「ふぅ・・・流石に冷えるねぇ」
星熊勇儀は、ほぅ・・・と息を吐く。うっすらとではあるが白く変化した息はまだ冬の終わりではないことを知らしめていた。
いくら暦の上では春といえども、日も落ちて夜も更ければ気温は下がる。今はそういう時期なのだ。
桃の木はつぼみが膨らみ、そろそろその芳しいお姿を見せてくれることだろう。
「桃の木を見ながらの一杯。いいかもねぇ」
勇儀の趣味には『喧嘩』か『酒』が付きやすい。
勇儀が今いるのは地上である。友人の話だと、今は綺麗な満月が出ているのだという。
『地底の明かりなんて提灯と溶岩が関の山。お上の表情の方がずっと多いってもんよ。いまは冷たいけどね』
最近知り合った飲み仲間は口はすこぶる悪いが根は悪い奴じゃない。と言うことで徳利を持って地上の方に出てきたのである。
「さて、色白美人のお顔をお拝顔っと」
成程、確かにいい月だ。
十五夜ほどのあでやかさはないが、蒼白としたその白さは美しかった。
適当な岩の上に腰をかけ、徳利を見ると、ふと気付く。
「あり?御猪口がない」
別に御猪口がないと酒が飲めないという訳ではないが、彼女だって雰囲気というものを尊重するときもある。
「うーん・・・このまま呑んでもいいか」
ただし、切り替えも早い。
そんな一幕を見ても月は何も語らずに俯いている。
ひゅうと風が吹く。
草がかさかさとこすりあう音が耳元に鳴る。ここに御猪口があればもうちょっと雰囲気が出たんだけどなぁ。と、勇儀は頭を掻く。
「第一、こんな風に呑んでたら・・・そらきた」
徳利をさかさまにして舌を出してまで酒をねだっても、徳利も勘弁して下さいと言わんばかりにその舌にぴちょん、と一滴垂らすだけであった。
「あーあ、様じゃないけど御猪口がないと徳利一つあっさり消えるもんだなぁ」
空になった徳利を肩に下げ、月をちらりと見る。
月は何事もなかったかのように、そこにいるだけである。さっきまでの一幕を見て笑っているのかもしれないし、鉄面皮なのかもしれない。奥が深いもんだと、勇儀は思った。
「んじゃ、あそこに行くか」
そう、一人納得すると歩き出した。
着いた先は一件の屋台であった。木製のそれはこの森の中でこじんまりと小さかったが、勇儀にはこの場所が静かで好きだった。
喧騒わななく居酒屋も悪くないけど、こういう物静かな場所も嫌いじゃない。まぁ、外の世界にある『ばぁ』なる所は聞く限りだと肌に合いそうにないな、とは思ったが。
「あら、勇儀さん今晩は」
一人の少女が勇儀に声をかける。割烹着を着た彼女はせっせと鰻を焼いていた。
「やぁ、おかみさん。今日の売り上げはどうですかな?」
「うーん。ぼちぼち、って所です。勇儀さんがもう少し誠実な人だったら繁盛するんですけどね」
勇儀はぐぅ、と唸る。実の所、今回もツケてもらう気でいたのだ。力仕事をして小金を稼ぐもののそれ以上の勢いで命の水と換金してしまうため、ここ以外にも何件か『つい』ツケてしまう。
「まぁ、そのうちね。うん。そのうち」
いつも姐御なんて呼ばれている彼女も弱みを握られると弱くなる。
「ふふふ、いつでもお待ちしていますからね♪で、今日もツケですよね」
「おぅ」
勇儀がそう言うと、彼女はフフッと笑って屋台の柱に貼ってある紙のうちの一枚 -『勇儀』と書かれた紙- に一本線を足して正の字を完成させた。
「それじゃ、まずは酒と八目鰻3串」
「はい、しばしお待ちください」
割烹着の少女こと、ミスティア・ローレライは最近鳥喰反対運動とかでこの屋台を始めたらしい。勇儀には事の発端や経緯は良く分からなかったが、ここの酒とつまみは旨いということは知っている。
「勇儀さんは今回はどうして地上に?」
「割烹着姿のおかみに会いに来たから」
「えっ!?あっ、ちょ、あちちちぃ!」
彼女の手の中で八目鰻が踊っているのを眺めつつ勇儀は彼女がどんな顔をして狼狽しているのかをほほ笑みながら想像した。それを見て、他の客はやんややんやともてはやし、ゲラゲラと笑う。
「もぅ!何言うんですか!」
「はははは、すまねぇすまねぇ。いやさ、地底の酒飲み仲間が色白美人で月見酒でもしたらどうだっていうもんだからね」
そう言って勇儀は上を指さした。
ミスティアは勇儀の口から出た『色白美人』という言葉にムッっとしたが、言葉に従って上を見る。上には白く真ん丸なお月さまがあった。
「ははん、だから色白美人か」
そう納得するとせっせと調理に戻る。勇儀はその小さいからだがせっせと料理をするのを眺める。
時々、ミスティアがこっちを見る。出がけに食べた握り飯のつぶでもついているのかと思い顔を調べるが、そんなものは何もない。
「お待たせしました」
「おぉ、待ってました」
徳利一つの酒と、タレの匂いを漂わせる3つの串焼き。勇儀はその一つを口に運ぶ。
「うん、おいしい」
言われて嬉しかったのだろうか。ミスティアの顔がぱあっと明るくなる。それを見られたのが恥ずかしかったのかその後すぐ顔を真っ赤にして俯いてしまったが。
「ん?どうしたんだい?おかみさん」
「え!?あの、その・・・何でも、ないですよ、うん」
「顔、真っ赤だぜ?風邪でも引いたのかい?」
「え!?ま、真っ赤ですか!?そ、そそそそそ、それは多分ですね。えーっと、夜風が冷えるからですよ。私って寒いとすぐ顔真っ赤になっちゃうんで・・・」
なんかしどろもどろな返答だなぁとと思いつつ。命の水を呑む。
かちゃかちゃと食器を洗う音が聞こえる。つまみが無くなったので追加を頼もうと思ったが少し気が引けるので終わるまで呑むことにした。
「ごちそうさま、お愛想ね」
そう言って、客がまた一人家路に就く。気づけば今この店の客は勇儀一人であった。狙って来たつもりではないが、何とも言えない雰囲気であった。
それから暫く立った。いつもならこの時間帯でも客はいるものなのだが、今日日に限って皆早くに帰ってしまった。屋台の提灯に照らされてネコヤナギがゆらゆらと揺れているのが分かる。
「あ・・・あの・・・勇儀さん」
ミスティアの方から話しかけてくる。
「うん?どうしたんだい?おかみさん」
「私って、その・・・可愛いですか?」
勇儀は面食らったような顔になる。
「え?おかみさんが、かい?普通に可愛いじゃないか。それがどうしたんだい?」
「いいいいいいい、いやあのそのですねなんというかそのえーとあのそのあのあうあういつもお酒を仕入れている所の人から可愛いって言われたのでついぃぃぃぃぃ・・・」
明らかにミスティアの様子がおかしい。やっぱり熱でもあるんじゃないか?見てみればさっきより顔が赤くなってる気がした。
「おかみ、どうしたんだい?やっぱり熱でもあるんじゃないかい?」
そう言って、天狗面か木苺みたいにまっかになっているミスティアの額に手をあてる。やっぱり少し熱い気がする。
「嫌ないですないです私は元気ですからおでこに手を当てないでぇぇぇ」
心なしか手を当てた方が、顔が真っ赤になったように勇儀は感じた。
「本当に大丈夫なのかい?」
勇儀は割と本気で心配している。
「えぇ、大丈夫ですよ。落ち着けば元に戻りますから・・・」
「林檎みたいに真っ赤な顔で言われても説得力がないんだけどねぇ」
「だ、誰がこんな風にしたと思ってるんですか。誰が・・・」
ミスティアは小さく、そう言った。
夜空に浮かぶ月は、相変わらず笑っているとも無表情とも言えないような表情のまま、彼女らを見続けていた。しかしまぁ、心なしか少し明るくなったようにも思えた。
そんな、ある日の一幕。
Fin
星熊勇儀は、ほぅ・・・と息を吐く。うっすらとではあるが白く変化した息はまだ冬の終わりではないことを知らしめていた。
いくら暦の上では春といえども、日も落ちて夜も更ければ気温は下がる。今はそういう時期なのだ。
桃の木はつぼみが膨らみ、そろそろその芳しいお姿を見せてくれることだろう。
「桃の木を見ながらの一杯。いいかもねぇ」
勇儀の趣味には『喧嘩』か『酒』が付きやすい。
勇儀が今いるのは地上である。友人の話だと、今は綺麗な満月が出ているのだという。
『地底の明かりなんて提灯と溶岩が関の山。お上の表情の方がずっと多いってもんよ。いまは冷たいけどね』
最近知り合った飲み仲間は口はすこぶる悪いが根は悪い奴じゃない。と言うことで徳利を持って地上の方に出てきたのである。
「さて、色白美人のお顔をお拝顔っと」
成程、確かにいい月だ。
十五夜ほどのあでやかさはないが、蒼白としたその白さは美しかった。
適当な岩の上に腰をかけ、徳利を見ると、ふと気付く。
「あり?御猪口がない」
別に御猪口がないと酒が飲めないという訳ではないが、彼女だって雰囲気というものを尊重するときもある。
「うーん・・・このまま呑んでもいいか」
ただし、切り替えも早い。
そんな一幕を見ても月は何も語らずに俯いている。
ひゅうと風が吹く。
草がかさかさとこすりあう音が耳元に鳴る。ここに御猪口があればもうちょっと雰囲気が出たんだけどなぁ。と、勇儀は頭を掻く。
「第一、こんな風に呑んでたら・・・そらきた」
徳利をさかさまにして舌を出してまで酒をねだっても、徳利も勘弁して下さいと言わんばかりにその舌にぴちょん、と一滴垂らすだけであった。
「あーあ、様じゃないけど御猪口がないと徳利一つあっさり消えるもんだなぁ」
空になった徳利を肩に下げ、月をちらりと見る。
月は何事もなかったかのように、そこにいるだけである。さっきまでの一幕を見て笑っているのかもしれないし、鉄面皮なのかもしれない。奥が深いもんだと、勇儀は思った。
「んじゃ、あそこに行くか」
そう、一人納得すると歩き出した。
着いた先は一件の屋台であった。木製のそれはこの森の中でこじんまりと小さかったが、勇儀にはこの場所が静かで好きだった。
喧騒わななく居酒屋も悪くないけど、こういう物静かな場所も嫌いじゃない。まぁ、外の世界にある『ばぁ』なる所は聞く限りだと肌に合いそうにないな、とは思ったが。
「あら、勇儀さん今晩は」
一人の少女が勇儀に声をかける。割烹着を着た彼女はせっせと鰻を焼いていた。
「やぁ、おかみさん。今日の売り上げはどうですかな?」
「うーん。ぼちぼち、って所です。勇儀さんがもう少し誠実な人だったら繁盛するんですけどね」
勇儀はぐぅ、と唸る。実の所、今回もツケてもらう気でいたのだ。力仕事をして小金を稼ぐもののそれ以上の勢いで命の水と換金してしまうため、ここ以外にも何件か『つい』ツケてしまう。
「まぁ、そのうちね。うん。そのうち」
いつも姐御なんて呼ばれている彼女も弱みを握られると弱くなる。
「ふふふ、いつでもお待ちしていますからね♪で、今日もツケですよね」
「おぅ」
勇儀がそう言うと、彼女はフフッと笑って屋台の柱に貼ってある紙のうちの一枚 -『勇儀』と書かれた紙- に一本線を足して正の字を完成させた。
「それじゃ、まずは酒と八目鰻3串」
「はい、しばしお待ちください」
割烹着の少女こと、ミスティア・ローレライは最近鳥喰反対運動とかでこの屋台を始めたらしい。勇儀には事の発端や経緯は良く分からなかったが、ここの酒とつまみは旨いということは知っている。
「勇儀さんは今回はどうして地上に?」
「割烹着姿のおかみに会いに来たから」
「えっ!?あっ、ちょ、あちちちぃ!」
彼女の手の中で八目鰻が踊っているのを眺めつつ勇儀は彼女がどんな顔をして狼狽しているのかをほほ笑みながら想像した。それを見て、他の客はやんややんやともてはやし、ゲラゲラと笑う。
「もぅ!何言うんですか!」
「はははは、すまねぇすまねぇ。いやさ、地底の酒飲み仲間が色白美人で月見酒でもしたらどうだっていうもんだからね」
そう言って勇儀は上を指さした。
ミスティアは勇儀の口から出た『色白美人』という言葉にムッっとしたが、言葉に従って上を見る。上には白く真ん丸なお月さまがあった。
「ははん、だから色白美人か」
そう納得するとせっせと調理に戻る。勇儀はその小さいからだがせっせと料理をするのを眺める。
時々、ミスティアがこっちを見る。出がけに食べた握り飯のつぶでもついているのかと思い顔を調べるが、そんなものは何もない。
「お待たせしました」
「おぉ、待ってました」
徳利一つの酒と、タレの匂いを漂わせる3つの串焼き。勇儀はその一つを口に運ぶ。
「うん、おいしい」
言われて嬉しかったのだろうか。ミスティアの顔がぱあっと明るくなる。それを見られたのが恥ずかしかったのかその後すぐ顔を真っ赤にして俯いてしまったが。
「ん?どうしたんだい?おかみさん」
「え!?あの、その・・・何でも、ないですよ、うん」
「顔、真っ赤だぜ?風邪でも引いたのかい?」
「え!?ま、真っ赤ですか!?そ、そそそそそ、それは多分ですね。えーっと、夜風が冷えるからですよ。私って寒いとすぐ顔真っ赤になっちゃうんで・・・」
なんかしどろもどろな返答だなぁとと思いつつ。命の水を呑む。
かちゃかちゃと食器を洗う音が聞こえる。つまみが無くなったので追加を頼もうと思ったが少し気が引けるので終わるまで呑むことにした。
「ごちそうさま、お愛想ね」
そう言って、客がまた一人家路に就く。気づけば今この店の客は勇儀一人であった。狙って来たつもりではないが、何とも言えない雰囲気であった。
それから暫く立った。いつもならこの時間帯でも客はいるものなのだが、今日日に限って皆早くに帰ってしまった。屋台の提灯に照らされてネコヤナギがゆらゆらと揺れているのが分かる。
「あ・・・あの・・・勇儀さん」
ミスティアの方から話しかけてくる。
「うん?どうしたんだい?おかみさん」
「私って、その・・・可愛いですか?」
勇儀は面食らったような顔になる。
「え?おかみさんが、かい?普通に可愛いじゃないか。それがどうしたんだい?」
「いいいいいいい、いやあのそのですねなんというかそのえーとあのそのあのあうあういつもお酒を仕入れている所の人から可愛いって言われたのでついぃぃぃぃぃ・・・」
明らかにミスティアの様子がおかしい。やっぱり熱でもあるんじゃないか?見てみればさっきより顔が赤くなってる気がした。
「おかみ、どうしたんだい?やっぱり熱でもあるんじゃないかい?」
そう言って、天狗面か木苺みたいにまっかになっているミスティアの額に手をあてる。やっぱり少し熱い気がする。
「嫌ないですないです私は元気ですからおでこに手を当てないでぇぇぇ」
心なしか手を当てた方が、顔が真っ赤になったように勇儀は感じた。
「本当に大丈夫なのかい?」
勇儀は割と本気で心配している。
「えぇ、大丈夫ですよ。落ち着けば元に戻りますから・・・」
「林檎みたいに真っ赤な顔で言われても説得力がないんだけどねぇ」
「だ、誰がこんな風にしたと思ってるんですか。誰が・・・」
ミスティアは小さく、そう言った。
夜空に浮かぶ月は、相変わらず笑っているとも無表情とも言えないような表情のまま、彼女らを見続けていた。しかしまぁ、心なしか少し明るくなったようにも思えた。
そんな、ある日の一幕。
Fin
良い雰囲気を味わえました
次回作も期待してます