思い至った。来客担当は新設された部署(?)である。だから“彼女”のことは分からなかったのだろう。
 自らが招いた事態である・・・・・・が、誰がさとりを責められるだろうか。こんなことになるとは思っていなかったし、だいたい家に居ることが少なく、居たとしても何時の間にか居なくなり、そうかと思えば何時の間にか帰ってきていたりする存在のことなど、この猫が把握できるとは思えない。
 そう責任転嫁をしているさとりの背後で音もなく障子が開かれた。さとりは妖怪である、その手の感覚器官は人間のそれより発達しているはずだが、それでも背後から迫る存在に、危機に気づかない、いや気づけない。
 野生の本能が残っていたのか、はたまた単にさとりの背後が見える位置だったからか。猫が暴れてさとりの腕から逃げ出した。
「・・・・・・え?」
 ただならぬペットの様子にようやく背後の存在に気づいたさとりだったが・・・・・・すでに彼女は“飛んでいた”。
 無防備なその背中に向かって、足を最大まで曲げた後、思いっきり伸ばすという方法で飛翔する。手は往年の十進法嬢のごとく左右に広げ、対象を捕獲するというその一点を重視したスタイル。
 逃げも隠れも脅しも宣告もない。獲物に噛み付く猟犬がごとく彼女は飛び――
「お姉ちゃぁぁぁぁん!」
「きゃっ!?」
 さとりと彼女の妹である古明地こいしはもつれ合って畳みに転がり、静止した。めくれ上がった座布団が裏地を晒している。
「・・・・・・にゃーぉ」
 私は一切関係ありません、という態度で机の上に避難していた猫が鳴いた。
 
 
 座布団を直し妹のこいしを机の対面に座らせて、さとりはもう何回言ったかも分からない台詞を口にした。
「こいし・・・・・・これからは背後から飛びつくのを止めてください」
「前からならいいの?」
 このやり取りも何回目だろうか。
「・・・・・・止めてください」
 一部の、いや大部分の殿方が喜びそうな提案だったが、さとりは表情を変えずにきっぱりと切り捨てた。慣れてしまえば、この程度の提案など心を読めなくても予測できるし、切り返すことだってできる。
 
 そう、さとりはこいしの心を読めない。
 
「いいじゃない、お姉ちゃん妖怪なんだから、これぐらい平気でしょ?」
「そういう問題ではないのですが・・・・・・」
 妖怪の身体は丈夫であるとはいえ、さとりはそういった肉体強化の恩恵を他の妖怪ほどには受けていない。つまり、妖怪としては並みの耐久力しか持ち合わせていないのだ。そんな彼女が、いくら攻撃の意図はないとはいえ何度も飛びつきを受けて耐えられるのだろうか。
 前回そう諭したことがあるが、「じゃあこれは耐えるための訓練ね」と笑顔で返された苦い記憶がさとりの中に蘇る。
 物凄く良い笑顔だった。曇りなかった。だからこそいろんな意味で悲しかった。
「まったく・・・・・・今日は猫が報せてくれたからまだ良かった方ですが」
「ほんとだね・・・・・・残念だねぇ」
「どういう意味です?」
 不穏当な発言に対する問いが、これまた良い笑顔で受け流される。
 確かにそれが不幸中の幸いだった。何時もなら心構えも何もなく、急に飛びついてくるこいしに対して成す術がないのが常だった。心の読めない相手が、しかも無意識で行うことにはいくらさとりでも干渉できない。
「ほんとにもう・・・・・・お姉ちゃんったら」
 それはどっちの台詞だと言いたいところをこらえてぐっと妹を睨みつけてみる。だが相手は素知らぬ顔でお茶を飲んでいた・・・・・・さとりのお茶を。
 中身はまだだいぶ残っていたそれを、こいしは美味しそうに飲んでいる。
(・・・・・・間接キス)
 その事実に頬が赤くなり、心臓の鼓動が急に高まる――ことはなかった。何事も慣れである。関節キスどころか直接だって無意識にやられたことがあるのだ、嫌でも免疫はついてくる。
 昔の思い出に浸りながら、何故か涙が出てきそうになったさとりだった。
「どうしたのお姉ちゃん? 頭でも痛いの?」
「いえ・・・・・・何でもありません」
 あなたのせいです、と言ったこともあるが。結局、「どういうこと?」といった感じの表情をされて終わった。心を読む能力を閉ざしたこいしに、さとりの心中が分かるはずもない。
 いや、本来ならそれが普通か。そうさとりは心の中で自嘲する。
「・・・・・・変なお姉ちゃん」
 それを知ってか知らずかそんな言葉を口にして、こいしはお茶をまた一口啜る。自らの湯飲みを奪われた形のさとりだったが、もう何を言っても遅いだろうし、わざわざ他の湯飲みを取りに立ち上がるのも億劫だ。
 それほど不意の襲撃とその後のやり取りで疲れているのである。
 となると、特に何もすることがなくなったからさとりは目の前の妹を観察することにした。観察対象としては猫を相手にしても良かったが、自らが来客担当だからかはたまた動物的本能で危険を察知したのか、すでに部屋には居なかった。
(まったく・・・・・・)
 ふらっと出ていってはふらっと帰ってくる。そんな妹だから、じっくりと観察する機会は最近はあまりなかった。それどころか挨拶すらままならない時期もあったことを考えると、今は改善されてきているのかもしれないが。
 姉が自らを観察していることに気づいていないのか、こいしはゆっくりとお茶を飲み続ける。一口啜っては息を吐き、息を吐いては一口啜る。窄められた唇から押し出されるように熱い吐息が漏れる。
(帽子・・・・・・被ったまま)
 遅い気もするが、さとりはその事実に気がついた。こいしの頭には特徴的な帽子がまだ乗ったままだった。ただ単に取るのを忘れているだけかもしれないが、そうでないかもしれない。そうなると、また出かけるのだろうか。
 その推測の過程で、さとりの胸がほんの少しだけ痛む。
「・・・・・・ふぅ」
 こいしにばれないように彼女は細く息を吐く。何時も感じているその痛み。慣れてしまえばどうということはない。心を読まれでもしない限り、彼女の演技がばれることはないだろう。
 そしてこいしは心を読む眼を遥か以前に閉ざしている。
「・・・・・・そういえばさぁ、お姉ちゃん」
「なんですか?」
 湯飲みを置いてから少し間を開けたこいしの言葉に平静を保ってさとりが尋ね返す。こいしはどこか不満そうな顔をしていた。
 その理由は、今のさとりには分からない。
「お姉ちゃんって、働かないの?」
「・・・・・・はい?」
 質問を質問で返す奴は嫌いだ。そんな言葉が頭の中を駆け巡るが、それでもこの質問は予想外だったのだから仕方が無い。
 何をたわけたことを、と思わず言おうとして、すぐにさとりは冷静さを取り戻す。と、冷静になってみれば確かになぜだろうという気持ちが沸いてくる。あまり認めたくない気持ちだが。
「・・・・・・私だって働いていますよ。ここの管理だってありますし」
「でも最近はペットに任せてるんでしょ?」
 コンマ零もあっただろうか。あっさりと正論で返されてしまった。寄り付いてきたペットを世話している内に何時の間にか地霊殿は『ペット御殿』と呼ばれるようになったとかなってないとか。増えすぎたペットの管理をペットに任せるという自転車操業真っ青な状況である。
「私にはペットの管理という仕事が――」
「ご隠居さんみたい。それ以前におくうのアレはどうなの?」
 またしても正論。例の事件はペットに対するさとりの態度が招いた事態といっても過言ではなかった。最近では反省して、出来るだけペットと接するようにはしているが。
 それ以前に『ご隠居さん』とはふざけたことを、と思っても実質隠居しているのとあまり変わりがないので意味が無い。
 たった二発の言葉の弾丸はあっさりと正論という壁の前に撃ち落された。他の相手なら心を読む能力を利用して上手く逃げることも可能だが、こいし相手ではそうもいかない。
 だから最後の一発を放つことにする。
「それ以前に妖怪というのは大半が無職――」
「でねでね! お姉ちゃんにぴったりな仕事を探してきたのよ!」
 攻め手、究極の正論。
 受け手、満面の笑顔。
「・・・・・・はぁ」
 小さく溜め息をついたさとりを、こいしは不思議そうに見つめて。
(やっぱり勝てないなぁ)
 この手の論争で妹に勝てた試しがないなぁと、さとりは改めて実感した。
 
 
 
「お待たせしました」
「お姉ちゃん遅~い」
 こういう場合、たいてい話が長くなることをさとりは良く理解・実感しているのでこいしに断りをいれてから新しく湯飲みと急須のお茶を用意してきた。ほんの数分もかからずに戻ってきたがこいしは早くも焦れてきたようで、机の下で足がばたついている。
 外見相応な可愛らしい仕草に思わず頬が緩みそうになるのを抑えながらさとりは盆を机に置いた。
「それで、私に合う職業とはどういうものですか?」
 新しく持ってきた湯飲みに茶を注ぎながら、さとりは話を促した。その言葉にこいしは目を輝かせながら口を開く。
「あのね、地上で巫女に会ったの。その巫女さんがね、外の世界にはたくさんの職業があるって言ってたの」
「巫女、ですか?」
 さとりの記憶、その中で最近の物に『巫女』と称される存在は二人しか居ない。もう一人は前の異変で地下世界までわざわざやってきた紅白の巫女。だが記憶によれば彼女は博麗の巫女だ。
 となると、残るは一人。
「緑の巫女ね」
「うん、緑の方」
 失礼である。
 “緑の巫女”、東風谷早苗との付き合いは例の件以降だ。直接的なつながりはなかったが、彼女が仕える二柱が何かしら企んだことが件のきっかけだったということで、その後早苗からも丁重な詫びがあったのだ。
 こいしのことである、山の上だろうと三途の川だろうとどこへでも行きかねない。
「それでね、お姉ちゃんに似合いそうな仕事をいくつか聞いてきたの」
「そうなんですか」
 お茶を一口啜る。倣ってこいしも一口。
 
 
「例えばね、『探偵』って職業なんかどう?」
「探偵、ですか」
「うん。『事件を解決して、人を笑顔にする』のが探偵なんだって」
 さとりは考えてみる。自らが探偵をやればどうなるか。
 不可解な密室殺人。心を読んで解決。
 不在証明。心を読んで解決。
 さまざまな技巧の数々。心を読んで解決。
「・・・・・・確かに向いているかもしれませんね」
「でしょでしょ!」
 まさに警察泣かせな探偵である。どんなトリックもアリバイも動機も何もかもが彼女の前には白日と化す。相手が何者であろうと関係ない。
 たとえ証拠が無かろうと、犯人の目星さえついてしまえば後は問題ない。
「チートですね」
「チートだよね」
 姉妹の意見が一致する。
 確かにこれはさとりにぴったりの職業といえる。百発百中、妹が犯人でなければ全ての事件が解決だ。
 だが、さとりはあまり乗り気ではなかった。
「ですが・・・・・・嫌がられるでしょうね」
 調査をすることになれば、無実の者の心も読まなければならない。何の罪もない、関係の無い者の心の奥深くを読むのだ。嫌がられない訳がない。
 いや、嫌がられることは確実だろう。それは身をもって彼女と――妹が体験してきたことだ。読まれたくない心を読むことが出来る存在を、誰が快く思うだろうか。
 いや、誰も思わない。
「・・・・・・他に、なにか案はありませんか」
「ん~、これは駄目なのね・・・・・・」
 感情を悟られないように上手く案を変えさせる。どうやら上手くいったらしい。何の疑いも持っていない表情でこいしは別の案を考え始めた。
 無邪気そうで真剣そうで、何故かさとりは哀しくなる。
「それじゃあ・・・・・・人生相談!」
「じ、人生相談ですか・・・・・・」
 数秒悩んで出てきた案は、「それ職業ですか」と言いたくなるものだった。口をついて出てきそうだったのでお茶を二口ほど飲んで何とか言葉を飲み込む。
 というよりこちらの世界に必要なのは『人生』ではなく『妖生相談』なのではないだろうかと真剣に悩んでみる。
「お姉ちゃんなら、いろんな人の悩みが分かるじゃない。口に出しづらいことでも分かっちゃう。そして長い人生を生きてきた経験! これさえあれば『人生相談』のエキスパートよ!」
「いやまぁ確かにそうですけど・・・・・・」
 大まかには合っているからそう相槌は打っておいたが実をいうと突っ込みたいところが山ほどある。それでも突っ込まずに済んでいるのは忍耐力故か美味しいお茶で言葉を飲み込んでいるからか。
 だいたい“口に出しづらいこと”とは“人に知られたくないこと”ではないのだろうか。いくら相談に来たとはいえ、読まれたくない心まで読まれたい存在は居ないはずだ。
 ああ、結局はそこに行き着く。
「悩みを持った現代人のニーズに応える、カリスマも信仰も人気も総取りでいいことばかりじゃない!」
「そ、そんなに甘くないと思いますよ・・・・・・」
 呆れたように突っ込んでみるが、この言葉にはいろいろな感情を込めておいた。こいしがそれを読み取れるかは分からないが、それでもさとりにはそうするしかできなかった。
(・・・・・・分かっていないのだろうか)
 自らの妹に対する疑念が口をついて出そうになって、慌てて彼女はお茶をすすった。今の一口で湯飲みが空になる。湯飲みを置いて急須を取り上げてみたが、かなり軽い。もうこちらの中身も空なのだ。
 ふと顔を上げてみると、不安そうな表情でこちらを見つめるこいしの顔。
「お姉ちゃん・・・・・・」
「どうしたのですか?」
 何か、とてつもなく嫌な予感がした。そこから来る不安が隠しきれずに声音に出てしまい、思わず彼女は「しまった」といった表情をしてしまう。
 こいしの口が開く。
「そんなに働くのいや?」
「・・・・・・断じて違います」
 予感が外れたことに安堵して、思わずさとりは突っ伏しそうになった。
 働くことが嫌というより働く必要がないということに突っ込むことを忘れるほどに安堵が心の中で広がる。顔には出さないように気をつけていても、やはり表情が柔らかくなるのを自分で実感した。
 その表情が硬くなったのは、こいしが放った言葉のせいで。
「それじゃあ・・・・・・お姉ちゃんが『さとり』だから?」
「――っ」
 こいしが言う『さとり』が自分の名の意でないことぐらいすぐに分かる。今までこいしがその名を口にしたことはあったが、こんな風に――哀しそうに口に出すことはなかったからなおさらだ。
(・・・・・・分かってたんですね)
 今までの能天気な会話振りから、さとりは「妹がこの問題の本質を理解していないのではないだろうか」という危惧を抱いていたが、それは有り得ないことだった。
 今は封じていようと、彼女もまた『さとり』なのだから。分からないはずがない。
 どのような技能があろうと、『さとり』の能力を持つ限り、彼女達が真の意味で他者と交流できるはずがない。
 それはどうあがいても変えられない現実。
「・・・・・・ごめんねお姉ちゃん、気づかなくて」
 いろいろな感情を整理している間に、こいしは話を進めている。本当に哀しそうなその表情に、さとりはそれが冗談の類ではないことを悟る。
 ならばこそ、気になることもある。
「こ――」
「ごめんね、変なこと言っちゃって。お姉ちゃんの気持ちも知らないで」
 呼ぼうとした名前は当の本人の言葉に遮られて。
「・・・・・・ちょっと出かけてくる」
 改めて名前を呼ぶ決心をつけようとした時にはもうこいしは立ち上がっていて。
 呼び止めようと手を伸ばした時にはもう彼女は部屋を出ていて。
 そしてさとりは一人になった。
 
 
「・・・・・・こいし」
 自分以外誰も居ない部屋で、さとりは呟く。
 思えば今日はおかしなことだらけだった。
 家人とも知らずペットがこいしを客だと勘違いし。そのこいしは変な話をもちかけてきて。そして勝手に話を進めて勝手に出ていって。
 ああ、どういうことだろうか。
「にゃぉ」
 座っているさとりの足元で、鳴き声がした。緩慢な動作で彼女が足元を見ると、そこには今日の出来事の始まりを担ったといっても過言ではない存在――来客担当のペットが居た。
「・・・・・・また来客ですか」
「にゃうぅ」
 可愛らしい鳴き声――だと猫の言葉を理解できない存在は考えるだろうが、さとりは違う。心を読める。言葉は分からずとも考えを読める。
 だから猫が自らを責めていることはすぐに分かった。
 ――どうして追いかけないのか、と。
「追いかけたい、ですよ
「ふぅぅぅ」
 ――ならば、なぜ追いかけない。
 ――もしかしたら追いつけるかもしれないのに。
「・・・・・・分からないんですよ」
「にゃぁ」
 ――それはこいしの気持ちか。
 ――それとも自分の心か。
「・・・・・・生意気なペットですね」
「にゃぉん」
 自らの言葉に誇らしげに鳴いた猫を見て、さとりはペットの教育を間違えただろうかと考える。だいたいつい最近までペットの管理はペットに任せっきりという状況だったのだ。間違い以前の問題である。
 だがそれはどうでもいい。
「やっぱり、分かっていたんですよね」
 能天気に「はたらかないか?」なんて提案を持ちかけたこいしが『さとり』の抱える問題について気づいていない――いや、忘れてしまったのかと思っていた。だが、それはこいし自身の言葉で否定されている。
 ならば、なぜ。
 問う相手の居ない答えは、どうやっても見つからない。
(・・・・・・・・・・・・?)
 何か言いようのない違和感を、さとりは感じた。何かしら間違っているような気持ち。どこか歯車がずれた様子。
 だが、その違和感の正体がつかめない。
「にゃぅ」
 ――追いかければいいのに。
「うるさいですね」
 足元で猫は鳴き通しだ。耳を塞げば聴こえないかもしれないが、それでも鬱陶しいことに変わりはない。
 正論というのは、時に鬱陶しくなるものだ。
「――分かりましたよ、追いかけてきます」
「にゃんっ!」
 ――それでいいじゃないか。
「・・・・・・帰ってきたら教育ですね」
 座りっぱなしだったために血行が悪くなっている足をさすりながら、さとりは立ち上がった。だが、もうこいしが出て行ってから数分は経っている。
(間に合わない、でしょうね)
 無意識で行動するこいしはふらふらと彷徨い続ける。いわば「煙草買いに行ってくる」で行方不明になるレベルだ。しかも出かける際に断りがないからなお質が悪い。
 それでもさとりは追いかけることにした。
 それは猫がうるさかったからか、それとも――
「・・・・・・・・・・・・」
 答えは後で出すことにして、さとりは部屋を出て行った。
 残された猫が、一声鳴いた。
 
 
 
 姉は、そんな妹から逃げた。
 
 
 
 居るはずが無い、もうどこか遠くへ行っている。そうなってしまえば、自分ではもう追えない。
 結論から言えば、彼女のそんな思惑――それとも願いだったか――は見事に外れてしまった。
「こいし・・・・・・」
 呟き声は届かない。それだけの距離があるからということもあるし、声が自分の思うより小さかったということもある。
 だが、たとえ声が大きかったとしても届いていただろうか。今のこいしを見た者はそう疑問に思うだろう。
「・・・・・・・・・・・・」
 さとりが居る方――つまり家には背を向けてこいしは立っていた。何をするでもなく、ただどこか遠くを見つめて。その背中からは、何の感情もうかがえない。
 一歩、さとりが踏み出す。
 飛ぶという選択を忘れているのか彼女は足音を立ててしまうが、それでもこいしは反応しない。
 また一歩。
 それでも彼女は反応しない。後ろから来る存在のことを分かっているのだろうか。それとも分かっていないのだろうか。
 一歩、一歩、一歩。
 もう、手を伸ばせば背中に届くところまできている。なのに、何にも変わらない。変わったのは二人の距離と、さとりの心境だけ。踏み出すごとに心が不思議に落ち着いていくのを彼女は感じていた。
 だが、こいしの心は分からない。
 だから両腕を伸ばして、抱きしめた。
「・・・・・・お姉ちゃん」
 ようやく開いた口から出てきた言葉にも、感情が見受けられない。平坦に、淡々と、ただ言葉を発しているだけという風。
「どうしたんですか、急に飛び出したりして」
「・・・・・・ごめん」
 素直に出てきた謝罪の言葉が妙におかしくて。
 こいしはこんな風に喋っていただろうか。こんな口調をしていただろうか。“あの時”に味わった違和感が――状況は正反対だが――懐かしさと共に心に湧き上がる。
「ほんとに驚きましたよ・・・・・・戻りませんか? 新しいお茶を――」
「ごめん」
 謝罪。
 文脈からして似つかわしくない場面での謝罪に、さとりの眉がぴくりと動く。
「まぁいいですから、そろそろ家に――」
「お姉ちゃん・・・・・・ごめんなさい!」
 また、謝罪。
 後ろから抱きしめているから表情は読めない。だが声に滲み出てきた感情を、さとりは読み取った。それは能力を使ったわけでもない、本当に感じ取ったのだ。
 感情は、哀しさ。
「別にいいですよ、怒っているわけじゃありませんから」
「でも・・・・・・でもお姉ちゃんのことも考えないであんなこと――」
 “あんなこと”、が何を指すのかはすぐに分かった。家を飛び出したことではない、もちろん姉に対する態度とかそういったものでもない。
 先ほどまでの話について、こいしは謝っている。
「だから私は怒ってないと――」
「だけど、だけどお姉ちゃんは嫌だったんでしょ!? あんな提案、嫌だったんでしょ! だから、だからあんな風に――」
「こいし・・・・・・」
 吐露される感情が、久しく見ていなかったものだったから。どんな言葉を投げ掛ければいいかさとりには分からなかった。いったいどんな言葉が慰めになるのか、どんな言葉で落ち着かせられるのか。それが一切分からない。
「分かってたのに、お姉ちゃんがどんな気持ちでいるか分かってたはずなのに――そんなことも分からないで私はあんなこと――っ!?」
 だから彼女は抱きしめた。腕の中の妹を強引に振り向かせて、改めて強く抱きしめなおした。一瞬覗いた妹の顔が驚愕に包まれていることと・・・・・・眼から流れ落ちる涙が妙に印象的だった。
 そんな彼女の肩に顔を乗せるようにして、さとりは腕に力を込める。
「・・・・・・お姉ちゃん」
「なんで――あんな提案を?」
 今、聞くべきことではないかもしれない。だがそれを聞いておかなければいけない。今ここで聞かなければいけない。そんな感じがしたから、彼女は聞いた。
 その言葉に、しゃくりあげながら妹が答える。
「・・・・・・お姉ちゃん、私みたいになるかもしれないから、上の世界のこと知ってほしいから・・・・・・巫女さんに相談したら――きっかけさえあれば、きっかけさえあれば来てくれるって、お姉ちゃんのこと皆に知ってもらえるからって、だから――!」
 あとはもう涙声で。それでも要領だけは掴めて。
 ようやく、妹の考えを姉は理解した。
 
 ただ、姉を想う妹が居ただけの話。
 
 
 
 感じていた違和感の正体はこれだったのか、と彼女は悟った。
 考えてみれば、無意識で行動できるこいしを来客担当だからとペットが察知できた時点でおかしかった。よっぽどのことがない限り、行動している彼女にその気がなければ察知は不可能だ。
 そして、今日一日でこいしが見せた感情の数々はさとりが見たことのないもの――いや、正確には違う。ずっと昔に見たきりのものだった。
(・・・・・・変わって、きたんですね)
 それは元に戻るということかもしれない。だが、一度転換した方向を元に戻すということは、変わったということなのだろう。
 抱きしめられながら泣き続けるこいし。能力を封印し、失った感情が吐露されているのだろう。それは果たして何年、何十年分の感情だろうか。それほどまでに大きな転換だった。
(いや、こいしだけじゃない)
 きっと世界も変わっているのだろう、それは大げさなことではない。一人の意識が変われば、百人の生き方が変わる。百人の生き方が変われば、千人の意識が変わる。
 その片鱗は、もう目の当たりにしたではないか。
(紅白の巫女、黒白の魔女・・・・・・彼女達を支援していた妖怪)
 忌み嫌われた者が集いし地下世界に、異変があったからとはいえわざわざ訪れ、そして解決しても入り浸る。そんなことが今まであっただろうか。いや、なかった。人が変わり、妖怪が変わり、世界が変わる。
 そして、妹も変わった。
(ならば・・・・・・
 私も、変わるべきではないだろうか)
 
 
 ある日、妹が心を閉ざした。
 その原因が良く分かっているから、姉は何も言わなかった。何もしなかった。
 それが最良だと考えたからだ・・・・・・果たしてその判断は正しかったのか。
 今ではもう分からない、だが妹は変わった。
 それは姉によるものではない、別の存在によるものだ。
(・・・・・・本当に、恥ずかしい)
 肉親が何もできなかった。何もしてやれなかった。
 後悔してもし足りない。
 だが、そんな彼女でも出来ることはある。
(この感情を――二度と、閉ざさせない)
 
 腕の中で、こみ上げる感情に翻弄される妹を、姉は抱きしめていた。
 
 
 
 
 
 地下、灼熱地獄跡、地霊殿。
 多数の動物が仲良く暮らすこの場所は、先の事件において戦闘が行われた場所でもあるが、実質的な被害がなかったことから外見的には何も変わっていない。
 貴方が一歩足を踏み入れれば、まずは来客担当のペットが現れるだろう・・・・・・といってもこの担当、先の事件以降何故か増えてきた地下への来客に対応するために新設されたものなので、いささかコミュニケーション能力に難があるかもしれない――というより外見・内面共にただの猫である。それでも最近、家人と客人の区別はついてきた。
 貴方が危害を加えないことを証明すれば、その猫は廊下を走っていくだろう。そしてその猫は自らの主達が居る部屋を探し当て、来客を報せる。
「だからお姉ちゃん、『悟り教』を開いて一攫千金を――」
「・・・・・・いろいろと間違っているような気がするのですが」
 部屋の中では、姉妹が仲良くしているはずだ。
 心を読む能力を持つ姉と、
 その能力を取り戻しつつある妹。
 
 二人の関係が元通りになる――“変わる”日は、そう遠くないのかもしれない。

 
 
 
 
閉じた心が開いたとして、放っておけばまた閉じるかもしれない。
そうならないようにするのがさとりの役目。
そんな(どんな?)SS。
ベタベタな流れだけどもう気にしない(開き直り)
 
 
次回作もベタベタに咲魔理の予定です。
 
 
評価・コメントありがとうございます。
 
煉獄さん
ありがとうございます。
東方の姉妹はほんとにシリアスが似合う・・・・・・・
 
名前が無い程度の能力さん
ぐ・・・・・・ベタベタには遠かったですか。
精進します。
RYO
[email protected]
http://book.geocities.jp/kanadesimono/ryoseisakuzyo-iriguti.html
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コメント



0.770簡易評価
3.90煉獄削除
こいしのさとりへの思いやりでしょうか。
姉妹としてなんともほのぼのしてて、でもちょっとしんみりとする
話ですね。
私は好きですね、こういう話。
面白かったですよ。
10.70名前が無い程度の能力削除
べたべたというよりスタンダードな感じで読みやすかったです。
こいしもさとりも暴走気味でしたが、逆に愛嬌があるのかも?