―――長い冬にも、終わりが来る。
季節は廻り、巡りゆく。
巡り巡って、春が来る。
これは、そんな幻想郷の、とある一日のお話。
午前8時――― 博麗神社 境内
(今年の冬も、もう終わりねえ)
幻想郷にも、暖かな日差しの射すようになったとある日の朝。
ぼんやりと縁側に腰掛けながら、霊夢は一人、そんなことを思う。
時折吹く風は冷たいが、それでも最近は随分と暖かく、過ごしやすい。
この分であれば、リリーホワイトが騒ぎ出したり、紫が冬眠から目覚めてくるのもじきの話だろう。
日陰にはまだ雪が残っているものの、これも春先が過ぎる頃にはすっかり融けてなくなっているに違いない。
(チルノが残念がりそうね)
今年は雪の多い年であった。氷精であるチルノが仲良しのレティと共に、楽しそうに雪遊びをしていた様子を霊夢も何度か見ている。
だが、だからといってどうしてやることもできない。春は現実にすぐそこまで迫っているのだし、そうなれば、この雪も綺麗さっぱりなくなってしまうだろう。
霊夢はしばし庭先に残った雪を眺めながら、何事か考え込む。
「『残る雪 春先去るは 消ゆるこの』なんて……いまひとつかしら」
誰にともなく呟きつつ、「うーん」と唸りながらさらに思考を巡らせる霊夢。
すると、そんな霊夢に声をかける一人の人物があった。
「何の話ですか?」
「あら、早苗。来てたの」
「はい。おはようございます、霊夢さん」
唐突にかけられた声にも、少しも驚くことなく返事をする霊夢。
どうやら霊夢が雪を眺めながら考え込んでいる間に、早苗が来ていたようだ。
早苗はペコリと頭を下げると
「まだ寝ていらっしゃるかと思って声をかけなかったんですが、起きてらしたんですね。黙って入ってしまってすみません」
と、丁寧に霊夢へ詫びる。
霊夢は鷹揚に「別に、今更そんなこと気にしないの」と返すだけだった。
「それで、今のは?」
「庭先に雪が残ってたから、『残る雪』を季語にして一句詠んでみたのよ。春先が過ぎる頃には、もうこの雪も消えてなくなってしまうんだろうなって」
「霊夢さんに、そんな詩的な一面が!?」
「そんなに驚かれると心外なんだけど……それで、朝っぱらから何よ。分社の様子でも見に来てたわけ?」
「ええ。出来るだけ、こちらにも来れるときにはきちんと出向いてきませんと」
「あんたも暇ねえ」
「そうですかね?霊夢さんだけには言われたくないんですが」
「むう」
言い返せない霊夢を見つつ、早苗は微笑むと
「朝ごはん、まだですよね?よければ、私が作りますが」
そう言って、霊夢が『うん』とも『はい』とも『お願いね』とも言わない内に、縁側から台所へと向かっていく。
要するに、最初から、断られる可能性などは微塵も考えていないのである。
(なんだかなあ)と思いつつも、裏を返せばそれだけ早苗が霊夢を理解しているということでもある。
そのことにほんの少しだけ胸を温かくしつつ、霊夢は居間へと戻っていくのだった。
「もうすぐ、春が来るわね」
早苗の作った朝食――ほかほかのご飯、みそ汁、焼き魚に煮浸し。どれもシンプルではあるが丁寧な仕事で美味しい――を食べながら、霊夢は早苗に話しかける。
「ええ。本当に、早いものですね。何だか私、最近1年という時間が、昔に比べて恐ろしく短くなったような気がしてて」
「大げさねえ。でもたしかに、私も前よりは時間が経つのが早く感じるようになったかも」
「神奈子様や諏訪子様曰く、これから歳を重ねれば、もっともっと短くなっていくそうですよ」
「ま、あいつらは土台人間と感覚が違うだろうから、それはあんまりアテになりそうもないけど」
「また、春が来て、夏が来て、秋が来て……廻り廻っていく時間の中で、色んな事が変わっていくんでしょうね」
感傷的に早苗が言うと、霊夢は『ズズッ』とみそ汁をすすりながら
「あら、廻っていく時の中でだって、変わることばかりとは限らないわよ?」
「と言いますと、例えば?」
「例えば、そうね。あんたのとこの神様の酒好きなとこ、とか」
「神奈子様と諏訪子様の?」
何気ない霊夢の言葉に、ピクリと反応する早苗。
「ええ。本当、あんたのとこは、好きだもんねえ。今朝辺りも、何か企んでるんじゃないかしら」
「……勘ですか?」
「勘よ。当たり前じゃない」
「貴女の勘は……本当、良く当たるんですよねえ……」
「はあ」とため息を吐きつつ、早苗は立ち上がる。
その様子からすると、どうやら、思い当たる節があるようだった。
「やっぱり、何かありそうなの?」
「そうですね、差し当たって1つだけですが。取りあえず、確かめに行ってきます。片付けはこっちに戻ってきてから行いますので」
「別にいいわよ。作るのやってもらった上に、片付けまでやれなんて、さすがに私も言わないわ」
「そうですか?すみません。それでは」
「まったく、何事もなければいいけど」
ぶつぶつと言いながらも、手早く、家へ戻る準備を済ませた早苗。
彼女はそのまま縁側へと出ると、大急ぎで守矢神社へ飛び立って行くのだった。
「……ぐるぐる廻ってくものの中でも、廻そうが引っくり返そうが、何にも変わらないものだってあるのよね」
何とはなしに霊夢は呟くと、欠伸交じりに片付けを始める。
思いがけず2人分の食器を洗わなければならなくなったわけだが、朝から早苗の作る美味しいご飯が食べられたと思えば安いものだろう。
とはいえ、冷たい水で食器を洗うのは、この時期になってもまだ堪える作業である。
霊夢は、もうちょっと早苗に甘えれば良かったかもと、少しだけ後悔するのだった。
――――――――――――――――――――――――――――――
午前9時30分――― 守矢神社 居間
トクトク、トクトク。
朝を迎えた守矢神社に、何かを注ぐような、小さな水音が響き渡る。
はて、はたしてこれは何の音だろう。
無意識にその音を確認した少女は、無意識にその音の元へと向かって行く。
部屋の真ん中に置かれたちゃぶ台に、向かい合って座っている2人の人影。
そして、そのちゃぶ台に置かれた大きな瓶と、見るからに美味しそうなおでんの入った小鉢。
目前で何が起こっているのかを理解すると、少女はニヤリと笑って呟いた。
「ははあ。ね、ダンナ方、飲むの?今朝、おでんでお酒飲むの?※タガなんだね、あはは♪」 ※タガ…大酒飲み
「ええ」
「飲も!……あれ?今朝飲める軽めの酒、レアもの?」
「お、いいところに気が付いたね、諏訪子」
ちゃぶ台越しに問いかけてくる諏訪子に向かい、神奈子は笑ってみせた。
ちなみに、二柱に向かって「ダンナ方」と呼びかけた少女は、古明地こいしその人だ。
普段からふらふらと遊び歩いている彼女が今ここへいるのは、単なる偶然である。
神奈子もこいしに向かってナチュラルに返事をしているが、彼女の存在そのものには気づいていない。
げに恐ろしきは無意識の力である。
「滅多な事じゃ手に入らない一級品さ。諏訪子の言う通りで、ちょっと軽めだけど」
「そんなものどうしたのさ、神奈子」
諏訪子の問いかけに対し、神奈子は『よくぞ聞いてくれた』とでも言いたげな顔で
「以前、早苗と里へ行ったんだがな、その時に里の長からもらってきたのさ」
「里の長から?」
「ああ。私たちも、もはや人里にとっては欠かせない存在だから、これからもよろしくということらしい」
「ふうん、そんなことがあったの」
「まあ、早苗を中心にして、地道に信仰を増やしてきた成果かな。それがやっと形になってきたという事さ」
神奈子がそう言うと、諏訪子は得心したように「なるほどねえ」と頷いてみせる。
「そうなんだ。こんないいお酒が出てくるなんて、何かあるなとは思ったけど」
「まあ、たしかに。これは、普段から飲むには贅沢なものだからね」
「でも、そんなの勝手に飲んだら、あとで早苗に怒られない?」
「大丈夫、代わりの安酒を用意しておいた。飲み終わった後で空き瓶にこれを注いでおけば、早苗には分からないさ」
「そっか。うん、早苗は酒をあまり飲まないものねえ。もし中身が安酒でも、あとで飲んだ時、味がおかしいなんて思うはずもないってことね?」
「そういうこと。今日は丁度、早苗が朝早くから博麗神社へ行っていていないし」
「そうだね。それじゃ、バレない内に飲み始めちゃおうか」
「それじゃ、かんぱー……」
「かんぱ?」
瞬間、がらりと開かれる障子。
声の主など、二柱にとっては考えるまでもなかった。何故ならそれは、普段から彼女たちが最も聞き慣れているものだったから。
ついでに言えば、今最も会うはずのなかったもので、会いたくなかったものでもあった。
笑っていた。わざわざ振り向いて確かめるまでもなく、早苗の表情は間違いなく笑っていた。
そしてそれは、二柱にとって決して喜ばしいことではなかった。―――この風祝、こうやって静かに笑っている時が一番怖い。
朝っぱらから酒盛りの現行犯、恐怖の説教タイムへ突入かと思われたがしかし、そこから二柱の行動は速かった。
恐るべき速度と一体感で酒瓶やら猪口やらをそこいらへ隠すと、神奈子は自室へ向かいレコードを、諏訪子は物置部屋から古い本を引っ張り出してくる。
この間、一瞬。全てを終えるまでに、時間で言えばわずか0.8秒という、まさに文字通りの『神技』であった。
「関白宣言って、私は何度聞いても名曲だと感じるんだが、どう思う早苗?」
「カンパネルラってさ、やっぱり銀河鉄道の旅を通してすごく成長したと思うんだよね!ね、早苗?」
「『乾杯』って言おうとしてましたよね?」
「「な!?何故バレた!?」」
逆に問おう。
何故バレないと思ったのか。
「違うよ!長渕だよ!」
「今更『人生の大きな舞台に立ち』ってお年ですか。お二方とも、まずは正座。それから、今日はお昼ご飯抜きです」
「そ、そんなご無体な!」
「というか大体、どうして早苗がここに!?博麗神社に行ってたんじゃ!?」
「霊夢さんから『何かあいつらが企んでる気がする』と言われまして」
「またかあのアマー!!」
「霊夢さんは尼さんじゃなくて巫女さんで……何か前にもしましたね、こんなやりとり」
「早苗!すまなかった、そこの無邪気なカエルが『どうしてもあの酒を飲みたい』とせがむものだから」
「あー!神奈子、ひどい!」
わーわー。ぎゃーぎゃー。
彼女たちの一日の始まりは、今日も概ね平和なものであった。
「あーあ、何か知らないけど大変だねー……まあいいや。これ、いいやつなんだよね。一口だけ貰ってこっと」
こいし、一人勝ち。
げに恐ろしきは無意識の力である。
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午後1時――― 射命丸文の家
「んう……改題。『ハモの筋肉かく、人気の藻は偉大か?』……うん」
紙に向かいながら独り言を呟きつつ、文は頷いた。
「ボツ」
「でしょうね」
クシャクシャに丸めた紙を、部屋の端へポイと放り投げる文。
茶卓で静かにお茶を啜っていた椛は、彼女のそんな様子を見て、あからさまに嫌そうな声を上げる。
「……またですか、文様。まったく、何枚紙を無駄にすれば気が済むんですか?」
「素で下書き書き難し、です」
「さっきからそう言って、全然進んでないじゃないですか。少しは片付ける私の身にもなって下さいよ」
「生きててすみません」
「そこまで本気で謝られても困るんですが」
言いつつ、文の投げた紙をくずかごへ捨てる椛。気付けば、くずかごはもう山盛り一杯になってしまい、今にも崩れ出しそうだ。
椛はそのまま茶卓へと戻ると、湯飲みへコポコポとお茶を注ぎ、机とにらめっこをする彼女の元へと近づいていく。
「気分転換にお茶でもいかがですか?」
「私執筆する時はコーヒー派なもので」
「そうですか。じゃあ、これ要りませんね」
「ごめんなさい今コーヒー切らしてるんですよ欲しいです」
「最初から素直にそう言えばいいんですよ」
「大体、文様が執筆する時コーヒー派なことくらい知ってますよ。それが無いからこうやってお茶を出してるんですから」
そう文句を言いながら、椛は文の手元にお茶を置いた。
淹れたてのお茶からふわりとした香りが広がり、文は『ほう』と一つ息をつく。
「というか、さっきから書いているそれは、一体何の記事なんですか?割と意味不明なんですが」
「里で人気だという、自称魚絵師の藻妖怪の方についてまとめた記事です」
「何ですか魚絵師って。何ですか藻妖怪って」
「ですから、ハモの筋肉だとか、アユの背びれだとか、そういう絵を専門に描いている藻の妖怪の方で」
「もういいです……」
呆れたように言うと、茶卓へと戻る椛。
一方で文は、何かを思いついたかの様子で、原稿用紙にペンを走らせていく。
「ハモだけに、口の中で素敵なハーモニーを奏でるこの一品は……」
「さっきと完全に記事の内容が変わってるじゃないですか!」
再び、クシャリと紙を丸める文。放り投げられた原稿は、椛の手によって、無理矢理にくずかごへと押し込まれていった。
「やっぱり、あの一言が効いてるんですか?」
おそらく、文が陥っているスランプの原因だと思われるもの。
その心当たりがあったらしい椛が問いかけると、文は素直に頷いてみせた。
「そうですよね。誰だって、あんな一言を言われたら、傷つきますよ」
うんうんと頷いて、椛は数日前の出来事を回想し始める。
~回想~
「守矢神社へ取材に来たのはいいですけど、丁度神様の方々が出て行ってしまった様ですね……まあ、それならば早苗さんに独占取材のチャンス!おじゃましまーす!清く正しい射命丸で……」
「……はぁ。ちゃんとした記事ができてないんだから、こんなの発行しても仕方がないと思うんだけどなあ」
ぐさっ。文は心に深い傷を負った。
~回想終~
「回想短くないですか!?」
「いやあ、こんなものだと思いますけど」
「だって、3行ですよ!?」
「3行も使ってあげたんじゃないですか」
何の話か。
ともあれ、要するにそういう事なのである。
「目の前で、直接批判されるんなら、まだ受け止められる心もあるんですけどね……」
「割と不意打ちでしたしねえ」
妖怪の肉体は、精神に依存する。
その理屈で言えば、文が早苗から受けたダメージはクリティカルと呼んでも差し支えのないものであった。
何しろ文は、こう見えて誰かと会う時、常に「誰にどう自分の新聞を批判されようと、ある程度は受け流そう」ということを意識している。
そうする事によって、むやみやたらに精神、ひいては肉体にダメージがいかないようにしているのだ。
「取材対象に会っている時なら間違いなく張っているバリアも、会う前だったら機能しませんものね」
「うう、そうなんですよ」
「まあ、長年新聞を書いてて、今更そのぐらい言われたからって凹む文さんも、ちょっとメンタルが弱すぎるだろうとは思いますが」
ぐさっ。文の傷口に塩が塗られた。
「しくしく……」
「うっとうしいですねえ」
とにかく、早苗からその一言を聞いてしまったせいで、文は今だかつてないスランプに陥っている訳である。
彼女にしては珍しく、もう1か月もまともに新聞を出せていないことからも、十分に不調ぶりが伺えた。
「このままだと文々。新聞は『週刊文々。新聞』『月刊文々。新聞』『隔月刊文々。新聞』『季刊文々。新聞』なんて、どんどん刊行ペースが遅くなっていって……」
「その内、ヒッソリと廃刊ですか?」
「それは絶対にいやぁ!」
ついに「うわぁぁぁん!」と大声で泣き出し、文は机へと顔を突っ伏してしまった。
そんな彼女の姿に、椛は思わずため息をつく。
(早苗さんも、そんなつもりで言ってないと思うんだけどなあ)
早苗は真面目で、人の陰口を叩くようなタイプではない。それに、あの早苗の発言の直前に、千里眼を通して『視えて』いたものから考えれば、あれは―――
(まあ、たまには新聞が出ないなんて時期があってもいいと思うから、言わないんだけどね。文々。新聞の事を良く思ってる人ばかりでもないわけだし)
それより、今日の夕飯はどうしようかなあ。買い出しには行っておいた方が良いだろうか。あと、せめて文様を少しでも元気づけられるような料理を作らなくちゃ。
そんなことを考えつつ、椛は『ズズッ』とお茶を啜るのだった。
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午後8時――― 大妖精の家
「寝よう!お菓子ラブ!」
「歯ブラシ買おうよ、ね?」
外の世界の、チョコプレッツェルのお菓子……パッキーだったかペッキーだったか……を持ちながら、妙にはりきった様子でベッドへ向かうチルノちゃんに、私は思わず苦笑い。
一方のチルノちゃんは、私の言葉に「えー?」と頬を膨らませます。
「これ食べながら寝ようよー。もうお店も開いてないでしょ?」
「最近できたこんびに屋さんだったらまだ開いてるよ。それに、慧音先生も言ってたでしょ?甘いものを食べたら、必ず歯磨きをしなくちゃ虫歯になるって」
ぶーぶーと、不満そうな表情を浮かべるチルノちゃん。
私の家に泊まりに来て、おゆはんも食べてお風呂も入って、あとは朝までベッドでお喋り!なんて意気込んでいただけに、水を差されたと思っているのかもしれません。
でも、少しだけ拗ねて頬を膨らませているチルノちゃんも、ちょっと可愛いな、と思ってしまったり。
ともあれ、そんな彼女を宥めながら、私はお出かけのために準備をするのでした。
チルノちゃんが私の家に泊まると言い出したのは、今日ここへ来てすぐのこと。
何でも、以前に早苗さんから『ぱじゃまぱーてぃー』というものについて教えていただいたらしく、今日は最初から泊るつもりで来ていたそうです。
珍しくチルノちゃんが持っていた大きめの鞄の中には、彼女に良く似合う青色の可愛いぱじゃまと、たくさんのお菓子。
私としても、別に断る理由がある訳でもないですし、喜んで彼女を歓迎したのですが。
一つだけ困ったことが。
「だって、歯なんて普段からあんまり磨かないもん」
「妖精だって虫歯になるんだよ?それに、チルノちゃんは甘いもの大好きなんだから、きちんと歯磨きしなくちゃ」
「大ちゃんだって、甘いもの好きなくせにー」
「私はちゃんと、食べたら磨くようにしてるから」
お菓子は山ほど持ってきたチルノちゃんでしたが、歯ブラシは持ってくるのを忘れていたのでした(というよりも、元々持っていなかったみたいです)
私の家にも、歯ブラシなんて、私が普段使っている1本きりしかありません。
まさか、2人で一緒にこれを使う訳にもいきませんし……い、一瞬だって「いっそ、そうしちゃおうかな。むしろ、相手がチルノちゃんだったら、そうしちゃいたいな」なんて考えていませんよ?本当ですよ?
……話が逸れましたね。
そこで、さっき言ったこんびに屋さんが出てくるわけです。
何でも、早苗さんが外でよく利用していたという話を、商魂たくましい里の人が詳しく聞き出して、自分で始めたとのこと。
その名もずばり『雑貨・食料販売店 こんびに屋』。
日用品も食べ物も一通り揃っていて、それでいて『しふと制』を採用した24時間営業ということもあって、早くも里では人気が出ています。
ただ、早苗さんは、その名前を聞いて「『コンビニ』というのはあくまで通称であって、そういうことじゃないんだけどなあ」と、何とも微妙な顔をされていました。
「ねー、こんびに屋、まだー?」
「もうすぐだよ、ほらそこ」
飛び始めてしばらく。
チルノちゃんが文句を言い始めた頃、ようやく目的地が見えてきました。
というのも、真っ暗な周囲の中で、こんびに屋さんだけは夜でも煌々と灯りがついているので、例え空を飛んでいてもすぐに分かるんです。
「早く入って、歯ブラシだけ買って帰ろう?」
「うん。あたい疲れちゃったし」
なんて、会話を交わしたのがおよそ30分前のこと。
「ふふふー♪いっぱい買っちゃったー♪」
そう言って、さっきまでの機嫌の悪さはどこへやら、ニコニコと上機嫌で私の隣を飛ぶチルノちゃん。
彼女の手には、とても歯ブラシだけが入っているとは思えないサイズの袋が握られています。
それもそのはず。こんびに屋さんの、思いがけない程のお菓子の多さに興奮したチルノちゃんが、おこづかいの許す範囲で色んなお菓子を買い漁っていったんです。
「もう、チルノちゃんったら。私の家にだって、お菓子たくさん持ってきてたのに」
「だって、朝まで2人でお喋りするんだよ?足りなくなったら困るもん」
いいえ、チルノちゃんが私の家に持ってきてたお菓子だって、相当の量です。
絶対に、朝までかかったって食べきれないでしょう。その上また買い込んでるし。
でも、それだけチルノちゃんが私とお泊りするのを楽しみにしていたのかもと思うと、何だかとっても嬉しかったり。
どのお菓子を食べながら、どんなお話をしようか、今から私もワクワクです。
ただその前に、1つだけ気になっていたことが。
「お菓子といえば、チルノちゃん、ここの所家に来る度に持ってきてくれるよね。おこづかい、そんなにあるの?」
そう、チルノちゃんが私の家へ遊びに来るときお菓子を持ってきてくれたのは、今日が初めてではありません。ここ数か月は、毎回のようにです。
私の知らないところで何かお仕事をしていて、そのお給料でお菓子を買っているのかも。そんなことを思いながら問いかけたのですが、返ってきたのは思いもかけない答え。
「ううん。あたい、お金なんてそんなに持ってないよ」
「そうなの?それじゃあ、いつも持ってきてくれるお菓子は、どうしてるの?」
「ゆゆこにもらってるの」
「幽々子様に?」
「うん」
チルノちゃんと幽々子様。時折宴会で顔を合わせる機会くらいしかないと思っていたのですが、いつの間にそんなに仲良くなったんだろう。
私の不思議そうな表情を見抜いたのか、チルノちゃんは続けて説明してくれます。
「前にゆゆこが、自分ちのお風呂のカマでプリンを作ってたことがあってね」
「お風呂のカマで!?」
「すごかったよ~。でも、そんなの中々冷やせないでしょ?だから、ゆゆこが困って、あたいに冷やすの手伝ってーってお願いしてきて。それから、ゆゆこの家に遊びにいくようになったんだ~♪」
とても楽しそうに、そう話すチルノちゃん。
お風呂のカマでプリンって、一体何人前あるんだろう。それに、そんな沢山の材料を集めるのだって、どうやったのか想像もつかないです。
何だかとっても面白そうなお話で、私としても聞かずにはいられません。
「ねえチルノちゃん。帰ったら、そのお話詳しく教えてくれる?」
私が問いかけると、チルノちゃんはにっこりと笑って
「もちろん!」
と答えてくれたのでした。
――――――――――――――――――――――――――――――
午後10時――― 守矢神社
「寝る時、拭き取るね!」
酔っぱらいすぎてお酒を机へこぼしつつ、あははーとそんな風に笑っていた諏訪子様は、やっぱり後片付けもせずに眠りこけてしまいました。
大体予想できたことなので、別に腹も立ちません。ただ、おでこには、でっかく『ハマチ』と落書きさせていただきました。
「すまないねえ、早苗」
「構いませんよ。でも、神奈子様も大分飲まれていたようですけど」
「いやいや、舐めちゃいけないよ。あの程度の量で」
「本当今日はお二方とも、朝からお酒の事しか考えてないですよね」
「誠に申し訳ありませんでした」
今朝お説教したばかりなのに、よくその日の内に飲む気になるなあ。
その心の強さ、逆に尊敬してしまいそうです。絶対にしませんが。
神奈子様と共に片付けを済ませ、寝室にて。
私は今日も色んな事があったなあ、と振り返ります。
朝から博麗神社の分社へ行って、霊夢さんと朝ごはんを食べたり。
午前中は二柱へお説教をしたり。
その後会ったチルノちゃんが『今日は大ちゃんの所へお泊りしに行くのよ!』なんてはしゃいでいたり。
そういえば、最近文さんが来ないなあ。どうしたんだろ?
「たしか、文さんが最後にここに来たのは、朝からパンを作ってた日で……」
~回想~
「……ああ、諏訪子様、駄目ですって!そんなに適当なお水の入れ方したら!か、神奈子様!パン作りに御柱は必要ないですよ!?……え、大体こんなもんでいいだろうって……分かりました。寝かせている間は私が見ていますから、お二方はどうぞ出てきてください。……もう。お二方とも、しょうがないなあ」
「おじゃましまーす!清く正しい射命丸で……」
「……はあ。ちゃんとした生地が出来てないんだから、こんなの発酵しても仕方がないと思うんだけどなあ」
~回想終~
あの後、何故か文さんがひどくションボリしていた様子を見かけたのを、今でも覚えています。何があったんでしょう?
ともあれ、ここで過ごしていると、本当に毎日色々なことがあって退屈しないものです。
今日も色々なことがありましたが、ついこの間だって、魔理沙さんと霊夢さんに唆されて、人里のお店のイベントで変なグランプリをもらってしまって―――
そこまで考えていたところで、まるで私の考えていることを見抜いたかの様に、神奈子様が声をかけてきました。
「それにしても、早苗もすごいよねえ。何せ、『幻想郷一野菜が似合う女性』だもんね。『ミス八百屋』だっけ?」
「あう、その話は止めて下さい……。恥ずかしいんですから」
「いやあ、恥ずかしがることはないと思うけどね。すごいじゃないか」
「もうっ。それじゃあ、そろそろ明かりを消しますよ。おやすみなさい」
「うん」
明かりを消すほんの直前。ニコリと微笑むと、神奈子様は言いました。
「ミス八百屋、文、おやすみ!」
「だからその呼び方やめてくださいよ!というか、文さんいるんですか!?」
「な!?何故バレた!?」
「天井裏!?」
「大方ネタ探しで忍び込んだつもりだろうけど、神様にそんな手が通用すると思ったかい?」
わーわー。ぎゃーぎゃー。
私たちは、一日の終わりまで、今日も概ね平和に大騒ぎをしていたのでした。
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深夜2時――― 守矢神社 縁側
トクトク、トクトク。
深夜の守矢神社に、何かを注ぐような、小さな水音が響き渡る。
はて、こんな時間に誰か起きているのだろうか。
喉の渇きに目覚め、台所へと向かっていた神奈子は、何気なく音のする方へと向かっていく。
縁側に腰掛ける神様と、その傍らに置かれた湯飲み。
そして、何枚かのお煎餅が入った菓子鉢。
目前で何が起こっているのかを理解すると、神奈子は悪戯っぽく微笑みながら呟いた。
「飲むの?」
「……白湯さ」
諏訪子はそう言って、ホカホカと湯気を立てる湯飲みを神奈子に見せる。
「というか、お酒飲んでないのなんて、見れば分かるでしょうに」
「冗談よ。それにしても白湯ねえ、珍しい。酔い覚ましか何か?」
神奈子が問いかけると、諏訪子はばつが悪そうに
「いやあ、朝からお酒のことで早苗に怒られたのもあるしね。それに、2人して年の初めに誓いも立てたじゃない。今年は、飲むお酒の量を減らすって。神奈子だって、忘れたわけじゃないでしょ?」
「断念した。また、新年だ」
「新年ついこないだ来たばっかりだよ!?」
「そう言う諏訪子だって、さっきまで酔い潰れて寝てたのに」
「うっ」
言葉に詰まる諏訪子。
そんな彼女を見ながら、神奈子は「私もお白湯、貰おうかしら」と、台所へ向かうのだった。
暖かくなってきたとはいえ、夜はまだ冷える季節である。
神奈子も諏訪子と同じように縁側へと腰かけたその時、びゅんと風が吹き抜けた。
その冷たさに、思わず神奈子はぶるりと身を震わせる。
「ね、諏訪子。中に入らないの?」
「まだお酒が抜け切ってないからね、丁度良いよ。寒いなら、それ飲んでたら?」
諏訪子の言う通り、持ってきた湯飲みへと口をつける神奈子。
じんわりとした温かさが体の芯まで染み渡り、彼女はほっと一息つく。
「……美味しい」
「たまに飲むといいものでしょ?」
「ええ。不思議ねえ、本当にただのお白湯なのに」
「ふふっ。寒い中で飲んでるから、また格別なのかもね。ほら、おせんべも美味しいよ?」
パリパリ。
パリパリ。
しばらくの間、辺りには、二柱のお煎餅を食べる音だけが響き渡った。
やがてその音も止んだ頃、諏訪子が静かに口を開く。
「最近さ」
「ん?」
「早苗も、随分しっかりしてきたと思わない?」
諏訪子の問いかけに、神奈子は少しの間「うーん」と考えた後
「たしかに。何かした?」
「何もしてなんてないさ。でも、あの子は自分の足で色んな所に行って、自分でどんどん成長してるんだ。大したもんだよ」
「ついこないだまで『かなこさまー、すわこさまー』なんて、何するにも私たちにべったりだったのにね」
「本当にその通りでさ。さっき、私、酔って寝ちゃってたでしょ?その時、夢に小さい頃の早苗が出てきてたんだよね。もう、本当に可愛くてさ。いつまででもぎゅーっと抱きしめてたいくらいだった」
「あったねえ、早苗にもそんな頃が。本当、その頃の早苗は目に入れても痛くないくらいで」
「けどもう、早苗もそんな歳じゃなくなりつつあるんだよね。どんどん大きくなって、色んなことが自分一人でできるようになっていって。そうやって歳月が廻っていくのなんて、本当、残酷なくらいあっという間だねえ」
感傷的に諏訪子が言うと、思わず『プッ』と吹きだしてしまう神奈子。
諏訪子は、そんな神奈子に対してムッとした顔を浮かべてみせる。
「むう。何よ、私がこんなこと考えたら悪いっていうわけ?」
「いやいや、別に悪くはないんだけどね。だってあんた、おでこにでっかく『ハマチ』って書かれてるのに、そんなしんみりした台詞を言うんだもの。面白くなっちゃって……」
「え!?嘘!?」
「あんたがさっき寝てるうちに、早苗がやったのよ」
そう言いながら神奈子がどこからか取り出した手鏡を見つつ、「くそ~、早苗め~」と唸る諏訪子。
神奈子はひとしきり笑い終えると、優しく諏訪子へ語りかける。
「たしかに、月日は残酷にも思えるくらいあっという間に廻っていくし、その中で早苗もどんどん変わっていってるよ。それは事実さ」
「うん」
「だけど、そんな廻っていく日々の中でも、変わらないものもあるんじゃないかい?」
「変わらないもの?」
「ああ。例えば、私たちが、どんなことがあっても早苗を好きだという気持ち、とかね。諏訪子だって、何があっても早苗の事が好きだという気持ちは変わらないだろう?」
神奈子の問いかけに、諏訪子は力強く頷いた。
「そりゃあね。未来永劫、どんなことがあったって、変わるわけないさ」
「だったら、それでいいじゃないか。早苗はどんどん変わっていくし、もしかしたらその中で、私たちが必要でなくなる日も来るかもしれない。それでも、私たちは早苗の事が大好きだ。必要とされればそれに応えてやるし、例えいらないと言われたって、遠くから見守るくらいの事はする。それで、何の問題があるんだい?」
少しの静寂。
神奈子の言葉を受け、考えていた諏訪子だったが、やがて納得したように頷いてみせた。
「何だか悟ってるねえ、神奈子」
「何、あんたが親バカすぎるのよ、諏訪子。この所、早苗に頼られる機会が減ってたから、寂しかったんでしょ?」
「……うん」
「神様なんだから、もっと、ドーンと大きく構えてなさいよ。そうじゃなかったら、早苗だって頼るに頼れないわよ?」
「あーうー」
神奈子の厳しい言葉に、諏訪子は思わず天を仰ぐ。
「でも、神奈子の言う通りだね。私たちは、ただ、今まで通り、早苗を好きなだけでいいんだ」
「ええ。それだけでいいの」
「そっか。寂しいからって、後ろ向きになってたかな」
「早苗が、一人でできることが増えたっていうことは嬉しいことよ?私たちも、もっと一緒に喜んであげないと」
「うん、そうだね。おかげで吹っ切れたよ。ありがとね、神奈子」
諏訪子の言葉に、神奈子は何も言わず、ただ微笑んでみせるのだった。
寝室へと向かった二柱は、早苗を起こさないよう、静かに部屋へと入る。
暗くて見ることができないのが残念だが、きっと早苗は昔と変わらない天使のような可愛い寝顔を浮かべているのだろう。
二柱がそんなことを思っていると、早苗の口から小さな寝言が漏れる。
「むにゃ……そんなに飲んだらダメですよ、神奈子様、諏訪子様……」
「やれやれ。夢の中でもお説教されちゃってるよ。どうする?神奈子」
「本当に大きくなったわねえ、早苗は」
今朝の出来事でも夢に見ているのだろうか。
夢の中でも生真面目に二柱を叱る早苗に、思わず神奈子と諏訪子は苦笑を浮かべた。
「それじゃあ」
「おやすみ」
寝坊すればまたお説教の種になりかねないな、などとそれぞれに考えつつ。
布団へ横になり、軽く挨拶を交わすと、二柱もまた、眠りへと就く。
―――いつかきっと、私たちの助けなどなくとも、早苗が何でもできるようになる時が来るのだろう。
それは、もう目前まで迫っている、この春なのかもしれない。
例えそうだとしても、私たちが早苗を好きならば、それで何の問題がある?
眠りに落ちる寸前、諏訪子は先ほど神奈子と交わしたやり取りを思い出していた。
寂しい気持ちは、まだ完全に消えたわけではない。けれど、廻り、廻る、世界の中で、変わっていくものを受け止めなければならないこともある。
大丈夫。私たちは早苗が大好きなんだ。その気持ちが変わらない限りは、きっと何があっても大丈夫。
春は、もうすぐ。
季節は廻り、巡りゆく。
巡り巡って、春が来る。
これは、そんな幻想郷の、とある一日のお話。
午前8時――― 博麗神社 境内
(今年の冬も、もう終わりねえ)
幻想郷にも、暖かな日差しの射すようになったとある日の朝。
ぼんやりと縁側に腰掛けながら、霊夢は一人、そんなことを思う。
時折吹く風は冷たいが、それでも最近は随分と暖かく、過ごしやすい。
この分であれば、リリーホワイトが騒ぎ出したり、紫が冬眠から目覚めてくるのもじきの話だろう。
日陰にはまだ雪が残っているものの、これも春先が過ぎる頃にはすっかり融けてなくなっているに違いない。
(チルノが残念がりそうね)
今年は雪の多い年であった。氷精であるチルノが仲良しのレティと共に、楽しそうに雪遊びをしていた様子を霊夢も何度か見ている。
だが、だからといってどうしてやることもできない。春は現実にすぐそこまで迫っているのだし、そうなれば、この雪も綺麗さっぱりなくなってしまうだろう。
霊夢はしばし庭先に残った雪を眺めながら、何事か考え込む。
「『残る雪 春先去るは 消ゆるこの』なんて……いまひとつかしら」
誰にともなく呟きつつ、「うーん」と唸りながらさらに思考を巡らせる霊夢。
すると、そんな霊夢に声をかける一人の人物があった。
「何の話ですか?」
「あら、早苗。来てたの」
「はい。おはようございます、霊夢さん」
唐突にかけられた声にも、少しも驚くことなく返事をする霊夢。
どうやら霊夢が雪を眺めながら考え込んでいる間に、早苗が来ていたようだ。
早苗はペコリと頭を下げると
「まだ寝ていらっしゃるかと思って声をかけなかったんですが、起きてらしたんですね。黙って入ってしまってすみません」
と、丁寧に霊夢へ詫びる。
霊夢は鷹揚に「別に、今更そんなこと気にしないの」と返すだけだった。
「それで、今のは?」
「庭先に雪が残ってたから、『残る雪』を季語にして一句詠んでみたのよ。春先が過ぎる頃には、もうこの雪も消えてなくなってしまうんだろうなって」
「霊夢さんに、そんな詩的な一面が!?」
「そんなに驚かれると心外なんだけど……それで、朝っぱらから何よ。分社の様子でも見に来てたわけ?」
「ええ。出来るだけ、こちらにも来れるときにはきちんと出向いてきませんと」
「あんたも暇ねえ」
「そうですかね?霊夢さんだけには言われたくないんですが」
「むう」
言い返せない霊夢を見つつ、早苗は微笑むと
「朝ごはん、まだですよね?よければ、私が作りますが」
そう言って、霊夢が『うん』とも『はい』とも『お願いね』とも言わない内に、縁側から台所へと向かっていく。
要するに、最初から、断られる可能性などは微塵も考えていないのである。
(なんだかなあ)と思いつつも、裏を返せばそれだけ早苗が霊夢を理解しているということでもある。
そのことにほんの少しだけ胸を温かくしつつ、霊夢は居間へと戻っていくのだった。
「もうすぐ、春が来るわね」
早苗の作った朝食――ほかほかのご飯、みそ汁、焼き魚に煮浸し。どれもシンプルではあるが丁寧な仕事で美味しい――を食べながら、霊夢は早苗に話しかける。
「ええ。本当に、早いものですね。何だか私、最近1年という時間が、昔に比べて恐ろしく短くなったような気がしてて」
「大げさねえ。でもたしかに、私も前よりは時間が経つのが早く感じるようになったかも」
「神奈子様や諏訪子様曰く、これから歳を重ねれば、もっともっと短くなっていくそうですよ」
「ま、あいつらは土台人間と感覚が違うだろうから、それはあんまりアテになりそうもないけど」
「また、春が来て、夏が来て、秋が来て……廻り廻っていく時間の中で、色んな事が変わっていくんでしょうね」
感傷的に早苗が言うと、霊夢は『ズズッ』とみそ汁をすすりながら
「あら、廻っていく時の中でだって、変わることばかりとは限らないわよ?」
「と言いますと、例えば?」
「例えば、そうね。あんたのとこの神様の酒好きなとこ、とか」
「神奈子様と諏訪子様の?」
何気ない霊夢の言葉に、ピクリと反応する早苗。
「ええ。本当、あんたのとこは、好きだもんねえ。今朝辺りも、何か企んでるんじゃないかしら」
「……勘ですか?」
「勘よ。当たり前じゃない」
「貴女の勘は……本当、良く当たるんですよねえ……」
「はあ」とため息を吐きつつ、早苗は立ち上がる。
その様子からすると、どうやら、思い当たる節があるようだった。
「やっぱり、何かありそうなの?」
「そうですね、差し当たって1つだけですが。取りあえず、確かめに行ってきます。片付けはこっちに戻ってきてから行いますので」
「別にいいわよ。作るのやってもらった上に、片付けまでやれなんて、さすがに私も言わないわ」
「そうですか?すみません。それでは」
「まったく、何事もなければいいけど」
ぶつぶつと言いながらも、手早く、家へ戻る準備を済ませた早苗。
彼女はそのまま縁側へと出ると、大急ぎで守矢神社へ飛び立って行くのだった。
「……ぐるぐる廻ってくものの中でも、廻そうが引っくり返そうが、何にも変わらないものだってあるのよね」
何とはなしに霊夢は呟くと、欠伸交じりに片付けを始める。
思いがけず2人分の食器を洗わなければならなくなったわけだが、朝から早苗の作る美味しいご飯が食べられたと思えば安いものだろう。
とはいえ、冷たい水で食器を洗うのは、この時期になってもまだ堪える作業である。
霊夢は、もうちょっと早苗に甘えれば良かったかもと、少しだけ後悔するのだった。
――――――――――――――――――――――――――――――
午前9時30分――― 守矢神社 居間
トクトク、トクトク。
朝を迎えた守矢神社に、何かを注ぐような、小さな水音が響き渡る。
はて、はたしてこれは何の音だろう。
無意識にその音を確認した少女は、無意識にその音の元へと向かって行く。
部屋の真ん中に置かれたちゃぶ台に、向かい合って座っている2人の人影。
そして、そのちゃぶ台に置かれた大きな瓶と、見るからに美味しそうなおでんの入った小鉢。
目前で何が起こっているのかを理解すると、少女はニヤリと笑って呟いた。
「ははあ。ね、ダンナ方、飲むの?今朝、おでんでお酒飲むの?※タガなんだね、あはは♪」 ※タガ…大酒飲み
「ええ」
「飲も!……あれ?今朝飲める軽めの酒、レアもの?」
「お、いいところに気が付いたね、諏訪子」
ちゃぶ台越しに問いかけてくる諏訪子に向かい、神奈子は笑ってみせた。
ちなみに、二柱に向かって「ダンナ方」と呼びかけた少女は、古明地こいしその人だ。
普段からふらふらと遊び歩いている彼女が今ここへいるのは、単なる偶然である。
神奈子もこいしに向かってナチュラルに返事をしているが、彼女の存在そのものには気づいていない。
げに恐ろしきは無意識の力である。
「滅多な事じゃ手に入らない一級品さ。諏訪子の言う通りで、ちょっと軽めだけど」
「そんなものどうしたのさ、神奈子」
諏訪子の問いかけに対し、神奈子は『よくぞ聞いてくれた』とでも言いたげな顔で
「以前、早苗と里へ行ったんだがな、その時に里の長からもらってきたのさ」
「里の長から?」
「ああ。私たちも、もはや人里にとっては欠かせない存在だから、これからもよろしくということらしい」
「ふうん、そんなことがあったの」
「まあ、早苗を中心にして、地道に信仰を増やしてきた成果かな。それがやっと形になってきたという事さ」
神奈子がそう言うと、諏訪子は得心したように「なるほどねえ」と頷いてみせる。
「そうなんだ。こんないいお酒が出てくるなんて、何かあるなとは思ったけど」
「まあ、たしかに。これは、普段から飲むには贅沢なものだからね」
「でも、そんなの勝手に飲んだら、あとで早苗に怒られない?」
「大丈夫、代わりの安酒を用意しておいた。飲み終わった後で空き瓶にこれを注いでおけば、早苗には分からないさ」
「そっか。うん、早苗は酒をあまり飲まないものねえ。もし中身が安酒でも、あとで飲んだ時、味がおかしいなんて思うはずもないってことね?」
「そういうこと。今日は丁度、早苗が朝早くから博麗神社へ行っていていないし」
「そうだね。それじゃ、バレない内に飲み始めちゃおうか」
「それじゃ、かんぱー……」
「かんぱ?」
瞬間、がらりと開かれる障子。
声の主など、二柱にとっては考えるまでもなかった。何故ならそれは、普段から彼女たちが最も聞き慣れているものだったから。
ついでに言えば、今最も会うはずのなかったもので、会いたくなかったものでもあった。
笑っていた。わざわざ振り向いて確かめるまでもなく、早苗の表情は間違いなく笑っていた。
そしてそれは、二柱にとって決して喜ばしいことではなかった。―――この風祝、こうやって静かに笑っている時が一番怖い。
朝っぱらから酒盛りの現行犯、恐怖の説教タイムへ突入かと思われたがしかし、そこから二柱の行動は速かった。
恐るべき速度と一体感で酒瓶やら猪口やらをそこいらへ隠すと、神奈子は自室へ向かいレコードを、諏訪子は物置部屋から古い本を引っ張り出してくる。
この間、一瞬。全てを終えるまでに、時間で言えばわずか0.8秒という、まさに文字通りの『神技』であった。
「関白宣言って、私は何度聞いても名曲だと感じるんだが、どう思う早苗?」
「カンパネルラってさ、やっぱり銀河鉄道の旅を通してすごく成長したと思うんだよね!ね、早苗?」
「『乾杯』って言おうとしてましたよね?」
「「な!?何故バレた!?」」
逆に問おう。
何故バレないと思ったのか。
「違うよ!長渕だよ!」
「今更『人生の大きな舞台に立ち』ってお年ですか。お二方とも、まずは正座。それから、今日はお昼ご飯抜きです」
「そ、そんなご無体な!」
「というか大体、どうして早苗がここに!?博麗神社に行ってたんじゃ!?」
「霊夢さんから『何かあいつらが企んでる気がする』と言われまして」
「またかあのアマー!!」
「霊夢さんは尼さんじゃなくて巫女さんで……何か前にもしましたね、こんなやりとり」
「早苗!すまなかった、そこの無邪気なカエルが『どうしてもあの酒を飲みたい』とせがむものだから」
「あー!神奈子、ひどい!」
わーわー。ぎゃーぎゃー。
彼女たちの一日の始まりは、今日も概ね平和なものであった。
「あーあ、何か知らないけど大変だねー……まあいいや。これ、いいやつなんだよね。一口だけ貰ってこっと」
こいし、一人勝ち。
げに恐ろしきは無意識の力である。
――――――――――――――――――――――――――――――
午後1時――― 射命丸文の家
「んう……改題。『ハモの筋肉かく、人気の藻は偉大か?』……うん」
紙に向かいながら独り言を呟きつつ、文は頷いた。
「ボツ」
「でしょうね」
クシャクシャに丸めた紙を、部屋の端へポイと放り投げる文。
茶卓で静かにお茶を啜っていた椛は、彼女のそんな様子を見て、あからさまに嫌そうな声を上げる。
「……またですか、文様。まったく、何枚紙を無駄にすれば気が済むんですか?」
「素で下書き書き難し、です」
「さっきからそう言って、全然進んでないじゃないですか。少しは片付ける私の身にもなって下さいよ」
「生きててすみません」
「そこまで本気で謝られても困るんですが」
言いつつ、文の投げた紙をくずかごへ捨てる椛。気付けば、くずかごはもう山盛り一杯になってしまい、今にも崩れ出しそうだ。
椛はそのまま茶卓へと戻ると、湯飲みへコポコポとお茶を注ぎ、机とにらめっこをする彼女の元へと近づいていく。
「気分転換にお茶でもいかがですか?」
「私執筆する時はコーヒー派なもので」
「そうですか。じゃあ、これ要りませんね」
「ごめんなさい今コーヒー切らしてるんですよ欲しいです」
「最初から素直にそう言えばいいんですよ」
「大体、文様が執筆する時コーヒー派なことくらい知ってますよ。それが無いからこうやってお茶を出してるんですから」
そう文句を言いながら、椛は文の手元にお茶を置いた。
淹れたてのお茶からふわりとした香りが広がり、文は『ほう』と一つ息をつく。
「というか、さっきから書いているそれは、一体何の記事なんですか?割と意味不明なんですが」
「里で人気だという、自称魚絵師の藻妖怪の方についてまとめた記事です」
「何ですか魚絵師って。何ですか藻妖怪って」
「ですから、ハモの筋肉だとか、アユの背びれだとか、そういう絵を専門に描いている藻の妖怪の方で」
「もういいです……」
呆れたように言うと、茶卓へと戻る椛。
一方で文は、何かを思いついたかの様子で、原稿用紙にペンを走らせていく。
「ハモだけに、口の中で素敵なハーモニーを奏でるこの一品は……」
「さっきと完全に記事の内容が変わってるじゃないですか!」
再び、クシャリと紙を丸める文。放り投げられた原稿は、椛の手によって、無理矢理にくずかごへと押し込まれていった。
「やっぱり、あの一言が効いてるんですか?」
おそらく、文が陥っているスランプの原因だと思われるもの。
その心当たりがあったらしい椛が問いかけると、文は素直に頷いてみせた。
「そうですよね。誰だって、あんな一言を言われたら、傷つきますよ」
うんうんと頷いて、椛は数日前の出来事を回想し始める。
~回想~
「守矢神社へ取材に来たのはいいですけど、丁度神様の方々が出て行ってしまった様ですね……まあ、それならば早苗さんに独占取材のチャンス!おじゃましまーす!清く正しい射命丸で……」
「……はぁ。ちゃんとした記事ができてないんだから、こんなの発行しても仕方がないと思うんだけどなあ」
ぐさっ。文は心に深い傷を負った。
~回想終~
「回想短くないですか!?」
「いやあ、こんなものだと思いますけど」
「だって、3行ですよ!?」
「3行も使ってあげたんじゃないですか」
何の話か。
ともあれ、要するにそういう事なのである。
「目の前で、直接批判されるんなら、まだ受け止められる心もあるんですけどね……」
「割と不意打ちでしたしねえ」
妖怪の肉体は、精神に依存する。
その理屈で言えば、文が早苗から受けたダメージはクリティカルと呼んでも差し支えのないものであった。
何しろ文は、こう見えて誰かと会う時、常に「誰にどう自分の新聞を批判されようと、ある程度は受け流そう」ということを意識している。
そうする事によって、むやみやたらに精神、ひいては肉体にダメージがいかないようにしているのだ。
「取材対象に会っている時なら間違いなく張っているバリアも、会う前だったら機能しませんものね」
「うう、そうなんですよ」
「まあ、長年新聞を書いてて、今更そのぐらい言われたからって凹む文さんも、ちょっとメンタルが弱すぎるだろうとは思いますが」
ぐさっ。文の傷口に塩が塗られた。
「しくしく……」
「うっとうしいですねえ」
とにかく、早苗からその一言を聞いてしまったせいで、文は今だかつてないスランプに陥っている訳である。
彼女にしては珍しく、もう1か月もまともに新聞を出せていないことからも、十分に不調ぶりが伺えた。
「このままだと文々。新聞は『週刊文々。新聞』『月刊文々。新聞』『隔月刊文々。新聞』『季刊文々。新聞』なんて、どんどん刊行ペースが遅くなっていって……」
「その内、ヒッソリと廃刊ですか?」
「それは絶対にいやぁ!」
ついに「うわぁぁぁん!」と大声で泣き出し、文は机へと顔を突っ伏してしまった。
そんな彼女の姿に、椛は思わずため息をつく。
(早苗さんも、そんなつもりで言ってないと思うんだけどなあ)
早苗は真面目で、人の陰口を叩くようなタイプではない。それに、あの早苗の発言の直前に、千里眼を通して『視えて』いたものから考えれば、あれは―――
(まあ、たまには新聞が出ないなんて時期があってもいいと思うから、言わないんだけどね。文々。新聞の事を良く思ってる人ばかりでもないわけだし)
それより、今日の夕飯はどうしようかなあ。買い出しには行っておいた方が良いだろうか。あと、せめて文様を少しでも元気づけられるような料理を作らなくちゃ。
そんなことを考えつつ、椛は『ズズッ』とお茶を啜るのだった。
――――――――――――――――――――――――――――――
午後8時――― 大妖精の家
「寝よう!お菓子ラブ!」
「歯ブラシ買おうよ、ね?」
外の世界の、チョコプレッツェルのお菓子……パッキーだったかペッキーだったか……を持ちながら、妙にはりきった様子でベッドへ向かうチルノちゃんに、私は思わず苦笑い。
一方のチルノちゃんは、私の言葉に「えー?」と頬を膨らませます。
「これ食べながら寝ようよー。もうお店も開いてないでしょ?」
「最近できたこんびに屋さんだったらまだ開いてるよ。それに、慧音先生も言ってたでしょ?甘いものを食べたら、必ず歯磨きをしなくちゃ虫歯になるって」
ぶーぶーと、不満そうな表情を浮かべるチルノちゃん。
私の家に泊まりに来て、おゆはんも食べてお風呂も入って、あとは朝までベッドでお喋り!なんて意気込んでいただけに、水を差されたと思っているのかもしれません。
でも、少しだけ拗ねて頬を膨らませているチルノちゃんも、ちょっと可愛いな、と思ってしまったり。
ともあれ、そんな彼女を宥めながら、私はお出かけのために準備をするのでした。
チルノちゃんが私の家に泊まると言い出したのは、今日ここへ来てすぐのこと。
何でも、以前に早苗さんから『ぱじゃまぱーてぃー』というものについて教えていただいたらしく、今日は最初から泊るつもりで来ていたそうです。
珍しくチルノちゃんが持っていた大きめの鞄の中には、彼女に良く似合う青色の可愛いぱじゃまと、たくさんのお菓子。
私としても、別に断る理由がある訳でもないですし、喜んで彼女を歓迎したのですが。
一つだけ困ったことが。
「だって、歯なんて普段からあんまり磨かないもん」
「妖精だって虫歯になるんだよ?それに、チルノちゃんは甘いもの大好きなんだから、きちんと歯磨きしなくちゃ」
「大ちゃんだって、甘いもの好きなくせにー」
「私はちゃんと、食べたら磨くようにしてるから」
お菓子は山ほど持ってきたチルノちゃんでしたが、歯ブラシは持ってくるのを忘れていたのでした(というよりも、元々持っていなかったみたいです)
私の家にも、歯ブラシなんて、私が普段使っている1本きりしかありません。
まさか、2人で一緒にこれを使う訳にもいきませんし……い、一瞬だって「いっそ、そうしちゃおうかな。むしろ、相手がチルノちゃんだったら、そうしちゃいたいな」なんて考えていませんよ?本当ですよ?
……話が逸れましたね。
そこで、さっき言ったこんびに屋さんが出てくるわけです。
何でも、早苗さんが外でよく利用していたという話を、商魂たくましい里の人が詳しく聞き出して、自分で始めたとのこと。
その名もずばり『雑貨・食料販売店 こんびに屋』。
日用品も食べ物も一通り揃っていて、それでいて『しふと制』を採用した24時間営業ということもあって、早くも里では人気が出ています。
ただ、早苗さんは、その名前を聞いて「『コンビニ』というのはあくまで通称であって、そういうことじゃないんだけどなあ」と、何とも微妙な顔をされていました。
「ねー、こんびに屋、まだー?」
「もうすぐだよ、ほらそこ」
飛び始めてしばらく。
チルノちゃんが文句を言い始めた頃、ようやく目的地が見えてきました。
というのも、真っ暗な周囲の中で、こんびに屋さんだけは夜でも煌々と灯りがついているので、例え空を飛んでいてもすぐに分かるんです。
「早く入って、歯ブラシだけ買って帰ろう?」
「うん。あたい疲れちゃったし」
なんて、会話を交わしたのがおよそ30分前のこと。
「ふふふー♪いっぱい買っちゃったー♪」
そう言って、さっきまでの機嫌の悪さはどこへやら、ニコニコと上機嫌で私の隣を飛ぶチルノちゃん。
彼女の手には、とても歯ブラシだけが入っているとは思えないサイズの袋が握られています。
それもそのはず。こんびに屋さんの、思いがけない程のお菓子の多さに興奮したチルノちゃんが、おこづかいの許す範囲で色んなお菓子を買い漁っていったんです。
「もう、チルノちゃんったら。私の家にだって、お菓子たくさん持ってきてたのに」
「だって、朝まで2人でお喋りするんだよ?足りなくなったら困るもん」
いいえ、チルノちゃんが私の家に持ってきてたお菓子だって、相当の量です。
絶対に、朝までかかったって食べきれないでしょう。その上また買い込んでるし。
でも、それだけチルノちゃんが私とお泊りするのを楽しみにしていたのかもと思うと、何だかとっても嬉しかったり。
どのお菓子を食べながら、どんなお話をしようか、今から私もワクワクです。
ただその前に、1つだけ気になっていたことが。
「お菓子といえば、チルノちゃん、ここの所家に来る度に持ってきてくれるよね。おこづかい、そんなにあるの?」
そう、チルノちゃんが私の家へ遊びに来るときお菓子を持ってきてくれたのは、今日が初めてではありません。ここ数か月は、毎回のようにです。
私の知らないところで何かお仕事をしていて、そのお給料でお菓子を買っているのかも。そんなことを思いながら問いかけたのですが、返ってきたのは思いもかけない答え。
「ううん。あたい、お金なんてそんなに持ってないよ」
「そうなの?それじゃあ、いつも持ってきてくれるお菓子は、どうしてるの?」
「ゆゆこにもらってるの」
「幽々子様に?」
「うん」
チルノちゃんと幽々子様。時折宴会で顔を合わせる機会くらいしかないと思っていたのですが、いつの間にそんなに仲良くなったんだろう。
私の不思議そうな表情を見抜いたのか、チルノちゃんは続けて説明してくれます。
「前にゆゆこが、自分ちのお風呂のカマでプリンを作ってたことがあってね」
「お風呂のカマで!?」
「すごかったよ~。でも、そんなの中々冷やせないでしょ?だから、ゆゆこが困って、あたいに冷やすの手伝ってーってお願いしてきて。それから、ゆゆこの家に遊びにいくようになったんだ~♪」
とても楽しそうに、そう話すチルノちゃん。
お風呂のカマでプリンって、一体何人前あるんだろう。それに、そんな沢山の材料を集めるのだって、どうやったのか想像もつかないです。
何だかとっても面白そうなお話で、私としても聞かずにはいられません。
「ねえチルノちゃん。帰ったら、そのお話詳しく教えてくれる?」
私が問いかけると、チルノちゃんはにっこりと笑って
「もちろん!」
と答えてくれたのでした。
――――――――――――――――――――――――――――――
午後10時――― 守矢神社
「寝る時、拭き取るね!」
酔っぱらいすぎてお酒を机へこぼしつつ、あははーとそんな風に笑っていた諏訪子様は、やっぱり後片付けもせずに眠りこけてしまいました。
大体予想できたことなので、別に腹も立ちません。ただ、おでこには、でっかく『ハマチ』と落書きさせていただきました。
「すまないねえ、早苗」
「構いませんよ。でも、神奈子様も大分飲まれていたようですけど」
「いやいや、舐めちゃいけないよ。あの程度の量で」
「本当今日はお二方とも、朝からお酒の事しか考えてないですよね」
「誠に申し訳ありませんでした」
今朝お説教したばかりなのに、よくその日の内に飲む気になるなあ。
その心の強さ、逆に尊敬してしまいそうです。絶対にしませんが。
神奈子様と共に片付けを済ませ、寝室にて。
私は今日も色んな事があったなあ、と振り返ります。
朝から博麗神社の分社へ行って、霊夢さんと朝ごはんを食べたり。
午前中は二柱へお説教をしたり。
その後会ったチルノちゃんが『今日は大ちゃんの所へお泊りしに行くのよ!』なんてはしゃいでいたり。
そういえば、最近文さんが来ないなあ。どうしたんだろ?
「たしか、文さんが最後にここに来たのは、朝からパンを作ってた日で……」
~回想~
「……ああ、諏訪子様、駄目ですって!そんなに適当なお水の入れ方したら!か、神奈子様!パン作りに御柱は必要ないですよ!?……え、大体こんなもんでいいだろうって……分かりました。寝かせている間は私が見ていますから、お二方はどうぞ出てきてください。……もう。お二方とも、しょうがないなあ」
「おじゃましまーす!清く正しい射命丸で……」
「……はあ。ちゃんとした生地が出来てないんだから、こんなの発酵しても仕方がないと思うんだけどなあ」
~回想終~
あの後、何故か文さんがひどくションボリしていた様子を見かけたのを、今でも覚えています。何があったんでしょう?
ともあれ、ここで過ごしていると、本当に毎日色々なことがあって退屈しないものです。
今日も色々なことがありましたが、ついこの間だって、魔理沙さんと霊夢さんに唆されて、人里のお店のイベントで変なグランプリをもらってしまって―――
そこまで考えていたところで、まるで私の考えていることを見抜いたかの様に、神奈子様が声をかけてきました。
「それにしても、早苗もすごいよねえ。何せ、『幻想郷一野菜が似合う女性』だもんね。『ミス八百屋』だっけ?」
「あう、その話は止めて下さい……。恥ずかしいんですから」
「いやあ、恥ずかしがることはないと思うけどね。すごいじゃないか」
「もうっ。それじゃあ、そろそろ明かりを消しますよ。おやすみなさい」
「うん」
明かりを消すほんの直前。ニコリと微笑むと、神奈子様は言いました。
「ミス八百屋、文、おやすみ!」
「だからその呼び方やめてくださいよ!というか、文さんいるんですか!?」
「な!?何故バレた!?」
「天井裏!?」
「大方ネタ探しで忍び込んだつもりだろうけど、神様にそんな手が通用すると思ったかい?」
わーわー。ぎゃーぎゃー。
私たちは、一日の終わりまで、今日も概ね平和に大騒ぎをしていたのでした。
――――――――――――――――――――――――――――――
深夜2時――― 守矢神社 縁側
トクトク、トクトク。
深夜の守矢神社に、何かを注ぐような、小さな水音が響き渡る。
はて、こんな時間に誰か起きているのだろうか。
喉の渇きに目覚め、台所へと向かっていた神奈子は、何気なく音のする方へと向かっていく。
縁側に腰掛ける神様と、その傍らに置かれた湯飲み。
そして、何枚かのお煎餅が入った菓子鉢。
目前で何が起こっているのかを理解すると、神奈子は悪戯っぽく微笑みながら呟いた。
「飲むの?」
「……白湯さ」
諏訪子はそう言って、ホカホカと湯気を立てる湯飲みを神奈子に見せる。
「というか、お酒飲んでないのなんて、見れば分かるでしょうに」
「冗談よ。それにしても白湯ねえ、珍しい。酔い覚ましか何か?」
神奈子が問いかけると、諏訪子はばつが悪そうに
「いやあ、朝からお酒のことで早苗に怒られたのもあるしね。それに、2人して年の初めに誓いも立てたじゃない。今年は、飲むお酒の量を減らすって。神奈子だって、忘れたわけじゃないでしょ?」
「断念した。また、新年だ」
「新年ついこないだ来たばっかりだよ!?」
「そう言う諏訪子だって、さっきまで酔い潰れて寝てたのに」
「うっ」
言葉に詰まる諏訪子。
そんな彼女を見ながら、神奈子は「私もお白湯、貰おうかしら」と、台所へ向かうのだった。
暖かくなってきたとはいえ、夜はまだ冷える季節である。
神奈子も諏訪子と同じように縁側へと腰かけたその時、びゅんと風が吹き抜けた。
その冷たさに、思わず神奈子はぶるりと身を震わせる。
「ね、諏訪子。中に入らないの?」
「まだお酒が抜け切ってないからね、丁度良いよ。寒いなら、それ飲んでたら?」
諏訪子の言う通り、持ってきた湯飲みへと口をつける神奈子。
じんわりとした温かさが体の芯まで染み渡り、彼女はほっと一息つく。
「……美味しい」
「たまに飲むといいものでしょ?」
「ええ。不思議ねえ、本当にただのお白湯なのに」
「ふふっ。寒い中で飲んでるから、また格別なのかもね。ほら、おせんべも美味しいよ?」
パリパリ。
パリパリ。
しばらくの間、辺りには、二柱のお煎餅を食べる音だけが響き渡った。
やがてその音も止んだ頃、諏訪子が静かに口を開く。
「最近さ」
「ん?」
「早苗も、随分しっかりしてきたと思わない?」
諏訪子の問いかけに、神奈子は少しの間「うーん」と考えた後
「たしかに。何かした?」
「何もしてなんてないさ。でも、あの子は自分の足で色んな所に行って、自分でどんどん成長してるんだ。大したもんだよ」
「ついこないだまで『かなこさまー、すわこさまー』なんて、何するにも私たちにべったりだったのにね」
「本当にその通りでさ。さっき、私、酔って寝ちゃってたでしょ?その時、夢に小さい頃の早苗が出てきてたんだよね。もう、本当に可愛くてさ。いつまででもぎゅーっと抱きしめてたいくらいだった」
「あったねえ、早苗にもそんな頃が。本当、その頃の早苗は目に入れても痛くないくらいで」
「けどもう、早苗もそんな歳じゃなくなりつつあるんだよね。どんどん大きくなって、色んなことが自分一人でできるようになっていって。そうやって歳月が廻っていくのなんて、本当、残酷なくらいあっという間だねえ」
感傷的に諏訪子が言うと、思わず『プッ』と吹きだしてしまう神奈子。
諏訪子は、そんな神奈子に対してムッとした顔を浮かべてみせる。
「むう。何よ、私がこんなこと考えたら悪いっていうわけ?」
「いやいや、別に悪くはないんだけどね。だってあんた、おでこにでっかく『ハマチ』って書かれてるのに、そんなしんみりした台詞を言うんだもの。面白くなっちゃって……」
「え!?嘘!?」
「あんたがさっき寝てるうちに、早苗がやったのよ」
そう言いながら神奈子がどこからか取り出した手鏡を見つつ、「くそ~、早苗め~」と唸る諏訪子。
神奈子はひとしきり笑い終えると、優しく諏訪子へ語りかける。
「たしかに、月日は残酷にも思えるくらいあっという間に廻っていくし、その中で早苗もどんどん変わっていってるよ。それは事実さ」
「うん」
「だけど、そんな廻っていく日々の中でも、変わらないものもあるんじゃないかい?」
「変わらないもの?」
「ああ。例えば、私たちが、どんなことがあっても早苗を好きだという気持ち、とかね。諏訪子だって、何があっても早苗の事が好きだという気持ちは変わらないだろう?」
神奈子の問いかけに、諏訪子は力強く頷いた。
「そりゃあね。未来永劫、どんなことがあったって、変わるわけないさ」
「だったら、それでいいじゃないか。早苗はどんどん変わっていくし、もしかしたらその中で、私たちが必要でなくなる日も来るかもしれない。それでも、私たちは早苗の事が大好きだ。必要とされればそれに応えてやるし、例えいらないと言われたって、遠くから見守るくらいの事はする。それで、何の問題があるんだい?」
少しの静寂。
神奈子の言葉を受け、考えていた諏訪子だったが、やがて納得したように頷いてみせた。
「何だか悟ってるねえ、神奈子」
「何、あんたが親バカすぎるのよ、諏訪子。この所、早苗に頼られる機会が減ってたから、寂しかったんでしょ?」
「……うん」
「神様なんだから、もっと、ドーンと大きく構えてなさいよ。そうじゃなかったら、早苗だって頼るに頼れないわよ?」
「あーうー」
神奈子の厳しい言葉に、諏訪子は思わず天を仰ぐ。
「でも、神奈子の言う通りだね。私たちは、ただ、今まで通り、早苗を好きなだけでいいんだ」
「ええ。それだけでいいの」
「そっか。寂しいからって、後ろ向きになってたかな」
「早苗が、一人でできることが増えたっていうことは嬉しいことよ?私たちも、もっと一緒に喜んであげないと」
「うん、そうだね。おかげで吹っ切れたよ。ありがとね、神奈子」
諏訪子の言葉に、神奈子は何も言わず、ただ微笑んでみせるのだった。
寝室へと向かった二柱は、早苗を起こさないよう、静かに部屋へと入る。
暗くて見ることができないのが残念だが、きっと早苗は昔と変わらない天使のような可愛い寝顔を浮かべているのだろう。
二柱がそんなことを思っていると、早苗の口から小さな寝言が漏れる。
「むにゃ……そんなに飲んだらダメですよ、神奈子様、諏訪子様……」
「やれやれ。夢の中でもお説教されちゃってるよ。どうする?神奈子」
「本当に大きくなったわねえ、早苗は」
今朝の出来事でも夢に見ているのだろうか。
夢の中でも生真面目に二柱を叱る早苗に、思わず神奈子と諏訪子は苦笑を浮かべた。
「それじゃあ」
「おやすみ」
寝坊すればまたお説教の種になりかねないな、などとそれぞれに考えつつ。
布団へ横になり、軽く挨拶を交わすと、二柱もまた、眠りへと就く。
―――いつかきっと、私たちの助けなどなくとも、早苗が何でもできるようになる時が来るのだろう。
それは、もう目前まで迫っている、この春なのかもしれない。
例えそうだとしても、私たちが早苗を好きならば、それで何の問題がある?
眠りに落ちる寸前、諏訪子は先ほど神奈子と交わしたやり取りを思い出していた。
寂しい気持ちは、まだ完全に消えたわけではない。けれど、廻り、廻る、世界の中で、変わっていくものを受け止めなければならないこともある。
大丈夫。私たちは早苗が大好きなんだ。その気持ちが変わらない限りは、きっと何があっても大丈夫。
春は、もうすぐ。
思わず見返しちゃいました
楽しい趣向でした.
その発想力に脱帽です!
こういう言葉遊び系は結構労力が要るんですよねー……私も書いたことがあるから分かります。
個人的には、もっと回文を物語の中心に据えたりするとなお良かったかなと。
現状だと、「たまに回文が出てくる、幻想郷の日常SS」なので。
それを作者様が狙っていたのだとしたら、申し訳ない。