「うーん、厄日かも知んない」
「何がよ?」
「今日、霊夢にまで良くされた……明日はきっとダイヤモンドブリザードね!」
「……今、すでに外が冬と変わらない事に関しては何も言わないのね?」
博麗神社。暦の上では秋、気温の上では夏の頃のはずの場所である。
しかし現在、空から降りしきるものは氷のつぶて。それが雨であればただ単に涼しさの恩恵と信じられるのだが、境内に積もるものはどう見ても氷雪。
青々とした葉の上、粉雪が雫となって石畳を叩く。すすきが透明から白に塗り変わって垂れ下がり、境内や鳥居も赤や灰色から積もる雪に色を乗っ取られていく。
現在進行形の白染の寒々しさは、昨日までの暑さは夢だったと誰にともなく力説。屈した者大多数。ひとまず急場の凌ぎとこたつやらストーブやらを引っ張り出すご家庭も少々。
急遽出してきたらしいこたつで片肘突く博麗の巫女もまた、その一人であった。
呆れた様子の巫女の問いに、一方のチルノは仁王立ちのまま自信満々に頷く。
「だって事実だし、それはあたいじゃないし、明日はあたいが降らせるもん。明後日もどんと来い!」
「帰れ。あとそれは"きっと"って言わない」
言葉とともに放られた蜜柑。ぱしっと小気味よい音を立ててチルノの掌に収まる。
しげしげと蜜柑を見て首を傾げる目は「凍らせればいいの?」と問うていたが、相手はと言えば、3個目の蜜柑剥きを無頓着とばかりに実行中。
チルノの視線に気付くと、彼女は何やらひらひらと手を振って言った。
「あー……いいや、やっぱ来たんならついでにそこらへんの蜜柑でも凍らせといて。
食べるときくらいは黙って食べなさいよ」
「はーい」
巫女の一瞥に氷精、手を挙げて返事。「よろしい」という巫女の大仰な頷きにひとまずその場に腰を下ろすと、彼女も巫女の対面に座り、みかんを手に掛けはじめた。
みかんA/状態:こおり。凍結。
それは小さな手の触れる側からパキパキと音を立て、少しずつ少しずつ凍っていく。
氷精が皮から実を取り出した時には、橙色の皮も花の開きかけるような形のまま凍ってしまっていたので、彼女はそれを見て手に持って動かしてと実に楽しげにしていた。
巫女も特に追い出す様子もなく、強いて言えば、はしゃぐチルノに何度か「黙って食べなさいよ」と小言らしきものを投げかけるきり。
しかし「まだ食べてないよ?」と氷精に言われると、何とも言い難い顔をし、そして自分の蜜柑に向き直ることを選んだようだ。
「言わにゃーよかった」というのは、その後の巫女の独り言である。
かつん、こつんと氷の粒がどこかに当たる音がする。
まだ粒くらいなら良いな、と蜜柑を口に放り込みながら巫女は思う。
四半刻ほどまえ、氷の妖精がいきなり雨戸・障子を開けて乱入してきた瞬間など、外は吹雪という言葉など生易しく思えるほどの冬が荒れ狂っていたのだ。その極寒の瞬間に外界との物理的な境界を破られたものだから、巫女の被害=逆鱗も比例してハンパ無かった。
「……………」
思うに、先ほどの氷精のダイヤモンドブリザードというのも、口任せのデマではないだろう。
神社から陰陽鬼神玉で吹っ飛ばされたチルノだが、再び神社の縁側に顔を載せる頃には、極寒もまだマシになっていたところを見ても推察できる。
この氷精も突然の冬の原因だろうなと巫女は直感に思っている。が、まず目の前にあるこたつ蜜柑の堪能。それが現在の彼女の優先順位を独占せしめていた。寒い日はこれに限る。
余談であるが、冒頭でチルノの言った"良くされた"とは、巫女から放たれた弾幕に蜜柑があったのが主な原因であったらしい。本人雑談。食料まで武器とするとはそれだけ巫女が周り見境無かったとも取れるが、氷精にとってはそうではなかったようだ。
「…………………」
こたつで暖まった肌に、氷精の冷気がいまは心地良い。心地良いのだが、ほんの少し気まずい。
嬉しげに氷みかんを頬張る氷精を前にした巫女。その口数が少なくなっていったのは、おそらく蜜柑剥きや寒さのためだけではなかっただろう。
「―――それで、なんかさ、今日はそこらじゅうで何かもらったりするのよ」
「へぇー」
雑談の時間はそう長くはなかったが、変化に必要となる時間は十分に満たしていたようだ。
氷精と巫女。二人(便宜的にこう表す)はこたつの中と外で向き合っていたはずだが、ここに居るのはこたつに入らない氷精と、寒がりで時に人外じみる人間で巫女である。さしたる時を置くこともなく、巫女がこたつを背負ったカタツムリ―――"こたつむり"に進化を果たすこととなった。結果、巫女が外界に見せる姿は頭と腕のみ。体勢としては氷精に背を向ける形となって、二人の会話はほんの少し遠くなっていた。
進化やら変化というものは、得てして他者を置いてきぼりにするものであるらしい。
しかし、両者とも特に不便な様子も見せない。現状で十分に満足できているようであった。
「雪玉は雪合戦だから投げ返したけど。魔理沙からは変なきのこ。まつぼっくりみたいなんだけど、濡らして凍らせてみたらくり、くり……くりむすまつりーみたいになってキレイだったわ。アリスからも凍らせたら美味しいってゆークッキーをもらったし。あれ、いちまつもよう? って言うみたいだけど。あとレティからは冬をもらったし。それで、霊夢からの蜜柑とか」
「へー」
「ね。霊夢はさ、これなんでか分かる? 霊夢はあたいがサイキョーだからみかんくれたの?」
「さぁ。あんたこそ、誰かから聞いてないの?」
言いつつ巫女はごそごそと体を動かす。寝転がったまま、こたつの角からチルノの方を覗く体制。こたつのだいたい90度角に沿って、殻であるこたつからのそのそと出てくる。その動きに合わせて、スカートに覆われた太ももまでが外気にさらけ出される。しかし、まだ膝から下に関してはこたつの中。意地でも、こたつから体全てを出さない。そこには何か生の執念のようなものが見える。生き物すげえと溜息をつきたくなる姿である。
かくして、霊夢の目にはむぅ、とばかりに分かりやすく腕を組んだっぽくみえる肘だけが映った。つまり肘。あと脇。ついでに机の上にあるだろう蜜柑を求めて手を彷徨わせる。
「えーと、誕生日? とか何とか大ちゃんが言ってた」
「大ちゃん?」
「うん、大ちゃんから」
霊夢は一瞬誰だ、と思ったが、チルノはそれで答えは十分であると思っているらしい。
まぁいいか。そう思う一方、その左手だけは相変わらず、暗闇で見なくても不気味な物体となって机の上を這い回り続けている。おかしい、なぜか蜜柑が見つからない。
「大ちゃんが、あたいの誕生日だからって。そうだ、大ちゃんにももらったんだ。これ」
これ、と言われても寝転がったままの霊夢には何も見えない。
寝転がったままでは蜜柑捜索も机の一部しか成し得ない。いい加減に身を起こして蜜柑も探そうかと思ったところで、はい、という声と同時に、ひんやりとした気配が机の上の手に触れた。
「ん?」
直感で掌を上に向けると、軽い何かがちょんと載せられる。
持ってきて見れば、掌の上に霜の張ったみかんの一粒がちょこんと乗っている。
「で、誕生日だとさ、何でたくさん何かがもらえるのよ? 大ちゃんは"誕生日だから"で判るみたいだけど、そりゃ嬉しいけどさぁ。分かんないんだよね」
「なんでって、誕生日ってつまり生まれた日だから? おめでたいって事なんじゃないの?」
「そうなのか。そうなのかなぁ。だって、ほら………」
霊夢が体を起こすと、机の上には蜜柑の食べかけとは別に、幾つか手の付けられていない蜜柑やその実が転がっている。寝転がった状態で届かないわけだ。蜜柑は氷精のすぐ近くで、凍らされて保管されていた。霊夢の手に載せられた一粒のように。
見ると、チルノの胸にはドングリで出来たブローチ。チルノ本人は不思議そうに首を傾げている。
「霊夢、一番最初の"生まれた日"ってさ、何もらえた?」
「はぁ?」
「一番最初になにかもらえるから、それがずうっと繰り返されてるってことなんでしょ?
……あたいは、その時なにもらったか覚えてないけどさぁ」
氷精は心の底から残念そうにぶーたれる。
"一番最初にもらえたもの"を忘れてしまって悔しい。そんな思いが言わずともありありと見えた。
「ね、霊夢は覚えてる?」とチルノは言う。
「生まれたときにもらえたもの」
「えー……めんどくさい。なに言えばいいのよ」
「だから、一番最初に生まれた日にもらったものだってば」
「……………」
今度は巫女が考える番だった。沈黙し、霊夢はその掌に乗った一粒を口に含む。噛む。口の中で、しゃくり、と音がする。蜜柑の粒は、中までしっかりと凍っていた。冬の戸外や氷室に置いても、こんなに綺麗には凍らないのではないか。
もぐもぐと噛み砕き、咀嚼しつつ、巫女は考えた。
"一番最初の生まれた日"……ってねぇ、最初から答えを言ってるようなものだと思うんだけど。つまりそれ以外で言えってこと? 妖精にも分かるように? ううむ。
……意外な難題である。というか、ふつーに生きてたらあんまり考えないような事だ。
チルノの方はと言えば、最初の1,2分ほどは質問の答えを待つようにそわそわとした様子であった。しかし、沈黙が長くなるにつれ、巫女が食べ終わると渡すという"わんこ蜜柑"の方に意識が傾いて、そちらの方に夢中になっている様子だった。別な意味でそわそわしている。
妙な沈黙はしばらく続いた。
ふいに巫女が立ち上がった。
チルノが質問してから、だいたい5分ほどが経っていた。
「……あれ、どしたのよ霊夢?」
氷精が声を掛けるその前で、巫女はおもむろにその身を翻す。
そうして部屋の隅にあった紙袋から一つ蜜柑を取り出すと、疑問符を頭に浮かべるチルノの掌に載せ、こう言った。
「チルノ、それ食べたら行くわよ」
「えっどこに? 何しに?」
「冬の妖怪んとこ。蒸し暑い秋を取り戻しに」
「えぇー!?」
チルノも思わず飛び上がった。
その拍子に取り落としそうになった蜜柑を何度かお手玉をしつつ、「なんで!?」と叫ぶ。
巫女の手にはいつの間にか玉串。外で見られる時の巫女が、箒と同じくらいの頻度で持っている物。
「あんたが来る前後で天気、というより季節がまるっきり変わったじゃない。一種の異変よこれ。異変は楽園の素敵な巫女が解決するものだって、相場が決まってるのよ」
「じゃあなんでレティ?」
「あんたがさっきそいつに冬をもらったって言ったじゃない」
「あー、言ったっけ? えー、でもさ。レティは負けないけど、負けたらみかんの皮凍らせられなくなるよ」
唇をとんがらせて言う姿はまるっきり子どもだ。
霊夢も呆れの溜息。
「蜜柑じゃなくても、同じよーな事は紅葉でも何できるでしょうが」
「同じじゃないよー。みかんじゃないとあれ、あのやわらかかったり、でもかたかったり、芯があったりするのがー」
「それなら、紅葉だって同じじゃない。紅葉は紅葉じゃないと楽しめないでしょ? 誰がしかが。」
「……あれっ、……そうかな?」
「そうでしょ? どれも違うんだから。知らないけど」
霊夢が言ったことはそんなに難しいことではなかったはずだ。
だが、チルノの方はそうでもなかったのか何やら眉間に皺を寄せた。次に両方のこめかみのあたりを、それぞれ両方の人差し指でぐるぐるとなぞる。うーんうーんと唸り、そして、びしっ! とその右手が"1"を示す。
何か閃きそうな哲学者の顔を子どもが真似すれば、もしかすると今の氷精のような顔になるかも知れない。
「霊夢、今のもう一回言って?」
「えー」
一方の巫女。ちょっと頬をふくらませる姿は、彼女も子どもっぽい。
いかにも面倒くさい、という顔で霊夢がしぶしぶと口を開く。
「………だから、その季節じゃないと楽しめないものがあるでしょ?
その時間で、その場所じゃないと楽しめないものがあるんなら、その時間、その場所をきっちり楽しみなさいってことよ。あんたが。」
ふむふむ、とチルノは大袈裟なくらいに頷く。そして聞いた。
「霊夢ー。さっき、あたい何てしつもんしたっけ」
「……………"一番最初の生まれた日に何をもらえるか"? 質問したことは覚えてたのね」
「あー…………」
チルノは、なんとなく今日見てきたヒトたちのことを思い出した。
いつも遊ぶヒト。いつもはあんまり見ないヒト。最近見なくなったヒトのことも思い出した。
昨日までの暑い日や、もっと前の温かい日、今日ではない寒い日とかもつられて思い出した。
"前の生まれた日"も、同じような光景を見ていた気がする。けれども、そこにあった物もあり、なかったものもあった。その前も、そのまた前も。その間だってそうだ。
思えば『たんじょうび、おめでとう』を分け目にしたら、いろいろ変わってるのが分かる。
無いものもあって、あるものもある。
ずっとずっと遡って……
………そして、ずっとずっと今に、戻ってきた。
「……………あー、そっか。何か分かった気がする。うん」
そしてもう一度、チルノは大きく頷いた。心の底から、納得したように。
霊夢はその姿を眺め小さく肩をすくめる。そしてチルノの背にある縁側に出ようと歩を進め、
「そりゃ良かったわ。んじゃ、私は冬の黒幕を倒しに」
「行かせないよ!」
―――仁王立ちをするチルノに阻まれた。
「みかん美味しかったわ。でもそれは別!」
胸を張って、実に良い笑顔で。
"異議あり!"やら"復唱要求!"とか聞こえてきそうなポーズを取り、チルノが吼えた。
「秋も良いけどそれも別! レティを倒しに行くんなら、あたいを倒してからいけーー!!」
「あー、はいはい。そう来ると思ったわ」
本日二度目の「言わなきゃよかった」が、苦笑する巫女の唇に乗る。
もっとも、背を向けたチルノの耳には届かなかったらしい。
木々には、まだ色づきに気付けるかどうかという程の葉が見える。境内には雪がうっすらと積もっているようにも見える。
相も変わらずの、覆い尽くすような寒さと白。
そこに衣服を翻し飛び出す、蒼い妖精と紅白の巫女。
天候に反して、その表情は何とも陽気なもの。
切られるような寒さ、しかし向き合う口元には笑みさえ浮かんでいるのだ。
「冬っぽいしねぇ……なんか最近の中では一番生き生きとした氷の妖精が見られそうね」
「ふっふっふ、もちろん見せてあげるよ!」
玉串を前に掲げ臨戦態勢を取る巫女。
それを前にして、氷精は笑んで掲げる。
高々と、彼女の作り出したスペルカードが動き出す。
ただ荒れるばかり降るばかりの氷雪が、静止する。
そして確かに意志を持って、ただ一人の巫女へと牙を剥かんと全ての方向を変えた。
巫女は笑う。
氷精も笑う。
それはもう楽しそうに。
おそらくはただ、楽しむために。
先手を取る少女はその蒼い瞳に獲物を捕らえ、溜めるように腕を曲げ。
「行くよぉっ、冬じゃなくて、レティでもなくて、あたいの全力を!!」
―――言葉と共に、そして"遊び"のためだけに。振り切る少女の腕は、その火蓋を切った。