「はい、はたて。どちらか“一つ”だけあげるわ」
一つ、と言葉を強調し釘を刺す文。それぞれの手にはチョコレートが入っていると思われるもの。
片方は丁寧にラッピングされ、布製の袋の口を可愛らしい桃色のリボンで閉じてある。誰の目から見てもこの装飾の気の入り具合は明らかだった。
もう一方は市販された物を包装も何もせずに箱に入ってるだけの板チョコ。値段の安さの割にサイズが大きくコストパフォーマンスはかなり良好。里の子供たちにも大人気なお菓子だ。
詰まるところ、はたての前に差し出されたのは本命チョコと義理チョコの二つ。そのどちらか一つを文がくれるみたいなのだ。
「なによ突然――。別にあんたにチョコなんて貰う覚えないけど……」
「そういうのじゃないって。ただの私の善意。はたては好きな方を受け取ればいいだけよ」
「でも、なんで二つも」
「だからあげるのは一つだけだって。こっちの袋に入ってるのは私のお手製よ。丹誠込めて作ったから味に自信はある。
んで、こっちは人里のお店で買ったやつ。安い美味いデカいと三拍子揃った里の人気な板チョコ。ささ、好きな方を選びなさい」
どういうつもりなのか、はたてには全く理解が出来なかった。こんな愉快な事を思いつくのは文らしいが、その選択権を自分に譲るなどという事は極めて希だった。
顔を見合わせても終始ニヤついたまま、これ見よがしに二つのチョコを見せつける。
どう考えても本命と義理。それははたても理解していた。仮に本命のチョコを渡してくれるとしても、この文が素直に渡す訳がない。だからこんな風にして試していると考えた方が普通だ。
しかし、元々義理チョコを上げるつもりで、からかっているとしたらどうなのだろうか。善意しかなかったとしたら、素直に本命なり義理なりを渡してくれるはず。
それの手段を執らないというのなら何か裏があるはず。ましてや文は烏天狗で――はたてもだけど――平然と嘘を口にするのはお家芸だ。
「どうせ、そっちの包装してあるのだって中身は市販のチョコなんでしょ? あんた、いつの間にそんな料理できる様になったのよ。腕前は私と対して変わらないくせに無理しちゃって」
「暗黒物質量産機にそんな事を言われるとは……。これはショック大ね。はたてが引き籠もりしている間にコツコツと腕を磨いたのよ」
「ふ、ふぅん。ま、そういうのはいい事ね。一度覚えたら後は困らなさそうだし」
「そう言う事。ねぇ、早く選んでよ。仕事がまだ残ってるんだから」
かまを掛けてもスルリと逃げられた。それどころか自分の首を絞めてしまう。
恐らく、文が口にした事は真実だろう。声の抑揚が普段と変わらずさらりと自然なところから。嘘を吐くときの文は少し声のトーンが上擦る癖がある。
あの包装されたのは本命チョコと見て間違いはない。そして義理チョコの方は言わずもがな。市販のチョコレートで子供でも買えてしまう程の安さが売り。
文に目配せをしても急かされるだけ。文の顔は緩みっぱなしだが、はたてを騙そうという意志は受け取れない。
どちらかを受け取ろうとして突然「はい、嘘でしたー」なんて言い出したりはしないだろう。はたてにチョコを渡すのは事実。これに間違いはなかった。
だが、どちらを受け取ろう。そりゃ本命のチョコを差し出すのだから、それを受け取っても文句を言われる筋合いはない。差し出したのは文なのだから。
けれど、文はいつもはたてに対して憎まれ口ばかり。だからといって仲が悪いかと言われれば、そう言う訳じゃない。
昼食の席を一緒にしたり、他愛のない世間話から職場の愚痴言い合ったりと、幅広く会話できる仲。特別何かした訳ではなかったが、側にいて嫌な感じはしない存在だった。
そのお礼としてなら、この本命チョコも十分に考えられる。他意がなければの話だが。
他意があったときの事を考慮するなら、この義理チョコを受け取るのが一番だろう。その方が後腐れの残る可能性が低い。
いつもからかってくるし、たまにはこっちから引いた手段を取るのも悪くない。悪手だとは思わなかった。
仮に文に本命の気持ちがあったのなら、いつも意地悪する罰だと言えばいい。なかったのなら義理チョコを受け取る事で万事解決。
どちらに転んだとしても、自分が不利な状況に陥る事はなかった。
「じゃあ、そっちの板チョコを貰うわ」
「えっ!? ――こ、こっちは? 折角、私の手作りなのよ?」
「あー、そう言う気持ちはありがたいんだけど、なんかね。私にはこういう安っぽいのが合ってるのよ」
明らかに動揺する文を余所に、はたては板チョコを奪取する。これで今晩の夕食は浮いた。この板チョコは腹に溜まるのだ。
どちらにせよ文からチョコを貰えたのは事実。たまにはこっちからも意地悪し返せばいい。文の思い通りに行って堪るものか。
意気揚々とチョコを奪ったはたては、タンッ、と地を強く蹴って飛び上がった。幻想郷一の速度を持つ文と言えど、茫然自失な状態から正気に戻るまでには時間を要す。
その内に真っ直ぐ帰宅。今晩の食料も手に入った事で飛行速度は急加速。あの文を出し抜いた顔は堪らなく快感だった。
そんな事があったのはもう数日も前の話。あの時は浮かれていれば良くて、幸せだったと思う。
現状を知らなかったのなら、どれだけ気持ちが楽だったのか。貰った板チョコの箱を開いてそう思う。
中身は勿論チョコが入っている。それはバレンタインの日の当日に確認した。そして食した。美味しかった。
そこで済んでいれば良かった。しかし、はたては見つけてしまったのだ。板チョコの箱の中に鍵が一つ混入しているのを。
何かの間違いかと思った。人里のお店で誤って箱に紛れたんだと。けれど違った。ご丁寧に小さな紙切れに書かれた「はたてへ」と達筆な字。
これは間違いなく文のものだ。はたての丸っこくて緩い形をした字を小馬鹿にした様な、細く鋭い凛々しい字。悔しいが文に字の上手さは到底敵わない。
混入していたその鍵が何なのか、それがわからないほどはたても馬鹿ではなかった。だからこそこの鍵の処理に困っている。
困って困ってバレンタインから家を一歩も出ていない。丁度仕事も一区切り付いていたし、文に会うのが怖かったから。何を言われるのかわかったものじゃないから。
最初から文は全部お見通しだったのだ。はたてが義理チョコを選択するのをわかっていたのだ。あの動揺も、呆然としていたのも全ては演技。
今一度、箱から鍵を取り出す。文の実家の家の鍵を見た事はないが、はたての家の鍵とそっくり。どこかの金庫に使う様なちっぽけな物と違うのは明らかだ。
要するにこれは、文からのメッセージ。「私の家に来てもいいよ」との事なんだろう。素直にそれに従えたらどんなに楽だったか。
欲望に忠実になれるはずもなかった。きっと冗談の一環だと思える。これでまんまと文の家へと足を運べばネタにされる事は間違いなし。顔を合わせるだけでも何か言われそうだ。
そう言う訳で、今日も家から出ていない。仕事が溜まってるんだろうなぁ、と少し憂鬱になりながらも、結んでない髪を掻き乱す。どうしてこんな鍵一つで生活を左右されないといけないのか。
それでも外に出ないと、とは思う。カーテンの開いた窓から外を見ても、既に日が暮れ始めている。「今日もダメだったなぁ……」と溜め息が朱に染まるはたての自室に満ちた。
服装だってよれよれの部屋着。どうせ誰にも見られないだろうし、外出用のお洒落な服たちは汚したくないから。
指先で弄んでいた鍵をピンと弾いてテーブルの上へ。上弧を描いた鍵は、運悪くテーブルの上に置かれていた一つの箱にぶつかってしまった。はたてにその存在を報せたがってる様にも見えた。
報せられたそれを見て、再びはたては溜め息。文じゃないけれど、そのテーブルの上に放置してあったのは手作りのチョコ。言うまでもなく文にあげるための物だったのだ。
たが、あの日文に言われた通り、はたての料理の腕前は悲惨なものだった。一人暮らしのくせに自炊は殆どしない。毎日どこかで買い食いか、面倒だったら平気で何も食べないなんて事も。
一向に料理が上手くなる気配などなかったのだが、何を血迷ったのか手作りチョコに手を出してしまった。
それもこれも、全てが文の所為。窶れているはたてを見かねて、いつしか文が弁当を持ってくる様になったのだ。
そんな事が何年続いたか忘れてしまったけれど、そのまま甘えきってしまうほどはたても薄情ではなかった。
だから恩返しと言う訳じゃないが、今年はチョコを作った。何度も失敗もした。完成しそうもなくて泣き出してしまった。
それでも文に手作りチョコをプレゼントしたい一心で、必死で作り上げたチョコトリュフ。
しかし、見た目も崩れて色も焦げた所為で良いとは言えない。ならば味は、と味見をするもお察しの通り。苦くて焦げたところがざらつく。
受け取って貰えるかわからなかったから、外装だけには拘った。
沢山デコレーションして、袋で包んでリボンで巻いて、見た目だけは誰にも負けない様に。
けど、こんな出来損ないのチョコを文に渡す事なんて出来なかった。不味い、なんて言われてしまった日には文にどんな顔をしたらいいのかわからない。普段通りに接する事が出来る自信がない。
いつもお昼になったら一緒にランチタイムを過ごすし、くだらない言葉の投げ合いだって楽しい。それを失いたくはなかった。
「何やってんのよ、はたて」
本当、何をやっているのだ。このまま引き籠もっていたって、何の進歩もない。昔に逆戻りなだけだ。
文と会うのが、文と話すのが、文と馬鹿にし合うのが、何より好きだった。それを求めて外へ出てきた。なのに、また自分の殻に籠もる事をしてしまうなんて。
独り言の様に呟いたつもりだった。けれど、部屋に残響するこの声は自分の物ではない異質なもの。
違和感に気付いて顔を上げると、膝を抱えて座り込むはたてを見下ろす一人の人物。口元は薄ら笑みが乗り、あのいつもこっちを小馬鹿にした顔で。
「酷い格好ね。見てらんないわ」
ハッとした。梳かしてない髪によれた服。普段の自分からは遠い姿。それは文の笑みが物語っていた。
笑われる。幻滅される。すぐに側にあった髪留めを手に急いで髪を二つ結びにする。
出掛けるときは毎日行っていた事だ。鏡なんてなくても普段通りにツインテールにするぐらいは容易だ。
けれど、服装はといえばそうはいかない。文の前で服を脱ぎ捨てるわけにもいかないし、まず跳ね上がった心拍数が落ち着こうともしない。
「な、なんであんたが此処に居るのよ! 仕事は、仕事はどうしたのよ――っ!?」
「あー、もう。心配になって来てあげたら、そういう事を言うか、あなたは……」
「だ、って、いきなり家に上がり込んでたら驚くのが普通だって!」
「玄関の鍵、開けっ放しだったしね。はたて、またあなたは家を一歩も出なかったのか」
「悪い? 誰にも迷惑掛けてないからいいでしょ――」
仕事はその分ツケが溜まるがそれは必要経費だ。締め切りまでに間に合わせればいい。
はたてが虚勢を張っているのは、文から見てもバレバレ。歩み寄る度にはたては体を強張らせた。
もう一度「なによ――」と声を上げて牽制しても文が止まるはずもない。側に寄ってきて、はたての隣に同じ様にして膝を抱えて座り込む。
「割と元気そうで良かったわ。早く仕事に戻りなさいよ。お昼、暇で仕方ないんだから」
「……その原因を作ったのは文でしょ。私に鍵なんか渡しちゃってさ」
「鍵……?」
「……これ。文の家の鍵でしょ?」
体と手を伸ばしてテーブルの上の鍵を手に取る。そしてすぐさま文に渡す。
こっちとしては文の突拍子もない行動に振り回されてしまったのだ。行くか行かないかの二択だが、その二つの間だの壁はどうしようもなく厚く高い。
これの所為で引き籠もっていたのだ。文には責任を取って貰わなくてはならない。
精一杯、顔に不服を塗りたくって文を見つめると、するとどうだ。鍵を手にしたまま、文は喉の奥底でクツクツと笑いを押し殺していた。
「何が可笑しいのよ……」
「――これが原因だったの?」
「そうよ。どんな気があったか知らないけど、やる事が汚い」
「私の家の鍵を貰って、どうしたらいいのかわからなかったんだ?」
「いや、わからない訳じゃないけど……その、どうも踏ん切りが付かなかったというか……」
そのしどろもどろの回答に文は吹き出し掛ける。頬を膨らませて、口元を押さえていた。
文の立場から見なくても、酷く自分が惨めだと思う。ただ一つの鍵に言動を牛耳られてしまうなんて。人間でもあるまいし、烏天狗の名折れだ。
「これ、要らないなら私が貰っていい?」
「なっ、意味ないでしょ……! だって、あんたの家の鍵なんだから」
「本当にそう思ってるの?」
「何が言いたいのよ。どうせ違うって言うんでしょ? でも残念ね、うちの鍵とそっくりなのよ。今更金庫の鍵でした、なんて手は通用しないわ」
「はい、今のはたては何て言ったでしょう?」
「え……? うちの鍵とそっくり、だけど……」
未だ喉元で笑いを堪えている文。軽く咳込みながら、手にした鍵をはたてへと返す。一度文から貰ったものだ。奪われる事なくてホッとした。
「その鍵、はたての家のやつよ? 何を勘違いして私の家のだと信じたかは知らないけれど」
「は……? い、意味わかんないっ! 何であんたが私の家の鍵を持ってるのよっ!?」
「だって、はたて言ってたじゃない。十数年前に鍵を無くしちゃって合い鍵を作ったって。だからまた無くしてもいい様に作ってあげたの」
「人の家の鍵を勝手に作るなっ! それに、あんな紛らわしい事しちゃってさぁ! この、馬鹿っ! わたし、何の為に家に籠もってたのか、私の時間を返してよぉ!」
みるみる内に体温が上昇していく。恥辱が体の中に満ちあふれる。文は反省するつもりなどなく、口元に笑みを隠しきれないまま、はたてに視線を集める。
はたてが文の肩を掴みに掛かっても、顔色一つ変えるつもりもない。むしろ必死なはたてを見て悦に入ってしまっていた。
「そんな前の事、覚えてる訳がないじゃない……」
「あなたが覚えてなくても、私が覚えてた。それだけで十分だと思うけど」
「意味わかんない――」
そして、一つ推測。ひょっとしたら、本命の方にも鍵が入ってたのじゃないか、と。どちらを選んだとしても結果は同じだったんじゃないか、と。
結局、文の思うまま。勝手な勘違いで赤っ恥を掛かされて、その主犯は悪びれもなくニヤついたまま顔を覗いてくる。
しょげた顔を見られるのが嫌で、はたてが膝を抱えて縮こまると、文はテーブルの上に放置された綺麗にラッピングされた箱を見付ける。
はたてに断りを入れるはずもなく、無断でその箱を手元に。そして開封。しゅる、と解かれるリボンの音ではたてに視線が上がる。
「――ちょっと、何勝手に開けてんのよ!?」
「え? だって、これチョコレートでしょ? 私に宛てた」
「あんた、ねぇ……自意識過剰なのもいい加減にしなさいよ。文にあげるつもりなんて、ちっとも思ってないからっ」
文にペースを握られたくなくて、咄嗟に嘘が出てしまう。素直に本心を伝えられたのならどんなに楽だっただろうか。
しかし、毒を吐いたのにも拘らず、文は破顔したままだ。はたての嘘をいとも簡単に見抜いた様に、袋からチョコの入った箱を取り出す。
「随分と綺麗な箱ね。流石、修飾は得意なだけある」
「……馬鹿にしてんの?」
「いやいや、褒めてる。で、これは誰にあげるの? 友達の少ないはたてさん?」
「ほんっとにあんたは――」
嘘でも他の奴の名前を言ってやろうかと思った。けれど、その後の事を考えたら言えるはずもなかった。
それをネタにされて、また弄られる材料になってしまう。かと言って正直に答えるのも負けな気がする。
退路を探していると、咄嗟に頭に出てきた人物は犬走椛。ダメだった、彼女は自分にも文にも存在が近過ぎる。せめて文が知らない相手。
「ほら、他にあげる相手なんて居ないんでしょ? 私が貰ってあげるから有り難く思いなさい」
「ダメっ、ホントにダメだから――っ!」
「はたては往生際が悪い。観念なさい」
幾ら制止させても文が聞くはずがない。箱を開けられてしまい、中に詰めたチョコトリュフを目撃されてしまった。
さらに悦に満ちていく文の表情。そんな作って数日も経ってしまった物の何がいいのか。
形も崩れ、味も風味も只でさえないのに、それがさらに落ちてしまっている。そんな物を口にしたら不味いに決まってる。
しかし、文の目線が語っている。箱の中のチョコを凝視し、言葉より先に手が伸びていた。
「はたて、これなーんだ?」
と、文に何かを眼前に突き付けられた。一体なんだ? と目を白黒させると、血の気が一気に引いた。
見せられたのは一枚のカード。「あやへ」と丸っこい平仮名で書かれたのは、間違いなくはたての字。
すっかり忘れていた。味じゃ勝負できないから、ちょっと粋な事をしてやろうと思ったんだ。色取り取りのペンで華やかにしたメッセージカードを入れたばかりに自爆。
夕陽が差し込むこの部屋に負けないぐらい、はたての顔も真っ赤に染まってきた。
文が悦に浸っていたのもこれが原因だった。見え見えだった嘘に、これ以上ない証拠が生まれてしまった。
「あなたはもう、本当に……。素直に食べてって言えばいいのに」
食べちゃダメっ、と言葉にすると同時に、文は形の崩れかけているトリュフを一つ口に。
はたての中で味見した時の苦みとざらつきが蘇る。とても食べられたものじゃない。吐き出して欲しい。不味いなんて言葉を聞きたくなかった。
目も合わせて居られない。徐々に視線が落ちて、最後に捉えたのは文の喉元。
十分咀嚼したのか、嚥下されて喉を通っていく溶けたチョコ。飲み物もなしで食べきれる様な代物じゃない。
「うん、はたてにしちゃ上出来でしょ。暗黒物質量産機のあなたが、こんな物を作れるなんて思わなかったわ」
「やめ、て、よ……。そんな嘘吐かないでよ、不味いに決まってる。そりゃ、頑張ったけど……うまく、作れなくて――」
否定して欲しくて自ら予防線を張ってしまった。そんな事ないよ、美味しいよ、と言って貰いたくて。
文と顔は合わせられない。絶対に顔をしかめているだろうから。もしかしたら、わざと失敗した物を食べさせたと思われてるかもしれない。
日頃から憎まれ口ばかり叩いてるし、そんな風に思われても仕方ない。結局は自業自得なのだから。
「……はたて」
自分の殻に戻ろうとするはたてに、ふわりと笑み掛ける文。間が一つも二つも空いてから、ようやく顔を上げるはたて。
何よ、とまた憎まれ口を叩こうとしてしまった。どんなに頑張ってもこの程度で、それを渡す度胸なんてなかったんだから。
伸びてくる腕。肩に回されて抱き寄せられる。同時に口先に何かが触れる。何度も味わった苦いカカオだ。焦がして崩れて、まともに食べられたものじゃない。
吐き出されたのだろうか。「不味い、こんな物食えるか。お前が食え」なんて。沈む気持ちが一層出来損ないのチョコを苦くさせる。
けど、違和感を覚えた。捻じ込まれる様にしてチョコが口の中へ。しかし乱暴とは言い切れず、文の指先が押し込んだとは思い難かった。
「こうすれば、ちょっとは甘くなるでしょ」
口先が不意に寂しくなった。ココアパウダーが唇に付着していると言うのに、触れていた何かの熱を失った事からきゅっと胸の裏側が締め付けられる。
口の中でトリュフが転がる。何が甘いと言うのだ、苦くて何にも味が変わってなんかない。
恨めしくて文に目を注ぐと、夕焼けに晒された彼女の茶色く染まった唇が露わに。それがココアパウダーだとはすぐに気付く。
最初に食べた際に付着したものではない。わかるからこそ、今起こった事実を噛み締めてしまう。
苦みが広がるだけだった。でも、文が言葉通りほんの少し甘みを感じる。少し焦がしてしまったところも、僅かにまろやかに。
「なに、するのよ……突然――」
瞳が、声が、震えた。まともに文の姿を視界に収める事が出来ない。
今、自分が何をしたのかわからないほど、文も愚鈍ではない。けれど文はほくそ笑みながら反省するつもりなど微塵もなかった。
それどころか自分の唇に付いたパウダーを舌先でチロリと舐め取る。
「そんなに動揺することないでしょ? たかが口付けの一つや二つで」
逃避をしようとする頭を、たった一言で鷲掴みされる。逃げられなかった。チョコを口移しされた現実をありありと叩きつけられる。
たかが“口付け”。確かにそうかもしれない。それに特別な意味はないのかもしれない。けれど、文が口にした「ちょっとは甘くなる」と言うのは事実で。
「――そ、そういう問題じゃないっ。もう訳わかんない、頭ん中、もうぐちゃぐちゃで……」
「良かったよ、はたてが作ったチョコレート」
「やめて、そんな嘘……。言われたら、余計に辛い」
本当はその言葉だけで頭の中が真っ白になった。味はイマイチにも及ばないほど酷い物。それを美味しいだなんて馬鹿げている。
元の料理の酷さを知っているから、それよりは美味しいと告げているのだ。譲歩してるだけなんだ。はたてにはそうとしか思えなかった。
「まぁ確かに、味はあんまり良くはないわね。苦みを消そうとして砂糖入れ過ぎ。ちゃんと混ざってないし味がバラバラ。
形も崩れて風味もない。でも、作ってから大分時間経っちゃったみたいだし、それは仕方ないか」
「……そこまで言うなら、文のチョコレート食べさせてよ。私の事ボロクソに言っちゃってさぁ!」
「余計に辛いっていうから、正直な気持ちを伝えただけよ。でも頑張りは伝わったわ。それと、私のチョコはもうないのよ」
虚を突かれた様に怯むはたて。「あなたは何を言ってるの?」と文はとぼけた顔。
納得いく訳がないはたては歯噛みするも、文は依然として態度を変えない。
「えっ。だって、はたて、選ばせてあげたのに板チョコの方を持ってちゃったじゃない。折角手作りと教えたのにも拘らず」
「あれは――そのっ」
今更もう一つのチョコをください、なんて言える訳がない。文は最初に言ったのだ。どちらか“一つ”と。
それに乗っ取って義理チョコと思わしき板チョコを奪ったのは他でもない自分だ。
その結果、混入していた鍵に生活のリズムを崩されてしまった。本命の方にも鍵が入っていたのなら、そっちを貰っておけば良かった。
悔いても悔やみきれない。全ては文の手のひらの上だったのだ。どう転んでも、自分は文に敵う事もなく弄ばれてしまう結末だったんだ。
むしゃくしゃして来た。散々好き勝手やらかして、その主犯は抜け抜けと笑みを浮かべる。
「あーっ、もう責任取れ! 私のプライドをズタズタにしておいて、自分ばっかり退路を用意しやがってぇ!」
「そもそも、はたての勘違いから始まった事じゃない。自分の家の鍵すらわからないなんて、うくく――っ」
肩を掴んでも文は笑みを消す事が無かった。常日頃からの罵り合い。わかっているから文も乗ってくれる。
いい機会だ。自室に籠っている間に溜め込んでいた感情をぶつけさせて貰うとしよう。
今回ばかりは逃がしはしない。流石においたが過ぎる。
「だったら、あんな紛らわしい事しないでよ! 普通に渡せばいいじゃない!」
「それじゃ面白くないわ。結果はまぁ、大成功だったけどね。単純なはたてさん?」
「うっさい! どうせ、あっちのチョコにも鍵を仕込んでたくせにっ!」
「やーめーてー、はたてに襲われるー。私の純潔がー」
「変な事言うな! それにあんたが純潔な訳があるかぁ!」
夕暮れに差し掛かる頃、烏が鳴きながら寝床へと戻る。
それとは別の烏天狗が二人、窓の中に確認できた。
一本の木の天辺に上り詰めた犬走椛。彼女の千里眼は、はたての実家の窓に向けられている。
哨戒の仕事も終わり、その手には文がはたてに渡すはずだった本命のチョコ。
勝手に持ち去った上、躊躇なく開封。ビリビリと包装紙を剥がし、中身のチョコを頬張る。仕事上がりの疲れた体を癒す為に糖分を摂取。
風味は落ちてるも、味はまあまあ。市販されていない物だから味付けが荒いが、今はこの方が丁度いい。
「……そういうのは、せめてカーテンを閉めてからにしろって」
何を見たのか、彼女は深いため息。そして前言撤回。これでは甘ったるすぎる。
目に毒と判断したのか視線を切り、貪る様にまたチョコを口へと。
あっという間に食べきってしまった。まだ何かないかな、と袋を箱を漁ってみれど何も残っていない。
想いを込めた手紙なんかがあれば、みんなの前で音読してやろうかと目論んでただけあって、椛はつまらなそうに再びため息。
最後にまた窓を一瞥。やっぱり、目に毒だった。“チョコだけ”しか入ってなかった箱と袋を投げ捨て、椛はその場を後にした。
そして椛さん、ポイ捨てしないでください。
ツンデレはたてちゃん可愛い
甘々はたたん最高ォー!
無断で奪ったとは如何に。
>>窓を向けられていた
窓に
気弱なはたて、常にリードする文、どちらもいいキャラしてる。
萌え殺す気マンマンじゃねぇかwww
まさかこれが恋k(ぜってー違う
ただの憧れですねまじでいーなー望ましいな憧れるなーチクショウ。